はてなキーワード: 高野秀行とは
アラン・デケイロス「サルは大西洋を渡った 奇跡的な航海が生んだ進化史」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S1話 スメルズ・ライク・イーヴル
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S2話 ステアウェイ・トゥ・ワンダーランド
ルイジ・ピランデッロ 「ピランデッロ戯曲集I 役割ごっこ/作者を探す六人の登場人物」
アゴタ・クリストフ「第三の嘘」
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第S3話 シー・キャント・エクスプレイン
アゴタ・クリストフ「昨日」
マイケル・カニンガム「めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」
日経アーキテクチュア編「危ないデザイン 建設設計や運用に仕える知見を事故に学ぶ」
池澤夏樹「ワカタケル」
M・R・オコナー「絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ」
特別展「毒」
「すずめの戸締り」
ボドゲ(クイックショット、マーダーミステリー・想いは満天の星に、ワードウルフ)
友人のブログで見かけた本や、別の友人から紹介された本や、旅先の十和田市の図書館で見かけた本を読んだ。アゴタ・クリストフは再読。昔は低く評価してしまったが、再読して正解。引越し先にも持っていきたい。
ビー・ウィルソン「キッチンの歴史 料理道具が変えた人類の食文化」
スティーヴン・J・ダブナー 、スティーヴン・D・レヴィット「ヤバい経済学 悪ガキ教授が世の裏側を探検する 増補改訂版」★
山下いくと「EVANGELION ANIMA 1」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 2」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 3」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 4」
山下いくと「EVANGELION ANIMA 5」
繁田信一「平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職」★★★
「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」
「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」於・横浜市歴史博物館
特に平安時代に思い入れがあるわけではないが、何となく読んでいる。
千葉雅也はゲイコミュニティの様子が描写されていて面白い。ただ、作者がどちらかと言えばインテリ寄りなので、わかりやすく書いてくれているだけってのもあるだろう。
「EVANGELION ANIMA」は新劇場版に流れた設定があるだろうかと思って読んだ。とはいえ、シン・エヴァンゲリオンでいろいろな感情が成仏したため、考察を深めるにはいたらず。
ジャスティン・O・シュミット『蜂と蟻に刺されてみた 「痛さ」からわかった毒針昆虫のヒミツ』
尾脇秀和「氏名の誕生 ――江戸時代の名前はなぜ消えたのか」★★
ロブ・ダン「家は生態系 あなたは20万種の生き物と暮らしている」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル著、奥本大三郎訳「完訳 ファーブル昆虫記 第1巻 下」
「シン・仮面ライダー」
かつて友人に「最近はあまり文学が読めなくて困る」と愚痴ると、「おっさんになると政治経済歴史、生物学の本を読むことが増える」という返答が戻ってきた。
あまり感情を揺さぶられたくないと感じてしまっているのか、歳月がある程度風化させたものに関心が向かうのだろうか。
現に「ファーブル昆虫記」を読み始めた。最近は何が読みたいのかがわからなくなってくると、やたらと巻数のある本を読むことが多い。昨年も「旧約聖書」を通読したし、その前は「聊斎志異」「三国志」「西遊記」、その前は「ラーマーヤナ」や「ガラン版千夜一夜物語」を読んでいる。
下村智恵理「AN-BALANCE:日本非科学紀行」第3話 魔の山を走れ
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 上」
梅津和夫「DNA鑑定 犯罪捜査から新種発見、日本人の起源まで」★
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第2巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル、奥本大三郎訳「ファーブル昆虫記 第3巻 下」
フレデリック・クレインス「ウィリアム・アダムス 家康に愛された男・三浦按針」
高野秀行、清水克行「世界の辺境とハードボイルド室町時代」★★★
「ルーヴル美術館展 愛を描く」展
高野秀行は定期的に読みたくなる。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻上」
