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はてなキーワード: 歴史的瞬間とは

2019-10-11

anond:20191011100449

アリストテレス曰く「人間とは体に羽毛がなくて、二本足で歩く動物である



......... ゴジラ人類の一員と見なされるようになった歴史的瞬間である

2019-05-01

時代が変わった

この歴史的瞬間意味を一番理解出来ているのが日本人

恐らく天皇小室圭さんの偉大さを軽視しているアメリカ中国などの野蛮な行為によってそう遠くないうちに地球は滅ぶのだろが、

日本人だけはノアの方舟に乗って助かることが出来るのだろう

我々は日本以外全部沈没した時に、どの国の人間を助けるかを選択しなければならない

からそれはどこか考えてみないか

2018-04-27

歴史的瞬間」、「歴史的瞬間」って言うけど

本日朝鮮半島北緯38度線軍事境界線)にある板門店10年半ぶりの南北首脳会談が行われている。

南北首脳会談は、大韓民国韓国)と朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)の両首脳による首脳会談である
引用Wikipediaより)

1948年8月15日朝鮮半島韓国北朝鮮という二つの国が建国された。
二国の建国アメリカ中国ロシアという大国意図に寄る物であり、建国された時点で二つの国は仲が悪かった。
その、仲の悪い二国が二国間関係をどうにかしようとして始めたのが『南北首脳会談』だ。

南北首脳会談は、これまでに二回行われた。

第一南北首脳会談2000年6月13日から15日に、当時の韓国側の大統領北朝鮮首都平壌訪問
第二回南北首脳会談2007年10月2日から4日に、当時の韓国側の大統領北朝鮮首都平壌訪問

という形だ。
1948年8月15日韓国北朝鮮建国以降、北朝鮮歴代国家主席韓国領土に入った事が無かった。
それが、今回の南北首脳会談軍事境界線の直ぐ側ではあるが、韓国領土内で行われる。

今朝のニュースは、「建国から70年近くの時を経て、北朝鮮国家主席が初めて韓国領土に足を踏み入れた」様子を
歴史的瞬間」として取り扱っていた。

だが、増田主にはこれが「歴史的瞬間」とは到底思えない。
南北首脳会談過去に二度行われ、そのどちらもが、交渉決裂に終わり凍結している。
第一回と第二回の間には7年半の空白が有る。第二回と第三回の間には10年半の空白が有る。
この流れだと、第三回と第四回の間には13年半の空白が生じてもおかしくないのではないか…というのは冗談だが、
歴史的瞬間」という物が本当に有るとすれば、それは「朝鮮戦争終戦条約に、関係諸国の首脳がサインした時」ではないだろうか?

まり、何が言いたいかと言うと…。
北朝鮮国家主席金正恩)が国境を越えた程度で"歴史的瞬間"って騒いでるのって、"歴史的瞬間"という言葉を軽く使いすぎじゃないですかね?」
という事です。

2018-01-29

うんこが流れていかなかった。

もう30年くらい生きているが初めての体験をしたので記念に書き記しておく。

 

昨日の夕飯はレバニラ炒めと餃子だった。

昼間からうっかりゲームに熱中してしまい、23時頃と遅めの外食

帰宅してからまたもコントローラーを手に取り4時頃に就寝。

 

倦怠感を感じつつも会社に出向き、昼食には刺身定食を平らげオフィスに帰還。

歴史的瞬間が訪れたのはその時だった。

 

便意を感じてトイレに向かい、いつものように洋式便座に腰掛けいつものように脱糞する。

そしてまた、普段と変わりのないルーチンにてウォシュレットボタンを押し、3回程度手繰り寄せたトイレットペーパーを雑に畳んで菊紋を拭った。

最後に「大」の方向へレバーを捻り、ほぼ毎日行っている作業完了した。

 

しかし立ち上がり、ふと振り返ったわたしの目にはいつもと異なる世界存在していた。

まだ、そこに”いた”のだ。

 

