はてなキーワード: 床屋とは
ちょっと話は変わるがインターネットが世界を変革する一番の要因は教育だと思ってる。
例えばこんな話を知ってるだろうか?
「途上国と先進国。あまり変わらない技能を持つ床屋でもその収入は段違いである」
というもの。
これ、要は国や広域な地域単位で見れば周りの人間が築く収入によって自分の収入が変わるってこと。
「で?」と思うだろうが周りの人間の生産性ってのはその人達が得た知識で変わる。でその人間の知識ってのは知にアクセスできるかどうかで決まってくる。
人間の能力なんて環境次第とはよく言ったもので「知ろうとしても知にアクセスできるかどうか」ってのが決定的なものと自分はおもってる。
んで、インターネットでそういう人と繋がれかどうかがその人の能力の伸びが決まると思ってる。
だからきっと今後の世界は思ってもみなかった国が先進国となるだろう。
まぁ結局何が言いたいかと言うと「子供にそういう人とネットで繋がれる環境を整えてあげればいいんじゃない?」とそれだけなんだけどね
オタクへ
服には差し色を入れろ 全部黒で揃えるな
差し色って言っても紺とかカーキじゃないぞ、わからんならまずはバーガンディーかマスタード色にしとけ コントラストをつくれ それが怖いならまずは白かグレー
でも1回のコーディネートの色は大体3色以内に抑えろ、お前はまずそこからだ
英字Tシャツを避けろ お前のファッション力で使いこなせる柄物はキャラものじゃないUTだけだ 無地の力を信じろ
そもそも服を買い換えろ 襟元がダルダルになったり擦り切れたりしてるシャツは部屋着にとどめろ デートに着てったら雑巾に見えるぞ
高い服じゃなくていいから新しい服を買え、あと洗え
追加
風呂に入れ 頭はきっちり洗え
「服屋は店員に話しかけられるのが嫌」とかイキるな、ユニクロやGUなら話しかけられん、そこから始めろ
あと試着しろ サイズが合った服を着ろ 別に試着して合わなかったら買わなくていいんだよどんとかまえろ
上級編↓
【追記12:50】思ったよりブクマが伸びてびっくりした。深夜投稿でもこんなに伸びるんだね。
で、重大なミスがありました。ブクマでめっちゃたたかれた焼酎オーソリティとセブンの件
id:gomibako どうでもいいことだが、酒屋は同じフロアに移転しただけだし、セブンイレブンも1店は閉めたので2店しかない。ホントにリモートワークで出社してないんだな。
マジか!!!
https://www.caretta.jp/shop/index/148
マジやんけ!!!
しかも、メインがワインになってる。セブンも結局あのへんなところのセブンは閉めたのか。それでも今の位置は相当謎だけど。
本当に焼酎オーソリティごめんなさい。てっきり撤退されたかと思ってました。よく残ってくれました。でも、その場所、厳しくない?とは思ったり。
あと、記事タイトルでDと言ってるのは、気づいた人も多いけどパブリックエネミーとチャックDとかけてます。パブリックエネミーではrebel without a pauseが好きです。
このあおるような文体は電通の人間だからではなく、山本一郎とか中川淳一郎あたりを参考にして書きました。僕の普段の文体とは全く違います。
以上。
【追記19:08】
おいまて、元記事よりもブクマが多くなってるじゃねーか。本末転倒じゃないですか、ひどいですよ。
ちなみにリストラの話、途中まで書いたんだけど、会議が入ったので、保存しようとしたら増田は途中保存できないのね、ひどいな。ということで、間違えてアップしてしまったのを消したのがトラバに残ってますが、気にしないでください。
【追記終わり】
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGD184X60Y1A110C2000000
日付変わって昨日、まあまあ話題になったこの件について、中の人がちょっと話すよ
といっても、僕はしょせんは35年のローンを抱えた平のサラリーマンだし、会社内では全然権力も発言力もない人間なので、話半分で聞いてくれ。
まあ、いちおう、汐留に来る前のことも知ってる程度には古参の人間なので。
さて、はてなの諸君にとっての最高にハッピーなこのニュース、トップブコメあたりを見ると、
「いやーん、ついに電通もつぶれるのかー、最高、ラッキー、これで世界に平和が訪れる。オリンピックも中止中止、ついでに菅も退陣しろ。我々は魔王を倒したのだ」
みたいなコメントばっかり並んでますが、まあ、んなわけないよね。
多少ちゃんと記事を読んだ人とか、経営にご理解と知識のある方は、ちゃんと指摘してますが。
指摘の通り、これ別に売却しても、電通が淡路島や種子島や沖ノ鳥島に引っ越すわけでもなく、そのまま賃料を払って入居し続けます。
なんで、そんなことをするかと言ったら、ぶっちゃけ、そのほうがランニングコストが安いから。
