はてなキーワード: 自閉症スペクトラム障害とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/qiita.com/YUUUUUUUUUNA/items/278397b273860806cc46
上のブコメのみなさんへ。
ブコメにもあるが、顔写真で自閉症スペクトラム障害(ASD)や、がん発見などの機械学習を用いた研究は存在する。どれも早期発見をすれば当人にとってよい療法アプローチが望めるものだ。
そこで上記みなさんには、顔写真で自閉症を判別することがなぜ倫理に反するのか、ブコメの限られた文字数だけでなく、どうぞトラックバックで匿名で好きなだけお書きください。
追記:元記事の筆者が誤診リスクの言及や、「あなたも私もスペクトラムの中にいる。」と書いてあることから、筆者がASDに関してある程度の知識を持ち、また大変気を遣って書かれた記事であることが察せられるわけですが、それでも"倫理的に軽率"、"「統計的差別」というキーワードで検索するように。"、"真夏ホラー"など上から目線のブコメを書かれました皆様方に置かれましては、よほどの道徳的・倫理的高みにいらっしゃいますことが察せられますので、ぜひともその論を伺いたいと思った所存です。もちろん、自閉症というセンシティブワードに脊髄反射した記事もろくに読んでない人たちとは露とも考えていませんし、『感情が先、論理が後』の典型とも考えておりません。私はぜひとも、皆様の意見を伺いたいのです。
追記2:差別のレッテルを張るのは簡単ですが、それをされた当人にとって、それを否定する労力は非対称です。人に対して倫理がない、差別であると主張するからには、自身の倫理観・差別意識も壇上に立たされる覚悟は持つべきです。たった100文字で片手間に終わらせるのではなく、あなたの自閉症に対する知識・経験をフル動員して主張を行ってほしいと存じます。ブコメが書けるということはアカウントがあるということであり、トラックバックは書けるはずですよね。
追記3:魚拓:https://megalodon.jp/2024-0803-2353-11/https://b.hatena.ne.jp:443/entry/s/qiita.com/YUUUUUUUUUNA/items/278397b273860806cc46
このレベルで大丈夫ならなんでもASDとADHDの箱にぶち込む人のために
なんか語ってあげるといいと思う、安心できるのでは?
ワイはこう思ってるわ
働けないとか、稼げないとか寝言言ってるの、まず下記の別増田が書いてることクリア出来てねーから
あとは泣き出すとか
なんで自閉症スペクトラム障害の人達が嫌われがちかって言うと、日常的に石丸構文の使い手だからだと思う
余人をもって替えがたい三顧の礼で迎え入れた人材ならばともかく、もちろんそうじゃない
働けないとか、稼げないとか寝言言ってるの、まず下記の別増田が書いてることクリア出来てねーから
あとは泣き出すとか
なんで自閉症スペクトラム障害の人達が嫌われがちかって言うと、日常的に石丸構文の使い手だからだと思う
あとこれだなぁ。大企業を目指して欲しい
明らかに発達障害だったり、障害に該当しないが極端に生きる力が弱い、しかしお勉強だなら出来るぞい・やる気があるぞいが、
あらゆる採用試験に落ちるという特殊スキル持ちでなければ、意外と大企業はトンデモないのがいるから生き残れるかもしれんしな
トンデモないの一例
こういう話をすると彼らはまずこう言ってくる。
「自閉症スペクトラム障害というのはそもそも具体的に誰を指しているんですか?」
「特定の誰かを差しているのではなく、自閉症スペクトラムという診断を受けている人やその疑いを持たれている人全般を差しています」
「だから、その人達は具体的に誰と誰なのかを聞いているんですが?」
「診断を受けた人達全体に対する平均的な意見を述べようとしているだけで、特定個人に対して何かを言おうとしているわけではありません」
「平均的な意見かどうかではなく、誰の話をしようとしているのかを聞いているんですが?」
「特定の誰かを指しているわけではありません」
「あれ?さっきと同じこと言ってませんか?同じことをもう一回聞かないと行けないんですか?」
「こちらは自閉症スペクトラム障害の診断を受けている人達の平均的な行動について話そうとしているだけであって、特定の誰かがこうであるということを言うつもりは最初からないですし、私がこれから話すことについて「特定の誰かは違いましたけど」と言われても、あくまで平均的にはこういう人達が多いですよねという話をしたいわけなんですか」
話にならねえ。
話が進まねえ。
何にもならねえ。
そしてシカトして話を進めると
「都合が悪いから答えないんですか?」
「あの、私の話を聞いてますか?自分の話ばかりして相手の話を聞く気がないってどうかと思いますが?」
みたいに言ってくる。
マジでうぜえ。
つうかキャッチボールってのは投げられたボールの所まで走って追いかけるのがシステムなんだよ。
なんでお前だけ「ここがストライゾーンですよ。ここ以外に投げるとかありえませんからね」と言っておいてこっちに投げ返すときは明後日の方向にぶん投げてくるねん。
あのな、会話のキャッチボールにおいてひたすら走り回るコスト全部こっちもちとかそんなん許されるのガキの頃までやぞ。
なんでお前は明後日にボール投げても「あれれ?走って取りに行かなくていいんですか?」って顔してて、こっちがちょっとズレたら「ちゃんと投げ返してないんだから貴方が走って拾いに行って貰えますか?」みたいな顔してるねん。
ほんまサイコパスやわ。
やるも何もググればいくらで出てくるぞ。下記のように
double minority asexuality asd adhd
Are Autism Spectrum Disorder and Asexuality Connected?
