はてなキーワード: 過激派とは
私は絵描きだ。
こんなこと言ったら顰蹙を買うかもしれないけど、私は小説書きとは仲良くなりたくない。
というか、
・すり寄って絵描きと仲良くなるばかりで、絵描きが寄ってこない字書き
とは、仲良くなりたくない。
1、絵描きが自然と寄っていき、絵描きと当たり前に会話がある字書き
2、絵描きにすり寄ることで絵描きのフォロワーはそれなりにいるが、絵描きとの会話がほとんどない字書き
だ。
私は1の人たちは大好きだ。
会話の仕方がスマートで、絵描きに対する変なコンプレックスもない。
上から目線なこともないし、何より失礼なことをしでかすことがまずない。
けれど、2と3の字書きは正直無理だ。
私が関わった人たちがそうだっただけかもしれないけれど、彼らは私に対してこんなことをしでかした。
・表紙を依頼しておいて、詳細がなにもない、言っていたこと二転三転当たり前、謝礼や献本もなし
・謎の上から目線で教えたがりや斜め上の会話が多い
・何故か学歴自慢はじめる人が多い
・ちょっとの当たり障りのない会話で仲良くなったと勘違いして距離なしになる
・イベント会場で優しく対応をしていると親しくなったと勘違いしてタメ口を使いはじめる
・同年代、年下と分かるやいなや「タメ口でいいよ」と宣いはじめる
・その時にすり寄っている絵描きによって、過激派にもなり穏健派にもなる
・絵描きの友達が多いアピールや大手ぶる(1タイプの方に比べて明らかに部数も少ないのに)
これが一人や二人じゃないから質が悪い。
私は小説が好きだ。イベントで小説本を優先して買うくらいには小説が好きだ。
けれど、好意的だからこそ、2、3タイプの字書きの高尚ツイやクソリプ、すり寄りや常識の無さには辟易する。
お前らのせいで私の大好きな1タイプの小説書きさんが割りを食うんだよと思う。
1のタイプの小説書きさんは人柄もよく、失礼なこともせず、過剰なほどお礼をしてくれ、それなのに変に卑屈なところはなく対等に友人として接してくれるのに。
鍵ついててフォロー返してから、2、3タイプと知って絶望ってパターン、ほんと泣きたくなる。
ツイート見たらわかるんだよ。
鍵なしの人はそうやって選別できるのに鍵有りは選別できないのがほんとつらい。
もう字書きはいっそ親しくしないと決めた方が楽な気すらしてきた。
まともな小説書きさんごめんなさい。
でも、2、3タイプは自分のことを貴方たちみたいなまともな小説書きだと思ってる厚顔無恥な人種だから、私はこれからは小説書きからは離れようと思う。
要は「公安監視対象」のことを言ってるんだけど、それを表に出すと左右どっちも都合悪いから言わないだけだろ。
「内外情勢の回顧と展望」に出てくるような団体への監視を強めて予防拘禁しますよ、というだけの話。
オウム、過激派(革マル派、中核派、革労協等)、反基地・反原発、共産党・SEALDs、街宣右翼、在特会、朝鮮総連みたいな団体に参加してなかったら、
わざわざ公安が日常会話を監視するリソースを割けるわけがない。公安にはそこまでのカネも人もいない。
だからいわゆる「一般人」がいきなり拘束されるようなことはなくて、思想やアイデンティティが変な方向に行ってしまった自称「一般人」が、
PTA集まりの日に仕事休めないっていったら、「みんなやってきたことなのになんでできないんだ」だって。
役員なら仕事を休むの当たり前だろと。みんなやってきたと。じゃあ役員なんでなったんだ、できないならなるなって。
職場に今日PTAの役員会議がありまして、休ましてくださいっていったらクビにされそうな空気理解してくれよ
死にそう
安倍さんなんとかしてよ
なんで仕事休んでまでしないといけないの
パートか専業主婦とかある程度時間とれるひと以外絶対無理じゃん
誰でもできるとか、無理しなくていいとかいったやつ誰だよ
っていうか仕事休んでまでやらないといけないPTAの集まりの仕事、なんなんだよ
内職かって
プリントの誤字脱字チェックとかプリント作るとか掃除とか本来学校の仕事だろうがよ
学校がちゃんと国なり公的機関に申請して金出してもらうのが提だろうが
校長なにやってんだよ
っていうかそもそもPTA会費って何に使われてるんだよ
なんで全校生徒から年間3000円位あつめてたら、
全生徒で年間150万くらいあるんじゃないの
それでベンチ何台買えるんだよ
なんで父母が苦労して学校用品買いそろえてんの
おかしすぎるだろ
なにこれ異常すぎ
普通にまかりとおってきてることがすごい
ここまでやっても逆にお金払わないといけない始末
みんなしたくないんだろうがよ
制度見直せよ
そんで集まってするのは「夏祭りどうする?」
もうLINEでいいわそんなこと
クライアントぶちってそんなこと
夏祭りどうとかこうとか
話しに行く社会人いたら怖いわ
電話でいいわ
学校にいいように使われてるだけ
どれだけ大変だと思ってるんだよ
みんなおんなじ仕事じゃないんだよ
みんな平日休めるわけじゃないんだよ
国もそろそろ動いてよ
働きながら子育てなんてできない助けてよ
っていうかみんなPTAの役員なんかやりたくないから、押し付け合ってるんでしょ
こんなみんながいやがる集まりに
なんの意味があるの
だれがみてもやってる内容なんて
非合理的にもほどがあるでしょ
やらないやつを批判する
みんなやってきたことだからって、
平成終わるかもってのに
時代が違うんだよ
みんな働いているんだよ
それでベルマーク集めとか
ベンチなんかいらんわ
もういらないでしょ
時代にあってねーよ
PTAなくなれ、
なくしてくれ
もういやすべてをやめたいわ
4/20誤字修正
http://anond.hatelabo.jp/20170420011316