その点については、実は汐留に引っ越す前からひそひそ話でいわれていたわけで、引っ越し前は電通は、いくつかのビルに入居していたんです。聖路加タワーとか、築地の丹下健三の作ったビルとか、その向かいや裏側とかに。僕が新入社員研修のころは、築地のビルの13階にある大会議室を階段で駆け上がるのが日課でした。ちなみに当時から銀座電通ビルには、本社機能はありませんでした。関係ないけど、あのビルのエレベーターが普通のになっちゃったのは本当に残念。昔の鉄柵ががっちゃんというやつ超好きだった。で、引っ越しで汐留にその辺が全部丸ごと移転したわけです。おまけにダンディ馬場という役員行きつけの床屋まで一緒に移転させて(苦笑)
で、その当時から、汐留のランニングコストは今の全部のランニングコストよりもはるかに高いらしい。引っ越ししたらしたで死ぬほど金がかかりつづけるらしい。と言われてました。
しかも、電通は引っ越した後も事業規模を拡大し続け、いつの間にか入りきらなくなり、結局、いくつかの部署が周辺ビル(主にアネックスとかだけど)に引っ越しするなんて本末転倒なことになったわけです。社内も実はフロア改革と銘打って、一人一人の作業スペースを地道にコツコツと減らしたりしました。机の島が4人から6人になったりしました。デジタル化して書類は減ってるとはいえ、一人あたりのロッカーとデスクの収納が段ボール1箱分ってのは勘弁してほしい。仕事の資料の本すら置く場所が無いのが現状です。
そんな中、電通はリモートワーク実験を少しづつはじめ、汐留の本社ビルに周辺の関連会社も含めて集約しようという動きがこの数年で始まりました。まあ、当初はオリンピックの時に出社を減らそうという目標だったのですが、幸いなことに全社員にノートPCが配られたわけです。ちなみに全社員デスクトップPCもあります。なぜかしばらくデスクトップとノートを2台使ってるという状況だったんですね。で、リモートワークに対応しやすいようにOffice365のフル活用とかsalesforceの導入とか、VPNの自動アクセスとかが整備されたんです。
そうしたら、突然のコロナ来襲。しかも、電通社員が早々に罹患。急遽(本当に急遽明日からというノリ)でリモートワークが強制スタートしたわけです。まあ、社内も上に下にの大騒ぎですよ。なんせ、TeamsもZoomもロクに使ったことのない社員が大半だったんですから。でも、そこは気合と順応性だけは社会人の中でも抜群に優れてる電通社員なので、あっという間に対応してしまいました。で、当初は出社を最大20%と言っていたわけでして、その時期に数回出社した自分はビビりました。休日出勤より人がいない。かわいそうなのは地下のカレッタ汐留に入ってるテナントたち。なんせ電通社員のランチの胃袋や帰宅前のちょっとした買い物でかろうじて生きながらえてきた店ばかりだったので、あっという間にバタバタつぶれてしまいました。焼酎オーソリティという酒屋がつぶれてセブンイレブンになったのは爆笑でした。おいおい、同じビルに3つセブンイレブンが入ってるぞ、セブン&アイの本社より多いぞ。焼酎オーソリティはいい店だったんだけどね。希少な焼酎がずらっと並んでたし、末期は日本酒にも手を出して獺祭もレアなやつまでおいてくれてたのに。(爆笑したのは当たり前ですが、セブンになったことについてです。)
で、そのあと、世間の歩調に合わせるように少しづつ、緩和したのですが、電通社員、基本的に出社しないで仕事できちゃったんですよね。
先ほど、申し上げたようにツール環境を整備したので、たいていの仕事はリモートでできるようになっていた。データベースも回せるし、メディアプランニングもできる。企画書も全然かける。
当初は営業は出社してなんぼとか言っていたのですが、あれ、冷静に考えたら、優秀な営業って昔からクライアントに張り付いてたじゃん。出社は1日にメールと電話メモのチェックのために1,2時間とかざらだったじゃんと気づいちゃって、営業も見る見るうちに出社しなくなりました。総務や経理も当番制でいいじゃん、PCのサポートは全部メール対応にしようぜってなりまして、結果、緩和しても全然出社しなくなりました。
僕はぶっちゃけ、今年はまだ1回も出社してないし、何なら、去年の3月以降の出社回数を全部合わせても20回くらい。まあ、僕は内勤なんで少ないほうだとは思いますが。
でも、たぶん、今、出社してる回数、全社員で平均すると週に1回くらいにはなるんじゃないかな。
これに味を占めたのが、電通のえらい人たち。あ、これ、チャンスじゃね?周辺の関連会社とか全部こっちに移せるんじゃね?となりました。
その結果、全社的なフリーアドレス化が(おそらく)今年中に実施することになりました。また資料を捨てなければならぬ…
大雑把にいうと汐留本社のキャパシティを、社員の50%にするのが目標らしいです。つまり、全社員が出社しても半分のやつらは、おめーの席なんてねーからwwwってなってしまうわけです。理不尽です。とはいえ、今のデイリーでの平均出社人数が、全社員の20%くらいなので意外といけそうです。
これができれば、汐留周辺に無理くり高い家賃払って借りてる関連会社とかを全部まとめられて、経費を圧縮できるわけで最高ですね。そんでもって、本社ビルもどっかのファンドか何かに売って、テナントの管理とか余ったフロアの活用とかやってもらえば、変なことに頭を悩ます必要のなくなります。いやあ、このニュース、何気に近年では珍しいくらいのポジティブなニュースじゃない?