スージー・ホッグ「5歳の子どもにできそうでできないアート 現代美術(コンテンポラリーアート)100の読み解き」★★
スージー・ホッジ「世界をゆるがしたアート クールベからバンクシーまで、タブーを打ち破った挑戦者たち」★★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第4巻 下」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第5巻 下」
堀越啓『西洋美術は「彫刻」抜きには語れない 教養としての彫刻の見方』
グレイソン・ペリー「みんなの現代アート 大衆に媚を売る方法、あるいはアートがアートであるために」☆
また、先月の鶏に続いて、食肉にまつわる本を読んだ。屠畜の現場についての本も読みたくなったのだが、関心がほかのテーマに移ってしまった。「昆虫記」を読んでいると、当時のヨーロッパの屠畜について書かれているのも興味深い。
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 上」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第6巻 下」
渡邊大門「清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 上」
武澤秀一『伊勢神宮の謎を解く アマテラスと天皇の「発明」』★★
ジャン=アンリ・ファーブル「完訳 ファーブル昆虫記 第7巻 下」
「マティス展」
「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」
読書を休んだ日が多い割にはまあまあのペース。昆虫記は8月の中頃に読み終わるだろうが、旅行にまでに間に合うかはわからない。間に合わなくても構わない。
当時はそう書いていたのだが、なんだかんだで間に合っている。
こうしてみると美術展には毎週行っていることになる。旅行先で絵画ばかり見るのにはもう飽きたと口にしているものの、そうでもないのかもしれない。それとも、歴史や神話の知識で「読解」できてしまう西洋の古典絵画に飽きているのか? だから博物館の歴史的遺物により惹かれるのか。
【続き】
生まれは違うが、川口に10年以上暮らし、その後蕨に2年半います。
元記事にある通りクルド人の方たちが暮らしているのは芝のあたりなので、自分が住んでいるエリアとは離れています。
とはいえご近所ネットワークで色々噂がないわけではなく、また現住所近くにもそれっぽい方たちが暮らしていますが、ご近所付き合いの範囲では特に恐ろしい話などは聞きません。
まぁ、道端でやたらデカい声で話している外国人とか、食べかすの鳥の骨とかを空き地に捨てる人なんかはいますが、クルド人なのかどうかは知らないし、日本人でもガラの悪い人が割りと多いので(笑)、外国人だから特にどうというのはありません。
割りと近所付き合いがあるので、お友達には外国出身、日本とのミックスなど色々いますが、特に問題もないし彼彼女らについて悪く言っているのも聞いたことがありません。
元記事の続きに「外国人は既に共生している」とあって言い得て妙だと思いましたが、共生とか大げさなワードを使わなくてもその辺に住んでて勝手に「共存」しているし、大体人間なんてほっとけば多様なんだから、「多様性」とか掲げなくても特に頑張らなければ勝手に多様です。
一部の吹き上がっている人みたいのが無用な「頑張り」をしているだけだと思います。その「頑張り」が信義信条によるものなのか、強迫観念的なものなのか、お金のためなのかは知りませんが。
たまたま当方アラブ地域にまあまあの期間暮らした経験がありアラビア語もわかるため、普通の日本人よりはいくらか「その辺のノリ」が理解できます。
もちろんアラブとクルドは違うのですが、氏族社会的な要素が多かれ少なかれ残っていることでは共通しています(エジプトでは「タール」と呼ばれる仇討ちの習慣が割りと最近まで残っていて、氏族の一人がやられたら相手の氏族の一人もとっちめる、その相手がなんの罪も犯しておらず、何なら事件当時生まれてなくてもやられる、みたいのがあったようです。今ではコミカルな映画のネタになっています)。
クルド人問題で「血縁者が病院に集まって業務を妨害」みたいなニュースがあり、まぁ業務に支障が出たならこれは確かに問題なので、(暴走車や過積載車と同じように)(日本人外国人の区別なく)犯罪は犯罪として取り締まってほしいですが、「血縁」というのは誤解があるなぁ、と思います。
この辺は高野秀行さんのソマリランドについての本などを読んで頂けると一番てっとり早いのですが(当方高野さんのファンで、本はほとんど読んでいます)、氏族というのは丁度日本の戦国大名とか、ヤクザの親子盃みたいな「仮想血縁」であって、文字通り本当に血が繋がっているとは限りません(もちろん繋がっていることもあります)。ある種の契約関係みたいなものです。
この「仮想血縁」というのは人類史的に多分かなり広く深く見られるもので、現代日本でもマイルドヤンキー層は「兄弟分」みたいな絆を大切にすることが多いですし、ほんの少し前、昭和の高度成長期くらいまでは「血の繋がっていない家族」みたいのは割りとよくあったと思います(昭和のアニメでは実子でない子とかよくわからない居候とか登場しますよね)。
