はてなキーワード: カウンセラーとは
じゃあ、ここではなく、カウンセラーに言って下さい。
放課後、親に無断で学校の先生に精神科のような場所に連れられ、「それは鬱ではなく、思春期による一時的な悲しみではないですかね」と医者に言われてから10年が経った。
あの頃から相変わらず、成長していない。
高校での成績は上位10%に入っていて、4年で卒業することが難しいと言われた大学もなんとか4年で卒業できたので、決して頭は悪くはなかった。
ただ、人との会話は不得意で、友人を作ることはできなかった。
でもそういった人々はこの世にある程度はいて、みんなどこかで働けているからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
面接はことごとく落ち、大学卒業後も内定を貰えずそろそろ死のうかと検討した矢先に運よく入社したところは、後になって知ったが定着率が低い会社だった。
そこで気付いてしまったのは、自分がエンジニアに向いてないどころか、社会人に向いてないことだった。
一通書くのに最低でも30分-1時間はかかった。(相場が分からないけど長い気がする)
顧客のメールを読んでも、内容がふわっとしていて意味が理解できないことがあった。
相手が何を言っているか分からなかった(要求だったり、用語だったり)。
分からないことをそれとなく伺ってみたら「お宅の会社はその程度なんですね?分かりました」と言われ、会社の信用を下げてしまった。
その後、その顧客とのメールに怯える日々が続き、毎日嘔吐した。
あんなに自信があったプログラミングだったのに、小規模システムのコードでさえ想像を超える入り組み具合で読めなかった。
というのも、フレームワークといったものにも触れたことがなかったり、インフラ側は全く学んでこなかった。
「オブジェクト指向」というような概念的部分はテストの為に暗記したことはあれど、実際に言語の特徴や構造の違いを理解できたことはなかった。
フロントエンドとバックエンドの違いもよく分からず、自分が得意だったものがなんだったのか分からなくなった。
何よりも、自分には新しい知識をインプットする力が驚くほどになかった。
最終的には、自分のキャパを超える残業や上司による罵詈雑言で数秒に一度頭がまっしろになって仕事に手がつかない状態になり、辞めた。
能力のある社員もすぐに辞めていることから、会社にも改善すべき点はあったのだろうが、それが実際の問題ではなかった。
自分の能力の無さはどこに行っても通用しないんだろうな、ということが分かってしまった。
スポーツをしていた人が採用されるのを話に聞くが、その理由が初めて分かった。
コミュ力も体力あるし、ちょっとやそっとのことでは根を上げないからだ。
自分はコミュ力もないし、メンタルも弱く、自己肯定感もなく、唯一自信のあった学歴や技術力も実際には意味をなさなかった。
私の考えはあまりにも浅はかで、高校や大学でしっかり勉強をしていれば、あとは会社からのサポートで仕事をこなせるようになると思っていたことだ。
一応自分なりに努力はしたつもりだった。勉強も、精神的な面においても。
在学中や就業中に精神科に通い、鬱やPSTDと診断された。いろんな薬を試したことはあるが、薬の副作用の眠気や吐き気で通常時より無能になったので向いていなかった。
カウンセラーは話を聞いてくれることは有難いが、危険人物として扱われたりしたことがあったり、何の解決にも至らないのでお金がもったいないな、と個人的に思った。
大学を卒業して引きこもっていた頃、会話の練習をするためにひきこもり当事者会的なイベントに参加した。
それぞれ背景は違うが、頑張って外出をして知らない人と会話してみよう、と集まった人たちは皆、優しかった。
不審者のようにそわそわしてしまってもいじめられることはないし、互いが傷つくことのない当たり障りのない会話ができたし、人とゲームができて楽しかった。
同じ境遇にいる方たちと過ごして一番に感じたのは、自分はやはりこちら側の人間なのではないかということ。
学校やインターネットで人と会話をして友人を作れるような人や、仕事をこなせている世間一般の人たちのようには到底なれない。
社会不適合者が運よく社会復帰することができても、精神が弱い上に周りに溶け込めない為、続きはしない。
少し前にとある記事に「生涯バイトなんて、将来のことを考えているの?」というニュアンスのブコメがあったが、どんな形態であれ生きる為に働き続けてきちんと自立できている人がどれだけ偉いことか、と思う。
もしいつか真っ当な人間になれたら、あの時精神科に連れてってくれた先生に御礼を伝えようと思っていたけど、未だに連絡が取れていない。
お給料がよく、福利厚生が充実していて、私の勤め先を知らない人に説明すると、
誰もが「ああ、あの!」とリアクションされることが少なくない、よほどのことがない限り入社困難な有名企業だ。
だが、私は今その会社を凄く辞めたいと思っている。
私は他人が容易に真似できない少し特殊なスキルをいくつか持っていて、
そのお陰で常にいろんな業務を掛け持ちしていた。
マネージャー、人事、制作部署がやるような他職種分の仕事内容だった。
周りは「凄まじいパワーとタフさだ!」と称賛してくれたが、
会社の評価方法が特殊で、あくまで本職用の評価項目を満たしているかどうかでしか評価がされないために、
数を適格にこなすタイプだった私にとって1職種分では一向に評価が上がらず、
周りより並かそれ以下なのに常に他人の仕事を抱えて馬車馬のように働いていた。
上司は「まだ評価を満たしていない、もっと努力しないと上にはあげられない」とケツを叩くばかりで、なかなか認めてはくれなかった。
元々ガタが来ていることを感じて、仕事を他人に引き継ぐための活動はしていたが、
ずっと手厚くお世話をしていた部下が何人か退職してしまい、心が折れた。
この会社で成り上がろうと思ったら貴方のようにならないといけないのかと思うと、絶望してしまった。
と言われた。
ショックだった。
あんなに毎日一緒に仕事して、ランチを食べて、たまに飲みに行ったりしていたのに。
最後はよそよそしく気まずそうに打ち明けるだけで、あっけないものだった。
そもそも自分の仕事のスタイルが特殊だということは自覚していて、
誰でも再現できるシステムを構築しようとしていた最中の出来事だった。
心身に病気がいくつも見つかり、救急車を呼ぶ事態になって、私は休職を決意した。
今まではずっと気力で持っていただけで、私の身体は限界だった。
それからは、両手でなんとか収まるくらいの数の病気と共存していくために苦心する日々が始まった。
終わりの見えない闘病生活に怯えた私は、たった1ヶ月で復職してしまった。
思えば、それが間違いだった。
復職後の私は、見るも無残な有様だった。
生産性がガタ落ちし、同じ人物の仕事とは思えない仕上がりだった。
私が作った資料は抜け漏れだらけで、他人に迷惑をかけてばかりだった。
やりがいを感じてやる気を持って取り組んでいた。
そのポジティブな全てが幻で、ひたすら労働力を搾取されていたことに気づいた私は、
それでも、かつてのプライドだけは健在だった。
今の自分は何かの間違いで、きっとどこかで復活できると信じていた。
それもどうやら間違いだったようだ。
皆、口を揃えて、「会社に残るべきだ。せめて少しでも復活の兆しが見えたところで、後腐れなく退職すべきだ」と意見してくれる。
全盛期の私しか知らない人達は、「君は凄い奴だから何をしても成功するさ!応援してるよ!」と背中を押してくれる。
客観的に自分を振り返ると、これ以上前進しようがないように思える。
組織や上司はここまで追い詰められた私に全く救いの手を差し伸べてくれなかった、という事実が、深い絶望をもたらして、癒えない傷を与えてしまったようなのだ。
元々気力と仕事の成果が密接に結びついているタイプなので、この会社への不信感がある限り、どうしようもない気がするのだ。
最悪に落ちている今、退職してしまうと、今後のキャリアに響かないだろうか。業界に悪い噂を流されないだろうか。そればかりが気になる。
気持ちは「退職したい」でいっぱいだが、一歩踏み込む勇気がない。
答えは未だまとまっていないが、自分の考えをまとめるためにこの文章を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20200517104920
昨日のANNを聞いて、まだまだ岡村さんはぎこちなく、言葉をかなり選んで喋ってる感じではあったけど、先々週のあの居たたまれなさを100としたら、先週は居たたまれなさ70、昨日は30ぐらいまで落ち着いてきたと思う。よかった。
私にとってナイナイのオールナイトは、番組開始当初から間断的に聞いてる番組で、ナインティナインにも好意を持っているしそれなりに思い入れもある(リスナーではない。思えばナイナイのオールナイトは「リスナー」という言葉の意味が他のラジオパーソナリティの言うそれとはかなり濃度が違うものではあって、それが今回の色んな悲劇・悲喜劇に繋がったという気もしないでもない)。
深夜ラジオは、深夜だし長い。子ども時代なら深夜に夜更かしして聞くもよし(録音とかはしません、面倒なので)だが、大人になって、仕事があったり家族ができたりするとリアルタイムでは聞けず自然に離れていったりする。だが私は子供じみたオバハンなので、テクノロジーの発展の恩恵を受けて、または、すごい面白いラジオがあるよという噂を聞きつけて、深夜ラジオに戻ってきている。
