はてなキーワード: 「絆」とは
いやさ、「謎ポエム」とか「腕組み」とかラーメン屋自体が叩かれる?ことはあっても
うまく言えないけど
タバコプカプカしながら爆音でエグザイルを垂れ流し黒の軽ワゴンでパチンコ屋へ行く好きな漫画はワンピース
ネットに浸かった人たちの中で
「エグザイル最高!」とか言えば十中八九馬鹿にされると思うんだけど
「趣味はラーメン屋巡り」と言ってもそんなに馬鹿にされない、むしろ話が盛り上がることすらあるように見える
別に個人的にラーメン好きを叩きたいとかいうわけじゃないんだけど
なんでかなあと
※ブコメ読んで追記
確かにブコメで言われているとおり
東京のラーメン屋ってオタクっぽい風貌の人が多かった気がします
逆に地方のラーメン屋はDQN(マイルドヤンキー?)っぽい人が多いです
とにかく
僕のこの
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。
国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。
第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果作られたものが国際連盟なのである。
この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである。
なぜユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである。
話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
アルベール・トーマは、
「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。
この家族制度を何とかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」
といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。
具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。
家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。
『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカ・モーゼ)より
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このことから判ることは、核家族化や女性の社会進出は人類社会の進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。
もともと日本の国体は、天皇家が本家で国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。
家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家を解体するという作戦だったようですね。
近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国を支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。
戦前は日本の家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。
分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。
しかし戦後は彼らの思惑通り、核家族化が進み、労働運動も盛んになります。
案の定、新国立競技場の両案には「日本の伝統がー」「日本文化を意識したー」「日本のモノづくりパワーをー」というような文言があふれていた。
で、それに対して「A案のほうが日本の伝統を感じるな」「いやいやB案の方が」とかTwitterでドヤコメする奴らが続々登場中なわけだ。本当に日本国民てちょろいなと思う。後付けでも何でもいいから、とりあえずそういう文言を並べておけばなんとなく納得してくれるんだもんね。
建築の場合だったらとりあえず「木」を使って伝統感をアピールしておけば大体認めてもらえるし、そこに神社建築のうんちくやら日本の伝統色やら“うつろい”系のワードやらを絡めればもうほぼ完璧。一気に「文句言うやつは日本人じゃない」状態の完成なわけだ。
エンブレムの場合は「日の丸」「桜」「富士山」「絆」とかを絡めればOK。大体納得してくれるし、「反対する奴は非国民」と勝手に擁護すらしてもらえるヨ。
建築家とかデザイナーはよく、こういうベタなワードやモチーフを使わずに表現を行おうとするけど、残念ながら日本人にはそれを理解する知性も審美眼もないんだよねー。それどころか「これは日本人の感覚とは違う」とか言われネットであることないこと叩かれだす可能性が高いから、そういうチャレンジは控えたほうがいいと思う。
今回のオリンピック騒動でいい加減わかったでしょ?これからは「ちょろい国民」と割り切って、ベタベタなコンセプトで金を巻き上げていくのが建築家やデザイナーの生きる道。それが嫌なら国外脱出したほうがいいと思うヨ。
オリンピックのエンブレム、あれ、言うほどダサくはないと思うし、パクリだとも思わないけど。
あの展開例やらトートバッグはとにかくとして、デザイン自体はまずまずの出来。
むしろカッコいいし、オリジナリティもあっていいんじゃないかな。
まあ、でもオリンピックのエンブレムとしてはどうなんだろって思うところはある。
泥臭くて、汗臭くて、躍動する筋肉の祭典じゃんか。
だから、歴代のって、躍動する人とか、聖火とか、五色の輪やらをモチーフにしたエンブレムにしてるわけじゃん。
まあ、わからんでもないけど。
JapanのJの文字に日の丸を付けたJリーグのエンブレムみたいでさ、あれよりはまだ時代に合わせたスタイリッシュさはあるけどさ。
Jリーグのエンブレムはまだサッカーボールを想像させるところがあるけどさ、例のエンブレム、オリンピックを思わせる要素どこよ?
「日の丸が1964年の東京オリンピックのエンブレムを想起させる」
アホかよ。
日の丸から日本を想起するまではあっても、64年の東京五輪を思い出すって、関係者だけだろ。
正直、方向違うんじゃないかなと。
誰がみても「オリンピック」のシンボルであることがわかること、それが第一に優先すべきじゃんか。
5色使うか、輪を5つ使うか、躍動する人間を使うかしてだな、とりあえずオリンピックとわかるものであってほしい。
おまえ、Bの一文字から北京を思い浮かぶの?Lの一文字からロンドン思い浮かぶの?
とかなんとかいいつつ、また似たり寄ったりな方向間違えたエンブレムになるんだろうな。
赤とか黒とか金とか好きそう。
デザイナーたちも、スタイリッシュなのが好きで泥臭いの嫌いだろうしな。
そもそも、日本人って肉体軽視だしな。
歴代のを並べてやると、前の東京オリンピックも、札幌も長野も浮いてるよね。
小兵がデカブツを倒すのが好きそうで、言ってみれば筋肉が足りない。
長野みたいに、フジヤマ、ゲイシャ、ハラキリ、スシ!な開会式で、挨拶では「絆」とか的はずれなこと言っちゃうんだろ。
