はてなキーワード: スケープゴートとは
「担当者さん。俺たちは難しいことを何一つ言っていない。機械を、ムカイさんを使い捨てるような真似はやめてくださいっていう、すごくシンプルな話なんです」
「見え透いたこと言わないでください。ムカイさんは他社から借りてきた、派遣のアンドロイドなんでしょう。そのムカイさんにリーダーの役職を与え、その割に権限は譲らない。何かあったときのスケープゴートにする気マンマンじゃないか」
「それは私の決定ではなく、上が……」
「その“ウエ”って奴が言ったら、オマエは何でも従うのか。一体、何を“タントウ”しているんだ」
交渉を俺たちに任せていたムカイさんが、ここにきて饒舌になった。
どうやら担当者の取り繕い方に苛立ち、我慢ができなくなったらしい。
「ワレは……いや“ワレワレ”は貢献してきた。人間たちができない仕事や、やりたくない仕事も区別なくやった。なのに、人間ならば当然ともいえる要求すら受け入れられないのか」
ムカイさんが口元をガクガクと動かす度、担当者の顔が歪んでいく。
「そんな要求、通るわけがないでしょう。機械を人間と同等の待遇になんて……」
「それを決めるのは“ウエ”なんだろう? オマエは言われたことを大人しく実行すればいい。ここにいる、その他の機械と同じようにな」
ムカイさんは新型のAIでも真似できないような、渾身の皮肉を言った。
それが止めとなり、平静を保とうと必死だった担当者の中で“何か”が切れてしまったようだ。
幻聴だとは思うが、嘘じゃない。
本当に、その時「プツリ」という音が聞こえたんだ。
「そんなこと! 私が一番分かってるんですよ!」
担当者の叫びは、それほどまでに俺たちを驚愕させる音圧だった。
担当者は今まで溜め込んでいたのだろうか。
「『ラボハテ』の内定を貰ったのは幸運だと思いました。大企業ですからね」
実際、最初は順調だったらしい。
しかし時が流れるにつれ、彼は自身の成長と、技術開発の進歩がどんどん離れていっていることに気がついた。
無能はもちろん、凡人では追いつけないほどの距離感が生まれていた。
「一人雇うのにだって年間数百万。福利厚生なども加味すれば、もっとかかるでしょう。その費用を開発にあてた方がいい……なんて自分で考え出したら潮時です」
それでも辞めたくない場合、『ラボハテ』は会社員を簡単に切り捨てたりはしない。
「『ラボハテ』は障害者向けに精密な義体を取り扱っていることでも有名ですが、それを推し進められるのは身体障害者を多く雇っているからでしょう」
「言い方悪いぞ、カジマ」
「いいえ、あながち間違ってもいません。私には同僚がいるのですが、彼は1年前に両目を義眼に変えました」
「え、まさか……」
当人いわく「事故で失明したから作ってもらった」らしいが、彼は疑念を振り払うことができなかった。
「本当にただの偶然かもしれません。でも同僚は以前、『ラボハテ』を辞めるかどうかで悩んでいて、そのことについて私とよく話し合っていたんです。そうなってからは、おくびにも出さないのが不気味でたまりませんでした」
『AIムール』の話が持ち上がり、異動の希望者を募っていたのだ。
「二つ返事で受けましたよ。事実上の左遷ですが、あそこでビクビクしているよりはマシだと思いましたから」
けれども、あくまでマシってだけだ。
そこで担当者となった彼は、ますます自分の無力さを思い知らされる。
「もしかしたら、この『AIムール』という会社は、いらない社員を自主的にやめさせるって意図もあるのかもしれません」
その点については俺も何も言えない。
だけど、それはそれとしてムカイさんの現状をどうにかすべきなのは変わらない。
「オマエラ、もういい」
しかし、そう言葉を続ける前に、今度はムカイさんが俺たちを制止した。
「いや、でも……」
「どうせ無意味だ。ならば、さっさと辞めるに限る」
こうしてムカイさんは『AIムール』を去り、俺たちは不本意な学びを得たまま職場体験を終えた。
それから数週間後、『AIムール』は相変わらず俺たちの学校近くに構えている。
タイナイが自分のブログで今回の件を書いてはみたものの、大した話題にはならなかった。
それでも多少の変化はあった。
あの一件後すぐ、あの担当者が俺たちの意見を具申してくれたようだ。
「即却下されたらしいがな」
それどころか、学生に現場をいいようにされた責任を問われて『AIムール』を辞めることになったらしい。
そんな簡単に辞めさせられるなんて、あの担当者もムカイさんと同じ“スペアの頭”だったってことか。
「俺たちのせいだな……」
「思い上がるなマスダ。ヤツはもとから、そのつもりだった。むしろ感謝していたぞ。“自分の尊厳を取り戻した”ってな」
「え、ムカイさん、知ってるの?」
ムカイさんによると、あの担当者は現在『256』で働いているんだとか。
「よく分からないがエージェントだとか何とか言ってたな。少なくとも『AIムール』にいた頃よりは、いい顔をしていた」
まあ、あそこは顧客からの悪評は絶えないが、給与と労働環境はいいから社員にとっては望むところだろう。
「ムカイさんは最近どうなの?」
「ワレは自宅待機だ」
「だったら久々に家に行ってもいいか? 弟のやつが、近頃ムカイさんを見ないってボヤいていたからさ」
「構わん。どうせオマエの弟は、来るなと言っても来るだろうからな」
望むと望まざるに拘わらず、周りは緩やかに変化していく。
それらの変化が良いのか悪いのか。
自分は順応できるのか、許容すべきなのか。
正直なところ良く分からない。
それでも言えることがあるならば、斜向かいには今もムカイさんが住んでいる。
今回の話で断言していいのは、そこくらいだろう。
だからトラブルが発生した場合、その原因と是非は機械に求められるだろう。
ひとつの機械が起こした問題だとしても、人々は同社の製品全てに不信感を抱く。
それを解消するために全ての機械を作り直す、なんてのは大きな損失だ。
再発防止の強化にしたって新たなコストが発生するし、作業の効率性も落とす。
リスクヘッジのために、そこまでやるのは割に合わない。
この会社を作るだけでも莫大な金がかかっているだろうし、できれば余計な出費は避けたいはず。
「そのためにワレを“リーダー”に……“名ばかりの重役”にしたというわけか」
規格外の派遣アンドロイドであるムカイさんは、『AIムール』にとっては都合がいい存在だろう。
派遣させた『256』にとっても、今は亡きメーカーの中古品を管理しているだけ。
あわよくば処分したい位に考えているのかもしれない。
「うへえ、えげつな~」
酷いやり口に、しばらく沈黙していたクラスメートたちも思わず声を洩らした。
だが、それを最も酷いと感じているのは、当事者のムカイさんに他ならない。
「ヤツラめ、どこまでコケにすれば気が済むのだ!」
ムカイさんは声を荒げ、勢い良く立ち上がった。
次に繋がる行動も、誰の目から見ても明らかだった。
「タントウシャはどこだ! ワレをリーダーに任命した、あのタントウシャだ!」
今にも暴れだしそうな勢いだった。
ムカイさんは“戦わない理由”をプログラムすることで、戦闘行動を自主的に抑えている。
言い換えると、“戦う理由”があれば歯止めがきかないってことだ。
「ど、どうしよう、マスダ」
このままムカイさんを行かせるのはマズい。
いくら武装解除しているとはいえ、本来のスペックは戦闘用のそれだ。
「マスダの母さんを呼ぼう! 昔はムカイさんとよく喧嘩してたって聞いたぞ」
「それだ! 彼女なら止められる」
クラスメートたちはよほど混乱しているらしく、とんでもないことを提案してくる。
うちの母を荒事に介入させようとするなよ。
「バカなことを言うな。そんなことしたら、なおさら収拾がつかなくなるだろ」
そりゃあ、母ならムカイさんを止められるだろうが、それはあくまで“物理的な仲裁”だ。
それでは大事になるし、みんなも無事じゃあ済まない。
血もオイルも流させないことが肝要だ。
「ムカイさん、ちょっと待ってくれ」
俺は回り込んで、ムカイさんの進行を遮った。
「違う、これはお願いだ。ひとまず座ってくれ」
母とは和解したし、弟はムカイさんのことを気に入っている。
スマン、最初の十行くらいしか読まずに書くんだが、そもそもオタクって言葉が仲間内を自嘲して言ってたって説があってな?
