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2019-05-05

2019年アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その1

 連休使っての旅行計画に精を出すうち、気づけば既にリアタイから周回遅れを食らっている今日において今更1話感想なんて…とは思いつつ感想を書くことにした。1~2話までしか観ていないので、3話以降を既に見ている諸兄においては「何言ってんだこいつ」程度の温情を頂ければ幸いだ。なおニコニコ動画コメントツイッターの実況などは敢えて見ずに書いてみた(このあと見るつもり)。ニコ動で観てると、感想だんだんネットミーム紹介文」みたくなっちゃうの難しいよね。

 それっぽく並べてあるけど、作品の優劣は付けてない。容赦して。

 

2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2

2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その3

2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その4

配信情報について

~独占…対象サービスしか配信してない

~のみ見放題…対象サービスでのみ全話見放題。その他のサービスでは有料配信

~のみ最新話無料対象サービスでのみ最新話見放題。その他のサービスでは有料配信

言及なし…複数サービスで全話見放題/最新話無料

 私はTVアニメを観ない(BS見れないし、TOKYOMXもAT-Xも受信できないし)ので、配信情報はこれ以外の手段について書いている。

感想(上の作品ほどモチベ高め)

キャロル&チューズデイ

Netflix独占

 クリスマスまれ(多分)と火曜日まれ(多分)の二人が火星大都会で一緒に音楽する青春ドラマ。「カウボーイビバップ」等でおなじみナベシン監督の新作。制作ボンズ。 本作で特に目を引くSF描写。都会の中心部はいかにSFっぽい高層ビル群な街並みなんだけど、周辺に90年代アメリカみたいな町並みが広がってたり、往来する人も含め朝昼晩と色んな表情がある。「大都会だけど金持ち貧乏人、ホワイトカラーブルーカラーが入り交じる都会感」に強いリアリティがあるところが好き。細かい所だと、飲食店の注文が全部スシロー方式店員呼ばなくておk)なのに、作中の客がみんな店員呼びつけてクレーム入れてたのリアルすぎて笑った。設定こそSFだけど、現代舞台にしても成立するような話をあえてSF世界で展開するっていうのもリアリティを強める要因っぽい。そんなSF描写の中でも好きなのが「家出ってどうやるの?そんなこと、聞ける人もいなくて。色々とググってみたけど、やってみたら意外と簡単だった」という冒頭のモノローグ。ゆうて火星の話ってことは実質ファンタジーみたいなもんかな、という先入観があっただけにこの一言だけで「実はこの世界リアル世界と地続きで、しかも遠い未来というわけでもなく、とりわけ若者像はほとんど変わっていないんだよ」というSF世界であることがわかる。似たようなシーンだと、セッション後「私達のはじめての曲が完成しました!イエーイ!」つってインスタにセルフィをアップするシーン。作中何度も語られる「何も特別ではない、リアル世界にもたくさんいる、何者でもない誰か」て感じをよく表してる。本作の脚本はみんな大好き赤尾でこなんだけど、私はやっぱり彼女の関わる作品に登場する女性が一番好きなのかもしれない。先のクールで言えば「同居人は猫~」「3D彼女」が赤尾でこ脚本ハルって女の子だよね?特に同居人脚本赤尾でこx絵コンテ佐山聖子タッグによる挿話がたくさんあってめっちゃエモかった。

 1話では「二人がなぜ音楽をやっているのか」という部分が中心で、音楽への初期衝動を丁寧に描いてるのが好き。「ふとラジオから流れてきた曲を聞いて涙が出てきた」とか、路上演奏してるけど歌はなく(ハミングだけ)「ただの音の連なり」を演奏してるだけ、とか。本作に限らず「初めて新入生に軽音部が自己紹介がてら演奏を見せるシーン」とか「生まれて初めてライブハウスライブを見たシーン」とかめっちゃエモいよね。

 セッションも、最初はお互いにそれぞれの初期衝動を持ち寄って始めるんだけど、お互い探り探りから徐々にノッてきて、歩み寄っていく過程がすごく丁寧。途中でやり直してみたりとか、お互いに相手を見つめながらテンポや歌を合わせる感じとか。

 それにしても演奏シーンがやばい最近演奏シーンに3DCGを駆使してダイナミックな動きを表現する作品が増えてるけど(ピアノの森とか)、本作は演奏シーンに限らず多くが作画アニメーション。ボンズすげえ。ギターの弦を押さえる運指見てるだけで一日が終わりそう、別のカットも、手元だけを映すんじゃなくてチューズデイの上半身全部作画してるし(大抵の楽器は全身使って演奏するものなので、彼女ギター演奏中は体をかなり動かしている。本作はそれを作画で丁寧に表現している)。

 加えてギター作画が凄まじい。まずギターケースを開けるときアニメーションから既にヤバイ。あえて楽器の持つ神秘的な雰囲気とか、艶やかな反射とかを作画表現してるのは京アニだけだと思ってた。

 SF大都会ストリートの子と一緒にストリートミュージックを、お嬢様ファッションに身を包んだ子がアコギ演奏するっていうギャップは、案外「全力でアコギ演奏シーンをリアルに描きたい」という発想からスタートしてたり?

 そしてギターの音ワロタ。開放弦でベヨェーンしたときのボディが響く感じとか、ギターに指が触れたときのギュインッまでちゃんと入ってるし、セッション中なんかギターの音に限らず、服の擦れる音「彼女たちが演奏してる部屋の空気の音」が(おそらく)全部入ってる。演奏シーンは文字通り空気が変わった。

 「え、歌くっそうまいやん」と思った人も多いと思うけど、本作はCV別に担当アーティストがいる。英語圏オーディションをしたらしく、この人たちがまたとんでもなく歌がうまい。もうハミングの時点でめっちゃうまいってどういうことな・・・

 音楽で言えば劇伴はMocky。R&BやJAZZの人で、軽快なベース音がたまらない。ついビバップ菅野さんを思い出しちゃう。それにしても、音楽テーマ作品とはいえ劇伴が多彩すぎる。1話を通して音楽アルバム聴いてるみたい。

 歌で言えばED作詞作曲編曲Benny Sings劇伴から一変してPOPS。カートゥーンっぽい絵と相まってかわいい

 

さらざんまい

すんでのところでFOD独占を無事回避

 浅草日常アニメ。「さらざんまい」の意味は、ざっくりいえばユニバース感覚のこと。それにしても「さらざんまい」というネーミングセンスよ。幾原邦彦監督による新作。制作は「ユリ熊嵐」に引き続きラパントラックで、本作は共同でMAPPAが参加している。ピングドラムユリ熊嵐で印象的なピクトグラム担当した越坂部ワタルや、その2作で劇伴担当した橋本由香利が本作にも参加していて、「チーム幾原邦彦」が確立されていく感じがある。

 俺が本物のかっぱをみせてやるよ!(by幾原邦彦公式ラジオ番組が毎週配信されていて、MC諏訪部順一まさか監督制作大丈夫ですか?)とのこと。曰く「かっぱと尻子玉は切っても切れない関係。なのに尻子玉を描かないかっぱ作品が多すぎる」というわけで、本作では尻子玉が重要なモノとして描かれている。これが本物のかっぱだそうです。噂に聞いてはいたけれど、かっぱに尻子玉を抜かれるというのはかくも恐ろしいことだったのか。ちなみにエンタ中の人は「尻子玉が抜かれるときの気分は、痛み8割気持ちよさ2割くらい。あと恥ずかしい」という気持ちで演技したとのこと。ノイタミナプロデューサーからの「勘弁してください。ノイタミナですよ?」という柔らかい拒否を押し切って作られた尻子玉搾取シーンは割と必見。