あくまで、一社員の私見なので、もしかしたら経営判断的には全く違うのかもしれんけど。もしかしたら、思った以上にえらい赤字が待っていて、本気でキャッシュが必要なのかもしれんけど。いや、知らんけど。
あと、昨年末にこれまたはてな的ハッピーニュースの「電通が社員をリストラ??」というのも、全然内情が違うので、それも語りたかったんですが、ちょっと思ったよりも長すぎるのとこんな時間に書いたところで、誰も読まなそうだなと思ったので、この増田のブクマが100超えることがあったら書くし、なかったら書かないでこれで終わりです。たぶんいかないので、これで終わり。
東京に住んでたが、専門替えで田舎の大学院に行ってそろそろ1年。
大学と家の往復(徒歩15分)以外何もすることがないから、自転車もバイクも持たなかった。
大学と駅は徒歩20分くらい。大きな駅までは、バスと電車で30分くらい、片道500円。
交通手段を持たなくなった結果、映画館や飯屋、本屋、服屋などの施設が生活圏になくなってしまった。
まあ、金を使う機会もないけど。
コロナだけど、みんなそういう生活だから、研究室の人出は全く減ってない。
でもこれは完全に大学に通っているからできることで、この地域に住んで生活をしようって気には全くならない。
車やバイクがあれば別なのかもしれないけど、東京なら電車で座ってスマホ見てるだけで移動できるのになぁという気分になってしまう。
ふと思い立って自転車でブックオフに行ったり、都心で開催されている美術展にふらっと行ったり、そういう生活がやっぱりしたいと思えてきた。
わりとだらしない性格だから、近くとか帰り道に店がないと行く気にならない。
あと、大学までの友人がずっと東京にいるのでやっぱり東京に住みたい。
まあ、2年しかいないからこの生活にも耐えられるし、ちょうどいいタイミングで疎開みたいな状況になってるけど。
田舎でいいことといえば、無人販売所の野菜が安くて量が多いこと。
月45000円と光熱費。プロパンガスだから、光熱費で10000円する。
部屋は2部屋でしかもかなり広くて、ネット回線は家賃込み。部屋が広いのはありがたい。
以上、都会で生まれ育って田舎に住んだ時の正直な心境でした。まとまりがなくてすいません。
地方大への進学を検討している大学生の方は参考にしてください。
誰に話す気にもならないが、溜め込んでるよりは書き捨てたほうがまだしも供養になるかもしれない。
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非情と思われようと、もう関わり合いになりたくない。
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そいつは、もう何年も拒食症かなんかなのか、骨と皮だけのガリガリで、
死相が出てるというか、もう長くないだろうなって思ってた。
余りの痩せ方に周りが心配してなにか食べろと進めても、水の一滴すら口にしなかった。
ウチの親がそいつを指して「あれじゃきっとセイリも来てないと思うわ」
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しかし、私とそいつが小学校の間ずっとベッタリの親友だったのは、
同じグループの子からぽっちゃりだから、ポチャみたいなニックネームで呼ばれていた。
でも、別にそんなに太ってたわけでもなかったように思う。
それより、真っ黒でまっすぐでツヤツヤの長い髪をしていて、
綺麗で羨ましくて、もうやめてと言われるまでしつこく触らせてもらったような記憶がある。
さらさらと指から髪が流れていく感触がどうしようもなく心を惹きつけて離さなかった。
私は、天パだったし髪を伸ばしたことがなかった。
小学校も中学校も、ずっと短髪だった。髪が肩にかかったことは一度もない。
私の母親は「子供の髪は短いものなの」という絶対のルールを持っていて、
泣こうが喚こうが逃げようが、最後には床屋の椅子に座らせられた。
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三年生になる前には短髪になっていた。
どうして切っちゃったのと惜しがって何度も聞いたけど、
小学校でも中学校でも、そいつはもうずっと同じ短さに髪を揃えていた。
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髪型だけじゃなくて、そいつは成人式にもチェックのスーツみたいな服を着ていた。
周りじゅう華やかな振袖だらけのなかで。
誰も表立って虐めたり笑ったりはしなかったけど、
なんだか異様というかヒソヒソはしていた気がする。
でも、あれはそういうのじゃなかったと思う。
皆はそう思ったかもしれないけど。
私とそいつは、母親による女性性の抑圧、を受けていたんだと思う。
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私はまだ生きている。髪を伸ばし、好きな服を選ぶ。
私の母は矛盾した信条というか、娘の髪を結うことは一度たりともなかったが、
ピアノを習わせたり、フランス人形を買い与えたり、籐家具を与えたりした。
別にいらない、嫌だと言ったけど、母自身が子供のころ欲しかったものなんだってさ。
あ、ピアノは祖母が孫娘に買いたいというから、じゃあ習わせようってことだったのかな。
まあ、ウチはその程度だったけど、
ウチと違って、どこもかしこもさっぱりと片付いていた。
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GジャンにGパンという恰好だった気がする。バイクとサッカー観戦と甲斐バンドだかが趣味だと言っていた。
毎週少年ジャンプの話をしていたような気がする。
家にない本や図書館の児童書以外の本を読むようになったのは、そいつが教えてくれたからだ。星新一とか筒井康隆とか。
私の母は、皮肉な作風、ひねくれた作風が嫌だと言ったけど、本を取り上げたりはしなかった。
母の回りくどい意向を汲まないと、「あんたは可愛げがない、態度がかわいくない、子供は素直じゃなきゃ」とかは、よく言われたが。
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そういう子は、少年ジャンプじゃなくて、りぼんやなかよしを読んでいた。
ぬいぐるみをたくさんもっていて、男性アイドルや流行りの歌の話をした。
その子たちは髪型をしょっちゅう変えていて、かわいい髪飾りを持っていた。
遊びで私の髪を梳いて、結ってくれた。
その子たちのことが嫌いではなかったけれど、
ずっと一緒にいると、多分私は羨ましくて辛かった。
私と同じに、ずっと髪を短く切られていて、スカートを持っていないそいつと一緒にいるとラクだった。
母親に疑問や不満を抱かなくて済んだ。
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そいつは、成績も良く、イラストもかわいらしかった。中学からは疎遠になったので伝え聞きだが、
旧帝大に行ったらしい。マイナー学部だったらしいが。ググッたら、そいつのホームページがまだ残っている。
今だったらピクシブやってたんだろうが、当時はあれが流行りだったものだ。
日記もあるが、悩みや病気、内面に関することは何も書かれていない。
中学から疎遠になったし、高校は別だったので、その頃のことは知らないけど。
後ろ姿を見た時、「ずいぶん髪のきれいなおばあさんがいるな・・・?」と思った。
ぶかぶかよれよれのメンズのウインドブレーカーか何かを着ていて、
息子の服を頓着なく着ちゃう系のおばさんっぽかったのか。
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成人式のスーツもそうだけど、ほんとにメンズの服しか持ってなかったのかな。
