はてなキーワード: 五分五分とは
もともとオスとメスでは、どの生物もメスがオスを選別する側だが、人間の場合はさらに顕著だ。
というのも
基本的に性行為が出来るということは、能動的に動き回れる一定以上健康な個体であり、つまり群れに貢献する立場の個体だ。
特に原始人類の生命線である炎の管理や、暖を取る衣服を作る技術、動物性と違い切らすと即飢えに繋がる植物性栄養源の採取など、群れのライフラインは概ねメスの管轄にあった。
そいつが一匹無駄に死ぬのは群れにとっての損失となる。社会性が強ければ強いほど、そういう損失は個体が子供を残すことより重要だ。
群れの構成員が一匹増えるか、一匹減るかという、五分五分のギャンブルなので、必然的に成功確率が高い間は挑んで良いが、成功確率が下がる年齢になると、メスはとっとと閉経して、以降生殖から解放され、単純に社会を維持する活動に専念するようになる。
更にそもそも生まれた子供は、これまた二足歩行の弊害で、他の哺乳類に比べ極めて未熟児の状態で生まれてくる。
成体まで持っていくには、多分なリソースを注ぎ込まねばならず、あまり育てるのに乗り気がしない子供は、原始社会では産まれてまもなく母の手で間引きされた。
選んで選んで、なんなら一生産まない方が群れへの貢献になるなら、一生産まない選択肢も下手に産むよりは良いことであり、それでもなお育てると選んだ子供だけを群れに加えて良い。
女性はひたすらに選ばなくてはならない性だ。
一方男はリスクがない。
時間がたてばたつほど精子は劣化し、それを示す加齢臭によって女性に避けられるため、選ばれる確率は落ちていくものの、別にそれでうっかり選ばれたとしても、特に子供が出来ないか、問題児が出来ても間引けば良いので、とりあえず生殖能力を維持し続けても群れの害にはならない。
ひょっとすると上手い具合に年を食っていても、育てるに値する子供が生まれる確率もないではないし、棚ボタ狙いも込めて、生殖能力は維持され続ける。
かくして例え一生涯相手にされないままでも、性的な存在であることから免れない。
選ばれることがノーリスクな分、選ばれるに越したことはなく、逆に一生選ばれないというのは、自身が無価値な存在であるということをダイレクトに突きつけられる。
なんで自分はこんなに求めているのに、向こうは誰もが片っ端から自分を断り続けて、自分抜きの方が幸せに生きられるというのか。選ぶ側になれるものならなりたい。選ばれたがる必死な相手から、自分は断れる立場になりたい。
しかし基本的にリスクがある側が、リスクと天秤にかけて選ぶ形になるのは当然だ。リスクのせいでそもそも、相手を求める度合いが釣り合っていないのだ。
一方そんな女達も、ノーリスクで選ばれる側に立てる男を羨む。
自分ではなく相手が「選んだことによるリスクの全て」を背負う。相手はそれだけのリスクを背負う覚悟を持った上で選んでくれる。そんな立場。
選ぶものと選ばれるものでは、結果は常に選ぶ者の責任になるが、その全てを負わなくて良い。選ばれずともデメリットはない状態で、あれやこれやつまみ食いする自由がある。
出来るものなら何の責任もなく、そういう立場になりたい。そう羨む。
しばらくして時代が下り、人口密度が高まると、部族闘争が増え、男の地位が高まり、やがて男達がライフラインを握って、全てを支配する文明の時代がやってくる。
初期は誘拐婚などで、オスが好きなメスを強制的に選ぶ方式ができる。
ただこれ、選ばれたがる相手の中から、優越を持って自分が選ぶ立場になれるようなものではない。
どっちかっつーと、選ばれるせいで女性は不幸になる。つまり女性としては選ばれないに越したことはない。女が男に選ばれたがってくれない。結局形的には選べても、根っこは元のままである。
あるいは交換婚が発生する。女を村の財産として別の村と交換する方式だ。
村と村の関係の円滑化にはなるが、やっぱり女性は嫌がるので、実質誘拐婚と同じである。
やがて社会構造が複雑化し、階級が生まれたあたりで、なかなか上手い制度が生まれる。
上位婚・下位婚。身分の高い男性が、低い女性を選んで結婚する。
社会の中で一番高い身分は大体男性が占めるので、最下層の男性を除けば、誰もがそれなりに結婚機会に恵まれる。
めでたしめでたし……か?