 1話は「かっぱとは?尻子玉って?」を中心にまとまったお話ピングドラムユリ熊嵐と比べてとっつきやすい感じがある。公式あらすじも

中学2年生の矢逆一稀、久慈悠、陣内燕太の3人はある日、謎のカッパ生命体“ケッピ”に出会い、無理やり尻子玉を奪われカッパに変身させられてしまう。『元の姿に戻りたければ“ある方法”でつながり、ゾンビの尻子玉を持ってこい』ケッピにそう告げられる3人。少年たちはつながりあいゾンビの尻子玉を奪うことができるのか?!」

といった感じでかなり分かりやすい。とはいえ本質ピングドラムユリ熊嵐に続く群像劇、というか愛憎劇なので結構しんどい系ではある。非常に愛が重い。ピングドラムストーカーっ子にドン引きした視聴者は多いと思うけど、要はあんな感じ。作画部分でもキャラの表情、特に主人公のアップがすごく綺麗(中性的な顔っていう感じがよく出ていて好き)で、より群像劇みが強い。冒頭の主人公が走るお芝居すごい。

 ユリ熊嵐と比べると、あっちが「隔世」なのに対してこっちは「現実世界浅草)」という舞台設定の違いがある。描かれる浅草描写もすごくリアルで、いわゆる「世界的な観光地」ではなく「昔ながらの下町っぽさ」に焦点を当てている感じがすき(背景:スタジオパブロ)。ぐちゃぐちゃした看板まで再現してて、三ツ星カラーズ並みに生活感がある。そして登場する場所が、地元民ならではのチョイス。監督自身若いから浅草で遊んでたらしく、その頃のイメージを元にアニメ舞台浅草に決めたらしい。浅草寺などの観光地より雑踏(街を歩く人、通勤の車とか)によって街の雰囲気を描いているところとか、生活圏にあるテーマパークこと「花やしき」が出てくるとことか、地元民らしい描き方だよね。

 そして例の尻子玉(尻子玉と書いて「よくぼう」と読む)搾取から始まる一連のシーン。みんな何回くらい観たんだろう。MAPPAが関わってるだけあって凄まじいアニメーションに仕上がっている。劇中歌とともに欲望搾取~浄化までシームレスに続くシーンの中毒やばい過去作と比べ、初めから終わりまでキレイにまとまってて完成度が非常に高い。「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のレヴューと似たような感動を覚えた。またアクションをするのが人間ではなくかっぱやモンスターなので、より一層爆発力というかファンタジー感が加速しているのも好き。

 挿入歌でいうと、ユリ熊嵐と一変して本作はほぼ登場人物男性なのが印象的で、挿入歌も今の所ボーカルが全員男性特に2話挿入歌カワウソイヤァ」がすごい好き。余談だけど、アフレコ時点であのシーンはアニメ化用の実写映像資料だったらしい。ちょっと観てみたい。

 EDは「青春ブタ野郎」OPでおなじみThe Peggies。青ブタもこれもしんどい群像劇なので、このバンドサウンドがすごく合っている。

 ところで、最後の「フィクションです」的なキャプションは一体どういう意味なんだろう。「まあ、かっぱなんて存在しないんですけどねwww」とか「実際のかっぱはこんなんじゃないんですけどね、へへへ」とか?かっぱが非実在みたいなメッセージに見えるから不適切じゃない?

 

鬼滅の刃

 ゴブリンスレイヤー英題は”DEMON SLAYER”。エミヤさん家に引き続き、ufotable肝いりの新作(ユーフォーテーブルって読むのね、初めて知った)。テーマは「動く浮世絵」とのこと。大正時代日本舞台に、鬼殺しをするお話制作体制的にはufotableアニメテイルズオブゼスティリアザクロス」の布陣。舞台こそ違えど、壮大なファンタジーっぽく仕上がっている感じは似てる。特に壮大なBGMの使い方とか、映画かな?これ絶対映像に合わせて作曲してるやつでしょ(やってるってラジオで言ってた気がする)。オケ雅楽までなんでもありな感じが聴いてて楽しい

 近代日本舞台にしたアニメの中でも特に地方(山の中)が舞台アニメといえば「ゴールデンカムイ」が似てるかも。背景美術でいうとあっちは「美しい自然を感じる」っていう印象なんだけど、本作は背景が全体的に黒っぽくて薄灰色支配された不吉な感じ。闇=鬼の領分、みたいな緊張感がある。そういう意味では「どろろ」に近いのかも。金カムは実質ゆるキャンなので、自然の描き方は趣向がかなり違う。金カムが「自然怖い」なのに対して本作は「鬼怖い」だし。野生の動物が登場しない感じからもそういう意図があるのかな。

 で、何その背景の書き込みユーフォーテーブルの背景(たぶん自前)って、エフェクト自然に盛り込んで多角的に映す演出をするけど絵っぽさを残してるというすごい技術を使ってるよね。2話の修行シーンとか特にやばかった。主人公が背景の中にちゃん存在して、立体的に生えてる木々の中を疾走しているようにしか見えない。でもキャラデザはテイルズオブゼスティリアザクロスと違い、輪郭線に特徴がある平面的なデザインになっている(浮世絵みたいな感じ)。そんなキャラ縦横無尽に画面を駆け巡るアクションシーンすごくない?最近だと「スパイダーバース」とか。あれは更にすごかったけど。

 1話ゴブリンスレイヤーで言うところの前日譚で、「鬼って何なん?」みたいな話が中心。いわゆる妖怪等と違い、鬼がゴブリンくらい生き物してる。金カムではヒグマ神様化身みたいな扱いで人間を襲ってたけど、あれくらい怖い。おまけに人並みに考える上に喋るしほぼ死なない。散発的に現れる感じはゴブスレで言うところの「落ち延びたはぐれゴブリン」なのかな。強烈なヌルヌル作画ゆえ、鬼がとても肉肉しくてキモい。「甲鉄城のカバネリ」のカバネくらいキモい

 そんな厳しい世界を生きる主人公CV.花江夏樹)の、鬼気迫るセリフ息遣いめっちゃ好き。ゴブスレさんは鎧に身を包んで常に平坦な口調だったのに対して本作の主人公はすごく感情表現豊か。「4月は君の嘘」を見てから彼の演技が大好きなので、またアレを見れるのが嬉しい。演技で言えば、鬼頭明里演じる禰豆子かわいい基本的山田たえ状態なんだけど、呼吸やうーうーだけで感情の起伏(非常にピーキー)や体型の変化を表現する感じとかめっちゃ好き。特に2話の見せ場では音楽アニメーションによる強烈な緩急も加わってすごいことになってた。ご飯我慢するシーンすごいよね。癒やされる。

2019-05-03

日本海北上している。

今年のGW10連休ですね。

みんな旅行とか行ったのかな。

移動時間がひたすら多い電車の旅をしました。

積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。

増田初心者なので不手際あっても許してね。


秋田行きの特急列車に乗っている。

新潟駅発の特急いなほ5号である

運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィークしかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席からなのだろうが。

当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席チケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。

窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。

奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。

そう、窓際の席とは山側なのだった。

初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである

列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である

新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。

さて、新潟平野自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である

そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まり富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまり日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。

富山駅を出たのは朝5時台の電車でだった。

富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しか富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店モーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業吉野家のみであった。