小柄だったけど、デブとかブスってことはなかったと思う。
髪質も恵まれてるし、手入れすればそれなりに映えた容貌だったはずだ。
でも、そういえば、
我が娘の不器量さを嘲笑ったっけな。
「お前は顔がでかいねえww」みたいな。
その時の、居心地の悪い気持ちはよく覚えている。
私の隣で、私の友人が、私をダシに、実の親に貶められている。
いや、地獄かよ。
しどろもどろになにかフォローをしたような気もする。
私のほうがずっと成績が悪いですし、とか。
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その経緯から、ずっと抑圧や自己否定が鬱陶しく付きまとっているが、
流行りの服を買うこともできたし、趣味や私生活に口出しされることもなかった。
周囲の友人から学んで少しづつ、女性らしく装うことを覚えていった。
オタク気質は生来のもので変わらなかったが、脱・喪女はそれなりに出来た。
そいつは多分、そうではなかった。
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昨今の性の多様化からすると、そいつの髪型、服装、趣味嗜好はそれほど奇異なものでもない。
髪を短くし、メンズの服を着て、ミリタリーやバイクやサッカーを愛していたなら、
それはそれで良かった。
でも、そいつは多分そうではなかった。
生来の女らしさを抑圧され、取り上げられ、
そしてそれが自分だと思い込まされていた。
コンフリクトがあって、それが体に出た。
病名は知らないが、拒食でなければああはならないって気もする。
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そういえば携帯のアドレスや番号の交換をいつしたのか記憶にないが、
就職先のイベントを新聞か何かで見たと、そいつは私に会いにきた。
私としては、髪を切られ続け男子のような恰好をしていた時代の記憶ごとまとめて、
折角小奇麗になることを覚えたのだ。
陽キャグループに入ってしまえば、陰キャ時代の友人は格下であり、
プライベートで会いなおしたりはしなかった。
それても痩せこけてしまって遊びに繰り出す体力はなかったのか、節度を持って訪れ、帰ってくれた。
いや、水の一滴も口にできないんだから、食事や飲みに誘われるはずもなかったのか。
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しかし、一度ならず数回ほどそいつはイベントに客としてやってきた。
ヒマだったので話をしたが、内容はほぼ覚えていない。
ああ、人混みでぶつかられてコケて顔ぶつけて、総入れ歯になった話だけは、
もう回復不能の分水嶺越えちゃってるな、もう死ぬんだろうな、と思ってしまった。
しかし、そんな話をそいつは世間話、笑い話のトーンで話した。ような気がする。
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私になにかを聞いて欲しくて訪れていたのかもしれないが、
私が迷惑そうにしていたから切り出せなかったのかもしれないし、
物知りで成績優秀者だったプライドが邪魔をして切り出せなかったのかもしれないし、
同伴していた母親や、周りの人間が気になって突っ込んだ話ができなかったのかもしれない。
しかし、そいつが自分の日記にさえ書けないことを人に相談できたかというと、できなかったかもな。
藁にも縋る思いだったかもしれないが、
疎遠になった旧交を温めに来るより、「毒になる親」系の本でも買ってみて
カウンセリングとか行けたら、生き残る道があったかもしれない。
というか、そいつは自分が病んでいる原因が母親だと疑ったことがあっただろうか?
気がつきたくないまま、気がつかないまま、体力が落ち、考える力もなくして死んだのだろうか。
いや、そういえば鬼電がかかってきたから訃報と決めつけているが、
フツーに峠を越して生きてるのかもしれないな。
もう、それを知りたいとも思わないのだが。
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既に超長文だけど、続きもあって御免。
モテを相談してきた3人の男性たちにアドバイスをしてみたところ、相次いで彼女をつくり、今のところ前組3ヶ月ほど続いているということだ。
当人たちが努力したから、他に環境要因があったからなど、他に原因も考えられるかもしれないが、もしかしたら覚え書きが誰かの役に立つかもしれないので(まぁほとんど承認欲求だが)、それぞれの男性の属性とアドバイスの内容を残しておこうと思う。
身バレが怖いので、それぞれぼかしたり、内容に影響がない範囲でフェイクは加えておく。(取り敢えず1人分、書き加えていく)
年齢:アラサー
顔:中の下くらい
身長:172くらい、平均的
性格はとにかく大人しく、自分から会話を振るのは苦手なタイプ。筋金入りの男子校育ちで、今まで彼女がいたことはない。フィギュア棚はあるが抱き枕はない程度のオタク。デブやハゲでは無いものの、身も蓋もない言い方をするならチー牛で、自分の容姿に頓着しない。マッチングで恋活をしているが、年収や年齢、学歴の割にマッチング数が低く(一月に0〜3程度)、デートも2回目がない。
マッチングアプリには、会話のとっかかりや出会いのきっかけをつくるための「コミュニティ」というものが存在している。「アウトドア好き」「中高一貫出身」などだ。
彼のプロフィールを見てみると、よりにもよって「色白黒髪/色白黒髪好き」コミュニティに入っていた。4000人中3000人が男性、何のためにあるんだこのコミュニティ。
本人に、この色白黒髪はマストなのか尋ねてみると、清楚な人が好きなのは確かだが、多少チャラい元気系でも可愛ければ…と口ごもった。つまりあると嬉しいが絶対必要な条件ではないということだ。
このコミュニティに入るのは彼のモチベーション的にもマッチング的にもめちゃくちゃリスキーだ。理由は2つある。
色白黒髪でお前が可愛いと思う女が性的に清楚なわけないだろ。というかこのご時世色白黒髪清楚系ファッションの女は隠れビッチってこれ一番言われてるから。
「黒髪色白=手が加えられてない」と思うやつも多いが、これもやはり間違い。そのストレートロングの黒髪を保つのにどれだけのヘアオイルが、その色白を保つのにどだけの日焼け止めや化粧水が投資されているのか。「自然な感じの方がこっちも気負いしなくて済むし💦」じゃないんだよ、そんなんだから外見に気を使ってる黒髪色白好きが圧勝なんだよ。
②女は処女厨嫌い
女は処女厨が嫌いな奴が多い。処女、非処女は不可逆の関係にあるとともに、女に従順性を求めていると判断されるからだ。そしてマッチングアプリを使う女は、通常と比較してもある程度恋愛に積極的な層が多い。何が言いたいかと言うと、「処女がいい」と言う層に厳しい女が圧倒的に多い世界だということだ。(ちなみに不可逆である以上、処女も処女厨を避けがちである。)
それがどうだ、「色白黒髪の女性が好きです」。処女厨丸出し。本人的にはそういうつもりはなくても、そう解釈されても文句は言えない。
しかも彼はオタクコミュニティにも入っている。世知辛いことに、世間からはオタクは処女厨の多い集団だと見なされている。オタクコミュニティと色白黒髪好きコミュニティのコンボは、まぁ厄介認定を受けること必至と言っても過言ではない。
そもそも相手が色白黒髪かどうかはプロフィール写真でわかる。こんなコミュニティ百害あって一利なしと説明して退出してもらった。
・相手の条件の緩和
これが一番肝かもしれない。
彼の希望は、
だった。
……いやもうミスマッチがすごい!というかそもそもそういう女はもう市場にいねえ!