下手の横好き、だとか、釣りバカ、だとか、麻雀狂みたいな感覚だったと思うんだよ。
最初に記録があるのはどこかの作家さんの侮蔑らしいんだが、創作側として素人批評家を嫌悪しての軽い気持ちだったんだろう。
それを受けて、「しょせん俺達は――」って使い方だったんだよ。
それから、漫画規制派のPTAや批評家、新聞週刊誌、テレビなんかが乗ってきた。
赤軍があしたのジョーを引用したり、冷笑やナンセンスギャグが左翼と繋がりがあったりで、反体制的って見方もあったんだろうな。
それに加えて出版、報道、広告側に軽い賤民意識もあったし、批判をさせずに既得権側が一方的に発信をする為の、藁人形的存在として使うのにも都合が良かった。
インターネットは犯罪者の巣窟だって報道されていた頃を知ってるかい?
本来は学術者の研究ネットワークだったり技術に関する情報交換の場だったのに、やっぱり当時のネット住民やパソコン通信からの移動組は同じように自分達を笑っていたよ。
専門家も似たようなものだった。自分達は学者バカだから、ってね。
出版、報道関係者はその間ずっと、ネットから情報を盗んで報道し続けていた。
もちろん、出資をしたりコミュニティを育てたりしていた人もいたけど、ネットが情報で新聞やテレビを越えるのはあってはならない事だったからだ。
韓国に対する報道を振り返ってみれば、そういう業界がどれだけ無責任に何かを持ち上げたり嘲ったりするかはすぐ分かるだろ?
それでも結局、そういう表現や言葉がなくならないのは人間の内側にある意識の問題なんだよ。
「アイツらに比べればマシ」
って思える何かがあれば、辛くても大抵の人は我慢できる。
比較広告や業績や成績や肩書で自分達は劣っていると思い込まされても、そういう「アイツら」がいれば爆発せずに済むからだ。
最近はあまり使わないけど、これをスケープゴート、なんて言うよね。
「オマエらは生贄なんだよ。どれだけ抵抗してもそういう底辺がいなくなることは絶対にないし、代わりを作ればいいだけだ。
幸せだろう? オマエらのおかげで誰かが犠牲にならずに済むんだから」
ネットの黎明期に、そんな事を俺に匿名で言って笑った奴がいたよ。
Hagex氏の事件の公判に関連するいくつかのエントリがきっかけです。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4677140659072830018/comment/masa_bob
たまに、というか定期的に、はてなで揶揄される(ヲチの対象にされる、と言い換えてもいい)エントリーあるいはユーザーが現れます。上記のブコメに書かれている、かつて「コメダ珈琲での新聞のホチキスの止め方を批判したユーザー」もその一人です。多くのはてなユーザーから揶揄され嘲笑される対象として扱われていたことは、ブコメから察せることと思います。
彼の言い分はとても狭量であり、その主張には違和感を抱く部分があったと自分は思います。
しかし、それにしてもはてなで晒し者にされ、悪意に満ちたネーミングをされていい人間などおらず、同時に、他人を“オモチャ”呼ばわりをする人間については、賢いかもしれませんが当該エントリー以上に狭量で悪意に満ち、品性下劣だと言わざるを得ません。
これは余談でしかありませんが、当時揶揄されたその方は、おそらくその件とは全く無関係ですが、その後精神を病み、現在は休職していることを最近ではブログに綴っています。
さて、話を戻します。Hagexさん事件の被告人は、確かにいわゆる“無敵の人”に類型されうるタイプの方だったのかもしれません。
しかし、すでに多くの方が指摘されているように、被告人の暴言は“叩いていい人と見るや寄ってたかって叩く”という構図への義憤に端を発していた部分もあるように思います(それだけが全てとは思いませんが)。
ネットリンチへの抗議が罵倒であることによって抗議の正当性自体も地に堕ちると自分は考えます。しかしそういう意味では、被告人は、加害者であり被害者でもあったのではないでしょうか。
そして、このことに無自覚であり続ける限り、必ずまた痛ましい事件は繰り返されるでしょう。
無敵の人からいかにして身を守るか、について議論は活発に交わされているのに比べて(身を守る術はない、という意見含め)、人を追い詰めないためにとるべき態度、というものについて、多くの人が言葉を割いているようには思えません。
自分は、痛ましい事件を減らすためには、経済的支援は必須であると考えていますが、その上で、これほど軽やかにリンチや私刑が起き、そのことが自覚されずに繰り返され続けていることについて、事あるごとに警鐘を鳴らし続ける必要があると考えます。
自分自身、これまでその醜い行為に加担したことがない、とは口が裂けても言えません。
意見への反論、間違いの指摘、そうしたものは活発に行われるべきだと思います。物事の反証や議論こそが、はてなの提供した素晴らしいもののひとつだと考えます。
しかし、時としてそれが、正しさをかさに嗜虐心を満たす自分を正当化する、自分自身への言い訳になっていないと断言できる人はどれほどいるでしょうか。
もちろん、どこまでがセーフでどこからがオーバーキルなのか、その見極めは決して簡単ではありません。
ただ、Hagex氏のような、人を玩具扱いするような発言がある種の“賢い”方の露悪的な、あえての振る舞いだったとしても、その行為は醜いと自分は思います。人を「低能」と罵倒することから被告人の呼称が「低能先生」だったとして、それはやはり蔑称であると思います。
氏が殺された動機は逆恨みでした。逆恨みではなかったとしても、人が殺されていい理由など、そもそも存在しません。しかし、原因の少なくとも一端はそうした構造にあったと考えれば、殺されていたのは自分であったかもしれないという可能性にも思いを馳せることはできるように思います。
誤解なきようにはっきりさせておきますが、今回の事件とは無関係の、冒頭にあげたはてな村で一時期いじりの対象にされた方が無敵の人になり得る、という意味ではありません。
痛ましい事件から何も学ばなければ、誰もが、被害者にも加害者にもなり得るのだということを、今一度はっきり主張しておきたいと思います。
はてなが、人間を容易に被害者にも加害者にもさせる悪意の温床とならないことを、切に望みます。事件はすでに起きてしまいましたが、わたしは、そこから学ぶことをもって、死者を悼む言葉に代えたいと思います。
広く読まれると良いと思って書いたので、読んでいただきありがとうございます。
すぐアクションしたかったのですが仕事の兼ね合いでできませんでした。
また、冒頭にあげた、事件とは無関係のユーザーについて。はてなでの罵詈雑言が精神を病んだ原因であるという趣旨の記述ではなく、醜悪な出来事の一つとして指摘したつもりでしたが、誤解をあたえかねない文章でしたので、修正済みです。
以下、自分の誤ちですのでちゃんと残しておきたいため修正はしませんがお詫びです。
自分に返ってきたブーメランは「はてな村」と「無敵の人」というレッテル貼りでした。
前者について、一応端くれとして住民である自負もあったので、自虐というわけでもないですが使ってしまいました。「はてなユーザー」とするべきでした。
後者について、自分は無意識で使ってしまっていましたが、安直なレッテル貼りという指摘をうけてその通りだったと気付きました。失うものの怖さを持たない、向こう見ずな犯罪者、ときちんと述べるべきでした。
「ならばこの迷惑犯を、どう呼べば良かった?」これに尽きる
ごめんなさい。これについて、自分も答えは持っていません。「被告」で通じる文脈を綴り呼称を避けています。刑が確定すればまた違いますが、「Hagex氏刺殺犯」「M被告」などと呼ぶしかありません。
事件以前、はてなにおいて当人をどう呼称すべきだったか。自分自身は呼称を避けていましたが(それほど日常的にコメントをつけてブコメもしないため)、むしろ「低能先生」と呼びながらも当人を諌め対話を試みていた人の方が誠実であったと思います。はてなのヘビーユーザーほどその扱いを持て余していたこともわかります。