その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦唐揚げ、新鮮な蛍烏賊踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。

しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。

あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。

さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。

日本海は海が近い。個人的感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。

電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。

直江津駅には立ち売り駅弁がある。

大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。

到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。

電車旅の楽しみは駅弁である

電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色楽しいものだが、そこにご当地駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。

朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。

改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。

しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。

いただいたのは鱈づくし弁当であるしかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメ天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。

味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかスルメ天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います

流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。

そして今、新潟発のいなほ5号に揺られている。

今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。

点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である

わず口元も緩んでしまう。

駅弁とは随分と贅沢なものだ。

美しい景色を眺めながら、その土地食べ物いただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。

ここが機内食やなんかと違う所なのである駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。

反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。

また美しい旅は続く。少し眠ったら山形に入り、そうしたら鳥海山も見ることが出来るだろう。

長い文章を読んでいただいてありがとうございました。

2019-04-29

夢見りあむが見せる夢


第8回シンデレラガール総選挙中間発表が先日行われた。

夢見りあむは総合3位に居た。

新人アイドル総合3位に居たのは別段問題だったわけでは無く、『夢見りあむ』が『総合3位』に居た事が問題となって多くの人がこれに言及していた。

ある人は努力を貶すのかと言い、ある人は中身がない人間が居て良い場所じゃないと言い、ある人は面白いからと言い、ある人は総選挙を壊す為と言った。

言及している人達だけではない。

シンデレラガールズに接しているあらゆる人が否応なしに夢見りあむという存在に心を揺さぶられ、動かされてしまっている。

私はアイドルマスターシンデレラガールズを常日頃から真面目にやっているわけではなく、何名か好きなアイドルがいるだけで担当がいるわけでは無い。

情報を聞きかじり、曲を聞き、たまにイラストいいねを付けて好みの本を即売会で買うぐらいだった。

そんな半端モノだからこそか、毎年総選挙自体はぼちぼちと参加をし、活動に感心した陣営個人的に好きなアイドルにぼちぼちと票を入れていた。

誰が勝っても素直に祝辞を言えてしまうような、一般的傍観者だった。


そんな傍観を続けてきた中での今回。

変わらず好きなアイドル達に票を入れながら、夢見りあむによって全てが壊された総選挙を見ている。

正直、私は夢見りあむに勝って欲しい、つまり中間発表での位置を維持して欲しいと思った。

無論、その為に票も入れた。

夢見りあむが勝つ、という中には色々な問題があり、彼女があの位置に座している事自体がこれまでの何よりも遥かに問題である事は、5年ほど総選挙シンデレラガールズの見学を続けていた身としては理解しているつもりである

ただ、私は彼女否定できない訳があった。

その理由に関連して、先述した幾つか夢見りあむに対して言及されていた言論の中に、こう書かれていたものがあった。

『夢見りあむに更生して欲しい。クズじゃない彼女になって欲しい』

是非を問わず様々な夢見りあむに対する意見共感出来たが、この一点だけは全く共感出来なかった。

彼女クズを辞める事は、彼女の全てを否定するどころか、私達の存在までも否定する事に等しいと感じる。

クズのまま、あの場所に立つ。

クズのまま、あそこにいる。

私は、それが何よりも夢見りあむが見せてくれる夢だと、考えている。

それは他のアイドル達が今まさに築き上げている『努力が報われる』という王道否定するものではない。

努力したくない人間だって報われていい」という、最上級人間達の肯定だと感じた。

から、私にとって夢見りあむは否定できるようなものではなかった。


考えても見てほしい。

努力は必ず報われる。友情は失われない。願いは諦めなければ必ず叶う。

じゃあ、それはいつ叶っただろうか。

生きてきた中で、そうであった事があっただろうか。

勿論、そうであった事も沢山ある。作り話のような、素晴らしい物語のような人生もある。

だが、そうでない事が圧倒的に多かった。

当然だと思う。勝者は基本的に一人で、それ以外は敗者になる。

世の中には圧倒的に敗者が多い。

頑張れば何でも叶う、というのは勝者の道理だ。そうやって勝ってきた者の中だけの常識だ。

当たり前だが、勝者の方が何よりも頑張っていただろうし、だからこそその勝利を掴めたのは分かっている。

だけど、敗者に対してそう言われても敗者には何も響かない。

何故なら、自分なりに精いっぱい頑張ったはずなのに、勝てなかったから。

敗者が頑張っていないわけではない。勝者の方が頑張っていた。

その差をただ、頑張りで埋められなかったと切り捨てるのは、気持ちに寄り添っていなさすぎる。


そんな多くの努力顛末を見てか見ずともか、いつからか頑張ろと言う気持ちなど消え果てた。

そんな人は多くいるだろう。

適当に生きて適当に過ごす。日々を無為に消し去っていく。歯車となって、輝く人々を支える柱になる。

聞こえはいいが、その人生の色は灰色だ。

そんな無駄人生を生きているけれど、変える事さえもしない。

もう努力なんてしても無駄だ、みたいなことを心のどこかで理解してしまっている。

頑張っても届く域には限度があると思っているから、そんな中途半端の為なら頑張らない方がマシだと思ってしまう。好きな何かでも上になれる程才能も無く、かといってとことん落ちぶれて底辺にもプライドが引っかかってなれない。

大人になったと言えば都合よく聞こえるかもしれない。

だが、人生を諦めたと言われればそうだ。

そうやって人生合理的に考えながら、クズ生き方をするようになってしまった。

夢見りあむに惹かれた人、或いは凄まじく拒絶をした人。

それはきっと、そんなクズ自分が映り込んでしまったのだと感じた。


夢見りあむが成そうとしているのは、そんなクズ達の肯定である

本当にろくでなしとあるクズ過去に全く別の場所で輝いたことがある。

そのクズは登場作品の中でこのような台詞を残した。

嫌われ者でも!憎まれっ子でも!やられ役でも!主役を張れるって証明したい!!」

夢見りあむが炎上しながらも今まさに証明しようとしているのは、恐らくこれと同じ事だ。

叶わなかった夢、同じ人間なのにテレビの向こう側の人間とは遠く離れてしまった差。

私達が現実ではとうに返せないと諦めた何か。

それを諦めたくないのであれば、何を使ってでもクズであってもどうやってでも諦めるなと、そう言っているように聞こえてしまった。

クズであるけれど、夢を見て良いという願い。

クズであっても、輝こうとしていいという希望

クズだとしても、上を目指していいという指針。

クズでいても、生きていていいという肯定

私は彼女が見せてくれたそんな夢に、とても強く惹かれてしまった。

頑張れという他のアイドル達の言葉より、頑張らなくていいという彼女言葉に惹かれてしまった。

何かを成す事も無く、誰かに覚えられるわけでも無く、一般人として死ぬんだろうと諦めている私に声を掛けてくれているように思えてしまった。

だってクズから


矛盾しているようだが、世のクズとは違って夢見りあむはクズなりに頑張っている。

したくない炎上を受け入れ、やりたくないレッスンをして、直向きにアイドルとして愛されようと頑張っている。

自分努力はきっと無駄で、自分より凄い人がいると分かっていて、それでもなお努力に向き合おうとしている。

クズでも何とかなるんだ、クズでも何とかしたいんだと叫んでいる。

そんな汚い夢見りあむの生き方キラキラした世界に目立つ一個の汚点のように感じる人も多いだろう。

だがそれは色が違うだけで、彼女だって輝いているようにも映る。

あん人間でも誰かに必要とされたいと思って良いんだと、証明しようとしている。

捻くれて格好付けて、何かを思っていても一切口にしなくなった現実クズの代わりに。


これから夢見りあむはもっと燃えるだろう。

そうして順位キープ、もしくは上昇して燃えたら笑うし、順位が落ちたらバカにもすると思う。

から、夢見りあむには全力でぶつかってクズなりの夢を見せてほしい。

クズが出来る事の可能性を彼女証明してほしい。

もう現実なんてどうにもならないクズと、ちょっとでも現実をどうにかしてみたいと思っているクズの代わりに、先んじてクズの星として燃えて欲しい。


クズなりに何とか言いたい事がまとめられた気はする。

あわよくば、彼女を照らす燃料になってくれると嬉しい。


2019-04-25

不審者情報寝屋川市仁和寺本町4丁目)

