はてなキーワード: カウンセラーとは
と言ってもまだ二度だけど
初回は、よくあるストレスチェックみたいなものとか性格診断テストみたいなものとかを三つくらいやって、面談に来たきっかけとかを聞かれて、テストの結果についてとか無意識で何が起きているのかとかそんな話を聞かされたりした。
常に緊張状態が続いていますねみたいなことを言われて、あまり自覚もなかったけど、常に歯を噛みしめてるとか呼吸が浅いとか、あとストレスチェックの点数が投薬基準の点数超えてるとか聞いて、へぇ〜…そうなんだ〜…と思った。
性格テストは厳格的とか庇護的とか抑圧的とか開放的とかのやつでまぁ自覚もあるからその通りですねという感じだった。
次回から本格的に…と言われて、二週間後に次を予約した。初回の面談した人から、次回以降相性の良さそうなカウンセラーに繋ぎますね〜って話だったからそのつもりだったけど、当日行ったら前回と同じ人だったからなんかがっかりした。人のやり繰りの都合とか、希望する面談日の都合とかもあるんだろうから仕方ないけど。
いまの人、相槌が大袈裟な感じでこの人本当に人の話聞いてんのかな…という感じがして、いまのところあんまり好きじゃ無い。もちろんちゃんと聞いてはいるんだと思うけど周りにいたことのないタイプの人だからなんか慣れないのもある。もしかしたらカウンセラーの話術としてそうしているのかもしれないし、それならどのカウンセラーとも相性合わなそうだし無理かも。
そもそも受けに行く前からもう行かなくて良くない??という気持ちが強くて、初回の面談をしたすぐあとには、次回からなんか訓練とかするみたいだし楽しみだなーとか思ってたのに、当日はもう次回は予約しなくても良いんじゃないのかなとか、行かなくても自分は大丈夫なんじゃないかなとか、思いながら向かった。
カウンセリングの待ち時間で前回から今回にかけてのこととか話したいことを問診票に書かされるのも初耳で、何書いたら良いのかわかりません、って書いて出す羽目になって、ますます帰りたくなった。
面談自体はよくある子供の頃の話とかを聞かれたりしたけど、なんか自分の話す内容から最終的に家族が批判されることになったら嫌だなぁ…という気持ちがずっとあってふわっとした話しかできなかった。あとは腹式呼吸を覚えましょうって言われて、寝る前に練習するように言われたけど、寝る前のルーティーンがほぼ固まっててどこに入れたら良いのか分からなくてあんまりやってない。やれよ、って話なんだけど寝るギリギリまでスマホ見てたい。深呼吸しながら寝落ちとか楽しくなさそう。
カウンセリングでやる行動療法(?)とかを調べてて、手足の力を抜く訓練とかをするんだと思っていたのに、そもそも腹式呼吸すらできない自分にびっくりしたのもある。その分、うつ伏せで寝転がって深呼吸すると腹式呼吸になるから!っていうのはやってみてめっちゃ実感した。
とりあえず次回も流されるまま予約したから、前金制でお金も払ったし、渋々行くことになるんだと思う。
今度何話せばいいんだろうなぁ…
とりあえずコロナウイルスでリモートワークできるようになったから非日常感とか非常事態感とかが強くてわくわくしてる、って話しは出来そうかなー
月一でネイルサロンに行く代わりだと思えばまぁ…って思ってしばらく通ってみるつもりだけど、でもやっぱりふっと行かなくても良くない?と思ってしまう。
日々クライアントを励ましたりしている。
語彙力。
私の仕事もクライアントとメールの文面だけでやりとりするのだが、
どうしても長くなりがち。
となると、数がこなせないんだよね。。
その中のお一方かな?とても上手な方がいる。
言葉をくれるのだ。
こっちがどんな長文で相談を送ろうとも、返事は完結。
ぱっと見の文量に肩透かしをくらうんだけど、言葉がズドンとくる。
文脈はここでは伏せるけど、端的に例を挙げると、
「消化試合」:2度目のチャレンジに失敗してガックリしてた私に
2度目は1度目の感動は薄れる、と一言。
諦めることができた。
「腰巾着」:全てが受け身で誘っても優柔不断な友人にイライラしてた時に。
別のリーダー格の子には即答でOK出して私を不満にさせた友人を称して。