しかしオスにとっては、メスとくっつければそれだけでプラス事象だが、メスにとっては自分が選んだ相手以外とくっつくのは、一生独身であることよりも悪いマイナスでしかないことは、どうあがいても変わらないのだ。いくら文明が発達しても。
女は嫌な相手と結ばれるマイナスを帳消しにするだけの、生活環境の向上が約束されてようやく選ばれたがるようになる。
いずれの場合も、金や地位が女を選ぶ権利を持っているのであり、男は金や地位を持つことは出来ても、女を選ぶ権利を手にすることはないのだ。
相手が地位があれば、それを失うリスクが発生する、と一瞬は考えられる。
男がリスクを推してでも女を選ぶ、そんな幻想が成立するように。
しかし実際のところリスクなんて形式的なレベルくらいしかなく、大した障害もなく男は女を選べてしまう。大した覚悟もいらないままだ。
結局このシステムは、擬似的に男を選ぶ者に、女を選ばれる者にしようとはしてくれるけれど、本質的にお互い選ぶ立場にも選ばれる立場にもなれないものだ。
全員が全員、生物的なくびきと無関係に生きられるほど、余裕に溢れているわけではない。
そして中には、膨らんだ幻想を現実とごちゃまぜにしていく人たちもいる。
今でもはてなには、女同士では絶対に仲良くなれないのがデフォだとか、婚期逃して後悔する女とか、あり得ない女の幻想物語を書き散らす人がいる。
今でもブログ界隈には「仕事と私どっちが大事?」的な質問で自分を選んで職場での不幸に耐えたり、複数の女性をリスクなしに渡り歩いた結果職を失う、ありえない男の幻想物語を書き散らす人がいる。
「お前らも男に選ばれないことで不幸になれよぉぉぉぉ」という男の怨嗟と「お前らも女を選ぶことで不幸になれよぉぉぉぉ」という女の怨嗟が漂っている。
どちらも現実には叶わない夢であるがゆえ、怨嗟の声は終わらない。
女にとって独身より下手な男に目をつけられることのほうが不幸だ。女性は嫌いな男をどれだけ断り続けても、無事閉経すればむしろ男に目をつけらずに済む平和な状態になり、後は女同士で楽しく年を取っていくものだし、男性は女をどれだけほいほい軽率に選んでも、まったくリスクを背負わず、何度失敗を繰り返そうが男性社会での信用を失わず、そのまま平和に生き続けるものだ。
考察が合ってるかどうかはしらんが。
いやでも本当に、ハーレムものはいかにして、主人公に選ばれない女の子を不幸にするかに血道をあげて、逆ハーものはいかにして、主人公を選ぶ男の子を不幸にするかに血道をあげてるからなぁ。
基本ハッピーエンドものだから、両者とも不幸になる可能性を匂わせた上で、概ね結ばれた上で不幸を回避するけども。
ハーレムものだと大体、女の子は何かしか問題抱えていて、主人公と仲良くなりつつも、問題が肥大化して行き、何とかしなければならないと思った主人公の行動が、彼女を救ってめでたしめでたし。
逆ハーだと地位が高かったりするキャラは、大体それを失うリスクを犯してでも主人公を選ぶ展開、ってのをやるためにその地位持ってる。地位を失っても二人で新しい人生歩んで、それはそれで幸せ、的な結末がデフォ。
それぞれドス黒い感情を、上手く綺麗な世界に昇華しているというか。
あ、あと青年漫画・少女漫画の、異性の三下悪役とかも特徴的だよなぁ。
青年漫画でヒロイン苛める意地悪な女の子が、主人公とかに声かけた挙句振られて「女として屈辱」みたいな。
ねーよ。声かけた男に選ばれないのは、大した屈辱でもないよ。はんっ、空気よめねー奴、って思う程度だ。
どっちかっつーと声かけてもいねーキモイのに、声かけたと勘違いされて付きまとわれるほうが、よっぽど屈辱的で不幸だ。
逆に少女マンガで、ワルな男の子が所属するワルな組織で、そいつが主人公選んだせいで、「掟破りだ!!」って、男の子ボコボコにしにくる悪人仲間の男。
ねーよ。ボスの女ちょろまかしたとかでもない限り、こいつが食い扶持に困ったら女のところに転がり込ませときゃいいな、いざとなったらソープに沈めて金づるに出来るし上手くやっとけよ、ってくらいだ。
ちょっと気が向いたので詳しく書いておく。
普段はブコメでつぶやくくらいで増田には書かないんだけど、ちょっと義を見てせざるは勇なきなりって言葉を思い出した。
まず、多分増田はうつ病だろう。医者じゃないが、みんなそう思ってるし、間違いないだろう。
原因は仕事だな、それも間違いなさそうだ。
こういうのは普通、労災っていうんだ。労働に起因してうつ病という病気になりましたってんだから労働災害=労災だ。