https://www.gaccom.jp/safety/detail-350613

 平成31年4月25日14時15分頃,寝屋川市仁和寺本町4丁目2番付近において、ンを下に降ろし、パンツ姿で立っている不審な男が通行中の女性により目撃された事案が発生しました。

 男は、身長170センチくらい、年齢60歳くらい、中肉、黒色白髪交じりの短髪、黒色Tシャツ灰色ズボンを着用。

 不審者を見かければ110番通報してください。

 パンツ姿は中途半端すぎる。

 変態というよりは、ボケてるんじゃね?

2019-04-22

コンピューター様はそんなことを言わない

anond:20190422002407

市民あなたコンピューター様について何か誤解をされているようです。

パラノイア1984年に発売された、冷戦下の赤狩り皮肉ブラックユーモアに溢れたTRPGです。

Wikipedia から一部を引用してみましょう

舞台となるアルファコンプレックスは、サンフランシスコ地下にあるコンピューター制御するシェルター都市である小惑星地球への衝突によりネットワークから孤立した各都市コンピューターは、断片的な情報から共産主義国家の核攻撃中にあると誤認。結果、すべての都市共産主義者制圧され自都市けが正常に営まれていると結論するに到った。以後数百年に渡ってコンピューターは「共産主義攻撃」と「汚染から市民守護するという妄想を達成すべく、都市人類が外に出られないように隔離し、独裁的・専制的・全体主義的な支配を行っている(ちなみに、XPの時点ではコンピューター歴214年である)。人類自由を奪うコンピューター支配体制は、かつてのアメリカが持っていた妄想的な「悪の共産圏国家」のイメージのものである共産主義者攻撃から守るという名目共産主義的な社会を作り出すというのは大きな矛盾なのだが、コンピューターはすでに狂ってしまっているのでそのことには気づけていない。



まりパラノイアでは市民は狂ったコンピュータ様の支配の下、特に存在しない脅威と戦い、どうでもよいミッション遂行しつつ、適当な人を反逆者として今日粛清しているのです。(ZAP! ZAP!)

アルファコンプレックスではこのような状況が長く続いたため、科学技術も衰退しきっています

車に乗れば走っている間にタイヤが外れ、エレベーターに乗れば落下をし、銃を撃てば暴発します。

プレイヤーはみな疑心暗鬼です。理不尽ミッション遂行するふりをしながらお互いに監視をしあい、隙あらば反逆者として仲間を処刑しようとします。

なかなか狂っていますね。でもゲームブックさらに狂っています

市民セキュリティクリアランスに従い情報制限されています。そしてプレイヤーセキュリティクリアランス 赤(R: レッド)はルールブックを読むことができないのです! プレイヤーはわけもわからないままアルファコンプレックスに放り込まれまることになります

ひょっとしたら自分で遊ぶよりも他人右往左往している姿を見る方が面白いかもしれません。素敵なリプレイを紹介しましょう。

パラノイアのページ「義務幸福・目次」

作り込まれネタ表現力が魅力です。冒頭を抜粋してみます。こんなノリが好きならオススメです。ちなみに太字はプレイヤー名です。

みなさんは、いつものように仕事へ出かける前の朝食をいただくため、食堂に集まっています

食堂収容人数3000人ぐらいの、カマボコ型の天井をした、とてつもなく広い体育館のような場所想像して下さい。

その中央を長いベルトコンベアーが貫いており、その上にはポリカーボネートの皿に乗った灰色ペーストが並んでいます

これがアルファコンプレックスにおける主食です。

直に匂いを嗅ぐと涙が止まらなくなる強い刺激臭と、スチールのスプーンすら溶かす強烈な味がしますが、食べてもすぐには死なない程度の安全性保証されてい ます

腹を空かせた市民達は、コンベアーに群がり皿を受け取ると、思い思いのテーブルについて食事を始めます

食べ慣れていない市民などはスプーンペーストに長く漬けていたため、スプーンを溶かしてしまうなどといった粗相をするものもいましたが、食事はおおむ ね……失礼しました、完璧幸福に進んでいきます

STAR-R:いやぁ、コンピューターのくださるお食事はいつ食べても美味しいですね~

Rese-R:当然だね。疑いようもなく、我々は幸福だ。

食堂には、より幸福食事を楽しめるよう、娯楽としてテレビまで用意されています

コンピューター万歳

全員:コンピューター万歳

Rese-R:それにしても、いったいどんな番組が流されているのだろう?

ちょうど食事時の人気番組である電子顕微鏡世界」というのが放映されています

この番組は、様々な金属電子顕微鏡映像を延々と流し続けるというもので……ちなみに、今日テーマベリリウム原子番号 4 の元素記号Be 原子量 9.013)です。

Tokyo-R:すばらしい! なんておもしろ番組なんだ。

Rese-R:いよいよ、明日は「ホウ素」か、いゃあ~、楽しみだなぁ!!

STAR-R:まったくです。こいつぁ目が離せませんね。

 市民幸福そうですね。

全員:当然です。幸福義務です。

(注: 本来名前表示は「個人名」-「クリアランスイニシャル」-「ホームセクター」-「クローンナンバー」でしたが、読みやすさのため「個人名」-「クリアランスイニシャル」に変更しました)

雰囲気が伝わったでしょうか。

パラノイアについてもっと知りたい人はこちらをどうぞ。

これであなた今日からアルファコンプレックス市民です。

市民あなた幸福ですか?

アルファコンプレックスの基礎知識 - paranoia_jp

アルファコンプレックス基本用語集 - paranoia_jp

2019-04-19

anond:20190419093959

COD2のソ連兵のはよかったな

ずっと空が灰色で敵に勝った後もゴホゴホせき込んでる兵隊の音だけがある

2019-04-16

神奈川寒川町田端下半身露出 4月15日夕方

https://this.kiji.is/490732964884563041?c=134733695793120758

神奈川県警によると、15日午後6時40分ごろ、寒川町田端路上女子生徒への下半身露出が発生しました。(実行者の特徴:中年男性灰色長袖シャツ、金縁メガネ自転車

■実行者の言動や状況

自転車を押し歩き、帰宅途中の女子生徒に声をかけ、下半身を見せた。

「大きくなったね」

 何が大きくなったって?