機械や科学の力を使わず、己の肉体だけを武器に、この星の一等賞を決める泥臭くて汗臭くて人間賛歌の大会ってことを忘れちゃいまいか。
まあいい。
先日親類の墓参りに行った。
新しめの霊園で、その親類の墓は
自分にとっては一般的な「○○家代々の墓」ってタイプのだったんだけど
「絆」とか「感謝」とか書いてあるのをちらほら見かけて面食らう
誰がこんな墓にするんだろう。洋式墓ってなんかモダンでいい感じ
それにしたって「絆」とか「感謝」って、J-POPじゃないんだし
今どきは墓までキラキラかよと、正直心のなかで思った。
今まで「死」という現象を全く意識してなかったんじゃないのかなあと。
で、突然我が子の死に対峙して色々悩んで泣いて悔いて責めてとか色々あったんだろうと、
でも、主に時間的な、次に予算的な数々の妥協を受け入れていく中で
どこにでもある何者でもない感じで切ない
我が子にオリジナリティのある命名をしたつもりが
常日頃から思っていたけど、墓というのも
とても恐ろしい。
自分の死んだ後ってのも気になるんだけど
それよりもまず、親しい人たちを今後どう見送るべきかってのを
震災当日、俺は東京で新しい仕事を始めて2日目が終わった休みの日だった。
最低でも今月と来月までは稼がないと支払いが、といっぱいいっぱいだった。
リアルタイムの映像はまるで現実ではなく映画のようだったと記憶している。
大切な人が流され、大切な家が流され、
片や俺は孤独だった。
俺には大切な人はいなかった。
安否を心配する友人もいなかった。
震災報道は、ただ単に世で起こったニュースのひとつでしかなかった。
お客さんには怒鳴られながら、
自分が情けなくて涙が出るから。そのことにさらに申し訳なくなるから。
心を閉じないとリボ払いが無くならない。
その変わらなさに今気づいて、
ショックと情けなさでまた心を閉じている自分がいる。
被災者の方、本当にごめんなさい。
映像ソフトは1万枚以上売れ、原作コミックもかなりの人気であるという。
この「月刊少女野崎くん」の原作コミックだが、発刊している企業は今年8月著作権侵害の疑いでSNKプレイモア(大阪・吹田市)から
刑事告訴されたスクウェア・エニックス(東京・新宿区)である。
また、この事件に関する報道を踏まえると、同社は恒常的に著作権侵害を行っていたと推測される。
加えて、同社はSNKプレイモアからの再三の申し立てにも拘らず、著作権侵害を行っていた漫画を連載・発行し続けていたという。
これらの点を踏まえると、スクウェア・エニックスは順法精神に欠けるある種悪質な企業としか言いようがない。
順法精神に欠ける悪質な企業に対しては不買運動とまではいかないまでも、その企業の製品に対する買い控えが起こることは多い。
また、不買運動を起こすことで悪質な企業を駆逐するとともに、順法精神を持つ優良企業をより成長させることができ、
結果として消費者や労働者の権利が守られるとともに、より公正で互いの権利が尊重される社会に近づくことになるだろう。
一方悪質な企業の商品を買い続けるということは、優良企業を駆逐させ悪質な企業を跋扈させることにつながりかねない。
その結果、消費者や労働者の権利も蹂躙されることとなり、公正で互いの権利が尊重される社会からは遠くかけ離れたものになるだろう。
さて、スクウェア・エニックスの発刊する漫画、あるいはゲームソフトなどに対し不買運動が起こったという話は聞かない。
それどころか同社が刊行する「月刊少女野崎くん」といった漫画の単行本や同社が制作に関与した映像ソフトが非常に売れているという。
このことから、今年8月の事件発覚後から今まで「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックスの商品を買った人は、
自らの快楽追求の帰結がどうなるか、そして自らの購買行為が社会にどのような影響を与えるのかという2つのことに関する想像力を欠如した、
幼稚な人間と言わざるを得ない。
そして「月刊少女野崎くん」が未だに売れていることは、それだけ幼稚な人間が増えたということの証左である。
勿論年端もいかない乳幼児なら自らの快楽追求の帰結がどうなるか、あるいは自らの行為が社会にどのような影響を与えるかについて
しかし「月刊少女野崎くん」に代表されるスクウェア・エニックス社の刊行する漫画などは「おかあさんといっしょ」や「みいつけた!」といった
乳幼児向けのものではなく、中高生以上の年齢層を対象にしていると推測される。
したがって、この「月刊少女野崎くん」ブームは、中高生以上の日本人の幼稚化をシンボリックに表しているといえよう。
この日本人の幼稚化に対し、例えば「月刊少女野崎くん」といったスクウェア・エニックスの刊行する漫画やゲームを発禁にしたところで
残念ながら対症療法にすらならないであろうし、そういう意味で今の日本の状況は絶望的である。
しかし日本人の幼稚化に対し絶望することこそ、次なる突破口を探すうえで必要かもしれない。
「絆」や「希望」といったスローガンに惑わされることなく、正しく絶望したうえで次の手をひねり出さなければならないだろう。
この文章では「月刊少女野崎くん」を購入する人に対し幼稚な人間と批判したが、事件発覚以後同社の商品を購入した人間もまた、
介護ってのは本当に大変だ。(俺が主でやってるわけではないんだが)
詳細は省くが、「この人がいなければ、どうだろう」などと思ってしまう。
比較的重度の人を介護してるご家族は、一度は同じようなことを思うんじゃないか。
ちょっと極端だが、介護が長引くと、介護する側とされる側のどっちが先に倒れるか、という様相だ。
もちろん楽しい出来事が無いわけではないが、楽しみ続ける、というのはさすがに難しい。
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近頃、障害者がタレントと一緒に何かを頑張る、といった映像を時折目にする。
あの手の映像は、本当に同じ障害を持つ「家庭」を元気づけているのか。
テレビの中の障害者と家族に比べ、自分たちは何も出来ていない、と劣等感を植え付けるだけじゃないのか。(特に家族に)
どうにかしたい、という気持ちは、どの家庭にもある。だが、それだけじゃどうにもならない事もある。
でも、どうにもならないと分かっていても、それでも「何もしてやれない」と劣等感を感じるのが家族なんだよ。
まぁテレビなんだから、「嫌なら見るな」と言われればおしまいだし、必要な部分もあるのは分かる。分かるんだけど、ね。
実際はドロドロした、マイナスの感情の中で、それでも「絆」という泥縄につかまってるようなもんじゃないかな。
キレイ事なんて、糞食らえだ。
これだけだとマイルドヤンキーと大差ない。
マイルドヤンキーが学歴や年収が低いと言われているのに対して、マイルドぼっちゃん&じょうちゃんは学歴も年収もそこそこしっかりしている。なのに実家暮らしであることも特徴的。
Twitterに書くと炎上しそうだから、ココで書く。(何故掃除をすることが炎上に繋がるかは読んでくれ)
俺達の中学、高校(一環校なのだ)は、毎年文化祭を派手にヤリかつ、テーマを設けている。
「絆」とかそういう奴だ。
で、今年のテーマは「感謝」らしい。(生徒会がそういうのは決めている)
それで、俺が所属するボランティア部(普段は募金活動なんかの集計やらポスター張りやらをしている)としても、何かしたい。
