はてなキーワード: 常套句とは
私はとあるハンサムさんのファンを長年続けているんだけど、2009年初めてZeppにハンサムを見に行って、賢人くんと春馬くんの歌声に魅了された。
『歌が上手い』なんて単純な話ではなく、二人の歌声が重なった時のハーモニーに衝撃を受けるほど感動してしまったの。
歌声の相性が良ければ、1たす1が100になるような奇跡の音色に生まれ変わるのだと、生まれて初めて知った瞬間だった。
思えば後期ハンサムLIVEは、ファンイベントよりもショー作品と表現する方が近く、
推し個人とのコミュニケーション濃度より、全員のLIVEパフォーマンスを楽しむ祭典度の方が強かった。
(これは誰を推しているかによって変わってくるのかもしれないけど。
私がファンをしているハンサムさんは、ファンが望むことの読み取りと 本人が望むこととのバランス取りが篦棒に上手く、
彼はあらゆる場面で私たちとの時間の積み重ねを感じさせてくれるから、この関係性でいる信頼感と安心感がハンパない。
私たちそれぞれとの歩みを大切にしてくれる彼にはいつも心から感謝している。
そんな日々の濃度は、ハンサムで生ファンサをもらう濃度に決して劣っていないと、私は感じてる。)
だから私にとっては、ハンサムLIVEは推しだけを愛でる場ではなく、チーム・ハンサムを応援し全員が仲間になるお祭りだった。
そして、歌手ではない二人のハーモニーを聴くことができる、唯一無二の機会だった。
あの感動のひとときはもう失ってしまったのだと、今回のハンサムでようやく痛感し、
賢人くん春馬くんそれぞれのファンの方からすれば「痛感するの遅くない?」「なんでこのタイミング?」ってなる話だと思う。
二人が一緒に出演したのは伝説の2012年公演が最後で、もう4年も経っているから。
ファン感謝祭ジャンルのショー作品として究極であり完成してしまった伝説の2012年。
最高の先にある新しい世界を求めて挑戦をしたBrand New Worldの2013年。
常に『進化』してきたハンサムLIVEだったのに、先に進むことではなく『締め括り』のショー構成だった2014年。
(なお、この2014年も初日が終わった後に盛大に絶望していた。
Never Let Go!って、EVER LASTING SHOWや言うたやん!って思っていたけど、後から読みとってみれば最終回の常套句ばかりだった。
でも終わって欲しくないからストレートな言葉の意味意外ぜんぜん考えなかった。だって第二章が始まった次の話が最終回だなんて信じられないでしょ…?
演目構成として『終わり』を突きつけられるのは、参加者としてめちゃくちゃキツかった。楽しかったけど絶望を受け止めきれなかった気がする。)
と、2014年までが一つの文脈になっていたから、何というかワンチャン…みたいな希望がずっと私の中にあったのです。
(2014年は賢ちゃん居たけどwhite serenade担当しなかったことの意味とか…
デュエットの相方ははるるお気に入りの裕太がバッチリやってくれたこととか…)
それが一年寝かせて、名前がハンサムフェスティバルになった今年2016年。
とてつもなく素晴らしい引き継ぎ構成だった今回。
2014年に絶望した先輩ハンサムさんファンの私としては、このFestival Nightは毎年恒例なんて当たり前の存在ではなく、『ミラクル』なのだとストレートに突き付けられて漸く受け止められたし、
新入生ハンサムくんたちに『これまでの道のり』とか『後ろは振り向かないで』とか言われちゃ、世代交代という形の一つの終わりを実感せずにはいられなかった。
そして『THE GAME初出の曲をファンが歌うダブルアンコール』という奇跡は、最高の『私たちの時代の終わり』だった。
2014年は総集編だったから、そこにエントリーされたことはきっと喜ぶべきだし、賢人くんが春馬くん以外とwhite serenade歌ってしまわなかったことに救われていたけど、
引き継ぎ式の2016年にあえて歌う必要性は最初感じなかったし、2014年に続き桜田さんが担当していてオリジナルメンバーよりも多い回数を公式披露した現実にぶっちゃけ初日は死んでた。構成担当を怨んだ。
(ちなみに2013年はギャグ扱いだし悲恋ぼっち曲だから賢ちゃんソロでもノーカンセーフ。他の曲も同じ状況だったしね。確か壮ちゃんが紹介していた、舞踏派チームのbutterflyが流れた瞬間「ヤメテー!」って悲鳴を上げたファンの方の気持ち、今なら超わかるよ。笑)
初日の挨拶で桜田さんが賢人くんの話をしてくれたから、一命は取り留めれたけども…white serenadeから先は他の曲もオリジナル版で賢人くんと春馬くんのデュオだったパートになる度に、喪失感がすごくて。
(実際のところ、二人の持ち歌のwhite serenadeでは声を重ねるパートが少ないから、ハーモニーのファンだった私としては全体曲のCメロとかの方がより一層思い入れ深かったりはする。)
私の中のハンサム公演にとって、賢人くんと春馬くんのハーモニーはこんなにも自覚していた以上に大きな存在だったんだなぁと、喪失感の大きさから気付いた。
先述の通り、先輩ハンサムさんファンとしての私は、2016年の引き継ぎ公演っぷりに成仏できた。
それはハンサムフェスティバル全体を通してのことで、祭儀の結果。
(もちろん私もこのお祭りが大好きだし大切だから、彼を含む先輩チームにはぜひまたお祭りを開いてもらいたいけどね!宇宙にだって付いてくよ!全通皆勤記録まだまだ伸ばすよ!)
(彼のファンも一生続けさせてね。これからも私たちのことどうぞよろしくね。)
でもじゃあ賢人くんと春馬くんのハーモニーが大好きだった私は…となった時に、
私を抉ったwhite serenadeが、逆に葬送曲になった。
リリース当初は、どうして悲しい恋の歌を作ったのか疑問だった。
ハンサムミュージックは、いつもチーム・ハンサムと私たちの『今』を赤裸々に的確に表現していて、一般的なアーティストさんやアイドルさん等の楽曲とはメッセージ性の方向が全然違ったから。
でもねぇ喪失感あふれる今、white serenadeの悲しみのシンクロまじやばいよ…
ハンサムに会いに行っても二人はもう居ないし!
好きの終わりをうまく飾れないし!
私の推しハンサムさんがパート担当しても二人のハーモニーの想い出は消えないし!
終わらず続いたハンサムの会場で…
そして『もう少し待ってみよう 悲しいまま あの日のまま』と締められてしまうから、成仏できない。
葬送曲として『悲しい終わり』を突きつけられたけども、鎮魂して成仏なんてできないよ。
ずっとずっと待ってるから、
賢人くんと春馬くんのハーモニーがまた聴けることを。
悲しい恋の歌にギャン泣きして二人の歌声を探し彷徨うファントムになりつつ、
出演してくれた愛しいハンサムさんたちと素晴らしいハンサム・スタッフさんに心から感謝して、
引き続きブチ上がっていくぜ!!