2019-04-10

塩見周子が苦手だった話

塩見周子というキャラクターがいる。「アイドルマスターシンデレラガールズ」に登場するアイドルである

200人近くいるキャラクターの中でもかなりの人気を誇っており、プレイヤー総選挙で1位を勝ち取った事もあるほどだ。

ビジュアルについては各々調べていただきたい。

彼女担当Pや、担当ではなくとも彼女を愛する方々には大変申し訳無いが、私は彼女が苦手であった。

 

その原因は、おそらく彼女の目にある。

彼女の瞳は、あえて詩的な喩えをするならオニキスのようだった。吸い込まれそう、とも形容されそうな真っ黒な瞳。

現実の我々がそうであるように、同じ作品でも他のアイドルたちは虹彩には黒以外の様々な色が使われている。茶色灰色、変わったものだと紅色など。そんな中、塩見周子けがどこか異質であった。

異質ということは、裏を返せば特徴的で魅力的であるということに他ならないが、彼女を初めて見たときの私に訪れたのは、強烈な違和感だった。

どうにも他のアイドルと並べると彼女が浮いているような気がしてならなかった。

混乱のあまり検索窓に「塩見周子 キャラデザ 苦手」なんて入れてしまう程だった。

ゲームを始めてしばらく経ち、偶然興味を持った宮本フレデリカ繋がりで「誘惑イビル」や「Lipps」を好きになり、彼女自身パーソナリティに触れていくにつれ、そういった感情は薄れたが、特徴あるデザインは時に受け入れがたくなることもあるのだと実感した出来事だった。

2019-04-08

女子中学生らに対する声かけ事案【太白区

https://www.gaccom.jp/safety/detail-343308

4月5日(金)午後4時ころ、太白区太白1丁目地内の公園で、遊んでいた女子中学生らに、見知らぬ高齢の男が、「君たち可愛いね、女の子と話すのは久しぶりだ、青葉区へ行かない。」などと声をかけ、不安を与える事案が発生。

※男の特徴:年齢80歳くらい、中肉、白髪短髪、上衣白色、灰色ズボン

被害に遭ったり、事件を目撃した際は、すぐに110番通報するようお願いします。

 いやなんかすごいジジイだなって………

2019-03-30

「翔んで埼玉」を観てきた

地元に帰りたいなあと思った。地元愛知県地元をきかれて愛知県だと答える人間は九割、名古屋出身ではありません。名古屋出身なら名古屋と答えるので)。今は埼玉に住んでいる。灰色学生時代無職時代愛知県の海に面した土地に捧げたので、気持ちが落ちると最寄りの海水浴場まで原付を走らせ、波音を聴きながら過ごしたものだけれど、埼玉県民は海もなしにどうやって過ごすのだろう。荒川をながめるのかな?

2019-03-29

anond:20190329230205

相場なんかしらねぇよ!!!

俺はなぁ 俺が思ったこしか認めないんだよ!!

灰色で色がないなんとも言えないはっきりしない季節の秋!

合体させて はいしゅうだ!!

これからは そう!

各自で好きな言葉使って 分からなければ

説明したらいいじゃない

常識ルールに縛らればかりでいいのか_(:3 」∠)

お前らはお前らの人生を生きろ!

太陽の下 ではルールなんてない!!

俺たちゃああ 自由だあああああ

指摘されたら 言えよ。

そんなん知らんわ!!!

俺はそう思ったんだってさぁ!!!

大人になればなるほど、一般人の枠が見えてきて

それに入りたくて皆必死じゃねぇか

それって面白い!?!?

他人からどう見られるかばっかり考えて

他人の正解に自分を当てはめて自分の考えを押し殺してそれって正解!?!?

なんだっていい、 けど人に迷惑かけるのは

ちょっと俺も悪いと思ってる。

流石にそれはダメだ。 他人不快にさせちゃあ

ならねぇ。

からって常識ルール マナーを盾にして

他人嘲笑冷笑対象にするのは間違ってる

それって優越感に浸りたいだけだろ。

所詮人間動物だなぁおい

種として 頂点 社会的地位を少しでも上げたいんだろ?

皆んな本当は他人がどうなってもいいと思っているんじゃないのか?

綺麗事はもうたくさんだ

皆んな本当のこと言えよ

思ってること言えよ

好きな事は好きって言っていい

嫌だったら拒否しろ

優しくしたい奴がいたら優しくしてあげて

嫌いな奴なら合わせなくていい

感情のままシンプルに生きろよ

だけど責任持てよ?

20超えたら、お前はお前の人生だ。

自分言動 行動 態度 全部 自業自得

それくらいの覚悟を持って生きろ

だったら恥ずかしくねぇだろ

いつもいつも自分に嘘ばっかりついて

どう思われるかとか考えている方が恥ずかしい

心配不安は沼だ

その穴には何もない

自分自信を生き苦しくさせてるだけだ

俺はどう思われっていい

だってこれが本音もの

コメントにつく 冷笑嘲笑なんて

こっちが笑ってやる

リンダリンダリンダ リンダリンダリンダ

青春押し売り

テレビちはやふるを見た

美男美女が汗かいて笑いあって泣いて恋愛して仲間と励まし合ってさぁ!!!

そう言うの 本当にダメ

おとぎ話しか見えない。

誰もがこんな時あったよね??^ - ^

煽られている気がする。

いやぁ ないんだよ、

俺は毎日毎日パシられて、いじられて親にも言えずただただ苦痛で早く卒業たかった思い出しかなぁ!! 当然誰とも付き合ってねぇよ糞

あとポカリの、踊ってるCMやめろ。

まじで、 キラキラさせんな。

ブサイクな人がいじめられてるCM流せ。

そん時にやけになって食べまくった

ポテチと流し込んだコーラと涙が混じった味が

今でも忘れらんねぇんだ。

そういうもんだ青春てさぁ。

青春対義語考えたよ灰色の秋 略して

はいしゅうだ。

2019-03-24

[]浪人から大学受験勝戦

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

2019-03-23

anond:20190323040059

話しぶりからお嬢さん回復は難しい状態のようで聞いた親も凹んでたみたいだけど

俺もその話を聞いてからずっと落ち込んでて(俺が落ち込んだってしょうがないんだけど)

何でそんなに落ち込んでるかって考えた

お嬢さん病気もショックだしもう会って礼を言うことすらできないかもしれないのも苦しい

後の半分はお世話になったあのご一家自体が俺の心の実家みたいなところがあって

たとえいま俺がしょうもない灰色人生でもあの家の人たちだけは幸せでいてほしいと心の底で思ってたか

よけいに落ち込んでるのかもしれない

2019-03-19

ゲームアプリ開発者は他人時間を奪ってる事をもっと自覚しろ

毎回オープニング画面見るとでも思ってんか!

タップしてログイン最初からホーム画面へ行っとけや!

ガチャ演出いらん!「何が出るかな〜?」ちゃうぞ。サイコロでも振ってろ

「フレンド申請完了しました」ごときOKボタン押させんなや!フレンド申請ボタン灰色にすれば解るやろ

warning boss」だ?そんなもん言われんでも解っとるわ!こっちから挑んどんねん

boss倒したヤッター演出いらん!大して嬉しくないんじゃ!

全ての演出タップで即時スキップさせろ!

だったらやるな?しばくぞ!

学生なめんな!

日本の前途ある中高生のどんだけの時間奪ってるか自覚せい!

10秒 X 100万人 X 364日 …英単語何個分!?英語ペラペラ英語ペラペラ〜(日本全体で考えて)

社会人は忙しいんじゃ!

ただでさえトイレ休憩長いとか言われとんねん

演出の待ち時間ほどこの世で無駄時間ないわ!

並べ!開発者並べ!左端からしばいてく

解ったらとっとと全ての画面にタップスキップ実装しろ

ps.