Asexuality is a lack of sexual attraction to any gender. There is some evidence to suggest that many self-identified asexuals have a formal diagnosis of autism spectrum disorder which is characterized by deficits in social interaction and communication, as well as by restricted and repetitive interests and behaviors. Additionally, the literature shows that asexuality and lack of sexual attraction or low sexual interest is overrepresented in people with autism spectrum disorder compared with neurotypical samples. Nevertheless, no studies have been conducted to investigate the relationship between autism and asexuality in depth. We conducted a systematic review of the literature to examine whether asexuality and autism spectrum disorder are connected. We conclude that asexuality and autism share various aspects, such as a possible role of prenatal factors, reference to romantic dimensions of sexual attraction and sexual orientation, and non-partner-oriented sexual desire, but future research should explore and clarify this link.
無性愛とは、どの性別にも性的魅力を感じないことを指します。多くの自己認識された無性愛者が、自閉症スペクトラム障害(ASD)の正式な診断を受けているという証拠があります。ASDは、社会的相互作用とコミュニケーションの欠陥、ならびに制限された反復的な興味や行動によって特徴付けられます。さらに、文献によると、無性愛や性的魅力の欠如、または低い性的関心は、神経典型的なサンプルと比較して、自閉症スペクトラム障害を持つ人々に過剰に表れています。それにもかかわらず、自閉症と無性愛の関係を深く調査する研究は行われていません。私たちは、無性愛と自閉症スペクトラム障害が関連しているかどうかを調べるために、文献の体系的なレビューを行いました。私たちは、無性愛と自閉症が、出生前の要因の役割、性的魅力と性的指向のロマンチックな側面への言及、パートナー指向でない性的欲望など、さまざまな側面を共有していると結論付けましたが、将来の研究はこのリンクを探求し、明確にする必要があります。
あるものなんか下記から始まって笑っちゃったw そっかw一般的な概念だったんだw
This chapter challenges the commonly held notion that individuals with ASD are asexual or inappropriate in their sexual behaviors.
この章では、自閉症スペクトラム障害(ASD)を持つ個人が無性愛者であるか、性的行動が不適切であるという一般的な概念に挑戦しています
アセクシャルやセックス依存症が発達障害である可能性は高いだろうけど、別にイコールではないだろうよってねw
ちなみにこれは発達障害=アセクシャルは不適切、社会的助けがあれば、異性愛者として楽しめるとかいう内容みたいよ
あと、ずっと『なんでセックスするんだ😡』って言ってるが、アセクシャルはセックスするやつはするぞ。なんなら性依存症だっているし
セックスで情が深められないだけ、恋愛以前に人や気持ちに対する関する関心が無いか薄い、それにグラデーションがあるだけ
自分自身で考えない人に対して、イライラしたり、理解できないと感じるのは当然です。しかし、彼らの背景や心理を理解し、適切なコミュニケーションを図ることで、より良い関係を築くことが可能です。
とはいえ、昨今の東大入試では、難しすぎて数学で点差がつかない程度にまで難易度が引き上げられているのは客観的な事実である。じゃあ何で点差がつくかといえば、理系では英語と理科、文系は英語と社会になる。これらはトップ層に女子がそこそこいる科目である。
自分は長い間予備校で数学を教えてるけど、数学のトップ層は男子ばかりだ。ASD(自閉症スペクトラム障害)という発達障害と数学の相性がいいのと、ASDは男性に多く発現することに関係があるのではないかと言われてるが、実際そうなのかは謎のままである。かくいう増田も軽度ASDの男性である。
数学でリードして苦手な英語カバーしていた、典型的な理系の男子受験生が通用しなくなった。自分がまさに数学でリードして英語をカバーしたタイプだっただけに、今の受験生は気の毒になと思う
自閉症スペクトラム障害であることが40代になって分かった。発達障害だ。
周りの人たちからは「近くにいるとイラッとする」「ほんとクソ野郎ですね」など直接的間接的に年下年上関係なく言われている。
空気が読めない人間らしい。人を不快にする失言を度々するらしい。
「らしい」と書いたのは、自分にはその意識がまったくないのだ。
指摘されると相手に申し訳ないという気持ちはわかず、相手の気持ちを理解できない自分に嫌悪する。
すべてを自分中心に考えている。
相手の表情や場の雰囲気をパターン化してそれに見合う対応覚えれば好転するのだろうが、私は頭の容量は少なく、仮に覚えていたとしてもすぐに呼び出すことができない。
沈黙を貫こうとしても、たまの発言が意図せず相手を傷つけ、虐げるようだ。
