はてなキーワード: 同業者とは
こういうこと、みんなある?
2年前にめちゃくちゃ好きだった人、何回も泊まったし泊まらせた。でも思い返せばちゃんと向き合ってくれたことなんてなかった。
まぁこれでも十分クズだけど、殺意はそこじゃなくて同業絡みのモラハラ発言が、今になって沸騰してる。昔は、恋は盲目で怒りが沸かなかったんだ。
同業者だった。私の仕事に「その仕事ってさぁ、仕事ない人が受けるやつだよねw」とか
自分の仕事論を押し付けてそれ以外の価値観はその考え方は学生で終わらせてるだの仕事辞めろだの
私が仕事辛いと言えば「俺の周りの誰々はもっと辛いよ、大変だよね、こんなに辛そうで」
ほんの些細なミスで「この企画に携わった人間の覚悟背負ってんの?こんなミス許されると思ってんの?」(同業だが企画に携わってない)ブチギレ、私号泣。「いつも私、私が。ってな。はいはいもういいよお前に何言っても無駄だよ」一方的ブチ切れからの呆れモードに入り私がすがりつく流れ
私の仕事が結果が出た時「俺ほんとは○○さん(私のライバル)に結果出してほしかったんだよね」→なんでそんなディスるの〜?って笑いながら聞く→俺の話の本質捉えろよ、とガチギレ
私の大学の同期を仕事絡みで紹介すれば「○○ちゃん(同期)可愛いよね」としか言わなくなり
まだまだ出てくるけど
思い返すほど出てくる出てくる出てくる
とりあえず、彼女と別れてから付き合いたいと私が粘って、肩書きだけ付き合ったものの、そこからLINEが途絶えたため 私も病みながら諦めがついた。そして殺意に変わる。
でも、お前にこんだけ傷ついたんだって全部ぶちまけたところで相手にとっちゃまともに取り合わんのだろうな。この殺意の行き場がない。
■「フォロワー数が〇万ないと本は出せない」と言う側からの本音
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
あのさあ・・・いい加減この手の話についてアスペみたいな反応するのやめてほしい。
なんでこの手の話でいつも編集者側が一方的に悪者にされてるんだろうか。
言っちゃなんですが、この手のもめごとは十中八九、問題があるのはマンガ家さん側ですよ。
ちょっと頭使って考えてみたらわかることでしょ。
こんなん「社内稟議通すための材料が少しでも必要です」(当落ギリギリラインです)って言ってるだけだよ。
要するに「評価が微妙」ってことだよ。こんなん社会人で稟議とろうとしたことある人なら言われなくてもわかるでしょ。togetterのコメント欄は社会人経験ない無職ばっかかよ。
なので、もし今後同じことを言われたマンガ家さんいたらズバリ「つまり、今のママではちょっと厳しいってことでしょうか」って聞いてみろよ。そしたら正直に説明するよ。
もうちょっと賢い人なら、「フォロワー数が少ないかもしれないけど、こんな感じで支持されてるのでこういうターゲットに売れると思います」ってのを提案してみてくれてもいい。
もちろん、考えるのがめんどくさい、それは全部編集の仕事だろっていうならいいけど、他力本願なら結果が出なくても文句言うなと。
んで、あとは何だ? 「取引が決まりそうになったら」呼べばいいだけだ。「つばつけた」みたいな感覚で呼び出されてたまるか、か。
これみて「偉そう」とか「編集は暇なのか」と思う人はもう悪いこと言わないから同人でやれ。
あのさあ、たいていの場合、呼びつける場合交通費も払うし、飲食代も払ってるでしょ。うちはそうしてるよ。
んで、しかもその話をするために1時間とか2時間とかをその人のためにとらなきゃいけないんだよ。こっち側からしてもコストを払ってるわけよ。
なんでそこまでして手間暇かけてその人と会ってるかというと3つ理由がある。
1つめは「まだ信用してないから」
2つめは「人柄を見たいから」
マンガ家志望してくるやつが、どれだけ常識がない連中ばかりか知ってるか?
マンガ描く以外にいろいろやり取りとかあるわけだけれど、絵はうまくても基本的なやり取りがこなせない人間めちゃくちゃ多いんだぞ。
読み切りに掲載するだけならともかく、これから連載をお願いしたいって時にどれだけのリスクがあるかわかってなさ過ぎだろ。
出来る限り連載前にリスクを減らしたいのは当然だろ。新入社員の採用面接よりはるかにハードル高いんだぞ。
なのに、編集に対してはそういう当たり前のことが想像できないのはなぜなのか逆に聞いてみたいわ。
呼び出されることや、フォロワー数の話をされて不満に思ったという人は他にもいるでしょうよ。
でも、ちゃんとした社会人経験ある人とか最低限のコミュ力ある人は、打ち合わせの中でそういう不満を解消しようとするんです。
こっちだって、文面だけで伝えたらコミュニケーションの行き違いがあって不満を感じるかもしれないと思ってるからきっちり時間を取って、納得してもらえるように話をしようとしてる。
こちらだってそんなに時間余裕があるわけじゃないから、最初の1回目がとくに大事なわけよ。
そのチャンスの時にちゃんと話して、疑問点とか不安な点とかを事前に考えてぶつけてほしいわけよ。
そこで黙りこくってちゃんと不満点を伝えようとせずに、打ち合わせが終わった後にTwitterフォロワー向けに対してそういうことを書く人はいったいどこを向いて仕事をしようとしてたのかと逆にお伺いしたいですね。
「出版社と一緒に仕事をする」という意識が絶望的に欠けてるだろ。
お前はどういう心持ちでその打ち合わせに来たんだよって言いたいですよ。
こういうのが話題になるとすぐに「編集者の名前出せよ」って言ってる人いるけどさ。
鈴木倫さん。ぜひ具体的に出してほしい。 そしたら、編集者や出版社側だって反論できるから。
そして、いざ出版社が反論した場合、よくよく打ち合わせの事実を確かめてみたら、作者側に問題があるケースの方が多いです。
弊社では何度かネットでこういう告発系のツイートがバズって、当事者に確かめてみたら「これは作者が悪いな」という結論になっています。
鈴木倫さんがどっちのケースかは知りません。
この人は実業之日本社(リイド社)から何冊か本を出されているし、当然編集者ともやり取りがあったでしょう。
ただ、たいていの場合この手の話をする人が編集者の名前を出さないのは「名前さえ出さなければ面倒くさいやりとりを避けてバズれるから」って安易に考えているからだと思ってます。
なんとなくこれがウケるからとか、みんなやってるからという雰囲気に流されて深く考えずにやってしまってる。
編集者とのやりとりにちょっと困難があったらすぐに癇癪を起してこういうことを書いてしまう。
そういう人は普通にリスク要因だし、こちら側からお断りしたいです。
ただ、私は知らないけれど、Web系の部署やWebコミック専業の会社が最近ものすごく増えていて
