2020-04-10

暴力は人の心を変える

DV毒親と絶縁して20年近く経つ。

もう生きているかどうかもわからない。

親戚や兄弟とも絶縁している。

みな親の話を一方的に聞いて洗脳されているので、「親を見捨てた酷い子供」として親に同情し、私を恨み、責めてくるから、全て縁を切らざるを得なかった。

いつも私に行われた暴行暴言は全て隠蔽され、ただ親は私のことを「駄目な子供」として長年親戚や近所にも触れ回った。

家庭でも親戚でも地元でも、たった一人でも私の味方になってくれた人などいなかった。

子供自分には、警察通報したり証拠を集めて保護してもらう等の手段が考え付かなかった。

彼らが死のうとどうなろうと、中学を出た時点で家を出て絶縁したのでもはやどうでもいい。

現実の彼らはもう問題ではない。

恐ろしいのが、20年近く経った今もずっと頭の中が彼らに占拠されていることだ。

何かうまくいっていても、頭の中の親に暴言を吐かれ否定され、殴られる。

何かうまくいかないと、より酷く頭の中で責め立てられ否定され、殴られる。

ずっと暴力衝動を持て余している。

かに殴られるという恐怖から、先に自分から誰かを殴って身を守りたいというこみ上げるような衝動だ。

特に眠る前に、誰かにまた殴られる、否定される、という駆り立てられるような気持ちでいっぱいになって、誰かを殴りたくて殴りたくて仕方なくなっている。

殴ることは快楽ではなく、殴られないよう自分を守るために先に相手を殴らなければ、という自衛手段だ。

どれだけ他人に助けを求めようと、相手を説得しようと、抵抗しようと、殴られて殴られて否定されて否定されて否定されてきたのだから、もう自分から先に殴って すしかないじゃないか、と思う。

現実にはもう私を殴ったり否定する人などいないし、縁を切り、就職して自立し、誰にも迷惑をかけず生きているはずなのに、それでもずっと責められている気がして、頭の中の「何か」をずっと妄想で殴っている。

一生、ずっと安心して楽しい気持ちでいることはないんだろうなと思う。

一人で自由に生きていけたら、身の安全が確保できれば、あとは自力幸せになれると思っていたのに、20年近く経ってもまだこんなに孤独で生きるのが辛いなんて思わなかった。

カウンセリングなんかに通ったって、私の気持ちなんか誰にもわかるわけがないし金の無駄だと思う。

何度か行ってみたが、自分より年下の、賢そうなカウンセラーに同情的に話を聞かれたところでより絶望して死にたくなるだけだった。

実感としては彼らに私の気持ちなどわかりはしないと思うし、わかってもらおうとも思わない。

だって他人気持ちなんてわからないのだから

暴力というのはこれぐらい人の心を変える。

自分でも最近もう20年近く誰にも殴られてないのに毎日毎日何に怯えているんだ、と愕然とした。

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