はてなキーワード: 「絆」とは
りりむの配信見てたら「好みのタイプは隠キャ」ってすぐわかるんだけど、「本心かコウに寄せたかどっち?」と聞かれてはぐらかそうか迷うりりむとか、ぶっちゃけ分かりやすい答えに対して「攻めていい?」とか「テンドンで笑い取れる」とか「視聴者ウケ狙ったでしょ?」とか言ってはぐらかすコウとかの絶妙な距離感がてぇてぇすぎて尊死したものの、「あ、これ弄っちゃダメなやつだ」と判断して胸にしまった。
「弄っちゃダメ」というのは「ガチの恋愛感情だから」とか「ガチで嫌がってるから」とかそういうのじゃなく、それがどんな感情であれ本人以外の誰かが勝手に規定していいものではないというか、好きとか嫌いとかそんな単純な言葉では表せない複雑怪奇な「絆」というか「呪縛」というか、おりコウはそういう意味での「ガチ」感が最高にてぇてぇのでてぇてぇ以外の言葉がなかなか出てこなくて、他に思いつくとしたら「キモい」しかない。
厳密に言うとなぜマラソンをしているんですか???? と斜にかまえた見方しか出来なかったのは何故だったのか? という話です。
毎朝スッキリを見ている。スッキリを見はじめて2年ほど経ったと思う。加藤浩次が好きすぎる。水卜ちゃんも春菜も阿部リポーターも、とにかく出てる人たちが好きすぎるし、大体の人のキャラ設定もわかっている。
毎週イッテQを見ている。なぜならウッチャンが好きだからである。やるならやらねば、ウリナリ、どちらも目を輝かせて見ていた世代だ。
今年の24時間テレビのマラソンランナーは、いとうあさこにガンバレルーヤのよしこ、春菜に水卜ちゃんである。
繰り返すが全員のキャラ設定が分かっているし、好きで見ている番組に出ている人たちなので、入れ込んでいる。その人の背景がわかる。好きな芸能人なのである。そんな人たちがマラソンを走ったらどうなるか?
そもそも、4人が走るというので、子供の頃ぶりに24時間テレビにチャンネルを合わせていた。24時間テレビってなぜ終わらないんだろうと思いながら。それなのに、私はスターターで加藤浩次が出てきた時点で号泣していた。くどいようだが、知っているのである。毎朝楽しげにふざけあうスッキリのメンバーを見ているのである。各々のキャラ設定がわかっているのである。「絆」を知ってしまっているのである。
というわけで、泣きっぱなしでずっと見ていた。途中なぜか死んだ人たちにむけて手紙を読む俳優など、どういう気持ちでやってんだ? と思っていたが理解はできた。視聴者にとっては好き俳優だったりするのである。キャラ設定や、手紙の相手との関係性がわかっている。そんなの泣く。私が春菜が走っている途中で相方が出てきた時のやりとりで号泣したように。
そういう番組なのだ。ようやく理解した。そういう感覚があれば、どこに募金してんだよ? とか、ギャラが出るってなんなんだよ? とかどうでもいいのである。嵐のファンなんて、嵐は今年で活動休止するのだから、すさまじい熱量を抱いて番組を見ているのだろう。
親類の一人が今妊娠中で、検査でどうも女の子らしいということで名前についての相談を受けた。
もちろん私に決定権があるわけじゃなくて、その夫婦ともに知り合いなので何かかっこいい名前の候補でもないかというくらいの相談だ。
で、自分は創作とかなら女の子の名前は考えたことあるけど実際に人の名前として考えたことはなかたのでいくつか本を読んだりネットで調べてみたりした。
そうしてびっくりしたのが、運勢判断とかで「いい女の子の名前」とされる条件はものすごく狭いということだった。
いろんな説はあるけど簡単にまとめると、女の子の名前として「秀」「雅」「力」「考」「強」「早・速」といったパワフルなものは凶運を招くんだそうな。
反対によいとされるのは「優(これも優秀、という意味では☓)」や花とか植物の名前、「結」「絆」「美」「麗」「愛」「円」とか、あとは「里」とか郷土愛を感じさせるものだそうで。
こういうのもきっと時代の流れで変わっていくんだろうなと思うんだけど、自分が調べる前にその女の子のために考えていた名前が全部否定されててなんかなあって気分になった。
ほんの少し前まで、女の子の幸せって「家庭をもつこと」「人間関係を温和に保つこと」「夫につくして影で支えること」なんだったんだなあって思った。
・同じ価値観を共有している人間のみが「人間」であり、他は自分たちが言葉/暴力を通じて支配してもよい
・全体としての秩序(法律)は「なんか知らん人が勝手に決めた面倒くさいもの」で、自分たちの秩序の方を優先してよい
類似する振る舞い
・同じ価値観を共有していれば極めて社交的かつ友好的。環境が揃っていれば容易に群れる。
・「人間」以外に興味がないため、しばしば「オタク」「ヤンキー」「陰キャ」「陽キャ」などといった大雑把かつ曖昧な人の括りを好む。
・しばしば外部から見るとダブルスタンダードな言動をとる。本人たちにはそもそも「俺らが一番」以外に思想などないから、本人たちとしては理にかなっているのである。
・社会への不満感は強い。彼らを働かせる人間は基本的に「人間」でないことが多いため。彼らが譲歩しても認識できない。
・権利ばかりを声高に叫んでいるように見える。義務や倫理とは「人間」でないものから与えられるからである。
・私刑を頻繁に行う。価値観を共有していないのに自身と同じ集団に居る人間を許容できない。
「こいつムカつくしぶん殴りたい/炎上させたいけどもうボコボコだし俺はやめとくか…」という発想ができる人間がおらず、全員が最大限の攻撃を加えるため攻撃は峻烈。
・外から見ると優生論者に見える。「自分の思い通りにならないやつは死ねばいい」と思っているため。そのため自分は必ず優生とみなす。
・罪に見合った罰という考えが一切ない。「自分に害を及ぼすかもしれないやつは死ね」と考えているため。殺人だろうが窃盗だろうが強姦だろうが不倫だろうが罵倒だろうが全部死刑。
・約束は人並みに守るが駆け引きは苦手。「人間」でない人間の利益や思想、メンツを考えることができない。よく他人と揉めるが、本人は相手の頭がおかしいとしか思っていない。
・ある程度群れが大きくなると仲間割れを引き起こす。自分が当事者の場合は唯我独尊さが邪魔をして、自分が傍観者の場合は駆け引き下手が影響して、争いを止めることができない。そのため、「声がデカい」以外に政治的な影響力を発揮できない。
・「絆」「連携」「一体感」といった和を尊ぶような標語が内心大好き。
相違点
・ヤンキーの趣味は近しい他人が絶対に必要であるか、暴力に繋がる素養(腕っぷし)が必要とされることが多い。対してオタクの趣味は基本一人でもよく、またそれ自体が暴力に繋がらない。暴力が見逃されがちな大多数の学校では必然ヤンキーが主流となる。