そういう会社は作者のこと全然大事だと思ってないらしいからそういう話かもしれませんね。
向こうはコミックスの売り上げじゃなくて、広告表示およびアプリ向け配信でPVさえ取れればいいので作品の出来にはあんまり興味がないところもありますからね。
そういう人から声をかけられたのであれば私の知ってるところとは違うので、わかりませんね。
本当にやましいことがないのであれば、鈴木倫さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門であるかを公表していただきたい。
コメント欄に同業者さんらしき人がいてより具体的な事書いてくれてます。当然のことが書かれており、これらの内容すら想像できない人が文句書いてるんだろうなと思ってますね。
最初から(連載も単行本化も)しないことが決まっているのに呼びつけるのはリアルあたおかやんけ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
おそらくなんですが、そもそも連載が通るまでの流れそのものが全く理解されてない気がしますね。
本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
ちゃんと文章読んでほしいんだけど、こちらがわから言えるわけ無いでしょ。
一方的に誹謗中傷されてるのに応対する形でしか言うことが許されないから困ってるんですよ。
具体例について述べることができるのは相手側から批判されたときだけで、それ以外で個別の作者さんに名前出せないのは当たり前。
そして名前を出せなければ嘘つきだの何だのと難癖つけて叩いてくるのもわかってますからね。
はてなブックマークの皆さんは他人について口出すときに自分の立場に置き換えて考える癖がまったくないと聞いてますが本当だったんですね。脊髄反射で売り言葉に買い言葉を書いてるだけ。もうちょっと頭を使ってほしいです
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
それを決めるために色々話し合いをしてるんだよ。
その部分ハショられてフォロワー数の話だけ取り上げられても胡散臭いなとしか思わんよ。
フォロワー数の話自体は下のかもしれないけど、それがメインだったとは思えないんだよね。
そこを大げさに騒ぎ立てて、それをバカが疑わず受け取って編集叩きとか馬鹿と馬鹿の狂騒曲だろ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
・使ってるソフトは・・・」と確認すべきことはいくらでもある。
その中で判断されたんじゃねーの? 実際はその編集に訊くしかないけどな。
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
sds-page 本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
はてブ民がこれを言ってるの草生えるわ。自分たちが普段何やってるのか自覚ないのかね。恥知らずにもほどがある。
事情知ってるやつはだいたいこんなもんじゃない?って反応だったのに、批判してるやつの発言見たら内容について反論できないから言葉遣いとかそういうところばっかりあてこすりしてるだけ。
無知なくせにプライドだけが肥大化してるやつに限って素直に「よく知らずに叩きに参加したけどごめんなさい」って謝れないでしょうもないところの揚げ足取りばっかり。終わってんな。
取材がとにかく杜撰なことで有名で、5chアンチスレの受け売りをしたり、メンヘラ女VTuberの一方的な主張を鵜呑みにしたりと、信用できない。
たまに頑張って裏取りしたら後から情報提供者にはしごを外されたりするのもご愛嬌である。
それでも最大手のゴシップ系VTuberだけあって、界隈の各方面にパイプを持っていそうなブランディングはギリギリのところで保っている…保っているか?まあ同業者に比べれば保っている。
スキャンダルとあらば四方八方どこにでも噛みつく一種の公平性があり、高潔なメディア魂を感じないでもない。
が、肝心のクオリティがまったく追いつかないので実際は偏向しまくりである。
その特徴は何といっても徹底したアンチ鳴神裁・アンチホロライブであることで、
彼らが何か下手を打てばその批判動画を上げ、弁明すれば糾弾動画を上げ、敗色が濃くなれば祝勝動画を上げ、逆に薄くなれば一切無視を決め込む。
すごいのはこの憎悪にまみれた動画群に普通のにじさんじの切り抜き動画も混ざっている点で、要はチャンネルとして「にじ信・ホロアン・鳴アン」の視聴者に最適化されている。
結構尖ったブランディングに思えるが、万単位の再生が安定しているのだからニコニコユーザの先鋭化が伺える。
言うまでもないが、偏向報道のために誇張・捏造何でもこなすので情報源としての価値はない。
初期はいろんなジャンルに手を出していたがVTuberゴシップ動画とコムケイ批判動画がヒットしてからはこの2つがメインになった。
皇室問題については当初は「小室母の問題を読み解く」くらいだったのが最近の動画では「日本人は全員天皇を拠り所にしている、それを貶めたので関係者は全員国賊」みたいな内容になり、
急速に先鋭化させて議論も浅くしている印象。これによりネトウヨの信者を着実に増やしている。
一方でVTuberについてはそれほど執着がないらしく比較的フラットに取り上げる印象である。執着がないので内容も薄い。
面白いのは鳴神裁批判動画にて目先の再生回数のために動画をむやみに過激にすることへの問題提起を行っている点で、まんまブーメランである。
ありがとう。同業者で完全善意で動いてるのに結果的に同じことになっていてもやもやしてたけど晴れたよ。
同業者としてそれは善意でも同じことを提案するなあと思ったのは自分からも書かせてほしい。
≫高すぎる目標設定
出来ない子は学校で散々否定されてきていることが多い。勉強におけるガソリンであるやる気をそもそも失ってしまっており、目標はせめてやる気が出るものでないとまず勉強を頑張れないので、結果的に高い目標になる。
≫③必要ない授業を受けさせる
例えば本来は「数学Ⅲ」が必要な生徒なのに、まずは基本を固めましょう!と「数学1A」を延々とやらせてしまうとか。
数Ⅲが出来ない生徒が数Ⅰ、数Ⅱから出来ないのはよくある話で、これは誤解しないでほしい。数Ⅰ、数Ⅱが出来ていることが模試で明らかで、Ⅲから先生が変わって学校でついていけなくなったとかなら分かる。
≫④更に授業を増やす
やってみて出来なくて、授業を取った結果、さらに授業が必要だと分かることはザラにある。