労災ってのは会社の責任だから会社が支払っている労災保険ってのが適用されて治療費は本人負担ゼロだ。
グーグルで労災指定病院で心療内科とか精神科のある病院を探せ。
ちょっと大きめの病院はどこも労災指定だからわからなければ近くの大きめな市立病院みたいなところに電話して聞いてみろ。
労災指定病院見つかったらそこで仕事が辛くてこんな状態になりました、って説明しろ。
医者がいろいろ根掘り葉掘り聞いてくるならその医者はアタリだ。労災申請の書類書いてくれるだろうよ。
労災申請できるならその旨も伝えること。
休業するならその旨も伝えること。
休業するとして、まともな会社なら毎月きちんと給料を振り込むはずだ。
まともじゃなければ弁護士に言えばいい。内容証明書いてくれるだろう。
知らないなら法テラスに電話して労働者側の代理人が得意な弁護士を紹介してもらえ。
手取り13万円ってのは残業代払われてないだろ。これは絶対に取り返せ。
あと、損害賠償請求もしとけ。
会社の業務が原因でうつ病になったんだから労災保険とは別に損害賠償請求できるからな。
絶対に解雇はさせるな。弁護士は増田を解雇させない方法を知ってる。弁護士に頼め。
とりあえず以上だ。
その前に重大な決断はしちゃいけないよ。
会社にきっちり責任を取らせろよ。それが社会全体のためになるからな。
適当こくなや、鬱病で労災は相当ハードル高いぞ、会社が協力的だとしても労基が認めない。傷病手当金申請の方がいい。休職制度がどうなってるかわからんが、傷病手当もらいつつ休職、静養して復帰・転職がいいよ。
適当酷なとか言われても、増田が何も書いてないので具体的なことなんて何も言えないからなあ。
とりあえず病院行くのは悪くないし、どうせ行くなら労災指定になってるほうがあとあと面倒ないぞ。
社内のいじめでも労災認定されてるケースもあるし申請出してみないとわからないってのが本当のところだ。
いつごろ回復するかにもよるしな。
私はなんとなくだが増田は相当厳しい状況だったんだろうと思う。
具体的なことは一切知らないが五分五分で労災かもしれないな、と思ってる。
思い過ごしならその方がいいし、傷病手当金の申請とか任意継続とか失業保険の申請とか、もまともな医者や弁護士ならアドバイスしてくれるだろう。
増田に具体的なことを書かせるべきじゃないし、ここじゃなくて守秘義務のある医者と弁護士に任せるべきじゃないかと思う。
そういうことでbronson69も適当こくなや。
追記
どうやらbronson69様がトラバつけてくれたようで。
http://anond.hatelabo.jp/20140709164747
100字では増田にも真意は伝わらなかったろうから、そのトラバを引き出せただけでも結果オーライでしょうね。
私ももう少し書き足しておきますよ。
どうも誤解しているようだけど弁護士と相談しても自分から言わない限り別に会社にはバレないよ。
相談だけなら、ね。内容証明打ったり受任通知送りつけたら別だけど、それは戦うって覚悟決めた時にやること。
弁護士と相談したからって会社が敵になるわけじゃないよ。会社が自分の権利をどのくらい無視しているのかはまず確認しないと。
訴えるかどうかはまた別。訴えるかどうかは費用対効果や自分の健康状態と相談しないといけないのはその通り。
でも、それは外野が判断するんじゃなくて増田本人と弁護士が相談して決めればいいことだと思うのだよ。
外野が泣き寝入り進めるのは増田本人にとっても社会にとっても正しくない。
去年転職して子供は2歳。共働きで頑張っているけど、保育園も無事入れたし、夫婦ともに在宅勤務とかも出来る環境だから比較的恵まれている環境だと思う。
ただ、すごく感じるのは「夫婦が五分五分で育児と仕事を分け合う家庭」への期待。
なぜ女だけ負担を強いられるの・・・?と言う気持ちになるのは分かるし、子育てなんて夫婦五分五分で育児を分担しても大変なものだから十分に助けられていない現状は申し訳ないのだけどこれって無理ゲーじゃないか?と言う気持ちの方が強くなってきた。
ちなみに自分が転職したのは去年で、奥さんは勤続10年以上。奥さんは会社とか仕事の事をよく分かっているつもりだけど、転職した人間の孤独と言うかプレッシャーが伝わってない気がする。
「家庭の事情で仕事を軽減してもらえばいい」とか思われていて自分がそういうのを会社に言えてない問題に見えているんだけど転職した人間は職場で同僚の信頼とか得るためにそれなりに頑張らないといけないし、知らないことがあったら時間を惜しまずに追いつかないといけないし、自分みたいなITサービス系の人間は仕事の軽減とか言っているうちにすぐ干されちゃう。
