はてなキーワード: 助長とは
直情的で馬鹿で我儘で
それでいてプライドが高くて。
他人と比較して自分のやり方が非合理的だったり下手だと自認していることを
改めて他人に指摘されるとイライラしてしまう。そんなことはわかってるよ。
今のやり方が100%正解じゃなくてもそんなこと言われなくても
少しずつ直していくし今だって直しているところだしって言い訳したくなる。
甘えだけどそんなすぐにはテキパキと適応出来ないんだよ。そういうペースなんだ。
平気そうな顔をしているだけで精一杯だ。
--
追記
ブコメ読みました。
気持ちを落ち着かせる方法や叱咤などコメントありがとうございます。
余裕がないときに行動批判を受けると自分が無能であるという自覚も助長して
瑣末なことでも人格攻撃だと思い込んでしまうのだと気付きました。
人格攻撃と行動批判の区別意識を余裕のないときでも意識できるように、
出来れば余裕がなくならないようにしようと気をつけてみます。
昨晩はイライラが落ち着かなくて勢いで増田に零してしまったけれど書いて良かったなと思います。
ありがとうございました。
という欲望を素直に言語化すればいいのにと。※ちと改題
「自称弱者男性」が、フェミに訴える「自分達の救済」って、詰まるところ表題以外に無いんだろう。
この辺りが指す http://anond.hatelabo.jp/20150524141915 「自称弱者男性」についての言及で、
男社会の女性差別構造のピラミッドを底辺から支える彼らは、強者男性の立場では決定的に論破はできないフェミニスト(女性)達を論破する痒いところに手が届く便利な尖兵役を自らすすんで担って攻撃に臨む。
トランプゲームの「大富豪」で言うなら、「革命」を起こした敵プレイヤーへのとっておきの切り札・対抗策としての「弱いが故に強力なカード」役を引き受ける事で、部品でしかなくとも自プレイヤー(男社会の強者男性)の勝利に貢献しようとする。
そうして自称弱者男性はマチズモ的成熟の外にいるありのままの弱さが、いかに利用価値があり重宝されるかを強者男性社会にアピールして、弱いまま男社会に必要とされ女性支配の恩恵を拡大したいと欲望する。
そこにあるのは強者男性社会への盲目的な媚びと、フェミをうまく論破して言いくるめれば、脅威としての怨敵女からたちまち弱者男性に最適化した最強スペックを誇る破格の強者女奴隷へと変換できるのではないかという下心だ。
無論、フェミニスト達の本懐は「性差別システムの被抑圧者に男も女もない」であり、弱者男性を疎外するものではない。システム解体を望む者がいれば慎重に拾い上げ人間対人間として耳目を傾けようと努めるが、はなからシステムの一部で上等、「男対女」という対立軸から出る気もない自称弱者男性はフェミニスト達の慎重さに付け込んで何故か「自分達男性こそが弱者。女性は不当に扱われてなどいない」という極端な二元論に誘導し、『弱者対決』でもって男性の優位を示そうとする。そして勝ち取った『唯一弱者』の立場からあれやこれやと弱者男性に対するフォローを要求しようとする。
「『弱者対決』なんかおかしいし不毛でしょう。人間同士尊重し合えばいいのに」と意見しても前提の違う彼らは聞く耳を持たない。
「男性:救済さるべき被抑圧者」⇔「女性:救済すべき抑圧者、強者」という風に望む形での男女対立アイデンティティを承認してもらうことこそ男性優位システムと同化した彼らにとっての「尊重」であり、男も女も関係なく人として尊重し合うべき云々はフォローの意味を為さないからだ。
そして強者男性と結託する形で上から下までまんべんなく女性支配が成功した暁には、おこぼれとして弱者男性の軍門に下ったフェミ女の方を支給を期待する。男性階級の底辺にある我らのために、我らでも支配でき、我らを養えるだけの知性と生活力に長けたハイスペック強者女性の奴隷をくださいと。
当然奴隷なので双方向のコミュニケートなど要しない自律型の所有物であるべきで、その時点でフェミニスト女性達が掲げる人間対人間の尊重は阻害される。
あるいは支給されずとも世間の矢面に立って弱者男性の権利や「女性側の行き過ぎた平等」への批判を訴える走狗として利用したり、何がしか優位を助長する材料になればいい。
充分な財力と世間に対する発言力を持つ強者男性には元々必要のない存在だし利害も一致する。支配対象の女を介して、男社会での結び付きをより密にできる。典型的なホモソーシャルだ。
一連のトラバツリー等における彼らのフェミニスト女性に対する主張・傾向などを総合すると、おおよそ以上のような欲望が浮かび上がってくる。
「自称弱者男性の救済」とは何の事はない。結局は「女性差別社会からのおこぼれ」で、「弱いが故に強力になり得る自己の価値を強者男性に認めてもらい、庇護されること」だ。
通常強い子しか褒めてくれない偉大なパパに弱さを褒めてもらって、強い子よりも豪華なご褒美が欲しいのだ。
可愛い子とヤリたいっていう欲求、つまりは恋愛は「愛欲」から始まり、やがて「欲」が抜けて「愛情」になり、「愛」が抜けて「情」が残る。
さすがに「ヤリたい」とは言ってないけど、祖父が残したこの言葉遊び的な恋愛観のおかげで僕は恋愛至上主義にとりこまれなくてすんだ。
長いこと付き合ってるから、もう欲からくるドキドキでスリリングな摩訶不思議アドベンチャーへの期待だったり、不安や嫉妬はないけど、長いこと好きでいる人間が与えてくれる、その人のことをたくさん知っているという安心感だとかが愛情なんだなあと感じるようになってきた。
なのに!
なのに、今更「なんか昔はもっとドキドキしたけど、最近はしない」とか遠まわしに回数が減ってきているとか、何なの?無理だよ、もう僕が君に持つ欲はないんだよ。残念ながら。
あとはこの愛情という感情がすごく長い期間で蒸発していって、最後には情になって「あの頃はー」なんて互いに達観するのみだ。でもそれでも互いに面白おかしく笑えてればいいじゃんって僕はそう思ってるんだけど、その程度のものじゃないの?恋愛って。
レベル8になったので、ここから先はただレベル上げ目指してソロプレイだとつまんなくなりそうだと思って、Google+で地域のコミュニティに入った。
ハングアウトとかで毎日他のエージェントたちと話している。楽しかったんだけど今日、ハングアウトであるメンバーが
「今○○公園近くのデニーズにいるんだけど、店内に少なく見積もっても5人は敵エージェントがいる」
と言い出した。
「私の顔を見て何か言ってる。他にも私を見てこそこそ笑っている人がいる。あれも敵だと思う」
「こんなに敵エージェントに囲まれたら怖くて動けない。帰れない。だれかたすけてください。むかえにきてください」
これって統合失調症だよな?
と思っているんだけど、その発言をまるっと信じて
とか言うメンバーがいる。妄想につきあうと助長するからヨクナイって林先生が言ってた気がするんだが、医者でもない人間が他人を統失と決めつけてそういうこと言うってのは、名誉毀損とかにあたりそうな気がして何も言えなかった。
そうなんだよ、何もできないんだよ。このメンバーはここ数日急にばんばん投稿するようになってるし、見知らぬ外国人に付け狙われていて怖いとか言ってたのも今思うとあれも妄想ぽいし、なんか今頭がぐるぐる動いて状態悪化中なんじゃないだろうかって思うんだけど、エージェント名くらいしか知らないしさ。何もできることない。
よりによってその統失ぽいメンバー、若くてきれいな女の子なんだよ。だから「迎えにいきます」とか言ってる男も下心あるかもしれなくて、ただの下心なら自由にすりゃいいけど、メンヘラだからヤレそうとか思ってるんだったらそれを放置するのはちょっと後ろめたい。けど、どうしたらいいかわかんない。
こういうことがあって初めて気がついたけど、Ingressって統合失調症の患者にはあまりいい影響なさそうだな。昔ジム・キャリーの「トゥルーマン・ショー」をみて、統失の人間には悪影響あたえそうな映画だなーと思ったけど、Ingressも同じっぽい。街にいるごく一般の人たちの中にひそかに敵エージェントがまざっているっていうゲームだから、ものすごく妄想助長しやすそう。
GWに突入した。
でも筆者は金がない。
旅行は諦めた。
外出も労力を使うし。じゃあネットサーフィングでいいや
堕落した人間と思うかもしれないが、低所得者などこんなもんである。
「昔はこんなの無かったのに」
そう思い、失望するサービスはこの世に多い。
その一つに。
「エロ広告」
時にグロテスクなav女優や男優の気持ち悪い性交姿が表示されたり、
アダルトビデオのグロ広告を除き、
これらの漫画には作者を自己投影したグロテスクな男女が登場する。
彼らが恍惚と性行為に励む姿には、もはや呆れを通り越して圧巻だ。
例に挙げれば、女性に対する強姦。殺人。
暴力などの理不尽な行為ばかりが、
頼んでもいないのに眼前に表示され、嫌でも目につくのである。
だが、驚くことに、広告バナーの女性達は、いかに人権を侵害され、
性暴力を受けようが、満更でもない様子に描写されている。
「伯父さんのモノで感じちゃう」
吐き気を催すこの煽りには、悪意すら感じるが。
現実の女に対する憎しみが強いと思われる。
「キモオタが女を強姦する」
などという稚拙な設定が思い付くのだろう。
いずれにしろ、歪んだ男尊女卑的なものが見え隠れしているのが気持ち悪い。)
中でも最も気持ち悪いのが、三次元のアダルトビデオ女優の姿が、画面のど真ん中に表示される瞬間。
健全なサイトを閲覧しているのに、おもわず罪悪感すら感じてしまう……。
そんな喉元にまでゲロが込み上げる素敵なラインナップに、阿鼻叫喚の嵐だ。
商業誌やネットのみならず、児童ポルノをはじめとする性への規制が厳しいこのご時世。
しかし、大人の事情が絡むゆえか、一向に改善される余地はない、エロ広告。
まるで中学生の妄想を愚見化したような「便所の落書き」に、果たして何の意義があるのだろうか?