ただ、どれほど逸脱した人間であろうと、それらすべてが自分の発言に端を発するものだったとしても、「低能先生」や、例えば「性の喜びおじさん」といった呼称は蔑称であり、不特定多数が1人の人間を名指すべきではないと、やはり自分は思います。
それもある種の自衛的行動であるのかもしれませんが、悪意に悪意で返すのも危険であると考えます。
当人自身がどう受け止めていたかとは別に、その蔑称がその後の言動や考えに影響を与えない、とは到底思えないからです。
自分に加害意識があるならハゲの人をスケープゴートしないで自分の問題として書けよ。あの人は自ブログで文責持ってやってた点だけは増田の100万倍誠実だろ
その通りです。彼は覚悟をもってそのリスクを自分で負っていたのでしょう。結果、殺されてしまいました。自分は臆病なので、人を傷つけるのも自分が傷つくのも苦手です。
もはや、当たり前のようにネットは現実と地続きになっています。だからなおさら、繰り返しになりますが、悪意に悪意で返すのは危険だと考えます。目の前で誰かが危険にさらされていれば止めなければいけませんが、危急の事情がなければ、通報し続けるしかありません(多くのユーザーが運営に通報し続けたことは知っています)。
過剰な集団リンチと正当な批判の境目は何処に
それについて言及する際に、言及する当人が考え続けるしかないかと思います。
低能先生は呼び名を変えるだけでは救われなかったし、増田の言っていることは完全に筋違いとすぐにわかる
あの人の言い分だとそもそも批判の仕方がどうこうとか関係なさそうなのでこの増田の言い分は一般的には兎も角この件では的を外してるように思う
後出しジャンケン。Hagexの下品な煽りは咎めておきながら500回複垢取得してidコールで罵倒してくる方をスルーするのは「人を刺した本物のキチガイ」という答え合わせが済んでるから。
これはひとりひとりへの警鐘程度ではどうにもならない問題。構造、システム、地形によって実現している現象だから。ツイート、コメントが無制限に集約される場とどうつきあっていくかというアプローチが要る。
すべてその通りだと思います。どう振舞っていても、時と場所、相手が違ったかもしれないだけで、結果的に痛ましい事件は起きたかもしません。
「後出しジャンケン」というのも指摘の通りです。ただ、後出しであっても、これまでもこれからもはてなユーザーである限りは、自分は考え続けるべきであると思っています。
そして、システムの改善について考えること、自分の行いを省みること、それらはどちらも必要であると考えます。
いじめは楽しいから続くのであって"醜い行為"とか言っても抑止にはならんよな
そんなことはない、と思っています。確かに嗜虐心を満たす行為は、それこそ病みつきになるほどの快楽を伴うことがあるのを自分も否定しません。しかしそれ以上に、例えば自分の場合は“ダサい”ことをしたくないという行動原理があります。
かっこよくありたい、見栄を張りたいという欲望も、人間にとっては強い魅力を持っています。
安全な場所から他人を不当に攻撃するのは醜い、ダサいと言い続けることには、効力があるがゆえに意味がある。自分はそう考えます。
最近どひゃーってくらい精神がダウナーである。研究室行きたくねぇなぁ。
ちっとも人生へのやる気が出ない。仕事を作るやる気が起こらない。
きっとだんだん寒くなってきたせいだと思っている。私は躁鬱傾向で、冬季鬱になりやすいのだ。
特に段々寒くなる10月~12月は鬼門で、この時期は目標を低く保って、職場でダラダラしていても出勤するだけで合格ということにする。仕事しているフリくらいはする。今増田書いているのだって覗き込まれなければデスクワークしているようにしか見えない。というか今日休日出勤なんだからTA以外の時間以外は別に仕事をする義務はないはずである。
私は偉い。私は頑張っている。比較的ADHDなのでこの職種(研究職、しかも実験系の基礎研究)は向いていないんじゃないの?と思いながら、ひいこら作業しているだけでも合格としましょう。
そう、私本当に研究職でいいのか?という迷いはある。就活生なら皆持つのでしょうか。研究室生活は比較的楽しいけれど、ものすごく優秀で頭がいいかと言われればそんなことも無いし、どちらかと言えば別に頭は良くない。学部時代もうちょっと真面目に勉強しておけばよかった。
手先も別に器用ではない。マニュアル化された作業を手早くこなすのは比較的出来るから、まあ慣れてしまえば同じ作業の繰り返しである実験操作は1年たってようやく人並み程度に出来るようになったけれど、天性の猛烈な注意欠陥のせいでフラスコは比較的しょっちゅう割っている。困ったものである。ポンプを引くのを忘れてモノを壊したこともあった。
あと最近本当に成果が出ていなくて。研究が本当に進んでいないんですよ。1年半まともな成果が出せていない。上手くいかないとすぐフリーズしてしまうので、次どの条件を振ろうか半日くらい考えちゃう。これが短縮できると進みが早いのにな、と思いつつ、最近はセンセに相談しないで自分で決めたい期なのでぐずぐず考えながらやる。次条件振ったやつダメだったら先生に相談しよう。次どうするかまだ決めてないけど。
誰か私が信頼している人に「君は研究職に向いているから迷わず行けよ」と言って欲しいと思ってしまうけど、そうやって他力本願なのはいけないのだろうな。大学受験の時もそう、英語の先生に君理系っぽいね、と言われてから迷わず理系に行った。
基礎研究やっている人ってみんな段々病んでいくのかなぁ。どこもそうかなぁ。どこもそうだといいな。
すごく優秀な同期がいるのですけど、あの子はそもそも原理的に上手くいかなさそうなテーマをやらされていて、きっとうまくいかないですよアピールを結構やっているのだけれどちっとも聞いてくれないそうである。それで最近糸が切れちゃったっぽくって、どんどん病んできてる。本当に心配。病んでいても休日は楽しそうに飲んでいるのがまた心配。自分で自分のテーマを愛せないとつらいよね。真面目で優秀な人ほど病んでいく。上手くいかないのは自分が優秀でないからなのではないかと思ってしまう。同期のMよ、君は十分優秀だぞ。というか君しか同期でまともな人がいないぞ。私もあんまり役に立たなくてごめん。出来るだけ頑張るね。二人でめっちゃ病んでるね。同類にすると嫌がられるかしら。優秀でない私と一緒にしないで!と怒られるかしら。いや、あいつのことだからどうでもいいと思っているな。二人とも前期はまだ希望に満ちていたからラボ泊とかしてたのにね。最近そんなことするやる気すら怒らないよね。
研究室に病んで来てない人がいる、という事実は本当に他人の精神にくる。来るよね?M2のすごく好きだった先輩が結局鬱で全然来れてなくて、そもそも卒業が怪しいかもしれない。それも私の鬱を加速させる要因の一つである。だからこそ私の目標は毎日病まずに(病んでも)卒業まで通いきることである。私は残念ながらそんなに優秀ではないのだから(これもあまり言わない方がいいのかな、思い込みが加速するかな)、目標は低く。特に寒い時期は低く。
先生は比較的スケープゴートを作るタイプの人で、でもスケープゴートの人選に結構失敗して逆に信頼を失う人である。私入ったころから「スケープゴートにはなるまい」と思って愛想よく見せることと努力しているアピールと酒好きアピールは欠かさなかった。本当、スケープゴートを作るような職場は歪んでいる。私ここ入って本当にどんどん性格が歪んでいる。本当に嫌だ。でも私が病んでいることを研究室の環境とか教授のせいにすることは良くないのだろうか。
私も私のテーマを愛したいなぁ。最近信じられなくなってきちゃった。希望はまだあると信じて検討するけど、それ以前の予試験の段階でつまずきまくっているし、もし本試験が出来たとしてもうまくいく可能性は低いのだ。やる気が起きないのだ。まだ希望に満ちていたいから本試験をやりたくないとか常に思っている。いやでも早く進めたいわ。いい加減進めたいわ。そういえば来週進捗報告だから本当いい加減条件検討に見切りをつけて進めたい。勧められない。どうしてno reactionしか起こらない!!