ライブドアニュースにまで掲載されててちょっと自分でも引いている。
twitter、facebookバズってる。ただの愚痴だったんですが騒がしてすいません。
ママ友等人づてに聞いたPTA活動の情報もあります。誤認があったらご了承を。
PTA活動に対しては賛否両論。もしでも同じような悩みや不満があるひとの代弁になれたら。
誤解とかされる部分や、PTAに対する不満や悩みがあるので、追記する。
「仕事やめたら?変えたら?」とかいろいろ意見あり。みんなで協力する仕事だから、一人へると他メンバーの負担が増える。あまり好きに休みの希望をだせるような環境じゃない。
っていうかPTAのために仕事を変えないといけないのか、がまず疑問。
病気で休みますって言ったら休みなよ!って言ってくれるだろうけど、PTAって言ったら「どうしても、日中じゃないと無理?」っていうのが職場の本音だと思う。
毎月平日、繁忙期。その職場のひとにも子供がいる。わたしが抜けた分、みんなの負担が増えて、残業も増えるかもしれない。わたしだけPTAだし休ませて、って言いにくい。
世の中に3日後PTAで休みます、有給使いますっていってすんなり休める職業がどれくらいいるんだ?それは職場や立場や役割によって、やっぱり違うわけで。日本って有給とれるところもあるけど、とれないところもまだまだたくさんある。でも職業によっては、やっぱり難しいと思う。
自営業、教職、医療職、職場でも指導する立場、管理職、一人しかいないポジションの仕事とか、お客との打ち合わせもろもろ・・その役割の代わりがきかない日とか時間帯とか役割ってある。
今回でいろいろ調べてPTAが退会できること、加入は任意であることを知った。学校とはまったく関係ない違う団体であることも。PTAって学校の一部と思ってたけど、正式には普通の任意加入ボランティア団体。
今PTAやめたら100%ボロカスに言われだろう。怖いのは、子どもがその標的になること。ママ友間のトラブルは子どもを巻き込むことだってある。だから人間関係が絡んで、PTA無理→すぐ退会っていうわけにもいかない。
一回ママ友トラブルで、子どもがモロに標的になったのを間近で見た。過激派なんてどこでもいる、ママ友の中にもいる。注意しないといけないのはそういうひとって弱いものを狙うから。だからいやです、やめます、がすぐ通用できない。うまく付き合いざるおえない。
入学当初は「PTAに入らないと行事とか参加できないことがある」みたいに聞いてたから、絶対入るもんだ、って思ってた。きっとそういうパパママ多いと思う。入らないと子どもが学校で教育を受けられない、みたいに言われたらそら誰もが参加する。PTA入らないと学校教育受けさせないぞって今思えば子ども人質の脅し。
おまけに役員とかの免除申請に介護とか仕事、ひとり親は理由として許されない。うちはPTAの規約で決まってる。免除してほしいなら、会員全員の前でその理由を言わないといけない。さらしもんみたいに。で、全員に承諾を得る。その時の異様な雰囲気ったら、まるで公開処刑みたいだ。
確かにみんな同じ仕事。でもその人一人で生計を立てている「仕事」と、パートタイマーでちょっと生活の足しにするための「仕事」では、その家庭にとっての「重み」が違う。みんな仕事は一緒っていうけど、その中身や責任の大きさや役割は違う。
もうPTAって狂信カルトレベル。人の生活に必要なものまで支障をきたすんだから、すでにボランティア団体ではない。そうなる原因はやっぱり、強制力だろうと思う。集団心理だね、したくないのにやらされる。次はお前がやれよ、理由とか関係ねーよ、ってなる。参加する・しないの「選択肢」がない。これが保護者のストレスになるし、人間関係にも影響する。
PTAは組織として任意団体であることをもっと正しくしっかり説明してほしい。
団体としてそこが一番問題。上がおかしいから下が苦労するんだ。
http://www.asahi.com/articles/ASJ4D32GHJ4DUTIL007.html
通ってる学校がPTA会費を何に使ってるかはもちろん知ってる。気になってるのはPTAより上のPTA協議会。実はPTA会費はPTA協議会という団体にも徴収されるらしいんだけど、その会計報告の内容が理解できない。旅費で何十万とか、広報のコンクールや大会とかで何十万とか、、。協議会の役員の報酬は50万、賞与5倍なんて情報もあった。
ちょ、そんな経費いらなくね?何を協議してんだか知らないんだけど。
それはちょっとhttp://anond.hatelabo.jp/20170420011316にも書いた。日本PTA協議会なんか会計からみても1億以上のお金が動いているが、何に使っているか、サイトからだけではよくわからない。ひとつ言えるのは、一般人にわかりにくくしているんだろう。詳細は見えないようにしている。
おまけにPTA協議会は問い合わせ先がない。頻繁に会議はしているみたいだけど、実態はあるのかないのかわからない。お金回収してるのに問い合わせできないって、たぶん日本ではPTAとオレオレ詐欺くらい。
ある雑誌の記事では、PTA協議会のお金の使い方に懇親会にコンパニオンがきたり、高価なホテルでの交流会等、派手なお金使いについて指摘している。https://dot.asahi.com/wa/2017040700040.html?page=2
事実なら本気で腹立つ。
一部はPTA会費の徴収によるお金。そこに使ってる金をもっと見直せば、いろんな問題がなんとかなるはずじゃないの。教育に使うお金がないんじゃなくて、誰かが無駄遣いしてるんだと思うけど、違う?