彼は、ビー玉のように丸く大きな瞳と、優しげに垂れた眉、主張の少ない鼻と口元が綺麗に収まったその顔をくしゃくしゃにして笑う人だった。
いつも自分の名前より先に名乗る横文字があった。膝より高く足を上げ、腰より高くジャンプして踊る、アイドル。その特徴的な声は、話す時も歌う時も彼にアクセントを与えた。
どうして彼に惹かれたのか、いつ好きになったのか分からない。正確には『覚えていない』。今となってはそれはとても悔しいことなのだけれど、仕方ないと思うようにしている。
私は4歳だったから。
物心ついた時にはもう彼が私の心の中心にいた。大きくなったらお父さんと結婚する!という父親泣かせの常套句と等しいようなテンションで、私は大きくなったら彼と結婚する!と言って憚らなかった。
軽快なピアノの音から始まる曲と共に、4歳の私は彼と彼の仲間たちの虜になった。
私が5歳になる頃、25歳の彼は大晦日に行われる国民的番組を仕切る役目を任されていた。
私が10歳になる頃、30歳の彼はきっとこの先も歌い継がれるであろう国民的大ヒット曲を発売した。
私が15歳になる頃、35歳の彼はオリンピックのメインキャスターとして現地に赴きその熱狂を伝えていた。
いつの間にか初恋の人に対する感情はほぼ親に対するようなものへと変化していった。仕事ぶりへの尊敬と、健康の心配、どちらも尽きない。結婚したい!と言っていた人に、今は介護させてくれ…と言うようになった。
今の私に、当時の彼が成し遂げたことはきっと何もできないだろう。そんな無力感に襲われるが、彼は24歳であそこまで出来ていたんだから、私にだって何かできるはず、何かしなければ、という気持ちにもさせてくれる。
彼はもうすぐ“アイドル”の壇上から降りてしまうという。一報を聞いてから1ヶ月半が経つが、未だに理解が追い付かない。3か月先のことは正直まだ考えられない。それでも心の準備はしておかなければ、という思考回路になってしまうのは、何事も事前の準備を怠らない彼の影響なのだろう。
大事な大事な番組とお別れすることになった際の彼の言葉を拝借して彼というアイドルとのお別れの言葉にしたいと思っている。
『あなたを好きになって20年間で、「もう成人だから卒業していいんだよ」と言ってくれてるんじゃないかなと勝手に解釈をして、今後も「私は中居正広ってアイドルがずっと好きだったんだよ」と、胸を張って恥じないように、生きていきます。』
PC向けの業務アプリを作っていると、マスタメンテナンスの一環として、登録データのCSVアップロードとダウンロード、もしくはそれらに準ずる機能を要求される場合が多い。依頼者曰く、膨大なレコードを1件ずつチマチマ修正する場合に面倒なので、CSVでババーッと修正してドドーッとアップロードできれば一括反映できて簡単でお手軽で便利で定時退社で5時から男だ、という事らしい。
そんな感じで、当初はあくまで一括処理のため、みたいな感じで要求されるのだが、作った後に実際の運用を調べてみるとほぼCSVアップロードだけしか使ってません、みたいな事になりがちだったりする。別にCSVアップロードを実装したところで1件ずつ登録したり修正したりする画面が無くなるワケではないし、どっちもあった方が良いのに越したことはない、というのは理解できるのだけど。
CSVアップロードとダウンロードによる一括作業のあるあるとしては、
・ユーザがCSVを編集するためだけにMicrosoft Excelを準備しなければならない(場合が多い)。折角Webベースの業務アプリにしようとなっているのに、Webとは別にCSV編集用のソフトウェアが必要というのは本末転倒な感じがする。「大体のパソコンにはWordとExcelが入ってますから」が常套句。
・CSVフォーマット自体がバリデーションを持たないため、アップロード後、サーバ側でチマチマとバリデーションを書く必要があり、それらをアップロード時のエラーとして丁寧に表示してやる必要がある。これがすこぶるウザい。リレーションなどが絡むと余計ウザい。ユーザも修正後2度3度4度とCSVをアップロードしなければならず、面倒である。
・データとして一括処理する前の作業が分業になっていて、CSVの行単位で分けたものを最終的にCSVとしてマージするというやり方にしたいという要求がある場合。社員1名が10000行のCSVをダウンロードし、それを手作業で100行ずつぐらいにしたものを、100人のパートタイマーに修正させる、等。そういうふうにCSVを分割してくれと言われたこともある。
・CSVファイルと画像ファイルをアップロードして画像も登録できるようにしろ、などと言われる。この場合、CSVのカラムに画像名を記載し、同階層にその画像名の画像を配置し、それらをZIPなどで固めてアップロードするなどの方法があるが、手順からして正気の沙汰とは思えない。画像のバリデーションなどもウザい。
・そんなふうにしてCSVアップロードを実装すると、処理が複雑すぎるせいで、最終的に属人的な業務になりがちだったりする。ZIP圧縮するときはこのアーカイバを使えとか、画像はjpgだけにしろとか、こちらが特に指定しておらず本来そうしなくてもいいような部分がヘンにローカライズされて面倒なことになっていたりする。
といったものが挙げられるかと思う。
・CSVの取扱をやめる。
・一括処理が必要なカラム等をヒアリングし、それを可能とする画面を作る。バリデーション等も考慮。
・編集時には行(ないしはページ)単位でロックをかけ、複数人での編集で衝突が発生しないよう考慮する。
・一括編集&バリデーションチェック⇢保存で反映、という流れだけなのでシンプル。属人的にならない。
といったようなものが考えつくが、これらを提案しても「いやいやいやいやいやいやいやいや、ここはCSVで」とか言われる事が多かったりして嫌になる。なんで皆そんなにCSVが好きなんだろう。
上記以外に、何か良い代替案とかあったら、是非教えてください。
暇だったのでやった。今は反省している
zinjoutarou やたらと、#豊洲移転 に論を進める #やまもといちろう 氏。以前は女性のヒステリー発言もあったね。もしかして、本業と言われる投資にも関わっている?
言われるまでもなく本業は投資と自称してるし、余計なリスク取るまでもないぐらい大金持ってるのも昔から公言してるけど知らないか。それぐらい有名になったってことか
shufuo すげーポジショントーク。身内が絡んでるんだろうね。
enemyoffreedom この件では徹頭徹尾ポジショントークなので「いったい誰に言わされているんだ、どういう筋のしがらみなんだ…」と気になって文章が頭に入ってこない
最初から「築地市場は早々に移転するべき」ってタイトルで自分のポジション示して論を展開してるのに、「ポジショントーク」とかっていって批判した気になってるのすっごく頭悪くない?
TakamoriTarou ここからわかるのは技術会議を役人が見事に騙していたという話だけでは? 資料読み込んでるなら分かると思うけど、報告書は明らかに全面盛り土の前提になってるよね。こんな強弁何の役に立つと思ってるの隊長?
ここからわかるのは、専門家会議が思いつかなかったよりよい方法が小会議である技術者会議の途中で見出されて採用されたことしかわからないけど。役人騙したとかどこから読み取れた?「保身は大事ですよね。」の方がよっぽどまともな読み取り方に思えるが俺だけか?
誰が謝れって言ったんだよ?お前か?名誉毀損で訴えられたら謝るだろうよ
kkzzrr まぁこいつは元々自身の経営するi&p社の社員に業務中に2chで工作や情報操作させてる様なネット弁慶だしな。ここのはてブのコメントにもくっさい臭い社員コメントが増えてきててうける
懐かしいレスだな。感動した
馬鹿が出てきたら叩くのがこの人の芸風でしょう。そもそもタイトル読もう
masafiro1986 声を荒げるでもない小池さんをヒステリー呼ばわりするのに、石原慎太郎がブチ切れても、熱量があって芸達者、などと呼ぶのか。
何がおかしいの?確証もない適当なタレコミ鵜呑みにして都職員に確認することもなくと突然土曜日に記者会見開いて「全職員綱紀粛正」とか言い出したらヒステリーとしか言いようなくない?芸達者伝統芸はこの有様で何年も都知事やってたことへの皮肉でしょ。俺の解釈が間違ってる?
