2016-12-19

ハンサムフェスティバル2016のうち、2日間、4公演を終えて。

私はとあるハンサムさんのファンを長年続けているんだけど、2009年初めてZeppハンサムを見に行って、賢人くんと春馬くんの歌声に魅了された。

『歌が上手い』なんて単純な話ではなく、二人の歌声が重なった時のハーモニーに衝撃を受けるほど感動してしまったの。

歌声の相性が良ければ、1たす1が100になるような奇跡音色に生まれ変わるのだと、生まれて初めて知った瞬間だった。

思えば後期ハンサムLIVEは、ファンイベントよりもショー作品表現する方が近く、

推し個人とのコミュニケーション濃度より、全員のLIVEパフォーマンスを楽しむ祭典度の方が強かった。

(これは誰を推しているかによって変わってくるのかもしれないけど。

私がファンをしているハンサムさんは、ファンが望むことの読み取りと 本人が望むこととのバランス取りが篦棒に上手く、

彼はあらゆる場面で私たちとの時間の積み重ねを感じさせてくれるから、この関係性でいる信頼感と安心感ハンパない

私たちそれぞれとの歩みを大切にしてくれる彼にはいつも心から感謝している。

そんな日々の濃度は、ハンサムで生ファンサをもらう濃度に決して劣っていないと、私は感じてる。)

から私にとっては、ハンサムLIVEは推しだけを愛でる場ではなく、チーム・ハンサム応援し全員が仲間になるお祭りだった。

そして、歌手ではない二人のハーモニー聴くことができる、唯一無二の機会だった。

あの感動のひとときはもう失ってしまったのだと、今回のハンサムでようやく痛感し、

その喪失感の大きさに動揺して、現在増田を書くに至っている。

賢人くん春馬くんそれぞれのファンの方からすれば「痛感するの遅くない?」「なんでこのタイミング?」ってなる話だと思う。

二人が一緒に出演したのは伝説2012年公演が最後で、もう4年も経っているから。

でも、ハンサム物語的には、

ファン感謝祭ジャンルのショー作品として究極であり完成してしまった伝説2012年

最高の先にある新しい世界を求めて挑戦をしたBrand New Worldの2013年

常に『進化』してきたハンサムLIVEだったのに、先に進むことではなく『締め括り』のショー構成だった2014年

(なお、この2014年初日が終わった後に盛大に絶望していた。

Never Let Go!って、EVER LASTING SHOWや言うたやん!って思っていたけど、後から読みとってみれば最終回常套句ばかりだった。

でも終わって欲しくないかストレート言葉意味意外ぜんぜん考えなかった。だって第二章が始まった次の話が最終回だなんて信じられないでしょ…?

演目構成として『終わり』を突きつけられるのは、参加者としてめちゃくちゃキツかった。楽しかったけど絶望を受け止めきれなかった気がする。)

と、2014年までが一つの文脈になっていたから、何というかワンチャン…みたいな希望がずっと私の中にあったのです。

2014年は賢ちゃん居たけどwhite serenade担当しなかったことの意味とか…

デュエット相方はるるお気に入りの裕太がバッチリやってくれたこととか…)

それが一年寝かせて、名前ハンサムフェスティバルになった今年2016年

とてつもなく素晴らしい引き継ぎ構成だった今回。

2014年絶望した先輩ハンサムさんファンの私としては、このFestival Nightは毎年恒例なんて当たり前の存在ではなく、『ミラクルなのだストレートに突き付けられて漸く受け止められたし、

新入生ハンサムくんたちに『これまでの道のり』とか『後ろは振り向かないで』とか言われちゃ、世代交代という形の一つの終わりを実感せずにはいられなかった。

そして『THE GAME初出の曲をファンが歌うダブルアンコール』という奇跡は、最高の『私たち時代の終わり』だった。

成仏するしかなかった。

そして歌われてしまったwhite serenade。

2014年は総集編だったから、そこにエントリーされたことはきっと喜ぶべきだし、賢人くんが春馬くん以外とwhite serenade歌ってしまわなかったことに救われていたけど、

引き継ぎ式の2016年にあえて歌う必要性最初感じなかったし、2014年に続き桜田さんが担当していてオリジナルメンバーよりも多い回数を公式披露した現実ぶっちゃけ初日は死んでた。構成担当を怨んだ。

(ちなみに2013年ギャグ扱いだし悲恋ぼっち曲だから賢ちゃんソロでもノーカンセーフ。他の曲も同じ状況だったしね。確か壮ちゃんが紹介していた、舞踏派チームのbutterflyが流れた瞬間「ヤメテー!」って悲鳴を上げたファンの方の気持ち、今なら超わかるよ。笑)

初日挨拶桜田さんが賢人くんの話をしてくれたから、一命は取り留めれたけども…white serenadeから先は他の曲もオリジナル版で賢人くんと春馬くんのデュオだったパートになる度に、喪失感がすごくて。

(実際のところ、二人の持ち歌のwhite serenadeでは声を重ねるパートが少ないから、ハーモニーファンだった私としては全体曲のCメロとかの方がより一層思い入れ深かったりはする。)

私の中のハンサム公演にとって、賢人くんと春馬くんのハーモニーはこんなにも自覚していた以上に大きな存在だったんだなぁと、喪失感の大きさから気付いた。

先述の通り、先輩ハンサムさんファンとしての私は、2016年の引き継ぎ公演っぷりに成仏できた。

それはハンサムフェスティバル全体を通してのことで、祭儀の結果。

(もちろん私もこのお祭りが大好きだし大切だから、彼を含む先輩チームにはぜひまたお祭りを開いてもらいたいけどね!宇宙だって付いてくよ!全通皆勤記録まだまだ伸ばすよ!)

(彼のファンも一生続けさせてね。これから私たちのことどうぞよろしくね。)

でもじゃあ賢人くんと春馬くんのハーモニーが大好きだった私は…となった時に、

私を抉ったwhite serenadeが、逆に葬送曲になった。

リリース当初は、どうして悲しい恋の歌を作ったのか疑問だった。

ハンサムミュージックは、いつもチーム・ハンサム私たちの『今』を赤裸々に的確に表現していて、一般的アーティストさんやアイドルさん等の楽曲とはメッセージ性の方向が全然違ったから。

でもねぇ喪失感あふれる今、white serenadeの悲しみのシンクロまじやばいよ…

ハンサムに会いに行っても二人はもう居ないし!

それでもステージは綺麗な景色だし!

最後ハーモニーの感動はまだ残ってるのに!!!

さよならなんて絶対言えないし!

二人の歌声が聞こえて来るはずのない3時間をかみしめてるし!

好きの終わりをうまく飾れないし!

私の推しハンサムさんがパート担当しても二人のハーモニーの想い出は消えないし!

ふたりが出逢った奇跡をもう一度願うよ…

終わらず続いたハンサムの会場で…

そして『もう少し待ってみよう 悲しいまま あの日のまま』と締められてしまうから成仏できない。

悲しみ放置だし、あの日から進めないし。

葬送曲として『悲しい終わり』を突きつけられたけども、鎮魂して成仏なんてできないよ。

ずっとずっと待ってるから

賢人くんと春馬くんのハーモニーがまた聴けることを。

残る12/29国際フォーラム公演、

悲しい恋の歌にギャン泣きして二人の歌声を探し彷徨ファントムになりつつ、

出演してくれた愛しいハンサムさんたちと素晴らしいハンサムスタッフさんに心から感謝して、

引き続きブチ上がっていくぜ!!

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