そもそも京大や東大レベルの女子は著しく少なく、女の高学歴は忌避されるという傾向はあるものの、彼のように学齢同類婚を望む層からは熱烈な支持を得ている。少なくとも在学中はそれなりにモテること必至だ。
しかもそこに「オシャレで可愛い」がつく。確実に彼氏がいるし、いなくてもめちゃくちゃ口説かれ慣れてるから余程の物好きでもない限りオタクくんには振り向いてくれんのや!目を覚ませ!
話を聞いていくうちに、男子校を極めすぎて彼が「可愛くない女子」を知らないのだとわかってきた。そりゃアニメの女とコスプレイヤーとアイドルしか知らんかったらな……理想も上がるわな……。
正直、③の条件だけならなんとかなるのだ。
彼の年収は京大/東大卒の中ではそこまで珍しくはないとはいえ、世間的に言ったら立派な高収入の部類だ。職種としても手堅い。「人畜無害」を絵に描いたような彼は、婚活に行ったら専業主婦志望の可愛い子にだってモテるだろう。
彼にそのことを相談したら、それでも他の条件も外せないらしい。他の階層の人間と恋愛するのが怖いそうだ。
・外見の改善
彼にしてもらったのは、
①骨格診断
②服の刷新
③顔の印象改善
の4つだ。
①骨格診断
骨格のタイプによって似合う服の形が違うという話。かなり精度が高いし、肌の色などと違って自己診断が比較的楽だ。(詳しくは「骨格診断 男性」でググれ)
これで流行りではなく、「自分がオシャレに見える服」を把握してもらう。
ちなみにAさんはロジカルな仕組みが気に入ったらしく、自主的に調べてきたパーソナルカラーなどと組み合わてコーディネートを考えるようになった。
②服の刷新
①の法則に従って、とにかく服を新しく買い換えさせた。ブランド物を買う必要はないが、着古した服は、センスのいい古着でもない限り悪印象だ。
少し乱暴だが、高校から着ている(!?)という服は全て捨ててもらい、ルミネに入っているブランドを決め手(ジャケットなど)にして、あとはGUで揃えてもらった。ルールは一つ、暗い色だけで完結させないことだ
③顔の印象改善
男ができる最短・最高の整形、それは眉毛だ。
Aさんは伸びっぱなしボーボー、しかも八の字系の眉毛だったが、眉サロンで整えることで理想的な形にすることが出来た。
その他にも、コンシーラー(ニキビ跡を隠したりする化粧品)などの軽いメイクを指南。
骨格に合わせたカットに定評がある美容院(床屋に行くな)に行ってもらい、髪型も変えた。
彼の体型(普通身長痩せ型)で姿勢が悪いと、とにかくだらしなく見える。オタク(趣味)はタイプによってはウケるが、オタク(容姿)は等しくモテない。
ピラティスの一日体験で指南してもらってきて、デート中の姿勢の改善をしてもらった。
これらのアドバイスを1ヶ月で実践してもらったうえでマッチングアプリで3人ほど会ってもらい、コミュニケーションにもその都度アドバイスを入れた。
その結果か偶然かわからないが、かれは3人目(会い始めて2週目)でぽっと彼女を作ることに成功した。
相手は東大卒外資コンサルのバリキャリ。コンサルの同期に比べ業務時間にに融通がきき、余裕がある彼が気に入ったそうだ。彼より年収は高い。
20代後半まで勤めてた会社が最悪だったけど、自分はスキルもなにもないのでここでアルバイトをし続けるしか無いと思ってた。
その会社では使えないやつと思われていたが、転職したところ成長株扱いされてものすごく褒められるようになった。
最初の会社は就活中に金を稼ぎたいからアルバイトで入った会社だった。
最初に書いてあった業務内容が趣味としてやっていた内容で、これなら気軽にできるし就活に金を使うから少しでも稼ぎたくてで入った。
その後就活は失敗、どこにも内定が出ないまま、大学を卒業しずるずるとその会社に勤めていた。1日8時間。普通の社員と同じだけの時間だがアルバイトだ。
親族経営で、社員が10人程度しかいないがそのうち3人は社長の親族だった。社長と副社長が親子で、経理が副社長の妻といった、本当によくある親族経営だ。
アルバイトとして入った業務内容は、ずるずると長期間やる必要があったが1日の仕事量はそれほど多くない内容だった。
うまく説明できないんだけど、ランチタイムだけ営業しているカフェの厨房業務とでも言うのか。そんで会社自体はそのビルの警備業務がメインとでも言うか。完全に例えで実際は全然違うんだけど。
とにかくそんな感じで、俺のやっている業務内容は会社のメインの業務とは全然違ったし、なんならその部署というかその業務をしているのは俺だけだった。今までカフェは空間はあるものの誰も整備もなにもしていない状態で、俺が入って初めて厨房にガスコンロが置かれたようなありさまだった。
結果的に、俺はバイトとして入った理由である厨房業務から、手があいたときは警備員の業務を手伝うようになった。
どの車をどこに案内すればいいのかわからない。どの人が不審者か見分けがつかない。車種がわからないのであの車が来たかと訊かれても答えられない。何もわからない。
上司からはひたすら使えないやつとして見られていたのがわかった。そうだろう。俺だって俺みたいなやつが部下にいたら使えないと思う。同じようなことを何度も何度も訊くしミスも多い。
最終的に、単純作業なら良いだろうということで、俺は警備で使う機材の整備などをおこなう仕事も多くなった。
本来は2人で1時間かけてやっていた内容を俺1人で3時間ほどかけて行った。そりゃそうだろうな、鉄の棒2mあるやつを2人で運ぶならばまだできるけれど1人で運ぶのはきつかった。ここで腰を悪くしたりもした。鉄の塊10キロを台車もなしに運ばされたからな。
けれども車が多く来る時間帯は警備員業務に回されるしミスをして上司が嫌そうな顔をする。だったら俺に回すなと思う。厨房に帰らせてくれ。
この時期には厨房業務は8時間のうち1時間くらいになっていた。カフェはそれでも回っていた。客がろくに来ないが、それでも少しずつは来るからやめられないという状況だった。
やめようとは思ったことがなかった。
俺はスキルが無い。厨房も趣味としてやっている程度でプロと比べたら全然だろう。だからここをやめたらこの業種で働くことは出来ないだろう。また、1人で好き勝手やれるのも気楽で良かった。
社長は厨房について何も知らないが自分は詳しいぞと社長仲間に見せたいため、俺がヘルシオを買ったほうが良いといえば買ってくれたし、電気圧力鍋だろうと食洗機だろうと買ってくれた。俺以外に使える人間なんていないのに。
俺以外の連中ができるのはせいぜいが電子レンジで温めるぐらいで、調理といえる調理は何も出来なかった。
俺がいなくなったらカフェは終わるだろうとわかっていたのでやめたくないと思っていたのもあった。
会社に対する愛は無かった。
近くに出来たイオンの駐車場がハイテクだという話を1ヶ月に3回は聞いた。社長がクリスマスに床屋にいったところ床屋も急いでいたのか冷ましていないタオルを顔に当てられてやけどするかと思ったという話も、クリスマスが近くなると週1でされる。そこで働いている社員全員の出身中学と高校と大学、現在住んでいる家のだいたいの場所、残ローン年数、家族、家族の仕事まで全部強制的に知らされた。NHKの集金から逃げる方法などは何度も語られていた。
興味がない内容すぎて眠くなるのに無理やり相槌を打つのは意味がない仕事だった。その間にも警備員の業務は溜まっていく。
友達には転職してみたら?と遠回しに言われることは何度かあったが、俺は俺のスキル的に転職できる場所などないと思っていた。就活時期に失敗したのもある。内定どころか面接にすら1度たりとも進めなかった。俺が正社員になれるわけがないと思った。友人たちは優しいからお前なら大丈夫と言ってくれているのだと思っていた。
友達の欲目だ。俺にスキルなんてない。上司にお前は使えないやつだなと態度で示され、他の同じ仕事をしている人たちがお茶をしている時間に一人鉄の棒を運んでいたのだ、自己肯定感など無い。カフェの仕事は進むが、特段俺の作ったメシが旨いと言われることもないので誰がどう思っているかなどなにも知らない。