典型的な中身も見てないし理解もしてないし興味もないけど批判だけしたい時の常套句だな
Redcolor これは金をもらってか、何かが絡んで記事を書いていそうだね。
toshi20 この件に関しての隊長は「ちょっとあんた黙っててくんねえかな?」と言いたくなる攻撃性の高さ、バイアスの掛かり方で引きながら見ている。小池知事がヒステリーって決めつけた初手から攻め方が露骨だし。
取材先がみんなヒステリーって言ってた、そうだが。前は集団脳障害って書いて訂正求められてたな
www6 投資が絡んでるとかじゃなくて、単純に引っ込みがつかなくなってるだけだと思うの。キクマコとかも同じなんじゃないかなあ。リセットできるやさしい世界だったら良いのに。
お前のリテラシーが強烈に低いのはよくわかった
is11045 畑明郎は地下水汚染の専門家なんで文句があるなら一度ガチで議論してはどうか。海水がどうとか素人レベルの議論では太刀打ちできないと思うが。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
AKIT これで水からベンゼン出たらどうするんだろ、たいちょ。「技術会議」が都庁の言いなりの人たちを集めた会議だから「専門家会議」の提言をネグったと言われてるけど、そこはネグるの?
豊洲のベンゼン検出量、環境基準値もクリアしてるし晴海よりも低いんだけど知ってた?
そうとしか思えないけど、お前にはどう見えたの?
urashimasan 都合のいいとこだけ抜き出してもね。事務局側としてはあの案をコソッと出して技術会議に責任を押し付けたつもりなのだろうが、質疑応答ではあいまいな返答でごまかしている。
son_toku 図面だけを資料に入れてその場で説明が無く、意見がなかったら図面内容含めて了承したから瑕疵がない、というのはちと無理筋のような。次々議事と説明が繰り出させる会議の場で専門家と言えど気付けたかどうか?
ROYGB 提言では全面に盛り土することになってるのだから、それを変更するには明確な変えるという提案と承認がないとまずいような。勝手に変えた図面出して文句言われなかったからOKというのはインチキっぽい。
ysync とりあえず、議題として上がってきたわけでもなく、しれっと変更された図面を入れとくとかペテン以外の何物でもないと思うが。議論に集中せず資料だけずっと眺めてるタイプ(よく居る)なら気づくかもしれんけどなw
u_eichi なに言ってんだ。エクスキューズもなくペロッと出された会議の資料で問題と認識していないところがさらっと変更されてても、よほどじゃないと気づかないだろう。空洞化を会議内で共有されてなかったのが問題で。
tyatya_moon なぜここまでポジショントークなのか気になる。安全云々よりも技術会議などをスルーして決定していった事に対して、信頼が崩れているのに・・。
議題に上がってたのは共産党もわかってるんだけどな「わが党の調べでは、2008年11月の第6回技術会議で、5つの土壌汚染対策案の一つとして地下空間を利用する提案が初めて紹介されました。」
copyxxx いろいろ強引なのを見てると、実は豊洲移転に反対で、逆張りで無理な論理展開して意見を誘導しているように見えてきた
gaojin2180 問題は、安全性にあるのではなく、盛り土を計画していたにも関わらず、実際には報告せずに計画を変更して施工していた点にある。計画と異なる施工をしたが、結果的に安全だからそのまま計画を進める、とはならない。
前の記事読んだ?報告先である親会議はなくなってたんだよ。知ってた?当時の都知事も知ってたみたいだよ。
dissonance_83 ポジショントークは不要。どういう皮算用があるのか知らないが、フラットに事実を見て判断しているのでなく特定サイドに加担している。コンセンサスとっていないこと、手続きが適正に取られていないことを軽視し過ぎ
現都知事は理解しようとしたのでしょうか?手続きの話は移設後ではできないのですか?
ninosan 隊長擁護してるのは痴れ者か?やましいことがないならメディアを地下に入れても良いはずだし(都が断っている)、水の調査もさっさと公表できるだろ。なんで共産党の調査の方が先行してんだよ?
「さっさと公表できる」ってお前専門家か?ジャム瓶で適当に水掬ってpH試験紙で測っただけで「調査」だとか言いたいんじゃないだろうな。
kingate 奥さんもいてお子さんもいるのに、金の方が大事でしょう、というスタンス嫌いじゃないですよ、テメェの家族をウィッカーマンに放り込んで火かけるなら。市場経済に大地の恵みがありますように。
何言ってるかわからんけど、この騒動でクビ切られる都庁の偉い人の心配してるんだよな?
時事通信か共産党員がリトマス試験紙とpH試験紙の区別もつかないの揶揄してんだろ
nibo-c なんでこの人、今回こんなに必死なの?
築地のクッソ汚くてボロボロの市場で売られてる物食いたくないからじゃね(適当)
マジかすげーな
kenjou 読むに耐えないので飛ばし読みしましたが、この件についてこのひと必死すぎますね。こんなに各方面に無理筋のケンカを売りまくると後に響きそうですが。なりふりかまってられないほど追い込まれているのかな。
アホか
siomaruko まともな社会人の発想じゃないレベルまで偏ってきているかんじ。そんなゴミみたいな言い訳的擁護して恥ずかしくないのか。こんなに酷いと誰からいくら貰ってるんだろうと疑われても無理ない。
揮発したベンゼンが危ないって主張しているところにマスクも無しで視察しに行ったり、強アルカリ性の水を素手で救ったりしてる方がどうみでもまともな社会人じゃないと思いますけど
madaranokarasu スマホゲーの闇に斬り込んだときも、過去にもしもしゲー自分で作ってたことにはだんまりでしたね
クッソつまらない駄ゲー自慢してたのは知ってるけど、ガチャゲーも作ってたの?
s025236 “(3)はそもそも盛り土が耐震性その他建屋の強度に関係するわけもないので、ここは除外で問題なかろ”←盛り土だからというより空間になってるので耐荷重下がって問題になってますよね
nao_cw2 この人は別に専門家でもなんでもないんで軽く言ってますが、地下水流入はまずいんです。アルカリ反応もコンクリがアルカリだからって茶化さないのが専門家です。工法変更してるんだから結果オーライじゃないですね。
KAZ99K 本日の誤認誘導ポイント|一般論としてですが→不確実なこと言うな|概ね4つの論点があります→勝手に並列すな|必死に追及しようとしているのは(2)→論点ズラすな|さすがにそこに広報ミスはない→都合のいい解釈すな字数
字数が足りない時はこうやって増田に書けばよくない?もう書いてるかもしれないけど
euda pH のくだりが絶望的。pH 12-13 とかは固化する前の“セメント”ね(アイドルがやけどしたやつ)。pH 10 って下水に流せない。海水がアルカリそうですか。みんな定量性にかけるのだけど、高等教育受けてない?