復習も一人で出来るようにするのがベストなのもその通りで、こちらとしても一人で出来るように働きかけているけど、出来ない生徒はそもそも心配になるくらい自律心が全くないことが多い。結局働きかけも虚しく、時間と手間をかけたのに何も変わらず、じゃあ最初から先生に見てもらえれば良かったじゃん…と思うことは、ままある。
逆にほんまにそうと思ったことは以下かな。
≫本来生徒に足りないのは家での反復復習なので、教室での新たな知識の詰め込みを増やすのは悪手。
どうしても必要な知識は入れなきゃいけないけどね。反復演習が大事なのはホントそう。ただ、生徒のペースに合わせてると間に合わないのも事実だからバランスが難しい。
≫仮に悪意がなかったとしても結果的にこのようなケースに陥ってしまっている親子は多い。
塾側が誠実にしっかりスケジュールを組んだとしても、子の学力が予想を下回っておりスケジュールについていけなくなるパターン。
時には退くことも大事だし、厳しい言い方になるが、そのお金を本当に今この子に注ぎ込んで後悔しないかじっくり考えた方が良い。
→時には本人の反対を押し切って大学受験を辞めさせることも必要だと塾側としても感じるよ。
≫塾は行かせれば成績が上がる魔法のアイテムじゃなくて、メリットデメリット併せ持つもの。
体力も減るし、ストレスもかかる。お金も減る。時間も減る。夜寝る時間が遅くなる。
今、子に与えるこの授業が家族にとって苦い良薬になるか、毒になるかを親がしっかりと判断してほしいと思っている。
→最後はご家庭の責任です。当たり前だけど。我々は本人、ご家庭が最善の判断ができるようになるべく情報提供したり、働きかけを行うけど、公教育や慈善事業ではないので任せっきりだと何も上手くいかないです。
増田やらtwitterで立て続けにブラック企業体験談を目にした。
何度でも言うけども、狂った状況に置かれても働き続ける思考停止の阿呆が相当数居るから
2020年代なんていうキラキラ近未来になっても数え切れないブラック企業が生き長らえてんだってば。
俺の周りにも居たよ。ずーっと愚痴吐きながら暗黒企業を全く辞めない阿呆どもがわんさかね。
はよ辞めろよ、退職代行使え。それも億劫ならこっそり備品返却&私物撤収して無断欠勤、そのまま引っ越せ。
こう言うと「〇〇さんはそうやって簡単に辞めれて良いね、スキルあるから・・・」との返し。
は?そもそも俺とお前は同じ職場で働いてたんだぞ?大したスキルなんか持ってねーよ。
「でも給料そこそこ良いし・・・」バカか?使う余暇も精神的余裕もお前には残ってねえだろ。
しかも単にお前が相場を知らねえだけで、同業者間で比較すればむしろ低い方だから。
「やっぱ辞めずにもうちょい頑張ってみるわ。他で通用するか分かんないし。」
他で一丁腕試ししてみるくらいの気概を見せろや、根性なしが。万が一、他でダメでも死にやしねえよ。
でもここで働き続けたらマジでお前は死ぬかもしれないけどね。お前、誰かに自分の様子を録画してもらえ。
青ざめた顔、窪んだ目、浮いたクマ、剃り残したヒゲ、おぼつかない足取り。頭も口もろくに回ってない。
徹頭徹尾、動かない為の苦し紛れの自己弁護と言い訳。そらこんな腰抜け、搾取されてもむべなるかな。
自分から進んで養分・生命維持装置になって、わざわざブラック企業を延命させてる。白痴以外の何者でもない。
生存バイアス・強者の理屈と詰る馬鹿もよく話聞け。俺は「そんな暑いと喚くなら、エアコン入れたら?」程度のことしか言ってない。
ツイッターフォローの大半は他のVだし、いろんなVの配信予告のリツィートで埋まり、リプは褒め合い合戦
少しバズった仲間がいればコラボ、コラボ、コラボ。バズった人も断れずコラボ、コラボ、コラボ
初期投資したのに金にならない、誰も来ないデビュー当時を他Vに支えてもらわなきゃ息すらできないのだろうが、なんというか同業者で回してる感が強すぎて入りにくいし、必死感が見えてしんどい。
某ソシャゲの某女性声優が素行の悪い男のセフレであるとの噂が流されて炎上している。
噂がすべて事実であるとすれば、演じているキャラを降板するのは不可避と当然のように語られているが、彼女が仕事を奪われるのは不当である。
以下の通り、某女性声優は契約を解除されるべき不正行為は何も行っていない。
・本人も相手の男も独身とのことなので、不貞行為による民事上の損害賠償責任も発生しない
・ゲームの未公開情報を交際相手に教える等のコンプライアンス違反も犯していない
そして見落としがちだが、今回のセックス・スキャンダルは彼女自身が意図的にあるいは過失で公開した情報ではない。
第三者である男の恋人が当てつけとして暴露したものである。某女性声優自身は望まずしてプライバシーを晒された、いわばリベンジポルノの被害者である。
――もちろん、ビジネス上の理由で某女性声優は降板するしかないであろう。
今や某女性声優が演じるキャラに課金していたファンは激減し、アイドルユニットで売っている某ソシャゲの特性から同じユニットの他のキャラへの課金額にも影響し、ひいては某ソシャゲ全体の売上の減少にも繋がりかねないからだ。
しかしそれでも、某女性声優に降板を強要するのは不当であることに変わりはない。
考えてもみて欲しい
「犯罪行為も、ビジネス上の不誠実な行為もしておらず、独身者同士の自由恋愛を第三者に暴露されたことを理由に仕事を奪われる」
これほどの不正義があろうか?
フェミニズムの立場からは、女性が保守的な性規範から逸脱して性愛を楽しむことに対してことさらに社会的制裁が加えられるという女性差別の一形態「スラット・シェイミング (slut-shaming)」であると批判するべき状況であろう。
――おそらくは、月曜にでも某女性声優の体調不良による降板がアナウンスされるであろう。過去の声優のセックス・スキャンダルのように。
しかし私は彼女に徹底的に闘って欲しいと思う。降板を強要するゲーム会社や事務所による契約の解除は不当であると裁判で争って欲しい。役を続けることはないとしても相応しい金銭的な補償を勝ち取って欲しい。その後も女性に性規範を押し付ける世界と戦い続ける闘士になって欲しい。
オタクくんにとっては聖女や天使しかいない純潔な世界を破壊したフェミニズムやポリコレを象徴する悪魔として、
しかしながら多くの同業者や女性にとっては自由を象徴する女神として新しい偶像(アイドル)を人生を通して演じ切って欲しい、そう心から願う。
(追記)
私はこの件について某女性声優を擁護する意見を表明しないフェミニストを今後一切信用しない。沈黙している者は自由恋愛をしただけの女性を罰する家父長制権力に服従している差別主義者の一員とみなす。私はひとりのフェミニストとしてここに意見を表明した。あなた方はどうする?