この「仮想血縁」はびっくりするくらい網の目のように広がっていて、丁度暴走族のチームが場合によって法律よりチームの掟を重視するように、氏族の繋がりを国民国家の法に優先するケースがあります。
そういう意味では国民国家と相性が悪いのは事実で、国民国家幻想が奇跡的にうまくハマってしまったアジアの小国にあっては氏族文化の人たちとの軋轢が生じやすい傾向はあるかもしれません。
ただ「仮想血縁」社会は世界のかなりの地域に多少なりとも残っていますし、例えば自分が何らかの事情で外国に暮らさざるを得なくなってしまった状況を想像すれば、そうした人の繋がりを大切にするのは理解できなくもないでしょう。
結論としてはしょーもないですが、もういるものはいるし、別に常に問題を起こしているわけでもなく、逆に人は日本人だろうが外国人だろうが時々問題を起こすものなので、ぼちぼちやっていくしかないです。
あんまり強い縛りとか理想とか持たないことです。「こんなもんやろ」で手を打ちましょう。
さらに余談なのですが、「仮想血縁」とか言っていますが、そもそも「血縁」自体がもとから仮想的です。
もちろん生物学的な血縁は間違いなくあるし、今ならDNA検査なんかで同定できますが、ちょっと前まで母はともかく父は誰だかわからない、なんてのは普通にあったでしょう。
そして象徴的「父」を基準に考えられた「血縁」もまた、生物学的というよりは象徴的・言語的に構成された仮想物です。
そういう仮想物を大切にして生きてきたのが人類ということです。
犬は自分のお父さんとか全然気にしません。うちにも犬がいて、実のお父さんと会ったことがありますが、特に親子の対面的なものはなかったです。
■北村紗衣先生はオープンレター署名水増し疑惑の話題を把握している?
古谷経衡が「オープンレターに賛同した覚えも無いのに、勝手に署名人の一人として自分の名前が使われている」とツイートしている。これを把握しているならば、北村紗衣先生はExcel作業を中断してでも事実関係を説明して欲しい。
呉座は批判されて当然だと思うが、それとこれとは別問題である。だから、北村紗衣先生は可能な限り説明責任を果たして欲しい。
自分は、北村紗衣先生と仲間のことを、高須クリニックの人と同レベルと思いたくない。
オープンレターに記された「誰もが参加できる自由な言論空間を作っていきましょう。」の言葉を紛い物にしないで欲しい。
>のブコメ:既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました。
元々のオープンレターが発起人たちによって、その内容を広く周知して議論するべきものとして発表されたのだから、それを読んだ一般人が何らかの考えを述べるのは当たり前のことです。まるで、オープンレターの話題を周知されたら困るかのようなコメントですね。
>のブコメ:泣いていて精神的に不安定なら他の16人が対応すべきだと思う
そう思います。しかし、元々のオープンレターが、最終的な文責が誰にあるのか不明確な書き方ので、名前を連ねた人たちに当事者意識が無いのかもしれません。
追記その2
オープンレターの発起人の氏名は「あいうえお順」に並べてあります。それとは対照的に賛同者の氏名は、五十音・アルファベットの何れでもない、バラバラの状態で並べてあります。この違いには、何らかの合理的な理由が有るのでしょうか?バラバラの配列では、賛同者の氏名が何処にあるのかを確認し難いと思います。これでは古谷経衡も彼自身の名前が有るのに気づかなくても、不思議ではありません。
追記その3
2022/01/18現在の北村紗衣先生は「単なるイタズラにそれ以上何の説明が要るのかよくわかりませんけど、現在、名簿ファイルを管理している方々が対処してくださっているところですよ。」と仰っているようです。オープンレターに賛同する方々の氏名を列挙したのは「これだけ多くの人が賛同していることから分かるように、自分たちの主張には妥当性・正当性がある」とアピールする狙いがあったはずです。本人の身に覚えの無い賛同者の署名が偽物によるイタズラだとするならば、真っ先に非難されるべきなのが犯人なのは確かですが、きちんと確認・検証をせずに氏名を掲載・公表をしていた管理者の管理責任が問われる/批判されるのは当然です。
2022-01-18
■さんへの公開質問
北村紗衣先生のオープンレターに対する賛同者として、著名人になりすました偽物が署名していた件について文章を増田に投稿したところ、さんが次のようなブコメをなさいましたので引用します。
「既に法曹関係者が動いている事案に、よくイッチョカミする気になったな、って思いました // 内情を知らずに口を挟むと名誉毀損になりかねないので、直接の関係者でもなければ「黙っておく」一択かと存じますが。」(元の増田anond:20220117210112に付けられたブコメです。)
(1) あなたが女性差別問題に対してブコメなさった時(あなたが常日頃から女性差別問題についてブコメをしてらっしゃることは、自分も存じておりますし、それらの多くは御尤もだと思うことが度々あります)、他の誰かから「直接の関係者でもなければ『黙っておく』一択かと」と言われたら、あなたは黙ってその言葉に従いますか?