ということで、ボランティア部会議が行われ、文化祭の始まる10月まで毎月末一回だけ『ボランティア部』が掃除をすることにしようと独自に決めた。
その掃除での色々な項目をまとめたものを文化祭で展示する予定なのだ(二階トイレが汚いとか、そういう感じのレポートを作るつもりだった)
そういう感じのことを顧問の先生に提案しにいったら、怒られた。
というのも、うちの学校は掃除を自分たちでやらずに『掃除のおばちゃん』なるパートのおばちゃんがやってくれているのだ。
俺達はそれも含めて今年の文化祭の『感謝』というテーマに沿っている点、普段自分たちで掃除をしないからこそ、レポートにまとめる異議がある点などを主張したが
おそらくは、学校内の何らかの力関係が働いているのだろう、顧問の先生はうなずいてはくれなかった。
これには俺達ボランティア部は憤りを抑えきれなくなった。
結果どうなるかも、ここで報告するつもりです、それでは。
「どのような人と友達になるべきか?」と聞かれても、「あなたが友達に求めるものによる」としか答えられないが、
「どのような人と友達になるのを避けるべきか?」と聞かれたら、私は「寂しがり屋」と即答するだろう。
特に「自称寂しがり屋」は100%地雷だと思っていい。彼・彼女らは他人の精神的リソースを無限に吸い取る悪魔だ。
恋人としても、彼らはすぐに浮気するので適さない。ビジネスパートナーとしても、彼らはすぐに保身に走って当初の目的を見失うので適さない。
「世の中カネだよ」なんて言ってるスレた奴の方が、結果としてよっぽど信頼できるのだ。
このような持論は、"ウェーイ系"と揶揄されるようなコミュニティに属していた大学時代の経験から導き出したものだ。
高校までのガリ勉生活から解放され、調子に乗った末のキョロ充化という典型的な話だが、その結果、多くの「寂しがり屋」と接する羽目になった。
忙しかったため体力はついたし、コミュニケーション力も磨かれたし、一応知人の数も激増したが、精神的には悲惨で、学業については無益な日々であった。
ウェーイ系時代の友人も残っていないことは無いが、今でも個人的な付き合いがあるのは大半がガリ勉時代からの友人だ。
「自称寂しがり屋」たちは、他人の精神的リソースを吸い取っている自覚が無い。
自分では自分のことを優しい善人だと思っているし、その自己認識を否定する人は悪だと思っている。
その論拠として「オキシトシン」というホルモンの働きを挙げたい。
スキンシップをすると、した人もされた人も脳内から「オキシトシン」というホルモンが分泌されるそう。このオキシトシンが分泌されることで愛情が育まれ、信頼する気持ちがお互いに強まるという。
スキンシップの秘密!! 脳内ホルモン「オキシトシン」が愛情を深め記憶力を増すとの調査結果
オキシトシンが出ると幸福感を得られるだけでなく、ストレスからくるイライラも軽減される。さらに、お酒を飲んだ時のほっこり安らぐ感じに似たリラックス感も得られるとのこと。とにかく、オキシトシンはさみしがり屋に効く特効薬なのだ。
【さみしがり屋必見】さみしさを一瞬で消せる幸せホルモン「オキシトシン」を簡単に分泌させる3つの方法
東京大学 医学部 附属病院において40名の自閉症スペクトラム障害の成年男性を対象として二重盲検注4)など最も客観性の高い厳密な方法で医師主導臨床試験を行った結果、オキシトシン投与が自閉症スペクトラム障害群において元来低下していた脳活動を有意に上昇させ、それと共に対人コミュニケーションの障害が有意に改善されることを世界で初めて明らかにしました。つまり、オキシトシン点鼻スプレーを1回投与したことで、健常群で観察される、表情や声色を活用して相手の友好性を判断する行動が増え(図1)、内側前頭前野の活動が回復し(図2)、それら行動上の改善度と脳活動上の改善度が関与しあっていました(図3)。これは、オキシトシンによって脳の活動に変化を与えて、同障害を治療できる可能性を支持する結果です。
自閉症の新たな治療につながる可能性~世界初 オキシトシン点鼻剤による対人コミュニケーション障害の改善を実証~
今回の研究で、オキシトシンの影響下では、同じグループに属する仲間への優遇が増えることを確認できた。これは、裏を返せば、自分のグループに属さない人を排除することでもある
嘘偽りとは対極的な感じのする愛情ホルモンだが、イスラエルのBen Gurion大学のShaul Shalvi氏及び、蘭アムステルダム大学のCarsten de Dreu氏が共同で行った調査によると、オキシトシンを投与された人の方が躊躇なく、スラスラと嘘をついていたという。
偽薬を投与した被験者と比較した結果なのだが、チームのためや、他の人の幸せのためなら、人は平気で事実をねじ曲げ、倫理に反する手段に出るのに加え、オキシトシンがこの傾向を助長することがわかった。
愛情ホルモンが多い人は嘘つき?オキシトシンが“良い嘘”を助長することが明らかに
つまり「寂しい」と言ってつるみ、相手のための嘘をスラスラとついて、嘘への罪悪感は無く、
グループのための行為なら平気で倫理違反の真似もし、根本的な問題解決からは逃げ、
「愛されてる感じ」「信頼されてる感じ」「ほっこり安らぐ感じ」を追い求める。それがオキシトシン至上主義者だ。
私は上述したように"ウェーイ系"だった過去のある人間で、現在も営業系の仕事をしているが、
「寂しがり屋」よりは「周囲からアスペ扱いされ煙たがられているコミュ障」と話している方が、よっぽどストレスが無い。
現代はオキシトシンが足りないと思われる自閉傾向の人間が叩かれている。
反面、仲間内でナデナデし合ってるだけの人間が「絆」「心のあたたかさ」やらの言葉で美化されている。
ナデナデし合ってるだけなら良いのだが、他のグループへの敵意・嫉妬や、そのための非倫理的行動までがセットになっているのがタチが悪い。
私はオキシトシン過剰な人間が戦争を招いていると思っている。"仲間とほっこり"するために外人を殺すのだ。
当人らは自分のことを「仲間を大事にするイイ奴」と思っているのだろうし、一面的な見方をすればそれも間違いではないのだろうが。
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。
ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。
言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、
たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。
私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、
同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、
地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。
だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣味の一致まで求めてしまうんだよね。
趣味の押し付けはヤンキーに限らず、オタクもやっていた。地元オタクの友達関係も"イツメン"的だよね。
趣味の種類が、車やバイクの改造なのか、同人誌を描くことなのかっていう違いだけで、押しつけがましさは一緒。