深夜ラジオを聞きだしたのは小学生、デーモン小暮がお気に入りだった(クラスの男の子に教えてもらった)。たけしのオールナイトもまだやってたと思うんだけど小学生女子には刺激が強すぎたのか好きではなかった。その後いったん色々忙しくなったりして深夜ラジオから離れて、戻ってきたのがナイナイのオールナイト。また一旦いろいろ忙しくなって間遠になって、次に本格復帰したのはくりぃむしちゅーのオールナイト。
ラジオの聞き始めがANNだったせいかもだが、ラジオリスナーの人たちが大好きがちなコサキンは未体験、馬鹿力は子供の頃は聞いてない(伊集院さんが朝をやり始めてから逆流して今はたまに聞いてる)。電気のANNはちょうどラジオから離れてた時期なので存在も知らず、極楽とんぼは気が付いたら終わってたから聞いてない。放送室は週末に車で出かけて帰りの深夜に、流れてきてつい聞き入っちゃう感じ。サンデーソングブックはドライブ帰りに渋滞にはまってる時間帯に合致しがち。昼間のラジオはこの数年でデビューという感じ。
くりぃむのオールナイトに気づいたのはいい大人になってからで、Podcastから見つけた。くりぃむしちゅーのオールナイトほんとゲラゲラ笑った。今でも特にゲラゲラ笑ったPodcastのデータは残している。デジタルって楽でいい。くりぃむANNのPodcastの後期、まだ全く売れてない頃の古坂大魔王(ピコ太郎)がクレイジーな結婚披露宴構想を機関銃のように喋る回がものすごい好きで、死にたくなるほど落ち込んでても聞きおわるとどうでも良くなるくらい面白かった。あとJUNKのシカマンもゲラゲラ笑った。シカマンはお題投稿がとにかく面白かった記憶がある。あとPodcast限定だが雨上がり蛍ちゃんの馬になるシリーズも好きだった、馬鹿で。
そんな感じで、熱心な「リスナー」でもないが、ラジオ配信の技術と稼ぎ方が多様化してきたことと、あと私はいつも大抵ゲラゲラ笑いたいので、この10数年は、ゆるくラジオとの付き合いを再開している。
Podcast、ラジオクラウド、radiko…配信化によって、リアタイで聞かなくても大丈夫になったのがとてもデカい。局側には恐縮ではあるが…、投稿しないしリアタイじゃなくて全然いい。夜は眠いし。主に通勤時間の電車の中とか買い物とか、あとジョギングしながらとか、ひたすら風呂掃除してる時とか。配偶者はラジオ趣味があんまりない(こだわりがない)ので、基本は一人でいる時になる。というか、深夜ラジオってそもそも「一人で聞く」ものなのかも。
そして、深夜ラジオがポリティカルに色々アレである、というのは、まぁ岡村に限らずある程度はどの番組にもあって、まさに深夜ラジオの魅力でもある。炎上したのは、多分にタイミングが悪かった(世間がコロナで暇だったとか、似非運動家に見つかったとか)面もある。一方で。私は矢部氏が卒業して以降の岡村単独のANNを、いつの間にかあんまり聞かなくなっていっていたのだが、その理由の、いつの間にか番組が醸し出すようになっていた「雰囲気」が、なかなかの強い香りになっていったから、というのも、今回の炎上騒動の理由として少なくないと思うのだ。
ラジオの聞き方は既に20年近く前から多様化してきている。チャネルが増えたから馬鹿に見つかった、というのは余り筋が良くなくて、番組が醸す「香り」がどんどん強くなり悪目立ちしてきていた、という方が近いかな、と思うのだ。深夜ラジオで芸人が喋ったことをスポーツ紙がニュースにして悪拡散、なんてのは、それこそ昔からあることで、書き起こしサイトが悪いとかtwitterで馬鹿が拡散するのが悪いとかの説も全然納得できない。この辺は深夜ラジオリスナーなら分かってもらえるのではと思うんだが、芸人たちは頻繁にスポーツ紙記者に怒ったり絡んでキャッキャしたり、「記事にするなら番組のパブリシティも入れといてよー!」という定番の落としも定着しているぐらいだ。実際岡村のANNでは以前も、フジテレビ批判がネットを騒がせた時期に「いやなら見るな」と言って炎上した過去もあるが、要するに、何らかの方法で「拡散されてしまった」ことだけが原因ではなくて、やはりあの発言の内容が一定の閾値を超えていたことが大きいと思う。馬鹿に見つかったのが悪いわけじゃない。馬鹿だって「うわっ、なにこれ、臭っせえ!」と気づくレベルだった。
岡村さんは無自覚だったんだろう。無自覚が全てにおいて免罪符になるわけでもないが、取り返しのつかない悪業でもない。
現にこの3週間の岡村さんは、「変わらなきゃ…」を寝言のように繰り返して、聞いている私をハラハラさせていた。変わらなくても良いからコントロールできるようになってほしいなぁと思っていた私にとっては、「カウンセラー」役?の矢部氏の復活(昨日のラジオで矢部氏が言うてた、もちろん冗談込みやけど)は本当にうれしいし、少なくとも岡村さん本人が変わりたいから「変わらなあかんですから」とブツブツ言っているんだろう。
「変わる」がどういうことなのかはまだこれからの話なのでどうなるかは分からない。でも「生まれ変わってポリティカルに正しい深夜ラジオを!」とかではないだろう。もしその選択を取るのならラジオから降りることを選ぶんじゃないかなと思うのだ。岡村さんにとってラジオでしゃべることは恐らく大切なことで、一方で、岡村さんに限らずいい大人が完全に変わるのは難しいだろうなとも思うし、そもそも、そんな風に人格が変わる必要もない。
岡村さんの「ああいうとこ」は出し方によっては人を傷つけるナイフになるが、同じ性質は別の方向から見たら、岡村さんの「妙にキマジメなお笑い芸人」という魅力でもある。岡村さんが色々アレな面もあることは古い視聴者としてはよーく知っている。そして岡村さんは妙にキマジメだからこそ、ハードスケジュールの中でエグザイルやスマップのダンスを完コピしたりして私をしびれさせたりもしてくれるし、「おじさんたちのアニキ」的な役割を自認してラジオでああいう酷い発信をしちゃったりもする。あの発言は妙にキマジメな芸人である岡村さんのキマジメさと妙さがもたらしたのではないか、「おじさんのアニキ」の自認が大きくなりすぎてバランスがおかしくなってたから、止まらなかったんだろうなと思っている。残念である。
この騒動の後に、4年ぶり?くらいに久しぶりに岡村のANNを聞いて、あれ?そんなんだったっけ?と驚いたのは、スポンサーだ。昔のことは覚えてないんだけど(だんだん聞かなくなってたし)、先々週の岡村・謝罪回のスポンサーが、ワンカップ大関と高須クリニックとエイブル(不動産屋)と、その他数社だった。なんていうか男性ホルモン度が高いというか…(ワンカップ大関のCMは女性がワンカップ大関を飲んでるストーリーだったけど、何ていうか。うーん)。あと昨日の放送ではスポンサー読み上げが無かったんじゃと思う。オールナイトはパーソナリティがスポンサー読み上げするのが通例だと思ってたので、まぁ番組の立て付けが「矢部復活」で変わるし色々あったんかなという気もする。ACのラジオCMがいくつか挟まってたから、色々調整が間に合ってないとかあったのかもしれない。
(追記:ブコメでid:sinamon_nekoが指摘しておられるが、矢部氏がスポンサー読みしてたらしい。ごめんね聞き落としてたわ。今日は買い出しをしながら聞いてたから気を取られてたみたい。)
まぁラジオは今とにかくお金が無くて大変だからスポンサーの顔ぶれが変わるのは世の流れだろうとも思う。ANNは今あんまり聞いてなくて、たまにオードリーと三四郎聞くぐらいなんだけど、どちらも、ワンカップと高須クリニックはスポンサーではない。何ていうか、そういうところにも「香り」が出てきてるところなのかなぁ…と思ったりもしないでもない。別に悪いというわけじゃなくて「中年専」方面に尖ってしまってたのかもなぁ…とか。
今、増田が一番楽しみにしている深夜ラジオはハライチのターンだ。
木曜夜中(増田が聞くのは金曜朝の出勤時になる)は、ANNが岡村、JUNKがおぎやはぎという、何ていうか「臭みが強い」ラインナップで普段はどちらもほとんど聞いてないんだけど、ハライチのターンは変で好き。金曜朝は、ハライチのターンの本放送をradikoのタイムフリーで聞いて、そのあと後撮りのクラウドを聞いてニコニコしながら出勤している(今はリモート中で出勤してないから掃除とかしながら聞いてる)。
少し話は変わるが、三四郎のANNもたまに聞いてどちらに対しても思うんだけど、若い世代は私のような中年とは全然違う世界を生きているなぁと思う。中間地点にいるのがオードリーと山ちゃんであの辺の世代が分水嶺になっている感じがあるお笑い芸人ラジオ業界。岡村とかおぎやは「古い世代」感を感じる。古いから悪いとは言わないが、古いなーと感じる。もっと古いはずの伊集院さんとか爆笑問題は逆に古さは感じない、喋り芸の実力の高さとか爆笑太田の思索力の面白さかなぁ…分からないけど。
で、増田が今はまってるハライチのターンのラジオクラウドの、先々週回(5/7)で、岩井が「岡村さんは寅さんだ」と言ってたのが、あーそうかもね成程、と思った。
岩井いわく、寅さんも映画で「なんでそんなこと言うの寅さん!」と毎回怒られてしゅんとして「寅さん結婚したら」とか言われてる、箇条書きにすると岡村さんは寅さんだ、と岩井が言えば、澤部が「岡村さんは国民からしたら寅さんみたいなところ(人気者)あるもんね」と返す。「みんなに叱ってもらって、しょうがないなーってなって、寅さんも毎回反省もしてる」、と岩井が説を〆る。まぁ1分も満たない程度のさらっとした言及でおしまい。