(2) 私は、自分が「これは変だ/おかしい」と思った問題に対して「弁えない」「沈黙しない」「疑問を投げ掛ける」ことこそ、フェミニズムが「大切なこと」として主張し続けてきたことだと思います。違いますか?
(3) あなたの「弁えろ」「黙った方が身のためだ」という旨のブコメは、あなたの日頃の姿勢との整合性が有るとご自分ではお考えですか?
(4) 北村紗衣先生には事実関係を説明して欲しいと書いたことが名誉毀損になるとしたら、それは何故ですか?
2022-01-19
■北村紗衣先生とオープンレター偽署名事件・途中経過※追記有り
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、2022/01/19現在、誰も古谷経衡に対しての謝罪をしていないようです。
(1) まず北村紗衣先生の昨日2022/01/18のツイートから引用します。
「名簿を管理している人たちで相談して、削除後にツイート等でお詫びを出そうという話をしてたとこですが。あと「誰かを責める前に」って、処理中なのにまるで故意に悪いことをしたかのようにほのめかしてくる人に反論して悪いわけはないと思いますけど。」
「なんでツイッターとかネットで見られないものは全部存在しないみたいに思ってるのかな、この人たち。昨日の夜遅くにイタズラ署名の件に気付いてから、差出人でずっと対応とかおわびとかを協議して処理してます。」
(2) 次に、古谷経衡の今日2022/01/19のツイートから引用します。
「今に至るまで無いです[※引用者注:オープンレター関係者から謝罪などの連絡はあったのか?という質問に対する回答]。というかオープンレターの首謀者がだれなのかもわからず、訴状の送達もできません。」
「オープンレターで私の名前が無断使用された件、無断使用した人間の氏名が判明すれば、千葉地裁で民事訴訟(損害賠償請求)を行います。なにせ私の名誉に対して、および私の政治的中立性毀損という看過できない問題ですから。去年の4月からずっと掲載されていたとかありえないですから。」
北村紗衣先生の発言は、どうやら事実と異なるようですね。オープンレター発起人の誰かが、北村紗衣先生に対して「きちんと対応しているから」と嘘を吐いていて、北村紗衣先生は騙されているだけの被害者なのかもしれませんが、確認はした方が良いと思います。
基本的なことですが、オープンレター賛同者の中に有る"古谷経衡"を名乗る偽署名が、偽者による成りすまし行為だとしたら、その偽者が一番に非難されるべきです。これは当然の話です。
しかし、古谷経衡から見れば、オープンレター関係者もまた「確認・管理を怠った過失による加害者」です。呉座に酷いことをされた被害者であることは、古谷経衡に対して誠意ある対応をしないことの理由にはなりえません。
北村紗衣先生及びオープンレター発起人は、当事者意識と責任感に欠けていると言われても仕方が無いと思います。
さんのブコメ(書換前)「オープンレターの内容を踏まえると、ありうべき対応としては「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」と表明する程度か。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一のアカデミア復帰は遠のいていくわけで」
さんのブコメ(書換後)「オープンレターの内容を踏まえれば、「無断で名前を使われたのは遺憾だが、趣旨には賛同する」以外の対応だと、別の問題を招きかねないのでは。そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。 」
このさんの"忠告"(書換で変化していない所である『そして揉めれば揉めるほど、呉座勇一の社会復帰は遠のいていくわけで。』に肝が有るのは明白です)こそ、これまでフェミニズムが批判してきた「騒ぎ立てるのは君のためにならないよ?」という、アドバイスの形式を取って「弁えろ。口を噤め」と、違和感を表明する者の声を抑圧する手法だと思います。
ところでさんの忠告は、私の目的が呉座のアカデミア復帰でなければ無意味だと思います。