これが嫌なんだよ。自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じが気持ち悪いって感じる。
子どもは、他人と自分の違いに対して傷つき感を覚えるらしいけど、成長に従って違いを受け止められるようになるという。
地元的、"イツメン"的な人たちは、いつまでも違いを受け止められない「子供」の部分が、
外見が太ろうがシワシワになろうがハゲようが、一生むき出しになっているようで、
それが美化されて称賛されている様子がなんだか露悪的なものに感じて、引いてしまうんだよ。
そして都市部でも実は地元民同士行われてる。このひとが地元に戻れば当然そうなるだろうし、でなければ地元でも浮いているんだろう。おいらが同じ人種だからよくわかる。
東京で生まれ育って、固定化された人間関係に満足してきた東京都民とは分かりあえないだろうし、
地方Aから地方Bに移住した人となら、もしかしたら分かりあえるかもしれない。そういう感覚です。
「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間を求めている感じ」がとにかく嫌なんですよ。
お互いにその甘えを押し付け合って、依存し合って、監視しあって、縛りあっているんです。
グループ内で数多くの不文律が出来ていて、破ると「非常識だ」。
グループ内では同じものを好きになって同じものを嫌いにならなければならず、期待にこたえないと「裏切った」。
そして「非常識だ」「裏切った」と言われないで済むように振る舞えることが「コミュ力」だと勘違いしている。
これが嫌なんです。表面的に期待にこたえて何とかしのぐことはできますが、永久にこれを続けるのは耐え難いです。
彼らはそれが幼稚な依存関係であることに気付いてすら居ない。依存関係のことを「絆」と言い換えて美化している。
そして依存関係を自分と同じように美化しない人を批判して、仲間内の依存関係を強める道具として活用するんです。
よく出来たシステムだと思います。しかし私は短期的には耐えられますが、長期的にこれに耐えるのは負荷が高すぎて無理です。
いつも同じこと出来る仲間がいることが悪いことなのか? 都会でそういうものから開放されたのに、わざわざこんなの書くのは何でかな。少しでも羨ましいという気持ちがなかったといえるのかな。
都会に出てもなかなか解放されないんですよ。都会に居る人が皆そうではないという訳ではないので。
都会に暮らし、社会的地位や経済力を持っていても、「自分と興味関心の方向が何もかも一緒な人間」を求めている人は居ます。
羨ましいとは思えません。"イツメン"の内部では、イジメとは行かないレベルの醜悪な「イジリ」が蔓延していることも知っています。
(彼らはイジる側に居る時は「冗談」「ネタ」と言い張って、イジリを止めようとする人を「ノリが悪い」と批判します。
そして自分がイジられる側になると「酷いイジメを受けた」と言い張るか、自分より弱い対象を探してストレス解消のサンドバッグにします)
そしてLINEグループから外される恐怖、陰口を言われているかもしれないストレスと常に隣り合わせであることも知っていますから。
特に親しい友達が居ることが悪いことだとは思わないんですよ。私にも居ますし。
ただ、違いを受け入れられない幼稚さが気持ち悪いんですよ。
オレはこれまで一人で生きてきたし、これからも一人で生きていける強い(成熟した?)人間だ、と言いたいらしい。この強さの幻想は都市空間と若さがもたらす限定的なものなので、あまり過信しないようにね。
そんなこと一言も言ってないです。
ぼくはレイシストです。まで読んだ
書いてません…。
まるで監視社会かのような濃密なコミュニケーションネットワークだと、趣味部分への干渉も同じようになされるケースは結構多そうだよなぁ。無意識だったり善意だったりする場合もありそうだし。
だからこそ、その善意に対して不快感をあらわすと叩かれるわけですけど。
ただ「善意でコーティングされた押しつけがましさに対してストレスを感じる」こと自体は、
「おまえどこ中だよ」「イツメン最高」系の人でも経験あるはずなんですよね。
「自分の趣味を押し付けたいから、押し付けられることも受け入れなきゃいけない」という取引に縛られてるだけな気がする。
で、この「押し付けたい」が幼稚であり甘えだと言いたいわけです。
オキシトシンは中枢神経で働く神経伝達物質でもあり、母子の絆や、信頼や愛情といった感情、グループ認識などの社会的行動にも複雑に関わっている。
オキシトシンは、自分の嫌いな人が何かに成功した場合には嫉妬をかきたて、嫌いな人に自分が勝った場合には得意な気持ちにさせる、というものがある。
私が嫌悪しているものって「オキシトシン過剰」の一言で説明できるものかもしれませんね。
より厳密に言うと「オキシトシンの負の側面に目をつぶってオキシトシンを礼賛するスタンス」。
とりあえず私が作ったわけではないことだけは主張しておきたいです…。
http://j-lyric.net/artist/a00839f/l027f2d.html
地元じゃない人が多い大学でも企業でも同僚に趣味や共感を求めまくる人は一定数いたから地元かどうかだけじゃなさそう。ただ、人生で会う人間の数が少ないまま大人になることで一つしか人間関係が想像できないのかも
地元志向と「知人と自分の同一化を求める人間」はイコールではないのに、私の中で強固にイメージが結び付けられているのは、
地元志向で生まれつき与えられた人間関係に籠る人ほど「人生で会う人間の数が少ないまま大人になる」傾向にあるからかなと思いました。
でも確かに偏見でしたね。調べれば確実に強力な相関があると思いますが、イコールのように言ってしまったのは偏見でした。
内容自体は趣味押し付けてくる奴うぜーの域を出ないのだが、それを地元志向とか関連性よくわからん呼び名でタイトルにしちゃったのが残念な増田。まぁさすがにレイシストは言い過ぎだろとは思うので同情しとく。
「レイシストは言い過ぎ」というか、地元志向には排他性(よそもの嫌い)が伴うので、地元志向の人こそレイシストに近いと思います。
「地元愛」と「隣の県の人間が嫌い」が表裏一体だったりします。
うざい奴が決まって持ち合わせている幼稚さは故郷を離れてヨソモノとしての振る舞いが必要な環境にいれば改善されたのではないかと思わせられるって話でしょ?めっちゃわかる。
はい…。そういう話です…。
NHKクローズアップ現代の「あふれるポエム!?不透明な社会を覆う優しい言葉」の回で、居酒屋甲子園が取り扱われました。
放映を要約すると、一日の労働時間16時間で年収250万円の居酒屋店員達が、「愛」「夢」「未来」「感謝」「希望」みたいな奇麗事ワードをやりがいにして働いているってトコロです。
似たような事例だと、ワタミなんかも「お客様のありがとうを集める」なんて奇麗事ワードを使って従業員を酷使させています。
過酷な労働環境の中で、最近の子供でも信じないような、いかにもうそ臭い奇麗事ワードをやりがいに働いてる彼ら従業員は、我々の感覚だと大変奇異に見えます。企業側が彼らをそういう奇麗事ワードで洗脳して、あえて低賃金長労働時間で働かせている、そういう見方をする人もいると思います。
でもそういう労働環境ってほんとにブラック企業なのかなーって。私たちの労働に対する価値観と違うからブラック企業だ!と考えるのは早計かなと思います。