保護者の多くがPTAをなぜ負担に思って、「いやなもの」として捉えるのか。
昭和時代は子ども多い、だから保護者も多い、専業主婦多いで、PTAのマンパワーは強かった。子どもの数がピークより半数くらいになった現代、保護者の数も半数くらいになっているわけで。
保護者数が減ってるのに、ほとんどの世帯ががっつりな共働き世帯になったから、PTAのマンパワーが弱くなってる。だけど時代や保護者の状況が変わっても、PTAの役割自体はそんなに変わってない。だからPTA役員と会員の各家庭の負担はさらに大きくなる一方。
「みんなやってきたこと」のキメ台詞でもみ消されるけど、その「やってきたこと」が今の「時代」に本当に現代必要なのかって言ったら、すべてがそうとはいえない。PTAに関しては。
人口や保護者の状況を鑑みても、実際PTAの負担は昔と比べて大きくなってると思う。
PTAって学校のお手伝いサークル、みたいに捉えてるひと、いますか?わたしはそう思ってた。
たぶん趣旨すら知らないで、お手伝いサークルと思って、しぶしぶ参加しているママパパが多いんじゃないだろうか。
でも実際は違う。PTAの本来の目的は親と学校が協力して社会教育をすることらしい。その時代にあった教育を親と学校が模索して開拓してきた歴史があるらしい。。
それだったら子ども食堂とか、そういった活動のほうがこの時代の「社会教育」によっぽど理にかなってる。あれこそ現代の親と学校が埋められない教育の穴を埋める、重要な「社会教育」だと思うから。
それと比較して、PTAの活動。学校内の掃除とかベルマークとか社会教育の一環じゃない気がして仕方ない。そんなこと言い出したら、窓ふきだってPTAの役割になる。掃除とか家でも自分の部屋の掃除自分でやれってこどもに教育しないのか?
PTAは、国が用意できない教育産業の労働力を、PTAの保護者が「子どものため」っていう善意で押し付けられて担っているだけにすぎない。
雑用係じゃない。
個人情報や権利がうたわれる中、学校は率先してPTAが任意団体であることを説明したがらない。
保護者に無償で、いやむしろ会費を徴収して働いてもらわないと、教育ができないし必要用品を購入できない。
「子どものため」っていう言葉は親をどうにでもできる魔法の言葉。
やらざる終えなくなる異常な状況は、親の善意に付け込むオレオレ詐欺と仕組みはかわらん。
でもPTAはよくわからないことにお金使ってるから、腹立つ。で、無償労働つき、ここは奴隷地区か。
今のPTAは「子どものための社会教育」じゃない。「保護者の無償労働団体」みたいなもん。
本当に子どものためって実感できる団体なら、誰からも不満はでない。
日本PTA協議会の会長は、PTA委員の負担について「協力し合えばなんとかなる」って言ってる。
そうなってるなら、こんなにネット上に不満や裁判の情報、あがらないでしょ。
とかいう考えや不満を自分の小学校でそんなことダイレクトに言ったら、みんなにボコボコにされると思うので、怖くていえません。
誰か挙手して言ってくれ。
もう仕事やめようかな、いやでもこれから子どもにお金もかかるし無茶な行動できない。体ふたつほしいドラえも-ん。
PTAの役割をしたくないっていうより、生活に最低限必要な収入源である仕事や、またその職場に負担かけてまで、PTAってしないといけないことなのか、ってことが腑に落ちてない。
もちろん有給とれるべきって意見あるけど、とれる環境じゃないし、時期によって繁忙期とかあるから。なんともいえない。
はっきり言ってわたしは天秤にかけたらPTAより仕事が大事で、正直仕事を選びたい。だって生活の源だから。
だからPTAはやらないってのか!って反感買うだろうけど、じゃあそのPTAの活動すべては子どもの教育にどれだけ必要に応じたなものなのか、示してほしい。たぶんそれを説明できるひとは少ない。同時に仕事は私を養ってくれるが、PTAはそうではない。
もうPTAなんて趣旨にあった機能はしていない。今の在り方を廃止して、改善してほしい。
職場が休めないって問題もあるけど、そもそもPTAの活動そのものが、必要かって前提で。PTA協議会なくなって困るひといたら何人くらいいるのか教えて。
入会のときの脅しも意味不明、PTA協議会とか会費の使い道も意味不明。PTA広報コンクールにPTA会費から予算何十万って、誰がそのコンクール見たいと思う?どの広報が一番いいか、なんて大人の能力争いで、子どもの教育関係ね-。
PTAの親の協力ないと学校教育できないって、じゃあ親は半分職員化してるんだから、PTA活動に対して賃金があってもいい。税金とか会費とかなんのためにあるのさ。
もし小学生の子どもがいる家庭にも時短が取りやすい制度があったり、PTAとかの学校行事はどんなことがあっても絶対休ませなければならない、みたいな、もう少し踏み込んだ育児支援的な法律あったら、喜んで受けるけど、世の中ってそうじゃないから。小学生ってまだ手にかかる子ども。ワーママにもっと行事参加すべきっていう意見が強いなら、親が働きながらと子どもの教育や学校に関われる制度を作ってほしい。
・PTA参加しない=悪
の世の中の風潮が、時代にあってない。
女性は働けとかやっぱり休めとか、あぁ意味わからん。どっちかにして。日本人やめたい。
ってまとめて言いたいのはやっぱり、
PTAってほんといるのかこれ。
PTAなくなればいいのに。
協議会って1億とか掛けてなに協議してんだ。報酬50万くらい設定して協議した結果がこれですか。
貸借対照表っていうのが読めない。詳しく読めるひといたら、この内容について教えて。
http://www.nippon-pta.or.jp/about/rkra7f0000000f8z-att/6b17e1c5da23905fc786dadeed7099e1.pdf
都道府県のPTA協議会なんか旅費50万とか、いや、あちこちいかなくていいから地元で働こ。
で下っ端の各小学校PTAは役割なすりつけ合い。おーい。なんでやねん。
コンクールも研究発表会も、何百万もかけてしなくていいから、登下校時だけパトロールのおばちゃん雇ってくれ。
PTA会員の負担減る。子ども安全守れる。定年のおばちゃん、儲かる!WIN WIN WIN!