「コンクリートは、セメントの水和によって水酸化カルシウム(Ca(OH)2)が生成され、pHが12~13の強アルカリ性を示します。」「海水中のpHは一般的に弱アルカリ性を示し、表面海水中での約8.1」ありがとう勉強になったよ
おかしなこと書いてたら基地外の社会復帰活動の一環だと思ってスルーしてくれ
正直ちょっとソース調べるだけで疲れたし、まともに記事に仕上げた上で毎日のようにツイッターでこんなことやってるの凄いと思った(小並感)
悩みの大半はさっさと行動すれば解決する話です。
■気がついたら得意分野がなかった
早い話が、流れに身を任せていたら得意分野がなくて詰みかけてるという話です。
基幹業務パッケージのカスタマイズおよびアドオン開発をやってきました。
開発、運用、保守フェーズのすべてを経験していますが、要件定義をはじめとして、お客様と調整、折衝した経験が一度もありません。
様々なプロジェクトで仕事をしてきましたが、「何が得意なの?」と聞かれると閉口してしまいます。
■気がついたら何も身についてなかった
WEBの世界に憧れてITの世界に入りましたが、プログラミング経験のなかった自分が配属されたのは統合業務パッケージのチーム。
続けていれば何かが変わると信じて、目の前の仕事に打ち込みました。
SEの自慢話の常套句にあるように、熱が出ても点滴を打ち、心が壊れそうになっても吐きながら通いました。
配置転換で担当するシステムの業務が何度か変わっても、1から勉強してなんとかついていきました。
有名コンサルティングファームやSIerと一緒に仕事をしていて愕然としました。
自分が5〜10年かけて習得したパッケージの知識は、新人教育とOJTによって数ヶ月で習得するものだったのです。
結局知識はお金で買える。パッケージ導入という狭い世界では、知っているのが当たり前。知らない奴は入ってくるながルールなのです。
■信じてやってきた10年間
結局は自業自得です。自分のキャリアを見つめ直す機会は沢山ありました。業務外でスキルアップをする機会もあったでしょう。
それでもなお、目の前の仕事を一生懸命にこなしていれば、後から良かったと思えるときがくるだろうと、自分を信じ込ませてきたのです。
年齢が上がっても上流を経験する機会がなかなかなく、常に頭を下げながら、「経験はありませんがやらせてください」と頼み込むのが常です。
結局、アサイン先で経験させてもらえることはなく、今に至ります。
私には武器がありません。コミュニケーション能力が高くてセッションが得意なの同僚や、手を動かすのが早くて技術もある同僚と比べると、私には特筆すべき能力がありません。
彼らが早く帰っても「そういうやつだから」と認められますが、私にはバリューを出せるようなスキルがないので、結局のところ量(つまり残業)で年齢にみあった貢献をしようとしてしまいます。
これからどうすれば良いのか。
一応、肩書きはSEだったりコンサルだったりしますが、パッケージ外のこととなれば完全な門外漢。
キャリアをチェンジすることも難しいです。持っている知識もニッチで浅くてバラバラです。
自分の存在価値が日に日に値減りしていく恐怖感で押しつぶされそうです。
私は何と戦えば良いのか。何を乗り越えれば良いのか。
私の働いている職場では年に2回、6月と12月にちょっとしたパーティーがある。パーティーと言ってもドレスコードは必要なくて、ホテルのホールに200人くらい集まって食事をする会で、いつもよりはちょっと綺麗めの洋服を着ていくくらいのフランクなパーティーなんだけど。
私はこれが嫌で嫌でたまらない。だいたい1か月前くらいに出欠を取られるが、もちろんこれも仕事のうちなので行きたくないから不参加、という訳にもいかなくて痛い胃をごまかしながら参加をしている。なのでこの時期になると「あ~また今年もか...」なんて全部低気圧のせいにしたいくらい心が落ち込む。外は快晴なのに。
参加者は同業者がほとんどなので、年齢層は高め。参加者の中でも私くらいの年代の人は今までほとんど見たことがなくて、母くらいの世代の人がしきりに話しかけてくれる。きっと気を遣ってくれているんだと思うし、その気持ちはとても有難いから、表情筋がつりそうなくらいの愛想笑いを顔に張り付けていることが気づかれていなければいいな、と思う。
ただ、年に2回のこのパーティーは2時間、と時間がはっきり決まっているところだけは好き。そうじゃない職場の飲み会は何時に終わるか分からない中、ダメだと思いながらもなんどもこっそり時計を確認している。帰りは経費でタクシーを使わせてくれるので「電車の時間が...」なんて常套句は通用しないのがつらいところ。
私はお酒を飲むことが好きだけど、仕事関係の飲みの席ではお酒の味が全部まずく感じる。ご飯も味がしない。喉を異物が通り過ぎるのをまずいアルコールで流し込みながら、心が死んでいくのを感じる。この数時間だけでもブリキの心になればいいのにと念じながら、飲み会がお開きになるのをひたすら待つ時間が永遠に感じられるほど長い。父ほどの世代の人からベタベタとボディタッチをされることも、プライベートな質問をされることも吐き気がするほど嫌で仕方ない。
セクハラに耐えるのも仕事のうちだと言い聞かせないとやってられないけど当然給料が発生するわけじゃないから、職場の飲み会なんてサービス残業の一種だと思ってる。時給が発生すればいいのに、なんてこと言ったら「これだからゆとりは」なんて言われるんだろうか。
自宅に帰ってからふっと涙腺が切れたようにわんわん泣いたこともあった。それでも仕事は続けるしかないし、飲み会が嫌だというだけで辞めるほど浅はかじゃない。結局は自分が社会的に弱い立場にいることをひしと実感するだけだ。
ここ数日の都内の道は案の定どこもクソひどい状況だった。
なんの理由もなくクラクションを鳴らす人間なんて基地外くらいなものなの。
ってことはクラクション鳴らされて切れてる人間は、基地外に切れてる痛い人間か、鳴らされてる理由があるのに逆ギレしてる人間ってことに他ならない。
「右折信号の2~3秒が待てねぇのかよ」「車線変更に鳴らすなよ」「法定速度守ってるのに鳴らすなよ」
これ、運転が下手な人間の常套句ね。ついでに言うと、事故をおこす人間のほとんどがこういうこと言う人間。
右折信号で曲がらない車にクラクション鳴らすのは、何も自分が曲がりたいからじゃないの。
自分より後ろにいる曲がれないかもしれない人のために鳴らすのだよ。
曲がれる人にとってみれば2~3秒でも、その信号で曲がれなかった人には数分になるから。
それで無理な右折して事故でも起こされたらそんな夢見の悪い話ないからね。
かと言って一番後ろの車が鳴らしても誰に鳴らしたかわからんだろ。
だから2台目の車は、自分の役割だと知っているから鳴らすんだよ。
それに切れるとか何?バカなの?なんで教えてくれてありがとうって言えないの?どんだけ身勝手なの?
2~3秒待てねぇのかよとか、恥ずかしいセリフよく言えたもんだよな。
車線変更で鳴らされるのは、事故に繋がるような危険な車線変更だから。
運転には流れというものが会って、それを無理に止めようとすることは危険なことなの。
皆がプラス10キロで走ってるとしてその中に法定速度の車があったら、それはつまり時速10キロで走る車の中に止まってる車があるってこと。
流れてれば危険がないのに、そこに法定速度の車があることが危険の原因になってるんだよ。
自分で自分の安全を確かめず人が用意した安全基準鵜呑みにしすぎ。
国に基準基準って叫んでおいて、自分からは身を守ろうとしないの。
ドライバーが最も大切にしなくてはいけないことって何か知ってる?
この言葉の意味がわからないならすぐに運転をやめて免許を返した方がいい。
交通インフラやタクシーつかったほうが結果的に割安になる。遅かれ早かれ事故を起こすのはこれを理解できていない人間だから。
「事故を起こさないための安全に対する配慮」は、もちろん大切なことだけど一番に大切なことではない。
なぜなら、事故の原因の大半は、流れを無視した(もしくは全く読めない)人間による自分勝手な行動だからだ。
もっとわかりやすく言うと、事故を起こさないように慎重な運転をすることが、事故の原因になってるっていうことだよ!
