やっぱりお葬式にたくさんの人が来てくれてそこでたくさん泣いてもらえるような人生を送りたいよねとカズくんは言っていて私はそれにニッコリとそうだねと答えたけれど嘘だった。自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。そこで性格悪かっただの男に色目を使っていただの人の好感度ばかり気にしていただの言われたとしてもどうでもいい。事実だし。いやもしも事実じゃなかったのだとしてもやっぱりどうでもいい。だってもうその世界に私はいないし。だから私がそれを聞いていたいけな心を痛めることもないし、暴力とかをふるわれて実際に痛みを覚えることもない。いや、あこれ葬式で悪口言われるわ、と思いながら死んでいくのはやだよ? よーし騙しきった―っていう清々しい気持ちのまま死んでいけたとしたらの話ね。それならそのあとでなにが起きようが、それこそ実は嫌われすぎてて死体がゴミ捨て場でキャベツの芯とかゴキブリの死骸とかおっさんが使ったコンドームとかと一緒に火葬されようがどうでもいい。自分の知らないことはないことと同じだ。
みたいなことを小学生の頃お母さんに言ったらすごく悲しい目をされて、ほんとうのことをほんとうのまま口にすると誰かを傷つけることになるって知った。世界はウソとほんとうがちょうどいい割合でブレンドされていて、それを吸ってみんなは生きている。だからウソ百パーセントもほんとう百パーセントも、きっと人間には毒なんだ。そんなふうに原因を勝手に解釈して、じゃあこれからはちゃんとそのルールを守って生活しないとな、と、なんとなく人生の方針が定まったのが中学生に入ったくらいのころだった。
開き直ってしまえばあとは楽で、ほんとうのことしかなかったはずの私の言葉にウソを混ぜるのは簡単な作業だった。ちょちょいのちょい。カロリー消費ゼロ。ダイエットにすらならないくらい。でも一つ問題もあった。それは、ウソとほんとうが水と油みたいに、混ぜても分離するようなものだったらよかったんだけど、実際は水と牛乳みたいに、一緒にしたら簡単に混ざってしまってもとに戻すことができないものだったことだ。だからもうそこから私の心に透き通った水が返ってくることはなかったし、水と牛乳が混ざったそれは薄白く濁っていて、とても綺麗と言えるものではなかった。汚い水。さいてー。それだったら、と思った私は、そこに大量の牛乳を注ぐことにした。ドボボボボー。嘘、嘘、嘘。最初に水が入っていたから飲んでみるとちょっと薄いけれど、見た目は完全にただのきれいな牛乳になった。なら誰にも飲ませなければいい。それで大丈夫。私は綺麗でいたいんだ。それが水でも牛乳でも、綺麗であればそれでいい。私は私を守る。
とか固く決意していたのに恋っていうのはホントにやばい。飲ませたいんだもん、カズくんに。私の心を。バレちゃうのに。でも薄い牛乳だなあなんて思われるのは嫌だから、かと言って飲む前に汚い水って思われるのは一番嫌だから、私はどんどんさらに牛乳を注ぎまくることにした。毎日毎日。そうすりゃいつか敏感じゃなきゃ気づかないくらいの濃さの牛乳になるでしょ。お願いカズくん! バカ舌であって!
なんて言ってわかってないふりをして自分をごまかしているけれど、ホントは最初からどんどん水を注げばよかったんだ。ちょっと牛乳を入れて混ざっちゃった、元に戻らなくなっちゃった、って気づいたらすぐに、毎日毎日、水を注げばよかった。あーあ。間違えちゃった。でももう戻れないし。ってな感じで後悔しながら、でもカズくんは手に入れたいから毎日牛乳を注ぎ続けている。しにて~。なんつって。めっちゃ生きたい。けどつらい。どうしよ。こんなふうになってる人なんて世の中にたくさんいるんだからそんなことでギチギチ悩むなとか言われそうだけど黙ってろ。私は私の人生なんだから私のことはおおごとなんだよ。部外者はどっかいけ。かっこカズくん以外。
カズくんと初めてセックスしたのは去年の秋頃のカズくんの部屋だった。そこからズルズルセフレみたいな感じで続いている。とはいっても正彼女に近い位置取りのセフレだもんね! はーあ。な~にやってんだか。ばか。愛されてー。まあホントはカズくんって名前じゃないし実際はさすがに小学生で悟ったとかそこまでマセガキじゃなかったけど、おおむねそんな感じで私は生きている。似たような女の子頑張れ、なんてことは全く思わないけど、男の性欲って醜いんだな、とは思います。結論それ?
舞城王太郎とか好きそう
まったく同じことを思った。