人とかかわる生活から抜け出したい。だが、現在そして将来も集団生活から離れることが出来ない状況だ。
苦しい。
新年会があったんだけど、いわゆるアスペとネットで言われるような自閉症スペクトラム障害ってぽいやつがやらかして悲しくなっちゃった
新年会は教授主催で、なんでも好きなもの頼め〜って言ってくれたんだけど、それ聞いたアスペっぽいやつが、な、なんでも頼んで良いんですか!?とか言って、クッソ高いやつ頼もうとしてんの
最初はギャグかと思ってはははってわらってたんだけどどうやらガチらしいぞと
いやいや程度ってもんがあるだろはははとか周りが言ってたら段々キレ始めて最終的に教授に詰め寄ってた
ちょっと席離れてたから過程はよくわかんないんだけど、バカにしてんのかみたいな感じで教授もキレてお通夜になっちゃった
教授はアスペをひと通り叱って終わりにしたけど、アスペは飲み中ずっと不満そうにしてて、終わってから全体ラインで教授糾弾の長文ライン流してきた
悲しいよ俺は
アスペ、高校生時代までで何度もいじめられた経験があるらしくて、そういう話をゼミでカミングアウトしてて、研究に活かしたいみたいな話もしてたんだけど
それっていじめっていうか…こういうことだったんじゃね…?となってしまって
なんか、ありえねーわこいつって気持ちとともに、物凄く悲しい気持ちになってしまった
同情とも違うんだけど、凄く悲しいよ…
フェイク入れてるけど、特定されても参加者多かったから別に困らないし吐き出しで書いた
がーっと書いて推敲もしてないんで変だったらごめん
の翻訳。執筆者はステットソン大学の心理学教授、クリストファー・J・ファーガソン。
↓↓↓
2020年に起きた比較的マイナーな(トランプ大統領や新型コロナと比較して)炎上ニュースの中に、ジャーナリストのアビゲイル・シュライアーの『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇(Irreversible Damage)』をめぐる論争があった。
本書は、みずからのトランス男性として認識するティーンエイジャーの「女子」の急増は、性別違和やトランスジェンダリズムが原因ではなく、社会から疎外されたアイデンティティが社会的な影響によって、本来他の精神疾患を持っている少女たちが誤って自分をトランスとして認識しているためだと主張している。
この本に自分の家族や娘を重ね合わせ、娘たちが直面している現実の問題を語っていると考える親もいる。(原注:シュライアーの見解を反映し、生物学的性別のみを反映することを意図しているため、ここでは「娘(daughters)」という用語を使用する。) しかし、多くのトランス活動家たちは、この本をトランスフォビックであり、敵対的であり、より広くトランスの人々にとって有害であるとして非難している。そのため本書への販売反対運動も広まっている。*1
私は最近この本を読んだので、ここに感想を述べておきたい。はじめに言っておくと、これは複雑で微妙な問題だと思う。しかし、現代の言論は、感情的な議論のどちらの側にも、ニュアンスや複雑さを認めることはめったにない。
基本的に以下のふたつの状況は傍から見てほとんど区別がつかないことは、残念ながら確かだ。a)トランスであると自認する青少年を含むほとんどの個人は本当にトランスであり、医学的な移行から恩恵を受けるであろうということ、b)青少年としてトランスであると自認しているが、境界性パーソナリティ障害やその他のパーソナリティ障害、自閉症スペクトラム障害など、アイデンティティの混乱を引き起こすような他の精神的健康状態にあり、これらの個人は医学的な移行からあまり恩恵を受けないかもしれない、ということ。
第一に、「ジェンダーは社会的構築物である」というスローガン(シュライアーがその大部分を支持している)に反して、ジェンダー・アイデンティティは視床下部に存在し、そのようなものとして、ほとんど不変であることが神経生物学的証拠から判明している。端的に言えば、トランスジェンダーは、ある性別の身体を持ちながら、別の性別の脳を持っているということだ。そのような個人は、尊敬と思いやりに値し、嫌がらせやいじめから解放されるべきであり、自分の好む代名詞や名前が尊重されるべきであり、恋愛、結婚、子供を持つこと、養子をとることも自由であるべきなのだ。
同時に、境界性パーソナリティ障害は、多重人格障害(解離性同一性障害)や双極性障害など、他の有名な精神疾患と併発したり、誤診されたりすることが多いという証拠もある。したがって、トランスであると自認する人の一部(すべて、あるいは大多数ではないことは確かだが)が、アイデンティティの混乱というより広範な問題を抱えている懸念もあるにはある。
本書を読んでいて、私はいくらか批判的にならざるを得ない点があった。その主なものは、シュライアーの科学への関心が、時として表面的であるという懸念であった。もちろん、これは本書に限ったことではないが、このようなセンセーショナルなトピックでは、科学的議論のいくつかにもっと精妙な検証が要求される。シュライアーは、この分野の学者たちのデータや意見を掲載し、リサ・リットマンの「急速発症型性別違和」*2と呼ばれる物議を醸した研究(過去にはこの研究自体が議論の対象となったが、研究の是非はともかく、科学的には嘆かわしいものであった)など、重要な(しかし是非の多い)研究をいくつか取り上げている。
ジェンダー・アイデンティティが生物学的なものに基づいているという考えを、それを示唆する証拠が豊富にあるにもかかわらず、シュライアーが平気で否定するのには呆れた。ある時、シュライアーはこう書いている。「XX染色体が刻印された女の子の脳が男の子の体に宿るというのは、生物学的にナンセンスだ」。染色体とは関係なく、子宮内でのアンドロゲン暴露が視床下部の発達に影響を与え、性自認に影響を与える可能性はある。そのことを理解していないこの見解に、私は顔面蒼白になった。
もちろん、この見解はシュライアーの創作とは言い難く、第二波フェミニズムにまでさかのぼる〈ジェンダー・クリティカル〉なフェミニスト(一般的に、この非常に論争的な議論においてトランス活動家と対立する側)を反映している。実際、この論争で興味深いことのひとつは、伝統的な右派と左派の対立というのではなく、左派を標榜する2つのグループの間の感情的な蔑視がしばしば反映されていることだ。
