はてなキーワード: 力学とは
「仕事をたくさんやっている自分と、やっていないあいつが同じ程度にしか評価されていない」という考え方を乗り越える必要があると考えています。
もし増田の仕事が速かった場合、仕事を頼んだ人は、次も増田に仕事を依頼するでしょう。
こうして雪だるま式に、仕事をする人のところにはたくさん仕事がきて
しない人のところには仕事がこなくなる。
頼んだのに、何もしてくれない人、できない人には、増田氏も頼まないでしょ?(笑)
→増田の方が高く評価されている。
勿論、世の中、何もしてないのに、すごくやっているようにアピールするのが上手い人間が、五万といます。
しかし、増田が書いていることを見ると、増田の同期の場合は、あきらかにその仕事が苦手というのがわかります。
増田が上司の立場だったら、同期の能力には、すぐに気づくでしょ?笑
ただし、上の人から使えない奴と思われて基本給の伸びが下がるような力学が働くようです。
会社の意志決定機構をハックして年収を10~200%増やす技術(社内政治技術実践マニュアル) - @fromdusktildawnの本館
とりあえず増田が直近でこいつに対処する必要は無いと考えています。
頑張って仕事はしてくれてもできないか、やらないと思いますしね。
しかし、マネジメント層に移った時には、いかにして仕事をしない奴が、
増田のチームないし会社にいずらい環境を作るかが大事になると考えています。
毎朝朝会で進捗を報告させたりして、進捗がないことが苦痛な環境を作るなど。
ホワイト企業はダメになってしまうのは、仕事をしないことが苦にならない環境を作ってしまうところにあると思っています。
米Yahoo!のメイヤーCEO、“在宅勤務禁止”について初めてコメント「現在のYahoo!には適さない」 - ITmedia ニュース
→いいえ違います。
上司には認められるものの、増田のように無意味さを覚え、最終的にはバーンアウトを引き起こします。
「モチベーションは有限」という考え方が、ひとつキーワードになると考えています。
モチベーション、やる気は長く続きません。なので、上手な手の抜き方、断り方を覚えましょう。
無理なことを "上手に" 断ることは、社会人の必須スキルの一つだと考えています。
依頼を断れなかった、蹴りきる能力の無いマネージャーのチームは、デスマーチに突入します。
ただ、基本的に「できません」とは言えないので(笑)、積極的に与えられている仕事に対してコミットしている、上司の課題を共に解決しているように見せつつ、
「現状の稼働では厳しい」というのをいかに上手に伝えられるかが大事になります。
かといって増田のようなやる気のある人間は、「仕事」=「作業」と捉えるのは辛いと思うのです。
なので、増田の有限の、限られたリソースである「モチベーション」を最大効率で発揮する工夫が重要になってくると考えています。
自分ができる良い仕事と同様に、成長できない悪い仕事(雑用)も雪だるま式に増えていきます。
http://anond.hatelabo.jp/20130313224043
自分のことを、いわゆる理系気質が強くて人間に興味が無い人間だと思っていた。だが、ここ数年、寂しさについてよく思いを巡らすようになった。
行きつけの店に行けば主人とちょっとした会話もするし、飲みに行ったり旅行へ行ったりする同僚や友人も居ない訳ではない。でもプライベートなことを気兼ねなく話せる奴は居ない。人間の感情の力学よりも事物の詳細へと関心が向かう自分の性質は気に入っているし、また、それが引き起こしているのであろう今の事態に納得はしている。
思えば、子供の頃から他人を誘うのが苦手だった。今でも、雑談をほどよく受け答えできない。そういう時は話の内容はどうでもよくて会話する事自体が目的であり、多くの日常会話がそんなもんであり、でもそのことは人にはとても重要なのだと本当に得心したのは、実は、寂しさについて考えるようになった最近の事だ。
30代もなかばになってから実家を出た。気づいていなかったが、それまでは家族との関係に依存して精神的な安泰を得ていたのだろう。就職した頃の自分に言いたい。「とりあえず家を出ろ。ひき止める親の意見にこれ幸いと乗って、苦手な人づきあいを避けようとしてんじゃねぇ」と。
この先はどうするんだろうか、俺。
元
http://anond.hatelabo.jp/20130312015917
「研究者として基礎を学ぶ院生」と、そもそもの「学問の基礎を学ぶ学部生」は、別々の教育方針のもとで育てられて良い。
もちろん学部生のころから研究の最前線に触れる機会はあってしかるべきだ。
つまり研究をもっぱらとする教授の授業を受ける機会が奪われるのは良くない。
ただ、「電磁気基礎」や「力学」といって基礎科目にまで研究をする教授陣に来て頂くのは正直申し訳ない。
だから基礎科目については、わざわざ研究の最前線を切り開いている教授にご足労願うまでもなく、専門の教官を置くのが合理的だと考えられる。
さてもし、研究をする教授陣が学部生指導も兼ねる現状から変って、手厚い12年生指導(元記事参照:最下部)がされるようになったら。
院生=研究者の卵の指導は変わらない。これは研究をもっぱらにしている教授が担当すべきだ。
だから手厚い12年教育が終わった時に大きなギャップに苦しむことになるのかもしれない。
ただこの「接続」の問題は、教育専門の教官を雇うメリットを打ち消すほどのデメリットにはならないと思われる。
なんにせよ、教育機関としての大学には、もっと分業されてしかるべき側面が残っているように思えてならない。
http://anond.hatelabo.jp/20130312020546
への返信
横だけど
これは明らかに間違いね。
「3*5がokで5*3が間違い」という「特殊なルール」と、「古典力学は量子力学的に間違い」というのは根本的に違う話。
古典力学は量子力学のh→0の極限であって(hはプランク定数)、互いに無矛盾になるように理論が作られていなければ「間違い」。
h≒0で量子力学を近似すると「半古典近似」というものが出てきて、古典力学の世界と量子力学の世界が滑らかに接続される。
(同じように、相対論などもc→∞の極限(cは光速)で古典力学に接続されなければならない)
もっと言うと、古典力学と量子力学には正準交換関係という深淵な対応があって、「間違い」とかそういう次元の関係ではない。
こういうことを軽々しく言っちゃう奴(自分が分かってないことについて断定的に講釈を垂れちゃう人)は単に馬鹿なので、話を全部無視することをお勧めする。
□×△と△×□,答えは同じだけど,意味は違う(2013年版) - わさっきとそのコメントに関する雑感。
そもそもだ、小学校から高校までの教科書において多くの場合特殊なルールが存在する。例えばこういう問題。
1.This is a pen.を疑問の形にしなさい。
これをThis is a pen?と書くことはほぼ認められていない。
同じように物理の力学の問題に量子力学を持ち出すと間違いになる。歴史も同じだ。諸説が色々ある物も一通りの答えしか認められていない。それら全てに因縁をつけていくつもりなのだろうか?これらの特殊ルールは高校まで付きまとう問題。授業ではその特殊ルールも同時に教えている。それは一重に文部科学省がそう定めているから。
ここで3×5が算数だと×で数学だと○になるというのはおかしいという考えをする人がいる。どちらも正しいと言う主張だ。ところでここで一番の曲者が「正しい」という概念。これを小学校では学ばない。高校でも学ばない。「正しい」とは何か?これは大学で哲学科にでもいかない限り普通は厳密に考えるものではない。感覚的に知っているというだけだ。「×」と「○」が何を意味するか?といえば小学校のテストのルールに当てはまるか当てはまらないかという極めて単純な記号に他ならない。「○」が一般的に正しいという事は何一つ言っていないし「×」が一般的に正しくないとも言っていない。
ではなぜこれらの特殊ルールができたかと言えば、現場としてあった方が教えやすい。それだけの理由だろう。教えやすくするために、ルールを設ける事に異論を唱えるのは無粋だろう。高校まで暗黙で存在しそれらのルールの中で、現に今の大人にとって教育が実現できているのだ。
