はてなキーワード: 非情とは
フレッドは、5人の子どもたちに、非情なまでの競争心と闘争心を持てと教えた。特に、幼いころから自分に似ていたドナルドには、お前は「食う側」になり、「王」になるのだと言い聞かせた。そして、将来の王にふさわしく、運転手付きの大型リムジンで新聞配達の仕事をさせた。ドナルドが、いじめっ子体質で暴力的な少年になったのも当然かもしれない。
http://toyokeizai.net/articles/-/138993?page=3
こういう価値観に囚われ、対等な人間関係を築いた経験が無いんじゃないだろうか。
それでもあんなに強い自己を持っているのは、父親の価値観とどっか共鳴するところがあったんだろうな。
「自分に似ていた」って感じたらしいし、上昇志向とかトリッキーさは遺伝したのかもしれない。
多分、何かが欠損してるってことにも気づいてないんだろうな。
父親の教えを忠実に守ってきたから、高い自己肯定感が確立され、他者を顧みることなく自分本位に生きれてる。
相当生きやすいと思うよ。
アドラー心理学では「人間の悩みはすべて対人関係の悩みである」と定義づけられているけど、これに基づいて考えれば他者のこと気にしないから悩みも無いんじゃないかな。
リーダーシップ・アグレッシブさ・決断力など、この人に惹きつけられる人が居るのはよくわかるよ。
一国の未来を担うリーダーとして、国民の様々な声を受け止めることは義務。
自分のやり方を否定されたからと言って、個人の容姿や性格をバカにするとか、あまりにもレベルが低い。
これまでも気に入らない相手はこうやって攻撃してきたんだろうなっていうのが、透けて見えるよ。
この人にとって批判する国民は敵、支持する国民は都合のいい格下の人間。
この人は大統領になるべきではなかった。権力を与えていい人ではなかった。
私は親に否定されて生きてきて、自己肯定感がほぼ無いってことに最近気が付いた。
というか肯定する自己が無い。主体性が無く、全力で他人本位で生きてきた。
情けなくて恥ずかしくて罪の意識に潰されそうだけど、私は今それに気づくことができた。
だから、時間はかかるかもしれないけど、絶対に克服して、人生をやり直せるんだ。
「生きづらさ」を感じていないから。
余計なお世話かもしれないけど、このまま死んでくの本当に勿体ないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20170601142035
そんな一時サポート人員で回せる仕事ならそれでいいんだけどね。そうじゃない、継続性を求められる仕事だって世の中少なくないと思いますよ。むしろそんな誰でもできるような仕事をなぜ(育休を取る権利を持ってるような高コストな)正規雇用の人員にやらせてたんだという話になりませんかね。
まぁあとは、
これなんですよね。
現場だって非情な人間しかいないわけではないので、穴埋め要員が育休中の人以上に現場に馴染む場合もままあります。で、育休中の人が復帰後、周りの人から「あの人の方が良かったのにねー」なんてイヤミまじりに言われるわけです。そして、復帰後の人が時短勤務を使ってたりするとさらに気まずさは倍率ドン!です。
断末魔でゲントの杖を生み出すチャモロと蘇生カード及び除去カードをガン積みし残りは強力な断末魔を持った高ランクカードで固めたデッキ。終盤までもつれ込まれるとほぼ対処手段がなくなる。ハゲコンと呼ばれるのはチャモロが僧侶だから
マドハンドワンキル
マドハンドの増殖効果をループさせて大量に並べてから全体バフして一気に顔を殴るデッキ。ワンキルといいつつ実際は序盤からひたすらチマチマと顔を削ってくる。第二弾で全体除去の性能が高くなると途端に完全に姿を消すことになる。
スライム系モンスターとそれを強化するカードで組まれたアグロ。スライム系カードで固めて前のめりに組んだだけなのにやたらと勝率が高かったのだがベータテストの段階でカードが何枚も修正されてスライム関連のカードは軒並み腐ることになる。ライバルズ運営はさんすうが苦手という噂が囁かれる原因となる。
はかぶさ
デッキから装備品をランダムサーチするトルネコの効果で手札にはやぶさの剣やもろはのつるぎといった強力な装備品を加えそれを次々に適当なミニオンに装備させるデッキ。強力なパパスの剣を死亡時に残すパパスもキーパーツとなっている。盤面によっては武器を2つ装備したミニオンが凄いダメージを叩き出すためこの名前で呼ばれるがコストがやたら高い破壊の鉄球を使われることはほぼない。重要パーツであるパパス・トルネコをフルで積み込む派と腐るから少し減らす派の対立で定期的にスレが荒れる。