少し仕事の仕方を模索しようとして、「18時くらいに帰って夕食は一緒に食べて21時くらいから仕事に戻る」と言うのも挑戦してみたけど、全然うまくいかなかった。
「21時になったら仕事に戻らせてくれるならもっと早く帰れる日を作れるし、一番大変な夕食+風呂+寝かしつけの部分が手伝える」と思ったのだけど、結局21時になったら「こんな中途半端な状態で子供放り出して仕事に戻るの?」みたいな話になって、なぜか育児を放棄して仕事する人、みたいな話にされてダメだった。
要はこういう話は約束事を決めて進めていく話だと思ったのだけど、「自分は育児の量をコントロールできないのにあなただけ都合のいい時間だけ育児をするなんてなめているんじゃない?」と言う風に映る、と分かったので奥さんには申し訳ないけど早く帰るのは止めて会社で全部仕事をすることにした。むしろ家で仕事が出来ない分家に帰りづらくなっているわけでお互いに損していると思うのだけど。
「お互いにベストを尽くしてそれでもダメだったら実家のヘルプをもらう。」でいいじゃん。家で罵倒されながら仕事をしないといけなくなったり、疲れ切って休もうとしたときにまで育児が協力できていないとか叩かれるような事は育児以外ではなかったんだよね。
こんなやり取りを経て感じた自分の結論は一つ。「育児を五分五分にして育児負担を軽減したい」と言う理想なんて間違っているよ。
あるべき姿なんて知らないけど、お互いにベストを尽くしているのに夫婦ともに理想に辿りつけないで苦しんでいるのだとしたら目指しているものが間違っているんじゃないの?
・「Japanese Only」という「差別的横断幕」を掲示していたことが問題とされている浦和レッズサポーター問題について。
・メディアを通すと、「Japanese Only」という言葉そのものが「差別的」と判断されて厳しい処分がされたかのように感じてしまう。
・あくまで、「嫌韓」を基本方針として普段から外国人に向けてヘイトをまき散らしていた浦和レッズのサポーターチームが「Japanese Only」という幕を掲げていたから強烈な差別意識を読み取れ、浦和をかばう意見がほとんどみられなかったわけであり、これが迷惑外国人お断り的な地方の銭湯施設やキャバクラ店に掲示されていたならば、賛否は五分五分になっていたことだろう。
トレードも配信も飽きることが大事、ドキドキしているうちは甘い
投資が祈りに変わったらその瞬間に負けなんだよ
新興の王者のこの俺がなんで結果出せないんだよ。為替つまんねえ
凡人ほど五分五分の勝負を臨みたがる
株で勝つ為には95%の冷静な理論・判断、5%だけ暖かい人間の感情がなきゃ勝てない
相場の女神は理不尽なんだよ・・・・だけど・・そこに惚れちまったのかな、ぐふへへへへへ
勝ちに慣れ過ぎて(印象に残った勝ちは)ない
25歳より若くして1億持ってる人はライツベにいない、失望だよね、俺が凄いとかじゃなくてw
凡人ほど100か0かを求める。8割勝つということを覚えるともっと上手くなる
1万2万をはした金と思うようになったら投資家として終わり
いやまあ、試験なんだけど。
半年、ずっとがんばってきた。
これ勝てなかったら普通に死んでたと思う。
始めた当初は五分五分くらいの確率で、そんなもんで死ぬ生きるが決まるんかと超絶ビビっていた。
一番不安だったのは、「それをやりきれる体調とメンタルなのか?」ってこと。
体調はかなり悪かった、胃潰瘍だった。だけど、薬だけ医者にもらってずっとやってた。
メンタルのほうも、死ぬ生きるの勝負だから、夜も眠れない時がかなりあった。
がしかし、結果を開けてみれば勝ち。
勝ったことがよかったのではないと思う。
勝つ負けるは始めた当初は五分五分だった。(結局試験の結果を見たら圧倒的に勝っていたわけだけど)
そうではなく、『俺はやることをやれるんだ、生き死にがかかっていてもやれるんだ』ってのが心底よかった。
負けた時は普通に死んでたから、相当世を恨んでいただろうけど。勝った時は、うれしいとかなかった。
だって、これのためだけに生きてて、もう精神なんてぼろぼろ、骸骨だよ。
人間性そぎ落とされて骸骨。
そこまで、ずーっと苦しんできて、苦しんできて、ようやく勝った。
やりきれる人間で本当によかった。
そこが一番不安だった。
命かかってもやりきれない人間じゃ無いか?いやかりにやりきれる性質だとしても体調や死への恐怖でダメになるんじゃ無いか?