筆者の知識が乏しく申し訳ないが、自分なりに考察してみたので、ここにまとめさせて頂きたい。
まず、サイト運営には、サーバー代を安く浮かすため、広告業者と契約する必要があるのも事実だ。
そのため気が狂ったように消費者の目を引こうと設置されているが、時にはスクロールしても広告が追ってくる!
……まさにホラーだ。
一時期はあまりに不愉快極まりないため、広告非表示のフィルターをダウンロードしてみたのだが、……愕然!
これではまともにネットが見れない……。
その原因も改善されなかったため、いまは諦め、我慢しながら使用しているのだが……。
運営と業者にとって、広告を描く底辺絵師様も、ユーザーも、金儲けの道具であることにはかわりない。
一般の商業誌やらアニメであれ、いま流行りのソーシャルゲームも然り。
性に直結しなければ売れない、悲しい時代であるのは確かではある。
某イラスト投稿サイト、pixivでも、ユーザー作品に対する検閲が厳しくなっているが、ただ誠に思うのである。
中にはプレミアム会員と言われる課金ユーザーが一定数いるため、
運営はその資金により成り立っているのだが。
そのプレミアムユーザーと、無課金ユーザーの使用環境について、思う点があるのだ。
それは、「広告の非表示設定」だ。
私は無課金で数年間pixivを使用しているが、この機能には釈然としないものがある。
課金したユーザーは、不愉快と感じる無数のエロ広告を、削除することができるらしいが、
どうにも頂けない。
無料でサーバーを間借りしているとはいえ、何故このようなグロテスクな広告を見せられねばいけぬのか。
金を落とさなければ、使用者としての権利は奪われるものなのか。
運営に問いたい一心だが。
たかだか一人の消費者がメロスのごとく憤怒しようが関係ないのが現状だ。
小動物を扱った内容であれ、
「俺氏がセックスした件についてwww」
文面だけでもゲロ必須のリンク候補があらわれる。
まとめ同士がお互いにアフィリエイトで稼ぐ始末だ……。
悪質なのは、業者が「男性器肥大化サプリ」 「出会い系」を推奨するため、
2ちゃんねるを装ったステルスマーケティング。
これも堂々とリンク内に混じっており唖然する。
逆に唯一の利点と言えば、まとめブログにより、
沢山のスレッドが多数の眼に入る機会が増えたことだろう。
しかしどれも前後や後尾に不可解なものがある。
「俺氏が○○した結果ww」
「ンゴwwワイ将○○するやで~」
「キチママを退治した」
挙げれば切りがないが、大体このようなものに絞られてくる。
「なんj」「VIP 」「鬼女速」というテンプレに包まれたものばかりで、
もはや三行で終わるスレをまとめることに対し、何の意味があるのだろうかと閲覧する度に考えさせられる。
「はぇ~TDN に草生えるワイ将、打率四割ンゴ (白目) ゴメスくん!だいじっこするニキーwww」
……これを人目見て、理解できるだろうか?
彼らは専門用語を多用することにより、自分達がグループであるという和に快感を得るのだ。
「感動した、名作」
このような流れが日常茶飯事であり、
彼らにとっては一体感を高めることにこそ真の意義があるのだろう。
「キチママ殺しトメ腹パン!エネオはウトメとプリンし、私子流産! 」
統合失調病患者の方がよほど美文を書きそうだが、
ネット民もまた歪んだ病におかされているので、気づきそうにない。
きっと現実の孤独感が、2ちゃんねるを安住の地だと返還してしまったのだ。
せめてチラシの裏の駄文ならば、どうかそっとしてあげて欲しい。
そんなものを間違えてクリックして、検索履歴に残ったらと思うと……ゾッとするからだ。
加えてエロ広告が過度に表示された日には、吐き気で目をそらしてしまう…。
未成年者がこんな狂った世界を見て育ち、
誤った性に対する知識を得たとしたら、
これら製作陣はどう責任を取り、対処するのか。
「ウリイイィィィ~!俺らの広告は世界一イイイイイイイイイッッ 」
と言わんばかりに、グロテスクな有害物を主張し続ける。
「選ばされる」ことを望まない人間は、一定数いることを忘れないで頂きたい。
「性癖の押し付け」で嫌悪する人間がいること。
制作者側には、一度でも実感してほしいと切に願う。
両者とも、「選ぶ」 行為に対し、今まで以上に考えるべきであると思い立ったのが、 今回の記事に至る経緯である。
無論、広告だけではない。
これらは人気なジャンルらしいが、個人的には大嫌いなジャンルだ。
また、
ストレート、ゲイ、レズ、ネクロフィリア、ペドフィリア、ズーフィリア…。など。
上記以外にも、星の数ほど性癖はある。
先に断っておくが、
このような多種多様な性癖を否定するわけではない。
アンチスレに溜まる住民も五万といるが、なにも自分と違う性癖が嫌いならば、
関わらなければいいだけの話である。
なぜそれが出来ないのだろうか?
わかりやすい例として、
最近流行りのBl を支持する腐女子は大多数いる。
一方で、ゲイと腐女子 には、深い隔たりがあることはご存じだろうか。
そのため商業誌でも厳しく区分化されているのだが、昨今ではおかしなことになっている。
しかし、腐女子にとって、その壁は今や無いも同然の振る舞いが目立つ。
何のかんの理由をつけ、誤魔化しているが、
男性同士が執拗にベタつく姿を描くことにより、
というような自己肯定感に浸りたいのが本心であると思われても仕方ないのである。
アンチスレでは彼女らを「腐マンコ」と敬称する事が多い。
悲しい男の吹き溜まりでもあるのだ。
また、世間の誤った認知により、腐向けとゲイ向けは同様のものだと近距離を強いられてきた。
残念ながら、
両者は生理的に嫌悪しあうため、根本を理解しあうことはまず無いと断言できる。
あまりに危険すぎる距離感が、互いの傷をえぐりあい傷つけあう。
ゲイがある面では「性被害者」であるということを、少しだけ理解して頂けたら嬉しい。
そんなゲイにとって、
このような絶対的不等号がゲイの潜在意識には存在するため、今後もゲイと腐女子の冷戦は改善されないと予測する。
「俺はノンケじゃないけど、女よりは格上の人間だ」
この都合的な思想が覆されることはないし、
そして女に対する憎しみとは、切っては切れないのがゲイゆえの由縁かもしれない…。
を交えた三つ巴合戦は、各々にこのような心の不等号がある限り、永遠に火種を消すことはできないだろう……。
ゲイにとってストレートの男は性の対象ということもあるせいか。
腐女子叩きに比べ、萌え豚叩きがわりと少ないのもゲイの特徴である。 )
まとめブログなどでよく見かける、淫夢語や、有名なゲイ作家の作品の一部など。
それらを遊び半分におもちゃに使う人間には、異性愛者のセーフティがあるからこそ、
はじめて「優越感」が持てるのだ。
2ちゃん民にとっての不等号とは。
リア充(敵だが怖い)>>>>>>>>2ちゃん民(異性愛者だかキモオタ)>>>>バイセクシャル(敵)>>>>>
女(ただのマンコ)>>>>>>>>>>>>>
ゲイ(異端者)
このような精神構造ではないかと感じる。
少なくとも2ちゃんねる民ほど数に迎合する特性があり、少数派を毛嫌いする傾向にある。
現実では得られない優越感がほしい。
ただそれだけだ。
「異性愛者」であるという唯一のアイデンティティーを振りかざし、
少数派を馬鹿にすることで、よりコミュニティの結束を深めたのが 現在のなんj、VIP辺りだろう 。
彼ら2ちゃん民。
お相手である女に、生涯を通じて拒絶されること、じつは彼らは痛いほどに知っているのだ。
だから「二次元で女を犯す 」という観念が支配するのだ。
エロ広告絵師などの生産する、「キモオタが時間をとめる強姦」「昏睡中に強姦」など。
他にも様々な幼稚な設定はここから生まれたに違いない。
運営よ、金が欲しいのは分かった。
だが何の興味もないユーザーに提示し続けることにより、利益は上がるだろうか?