そして、そのあと10分以上は、「澤部は山田洋二映画向き」という話になる。そのくだりがすごく面白くて、ハラハラと生々しい関係性が見え隠れして、少し切なくて、そしてかわいいから、ラジオクラウドでハライチのターンを聞いてみてほしいわ。
あとブコメもたくさんついてた太田の岡村話以外には、岡村・謝罪回の次の月曜の馬鹿力で、ひたすら伊集院さんがやりづらそうだったのが個人的には印象的だった。確かに馬鹿力もかなりの「非モテ文脈における女子いじり」みたいな投稿ネタが多いしなぁーとか思うが、やりづらくて困り当惑し悩んでしまう伊集院さんは生身ですごく良かったし、同じようにがんばろうとしてる岡村の生身も、深夜ラジオでしか出会えない芸人さんたちの「生身」として愛おしいなとも思うわけです。
あと、今月末5/24日曜の深夜にシカゴマンゴが最終回やるからそれが楽しみ。アンタッチャブル、ホント面白いから、ばかみたいなんだよ、すごく良いんだ。
学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。
1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代が愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています。
ブラック部活は、愛着障害の治療の集団療法という側面があったのだろうと思います。愛着障害が存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員は意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。
そのあたりから、学校に福祉的機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮、個別の支援計画、外部機関との連携。部活動。
教員は、授業を成立させるために、福祉的業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式に業務にしてしまうのです。
ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラーやスクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。
以下は、『身体はトラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、
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太古の昔から、人間は自分の中の非常に強く恐ろしい感情に対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシアの演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話の再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合の儀式だったのかもしれない。
演劇を通してトラウマを治療する。愛と憎しみ、攻撃と幸福、忠誠と裏切りは演劇の本質であると同時に、トラウマの本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇は情動を身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。
学校からは、能力と集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽、演劇、美術、スポーツがどんどん姿を消している。
見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。
筋肉を動かすこと、意識の集中が必要な作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである。
教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワークの学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師や学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験の得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題に効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。
規則を平然と無視する生徒は、アメリカの学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。
他者の言葉をしっかり聞き、自分の言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。
教師が怒鳴ったりする代わりに、子どもが経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分の感情を説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全の経験を学ばせるのだ。
(しかし)学校はトラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。
トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。
身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセル・ヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから
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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにいます。教員は守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています。個人情報なのでメディアにも明かされません。
日本の福祉政策の不備を、教員が無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子どもを学校が福祉的にケアすることを国民は望みます。学校の教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉的ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます。
毎日鬼のようなLINEが来て、私のことをわかってかまってアピールがすごくて
これはまとも取り合ったら私がつぶれると思ったので、なるべくクレームにならない範囲で
ビジネスライクに付き合ってきたけども、だんだん向こうの不満が溜まってきたようで
いきなりクレームが来てブチ切れた。
自分から今日は体調が悪いだの今日は生理だって聞きたくもないことを
開示してきたくせに、それに対してコメントしていると
「私は本気でやってるのに優しすぎます」って怒られて
あげく、「体調管理ぐらい自分でやりますから」ってクレームになった。
それに対して、感情できるだけ殺して、冷静にこちらのスタンスを伝えると
「こんなにもあなたと心が通じないと思いませんでした。
少しでも良い人間関係を作る頑張ってきたのに、その時間があるなら
私は散々傷つきましたし、一晩中泣きました。
いつまでたっても解約しないので、解約、解約詐欺だなと思いました。
いわゆる瀬戸際外交。
もちろんそんなのに振り回されるほど暇じゃないので、クレームがあった時点で
会社にも伝えているし、返事は不要と書いてあったので完全無視。
さっさと解約してくれればいいのに。
そもそもの目標設定から荒唐無稽だったし、どんな奇跡を望んでんのよ
と思ったし、本気でがんばりますって言う割には全然できてないし。
とにかく疲れた。
相談した人に、もう相手しなくてもいいと言われて、やっとほっとした。
私は細く長く仕事を続けたいので、熱血コーチになるつもりはないんです。
そもそもの目的が間違ってるこの人に必要以上のサービスを提供するつもりはありません。
カウンセラーじゃないんだけど。
お金払うと言う事聞いてもらえると思ったら間違いなんだよ。
これ以上引き取り下さいませ。
しかし、いわゆるメンヘラと言う人に初めて出会ったかも知れない。
噂には聞いてたけど、これまでクライアントに恵まれたんだろうなって思ったし、
相手に尽くしすぎずに、一線を引くと言う自分のやり方が間違いじゃないんだって
よくわかった。
今までもめんどくさいクライエントはたくさんいたけど、
ここまでひどいのは初めて。
そして、運悪くこういうクライエントに当たった同僚が、何にも心を
折ってしまってるのもたくさん見てきた。
真面目で熱心な人ほど、途中で消えていく世界。
細く長く続けて来れたんだと思う。
私のようなコーチは物足りないって言われるかもしれないけれども、
それでもうまくはまった人は、大きな成果だしてくれるから、そんな時すごいやりがい感じる。
なんだかんだ言って、最終的に結果を出してきたってのは大きい。
とりあえず、
二度と私の視界に入ってくるな、このメンヘラ女!