嫌われてるのかも、という見方以外にも提示してくれてちょっと心がおちついた。
※ブコメその他がためになったので追記した(2/23 18:23)
※あとこの投稿は「最底辺に落ちれば自信が出るからそうしろ!」とかいうものでは一切無いです。そういうニュアンスが出ちゃってたのは大変申し訳ない。少しでも浮上してるならそれに越したことはないし下がれなんてとんでもない。この投稿は助言でもなんでもなくて、自分はこうだったなぁという糞自分語りに過ぎない(最後のオナニー以外)からそれを踏まえていただければ大変うれしい
自分も自己肯定感はそこそこ低い方で、 増田と同じく学生時代は自分以外の全員がド有能の聖人に見えてたんだけど、増田のもちょっと違う気がするんだよな。
「私と仲良くしてくれる人は何を考えているんだろう、こんなグズに優しくしてくれる聖人たちに何を返せばつりあうだろう」
そう、ここまではほぼ一緒。でも俺の場合はこの次の段階があって、
「こんなに有能な聖人が言ってる事をグズの俺が否定する権限はない」
って理論が発生するんだよな。
少し場面を想像してほしいんだけど、数少ない友人と会話してる時、案の定おれの「俺なんてゴミやし……」とかいう発作が起こるよな? グズの俺と違って友人は有能の聖人だから、まぁ「いやそんなことないよ」とか、たまに「増田の〇〇なとことか凄いじゃん」とか言ってくれる。俺の脊髄は(いやいやそんなことなくて俺はゴミでぇ……)とか反射しそうになるんだけど、"グズの俺が否定する権限はない"ので、お世辞であれその言葉を甘んじて受け入れないと絶対におかしいんだよ。ここで「いやそんなことはない、私はゴミだ」と言える時点でまだそこそこ自己肯定感あるから安心していいと思う。向きはともかく、自分の思考や理論を相手のそれより強いと思えてるから。
逆に自分が否定された時はそもそも自己肯定感が最底辺なのでノーダメージ。ゴミな自分は有能な他の全人類に否定されて当然だし不当でもなんでもない。当たり前の事を当たり前に指摘されただけなので悲しくもならない。でも[ゴミと友人になってくれる有能な聖人]とただの[有能]だと前者のほうが優先順位が高いので先述した友人の言葉が消えるわけではない。仮に消えたら聖人の友人に失礼極まりないのであり得ない。周りに当たるなんて選択肢はどうやっても発生しない。
このマインドを続けてると、基本的に肯定感が正の値になることはあってもマイナスにはならない。ふとした拍子に2とか3くらいゲージが溜まってちょっとウキウキな気分の時だと、理不尽な否定と正当な批判の切り分けなんかも意外にできるようになったりするので、ただでさえ鉄壁の防御力にさらに磨きがかかる。余裕ができると「ほんとにちょっとだけなら"俺の〇〇なとことか凄い"んじゃね……?」とか思えてきたりこなかったりする。
要は、自己肯定感低いアピールは人が多いところでやると時に不快感を撒くことになるから、基本控えめにしてある程度自己評価あるフリでもしてたほうが周りの人を尊重してることになるし、結果的に自己評価を見つめ直すことにも繋がる。理論的に考えればそういう考えに落ち着くのが真っ当じゃね?っていう話ですわよね。
まぁなんというか、自己憐憫って蜜の味なんだよな。だから癖になってるひとも多いと思う。今は夕方一人外で歩いてる時とか、中高の時に毎回テスト最下位で赤点で居残り勉強してた時間とかを思い出して「相変わらず俺ってゴミだなぁ」とか思いながら自己否定オナニーして自己憐憫欲を解消してる。もちろんオナニーは心の上での比喩だけど、めっちゃ気持ちいいからおすすめしたい。
珍しくブコメが色々ためになったので(自己肯定に溢れた感想)、お礼と言うにはおこがましい自分語りだけど返事をさせてもらいたい。
oratansu よく「最底辺に落ちたのであとは上がるだけ」みたいなコメントする人いるけど、それ以上に落ちるかもしれないのによく今が最底辺だと定義できるなあという感想しかない