3×5を×にしようが○にしようが大きな問題ではない。この問題の解答に批判をする人が、元の文章題から答えを導けない大人になってしまっているだろうか?そうではない筈だ。教育という立場で考えれば「×」にせよ「○」にせよどちらでも良い。仮に現場がこれを「×」にするというルールがある方が教えやすいというのであれば、そのルールを採用するのが「○」ではないだろうか。
端末はあと少しで発売予定だが、iPhoneとかiPadとかAndroidとかMacで動くソフトウェアのKindleを使えば、すでにもう日本語書籍を買ったりお試し版をダウンロードしたりして楽しむことができる。
さっそく、エロ本系も花開こうとしている。
おなじみフランス書院とか、エロマンガ(島に非ず)ばっかりなのだけど、
探ってみると面白い。
なお、私はエロマンガとか、子供ものとか、アニメっぽいのとか、BLとか、コミケ的なものは苦手で嫌いなのでその手のものは一切スルーしています。
Juan Cuhna (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A4N15LQ
これ、いちおう「アダルト」の分類に入っているのだが、サンプル版を見てみれば分かる通り、何か戦記物の英語小説を日本語に自動変換した(で、変換に失敗している)ような雰囲気のものだ。とにかく書いてある文章が謎過ぎる。
これはこれでシュールな雰囲気を醸し出しているので、オートグラフとかバロウズのカットアップとか、前衛文学に興味ある人は見てみてもいいのかもしれない。100円だし。
水野蒼 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0088LTTKK
やっとまともなものが出てきました。
幼いころ見てしまったSM雑誌、それを胸にしまいつつ成人し優等生として暮らす育ちのよいOL, しかし秘めたその性向は・・・ 的な、これも王道感のある展開です。
実に小説っぽい体の一冊です。300円。
エロくノ一大好き (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z1F2M6
内容紹介のサマリが長いです。
戦国時代。なんか特殊能力を持つ様々な女忍者がいろいろスパイしますが、だいたい捕まって、あの手この手で責めを受けます。これも王道パターンです。
最後の3人めのくノ一は『またもや参態丸に捕まってしまう。彼は固・液・気に変化する鋼の身体をもち、その身体で紅葉を陵辱する。自在に変形する鋼の触手が膣・仔壺・喉・胃・腸とあらゆる場所に入り込み』と、サイバーダイン・システムズ社のT-1000みたいな敵に犯されます。
もうなんだか、自分の趣味を結実させたくてもう止まらなかった。そんな雰囲気がたまりません。著者名は「エロくノ一大好き」です。
ライフ・イン・トウキョウ 1 [Kindle版] [アダルト]
野川 潤 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z244RE
これは結構いい。あまり小説っぽくなく、リアルな手記っぽい感じ。まあ主婦とかバツイチとかやりまくってるわけですが、乾いたせつない感じがトウキョウで、またエロいところでしょうか。短編7つ入り。女性向けかも。
Jack Ready (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A2HK7O0
題名は 'Ready Lady' らしいのだが、表紙には「戯画。セックス観光客。」と書いてある。
フォントが、変です。グアムとかフィリピンとかハワイにある、日本人向けの妙なお土産屋にありがちなピジン日本語です。
サンプル版を見ると、導入部? の不思議な挿絵をいくつか見れただけで、実際の文章まで試し読みすることはできませんでした。
というか、本当に文章が入っているコンテンツなのかどうかも不明です。
Gary (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A04PXXK
これもなんか・・・ 英語の三文小説を自動翻訳にかけて、ジャンルをわざと「アダルト」にし、うっかりエロ小説だと思い込んで購入させてしまうようなアレでしょうか。
ライフ・イン・トウキョウ 2 [Kindle版] [アダルト]
野川 潤 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B009Z246BS
パート1のほうでもアナル開発とかしてましたが、こっちでもローター責めとか、処女の音大生にペログリとかしてます。爆発すればいいと思います。
川那秀久 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00A417G4S
内容紹介
『女にふられた物理学者がやけくそで書いたのは「女体力学」の論文。それをきっかけに騒動が起きる―くだらなさ全開のSF(?)小説。』
ちなみにこれも100円です。100円コンテンツは、さすがに手強いクォリティの金脈です。
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
うん、まぁ言いたいことは分かる。
ただねぇ、その魚研究の教授さんを擁護したいあまりファビョって工学、農学、医学、薬学あたりにまで矛先が向いちゃってるのよ。
具体的には
「文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物でしかない。」
「真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。」
「はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小」
この辺ね。
ここまであからさまな実学ディスも珍しいからどこの理学部出かと思ったんだけど、ド文系の詩人さんだっていうからビックリよ。
基礎科学の例として化学が挙げられてるけど、あれは"金儲け"を念頭に置いた錬金術を始祖とする学問だからね。
どうもステレオタイプなイメージだけで語られてる気がするなぁ。果たしてどこまで理系の研究事情に精通してるのやら。
"人の役には立たないが、張本人らが楽しいからやってるんだ"という共通項を持った基礎科学研究者に詩人であるご自身を投影して自己擁護しているようにしか見えないのですよ(ただし、一口に"役に立たない"とは言っても前者は長期的に見れば人類に多大な恩恵をもたらす可能性もありますわな、ご指摘通り)。
まぁそれはそれで結構ですが、その過程で自分らとは相容れない人々、つまりは実学をやっている人間をも蔑むのはどう考えても勇み足。
まともに実学やってる人間は基礎科学(研究者のうちのほんの一部が残した偉大な業績)から多大な恩恵を授かっていることを日々痛感していますから、わざわざ基礎科学マンセーの実学sageされたところでねぇ。
んで引用した文言にツッコミ入れていくと、まず一個目ね。「文明は糞でしかない」と。言いますなぁ。あなたがその文章を綴るにあたってカチャカチャやったキーボードとそれに繋がってるパソコンね、そいつらを開発するのに一体どれだけの人間が汗水流したのかと。そもそもだよ、文明が芽生えるにあたって必ずしも"知的好奇心による真理の発見→実生活への応用"というプロセスが成り立っているわけではないんだけど。例えば熱力学ね。どこぞの文系さんがよ~く飛びつく"エントロピー"っつー概念、これは熱機関(エンジンみたいなもの)の研究から生まれたものなんですわ(カルノーサイクルでggってね)。機関車やらなにやらを動かすための動力、つまり実学無しでは基礎科学の一端を担う熱力学は発展しなかったわけ。
んで二つ目、「偶然にもぽろっと」… 力学の基本法則を押さえたからといってテキトーに金属片ガチャガチャやってるだけでロボットが作れるかっての。
そして最後の「矮小」 これねぇ、本気で人の役に立とうと頑張ってる人間に対してフェイストゥーフェイスで同じこと言えるの?