売り出す業者、運営の社員は、
……それを、ほんとうに読みたいのか?
それが成人向けのサイトのみの広告ならばまだ許せる。
ここ数年の尋常でない広告の数に倫理的なおかしさを感じるのだ。
いったい金儲けのためだけだろうか?
もはや利益も苦情もそっちのけ。
あるのは価値観の強要のみ。
「わたしは性同一性障害で、心は男なの。でも男が好きだから、わたしはゲイに決まってる」
などと言う腐女子もたまに見かける。
では彼女らに、
という二重マイノリティを背負い、生きる覚悟はあるのだろうか?
音信不通の友人の中には、
「日本は変態の国だから、大抵のエロは許される」
という冗談を放つ腐女子もいた。
くれぐれも勘違いすべきでない。
この国が性に寛容でないことを。
「性差別」をより深いものにしていると強く思う。
異なる性癖をもった人間の固定観念が及ぼす、見えない差別が。
いかに少数派の尊厳を侵害するか。
かといって、マイノリティ側を完全に擁護するつもりはない。
多数派であれ少数派であれ、何に属そうが関係ない。
性癖の異なる人間同士の衝突は、一見個性を認めないゆえの足掻きともとれる。
だが今までの派閥争いは、前向きに見れば、ある意味では
他の個性、多様性を認めあっていたのではないだろうか……。
しかし、そんな内戦時代も変わった。
水面下の殴り合いさえ休戦し、本当の無個性が紙面が飾る。
「異性愛」の名の元に、ただ生産される無機質なエロに、筆者としては、真の氷河期が訪れたと思う。
例えば、
これらを嗜好とする人間に、
答えはNOだ。
小規模どころか大多数の生産者、消費者によるひとつの「都市」として運営されているからだ。
真のニッチ産業とは、
すでに死んだ町を指差すのである。
巨大な異性愛という迎合主義の傘下にくだるのであれば、
このような一見特殊だと思わせるような性癖であるからといって、
名乗るのはいささかなものか。
彼らにニッチもクソもないと私は考える。
そんな迎合した彼らのみが、我が物顔でコミュニティを、業界を、支配したつもりで繁栄するのだ。
つまり性の迎合化とは、究極の無個性化を望んだ破滅の道ではなかろうか。
主観に偏るが、流行には逆らわず、あのジャンプも今や腐女子や萌え豚という存在に迎合し、
軟派なハンコ絵が軒を並べる時代だ。
商業、同人界では。
自分とは性の対象が違う人間は異端者と決めつけ、とことん粘着してきた。
これはこの業界のみならず、すべての差別的行動にも一貫する。
大の大人同士が、まるで幼児のように傷つけあい、醜さを撒き散らす様は、まさに滑稽といえよう。
その小さな戦争は、ついに終戦を迎えるのだ。
ニッチな性癖だろうが、何だろうか、
自らの畑を捨て、
巨大な市場に迎合し媚を売るようなイナゴ達に、御旗のもとで戦う資格などないからだ。
世間に没檻する迎合主義とは何か。
筆者の考える迎合主義とは、
ある日突然。ニッチと呼ばれる大陸を発見し、植民地化したイギリス開拓民のようなものだ。
黎明期からそこにいた層でさえ、
アメリカ大陸を侵略されたインディアンのごとく、淘汰され出来上がったのが、
常に疑問に思ってきた。
はたして、時世に奪われたニッチを取り戻さず、
このままでいいのか?
もう一度、過去の認知を取り戻すべきではなかろうか?
そして一般大衆に迎合し、金儲けするための道具ではない。
ましてや、通ぶった素人と優越感を共にするためのファッションでもない。
ニッチとは本来、薄暗い底で性欲をたぎらせた人間のみが、性の捌け口として、
どうか思い出してほしい。
決して現在の迎合しきった風潮とは真逆の砦であったはずだ。
ただ消費者の購買欲を煽るため、強姦や暴力などの「派手」さを重視したものばかりが集う。
そんな金儲けのおもちゃに興奮するか?
最後の一人になろうと、
私はしない。
せめて性を売り物にするならば。
「愛をもって犯せ」
それが私の信念だ。
( 話が逸れるが、
意味不明な展開がアートだと信じるのだろうが、その脳みそは永遠に理解できない。
やはり凡人の筆者には理解しえないのだと最近納得した。 )
性欲とは着飾るものではない。
特殊性癖を誇りに思うべからず!
一般人とは違う自分(笑)に酔いしれるな……!
独りよがりなオナニー漫画は、いつか廃れることに気づいて欲しい。
最初から最後まで偉そうだということは、重々承知しているが。
汚い欲望を、お互い黙って認めあうことが我々にできる最善策であると私は思う。
猥褻なコンテンツを断絶しろとは言わない。
むしろアダルト業界により、社会の性犯罪の被害を軽減することになるのならば、
充分に存在意義があると言えよう。
ことさらに性欲ばかりが肥大化してしまったようで、あまりに残念だ……。
「食う、寝る、セックス」だけならば、いっそ人間をやめた方いいのではないか?
高尚ぶる必要も決してないが、下半身に乗っ取られずたまには生きてみよう。
人は性の奴隷ではないのだから。
(なにも画面上の結合したムカデ人間を見ずとも、
最後に、
ずば抜けた狂人をご紹介しよう。
彼らは求めずとも糞を提供してくれる、世話焼きサイコパス。
そう、
「飯を食う他人の前でクソするような輩」
とは。
「エロ広告」だ。
いわゆる「飯」を食いたいのであり、
「クソする輩」は見たくないのだ。
万が一、業者のひりだすクソを求めるのであれば、おのずと探しにいくだろう。
「たまにはクソ食いてえなぁ~ 」
そんな客のニーズに応えるのが業者。
「でしたら、こちらの糞アマはいかがでしょうか(ニコッ)」
「ひぇ~なんちゅう下痢便!ブリブリ 」
初めて「需要と供給」が満たされ、
お互いの利害が一致するのである。
性被害とは、なにも現実での性暴力だけではない。
私はネット上に起こりうる
「心の性被害」 も無くすべきだと考えている。
最後に、この記事を読んだ方にも「性の押し付け」とは何か、ぜひ考えて頂きたい。
マイノリティ側として、一方的に推し進めてしまい申し訳ないが、お許し願う所存だ。
意見や批判なども遠慮なくご送信いただけると幸いである。
補足も大歓迎だ。
以上。
GWに突入した。
でも筆者は金がない。
旅行は諦めた。
外出も労力を使うし。じゃあネットサーフィングでいいや
堕落した人間と思うかもしれないが、低所得者などこんなもんである。
しかし、快適なネサフ生活に、ついに終止符が打たれた。
「昔はこんなの無かったのに」
その一つに。
「エロ広告」
時にグロテスクなav女優や男優の気持ち悪い性交姿が表示されたり、
下手クソな画力で描かれた金太郎飴のような漫画の数々。
アダルトビデオのグロ広告を除き、
これらの漫画には作者を自己投影したグロテスクな男女が登場する。
彼らが恍惚と性行為に励む姿には、もはや呆れを通り越して圧巻だ。
例に挙げれば、女性に対する強姦。殺人。
暴力などの理不尽な行為ばかりが、
頼んでもいないのに眼前に表示され、嫌でも目につくのである。
だが、驚くことに、広告バナーの女性達は、いかに人権を侵害され、
性暴力を受けようが、満更でもない様子に描写されている。
「伯父さんのモノで感じちゃう」
吐き気を催すこの煽りには、悪意すら感じるが。
現実の女に対する憎しみが強いと思われる。
などという稚拙な設定が思い付くのだろう。
いずれにしろ、歪んだ男尊女卑的なものが見え隠れしているのが気持ち悪い。)
中でも最も気持ち悪いのが、三次元のアダルトビデオ女優の姿が、画面のど真ん中に表示される瞬間。
健全なサイトを閲覧しているのに、おもわず罪悪感すら感じてしまう……。
そんな喉元にまでゲロが込み上げる素敵なラインナップに、阿鼻叫喚の嵐だ。
商業誌やネットのみならず、児童ポルノをはじめとする性への規制が厳しいこのご時世。
しかし、大人の事情が絡むゆえか、一向に改善される余地はない、エロ広告。
まるで中学生の妄想を愚見化したような「便所の落書き」に、果たして何の意義があるのだろうか?
筆者の知識が乏しく申し訳ないが、自分なりに考察してみたので、ここにまとめさせて頂きたい。
まず、サイト運営には、サーバー代を安く浮かすため、広告業者と契約する必要があるのも事実だ。
そのため気が狂ったように消費者の目を引こうと設置されているが、時にはスクロールしても広告が追ってくる!
……まさにホラーだ。
一時期はあまりに不愉快極まりないため、広告非表示のフィルターをダウンロードしてみたのだが、……愕然!