いつも楽しませて貰ってますありがとうございます

2019-03-18

破産者マップGoogleから地図を止められてるが

Google Maps APIは数年前に有料になっていて、利用には支払い情報登録必須である

でも日本円で1か月2万円分くらいは無料だよ、そしてだいたいの小規模サイトはこの範囲に収まるから心配しなくていいよ、という利用形態

俺も自分運営しているウェブサービスGoogle Maps APIを使ってる(たいしてアクセスはない)が、この無料分を超えたことはない。

破産者マップは「1時間あたり230万アクセスあるみたいです」とかTwitterで書いてたので、これ支払い情報有効にしてたら、とんでもない支払金額になってるだろうね。

それをやっておらず、APIキーなしで利用してたので、背景が灰色で "For development purposes only" とか出てたわけだが、おそらくGoogleにそれがバレて利用を止められてる。(明らかに開発目的じゃないので当然)

これで利用料請求されたら運営してるやつが破産することになるみたいなオチになっておもしろいんだが。

2019-03-17

anond:20190316230525

もう既に灰色です、ここ5年くらいずっと。

2019-03-15

何でお前らの服は彩度が低いの?

黒とか、灰色とか、くすんだ色とか

街を見るとそんな色ばっかで憂鬱な気分になる

まるで誰も彼も背景に溶け込もうとするかのような

気取られたら食われるような世界なのか?

 

別に自分ファッションとかまるで分からないが

あの薄いくすんだ色だらけの街は違和感ある

脳筋テトリス99で勝つために必要なこと

テトリス99が配信されてしばらく経つ。ルール簡単だ。生き残ったやつが勝ち。シンプルだ。

遊んでみるとわかるが、大変に楽しい。消すことで対戦相手攻撃したり、逆に攻撃されたりする。その攻防を掻い潜って勝利できたときの達成感はなかなかのものだ。

もちろん、勝つことだけが目的ではない。ゲームオーバーになってしまった場合も、その時点での順位がわかる。この順位を少しでも上げるというのを目標にして遊ぶことも可能だ。

しかし、皆こう思う。勝ちたい。1位になりたい。ドン勝をしたい。それは正常な欲求だ。けれども、元々テトリスべらぼうにうまい人間以外はこうも思う。1位になるのは簡単なことではない、と。

そうして、どうすれば勝てるのかと思い調査をする。すると、ガチガチロジック解説するページなどに行き当たり、頭を抱えるのだ。違う。僕は、私は、俺は、そんなロジック理解することも、実際にゲーム内で実践することも難しい。不可能だ。だって僕らは脳筋テトリス理論的に遊ぶなんて、そんなことはできない。

この記事は、そんな脳筋に少しでもテトリス99で勝ってほしくて書いている。T-spinがわからなくても問題ない。書いている人間も間違いなく脳筋で、できることはテトリミノ(上から落ちてくるいろんな形をしたやつ)を積み上げて、消すこと。それだけだ。それでもドン勝することはできる。脳筋たちに希望を与えたいのだ。皆にあの達成感を味わって欲しい。そして、ロジック共が跋扈するテトリス界にひとつの爪痕を残して欲しいと思っている。

一応記しておくが、なにも理論的に遊ぶことを否定する記事ではない。それもひとつの楽しみ方で、勝つために非常に有効方法だ。ここでは、そういった遊び方ができない人間が、強いプレイヤーに立ち向かっていくためのマインドメモしている。なお、基本的動作操作方法については割愛している。

とにかく消す

ゲームが始まるとどんどんテトリミノが落ちてくる。それを積み上げて消していくのが基本的ルールだ。うまいプレイヤーはこの段階で高得点を出せる形式に積み上げていくことができるが、脳筋は出来ない。何手も先のことを考えながらプレイすることは非常に難しいからだ。また、対戦という要素も加わり、いつ敵から攻撃を受けるかはわからない。そこで脳筋にできることはひとつ

とにかく消すのだ。一列揃えて消す。すると、そのパワーが敵への攻撃となる。1列や2列消したくらいでは、序盤は大した攻撃力にはならないというのもわかる。しかし、我々には消すしか出来ないのだ。それを怠っては勝てない。欲張ってたくさん積み上げ一気に大量消去を狙ったとしても、それも長くは続かない上、いつ攻撃を受けるかわからない環境では非常にリスキーだ。ツモにも左右されやすい。

とにかく消すのだ。1列ずつで構わない。微弱なジャブでも連続すればある程度のダメージにはなる。攻撃は最大の防御。とにかく消すのだ。

れいに積み上げなくてもいい

脳筋でも几帳面人間はいる。隙間のないように積み上げたい心理もわかるし、事実可能な限りはそうしたほうが有利な状況を作ることができる。しかし、それにばかり固執しているといつのまにか棒状のテトリミノを待つばかりの地形が出来上がってしまい、ツモが悪ければそこで攻撃を食らってゲームオーバーだ。それは避ける必要がある。

どうしても隙間ができてしまう状況というのは起こる。そのときは潔く、隙間を作ってしまおう。そしてまたその上に積み上げて、同じように少しづつ消していけばいい。そのうちに作ってしまった隙間がまた顔を出し、それを埋めて消せるタイミングがやってくる。

テトリスプレイしていると、特に中盤から終盤にかけて、こうした状況が逆に良い方向へ働くことがある。隙間を埋めていくと新たな隙間が出てきて、それによって連続して消すことができ、いつのまにか相手に大量攻撃できているというパターンだ。これを脳筋意図的に行うことは難しいが、偶然できる可能性は誰にでもある。あえて隙間を作ることは決して悪いことではない。それよりも、どんどん積み上げて少しずつでも消していくほうが重要だ。

ホールドはもったいぶらずにどんどん使う

テトリスにはホールドという機能がある。落ちてきたテトリミノを一時保管できる場所だ。欲張りな脳筋は大量得点を狙ってここへ棒をとっておく傾向にある。私もそうだった。適切なタイミングでそれを使うことができればいいのだが、なかなかタイミングがなく腐らせてしまうこともあるだろう。それはもったいない。もし棒をちょうど入れられるスペースがなくとも、今落ちてきているテトリミノと棒とを天秤にかけて、棒のほうがまだマシな地形を作れると判断できたら迷わず棒を呼び出すのだ。もちろん、今は例え話で棒を挙げたが、他のテトリミノでも同様だ。テトリミノAとテトリミノB、どちらのほうが現在の状況でマシなのかといったレベル判断であれば脳筋でも可能範囲だ。できることをやる。それが勝利へ近づく確かな一歩である

絶対に諦めない

から大量の攻撃を受けたり、何らかのミスで大量に積み上がって、テトリミノを詰めるスペースが1列から3列くらいのわずかなスペースになってくると、どうしても諦めてしまいそうになる。特に終盤、テトリミノの落下速度が早くなってくるとてんてこまいになってしまう。そんなときも、最期まであきらめないことが重要になってくる。何も精神論の話というだけではない。大量の隙間や攻撃によって送られてきた灰色ブロックがあるということは、裏を返せばその地点まで到達できれば逆転ができるということだ。諦めることなく地道に消していけば、そんな大逆転も決して夢物語ではない。

そうは言ってもテトリミノを適切な位置に落とすのが難しい状況だから、とてもじゃないが厳しいという人間いるかもしれない。しかし、脳筋でもできることはある。以下に2つ記す。

回す

テトリミノを回すと時間が稼げ、落下位置の微調整も少しは楽になる。とにかく連打をするのだ。多くの人はこのボタンに親指をあてがっているだろうから、恐らくスプラトゥーンパブロを振るよりは楽だろう。