追記その2
2022/01/20、さらに3人目の「署名した覚えが無いのに、名前を使われた人」が発覚しました(ノンフィクション作家・高野秀行)。
高野秀行の「異国トーキョー漂流記」とかどうだろう。疲れた時に読みたくなる軽さがある感じ。
https://booklive.jp/product/index/title_id/243626/vol_no/001
「イリアス」は捕虜の奴隷女の配分をめぐった交渉がこじれた結果、勇者が拗ねて戦場に出ず、味方がどんどん死ぬところからスタートするので、昨今の倫理観からは問題があり、神話初心者にはこっちをお勧めしたい。「オデュッセイア」も家で待っている妻を忘れてよその女のところで数年過ごすが、まあ魔法をかけられていたということでこっちのほうがマシだ。舞台もあちこち移動するから飽きないし。
ユニークなのは、劇中劇的にオデュッセウスが時間をさかのぼって事件の進展を語る箇所があることで、ホメロスの時代にはすでに出来事が起きた通りに語る手法が飽きられ始めていたのかな、と想像できる。
実は「ラーマーヤナ」とある共通点があるが読んでみてのお楽しみ。
聖書はなんせ二千年前以上の宗教書だから、原典に当たる前に基本的な出来事の流れと時代背景や当時の常識を理解していないと読解が難しい。当時のユダヤ民族の偏見も混じっているし。加えて、ところどころ立法全書的に当時の習慣や禁忌を延々述べる箇所があり、通読はさすがにできてない。新約聖書だけは何とか意地で読破した。
ところで、どうして「創世記」だけを取り上げたのだろう。たとえば物語として盛り上がるのは「十戒」の「出エジプト記」だ。「ハムナプトラ」とかでエジプトが悪役になるのは大体これのせい。いきなりこれにチャレンジするのなら、手塚治虫の聖書物語のほうがいいかもしれない。
犯人探しが不幸を呼ぶことから嫌ミス的な要素もあるし、ギリシア神話の「不幸な運命を避けるために必死になって行動した結果、結局その運命を呼び寄せてしまう」というアイロニーが大好きな自分としては、その典型例なので好物だ(予言を鵜呑みにした結果ドツボにはまる「マクベス」も好き)。
これが面白かったら、アイスキュロスの「オレステイア三部作」もおすすめしたい。何世代にもわたる恨みの念が恵みの女神として祀られることで鎮められるというモチーフは、異国のものとは思えない。
一般教養で唐詩の授業を取ったので岩波文庫でぱらぱらとめくった覚えがある。なにぶん昔のことなので記憶は曖昧なのだが、はっきり覚えているのが王梵志の「我昔未生時」で、天帝に生まれる前の時代の安らぎを返してくれるように願う詩だ。当時は反出生主義が哲学・思想界隈でここまでホットなトピックになるとは予想してはいなかった。
酔っ払いの詩。酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞーという内容。著者は文学者であっただけでなく天文学者・数学者としても知られるが(三次方程式を解いた実績がある)、ここで展開されている詩はひたすら現世の美しさとはかなさをうたったもので、酔っ払いは世の東西を問わず、というところか。イスラム世界の厳格なイメージをひっくり返してくれるので面白い。ガラン版のアラビアンナイトや高野秀行の「イスラム飲酒紀行」とあわせてどうぞ。
フィレンツェを追放されたダンテが苦しみの中生み出したキリスト教最高峰の文学のはずだけれど、とにかく気に食わない政敵を地獄でめちゃくちゃな責め苦に合わせているところを面白がる下世話な楽しみ方ができる。地獄にいる人物は聖書やギリシア神話、歴史上の人物も多く、ヨーロッパの歴史や文学をざっくり知っているとダンテがどれだけやりたい放題やったかがわかるので愉快。
ただし、地獄編の続きの煉獄編・天国編はキリスト教哲学をかじっていないと結構しんどく、しかも風景が山あり谷ありの地獄と比べてひたすら恵みの光が明るくなっていくだけなので、絵的に面白いのは地獄のほうだ。
ついでに、ヒロインがかつて片思いをしていたベアトリーチェという女性なので、ベアトリーチェの美しさを歌う箇所も下世話な目線で楽しめる。妻帯者の癖に未練たらたら。