攻撃対象がランダムな遊び人やギガンテスでひたすら殴るだけのデッキ。小型のミニオンを並べられたらまわしげりやベギラマで減らせばよく、中型・大型同士の戦いならコスト比に優れている遊び人等が有利なのでどんな相手にも対応できる。運ゲーとしか言えない決着の付き方の多さや戦い方の単純明快さからパワー系池沼という蔑称もある。ニートと呼ばれるのは盤面を取りたい状況でも顔を殴る遊び人が最初のうちニート扱いされていたから。
カードアドバンテージの高いカードで盤面を除去しつつ手札を魔法カードで埋めてから手札の魔法カードを全て捨てその枚数だけ威力の上がるマダンテを顔に叩き込むデッキ。コントロール色が強く防ぎようのない部分があるため嫌われている。
はぐれメガンテ
カード効果を受けないはぐれメタルやメタルキングにメガンテを使うと自分は無傷なのに盤面にだけダメージを与えられる現象を利用したデッキ。どとうのひつじやパルプンテといった自爆的な全体除去を大量に加えて何度も盤面をリセットしてくるため萎えるので嫌われている。
引換券
断末魔や雄叫びでミニオンを呼んでくれるミニオンとほんの少しの除去カードで作られたアグロデッキ。いわゆるZoo。主に使われるのはライアン・5主人公・カンダタ等であり名前の由来となったテリーは使われていない。単純明快なデッキながら勝率は非情に高くグッドスタッフ的な側面も強いことからデッキに入っているカードのほとんどがナーフを望まれている。
試合中にタイミングよく回線を切ることで試合を無効にする戦術。それまでの苦労が水の泡になることからこう呼ばれる。強いデッキ教えろという質問に対して環境最強勝率100%のデッキとして紹介されることが多い。
週3〜4くらいのペースで、近所から怒鳴り声が聞こえる。
(怒鳴り声が聞こえてきたら即座にyoutubeで適当な動画や音楽を流す。これで大体聞こえなくなる)
それでも突然怒鳴るの本当にやめてほしい。
どこの誰なのか特定は出来ていないが、恐らく向かいの一軒家に住む人じゃないか?と思ってる。
怒鳴り声が聞こえてくる時間帯は基本的に夜の0:00以降、3時や4時でも平気で聞こえてくる。
たまに昼間。
今日はGWだがつい今さっきまた怒鳴り声が聞こえてきて慌てて音楽を流した。
そんな時間に起きていることから恐らく無職なのでは?と決めつけているのでニートって呼んでる。
非情にうるさいので警察への通報も考えたりするが、いつも数分で止んでしまうので警察来る頃には静かかもしれないと思うと躊躇われる。
止んだ1時間後にまた怒鳴り声が聞こえてくることもしばしばあるのだが。
一度何をそんなに怒鳴っているのか聞き取ろうとしたことがある。
クソババアが!金がどうのこうの!と言ってるのが分かった時点で聞くのをやめた。
怒鳴るほど嫌なら家を出ていって欲しい。
ここは治安はとても良く、子育てにも最適!みたいに言われている街だ。
別に子供はいないけど非情に住みやすい。関東で都心へのアクセスもすごくいいし。
恐らく暇だし見てるだろう。
本当に、怒鳴るのだけは辞めて下さい。近所の人もみんなそう思ってると思います。
うるさいしストレスなんです。
お願いします。
自由があると思ってた先が人間同士の戦争という非情な答えだったということ、
そしてそれでも進み続けなければいけないという記憶のバトンがエレンに託されたということ。
今まで出た巻の中でエレンの悲しみが短くも強烈に描写されてる。
これから迎えるであろう悲惨な未来にどうエレン・アルミン・ミカサたちが立ち向かっていくのか。
【進撃の巨人のここがすごいよ】
他の漫画を引き合いに出して悪いが、アイアムアヒーローは駄作だった。
完結後、再び全巻読み直して落ち着いて出した結論が駄作だった。
ライブ感とか毎週楽しませてくれたからというのはやはり作品の総評をする際に適切ではないと思う。
世界崩壊系、パニック系漫画のラストが尻すぼみや雑な投げやりされる理由は、
既存世界を崩壊した先にある新たな社会形態を作者が想像(創造)しきれないからだ。
増田は嘘だと思うかもしれないが、人間の想像力には限界がある。
体験し想起し再現できないものは頭の中でも思い描くことは不可能。
実現可能なのは予測できる範囲内の事象に延長線上を引いたものであり、
だからこそ人間が想像できることは全て実現可能であると言われる所以である。
漫画、小説…アニメ…というのは舞台設定を異世界や世界改変とし、
世界の有り方そのものをテーマに据えた場合、作者の頭脳演算能力に対して要求されるスペックが跳ね上がってしまうことが多々ある。
そうなった際に作者ができることは投げっぱなしにするか、夢オチ、爆発オチ、とってつけたようなオチしかない。
漫画の登場人物は作者の頭脳を超えることはできないのと同じように想像力の限界に突き当たってしまった漫画は