心よりお悔やみを申し上げます。
その悲しみにくれると共にTwitter見てたらイラッとしてしまったという文章。
本来ならこんな悲しい時にこんなことで怒りをつのらせたくなかった。
逝去と共にTwitterには「ザオリク」のワードがあふれた。
まだまだ元気でいて欲しかった、もう一度ドラクエミュージックを作って欲しかったと言うやるせない想いからのふっかつのじゅもんだと思う。
個人的にはこれを見た時に「茶化すな!」という気持ちが先行してしまったのであまり良い気はしなかった。
が、その人が茶化してるか本気で追悼してるのかなんて文章からは読み取れないし個人の感情でしかないので「氏を追悼する意味でのザオリク」については気にしないようにした。
過去に芸能人が逝去された時だって「生き返ってもう一度共演したい」というようなコメントが同業者から発表されることはあったと思うし、同様のコメントとして殊更問題視すべきではないと思うようにした。
ただしザオリクトレンド入りは受け付けなかった。正確に言うとトレンド入りに対する反応が受け付けなかった。
何が受け付けなかったかというと
「ザオリクw」
みたいな反応が一つ。
「草」とか「吹いた」とか言ってるやつ。追悼の意思ないじゃん。なんで面白がってんの?
「Twitterすご」とか言ってるやつ、何が凄いの?
「故人に対しての追悼への反応がザオリクという氏の関わったゲーム作品によるモノだったため、氏の偉業を実感したから」なのかな?だったらTwitterすごじゃなくて「すぎやまこういちすごい!」だよね?Twitterとか日本国民がすごいんじゃないよね?「みんなでザオリク言っちゃう一体感を感じるからすごい」のかな?ふーん。どっちにしろ訃報に関するワードではしゃいでほしくないですけど。
人の死はお前らの小さな内輪コミュニティに面白ネタを提供するためのものじゃないんだよ?
もう一点は
ユーモアどうこうとか言うやつは「人の死にユーモアを持ち込むことに忌避感を覚える人間がいる」ということを想定して動いた方がいいよ。もし現実社会でユーモア出したら取り返しがつかなくなる可能性あるよ。
エアプ認定勢、なんでそんなレッテル貼りした?気に食わないことあった時にレッテル貼りして正当性主張するのやめた方がいいよ。
お前らが楽しくザオリク祭りしてるところに一丁前に口出して悪かったね。個人の感想でしかないんで好きに「不謹慎厨が!」と叩いてくれ。
『公助は削って、福祉は家族による相互扶助を基本とする』に対して、そんなことしたら社会が貧困化するよという主張が感想レベルだからダメですかそうですか。そもそも自助や互助で貧困は防ぎきれず、その貧困への対策が共助、公助なわけなんだけども。こんなことは常識の範疇と思っていたよ。
この自助・共助・公助という3分論は、自民党の綱領(平成22(2010)年)で政策の基本的な考え方として採用されている。「自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組みを充実する」とある。菅氏の発言は自民党員として、党の綱領に忠実であったともいえる。また、社会保障制度改革推進法の第2条には、「社会保障制度改革は、次に掲げる事項を基本として行われるものとする。一 自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していくこと。」とあり、法律の文言にもなっている。
総理大臣になった菅氏が、この社会像としての3分論を具体的な政策の中でどのように生かしていくのかは分からないが、これまで、介護保険制度の創設と運用にかかわり、自助・互助・共助・公助という4分論を唱えてきた筆者としては、共助の主体に地域とともに家族が含まれていることと、地域以外に共助の主体が想定されていないことに若干のコメントをしておきたい。
われわれは、人生の途中で、老化に伴う日常生活上の困難や思いがけない病気、事故、災害など、さまざまなリスクに直面する。このように何か問題が生じて解決を迫られたときに、まず、本人が自助努力で対処する。しかし、それでは無理なときは、本人の身近にいる家族・友人・隣人などが手を差し伸べる。これがインフォーマルな支援、すなわち互助である。自助と互助ではカバーしきれない場合にはシステム化された地域・職域の自治組織が支援する(共助)。この共助システムではなお解決しえない場合に行政が支援する(公助)。この4分論も、いわゆる補完性の原則に基づく社会形成の考え方であるが、自助と共助の間に互助を考え、共助としては地域以外にも社会保険を想定している。
個人が直面するリスクを、その本人の自助努力だけで克服せよというのは無理な話で、社会は、何らかの形で共同してリスクを分担する仕組みを備えていなければならない。自助から出発するにしても、自助の次に互助を想定せず、家族の支えを「共助」に包摂してしまうと、例えば、いつまでたっても家族を老親介護の責任から解放できないのではないか。家族は大事だが、それに頼りすぎては家族が参ってしまう。
互助は、自発性とゆとりと思いやりに基づく支え合い活動であって、その活動範囲も支援能力も限定的である。それは、家族・友人・隣人が無償で行う支援活動であるからである。しかし、自助のすぐそばに、この互助が息づいていることが自助の励みになるのである。老いて心身が弱っても、自分の生活に関することは自分で判断し、できるだけ自分で行おうとする個人の自助努力を尊重し励まし支援する、それが互助の意義である。自然災害のときにも、真っ先に頼りになるのは自助と互助の結びつきである。新型コロナ禍の困難の中でも自助に寄り添う家族・友人・隣人の親身な支援こそが大事である。
わが国にはシステム化された地域の自治組織として、自治会・町内会があり、近年は地域運営組織が台頭し、これらは市区町村行政と相互関係をもって活動している。この地域が共助の主体として期待されている。ただし、同じ共助のなかに、リスクを共有するもの同士で助け合う社会保険制度が存在し、国と自治体の行政(公助)が関わっているから、共助の主体は地域だけではない。共助システムである医療や介護の社会保険制度は、経費の約半分を国と自治体の公費(租税)で賄っているし、介護保険では保険者を市区町村にしているから、この共助システムは共助と公助の混合型といえる。それだけに、公費負担をしている国から、システム運用を通ずる効率化圧力が絶えず加えられる結果、公助から共助へ、共助から自助へとリスク負担を逆流させようとする動きが出てきやすい。要注意である。
