「「絆」」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 「絆」とは

2020-07-10

今年の漢字1文字なんだと思う?

コロナ関連なのは間違いないと思うけど、「病」とか「菌」とかだろうか。

「絆」かに走りそうでもあるなあ。

2020-05-08

嫌いな言葉

おうち、不要不急、STAY HOMEいのち、等々

震災の時の「絆」みたいに

適当キーワード感情や行動を統一化させようとうするのが嫌いみたい

こういうの連呼されると虫唾が走る

2020-04-19

感動ポルノ

「絆」とか言い出したらもう終わったようなもん

2020-04-16

anond:20200416180953

正直一律給付という言葉が痛快だ。

困窮層が困窮してない層から割を食ってるのと同じように、困窮してない層も困窮層から割を食ってる。

一律給付こそ、みんなが大好きな「絆」だろう。

2019-12-25

anond:20191225002301

日本根本的に大きな社会を維持するのに向いてない。

ムラの中ではマウント取り合い・ポジショントークに徹するクズ、ムラの外の人間人間として扱わないクズ。内外どちらに対してもクズという珍しい文化を持ってる。

3.11の後に「絆」合言葉になって変わるかなと思ったりしたけど無理だったね。

2019-12-03

2011.3.11以降、ものすごい勢いで日本が美しくなってる

こんなはすではなかったのではないか

これから「絆」時代がくる、そう思っていた。

でもどんどん日本が美しくなっていってる、たった8年だぜ?

こんなに美しくなるなんて全く思ってなかった。

みんなはどう思う?

2019-11-07

今気づいたんだけど「絆創膏」の「絆」の字って「きずな」じゃん

「キズ」と「膏薬」の「絆」……

イイね………👍

2019-11-02

anond:20191102193439

あれほど多くの人が亡くなっても「絆」のために大災害感謝するんですか、そうですか。

ちなみに私、東日本の住人です。認知が歪んでいるのはあなたですね。

anond:20191102192955

君はだいぶ認知が歪んでいるようだね

今の日本人東日本大震災「絆」の大切さを身に染みて痛感した人たちばかりだ

きみは西日本のひとで実感ないかもしれないが、我々は大津波にも東京電力にも皆とても感謝しているんだよ?

もうちょっと世間についてよく学んだほうがよいみたいだね、君の今後の検討を祈るよ

2019-08-29

りりむの配信見てたら「好みのタイプは隠キャ」ってすぐわかるんだけど、「本心かコウに寄せたかどっち?」と聞かれてはぐらかそうか迷うりりむとか、ぶっちゃけ分かりやすい答えに対して「攻めていい?」とか「テンドンで笑い取れる」とか「視聴者ウケ狙ったでしょ?」とか言ってはぐらかすコウとかの絶妙距離感がてぇてぇすぎて尊死したものの、「あ、これ弄っちゃダメなやつだ」と判断して胸にしまった。

「弄っちゃダメ」というのは「ガチ恋愛感情から」とか「ガチで嫌がってるから」とかそういうのじゃなく、それがどんな感情であれ本人以外の誰かが勝手規定していいものではないというか、好きとか嫌いとかそんな単純な言葉では表せない複雑怪奇「絆」というか「呪縛」というか、おりコウはそういう意味での「ガチ」感が最高にてぇてぇのでてぇてぇ以外の言葉がなかなか出てこなくて、他に思いつくとしたら「キモいしかない。

2019-08-26

なぜ我々は24時間テレビを楽しめなかったのか

厳密に言うとなぜマラソンをしているんですか???? と斜にかまえた見方しか出来なかったのは何故だったのか? という話です。

毎朝スッキリを見ている。スッキリを見はじめて2年ほど経ったと思う。加藤浩次が好きすぎる。水卜ちゃん春菜阿部リポーターも、とにかく出てる人たちが好きすぎるし、大体の人のキャラ設定もわかっている。

毎週イッテQを見ている。なぜならウッチャンが好きだからであるやるならやらねばウリナリ、どちらも目を輝かせて見ていた世代だ。

今年の24時間テレビマラソンランナーは、いとうあさこガンバレルーヤよしこ春菜に水卜ちゃんである

繰り返すが全員のキャラ設定が分かっているし、好きで見ている番組に出ている人たちなので、入れ込んでいる。その人の背景がわかる。好きな芸能人なのである。そんな人たちがマラソンを走ったらどうなるか?