増田みたいなのがいるから会社の飲み会は死滅するべきなんだよ。
お前みたいなやつはどうせ美味い店選んでも「高い」「これ食べられない」「遠い」「前も使った」「テーブルが離れてる」「貸切じゃない」とかあらゆる文句を言い始めるんだよ。お前が今回言わなくても誰かが言うぞ。部長レベルの人間でも言ってくる。それも三日前にだ。てかお前も文句言ってる時点でその一人だよ。職場でよろしくやってるつもりだった人間でもこっそり幹事に「高い」とか文句言ってくるぞ。所詮人望なんてその程度なんだよ。思い上がるなや。追加された新人なんてスケープゴートだぞ。どうせそれも部長の入知恵だろ。新人だってほぼ知らない人間の送別会に行きたかねーことくらい分かるだろ?そこから推測しろや無能。(会費が高いなぁ。そうだ、人数増やそう)という部長の本音が「折角だから新人くんたちにも来てもらったら?」という建前になるんだよ。まさに増田みたいな察してちゃんが思い通りにいかないからといって後で文句言う一番害悪のパターンだな。お前みたいな後出し察してクレーマーが出世したらこういう害悪になるんだろうなー最低だな。しかもそれが一人二人じゃなく複数いるんだよ飲み会って。その時幹事は部長とお前の間で板挟みになってる。もしくは他のクレーマーとお前の間で板挟みになってる。
別に幹事がお前の希望を察してお前を優先したからといって、お前がノイジークレーマーの盾になってくれるわけじゃないもんな?だってお前は「主役のくせに自分の希望すら言わない」無能なんだから。「聞かれたら表明します」とでも言うのかな。主役だからなんでもしてもらって当たり前だもんなぁ卑怯だなぁ何様だよ。
で、そこでお前が「どうしてもこの店がいい」ってハッキリ言ってないんだったらそりゃ偉い人やクレーマーの言い分を飲むわなぁ?
だって幹事はどうせ若手が持ち回りで無理矢理させられてるんだからな。お前が幹事のことどうでも良さそうに無能とかボロクソに言ってる時点で察するよ。どうせお前と幹事の関係って大したものじゃないんだろ?ちょっと仕事で関わったことがあるくらいだろ?そいつはな、お前のために送別会を開いてやる義理なんて全くないんだよ。
そもそも幹事はそんな業務外の面倒くさいことなんかやる必要ないのに職場でちょっと関わったという義理だけで「「「好意で」」」労働してやってるんだよ。なのに開いて貰えるだけで有難いってどうして思えないのかねぇ。決まったことに後から「本当はこうしたかった」って文句言うだけでいいんだから参加者様って楽チンでいいですね〜。
あとお前は簡単に無能とか言うけどな、お前の会社の規模とか立地とか知らんし送別会が何人なのか知らんけどな、「ビルが並び立つ都心のオフィス街にあってn十人も人数が入って予約が取れて予算内に収まって使い回されてない美味い居酒屋」みたいな都合のいい店がそこかしこにあるかっつーの。それこそチェーン店しかねぇよ。文句あるやつは幹事やってみろや。どんな店選んでも俺がイチャモンつけて「はい無能」って言ってやるから。どうせこのブコメにも「でも皆の希望を叶えるのは無理だから幹事なら最低限ここだけはこうしないと〜」って奴が沸くんだろうけどそういうやつがワラワラいてその基準が十人十色だから様々な文句が幹事に集まってくるんだよなー自覚ないやつは気楽そうでいいなーホントに。とにかく職場の飲み会は死滅しろ。少なくとも気兼ねなく希望を言えて文句をコントロールできる範囲のほんとに仲良い奴だけの身内でやれや。儀式にすんな。巻き込むな死滅しろ。
古い話だが、東日本の震災が起きた5ヵ月後に東海テレビの番組内で、原発事故の風評被害を助長するテロップ(字幕)が放送され問題になった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0%E3%81%95%E3%82%93%E9%A8%92%E5%8B%95
このテロップを作成した人物(当時50代 男性)は勤めていた会社を解雇されたそうだが、それはおかしいと思う。たしかに、この人物の人格には問題がある。だが、テスト用に作成したテロップを放送したのは彼ではない。
日本の組織は、システムの不備を個人の問題にすり替え責任逃れをする癖がある。不謹慎だという理由だけで、労働者から仕事を奪う権利はない。
私がこの騒動から学んだのは「自分の仕事には細心の注意を払うこと」そして「問題が起きた時の言い訳を考えること」である。何か問題が起きるたびにスケープゴートにされてはかなわない。
最初に"聲の形"を見た時に重なる部分が多くて具合が悪くなった。
昨日何度目かの視聴をした。
かなり醜い話と懺悔になるが思うことを書いていく。
なんというか、人間の記憶は主観的だし恣意的だ。見たいものを見たいようにしか見ていない。
ファクトはあるが、どう見えているかはみんなバラバラだし、昔の事ともなるとファクト自体もあやふやになる。
少しぼかして書いていることもある。
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クラスの中でも小柄だったが、テストは毎回100点、頭が切れて口喧嘩が強い、悪ガキで面白い遊びを思いつく。
何やっても要領が良い、どうするのが正解か知っていても大人に媚びるのが大嫌い。
喧嘩っ早くて体格が上だろうと年上だろうと取っ組み合いしてぶっ飛ばされたり怪我もしょっちゅうしていた。
私には2つ上の兄と3つ下の弟がいる。お陰で交友関係が広かった。
そうした背景もあってか小学校に入ってからずっと、誰に対しても物怖じせずにあれこれ言ってきた。先入観をあまり持たずに人と接してきた。
男の子、女の子、年上、年下、昼休みにドッチボールをする人、本が好きで静かな人、お金持ちの家の人、幼稚園上がりの人、保育園上がりの人、勉強が苦手な人、ゲームが好きな人、ゲームを買ってもらえない人、野球をやっている人、サッカーをやっている人、わがままな人、音読で閊える人、発達障害っぽい人、同学年の女の子全員からキモがられていた「小1の時に教室の真ん中で***を漏らした人」とも。
カーストのどのTierの人とも話せるのが私の強みだったし、(今思えばやりすぎているが)笑わせたり弄ったりできた。
小学校5年生の時だった、私のいた小学校では各学年に4クラスあって3年生と5年生でクラス替えが行われる。
5年生のクラスのメンバーには1年生の時からの友達も3年生からの友達も多く、割と見知った顔に囲まれ結構安心した事を覚えている。
登校班や子供会なんかが同グループだった友達が多かったこともかなり幸運だった。
いつだったか時期は詳しく覚えていないが何度目かの席替えの後、私の隣の席にはクラスの冴えない女の子がいた(以降Yさんと呼称する)
私が教科書を忘れて「見せて」と言った際だったか、消しゴムを忘れて「借して」と言った際だったか、あからさまな態度と嫌味をもって拒否された。
初めて同じクラスになった私とそのYさんの間が、構築前から突如として誰にも知られずぶち壊れて険悪になった。
とにかく”きっかけ”は存在した。それは本人の属性や変えようのない部分ではなく、本人の言動そのものに起因することだった。本当に瑣末な事だったが。
当時の私は、今よりもさらに「自分の損」に興味がなく、あけっぴろげの人間だったので、恥知らずでわがままこそ言えど、「消しゴムが無い」と言われれば、ちぎって半分あげたし「教科書忘れた」と言われれば、そのまま貸すような人間だった。
また、奔放なぶん蛮行を働いて教師たちの御用になる事や、真面目タイプの女の子のチクリポイント稼ぎの養分にされる事も多かった。
クラス替えをして、全然知らない、普段静かにしている、何の毒もなさそうな見た目の、ほとんど話をしたことが無いような人間からいきなり剥き出しの100%の敵意を出された事は私にとって苛立ちよりもまずはショックだった。そんなつっけんどんに拒絶されるものか?と思った。