読み直すと「死ぬこと以外はかすり傷!(ドン!)」とかいうどっかのゴミ自己啓発本と同じ台詞言ってるように見えてめっちゃ恥ずかしい。ごめん。(自己啓発本は悪だって言いたいわけじゃないんだけど、なんというか基本強者の理論だと感じちゃうんだよね)
今の自分の絶対値的なこの場所が最底辺、というよりは"自分=ゴミ"の図式が無条件で成り立っちゃってるから、落ちたところで自動的に認識が再修正されるので特に何も感じない、というほうが正確だろうか。こう書くとより救いがない感じがするな。でも気は楽。弊害は未知数なのでオススメはしない。
fukazawakyoko これ、元増田もそうだけど最底辺感がないんだよな。能力が低くてガチで自己肯定感が低いというより、どっか余裕のある人が考えた自己肯定感の低さって感じ。
あ~やっぱそういう感じ出ちゃってるよなぁ。言い訳させてもらうなら、現状、そこそこ自信というかなんだかんだ俺もそれなりに大手を振って生きてていい(≒他の人間も大した理由があって生きてるわけじゃない)って思えるようになってるから、この立場から何書いても薄っぺらいってのはあるかも。一時期は何言われても「おっ悲しいなぁ(諸行無常)」みたいな感情しか湧かなかったから、這い上がろうという気力も湧かなかったのはホントのところだとは思うけどね。
コメントにも出てきてるけど"余裕"は本当に大事だと思う。これが枯渇してるとホントに何も考えられなくなるし、シンプルに周りにも迷惑がかかる(その迷惑で自分を卑下する必然性もないんだがそう考える余裕も無くなる)。自分の少しの余裕がどこから湧いてきたのか考えると、やっぱカウンセラーとか薬ってことになっちゃうのかなぁ。ラッキーだったのは、「精神科に行って薬まで出された自分は欠陥人間だ……」とか、どうしても先生を信じきれずに(orあってない先生をずっと変えなかったりして)ネットのメンヘラ界隈的な場所ででくだをまいちゃったりすることはなかったって点だろうか。一応心理学専攻で、治療に対してそんなヤバい行為だとは考えてなかったってのもあったし、治療受けるのってどんな感じなだろう……!みたいな好奇心が少し先行してたのも大きい。
でもカウンセリングや薬ってなんだかんだお金かかるし、1割負担にするのもちょっと抵抗感ある人もいるかも知れないから、こういうのも含めた余裕を考えると俺もまだまだ序の口ってことなんだろうなぁ。保険で色々試せるのおもしれえなぁとか、ビンシャリってこれかよ草、みたいなノリは万人にできるものではない。
Caerleon0327 自分よりできない人を見たり、自分より大変なことになっている事象(例えば、今回の新型コロナパンデミックとか)見て、それと比べて自分の目の前のことはマシだと慰めている
この理論で生きてると、自分よりできない人が他の場面で自分より高い性能を発揮する現場を目撃すると総崩れになるから注意したい。そこで「できないように見えた人にも得意なことがある」なら「できない自分にもなんかいい点がある(≒自分をある程度認めないとその人の優れた点まで否定する事になる)」と考えを反転して良い感じにしてたんだけど(これも自己啓発の謎理論っぽくてキモいな)、まぁこれもある程度の余裕がないと出来ないことだよなぁ。
自信がない状態から立ち上がれるかどうかは周辺環境に左右されまくる、ってのは本当そう思う。そこにつけ込まれると色々厳しい。弱ってる人間につけ込んで追い打ちかけてくるゴミなんて生きてる価値無い、社会に害を振りまく俺以下のゴミじゃん、って思えれば楽なんだけど、そう思えるまでが長いんだよなぁ。これを個人でどうすべきかはちょっとわからない。今の自分はそういう人間の屑を見るとめっちゃイライラする性格と化したからそれに関係する仕事をしてるんだけど、そういう支援もまず最初に人の目に触れないと始められないし……難しい。
aeka そんな言葉遊びしてる次元じゃないんよ。「自分なんてクソで…」などと人様に聞いていただこうなんておこがましいこと思ってるようじゃまだまだ下がいてだな…いやこんなことわざわざ衆目集まるところですみません。