未読。後述のラテンアメリカ文学とかジョイスとかは読んだんだが、そこに出てくる過剰なものや糞尿譚も結構楽しんだので、いつかは読みたいと思っている。
四大悲劇と「ロミオとジュリエット」はざっくりと読んでおくと、いまにも受け継がれているネタが結構あることがわかって楽しいし、意外と下ネタのオンパレードなので当時のイギリス人に親しみを持つことができる。ついでに上記のうち二作は黒澤明の映画の元ネタでもある。
興味深いのは、劇中劇というかメタフィクションが必然性を持って登場することだ(父を殺した叔父の目の前で、その殺人の場面そっくりの劇を演じて動揺させるシーン)。すごく先進的だ。かっこいいぞシェイクスピア。
基本的には正気を失ったおじさんが繰り広げるドタバタ劇で、下巻では著名になったドン・キホーテをからかう公爵夫妻までも出てくる。これだけだと精神を病んだ人をおちょくる悪趣味な書物だとしか思えないのだが(というか最初は時代遅れの騎士道精神を批判するために書かれた)、昨今はドン・キホーテに同情的な解釈が主流。最近テリー・ギリアムが映画化した。
自分が道を踏み外した元凶。誰だこんな子供を人間嫌いにする本を児童書の棚に並べたのは。クレヨンしんちゃんを夕方アニメにするレベルの蛮勇だ。四部作だが、最後の馬の国では人間という存在の醜悪さをこれでもかと暴き立てており、おかげさまですっかり自分は人間嫌いで偏屈な人になってしまった。作者の女嫌いの影響を受けなくて本当に良かった。
とはいえ、当時のアイルランド支配はこれほどまでの告発の書を書かせるほどひどかった、ということは知っておきたい。
夏目漱石「吾輩は猫である」に出てくる。基本的にはふざけた話であり、著者が自分の誕生から一生を語り起こそうとするがなかなか著者自身が誕生せず、しかも物語の進捗が遅いせいで半年ごとに本を出す約束なのにこのままでは永遠に現在の自分に追いつかない、みたいな語りで笑わせてくる。挙句の果てに著者が途中でフランス旅行に出かけてしまう。英文学というジャンルがまだ黎明期なのに、こんな愉快なのが出てくる懐の深さよ。
だが、これだけふざけているのに、登場人物の一人がうっとうしい蝿を「この世の中にはおれとおまえと両方を入れる余地はあるはずだ」といって逃がしてやるシーンはいい。
未読。「毛皮を着たヴィーナス」と「眼球譚」は読んだんだが。バタイユどんだけおしっこフェチなんだよ。自分もお尻とかブルマーとか競泳水着が好きだから笑わないけどさ。
個人的にはとても好き。人生できっと何かを成し遂げられるはずという万能感ある思春期に読みたい。主人公の行為は決して褒められたものではない。様々な悪事を働き、幼い少女を妊娠させたうえ捨ててしまう。このシーンのせいで、もしかしたら二十一世紀には読み継がれない古典になってしまうかもしれない。しかし、主人公が最後にたどり着いた境地の尊さの価値は失われることはないと信じている。現世で最も美しい瞬間とは何か、あらゆる物質的な快楽を手に入れた主人公が見つけた答えを読んでほしい。後半はギリシア神話を知らないとつらいかもしれないが、そのためにギリシア神話入門を読む値打ちはある。
未読。同著者の「赤と黒」は貧乏な青年がひたすらのしあがろうとする話で、あまりピンとこなかったのだが、文学サークルの友人から最近来たメールに「訳者を変えて再読したら面白かった」と書いてあった。
さえないかわいそうなおじさんが好きなので好き。ロシア文学というものは、名前がややこしいうえに同じ人物が様々に呼ばれるので敬遠されがちなのだが(イワンが何の説明もなくワーニャと呼ばれるなど)、登場人物をメモしたり、ロシア人名の愛称の一覧を頼りにしたりして飛び込んでほしい。このハードルさえ超えれば最高の読書体験が待っていることは保証する。ロシア文学はいいぞ。
ポーは大好きなんだけどどうしてこれを代表作に選んだのかはよくわからない。個人的には王道の「黒猫」とか「アッシャー家の崩壊」とかを最初に読むのがいいと思う。中学生の頃、狂気や暗鬱さにどっぷり浸っていた頃に読んだのだが楽しかったし、作中の詩が今でも世界で一番好きな詩のひとつだ。ちなみに、東京創元社のポー全集には、ポーのユーモア作品もいくつか収録されており、意外な顔を知ることができる。もっとも、今読んで面白いジョークかどうかまでは保証しないが、こじらせ文学少年・文学少女としては必読か。