多分Yさんも人付き合いがうまくなかったんだと今ならば思うし、人間の合う合わないはどうしようもない上に精神の未発達段階で大人の対応をできるわけがない。
もしかしたらどこかで知らないうちに嫌われることをしていたのかもしれない。
幼かった私は、Yさんから向けられた敵意を「あーなんか嫌われてるけどまぁいっか」とか「まぁそんなもんか」で処理することができなかった。
後にいじめと呼ばれるものになることの始まりは、あくまで個人間の諍いであった。
私はYさんの剥き出しの敵意に対して意地になって目に見える形で露骨に応答した。
給食の時間に同じ食器の運搬係になれば一人で給食室から食器を運んだし、Yさんが牛乳係の時には自分のぶんは自分で牛乳を配膳した。
大人であれば「なんやこいつ関わらんとこ」で済むような人間に対して、同じように敵意をむき出しにして徹底抗戦した。
当然相手も同じような態度を取り続けた。収束までずっと仲裁が入ることはなく、私とYさんの終わる事の無い喧嘩が始まった。
1人でやっているつもりでも教室内のピリついた空気は伝染する。
周囲が異変に気付き始める。
「何かあったの?」などと問われたことはなかった。当時の私はそう聞かれても、最初のきっかけをうまく言語化できなかったと思う。ただ「あいつはわけからないけどなんか自分のことを嫌っているからこちらも戦う」という態度だけは徹底して取り続けた。私はYさんのあだ名を命名した。キャッチーなあだ名で、「デブ」とかの悪口では無い。まだ私はこの後大事になると微塵も思っていなかった。
しばらくしてクラスの人間が真似をし始めた。地獄の始まりである。
子供は愚かだ。ストッパーが無ければ増長して行動はエスカレートする。みんながやっていると善悪の判断がつかないまま真似をする。
「仕掛けたのはあっちだ」とか「自分は嫌いな奴と1人で戦っていただけだ」と思っていたが、周囲がのってくると、自分もまたそれにつられて調子にのった。
「一緒にいじめよう」など口にせずとも、教室というフィールドの中で生じた歪みは波及していき、クラスメイトは不穏な空気を汲み取り同調していく。
当時意識していなかったが、不幸な事に自分にはそれだけの影響力があった。カースト上位に属するとはそういうことだった。アホアホが影響力を持つコミュニティは破滅に向かう。場面場面でお調子者キャラが目立とうとして度を超えてやりすぎる事があったが、私はそれを止めなかったし、時には一緒になって参加した。「結託して集団でいじめをしよう」などと言い出さなかったことだけは言えるが、言わなかっただけである。見えない鎖が教室に張り巡らされていた。
「〇〇菌」
誰が考えるのか、日本各地でいじめはなぜかいつもこの形に収束する。こうして個人間の喧嘩は、いつの間にか一見(というかどう見ても)私が主導したクラス全体のいじめの様相と化した。
ランダムにペアを組むワークではYさんはいつもあぶれ、男子はおろか女子も露骨に嫌がったし「Yさんの隣」や「Yさんを含む班」は席替えの度にハズレの席となった。いじられキャラは押し飛ばされてYさんとぶつけられるし、休み時間は「Y菌」で鬼ごっこが始まった。その頃には私がつけたあだ名は学年中に広まっていた。
愚かな私は、みんなが私の味方になった気がしていた。
今日の今日まで喧嘩の発端(前述)すら誰にも話した事がなかった。「弱者に一方的に」というつもりもなかった。私の中ではYさんが突如宣戦布告した戦争だった。
しかし結果としてやられたからやり返した「報復」という形をとって、一人の地味な女の子が得られるかもしれなかったささやかな小学校時代をぶち壊した。
わたしはその頃、一度受けた傷はオーバーキルで相手を倒しきるまで忘れない性格をしていた。一人で始めた戦いであって、自ら徒党を組むことはなかったが、加勢されることは私の正当性の現れな気がして拒否しなかった。その一方でこれは「いじめだ」とも頭のどこかでは認知していた。
私は私の始めた喧嘩に、意図せずともクラス全体が引きずられていっておかしくなっていく事を止められるほど精神が発達していなかった。
これは言い訳も虚しいほど完全にいじめだ。物理的な暴力や器物の損壊が伴わなかっただけだ。個人間の不仲から発展した空気はムードとなって場を支配し、カーストを動かし、もはや私の手で収束できる問題ではなくなってしまった。
6年生になる。いよいよ看過できないレベルにまでいじめが広がる。
高学年にもなると知恵をつけて、その方法もより精神をえぐるものになる。
他のクラスでは直接的に集団で殴る蹴る下着を脱がされるの暴行や、給食費を盗が盗まれる物が隠されるとかの、より凶悪な問題が顕在化しており、6年生になってからは同学年の4クラス中2クラスが学級崩壊していた。私のクラスでは、目に見えてYさんの村八分が酷くなっていた。Yさんがどれほど身の狭い思いをして修学旅行を過ごしたのか、私は想像もできない。他人事のように書いてしまっているが私の責任である。自分の手を汚さないやり方を望んでいたわけではない。私は私でYさんと相変わらず徹底抗戦していたのだ。
Yさんが給食係をやれば「あいつが配ったスプーンでご飯を食べたくない」という言葉が囁かれた。誰がどう見ても個人間の喧嘩では無い。
ある時、昼休みだったか「総合」の時間割だったかの時間に私はクラス担任から事情聴取を受けた。
私は「していない!」と訴えた。(それはいじめというのだよ、小学生の私よ)それでもそれ以上続く言葉出てこなかった。罪への意識は十分あった。
私がYさんにやられてる以上に痛めつけてしまっていたことも理解していた。
まずは「このクラスにいじめがあることを認識しているか」といった主旨の質問が全員に向けて発せられた。周知の事実だったが全員がすっとぼけた。
なぜこんなことになっているのか、原因がなんなのか誰もわかっていないにも関わらず、Yさんへのいじめを知らない人間は同学年に居ない。
全員の前で「先生は(私)さんが主犯格でやっているように見えている」と担任から名指しで名前が挙げられた。
「Yさんにきちんと謝りなさい」と言われた。体がロボットのように動いたがどうやって謝ったのか覚えていない。
いじめだと内心で思ってきた事をここまできてようやく裁かれた気がした。
「手から離れた問題が雪だるま式で大きくなり敗戦処理の段階になって、私はトカゲのしっぽとなって切り離された」という事実をもって。
私は確かにYさんと冷戦をして、原因も話さず、周囲が巻き込まれていくことを止めもせず、1人の小学校時代を壊滅させた。始めたのは私だ。止めなかったのも私だ。わかりやすい戦犯だ。私の後に「私も加担した」と続く者はいなかった。
誰かに「無視しろ」と命令したとか、「あいつのこと避けよう」とか私は言っていない。でも嫌悪感を態度で表して周囲はそれを忖度した。
「誰がはじめたいじめなのか」とか、「あいつはいじめに加担してない」とかはどこからを言うのだろうか。教室はお通夜になった。
「むしろお前らこそいじめてただろ」とも思った。普通に考えて悪いのは私だ。理解している。
醸成された空気に異を唱える小学生はいない。我関せずすらも難しい。せめて普通に無視してあげる事が関の山だ。小学生のカーストで一度つけられた烙印はなかなか消えない。玉突き事故を起こしたら自分の居場所が保てなくなる。
本来であれば穏やかに過ごせるはずだったささやかな生活を台無しにした。どれだけ胃が痛かったろうと思う。遠足も修学旅行も楽しくないものだったろうかと勝手に思う。向こうはなぜ私と交戦状態になっているかもわかっていなかったと思う。私も当時はうまく言語化できなかった。
学級裁判の後、Yさんのいじめの件はクラスの黒歴史のように禁忌となり、「聲の形」の石田くんのような転落を味わうことなく、私は卒業した。Yさんもついぞ何がきっかけで始まったのか口に出さなかったが(というか引き金を認識していなかっただろうが)一人静かにかけがえのない青春の一部を失った。それは取り戻すことはできない。