俺もすまん(挨拶)。寧ろそれを伝えたい文章だった。俺の作文力の無さが光る。そう、自分が糞という意思をもってる時点で自分を肯定できてるから、そんな奴らの言うことなんて何の参考にもならない。これはポジティブ思考でもなんでもなく、ただただそれを出来ない自分が沈んでるだけで、良い事はなにもないから安心してほしい(?)。
アドバイスなんて身の程知らずなことは一切できないけど、それこそカウンセラーがダイレクトに助けられる数少ない場面な気がする。先生は仕事だから聞くのは毎日のことで一人が増えても大差ないだろうし、自己開示はただするだけである程度意味がある。今は心療内科もいっぱいいっぱいだから難しいかもしれないけど、それに準じた相談をできる場所は結構あって、意外と人のいない穴場もあったりするからちょっと頭の隅に置いておくのも悪くないかもしれない。
カウンセラーに話しを聞いてもらっても、
本名フルネーム+顔出しで○○カウンセラーを名乗っていて、記事はカウンセリングしてもらうための誘導記事のようだ。
ざっと見した所感はテンプレ的というかそれっぽいことを言っているようで実のところ中身のないフワフワしたものばかりで、これで客とれるのか?というのが正直なところ。
どうやら"カウンセラー養成カウンセラー"みたいな上位存在がいて(先生と呼ばれている)、その人にお金を上納することでノウハウがもらえ、デビューできる仕組っぽい。
この手の方々、内輪でスクラム組んで誉め合って成功アピールしようぜなイメージがあるので、同僚が実際どれだけ儲かっているのかはよく分からなかった。
当然ながら当社は一切関係なく社名は出ないので万一何かが起きてもただちに影響はないと思うが、
同僚は職場で見ているかぎりあまりネットリテラシーが高くないので、ふとしたきっかけで炎上するのはこういう人なんだろうとは思った。
高校生の頃卓球部をやっていて、うちの部は県大会ベスト4まで勝ち進んだ。
ベスト4の試合から勝ち進めなかった。負けたのではなく勝ち進めなかった。
まずは卓球と関係無いが、当時自分がハマっていたお笑いについての話から書く。たぶんそうしないと正しく話が伝わらないだろう。
当時の自分はお笑いにハマっていて、友達同士で漫才のマネごとなどをして、仲間内でウケてるのをいいことに自分にはお笑いの才能があると信じ込んでいた。
やってる事自体は、TVに出ていた芸人の劣化コピーだったりツギハギだったりするのだが、よくある知人がやってると何故か面白く感じるというやつである。
普段何気なく会話したりしているやつがいきなり上半身を脱ぎだして奇声を上げて踊りだしたりすると、ネタがどうとかじゃなくそれだけで笑ってくれるわけである。
身内の間ですこぶるウケていたのは、当然だったかもしれない。
そんなんだから高1のときの文化祭の出し物でコントをすることになった。
内容はレストランの客とボーイだった。情緒不安定なボーイが客をおちょくったり怒ったり泣いたりして揺さぶる感じのネタだった。
リハーサルでは知人などは爆笑してくれて、中には涙まで流す人が出ていたのだが、あとから考えるとあれだけ内輪ネタに偏らせていれば、彼ら彼女らに笑ってもらえたのは当然だった。
大勢の前でやるのは初めてだったという言い訳もできるかもしれないけど、率直に言ってそのコントは面白くなかった。
地獄の5分間だった。
やったという事実は憶えているが、舞台の上での記憶はほぼない。とにかく一生懸命演じれば笑ってもらえるかもしれないという、希望にすがりついてボーイを演じていたような気がするが、記憶は曖昧である。
それから月日は流れた。
そんなコントだだすべり事件も笑い草になった高校2年のころ、最弱部だったうちの卓球部が県内のベスト4進出を果たした。
コントだだすべり事件の影響かは知らないが、自分も卓球に打ち込む意気込みが大きくなっていたし、着実にうまくなっている実感はあった。
そしてあんなすべりをした自分は、お笑いを嫌いになったかというと、そんなことはなく、前以上にお笑いにものめり込んでいた。
お笑い番組をビデオ録画したり、隣の県にライブが来ると行ったり。それなりのお笑いファンになっていた。
ベスト4になるとチラホラと選手の家族などが、観客が増え始めるのである。去年ベスト16敗退していたときに勉強目的として他校のしあいの見学を部のみんなで見に行っていた。