そんなとき、とある人に酒を飲んだ流れで給料の話をしたところ、転職したほうが良いと進められた。転職について詳しい人で、おすすめのエージェントも教えてもらった。現在俺が厨房でしている内容を話したところ、それなら転職できると言われた。
この人は俺の友達ではない。ネットで出会っただけの人だ。俺は一方的に尊敬しているがこの人は俺に対して好意がどれだけあるか知らない。つまり友人の欲目はない。
その状態でも俺の給与は低いし、俺は転職できるかもしれないスキルがある。
驚いたし、ありえないと思った。
このときすでにアルバイト先では5年勤めていたが、俺と同時期に入った俺より出来る先輩がちょうど正社員にしてくれる会社があったからと辞めていった。あの人すら正社員になれないのならば俺もなれないだろうと思ったのもある。また、GWの休みで給与がどれだけ減るかと恐ろしくなったのもある。盆暮れ正月GWがある月は、手取りが10万を切る。
転職は難航した、ような気がする。
基本的にアルバイトしかしたことがない場合、正社員と同じ時間働き、同じだけ残業し、同じだけの責任を負わされていても、扱いはそれでもアルバイトだ。職歴があるとはならない。アルバイトという名の無職のようななにか扱いだ。
エージェントによっては社内選考で弾く対象なのだろう、同じような文面でお祈りメールが来まくる。
しかし、偶然とある会社で内定が出た。厨房業務に興味があればいい、厨房で働いたことなんてなくたっていい、明るく元気な職場です、ただし作る食品がちょっと特殊です、という会社だった。
業務内容的に転職は難しいだろう。作るメニューが特殊だ。例えばあんこう料理のような、他ではあまり活用する場所の少ないようなものだ。次の転職は難しいだろう。
しかし、正社員だ。今はGW前だ。月の手取り9万は嫌だ。俺はそこの会社に行くことにした。
会社にやめますと伝えたとき、特に何も引き止められなかった。あの厨房はどうなるんだろうなと思った。俺しか使えないヘルシオや食洗機は誰も使えないままなのか、それともいちから取扱説明書を見てなんとかするのか。
おそらくは埃を被るだけだろう。俺が入るまで3年間、ある程度設備の整った厨房をそのままほったらかしてカフェもなにも使わずに放置していたと聞いた。アホだと思った。
新しい会社に入った。あんこう料理は今までやっていたカフェのメニューとは全く違い難しい。しかしまあ、同じ包丁とまな板を使うものだ、なんとかなるだろうと思った。
なお、入社してから半年後ぐらいに大型のあんこう料理イベントがあるため、それまでにあんこう料理をマスターしてくれと言われた。冗談だろう。
新しい会社では、上司は俺をバカにしなかった。使えないものとして見なかった。俺がなにかわからな箇所を聞いたときにちゃんと教えてくれた。嫌そうな顔をしなかった。同じことを聞いても教えてくれた。上司だけじゃなくて他の人もそうだった。わからないものは誰かに訊けばわかった。警備員の業務と違い調理業務なので俺もやっていて楽しかった。腰を痛めなくなった。あんこう料理も楽しかった。徐々に自分ができることが増えるのが面白かった。前は日1時間程度の残業があったのに新しい会社は無かった。前述のあんこう料理イベントの時期だけは休日出勤もして月40時間ほど残ったが、上司が気にしてくれたり、社長がご飯をおごってくれたりして嬉しかった。できると褒めてくれた。褒めてくれることがたくさんあった。わかりやすかった。飲み会が嫌じゃなくなった。上司とお酒を飲むのが楽しかった。同年代の人も優しかった。年下の先輩という微妙な立場だろう人も訊けばなんでもわかりやすく教えてくれた。相手の腰が低すぎて申し訳ないぐらいだった。なおここも親族経営だった。親族だからと社長の息子が低賃金でめちゃくちゃ働かされてた。社長の息子の給料を上げろ。親族経営は前の会社で親が息子に甘すぎて最低だと思ってたのに全然違った。楽しかった。
俺は出来ないやつじゃなくなった。上司に嫌な顔をされる相手でもなくなった。期待していると、世辞か冗談かプレッシャーをかけるためか、なにかわからないけれども言われるようになった。
俺のスキルごときでは転職できないと思っていたが、転職は出来た。年齢的な期限があったのもあるだろう。ちょうどこの会社があんこう祭りを前に人手不足だったのもあるだろう。だとしても、良い会社に入れた。
前の会社は合わないと思いながらもずるずると5年もいたが、新しい会社は働いていて楽しい。
会社が合わないと思ったら転職したほうが良い。もしくは友達に相談して言われた内容を信じたほうがいい。友達の欲目があるだろうと思ってしまうなら、第三者に相談したら良い。それでもやばいと言われるレベルなら転職したほうがいい。できるから。俺も出来たから。
・最後の給与支払い忘れ(給料日過ぎて2週間経っても入金されないから確認したら社長に「忘れてた」って言われた)
・源泉徴収票をくれと伝えたら昨年のを渡される
・正しい源泉徴収票を取りに直接向かったところ、厨房のリニューアルについて相談される
有給の概念もなく、社員もアルバイトも等しく休んだ分は給与引かれる会社だったし、他にも色々あったから労基に突っ込んどけば良かったなと今になってみると思う。
この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。
私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市の象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。
私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。
そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。
家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段はテレビと新聞と学校の図書室だけだった。町には本屋もなかった。
私は決して学校の勉強から遅れることはなかった。地元の中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまりに偏差値が違いすぎたため、バスや電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。
あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidのポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領のアカウントをフォローした時には、テレビや新聞の世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。
同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強をしたことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間で本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書を立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォンに参考書を自分で朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。
その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学に限定した。仕送りも必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビでしか見れないものだった。運良く私の家はBSを契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画はテレビやYoutubeの予告編でしか見れないものだった。アカデミー賞やカンヌを取るような映画は大抵東京で最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市に限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷のミニシアターでヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生に優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。