さっきも言った通り、流れができている中で流れに反する行動をとることは=リスクなの。
慎重になりすぎて交差点で何度も踏むブレーキ、予測できないようなタイミングでする車線変更、流れができあがってる中で頑なに守ろうとする法定速度。
あなたがどう考えていようが、これは危険な行為であるし、身勝手な行為でしかない。
事実、事故の大半は周囲の流れを無視した行動によるものなのだから。
そこには正義も悪もなく、ただ単純に”流れに沿わなかった”という事実しかないんだよ。
これを見てふざけるなって思う人は、本当に車の運転をやめたほうがいい。
「自分の権利だ!」って行使することは、それこそが自己中心的な考えに他ならないからだ。
こんな書き方をされても一理あると耳を傾けるくらいの気持ちでないと、ハンドルを握るには危険が多すぎる。
なぜなら、免許とは運転が許されるライセンスではなく、取得すれば責任の全てを負わされる契約書のようなものだからだ。
運転の習熟度関係なく、初心者も熟練ドライバーも、誰もが平等に裁かれるのが免許というシステムなの。
安全な運転方法をやさしく教えてくれる人間なんて皆無な世界の中で、たとえ鳴らされたクラクション一つからも、次に安全な行動を取れるように学ぶ姿勢がなければ、その人間は遅かれ早かれ加害者であり被害者になってしまう。
皆が理解している通り、車というシステムは多くの歪んだ矛盾の上に成り立っているからね。
こればかりはいくら国に制度を求めても解決しない問題であり、その社会の中で身を守るには、自分が思う安全を押し付けるのではなくて今目の前の流れの中で一番に安全な行動を選択することが何よりも大切なんだよ。
事故で人の命を奪ってしまうということは、加害者になると同時に被害者になるということでもある。
誰よりも安全に配慮していることだけをプライドのようにハンドルを握っていたわたしの父ようには、誰ひとりとして絶対になって欲しくない。
男子校拗らせって「女子とまともに喋れない」とか「服装がダサい」とかじゃなくて「人のことを有能か無能かでしか判断できない」とか「ふわっと仲良くなる関係が理解出来ない」とか「上辺を取りつくれない」とか「学園祭はホストに徹するもので自分らが楽しむものではないと思う」とかじゃないすかね
結構な数ふぁぼられたりRTされたりしていたけど、これってどちらも「男子校内部からの目線」だと思う。
小学校から高校までずっと共学だった自分としては、大学で出会った「男子校出身」の人たちの印象は結構違います。
正直に言って、大学で初めてこういったタイプの人たちと出会った時はドン引きしました。
なぜかと言うと、こういった言動は共学の高校では普通タブーとされていて、そういう事をする人は嫌がられる傾向にあるからです。
彼らの特徴は、大きく言って三点です。
誰だって女性の目があるかどうかで多少は言動が変化するものですが、それにしても限度というものがあります。 共学というのは基本的に、常に異性の目がある場です。男子校出身者にとって文化祭とは「女性が来る」から盛り上がるものなのでしょうが、 共学における文化祭は「みんなで何か面白い事をする」から盛り上がるものなのです。そういった物の見方は当然、共学である大学でも引き継がれます。 そういう状況で異性が居る時、居ない時であまり露骨に態度を変えられると裏表のある奴/調子のいい奴だと思われ、ものすごく嫌がられます。 なおこれは、女性側でも同じです。「あの子は男が居るかどうかで態度が違う」という情報は即座に男にも伝わり、避けられます。
共学というのはいつどこで誰と誰の間に恋愛が発生するのかわからない場所です。発生を予想できるパターンもありますが、たまに全く予想の出来ないパターンもあります。 自分から見れば全く魅力の無い女性を、親友がいつの間にか好きになっていたということもあります。そういう時は蓼食う虫も好き好き、あばたもえくぼ、といった諺を身に染みて感じます。 したがってうっかりクラスメイトの女性を貶したら、いつの間にか親友がその子の事を気になっていたとかで大喧嘩になってしまった、という事もごく普通にあり得ます。
そういうわけで共学では、たとえ男しか居ないような場面であっても女性の外見を安易に格付けしたり、貶したりするようなことは控えられます。 内心ではブサイクだと思っていたとしても、それをわざわざ言葉にはしませんし、態度に現れてしまうのもあまりスマートではありません (が、所詮は子供ですから態度に出してしまう人も結構います) 。 ですから、よほどクラスで嫌われている人を貶す場面でもなければ、「あいつと付き合うくらいならあいつのほうがマシ」というような露骨な格付けはまず絶対にしません。 確かに、修学旅行や合宿の夜などに「胸が大きい人」「エロそうな人」だとか、そういうくだらない”要素”でランク付けをすることはあります。 それはあくまでも”要素”なので「俺は胸にはこだわらない」「エロそうだということは付き合う上では関係ない」などいくらでも無視することが出来るからです。
これはタブーというわけでもないですが
童貞だとか非童貞だとかは、共学でもネタとなることはありますが、あくまで冗談の範囲内というところがあります。 経済的にどうだとか「恋愛資本主義」が何だとか思想を振りかざしていたとしても、それはプロレスのようなもので、別に本気で相手を潰そうとしているわけではない事が多いと思います。
ですが、どうも男子校出身者は性の話題になると急にムキになって相手を論破しにかかる人が多いように思います。 童貞だとか彼女がいないだとか、○○の時期に一人だとかいう話題に過敏に反応して急に怒りだし、思想を振り回している人が居ると、あっこの人は男子校出身かなと思ってしまいます(あとで確認すると大体当たっています)。 別に彼女が居るから偉いだとか、非童貞だから偉いだなんてことはありませんし、そんなことはみんな知っていてからかっているだけです。落ち着いてください。
ついでに申し上げておくと「昔、彼女(or仲のいい子)が一人いてセックスする直前くらいまでは行った(≒途中までした)が童貞(or一回だけしたことがある)」というセリフは童貞の常套句でして、 たとえ本当でも聞いているこちら側が恥ずかしくなって赤面してしまうので、出来たら避けてください。
大学入学後の「男子校拗らせ」治癒率には、大学生活の環境が大きく影響します。 とはいえ、理科系の学部で女子は殆ど居なかった、という環境でもサークル活動や社会人生活を通じて一般的には齢25前後までには症状が目立たない程度にはなっているようです。
しかし「理科系の学部で女子がほとんど居なかった」「入ったサークルにも女子がいなかった」「寮生活だったために周りにも似たような奴ばかりが居た」「卒業後に入った会社にも女性が居ない」 など複数の条件が重なりますと、むしろ重症化するという事例も見受けられます。
十分にご注意ください。
自分はしがないオタクで絵を描いている者です。俗に言う絵師と呼ばれる人、だが自分では絵師と名乗るのはおこがましいので名乗りませんが。
この度、毎日のように描いてきた絵を描くのを一旦辞めようと思いまして。語る場が無いので、此処で身の上話をしようかと思い書き込みをしております。
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自分が絵が好きだと思ったのは、幼稚園から小学校低学年の頃。本当に好きで好きで堪らなくて、ノートに意味のわからない棒人間が楽しく遊ぶ様を描いたりしたものです。
友達から「何を描いているの?」と言われ、「分からない」が常套句。けれど宛もなく描くのが好きでたまらなかった。
三年生の頃に転機が訪れた。兄が通っていた絵画教室に通うようになる。その絵画の教室は基本的に自由に描き、時には粘土やロウソク作り方など芸術の幅広いことをする夢のような場所だった。勿論、教室なのでちゃんと技術も教えてくれた。絵を描く楽しみが増えた。
