まあ、そういうふうにいろいろ考えたくなるのはよくわかる。
でも、そういうことは時間とともにどうでもよくなっていく。
だんだん2500円なんてたいした金額じゃなくなっていく。
友人4人と、いつもは入らないおしゃれな雰囲気の居酒屋に入った。創作ダイニングバー的な?
料理も飲み物もおいしかったしお店の雰囲気も申し分なかったんだけど、コスパ悪いなって、ただそれだけ、でも一度そう考えたらもうぬぐえない類のことを思った。
結局、会計はいつもの倍くらいで2500円くらいだったんだけど。
おしゃれな店って、おしゃれな名前がついたメニューが1000円くらいでちんまり出てくる。その店は、炭水化物のものでも、どかっと出てくることはなくて、ちんまり。
そういう店はおいしい酒を飲みながらゆっくりおつまみ感覚でちんまりしたものをつまみながらおしゃべりするところって、そういうことはわかってる。
わかってるけど、友1が。友1が明らかに食い意地張ってる。
まあ、わかる。こんなちんまりだったら、おなかいっぱいにならない。ちょっとでも多く食べたいって、わかるけど。今日は飲んでないし。
私たちの集まりは、いつもノンアルだ。飲みたがりがいない。飲もう!ってならない。
だから今日も、まあここは居酒屋さん(ダイニングバー)だけど、まあたまにはいいじゃんソフトドリンクだけどみんなでちんまりしたものをつまもうよって感じが、雰囲気が、浸透するもんだと思ってた。だってみんな高校生じゃないんだから。大人になったんだから。
ちんまりしたものを、ゆっくり食べるのも食事のひとつだし、食事は量じゃないよね、と、「ああ困ったな、ここはいつも入るような店とは違って料理が少ないなぁ高いし」と思いながら、自分を納得させてた。私は。
(ちなみに私たちは社会人半分学生半分って感じの喪女グループです)
お店は、どんな料理も4人で分けられるように、わかりやすく切ってくれたものを出してくれた。いいお店ってちゃんと人数見て料理も切ってくれるんだっていう認識をわたしはしてたので、自分の分を取り皿にぜんぶとらなくても、わたしは安心して置いといた。だってその料理は、明らかに誰が見たって一人二切れでつまむように出てきてた。
今日は割り勘って決まってて、人数分きっちり平等に行き渡るように料理が出てくるのに、友1は、友1は、最後に残ったわたしが残しといたやつを、「はいこれ食べちゃうよ」つって、食べちゃった。
普通わかるだろ! こういうとこではさ! ただでさえ今日は(いつもよりは)高くてコジャレた料理食ってんだからさ! みんなにおなじだけそれを味わえるように食べるだろ普通!!
ああ、こいつはこういうとこ入り慣れてないんだな、空気読めよくそ、って思った。
ここまでで私が我慢して、ここまでのモヤッを忘れてればこのあと尾を引くことはなかったのに、このあともちまちま、なんか今日はフィーリングあわないな、なんか突っかかってくんなーこいつ・・・って感じで解散になっちゃった。少なくとも私は、友1と話して笑ってはいたけど、今日は合わないな、って思いながらモヤモヤしてた。
たぶん向こうもそうだっただろうと思う。
友1は本当にいいキャラしてて、大好きだし、こういうときに勝手にキレるのはいつも私のほうだ。
友1のいいキャラはその空気の読めなさにあるんだけど、たまに私が、この態度はあまりにも酷い、と受け取ってしまうと、私は勝手にキレてしまう。キレてしまう私。
でも、私は友2~3にキレたことは、ただの一度もない。ただの一度も。友1ほどには。
私が「この人は空気が読めない」と思うその人に、空気読めないね、というのはおかしいし酷だ。
ここではこうするものでしょ、というのは私の価値観だから。その人の価値観じゃない。金銭感覚だって違う。おなかの空きぐあいも。
だけど、だけど今日は久々に、モヤモヤから始まって、キレはしなかったけどイライラまでは到達した。
食い物の恨みは恐ろしいって言うのは本当だ。私は、自分が食べたこともないこじゃれた食べ物を、明らかな食い意地を見せられつつかっさらわれて、いいのよお食べなさいなとは言えない。私だってきっちり二切れ食べたかったもん。すげーおいしそうだったもん。一人二切れしかないけど。
「えっなんで! それ私のぶんじゃん!!」ってその場で言えばよかったんだけど、あまりにも私の価値観には合わない行動だったので、キレてその場を台無しにしそうだったので言わなかった。
言わなかったけど、今日は嘆きたい。
(いつもより)高い店で、食い意地をはられて、それゆえに不平等に扱われたことを、またそれをその場で友には指摘できなかったことを、ここで嘆きたい。