その後、地元の公立中学校に進学した私はスクールカーストに属する事をやめた。
自分の意地や些細な喧嘩で人を壊すと思うと恐ろしくなった。中学では勉強マシーンになり、人と仲良くなりすぎる事も辞めた。
私の進んだ中学校は私の居たA小学校と、一回り規模の小さいB小学校から進学してくる生徒でほぼ100%になる。
大規模ないじめに発展する問題を起こした人間が言うのはあまりにおかしな話だが、B小学校から上がってきた人間は本当に問題児ばかりであった。母数が少ないのでA小学校出身者に舐められまいとして毎年こうなるのだと後で知った。
私は同じ中学校に進学したYさんの小学校時代の話は何も言わなかったし、Yさんとは一度だけ同じクラスになった記憶があるが直接会話もしなかった。
それでも誰かが広めたのであろう、私のつけたあだ名や過去はB小学校出身者にも簡単に広がった。何が起きたのか事実も発端も知らずに面白おかしく吹聴する輩がいる。
中学1年生の時、B小学校出身の友人から話があった。英語の授業で当てられたYさんは"How many friends do you have?"という英語教師の問いに"I have many frieds."と答えたそうだ。友人は笑っていたが私はとても笑えなかった。
それでもYさんにはB小学校から来た友達が少しだけできたように見えた。私にとってそれは少しだけ救いだった。
私は中学校生活の中で、2年生から入った塾関連で話しをする人は居たが新しい友達(と言える存在)は出来なかった。
入ったバスケットボール部でも当たり障りのない会話をする人は居たし、たまに一緒にふざける人たちもいたが、順番に繰り返される暴力や金銭授受の絡むいじめを見てから人間関係がわからなくなった。
どうしても同じ時間を過ごさなければいけないタイミングでは、それまでのキャラで場当たり的に属したが、残りの時間は勉強を頑張る人たちや、それまでの小学校から仲良くしていた人たちと細々とつるんだ。
兄の影響で2個上の先輩達から可愛がられたが、1個上の先輩からはその反感もあってかすこぶる嫌われた。はっきりいって居場所はなかった。あれこれ「自分に資格がない」と思って罰だと思って受け入れたし、居場所を作る気もなかったので当たり前だが。
私がおとなしくしている間にも悲劇は拡大・再生産されていた。問題児ばかりのB小学校の出身者は次々とA小学校の出身者を再起不能にして登校拒否にさせた。そんな中Yさんは大きないじめにあっていなかったように思う。あまり関わっていなかったので”多分"だが。
A小学校の時に明るかった人間やクラスのカーストでも最下層でもなかった人間が次々と再起不能にされていく様を見ると何か色々と惨めな気分になった。自分の愚かさにもしょげた。
私はミステリアスキャラになった。B小学校の人たちからちょっかいをかけられたり、体育祭の後の打ち上げで軽くハブられて悔しい思いをしたり、順番に巡るいじめの被害にあった人間に擦り寄られたりすることもあったが、そんなことはどうでもよかった。なんだかんだで助けてくれた人はいた。とにかく適当に過ごした。気持ち悪くてダサい人間関係から離れたかった。自分の黒歴史を見るようだった。
小学校時代を猿山の大将として過ごし、学級裁判でだんじりから見事に転げ落ちた私はとにかく静かに過ごしたかった。今更許される事でもないが悪いことはもうしたくなかった。被害者ぶる事は無かった。昼休みは一人で過ごす事が多かったし放課後に誰かと遊ぶことも極端に減った。自分の中身がそっくり入れ替わった気がした。
高校に入ってからはしょうもないことを言う人はいなくなった。とても楽だった。楽しかったし友達も沢山できた。
自分が変われた、受け入れられた気がした。でもそんなことを感じて良いのだろうか?被害者は忘れることはない。
大学ではもう完全にみんな大人になった。大学はもうそのまま社会だ。
アホはいるが当たり前の常識をわきまえた人間が多い。彼らの中にも私と同じような後悔を抱えていたり、するのだろうか?と思うことがある。
過去の過ちは消えないし心に負った傷や失ったものはもう取り返せない。
私は27歳になった。
人をいじったりすることは相変わらず得意だが、全然違う性格になっている。
職場で多くの人を見てきて、人に好かれる人間と人が離れていく人間について考えた。自分の悪かったところと向き合って見直せるようになった。
でも今の私がいろんな人に優しくしたり、何かを与えることでYさんには何かあるのだろうか?と思う。
これは償いか?罪滅ぼしなのか?何を?誰のために?自分が楽になりたいだけか?と思う。(申し上げにくいが今でもYさんと仲良くできるとは思わないが)
二十歳を超えてから仲良くなった人たちと話しをしていて、いじめを受けたことがある人間が多く存在することを知った。そうした話しを聞くと胸が苦しくなって呼吸がおかしくなる。都合のいい人間だ。いじめられていた人間は自分の話をするかどうかで済むが、いじめをしていた人間は誰かに言い出すことができない。懺悔にしかならないからだ。
いじめをうけたことのある人間は私を軽蔑するだろうか。憎むだろうか。
私は自分の身近な人や、大切な人がいじめを受けて苦しんだことに対して義憤を感じる。あまりに勝手すぎる。そんなことを感じることが許されない前科者だ。
Yさんは今、何をしているだろうか?高校生の頃に制服姿のYさんを見かけた事がある。そのあとは知らない。友達はできたか。大学に進学したのか。就職したのか。どこに住んでいるのか。小学校の頃の事など何処吹く風でどこかで楽しく生きているだろうか。自分に自信を持てただろうか。自己破壊だけが目的の人生を送らないでほしいと身勝手に思う。わたしは許されることは無いし、やったことが無かったことにもならない。だから私のことは怨み倒して構わない。
でもYさんはどこかで自己肯定して救いがあったと思える人生を送って欲しい。私は一生この罪を背負って生きていかねばならないと思っている。
精神が成熟していないコミュ二ティは悲劇だ。教員のせいにすることもできない。
とんでもないくだらない理由でいじめが生じる。生贄が生じる。あるものは一生消えない傷を、ある者は罪を感じて、大多数は何も覚えていない。
イニシエーションとして自分の大切な人がスケープゴートになったら?私は許せない。傷つけた人間をタダでは済まさない。
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今日、小学校の頃からの仲で、Yさんに関する顛末を知っている友人に連絡をしてファクトに関する認識合わせをした。
その友人はやはり「私が主犯格に見えた」と言った。と同時に「でも流された Permalink | 記事への反応(7) | 00:41
先週, Twitterを中心に大学院生の授業料免除について大きく話題になった. 話題の根拠となったのは文部科学省がHP上に公開している高等教育段階の教育費負担新制度に係る質問と回答(Q&A):文部科学省であり,
A67 大学院生は対象になりません。(大学院への進学は18歳人口の5.5%に留まっており、短期大学や2年制の専門学校を卒業した者では20歳以上で就労し、一定の稼得能力がある者がいることを踏まえれば、こうした者とのバランスを考える必要があること等の理由から、このような取扱いをしているものです。)
との記述が大きな反感を買ったようだ. 大学院生の授業料免除がなくなると捉え, 反発した人も多くいたようだが, 実際には授業料免除がなくなるわけではなさそうである.[1]
この話題に関してTwitterで見かけた投稿に違和感を感じたので, それについて述べたいと思う. 私が見かけた多くの意見は, 文科省に対する強い憤りを示したものであった. とくに, 引用箇所の「こうした者とのバランスを考える必要」というところに強い反発があったように思う. 日本の科学力に貢献している我々がなぜこのような不遇な状況に置かれなければならないのかといったように.