最高の昼ドラにして非モテ文学。俺は愛されずに育った、俺は永遠に誰からも愛されない、だから他人の幸福を破壊してもいい、的な気分に一度もでもなった人は何としても読んでほしい。
映画「マチルダ」の中で児童書に飽きた天才少女がこれを読もうとする場面があるんだけど、これ小学生が読む本じゃないだろ。単純に難しいのではなく、とにかく話が脱線しまくる。まともにストーリーが進まずに、著者自身のクジラに関するうんちくが延々と続く箇所もある。雑学隙の自分は楽しく読んだが。
敵のクジラを殺してやろうとするエイハブ船長の狂気についていけるかどうか。
自分が人妻萌えを発症した元凶の一つであり、世界文学初のカーセックスシーンがあることでも知られている(自動車ではなく馬車でだが)。ストーリーは夢見がちな女性が夫に幻滅して若い男やチャラ男と浮気し、サラ金から借金を重ねて自殺するという「闇金ウシジマくん」的なノリ。妻の浮気を知ったさえないボヴァリー氏の哀れな反応は必見。自分が寝とられ文学が好きになってしまった元凶の一つ。
ゲリラが支配するミャンマー北部に潜入し、アヘン栽培に密着するルポ。
アヘンは悪だ!やめろ!という説教臭くはない。現地民と一緒に栽培していくさまが良い。
高野秀行さんのルポは、大学での探検部の体験を元にした「幻獣ムベンベを追え!」も良い。
バッタを専門とし、死ぬときはバッタに食べられたいと夢見る昆虫学者が、蝗害をもたらすサバクトビバッタの研究を親しみやすくまとめた本。
光文社新書で出ている「バッタを倒しにアフリカへ」も面白い。こちらの方がレーベル的にも入手しやすいが、紹介した本の方が前なので、できるなら、孤独なバッタ〜を先に読んだ方が楽しめる。
ジョン・クラカワー 空へ
1996年のエベレスト大量遭難に偶然行き合った著者が記したルポ。ツアー型登山の問題点や、標高8000メートルの山で徐々に限界に追い詰められていくさまが描かれる。
これで山岳遭難の本が気になれば、
K2登山した女性登山家が次々なくなっていく様を追った「K2 非情の頂」
クラカワーの視点が気に入れば、
モルモン教徒が起こした事件を題材にした「信仰が人を殺すとき」
自然の中で生きたいと、若者がアラスカの荒野で生きようとし、結果餓死した事件を追った「荒野へ」
もおすすめ
言ってしまえば自己啓発本なんだけど、迷ったときは困難なほうを選ぶなど強烈な生き方を掲示されていて読みながらドキドキして心拍数の上がる本。ただ僕は岡本太郎のようには生きられなかった。
木村政彦、力道山だけでなく柔道を中心とした近代格闘技史がよくまとめられていて、そのへんに興味があるならうってつけ。なぜブラジルで寝技中心の柔道が残ったのかとか。連載時から読んでいて、外伝も買ったが、連載時にのっていた弱った動物園の象を治療のために大学に連れてきて、結果治療が失敗しましたので埋葬しときました、と言って食べちゃった話は酷すぎたのかさすがに削除されていた。
高野氏はアヘン栽培を調査しようと現地の村に1年滞在して、自分もアヘン中毒になっちゃうとか、かなりおかしな作家なんだけど、東京に住む外国人の交流という氏の中でもっとも普通のテーマで書いたこの本をベストにあげたい。異国で暮らす外国人の視点に考えさせられたり、素直に感動させられたりする。移民や外国人実習生などの問題もあるなか広く読まれてほしい。
賛否両論あるが、普通の人がドラマの純愛みたいな恋愛を真似するとキモいってことをわからせてくれる本。恋愛において後悔先に立たずなので早く読んどいたほうが良い、と大学生の自分に言いたい。
食文化史というのに興味があって何冊か読んでいるが、その中でも名著。食文化の地域差は結局気候によるのだが、そのへんが極めて論理的に説明されている。他にも「人とミルクの一万年」なんかも面白かった。
ソマリアの海賊がいなければ、マグロは絶滅していた!? | 日刊SPA!