これではまともにネットが見れない……。
その原因も改善されなかったため、いまは諦め、我慢しながら使用しているのだが……。
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一般の商業誌やらアニメであれ、いま流行りのソーシャルゲームも然り。
性に直結しなければ売れない、悲しい時代であるのは確かではある。
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中にはプレミアム会員と言われる課金ユーザーが一定数いるため、
運営はその資金により成り立っているのだが。
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それは、「広告の非表示設定」だ。
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どうにも頂けない。
無料でサーバーを間借りしているとはいえ、何故このようなグロテスクな広告を見せられねばいけぬのか。
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小動物を扱った内容であれ、
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まとめ同士がお互いにアフィリエイトで稼ぐ始末だ……。
悪質なのは、業者が「男性器肥大化サプリ」 「出会い系」を推奨するため、
2ちゃんねるを装ったステルスマーケティング。
勿論、このページにコメント欄など存在しない。
これも堂々とリンク内に混じっており唖然する。
逆に唯一の利点と言えば、まとめブログにより、
沢山のスレッドが多数の眼に入る機会が増えたことだろう。
しかしどれも前後や後尾に不可解なものがある。
「俺氏が○○した結果ww」
「ンゴwwワイ将○○するやで~」
「キチママを退治した」
挙げれば切りがないが、大体このようなものに絞られてくる。
「なんj」「VIP 」「鬼女速」というテンプレに包まれたものばかりで、
もはや三行で終わるスレをまとめることに対し、何の意味があるのだろうかと閲覧する度に考えさせられる。
「はぇ~TDN に草生えるワイ将、打率四割ンゴ (白目) ゴメスくん!だいじっこするニキーwww」
……これを人目見て、理解できるだろうか?
彼らは専門用語を多用することにより、自分達がグループであるという和に快感を得るのだ。
「感動した、名作」
このような流れが日常茶飯事であり、
彼らにとっては一体感を高めることにこそ真の意義があるのだろう。
「キチママ殺しトメ腹パン!エネオはウトメとプリンし、私子流産! 」
統合失調病患者の方がよほど美文を書きそうだが、
ネット民もまた歪んだ病におかされているので、気づきそうにない。
きっと現実の孤独感が、2ちゃんねるを安住の地だと返還してしまったのだ。
せめてチラシの裏の駄文ならば、どうかそっとしてあげて欲しい。
そんなものを間違えてクリックして、検索履歴に残ったらと思うと……ゾッとするからだ。
加えてエロ広告が過度に表示された日には、吐き気で目をそらしてしまう…。
誤った性に対する知識を得たとしたら、
これら製作陣はどう責任を取り、対処するのか。
「ウリイイィィィ~!俺らの広告は世界一イイイイイイイイイッッ 」
と言わんばかりに、グロテスクな有害物を主張し続ける。
「選ばされる」ことを望まない人間は、一定数いることを忘れないで頂きたい。
「性癖の押し付け」で嫌悪する人間がいること。
制作者側には、一度でも実感してほしいと切に願う。
両者とも、「選ぶ」 行為に対し、今まで以上に考えるべきであると思い立ったのが、 今回の記事に至る経緯である。
無論、広告だけではない。
これらは人気なジャンルらしいが、個人的には大嫌いなジャンルだ。
また、
ストレート、ゲイ、レズ、ネクロフィリア、ペドフィリア、ズーフィリア…。など。
上記以外にも、星の数ほど性癖はある。
先に断っておくが、
このような多種多様な性癖を否定するわけではない。
アンチスレに溜まる住民も五万といるが、なにも自分と違う性癖が嫌いならば、
関わらなければいいだけの話である。
なぜそれが出来ないのだろうか?
わかりやすい例として、
最近流行りのBl を支持する腐女子は大多数いる。
一方で、ゲイと腐女子 には、深い隔たりがあることはご存じだろうか。
そのため商業誌でも厳しく区分化されているのだが、昨今ではおかしなことになっている。
しかし、腐女子にとって、その壁は今や無いも同然の振る舞いが目立つ。
何のかんの理由をつけ、誤魔化しているが、
男性同士が執拗にベタつく姿を描くことにより、
というような自己肯定感に浸りたいのが本心であると思われても仕方ないのである。
アンチスレでは彼女らを「腐マンコ」と敬称する事が多い。
悲しい男の吹き溜まりでもあるのだ。
また、世間の誤った認知により、腐向けとゲイ向けは同様のものだと近距離を強いられてきた。
残念ながら、
両者は生理的に嫌悪しあうため、根本を理解しあうことはまず無いと断言できる。
あまりに危険すぎる距離感が、互いの傷をえぐりあい傷つけあう。
ゲイがある面では「性被害者」であるということを、少しだけ理解して頂けたら嬉しい。
そんなゲイにとって、
このような絶対的不等号がゲイの潜在意識には存在するため、今後もゲイと腐女子の冷戦は改善されないと予測する。
「俺はノンケじゃないけど、女よりは格上の人間だ」
この都合的な思想が覆されることはないし、
そして女に対する憎しみとは、切っては切れないのがゲイゆえの由縁かもしれない…。
を交えた三つ巴合戦は、各々にこのような心の不等号がある限り、永遠に火種を消すことはできないだろう……。
という勝手な考察で申し訳ないが、
ゲイにとってストレートの男は性の対象ということもあるせいか。
腐女子叩きに比べ、萌え豚叩きがわりと少ないのもゲイの特徴である。 )
まとめブログなどでよく見かける、淫夢語や、有名なゲイ作家の作品の一部など。
それらを遊び半分におもちゃに使う人間には、異性愛者のセーフティがあるからこそ、
はじめて「優越感」が持てるのだ。
2ちゃん民にとっての不等号とは。
リア充(敵だが怖い)>>>>>>>>2ちゃん民(異性愛者だかキモオタ)>>>>バイセクシャル(敵)>>>>>
女(ただのマンコ)>>>>>>>>>>>>>
このような精神構造ではないかと感じる。
少なくとも2ちゃんねる民ほど数に迎合する特性があり、少数派を毛嫌いする傾向にある。
現実では得られない優越感がほしい。
ただそれだけだ。
「異性愛者」であるという唯一のアイデンティティーを振りかざし、
少数派を馬鹿にすることで、よりコミュニティの結束を深めたのが 現在のなんj、VIP辺りだろう 。
彼ら2ちゃん民。
お相手である女に、生涯を通じて拒絶されること、じつは彼らは痛いほどに知っているのだ。
だから「二次元で女を犯す 」という観念が支配するのだ。
エロ広告絵師などの生産する、「キモオタが時間をとめる強姦」「昏睡中に強姦」など。
他にも様々な幼稚な設定はここから生まれたに違いない。
運営よ、金が欲しいのは分かった。
だが何の興味もないユーザーに提示し続けることにより、利益は上がるだろうか?
売り出す業者、運営の社員は、
……それを、ほんとうに読みたいのか?
それが成人向けのサイトのみの広告ならばまだ許せる。
ここ数年の尋常でない広告の数に倫理的なおかしさを感じるのだ。
いったい金儲けのためだけだろうか?
もはや利益も苦情もそっちのけ。
あるのは価値観の強要のみ。
「わたしは性同一性障害で、心は男なの。でも男が好きだから、わたしはゲイに決まってる」
などと言う腐女子もたまに見かける。
では彼女らに、
という二重マイノリティを背負い、生きる覚悟はあるのだろうか?
音信不通の友人の中には、
「日本は変態の国だから、大抵のエロは許される」
くれぐれも勘違いすべきでない。
この国が性に寛容でないことを。
「性差別」をより深いものにしていると強く思う。
異なる性癖をもった人間の固定観念が及ぼす、見えない差別が。
いかに少数派の尊厳を侵害するか。
かといって、マイノリティ側を完全に擁護するつもりはない。
多数派であれ少数派であれ、何に属そうが関係ない。
性癖の異なる人間同士の衝突は、一見個性を認めないゆえの足掻きともとれる。
だが今までの派閥争いは、前向きに見れば、ある意味では
他の個性、多様性を認めあっていたのではないだろうか……。
しかし、そんな内戦時代も変わった。
水面下の殴り合いさえ休戦し、本当の無個性が紙面が飾る。
「異性愛」の名の元に、ただ生産される無機質なエロに、筆者としては、真の氷河期が訪れたと思う。
例えば、
これらを嗜好とする人間に、
答えはNOだ。
小規模どころか大多数の生産者、消費者によるひとつの「都市」として運営されているからだ。
真のニッチ産業とは、
すでに死んだ町を指差すのである。
このような一見特殊だと思わせるような性癖であるからといって、
名乗るのはいささかなものか。
彼らにニッチもクソもないと私は考える。
そんな迎合した彼らのみが、我が物顔でコミュニティを、業界を、支配したつもりで繁栄するのだ。
つまり性の迎合化とは、究極の無個性化を望んだ破滅の道ではなかろうか。
主観に偏るが、流行には逆らわず、あのジャンプも今や腐女子や萌え豚という存在に迎合し、
軟派なハンコ絵が軒を並べる時代だ。
商業、同人界では。
自分とは性の対象が違う人間は異端者と決めつけ、とことん粘着してきた。
これはこの業界のみならず、すべての差別的行動にも一貫する。
大の大人同士が、まるで幼児のように傷つけあい、醜さを撒き散らす様は、まさに滑稽といえよう。
その小さな戦争は、ついに終戦を迎えるのだ。
ニッチな性癖だろうが、何だろうか、
自らの畑を捨て、
巨大な市場に迎合し媚を売るようなイナゴ達に、御旗のもとで戦う資格などないからだ。
世間に没檻する迎合主義とは何か。
筆者の考える迎合主義とは、
ある日突然。ニッチと呼ばれる大陸を発見し、植民地化したイギリス開拓民のようなものだ。
黎明期からそこにいた層でさえ、
アメリカ大陸を侵略されたインディアンのごとく、淘汰され出来上がったのが、
この世に正当化された性など、ほんとうに存在するのだろうか。
常に疑問に思ってきた。
はたして、時世に奪われたニッチを取り戻さず、
このままでいいのか?