そもそも、4人が走るというので、子供の頃ぶりに24時間テレビチャンネルを合わせていた。24時間テレビってなぜ終わらないんだろうと思いながら。それなのに、私はスターター加藤浩次が出てきた時点で号泣していた。くどいようだが、知っているのである。毎朝楽しげにふざけあうスッキリメンバーを見ているのである。各々のキャラ設定がわかっているのである「絆」を知ってしまっているのである

というわけで、泣きっぱなしでずっと見ていた。途中なぜか死んだ人たちにむけて手紙を読む俳優など、どういう気持ちでやってんだ? と思っていたが理解はできた。視聴者にとっては好き俳優だったりするのであるキャラ設定や、手紙相手との関係性がわかっている。そんなの泣く。私が春菜が走っている途中で相方が出てきた時のやりとりで号泣したように。

そういう番組なのだ。ようやく理解した。そういう感覚があれば、どこに募金してんだよ? とか、ギャラが出るってなんなんだよ? とかどうでもいいのである。嵐のファンなんて、嵐は今年で活動休止するのだから、すさまじい熱量を抱いて番組を見ているのだろう。

24時間テレビを楽しみたければ推し必要なのだ推しがいなければ見る必要もないだろう。

2019-04-18

ただの偏見なんですけど

ワンピースが好きと公言してたり、グッズ(特にTシャツとか)使ってる人って

だいたい、なんていうか苦手なタイプなんだよね。

24時間テレビ募金会場にめかして行って、テレビに映って

ニッポンの絆!感動!」って号泣してるタイプっていうか。

その割には、点字ブロックの上に構わず無断駐車するタイプっていうか。

「絆」をタテに、職場全員でそいつ誕生日会やらないと怒り出すタイプっていうか。

あ、上記エピソードはは全部前職の先輩(38歳・ギャル)の実話です。

でも、他のワンピースTシャツ着てる奴らも

大体同じ雰囲気から、多分自分とは全く合わないと思う。

anond:20190417233213

2018-12-16

anond:20181216162130

沖縄独立したほうがいい。

国の加害責任もあると思う。

ただ、本土の遠いところに住んでいる国民はその実感が薄いし、責任の取り方も何を望まれているのかよく分からない。多分、分かるようになるまで関心を持つべなのだろう。(各被災地と同程度に「絆」を感じるくらいには)

とは言っても元々別の国で、文化背景をよく知らない。多分(以下略

学力とか就職率とか披暴力とかを押し付けてきたのは事実として認識する。

本土に逃げたらええやん?では解決できないのだろう。先祖土地放棄しろ&資源として差し出せってことだし。

そこを安易放棄せず、内地連帯して踏み留まっている誇りは大変尊いものだ。

でもさ。本土の各地方でも色々問題を抱えていて忙しいんだよ。

その問題沖縄人が共有してくれるのか?無理だろ。

から独立邪魔しない程度の意思を表するにとどまるってわけ。

2018-10-22

「絆」も「愛」もない世の中で

未来に明かりはあるのだろうか……?

2018-10-14

anond:20181014100231

一時的な緊急状態になり、政治・経済麻痺するだろう。

そして次の段階として、「絆」発動。これで皆が協力して頑張りだす。

一回ぶっ壊れてしまえば、既得権益邪魔も入りにくく、割と回復スムーズだと思う(発展と言える現象も現れると思う)。

そんで回復頭打ちになったら、いつもの日常

 

まぁ、ほんとは核ミサイルなしで行うべきなんだけどな。

やっぱちょっと喜劇的にならざるを得ない。

2018-07-30

女の子の名づけについて

親類の一人が今妊娠中で、検査でどうも女の子らしいということで名前についての相談を受けた。

もちろん私に決定権があるわけじゃなくて、その夫婦ともに知り合いなので何かかっこいい名前候補でもないかというくらいの相談だ。

で、自分創作とかなら女の子名前は考えたことあるけど実際に人の名前として考えたことはなかたのでいくつか本を読んだりネットで調べてみたりした。

そうしてびっくりしたのが、運勢判断とかで「いい女の子名前」とされる条件はものすごく狭いということだった。

いろんな説はあるけど簡単にまとめると、女の子名前として「秀」「雅」「力」「考」「強」「早・速」といったパワフルなものは凶運を招くんだそうな。

反対によいとされるのは「優(これも優秀、という意味では☓)」や花とか植物名前、「結」「絆」「美」「麗」「愛」「円」とか、あとは「里」とか郷土愛を感じさせるものだそうで。