あなたが何をしたいと思おうか、何に力点を置こうが、自分は一向に気に留めませんが、その趣向を一般化しちゃいけんわなぁ。
ヒスを起こして無害な、というよりも有益極まりない人間に対してまで攻撃性を見せてしまう人間の方がよっぽど「暴力」的だと思う。
大学一年の夏休み、比較的時給の良かった宴会場のホールスタッフの短期集中バイトをやることになった。
初日、中ボス格の女性に「はるな」というあだ名をつけられた。ハリセンボンのはるなに似てるそうだ。確かにブスだが、幸運にもそんな扱いを受けた経験がなかったので、面食らってどうしていいかわからなかった。
ボスは、職場の他の先輩たちに、自分に「はるなです!角野卓造じゃねぇよ!」と自己紹介させてまわった。泣きそうだった。
ある先輩から、脚立を取ってくるよう命じられた事があった。場所はわからないから、他の人に聞いてくれとのことだった。
色んな人に場所を聞いたが、ため息をつくか「あぁ?」と凄まれ、「知るかよんなもん!」と怒鳴られた。
その後、先輩が休憩してこいというので休憩していたら、知らない女性が自分を見るなり声を張り上げて怒りだした。
「あんた、誰の許しもらって休憩してんの?」
かなり威圧的な物言いだった。中ボスから許しをもらったと伝えたら、今度から自分に許しを貰いに来いと言われた。何も聞かされていなかった。休憩所にいた人はそんな自分を笑ったり、めんどくせえとか言っていた。また泣きそうになった。
ある先輩からナイフとフォークを出せと言われた。聞き覚えのない専門用語のものを12、3種類、それぞれ違う数を出せとのことだった。
間違えてはいけないし、とても覚えられないのでメモを取ろうとしたら、「はぁ?」と呆れられてしまった。何で覚えようとしないの?やる気ないの?と言われたが、すみません、まだ新入りで、間違えてはいけないので……、と応えたら、罵倒されてさらに怒り口調になった。
二日目、担当してくれている先輩から「もう慣れたでしょ?」と聞かれ、「すみません、まだ少し……」と答えたら、失笑され、一緒にいた人達に「まだ少しってwww偉そうにwwww何様wwwwwねえ?www」とかいって馬鹿にされて怒られてしまった。
その他、中身の入ったコーヒーカップを15個くらい二段重ねにして乗せたトレーを、両手に一つづつ運べと言われた。やろうとしたけどとてもバランスが取れず、申し訳ないのですがまだできそうにありませんと言ったら、またため息をつかれて罵倒された。
他にも、仕事着のヒール靴で靴ずれをしたら、呆れられて怒られたりした。そうそう、これも買取なんだけど、仕事用の制服買取って普通なのかな。
何もかもよくわからいまま怒られ、罵倒され、怒鳴られ、笑われた。とにかく一刻も早く逃げ出したくなったが、逃げては成長できないと踏みとどまった。
一週間後、腹痛でバイトを休んだ。休む電話を入れたらすぐに治った。自分が情けなくて涙が止まらなかった。
でも結局、そのままバイトを辞めた。バイトに行こうとするとどこか身体が不調を訴えて、いけなかった。
その後、塾講師バイトをはじめてかなり回復することが出来た。別に特別いい職場だったわけではないが、通常程度のビジネスマナーのある職場にかなり癒された。
あの職場は致命的に忙しい上にかなり重労働で、誰も彼もが爆発寸前までイライラしていた。生活のために派遣でやってきた人たちばかりで、誰も転職先がないという状況だった。爆発寸前のギリギリの理性で保たれてた場所に、全く使えないお荷物が入ってきたら、そりゃあ罵倒していじめたくもなるものなんだろう。
それで罵倒や馬鹿にすることが許されるかは別として、集団力学としてそうなってしまう職場だったんだろう。完全に職場の選択ミスだった。
その後の色んなバイトや体験を通じて、自分は基本的にドン臭く非コミュで忙しい雰囲気でやっていけないという馬鹿みたいに使えない人間だが、しっかり準備ができれば成果を出せること、慣れるのに時間がかかるけど慣れれば最低でも人並みに出来るようになる事、そして先に全体像把握に勤めれば慣れのスピードもあがることなんかがわかってきた。
「時間かければできる」は甘えだし訓練もしたけど、長所というか比較的マシな部分をもっと使えるものにしようとがんばった結果、いまの自分は企業で研究職としてなんとかやれてきている。やはりというか一般的な職場よりは非コミュが多い方だと思う。中には自分以上に生きづらそうな人もいるけれど、生かせる部分に気づいて、うまく他人の助けを借りながら、意識してたかどうかはともかく、必死に伸ばして来てここまできたんだなという人達ばかりだ。
確かに今の左翼の立場は微妙だけど、社会の仕組みは左翼によって変えられてきたわけで。
それは右翼左翼の語源となったフランス革命時代の国民議会の頃からずっとそう。
もちろん左翼が国家の中枢を牛耳ってた旧ソ連のあまりにもあまりな末路を見ると、左翼だけで世の中が回らないのは御存知の通り。
左翼や革新のスタンスだと新しい情報は徹底的に重視するけど(情報公開をしきりに求めるのは左翼のスタンス)、反面過去の蓄積やら伝統やらは一顧だにしないので(そして右翼はこちらを大事にする)、結果的に人間の自然な感情が蔑ろにされやすい点はあまり現実的じゃないと思う。
一方で右翼や保守のスタンスだけでは、温故知新といえば聞こえはいいけど「今のままではダメだ、変えて行かないと」という力学が弱いので、往々にして個人の情に流されて万事なあなあの右へ倣えとなりがちで、社会が停滞してしまう(伝統を重んじ権威を立てればいいだけだったら社会を進歩させる必要性は薄いし)。
強いて言うなら右翼も左翼も、どっちも大事だし、その綱引きで回っていくのが健全なんだろう。
君の理解は間違いが多すぎるから、wikipediaとかネットの断片的な情報を読むのはやめて落ち着いて教科書を勉強することをお勧めする。
力学で分かりやすい本ってあんま知らないからその辺の推薦はできないんだけど、普通の力学から始めて解析力学まで一通り勉強したあとにランダウの本読むといいんじゃね?