あぁ何回考え直しても今のPTAっていらない。
古くてトラブルが増えてきた家は、一回つぶして立て直したほうがいいじゃない。
PTAも古い家と同じ。つぶれろ、今すぐ。立て直せ。古い家も立て直したら頭の黒いねずみだって、でていくさ。
「もうここには住んでられない!」って。
Permalink | 記事への反応(15) | 04:49
嫌なら嫌で問題ないし見なければいいよと思うが、何故キャストに直接攻撃いくのかわからない。
不満をぶつける先は公式ではないの?
勿論見た目が気に入らないとかその役者が好きじゃないとかはあるだろうけれど、それを本人に悪意を持って伝える必要ある?
その役者にもファンがいるのに、わざわざ見えるとこで落ち度もないのに叩く意味がわからない。
一部の過激派だけだろうけれど、目立つ位派手に攻撃したりするからこのジャンル民度低いって思われるんだよ。
あと、原作ファンが「役者ファンが舞台直前にちょっとそのジャンル調べて舞台見にくるの許せない。にわかが見にくるな」とか言ってるの笑える。
声優にやらせろ派も多いけど、見目は特に麗しくないキャラクターにも似てないおっさん達にやらせて何が面白いの?
声優にやらせる意味は?見た目に拘らないならそういう舞台でなく目をつぶって聞けばいい朗読劇とかでよくない?
好きじゃなければ気にいらなければ、ジャンル衰退防ぐためにもまあ頑張って新たなファン呼び込んで私はいかないけれど、って無視したらいいのに。
ファンてめんどくさい生き物だな。
メスケモ派、オスケモ派にはじまり、マッチョ派、モフモフ派、デブ派、ショタ派(なぜかロリはほとんど見ない)、モンスター派(極左人外連)、トランスファー帝国、肥大化公国、融合辺境伯領、ロイヤル竜奇兵連(ドラゴナーズ)、爬虫人類委員会(レプタリアンズ)、キグルミ派、母性探求派、海生動物会議(「海の人々」)、四ツ足派だけどズーフィリアじゃないもん派(愛ケモ主義的極右)、丸呑みだけが人生だ派、卵胎生出産教会、インターレイシャル(人×ケモ)派、反インターレイシャル派……
「天はケモナーの上にケモナーを造らず、ただし、ケモナーの横には無限のケモナーを造った」
産業革命以降の通信技術の発達は、孤独だったケモナーたちに「同好の士」を発見する機会を与え、ファンダムの拡大に成功したものの、
同時に細かな嗜好の違いによる派閥間対立をも生じさせ、その軋轢がついに二度に渡る世界大戦の引き金となったことは今更説明するまでもないだろう。
そうした争いは近年まで衰えることなく続き、いつしかケモナーたちは「派閥が違えば殺し合って当然」という野蛮な虐殺言語を所与のものとして生きるようになっていた……。
私もそうだった。
私もある狭い派閥こそ唯一かつ至高と信じ、他者の排除や差別によって所属派閥への帰属意識を高めていった。
派閥の意志に叶うと思えば、喜んで我が手を血に染めてきたし、かつての友人たちをためらいなく2chに晒した。
なかでもいっそう劣悪とされ、他のありとあらゆる派閥から敵視されていたのが「ケモミミスト」である。
サイバー=コネクトツー・スペクトラムでいうところの「レベル2」。
「ニンゲンの身体に、ケモミミ(としっぽ)がついてさえいればよい」とする日和見主義的邪教徒たちだ。
彼らにはケモコミュニティ内において最初から人権など与えられてこなかった。
なので、ふだんは「一般人」に紛れて潜んでいたのだが、ときおり何かの間違いで何も知らない”レベル2”がケモコミュニティに迷い込んでくることがあった。
多くの場合、彼らは痕跡も残さずにコミュニティから「除去」された。
中道過激派の秘密ケモナー警察のあいだで流行ったジョークにこんなものがある。
「”レベル9"(いわゆる真性の獣姦嗜好)はケモナー以上に進化してしまったケモナーだ。だから畏敬をもって殺す。
”レベル2”はケモナーになれなかったケモナーだ。だから哀れみをもって殺す」
私も彼らを憎んだ。
でじ子の肖像を何枚も焼いたし、それ以上におぞましいこともやった。
現代のケモナー社会は、あらゆるケモナーには自分自身と同胞である他のケモナーの「性欲」を認め、尊重することができる能力、そして性的志向の善し悪しについて自ら判断する能力があるというフマニスト的前提をもって、各人に普遍的ケモナー権を付与しようとしてきた。
一見それは理性的で合理的、かつ人道的な判断基準なように思える。
だが、人は他者の良い面よりも悪い面を重視する傾向にあるようである。それが上記のような派閥争いとケモミミスト蔑視の引き金となったのである。
だが忘れもしない2017年の某日。
私は『けものフレンズ』を観た。
もちろん、観る前は”レベル2”だと貶していた。
しかし、一種の社会現象となるにつれ、そして「一般人」たちがけもフレを「ケモナー」と結びつける言説を多く弄するになるようにつれ、私は「世間の無理解を忠実バラなぬ」という一種の義憤から、けもフレを鑑賞したのである。
最初はなんと退屈でつまらなく、くだらないアニメだろうと思った。
だが、一話の終わりにさしかかったあたりから胸がざわめきはじめ、
画面にかじりつくようにして二話に没入し、三話を見終わるころにはすっかりフレンズたちに魅了されていた。
のみならず、こう思うようにさえなっていた。
「これは”われわれ”について語られた、”われわれ”のためのアニメである」と。
ケモナーは一般に受けいられる性的志向ではない。というか、世間的には性的志向ですらないと考えられがちだ。
同胞たちは自分たちの好きなものをカミングアウトできずに日々気持ちを圧し殺して生きている。
ファンダムとは、そうした「のけもの」たちを包摂するために存在するやさしいシェルターではなかったのか?