こういうのもきっと時代の流れで変わっていくんだろうなと思うんだけど、自分が調べる前にその女の子のために考えていた名前全部否定されててなんかなあって気分になった。

ほんの少し前まで、女の子幸せって「家庭をもつこと」「人間関係を温和に保つこと」「夫につくして影で支えること」なんだったんだなあって思った。

2018-05-17

オタクヤンキーの亜種なんじゃないか

根底にある価値観

・同じ価値観を共有している人間のみが「人間」であり、他は自分たち言葉/暴力を通じて支配してもよい

・全体としての秩序(法律)は「なんか知らん人が勝手に決めた面倒くさいもの」で、自分たちの秩序の方を優先してよい


類似する振る舞い

・同じ価値観を共有していれば極めて社交的かつ友好的。環境が揃っていれば容易に群れる。

・「人間」以外に興味がないため、しばしば「オタク」「ヤンキー」「陰キャ」「陽キャ」などといった大雑把かつ曖昧な人の括りを好む。

・しばしば外部から見るとダブルスタンダード言動をとる。本人たちにはそもそも「俺らが一番」以外に思想などないから、本人たちとしては理にかなっているのである

社会への不満感は強い。彼らを働かせる人間基本的に「人間」でないことが多いため。彼らが譲歩しても認識できない。

権利ばかりを声高に叫んでいるように見える。義務倫理とは「人間」でないものから与えられるからである

私刑を頻繁に行う。価値観を共有していないのに自身と同じ集団に居る人間を許容できない。

「こいつムカつくしぶん殴りたい/炎上させたいけどもうボコボコだし俺はやめとくか…」という発想ができる人間がおらず、全員が最大限の攻撃を加えるため攻撃は峻烈。

・外から見ると優生論者に見える。「自分の思い通りにならないやつは死ねばいい」と思っているため。そのため自分は必ず優生とみなす。

・罪に見合った罰という考えが一切ない。「自分に害を及ぼすかもしれないやつは死ね」と考えているため。殺人だろうが窃盗だろうが強姦だろうが不倫だろうが罵倒だろうが全部死刑

約束は人並みに守るが駆け引きは苦手。「人間」でない人間利益思想メンツを考えることができない。よく他人と揉めるが、本人は相手の頭がおかしいとしか思っていない。

・ある程度群れが大きくなると仲間割れを引き起こす。自分当事者場合唯我独尊さが邪魔をして、自分傍観者場合駆け引き下手が影響して、争いを止めることができない。そのため、「声がデカい」以外に政治的な影響力を発揮できない。

「絆」連携」「一体感」といった和を尊ぶような標語が内心大好き。


相違点

ヤンキー趣味は近しい他人絶対必要であるか、暴力に繋がる素養(腕っぷし)が必要とされることが多い。対してオタク趣味は基本一人でもよく、またそれ自体暴力に繋がらない。暴力が見逃されがちな大多数の学校では必然ヤンキーが主流となる。

オタクバッシングが激しかった頃はSNSが今に比べて未発達だった。そのため、オタク潜在的にはヤンキーと同じくらいいたが、局所的にマイノリティにならざるを得なかった。局所的なマイノリティであるために、数少ない同類出会える場を失うような言動を避けるので真面目なように見えていた。

最近SNSが発達してきたことで、身近な友人を求めるヤンキーよりもオタクの方が勢力が大きく見える。


僕も「陰キャ」な趣味を持ってるけど、ヤンキーから同類として括られるオタクに妙な違和感を感じてた(直近だとマスコミ報道に対するオタク過剰反応だとか、モバマス総選挙での内紛模様とか)。で、言語化してみたらこんな感じだった。

折角書いたけどさすがにtwitterに書き込むほどバカじゃないから、ここに書き捨てていきます

こういう風に見てる人もいるんだな、くらいでどうぞ。

2018-01-26

「絆」って

糸半

とは違うの?