ずっと文系で大学も文系学部なんだけど、専攻やらバイトやらの関係で数学や自然科学をほとんど知らないって厳しいってことになった。
なので生物と数学の復習と、物理化学を一から勉強することにした。
数学は2Bまでだけどちゃんと勉強してたつもりだったんだけど、なにせ文系脳()だったから、特に物理が最初分からなさ過ぎて糞ってレベルじゃなかった。
他はゴリ押しでなんとかなったんだけど、とにかく物理がほんとうに分からなかった。そういえば中学校時代から物理分野苦手だったんだった。
結局力学をセンター受験レベルの理解に落としこむまでに2ヶ月くらいかかった。力学だけでな。それもセンターレベルだ。
頭使ってないとこうなるいい例だわな……。思えば中学校からずっと避けてきた。でも数学をちゃんとやってたのはかなり助けになった。
でも一旦こういうことなのか!ってのが分かると、そっから急に物理学のお約束みたいなのがつかめて、新しい分野への順応性が格段にはやくなった。
物理ってすげー楽しいのな。身の回りで起こってることをこんな風に考えんのか……って感動すらしてる。物理楽しいよ物理。
化学も楽しいし生物も楽しい。全くと言っていいほどなかった自然科学の考え方や知識を吸収して脳が喜んでるのがわかる。専攻分野へのアプローチが盤石になった。
文系で苦手意識ある人は絶対といっていい、理科や数学をやるべきだとも思う。逆に、理系で文系に苦手意識ある人は文系科目強化した方がいいと、カテキョ先の生徒を見てて思う。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
自分らで思ってるわりには有力でも有名でもないことで有名な私立大学の文系学部に入った春、僕は貧乏人たちと出会った。
奨学金の存在自体は知っていた。優秀な学生や困窮の極みにある優秀な学生が実質無料で高等教育が受けられるなんて、日本はなんて良い国なんだろうと思っていた。さすがは先進国だ。福祉が違う。おかげでどこかの学生みたいにバイトなんかしなくてもいいし、一心に勉学に打ち込める。うち程度の大学にはあまり縁のない話だが(まあしかしその程度でも援助に値する将来性のある人材はいるものだ)ともかくもすばらしい。大学全入時代とは、つまりみんなが好きに好きな分野を学べる、そういう幸福な時代なのだと勘違いしていた。国がお金を「くれる」ものと。
例えば目の前に一人の先輩がいる。彼をA先輩と呼ぼう。A先輩はまるで平凡なナリと面の童貞で、平凡な成績で、おそらく家庭環境も平凡なのだと推測される。父がサラリーマンで、母が主婦兼パートタイマーで、かつ子ども自身は地方公務員を志向しているような、僕の感覚すれば極めて平均的でありふれた家族。一億総中流の名残。
意味がわからない。彼の成績はなるほど悪くはないが、抜群ではないし、っていうか講義サボってるし、飲み会で聞いた生い立ちには生活保護の「せ」の字も出て来なかった。
その上バイトもしているという。
意味がわからない。あんた、奨学金受けてるんだろ? すると彼は不思議そうな顔でこう答えた。
聞けば、大学四年間で支援され他数百万を、後日弁済しないといけないという。する義務があるという。血の気が引いた。
地方公務員の給料というのがいかほどは知らないが、少なくとも完全に返済するのに何年もかかる額であることはわかる。自分の生活を切り詰めないと、ひねり出せないような負担だ。バカなのかと思った。なんでわざわざ借金しに大学に通ってるんだ? なんで高校卒業したら即就職しなかったんだ? そんないい大学でもないだろ? そんないい将来が望めるような就職予備校じゃねえだろ? マゾなのか?
もう一人、A先輩と似たような境遇の童貞が存在する。彼をB先輩と呼ぼう。バカのBだ。B先輩がA先輩と違う点は、大学院を志望している点だった。しかも、うちの大学の院。専攻は民俗学。
バカなのだろうか。バカ決定でいいと思う。
私立文系の院が絞首台への階段であることは今時分、三歳のガキでも知っている。僕ですら知っている。信じがたいことに彼は院で更に奨学金、もういい借金と呼ぼうこれは借金だ、大学院で借金を上積みしようとしている。っていうか2012年現在、彼は現在完了形で借金した。学部時代の借金と連結すると、総額で一千万に達する。
今のところ彼が富豪の隠し子で将来的に大いなる遺産が転がり込んできて紳士に成り上がるという予定は聞かない。今儲かるベンチャーの社長の出身のモードが民俗学博士号にあるという事実も聞かない。もしかしたら、その博士号がいずれ投資の倍額で売却できる日が来るかもしれない。
B先輩はA先輩や僕と違い、学問的なポテンシャルやアンビションに恵まれていた。
朝、大学図書館が開くとともに分厚い専門書を抱えて閉館時間まで篭りきりでノートをとるような人。専門外からするとフィールドワークとかしなくていいの?などと心配してしまうが、ある程度は優秀な学生ではあると思う。ある程度までは。
残念ながら、飛び抜けて優秀かといえばそうではない。彼以上の人材は世の中にゴロゴロしていて、たとえばそういう人達は国立大の院などへ籍を置いているはずだ。その差を埋めるほどに処世に長けているかといえば、大人しすぎて不器用な人なので、どうだろうか。
彼自身も漠然とした不安は度々口にしている。「このままでは先は暗い」「不安だ」。バカか。だったら、さっさとスーツ着て説明会行って訳知り顔で頷きながらメモ帳にこまめにネコの落書きを描きつつ質問タイムになったら何も考えてなくても元気よく手をあげろ。
けれど、僕はB先輩がそんなはしたない真似をできる人間ではないことを知っている。それだから、一千万の借金をひっかぶったわけだ。彼が引っ込み思案だという、それだけの理由で。まるでクソみたいに素晴らしい世界だとは思わないか。
こうした個別のケース経験から僕が学んだのは「『中流世帯』の家庭の子供もフツーに奨学金を得ている」「彼らは特に優秀なわけでも、学問的に意欲が高いわけでもない」という事実だった。一人暮らし先に引っ越す前夜、僕は父親から「お前の入る大学なんて、遊ぶかバイトするためにしか学校に通わない役立たずどもしかいない」と失望気味に脅かされたが、彼の認識は誤っていた。彼らは借金をするために大学に通っていたのだ。
ショックだった。僕はそれまで「大学に進学するには『普通の家庭』の収入で十分」と思っていたから。だって、そうじゃないと日本人の半分も大学なんかいかないでしょ? そうじゃないと誰もこんな大学入らないでしょ?