そこで先に進めなくなり見えない壁にぶつかり、幕を下ろすしかなくなる。
それがアイアムアヒーローであり、20世紀少年であり、ドラゴンヘッドであり、数多のゾンビパニック映画のオチだ。
とにかく異世界を整合性を保って作るにはミニチュアの宇宙を新生させるに等しく、要求の脳スペックが高くなる傾向にある。
最後まで整合性を保ちながら物語を盛り上げ、終極させカタストロフィを見せるというのは
サッカーでいうとハットトリックを全部オーバーヘッドシュートで決めるくらいの高難易度技法である。サッカーよく知らないけど。
作者にパニック物の終局地を書ける力量さえあれば問題ないのだ。
そうやって終わらせた作品は数多あるけどそれを当たり前だと受け取ってきた結果、尻すぼみエンドが目立ってきた次第だ。
話を戻して、進撃の巨人は初期から最後までのプロットができているという発言が作者本人のインタビューで分かっている。
つまり連載開始時点である程度世界を完成させてしまっているのだ。
実際書き始めながら着地点を探しているのではなく既に脳をまわして宇宙を構成した後に書いている。
だからこそ支離滅裂になったり伏線が回収できなくなったりしないし、本筋の中で意味のない寄り道をせずに本編を進めていっている。
単純に、1話ごとに重要なエピソードを詰め込んで読ませてるから、面白くないわけがない。
本来昔の週間連載がやっていた毎回読者をハラハラドキドキさせるということをやりつつ、
あとから通してみても楽しめるという理想的な漫画を描いているだけなのだ。
この当たり前のことをどの漫画家も目指しているが大半の作家はそこに至らないが、
連載はじめての作品で既に両立させているという点が驚愕するべきところだろう。
一言でいうと
当時のインドはまだ外貨が不足していて、USドルのキャッシュで航空券を購入する場合に限り、インド国内航空インディアンエアラインのカルカッターバンコク間の片道切符が60ドル程度の格安で手に入った。
今でこそIT大国なんて言っているけど、その頃は空港のチェックインカウンターには端末もモニターも無くて、空港職員が奥の部屋へ引っ込んでいったかと思うと、暫くして漸く乗客のリストが印刷されてるらしいパンチ穴のついた長い紙を引きずる様にして出てくる有様だった。
そうして、どうやらオーバーブッキングらしいと言うことが、周りの乗客の話し声から聞こえてきた。中には職員に金銭を渡してるらしきツーリストもいた。
外貨が不足する中でインドを出国しようとするインド人には、厳しい外貨の持ち出し制限があった。確か一人400ドル位じゃなかっただろうか。全然足りないよね。遊びに行くわけじゃない。殆どがビジネスだったと思う。
僕のツーリストビザの期限にはまだ余裕があったし、予定があるわけでもなかったので、別にこの便に乗れなかったところで一向に差し障りがあるわけじゃない。
対して、インド人ビジネスマンは違う。どうしても、その便に乗らなければならない事情もあるだろう。一人のインド人男性が職員に食って掛かった。インド人が手を出すのはよっぽどのことがあってなんだけど、彼は職員に対して相撲の突っ張りのようなことをした。職員もやり返した。お互いに突っ張りの張り合いをしながら、二人とも遠くへ小さくなって見えなくなった。
私は三流私立大学を卒業後、中堅企業の総合職で働いているアラサーOLです。去年結婚しました。
私が男性の目にどのように映っているかというと、おそらく「自立してる」風だと思います。なぜなら、薄給ながらも総合職で男性と同等に稼いでいるから。そして男性に頼るのが苦手だから。するとどのようなタイプが寄ってくるか。女に依存されるのが大嫌いな男です。
彼らは表向きは男女平等を謳っていますが、正体はただのケチな割り勘男です。男女平等だから割り勘がいい。仕事も頑張ってほしい。でも、心の底では、料理上手で男を立ててくれるのがいいと考えているのです。要するに自分の都合の良い部分だけ平等にしたいだけのことです。
まあでも人のことばかり悪くは言えません。フェミニストを装った私も、家事は平等にしつつ、金は男が多く負担したらいいなどと考えているからです。いや別に基本は割り勘で構いませんが、たまには奢ってほしいな☆というお姫様願望が捨てきれないのです。
社会人になって何人かと付き合いましたが、全員このタイプでした。一円単位まで割り勘です。結婚した今も、家計は完全折半しています。当然ながら家事も完全に折半です。ルームメイトのごとく、本当に何もかも折半です。互いに男のロマン、女のロマンは捨てきれていませんが、それが叶うことはなく、また叶えてあげようという気もおこりません。ケチな二人は一生分かり合えることはないでしょうね。