給料のためだけを理由に働いてる人は少ないと思います。「物を作る楽しさ」「お客様の接する楽しさ」「社会を作る楽しさ」とか、皆何かしら仕事に対して給料とは別のやりがいを持って働いてると思います。彼ら居酒屋店員も同じように、「お客様のありがとうを集める」とか「仲間を大切にする」とかそういう奇麗事ワードをやりがいにして働いています。
彼ら居酒屋バイトが、なぜそういう奇麗事ワードが好きなのかなと疑問がわきますが、おそらく彼ら居酒屋で働くような金髪ヤンキーや低学歴たちが好きなワンピースとかそういう漫画に影響されているのだと思います。
ワンピースも「仲間」だとか「友情」だとか「絆」とかそういう奇麗事ワードをテーマにストーリーが進んでいきます。大人の手で作られた理不尽で汚いこの社会の中で、彼らはワンピースのルフィのように、奇麗事ワードを信念にできれば生きたいと思っているのでしょう。そういう人たちにとって、居酒屋甲子園のような、一人一人が舞台の上で主人公になって、夢とか希望みたいな情熱的で青臭いワードを仲間と共有して感動できることはやりがいの一つだと思います。
給料が低くても、そういうやりがいを信念に働きたいという人たちがいることを私達は知るべきだと思います。従業員がそうして働きたいと思い、企業側もそれで働かせているのなら、外野がブラック企業だブラック企業だと口を挟むことはないと思います。
こうした居酒屋労働で、一番問題だと思っているのは、そういう奇麗事ワードを掲げた社風に馴染めない社員にもそれを強いることだと思っています。
2008年にワタミで女性社員が一人自殺しています。彼女は最初からワタミで嫌々働かされていたのではありません。手記には入社当初は
ワタミの信念である「ありがとうを集める」といったような社風にも前向きに捉えていますし、長時間労働に対しても「早くこういう長時間労働にも慣れるようにしなくちゃ」といったように前向きに捉えています。
どれだけ入社時に社風や労働環境について説明していても、働いてみれば感じることも考えることも変わります。そういう社風や環境に馴染めなかった人にも、その人に合わせた労働環境が提供できるシステムを構築しなくてはいけないと思います。それを怠る企業は、ブラック企業扱いしても良いと思います。
当然のことながら、深夜手当てがつかない、残業代が出ない、法律で定められた数の休日を作らない、そうした法律違反をする企業はブラック企業だと思います。
つらつらと書きましたが、居酒屋甲子園に出てくるような、ある種社員を洗脳しているかのように見える奇麗事ワードを使った社員教育を見ただけで、その企業をブラック企業だと決め付けるのは、早計だという事です。
最近パーナとかアラシックとかハイフンとか、ジャニヲタが何かと話題に上がってるようなので各グループのヲタの特徴をまとめてみる
サンプルは自分の友人・知人、彼女らのTwitterやmixiで見える界隈のようす、あと自分が行った現場での印象。
※基礎用語
担当:ファン。○○担というと○○のファンという意味。自分の担当のタレントのことを「自担」、ファンをやめて降りることを「担降り」等の派生用語多数。
Jr:いわゆるジャニーズJr.のこと。デビュー予備軍で主な仕事は先輩のバックダンサー。
スマは日本を代表するアーティストで特別で別格だからジャニーズがどうみたいな狭い範囲で評価しないでくれますかね?嵐?あぁまだまだでしょスマの模倣しかしてないし?みたいな上から目線のおばさん。偉いのはSMAPであってヲタではないのに全般的に後輩タレントに対して超上から目線。
長らく他のジャニーズとの表の場での共演や交流が絶たれていたたためジャニーズの流行り廃りとか関係ないSMAPがオンリーワンでナンバーワン!
…とか本気で信じてるふうだったわりに単に免疫がないので、いざキスマイや山Pとかと共演を始めるとSMAPを慕ってくれる後輩が可愛くてしょうがなくなってたりもする。
希少種。たぶん現在のヲタ実数ではデビュー組で一番少ないんじゃないか。
DASHもトキカケもいいんだけどあれじゃヲタはつかないからたまにはアイドルらしいことしてくれてもいいんだけど…いいんだけど一般人気が安定してればテレビには出れるからまぁいいか、と諦めてる。
主力層はぱっと見常識も良識も財力もある働くお姉さんたち。ただしその内実は余裕で10年以上ヲタやってるので一般的な価値観とは少々異なっていることにも自分で気づいてはいる。例えばカミセンは若くて可愛い天使だとか(全員30超えているのでどう考えてもアイドルとして若くはない)
数年前から徐々に増えてる若い新規ファンも基本的には歓迎していて親切だが、時折出てくる「ブイは(他とは違って)こうだからさぁ」「ブイヲタは(他とは違って)こうだからさぁ」っていうカッコ内の自意識がめんどくさい。
futari信者6割・光一様親衛隊のばばあ3割、シャーマニッポン1割。
futari信者はfutariこそ運命で宇宙で究極で至高で世界、っていうファンタジーを信仰してないとやってらんない。
光一様親衛隊の皆様は2chで言うなら鬼女。ちょっとTwitterで光一様を褒めると5RT15FAVくらい即効つくので☆乞食にはオススメだよ!
ファンクラブ会員数がジャニーズ内で唯一100万の大台に乗っかっている、数的には間違いなく最大派閥。たぶん今140万くらいかね?
内訳は大体3種類
『クソサブカルな嵐はもういない。そんなことわかってるけどでもだって。新規は死ね。』
・中堅(08年~10年くらいまでにファンになった)
『嵐ってかわいくて(30超えたおっさんです)超仲良くて(仲良くなくても仕事はできます)歌もうまくて(正気か?)ダンスもうまくて(これはまぁまぁ)やっぱ嵐さん最高だし!そんな嵐さんのヲタであるわたしたちアラシックも最高!新規は死ね!』
・新規(11年以降くらい)
『えっ古参とか新規とか関係あるんですか?みんな嵐さんが好きなのは変わらないんだから差別良くないと思います!コンサートにJrがいる意味とかわかんないし、昔の話とか聞いてもわかんないです!マナーとかもファミリークラブからは言われてないですよね?勝手に決めないでもらえますか?』
やや希少種。気分は取締役の夫の帰りが遅いことに寂しさを募らせつつも夫の立場もわかってるから耐えるわ…!な妻。
コンサートや舞台で今回もよろしくおねがいしますとか言ってくるJr担うざいとは思ってるけど、Jrがいないと席が埋まらないこともわかってるから表立っては言わない。耐える妻。
10年やってるグループだけど主力層はここ数年で入ってきた若年層。いわゆるパーナさんとはここのことを指すので間違ってもこれより上のグループのファンをパーナと呼んで刺されても知らん。
4人になって><NEWSがんばってるから><わたしたちはNEWSの味方だから><山Pは悪くないよ><
山下の顔が可愛ければだいたい世界は回ってる人たちだろたぶん(※筆者が実サンプルを知らないので詳細はわからん)
本人たちの隠しきれないヤンキー層育ちの気配に引き寄せられてやってくるヤンキーなりそこね。
あたしたちeighter、最強のeighter。エイトを信じてれば間違いなんてないから。…これくらいは真顔で言う。
ハイフンはKAT-TUNを繋ぐ絆!って誇らしげに叫んでる、いや、いた。もう安易に言えなくなっちゃったね?そもそもが2011年に世間で流行した「絆」と同じうすっぺらさの「絆」だったけどね?