なんと言えばいいのだろう。

便座の奥の部分にもたれかかっている感じ。

太くて長いそれは、まるで便座の局面身体を預けるようにしながらそこに鎮座していた。

まるで水など流れていなかったかのように。

 

その瞬間、流し忘れていたのかもしれないと考えた。

しかし、確実に使用したはずのトイレットペーパーの姿はそこになく、水も黄色に染まることなく澄んでいた。

また、慌ててもう一度レバーを捻った際にその一物がびくともしなかったこから考えると、流したにも関わらずそれはまだそこに存在しているのだと考えるのが妥当だと結論付けた。

 

ここで簡単に弊社のトイレ事情説明しておくと、いわゆる雑居ビルの中に居を構えている弊社トイレは、作業・休憩スペースから少し離れた場所にあるものの同じ空間位置しており、しかも男女共用だ。

まりわたしがここでこの一物を放置してしまうと、他のスタッフによってそれは発見されてしまう。

また、わたしトイレに入った際、トイレ入口を見ることができる休憩スペースに人がいたため、もしそれが発見された暁にはわたし犯人であるということはすぐに露見してしまう。

そのため、残された選択肢はこの巨大な一物をどうにかして亡き者にするというものだけなのだ

 

どうすれば良いのか。

思案に暮れつつもいつまでもトイレにいるわけにはいかない。

しかし、先ほど2連続レバーを捻ってしまったため、すぐに水を流したとしてもその一物はまだ自己主張を続けるだろう。

 

そこでわたしが行ったのは、トイレ掃除だ。

幸いなことに、トイレ掃除普段からわたし役割であった。

そのため、すぐに道具を置いてあるスペースにいき、トイレクイックルを手に取り、トイレ各所の掃除を始めた。

いつも以上に念入りに便座やその周辺を磨き上げた後、わたしは三度目の正直とばかりにレバーに手をかけようとした。

 

しかし、そこで頭に思い浮かんだのは最悪のシナリオだ。

もし、ここで水を流してもこの巨大な一物になんの影響も及ぼせなかった場合わたしはどうなってしまうのだろうか。

トイレ掃除という言い訳があったとしても、これ以上この場所に居続けることは不自然だ。

しかし、先に書いたようにこの一物を放置してその場を去るわけにはいかない。

 

そこでわたしが採った選択肢とは、一物を小さくして流れやすくするというものであった。

まり、その手に握ったトイレクイックルを指先に被せ、そのままピンチインによって一物を分断したのである

 