医師には生きられる保障は無いときっぱり断言され、飼い主である私の落ち度を呪いながら三日三晩寝ずの看病。
明けて4日目、ついに猫は峠を越した。
体重は元気な頃の半分以下まで落ちたが、それでも日に日に食欲は増しもう大丈夫だと思っていた時ふとある変化に気づいた。
猫が喉を鳴らさない。
元来まるで犬のようだと言われるほどに懐こい猫で、その件がある以前はそっと撫でるだけでも喉を鳴らした。
ふつふつと湧くような低く甘いその音が私は大好きで、だから用もないのに家にいるときは猫を撫でた。
しかし元気になってからと言うもの、猫はさっぱり喉を鳴らさない。
撫でれば以前同様とても嬉しそうにするし、帰宅すれば足にまとわりついてかまえかまえと大騒ぎする。
定期健診でも血液の数値は安定し心身ともに元気になったはずなのに。
なんとなく、猫が私をゆるしていないのでは無いかと思った。
私が病のシグナルをすっかり見落としていたせいで猫は苦しんだ。
痩せて全身の毛が抜け嘔吐し窒息しそうになっていた姿を思い出しては毎夜布団の中で後悔ばかりして自分を嫌悪ばかりして気づいたら頭に500円玉大のハゲができていた。
実は私はこの猫ともう1匹の猫を飼っていたのだが、そのもう1匹も1年と少し前に亡くしている。
壮絶な最後でもう二度とこんな経験はしたくないと思った矢先に件の猫が発症。今思えば多分私も随分と精神が止んでいたのだろう。
とにかく大きなハゲを頭にこさえて、毎晩後悔してひとりめそめそしたりしながらも先日猫を撫でていたら指先に僅かに振動が伝わったのが分かった。
あれ、と思い指を止めると確かに本当に微かにだが振動しているのがわかる。
そのままそっと猫の首あたりに耳を近づけ息を止めたら猫の喉が小さく小さく鳴っているのが分かった。
瞬間、滝のように涙が出た。
そうか、ずっと鳴らしていてくれたんだ。
理由は分からないが(病気がきっかけかもしれない)猫は喉を以前のように元気いっぱい鳴らせなくなってしまっていたようだ。
それでも猫はあれからずっと微かに小さく喉を鳴らしていたのだろう。
1年近く気づけないとはやはり情けない飼い主だけれど、そんな事はもうどうでも良いと思うくらい泣いた。
私にはもう動物なんて飼う資格など微塵も無いのだと思い、せめて少しでもと償うようにこの1年生きてきたと思う。
今も傍に猫は丸まり、私が撫でれば聞こえない音で喉を鳴らす。
http://anond.hatelabo.jp/20131012234757
全く違うよ。逆だよ。
ここを間違えて宣伝してる奴が多いから不幸な奴が量産されるんだよ。
違う。
諦めようとしても諦められない何かがあったんだよ。
それなりの勝算があるとか、どうひっくり返っても自分には人並みにできることが他にないとか、とにかく何らかの理由があるんだ。
だから諦められなかった。
そして、そういう奴は十分な時間をかけて成長し、あるタイミングで日の目を見る奴もいる。
だけど、そうならなかった奴はもっとたくさんいるはずだ。
なぜ僕がそう思うのか?
簡単だ。
それらの成功者が1つ目の夢に固執し続けていればきっと成功していない。
いくつかの夢に取り組み、上手くいかずに諦めて、最終的にベストな選択に辿り着いただけだ。
そしてそのベストな夢に徹底的に固執した、いや、そうすることしかできなくなった。
本当に自分にとってベストな選択をしたとき、人はその夢を諦めるようなことはしない。
誰に何を言われようが、絶対に諦めない。
だからそんな人に「夢を諦めるな」なんて助言は全くもって不要なんだ。
むしろその言葉は間違った夢を持ってしまっている人に対して害悪だ。
さっさと本来の夢に出会わなければいけないのに「諦めなければいつか叶う」という呪いの言葉に操られる。
だから言うな、諦めなければ夢は叶うなんてこと。
寄る辺なき人の哀れを助く人彼らに憑きて生かされてをり
転職したらどう?
余裕あるんだし、自分のほんとにやりたいことをやっちゃえよ!
稼ぎが少なくなったとしても好きなことを仕事にして過ごせるのっていいよ。
until600331
縁の切れてた親が死んだと同時に発覚して財産が急に舞い込んでいたというのか。。。
というか、これだけ金持ってる親(ほんとに不動産収入だけで手取りで1500万なんて、総資産いくらになるの???)
いや、その5年が大きいのよ。その5年でその辺の環境は一気に変わった。
まさにこれだな。
当時は道楽が十分になかったから、親の金でひと通りの事をしてしまった奴等がそれ以上の道楽を求めてやってただけのことだ。
娯楽産業やってるのが外人だろうが日本人だろうが自分に入る金ではないことに変わりはない