シュライアーはまた、インターネットに時間を費やしすぎることが少女たちにトランスであるという認識を抱かせる原因になっている、という考え方に奇妙なほど執着している。彼女は、ソーシャルメディアが精神衛生にどのような影響を与えるかについて、ジャン・マリー・トゥエンジ*3の研究を引き合いに出すが、トゥエンジの主張の多くがかなり徹底的に否定されていることを読者に知らせない。彼女がこの種のモラル・パニックにしばしば戻るのは気が散るし、急速に発症する性別違和という概念自体がモラル・パニックなのではないかと思わせられた。
とはいえ、彼女の論文を完全に否定する気にはなれない。実際のところ、トランスであると自認する女子の割合が本当に増えているのか、あるいは増えていないのかについて、きちんとしたデータは存在しないようだ。私の交友関係でも、伝聞的に、このようなことを耳にする機会が少しずつ増えてきているが、伝聞は証拠ではないし、もっと確かなデータが必要されている。
境界性パーソナリティ障害に加えて、性別違和も自閉症スペクトラムの思春期の女の子に多いという研究がある。この意味で、青少年が公言する性自認を、それ以上の診断的評価なしに医学的移行への動きとして受け入れるという肯定的アプローチには、明らかなリスクがある。これが、医学的移行に対するこのアプローチに懐疑的な最近の英国の裁判所の判決の背景にある理由のようである。
私たちは、どのような青少年が医療移行への迅速な移行から最も恩恵を受けるか、またどのような青少年がさまざまな介入からより多くの恩恵を受けるかについて、より良いデータが必要である。いずれも、トランスジェンダーの権利と福祉、そして彼らに課せられた敬意を損なう必要はない。学者には、急速に発症する性別違和が実在するかどうかを研究する余地が必要である。私は、査読と科学的再現性と訂正がこの問題を解明すると確信しているが、ツイッターの怒りに応じる形での科学的検閲は問題を混乱させるだけだろう。
結論として、ここには検討すべき有効なアイデアがいくつかあると思う。しかし、特にアイデンティティ・ポリティクスが激化している時代には、データの複雑さや困難な状況のニュアンスを考慮する意欲と、より多くの情報が必要であることを認める知的謙虚さを持った、より多くのデータに基づいた研究が必要である。
私は本書のどのような部分が論議を巻き起こしているかを理解するためだけなく。本書に反対する立場から検閲しようと努力する向きにも一読を薦めたい。しかし、科学について慎重かつ忠実な本を期待していたのであれば、この本がそうでないことは確かであり、その点で、本書がトランス・コミュニティで集めた否定的な反応はまったく理解できる。将来、質の高い、事前登録された、オープンサイエンス、インターネット検閲の努力から解放された科学的な取り組みが行われ、この複雑な問題をより明確に理解できるようになることを願うばかりだ。
*1……本書に対する販売反対運動が巻き起こったのは日本だけではない。
Amazonは同書のジェンダーの取り扱いに対するスタンスへの懸念から有料広告キャンペーンを打ち切ったものの、販売自体は行ったため、ヘイトに反対する従業員グループから販売中止の要請を受けた。結局Amazon社は「Amazonのコンテンツポリシーには違反していない」として、販売を継続し、その態度に失望した一部従業員はAmazonを辞めた。
また、大手量販店のターゲットではやはり論争を受けてオンラインでの販売を中止したが、翌日に再開し、三ヶ月後に再度中止した。
ここで興味深いのは、販売反対運動が出版社に対してではなく、販売プラットフォームに対してなされたことだ。日本でもヘイト本を扱っている書店に対する苦言などはたまに見られるが、反対活動によって販路を閉ざし実質上の販売中止させようという動きはあまりない。アメリカではAmazonが書籍販売について(日本より普及している電子版を含め)かなり独占的な勢力を占めていることなども関係しているように思われる。カナダでは図書館に対しても貸出の中止を求める請願が出されたという。
ちなみに出版元であるRegnery Publishingは保守系の老舗で、過去にはインテリジェント・デザイン説を擁護する書籍などを出し、そのたびに批判を受けてきた。『あの子もトランスジェンダーになった』で「エモやアニメ、無神論、共産主義、ゲイ」などが批判的な文脈で持ち出されるのもこうした文脈に沿っている。
*2……本書がサポートしている rapid-onset gender dysphoria (ROGD、急速発症型性別違和)はリサ・リットマンによって2018年に提唱された概念であるが、臨床的・科学的な証拠が不十分であるとして医学的診断としては認められていない。
*3……アメリカの心理学者。2017年に iGen という本で若年世代のナルシシズムとインターネットの関係を書いた。が、同書は多くの批判を受けた。
https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0265798
ASDとTDの比較により、ASDの場合、生の眼の接触中に右側の頭頂葉活動が減少し、右側の腹側側頭頭部の活動が増加し、生の眼の接触に対する非典型的な神経システムによる脳間の一貫性が低下することが示されました。ASDにおける眼の接触中の右側頭頂葉領域の低活性は、社会的パフォーマンスのゴールドスタンダード尺度と神経反応との相関に関連しており、社会的能力が低下するにつれて、右側頭頂葉領域での実際の眼の接触に対する神経応答も低下することを示唆しています。
この研究の主な結果は以下の4つの主要な発見からなり、ASDにおける生の対話的な顔を見る際の代替神経プロセス仮説を支持しています。
1) ASDでは腹側後頭頭領域内の神経システムが活性化されており、一方、通常発達者(TD)では生の対話的な顔を見る際には頭頂頭領域と外側前頭頭領域が関連していました。
2) ASDでは、視覚の取得要因も生の顔処理の困難に寄与する可能性があると示唆され、眼球固定の位置の変動が増加し、生の顔に対する瞳孔反応も増加していました。
3) 生の眼と眼の接触中に右側の頭頂頭領域での神経応答の反対相関とADOS-2およびSRS-2のスコアとの関連から、ASDに関連した社会的パフォーマンスの生物学的基盤が示唆されています。