親戚や兄弟とも絶縁している。
みな親の話を一方的に聞いて洗脳されているので、「親を見捨てた酷い子供」として親に同情し、私を恨み、責めてくるから、全て縁を切らざるを得なかった。
いつも私に行われた暴行や暴言は全て隠蔽され、ただ親は私のことを「駄目な子供」として長年親戚や近所にも触れ回った。
家庭でも親戚でも地元でも、たった一人でも私の味方になってくれた人などいなかった。
子供の自分には、警察に通報したり証拠を集めて保護してもらう等の手段が考え付かなかった。
彼らが死のうとどうなろうと、中学を出た時点で家を出て絶縁したのでもはやどうでもいい。
恐ろしいのが、20年近く経った今もずっと頭の中が彼らに占拠されていることだ。
何かうまくいっていても、頭の中の親に暴言を吐かれ否定され、殴られる。
何かうまくいかないと、より酷く頭の中で責め立てられ否定され、殴られる。
誰かに殴られるという恐怖から、先に自分から誰かを殴って身を守りたいというこみ上げるような衝動だ。
特に眠る前に、誰かにまた殴られる、否定される、という駆り立てられるような気持ちでいっぱいになって、誰かを殴りたくて殴りたくて仕方なくなっている。
殴ることは快楽ではなく、殴られないよう自分を守るために先に相手を殴らなければ、という自衛手段だ。
どれだけ他人に助けを求めようと、相手を説得しようと、抵抗しようと、殴られて殴られて否定されて否定されて否定されてきたのだから、もう自分から先に殴って すしかないじゃないか、と思う。
現実にはもう私を殴ったり否定する人などいないし、縁を切り、就職して自立し、誰にも迷惑をかけず生きているはずなのに、それでもずっと責められている気がして、頭の中の「何か」をずっと妄想で殴っている。
一生、ずっと安心して楽しい気持ちでいることはないんだろうなと思う。
一人で自由に生きていけたら、身の安全が確保できれば、あとは自力で幸せになれると思っていたのに、20年近く経ってもまだこんなに孤独で生きるのが辛いなんて思わなかった。
カウンセリングなんかに通ったって、私の気持ちなんか誰にもわかるわけがないし金の無駄だと思う。
何度か行ってみたが、自分より年下の、賢そうなカウンセラーに同情的に話を聞かれたところでより絶望して死にたくなるだけだった。
実感としては彼らに私の気持ちなどわかりはしないと思うし、わかってもらおうとも思わない。
暴力というのはこれぐらい人の心を変える。
東京都での1日あたりのコロナウイルスの感染者が100人を越えて、なんだか気持ちが落ち着かないので以前の事を書いてみようと思う。
7年前、癌の宣告を受け、手術をした。
その後長い抗がん剤治療が待っていた。
抗がん剤治療にも色々あるが、自分は通院で週3回受けて1週休み、それを6ヶ月間続けるというものだった。
意外に知らない人が多いのだか、抗がん剤治療中は白血球値が下がって免疫が弱まってしまうことが多い。
白血球値が下がりすぎて危険な状態にならないために、まず血液を取って白血球値を調べて、問題なければ抗がん剤治療をして、ダメならば次週に持ち越して白血球値が上がるのを待つ。
自分は白血球値がかなり下がってしまい、計18回の治療の間、「全く問題ないですよ」と言われたことは2回しかなかった。
病院に行っても「今日は無理ですね」と言われればそのまま帰るしかない。
医者からは免疫が下がっているので人ごみには行かず、外出時にはマスクをするようにと言われた。
1週だけでもきついが2週連続で治療を受けられなかった時は相当落ち込んだ。
当初半年だったはずの治療は伸びに伸びて、最終的には8ヶ月となった。
とにかく一日一日が長かった。
治療を受けられればまだ少しでも前進している実感があったが、受けられない時が続くと地獄だった。次の治療までの1週間が永遠のように長く思えた。
6ヶ月先とか、いったいどれだけ先なのか。
月に1回治療を受けるタイプの人は体調の良い時に出かけたりもすることがあるらしいと後で知ったが、自分は副作用もひどく、病院を往復する以外はたまに家の近所を散歩する程度だった。
病気を心配した母親が田舎から出て来て身の回りの世話をしてくれたが、それも良し悪しで、心配のあまり家から一歩も出すまいとした。
10分程度の散歩に行くのすら、今日は暑すぎるだの寒すぎるだの顔色が悪いだの、何かと難癖をつけては阻止しようとした。
ちょっと遠回りして帰るのが遅くなるとスマホに電話が掛かってきたこともある。
帰ると「どこかお店にでも入ったんじゃないでしょうね」と詰問された。
何もすることがなかった。
でも、今、コロナで自粛を続けて不安を感じても相談に乗ってくれるカウンセラーがいないのと同じように、自分にも相談する相手はいなかった。
日本はそういう面では遅れているのだと思う。
抗がん剤治療中の患者の心のケアをしてくれる専門家はいないのだ。
友人には「神様がくれた休暇だと思ってゆっくり休んで」と言われたが、何をバカなことを言っているんだと思った。
自分の癌は再発したら助からないのだということはわかっていた。
希望などどこにもなかった。
当時の自分と今のコロナ渦の状況と比べてどちらがどうということもないと思う。
全世界で同時に人々が災厄に見舞われてるこの状況は大変なことだ。
周りはみんな元気だった。
Twitterで目にした「スタバでカフェラテ中」という書き込みが胸に突き刺さった。
やがてTwitterも見なくなった。
散歩でいく公園から見える遠くの線路を眺めながら、自分はあの電車に乗って出かけることもできないと泣いた。
少なくとも今はみんなが同じように苦労をしていて、その気持ちを共有することができる。
それはすごいことだと思う。
8ヵ月の治療の間、いつかはそれが終わり、また社会に戻ることができるという事がどうしてもイメージできなかった。
それが実感できたのは治療が終わる1週間前だ。
暇つぶしに見ているどうでもいいバラエティ番組の次週の予告を見て、ふと「そうか、来週のこの時間は治療が終わっているんだ」と気づいた。
勤めていた職場が休職扱いにして待っていてくれたというのも大きかった。
誰かに仕事を与えるというのは生きる希望を与えるということなのだ。
職場に復帰した初日、帰りの電車の中で、車窓を流れる景色をずっと眺めていたことを今でも覚えている。
川沿いにならぶマンションに夜の明かりが灯って、それが水面に映って揺れていた。
こんなにも世界は美しくて輝いているのか。
治療中「行ってみたいところ」と書き出していたところを毎週末訪れて、全部まわるのに半年かかった。
ずっと夢見ていたのは、世界のどこかに絶景を見に行くとかではなく、普通の日常に戻ることだった。
朝起きて、行くところがあるというのは素晴らしいことだ。
ドアを開けてどこでも行きたいところに行けるということは本当に素晴らしいことだ。
きっと日本にもこれからもっともっと大変な状況が訪れるのだろう。
たとえ乗り切れたとしてもその先にどんな世界が待っているのかわからない。
そして今現在も抗がん剤治療を受けいてる人はたくさんいる。その人たちはどんなに不安に毎日を過ごしているだろう。
それがどれぐらい先かわからない。
まだ光は見えないけれど、いつかこの困難を乗り越えて、普通の日々を取り戻す時がやってくる。
その時ドアを開けたら、輝いている世界がきっと待っているのだろう。
グッドラック。
自分にとっては非常に役立ったカウンセリングだが、もちろんデメリットはいくつかある。一つは、単純にお金がかかることだ。はじめのうちは毎週カウンセリングを受けていたが、そのたびに7000円から8000円かかる。症状が軽くなってからは隔週にしたが、それでもかなりの負担だった。とはいえ、これだけ払えばしんどい症状が消えたのだと考えれば費用対効果はとてもいい。下手なセミナーにはまるよりは、オーダーメイドの治療を受けられるのだから。1日を極端な不安がなく過ごせるのなら、いくら払ってもいいという人もきっとたくさんいる。