たぶん今後は「道が違ってもわたしたちは応援するよ><」モードの連中ばかり残ると思うのでカツンは新規獲得がんばってください。
涼介担歴3年です☆どんどん絡んでください☆なリアちゃんと、じゃんぷちゃん世界一かわいくてかっこいいよおじゃんぷちゃんを評価しない大人が間違ってるよおおおおなモンペの2種。
声がでかくてうっっるせええのはリアちゃん、金と実権握ってるのはモンペ。
テレビに出てるキスマイを見てテレビで言われてることを信じてテレビに出てるキスマイを生でも見てみたくて現場に来る層。現場は自宅の茶の間でないことを忘れている。古参もいるけどどこにいるのかすらよくわからんくらい新規の波がすさまじい。
リアちゃんとモンペが存在している点にかけてはJUMPに近い。
ただセクゾン自体のグループとしての形が不安定なのもありこっちのリアちゃんの方が心変わりが早くてすぐ降りるしこっちのモンペの方が若干ドライ。
一番最近デビューしたグループなわりに、新規流入が緩やかなのでプロぶった古参が幅をきかせている。だからプロなのは本人たちであってヲタじゃない。
古参なので胸の前で手を組んでキラキラした目でステージを見るポーズが似合わない年齢に掛かってることに気づいてんのかいないのか。
ひとくちにJr.と言ってもいろいろいるので誰のヲタかによって大きく違うけど、大雑把に言えば現場がないと死ぬタイプと上昇気流に乗ってたいタイプと育成に快感を覚えるタイプと純粋なショタ。
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一週間前にむしゃくしゃして書いたやつが突然Twitterであちこちから(ジャニヲタじゃない方面含めて)RTされてきてびびったwww
>千賀さん居ない事になってる
すいません訂正しました
世論じゃなくヲタです、クソDDですすいません。とはいえ担当とか元担とか推しとかもあるんで全然客観視じゃないです。
>赤西は?
素で忘れてましたすいません。でもこれも身近にサンプルいないしソロになってから現場行ったことないんだよな…Twitterで見る限り腹をくくった我が道を行くお姉さんとどっかとかけもちでとりあえず片足引っ掛けてる子といる気がする。
>嵐は07で古参なの
あー…サブカル浸ってたのは05くらいまでかなー…なんか増加の傾向からしてこれで3等分かな?って思ったんですけど、性質的には~05(古参)~07(中堅)~10(新規)11~(ド新規)くらいっすかね?
>エイター雑じゃね?
正直この辺からめんどくさくなってますすいません。あとエイトは個人的にブランクがあるので流れが追えてない。
じゃぁ…ヤンキー(古参)と虹色宗教(07年~)とミーハー(10年~か11年~)かな。
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10/22追記
丸パクリのクソまとめ(>http://matome.naver.jp/odai/2138232333764019801)されるのもはじめてでどうしよう…
こちらは参考になりましたありがとうございました。勉強します。
>http://matome.naver.jp/odai/2138227698438256701
これはさすがにJフレ大戦争が起こりかねないうえにたきつばやNEWSエイト筆頭に後輩も結構攻めこんでくるから早く島に逃げた方がいいと思います。
凱旋門賞とは簡単に言うと世界一のサラブレッドを決めるレースで、これに勝つことが世界中のホースマンの夢でもある。
毎年世界一の称号を目指して世界中の強豪馬がフランスのロンシャン競馬場に集結するけれども、今年で92回目を迎える伝統のレースなのにもかかわらず、未だにヨーロッパの馬以外が勝利したことはない。
44年前、第48回凱旋門賞にスピードシンボリという馬が参戦したのを皮切りに、日本のビッグレースをいくつも優勝してきた数多くの名馬が凱旋門賞に挑戦してきたが、その多くは海外の怪物馬たちに全く歯が立たず、今までの最高着順は2着、かの有名なディープインパクトでさえ3着(のち失格)に敗れた。
欧州のホースマンには彼らの矜持があるために日本には何としても勝たせたくないのであろう、勝利の壁は実に高い。
けれども少しずつその壁が低くなってきていることも事実である。日本の競馬界は44年前とは比べものにならないくらいの発展を遂げてきたのだ。
さて、今夜凱旋門賞に出走する日本馬の一頭の名は、「オルフェーヴル」。第78代日本ダービー馬であり、史上7頭目のクラシック三冠馬でもある。
オルフェーヴルはまさに歴代屈指の名馬で、世界中を見渡してもこの馬を凌ぐほどの馬はなかなか見当たらない。
騎乗した騎手を振り落としてしまうほどの激しい気性の持ち主だが、その気性がレースではプラスに転じ、獰猛な闘争心でもって他馬をあっという間に抜き去ってゆく。
しかしその気性はレース中にマイナスの面を露呈する場合もある。話題になったのが去年の「阪神大賞典」というレース。
このレース中、オルフェーヴルは騎手の指示に背き、本来なら後ろの方でレースを進めるはずのこの馬が、一気に先頭にまで躍り出てしまった。
先頭に立ったことでレースが終わったと馬が勘違いしたのか、何とコーナーのカーブの所で突然失速し、外へ逸走、最後方近くにまで下がってしまったのである。
1倍台前半の圧倒的人気を背負った馬のアクシデントに、馬券を買っていたファンは目の前が真っ暗になったであろう。
だがオルフェーヴルはやはりただの馬ではなかったのだ。失速した直後、まだ一生懸命走っている馬たちを見つけたとたん、レースが終わっていないことに気がつき、負けてたまるかとそこから一気に加速、さすがに最後はバテたものの、結果は何となんと2着であった。運動会の長距離走で、いったん走るのを諦めておきながら再びやる気を興して先頭に迫ろうとすることなど自分にはまったく考えられない。
とにかく、野蛮で規格外で破天荒、この馬は普通の馬ではないのである。
何としても世界一の称号を手に入れなければならない義務を背負う池江調教師、世界的名ジョッキーのスミヨン騎手らは、並々ならぬ闘志を秘めて本番に向かう。
凱旋門賞に出走するもう一頭の日本馬は、「キズナ」。第80代日本ダービー馬である。
オルフェーヴルが5歳という円熟期を迎えているのに対して、キズナはまだ3歳のピチピチの若者だ。オルフェーヴルが嵐だとすればキズナはセクシーゾーン。(ジャニーズのことはよく知らないが多分あってる)
「キズナ」という素晴らしい名前は、武豊騎手や佐々木調教師、前田オーナー、そして負傷する前にこの馬に乗っていた佐藤騎手たちの「絆」を見事に表している。
今年5月に行われた、世代の頂点を決める日本ダービーでは、武豊騎手を背に大外から豪快に差しきって優勝した。
さらに海外デビュー戦となった先月の前哨戦ニエル賞でも、前評判を覆し、大外から豪快な伸び足をみせ、今年の英国ダービー馬を振り切って優勝。