本当の男女平等って一体何なんでしょう。こんなことなら、経済力と家事能力を依存しあう昭和従来の関係の方が、男女は上手くいくのでしょうか。
このような話をすると、何で結婚したのとよく言われますが、本能に負けたとしか言いようがありません。30手前になると、一生結婚できなかったらどうしようと妙に不安になるものです。多分、相手もそうだったんだと思います。そうでもなきゃ結婚なんてしません。だって結婚ってデメリットばかりなんですもの。
そんなんではいけないと思い、自分を納得させるために結婚はBCP対策などと理屈付けたりもかつてしましたが、何もかも折半で依存し合えない以上、何の対策にもならないことに気づきました。家族でありながらも所詮は赤の他人であり、非情な関係なのです。将来が不安なら貯金して保険にでも入った方が、よっぽどリスクヘッジになるでしょう。
人という漢字は支え合ってできていると金八先生が言っていたと思いますが、支え合うというより、左側が右側の上に乗っかっている形になっているじゃないですか。私たち夫婦はまさにそんな感じです。我こそが左側で、寄り掛かかって自分が得したいと考えているんだと思います。これでは喧嘩になるに決まっていますね。
私は同じ男をいつまでも好きでいることは出来ないことを、何度も恋愛を繰り返してわかっていました。私は交際相手に対する不満がどんどん蓄積してしまうのです。その器は一年半分の大きさしかありません。100%自分の思い通りに動く人間など存在しませんから、必ず器が満タンになり溢れ返る時が来るのです。それがわかっていたからこそ、あきらめて終止符を打ちました。
ちなみに結婚相手とは交際一年半以内に結婚しましたが、器が溢れるのはやはり交際から一年半後でした。面白いことに、ソニータイマーのようにいつもぴったりとその時がやってくるのです。
親や友達や同僚とは長い付き合いができるのに、交際相手にはなぜか不満が蓄積してしまいます。原因は相手ではく私でしょう。結婚そのものに向いてないんでしょうね。でも後悔はしていません。こうなることはわかっていて結婚しました。そのくらい、女の結婚できない恐怖は凄まじいものなのです。
もっと私に強い心があればなぁ…。あるいは生まれるのがあと50年先だったら、もっと未婚率も離婚率も上がって、結婚なんかしなくても平然としていられたかもしれません。
春コミで買った同人誌のいくつかがハズレだった。
10冊買って10冊全部が最高だなんてことはありえないと思っている。
言っちゃ悪いがプロでもなんでもない素人の創作物だ。そういうこともある。というか、そういう事の方が多い。
それを500円、1000円、あるいはもっとの金額を出して買うことを選んだのは自分自身であることもわかっている。
それでも500円あったら安いランチが食べられるし、1000円あったらいろいろできる。
金を払っているんだから私を楽しませろ、とは言わない。同人誌は個人の嗜好の発表会である。
描き手が妄想をかたちにしたものを、買い専の私は金を払って見せてもらっている立場なのだ。
しかし一方で、せっかく金を払ってるのだからその分は楽しみたいと思っている。
今回ハズレだった本は
・表紙こそ好みの絵柄であったが本文はそうでもなかった
・どういう話なのかよくわからなかった
といった具合である。
これをどうやって金額分の元を取るかといえば「よかった探し」をする。
・本文はそうでもなかった=表紙は好みだった
・オチが気に入らない=その直前まではよかった
このように考えるけれど、ネチネチした性格の私は「とかなんとか言ってもハズレはハズレ」という思考は残っている。
その思考をねじ伏せるくらい「ここがよかった」というポイントを羅列していく。
しかし言うほどぽんぽんと出てくるわけがない。出てくるくらい良い本ならそもそもハズレとは言わない。
それでもひねり出すためにどうするかというと、感想を書くのである。
最近は本の奥付に感想用フォームのQRコードを載せているサークルがある。
当然だが「お前の新刊買ったけど表紙に比べて本文が下手!表紙詐欺!」などという内容ではない。
「会場で思わず手に取ってしまうほど素敵な表紙でした!」と書く(この感想がいい感想かどうかは別だ)。
とにかく気に食わない点以外は全部褒める。
絵が好み。線が綺麗。話が上手い。描写が丁寧。タイトル付けが巧み。カラーの色使いが素敵。
ネタがなければ装丁を褒める。PPがかわいい、特殊紙がキャラにぴったり、本文色インクが話の雰囲気にマッチしている、とか。
とにかくほめる。ほめちぎる。目についた要素を全部ほめる。
もちろん自分に嘘はつきたくないので、絵が気に食わないのに「好みの絵柄です!」とは書かない。