もう一つはもう少し深刻で、治療中には具合が一時的に悪化する危険があることだ。カウンセリングとは、自分で自分についている嘘を直視する過程である面があり、見たくないものを見せられる羽目になるので、場合によっては面談中に具合が悪くなる。治療を受けている途中に、大した話をしているわけでもないのに泣けてくることもあった。カウンセリングの厳しいところは、こちらがどれほど泣こうがわめこうが、ひっくり返って足をバタバタさせようが、向こうから体を触れることは原則としてないことで、つまり自分で自分の負の感情に向き合わないといけない。通常の人間関係のように、相手に抱きしめてもらってごまかすことは許されないのだ。
他にも、時間が非常にかかるという点もデメリットに数えてもいいだろう。とはいえ、すぐによくなることを保証している治療法というのは、ちょっと疑ったほうがいい。治療の過程とはしばしば痛みを伴うもので、何の副作用もないと謳っているものは危険だ。
あとは、カウンセラーとの相性の問題もあるし、合わない技法もあるかもしれない。合わないときには率直にそう伝えるといいと思う。ドクターショッピング状態にならなければ、合わない相手を変えてもらうのは当たり前のことだ。
最後に、密室で二人ひたすら話し合うのだが、これは一歩間違えれば洗脳に使われかねないよな、という気がする。自分はカウンセラーをすごく信頼していたけれども、同時に、身体を触れ合わせてはいけない、とも直感した。尊敬の気持ちと恋愛の感情はよく似ていたし、ここで明確に線を引かないと、相手にずぶずぶと依存することになり、良くないことがひしひしと伝わってきた。
カウンセリングにはメリットもデメリットもある。個人的には、何かを言語化して理解するのが得意な人だと、治療がうまく進むのではないかと感じている。ただし、これは僕自身が物事を言語的に理解するのを得意としているからなだけかもしれない。
ただ、話を聞いてもらうだけではなく、実際にカウンセリングの外で行動を変化させることもやったほうが、治療の進捗は速い、と実感している。
カウンセリングは、悩みがあっという間に消える魔法ではない。生きていればつらいこともあるし、嫌なことだって思い出す。今でも時々昔のことを思い出して、怖い夢を見る。だからと言って、絶望することはない。人間には悩みに取り組むだけの強さがある。自分はメンタルが弱い人間だと思っていた僕もまた、自分自身の弱さや愚かさに直面できたのだから、カウンセラーの支えがあれば、他の人だってきっとできると思う。たとえそう思えなくても、今まで生きてきただけであなたは強い。何もしてこなかったとしても、ただ生きていただけで偉いのだ。
カウンセリングは、人間が肯定的な対人関係で学んでいくものを、圧縮して学習するシステムであると思う。カウンセリングがなくても、同じ境地に時間をかければたどり着けていたかもしれない。それでも、カウンセリングを受けてよかった。楽になるのがずっと早かったし、何よりもあのカウンセラーに会うことができた、そうした対人関係的な喜びが、今でも大きい。
自分の面倒を見るのは、結局のところは自分だ。と同時に、助けを求めると意外とたくさんの人が手を差し伸べてくれる。そうわかったのが、カウンセリングで得た一番の財産だ。
(いくつかフェイクあり)
カウンセリングを受けて何かと楽になったので、知見を共有したい。
それに、カウンセリングを終えてからそろそろ1年が経過するので、ちょうど過去を振り返るのにちょうどいいと考えた。
増田でも、多くの人が「カウンセリングに行ってみたら?」と時には本気で、時には冗談で言うのだけれど、そこが実際にはどんな場なのかを知らないせいで、行くのをためらっている人が多い現状を、変えたいというのもある。
増田だけではなく、ネット上の多くの人が、少しでも楽になれるように祈っている。その助けになれば幸いだ。
長くなりそうだし、愚痴っぽくなるのも嫌なので、代表的なものだけを箇条書きで挙げる。
臨床心理士の資格を持っている50代の女性。中学生くらいの子供がいるらしい。
髪の毛が長く、少しやせ型。落ち着いた物静かな女性だが、明確な自分の考えを持っている印象がある。初恋の人に似ている気がするがおそらくは気のせいというか、投影しているのは間違いない。
初回は風景構成法を行った。これはカウンセラーの指示に従って、順番に山や川、家や田んぼ、人物などを配置していくもので、専門書に当たれば具体的な解釈方法が書かれているが、自分は専門家ではないので省く。当日に描いた作品を今になって振り返ってみると、道のど真ん中に障害物の石が置かれていたり、山が雪に閉ざされていたりと、寒々とした印象を受けた。描かれている人間も逆立ちをしていて、何やら不穏である。蛇も不気味にとぐろを巻いていた。
二回目からは主に夢分析を行った。カウンセリングとカウンセリングの間の一週間に見てきた夢を記録して、それを材料に話をする。つかみどころがないようだが、意外なことにかなり効果があった。理屈はわからないが、この治療中は同じようなテーマの夢を見るようになる。さらに、肝心なのは夢の内容そのものではなく、夢の話をしているうちに自分が何を思い出したか、あるいは漠然とした印象をどのように語りなおしたかで、それによって、自身の考え方の偏りや傾向が見えてきた。現に、夢の内容を話す時間は案外短く、後半の三十分は、そこから思い出した過去の出来事や近況、それについて自分がどう感じたについて話し合うことに費やされた。そうした雑談をきっかけに、突破口を開いたこともある。
夢分析が行き詰まった時には、箱庭療法を試みた。これは、砂の敷かれた箱の上に人形や模型を配置していくもので、話しながら人形を動かしたり、砂の上に模様を描いたりした。うまく説明できないが、非言語的なものを明確にするのに役立った気がする。例えば「このタヌキ(の置物)は寂しくて困っている。友達がいなくて寂しそう。上下がひっくり返って困っている。悲しくて暴れている」などと比喩的な話をすることで、日常使っている言葉の論理で語りたくないことを口にしていた。小さな人形を触っているうちに気分が落ち着いたり、逆にひどく動揺することがあったり、不思議な経験だった。箱庭療法の最初の一回も、自分の心理的混乱が反映されていたのか、人形同士がにらみ合ったりひっくり返ったり無意味に積み上げられたりと、非常に張り詰めた印象のもので、カウンセラーも「ちょっと怖い」という印象を漏らしていた。
これらの技法は、ある種のきっかけというか呼び水だった気がする。どんなことを語っても許されるというか、傾聴してくれる場というのはそれだけで貴重で、話しているうちに自分の思いがけない本音や、ダブルスタンダードに気づいた。また、夢のような一見「どうでもいい」話ができる仲になることで、普通は人に話すこともはばかられるような、野外オナニー願望についても話すことができた。
治療も後半になると、こうした技法はほとんど用いず、通常の雑談に近くなった。自分はこういうことをしてこう言う結果になった。自分の気持ちはこうだ。そうしたことが素直に言えない人のために、これらの技法はあるのかもしれない。
始め、自分は藁にも縋るような思いでカウンセリングを申し込んだ。と同時に、どこか疑ってもいた。自分はカウンセリングの技法についての基礎的な知識はあったし、大体どのようなことをされるのか予想がつくと思い込んでいた。精神分析に関するフロイトの著作だって読んだことがあるし、河合隼雄の「ユング心理学入門」も読んでいた。しかし、カウンセリングの概略を知っていることと、実際にカウンセリングを受けることとは、まったく別の経験だった。水泳の理論と、実際に水に入って泳ぐこと以上に隔てられている。なんといっても、何年にもわたって定期的に同じ人間と会うのだから、必然的に相手には強い感情を持ってしまう。結局、人間が強い感情を持つのは人間に対してであり、人間が変わるのも対人関係を通してだ。
カウンセリングでは何について話すことも自由だった。幼少期の悲しみ、いじめられた経験、両親から受けた不条理な仕打ちなどなど。それだけではない。女性にするべきではないとされている話もした。自分の性生活、自慰行為、風俗店での出来事など、自分は露悪的なまでに細部を語ったが、しっかりと耳を傾けてくれた。
そして肝心なのが、何度同じ話をしても相手は退屈する様子を見せない点だ。自分は、同じ話を繰り返すことで忘れていた細部を思い出すことがあったし、それに新しく意味付けをすることもできた。