B先輩のように「学問しかない」人間ならまだ理解できる。人生を賭けるとまではいかなくても、わずかでも学問に興味を抱く人間ならば平等に機会を与えられるべきだと思う。でもほとんどの三流大学生に学習意欲などはない。彼らはただ高校時代や中学時代とおなじように「大卒」の資格を得るためだけに出席カードに名前を書いている。
わからない。そこまでして「大卒」の資格を得たいものなのか? 何百万もの借金に見合うような肩書きなのか? 半世紀前ならいざしらず、就職市場は冷えきっている現在では数年で借金を完済できるような職などまず望めない。学生時代にかけられた呪いと向こう十年二十年はつきあっていかなくてはならない。「大卒」資格と引換えに。
僕の地元の友人は、高卒で地元企業に就職した。彼は家に相応の金を入れつつ、こつこつと貯金をためながら現在の彼女との結婚のために準備しているという。
彼は兄を憎んでいる。彼の兄はやはり地方の無名私立大学に入学して、穀潰し生活の六年目に突入しており、その学費の一部は友人の「上納金」から出ている。長男にまだ一定の優越権が認められている田舎の話だ。
友人はそれなりに頭は良かった。勉強好きではなかったが、努力家だった。もし将来を見据えて本腰をいれて勉強に励めば、僕なんかよりランクが上の大学だって夢じゃなかったはずだ。だが彼は「うちにはお金がないから」という理由から進学を断念して、高校で僕と道を違えた。僕は彼の家の貧乏を哀れんだ。彼が「特別なケース」だと錯覚した。でもそうじゃなかったんだ。友人の進学を阻んだのは「お家は長男のために」という冷徹な田舎の力学であって、「経済的理由」は二次的な障壁に過ぎなかった。今うちの大学は、彼の家とそこまで経済事情の違わない別の地方の子供たちで溢れている。彼らには友人と違って、憎むべき「兄」が存在しない。自分を恨むしかない。惨めな私立にしか入れなかった自分の頭を。
就活生の狂気じみたテンションは、そんな後ろ暗さを払拭したいところから生まれたのかもしれない。そのチャンスを逃したら、借金は一気に人生を破滅させる獣へと変わるのだ。意識が高くないと、やってはいけないのだろう。
経済的価値においてはすでにひっくり返っている気がしないでもない「大卒」の肩書きを、それでも「行っといた方がベター」という空気のために、手に入れなければならない。「大卒」は「高卒」よりも選択肢の幅が広がるし、立派な生活が保証されるという。本当だろうか。東大京大早慶以外の大学でもその神話は有効なのだろうか? 明日潰れるともしれない中小ブラック営業職で十八時間労働を強いられる「大卒」は定時であがれる僕の友人より幸せなのだろうか。二十年後三十年後の給料に差はでるかもしれない。だが二十年後三十年後に前者はまだ生存していられるのだろうか。
飲み会の席で、A先輩の伯父さんが最近自殺したという話を朗らかにされた。
「そうなんだよ、死ねば奨学金帳消しになるんだよ、死ねばさあ〜」
なぜ彼は笑っていたのだろう。
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の工学部機械工学科に入学するとしよう。基本的に機械工学科に含まれる研究分野は多い。もちろんそれには理由があるのだが、それでもほぼすべての学生が学ぶ共通の内容があり、機械工学科を卒業した学生に企業が期待するのはそれらの基礎知識である。そういう意味で機械工学は非常に実学に近いと言っても良い。
機械工学科の教員は本当に口を酸っぱくして「四力を身につけろ」と何度も何度も授業の度に言ってくる。古いタイプの教員ほどその傾向は強い。いわく、「専門分野の基礎がわかっている人間が社会では強い」、「四力が身についていなければ学科長が許しても俺が卒業させない」、云々。で、その四力というのは以下の4つの「力学」のことを指す。
機械力学というのはいわゆるニュートンの力学でいう「剛体の力学」で、弾性・塑性変形しない対象がどのように運動するかを扱う。振動工学とか解析力学とかはだいたいこの延長線上で学ぶ。高校の力学に微分積分を足した感じだと思えばいい。
熱力学はマクロで見た気体や液体の持つエネルギーを対象にする。これも微分積分やエンタルピー・エントロピーの概念を除けば高校で学べる物理とそう大差はない。次の流体力学と合わせて熱流体力学というジャンルを構成していることもある。統計力学は熱力学の延長線上で学ぶことが多いが、量子力学とともに挫折する学生が非常に多い。
流体力学はその名の通り気体と液体を合わせた流体の運動について学ぶ。航空関係の仕事がやりたいなら必須。多くの近似法を学ぶが現実にはコンピュータ・シミュレーションが用いられるのであまり細かく勉強しても役に立つ場面は少ないかもしれない。下の材料力学とは連続体力学という共通の基礎理論を持つ遠い親戚。
最後の材料力学は、弾性をもつ(=フックの法則に従う)固体の変形が対象。建築学科とか土木工学科だと構造力学という名前で開講されているが、内容はだいたい一緒。これも多くの近似が含まれる体系で、実際にはコンピュータを使った有限要素法でシミュレーションする場面が多い。とはいえ基本を大学学部時代に学んでおくことは非常に重要。
で、これら4つの科目がどう生きてくるかというと、たとえば20世紀における機械工学の結晶であるところのエンジンの設計なんかにはこれら全部が関わってくる。機械にかかる荷重や振動を解析し(機械力学)、エネルギー効率の高いサイクルを実現し(熱力学)、吸気と排気がスムーズに行える仕組みを作り(流体力学)、これらの条件に耐えうる材料を選ぶ(材料力学)。もちろん就職したあとにこれらすべてに関わることはないし、実際に使える高度な知識を教員が授けるわけではないが、機械の設計に際しては必須の基礎知識ばかり。とはいえ後のように四力から直接発展した研究をしているところはまれで、院試のために勉強したのに後はもう使わなくなった、なんてこともままあるわけだが……。
なお高専からの編入生が入ってくるのは2~3回生なのだが、彼らはすでに四力を身につけていることが多く、運が良ければ通常の学部生からは羨望と尊敬のまなざしを勝ち得ることができる(しかし英語ができないので研究室に入ってから苦労することが多いようだ)。