もう一度、過去の認知を取り戻すべきではなかろうか?
ニッチとは、少数派であり、ほぼ永久的に認められない存在。
ましてや、通ぶった素人と優越感を共にするためのファッションでもない。
ニッチとは本来、薄暗い底で性欲をたぎらせた人間のみが、性の捌け口として、
どうか思い出してほしい。
ただ消費者の購買欲を煽るため、強姦や暴力などの「派手」さを重視したものばかりが集う。
そんな金儲けのおもちゃに興奮するか?
最後の一人になろうと、
私はしない。
せめて性を売り物にするならば。
「愛をもって犯せ」
それが私の信念だ。
( 話が逸れるが、
意味不明な展開がアートだと信じるのだろうが、その脳みそは永遠に理解できない。
しかし、同人界でも玄人だと叫ぶ彼らの世界観だ。
やはり凡人の筆者には理解しえないのだと最近納得した。 )
性欲とは着飾るものではない。
特殊性癖を誇りに思うべからず!
一般人とは違う自分(笑)に酔いしれるな……!
独りよがりなオナニー漫画は、いつか廃れることに気づいて欲しい。
最初から最後まで偉そうだということは、重々承知しているが。
汚い欲望を、お互い黙って認めあうことが我々にできる最善策であると私は思う。
むしろアダルト業界により、社会の性犯罪の被害を軽減することになるのならば、
充分に存在意義があると言えよう。
しかし現代のネット社会に生きる我々は、三大欲求の中でも、
ことさらに性欲ばかりが肥大化してしまったようで、あまりに残念だ……。
「食う、寝る、セックス」だけならば、いっそ人間をやめた方いいのではないか?
高尚ぶる必要も決してないが、下半身に乗っ取られずたまには生きてみよう。
人は性の奴隷ではないのだから。
(なにも画面上の結合したムカデ人間を見ずとも、
最後に、
ずば抜けた狂人をご紹介しよう。
彼らは求めずとも糞を提供してくれる、世話焼きサイコパス。
そう、
「飯を食う他人の前でクソするような輩」
とは。
「エロ広告」だ。
いわゆる「飯」を食いたいのであり、
「クソする輩」は見たくないのだ。
万が一、業者のひりだすクソを求めるのであれば、おのずと探しにいくだろう。
「たまにはクソ食いてえなぁ~ 」
そんな客のニーズに応えるのが業者。
「でしたら、こちらの糞アマはいかがでしょうか(ニコッ)」
「ひぇ~なんちゅう下痢便!ブリブリ 」
初めて「需要と供給」が満たされ、
お互いの利害が一致するのである。
性被害とは、なにも現実での性暴力だけではない。
私はネット上に起こりうる
「心の性被害」 も無くすべきだと考えている。
最後に、この記事を読んだ方にも「性の押し付け」とは何か、ぜひ考えて頂きたい。
マイノリティ側として、一方的に推し進めてしまい申し訳ないが、お許し願う所存だ。
意見や批判なども遠慮なくご送信いただけると幸いである。
補足も大歓迎だ。
以上。
ここ最近のラブライブの炎上が凄まじい。以前からラブライブというコンテンツのファン層は悪く定期的に迷惑行為や炎上が目撃されることで知られていた。
特にライブやイベント、何か限定的な関連商品が発売される際には必ずと言っていいほどの迷惑行為が起こり、ネット上を賑わせる。
ゴールデンウィーク期間中は連休で催し物も多かったせいか特に炎上が集中し、多くの人々の注目を集めた。
TVやゴシップ誌に立て続けに特集を組まれたことも響いた。これによりラブライバーと他の層で意見が対立、ゲハブログの煽情的な記事も手伝ってラブライバーの印象は加速度的に下がり、今もなおネット上には不穏な空気が漂っている。
タイミングの悪いことに、GWが明けて週末には神田明神での祭りがあった。言うまでもなくラブライブの聖地の一つである、多くのラブライバーが足を運ぶことは想像に難くない。
平穏無事に祭りが終わるとは最早誰も信じてなかっただろう。大方の予想通り祭りに居たのは多くの武装したジャラジャライバーであった。武装の程度の差はあれど、これが少しどころじゃなく結構居るから驚きだ、さぞ一般客の皆様は驚いただろう。
中でも一番大きな出来事は万引きである。ラブライブグッズを万引きした男がアキバカルチャー前で捕まっている、ググればすぐにわかるがこれは紛れもない事実である。
話を戻そう、ちょっと最近のラブライブは異常ではないだろうか?あまりにも炎上が多すぎて辟易する。これで偏見を持つなという方が無理な話だ。
先述したゴシップ誌には「犯罪者集団」「社会不適合者」の烙印を押されたばかり、それをファン自らの行動で示していては否定しようにも説得力がない。
こういう炎上の際に決まって口にされる擁護のキーワードは“一部”という言葉である。この言葉を使うことにより、マナーの悪いファンはあくまでノイジーマイノリティーであり、全体的に見れば良い人の方が多いという理論に逃げることが出来る。
或いは“ファンの母数が多い”というワードも使われがちだ。母数が多ければマナーの悪い人もその分多くなるので民度が低く見えるのは仕方ないとラブライバーはしばしば強調する。
考えてみればラブライバーのマナーの悪さが露見してからもうかれこれ2年ほどは経つだろうか、彼らはいつも決まってこの論法に逃げている印象を受ける。
ラブライブへの偏見が強まる度にラブライバーは責任転嫁と自己正当化に逃げ、ここまでやってきた。
スケープゴートに利用するのはいつも決まってアイマスだ、ラブライバーにとって都合の悪いことを全てアイマスファンのせいにしていることが、アイマスファンがラブライブを嫌う大きな理由の一つでもある。
華やかな部分にばかり目を向け、都合の悪い真実から目を背け続ける。臭いものに蓋をする日本社会の縮図を見るようにラブライバーにもそれが当てはまる。
ラブライブの話題はとにかくブログアクセスやツイッターのリツイートが伸びやすい。その特性を利用して少しでも粗が見つかると晒され馬鹿にされるのが今のラブライブだ。
ファンの反応もそれを助長する。ラブライバーは少しでも煽ると顔を真っ赤にして発狂するという悪い癖がある。
それはファンの年齢層が低いことに起因するので改善はなかなか難しい。この発狂がネット住民の目にはいいおもちゃに映るのだ。
不憫なことに、これによりラブライブは通常のジャンルに比べて理不尽な中傷に耐えることを余儀なくされている。
謂れのない中傷に正当性のある反論をしても、それだけで「こんな必死に反論している、やっぱりラブライバーはクソだな」と思われ、害悪コンテンツを擁護する異常者のレッテルを貼られてしまうのだ。
しかしながらそれはラブライバーが理不尽な暴れ方をして関係のないところにまで迷惑をかけてきたツケでもある。
ラブライバーは“一部”という言葉に逃げて自分には関係ないと見て見ぬふりをせず、今一度全員で過去の罪を共有し、清算すべきだろう。
もはやラブライブへの偏見は取り返しの付かないところまで来ている、ここから個人の意識改革でマナーを改善し、好印象に転じることはほぼほぼ不可能と言っていい。
あるとすれば、それはすなわちラブライブというコンテンツが世間から飽きられ見向きもされなくなった時である。
実際、ラブライバーの厄介さに嫌気を指しラブライブへの熱が冷めてしまった者、或いはラブライブというコンテンツは好きだがラブライバーは嫌いという者もかなり多いのではないだろうか。
事実上“ラブライバー”という言葉は蔑称のイメージが強くなり、ファンは名乗りたくても名乗れないでいる現状がある。
劇場版やサンシャインを控え、コンテンツはまだ続いていく。それに伴いファンのイメージは現在進行形で悪くなっている。
ネット民のおもちゃにされ続けるのか、犯罪者集団という認識は真実なのか。その是非を問うためにも、今後ともラブライバーから目が離せない。
逆にアニメを潰せと躍起になるけど
だからと言って感情論で強引にアニメを潰そうとするのが分からん
一方で東京アニメフェアやクールジャパンでは一貫してアニメを世界に発信しようとする。