名前はいえませんが、夏休みに描いた絵がとあるコンクールで入賞や金賞を取るようになった。学校の先生や皆が拍手する感覚、正直アノ時はよく分からなったが、皆が喜んだり親が褒めたりする事は良いことである事はおおよそ分かった。
以来、絵は個人だけで楽しむだけじゃない事を学んだ。
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同時期、もう1つの転機が訪れた。夢中になる漫画や本との出会いだ。
自分はとあるジャンプの漫画と出会った。幼稚園の頃から好きだったモノを題材に、かっこよくて憧れるような内容で描いていた。キャラクターは皆魅力的で、特にボスキャラは強さとかっこよさを兼ね備え尚且つ絶対的な存在は読んでいて惚れ惚れした。
以後、学校の休み時間など空き時間にそのキャラを思い思いに描いたりした。好きなキャラを、好きな絵で表現する。凄く楽しくてたまらなかった。
結局その漫画はそれから連載が終わったが、今まで兄のお下がりで暇だから読む漫画が、自ら買って楽しむ漫画へと姿が激変した。
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それからは激動の時代に入った。漫画だけではなく、小説やゲームにもハマった。中学の休み時間は専らオタク仲間と絵を描いて過ごしつつ、部活は大好きな絵を極めたくて美術部に入った。
ここまで描けば幸せな学生生活だが、中学の頃から少しずつ狂い始めた。小学校の頃にいじめてきた奴が中学の時に再会し、以後3年間イジメを受けた。
美術部は自分の代は1人。友人と喧嘩となり、両親はいつの間にか異常なまでに勉強熱心になった。
それでも、絵は描き続け、何とか無遅刻無欠席で通い通した。
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受験して努力して入った高校、ただ、苦しい気持ちでいっぱいだった。勉強熱心な親と難しくなった内容により授業が苦痛になり、友達の作り方が分からず「仲間意識が強いから友達ができる」と思って入った美術部以外の部活は更に苦痛になり、弁当誘われた人達の話がよく分からず孤独感に苛まれ、遂にはトイレで弁当を食べている方が落ち着いた。
高校通ったのは実質半年。以後不登校になる。中学で疲れきった身体と精神に、高校は地獄でしか無かった。
それでも、絵は描き続けた。苦痛を和らげてくれたから。描いていて落ち着いたから。
この頃、自分は同人誌即売会と個人サイトに出会って更に絵の道を輝かせていた。好きなキャラを好きな絵柄で好きな内容の漫画を描く人達が、その頃の憧れであり希望だった。
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高校通わなくなった頃、絵やオタク関連以外では最悪の時代だ。毎日親と怒鳴り合いし、傷つき傷つけられてわけも分からず。徐々に友人も減り、何時しか独りが普通になる。先の見えない人生が怖く、自身の辛さを分からない周りの人達が嫌で独りが心地よく感じた。
そんなある日、高校を辞めた後も会うスクールカウンセラーから心療内科を勧められた。両親は嫌がっていたが、自分にとってそれは「一か八かの賭け」に思えた。もしかしたら……これで違っていたら本当に終わりだと。
結果、新たな肩書きが出来た。「広汎性発達障害」、所謂「自閉症スペクトラム」や「アスペルガー症候群」だ。
凄く、嬉しかった。
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思えば小学校の頃から思い当たる節があった。チャイムが鳴ってもと図書室で本を読み、じっとしていられなくて足をバタバタしていた。皆の話す言葉が訳の分からない呪文に聞こえ、机の中と部屋は常に汚かった。
そこに名前がつくと言うのは、長年探していた謎の答えが提示された事。嬉しくて涙が溢れた。
それからの人生は少しだけ良くなった。カウンセラーは自分の良き理解者になり、同じ障害仲間も出来た。高校も通い直し、アルバイトも始めた。
何もかもがうまくいく。そう思っていた。
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その頃から、自分も憧れの人達のように絵をネットにアップするようになった。まずはTwitter、pixivにも登録した。絵画のような絵だけではなく、イラストについても学んだ。好きな漫画、好きなアニメ、オリジナル作品も描いたりした。
だが、何故だろう。ネットアップするようになってから少しずつ絵を描く意味が変わってきた。楽しくて、自分が好きだから描いていた絵。次第に、皆も楽しんでくれるような絵を描こうとする。
他の人と比べて下手だと思い始め、技術を研究して上手く描く努力をした。色んなシチュエーションや絵柄、「イイね」と呼べる絵を描くにはどうすればいいかを考えた。
毎日毎日色んな絵を描き、好きなキャラで尚且つ人が喜ぶ絵を目指した。
次第に小さいが反応がつく。僅かな点数と1人以上のお気に入り、そしてちょっとだけ増えるフォロワー。やっとだ、やっと自分にも来た!嬉しくて堪らなかった。
が、それが絵を描く楽しさのピークだと知ったのは後々だった。
絵を見るのも好きで、Twitterやpixivで好きな絵師様をフォローする事はよくあった。彼等はとても上手くて魅力的な絵を描く。そして同時に、お気に入りやフォロワー数が高い。
絵が上手くて魅力的だから、それ相応の反応が来るのは当然だね。そう思っていた。
けれど、フォローして見ていて段々妙な感情が湧き上がる。何故、自分の絵と憧れの人の絵はこんなに反応が違うのか。
試しに自分ではなく皆が好きなものを描いてみた。いつもの反応、同じ評価だった。なら自分を好きになる人を探してみよう。タグでフォロワーを稼ごう。あまり反応がない。
もっと技術を上げて研究を重ねよう。きっと技術力不足だから皆「下手な奴に興味無い」と思っていた。
毎日毎日、いろんな絵、いろんなキャラを描いた。pixivの講座も見て参考にした。アンケートで描いて欲しいものを聞いたりした。
毎日の努力は報われる。絵を描くのが好きでやっている。好きなキャラがこうやって動く様を描きたくて描いている。全員とは言わないが、少しでも多くの同志が出来たらなー少しでも自分の絵を喜ぶ人が増えたら。その思いで描き続けた。
だがそれは、間違いだと知る。結果的に、状況は変わらなかった。誰も見向きもせず、ただただ流れゆく自分の絵。
一方で、自分が本気で描いた絵より何気ない落書きレベルの絵が百を超える反応をもらう。この差はなんだ?アレ……なんか訳が分からない。
自問自答を繰り返し、また研究と宣伝を重ねる日々。段々、好きで描いていた絵に無駄な着色が増えてゆく。何か違う。何が違う?これ描いて載せて喜ぶかな?きっと喜ぶ人居るはずだ、気づいていないだけ……。
何故絵を描くのか分からなくなってきた。
そんなある日、試しに友人にその事を相談してみた。
「pixivもTwitterも身内が盛上げてくれるから沢山の反応が来る。結局、魅力的な絵や上手い絵が反応を貰うのではなく、友達や仲間がいかに多いかなんだ」
自分はお世辞にもコミュニケーションが上手くない。いや、それどころか人と話す自体や感想を述べたり空気を読むといった基本的なものが出来ない。アスペルガー症候群だからもあるが、中学の頃を境に話すことが苦痛になっていた。故に、※友達の作り方が分からなかった。
ネットは顔見ないから話すことぐらいできるのでは?と言うかもしれないが、自分にとってネットもリアルも同じ人間との会話と思っていて変わらない。
※今いる友人は、カウンセラーの紹介により集まった障害仲間と小学校の同級生だけである。数え切れる数しかいない。