次に落ちてくるテトリミノ確認する

早い展開になってくると、これをするのとしないのとでは雲泥の差になる。大きな眼球運動必要ではないし、何手も先のテトリミノまで確認できなくてもいい。次のテトリミノ確認し、どこに落とせばよいかを考えて実行する。それを繰り返す。するとある時、道が開ける感覚になることがあるだろう。そこへ到達したらもう脳筋ゾーンに入っている。ゾーン脳筋は強い。ほぼ直感的に操作できるだろう。これは決して怪しい話ではない。脳筋にも集中力はあるし、それを全てテトリスに向けることができれば仮にその試合で負けたとしても爽やかな気持ちで次の試合に望むことができるだろう。

一番重要なこと

テトリス楽しいゲームだ。楽しく遊ぼう。もし心が荒んできたら別のゲームをしたり、一度休憩したりするのが望ましい。スプラトゥーンとか楽しいよ。

きをつけること

おおよそ言いたいことは以上なので、あとはなんかチラシの裏かにメモしたようなことを書く。

めっちゃ光るやつにきをつけよう

自分を狙っている相手から線が伸びている状態攻撃をすると、それがなんかものすごい光ってブワーッとその敵に伸びていくことがある。この仕様結構厄介で、その間眩しくて自分操作画面を注視しにくくなってしまう。より一層落ち着いて積み上げ、消すことが求められる。この状況だと比較自分は優位なので、焦ることな対応したい。

ボタンで落とすやつにきをつけよう

すばやく積み上げるには必要不可欠な機能だが、脳筋故にうっかり思ってた場所と違うところに落としてしまうこともある。よく確認したい。

攻撃対象選択はとりあえずカウンターにしよう

なんかいろいろ選べるけどカウンターにしておけば安定みたいなところはある。

落下速度にきをつけよう

めちゃめちゃに早いときの速度は誰もがビビってしまうが、何度か経験すると慣れることができる。怖いときは回そう。

敵を倒したとき効果音や音声にきをつけよう

まりキルに慣れていないと、その効果音ビビってしまうことがある。バッジが集まる音も怖い。もしドン勝できるようになってきたら、この音が楽しくなってくるので聞こえたらウキウキになろう。

慣れてきたら

脳筋プレイに飽きてきたら、もっと技術を高めたいと思うかもしれない。そう考えるのも自然なことだ。その場合は、他に頭の良い記事がたくさんあるので、それを見て勉強したり練習したりしよう。おめでとう。脳筋卒業だ。

万が一脳筋プレイが恋しくなったら、いつでも戻ってきたらいい。脳筋テトリスはいつでも皆を歓迎している。

2019-03-05

第二次世界大戦を起こさな方法

なんか抵当ブクマ書いたあとよく考えたら、起こさな方法を思い付いたので書いておく。

統一国家誕生をまつか、人類疲弊しきるか、核抑止力による冷戦ができるようになるまで、第一次世界大戦継続させる。

灰色魔女カーラみたいな活動を50年くらい続ける必要あるかな

2019-02-28

人を嫌わないということ

自分は、人を嫌いません。というと、周りからよく疑いの目を向けられます。いい子ぶっているのではないか、実際は人を嫌っているのに、自分自分否定しているのではないか、嫌いと言う言葉定義を知らないのではないか

  

 自分からしては、なんで周りの人は人を嫌うのだろう、と逆に疑問を感じます。人を嫌っても、何もいいことなんてありません。人を嫌ったところで、自分人生バラ色に変わるわけではありません。嫌いな人が苦しんでいることに喜びを感じる方も多いかもしれませんが、そのことが自分の役に立つわけではありません。その人がなにかみんなのためになにか貢献して、失敗している場合、むしろ自分への影響はマイナスです。

人を嫌うことにメリットを感じないように思うのは自分だけでしょうか?むしろ、嫌いな人が回りにいる、ということで自分の心が灰色になるのではないのでしょうか?人を嫌っていないのでよくわかりませんが。自分高校生ですが、嫌いな人と高校生活ずっといっしょに過ごすというのは、少し地獄じみている気がします。

毎日嫌いなもの食卓に並んでいたら、誰だって嫌ですよね?嫌いな食べ物を捨てるよりは、その食べ物を好きになったほうがいいのではないでしょうか。

  

 また、嫌いな人のことをみんなで話すといったことをしている集団もいますが、その行為意味あるのでしょうか?みんなで話すのは楽しいことですが、嫌いな人のことをみんなで話しても、より憎しみが増幅されて終わりなのではないでしょうか。

そもそも、人を嫌いになるほどのエネルギーを皆さんは持て余しているのでしょうか?周りの人を嫌って、そんなことに時間を費やしている暇があったら、勉強するなりしたほうが良いと思うのです。

人を嫌うことで得るものは、ストレスぐらいではないでしょうか。

  

 人を嫌わない、それは難しいことかもしれません。人生経験の少ない高校生からみても、社会は広く、いろいろな人がいます日常的に人を殴ってくる人、常に独り言を喋っている人、周りの人を巻き込んで現実逃避する人、例を上げればきりがありません。自分でもそういった人のことを苦手に思うことはよくあります。ですが、それが人を嫌いになる理由になるかと言われたら、ならないと思います

自分は彼らによって迷惑を被ったのは事実ですが、自分も同じく他人迷惑をかけていますし、迷惑をかけられたから恨んでいるようでは、迷惑で得たストレスを増幅していくただのドMになってしまうと思うのです。

  

 それにむしろ自分が彼らから良い経験を頂いたのも事実です。明らかに通常は得ることのできない経験をさせていただきました。その得た経験は、直接なにかの役に立つわけではありませんが、きっといつか人生を振り返ったときに、思い出として残るでしょう。

せっかくの80年ぐらいの短い人生(もしかしたらもっといかもしれない)なのですから、できるだけ珍しい経験をして死にたいと思うのは、ふつうのことではないでしょうか?折角の短い経験で得たものなのですから、悪い思い出よりは良い思い出のほうがいいでしょう。






でも、その人を嫌わないということに、違和感を覚える自分もいるのです。






 人を嫌わないということに、その裏に隠れた事実を覆い隠していしまっているのではないかと。その人が本来やっていたよろしくないことすらも、すべて肯定してしまっているのではないかと。何もかも肯定して世界から目を背けて生きているのではないかと。

  

 これは自分に対しても言えることです。自分は、人を嫌わないということで、何か自分に対して言い訳をしているのではないかと。

昨日も、ある人から言われました。「無理して嫌わないようにしているみたいで、キモい。」その場ではごまかしましたが、確かにその言葉正鵠を得ていました。

  

 自分は人を嫌わないということを言い訳に、歪んだ人間関係を構築してしまっているのです。常に人を馬鹿にして(もちろん自分では冗談のつもりです)、常に人を貶めて、それだけでしか自分相手との会話を構築できない、歪んだ人間関係を。最悪です。基本的に何かあれば人を馬鹿にして、会話に困ったら人を馬鹿にして、ただのコミュ症を汚い言葉で覆い隠しただけの、最低の自分がそこにはいました。

周りの人が普通の会話(なんでしょうね?)をしているのを見て、どこか羨望を感じているのも事実です。人を嫌わないのを言い訳に、何も改善のための努力をしていないのに。

人を嫌っていないから、人の悪口いくら言ってもOK。少し前まで自分はそんなふうに考えて行動していました。自分自分に甘えすぎていたのです。

  