私はどうにか大学受験をして東京のとある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。
初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供のときに見ていた日曜日昼の番組で中吊り大賞などというのがあって週刊誌の記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。ときに週刊誌の卑猥なコピーが小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京で最初に印象に残ったことだ。
私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルはインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。
そこである東大と慶応の学生たちと出会ったことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場の従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事や三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井は遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業を渡り歩いているらしかった。全員都内に実家があった。
私は、自分と彼らの家庭環境のあまりの格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族の仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校や大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンドで仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。
他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中学高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校のカリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験の勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校のテキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかりやすく説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。
私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大の過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちから囲まれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語の勉強のために夏休みにカナダに語学留学をさせて、ネイティブな発音などを身に着けさせていた。私は英語の勉強が好きだったが、流暢な発音は馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3でダウンロードした英語のスピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれた環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。
私は自分の人生を激しく呪うことになる。生まれた場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学は別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。
私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。
私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴を武器にこの後は一流企業に就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京や大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間はそもそもいらないのだと。だから勉強する環境も手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。
私が大学を卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣が大学試験について「地方の学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府の本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ。地方は土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである。高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。
また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネットと地方で使うインターネットはまるで別物である。インターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCのプログラミングというものの存在を私の田舎で認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供はプログラミング教室などに通って小さいころからそういうものの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報の存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態でインターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場の人間の発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供に奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親から生まれた子供だけである。田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。
私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎ものを必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語の勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。