あの観客の中でひと笑いをおこせたのなら、あの文化祭での地獄の5分間を克服できるのではないかと。
むしろあの5分間は明日の大衆の前でのお笑いパフォーマンスをするための布石だったのではないかと。
そう、思いついた。いや、そういう妄想に取りつかれていた。
試合を待っている間生きている心地がしなかった。心臓は早鐘のようになって、全身の血は沸騰しそうで、軽い吐き気さえ感じていた。
卓球台の前につくと、ひっそりと持ち込んでた貝印のカミソリを取り出し、ズボンの中に手を突っ込んで、右のきんたまを切り落とした。
手を突っ込んだ瞬間観客から軽いざわめき。ピンクのぷるぷるした血まみれの物体を握った手が引き出されると、何人かの絶叫が響いていた。
激痛で気が狂いそうな中、必死に打ち出したきんたまサーブは自分の陣地にぶつかりバウンドすることなく、じっと卓球台の上に張り付いて、ぷるぷるしていた。
きんたま切断事件は、周りのフォローでなんとなく切腹未遂事件として扱われるようになっていた。
実際あの場所にいた人たちも刃物で腹の付近をゴソゴソやって血まみれになった、くらいの認識しかなかっただろうし。なによりきんたまを切ってサーブしたという話は誰も信じないだろう。
カウンセラーや親、教員などに、「笑ってもらいたくてやった」と繰り返し説明していたが、普通ではない、笑ってもらいたくて自分の体を切除するやつなどこの世にいない、他に本当の理由があるだろう。
などと言われて、話が通じなかった。
結局受験のプレッシャーに耐えきれなくて自傷行為に及んだ。ということになっている。
実際自分は友人関係も良好だったし当時は彼女もいた。自傷行為をするような原因など微塵もなかったので、なんとなく誰にでも当てはまりそうな「受験」が原因。ということで話は落ち着いた。
そして、いつしか自分でもそれが本当の理由なんじゃないかと思うようになっていった。
でも確かに当時の自分は、真剣に誰かに笑ってもらいたかったんだと、その気持はどこかに書き残しておいたほうがいいんじゃないかと。そう思って書いてみました。
発達障害とうつ病、その他もろもろの精神系の病気で精神障害者保健福祉手帳2級を持っている。
手帳を取得した時は病状がかなり悪かったため2級と下されたが、今は一人暮らしで自炊もして日中散歩に出られる程度には回復している。
私は仕事を始めても決められた時間に職場に行けない、朝弱くて遅刻気味、欠勤を繰り返してしまうなどで一つの職場に定着することが難しく、職を転々としてきた。
今回それらの障害を克服したい、手帳を使って障害者雇用で働けるなら働きたいと思い、地域の障害者向け職業センターを利用することにした。
職業センターではまず「適職を考えてみましょう」と、一週間の職業評価を受けることになった。
一週間決められた時間にセンターに通い、半日程度事務作業をするというものだった。
しかし、私はこの職業評価を一日行っただけで辞退してしまった。他の利用者を見て、正直ショックを受けてしまった。
「ここに座って待機してください」が理解できないのか、別の部屋に行ってしまう人。
服装はオフィスカジュアル指定なのに、パーカーにデニムに裸足にスニーカー、ボサボサの髪にすっぴんの人。
声が不自然に大きな人。
みんな様々な困難を抱えて、それでも社会に適応したくて来ているのはわかっている。私もその一人だ。
でも、周りの障害者を見たらしんどくなってしまった。私も障害者として世間からこのように見えているのだろうかと考えてしまった。そう感じる自分は最悪だとも思った。
ただ思ってしまったことは事実なので、担当のカウンセラーにほぼ正直に伝え、辞退した。
周囲のことなど気にせずに自分のやるべきことをするべきだったのに、なぜ同じ障害を持った人を否定、拒否してしまったんだろう。
金貰ってもいないのにカウンセラーなんぞやんねぇぞならそのままお伝えすれば
「傾聴」は英語で「active hearing」または「attentive hearing」です。「active hearing」は臨床心理学で「積極的傾聴」と呼ばれ、アメリカの心理学者カール・ロジャースが提唱した手法として知られています。