4) TDにおける生の眼と眼の接触に対する脳間同期はASDでは観察されなかったため、共有の顔情報の脳間伝送の減少を示唆しています。
1. “ASD”:自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorder)の略語で、神経発達における病的な特徴を示す一連の症状の集まりです。
2. “腹側後頭頭領域”:脳の特定の領域で、視覚情報処理に関連しています。
3. “TD”:通常発達(Typically Developed)のことで、ASDではない一般の個人を指します。
4. “視覚の取得要因”:視覚情報の収集や処理に影響を与える要因。この文脈では、ASDにおいて視覚情報の収集の異常が示唆されています。
5. “眼球固定の位置の変動”:視線が注がれた対象への眼球の移動や位置の変化を指します。
6. “瞳孔反応”:瞳孔の大きさや収縮が外部刺激に対してどのように変化するかを示す反応。この文脈では、生の顔に対する瞳孔の反応がASDにおいて増加していることが指摘されています。
7. “ADOS-2”:自閉症診断観察スケジュール、第2版(Autism Diagnostic Observation Schedule, 2nd Edition)の略語で、ASDの診断に使用される標準的な評価ツールです。
8. “SRS-2”:社会的適応尺度、第2版(Social Responsiveness Scale, Second Edition)の略語で、社会的適応能力を評価する尺度です。
9. “脳間同期”:異なる脳領域間で情報が同時に伝達されること。この文脈では、ASDとTDの間で脳間同期の違いが指摘されており、ASDにおいて共有の顔情報の脳間伝送が低下している可能性が示唆されています。
インセル、ただの弱者男性の類かと思ったら、ポリコレ指定受けられるガチ目の社会的弱者だったのか
https://home.kingsoft.jp/news/amusing/nazology/134954.html?from=rss_list_nazology
しかし、アメリカのテキサス大学心理学科のウィリアム・コステロ氏ら研究チームが最近行った研究により、インセルとして自分を認識している男性は、精神的に多くの問題を抱えており、恋愛相手に対する理想も一般の男性よりも低いことがわかりました。
そして調査の結果、インセルのグループは精神的に非常に問題を抱えていること、認知に歪みがあること、被害者意識が強いこと、自閉症スペクトラム障害(ASD)の発生率が高いこと、恋愛のスキルが低いこと、デートに対して不安を感じていることが明らかになりました。
また、世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
女性が社会的弱者ということで、今まではうまくインセルを批判してきた
しかしインセルのかなりの割合が障害者となると、女性よりも更に弱い可能性があり、下手したら批判する市民運動の方が優生扱いされそうだ
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いことがわかった。
インセルは女体をゲットできない苦しみだけを訴えるが、同性からも嫌われている。
ASDは先天性だから治らない、人に嫌われる性格の障害みたいなものである。
先天性の障害によって、「他人に嫌がられる中身」の人間になっている。人間性が嫌われる障害なのである。
つまり「中身の魅力」で他人に愛されるのは、「ASD以外の者(マジョリティ)の特権」であることがわかる。
ASDは治らないので、インセルは美容整形するのが早い。中身を変えるのは、先天性の脳障害なので不可能だが、美容整形すれば外見は変えられる。
イケメン整形をし、筋トレをして、外見で女体を釣る。中身は変わらないので、モラハラDVをしたり妊娠させるなどして、女体を衰弱させることで自分から逃げられないようにする。
あえて虐待しなくてもASDは普通に会話をしているだけで女体をカサンドラにして衰弱させる天才ではあるのだけど。
ま、これがASDが生きた女体を得る唯一の方法で、美容整形費用すら支払えないのであれば生きた女体獲得など諦めろという話だ。
稼げるエリートになることよりも、美容整形のほうが断然ラクなのだ。最も低いハードルすら超えられないようでは何もできないだろう。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いことがわかった。
インセルは女体をゲットできない苦しみだけを訴えるが、女に限らず同性全員からも嫌われている。ASDは先天性だから治らない、人に嫌われる性格の障害みたいなものである。
先天性の障害によって、「他人に嫌がられる中身」の人間になっている。人間性が嫌われる障害なのである。
つまり「中身の魅力」で他人に愛されるのは、「ASD以外の者(マジョリティ)の特権」であることがわかる。
ASDは治らないので、インセルは美容整形するのが早い。中身を変えるのは、先天性の脳障害なので不可能だが、美容整形すれば外見は変えられる。
イケメン整形をし、筋トレをして、外見で女体を釣る。中身は変わらないので、モラハラDVをしたり妊娠させるなどして、女体を衰弱させることで自分から逃げられないようにする。
あえて虐待しなくてもASDは普通に会話をしているだけで女体をカサンドラにして衰弱させる天才ではあるのだけど。
ま、これがASDが生きた女体を得る唯一の方法で、美容整形費用すら支払えないのであれば生きた女体獲得など諦めろという話だ。
稼げるエリートになることよりも、美容整形のほうが断然ラクなのだ。最も低いハードルすら超えられないようでは何もできないだろう。
https://nazology.net/archives/134954
インセルのグループは精神的に非常に問題を抱えていること、認知に歪みがあること、被害者意識が強いこと、自閉症スペクトラム障害(ASD)の発生率が高いことが明らかになりました。
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
独身である主な理由としては、恋愛のスキルが低い、外見が良くない、社交的でない、恥ずかしがり屋という4つの点が多く挙げられました。
いろいろ説明されているけど「ASDはインセルになりやすい」に集約できるのでは?