高度な数学や電磁気学であったり、機械加工や金属材料や設計に関する専門的な知識もカリキュラムに含まれることが多い。みんな大好きロボットは制御工学の範疇で、これは四力とは別に学ぶことになる。ロボット=メカトロのもう一つの必須分野である電気電子系の講義はほとんどないので独学で学ぶ羽目になるが、微分方程式が解ければ理解にはさして問題はない。プログラミングや数値計算などの授業は開講されていることもあるしされていないこともある。とはいえ機械工学科を出てガチガチのプログラマになることはほとんどないし、教えてくれてもFORTRANか、せいぜいCが限界である。さすがにBasicを教えているところはない。……ないと信じたい。
実習や実験がドカドカと入ってくるのは理系の宿命なのだが、特徴的なのはCADの実習。おそらく就職したら即使う(可能性がある)ので、研究室に入る前に一度経験しておくといい。もちろん実際にCADで製図するのは専門や工業高校卒だったりするのだが、そいつらをチェックしてダメ出しするのは大卒なり院卒なりの仕事になる。
四力を身につけたらいよいよ研究室に配属されることになるのだが、基本的に四力を応用した分野ならなんでも含まれるので本当に各研究室でやっていることがバラバラ。隣の研究室が何をやっているのかは全くわからない(もちろんこれは機械工学科だけではないとは思うが……)。そのため学科のイメージを統一することが難しく、どうしてもわかりやすいロボットなんかをアピールすることが多くなってしまう。とはいえそういう「わかりやすい」ことをやっている研究室は少数派で、実際は地味なシミュレーションや材料のサンプルをいじくりまわしているところが多数派である。最近は医療工学系の研究をしているところが増えたらしいが、光計測だったり材料物性だったり航空工学だったり、あるいは全然関係ないシステム工学だとか原子力工学の教員が居座っていることもあるようだ。こういう教員を食わすために機械工学第二学科(夜間向けの第二部ではない)が設立されたり、環境とかエネルギーとかが名前につく専攻が設立されたりすることがままある(昔は学科内に新しく講座を作るにはいろいろと制限があったらしい)。そういうところは(上位大学なら)ロンダ先として利用されるのが常で、そうした研究室を選んでしまった学部生はマスターの外部生の多さに面食らうことになる。
とはいえいろいろ選べるならまだマシな方で、大学によっては計測か材料かしか選べなかったり、工業高校ばりの金属加工実験を延々とやらされたりすることもある(ようだ)。やりたいことがあるならそれをやっている大学に行け、とは機械工学科志望の高校生のためにある言葉かもしれない。
そう、就職は非常にいいのだ。「学内推薦が余る」という噂を聞いたことがある人がいるかもしれないが、まぎれもない事実である(とはいえ最近は上位校の推薦でもガンガン落としまくる企業が増えたようで就職担当も頭を抱えているようだが)。機電系なる言葉が広まったのはネットが登場して以降らしいが、機電系=機械工学系と電気電子工学系、というぜんぜん関係ない2つの学科をまとめてこう呼ぶのは、それだけこの国の製造業でこの2学科出身者が必要とされているということだろう。我らが機械工学科の後輩たちのために、これからも経済産業省には「モノづくり立国」なるわかったようでよくわからないスローガンを推進していただきたい。
inspierd by http://anond.hatelabo.jp/20110929232831
追記:あえて上位と下位の大学の事情をごっちゃにして書いているので、受験生諸君はあまり鵜呑みにせず自分でリサーチするようにお勧めする
だったら、どう違うか相対的な整合性を仮定しなきゃ
まったく意味がないよな。
個人的な経験則は無効だぞ。
まあ本格的なバカみたいだから簡単に設問すると、
僕はその問題に少しだけ詳しいので知っていることを説明します
あなたもご存知の通り、
風俗がオナニーよりなぜ気持ちいいのかという設問は長らく論争の的でした
いまだに決着していないといってもよいその議論は
とりもなおさず生命とは何かということの定義あるいは自己複製へのイデオロギー的確信に
世界中の科学者、研究者がこの人類に残された究極にして最後の謎、
暗い闇の中を手探り状態で開拓しはじめたのが今から70年程まえです
著者はサイモン・プライマー、題名が「断片の創造性にかかる自己複製への影響の解釈」という
この科学論文が英国科学研究機構に提出されたのが今から71年前のこと、
当時この論文にはさほど科学的に重大な発見が記されているとは思われていませんでした
そこに書かれていたのは、自己複製の連続性つまり人類の生命誕生における
遺伝子決定に関してたんぱく質が影響をおよぼす断片的な創造性の思想的な解釈でした
それはDNAの2重螺旋構造をセントラル・ドグマとした当時のある種流行とも呼べるテーマでした
この全体としていささかインパクトにかける無名の生物学者が書いた論文に
たった一行それはあまりにもさりげなくしかし後の科学にとっては非常に重要な示唆が挿入され
それをあくまで直感的に解釈するプライマーの言葉が短くしるされていました
それが以下、
私はこの等式記号がただちにオナニーの快感を否定するものではないことを承知するが
さしあたって風俗での射精との関連についての演算的なゴールであることを定義するものであること
でした。
ここに風俗とオナニーに関する科学史の始まりとそして同時に終末が同時に記されたのです。
あるいは当時この示唆はあまりにも大胆な飛躍ととられたのかもしれない。
しかし、このほんの小さな一陣の風の前に
一人の研究者が現れることで科学史は大きなうねりを持ち始めるのでした
意味はわからないかもしれませんけど、まだ始まったばかりですから
最終的に風俗がオナニーよりなぜ気持ち良いのか科学的に証明するところまで
行くのにあと300レスは必要なんだしその頃には分かるんじゃないかと思います
ごめん終わらせちゃっていい?
