2015-03-12

震災から4年が経つけど、悲しいもとい虚しい

震災当日、俺は東京で新しい仕事を始めて2日目が終わった休みの日だった。

無職明けで自己否定全開のメンタル落ち込み中で、

それでも貯金がなくてカードの支払いができず、

人生で初めてリボ払いを使い、

最低でも今月と来月までは稼がないと支払いが、といっぱいいっぱいだった。

毎日が全く分からないまま放り出されて、給料は歩合制、

必死という言葉が当てはまる状況だった。今思えば。

そんな折に震災が起き、ニュースでは大変な騒ぎだった。

リアルタイム映像はまるで現実ではなく映画のようだったと記憶している。

大切な人が流され、大切な家が流され、

途方にくれて涙する人がその後も毎日のように特集された。

片や俺は孤独だった。

俺には大切な人はいなかった。

離れて暮らす家族も大切な存在ではなかった。

安否を心配する友人もいなかった。

家は賃貸アパート、当然大切な資産みたいなものもなかった。

明日仕事不安で仕方なかった。

震災報道は、ただ単に世で起こったニュースひとつしかなかった。

連日のテレビ報道を見ていると辛かった。

「絆」という言葉共感できないことが、むなしかった。

被災者の人と自分を見比べると、当然自分の方が恵まれている。

なのに毎日いっぱいいっぱいで仕事を覚えて、

お客さんには怒鳴られながら、

家に帰れば孤独を感じるしかなかった。だから

自然テレビ震災報道は見なくなってしまった。

自分が情けなくて涙が出るから。そのことにさら申し訳なくなるから

心を閉じないとリボ払いが無くならない。


今日も、どこのチャンネルでも震災特集をやっていた。

4年経ったのに、自分は相変わらず孤独だ。

仕事も、よわよわメンタルによって歩合が激減している。

相変わらず自然テレビを消す自分がいた。

その変わらなさに今気づいて、

ショックと情けなさでまた心を閉じている自分がいる。

被災者の方、本当にごめんなさい。

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