・オタクバッシングが激しかった頃はSNSが今に比べて未発達だった。そのため、オタクは潜在的にはヤンキーと同じくらいいたが、局所的にマイノリティにならざるを得なかった。局所的なマイノリティであるために、数少ない同類と出会える場を失うような言動を避けるので真面目なように見えていた。
・最近はSNSが発達してきたことで、身近な友人を求めるヤンキーよりもオタクの方が勢力が大きく見える。
僕も「陰キャ」な趣味を持ってるけど、ヤンキー側からは同類として括られるオタクに妙な違和感を感じてた(直近だとマスコミ報道に対するオタクの過剰反応だとか、モバマス総選挙での内紛模様とか)。で、言語化してみたらこんな感じだった。
折角書いたけどさすがにtwitterに書き込むほどバカじゃないから、ここに書き捨てていきます。
こういう風に見てる人もいるんだな、くらいでどうぞ。
元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である。担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族の共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後の時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉をスムーズに出すことができなくなっていった。
そして中学入学。環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部も一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部に所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学で出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。
そして決定打となったのは合唱コンクール。「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽の時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り、自分は学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話に電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。
会話から始まり、日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習や電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害の検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テストや期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。
不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験。入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点の基準の数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点を基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23。地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任ともっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。
この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術の先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三の一学期、今まで体験したことのなかった画材と出会った。油絵具である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望を見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。
その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しかし問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度を発見した。内申点を度外視し、受験時の学力テストと実技、面接で入学選抜を行うという制度だ。その制度を担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラスの過去の不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。
何はともあれ、私はその制度を活用し無事志望校に合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。
そしてやってくる大学受験。もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部の美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。
時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係を高校や大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的な大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代の自分をメタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験に合格した。
卒業制作とバイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。
https://animeanime.jp/article/2017/04/08/33387.html
読んだ。
もちろん作品の受け取り方は十人十色だと思うし書いてらっしゃる考え方も面白いなぁと思うのだけれども。自分自身がそう感じたかと考えると、若干もやった。なのでぐだぐだ考えながら書いてみる。上手に整理できるかな?