もしこれでも流れなければどうしようという不安余所に、3回目のレバー捻りの後に便座には何も残らなかった。

しかし、わたしの胸には「水で流れない程の巨大なうんこを捻り出した」という達成感が去来していた。

この一抹の自信は、何があろうとも私の中に生き続けるのだ。

2016-11-14

[]月面に建つ東屋

月面基地の発展に伴い、基地内の収納能力限界を感じ始めた頃、新たな実験スタートした。

地下に建設された月面基地の内部ではなく、月面で物資の保管を行うのだ。

核燃料や脱水汚泥などの身近に置いておきたくないものから酸素ボンベや保存食品類、各種建材などのすぐには必要ないもの等、リストには無数の品目が並んだ。

月面に物資を保管する上で考慮しなければならない問題が数点。特に大きな問題点は以下の三点である

宇宙線汚染

・数百度にわたる温度差

流星直撃

これらを避けるために月面基地の大半は地中に建設されているのであり、さすがに野面で月面に物品をさらすわけにはいかない。

アイデアとして、まずは半地下を掘削し、コンクリート製の屋根を渡した『バンカー』が考案された。

しかし、月面の砂質を考慮すると、掘削に手間がかかり、またコンクリート作成にも様々な困難が発生するため計画頓挫した。

この時点で研究会可能性としては無視できる程度に低いとして、流星直撃に対する対策は一時放棄された。

同時に、宇宙線についても可能な限り無視する事となった。

汚染に影響がないものだけを外に保管すればいいのだ。


次ぎに、物品をそのまま土のうで埋めてしまうというアイデア採用され、これは実験も成された。

様々な物品を月面に放り出し、土のう作成して上にかぶせる。

そのまま、月の昼を経過して、夜になったら掘り返す。

結果、十分に厚みを持たせた土のう層は温度の変化を最小限にし、十分に実用に耐える事が判明した。

しかし、やはり問題が発生した。

保存のために確保できる空間が労力の割に極端に狭いのだ。

埋め込み、掘り出しに膨大な人手間が必要となり、比較搬入、搬出が頻繁な物品には向かないことが解った。

やはり倉庫型の建築必須であった。ともかく直射日光さえ防げれば物品の劣化は防げるのだ。

そこで出されたアイデアが『木造プレハブである

荷重地球の1/6、それに木造建築の最大の敵である腐朽菌も白アリも、月面には存在しない。

火災さえも極端に低い酸素濃度のせいで発生しない。月面では木造メリットがあった。

同時に原材料地球から輸送というデメリットもあるが、それは現状全ての物資に言えることである

早速、地球から取り寄せられたプレカット角材が月面に組み立てられた。

レゴリスに建つ立方体の骨組みはいささか滑稽ではあったが、歴史的瞬間には違いない。

倉庫と言うことさえはばかられるような貧相な構造物を多くの研究者が見物した。

骨組みに続いて、屋根無垢の杉板を打ち付けていく。

合板などは接着剤にどのような変化が生じるか、研究必要なので初回は無垢材だ。

ちなみに、雨も風も考慮しないため、当初は水平に屋根を設置するとの意見も出たが、空中に巻き上げられたレゴリスが日々降下しているため、屋根にある程度の傾斜を付けることとした。

側壁にいたって、三方に腰板を設置し、届いた木材を使い果たした。

その異様は公園などに設置された東屋を想起させた。

早速、お調子者の研究者が、「サムライハウス」などと落書きを加えたが、東屋は一昼夜の後に解体され、材料は徹底的に切り刻まれ研究に回された。

熱伝導の低い木材は、高熱の直射日光を浴びて表面を炭化させながらも、内部は生木の状態をたもち、倉庫として要求される強度を十分に発揮することが証明された。

(後に、月面基地生産可能な石膏ボードを利用した倉庫建築技術が考案され、木造建築研究はたった一度の建築実験のみで中止されたが、月面基地開発初期のロマン主義的な代名詞として木造建築実験は長く語り継がれることになる)

2015-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20150410125659

中立的判断」なんて考えてるのは低能だけだバーーーカw

これまで頑なに「(自分は反反反原発であるから反原発については擁護批判もしていない」という立場を貫いてきた反3君がついに中立を捨てた歴史的瞬間である

2014-05-16

統合失調症がやってきた?

統合失調症がやってきた」の松本ハウスが来るというので、行ってみた時のこと。

狭い会場に二百人以上が詰めかけて、それに加えて立ち見のギャラリーもイル。

会場に掲げられた白膜には「精神科医療における松本ハウス歴史的意義」だって

司会をしていた精神科医いわく、100年以上にわたる、排除歴史から統合失調症がやっと地域社会に帰りつつある。我々は、ハウス加賀谷松本キックが、統合失調症をめぐるタブーを打ち壊す歴史的瞬間に立ち会っている!