最後に、カウンセリングの時間が終わりに近づくと、カウンセラーは僕の話した内容を簡潔に言い直す。そうすると、自分はこういうことを考えていたのか、と毎度のように驚かされる。まとめられた内容を反芻しながら次の一週間を過ごすことで、自分の考えが深まっていった。他にも、自分がすべての不平不満をぶちまけた後で、それに対する解釈を投げ返されることで、その負の感情を自分の一部として取り込むことができるようになった。「あなたがそこで腹を立てるのは当然だ」「あなたの感覚はそれほどおかしなものではない」という趣旨の言葉を返してくれるだけで、自分の過去を少しずつ受け入れることができるようになっていった。
ところで、カウンセリングに通ったのが、2014年3月から2019年8月のことなので、4年以上も同じ人と毎週のように会っていたことになる。途中から自分の気分が落ち着いてきたので隔週に切り替えたのだが、それでもかなりの頻度だ。自分は、自分のあらゆる感情や悩みをぶちまけて、それでも受け入れてくれる存在がうれしかった。モテないあまり風俗に浸っている自分を軽蔑しない彼女の存在が尊く思われた。
珍しくないことだが、自分はカウンセラーに好意を持つようになった。自分は、職業倫理上その気持ちは受け入れてもらえないことだと知ってはいたけれど、「あなたを尊敬しているし、とても強い好意を持っています」と伝えた。カウンセラーからは「私もあなたと会うのが楽しみです」という趣旨の返事をもらった。と同時に、僕は、なぜこのカウンセラーが好きになったのかをじっくり考えだした。すると、自分には好きな人に自分の悩みを洗いざらい吐き出したいという願望があったのだ、と気づいた。同時に、自分は知的水準の高い女性に強いあこがれを持つことも改めて認識した。年齢などどうでもよかった。比較的若く見えるが、相手は五十代の人妻で、自分が手を出すわけにはいかないのだけれど、叶わない想いだとは知りながら、相手に尊敬の念を持ち続けるというのは、思ったよりも悪くなかった。おかげで、自分にとって他人を好きになるとはどういうことかを言語化できたし、他人を尊重することを身をもって学んだ。
一人の女性を好きになり、それを軽蔑されたり馬鹿にされたりしないこと安心感を、自分はたくさんの悩みに取り組む支えとしていった。僕は、このカウンセラーのことが好きになれて、本当によかったと今でも思っている。
過去のどのようなつらい経験も、自分はそれぞれ意味があったのだと、迷いなく考えられるようになった。それから、今までは様々な物事を与えられて当然だと感じていたが、やっとのことで与えられた物事に感謝することを学べたように思う。
また、自分の恐れの感情やトラウマにとらわれずに行動できるようになったことで、自分の外側の世界に対して、うまく働きかけることができるようになった。
もちろん、上に書いたような悩みのなかには、直接解決しなかったものもある。でも、それはそれで仕方がない、と受け入れられるようになった。
何よりも現実検討能力がついた。不安を不安のままかかえておけるようになり、不安で頭が真っ白になることがほとんどなくなった。自分の中の膨大な不安のエネルギーが、落ち着くべき場所を見つけたかのようだった。
悩みの解決の過程を言語化するのは難しい。自分の考えがどんな風に変化していったかを記すにとどめる。人によってたどるべき道のりは異なるし、僕の頭の中の理屈をそのまま文字にしても、納得できないことは十分に考えられるからだ。
過去のいじめ、対人関係のトラブルはとても悲しいものだった。でも、おかげで自分は人をできるだけ傷つけないようにしようと心掛けられるようになった。それと同時に、絶対に誰のことも傷つけない発言・表現というのも無理だとも知った。男性であれ女性であれ、相手を一人の個人として尊敬することが大切であり、それは自分と相手は異なっていると認識することだ。だから、できるだけ丁寧に接することは大切だけれども、自分と他人は別の存在なので、礼儀正しくしていたとしても、絶対に不快な思いをさせないでいることは不可能だ。かつての自分は、自分が女性から不快な思いをさせられた経験から、絶対に女性を傷つけてはいけないというルールを自分に課していたのだけれども、それは不可能だと知った。過度に自分を縛る目標は、ある種の呪縛だ。
それに、世間にはいろんな女性がいる。優しい人、冷たい人、知的な人、ちゃらんぽらんな人。一人の女性が自分に暴力を振るったからと言って、そうでない人もたくさんいる。女性一般や平均的女性像みたいなものに、振り回されなくなった。
フェミニズムとの距離感もうまく取れるようになった。納得できることはうなずき、わからないことについては調べ、おかしいと思うことには反対する。それは、フェミニズムだけではない。自分とは違う考えの相手に対する対応の仕方と全く同じだ。
仕事に関しては、転職をした。自分の能力に見合った仕事に切り替えることでやりがいも感じられるようになった。給与は下がったが、例えば600万稼ぐ人間が300万稼ぐ人間の2倍偉いのかといえばそういうわけでもないし、僕にとっての一番大切な価値観は、早寝早起き快食快便が守れる生活が維持できるかどうかだと知った。
男らしくないのではないか、というのも気にしなくなった。世間の価値観がどうあれ、自分が好きなことを好きなようにする。自分らしくあることが自分にとって男らしいことと定義しなおした。
その中で、家族との関係も改善した。今にして思えば、両親は自分と非常に適切にかかわってきてくれた気がする。圧倒的にすがりたいと思っていた両親も50~60代のただの人間なのだ、と実感することができた。しかし、ただの弱みもある人間だからこそ、大事にしたく思えるようになった。距離感が適切になった気がする。
処女厨もロリコンも治った。正確には、そういう願望があることそのものに対して、思い悩まなくなった。一つには、50代の女性に恋をすることで、実際に小学生と恋愛したって、物足りなくなるに決まっていると心の底から理解したというのがあるし、人生経験豊かな女性の魅力に気付いたのもある。さらに、処女厨の根源にあった、「セックスとは汚いものだ」という意識も弱まった。「セックスは気持ちよいものだし、誰かを愛することは素敵なことだ」という感覚しかなかったら、処女喪失を汚れとは認識しないだろう。それよりも、出会った二人が新しく一緒に思い出を作っていくことの喜びに目が向くようになった。まだ彼女はできていないけれども、一緒にデートしたり、他愛のない話をしたり、うとうとしたりしたいし、それに向けて今でも努力している。
女子小学生の裸を見たいという感じもほとんどなくなった。確かにあの年頃の女の子はかわいいけれど、それだけのことだ。どんな感情を抱こうとも人間は自由だと思えるようになったことで、かえってそうしたロリコン的な願望から自由になった。
同時に、野外オナニー願望も消えた。なんというか、得体のしれないドロドロした性欲のエネルギーに、適切な形が与えられた感覚がある。よく夢で、性器を露出したり全裸になったりするパターンが多かったのだけれど、カウンセラーと話すうちに「おちんちん見せるだけじゃ意味ないよね?」みたいな話になり、そうしたことを話しているうちに、セックスって相手あってのことだよね、みたいな認識に到達した(このあたりの話が非常にわかりにくいのではないかと恐れている。ラポール、とでもいうのだろうか、クライアントとカウンセラーの間には、長い間の会話の積み重ねからくる膨大なコンテクストの共有があり、ある種のツーカー関係が出来上がっているので、会話だけも書き起こしても非言語的な部分が多くを占めていて、客観的にはわかりにくくなりがちだ)。
死への恐怖は、とりあえず先送りされた。これは個人的な経験だけれど、死ぬのが怖くてたまらないときというのは、何か大きな変化を恐れているときか、未知のものに飛び込まなければいけないときに強まるような感覚がある。
カウンセラーには日々の出来事を何でも話すことができたが、別にカウンセラーに聞いてもらわらなくても、別に大丈夫になってきた。さらに、ここで話をしても、これ以上自分は楽にはならない気がするようになってしまった。
とても感謝はしているけれども、自分で自分を励ます考え方ができるようになっていて、あとは毎日の出来事を淡々とカウンセラーに報告するだけみたいになっていた。