ちなみに、この馬は、7年前やはり武豊騎手を背にして凱旋門賞に挑戦したディープインパクトの子供で、親父の忘れ物を取りにいく意味につけても、実にロマンがあるのだ。
昨年、日本中の期待を受けて出走したオルフェーヴルは、いちどは先頭に立って他馬を突き放しておきながら、最後の最後に失速して人気薄の牝馬に差しきられ、悔しい悔しい2着だった。
新たな歴史を刻む現実味がいよいよ帯びてきたように思えるけれども、実際海外の強豪馬は「怪物」だらけで、欧州ホースマンのプライドもあり、今年もそう簡単には勝たせてくれないと思う。
しかし少なくとも歴代の日本馬14頭が敗れ去った過去の凱旋門賞と比較すれば、今年に最もチャンスがあることは間違いない。
こんなに長々と競馬のことを連ねて申し訳ないけれども、ふだん競馬に興味の無い方々にも、今夜のレースはぜひとも見てほしいと思い書くことにした。
人間って独りでは生きていけないはずなのに、俺は人との関わりを極力避けながら生きている。
あと、「仲間」とか「絆」とかも苦手。
人と人とは支え合いながら生きていくはずなのに、それでも俺は独り。
俺はまだ若い。
でもこのまま独りでは生きていけないことも自覚しているつもりだ。
結婚とかは割り切れるし、そもそもそんなものはしたくないけれども、自活して生きていくためには働いて金を稼ぐ必要がある。
だけど、働くっていうのは正に人の輪の中に入ること。
したがってそれさえも俺にとっては恐ろしくてたまらない。
怖くて怖くて逃げ出したくなる。
ブラック企業とは、一般的には、低賃金、長時間労働など社員に過酷な負担を強いる企業の総称をいいます。
WikiPediaによると、
とか、
解釈によっては、どんな企業もブラック企業に当てはめる事ができてしまうかもしれません。
また、「ブラック企業はブラック消費者が作り出した」という、いかにも企業側に責任が無いような意見もあります。
しかし、英語圏では、スウェットショップ(Sweatshop)と呼ばれている他、中国語圏では血汗向上とも呼ばれており、ブラック企業問題を抱えているのは日本だけではありません。
社会問題にもかかわらず、なかなか問題の本質が見えてこないのは、この「定義の曖昧さ」にあるのではないでしょうか?
最近では、企業側が「ブラック企業」の記事を書いた記者を訴えるなど、本当に混沌とした状況です。
バブル崩壊の時期には、「リストラ」の名の元に、数々の非人道的な人員整理が行われ、社会問題になりました。
山一證券倒産の際には、高額所得者への色々な形の「いじめ」が行われたそうです。(幹部を配置換えと称して新入社員の下に配するなど)
住専(住宅金融専門会社)の倒産の際には、営業成績の高かったある個人をスケープゴートとして、社員全員で「ゴキブリ」などと言わせて、いじめぬいていたそうです。
また、人員整理に留まらず、企業同士のいじめとして、「拓殖銀行倒産」のきっかけとなった、コール市場での「総スカン」なんていうのもありました。
金融機関の中小企業に対して行われた「貸しはがし」が社会問題になりました
最近の長く続いているデフレでは、裁判も頻繁に行われたサービス残業問題。
また、昔から定番の、短時間労働、高収入がうたい文句の求人(これは分かりやすいので、気を付ければ引っかからずにすみます)
「規制緩和」の名のもと、非正規雇用形態が広がり、社員や企業同士の「悪徳」が日常化していると考える事ができそうです。
日本は法治国家です。国民は「法」に守られていますので、企業側は安易に「不正」行為をはたらくことはできません。
そこで、「法」に触れないギリギリの線で、個人なり相手企業を攻めてくるわけです。
これが、いうなれば企業の悪徳行為は「いじめ」と言えるのではないでしょうか?
ただ、「いじめ」と聞くと、「いじめられる方にも責任がある」と感じてしまいます。
これは、「いじめ」から子供のイジメを想像してしまうからだと思います。
企業の行うイジメは全く異なります。背景には利害が絡んでおり、明確な目的があるのです。
戦略も伴います。場合によっては興信所や暴力団を使うなど、お金が動きます。
「暴力」と聞くと相手を、叩いたり蹴ったりなど、物理的に力を加える事を想像しがちですが、精神的に相手を追い詰める事だって立派な暴力です。
そもそも暴力というのは、自分だけの都合により、相手を排除したり、相手の力を奪う時に、「相手に加える力」だと思います。殴ったり蹴っ飛ばしたり、暴言を吐いたりなど様々あると思います。
その「力」のうち、直接相手に加える力が、一般的に「暴力」とされていると思いますが、間接的に相手に加える力も「暴力」のはずです。
例えばリストラを考えた場合、相手が働きにくい環境を作り出して、自ら辞職に追い込む事は「暴力」です。
仕事に無関係な作文を何枚も書かせたり、ブライドを傷つけて社内での立場を奪ったり、或いは精神的にうつ状態になるまで追い込む行為、これ等全ては「暴力」なんです。
※相手を精神疾患に追い詰める行為は厳密には「傷害」(刑事罰)になりますが、立件が困難な為この手を使う企業も少なくないハズです。
「暴力」というのは、自分だけの都合で相手を排除したり、力を奪うわけですから、企業が「暴力」を乱用すれば、収益を上げる事が出来るのは、当然の事でしょう。
「暴力」というくくりで考えてみますと、直接的暴力、例えば、コンビニ強盗では、お金を払わずに商品を手に入れる事が出来ます。短期的に見れば、一番効率の良い物資の調達方法です。
間接的な暴力は多少効率が落ちますが、やっている事は同じなのです。
その企業に「暴力」があるという事は、逆に言えば、「安全、安心」が無いという事です。
「安全、安心」がトレードオフになっているのです。その結果、以下の現象が生じるハズです。
「暴力」の元では人は常に緊張状態に置かれ、落ち着くことが出来ません。
こんな環境では人は育ちません。
暴力をふるう両親の元で、ちゃんとした子供が育たないのと同じです。
当たり前ですね。
ただし、「どの人の下に付けば自分は安全なのか?」を絶えず気にして行動しますので、人の上下関係はきっちりします。
ヤクザと同じです。
社内で、地味かもしれませんが「暴力」が行われている事を目の当たりにするわけです。
そんな中では、誰も、一生懸命仕事をしようとか、難しい事を習得しようとかという発想にはなりません。
社内で出来る人がいなければ、派遣を安く使って、やらせればよいわけです。
社内では色々なノウハウも蓄積されません。
そうなると、経営陣は社員たちを追い出して社名を変えてまた会社をやり直すわけです。
技術大国と言われるほど、ものづくりが上手だったり、皆勤勉(識字率がほぼ100%)だったり、「絆」を大切にしたりなどの前提には、「安全、安心」が有ったからだと思います。