しかし, 本当に彼らは劣悪な待遇を受けているのだろうか. 学歴別の年収統計を見てみよう. 厚生労働省の公開しているには学歴別の賃金カーブが掲載されている. 大学院生と大学生は区別されておらず, 一緒のカーブに統合されてはいるが, 一番賃金カーブが高いのが大学・大学院卒である. 大学院卒の初任給について https://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/17/01.html に掲載されているが大卒に比べてやや高い. また, 経験的ではあるが大学院に進学する学生は難関大学ほど多いことを加味すると, 大学院卒のほうが大学卒よりも昇給の度合いが高いのではないだろうか.
何が言いたいかと言うと, 大学院卒は(少なくとも大卒以上は)日本社会における勝ち組であり[2], 高卒と比べて一年あたり数百万程度の賃金格差が存在するのである. 国立大学なら修士2年で100万程度の, 私立大学でもおよそ300万の学費に文句を垂れる資格はあるのだろうか. 大学院生である間の懐が寂しいのであれば, 奨学金を借りて勝ち組になった後に返せばいいだけだろう. 就職に失敗した時の不安なら, 奨学金返済に関して勝ち組になれなかった場合のセーフティネットの拡充を求めるべきだろう. 大学や大学院には, 国家から様々な形態で資金が渡っている. 高卒者と比べてすでに多くの支援を受けているにもかかわらず, 大学院生に対するさらなる厚遇があって当然と言わんばかりの発言には不快感を感じた.
大学院生らのもう一つの主張は, 大学院生を冷遇すると日本の科学力を大きく損なうことになるというものだ. これが事実だとしても, この手の意見には少しばかりの違和感を感じる. 先の意見を強めに言い換えれば「日本政府は大学院生という国家にとって非常に価値のある人材に投資するべきであり, 高卒などの投資価値の薄い人材との公平性など考えなくて良い」となる. 彼ら彼女らの持つ強いエリート意識にあまりにも無批判でいることに嫌悪感を抱いた.
先にも述べたように, 体感として大学院生の多くはある程度の難関大学に在籍する者たちである. 東大生の親の年収の多数派は950万以上というデータ[3]があるように, 彼らはアッパーミドル以上の家庭で育っていることが多いだろう. 日本には非常に劣悪な環境で勤務する労働者が存在するということを認識していないのではないか. 周囲にいるのはそれなりにお上品な人ばかりだから, 他者感覚のない意見を平気で発言できてしまうのではないだろうか.
彼らの考えでもう一つ気に入らないものがある. 彼らはこの手の話題[4]になるたびに文科省や財務省を批判している. 日本政府を満足気に批判して終わっているが, 大学院生でもありながら事の本質に迫らずに終わっているのは悲しいものだ.
文科省や財務省も所詮は与党政治家の手先に過ぎない. そして与党政治家も所詮は国民の多数派や圧力団体の代弁者に過ぎない. 彼らの真の巨悪は日本が採用する民主主義だ.
民主主義はすべての国民が平等であることを前提に構成された制度である. どのような人間でも有権者でさえあれば等しく一票を投じる権利を有する. つまり多数派が正義だ.
彼らの考えに基づけば, 政府が投資する価値のある大学院生・研究者と投資する価値の少ない「その他」に分けられる. しかし, 大学院生や研究者は日本において圧倒的少数派である. 投資する価値の少ない多数派に多くの国家予算が注ぎ込まれ, 投資する価値が高くても所詮は少数派にすぎない彼らにはあまり投資されない. これが民主制の必然ではないか. とくに大学院生は将来の勝ち組である. いくら投資するのが合理的とは言え, 勝ち組に投資することを許容できるほど今の日本の民主主義は成熟していない.
それでも昔の日本はうまくやっていたのだろう. バブル崩壊前までは日本は精神的にも豊かであり, 国民は日々の生活に満足していたはずだ. 日々の生活に不満がなければ政治に関心を抱かないし, 裏で国家の資源が勝ち組に回っていたとしても許容できるくらいの度量があっただろう.
しかし今の日本は先行きが見えない. 少子高齢化問題により国家の財政は逼迫し, さらに高齢者や妊婦などの様々な国民が政府からの支援を求めている. 現代の日本の最大の課題は限りある国家予算をどう分配するかであり, どこかに予算を割り当てるには, 他の誰かの予算を削る必要がある. そして日本は民主主義国家なのだから支援を求める多数派から順に予算を分配することになる.
日本において大学院生は非常に少ない存在である. 後期高齢者1700万人[5], 身体障害者436万人, 知的障害者108万人, 精神障害者392万人[6], 生活保護受給者210万人[7], 母子家庭123万世帯[8]に対して大学院生は25万人[9]にすぎない. 一般的に考えられる支援が必要な社会的弱者より一桁人数が少ないのだ. 国民の多数派に媚を売ることしか考えていない政治家にとって, 大学院生など考える価値もない存在だろう.
今の日本に民主主義を見る限り, 限られた国家予算は彼らの思う投資価値の高い少数派にではなく, 投資価値の低い多数派に注ぎ込まれるだけだ. 彼らがなすべきことはTwitterで文科省や財務省の文句を垂れることではない. 国民は平等であるという欺瞞に満ちた民主主義を崩壊させる工作活動や, 日本の支配層たる愚かな多数派の日本国民から主権を奪い取る活動をこそ行うべきなのだ.
1 ttps://twitter.com/noi_springfield/status/1154657222816747520?s=21
2 人文系の大学院生やアカデミアに残った研究者などは違う境遇だろうが, 大学院生という大枠でみれば平均的には勝ち組である.