共助、公助の成り立ちと役割については、このリンク先の厚生労働省白書に良くまとまっている。https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/12/dl/1-01.pdf
(工業化に伴う人々の労働者化により、血縁や地縁の機能は希薄化した)
産業資本主義の社会では、企業が潰れたり、解雇されれば失業してしまい、また、けがや病気などで働けなくなった場合、労働者は所得を得られなくなる。その一方で、労働者が血縁や地縁の関係から一定程度独立した結果、それら血縁や地縁で結ばれた人間関係を基礎とする支え合いの機能は、近代以前の社会と比べて希薄化しているため、個人にとって、生活が立ちゆかなくなってしまうリスクは大きなものとなる面があった。また、産業資本主義の社会では、労働力の商品化の結果、モノやサービスの生産が「使用者-労働者」の関係を軸に展開するようになる。近代以前の社会と異なり、労働者は自己の労働力以外に機械や原材料などの生産手段を持たない。生産手段は使用者(資本)によって所有され、労働者はそれを借用しながら自己の労働力を提供する。この関係の下では、自ずと労使の力の差が生じる。使用者に比べて力の弱い労働者は、低賃金、長時間労働という劣悪な労働条件を強いられ、解雇のリスクにさらされるようになる。過酷で貧困な生活を送る労働者は増え、労働問題が大きな社会問題になっていった。労働者たちは、同業者の間で相互扶助的組織を設けるなどして生活上のリスクに対応してきたが、これらの組織に加入できたのは、経済的に多少の余裕のある熟練労働者などに限られ、多数の非熟練労働者などは、それらの組織に加入することができなかった。
(近代的な社会保障制度の創設はドイツから始まり、欧州各国に広がっていった)
近代的な社会保障制度が世界で最初に創設されたのは、大陸ヨーロッパのドイツであった。ドイツでは、19世紀終盤に、帝国宰相の地位にあったビスマルク(Otto von
Bismarck, 1815-98)により、法律上の制度として世界で始めての社会保険制度(疾病保険法(1883年)、労災保険法(1884年)、老齢・障害保険法(1889年))が制定された*3。社会保険制度は、事業主の負担と併せて被保険者(労働者等)自ら保険料を負担(拠出)することにより給付の権利を獲得するという関係があるため市場整合的であるとして、多くの工業国で社会保障の手法として第一義的に選好される傾向が強いものとなっていった。そして社会保険による給付は、市場経済的な権利関係の裏付けを欠くために、社会の負担、あるいは自助能力を欠く者との差別や偏見から逃れられず、受給にスティグマ(汚名)が伴っていた恩恵的・救済的福祉の給付とは異なっていた*4。また、あらかじめ生活リスクに備える点で、それまでヨーロッパ各国で主流であった事後的な「救貧」施策から事前の「防貧」施策への第一歩を踏み出した点でも大きく評価された。
(略)
(社会保障は、個人の生活上のリスクに社会的に対応する仕組みとして求められるようになり、産業資本主義の社会と国民国家の発展を支えていった)
このように、産業資本主義が発展する中で、血縁、地縁がそれまで果たしてきた人々の生活を保障する機能は限定的なものとなっていった。それらの機能を代替するため、傷病、老齢、失業などのリスクに公助又は共助という形で社会的に対応する仕組みが必要となり、現在に通じるような社会保障制度が求められるようになったといえる。
そして、社会保障が血縁や地縁の機能を代替*8することにより、人々は経済活動に注力することができるようになったという意味で、社会保障は産業資本主義の社会、国民国家の発展を支えていったともいえる。
(世界恐慌から第二次世界大戦までの間に、戦後社会保障の構想が練られていった)
1929年には、アメリカのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落をきっかけに世界恐慌が発生した。その影響は大変大きなもので、1930年代には各国で多くの企業が倒産し、街は大量の失業者で溢れ、社会不安はますます増大した。
(略)
ケインズの理論によって完全雇用に近づければ、失業給付を激減させ、なお残る失業者に手厚い給付ができ、また、社会保障によって全国民に最低限度の生活を保障すれば、有効需要が増え、さらに失業者が減る。このように、ベヴァリッジとケインズの考えは互いに補強しあう関係にあった。これは「ケインズ・ベヴァリッジ主義(体制)」、「福祉国家の合意」などと呼ばれる。その後、ベヴァリッジは、第2次世界大戦中の1942年に、いわゆるベヴァリッジ報告(『社会保険および関連サービス』)を英国政府に提出し、「ゆりかごから墓場まで(Fromthe Cradle to the Grave)」のスローガンの下、新しい生活保障の体系*10を打ち立てた。このベヴァリッジ報告の影響を大きく受け、第二次世界大戦後には世界の多くの資本主義諸国で、経済の安定成長と完全雇用*11、国民福祉の充実を目指す「福祉国家」の潮流が広がっていった*12。
(戦後、どの先進諸国にとっても社会保障は不可欠なものになった)
(1970年代―オイルショック後の経済成長の鈍化等により、社会保障・福祉国家批判は大きな潮流になった)
(1980年代―新自由主義的な政策が採用され、社会保障・福祉国家の「見直し」が行われた)
(新自由主義的な政策は、経済のグローバル化の趨勢とも親和的だった)
(社会保障・福祉国家の「見直し」がもたらした弊害は大きなものだった)
(当初の「見直し」という目的が実際に達成されたかについても、見方は分かれる)
(1990年代以降、社会保障の重要性が再認識され、過去に指摘された問題点に応える努力をしながら、社会保障・福祉国家を再編成する時期に入っている)
(今日では、社会保障は様々な機能を持っており、私たちの経済社会に欠かせない重要な仕組みである)
今日では社会保障は、個人の視点からみれば、傷病、失業、高齢など自活するための前提が損なわれたときに生活の安定を図り、安心をもたらすことを目的とした「社会的セーフティネット(社会的安全装置)」という機能を果たしている。また、それを社会全体としてみれば、所得を個人や世帯の間で移転させることにより貧富の格差を縮小したり、低所得者の生活の安定を図る「所得再分配」や、「自立した個人」の力のみでは対応できない事態に社会全体で備える「リスク分散」という機能を果たしているといえる。