感想を書くために目を皿にして長所を探し、実際に文字に起こし、誤字や失礼な言い回しがないかチェックする。
そうすると自分の中で「あれ、この本ハズレじゃなくね?アタリじゃね?」と思えてくる。
時間をかけて感想を書き、送信ボタンを押す頃には、ハズレの本はハズレでなくなっている、ことがある。
最近はTwitterアカウントも奥付に載っているので、鍵付でなければ感想を送ったあとでアカウントを覗きに行く。
すると「感想をもらえた!嬉しい!」とツイートしていることがある。
それを見て「私のようなネチネチした人間が送ったとも知らないで…」とニヤニヤしている。
やあみんなお尻の拭けなかったお(兄|じ)さんだよ。
俺も歳をとったね。うんとった。どれくらいとったかというと母が死んだくらいとった。
そうなんだよ、この前母がなくなったのね。
もともとは姉がいたけどいろいろあって今は一人っ子なのね。
でほらさ、うち一家離散しちゃってんじゃん。
父母姉俺だったけど、
姉はいろいろあっていなくなっているし、その十年後くらいに父母は別居して、
父と実家に残った俺は、けっきょく父が嫌んなってさ、大学卒業してすぐ東京出てそれっきりって感じじゃん。
だけど俺においては両親の連絡先だけは知っててさ。
「だけは」っていうのは文字通り「だけは」でさ。
連絡なんて5年に1度もしなければ、実家に帰る、別居先に会いに行くなんてことも当然なくてさ。
まあ不完全ながらも一家離散しちゃってるわけですよ。
「家族」って形式にもそういうことってあってもおかしくないわけさ、ってのがあってさ。
まあいいや。
でだ、喪主をすることになるわけですね。
ほら、母と父は別居状態だから子である俺がやる流れになるわけですね。
「葬儀」というものは畢竟親族のためにあるんだ、ってな勢いで考えていたわけさ。
ほんとに非情に思えるかもしれないけれど、これはけっこう本心なんだよね。
お金の話しようか。
喪主っつったって単に火葬しておしまいなんて話だったらそこまでお金かからないわけじゃん。
それでいいじゃんって思ったわけですよ、当初は。
俺だってそんな金もってるわけじゃないし、葬儀屋みたいなのいい噂聞かないしさ。
「こっちは一人っ子だし喪主だ」なんて大義名分背負ってるから、
その俺が「そんな大層な葬儀必要なくね」って思ってんだからいいだろって思ったわけですよ。
でもまあ「そうじゃなかったしそいつはちっと浅はかだったかな」って話をするね。
母が死んだ病院ってのはもともと母の勤め先だったんだよね。
これは俺、その場で知ったんだ。
というか彼女がどこで何していたか、出ていったあとの20年くらい詳しい話を俺は知らないんだよね。
で病室片付けたあと遺体を葬儀場の霊安室に運ぶって段になったときに、
忙しい病院だよ。そんな暇ないはずなのにそれだけでも十数人くらいは来てくれたのね。
俺はまったくあったことない人だよ。
でも俺の母のことを思ってきてくれて涙をしているというのを目の当たりにしたときに、
なんか俺は間違っていることをしたんじゃないか、しようと思っていたんじゃないかって気になった。
整理するね。
俺の死生観ってのはこの状況を見ても実のところ全く変わらなかったんだけど、
でも「葬儀」を私物化してた、しようとしていたことは間違っていると思えたんだよね。
その「家族」のいままでなんもしてこなかった「息子」とやらがいきなり現れて、
今ここで見送ってくれている人たちをないがしろにしていいのかなって思ったわけですよ。
「ああこれ俺たしかに喪主なんだけど、これはこの人達の代理でやるべきなんだよな」
とか、もっと言えば
「この人達こそが葬儀運営したいんだろうけど、世間の仕組み上、確定された『喪主』である俺に一任する他ないんだよな」
とか感じたということなんだよね。
「何をすべきか」がわからないからこういう状況になっちゃってんだけど、
でも「これしたらまずいよね」はさすがにわかるんだよね。
たぶんこの場に見送りに来れない人もいただろうし、
遠くからでも葬儀に出たいという人がいるかもしれないだろうし。
いやあったこともない人たちだし、そんなものは憶測でしかないんだけどさ、
でもそれで誰かの、少なくとも母と時間を共有した人の人生を、不容易に傷つけない方向で考えるべきなんだろうね、
って思ったんですよ。
それじゃあ喪主の話するね。
2. 返礼品オプション外す
3. その分通夜ぶるまいはする
4. 葬儀連絡を母の知人にする(98%くらい、俺は全く知らない人たちだ)
1. は一番安いのにした。そこは本質と関係ないと思ったから。
今回はこの場を設けることが重要でありミッションだったからね。