「共感的理解」とは「相手の視点、相手の立場に立ち、相手の気持ちや話の内容に共感しながら聴き入れることです。「共感する」という行いは相手にとって「話を聴いてくれている」「認めてくれている」という安心感を与えてくれます。
「無条件の肯定的関心」とは、聴き手の私的な感情を取っ払い、無条件で肯定的に話を聴くことです。たとえ、話の内容に誤りや間違いがあっても、また社会的に反する内容であっても、否定をせず関心を持って聴く技法です。
「自己一致」とは、聴き手自身の感情や意見も尊重し、相手の話で理解できない点がある時は内容を確認しながら、真摯な姿勢で話を聴いていくという技法です。分からない点をそのまま置き去りしてしまうと、相手に「私の話はそれほど重要ではない」と誤解を招いてしまうこともあるでしょう。質問と答えを確認する行程が加わりますが、相互理解はお互いに安心感を与えてくれます。
引きこもりというか親へのカモフラージュのために家からは出ていたので実際は引きこもりというよりただの学校をサボったクズ大学生の話なのだが、まあ書く。
実家暮らし、私大(理系)。偏差値は全国レベルだとそこそこ高いと思っている。
今年、大学2年の春から半年学校をサボった。学校に一回も行かなかった。かろうじて必修のみ履修申告はしてしまったので単位は全落ち。GPAはやばい事になった。
サークル関連のことでちょっと嫌になったらぐずぐずと半年も学校に行かなかった。ちなみにサークル関連の件も私のコミニュケーション不足のせいであり10割こちらが悪い案件である。
バイトだけはかろうじてしていた。辞める勇気が無かっただけである。週2程度だったけど今思うと寝てるんじゃなくて稼げばよかったなと思う。
ぶっちゃけ6月くらいからまずいなと思っていたけど、これから行ってもどうせ単位落ちるし行きたくねーとか思っていたら気づいたら夏休みだった。
8月のある日、もし退学になったらどうしようと思い学生課に相談に行った。留年する気満々で相談に行ったら、後期から頑張れば4年で卒業できるから頑張れと言われてしまった。留年したらサークルのメンツと会わなくていいからヒャッホイとか思っていたので残念に思った。
いわゆるカウンセラーを利用するような落ちぶれた人間になりたくなかったのだがあれよあれよと利用してしまった。もう使いたくない。ただすごくいい人たちだったので感謝はしている。
(これがよくない思考だとは分かっている。もっとガンガン使うべきなのだということも分かってはいる。)
で、後期から何食わぬ顔で登校した。一年の時とか仲良くしていた友達とかいたんだけど私を見て驚いてくれて、引きこもってたの超ウケるでしょと言ったら超笑ってくれた。うれしかった。こういうとき一番困るのがいわゆる腫れ物に触れるような扱いであるよね。しばらくは私は元引きこもりのヤバイやつでいじってくれた。うれしい限りである。
ちなみにサークルは正式に辞めて、元のメンバーとは残念ながら一言も話せていない。そこは引っかかっているところである。ただ次まともに話す機会があるとすれば4年になって研究室に入ってからなので、そこまで時間がたてば業務連絡くらいはできるくらい風化しているだろうと信じている。
今は無事後期も終えての春休みである。ちなみにこんな感じで人間関係めちゃめちゃなので、勉強だけがアイデンティティだと思ってめっちゃ勉強した。過去最高にいい成績を取った。
今になって思うことは、まずこんな感じになったのが大学生でよかったということである。中学高校レベルの閉鎖空間じゃ半年いないとかとんだ有名人で絶対このまま引きこもって卒業コースだった。大学じゃ同じ学科に何百人もいるから一人くらいこんなことになったところで近しい人以外は全然気づかない。ぬるっと復帰できてうれしい限りである。
あと大学じゃ割とお勉強ができる方だという自負はあるんですけど(順位とか出るわけじゃないし実際のほどは知らない)、だから現在お勉強をアイデンティティに生きていられている。大学院外部受験しよう。