世の中にはイケメンではないし金持ちでもない男性がモテているケースもあるけど、そういう男性の性質ってASDの対極みたいな、高いソフトスキルの持ち主だし。
コミュニケーションで人を楽しませたり癒したりするのが上手い人気者タイプというのかな。こういう男性、ADHDにはいるけど、ASDには一人もいないんだよね。
ASDって自閉だから、コミュニケーションで基本的に人を傷つける。それも他人に興味があって意図的に傷つけようとしているんじゃなく、
他人に興味がなく、自分の都合しか考えられないような自閉的な脳のつくりに生まれてきているから、後天的に改善される可能性がない。
ADHDの不注意改善に使うような薬もないしね。ASDは打つ手がないんだよ。
ASDだからコミュニケーションで人を傷つけるけど、表層的なスペックが高いから人が寄ってくる。
容姿が悪くて低学歴のASDは、人生の早期にいじめ・不登校・引きこもりなどの挫折に至るんだけど、
高学歴でイケメンのASDは、容姿と知能のパワーで乗り切って、一部上場企業に就職できたり結婚できたりするんだよね。
ただ、ASDの本人が苦しんで退職してしまったり、離婚になってしまうケースも多いのだけど。
容姿が悪くて低学歴のASDが、高学歴イケメン金持ちASDが結婚できているのを見て、
「女は男の金と容姿だけを見ている」って思いこんでしまうのも仕方ない。
ASDには世界がそのように見えてしまうだろうと思う。だってソフトスキルが理解できないのだもの。
薬もないし治療もないし、「金」や「イケメン」などのカードを切れない生まれだったら、人生が終わってしまう酷いデバフ要素がASDだよね。
ADHDには美容整形したりファッションに浪費したりと、人からどう見られるかを過剰に気にするタイプも多いのだけど、
ASDについては「身だしなみ崩壊」レベルで無頓着な人が多い。だから後天的に容姿レベルを上げるのも「脳」のほうの問題のせいで難しくて詰んでる。
https://nazology.net/archives/134954
世界的に見た自閉症スペクトラム障害(ASD)の有病率は0.62%なのに対し、インセルの人々の中では、18~30%と非常に高いこともわかりました。
ASDを有病してる奴はモテ戦線から離脱せざるを得ないってことなんだろうが。
一般的にインセルの人々は恋愛の理想が高いと思われがちですが、調査の結果は反対でした。
モテない男性は女性に対する理想が高いわけではなく、むしろ相手してくれるならどんな子でもいいというような傾向の方が強かったのです。
相手は誰でもいいって態度自体が恋愛対象からしたら舐めてんじゃねーぞって思われる部分でもあるんだろうな。
インセルの人々は女性の恋愛の好みを誤解しており、知性や優しさよりも外見や財力が重要だと感じていることも明らかとなりました。
『自閉症スペクトラム障害(ASD)は「相手の気持ちを読み取ることが苦手」』って
これってよく言われるけれど本当なのかな?
これが本当ならば定型発達の健常者はさぞかし相手の気持ちを読み取れるんだろうね?と思うが、
残念ながら健常者から自分の気持ちを読み取ってもらった経験なんて皆無
こっちが辛い想いをしていても無視されるなんて当たり前だし
誠心誠意尽くして語っても大抵はまともに向き合ってもらえない
それどころか自分は相手の気持ちは寧ろ読み取り過ぎるくらいに読み取れてしまう
ちょっとでも相手の表情を見ると嫌われたとかドン引きされたってのを敏感に感じ取って
迷惑をかけたくなくてすぐに離れるようにしている
世間で言われる定義って「相手から好かれる振る舞いが出来ない」を「相手の気持ちを読み取ることが苦手」に置き換えてるんじゃないかって思うし、
それって解決にならないどころか却って状況を悪くしていると思う
https://news.yahoo.co.jp/articles/4722a96d932222be37a8ba670d3e14500836fc8b
下記はカリフォルニア大学のビアンカ・アセベド博士の研究紹介動画と書籍と記事(Pod cast)、
HSP brain studies
https://www.youtube.com/watch?v=qep36Vy_0pE
> Did you know that the brain of a highly sensitive person (HSP) works differently?