2. は礼を失するという話があるやもしれんけど、
思い出してほしいのは「今まであなたが参加した葬儀で返礼品あったか」
で俺個人としては「そんなこと気にする人いないでしょ」って結論だった。
あとお金の話(大好きなんだ)すると、
「香典平均5000円/1人」って情報を葬儀屋から聞いていて、
その計算すると「香典5000円 - 返礼品2000円 = 3000円」とかになるわけ。
しかも葬儀屋は「返礼品は日持ちするからキャンセルありで補充可能」って感じで、
バンバン持ってこようとするわけ。
どうなるかっていうと会葬者x2000円の出費が変動費で乗ってくるということなんだよね。
これだと費用読めないからさ、なのでやめてくれって話にしたんだよ。
3. は2の逆なのね。これは費用が読めるんだ。
香典はこっちに当てさせてもらうほうが正しいと思ったんだよね。
故人を登場させてもらうって場所なのかなって思うんだよな。
4. これが一番たいへんだったこと。
なのでお前さんがたが喪主をする側か亡くなる側かはしらんけれども、
まじで。
このご時世メーリングリストで一発やんか。
なんで年賀状あさって簡易住所録つくって、
「ちょっと誰呼べばいいか分かる人いませんかー」ってプチ個人情報漏洩しなきゃいかんのじゃ。
とはいえ、これを難儀するのは俺が親不孝だった証明でしかないですね。
という感じで式に臨んだ結果、120人くらい来てくれたわけだ。
前日御見舞きて「花見行こうね」って言ってくれた人を、
この期間中、よくしてくれた母の元同僚の方にも「ほんとうによかった」といってもらえた。
この言葉聞いて、人として危うい選択をするところだったけど、俺は間違わずにすんだかな、と思った。
「自分で自分の尻をふけるような大人になりたい」なんて言ったけどさ、
まだまだ全然拭けないよね。喪主なんて助けてもらってばかりだったよね。
最後に言いたいのはね、こんな俺が言うのもあれなんだけど、
「同僚」や「友達」以上の存在でなければならないってことではないと思うのね。
逆説的に言えば「家族」以上の「同僚」や「友達」がいる形はあっていいんだよね。
それらは比較するべきでなくて、並列に存在して全部大事でいいんだよね。
だから「家族離散」してるからといって「家族の葬儀を簡略化していいってわけじゃない」ってこと。
俺はそれを今回知れたってことを、みんなに教えたかったんだよね。
地獄の釜が開くまで、残り一週間弱と言ったところか。
駅の構内で、大手就活系マスコミの広告をよく見かけるようになった今日この頃。
去年の11月から少しずつ就職活動を始めて、最終面接に辿りついた会社が2社。エントリーは7社くらい。それほど悪い途中経過ではないが、最終面接が終わるまで油断はできない。
自身の本性を覆い隠しながら(嘘を付いたことはない)面接に挑んでいるが、度重なるストレスが尋常ではなく、早くも脳味噌から血が噴き出そうな時分だ。無論、エントリーにしろ面接の場数にしろ、経験が少ないことは自認している。
でも、辛いもんは辛いし、苦しいもんは苦しい。
主観ではあるが社会不適合者濃度75%ほどの私にとって、就職活動はガス室に閉じ込められているようなものだ。
強固な自我を有した学生、人文科学系の学問を極めた果てに社会不適合者になった学生、コミュ障を拗らせた学生、遊び足りないがゆえに社会に出る目的を見出だせない学生。
ひとくくりにできない事情の数々が、人の数だけ存在する。その事情とやらを社会人の練習として、見栄えよく加工し説明するのが就職活動だ。
そうは言うものの、それが難しくて苦労するのが就職活動でもある。文章にしてみると簡単そうに見えるが、現実は非情だ。
そうした世の中の価値観とズレた感性を持ってる学生、この記事に目を通した人がいたら、是非教えてほしい。
支離滅裂とした独り言になってしまったけれど、これを読んでいる就活生は自分自身とどのように折り合いをつけて戦場に繰り出すつもりなのか。
2016秋→http://anond.hatelabo.jp/20161026012850
・銀と金
★★☆☆☆
借金取り立て系
主演俳優の棒具合がやや気になる
・大貧乏
★★☆☆☆
軽めに見れるけどそんなに面白くない
会社の裏金がどうのって内容だけどタッチが軽すぎて合ってないな
★★★★★
今後に期待
・楽園
★★☆☆☆
と思いきや人の記憶が読める超能力とかいう設定が出てきて突然チープに
・嘘の戦争
★★☆☆☆
過去に似たような話が多いので展開予想が容易
☆☆☆☆☆
1話途中で視聴断念
悲劇のヒロインをやるなら主役に超美人を持ってこないと格好がつかない
★★☆☆☆
そのことを仰々しく取り上げすぎてて違和感
★★★★★