天才だなお前
ちょっと待ってくれ。
>>37がやろうとしていることは生命科学だよな。
おまえがやろうとしているのは疑似科学だ。
捏造することもできない。
僕はそれを証明しようとしてるだけだし
それを疑似科学だとか言うならそもそも君の設問がナンセンスだってことになるよ
それに僕はオナニーでの射精から得られた精液から得られた微量のゲノムDNAサンプルと
風俗での射精から得られた精液から得られたゲノムDNAサンプルのRCA解析の結果を2次元下で
モデル化することで余剰次元の素粒子標準の不明点は切り離せると考えてるし
あくまで演算的に設問を証明しようとしてるわけだから可視化の力学的性質だけで
検出できない微小なプロセスは物理的な効果も無視されるのがふつうだ。
君の考えていることとはベクトルがまるっきり逆だと思う
射精のメカニズムを解析するのではなく射精された精液に含まれるDNAのふるまいによる
観察結果がおのずと回答を導くんだ。だから300レスで十分に証明可能なんじゃないか。
間違えたPCRでの解析だ。RCAじゃヒッグス機構と階層性問題の内部対称性が示せない。
超対称性を取り入れた標準モデルの拡張性の大きな強みは、粒子とスーパーパートナーの
双方から仮想の寄与があるとき、超対称性によって仮想フェルミオンと仮想ボソンそれぞれの量子補正が
実現できるてことになるから。とにかくRCAじゃなくてPCRでの解析を比較します。
読んでて頭が割れそうだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブについて、各所で話題になっていたマサチューセッツ工科大サイトの感想も翻訳してみた。初音ミク現象を基に、情報を巡る様々な活動の基盤となるメディア・プラットフォームのあり方について考えたもので、書き手はミクが市民主導のメディア作りをするうえで参考になると考えているようだ。残念ながら一ヶ所、fro-ducerなる意味の分からない用語があったのでそこは翻訳していない。意味を知っている人がいたらご教授願いたい。
urlは以下の通り。
http://civic.mit.edu/blog/condry/miku-japans-virtual-idol-and-media-platform
7月2日土曜日、私は普通じゃないライブショー、日本から来たヴァーチャル・アイドルの米国デビューを見に行った。彼女は市民メディアについて私たちに何かを伝えられる存在だと思う。
初音ミクはアニメ・エキスポにおける催しの一つとして、ロサンゼルスのノキア・シアターで公演した。完売したコンサートには、多くがコスチュームに身を包んだ4000人を超えるファンが訪れ、ステージ上で生の演奏家の横に投影された「人間サイズ」の映像であるミクが床からせり出してくると、彼らは叫びケミカルライトを振った。
ミクは甘く歌い、幅20フィートある放物線状の鏡に沿って跳びはね、大半は熱狂的なテクノダンス・ポップな曲目を駆け抜ける間、決して汗をかかなかった。ステージの脇には彼女と他のバンドメンバーをクローズアップした映像がスクリーンに映し出されていた。彼女はちょっとしたおしゃべりもした。「はじめまして、初音ミクです」。そしてバンド(ギター、ベース、キーボード、ドラム)と6人の弦楽器奏者たちを紹介した。私たちは彼女に拍手を送り続けた。
「あたしたちは歴史を作っているのよ」と、私の隣に座った若い女性が友達に話しかけていた。たしかにそんな気がした。そして政治とポピュラー音楽について私が知っていると考えていることについて、改めて考え直した。
誰もが喝采しているが、何に対して? ステージ上、私たちの注目が集まる場所には誰もいない。単に仮想アバターが存在するだけだ。何のアバター? 一体誰の? それは私たちの。
大衆文化は政治と同様、しばしばステージ上の(あるいはスクリーンに映された)リーダーを前提としているように見えるが、その影響力や、しばしば創造性そのものが、どう転んでもより幅広い分散型の集団行動から生まれてくることを、ミクは示している。ミクは未開拓の可能性を孕む世界、クラウドソースな動員モデル、そして一部はソフト技術(ボーカロイド)、一部は文化的なアイデア(ミクというキャラ)からなるメディア・プラットフォームに関する有益な事例について、言外にほのめかしているのだ。
ミクはYAMAHAが開発し2004年から販売を始めたボーカロイドと呼ばれる音楽合成ソフトウエア・パッケージの声として作られた。ボーカロイドはガレージバンド[音楽制作ソフト]同様、演奏用の道具として音楽を作ることができるが、その際にメロディーと同じく歌詞を書けるという特徴も持っている。別の企業、クリプトン・フューチャー・エンターテインメント[ママ]が2007年、漫画風の画像と経歴設定(16歳、身長、体重、その他)と一緒に、追加音声であるミクを発売した。
http://www.crypton.co.jp/mp/pages/prod/vocaloid/cv01_us.jsp
重要なことに、クリプトンは画像に対する著作権を強く主張しない方針を定め、キャラクターが彼女自身の生命、より正確に言えば私たち自身の生命を持てるよう制限を解いた。いわば私たち誰もがレディー・ガガのために音楽を作り、それを彼女が私たちのために演じてくれるようなものだ。ミクがリアルじゃないってことが問題だって? それじゃレディー・ガガはどのくらい「リアル」なんだい?
ファンはそれにこたえ、さまざまな共通の服装及び像(たとえばネギ)を共有しながら数百数千の音楽ビデオをオンライン投稿した。以来、日本の動画シェアサイト、ニコニコ動画への投稿及びコメントを通じて増幅されたファンの取り組みのおかげで、ミクはスターの座へ駆け上がった。いわゆる「Nicodo」[ニコ動]はユーチューブと似ているが、動画を見ていると利用者のコメントがスクロールしていくところが違っており、それによって参加者の視点というレイヤーが追加されている。
今日ではミクのP(『プロデューサー』)は彼らの作品をオンラインで販売し、日本のカラオケスポットでは好きなミクの歌をダウンロードして歌うことができる。クリプトンは、彼ら曰くクリエイティブ・コモンズの模倣であるPiaproというオンライン・サイトを持ち、連携促進とライセンス供与をするシステムを作っている。ファンの作品は他の販売経路を通じても売られている。2010年11月、東京・池袋で開かれ私を含めた7000人の参加者を集めた完売のファン・コンベンションでは、集められた500のファングループがボーカロイド関連の音楽、ポスター、DVD、イラスト本、テレビゲーム、装飾品その他を販売した。
こうしたファンの興奮ぶりを踏まえると、ビッグ・ビジネスが仲間に加わろうとするのも不思議はない。2009年以来、SEGAはProject Divaというタイトル名でミクの携帯機及びアーケード向けゲームを作成している。トヨタも今や広告シリーズでミクを使っており、彼らはミクのロサンゼルス・デビューの前にCMを公開したほどだ(いくらかの非難も浴びたが、おそらくは善意に基づいて作られていた)。とはいえ究極のところミクはファンの取り組みによって命を吹き込まれており、ミクが商業主義の世界に足を踏み入れるのを見るのが興味深いのもそれこそが理由だろう。
ミクは、以前から知られていた市民メディアのための教訓のいくつかを補強する存在だ。人々が参加するには本当の開放性が感じられることが必要であり、共有と対話がコミュニティー形成のカギになる。管理された知的財産権システムよりも自由な文化の方がより何かを生み出す力があり、新規参入と商業主義化は、特に人気が高まった場合は常にリスクとなる。