自分自身が作品全体を通して見た後に強く心に残ったのは「今までにない関係性の余地」みたいな物だった。もっと言うと「今までにない関係性に対する希望」みたいな物だ。少なくとも自分にとっては、この「関係性に対する希望」こそが、この作品と作品世界を好ましく思うポイントになっている様に感じた。
ロードムービー的な展開を通じて各ちほーのフレンズ達と丁寧に向合い、都度好ましい関係を結び続けて来たかばんちゃんが、何よりも大切に考えていたのは「関係性とその記憶」なのだと思う。自身の出自も含め一切の記憶を持たないかばんちゃんにとって、唯一財産と呼べる物は「フレンズ達との関係性とその記憶」なのだろう。だからこその11話の自己犠牲だ。そしてそのかばんちゃんの意志に対して、各ちほーで「関係」を結んで来たフレンズ達も同様の判断を下した。その結果が12話の全員集合だ。
「友達との想い出を守る」など直球にも程がある。がしかし多くの視聴者はこのシーンで盛り上がった。少なくとも自分は年甲斐もなく震えた。なぜか。勿論中盤までの展開との落差等見せ方の巧さもあるだろう。がそれだけではない。このシーンはかばんちゃんとフレンズ達が、種の境い目を超えて最優先事項と位置付けた「関係性」が全肯定され「群れとしての強さ」を発揮するシーンなのだと思う。
通常「群れ」とは同一種によって形成される物だが、この作品世界ではこれが種の壁を越えて形成される。これを可能にする仕掛けこそが「フレンズ」なのだと思う。フレンズは各々種としての特性を残しつつ言葉を介し意思疎通することが出来る。この特性は「ヒトのフレンズ」であるかばんちゃんにも同様に適応される。そう。かばんちゃんも「ヒト」ではなく「ヒトの特性を残したフレンズ」なのだ。かつて何者であったかを問わず、フレンズである事によって、フラットに、各々の特性を活かしながら「かつてない、種を超えた関係性」を結ぶ事が可能になる。そしてそれが正しく力を発揮する「けものはいてものけ者はいない」たつき監督がつくり出したかったのは、そういう世界なのだろう。
そういえば一昔前「絆」という言葉がもてはやされスグに消えた。当然だ。実生活では会社でも学校でも家庭でさえも他者との「絆」を疑い無く信じ抜く事は難しい。ともすれば裏切られ傷つけられてしまう。それが現実だ。ヒトは大人になるにつれ、その難しさ理解し欲しながらも諦め忘れて行く。「関係性の力を信じさせる」という事は、だからこそとてつもなく難しい。「世界でひとつだけの花」と歌った人気グループは解散した。作り物のおとぎ話の中でさえもこれを破綻無く成立させる事は困難だ。生半可な事ではこの困難を乗り越えヒトに希望を感じさせる事は難しい。
この困難を乗り越え、説得力のあるおとぎ話をつくるには相当な技量が必要になる。それこそが「クリエーターの技量」という物なのだろう。が。たつき監督は「フレンズ」という仕掛けを通じてこのおとぎ話を成立させた。「癒しを提供したい」という趣旨の発言があったが、それは「癒しっぽい気分の提供」では無く「関係性に対する希望を破綻無く魅せる」という事なのだろうと自分は受け取った。細かく指摘すれば綻びの芽もあるのだろうが、それでも相当の精度で「おとぎ話」を成立させた力量はとんでもない物だと思う。どうして今まで世の中に出て来なかったのか不思議でならない。これから先どんなおとぎ話を語ってくれるのか。もう本当に楽しみで楽しみでならない。
今回は裏サンデー
明かされるAI開発者の想いは、遠まわしに本音の吐露でもある。
主要人物でありながら、言動がどこまで体裁で本心なのかってことが明示されていないキャラクターの、ここぞというときの吐露は演出としては強力だよね。
まあ、作風なのか、これまでの登場人物のほとんどは言動から読み取れる信頼性や人格をぼかす描写が多いけれどもね。
これの難点は、構成上の無意義さ含めて楽しめる心構えが出来ていないと、読者によっては中だるみに感じたり酷く白けてしまうことなんだよね。
まあ、西尾維新原作の物語を筆頭に、叙述トリックに特化した物語に慣れている私からすれば、これくらいは構成上捨てられない範疇だと思える。
この漫画のテーマが「家族」だとか「絆」であることは明らかだが、今回の真実味を帯びた本音の吐露もメタ的に見ればテーマに繋がっていて一貫している。
のらりくらりとした展開ややり取りに見えて、テーマを一貫させた構成というバランス感覚には感心する。
まあ、妥当だね。
幽白の桑原VS白虎戦だとか、最近だとブラクロもこの方法使ってたね。
まあ本作の場合は、相手が吸収する能力を持つわけではなく、姫が能動的に無理やり吸収させているので、状況に応じたアンサーではなくて、既存のアイデアをより汎用性のある形で昇華させたと解釈することもできる。
小国の、一戦線での腹の探り合いかと思いきや、話がどんどん大きなことになっていくことを感じさせる展開がワクワクする。
専門用語や設定が乱立して話を把握しにくいにも関わらず、そういう雰囲気を感じ取れるってのは構成の妙か。
これが例えば普通の人間がやったらサムさが増すんだけれども、秋月の基本ズレ気味の演出で展開されるコメディが弛緩の役割を果たすこともあって、フっと出てくる想いに胸を打たれるわけだ。
今週の文春。
連載なので、具体的に某ファストファッション企業の売り場から見える実態と闇の深さの考察は次号を読まねばならず、
今週は導入部分といったところか。