それがいつのまに、我々自身から「のけもの」を作り出し、排除し、殺し合い、差別するようになってしまったのか――
「姿かたちも十人十色だからこそ惹かれ合」い、「みんな自由に生きている」場所。
それこそが我々が最初に求めたファンダムのあるべき形ではなかったのか?
蒙が啓かれるとはまさにこのことだった。
私はいてもたってもいられなくなり、地下壕から出て地上へとあがった。
だが、つい先刻まで鳴り響いてはずの銃声や悲鳴はすっかり止んでいた。
地には戦車ではなく瓦礫の影で戯れる少年少女が、空には爆撃機ではなく大きな翼の鳥たちが遊んでいた。
まるで、あらゆる憎しみが「ぼくのフレンド」に包まれて溶けて消えてしまったのかように。
私はあてもなく、ただ何かにつきうごされるかのごとく歩いた。
そして、数分もしないうちに反対側の地下壕から出てきたであろう年老いた男と出くわした。
老人はあきらかに”レベル2”であった。
ふだんなら我々の姿を見て怯えて眼をそらすはずの彼らが、瞳に決意をたたえ、凛としてこちらを見据えている。
「きみも、観たのかね?」
そう老人は問うてきた。
私は無言で頷いた。
頭を傾げた途端に、一条の熱い何かが頬をつたい、顎からしずくとなって焼けた大地に滴った。
涙を流している、と自覚したのは、湿った点が地面に染み込んで数秒経ったころである。
「私は、私たちは」とうわずる声で私は言った。「許していただけるのでしょうか。あなたたちとフレンズになることは……できるのでしょうか?」
老人は痩せこけた顔に、穏やかな微笑を浮かべて応えた。
「笑おうじゃないか。ともに笑ってみよう。
そうとも、と老人は私の肩を叩いた。
ここが、われわれのジャパリパークなんだ。
われわれは『けものフレンズ』というサンドスターを通過して、今一度生まれ直したのだ。
本当の愛は、ここにあるのだよ。
日本の選挙において、経済的な格差というのが投票行動に影響を与えているようにあまり見えない。すなわち排外主義、財政大拡張、軍拡、警察拡張、ばらまき万歳な極右、極左政党、候補者があらわれ支持を伸ばすという欧米で起きている現象が起きていない。
維新の会、民主党政権、安倍政権、小池百合子をこういう現象にあてはめようとする論者も多数いるが、はっきりいって彼らの間に政策面での差異はほとんどないし、彼らが社会の分断を利用して支持を伸ばしているなんてことも全然ない。
では日本社会において、経済の発展や変化についていけずに見捨てられていった人々がいなかったかといえばそんなことは当然ない。では彼らはどこへ行ったのか。それは創価学会だ。創価学会は都市部において見捨てられ、コミュニティからはじき出された人々を吸収することで成長してきた。そして創価学会は彼ら見捨てられた人々を公明党を通じて穏健保守勢力に変換してきたといえる。これこそが日本社会が安定している最大の要因だ。
最も創価学会に批判的なジャーナリスト、例えば野田峯雄のような人たちが見積もったところによると、 2010 年代の日本においても創価学会員はおよそ 500 万人も存在しているという。これは日本の国政選挙における有効得票数がだいたい 5000 万とか 6000 万だとかいう数であることを考えると驚異的な数で、日本の政治勢力の 10% 近くを占めている。
創価学会がまとめあげている勢力の 30% が欧米のように過激派に参画し、残り 70% も公明党にまとめられることがないとすれば、トランプ現象のようなことを起こすことはできないまでも、ギリシャにおいて独立ギリシャ人が与党入りしたという現象ぐらいまでは起こせるだろう。
池田大作は創価学会こそが日本の背骨であり、自身は庶民の王者だなどとうそぶいていて、創価学会に批判的な人々からは厳しく批判されているところだが、はっきりいって客観的に見た限りそれは事実だ。創価学会こそが日本社会を底辺から支え安定させてきたし、池田大作は日本におけるもっとも偉大な宗教家であり、聖人の中の聖人だといえる。池田に批判的な人々は池田の思想は仏教とソクラテスから都合のいいところだけとってきたいい加減な思想だというが、それがなんだというのだ。ムハンマドの思想はユダヤ教のいい加減な解釈にすぎない。思想の内容が問題なのではなく、池田大作という偉大な個人こそが問題なのだ。
ここで問題となるのはなにか。それは池田大作自身がその事実を認識していなかったということである。池田は自身のことを宗教、政治ビジネスの天才と認識していても、偉大な宗教家とは思っていなかった。故に彼は大いなる過ちを犯した。彼は創価学会が成功したのは、選挙活動による成功体験を信者にあたえ、そしてそれによって得られる集票力を換金するというシステムがうまく回ってきたからだと認識していた。しかし実際には違う。創価学会員たちはシステムの一員なのではなく、個人の資格において池田大作という偉大なカリスマと繋がりをもつことによって精神的な安寧を得ていた。
池田はこの事実をうまく認識していなかったフシがある。というのも池田は自身の宗教帝国を息子たちに世襲させようと企んでいた。しかし池田は息子たち、すなわち城久や博正を鑑定するにおいて組織のリーダーとしての資質は厳しく鑑定したが、宗教家としての資質を重視していたということは全くない。池田はあくまで創価学会を詐欺的な政治ビジネスだと捉えていた。
もし池田大作が自身を聖者だと正しく認識できていれば、池田大作以後創価学会を正しくシステムとして回していくための方策をとることができただろう。しかしそうではなかったので、創価学会とは平等な個人が池田大作と精神的な繋がりをもっているだけの人間集団であって、組織たりえなかった。そしてその創価学会を放置したまま池田大作は倒れてしまった。
ここで池田博正が冷徹な組織の管理者として創価学会を大改革することができれば、それはそれで道はあっただろう。しかし池田博正は温厚かつ誠実な池田大作信者にすぎず、その大任を果たす意思も能力もなかった。
今はまだよい。惰性によって創価学会は続いている。公明党は穏健保守勢力として機能している。しかしカリスマ、池田大作亡き(亡きといっていいいだろう、生きてるんだろうけど)今、創価学会が機能を停止する日はすぐそこだ。そうなったとき、日本社会の見捨てられた人々を連帯させるものはなにもなくなり、その時はじめて日本社会は本当の極右、極左勢力というものを目にすることになる。
貴様許さんぞ
転載禁止とは書いてないけど
転載するだけならまだしも、お前○社と間接的に繋がっている癖によくもまあ「実況動画を見れば事足りる」なんて堂々と書きやがって…
はちまあああああああああああああ
JIiIiIiIiIIIiiiIiN
貴様らもかああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああ?!