アニメーターは年々給料の低さと多忙で忙殺されて挙句自殺したり過労死したりが増加してるというのに
アニメを発信するけど、アニメーターは救済しないブラック企業みたいなやり口が今の政治だからなのか、
評論家もアニメが日本を救う、犯罪の抑止力になっている事を言わない。
なんとなく事なかれ主義なのかもしれない。
平成27年3月19日午後10時過ぎ頃、宮崎県延岡市内の城山の石碑付近から音声拡声器により一般市民に対して怒鳴り散らしていた者が、市民からの110番通報を受けた延岡署の警察官から人定質問等の職務質問や自宅帰還の際執拗なつきまといを受け、精神的損害を被ったとして、国に対し、国家賠償請求を求めていた裁判で、今月3日、宮崎地裁延岡支部の塚原聡裁判長は「原告が音声拡声器を用いて一般市民に対して怒鳴り散らしていた目的は、近年国家行政が機能していないため、親による虐待誘致的違法命名の放置、親による子供の虐待、インターネット上における子供の騒擾、誹謗中傷等、社会に違法行為が蔓延しており、警察署も機能していないため、これを見るにかねて一般市民として警察に代位してかかる違法状態を払いのける為になされたものと認められ、一般市民の行為としてその目的が正当であり、手段態様としても、このような違法状態が蔓延しているという事情の下に、たとえ午後10時過ぎという夜間であるにせよ、周辺に行政司法機関の集中する同市内城山の石碑付近から、主として行政司法機関及び違法行為を助長していると目される同市船倉町方面にたむろしている一般市民に対し、その主張が十分に伝わるように音声拡声器を用いて、単に行政司法機関が機能すべきこと、一般市民に対して違法行為を止め、誠実に生活すべきことを呼びかけていたというものであることに鑑みると、まことに止むを得ないものであり、社会通念上相当な行為であったというべく、110番を受けたにせよ、これを漫然違法行為と目して職務質問、原告帰還の際に原告に執拗につきまとったことについては、警察官の職務として許された範囲を逸脱したものであったと言わざるを得ず、当該警察官の行為は国家賠償法上違法であり、原告が当該行為の目的を警察官に説明したにも関わらず、これを肯定せず原告を石碑に囲い込んで監禁し、執拗に職務質問を継続し、自宅帰還の際にも送り届けると称して執拗につきまとったといった事情に鑑みると、その違法性も高い」と指摘した上、原告に対し、国家賠償として10万円を支払うよう、被告国に命じた。
しかし、それはセクハラとか女性差別という文脈においてではない。
仮に、「寝てそれ?}と、男性が男性に言ったとしてもむかつくし、女性が女性に言ってもむかつく。
しかも、あのCMの場合には上司と部下という設定にも見えたので、私の嫌悪感は、むしろパワハラに関するものだとも言える。
つまり、セクシャル以前のハラスメントの問題があの動画にはあったのだ。
あの動画を単に「セクハラ」に終わらせたのは、むしろ声を挙げた人たちではなかったか、
と言うこともできるのではないだろうか。
当然ながら、あの動画にはムカつかせる意図があったのは、十分によくわかるし、
シリーズものであることを前提に公開しているのであれば、その先にその不快感を裏切る
なにかがあることも期待できる。
(当然、そもそもあんな議論呼ぶ動画つくるのが悪いんだよ、という反論を受けることは想像できるが、
それは歌詞の出だしだけで歌を全部否定するようなものだろう。ルミネとしては、女性をターゲット
にしている以上、ただ黙って引っ込めて謝りつづけるしかないのであろうが。)
もちろん、実際問題として、女性がああいう状況に置かれやすい、ということはあるであろう。
もし、他のマイノリティ(たとえば黒人差別とか、発達障害の子供を想像するとよい)があのような
あのような状況にあう動画を挙げたとすると、それはそういう差別を助長しているというよりは、
問題提起をしていると、多くの場合見なされるのではないだろうか。
あの動画を「セクハラ」として引っ込めさせるような現時点の日本の状況に、潜在的なミサンドリーの
http://sirabee.com/2015/02/18/18706/
読んだ。驚異的な糞記事だった。
こんなものにとりあうのは労力の無駄だとかそういう意見もありうるだろうが、あまりにひどすぎる。いったい何重のバイアスがかかってるのかわからないくらいだ。
まず、選択肢がこれであることによって「アホらし」と思う層はまったく答えないっていうバイアスがかかってる。しかしアンケートであるからには「幅広く募った」という前提はいちおう通用するので、これが男性の一般的な傾向だと思わせることができる。
さらに選択肢自体である。これがおかしいのはいうまでもない。つまり筆者にとっては女性の重要な機能はセックスと料理であるということになる。
最後にこの記事を書いたのが女性であるということだ。女性の側からもこういう見方は肯定されうる、という可能性をにおわすことができる。もちろん実際は一個人の意見だったとしても、そこになんらかの許しがあるように感じる人間は決してゼロではない。
強面のフェミニストががっちりと理論武装して書くようなものなら、読む人にもそれなりの心構えができている。反論もツッコミもありえよう。しかしこの記事の場合、アンケートという手法といい、旦那様を喜ばせるといういっけん特に問題がないと思われるような記述といい「ふつう」を装って、強度に思考を一定の方向に強いるような構成になっている。無批判に読めば「そういうものなのかな」と思わせるようにできている(実際に騙される人が多数派ということを言っているのではない)。
俺自身は男女平等というのは不自然なことだと思っている。なぜなら出産というかなり負担の大きいことができるのは女性だけだからだ。そして肉体も、一般的には男性のほうが力が強く、体格もいい。なので、男女平等というのは「なるほど、現実はそのようであるか、ならばどうしていくか」とひたすら考えつづけ、疑いつづけていくことだと思う。
そうした不自然な「平等」になんらかの賛意を示した人間にとって、いちばんの敵は、一般論や本能、肉体なんかを無根拠に参照して「ね、こういうふうにできてるでしょう?」と言い出すたぐいの人間だ。そこに作為がなければないほど、知性が感じられなければ感じられないほど、その言葉は自然に響く。
その意味でこの記事は最悪なものの一例だと思う。内容の巧拙、説得力の有無などが問題なのではない。こうしたものこそが性差別を助長するにあたって、非常に有効な手段だということだ。
逆にいえば、女性の機能をこうしたものだけに限定したい人間はこの手法を参考にするとよい。由来、すべての人間は平等ではない。「だから」前提条件として平等であるべきなのだし、しょせんそれがべき論である以上は、人はずっと考えつづけるしかない。「べき」であるということは、永遠に理想には到達しないということだ。
元記事はこちら。
http://www.bbc.com/news/magazine-30698640
【追記】こちらの訳よりずっと上手い訳が出てたので、そちらのリンクを張っておきます。
http://knagayama.net/blog/2015/01/08/bbc-why-hasnt-japan-banned-child-porn-comics/
【追記終わり】
BBC「何故日本では“児童(チャイルド)ポルノ”漫画を禁止しないのか?」 - Togetterまとめ
(数字)注釈付きの文はよく分からず無理に訳してるので誰か直してくれると嬉しい。
MangaやAnimeとして知られる日本の漫画やアニメは巨大な文化的産業であり世界的にも有名だ。でもその幾つかはショッキングで子供の露骨な性描写を特色としている。何故日本はこうしたものを禁止するのに反対することを決定したのか?