そこはもう人知を超えた話で。
やればできてしまった、。それは事前にはわかんねーんだな。
もう一生こんなことは無いだろうし、一生もうこんなことしなくていい立場になったから、もう関係無い話だけど。
あれだ、一番思ったんだけど、
「苦しいときにこそ生きてるって思う」
とか、そういうの全然無い。
ただただ、
これ。
本当の意味のニート(学校にも行っていないし働いていなくて職業訓練行くならいきなりバイトの方がいいんじゃないのって思ってる)。
友達へメールもしんどくて2,3通二ヶ月から十日ほど放置している。
いらないって言っても定年間近な父は今だけだからと引っ込めない。
買い物もしないし家に居るだけだし友達の結婚祝いとか出産祝いとか香典くらいなら貯金がまだある。
受け取ってしまったお札はカラーボックスの上にそのまま置いて時々風で飛んだ。
さすがにこれはいけないと思ってトーイックの参考書をおもしにした。
ちょっとお金がかわいそうなくらい。ここに来ても行くところがないのに。
専門職についている兄がいて、兄もそう言えば以前引きこもりだったかもしれない。
受験に失敗して他の大学に行ってやめて浪人を数年して専門職の大学に行った。
自分が思っているよりもできないということを認めるのに10年近く掛かったようだし、兄にとって相当苦しいことだったんだろうと思う。
よくその大学に行くことを決断できたなあと、どう心のなかで決着をつけたのか不思議。
兄は中高一貫校の私立に通っていて高校3年の時には早稲田にも受かる成績らしかった。
だけど希望する大学二校を金銭的にもう一つは別の理由で父が了承せず、それでやる気をなくして予備校の隣にあるゲーセンにハマって成績が下がっていった。
兄は親なら子の望む教育を施すべきという考えで(本当はもっと権利ばかり主張している感じ)、
でも父からすると結果的にだけど予備校の入学金も大学の入学金も何度も払ったとその話になると少し興奮して言い、
希望する大学に行けないとわかってからだったか、現役受験に失敗してからか兄は部屋から滅多に出てこなくなった。
思春期特有のなにかで男の子は自分にはわからないものだったから。
だけど母はあの時を振り返って異常だったという。その異常さは専門職の大学に入るまで続いた。
そして母にとって悪いのは行きたい大学に行かせなかった、その他にも悪いところだらけの父だった。
母が父のことを愚痴る時、「人として」「人間として」という表現をよく使う。
実際父は変わった人間だ。今風にネット風に悪く言うとキチガイの域に入ると思う。
ただ父の全てが悪いわけではない。
小さい時から父の愚痴を聞かされていてその時はわからなくて父はなんてひどいんだと思っていたけど
もしくは合わない部分があるのだと思う。
毎朝の両親の口喧嘩である朝とうとう堪え切れずに泣いてそのまま登校した小学生の時、
小学生あるいはそれ以前から大学生になるまでほとんど毎日父の怒鳴り声が目覚ましだった。
働くようになってから何度か両親の喧嘩が苦しくて自室で泣いたこともある。
それでも、「お父さんと結婚していなければ違う人生があった」も
小学生の時に「高校生になったら離婚していい?」中学生になったら「大学に行ったら離婚していい?」も
私の父親の人格を否定するようなことも子ではなく友達か親にでもして欲しかった。
人として欠陥のある父の遺伝子が自分の半分を作っているということを何度も思わされて何度も悲しくなった。
あれほど批判するそれが自分の半分なんだという気持ちは高校だったか大学から母親の愚痴を聞く度強くなった。
この交配は失敗だと思う。
とても生きづらさを感じているし、働くこともままならない。
そう言えばこの遺伝子は残すべきではないって中学生の時には思っていたな。
ただなににもならない日々を今過ごしている。
若ければまだ貰い手もあったのかもしれないけど、もう大台に乗ってしまって猛烈な終わった感に苛まれている。
結婚や子育て方面がダメと決まって充実感とか蓄積・成長している感じとか、
とにかく意味がある日々をやっぱり仕事から得ることになるんだろうなと少し期待する気持ちも生まれている。
でも実際はこうなるきっかけになった恐怖から逃れられずに買い物にも散歩にも出ず、求人サイトをたまに見ては眠れなくなったり寝込んだりしている。
年をとって父はもうほとんど落ち着いた。
そしてそんな自分に耐えられない。
私の性質は母親寄りと言うよりは父親寄りだと母も認めている。