というのも、自分の悩みを解決できるのは、最終的には自分だと思うようになったからだ。話を聞いてもらって勇気をもらったり、現実的なアドバイスを受け取ったりすることはあったけれども、実際に行動するは他ならぬ自分なのだ。
ならば、これ以上ここにいても、自分は変われないのではないか、という気がした。そして、3月という区切りのいい時期であったので、そこで終えることにした。
最後にもう一度風景構成法を行った。山には緑があふれるようになり、街には人がたくさん姿を見せるようになった。蛇は道や川のうねりへと姿を変えた。困ったときには駆け込めるような病院や、芸術を鑑賞できるような美術館も街に描かれていた。そこでは、たくさんの人々が連れ立って歩いていた。ずっと住み心地のよさそうな風景だった。
この前鬱になった。
正確には鬱の可能性を診断され、「じゃあ鬱じゃない可能性もあるってことだな!!」とそこで考えることをやめた。多分対応としては限りなく間違ってる。
でもさ、就活中なんだわ俺。
鬱、しかも進行中の見えてる地雷を雇う会社あるわけがないよ。ただでさえ人気業界なんだからさ。
なんで鬱になったかをその時の医者、それと大学のカウンセラーと話し合ったんだけど、就活によるストレスだったみたいです。
弱過ぎない?俺。
就活のストレスを考えて一番身に覚えがあるのは、やっぱりESが全く通らなかったことだった。
夏のインターンから就活を始め、ESはそこそこ書いた。15社とか。まだ少ないか。
でもほとんど通らなかった。今まで人生における大事な場面では尽く成功してきたので、当然病んだ。そこから立ち直れたかって言うと、いや全く立ち直れなかった。なんでだろうね。自己肯定力が限りなく低いんだね。
ちなみに俺が落ちたインターンに抽選で受かった友人は「インターン行ったらなんか就活そんなに考え込まなくてもいいなって安心したわ」とか申しておった。ほほ〜、心配いらないんだネ。理解理解。
僕はまだです。この前最終面接で落とされました。
嘘をついているような気分になる。
今まで褒められてきた経験が少ない上、その経験すら実態が伴ってないふんわりとしたもの。
そこそこ大学生活頑張ってきたつもりだけど、今になって思うのは自分がどれだけすごくないかってこと。
苦労して国立大学のちょっぴりいいとこに入った。新しいことに挑戦しようと、今までやったことのないサークルに挑戦した。触れたことのない分野を勉強した。留学に行った。サークル内の揉め事を頑張って解決した。サークルの部長になった。怪我でバイトクビになったけど、新しいバイト先(バカみてえにハード)では頑張ってそこそこ信頼されてる。積極的に就活進めたつもりだった。ネットの友人と共同で一つの作品を作った。
全部無駄だったのかな。
こんなに金と時間と気力を使って。
書ける成果が思いつかないんだ。何もすごくないんだ。何も。
あとADHDなんですよ、僕。
最近特にヤバい。手帳に予定を書き入れるのを忘れ、そこそこ志望度の高いWebセミナーの予約を忘れたりとか。日にち感覚がズレてきて、ESの提出期限終わったと思って無駄に落ち込んだりとか。
作業にも集中できね〜〜〜〜〜〜〜〜。
どうにかしてくれよ。コンサータ飲んでも効き過ぎて頭沸騰しそうになるしさ。
何より一番馬鹿だなって思うのは、辛いのに誰にも相談しないこと。
でも、辛いことを話そうとすると急に口が止まってしまう。「大丈夫?」って聞かれて、「ア、エヘ何がですか?大丈夫ですよエヘヘ」とかヘラヘラ笑って答えてしまう。全然、大丈夫じゃないのに。
辛いよ就活。もう辞めたい。
最初から公務員目指してシコシコ勉強しときゃよかった。そっちのが向いてるよ。
でも公務員つまんなそうでやりたくなかったんだよな。これは完全に偏見なので無視して下さい。
結局人生やり直してたとしても、やっぱり就活してる気がする。で、どうせ病んでる。
井上織姫?
まあなんだかんだ人生詰んでるんで。そこンとこよろしく。死んだら楽になるかな。死ぬ勇気がないので死なないけど。
あ〜憎い憎い。全部が憎い。
就活うまくいってるやつも。何もやってないわ〜とヘラヘラ笑うやつも。頑張ったツラしてそこそこいい企業入って「企業に蹴られても自分の才能を理解しないやつだと思って受け流そう!」とか吐かすやつも。
バーカ。くたばれ。
これでもそこそこまともに生きたつもりだけど、ね。
結論から述べると、マッチングアプリでは彼女を作ることはできなかった。
けれども、2年間の経験から何も学ばなかったわけではない。そのことを再確認し、次のステップに進むために本記事を書く。自分を振り返り、失敗した点を反省しながら、絶望したり自棄を起こしたりしないように、時折この記事を振り返ることとしたい。
また、これからマッチングアプリを使う人にとって、参考になることがあればうれしい。確かに、女性と交際にまでは至らなかったが、全然マッチングしなくて困っている人には、役に立つかもしれない。
pairsとwithを使用。それぞれの仕組みは基本的に同じ。検索条件で異性を絞り込み、気になる相手に「いいね!」を押す。互いに「いいね!」を押すとチャットができるようになる。どちらも、毎日ランダムに無料で「いいね!」を押せる相手が出てくる。
プランはどちらもプレミアム的なものを選択。これだと通常1か月に付与される「いいね!」が30回から50回に増える。
この二つのアプリの仕様はよく似ている。どちらもコミュニティに入ることで共通の趣味や興味関心で検索ができる。ただし、withのほうがおおよそ2週間に1度DaiGoによる心理テストがある。そして、このテストにより相性がいいとされた異性は「いいね!」を1日に10人までなら無料で押すことができる。適度に「いいね!」を押す相手が入れ替わるし、無料で選べる相手が増えるのはありがたいが、心理テストのたびにDaiGoのドヤ顔を毎回見ることになる。
pairsを半年、しばらく休んでwithを1年半使ってみた。結果、どちらが特に使いやすいということはなかった。しかし、どちらも毎日ログインすることにより無料で「いいね!」に交換できるポイントがたまっていく。普通に使っていれば毎日ログインボーナスがもらえるのでありがたいのだが、まるでアプリにこちらの行動を支配というか指示されている気がするのはいただけない。ソシャゲの類をやらないので、そうしたことが煩わしく思えてしまう。
使い勝手そのものはいいのだが、こうやって様々な条件の女性が並んでいるのは、カタログみたいで興ざめというか殺伐とした気持ちになる。それに、相手の女性が何人から「いいね!」されているかも表示されるので、野菜か何かの品評会みたいだ。18歳のビキニの女性に3000近くもの「いいね!」がついているのを見るとやりきれない思いがする。谷間を見せたりしているだけでも露骨に「いいね!」がついているのも、あまり気持ちのいいものではない。自分もおっぱい大好きだけどさ。
逆に、「いいね!」をたくさんもらっている男性のプロフィールも参考にすることができるのだけれど、僕の苦手なさわやかな人間の写真が出てきたので、即閉じた。
プロフィールはできるだけ詳細に書いた。それから、友人と楽しそうにしているところをサブ写真に選んだ。コミュニティはできるだけたくさん入った。自分は読書が好きなのだが、読書のコミュニティだけではなく、作家ごとのコミュニティにも入った。こうすることで、共通の話題の多い女性を探しやすくなった。
こちらから「いいね!」を押すのは、大体20から40くらいの「いいね!」が押されている相手を中心にした。何百もの相手から「いいね!」をされている相手からすれば、当然埋もれてしまうからだ。弾の無駄打ちはしたくなかった。確かにお金を払えば「いいね!」する回数を増やせるが、すでにプレミアムプランを使っていたので、その必要はないだろうと判断した。それに後述するが、自分は同時進行が苦手だ。
相手の女性は、自分と同じ内向的な読書家で、美術館が好きそうな人を中心に「いいね!」していったが、もしかしたら意外と相性がいいかもしれないと思い、例えば国内旅行や登山が好きな人も選んでみた。ガチ勢ではないが、友人と富士山に登ったことはあるので、新しい趣味として開拓してもいいかもしれない、と考えたのだ。結局そういう相手とは会話が続かなかったけれど。