急性扁桃炎になって、熱が出てつらい。
グチの吐き出し。
今年度だけでもう6回目。毎回39℃の熱と喉の痛みと寒気が酷い。これだけ頻発すると、手術で扁桃腺を取ることもあるらしい。
若い頃は全く気にならなかったけど、会社休んで病気で苦しんでると妙に不安になったり孤独感感じる。
自分だけが独りぼっちの真っ暗な世界でひたすら苦しんでるような感じ。嫁と子供が帰ってきたら少しは楽。
嫁に「熱もつらいけど、寂しい」と言ったら軽く笑われた。
来週は、月曜から金曜まで会社全く休めないんだよなあ。扁桃炎じゃなくて、インフルエンザだったら、「すみません、インフルでした」って言えて逆に気が楽だったのに。
メンタルでの休職歴があって今年から少し無理言って異動させてもらっておきながらいきなり健康面で迷惑かけるという感じになると、この先ずっと大丈夫なのかもの凄く不安になる。ただのネガティブな妄想なのは承知だけど。
病気になると、メンタルが不安定になる。カウンセラーによると、子供の頃に病気になった時に愛情を注がれてなかったから、その体験が長期的なトラウマになっているのではないかとのこと。
確かに、子供の頃熱出して学校休んでも看病は同居していた祖父の役目だったし、共働きの両親にあまり構ってもらった記憶がない。
ヤバいことになった。
なんかさ、俺の義弟が急に「息子の目の前で彼のPS4をぶっ壊す」とか言い出したわけ。
学校(甥はまだ12歳なのだが)で2科目落としたことに対する躾のつもりらしい。
なんでも、躾目的に子どもの目の前でゲーム機をぶっ壊して、その反応を動画に撮ってアップするのが Youtube ではやってて(世も末だ)、それを観ておもいついたのだそう(世も末だ)。
俺は妹夫婦をなんども説得しようとした。
それだけはやめろ、と。売るなり隠すなりすればいいだけだろう。
そんなアホな真似だけはやめてくれ。
だが一向に聞き入れてくれない。そこで俺は甥に直接バラすことにした。
彼の親が何をするにせよ、過剰な反応を見せるのは思いとどまるよう諭した。
ただ失望だけを示せ、と。あるいは何か別の、彼らに後ろめたさを催させるような反応なら何でも良い。
次の学年に上がったら、俺がおニューのPS4を買ってやる。そこは心配しなくていい。だが、バカな親どもに罪悪感というものを味わわせてやれ。
そう教えた。
そして先週、その日がやってきた。
義弟はおバカ友だちと甥を椅子に縛り付け、笑ったり叫んだりしながらバットでPS4を破壊するさまを録画しだした。
甥は虚ろな顔のまま、微動だにしなかった。ときどき何かをささやいたり、笑ったりした。
次第に不審に思った義弟は破壊行為を中断して騒がしい友だちを黙らせ、息子にこう問いかけた。
「なんだ? なにがおかしい?」
甥は言った。
「父さんはぼくに恥をかかせた。ぼくのモノを取り上げて、みんなの前で恥をかかせた。倒産はぼくより体も大きくて強い……でも誰だって寝ているあいだは無防備だ……これが終わったら、ぼくは父さんたちの寝室に入って、考えるべきことを考えるよ」
甥は一週間かけてこの口上を用意していたのだ。そしてこのときをずっと待ち構えていたのだ。
彼の芝居はちょうとどうかと思うくらい恐ろしく、俺自身言葉を失っていた。誰もがショックを受けていた。
正気に戻った俺は「みんな、よくやった! いい躾だった」と大声で閉幕宣言を出した。
その後、甥と話す機会があった。「おじさんから前もって教えてもらってたってことは誰にも言わないよ」と彼はいった。
曰く、両親への復讐に出るつもりはまったくなくて、ただ俺から提案されたように、父親を躾返したかっただけらしい。
で、現状どうなったかというと……。
恐れおののいた妹は心理カウンセラーの予約を取った。夫婦の寝室に夜通し鍵をかけるようなった。家庭崩壊の危機ってやつだな。
よくないことをやってるのはわかってる。妹夫婦に全部白状すべきなんじゃないかとも思う。
でも、正直な話、この件の顛末がどうなるかを見たくてたまらないんだ。
https://twitter.com/BathysphereHat/status/1213662560433692672