本当の意味のニート(学校にも行っていないし働いていなくて職業訓練行くならいきなりバイトの方がいいんじゃないのって思ってる)。
友達へメールもしんどくて2,3通二ヶ月から十日ほど放置している。
いらないって言っても定年間近な父は今だけだからと引っ込めない。
買い物もしないし家に居るだけだし友達の結婚祝いとか出産祝いとか香典くらいなら貯金がまだある。
受け取ってしまったお札はカラーボックスの上にそのまま置いて時々風で飛んだ。
さすがにこれはいけないと思ってトーイックの参考書をおもしにした。
ちょっとお金がかわいそうなくらい。ここに来ても行くところがないのに。
専門職についている兄がいて、兄もそう言えば以前引きこもりだったかもしれない。
受験に失敗して他の大学に行ってやめて浪人を数年して専門職の大学に行った。
自分が思っているよりもできないということを認めるのに10年近く掛かったようだし、兄にとって相当苦しいことだったんだろうと思う。
よくその大学に行くことを決断できたなあと、どう心のなかで決着をつけたのか不思議。
兄は中高一貫校の私立に通っていて高校3年の時には早稲田にも受かる成績らしかった。
だけど希望する大学二校を金銭的にもう一つは別の理由で父が了承せず、それでやる気をなくして予備校の隣にあるゲーセンにハマって成績が下がっていった。
兄は親なら子の望む教育を施すべきという考えで(本当はもっと権利ばかり主張している感じ)、
でも父からすると結果的にだけど予備校の入学金も大学の入学金も何度も払ったとその話になると少し興奮して言い、
希望する大学に行けないとわかってからだったか、現役受験に失敗してからか兄は部屋から滅多に出てこなくなった。
思春期特有のなにかで男の子は自分にはわからないものだったから。
だけど母はあの時を振り返って異常だったという。その異常さは専門職の大学に入るまで続いた。
そして母にとって悪いのは行きたい大学に行かせなかった、その他にも悪いところだらけの父だった。
母が父のことを愚痴る時、「人として」「人間として」という表現をよく使う。
実際父は変わった人間だ。今風にネット風に悪く言うとキチガイの域に入ると思う。
ただ父の全てが悪いわけではない。
小さい時から父の愚痴を聞かされていてその時はわからなくて父はなんてひどいんだと思っていたけど
もしくは合わない部分があるのだと思う。
毎朝の両親の口喧嘩である朝とうとう堪え切れずに泣いてそのまま登校した小学生の時、
小学生あるいはそれ以前から大学生になるまでほとんど毎日父の怒鳴り声が目覚ましだった。
働くようになってから何度か両親の喧嘩が苦しくて自室で泣いたこともある。
それでも、「お父さんと結婚していなければ違う人生があった」も
小学生の時に「高校生になったら離婚していい?」中学生になったら「大学に行ったら離婚していい?」も
私の父親の人格を否定するようなことも子ではなく友達か親にでもして欲しかった。
人として欠陥のある父の遺伝子が自分の半分を作っているということを何度も思わされて何度も悲しくなった。
あれほど批判するそれが自分の半分なんだという気持ちは高校だったか大学から母親の愚痴を聞く度強くなった。
この交配は失敗だと思う。
とても生きづらさを感じているし、働くこともままならない。
そう言えばこの遺伝子は残すべきではないって中学生の時には思っていたな。
ただなににもならない日々を今過ごしている。
若ければまだ貰い手もあったのかもしれないけど、もう大台に乗ってしまって猛烈な終わった感に苛まれている。
結婚や子育て方面がダメと決まって充実感とか蓄積・成長している感じとか、
とにかく意味がある日々をやっぱり仕事から得ることになるんだろうなと少し期待する気持ちも生まれている。
でも実際はこうなるきっかけになった恐怖から逃れられずに買い物にも散歩にも出ず、求人サイトをたまに見ては眠れなくなったり寝込んだりしている。
年をとって父はもうほとんど落ち着いた。
そしてそんな自分に耐えられない。
私の性質は母親寄りと言うよりは父親寄りだと母も認めている。
この家のキチガイは私になった。
ざっと読んだところ30代女? 職業訓練行けばいいじゃん バイトより楽だしうまくいけば友達出来るし 修了後は嫌でも仕事探さないといけないから(バイトでも) 求人サイト見て怖いとか言...
あなたはもっと両親を他人として貶して良いと思う そのてんやっぱりお兄さんは賢いんじゃない? 増田なんかACっぽいし