「ソ」じゃなくて「ハ」?

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2017-12-11

anond:20171211132057

「絆」「和」自発性のなさを自己肯定するための裏返った論理なのかも。

これらも厳しい環境にいる人間がよく発するものだし。

統治者からみればとても都合のいい性質だが……。

から保守層は厳しいしつけを肯定「絆」「和」喧伝するのかな。

2017-06-24

ギャルあるある

・黒ギャル生活が不規則

・黒ギャル荷物が多い

・黒ギャルサンリオ親和性が高い

・黒ギャルハートマークを多用する

・黒ギャル友達無限にいる

・黒ギャルは互いを~ぴょん、~みんと呼び会う

・黒ギャルは「ノリ」と「気合い」で臨む

・黒ギャル森羅万象デコる

・黒ギャルは「今」が全て

・黒ギャル本棚を持たない

・黒ギャルは「地元」との「絆」が至上の価値

・黒ギャルLDH系の男しか視界に入らない

・黒ギャルDQN車の後部座席スマホをいじっている

・黒ギャルオタクゴミだと思っている

・黒ギャルはチャラ箱に帰巣する

・黒ギャルは弟思い

・黒ギャルは結局日本が好き

・黒ギャル安倍首相をまあ評価している

・黒ギャルは意外とアニメを見る

・黒ギャル貞操観念が低そうで実は高いと思いきややはり低い

・黒ギャルは黒ギャルを産む

・黒ギャル増田絶対に知らない

2017-04-09

けものフレンズのヒットを考えるときの補助線は人間ごっこじゃない気

https://animeanime.jp/article/2017/04/08/33387.html

読んだ。

もちろん作品の受け取り方は十人十色だと思うし書いてらっしゃる考え方も面白いなぁと思うのだけれども。自分自身がそう感じたかと考えると、若干もやった。なのでぐだぐだ考えながら書いてみる。上手に整理できるかな

自分自身作品全体を通して見た後に強く心に残ったのは「今までにない関係性の余地」みたいな物だった。もっと言うと「今までにない関係性に対する希望」みたいな物だ。少なくとも自分にとっては、この「関係性に対する希望」こそが、この作品作品世界を好ましく思うポイントになっている様に感じた。

ロードムービー的な展開を通じて各ちほーのフレンズ達と丁寧に向合い、都度好ましい関係を結び続けて来たかばんちゃんが、何よりも大切に考えていたのは「関係性とその記憶なのだと思う。自身出自も含め一切の記憶を持たないかばんちゃんにとって、唯一財産と呼べる物は「フレンズ達との関係性とその記憶なのだろう。だからこその11話の自己犠牲だ。そしてそのかばんちゃんの意志に対して、各ちほーで「関係」を結んで来たフレンズ達も同様の判断を下した。その結果が12話の全員集合だ。

友達との想い出を守る」など直球にも程がある。がしかし多くの視聴者はこのシーンで盛り上がった。少なくとも自分は年甲斐もなく震えた。なぜか。勿論中盤までの展開との落差等見せ方の巧さもあるだろう。がそれだけではない。このシーンはかばんちゃんとフレンズ達が、種の境い目を超えて最優先事項と位置付けた「関係性」が全肯定され「群れとしての強さ」を発揮するシーンなのだと思う。

通常「群れ」とは同一種によって形成される物だが、この作品世界ではこれが種の壁を越えて形成される。これを可能にする仕掛けこそが「フレンズなのだと思う。フレンズは各々種としての特性を残しつつ言葉を介し意思疎通することが出来る。この特性は「ヒトのフレンズであるかばんちゃんにも同様に適応される。そう。かばんちゃんも「ヒト」ではなく「ヒトの特性を残したフレンズなのだ。かつて何者であったかを問わずフレンズである事によって、フラットに、各々の特性を活かしながら「かつてない、種を超えた関係性」を結ぶ事が可能になる。そしてそれが正しく力を発揮する「けものはいものけ者はいない」たつき監督がつくり出したかったのは、そういう世界なのだろう。