とにかく必死だった。帰る場所も必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金で奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金を自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去と日本が課した呪縛から逃れられていない。
こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かに読まれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定のいいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。
追記1
めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。
高校には社長の息子とか医者がゴロゴロいたでしょって話について。
同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子はもっと都会の私立の学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方は公立の方がレベルが高いので。
同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。
友達は床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。
でもみんなよく勉強してました。
同級生は殆どは地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebookで検索したときにインターネット系の大手で働いている人はいました。
追記2
追記を書きました。
廃墟のガソリンスタンドで床屋をやってる変わり者の下で働いてる俺
変わり者店主はなんでも修理するのが好きだけどなにせお金がないのでガラクタ部品を買ってきて不動品をさらにゴミにするのが日課
ある日はゴミ同然のバイクのマフラーを貰ってきたけど案の定ゴミすぎて修理部品にならないので床屋の椅子の肘当てとして再利用すべく奮闘していた
ちょうど肘掛けがなかったからラッキーだったよといいながら糸のこでガリガリ切ってたけど、形も大きさもまったくのデタラメだから捨てちまえよと思った
ある日は中古の家具を修理してる途中に電話があり、牛丼を食べに来る客が来るとのこと
客が来る少し前に牛丼を用意しておいたのに家具修理に巻き込み丼を割ってしまうという失態
きれいに割れたからご飯も具も無事だよ、問題ない、これを客に出して、店主は言うが、さすがにダメだから作り直しますよと言うと、ダメかな・・・とがっかりした顔
そんな感じの夢でした
自分は怖い。というか怖くなってきた。
だいたい午前10時頃に祖父母宅に行き、かかりつけの病院や銀行、床屋、スーパーなどを周り、適当に希望される飯屋で昼食を食べて午後2時ごろに祖父母を送り届けて終わる。
計4時間ほど、しかも祖父母が病院や床屋にいってる間は車内で待機してるので大した負担はないはずなんだけど、毎回気が重くてしょうがないし最近は露骨にイライラするようになってしまった。
原因として思い当たるのは
耳が遠く意思疎通がうまくできない、
隣の家の人に現金を盗まれるという妄想に取り憑かれており延々とそれを聞かされる、
昔は楽しかった、今は辛いしんどい、あとはもう死ぬだけという話を延々と聞かされる、
など。
自分が子供の頃は祖父母とも元気で明るく、自分を色々な場所に連れ出してくれていた。だから今度は自分が恩返しする番だと分かっている。だけど、今の祖父母の様子をみていると人生に希望を見出せないというか、頑張ってより良く生きていっても結局は最後はこうなってしまうのかという絶望がある。
いつまでこの寂しい生活が続くのかって考えると夜も眠れない。
何処に行くのも一人。
ずーっと独りだと、殆ど会話しないよな。
そうすると、頭の回転が鈍くなってくる。
そうすると、いざ人と話さないといけないとき、思っていることが表現出来なくて、とんちんかんなことを言っちゃう。
今、それで苦労している。
一人でいるのが丁度よい人だと思う。
もう人は信用しない。酷く裏切られた事があるから。
腕を絡めてるカップル。
天気がいいので、早々に洗濯やって、お昼からは、散歩がてら、買い物に行ってきます。
ちょっとした買い物なのになんか充実感あるよね。
今日は散髪に行ってきた。
そこはオサーンが一人でやってる床屋さんで、漏れにとって、数少ない世間話ができる場所なのだ。
ひとり暮らしをしてきました。
ひとりで旅行もしてきました。ひとりは楽です。気楽です。
部屋に戻ってきても、誰も話相手がいなくて。
一人ってことに最高の充実感を得ています。
こんな私はオカシイですか?
同年代のパパママが、うれしそうにおめかしした子供と歩いてた。
何か鬱になった。
三十代になってからは、筋トレ&サイクリングで体を作りこんでいる。
あとは知性も磨かなきゃとおもって、英語の勉強。目標はTOEIC850点だけど、
2年がかりで何とか760点まで持ってきた。
それもこれも「何であの人、独り者なんだろう?」と周囲から言われるような人間になりたいから。
中年太りのブヨブヨで「あぁ・・・あれじゃぁ、独り者だよね(笑」と陰口たたかれるのは悲しすぎる。
周囲からは「軍人だ」とか「修行僧」だとか散々な言われようだが・・・(泣
やっぱ30過ぎるとひとりあそび多くなるよねー。
まわりがどんどん結婚して誘うのも気が引けるし。
しかも漏れは夜仕事してるから、週末の飲み会とか、仕事で断り続けてたら誘いもこなくなっちゃった。
なんかこのまま一人で一生終わっていきそう・・・
悲しいことや辛いことは他人とわかちあわなくても一人きりで耐えることは出来る。
それはとても寂しくて辛いことだな。
天気がいい日に用も無く、家にこもってると、焦燥感に囚われるのはなんでだろう。
適当な場所で休憩、携帯コンロでお湯を沸かしてラーメン&簡単な調理、おにぎりで昼食。
それにしても景色の良いところ、川沿い、公園は、何処もに言っても、親子連れ、カップル、仲間同士ばかり・・・
なんか居たたまれなくなって(軟弱)早々に引き上げちゃいました。
一人で部屋にこもってても仕方ないんで、買い物に行ってきた。
ブックオフで本を買い、スーパーで商店で食材を買い、ふらふらして帰宅。
もちろんカップル、グループ、家族連ればかりだったが、一人でいるやつって、たいてい携帯メール打ってない?
「今は一人だけど、友達がいないわけじゃないんだよ!」って、必死でアピールしてるみたいで何かなあ・・・
人並みに見栄張って生きていくのも大変だ。
一人で寂しい・・・
友達なんていらないと思ってたのに、気づいたら、ネット繋がりに依存してた。
独りなのに調子に乗って肉を乗せすぎて焦げ放題でした。
店員の女の子は、「あっ!またあのおじさん来てる!悩むふりして結局同じメニューじゃん!」
って思ってるのでしょうか?
そりゃ君みたいな可愛い女の子に、「もう焼けてるよ」と言われながら食べたいさ。
海外旅行に行くといっても、まだひとりだと言っても、
何で子持ちの知人は、「気楽でいいねえ」とかぬかしやがるんだ?
自分ら既婚者で子供もいて、ちゃんと家庭をかまえて世間体保ててるじゃねーか!
たとえ夫婦間不仲でも子供不細工でも、孤独なシングルに嫌味言うな!
さて、寝るか。
休日外出すると自分よりより年下の奴が子供をつれて歩いているのを見かける・・・俺は孤独。
連休あったら素直に嬉しいけどね。
一人の状態が長かったせいか、この生活にすっかり適応している。
10代の頃はそんな気持ちにもなったかもしれないけど、忘れてしまったな。
一人で買い物にいくと、気楽でいいことはいいんだが、時々頓珍漢なものを買ってしまう。
やっぱアドバイスしてくれる人がいたほうがいいな。
誰もいない夜中に黙々とペダルを漕ぎつづけて頭の中を真っ白にするのが、