私はとあるゲーム業界志望の学生の一人なんですが、日本の家庭用ゲーム機の市場が近年連続で縮小しているのが非常に心配なんです。
誤解のないように言うと「家庭用ゲーム機とスマホを合わせた市場規模」は毎年拡大してるので、PS4やニンテンドー3DSなどのゲーム機とゲームソフトの売り上げが下がっているわけですね。世界規模では現世代は家庭用ゲーム機の黄金時代とも呼べるほどの絶頂期で、それの影響で世界規模での日本のゲームソフトの売り上げも上がっているんですけど、日本国内での売り上げは下がる一方なんです。
ちなみに現世代の家庭用ゲーム機がどれぐらい盛り上がっているかというと、PS4の普及ペースがPS2と同等かそれ以上だというぐらいです。実質日本抜きのPS4の売上と、日本でもかなり売れたPS2の売上が同等なのですから、一定以上の年齢の方にはどれだけ海外でPS4が売れているのかがわかるかと思います。
テレビゲームに対する間口は昔と比べると格段に広くなっているはずなんです。
今ではプレイ動画、実況動画、ゲーム実況者、プロゲーマーを通して間接的にでもゲームを楽しんでいる人が格段に増えています。ゲーム実況者のタレント化やe-Sportsなどゲームの競技化が進んで、ゲームプレイは鑑賞に堪えうる娯楽になりました。そういったゲームのプレイ動画が売り上げに悪影響を及ぼすかというと、ゲームの種類にもよりますが全体的にみるとそうでもないです。英語圏の人数をなめてはいけません。
日本の家庭用ゲーム機の衰退をスマホゲームに原因を求めたい人もいるかもしれませんが、そんなこと言ったってスマホゲームが盛り上がっているのは日本だけではないです。世界で今一番大きいスマホゲーム市場は中国ですし、日本はアメリカに次いで世界三位の市場です。
何も既存のゲーム会社がスマホゲームで荒稼ぎしている国は日本だけではないのです。(中国での家庭用ゲーム機の市場はまだ数年前に始まったばかりですが)日本よりスマホゲーム市場が大きいはずの米国で据え置き機の衰退が起きないのはなぜなのかと。
まあ、一人当たりの月当たり平均課金額は米国1200円、中国2500円と比べて日本の3000円がダントツなんですけども。(しかも課金するプレイヤーは10人に1人と言われているので、日本の一割のプレイヤーが月に30000円払っていることに…)大抵の家庭用ゲーム機のゲーマーはスマホゲームも両方やっています。
最近ネット各所で嘆かれているゲーム会社・ソフトへのネガキャンだって日本特有の現象ではありません。やたらと日本のゲーム業界のネガキャンだけを憂えて海外を理想化する人はただの知ったかです。大抵のネガキャンは実際にはゲームを購入していない暇人による生産性のない悲しい行為にすぎません。叩かれたって売れるゲームは売れるもんです。
私が主張したいことを簡潔にまとめると、「ビデオゲーム産業とそれを取り巻くプレイヤー・環境の変化は世界(日本・米国・欧州)共通なのに、なぜ日本だけ家庭用ゲーム機の市場が縮小しているのか?」ということです。
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ああ…
ああああああああ
//追記
気になったいくつかのブコメに対していろいろとまとめる。
親世代になったゲーマーたち、テレビでゲームをしたくても家族を気にして独占しづらい。残業が続いて時間を確保できない。家に帰ってきてもテレビとゲーム機の電源をつける気力が残っていない。そもそも家にテレビがない。そう考えるとWiiUって日本のリビングを想定したハードだったんですかね~。
2.ソシャゲのガチャなどの方が他人とのコミュニケーションのネタにするのに向いているのでは?
廃課金、レア自慢などもツイッターでRT稼げる定番のネタですから、そういうのが嬉しい。SNSを前提とした仕様のテレビゲームも増えましたね。PS4にはスクショ・録画機能と実況機能ついてますし。ニンテンドースイッチにもシェアを前提とした機能が付く予定。SNS時代がソシャゲの人気を加速させていた可能性が…?