そういえば一昔前「絆」という言葉がもてはやされスグに消えた。当然だ。実生活では会社でも学校でも家庭でさえも他者との「絆」を疑い無く信じ抜く事は難しい。ともすれば裏切られ傷つけられてしまう。それが現実だ。ヒトは大人になるにつれ、その難しさ理解し欲しながらも諦め忘れて行く。「関係性の力を信じさせる」という事は、だからこそとてつもなく難しい。「世界ひとつだけの花」と歌った人気グループ解散した。作り物のおとぎ話の中でさえもこれを破綻無く成立させる事は困難だ。生半可な事ではこの困難を乗り越えヒトに希望を感じさせる事は難しい。

この困難を乗り越え、説得力のあるおとぎ話をつくるには相当な技量必要になる。それこそが「クリエーター技量」という物なのだろう。が。たつき監督は「フレンズ」という仕掛けを通じてこのおとぎ話を成立させた。「癒し提供したい」という趣旨発言があったが、それは「癒しっぽい気分の提供」では無く「関係性に対する希望破綻無く魅せる」という事なのだろうと自分は受け取った。細かく指摘すれば綻びの芽もあるのだろうが、それでも相当の精度で「おとぎ話」を成立させた力量はとんでもない物だと思う。どうして今まで世の中に出て来なかったのか不思議でならない。これから先どんなおとぎ話を語ってくれるのか。もう本当に楽しみで楽しみでならない。

あれこれ考えながら書いてたら、たつき監督を讃えて結ぶ感じになった。けど。まいっか。

2017-01-01

[]

今回は裏サンデー

グッド・ナイトワールド 50話

明かされるAI開発者の想いは、遠まわしに本音吐露でもある。

要人物でありながら、言動がどこまで体裁本心なのかってことが明示されていないキャラクターの、ここぞというとき吐露演出としては強力だよね。

まあ、作風なのか、これまでの登場人物ほとんどは言動から読み取れる信頼性人格をぼかす描写が多いけれどもね。

いうならば叙述トリック一種でもある。

これの難点は、構成上の無意義さ含めて楽しめる心構えが出来ていないと、読者によっては中だるみに感じたり酷く白けてしまことなんだよね。

まあ、西尾維新原作物語を筆頭に、叙述トリックに特化した物語に慣れている私からすれば、これくらいは構成上捨てられない範疇だと思える。

この漫画テーマ「家族」だとか「絆」であることは明らかだが、今回の真実味を帯びた本音吐露メタ的に見ればテーマに繋がっていて一貫している。

のらりくらりとした展開ややり取りに見えて、テーマを一貫させた構成というバランス感覚には感心する。

勇者が死んだ! 79話(後編)

魔力のキャパオーバー狙いがアンサーか。

まあ、妥当だね。

幽白桑原VS白虎戦だとか、最近だとブラクロもこの方法使ってたね。

まあ本作の場合は、相手が吸収する能力を持つわけではなく、姫が能動的に無理やり吸収させているので、状況に応じたアンサーではなくて、既存アイデアをより汎用性のある形で昇華させたと解釈することもできる。

堕天作戦 修羅胎動 Part2

小国の、一戦線での腹の探り合いかと思いきや、話がどんどん大きなことになっていくことを感じさせる展開がワクワクする。

専門用語や設定が乱立して話を把握しにくいにも関わらず、そういう雰囲気を感じ取れるってのは構成の妙か。

秋月さんは大人になれない 第42話

気取り屋という秋月キャラクターが活きている演出だね。

これが例えば普通人間がやったらサムさが増すんだけれども、秋月の基本ズレ気味の演出で展開されるコメディが弛緩の役割を果たすこともあって、フっと出てくる想いに胸を打たれるわけだ。