今回のレストランの件では、同伴の女性が実際にどういった態度をとったのかはわからない。しかし、のちに乙武がツイッター上で相手の店名を晒して自分の信者たちに突撃させようとした理由はなんとなくわかる。彼はヤンキーなんだ。障碍者というその外見に騙されやすいけれど、基本的にヤンキーだし、成功体験を持つ人だし、猪瀬直樹の友人だ。
レストランの店長から「入店拒否」された際、彼は自分自身をみすぼらしい存在に思ったことだろう。女性の前で他の男から「馬鹿にされる」ことはヤンキーにとって社会的死にも等しい。そんな立場に追い込まれたヤンキーが、次にどういう手段をとるかは容易に想像できる。殴ればいい。しかし、乙武には無理だった。手が出ない。足も出ない。ならば、どうすればいいのか。手足が無理なら、文字で殴ればいい。ここで一発逆転、社会的な死を迎えるのはレストラン店長になる。過去の発言がTogetterでまとめられ、電話は朝から晩まで鳴り止まず、民族的な理由によって侮辱される。これらは彼はフォロワーとの「絆」によるものだ。乙武は文字通り自らの手を汚さずして勝利した。
実は女性は、乙武が書いた内容ほどには狼狽していなかったのかもしれない。本当に狼狽していたのは、女性に「ええかっこしい」なポーズを見せ、「武勇伝」を語りたい彼自身だったのではないか。今回の件は障碍者問題というよりも、現代日本を広く覆うヤンキー問題が顕在したものなのである。
正直に言って、日本にいて一番嫌だと思うこと-----それはクラスメートが私に借金をお願いしてくる事である。
寮のクラスメート達は、来日して一年の間に十回ぐらい借金をお願いしてきた。
なぜ私は金を貸すのが嫌いか?それは、借金について、日中二国の考え方は全く逆であるから。
中国は人情社会、人と人の間の人情は一番大事なことだ。(多分日本人の「絆」みたいなもの)その上、友達の人情関係は取り分け熱いものだ。
中国人のルールは、友達同士でお互い助けるのは当然だ。だから、中国人は友達に金を借りやすい。他人が君にお願いすれば、それは「君を親友と見なす」と言う意味だ。もし君が貸さなかったら「友情を拒否された」と受け取るだろう。友達ではなくなるかも。
でも日本の方は、中国と比べて人間関係は冷めている。日本人のルールは、他人に迷惑を掛けないこと。
そして、借金について、日本人の考え方は中国人の逆:友達だから、金を借りない。もし借りれば、友達から絶交されるかも知れない。
このシーン、中国人には多分理解しにくい。友達なら、金を借りるのは当然なことでしょう?
僕は小さい時からずっと日本の漫画、アニメ、ゲームをやっていたオタクだから、そういうルールも日本側の方へ変わった。他人に迷惑をかけないように、僕は周りのクラスメート達にお願いをあまりしなかった。
だから、クラスメート達が中国人のルールによって、僕に金をお願いした時、本当に困ったよ!!!
しかし、困ったけれど、今回も貸してあげた。
オタクだから、口下手だし、情に脆い。他人の願いを断りにくい。
日本人へ。もし貴方は中国人に友達になりたいのなら、彼に何千円かの借金をお願いして、数日後すぐ金を返そう。そうすれば、彼は「親友として見られている」と思うだろう。
中国人へ。もし貴方は日本人と絶交したいのならば、どんどん借金をお願してください。(返済を滞らせること)すごく効果的な方法だよ!
人材コンサルタントの常見氏が「僕は最近、英語をやり直しているんですが、NHKの教材は最強です。初歩的なことから高度なことまで、月に数百円で学べるなんてすごいですよ。」と発言したところ、元国連職員のMay_Roma氏が「コピーしてんじゃねぇ。俺に金払え、バカ野郎」とお怒り遊ばれたのです。詳しくはこちらをどうぞ→常見陽平氏の発言にMay_Roma氏が怒髪天を衝く
なぜこれほど彼女が激怒しているのかというと「NHKの英語教材がいい」という発言が、自分のパクリであるからだそうだ。
常見氏はポルナレフ状態で
「あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!おれは奴の前で『NHKの教材、いいよね』と当たり前の事を言ったと思ったらいつのまにか著作権料を請求されていた。自意識過剰だとか基地の外だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ。 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…」といった気分でしょう。
でも、ただこの案件にげんなりしているのでは意味がありません。私たちは世界の嫌な部分からも何かを学び、前に進むことができるからです。
May_Romaさんによれば、「NHKの教材って、馬鹿にならないよね。結構スゴイよね」と英語を多少なりともかじったことのある人なら誰でも語ったであろう言葉をもって、著作権料を請求できるらしい。何を言っているかわからねーとは思うが、元国連職員でTwitterフォロワーがたくさんいるMay_Romaさんが言うんだから間違いないのです。彼女の御お言葉は、あまねく娑婆世界を照らすものなのでございますから。
「NHKの教材いいよね」レベルの発言で著作権が主張できるのなら、この世界には宝の山がドサドシャとあることに気がつきます。
そんなわけで、Twitter超人のMay_Romaさんの方法を真似て、僕も「誰でも言ってそうなこと」を言って億万長者になろうと思います。以下の発言をこれからする人は、敬意と尊敬をもって、僕にお金を払ってください。
さぁ、みんなも「誰でも言いそうなこと」を発言して億万長者になろう!早い者勝ちだよ!
あなたたち目の前で同級生や同僚がいじめられていたとき、いじめる人に組せず助けようとして
次の標的にされたことはありますか?毎日のようにとび蹴り集団リンチの標的になったことがありますか?
どっちにも組せずニヤニヤ薄笑いを浮かべていたか、付き合いでいじめられる人が目の前にいる所で
悪口に相槌を打っていたのではありませんか?
それどころか見てみぬふりをして集団リンチを受けた子には「やりかえしたら同じレベルになる」
「喧嘩両成敗」「大人になって見返してやれ」などと事なかれ主義を押し付けて集団リンチにあっているのに我慢ばかりさせていたのではありませんか?
日常で身の回りの人の人権を守ろうとしなかった人達が加害者の人権ガーとか無抵抗主義とか唱えても助けてもらえなかったいじめ廃人には届かない
過去に理不尽な目に遭った時にかばってくれた同級生や大人がたくさんいて、また増田もその恩義に感じ入りいじめられた人を全ての人は無理でも何人かかばってきたからこそ社会に「絆」が生まれ、増田が復讐に走るのを止めるブレーキとなっている。
で、何今更「人権ガー」って何それって話ですよ 周りの人を守らなければいけないときに守らなかった人達が今更唱える「人権」って何なの。増田さっぱり心に響かない