ちなみに、最近、プントランド関連で話題になったのが、あの「すしざんまい」の木村清社長だという。昨年11月にプントランドを訪れ、漁業支援を申し出たのだそうだ。
「まあ、すしざんまいの話はテレビで知ったのですが(笑)、ソマリア沖は世界有数のマグロの漁場で、『ソマリアの海賊がいなければマグロは絶滅していたかもしれない』と、本当に言われているほどなんです。プントランドに目をつけるとは、あの社長さんはさすがにやり手ですね」
プントランドで海賊がビジネス化していった背景には、ソマリアが無政府状態になり各国の漁船がソマリア沖の漁場を荒らし、地元漁民が武装化していったという事情がある。逆説的ではあるが、ソマリア海賊たちが外国船を襲いまくったことで、ソマリア沖にやってくる外国漁船による乱獲が収まり、潤沢な海洋資源が守られてきたということだ。
http://aisa.ne.jp/mbembe/archives/3946
『謎の独立国家ソマリランド』で私が書いているように、ソマリアの海賊は9割方が事実上の独立国家「プントランド」から出陣していた。海賊の原因が「貧困」だと言う人が昔も今もいるが、それも単なる固定観念にすぎない。
貧困者が海賊をやるなら、世界中の海で海賊が跋扈していることになる。そしてそんなことは全然起きていない。
他の大多数の貧しい国でも海賊がいないのは、そこの政府が取り締まるからだ。そして、なぜプントランドに海賊がわんさかいたのかというと、プントランド政府が黙認していた、もっと正確にいうなら利益を共有していたからだ。前に私がこのブログで「プントランド政府と海賊は、国土交通省と道路公団みたいなもの」と書いたとおりだ。プントランドの基幹産業は「海賊」だったのである。最近はそれができなくなり、別の産業(貿易や土地開発とか)に移行しつつあるだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20140421200127
http://anond.hatelabo.jp/20090621214329
今まで喜ばれたプレゼントをいくつか書き出してみました。手ごろなものばかりですが…。
専門店や伊勢丹のメンズ館などで、趣味と好みに合ったものを用途に応じていくつか選びます。クラシクス・ザ・スモール・ラグジュアリ(http://www.classics-the-small-luxury.com/)でオリジナルの刺繍やイニシャルを入れてもらうのもいいかも。
・4711
世界初のオーデコロン。ブランド名はナポレオン占領時代の番地にちなんでおり、ナポレオンも愛用したとか。歴史好きにはいいかも?シトラスを基調にしたさわやかな香り。
父がよく着るブランドで買いました。何枚かあげたうちの1枚はサイズ感とデザインがすごくお気に入りだそうです。
・文庫本
わたしも父も本が好きなのですが、自分では選ばないような本を、ジュンク堂からヴィレッジヴァンガードまで数軒回って、選びます。父の好きな作家、軽めの純文学、ネタ本とかいろいろ混ぜるのがコツ。参考までに、今まですすめた中で面白いと言ってたのは、向田和子『向田邦子の恋文』、恩田陸『六番目の小夜子』、酒見賢一『墨攻』、高野秀行『ワセダ三畳青春期』、糸井重里『言いまつがい』、ケンタロウや『365日たまごかけごはんの本』などの簡単なレシピ本、あといまはやりの太宰治の短編集です。
(http://www.yomiuri-tys.co.jp/jigyou/kibou.html)
これは誕生日用です。読売新聞のサービスで、記念日の新聞のコピーをラミネートして下敷きのようにしてくれます。一回しか使えないのが難点ですが…。
・入浴剤
バラエティショップなどで面白いものをセレクトして買っています。父が海外にいた頃は無印良品のヒノキなど和風のものを中心に選んでいました。
・手書きのカード
これは鉄板ですね。絶対添えたほうがいいです。書くことがないと思うかもしれませんが、意外と書けるものです。面白いカードがたくさん発売されています。
今年は事情で遅れてしまったのですが、国内の革メーカーの定期入れをプレゼントしようと思っています。喜んでくれるでしょうか。うちの父も、仕事で疲れているのと年も年なので、PCやDVDなど機械を扱ったり、新しいことを始めるのが難しいようです。(自分で買ったiPodは曲を入れることすらせずに放置していました…)わたしも絵を描きますし、時計や万年筆、アンティークなどが好きなのですが、やはり好みがあるので、プレゼントしてもらいたいかと言われると微妙です…。(気持ちはうれしいですけどね)
以下個人的な話ですが、父とわたしは就職の時に揉めて以来気まずい関係でした。でも父が途上国に単身赴任した時に、父の日や誕生日に小包やカードを送り続けていて、それがつらい時のなぐさめになったようでした。何かあるたびに本やプレゼントの感想を言っていました。わたしもプレゼントを通じて謎の存在だった父について知ることができましたし、父のことを気にかけるようになりました。今でも自分の買い物をしている時に「あ、これお父さんによさそう」と思ってつい買ってしまいます。アウトドア用タオル一枚でも「ウォーキングの時に使って」などと言って渡すと本当にうれしそうです。
余談ですが、うちの祖父母も、初任給で螺鈿細工の箸を買ってあげたし、敬老の日もかかさず贈り物をしているのに、いまだにはじめての遠足の時におこづかい500円の中から、おちょこと花瓶をプレゼントした時のことばかり言っています。(父母と祖父母に買ったらちょうど500円で、自分の分は買わなかったそうです…。子どもってけなげですね)この前なんか一週間前にあげた旅行のお土産を無視しておちょこの話をしていました。きっと年をとると時の流れとか、時系列と重要度とかが違ってくるんだと思います。悪気はないのです。