しかし、今回触れられていたバーゲンと呼ばれる催事期間中の販売員、店舗業務に従事する労働者の過酷な労働環境とプレッシャーは、
いくら初めから納得の上で課せられた「仕事」とはいえ、読んでいて本当に胸が痛くなる。
アパレル流通においてSPAの中で店舗型対面販売の部門は、その売り上げを通信販売・無店舗型のインターネット取引に取って代わられつつある。
販売員を長時間拘束し、人件費家賃含め諸経費がかかりすぎる店舗経営というのは、これから縮小の一途をたどるのは明白だ。
売り場は、今、時代に即したやり方でもっとスピーディーな情報伝達体系を模索して変化しなければ生き残れない。
しかし、記事を読む限り、そして同業他社の様々な人たちから聞く限り、
いまだに売り場というのは原始的かつ高圧的なトップダウン形態に支配されている。
ブランド名や商品力だけでは響かぬ、移り気で流動的なお客様が購入に至る過程において、
商品の力だけでは補えぬ「知識」「信頼」「安心」を生み、ブランドのファンを増やすという点において、非常に重要な仕事だ。
広告とネームバリューと商品力だけでは補えない、人と商品との「出会い」と「絆」は、
むしろ今こそ実店舗経営は他社との明確な差別化を訴求するための、強力な武器になりうると思う。
売り場は、そこに行った者にしか味わえぬ強烈な「体験」がある。
販売員はお客様の個性に合わせて演出し、魔法をかけ、喜びと優越感を体感してもらう。
だが、その売り場に今となっては「数字」「雑用」「クレーム処理」ばかりが、しわ寄せのように押し寄せる。
働いている人々のポジションも賃金も、本社に属する者より低く安い。
過去には現場重視の会社も多々あったが、この不況でグッと数が減った。
年齢が上がり売り場に立てなくなった古参販売員の他業種への流出も、具体的な受け皿がないままダダ漏れ状態。
数字がキッチリ取れるほどの販売力、心地よいサービスを提供する接客力というのは、数ヶ月〜1年ではなかなか身につかない。
しかし販売の離職率は上がり、キャリアの浅いバイトや派遣ばかりで、接客スキルの質の著しい低下も、最近はとても目に付く。
「売り場重視」「働きやすい環境」を謳う何社かも、比較すれば他の業界に比べ圧倒的に賃金・福利厚生共に水準には全く届かない。
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて国際連盟の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。
国際連盟といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。
第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果作られたものが国際連盟なのである。
この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて外は皆ユダヤ人だったのである。
なぜユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネンとしての各国共産党を生んだのである。
話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとした時、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。
この家族制度を何とかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」
といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
ここでまた日本人にお詫びをしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。
具体的には、占領改革の時ニューディール派が行ったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。
家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。
『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』(モルデカ・モーゼ)より
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このことから判ることは、核家族化や女性の社会進出は人類社会の進歩と共に自然に生まれてきたものではなく、国家を内側から破壊するために輸入されたものであるということです。
もともと日本の国体は、天皇家が本家で国民はその分家という家族国家として成り立っており、家族制度はその縮小版の「小さな君主制」で、国民はすべて「絆(きずな)」で結ばれていました。
家族制度の破壊は、その「絆」を分断して国家を解体するという作戦だったようですね。
近隣諸国同士を争わせること(つまり絆を破壊して信頼関係を失わせ、本当の敵を見えなくすること)によって他国を支配することを分断政策といいますが、その国内版が家族制度の解体だったようです。
戦前は日本の家族も、最小の本源集団として共同体性を色濃く残していたのでしょう。
分断統治を得意とするユダヤ人もこれには手を焼いたということ。
そして、大家族で行ってきた子育てを核家族で行うのが困難になり
へと続く・・・