息子が就活生で、父親は大企業務めだったがあらぬ疑いからクビになり就活を始める
このまま行くと娘と妻も就活するのかなと思う
★★☆☆☆
・バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~
★★★☆☆
企画内容が面白い、パロディや実際のドラマの名前出されると笑ってしまう
本筋はまだそんなに面白くないが今後に期待
☆☆☆☆☆
途中で視聴断念
周囲の人間は父親を何だと思っているのか、妻の態度に非情に腹が立つ世界観
★★★★★
スピーチライターという職業自体が物珍しく、ストーリーも面白い
今後に期待
もこみち演技上手くなってた
特別枠
★★★★★
他にも見たら追記するかも
誰の目も気にすることなく、自分で自分の人生を生きていると実感することができる。
唯一つ、後悔していることがある。それは、ヤツに全ての貯金を渡したことである。
もし、これからDV野郎と離婚を考えている人がいれば、少しでも参考になれば嬉しい…
という大義と、「とにかく吐き出してしまいたい」という気持ちでもって、ここに私の経験を記したいと思う。
「元夫」と書くことすら抵抗感があるので、恨み辛みが表出していて格好悪いなぁと思いながらも、以降も「ヤツ」と記載させていただく。
ヤツと結婚したのは、私が三十手前で「そろそろ結婚したいな」と思っていた時期だった。
ヤツから猛アプローチがあり、数ヶ月の交際後、結婚するに至った。
当時から、ヤツのことを好きだったのかどうか、正直分からない。「この人と結婚したい」ではなく「いま結婚しとかないと誰ともできないかも」という気持ちが大きかった。
私のそんな気持ちは、態度にも表れていたのかもしれない。
ヤツは結婚後、共働きで仕事後に取り掛かる私の家事について、そのクオリティにいちいち口を出すようになり、私が反論すると、激しい口論となって、挙句手を出されることもあった。
「死ね!」は当たり前、「大した仕事もしてないくせに」だとか「親の人間性もクズ」と言われたこともある。
「暴力」については、殴られたことはない。手首を捻りあげられて骨にヒビが入ったことが二回、首を絞められたことが二回(一度は屋外で締められた)、
髪をひっぱって引きずられることが数回、寝ているところを枕ごと頭を蹴り上げられたことが一回。あと、至近距離で思い切り食器をぶつけられたこともあった。
それらのキッカケは、先述の「家事が未熟である」だとか、「友人と一緒にいた際の俺への態度が気に入らない」といったことであった。
家事については、CookDoの利用を説教されたり、布団カバーを替えた時に窓をあけていなかったことであったり、急な雨で洗濯物を取り込んだ際に投げ入れたことについてであったりした。
あるときは、私の大切な友人数名との食事会で、同席した私の友人発言に対してキレてしまい、急に店を出て、追いかけた私をひっぱってシャツを破き、車道へカバンを投げられたこともあった。
こうして書き出してみると、改めて「どうして我慢していたのだろう」と我ながら思う。
いや、実際には、黙ってただただ我慢していたわけではない。私は元来気が強く口が悪い。
「どうしてそんなことでキレられないといけないの」「私の友達の前でそんな態度しないで」と何度も言い返していた。結果、ヤツからは言葉だけでなく力となって暴力が飛んできたのだ。
次第に私は自信を失っていった。自分をなんて駄目なヤツなんだと思うようになり、常にヤツの顔色を窺い、帰宅するとヤツが早く寝ることをひたすら願いながらやたらとニコニコしていた。
仕事が好きで、その仕事を頑張る自分を、ときには落ち込んだりしながらも「そんなに悪くない」と思い、充実した毎日を送る自立した社会人だったはずなのに。
転機は結婚して数年目に訪れた。商社に勤めるヤツが海外赴任となり、約半年の単身赴任生活を送ることとなったのだ。
最初は、部屋に一人でいることが寂しく、早く会いたいと思っていた。
でも、一ヶ月ほど経つと、自由に友人と会い、自分の生活だけを考えれば良い生活が、
罪悪感がありながらも楽してたまらなくなってきた。
そして数ヶ月が経ち、洗脳がとけるように私はハッと気付いてしまった。
そう、単身赴任中の一時的な気楽さだとか、人と一緒に住む難しさだとか、そんなことではなく、
ただ、ヤツと一緒にいない自分の方が、堂々としていて、思い切り仕事をしていて、自由に意見を発言している。そんな自分の方が好きだと思ったのだ。
そして約束の半年が経過し、ヤツから「予定より一週早く、今日帰れることになったよ☆」とメールが来た日、
家を片付けられていないのに帰ってきてしまう!明日も仕事で朝早いのに帰ってきてしまう!あぁこれからまたあの生活が始まる!!