精神疾患をお題に名披露目した松本ハウス(とくに当事者であるハウス加賀谷)は、その象徴存在であるそうだが。。。

ハウス加賀谷は「統合失調症がやってきた」という本を昨年の8月に出版した。私はとくに興味もなかったし、そういう「商売」にのる気もなかったので、買っても読んでもいないが、彼らが言うには初発の症状は中学2年のときだとか。

夏の暑いある日のこと、教室でふと振り返ったとき、友だちが下敷きで顔を仰いでいるのを見てしまった。友だちは自分の臭さを吹き飛ばすために下敷きでパタパタやっている、彼は一瞬でそう理解した。

それ以後、「加賀谷、クッサー」という声が聞こえるようになったという。

以後、事実でもない声が聞こえてくる彼は精神科とのつきあいをはじめる。ようは、通院がはじまったということ。

それでもビートたけしが好きで漫才師になりたかった彼は、17歳のときオーディションを受け、松本キック出会い、「松本ハウス」としてデビューした。

――――ある時、鞄いっぱいの薬を見つかり、病気告白。その症状を聞いた相方が、それ、漫才に使えんか? ということで、すでにこの時代に、病気ネタにしていたらしい。

幻覚、幻視病気の症状を面白おかしくしゃべる加賀谷にキックの方が突っ込みを入れて、笑いを誘う。

それって是か非かどっちだ?

病気の症状で笑いをとることに不快感を表したある統合失調症患者女性が、その思いを自分ブログに書いたり、松本ハウスブログコメントを入れたところ、ファンから袋叩きにあったというエビソードもある。

確かに話としては面白いが、当事者として症状で苦しんでいる人には笑えるものではないだろうし、侮蔑と感じる場合もあるだろう。

「昔のような切れはもうないけれど、今できることを探していこうと思っている」と相方松本キックはいう。

「薬のせいで感情が平坦化していて、昔のように言葉キャッチボールはできないけれど、いまは、その鈍さを笑いにしてしまえばいい。僕はそんなふうに思ってます。笑いには計り知れない力がある。病気だってできることはたくさんある。みんな、統合失調症だって、こうして働けるし、社会復帰だってできるんです」

そして、「統合失調症」の当事者として本の出版とともに復活し、その体験をネタに、現在の「地位」を築き上げたのであるネットを見渡せばわかるが、ソーシャルサイトの囲い込みも検索エンジンSEO広報マーケティングには抜かりがない。病気で稼ぐ、精神疾患ネタで稼ぐ。彼らにとって「統合失調症」は一種の鉱脈なのかもしれない。彼らは鉱脈を見つけた者として、その権利を決して手放さず、「精神村」にいつづけるに違いない。

2013-12-25

なつかしいこと。

昔の恋人からFacebookメッセージが来ました。

彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋経験させた人。私が16歳のときに彼の大学学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。

大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。

彼の卒業と、私の卒業は、ちょうど同じ年の春でした。

私は出版社就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。

駆け出しの編集なんて奴隷からボロボロになるほど忙しかったけれど、一緒に過ごす時間をなんとか捻出していました。仕事が終わってから彼の家に行き、ただ一緒に眠るだけなんてこともありました。

お互いの新しい仕事を興奮しながら報告しあったり、忙しいけれど楽しかった。

それまで、理工系男子ばかりに囲まれていた彼にとっては、綺麗な女性の多い職場は楽しかったのでしょう。今日職場芸能人が来てた!なんて喜んだりしてました。

ある日、彼に「同僚に紹介したいから」と飲み会に呼ばれました。一歩入っただけで、綺麗なお姉さんと可愛い子ばかりでクラクラしました。薄化粧にGAPジーンズノーブランドのバッグの私が、とてもみすぼらしく感じられました。時計なんてGショックだし。女の子たち、みんなカルティエとかエルメス時計してるのに。「これがA君の彼女~?可愛い~!若い~」と言う彼女たちの言葉が痛かったです。

その中でも、彼と同い年で向かいに座っていた女性、なんだか嫌な感じがしました。恋愛経験がなくても、女の勘って働くものなんですね。

両親に結婚の話をした半年後の冬、彼とお付き合いを始めて7年の記念日の二ヵ月後、彼は私の前で泣いていました。

「酔っ払った勢いで浮気して、その相手との間に子供ができてしまった」とのことでした。

相手は「やだな」と私が思った、同僚の女性でした。彼女、きっとずっとずっと、彼のことを狙っていたんでしょう。酔っ払った勢いで色仕掛けして既成事実を作って…。高校生のころから、彼以外知らなくて、合コンにすら行かなかった私では、太刀打ちできない手だれです。