今だってリアルで写実的なゲームだけじゃなくて、昔ながらのドット絵やトゥーン調のゲームもいっぱいあるんですけどね…。こういう主張が出てくるということはむしろ届けるべき客層に情報、広告が行き届いていないのが問題なんじゃないでしょうか。これはユーザーにふさわしいゲームを届けられないゲームメディアの敗北ですね…
4.Steamについて
最近Steamにおける日本ユーザーの消費額は全体の1%だと発表されましたが、むしろPCゲーが壊滅的な日本のユーザーが世界市場で1%の存在感を示せただけで御の字じゃないでしょうか。
みんなもっとSteamやろうよ!1000円~2000円の安くておいしいゲームがいっぱいあるよ!
DSとPSPで育った客層がスマホに流れたという説。3DSに続いてニンテンドースイッチで日本の携帯機需要を満たせたらみんな幸せになれる…かもしれない。ちなみに日本で一番売れているゲームってポケモンなんですよね。FC以降の世代の売り上げランキングってほぼDSに集中してますし。
今世界的に売れているゲームってほとんど大人向けのものばかりで、海外のキッズって何で遊んでるんでしょうかね?日本のキッズはむしろ携帯機でゲーム遊んでるじゃんという見方もありますね。
昔と比べれば洋ゲーの売り上げは伸びてるんですけど、やっぱり食わず嫌いな人は多そうです。ゲームに限らず映画や音楽、書籍でも同じような感じありませんか?でも任天堂のゲームだって海外スタジオが作ったゲーム(マリカ7、ルイージマンション2)が沢山あるのに当然のようにミリオンヒットを叩き出しているのを見ると洋物に対するイメージって広告の問題な気がします。古い例ではPS1のクラッシュバンディクーとか。
8.欧米でもそろそろ衰退期が始まるのでは?
欧米の会社がコストかけて品質を高めても売り上げが上がるとは限りませんし。全世界のゲーム会社が高品質・低コストを目指してるんじゃないでしょうか?向こうでもゲーマーの世代交代が失敗する可能性もありますし。ゲームエンジン大手であるUnreal EngineのEpicGames Japanの中の人が「大型ゲームタイトルは今後減るのでノンゲーム需要を増やす」的なことを言っていてちょっと衝撃を受けました。それが日本のみを指すのか世界全体のことなのかははっきりとしませんが。
スマホ市場はさっさと滅んでモバイルVR、AR、HoloLens等のMRのデバイスに切り替わったらいいのに(過激派)
あと5年はかかりそう。
…あと5年経ったらスマホゲームの市場ってどうなっているのだろうか?
ゲーム小国ニッポンで開発者として生き残れるのか、はたまた別の道を探さざるを得なくなるのか。
もう内需では回らないとなると、市場の個性が薄れて少し寂しい。
ニンテンドースイッチが携帯機需要で売れて相乗効果でPS4も売れてくれればまだ救いが…
兄は予言なんか気にせずに兄として妹を守ろうとする
兄も仕事くびになったり自分の食事を切り詰めたりして妹の世話をする
兄も自信がなくなってきた
さすがに持ち主もおこって妹を警察に突き出せというけど、兄は一生懸命かばう
妹はそんな兄を見て街にひとりくりだしてでっかい剣とかを出しまくって人々を威圧する
でも兄が気づいて妹のところにとんでいって、妹の頭を平手でたたいて叱る
そこで兄は、妹が死骸を自分になげていたのはごはんを食べさせようとしてくれていたのだと悟る
兄は「ちゃんとしつけをしますから!」といって妹をおぶって逃げる
もっと人が少ないところで二人新しく暮らしていくことにしましたチャンチャン
ICO思い出した
めだかぼっくすも
ファイアパンチの旧世代関連のワードが出てきて微妙につながってるお話だった(たぶん編集もこのタイミングでこの読み切りって、わかってやってるんだろうな
https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481
Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national
フランス語はそんな上手くないし、フランスの政治には全然詳しくないのでひどい訳です。
どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。
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モンペリエ大学とパリ政治学院の政治科学の助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるかに重要であることを示した。
2014年の選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家的レベルと結びつけて考えるなら、1995年のときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年の大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人が国民戦線に投票したのではない。棄権を考慮に入れるならば、有権者の10%だけである。
奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線の候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。
これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランスの第一党」とするには不十分なものである。アレクサンドル・デゼは、国民戦線の存在感というのは、市町村レベルでは副次的なものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである。党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党と社会党よりも少ない。
2011年1月にマリーヌ・ルペンが国民戦線の党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってから、エリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから、政治的なフィクションの領域に属するような話である。」
国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線は政治的に孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」
国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的なものである。マリーヌ・ル・ペンの就任の前と後での国民戦線の戦略、プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生とルペンの国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線の歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線が差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである。
プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制的批判、国家の特恵、国家の防衛、欧州連合の拒否、ユーロ圏からの離脱、失業と不安の原因と見なした上での移住の拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペンの社会的な演説は、連続性を担っている。
リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女の父親のイメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票を正当化するために持ち出されるような、最先端の議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペンが自分の父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペンと彼女の父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民の問題を解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒のヨーロッパへの進出をイベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権の恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪の扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)
最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人を排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線は過激な極右のグループや活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線の市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線の市長は、GIのスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。
複数と呼ばれるものについて少し吐き出したいと思うのでお暇な人はざっと読んで流してください。
複数というのはダンサーを1人ではなく2人以上同時に応援することだ。
舞浜のオタクには女と男を1人ずつ応援する複数や、場所に1人ずつ追いを作るタイプの複数が多数存在している。
それに対して否定はしない。ただ気が多いのねとは思うけれど。
パレルならパレル、ハーバーならハーバーどちらでも構わないが同じ管轄で2人の同性の追いを作るのを良しとできない。
平たくいうと嫌いである。
理由はとても単純。
人が並んだらそこには絶対に順が生まれてしまうから。同じくらい好き複数だと口では言っていても結局は一番と二番なのだ。
本気で一人を応援してる人にとっては複数が追いと称して二番目に取りに来た人が一番な訳だ。
その人が一番好き、その人だけって言ってる人がいる中でいけしゃあしゃあと私も好きなの〜二番目だけど!と見に来る神経が私には理解ができない。
そしてもう一つ。
今本人にバレてないからと複数してる人たちは、レギュラーショーでポジが被ってないからと言う場合が多い。今後もしシーズンで被ったらどうするの?