 同時に人を嫌わないために、少し苦労しているのも事実です。自分のことを常にからかってくる人が、自分のことを常に見下している人が、失敗しているとき、苦しんでいるときに、良くないと思いつつ、やめないといけないと思いつつ、心の奥に、かすかな喜びを感じている自分がいました。

その気持ち自分から生じたものであるが故に、嘘ではないことは確かです。しかし、それを認めることによって、自分の信念である、人を嫌わないが壊れてしまうのではないかと恐れ、その気持ち否定してきました。

でも、同時に、そこまで自分に嘘をついていきたいのか、と思う自分もいました。自分に嘘をついて、自分に嘘をついた自分自分と認めてもよいのか、と。嘘にまみれた自分は、もはや自分とは言えません。その2つの考えに挟まれて、どうしてもどうすればいいのかと悩んでしまます

  

 また、自分は人を嫌わないということで自己満足に陥ってまっているのです。

 人を嫌っていない自分ってすごい。人を嫌っていない自分って優しい。人を嫌わない、その自分の信念みたいなものを笠に着て、裏側で自己満足している。最低です。これなら人を嫌ったほうがマシかもしれない。そう思うことも多々あります。 そして、人を嫌わないことの裏側で、自分は人を無意識にでも道具として扱ってしまっているのです。人を嫌わない、そのためだけに人と腹を割って話していない気もしますし、人を嫌いになりそうな場面に出くわしたら、そっと目を閉じている。もはやなんのために人を嫌わないのかわかりません。本末転倒です。

  

 そもそも、そんなことをしてまで人を嫌いにならない必要はないのではないかと、最近思うようになりました。あまりにも、人を嫌いにならないことによる違和感が大きくなりすぎて。でも、未だに人を嫌いにならないことをやめていません。

  

 自分は、嫌われるのが怖いのです。陰でコソコソと悪口を言われるが。自分が知らないところで、自分が嫌われるのが。自分を知らない人が、自分と合わず自分を悪い人だと思うのが。自分は、人から評価に過剰すぎるのです。自意識過剰自分は、自意識過剰の極みのようなものでした。

 それゆえに、自分が嫌われるのが怖いから、人を嫌わないのです。「自分が嫌なことを人にしてはいけません。」自分は、小学校で教わったことを、未だに信じ続けているのです。自分が嫌われるのが怖くて。周りの人が嫌われるのが怖くて。自分は浅はかにもこんなことを始めたのでした。

 ですが、今はその目的はあまり原型をとどめていません。今の自分はどちらかといえば自己満足意味合いのほうが強いのです。




きっと、この世界理想存在しないのでしょう。優しい世界存在しないのでしょう。だから自分は、優しい世界を作りたかった。

でも、自分は優しくはなかった。利己主義自意識に満ち溢れたただの高校生だった。

この優しくない世界で、自分はどう生きるべきなのでしょう。答えがないが故に、自分は答えを探して、今日自分は答えのない日常彷徨っています

2019-02-27

「興味あるか」と言ってマッサージ機を見せる男!(浜松市船越小学校 他)

https://www.gaccom.jp/safety/detail-327862

[件名]声かけ事案発生

[日時]2/25(月)16:00頃

場所浜松市中区船越町 道路

[学区]船越小学校

[状況]歩いて下校途中、銀色自転車に乗った男に電動マッサージ機のようなものを見せられて「こんなのに興味あるか。」と声をかけられた。

[遭遇者]中学生女子

行為者]40代 小太り 灰色ニット帽 茶色ダウンジャケット 黒色ネックウォーマー 白色スニーカー カーキ色ウエストポーチ カメラ 

 AVの見過ぎですね。

2019-02-24

個人的まとめ:スマホゲーのガチャにおけるハイレアリティ定演出等

  1. 「実際に引いたものが何であるかの発表の前に、何らかの形でハイレアリティを引いたことがわかる演出」を適当にまとめる。
  2. そもそも自分ハイレアリティを引いたことがなかったり、あっても演出に気がついていないもの言及しない。
  3. 順番は思いついた順。間違いに気がついたら随時訂正。

除外対象

いわゆる「建造残り時間タイプのもの全て。艦これアズールレーンドールズフロントラインなど。

一応この手のは「残り時間が長時間であればあるほどハイレアリティ可能性が高い」という傾向はあるが、確定とまでは言えない。

特にアズレンは4時間オーバーで☆1が出るのはザラ。一方でアビスホライズンは割と素直に長時間=ハイレアの傾向が出る。

fate/Gland Order

事前のレアリティ発表なし。

背景のラインが1本→概念礼装、2本→コマンドカード、3本→サーヴァント

サーヴァント場合に限りカード裏色でレアリティが判る。銅色→☆3以下、銀色→☆4、金色→☆5。

カード表示後に色が変わるレアリティ昇格演出もある。

Wild Arms Million Memories

希望の欠片ガチャARMガチャ確認☆5が混じる場合ブリトニーがゴーグルをかけるシーンにフィールが出てくる他、直後の引き金を引く時の表情が笑顔になり、カットインが入る。

引いた後に引いたものが一覧で並ぶ演出があり、この時にレアリティが判る。

ギアガチャ演出未確認。昇格なし。

QMAロストファンタリウム

召喚演出で並ぶ石の色でレアリティが判る。青→R以下、黄→SR、赤→SSR以上(UR虹色だった記憶もあり)。

それぞれの石がアップになった時と、石が割れレアリティエンブレムが出た後の2回レアリティ昇格演出(「!」等の表示とともにメティスが出現する)が入るタイミングがあり、SRからURまで昇格することもある。

蒼青のミラージュ

軍艦擬人化ゲーには珍しく「建造残り時間タイプガチャ採用していない。

事前のレアリティ発表なし。

建造演出で奥に見える立方体オレンジ色になった場合は☆4以上。昇格なし。

SINoALICE

SSランク武器が混じる場合は引いた紐がすっぽ抜け、アンキが半壊した状態で降りてくる。その後の寸劇も「当たりであること」に言及する内容となる。

積み重なった本の色が茶色→Aランク銀色→Sランク以上。積み重なった後「レアを増やす」旨の会話が入るとAランク一つがSランク以上に置き換わる。SSランク演出との重複は未確認

乖離性ミリオンアーサー

UR以上が混じる場合は背景(泉?)が虹色に光る。

昇格なし。後からMRMMRが追加になった影響で、演出入りが最上レアリティ確定ではないという珍しいケース。

プリンセスコネクト! Re:Dive

カリンが抱えている書類虹色に光っている場合は☆3が混じることが確定。

その後張り出された書類の色が銀→☆1、金→☆2、虹色→☆3。昇格なし。

演出必須ではなく、通常演出でも☆3が入ることがある。

ゴシック魔法乙女

鏡が赤く光っている場合は☆5が入る可能性あり。虹色に光っている場合は☆5が混じることが確定。

その後並んだ宝石の色が灰色→☆2以下、青→☆3、赤→☆4、虹色→☆5。

赤に限り、並んでいる状態で光が集まって虹色になる昇格チャンスがある(青→赤の昇格は未確認)。

FLOWER KNIGHT GIRL

種が入っていった時点で鉢が金色場合は☆5、虹色場合は☆6が混じることが確定。

昇格演出ガチャ最初に入り、鉢の色が変わる。銅→銀→金と連続で変わるパターンと、銅→虹に変わる2パターン確認。結果が並ぶ前に昇格演出が入る珍しいケース。

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