彼が何を言っても、何が起こったのか、何を言われているのか、全然頭に入ってこなくて、真っ白でした。涙を流していたみたいですが、その記憶もありません。

翌日、初めて会社休みました。現実を受け止められなくて、ただ部屋で呆然としてました。

いろんなことが頭をめぐっていた気もするし、そうじゃなかった気もします。電話メールも取らないで、ただ、部屋でじっとしていました。

そこから数ヶ月の記憶は断片的になっています

とりあえず実家に帰って、2週間ほど実家から会社に通ったこと。お母さんの切り干し大根や厚揚げの煮物を食べてポロポロ泣いたこと、彼が実家に謝りに来たのをお母さんが「そっとしておいてください」と帰したこと、彼の親から電話を切ったあとにお父さんが黙って寝室に行ってしまったこと。友達からの「大丈夫?元気出してね」という電話メールに、「だいじょうぶ」とかろうじて返事をしていたこと。細切れの記憶がぽつぽつと浮かぶばかりです。とにかく、人生最初失恋は、思った以上に辛かったです。仕事に行くことで、なんとか日常生活にとどまっていられた気がします。仕事をしている間は、プライベートの辛さを忘れていられました。

彼は、責任を取って、その同僚の女性結婚したと、共通の友達から聞きました。モデルみたいに綺麗な花嫁さんだったそうです。

彼とはそれっきりでした。共通のお友達とも、私のほうから離れていくことにしました。気を使わせてしまうのが心苦しくて。

以来、綺麗で可愛らしいけれどしたたかハートを持った女性が苦手になり、そういう女性にころっとだまされてしまう男の人が大嫌いになりました。

それからは、何年も仕事に没頭していました。

出版不況が厳しい中で部数が減るばかりの編集部をやめ、アメリカのITバブルの波に乗りました。シリコンバレー発のスタートアップに「雑用でもなんでもいいから」と紛れこませてもらい、毎日文化祭の前日のような熱気の中で働き続けました。右肩上がりの成長に興奮し、歴史的瞬間に立ち会ってることに感動しました。

プライベートでは、ずっと一人でいるのを心配され、出会いの場に連れ出されることも何度かありました。でも、合コンでは苦手なタイプ女子たちに気圧され、男の人に誘われても一線を越えることはできずにいました。それは、「また裏切られるんじゃないか」という恐怖だったり、私が”浮気相手”で他の女性を傷つけることになったら…という恐怖だったり、いろいろでした。

忙しい日々の隙間にぽっかりと時間が空くと、ものすごく孤独な気持ちになりました。年に数回、帰宅後に、彼は奥さんと子供幸せ家族をしているんだろうな…と、レンジで温めたご飯をつつきながら泣いたりしてました。

仕事プライベートバランスも取れるようになってきた30歳からは、結婚恋愛の話題を振られることもぐっと減ってきて、心穏やかに過ごせるようになりました。思い出せば胸を締め付けられるけれど、部屋で泣くこともなくなりました。

それからしばらくして、彼から最初メッセージFacebookに届きました。ご飯食べに行こう、とお誘いに少し迷ったものの、「ぜひ」と返信しました。

銀座焼き鳥屋さんで久しぶりに会った彼は、記憶の中の彼よりも随分くたびれていました。私がオバサンなんだから、彼はオジサンなので、当たり前といえば当たり前です。

しかった頃の話をしていたら、16の頃に戻ったみたいな気持ちになりました。手にしていたのは焼酎だけど。

お酒も進んだころ、「本当にごめんな。俺、バカでさ」と彼がぽつりと言いました。

「本当だよ。あの後、ほんっっっとうに大変だったんだからねっ!おかげでキャリアはついたから一人で生きていけるようになったけど、気づいたら三十路だよ~」と笑う私に、彼がした話は、思った以上に重かったです。