日曜の午後、東京、サンシャインクリエイションは活況だった。何千もの漫画ファン、その多くは男性、は展示センターに群がっていた。部屋の中を歩き回りながらテーブルの上に売り物として並べられたコミックマガジンを熱心に読みふけっていた。エルフ顔でメス鹿のような目のアニメヒロインのポスターの多くは肌もあらわであり得ない程均整が取れて海綿を色とりどりに変えている。(1)
「このエリアは主に性的な創作を扱っています。」とイベント主催者の一人Hideは説明する。
我々は二人のトップレスの少女がカバーに描かれたあるテーブルで足を止めた。私の目には彼女らは13,4歳か9,11歳に見える。ストーリーは彼女らが際どい性行為に及ぶ様を描いている。
他のいくつかの売店は似たような物を売っている。これらはUK、オーストラリア、やカナダでは間違いなく論争を呼び、おそらく違法になるだろう。しかしここでは大した問題ではない。
「児童虐待が良くないことだというのはみんな知っていますよ。」Hideは言う。「でもそういった感情を持つのは自由です。何らかの子供との性的な場面を想像し楽しむことは禁止されていません。」
彼の正直さに私は面食らった。そして彼は「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という言葉を私に紹介した。若い少女が性的に露骨な行為に及ぶ様を描いた漫画を意味する。それは近親相姦やレイプ、その他のタブーを含むこともある。Hideの嗜好は高校ロマンスにあるというが。
「私は若い少女の性的な創作が好きなんです。ロリコンは私の数ある趣味の中の1つに過ぎません。」彼は言う。
私は彼にあなたの妻が近くに立ってあなたの「趣味」をどう考えるか尋ねた。
「多分何も問題ないと考えると思います。」彼は返した。「だって彼女は若い少年が性的な行為を成すことが好きですから。」
こうしたものは日本の巨大なマンガ産業 - 年間約36億ドルの売上げ - の極一部である。しかしそれは多くの注目と論争を引きつける。
2014年の7月、衆議院は児童の性的虐待のリアルな映像を所持することを禁じることを可決した。これらの映像の制作と配布1999年から違法であった。しかし日本はOECD中で所持を違法化した最後の国だった。
その頃、漫画、アニメ、ゲームの18歳以下に見えるキャラクターの「ヴァーチャルな」性的映像を違法化する呼びかけもあった。しかし討論を重ねた後、衆議院はこれに反対することを決めた。この決定は児童保護の運動家やNGO、特に日本の外から非難を浴びた。
より理解を深める手がかりとして事実を示すと、Hideは私たちが会ってからたった数分で彼の「趣味」について楽しそうに討議しはじめた。とても幼い子供を含む漫画がある種の社会的烙印を取り付けられているように見えるけども、青春期の若者を含む性的なモノは確かに興味をそそるメインストリームだ。(2)
日本の国会議員は多数 - 潜在的に数百万 - の漫画ファンを犯罪者にすることを明らかに嫌がっている。
Hideの様なファンは主張する。我々は無害なファンタジーを楽しんでいるだけである。いかなる子供のモデルも役者も含まれていない。彼は言う。だから「性的テーマの漫画を創作することは児童虐待ではない。」
東京秋葉原は漫画界の精神的なホームである。ネオンサインとけたたましいポップミュージックが目と耳を圧倒する。高層の書店が街中に並び、太陽の下であらゆるテーマの漫画を販売する。
18歳以上に制限された大人用セクションではジュニアレイプや日本人プレティーンスイートといったタイトルの漫画を探すのは難しくない。
「あるモノに性的興奮した人はそれに慣れます。」ある大人向けストアのカウンター裏で働くTomoは言う。「だから彼らはいつも新しいものを探しているんです。そして若くて未成熟な女性に興奮するようになる。」
これが批評家が心配していることだ。- 性的に露骨な漫画の創作で誰も傷付けられていないとしても、正常化し助長させ、性的虐待のリスクを増大させるかもしれないという懸念だ。
これが真実かどうかは誰にも分からない - 研究は確定的ではない。しかし日本人の多く、特に女性も広く関心を寄せている。彼らは女性の品位を傷付けるような強烈なポルノや若者の性欲化への目を閉ざす社会としてこれらの映像を見ている。
日本では若者の魅惑を探すのに遠くを見る必要はない。若い少女のポップグループが成人男性の集団に向けて演技する。そして看板や広告から漫画までスクールガールの映像はどこにでもある。
Sex in the City, Tokyo風の本で若い女性に人気の作家、Lilyは彼女の学生時代について話す。男が彼女とその友達に近づき、彼女らの靴下やパンティのためにお金を差し出したのだ。
「あれは不快だった。とても変態じみていた。」彼女は言う。思春期の性への魅惑というのは「男が成し遂げたいという力が全てだ。強くて自立した女性が嫌になった男のね。」彼女は主張する。(3)
Lilyの親の時代の家族モデルはまだ日本では強い影響力を持っていた。 - 父親はお金を稼ぎ、母親は主婦として家にとどまる。しかし日本経済の弱体が現実化を困難にした。
「business-wiseで成功しない人達がいる。おそらく彼らはロリコン漫画というファンタジーに出会っている。」(4)
「私は大嫌いだ。本当に大嫌いだ。私はこうした性癖異常を日本から追い出して欲しい。子供達をこうした変態から引き離して欲しい。あなたのファンタジーの中であっても。」
しかし他の人達は政府が何が「良く」て「適切」なのか定まった指針を規定し強制するため関与すること、特にファンタジーという領域に、に懐疑的だ。
「批判的になる理由は十分にある。それはよいことだ。」漫画翻訳家で言論の自由支持者、兼光ダニエル真は言う。「しかし他人が何をし何を考えたかに基づいて他人を捜査する権限を人々に与えるなら、それは思想の取り締まりだ。」
それでは彼は小さな子供やレイプ、近親相姦のようなタブーを描いた漫画の創作者の権利を擁護するのだろうか?
「私はそれらが不快です。でも私には人々がどのように考え共有したいか言う権利はありません。」彼は言う。「他人の人権を侵さない限りはファンタジーライフを送って何が問題なのでしょうか?」
・日本は1999年子供の性的虐待の映像の制作と配布を違法化した。 - UKの21年後である。
・2013年、米国務省は日本を「児童ポルノの制作と取引の国際的なハブになっている」と記述した。
・日本の警察庁は2013年に1644件の法律違反があったと報告した。 - 1999年の法律が強制力を持ってからどの年代よりも多かった。
・2014年7月、日本は児童性的虐待の映像の所持を禁じた。国民は従うまで1年の期間を与えられた。
秋葉原の漫画ショップに囲まれ、児童保護運動家のKazuna Kanajiriはカートゥーンやコミックよりもっと大きな問題があるとある場所に私を連れて行った。メインストリートを抜けて階段を一歩一歩上り、大量のDVDが積まれた部屋に現れた。
Kazunaは棚から1枚引き抜いた。そこにはリアルな少女の映像が描かれていた。彼女が言うには少女は5歳で小さな水着を着せられ、大人のポルノの真似をして扇情的な姿勢でポーズを取っていた。ショップの中にある他の全てのDVDも本物の子供を特色としていた。
「私はこの子供達が気の毒に思う。」Kanajiriは私に告げた。
これら所謂「ジュニアアイドル」DVDは1999年に児童ポルノの制作が違法化されてからポピュラーになってきた。
これらは性器が隠されてさえいればこれらは法律を回避するのだ。しかしKanajiriは言う。7月に法律が強化されて、これらは今は違法となっている。
「搾取する人は適切に裁かれなければならない。」彼女は言う。「法律の下ではこれらは完全に違法だ。しかし警察は取り締まっていない。」
性的な場面で未成年者を特色としたマンガとアニメにおける幾つかのコンテンツはショッキングで注目を掴むものであるかもしれない一方、Kanajiriと私が話した他の運動家は私に告げた。今のところは彼らは現実の子供を保護するためにより重要なバトルにフォーカスするという。
しかし彼女は論争の的であるマンガとアニメを禁止する望みを諦めたわけではないという。
「私は消し去りたい。」彼女は言う。「2020年に日本で夏オリンピックが始まる時、みんなが日本を変態文化と呼ばない国に変えたい。」
それはマンガサポーターが強く拒否するような説明だ。しかしオリンピックが近付けば、外部の目が日本に注意を向け、「奇妙な日本(weird Japan)」より「クールジャパン」としてみんなが見るように、マンガやアニメへの強力な圧力が働くだろう。
(1)Posters of elfin-faced, doe-eyed cartoon heroines, many of them scantily clad and impossibly proportioned, turn the cavernous space into a riot of colour.
(2)Although manga involving very young children does appear to have some social stigma attached to it, sexual material involving adolescents is a fairly mainstream interest.
(3)The fascination with adolescent sexuality is "all about the power that men want to achieve, men who are tired of strong independent women," she argues.
(4)"There are people business-wise who are not successful, maybe they are running into fantasy with Lolicon manga.