だがミクは分散型の創造性について、ウィキペディアとも人間のセレブとも異なる特殊な図式を提示している。ミクにはバックグラウンドが欠けている。彼女には予め定められた人格はない。彼女は唯一の完成した空想世界に存在しているのではない。このウィキ=セレブは、将来がプラットフォームに在る時代において、昔ながらの人間のセレブを白物家電のように見せてしまう。
この事実は民主主義と参加についての考え方にも別の道筋を提供するのだろうか? 行動と人気を生み出すのがリーダーたち以外の社会的現実だとしたら、メディアに関する問いは表現される内容よりも、プラットフォームのあり方、それがどれほど開放的であり、それが許す創造性の形式がどんなものであるかに振り向けられるだろう。
クリプトン社長の伊藤博之は2011年10月、ミクと計画されている英語版を含む関連プロジェクトについて議論するため[MITの]比較メディア論を訪れる。彼はこの現象を、エンターテインメント産業について再考する機会だとみている。「これは普通ではない形の創造性です」と、コンサート前にLAで短時間出会った際に彼は言った。「私たちはコンテンツを作成する過程を作り変えているのです」。ミクが機能するのは分散型のファン=製作者グループの関与があるからだ。おそらくこれはプロ=シューマー[生産消費者]の終焉であり、fro-ducer[残念ながら意味不明]の台頭なのだ。
大衆文化は、市民メディアを分析・設計する際に利用できる社会的力学を照らし出すものだ、と私は信じている。大衆文化は政治的参加のための媒体になり得るのみならず、特に人々に行動を促すという観点からどのようにアイデアが流れ影響をもたらすかについて把握するモデルも提供してくれる。
アニメに関する研究において、私は仮想のキャラクターがそれ独自で生成力のある創造性のプラットフォームになっているとの結論に達した。そこからより多くの種類のプラットフォームが出てきそうであり、創造され、築かれ、共有され、分配され、リミックスされ拡張されるのを待っていることを、ミクは明白に示した。ミクについて考えることで、私たちが未来において行動するコミュニティーを創造するための新たなアプローチについて思い描けるようになること、それが私の望みだ。
http://anond.hatelabo.jp/20110707195830
初音ミクLAライブ、外国人感想その2「再生の約束」フリーダム訳
http://anond.hatelabo.jp/20110708223459
初音ミクLAライブ、外国人感想その3「ミクノポリスのボカレタリアートたちよ、団結せよ!」
http://anond.hatelabo.jp/20110709211718
初音ミクLAライブ、外国人感想その4「仮想の歌姫:初音ミクの人気と未来の音色」
http://anond.hatelabo.jp/20110710234300
初音ミクLAライブ、外国人感想その5「オレはAXには行ってないけど、まあとにかく……」
http://anond.hatelabo.jp/20110711212701
初音ミクLAライブ、外国人感想その6「ミクノポリス:7月のクリスマスと世界征服」
http://anond.hatelabo.jp/20110712205546
初音ミクLAライブ、外国人感想その7「AX11:ミクノポリスの印象」
http://anond.hatelabo.jp/20110713211501
初音ミクLAライブ、外国人感想その8「ミクノポリス:コンサート・リポート」
http://anond.hatelabo.jp/20110714210122
初音ミクLAライブ、外国人感想その9「アニメ・エキスポ:初音ミク」
http://anond.hatelabo.jp/20110715222900
初音ミクLAライブ、外国人感想その10「アニメ・エキスポ2011(抄訳)」
http://anond.hatelabo.jp/20110716194029
初音ミクLAライブ、外国人感想その11「世界は彼女のもの:初音ミクはいかにして全てを変えたのか」
http://anond.hatelabo.jp/20110717201147
初音ミクLAライブ、外国人感想その12「アニメ・エキスポ2011でのボーカロイド体験」
http://anond.hatelabo.jp/20110717063617
それより角川グループ寡占問題ということならば、近年DVD/BD売上げ≒注目率が落ちてるのに相変わらずアニメ化の枠は
縮小せずに寡占しつづけてる、MF文庫JのヒロインをキャハハウフフさせてEDで走せるあの仕組みを何とかしようよ。
MF文庫Jほとんど一年中、オフシーズン(?)までTBSとやらで枠とってるんだぜ。
数年に一度注目されればラッキーなHJ文庫どころの話じゃねーだろまじで。
結としては、マイナーレーベルのアニメ化が少なすぎてイラつくのはわかるけど、ロリコン枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
☆★☆ まったく、小学生は最高だぜ!! ☆★☆
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20110716/1310803436
結としては、ツールの報道が少なすぎてイラつくのはわかるけど、報道枠の問題と感情移入して応援することとそれを他人にも押し付けることとは区別したほうがいいと思いました、て感じで。
ニコニコ生放送で有名。ってどれくらいの影響力なんだろう?いわゆるアルファブロガーとか同列?なんていうか影響力が分かるような明確な指標がないからどうにもイメージしにくい。twitterのフォロワー数で数えるのは正確とは言えないし、他にはもっと当てにならないコミュニティ人数とかだけ。
もちろんコミュニティー内から見たら相当なものだろうけど、一歩外側に出たら、なにそれ?ってなるのは確か。でも、そのコミュニティー内では相当な影響力なんだよな。だからなおさら分かりにくい。数なら大したことないけど、質でいうならけっこう影響力は大きいんじゃないか。
ニコニコ生放送には広告というシステムがある。視聴者がお金を支払うことでその放送をその時だけ宣伝できるわけ。だいたい100円から設定できるらしい。で、人気広告(ランキング)を見てみたら万単位の広告がちらほらある。万だよ。万。たった一度きりの宣伝のために万だよ。動画に宣伝するならまだ分かるが。これはちょっと理解不能。まあ、直接お金を支払うのではなくて、お金を還元したポイントでつぎ込んでいるから抵抗感が少ないのかもしれないが、それでもたった一度きりの広告に万単位だよ。総選挙の力学とか働いてるの?俺は大島優子が好きです。
そこで、ためしに人気放送主を色々と見てみたら、視聴者からプレゼントを貰っていてそれを紹介していた放送があった。そんな高価なものではなかったが。ほかの放送では「○○が欲しいです」と題目でウェブマネー募集をしていた。トータルでいくら儲けるかは知らない。なにせ、総体として一時的な広告で万単位で払うようなやつらの集まりだから、きっとそこそこな利益になると予想される。
驚いた話がある。EMIって放送主が「金をくれ」と放送で乞食をした。すると、なぜだか視聴者が東北の震災に募金する流れになり、その放送内だけの募金金額は結果60万になったらしい。すごい。直接的に貢ぐことはせずとも、間接的にはそれほどの貢ぎがあるってわけだ。これはまあレアなケースだと思うが、その短期間で60万の金が動くって驚きだ。放送しているだけなのに!
飽きた。以下、結論。ちょっとだけは影響力ある。お金もちょっとだけは儲けられる。ただし、放送はプライスレス。俺の放送にまったく人来ねえなぜだ。そっちの方が不思議だ。