2年前から別居中であること、奥さんが妊娠したのは自分の子供ではなかったこと、成長してきても全然自分に似てこないこと、不況リストラされること…。FBで何かあったようだとは感じていましたが、実際に聞くと重みを感じました。

「バチがあたったのかなぁ」とぼやく声が、彼のくたびれ具合を加速してました。

「そうかもしれないけど、起きてしまったことは仕方ないよ。今できる中で、ベストなことをするしかないよ。頑張れば、思い描いていたのとは違うかもしれないけれど、それなりに幸せはみつかるって」

「そうかなぁ」

「棚ぼた待ってるより、絶対いいよ」

「そっかぁ、そうだなぁ。大丈夫かなぁ」

「だいじょぶだから!」

こんな会話、彼の就職活動ときにも、社会人1年目のときにも、交わした気がします。ふと思い出して、切なくなりました。

あのとき、あのまま順調に付き合って、結婚していたら、私たち幸せ家族になれていたのかな。

帰りの電車の中で、「S子(私のこと)と話したら元気になったよ。ありがとう」と言って帰っていった彼のことを思いました。

やっとやっと、長い間背負っていた荷物を降ろせた気持ちになりました。彼への気持ちをやっと手放せた。

あの失恋から10年が経ち、「最後にもう一度だけ」の気持ちで、結婚相手を探しはじめました。ほどなく、優しい年下の男性に出会うことができました。

アラサーというより、ミドサーといったほうがいい年齢の私にはもったいないくらい、優しくて素敵な人。順調に話が進み、今年、入籍しました。

結婚が決まったことは、彼にも報告しました。「私が人のものなっちゃうの、さみしい?」と聞いたら、「S子は幸せにならなきゃいけない人だから」と返事がきました。

私は今、夫と一緒に暮らしていて、毎日幸せな気持ちでいます。彼からメッセージは、奥さんとの調停がやっと片がついた、でした。再び自由になったら、また、幸せを見つけて欲しいな。

追記:

今朝、はてぶを開いたら、自分投稿が人気のブックマークに載っていたのにびっくりしました。初めての投稿が、大勢の方に面白く読んでいただけて幸せです。ブックマークしてくださった皆様、はてぶやTwitterコメントくださった皆様、ありがとうございます感謝です!

芸能人の話でふと思い出して、自分経験したことを書いてみました。自分では、毒のある恐いエピソードだと思っています

何か思い出したら、また、もやっとする気持ち悪い投稿をしてみますありがとうございました。

2013-10-06

今夜、日本競馬歴史が変わります

フランスで行われる凱旋門賞に2頭の日本馬が出走する。


凱旋門賞とは簡単に言うと世界一サラブレッドを決めるレースで、これに勝つことが世界中ホースマンの夢でもある。

毎年世界一称号を目指して世界中の強豪馬がフランスロンシャン競馬場に集結するけれども、今年で92回目を迎える伝統レースなのにもかかわらず、未だにヨーロッパの馬以外が勝利したことはない。

44年前、第48回凱旋門賞スピードシンボリという馬が参戦したのを皮切りに、日本ビッグレースをいくつも優勝してきた数多くの名馬が凱旋門賞に挑戦してきたが、その多くは海外の怪物馬たちに全く歯が立たず、今までの最高着順は2着、かの有名なディープインパクトでさえ3着(のち失格)に敗れた。