さらに社会保障は、必ずしも恵まれない人たちにも社会の一員としての帰属意識を共有してもらうことで社会的な統合を促進させる。また、消費性向が高い低所得の人たちに所得移転し購買力を高めることで個人消費を促進したり、医療、介護、保育などの社会保障関連産業における雇用の創出を通じて経済成長にも寄与する。こうした「社会の安定及び経済の安定と成長」といった機能も果たしている*20。
このように、社会保障は私たちの経済社会にとって欠かせない重要な仕組みとなっている。だからこそ、支え手である現役世代(働く世代)の人口が減る少子高齢社会において、どのようにして持続可能な制度を構築していくか、若年者等の失業問題や社会的弱者が孤立を深める状況(社会的排除)を改善するためにどのように社会保障制度を機能させていくべきか、経済のグローバル化に伴う国際競争の激化が雇用の柔軟性や流動性を要求する状況など社会保障が前提としてきた雇用基盤の変化や経済の低成長が続く中で、どのような所得再分配や雇用政策が適切なのかといった点は、先進諸国にとって、重要な政策課題となっている。
社会は貧困化するの件が感想でしかないので、感想に対する反論などありません残念でした
人生に遅いということはないよ
今回、特許庁からジロリアンにとって衝撃の決定がなされました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuriharakiyoshi/20210814-00253219
http://www.akb48matomemory.com/archives/1079226286.html
この件について、一部のジロリアンは麺屋宅二郎から訴訟や刑事告訴されるリスクが高まっています。
また、私はこの事件に皆が想定していない黒幕が存在すると睨んでいます。
なるべく専門的な表現や細かい論点は削り、平たい文章で端的に書いてみました。
1:麺屋宅二郎(通称:宅二郎)という店舗が開業され、二郎インスパイア系ラーメンの販売を開始する。これがラーメン二郎と店舗名や商品が似ている、パクリだと話題になる。
2:ラーメン二郎が麺屋宅二郎に「類似しているため商号や看板の色を変えるように」と要求。
4:麺屋宅二郎の対応がネット炎上。一部ラーメン二郎ファンにより、麺屋宅二郎やその代表者個人に対する過激な誹謗中傷がネット上に大量に書き込まれる。
5:麺屋宅二郎がラーメン二郎への敬意を欠いていたと謝罪し、店舗名を「麺屋宅二郎」から「豚ラーメン榊」に変更。
これにて一件落着していたかに思われた本件。
しかしその後、新たな展開がありました。
実は炎上前に麺屋宅二郎が「宅二郎」の商標を申請していたことが発覚。しかも、なんとその申請が特許庁に認められてしまったのです。
結果、「宅二郎」の商標は麺屋宅二郎のものになってしまいました。
しかし特許庁はラーメン二郎の申立てを認めず、ラーメン二郎の主張は全面的に否定されました。
端的に言うと、麺屋宅二郎は謝罪し「自分が間違っていた」と認めていました。それにも関わらず、ラーメン二郎側が異議申立てという法的プロセスを踏んでしまったが故に、行政の判断において正式に「ラーメン二郎の主張の方が間違っていた」と確定してしまったということです。
詳細を知りたい人は、以下のURLから「商標」にチェックをし、「宅二郎」で検索してみてください。ページ右側にある「経過情報」をクリックすると出てくるページから、2021年5月6日の「異議の決定」という部分をクリックすると、今回のラーメン二郎の主張や特許庁の見解や判断が確認できます。
URL:https://www.j-platpat.inpit.go.jp/
今回の結論は、多くのジロリアン達にとっては到底納得できないものに思えるかもしれません。
しかし「法律を知らない個人の感覚」と「法的な正しさ」が異なることは多いです。
今回も同様です。残念ながら「ラーメン二郎よりも麺屋宅二郎の主張が法的には正しかった」ということが、特許庁により正式に認められてしまった訳です。
そこで今回の主題です。
麺屋宅二郎や代表者個人に対して過激な誹謗中傷を行なっていた多くの二郎ファンが、今後訴えられるのではないかと私は懸念しています。
少し検索しただけでも、信用棄損、威力業務妨害、偽計業務妨害、名誉棄損、名誉感情の侵害、侮辱、脅迫など、民事訴訟のみならず刑事罰(いわゆる逮捕される罪)に該当する可能性が極めて高いものがいくつも確認できました。
人によっては「このくらいで誹謗中傷にはならないだろう」と思って書き込んだ二郎ファンもいるのかもしれません。しかし、一見問題なさそうでも、法的な目線では誹謗中傷に該当するケースも実は多いのです。さらに「問題ある内容をリツイートするだけでも名誉棄損にあたる」という判例すら出ています。
加えて、昨今、誹謗中傷に対する対策が社会的な潮流となっている背景もあり、法曹界においても誹謗中傷に関する法律や手続きの改正、事例の蓄積が著しいことは関係者であればよく理解できるかと思います。実際、有名人たちが誹謗中傷者を訴えるケースが続出しています。
<例>
木村花さん、橋下徹さん、ホリエモンさん、前澤友作さん、羽生善治さん、小林礼奈さん、太田光さん、清原和博さん、三木谷浩史さん、朝青龍さん など
このような社会的背景もあり、世間的にも不当な誹謗中傷に対する目は厳しくなっています。また、そのような業務を取り扱う弁護士も今後増え、炎上が弁護士の飯のタネになるようにも感じます。
「宅二郎パクリ炎上事件」をあなたがどう思うかは自由ですし、二郎ファンが納得いかないであろう気持ちもお察し致します。しかし、それがインターネット上で好き放題に書き込んでよい理由にはなりません。日本国に住んでいる以上は、日本の法律に基づく制限があり、違反者には処罰が行われます。
特に、今回は特許庁から麺屋宅二郎が問題ないという判断が明示されたことで、誹謗中傷に該当するかどうかがより明確になりました。該当する投稿者においては、犯罪に該当する可能性や訴えられるリスクはかなり高まってしまったと言えるでしょう。
■逮捕されないためにはどうすればいいの?