3 ttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/09/6950.php
4 欧米諸国に比べて研究者の待遇が悪いことや学費が年々上がり続けていることなど批判できる話題はいくつもある
5 ttps://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2017/html/gaiyou/s1_1.html
6 ttps://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h30hakusho/zenbun/siryo_02.html
7 ttps://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000164401.pdf
8 ttps://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11923000-Kodomokateikyoku-Kateifukishika/0000188136.pdf
9 ttp://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/giji/__icsFiles/afieldfile/2017/07/24/1386653_05.pdf
職場の先輩がずっと休んでいる。もう2週間近くになる。めちゃくちゃ心配である。
昨日大丈夫ですか?とLINEを送ってみた。体調が回復しなくて、週明け行けるといいけど……とのことだった。返事が来て良かった。正直来ないことも想定していた。
先輩はおそらく体というよりメンタルをやられているのではないか?それが体の不調となって現れているのではないか?
先輩病院行ったんだろうか。一人暮らしだしあんまり自己の健康管理に気を使ってなさそうだったし、何より鬱の時って病院に行く気力すらないので、行けてないんじゃないかと心配。
元々そこまで体が丈夫ではなかったようだけど、こんな何日も何日も体調悪く臥せってしまうなんて、多分普通に体調不良じゃないよ。というかメンタルが大丈夫だとしてもなんか変な病気かもしれないから病院行った方がいいよ。
引きずってでも行かした方がいいのだろうか。でもただの後輩がそれはお節介だよなぁ
先輩職場で辛そうだもんなぁ。いわゆるスケープゴートにされてるよね。上司にはものすごくマウントを取られているし(まああの人は取れる人には割かし誰にでもマウントを取るのだが)、あと同期からのストレスの矛先にされているよね。同期の皆は上司にめちゃくちゃ不満があるんだけど、それを直接ぶつけるわけにもいかないから、手頃なぶつけやすい相手にストレスをぶつけている。俺だって休みたいのにあいつは休んでずるいというニュアンスのことをぶちぶち言っている。
きっとこの間の報告で上司にまた分かってないねとマウントを取られたのが精神に来ちゃったんじゃないかなぁ。
先輩多分この組織で所属欲求が満たされてないんじゃないかな。私はここに居るべきでないと思いながら通い続けるのって辛いよ。
先輩あと半年で異動が決まってるし、騙し騙しやっていくつもりなのかな。でも辛いよね。半年って結構長いよ。
どうしたら先輩がこれからも楽しく職場で過ごせるんだろう。どうしたら先輩が毎日健康に出勤できるんだろう。やっぱり連絡したのは悪手だったかな…。
三連休の最終日であるし、書きたいトピックの旬も程よく過ぎ去った気がするから、
どさくさに紛れてネットの海に恨みを放流する。気づいてくれた人だけ見てくれ。
個人的に今までジャニーズアイドルを追っかけていたわけではないけれど、
テレビに勢いがあったひと昔前まで、お茶の間でおなじみとなるアイドルの冠番組を見たことがある身としてはそれなりに驚いた。
テレビの黄金期からアイドルの定義を拡げるような才能を発掘してきたジャニーさんの目は確かなんだろうと思う。
(※個人的にはマネージャーの育成努力が一番重要だと思うが。)
まぁ、改まって書くと仰々しいが、自分としてはジャニーズに特別な思い入れは無く、
…それだけのつもりだった。
訃報を知った翌日、ツイッターを何気なく見ていると下記の記事がRTされていた。
「ジャニー喜多川氏、87歳で死去 男性アイドル市場で長年圧倒」https://www.bbc.com/japanese/48932441
私はこの記事で初めてジャニー氏の性的虐待の過去を知った。最高裁判所にも事実認定されている。
今回ジャニー氏の虐待に触れた訃報記事はBBCのものしか見当たらない。
虐待をした事実が認められているにも関わらず、なぜ死ぬまでバッシングが続かず放置されていたのか。
そういう真っ当な怒りとともに、直接ジャニー氏とは関係ないが個人的な恨みが胸の中からふつふつと湧きあがった。
いきなりだが、私はロリコンだ。
本当はロリコンなんていう、大衆化され、スティグマを負わされた、政治的に正しくない呼称は使いたくないけれど、
もちろん現実に法を犯したことはないし、児童ポルノをやり取りしたこともない。
ただただ、今は新規発売が限りなく規制された"その手の人が喜ぶアイドルDVD"を鑑賞し、ネットで"同士"と繋がっていた。
将来が見えない日常を過ごす中で、"同士たち"とはかつての美少女アイドルを画面越しに一緒に楽しむとともに、
自分たちはたとえLGBTへの理解が進んだ社会であっても死ぬまで理解されることは無いという悲しみを共有していた。
"同士"と繋がり、美少女を語らうことは救いになる。
自分は1人の単なる犯罪予備軍ではなく、ごまかしながらもなんとか平和に生きていけるんではないか。
SNSで同士と繋がってからそう思えるようになった。絶対的なマイノリティの孤独を癒してくれた。
数か月前、スマホで「アイドル趣味用」のツイッターアカウントを開いたら、凍結されていた。
児童ポルノなんて一度もやり取りしたことはなかった。しょうがないと淡々と凍結の異議申し立てをしたが、
運営側からは「規約違反だ。具体的にどの規約が該当するかは回答できない。」などとふざけた回答が来た。
数年間続いた同士との交流はあっけなく潰えた。
別アカウントを新規で作成しようとしたが、凍結されたアカウントには携帯番号が紐づいていたため、
新規で作成はできなかった(最近はアカウント作成後に携帯番号の認証を求められるらしい)
私はツイッターで作った繋がりを取り戻すのを諦めた。しばらくは何もしたくなかった。
市場に出回っているアイドル画像(もちろん法に触れていない)を収集をしているだけのアカウントが凍結されがちなことは理不尽でしかないと思っていた。
少女愛好家なら一度は思ったことがあるかもしれないが、他に潰すべき巨悪がいるだろうという気がしてならない。
そういう思いを少し前から抱いているときに、ジャニー氏の訃報を聞いた。
「なぜ、ジャニーズファンは性的虐待のことを知らないんだろう?」
そう思っていると、テリー伊藤がジャニー氏の訃報を伝える番組の中で「ジャニーズのライブに来る女性は顔しか見てない」と発言して
どういう文脈での発言だったかというと、ジャニーズアイドルの舞台やライブの演出は故ジャニー氏も非常に拘っていて
見ごたえがあり、男性でも楽しめるよ!ということらしい。今更だが余計なことを言うおっさんである。
ファンの大多数である女性たちは「女性でも舞台の演出は分かります!」などと怒っていた。
一般の人間から言わせてもらうと、ファンなら老害タレントよりも怒りをぶつけるべき事柄があるだろうという感想しかない。
「私たちはアイドルのステージを丸ごと楽しんでます!」などと女性ファンは怒っているけど、
小児性愛者で性的虐待をした事実が最高裁で認められているジャニーさんの過去は知らない。またはスルーしていることが全く理解できない。
ファンの間でジャニーさんがジャニタレを夜這いしてあんなことやこんなことをするのは常識なのだろうか?
なんというか、見てる世界があまりにも違うんだなという印象を持った。
普通のグラドルと変わらないようなジュニアアイドル画像を収集するSNSアカウントは、通報されたり凍結されたりする。
ジュニアアイドルDVDはむやみやたらに自主規制がかけられ、新作発売が殆どなくなった。ノイジーなフェミニスト団体や政権の表現規制のためだ。
翻って、巨悪であるアイドルグループのドンや性接待は厳然として存在し、おそらく当事者が死ぬまでそれらは看過され続け、
気持ちの悪い見た目の犯罪者予備軍としてロリコンだけはスケープゴートにされたままだ。
どれだけ"お前ら"は不感症なんだ?
こっちがどんな思いで生きているか知っているのか。
犯罪なんかする気もなく生きているのに迫害され続けて、異性に報われることも存在を認められることもなく、
ただただ"お前ら"のために税金を払って、慎ましく生きて・・・
本当に、いい加減にしろ。