欧州ホースマンには彼らの矜持があるために日本には何としても勝たせたくないのであろう、勝利の壁は実に高い。

けれども少しずつその壁が低くなってきていることも事実である日本競馬界は44年前とは比べものにならないくらいの発展を遂げてきたのだ。


さて、今夜凱旋門賞に出走する日本馬の一頭の名は、「オルフェーヴル」。第78代日本ダービー馬であり、史上7頭目のクラシック三冠馬でもある。

オルフェーヴルはまさに歴代屈指の名馬で、世界中を見渡してもこの馬を凌ぐほどの馬はなかなか見当たらない。

騎乗した騎手を振り落としてしまうほどの激しい気性の持ち主だが、その気性がレースではプラスに転じ、獰猛な闘争心でもって他馬をあっという間に抜き去ってゆく。

しかしその気性はレース中にマイナスの面を露呈する場合もある。話題になったのが去年の「阪神大賞典」というレース

このレース中、オルフェーヴル騎手の指示に背き、本来なら後ろの方でレースを進めるはずのこの馬が、一気に先頭にまで躍り出てしまった。

先頭に立ったことでレースが終わったと馬が勘違いしたのか、何とコーナーのカーブの所で突然失速し、外へ逸走、最後方近くにまで下がってしまったのである

1倍台前半の圧倒的人気を背負った馬のアクシデントに、馬券を買っていたファンは目の前が真っ暗になったであろう。

だがオルフェーヴルはやはりただの馬ではなかったのだ。失速した直後、まだ一生懸命走っている馬たちを見つけたとたん、レースが終わっていないことに気がつき、負けてたまるかとそこから一気に加速、さすがに最後はバテたものの、結果は何となんと2着であった。運動会の長距離走で、いったん走るのを諦めておきながら再びやる気を興して先頭に迫ろうとすることな自分にはまったく考えられない。

とにかく、野蛮で規格外破天荒、この馬は普通の馬ではないのである

何としても世界一称号を手に入れなければならない義務を背負う池江調教師世界的名ジョッキーのスミヨン騎手らは、並々ならぬ闘志を秘めて本番に向かう。


凱旋門賞に出走するもう一頭の日本馬は、「キズナ」。第80代日本ダービーである

オルフェーヴルが5歳という円熟期を迎えているのに対して、キズナはまだ3歳のピチピチの若者だ。オルフェーヴルが嵐だとすればキズナセクシーゾーン。(ジャニーズのことはよく知らないが多分あってる)

キズナ」という素晴らしい名前は、武豊騎手佐々木調教師前田オーナー、そして負傷する前にこの馬に乗っていた佐藤騎手たちの「絆」を見事に表している。

今年5月に行われた、世代の頂点を決める日本ダービーでは、武豊騎手を背に大外から豪快に差しきって優勝した。

さら海外デビュー戦となった先月の前哨戦ニエル賞でも、前評判を覆し、大外から豪快な伸び足をみせ、今年の英国ダービー馬を振り切って優勝。

日本馬と日本人騎手凱旋門賞初優勝に期待感は最高潮である

ちなみに、この馬は、7年前やはり武豊騎手を背にして凱旋門賞に挑戦したディープインパクトの子供で、親父の忘れ物を取りにいく意味につけても、実にロマンがあるのだ。


昨年、日本中の期待を受けて出走したオルフェーヴルは、いちどは先頭に立って他馬を突き放しておきながら、最後最後に失速して人気薄の牝馬差しきられ、悔しい悔しい2着だった。

新たな歴史を刻む現実味がいよいよ帯びてきたように思えるけれども、実際海外の強豪馬は「怪物」だらけで、欧州ホースマンのプライドもあり、今年もそう簡単には勝たせてくれないと思う。

しかし少なくとも歴代の日本馬14頭が敗れ去った過去凱旋門賞比較すれば、今年に最もチャンスがあることは間違いない。


こんなに長々と競馬のことを連ねて申し訳ないけれども、ふだん競馬に興味の無い方々にも、今夜のレースはぜひとも見てほしいと思い書くことにした。

今夜23時からテレビ中継があるので、一緒に歴史的瞬間を共有していただければ幸いです。

 
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