> The results of fMRI brain studies conducted by Dr. Elaine Aron, Dr. Art Aron, Dr. Bianca Acevedo and their colleagues are quite fascinating.
エレイン・アロン博士、アート・アロン博士、ビアンカ・アセベド博士らが行ったfMRIによる脳の研究結果は、かなり魅力的です。
[Amazon] The Highly Sensitive Brain: Research, Assessment, and Treatment of Sensory Processing Sensitivity 1st Edition
https://www.amazon.com/Highly-Sensitive-Brain-Assessment-Sensitivity/dp/0128182512
> The Highly Sensitive Brain is the first handbook to cover the science, measurement, and clinical discussion of sensory processing sensitivity (SPS),
> a trait associated with enhanced responsivity, awareness, depth-of-processing and attunement to the environment and other individuals.
> Grounded in theoretical models of high sensitivity, this volume discusses the assessment of SPS in children and adults,
> as well as its health and social outcomes.
> This edition also synthesizes up-to-date research on the biological mechanisms associated with high sensitivity,
> such as its neural and genetic basis. It also discusses clinical issues related to SPS and seemingly-related disorders such as misophonia,
> a hyper-sensitivity to specific sounds. In addition, to practical assessment of SPS embedded throughout this volume is discussion of the biological basis of SPS,
> exploring why this trait exists and persists in humans and other species.
>
>The Highly Sensitive Brain is a useful handbook and may be of special interest to clinicians, physicians, health-care workers, educators, and researchers.
『高感度脳』は、感覚処理感度(SPS)の科学、測定、臨床的考察を網羅した初めてのハンドブックです。この巻では、高感度の理論モデルに基づいて、子どもと成人のSPSの評価、健康と社会的転帰について論じています。また、高感受性の神経基盤や遺伝的基盤など、高感受性に関連する生物学的メカニズムに関する最新の研究をまとめています。また、SPSの臨床的な問題点や、特定の音に過敏に反応するミソフォニアなど、一見関連していると思われる疾患についても解説しています。さらに、この巻全体に組み込まれたSPSの実用的な評価に加えて、SPSの生物学的基盤についての議論があり、なぜこの形質がヒトや他の種に存在し、持続するのかを探っています。
臨床医、医師、医療従事者、教育者、研究者にとって有益なハンドブックです。
[foreverbreak] Highly Sensitive People How to Tell If You’re an HSP + Shedding Light on This Misunderstood Trait
非常に敏感な人々 あなたがHSPであるかどうかを見分ける方法+この誤解されている特性に光を当てる
https://foreverbreak.com/podcast/s1/e5/
まぁ、アセベト博士でなくてもいいけど(TEDとかにもあるよ)
ってなってるね
Xを眺めていたら、マガポケで連載が始まった「阿武ノーマル」なる漫画の宣伝ポストが目に留まった。
1話が全文読めるようになっていたので、なんとなく気になって読んでみた。マジギレした。
キレすぎてお気持ち長文を書かずにはいられない気持ちになったので、マガポケアプリに登録・課金して2話(最新話)も読んだ(良いお客さん)。
その結果、マジギレするのは第1話のみにとどめることにした。
ここからお気持ちを語っていきたいと思う。ネタバレしかないので、よかったらXなりなんなりで検索して第1話を読んでみてほしい(これが炎上マーケティングなのか?)
まず結論から言うと、「主人公・阿武を明確に発達障害者(自閉症スペクトラム障害・ASDの特性を持った人物)として設定した上で、彼女を不気味で不可解な『アブノーマル』のように描く作劇に、発達障害者として気分を害した」ということである。
作中で「普通」代表のように描かれる阿武の先輩・相田は、学生時代の阿武を次のように表現する。
「阿武英子は単純構造だ/ぶっきらぼう/思った事をすぐ口に出す/人の事を全く考えない/要するに阿武英子は空っぽ人間だ」
ひどいdisられようである。まあdisの内容はASDあるあるだから置いておくとしても、「要するに」の後が全く要せてない気がする。
上記のdisの内容は端的に言えば「コミュニケーション力に欠ける」という点に集約されるのだが、つまり「コミュ障は空っぽ人間」ということになる。
本当にそうだろうか? 私にはそうは思えない。コミュニケーションが取れずに相手に何も伝わらなければ空っぽも同じという意味なのだろうか?