この家のキチガイは私になった。
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、
父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。
裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。
のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、
だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。
私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。
二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。
25歳になってその人に出会いました。
それが兄でした。
他の作家志望者3人と一緒に、クローゼット並の大きさの事務所で小さな雑誌の仕事をしていました。
その弁護士は、上司に健康保険をねだるような、カリフォルニアの中流階級の娘である私に、
「裕福で、著名で、あなたのお兄さんである人物の代理人だ」と名乗りました。
同僚編集者たちは騒然となりました。
それでも私は大好きなディケンズの小説の筋書きに放り込まれたようでした。
弁護士は兄の名を伝えるのを拒み、同僚たちは賭けを始めました。
一番人気の候補は、ジョン・トラボルタ。
私が密かに期待していたのはヘンリー・ジェイムズの後継者、
何の苦もなく優れた作品を生み出す、自分より才能のある作家でした。
初めて会ったとき、スティーブは私と同じ年格好で、ジーンズを履いていました。
オマル・シャリフよりもハンサムな、アラブかユダヤの顔立ちでした。
偶然にも二人ともそうするのが好きでした。
何を話したのかはあまり覚えていませんが、
とにかく友達にしようと思えるような人だと感じたのは覚えています。
私はまだオリヴェッティのタイプライターを使っていましたから。
コンピュータを一台、初めて買おうかと思っているとスティーブに言いました。
Cromemcoという名前でした。
彼は、恐ろしく美しいものを作ろうとしていると言いました。
これから、スティーブから学んだことをいくつかお伝えしたいと思います。
彼の充実した人生。
彼の病気。
彼の死。
彼は頑張って働きました。
毎日働きました。
彼は散漫の対極のような人でした。
彼は、たとえ失敗に終わるとしても、頑張ることを恥とはしませんでした。
スティーブのように聡明な人が挑戦を恥じないのであれば、私も恥じる必要はないのかもしれません。
彼はシリコンバレーの指導者500人が現職大統領を迎えるディナーのことを話してくれました。
彼は傷つきましたが、 NeXT に行って働きました。毎日働きました。
スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。
彼は流行や小道具を好みませんでした。
自分と同世代の人が好きでした。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
スティーブはいつも、のちに美しくなるようにしようとしていました。
彼は誤解を受けるのを恐れませんでした。
パーティに招かれなかった彼は、三台目か四台目の同じ黒いスポーツカーで NeXT に通い、
あるプラットフォームを、チームとともに静かに作っていました。
それは、ティム・バーナーズ・リーがのちに、
ワールドワイドウェブを動かすプログラムのために使われることになるものでした。
愛について話す時間の長さにかけては、スティーブは女の子並でした。
愛は彼にとってこの上ない美徳であり、最高の神でした。
「独身なのか? うちの妹とディナーはどうだい?」と声をかけました。
彼がローリンと出会った日にかけてきた電話を、今でも思い出します。
「こんなに美しくて、頭がよくて、こんな犬を飼っている人なんだけど、結婚するつもりだよ」
リードが生まれて以来、彼は止まることなく家族に愛情を注ぎ続けました。
彼はどの子にとっても実の父親でした。
リサの彼氏と、エリンの旅行と、スカートの長さと、イヴの愛馬についてやきもきしていました。
リードの卒業パーティに出席した人はみな、リードとスティーブのゆっくりとしたダンスを忘れられないでしょう。