結婚歴は未婚を選んだ。もしかしたら、離婚歴のある人のほうが優しくしてくれるかな、とも思ったのだけれど、今回はやめておいた。やっぱり過去の人と比べられてしまうのが怖い。御覧の通り、僕は器が小さい。学歴は初めのうちは気にしていなかったが、結果として高卒よりは、大卒・専門学校卒のほうが共通の話題も多く、話は長く続いた。
メッセージを同時進行するのは気が引けたが、相手もそうしているだろうし、そこは割り切ることにした。ただ、自分の頭の処理能力を考えて、3人までの同時進行とした。どのみち、同時進行でデートに誘うことができたケースは1回だけだった。自分はそこまでモテるわけではないので、そうした心配はしなくてもよかった。
会話をして1~2週間してから実際にデートに誘った。そこで音信不通になるケースもあるので、実際にデートができたのは1か月に1度か2度だ。
もともと、デートした各相手について項目を立てて論じようかと思って手帳を取り出していたのだが、馬鹿らしくなってやめた。10人以上の相手それぞれについて思い出すのも大変だし、振られた相手なのだから面白くない。それに、細かく書いていくとねちねちした恨み日記になってしまう恐れがあるので、細部は省く。
結果だけ言うと、様々なタイプの女性と会った。たいていは常識的だったが、中には残念ながら失礼な相手もいた。
ひどいケースだと、こちらを一目見るなりムスッと黙り込んで、理由もわからないまま不機嫌な相手と水族館を回る羽目になったこともあった。2回目のデートで「ごめんなさい、やっぱりあなたとは恋愛できそうにないです」と告げられたこともある。誠実な人柄を感じたので諦めもついたのだが、その直後に「あなたの顔って、面白いですね」などと言われたのには傷ついた。男性が女性に対して敬意を欠いた失礼な態度を取るのが許されないのと同様に、女性も男性の自尊心を大事にしてほしい。
まだマシなケースでは、会話が弾まなかったり、恋愛対象にはならない相手だって互いに気づいてしまったりした。でも、これはどっちも悪くない。需要と供給が一致しなかったのだ。
でも、マッチングアプリを使っているうちに、1回で終わるデートが2回目に続くことがぽつぽつと出始めた。
そこで、ある女性と3回目にデートした時に告白した。3週間連続でデートできたので、これは間違いなく行けるだろう、と思ったのだ。けれども、彼女は驚いた様子で返事を保留した。僕は待つことにした。そして、7回目のデートの後、8回目のデートのリスケジュールの途中で、彼女は音信不通になった。
さようならを言う機会さえ与えられなかったのか、と思うと吐きそうだ。悔しい。小説も漫画も音楽も趣味がぴったり合って、普段ならできないディープな話を何時間してもお互いに飽きなかったのに。
そういうこともあり、一緒に見に行った岩井俊二や三谷幸喜の映画まで嫌いになったし、彼女が好きだと言っていた東京事変の印象も悪くなってしまった。すすめてくれた「子供はわかってあげない」や「北北西に曇と往け」も背表紙が見えないように逆にして本棚に置いている。ついでに、「パラサイト」を見に行こうという話になっていたのだが中止になったので、ポン・ジュノ監督の映画はしばらく見たくないし、ついでに是枝裕和監督のことも褒めていたので、当分この監督の作品を見ることもないだろう。なんというか、自分の好きだったものまで嫌いになってしまいそうでみじめだ。しばらくすれば、またまっさらな気持ちで好きなものを好きだと思えるようになるはずなのだけれど。しばらくは映画を見たいとは思えそうにない。
きちんと「一緒に過ごして楽しかったけれど、あなたとは交際できません。ごめんなさい」の一言があれば、ずっと救われていたのに。その程度の言葉をかけるのも面倒くさかったのか。そこまで軽んじられているのかと思うと情けなくて泣きそうになる。そういえば、本名を教えてくれた時も、男性でいえば鈴木一郎みたいな感じだった。そもそも偽名だったのかもしれない。そういえば遅刻魔だったのも、僕のことなどどうでもいいと思っていたのだろうか。それとも、本当に事故にあったのであろうか。心配でならない。
こういう時に限って、過去の恋愛のみじめな失敗を思い出す。例えば、大学時代に片思いをしていた女性から童貞を馬鹿にされたこととか、前の職場の同僚の女性から面と向かって恋愛感情を見せたわけでもないのにいきなり迷惑だといわれたことだとか、告白したけれどもやっぱり保留にされて、1年以上たってから振られたこととか、とにかくみじめな失敗ばかり浮かんできて仕方がなかった。
そして、残念ながら2年間で1度も手をつなぐことができなかった。
現在、音信不通、という最悪の結果を受け入れてから2週間ほどだ。正確にはラインの返事が来なくなってから4週間、こちらからの催促のメッセージが未読のまま3週間が過ぎた。土日はジョギングをするほかは、家に引きこもって寝ているばかりだ。コロナウイルスのせいで、美術館に気晴らしに行くこともできない。仕事にも集中できない。失恋した直後は同僚のなんということのない口調に激昂しそうになった。その時は1度席を離れて6秒数える、アンガーマネジメントを試みた。しかし、腹の虫がおさまらなかったので、100まで数えることを3度やった。さすがにこれは効果があった。とはいえ、そのあと結局体調を崩して職場を2日間休んだ。
今日も最低限のパフォーマンスは確保しているが、突然襲ってくる虚無感は抑えがたい。手が止まってしまう。それでも、原因がわかっている落ち込みだから、対処の仕様はある。
いやっほーい、自由だ! これから風俗で未経験のプレイをたっぷり楽しんじゃうぞ! うひひ! みたいな気分になることもないではないが、それはちょっと躁状態のときの考えだ。本当は、自分は好きな人と手をつないでデートしたり添い寝したりしたいのだ。まるで人生の実績解除みたいに、複数プレイに興じたり、白人美少女と寝たり、メイドさんにお尻ぺんぺんしてもらったりしても、そこまでの喜びはないのだと思う。
自分は恋愛対象としては魅力的ではないのかもしれない。そのことを身をもって体感させられた。しかし、それで絶望するつもりはない。結婚相手としてなら考えてくれる人もいるかもしれないからだ。
もともと自分は結婚願望が強く、子供も欲しい。マッチングアプリからの疲れから十分に回復したら、そういう条件で折り合ってくれる人を探してみたく思う。マッチングアプリは単純に素敵な彼氏彼女を見つける場所で、僕に対する需要が少なかった可能性がある。
それに、結婚相談所にはアドバイザーがいる。なんであれ、苦手だったり詳しくなかったりする分野の出来事に立ち向かうには、専門家に相談するのがいいはずだ。病気になったら医者にかかる。進路相談には学校や塾の先生に相談する。悩んだらカウンセラーに相談する。それと同じことだ。
確かに自分の生涯にはロマンチックな出来事は少ないかもしれない。自分は高校・大学時代の甘酸っぱい恋愛にあこがれたが、失敗してきた。こういう絵にかいたような青春が欲しくて、人生をやり直したくなり、胸が苦しくなることもあるが、自分は10代、20代にそうした恋愛に挑戦し、敗れてきた。そのことは悔しいし、無力感に押しつぶされそうになることもある。恋愛を扱ったテレビを見るのも苦痛だ。元カレ・元カノという言葉を聞くだけで、複数の相手と付き合ったことがあるのだという事実を見せつけられている気がして悔しい。だが、それでもチャレンジしたことは恥じてはいない。行動せずに文句だけこぼしていたよりは、ずっとましな人生を送ってきたはずだ。
長々と読んでくれてありがとう。
つらい失恋の渦中にある人が慰められるといいと考えて執筆した。
そしてこれを読んで一歩踏み出す勇気が出る人がいたら、もっとうれしい。
これは失敗の記録だ。だが無意味ではない。
泣いたっていい。気が済んだらもう一度アタックする。
女性から断られる勇気がまた出てきたら、それは3か月後か半年後かわからないが、またチャレンジしたい。
たくさんのコメント、本当にありがとうございます。励みになりました。
ここまでコメントをともらったのが初めてで、すべてにレスポンスはできないのですが、こちらも勇気が出ました。
一言だけ。手を繋げなかったのは、相手がずっとポケットに手を突っ込んでいたからです。