気取りすぎたり基本ズレているにも関わらず、想いを届けるために必要である本質的な部分に関して理解している。

2016-12-01

週間文春「ユニクロ潜入一年」を読んで

今週の文春。

連載なので、具体的に某ファストファッション企業の売り場から見える実態と闇の深さの考察は次号を読まねばならず、

今週は導入部分といったところか。

しかし、今回触れられていたバーゲンと呼ばれる催事間中販売員店舗業務従事する労働者過酷労働環境プレッシャーは、

いくら初めから納得の上で課せられた「仕事」とはいえ、読んでいて本当に胸が痛くなる。

自分にも身に覚えがあるからだ。

自分10年間、某大手アパレル店長をしていた。

アパレル流通においてSPAの中で店舗対面販売部門は、その売り上げを通信販売・無店舗型のインターネット取引に取って代わられつつある。

販売員を長時間拘束し、人件費家賃含め諸経費がかかりすぎる店舗経営というのは、これから縮小の一途をたどるのは明白だ。

売り場は、今、時代に即したやり方でもっとスピーディー情報伝達体系を模索して変化しなければ生き残れない。

しかし、記事を読む限り、そして同業他社の様々な人たちから聞く限り、

いまだに売り場というのは原始的かつ高圧的なトップダウン形態支配されている。

ブランド名商品力だけでは響かぬ、移り気で流動的なお客様が購入に至る過程において、

接客販売」というのは、

商品の力だけでは補えぬ「知識」「信頼」「安心」を生み、ブランドファンを増やすという点において、非常に重要仕事だ。

広告ネームバリュー商品力だけでは補えない、人と商品との「出会い」と「絆」は、

しろ今こそ実店舗経営は他社との明確な差別化を訴求するための、強力な武器になりうると思う。

売り場は、そこに行った者にしか味わえぬ強烈な「体験」がある。

販売員お客様個性に合わせて演出し、魔法をかけ、喜びと優越感を体感してもらう。

だが、その売り場に今となっては「数字」「雑用」「クレーム処理」ばかりが、しわ寄せのように押し寄せる。

働いている人々のポジション賃金も、本社に属する者より低く安い。

過去には現場重視の会社も多々あったが、この不況でグッと数が減った。

年齢が上がり売り場に立てなくなった古参販売員の他業種への流出も、具体的な受け皿がないままダダ漏れ状態

数字キッチリ取れるほどの販売力、心地よいサービス提供する接客力というのは、数ヶ月〜1年ではなかなか身につかない。

しか販売離職率は上がり、キャリアの浅いバイト派遣ばかりで、接客スキルの質の著しい低下も、最近はとても目に付く。

「売り場重視」「働きやす環境」を謳う何社かも、比較すれば他の業界に比べ圧倒的に賃金福利厚生共に水準には全く届かない。

今回のこの連載が、業界においての接客に携わる人たちの労働待遇改善地位向上の動きにつながりますように…と、

応援意味も込めて文春を購入した次第。

2016-11-08

ユダヤ人も手を焼いた 戦前日本家族制

戦前日本家族制度についての意外な事実を紹介。

すばらしかった戦前家族制

面白い話を一つ紹介しよう。

かつて国際連盟労働部長であったユダヤ人、アルベールトーマが日本労働事情調査のため来日した。

国際連盟といっても、教科書歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤ世界政府ともいうべきものである

第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人政治面へも進出をはかり、その結果作られたもの国際連盟なのである

この連盟指導者は、日本人杉村太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである

なぜユダヤ人労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義階級闘争史観宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである

話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベールトーマが来日し、日本階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。

アルベールトーマは、

日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である

何故ならば、労働者失業しても労働運動などする必要はない。

家族が暖かく迎え入れてくれるからである

この家族制度を何とかしない限り、日本階級闘争を持ち込むことは難しい」

といっているのである

アインシュタインもまた来日した時、日光金谷ホテルからドイツユダヤ機関手紙を書いているが、その中に日本家族制度の立派さを書いているのである

ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである

具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである

前述のアルベールトーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人マルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内君主制といわれる如く邪魔存在だったのだ。

家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族マルクス主義的変革事業邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである

『あるユダヤ人懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカモーゼ)より

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このことから判ることは、核家族化や女性社会進出人類社会進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。

もともと日本国体は、天皇家本家国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。

家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家解体するという作戦だったようですね。

近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。

戦前日本家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。

分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。

しか戦後は彼らの思惑通り、核家族化が進みます

そして、大家族で行ってきた子育て核家族で行うのが困難になり

保育園落ちた、日本死ね!」

へと続く・・・

http://anond.hatelabo.jp/20161108114257

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