ローリンに対する変わることのない愛が彼を生き延びさせました。
私は今も、そのことを学ぼうとしています。
彼はそのことで孤独を感じていました。
私が知るかぎり、彼の選択のほとんどは自分のまわりに巡らされた壁を壊すためのものでした。
ロスアルトスから来た中流の男が、ニュージャージーから来た中流の女に恋をする。
二人にとって、リサとリードとエリンとイヴを普通の子供として育てることは重要でした。
スティーブとローリンが一緒になったことが分かってから何年間ものあいだ、
夕食は芝生で食べていましたし、食事が野菜一種類だけだったこともありました。
一種類の野菜をたくさん。
一種類だけです。
旬の野菜。
簡単な調理。
若き億万長者でありながら、スティーブはいつも私を迎えに空港まで来てくれました。
ジーンズを履いて待っていてくれました。
「お父さんは会議中ですが、お呼びしたほうがいいですか?」と答えてくれました。
リードが毎年ハロウィンに魔女のかっこうをしたがったときには、
何年もかかりました。
同じころ建設されていた Pixar のビルはその半分の時間で完成しました。
パロアルトの家の中はどこもそんなかんじでした。
ただし、これが重要なところなのですが、その家は最初の時点ですばらしい家でした。
彼が成功を満喫しなかったというわけではありません。
何桁分か控えめではありましたが、十分満喫していていました。
その店で最高の自転車が買えるんだと自覚するのが大好きだと話していました。
そして実際、買いました。
スティーブは学びつづけるのが好きでした。
彼はある日、育ち方が違っていれば自分は数学者になっていたかもしれない、と言いました。
彼は大学について尊敬を込めて語り、スタンフォードのキャンパスを歩くのが好きでした。
最後の数年間、彼はマーク・ロスコの絵画の本を研究していました。
未来のAppleのキャンパスの壁に何があれば皆を刺激できるだろうと考えていました。
スティーブは物好きなところがありました。
イギリスと中国のバラの栽培の歴史を知り、デビッド・オースティンにお気に入りのバラがあるCEOが他にいるでしょうか?
彼はいくつものポケットにいっぱいのサプライズを持っていました。
たとえ二十年間人並み外れて近しく寄り添ったあとであっても、
きっとローリンにはこれから発見するものがあるだろうと思います。
彼が愛した歌、彼が切り抜いたポエム。
彼とは一日おきくらいに話をしていたのですが、
ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集をみたとき、
こんなによくできた階段のスケッチがあったのかと驚きうれしくなりました。
四人の子と、妻と、私たちみなに囲まれて、スティーブは楽しい人生を送りました。
そしてスティーブが病気になり、私たちは彼の人生が狭い場所に圧縮されていくのを見ました。
彼は京都で手打ちそばを見つけました。
もうできませんでした。
最後には、日々の喜び、たとえばおいしい桃ですら、彼を楽しませることはできませんでした。
多くのものが失われてもなお、多くのものが残っているということでした。
兄が椅子を使って、ふたたび歩けるようになるための練習をしていたことを思い出します。
彼は肝臓移植をしたあと、一日一度、椅子の背に手を乗せ、支えにするには細すぎる足を使って立ち上がりました。
メンフィス病院の廊下で、椅子を押してナースステーションまで行って、
そこで座って一休みして、
引き返してまた歩きました。
ローリンはひざまづいて彼の目を覗きました。
彼は目を見開いて、唇を引き締めました。
彼は挑戦しました。
いつもいつも挑戦しました。
その試みの中心には愛がありました。
彼はとても直情的な人でした。
その恐ろしい時節、私は、スティーブが自分のために痛みをこらえていたのではないことを知りました。
家族を連れて世界を回り、退職したときにローリンと乗るために造っていた船の進水式。
病気になっても、彼の好み、彼の決意、彼の判断力はそのままでした。
看護婦67人を試し、優しい心があり全幅の信頼をおけると分かった三人をそばにおきました。
スティーブが慢性の肺炎を悪化させたとき、医師はすべてを、氷をも禁じました。
スティーブは普段割り込んだり自分の名前にものを言わせたりすることを嫌っていましたが、
このときだけは、少し特別な扱いをしてほしいと言いました。
「これが特別治療だよ」と私は伝えました。