ダンサーAもBも自分のオタクだって思った上でファンサしてる訳だ。そしてAとBはそこで複数だったと知る。
複数はしてる方は楽しいかも知れないけれど、周りから見れば正直言って褒められたものではない。
複数するのは勝手だけどまるで良いもののように「複数いいよ」なんて勧めるのはもっとおかしな話だ。
複数をするならすればいい、でもこれから先にオタクと揉めたり、本人にバレて嫌われるそんな覚悟をある程度持ってしてほしい。
最後に
色々捏ねくり回したけど結論は
単純にnot for meで済む話だわなぁ。
そこでゲハブログのメンタル化してしまっり、過激派の信者がひねくれた反撃をしてるのとかはアウトだけど、そういうのがなければ問題ないのでは。
お互いの意見・感性を素直に受け止め、失礼がないように尊重しあってサヨナラ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/flatfive
流行り物は面白い要素が有るから流行る。他者の感性を理解できるチャンネルを増やすためにも、(好きになるかは別として)なるべく理解しようと思ってる。もちろん無理する必要は無いんだけども。
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/ninosan
自身だってワンピースも進撃の巨人もアカデミアも西尾維新全部もまるで面白くないが生きていけます。(好きなのもたくさんあるので心配ご無用)
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/merico2404
流行ってるから無理に手を着けなくても良いんですよ(つか何でこんなブレイクしちゃったんだ?と正直思っている。結構人選ぶタイプだと思ってたので)
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/xenon_abe
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/rti7743
無理してまで見なくていいし理解しなくていい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/politru
fateの面白さを自分も理解できない。というか、(へー、fgo流行ってるんだ?え?なに?元はfateってアニメやってたん?ん?ライトノベル??え?windowsゲーム?)って既に追いかけきれない。jojoを初めて知った時に似てる
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/nost0nost
ほんと定期的に現れるよなw 世の中で流行ってるものを理解しないと死んでしまうマン この手の人間が書く文章からにじみ出る独特の厨二感は何気に嫌いじゃないけど
http://b.hatena.ne.jp/entry/316987564/comment/maronysan
他人が楽しんでる事に対してわざわざ「何が面白いのかわからない」って言うやつ絶対いるけどそれわざわざ言うことの何が面白いのかわからない
傾向として「星野源はブサイク」というよりは「星野源のバランスを崩すとブサイクになる」という共通認識がある感じ。
漏れ知ってるよ、星野源のことかっこいいって言ってる女は星野源に似た顔のオタクを見ても見向きもしないどころか「ブサイク」って蔑むような女だよ
星野源の顔が好みじゃないはわかるけどブサイクって言ってるひとを見ると家族にテニミュのキャストでもいるんだろうかって思ってしまう
星野源てのなかなか可愛いなって言ったら夫が「いい歳して童貞っぽさ売りにしてるやつな!」って言われてガビンてなった。いい歳して童貞とか処女を売りにしてんのに全然ブサイクじゃない奴の小狡さハンパねぇ。
顔が星野源に似てるって自称するツイッタラーはイケメンじゃないけどそんなブサイクじゃないでしょwと遠回しの自己顕示欲が見えるので1人ずつ顔面ぶん殴って本物のブサイクにしてあげたい
うちの母親は70過ぎてるクセに星野源が出てくると、なんでその辺のサラリーマンみてえなのがテレビ出て歌もヘッタクソだし意味がわからないとブチ切れてるので、血は争えないと思った。
なんかこういうレスが気持ち悪いというか、民放の情報番組を勘違いしてるというか、元増田じゃないけどやっぱり気持ち悪いな
超大手の事務所ににらまれると、民間放送のテレビ局の番組に出づらくなるのはわかる。そこが封じられると、ワイドショーやワイドショーっぽい昼間のニュース番組や情報バラエティ番組に出づらくなるし、
こういう意見ってネットでよく見かけるけど、これ言ってる人って、「○○はテレビ番組でいっぱい宣伝されてるのに『この世界の片隅に』は宣伝されない!おかしい!」と思ってるってことなんだよね。
「他の映画と同じように、朝の情報番組にゲスト出演して生宣伝させたり、バラエティ番組に出演して宣伝させたりしてないのはおかしい!」って思ってるってことだよね。
こういう人らって「映画は全部テレビで宣伝されるものだ!」って思ってるピュアな人のかな。それとも「僕がいいと思った映画を宣伝しないテレビは死ね」という過激派かな。
他の映画は、テレビで宣伝してもらうために話題の俳優や、流行りの芸人・タレントを起用してるんでしょ。そうすれば映画に関係ない芸能コーナーやバラエティ番組で取り上げてくれるから。
「この世界の片隅に」もテレビで宣伝したいなら、最初からそういう芸能人をキャストに据えればいいだけ。でも、監督はそういう気持ちはないから、主演に個人タレントののんを選んだわけで。(移籍トラブルの渦中のタレントを起用することでネットの芸能事務所叩きの記事で宣伝してもらおうと思ったわけでもないだろう)。元から他の映画のような民放番組での宣伝は捨ててる作品でしょ。
この映画のファンが、「『この世界の片隅に』を紹介できるような濃い映画紹介番組やコーナーを作って」とか意見するなら分かるけど、「他の映画のように芸能コーナーやバラエティ番組で宣伝させろ!」ってアホすぎる意見だよね