上記を踏まえ、今後の逮捕などのリスクを軽減するために、もし、あなたが投稿をしてしまったのであれば、以下を参考にしてみてください。
麺屋宅二郎が弁護士へ依頼していることは炎上時の対応から明らかです。犯罪にあたる投稿を弁護士が証拠保全するのは当然です。そのため、削除だけ逮捕リスクが完全には回避できません。
従って「最近明らかになった特許庁の判断を見て自らの過ちに気付き、(表面上だけでも)過去の間違いを訂正して謝罪した」という事実を早めにネット上に残しておくことが、後々あなたのためになる可能性が高いのです。
これにより、過去の誹謗中傷の投稿が「勘違い」が原因であり「故意ではなかった」と主張できる根拠を作れます。また、「事実が判明した後にすぐに対応したという誠意ある姿勢」も残せます。そして、訴訟の目的となる「謝罪・訂正・取り消し」を訴えられる前に行っていた証拠にもなります。
これにより、逮捕や訴えられる可能性が下がり、もしそうなったとしても裁判官の心象が良くなりますので、損害賠償や罰則が抑えられる効果があります。
もしIP情報の開示請求などを起こされて投稿者が特定されてしまった場合でも、いきなり訴えられることはありません。まずは書面で何らかの通知や請求が届きます。もしそうなった場合、和解を目指すことをお勧めします。
というのも、仮に和解せずにそのまま進むと、家族や勤務先に違法な行為をしていたことを知られてしまいます。家宅捜査が行われる可能性もあります。
また、投稿者の本名がテレビやヤフーニュースなどに取り上げられてしまう最悪の可能性すらありえます。
炎上しインターネット上にあなたの名前が晒され、私生活を全て台無しにされてしまうリスクを負うことは、どのような年代や立場であろうと回避したいはずです。
収益を得ている人ブログ運営者やYouTuberなどは特に気を付けるべきです。これらの方々は、個人の特定もしやすいうえに、金銭目的のための誹謗中傷は悪質性が高いと解釈される傾向があるからです。
個人的には、誹謗中傷の投稿をしてしまったラーメン二郎ファンも、その本心は「ラーメン二郎を応援する」ことであり、自らが犯罪者になり訴訟されるリスクを負ってまで何かを誹謗中傷をしたいわけではないと理解しています。
にも関わらず、ラーメン二郎のためにたまたま誤った行動をしてしまい、そしてそれに気づかずに人生が狂ってしまうのであれば、それは流石にどうかと思い、今回この文章を書いています。
余談になりますが、私はラーメン二郎側の弁護士の対応にも同業者としてかなりの疑問を感じています。
ラーメン二郎の主張が特許庁に認められることが相当厳しいことは、まともな弁護士や弁理士であれば事前にわかることです。また、今回開示されたラーメン二郎の主張と根拠に無理があることは、まともな専門家であれば誰でも感じてしまうのではないでしょうか。
そもそも本来の目的を考えれば、麺屋宅二郎が店舗名を変更した時点で「二郎という名称を使わせない」という目的は達成されています。
そしてその結果「ラーメン二郎の主張が誤りであった」ということや「ラーメン二郎の主張根拠の稚拙さ」を公に晒す羽目となりました。
加えて、今回の特許庁が公的に判断を出したことで、「どこまでだったらラーメン二郎に寄せても許されるのか?」が明確になったとも言えます。
なぜなら今まで「二郎」という名前の使用を躊躇していたインスパイア店が、この特許庁の判断を根拠にギリギリまで過度に店舗名の模倣をしてくる可能性も相当高まりました。
加えて、今回行政の見解が確定したことで、炎上時にラーメン二郎を後押ししてくれていたジロリアンの方々が、逆に訴えられてしまいかねない状況まで生まれてしまいました。
要は、ラーメン二郎が異議申し立てを行った結果、なんのメリットもない一方で、
■本当に悪いのは誰なのか?単なるミスなのか?
ここで1つ疑問が浮かびます。
何故、ラーメン二郎の弁護士は、負けが容易に想定できる異議申立てを行なったのか?
負けた後の展開を一切考えなかったのか?
仮に私なら本当にラーメン二郎のことを思うのであれば、勝てる可能性が非常に低い異議申立ては行いません。そもそも店舗名は現状使われておらず、可能性が低い異議申立てをしなくても例えば麺屋宅二郎に商標を譲ってもらう交渉をするなど、取り得る他の解決策も容易にいくつか思い浮かびます。
また、仮にラーメン二郎創業者の山田拓美さんが、断固として異議申立てをしたいのだと主張していた場合でも、弁護士としてはその主張が公になることを考慮し、異議申立ての主張や根拠はまともな内容だけを残し、多くの方から応援をもらえるよう最善を尽くした主張や根拠を残すはずです。
しかし、現状を鑑みると「一切何もしなかった方がマシ」という状況と言わざるを得ません。
いったいなぜこのような状況になっているのでしょうか?
ラーメン二郎側の弁護士や、他のアドバイザーやコンサルタントなどが、何らかの目的や意図を持って山田拓美さんをそそのかし誘導してやらせたのでしょうか?と何かしらの意図を勘ぐってしまいます。
もしかすると一連の異議申立てを主導した人物は、「どうぜ全てのリスクはジロリアンが負ってくれる」と思っているのではないでしょうか。
そもそもこれまで、インスパイア店が「二郎」という名称を使用していなかったのは、ラーメン二郎創業者の山田拓美さんへの敬意だけでなく、ラーメン二郎の熱狂的なファンである「ジロリアンの方々」の存在があり、法律を超えた中でも保たれていたと考えられます。
実際、熱狂的なジロリアンの方々が、ラーメン二郎に類似するインスパイア店に嫌がらせや誹謗中傷の事例は、インターネットを確認すればたくさん確認出来ます。
つまり、もし山田拓美さんを唆し、一連の異議申立てを主導した人物が仮にいるのであれば、以下のように考えていると想像すると、全ての筋が綺麗に通るのです。
1. インスパイア店に誹謗中傷や嫌がらせをするのはジロリアン。
2. その結果インスパイア店は法的に問題がなくても店名を変更せざるを得ない。
3. 訴えられるとしてもその対象はラーメン二郎ではなく、誹謗中傷の実行犯であるジロリアン。
4. 万が一異議申立てした主張が通れば、主導した人物は「敏腕弁護士!」「敏腕コンサルタント!」など神格化される。
5. もし異議申立てが通らず、悪質な模範店が増えたり、麺屋宅二郎が勝ち取った商標を使用し始めても、熱狂的なジロリアン達が「自発的に」圧力を掛けてくれるので大丈夫。その場合、訴えられるのはジロリアンであって、ラーメン二郎は傷つかないので大丈夫。
なお、ラーメン二郎の山田拓美さんがこのように考えている可能性は限りなく低いと思います。
というのは、山田さんは「インスパイア店は宣伝となる」として歓迎する意向を示しているからです。
URL:https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2019_08/p22-25.pdf
こう考えると、ジロリアンを軽視し、捨て駒扱いをして、法律が分からない山田拓美さんを都合よく唆した存在がもしいるとすれば、非常に巧妙で悪質な考えを持っている人物なのではないかなと考えてしまします。
そうでもなければ、ラーメン二郎の弁護士の対応は私には到底理解できません。
本来であればジロリアンはラーメン二郎の収益を支える根底です。
それだけではなく、ラーメン二郎のためなら犯罪の可能性がある行為までしてしまうくらいジロリアン達はラーメン二郎を愛しているのです。