同様に、大人になった阿武が相田に就職先の斡旋を頼むシーンでは、相田は阿武のASD的な行動パターン(感情を無視して問題解決のみを意識する、情緒的な交流ができない)を「思想がない」と指摘する。
これも解せない。相田にとって「思想」とは、なんらかの理念や行動原理を意味する単語ではなく「感情を伴う対人交流によって育まれるコンテクスト」程度の意味合いのワードなのだろうか? だとすれば私の考える「思想」との乖離がかなり大きい。
(もっとも、第2話を読んだ後は、相田のこのような価値観もまた一つの「アブノーマル」として相対化される可能性はあるのかもしれない、と感じている。もしかしたら今作は、色々な登場人物の「アブノーマルさ」を戯画化しつつ「普通」という概念を相対化していく、いわば「普通じゃないは普通だよ」的な方向に進むのかもしれない。とはいえ、無料で読める第1話だけが拡散されていく可能性は高いと思うので、本稿では1話のみに絞ってマジギレしていく)。
そして、セリフでの表現以上に腹立たしかったのが、阿武の「偽物訓練」に端を発した「普通」になるための行動の描かれ方(演出)だ。
「書き物の殺人鬼」のような笑顔しか作れなかった阿武は、「普通のOL」を演じるために、同僚の榊原と相田の会話を録音して分析し、コミュニケーションのパターンを学習しようとしている。また、「変わってる」と言われたことで「何がどう変わっているのか」を確認するため榊原に矢継ぎ早に質問する(はたから見れば詰問だったが)。
これらは漫画的に誇張された行動ではあるが、私を含めたASD者は大なり小なり阿武と同じような方法で「普通」になろうとしている。
他者の会話を聞いてパターンを覚え、それを真似することで「当たり障りのないコミュニケーション」のストックを増やそうとすることも、曖昧な指摘が分からず詳しく具体的に説明してもらおうとする(そうして欲しいなと思う)ことも、私からしてみれば「当たり前の生存戦略」であり、決して「サイコな行動」ではないのだ。
にもかかわらず、上記のシーンは非常にホラー的な演出でもって描かれている。阿武の「アブノーマルさ」を浮き彫りにしようとする意図が感じられ、ASD者としては自分が必死にやっていることを「あなたたちの行動はこんなにホラーなんですよw」と茶化されている気分になってしまった。
(ちなみに、これらの行動が、作中冒頭の「死んだ金魚を食べてみる」描写と同列に扱われているのも極めて遺憾だ。一方で、後から読み返すと「どんなに『普通』を演じても、どうしても定型発達者とは異なる発想になってしまう」という悲哀が感じられるシーンでもあるような気もする)
そして、私が本編以上にキレているのが、この作品の「売り出し方」というかパッケージングの仕方?である。
「阿武英子、29歳、独身、彼氏なし。ものごとの価値基準は「普通」か否か。「普通」に固執するあまり、彼女を取り巻く人間関係が綻び始める。「普通」とは何か、「異常」とは何か、人の倫理を問う戦慄&衝撃の新感覚サイコ・サスペンス、開幕!!」
とある。
先述の通り、第2話、第3話以降の展開によっては、これは単にさまざまな「アブノーマル」なキャラクターによる群像劇ですよ、くらいの意味合いの表現なのかもしれないが、1話時点だと「阿武がいかにサイコな人間か」が焦点になっていると読まれても仕方ない書きぶりだと思う。阿武のような発達障害(の特性を持つ)人間が「普通」になる≒社会に適応するために散々努力していることを「サイコ・サスペンス」扱いされてはたまったものではない。
また、「「普通」に固執する」ということに関しても一言言いたい。これはASDの特性の一つ「こだわりの強さ」で説明できる部分ではあると思うが、私はそれ以上の意味を見出してしまった。あえてクソデカ主語で言うが、発達障害者にとって「普通」という概念は「喉から手が出るほど欲しいけど、決して手に入らないもの」だからだ。
転職する(≒社会に適応する)ために、相田から「普通」に溶け込む方法を学び始めた時から、阿武にとって「普通」になることは至上命題になっている。「普通」でなければ社会には適応できない、というメッセージを、現代日本社会に生きる私たちは物心つく前から嫌というほど浴び続けている。だが、発達障害のそもそもの定義が「脳の発達の偏り方が非定型的(=普通じゃない)」である以上、発達障害者は「普通ではない」。だから社会に適応するのが難しい。頑張って「普通」を演じることができても、素の自分は決して「普通」にはなれないし、少し気を抜いただけで「アブノーマル」な本性が漏れてしまう。
少なくとも私にとっては、「普通」になりたいと願うのは至極当たり前のことだし、そのために自分なりに努力している阿武に共感こそすれ「サイコw w w w」などと嗤うことは絶対できない。できないし、そういう感想を見ると少し悲しくなってしまう(これは私が勝手に悲しくなってるだけなのでそういう感想を書くなという話ではないです)。
以上、本当に長々とお気持ちを表明してしまった。こういうことをしてしまう時点で私が「アブノーマル」なのは証明されていると思うが、それでも書かずにはいられなかった。対戦ありがとうございました。
ChatGPT-3.5「発達障害の人と定型発達の人との間で才能の優劣を一概に比較することは困難です。発達障害の人と定型発達の人は、それぞれ異なる特性や課題を抱えています。発達障害の人々は、一部の能力においては特に優れている場合がありますが、他の面では課題を抱えていることもあります。
発達障害は、個々の人によって異なる形で現れます。例えば、自閉症スペクトラム障害(ASD)の人々は、専門的な知識や独自の視点を持ち、特定の分野で非凡な能力を発揮することがあります。一方、ADHD(注意欠陥多動性障害)の人々は、創造性や柔軟な思考など、他の人にはない特性を持っていることがあります。
才能は個人の特性や環境によっても左右されますので、発達障害の人々が定型発達の人々よりも優れた才能を持つかどうかは個々の場合によります。重要なのは、個々の人々の個別の能力や興味に焦点を当て、それぞれの個性を尊重することです。」