彼は私のほうを向いて、「もう少し特別にしてほしい」と言いました。
挿管されて喋ることができなかったとき、彼はメモ帳を頼みました。
そしてiPadを病院のベッドに備え付けるための装置のスケッチを描きました。
妻が部屋に入って来るたび、笑みが戻るのが分かりました。
こちらを見上げて、お願いだから、と。
彼が言いたかったのは、医師の禁を破って氷を持ってきてほしいということでした。
私たちは自分が何年生きられるか知りません。
彼はプロジェクトを立ち上げ、それを完了させるようAppleにいる同僚に約束させました。
オランダの造船業者は、豪華なステンレス製の竜骨を組み、板を張るのを待っていました。
私の結婚式でそうしてくれたように、彼女たちと並んで花道に立ちたかったことでしょう。
物語の途中で。
たくさんの物語の途中で。
ガン宣告のあと何年も生きた人についてこう言うのは正しくないかもしれませんが、
スティーブの死は私たちにとって突然でした。
二人の兄弟の死から私が学んだのは、決め手はその人のあり方だということでした。
どんな生き方をしたかが、どんな死に方をするかを決めるのです。
火曜日の朝、彼はパロアルトに早く来てほしいと電話をかけてきました。
声には熱と愛情がこもっていました。
同時に、それは動き出した乗り物に荷物が引っかかってしまったかのようでした。
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうに、
私たちをおいて旅に出つつあるときのようでした。
「待って。行きます。空港にタクシーで行くから。きっと着くから」
「間に合わないかもしれないから、今のうちに言っておきたいんだ」
視線をそらすことができないかのように、子供たちの目を覗き込んでいました。
昼2時まで、彼の妻は彼を支えてAppleの人と話させることができました。
そのあと、彼はもう起きていられないということがはっきりしました。
呼吸が変わりました。
つらそうに、やっとの思いで息をしていました。
彼がまた歩みを数え、より遠くへ進もうとしているのが分かりました。
これが私が学んだことです。
死がスティーブに訪れたのではありません。
彼が死を成し遂げたのです。
彼はさよならを言い、すまないと言いました。
約束したように一緒に年をとることができなくて、本当にすまない、と。
そして、もっと良い場所へ行くんだと言いました。
フィッシャー医師はその夜を越せるかどうかは五分五分だと言いました。
彼はその夜を越しました。
ローリンはベッドの横に寄り添って、息が長く途切れるたびに彼を引き寄せました。
彼女と私が互いに目を交わすと、彼は深く吐き、息が戻りました。
やらなければならないことでした。
その呼吸は困難な旅路、急峻な山道を思わせました。
山を登っているようでした。
その意志、その使命感、その強さと同時に、
美術家として理想を信じ、のちの美しさを信じる心がありました。
その数時間前に出た言葉が、スティーブの最期の言葉になりました。
船出の前、
彼は妹のパティを見て、
そして皆の肩の向こうを見ました。
自分の話で恐縮だけど。
共働きだったときは二人とも総合職で、収入もほとんど互角だったので
家事の分担は五分五分ってことでウチはやってたし、これで問題なかった。
だって、男独りで生きてても家事はやらなきゃならないし、結婚したからって労働量が二倍になるわけじゃない。
だから、結婚してからの生活はむしろお互いにとって楽だったなぁ。
その後、子どもが出来て「稼ぎも家事も折半」っていう体制が維持できなくなり、
俺は転職して収入をダブルスコアくらいまで上げて、その代わりヨメは仕事を辞めて家事育児に専念した。
現在、俺はスーツをたたむところまで何一つやらないけど、これはこれで分業として上手く回ってる。
俺は基本的に11時前には帰れないような職場、休みは多くて週1って感じだけど、
自宅ではなんにもしなくて済むのでなんとかなってる。ヨメはヨメで家事育児に追われて忙しそうだから
上手いこと両者の負担がバランスしてるんだろーなぁ、と思いつつ。
結局、誰しも生きる環境が違うのだから、家事育児、そして仕事っていうのは
どう分担するか、お互いになるべく無理のかからない、フェアな形をどう構築していくかってはなしだと思うんだよね。
そういうわけで、「これが正しい」みたいなことを決め付けず、状況に合わせてしっかりパートナーと話をしながら