■本文。
今回プレイした『夜勤病棟』もそうなのだが、ダーク系の美少女ゲームの場合は、非日常的な体験を核としている以上、表層的には、プレイヤーから遠い存在でなければならない。無論、内面的には、闇の部分を共有させる必要性もあるのだが。
なので、ダーク系のゲームの場合、プレイヤーがダイレクトに投影できるような、無個性な主人公では駄目なのだ。もっとも、『河原崎家の一族』のように[覗き見る]ということに主題を置いたゲームは例外なのだけども、基本的に、背徳的な行為を行う、プレイヤーの代理人である主人公は、アクが強く、ウィットに富み、性的な超人だ。それは、恋愛系の美少女ゲームに於ける主人公像とは、鏡像的な関係にあると言えるだろうし、それは……フランス書院文庫や、マドンナメイトといった、既存のポルノ小説を支配する概念だったりもする。
そして、それらに共通する超人願望を、悪しきマッチョイズムと評する人もいるのだが、ポルノメディアは本来、男性原理が基盤となっているものだから、それを責めるのは、ちょっと違うような気もする……ポルノメディアとは、本質的に「そういうもの」なのだ。
そういう意味では、ゲリラ戦の天才であり、エロゲー界のチェ・ゲバラとも言える臭作さんは、まさに完璧超人だったんだけど、『夜勤病棟』の主人公である[比良坂竜二]の場合は、調教者としての天才的な手腕よりも、コミュニケーション不能者としての印象が先に立つ。性格が狡猾な割には、根が幼稚というか……ほとんど子供です。なので、キャラクターとしては、『好き好き大好き!』のラバーフェチな主人公に近いと思う。特定のイコンに対する執着……竜二の場合はスカトロジーへの執着が強いというあたりも似ているかもしれない。となると、ゲバラというよりはカストロかなあ(何を言ってやがる)。
まあ、感情移入するには紙一重の人物設定なのだが、実はこの落差がダーク系では重要だったりもする。個人的には、竜二となら美味い酒が飲めそうな気がするが。同病相憐れむ、といった感じか……。
ところで、竜二の場合は、歪んだ支配欲(自己顕示欲)の背景となっている、自分のコンプレックスに言及している箇所が、やたらと目立つ。例えば、恋に対する感情の変化は、ある意味で[お約束]と言えるが、同時に、[お約束]に対する違和感を描いているという面もある。
例えば、お近付きの印に花を貰っただけで、相手が自分に恋愛感情を抱いていると思い込み、その相手に恋人がいることが判明すると一転して、逆恨み的な復讐を誓う……という心の動きは、暗く、自己中心的な欲望ではある。しかし、子供的であるが故に、一定の共感を持つことはできる。けれども、非日常的な舞台&人物設定は、過剰な思い入れを抑える。結果、ダーク系な美少女ゲームで、最も重要な[紙一重]の感覚を上手く成立させているのだ。
そして、『夜勤病棟』という作品は、被調教者の心理描写に加え、調教者の心理描写にも踏み込んだことで、『雫』や『好き好き大好き!』といった作品の系譜で捉えることもできるだろう。もっとも、前出の作品に比べると、非常に明るめな印象はある。これは、従来のポルノ小説に於ける、エアブラシを用いたリアル系イラストレーションとは正反対な、淡くパステルカラー系なグラフィックを用いていながら、作品的には、ポルノ小説の世界観を骨格として援用していることに起因する。結果、一種の異化効果が働き、独特の雰囲気を醸し出している。
そして、前号の原稿でも書いた、マッチョイズムにもフェミニズムにも共感できなかった人々にとっての信仰……という要素が強い、前出の二作品と同じ文脈で語れるであろう要素を持ちながらも、『夜勤病棟』という作品は、従来の定型……つまり、マッチョイズム寄りの作品としても成立しているという、不思議な立ち位置のゲームだったりする。
無論、ポルノメディアとして捉えた場合は、こちらの方が正統であることは言うまでもないし、不思議な立ち位置を確保していることが、昨年あたりからの手詰まりな状況に対し、ちょっとしたヒントになるんじゃないかな……という気はするんだけど、どうなんだろうか……?
でもって、また、話がズレるんだけど、ダーク系とは逆に、恋愛系ゲームの場合は、主人公の意志がプレイヤーの意志と同一化し……シンクロ率を上げ、それが頂点に達したところで、何らかの感情を獲得し、それが[快楽]に繋がっている。つまり、涙を流すことが、射精の代理行為として成立するケースもある、ということだ。まあ、調教によって隷従させるのも、恋愛によって心の繋がりを構築するのも、繋がったことに対する快楽という点では大差ないような気もするのだが……。
だから、表面的な情念をノイズとして、削ぎ落とし、隠匿した、いわゆる村上春樹的な文体の方が、実は好ましかったりもする。この場合、隠匿された情念を追い求めることが、セックスと同じく、快楽を生み出す行為になるのだろう。もっとも、その文体で、えっちシーンを構築するのは難しいのだけど……。
何故なら、恋愛は情念を削ぎ落としても、ある程度は成立できるが、エロという部分を記号化するには限界がある。早い話、情念を削ぐと、色気も失せてしまうのだ。ただ、ポルノ小説という場所では、別の意味でフォーマットが確立されていて、記号的な表現技法として体系化されている。しかし、記号化したのは主に、表層の情念なので、両者を組み合わせると、水と油のような状態になってしまう。
これは、前々回で『夏祭』をレビューした際にも言及したが、恋愛系の美少女ゲームでえっちシーンになると、途端に主人公が饒舌になり、オヤジ臭くなるのは、親和性の限界を完全にクリアしていない証拠でもある。恋愛描写とセックス描写の食い違いが、萌えと泣きの二項対立を助長しているとも言えるし、逆に、美少女ゲームが、まだ進化の余地を残している証拠でもある。
さて、進化に関連することとして、美少女ゲームが持つ物語媒体としての構造については、一部のユーザーの間では、ファンサイトという形で研究されているが、主に[トラウマ]と[癒し]という現象にのみ、着目しているケースが多く、セックスという行為に介在する身体的な感覚や、その意味性については、やや軽視される傾向があるようだ。
ただ、これは作り手の側の問題でもある。しかも、意図的に言及を避けている作品もあるから、仕方が無い……という面もあるのだ。加えて、マッチョイズムとフェミニズムの類型的なイメージを排除しようとすると、同時に、性的な要素を排除しようとする力が、無自覚に働いてしまう……というのもある。
そして、フェミニズムの影響に囚われがちな、サブカル系のジェンダー化運動に比べれば、美少女ゲームを含めた、オタク向けポルノメディアの方が、思考の行動範囲は広いと言えるかも知れない。自由度が高い、とも言えるのかな……その分、目標が曖昧なので、途方に暮れたりもするのだけど。しかし、既存のジェンダー区分が持つイメージとは異なるものを構築する可能性、という意味では、共通しているだろう。
■畜生にも劣る総括。
萌え不能症気味の筆者は、センチメンタルな感傷や同情ではなかなか泣けなくて、むしろ、物語の流れにシンクロして感極まるって感じなんだけど、これって、結局、同じことなのかなあ……分からん。あ、あと、そろそろホームページ更新します……過去原稿もそろそろアップしないと……げふ。
今日はこういう場を使って、いいたいことをいう。
文部科学省の定義では「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。」と言われている。
これに対して、いじめという言葉が悪い。恐喝・脅し・傷害・暴行とすべての事象を言い変えろという人達もいる。
当然実社会からはいじめは無くした方がいいわけで、俺もいじめられてきたからその気持ちは凄くわかる。
あれだって、第三者よくよく考えれば他人を騙して笑い物にしているという立派ないじめじゃないか。
それに対して露骨な不快感を示し、バラエティ番組全般が悪いという俺から言わせれば的外れも甚だしい意見をいう輩だっている。
そんなテレビの世界のことを「なんとかバー」とかいう新しいアイスかなとかいう、楽して金が欲しい人達が安易に真似してトラブルになることだって少なくない。それをみたどっかのP●Aとかいう団体の人達がそれを助長するからバラエティ番組はおかしい!とまた言い続ける不毛なループが今の世の中では繰り広げられている。
的外れな批判をしている人達が忘れている(知ろうともしない?)ことをまず言おう。
「テレビの世界」において「いじめをされること」は「おいしいこと」なのだ。
芸能人という人種はとにかく「知名度」を上げることが必須条件。
テレビのバラエティ番組に出て、名前が売れればそれだけで儲かるのだ。
その番組のギャラ、そして、上がった知名度により飛び込んできた仕事によるギャラ。
実際にこんなに上手くいくわけではないが、そのためにはドッキリといういじめを受けることだっていいと思えるだろう。
いじめによる精神的苦痛を金銭に変換することで、苦痛を感じないから「いじめの定義」からは外れるのだ。
ただ、それを実生活に当てはめてみよう。
「実生活でドッキリをしかけられる」として、それをやることによっていじめを受ける側にメリットは果たしてあるのか。
少なくとも金銭的なメリットは限りなく0円。酷ければマイナスにだってなる。
それを分からない連中が「テレビでこれやってたんだよね。面白いからやってみようぜ。」と、安易なドッキリという名のいじめに走り、それをみた、これまたそういうことが分からない連中が「じゃあ、大元の原因を作ったバラエティが悪い。」という。
馬鹿かと。
昔から「テレビの世界特有のこと」には「良い子は真似しないでね。」ってどんな番組にだって書いてあっただろうが、そんな抽象的な表現も分からない馬鹿が増えたから、「※安全な花火を使用しております。」とか「※安全性には充分気をつけて撮影を行っております。」とかいうわけのわからないテロップがテレビに増えていくんだろうが。
と、話が脱線した。
じゃあ、実社会でどうしても「ドッキリという名のいじめをしたい人」はどうすればいいのか。
答えは簡単。
2億と言う数字を聞いてピンとくる人はいるだろうか。大体一般的なサラリーマンと呼ばれる人達が真面目に働いて一生のうちに得られる収入「生涯賃金」が大体2億円だったと思う。
つまり、言いかえれば
「いじめをしたいならいじめをした人間の一生を保障出来る金額が用意出来ているんだよね?」
ということだ。
その可能性は0ではない。そこまでおおごとにならなくても「人格形成になんらか影響するわけだ。」
精神的苦痛だよね。身体的苦痛だよね。はい、いじめの定義が成立するわけだ。
それを金に変換しようとするなら「ある人間が、その先の人生で得られるはずだったお金」を何らかの分かりやすい指標を使って表すしかないよね。
それが生涯賃金の平均。
もちろん、疾患や障害による病院代、その他もろもろの費用は別だ。
だから最低2億円。