ハハハ、なんだ。リア充もオタクも変わらないのか。何がオタクはコミュ障だ!!結局魅力的な絵でも上手い絵でもなく、描いている人が魅力的だから人気なんだ。所詮、人望や人脈が全てなんだ。考えてみれば、オフ会や同人誌即売会出来る人はコミュニケーションが出来る人だ。
本当にコミュニケーション障害の人は、絵を描いて載せても無意味なんだ。そう考えた途端に、今まで描いてきた絵や握ってきたペンタブや画材、そもそも絵を描く行為が嫌なものに変わった。
好きで描いていたなら何故嫌いになる?そう思うならネットにアップするな?そうだね……その通りだね。やってきたこと全て間違いだったんだ。ほんと、後悔が込み上げてきた。なんで……もうあんなに熱心に描いていたのか分からないよ。
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今も漫画もアニメもゲームも好きだが、これから先ファンアートや好きな絵を見る目が変わるのだろう。自分は別に絵を仕事にしたかったわけではなく、趣味として好きなものとして最大限に楽しみたかった。ただそれだけ。
コミュニケーション障害の人に配慮して欲しいとかはいりませんし、絶対に言わない思わない。何故なら、コミュニケーション障害を公表している有名人は多々いるから。自分がコミュニケーション努力を怠った為に痛い目を見たのですから。
ただ、人望や人と楽しむ事に全力なリア充を叩くオタクも所詮リア充なわけで。
それに早く気づいたのは不幸中の幸いです。
最後に一言、絵の技術だけは努力しただけ伸びる。それだけは確かです。
では、失礼しました。
痛い腹を探られた残念な杉並区議のニュースを読んで、へえそうか、おもしれえ、と思って出てきました。
ご存じの方も多いでしょうが、2000年代初頭に規制緩和されるまで、民間で保育園を新しく作れるのは社会福祉法人だけでした。
ちなみに特養は今でも国・行政・社会福祉法人しか作れませんね。その代わり別の枠を作って株式会社が大いに参入した結果、絶賛規制緩和&老人虐待問題などが起こっていますね。
社会福祉法人は、社会福祉法という法律によって定義されてるんですが、この法律、WWⅡ直後に出来たものです。法律の成立背景はぐぐるといくらでも出てきますが、
ごく簡単に言えば、本来であれば政府がやらなきゃいけない社会福祉が、WWⅡで国が極端に貧しくなってしまったために手が回らなかったので
民間の相互扶助でなんとか乗り切りましょう、というための法人です。補助金を入れやすくするし税金も減免してあげるよ、その代わり営利目的はダメよ、となっている。
ちょっと前に「昭和の高度成長期は、保育園の役割は子育て支援よりも生活支援だった」というtogetterなども上がっておりましたが、
保育園や特養は、言葉は悪いけど「貧者向けの救済施設」という位置づけだったんでしょう。美しい国日本()は、ずっと昔から、自助が前提の低福祉国家なんですね。
話は戻ります。
それで、誰がその社会福祉法人を作ったかといえば、地元の名士、と言われる人たちです。戦災孤児院、病院、福祉施設などには広い場所と金が要ります。
必然的に代々続く地主や名主の家系の人たちが手を挙げたんですね。江戸時代から続く名主・庄屋制度の名残は明治大正昭和にかけても当然残っていましたから、
彼らからすると「民百姓のための施しをして当然」という感覚もあったんだと思います。
ノブリス・オブリーシュですね、と言えばそれでほっこりした気持ちになれる、というわけではなく、同時進行で日本では農地解放や財閥解体などが行われています。
名主・地主や地域で成功した名士などは、これらの打撃を受けて、没落する者は没落し普通の人になり、「うまいことやった」人たちは、平成の今でも名士として生き残っているわけです。
その「うまいこと」が、ひとつには社会福祉法人を脱税に使うというテクニックです(真っ当に事業をなして生き残った方も当然いらっしゃいます)。
詳しいことは省きます。というか、昔のことなのでよく知らないんですが、社会福祉法人の他に、事業法人や持ち株会社などを設立して
あれやこれやで収益を還流させて一族が飯を食い、保育園や孤児院や病院を運営してきたわけです。
一つ大切なのは、少なくない社会福祉法人が、本当にノブリス・オブリーシュを旨としているということです。福祉施設は、基本的にはろくに儲かりません。
(話は変わりますが、福祉分野で規制緩和に乗って大きくなった株式会社が不祥事を起こしているのは、「本来、儲からないもの」だからです)
ただまぁ、残念ですが、社会貢献よりもお金が大事な人もいて、そういう人が、やってはいけない・決してバレてはならねえ資金還流をやっている場合があるようです。
私が上司から聞いた話では、昔はよくやってたことで、実はそれほど珍しいスキームでもなかったんだそうで。
名士の家に生まれても、ごく真っ当な思考回路のお子さんだってたくさんいます。
潤沢に教育を受けさせてもらい親のコネで良い会社に入ったりして、金周りの良い一般人と化している人も多い。
地元の区議会議員になるとか、自分の親がやってる保育園の理事になる、なんて手合いは、残りカスか、山っ気と名声欲にまみれた輩かのどちらかでしょう。
言い切っていいのかという感じもしますね。素晴らしい方もいらっしゃるとは思いますが、私が出会った「そういう方」は全員、名誉欲にまみれた残りカスでした。
田中杉並区議のことは存じ上げませんが、まぁ、ご自身が既得権者側であり、権利を付与する側(社会福祉法人の設立認可は市区町村です)でもあるという
グレーゾーンにいることをすっかり忘れて「民百姓の便所の落書きなんて下らないことを、生意気な」と平気で言ってしまう程度の、
残念な能力とメンタリティであったとしても、まぁ、想定の範囲というか「あるある」だなぁという感想になりそうです。
彼らがこういうこすっからいことをする大義名分というか常套句が「GHQの農地解放で身ぐるみはがされて」というやつだったりします。祖父母世代から刷りこまれてきた呪詛でしょうね。
実際にはそれでも元手は残ったはずなので、何を甘えたことを言ってんだコノ、としか思えませんが。
元が地主だったりすれば、思考が保守的になるのも当然でしょうし、その天与を当然と思って差別的な言動をしてはばからないするのは、残りカスだからだったりもします。
一つ弁護してあげられることがあるとすれば、やはり福祉施設って苦労が多いわりに儲からないから、何をこのナマイキな!と思っちゃったのかもしれない。
だとしたら馬鹿ではあるけど、倫理の罪は少しは軽いかねぇ…程度の弁護ではあるけれども。
このような、社会福祉法人運営=地元議員=地主って、本当に日本中にあります。そして、同じようなことやってる人たくさん居るんですよね。
田中杉並区議がどういう素姓の方はは、当人のサイトを見ただけでは分かりませんが、杉並区には「田中家」という名家があるんですよ。
http://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007945.html
なにか繋がりがあるのかなーと、真っ先に思い出したので。
だからええと、みんな、地方選挙なんてわからん面倒くさいって思っても、投票しに行った方がいいと思いますよ。
投票率が低いのと立候補者が少ないから、バカでも選挙に通っちゃうんですよ。
一度目に当選するのが結構大変だという人もいるんですが、地元の名士だと地元組織票が入るから。
社会福祉法人は、会計基準や運営基準に違反があると免許の取り消しや停止処分があります。
でも、いったん関係者が議員になっちゃうとさ、「悪い社会福祉法人」だったとしても、何だかんだで許可取り消しとかに持っていくのは大変難しくなりますよ。
特に痴漢はどいつもこいつもテンプレのようにやってないと繰り返す
またお前かよというようなオッサン、隠れてやったつもりだろうが防犯カメラに記録されてる、目撃者が数人いる、捕まえてきたのが私服警官、スマホで撮影される、手に精子がべったり