そのような純粋な気持ちを蔑ろにして、裏から利用しようとして「捨て駒」のような扱いをしている人がもしいるとしたら、それは非常に残念なことだと思います。
ジロリアンの皆様は、今回の一見で、誰が一体何の得をして、誰が何のリスクを負う羽目になったのか、一度振り返って考えてみてもよいかもしれません。
真面目に自粛してた音楽関係者に対して失礼だし、迷惑だったし。
28、29日に愛知・常滑市内で開催されたヒップホップ系野外フェス「NAMIMONOGATARI2021」が、新型コロナウイルス感染防止対策をめぐり批判があがっている件で、主催者側が30日、公式サイトで経緯を説明し、謝罪する文書を掲載した。
しかし、この「謝罪文」についてもネット上では「言い訳、責任転嫁」「なにを詫びている?」「文章が稚拙」などの多くのツッコミが入っている。
同文書では冒頭に「地域の皆様、全国の皆様、関係者の皆様そして、今まで音楽業界、イベント業界を支えてきて頂いた関係各位の皆様に多大なご迷惑、ご心配をおかけしてしまった」と謝罪。その後、経緯説明をした。
そこでは「8月18日までの10日前までの時点で、今年の開催が可能な事、過度な飲酒でなければお酒の提供も可能という状態で愛知県から話を頂いた」ことや「その日から常滑市が蔓延防止重点処置地域(原文ママ)に指定され」「この時点で酒類の販売の自粛要請も頂いていましたが、一部キャンセルできない物を販売しますと愛知県担当者に報告をし、過度の飲酒にならない様、お一人様二杯までとし、アルコールはアルコールチケットで販売をし杯数の管理をしていました」と説明。ステッカーやエリア外飲食の禁止、マスク着用のお願いなどの感染予防対策を「イベント会場内でその期間できる範囲以内の対策を講じ」たという。
しかし「その後、8月27日イベントの前日に緊急事態宣言が愛知県に発令されてしまいました。イベント当日を翌日に迎え、全ての準備が終わっていたタイミングでした。そのタイミングでイベントを中止や延期にすることが物理的にできませんでした」としている。
さらに「イベント当日は8000人を超える観客が来場し、ソーシャルディスタンスは守られず、常に密な状態になってしまいました」とし、注意喚起をナレーションや大型画面で行ったとしている。しかし「結果として、大規模な音楽イベントの感染予防対策に対する認識の甘さが全国の皆様に多大なご心配をかけてしまった事を心より深く反省致しております」とつづり「全て制作会社の弊社に責任があります」と締めくくった。
これに対して、ツイッター上では「前日ではなく、4日前には緊急事態宣言が出ることは分かっている。言い訳がへた」「おれたちは悪くない。緊急事態宣言をイベント前日に出したのが悪いというのはよく分かった」と宣言発出がイベント前日だったことが中止できなかった理由にする点を批判。コロナ禍では開催前日に急きょ中止にする例もあることから「物理的に中止が無理ってなに?」と疑問があがった。
また、イベント後には名古屋市内で朝5時までのアフターパーティーが開催されたことについて触れていない点もツッコむ声があった。
「言い訳、責任転嫁、医療従事者への謝罪なし…なにを詫びてるつもりなんだろ。文章もあまりにも稚拙だし.中学生の書く文章じゃないんだから」と謝罪文書全体への稚拙さに言及する声もあり、「お詫び文に代表者名も記さない」「責任はあるけど、責任はとらないんだよな」と責任の取り方に対する不明確さも追及された。
また「これ以上真摯(しんし)に向き合っている同業者の足を引っ張るのはやめてくれ。音楽はそんなもんじゃない」「売上金を医療関係者に寄付してはいかがでしょう」と言う声も上がっていた。
「ワクチンの副反応で患者が死亡した…」みたいなツイートに対しては「そんな根拠不明のツイートは信じるな」「医師には守秘義務があるからそもそもそういう症例があったとしても言ってはならない」とか言ってんじゃん。それは正しい。
じゃあさ、「自分の病院で20代が重篤化したケースが発生しました。ワクチン未接種でした。」みたいな噂話をツイートして同業者同士で拡散するのもやめろよ。やり口が反ワクチン派と同じじゃん。
マジで見損なったわ。お前らの話も段々信用できなくなってくる。
今朝がたの某女性声優とコンカフェ追っかけヤバ男の熱愛報道でオタクどもが憤慨してるけど、世の中では普通のことだからね。
生涯ほぼモテてたことがないオタク男女にはわからないかもしれないけどさ、
普通の人はそれまでの人生の中で恋愛したりセックスしたり異性との交流をしてるわけよ。
最近CDデビューした声優は若い時に付き合ってセックスしてたかもしれないし、
まぁ付き合ったり結婚する相手はファンのお前じゃなくて、同業者だったり関わることが多い業界のスタッフの人だったりするけどね。
少なくともお前がワンチャン付き合いて―ってなった声優やVTuberのうち、客が数人くらいしか入らない地下アイドルくらい底辺じゃないとワンチャンなんかないんだわ。
あと処女性って女だけでなく男に向けても言えることで、
ファン以外の女(声優orVTuber)と関わろうとする男(声優orVTuber)についてもファンの女がお気持ち投げられること多いんだよね。
推してる男と関わった女を叩けて気持ちいい~~~~ってなってるかもしれないけど、その推してる男と女で気持ちいいことしてるんだぜ?
お前は有象無象の一人であって付き合ってる唯一の相手じゃないのもわからないんじゃ仕方ないけどさ。
いい加減卒業したら?ありがちな少女漫画やエロ漫画みたいな「大多数からいきなりファンの自分だけを選んでくれる」シチュエーションを夢見るの。
オタクは推しを全肯定するものでしょ?って見て、それで悟った。
オタク=「ファン」って人間じゃないんだ。ファンがいる人間にとって、ファンは「ファン」で一つ。人としてみていない。
大勢のファンがいるならそれは当然のことで、極稀に一人をピックアップして人間扱いすることもあれど、基本的に人間とみなしていない。だから人とのコミュニケーションの範疇外にある。
それに対して、オタク、ファンは推しを、最初こそアニメのキャラクターのような架空の存在としてエンタメとして見るが、徐々に人間扱いし始める人が出てくる。
Vtuber、youtuberなんかは謙虚で、彼ら自身が公私混同しているようなオンオフの切り替えがうまくできていない上、SNS等で高頻度で手軽に触れられ、架空の人物から実在の人間へと認識を変えてしまう。
こうなると厄介だ。理由もわからず、人に人扱いされない蔑みを感じ始める。ガチ恋営業をかけてくるような相手は特にそう。
推しは人気になれば交流も増える。同業者や、友人も増えるが、その交流にファンは含まれない。一人のファンがどれだけの金時間精力を注ぎ込もうと、それは「ファン」全体のものになる。ファンが1万人いるなら、彼の行為は1万分の1に落とされる。例え目立つものであってもあくまでファンの行為でしかない。
それに対し、推しと交流のある人間は同等の行為はそのまま100%捉えられる。
人と、人でないものの扱いの違い、これに気づいた時、私はそっとチャンネル登録もSNSも削除できた。
もうSNSや配信に張り付いて更新を待ち、なんとか認知してもらおうとコメントを打つ必要もない。お金は無理した額を使ってないのでどうも思っていない。
私はガチ恋をしていた。ファンの一人として認知され、あわよくばファンから独立した人として交流を持てるのではないかと、それが奇跡の確率だとしても淡い期待を抱いていた。