そういう「実はやってました」パターンを見続けてきたからかもしれない
これではいけない俺がしっかりしなければとも思うが、ほぼ毎日おかしい人間の相手をさせられて俺まで気がおかしくなりそうだ
それでも僕はやってないとか知らんがな、あっそうなん?なら帰って良しなんて言って帰せるわけなかろうが
逃げようとしないでくれ必死なのはわかるがああこいつやってるなとしか思われないから
こんなブス触るかと言っても逆効果だから、それあいつらの常套句だ
女の泣き声と男の罵声
殴ってでも逃げようとする
「お前なんか触るか」という言葉に加勢して中学生に暴言を浴びせる乗客達
ところで先日同僚が鬱で辞めた
俺も楽になりたい
その経験の中で、一番のターニングポイントになった出来事を書く。
それは、結論から書くと「彼らが冷たく感じるのは気のせい」ということ。
まず驚いたのは、彼らは日本人が少しでも英語を話せることにとても驚いてくれるということ。
彼らにしてみると、母国語と英語の違いって方言の違いみたいなものらしい。
そこにきて文法も語感も全く違う国の人間が英語を話すってことは驚き以外の何物でもないんだって。
しかも、それでもって更に自分たちが日本語話せないことを恥ずかしがってるんだよ。
だって自分たちは1つとして日本語というものを知らないんだから。
それが最初の衝撃だった。
今までって、外国人に話しかけても冷たくされるのって、言葉が通じてないから=自分の英語が下手だからだって思ってたけどそうじゃなかった。
日本人に比べて圧倒的にぶっきらぼうで、とにかく「空気を読む」という文化がない。
その証拠に海外の人たちが日本人のおもてなしに触れるとそれだけで感動するでしょ。(表裏あることを知って更に驚くけど。)
それでわかったのは、彼らが冷たく感じるのはそもそも「先読みの行動」っていうのができないのだということ。
とにかく言葉なりジェスチャーなりで意味が伝わらないと行動をしてくれない。
それなのに、英語が下手だからだと思ってコミュニケーションを諦めてしまうからそれまでだったんだってことがわかった。
というか、コミュニケーションができなければ生死に関わるから当然必死だったけどね。
言葉が通じなくてもジェスチャーとかイラストとか使えばコミュニケーションは普通にできる。
そうなるとむしろみんな普通にいいやつばっかりで驚くくらいだった。
逆にはじめから笑顔で近づいてくる奴はほとんどが詐欺師。外国行ってはじめから親切な奴なんて絶対信じちゃダメ。
それで何がいいたいのかというと、「日本人は英語が下手」っていうのは英語教材で儲けたい奴の常套句なんだってこと。
そういって不安にさせたほうが英会話教室が儲かるだけの話だったんだ。
だって、言葉が通じなかった時に「何で状況見てわかってくれないんだよ」って思たりするでしょ?
それって自分を弱者に位置づけて助けて欲しいって言ってるのと一緒だよね。
つまり、コミュニケーション弱者だってことを知らない間に刷り込まれてるってことだよね。
「Help me」も言わないで助けてくれるのは日本人だけ。
逆に「助けて」っていうと助けないのも日本人だけど。
だからそこで諦めないで何とかして伝えようとすれば必ずわかってくれる。
要するに、足りてなかったのは英語の正しさではなくて、伝えるまで伝えようとする気持ちだったってこと。
英語に自信がある人はその部分を経験せずにコミュニケーションできてしまえるから教えるのは確かに難しいことかもしれないかな。
受験のためではなくて、これから外国人とコミュニケーションを取ろうと思う人は是非参考にしてみて。
大学時代の相談員の女性の方から「話をこうしてしていて、貴女はとっても素敵だから、大勢で仕事をするというよりも1対1でその場で対応して終わる仕事が向いてると思う。」って言われた。「貴女は素敵」は臨床心理士が言う常套句みたいな「お世辞なんだな」と自覚しているけれど、やっと私の適職は何か?に近づいたと思う。けれど、一体…「1対1でその場で対応して終わる仕事が向いてる仕事」何?って思う。
例えば、「携帯ショップ」?とか「役所」や「銀行窓口」とか色々あるんだろうけれど…年齢的に30だと厳しい。そもそも正社員でそう言った「1対1でその場で対応して終わる仕事」って何があるんだろうって思った。
そもそもハロウィーンはこんな祭りじゃないとかハロウィーンを苦々しく思っている人たちが使う常套句。
こういう論法を使う人たちに限ってなぜか子供のための祭りだとか日本におけるお盆みたいなものとか挙句の果てにはアメリカ発だと思っている人たちがいる。
まぁそこまで無知な人は少ないだろうしちゃんと元はケルト系民族の祭りだと知ってそもそも~と言っている人たちもいる。
だけどケルト系民族が発祥ということはわかっても民族そのもののことなんて知らないだろう。
東は小アジア西はイベリア半島北はブリテンまで幅広い場所に住んでいた知らない民族のことをどうしてそもそも~と知ったかぶることができるだろう。
要するにハロウィーンで浮かれてるのがむかつくならそもそもの話なんかせずに浮かれてる奴らがむかつくと堂々と表明しろってことです。
言いたくないけど、リアリストだの現実主義だのという言葉は自分達の思想を正当化するときの常套句。言い方を変えたら「自分達の思想以外現実的ではない」という排他的思想だよ?これ
疑問としては炎上するぐらいのことで「チェックする第三者審査機関」を作る必要があるのかが謎。炎上程度で第三者審査機関の協力が必要なら、各種第三者審査機関が必要になって、審査だけで大変なことになりそうな気が…。
まぁ、そもそもフェミニストがネット炎上させる・アレコレ問題にしてるという時点でもう周りから見れば「デキモノか腫れ物」扱いなわけだよ…。ちょっと苦言を呈する程度じゃ済んでない時点で、いちいち抗議する・正義感の下に攻撃する時点で「過激な集団」というイメージや扱いなんですよ…
フェミに限らず、ネットで炎上させてる人の素性を見たら「コイツに批判されても別に」ってやつはいるからねぇ…。特に炎上する原因となるような指摘をした人ではなく、便乗して乗っかってくる人には「すっぽんぽんの人が裸の王様を笑っても説得力なんかないよ」というね
kanose せやな。はてなブログオフ会で準強姦とか喚いてたキチガイの話とか説得力無いよね。
フェミニストの男や女性にモテるコツを語ってる男の一部には「女性に耳障りのいいことを擦り寄ってるだけで、実はそいつが女性をバカにしてるか過去に悪いことをしたような感じの違和感のある人」を時々見かけるが…それに近い物を感じる。本当は優しくないのに化けの皮が厚くて発言に二面性がある人ね
他人に親切にできない人に親切にする優しさはないし、自分に優しくなんかしてくれない人間に消耗するのもバカらしいのです。それは「攻撃的な人間から嫌われるな」という意味ではなく「ずっと友達でいる、お互いがお互いを尊重(尊敬)しあえる人と仲良くなろう」という意味でね
この記事にも書いたけど、「性的」という言葉はとても曖昧な概念なんです。人間自体がそもそも性とは切り離せず、また意識が無性的なもの性的だと識別・解釈すれば性的なものになるし
こうして、おおらかな時代は過ぎ去っていったことに未だに気づかない年配者たちが「昔はおおらかな時代だったけどね」とか言ってることに毎回毎回カチンとくるんです。おおらかに戻っていこうじゃないですか!
受験に成功してもコミュ力のない童貞は社会進出につまづくから、東大の理Ⅲに行ける自信がない人は童貞卒業を優先したほうがいいよ…。突出した才能よりもバランスよくできることのほうが大半の人は求められるし
レベルを上げて物理でひっぱたくならぬ、学歴を上げて尻をひっぱたく理論だ!(それでうまく行く人はそれでいいんだけど、中途半端な学歴だとモテない勉強オタクであり、発達障害者めいたコミュ障だからなぁ…