そういった精神的なプレッシャーをトイレで吐瀉物にしながら、私は決心した。「もう無理だ。別れよう」と。
ヤツが帰国して三日後に、夜ご飯の品数の不十分さについてキレられた際に、私は離婚を切り出した。
「私はあなたにふさわしい奥さんになれない。別れてほしい」と切り出した私に、
ヤツは「納得できない!」と暴れまわり(文字通り暴れまわったので壁に複数の穴があいた)、
散々に詰ってきたが、これまでと違って私が決して折れないと気づくと、泣き落としにかかってきた。
「一緒に暮らすことを楽しみにこの半年頑張ったのに」「必ず変わるから信じてほしい」等々…。
ある日には、夫婦ぐるみで仲良くしていたヤツの友人に囲まれ、「なぜ離婚するのか」と責められたこともあった。
実はこれが一番キツかった。私も、ヤツがきっかけとはいえ、彼らとは友人だと信じていたし、私の話を聞いてくれるのだと思っていたのだ。
そこで初めて、上記の暴力について打ち明けた。人に話すのは初めてで、すごく勇気を出して話した。
ところがその結果は、数時間に渡って「考え直してあげてほしい」「どんなときも支え合うのが夫婦だ」と言われつづけるだけだった。
このときのことは、今も思い出すと辛い。
信じていた友人に責められたことで、自分が物凄く非情な人間で、酷いことをしていると思ったし、誰かに話すと自分が責められるような内容なのだと思わされる出来事だった。
このとき、再度ヤツと話し合うことはした。しかしやはり私の決心は固かった。
そして遂に私はヤツに「二人で貯めた全ての貯金とこの家、それに家具家電も全部要らないから別れてほしい」と話した。
ヤツはかなりの守銭奴で、二十代でかなりの額を貯めており、結婚後も、給与を共通口座に振り込むことが一日でも遅れると激昂していた。
ヤツの貯金や家へのこだわりを感じていた私は、それまでの「貯金の半分はほしい」という主張を取下げ、とにかく離婚を最優先にすることにしたのだ。
ちなみにここまで、ヤツは「そんなに怖がらせていたのなら変わるようにする」とは言っても、暴言や暴力について謝ったことはなかった。
よく「DV野郎は暴力の後急に優しくする時期がある」と聞くが、ヤツの場合は、そもそも自分のやっていることを悪いことなどとは露とも思っておらず、
自分が正しいことを証明するための手段であり、怒らせる私が悪い、これだけ怒らせたら暴力は当然だ、と思っているようだった。
そして、私が金銭や家の要求を取下げたことで、ヤツはようやく離婚に同意した。
私の両親が結婚時に買ってくれた多くの家電もそのままに、結婚時に同一名義にした結婚前の貯金はもちろん、
この数年間に二人で貯めた数百万円のお金全てと引き換えに、私は自由の身となった。
離婚が決定となった頃、ヤツはかなり憔悴していて、愛情は全く無くなってもさすがに可哀想に思う気持ちも少しはあった。
しかし、家を出ようとした際にヤツに言われた一言で私に戦慄が走り、すぐに冷静になった。曰く、
「俺は100点満点を目指してほしかっただけなのに。」
この一言には、私の結婚生活の苦しさや、ヤツの全てが集約されているように思う。
ヤツは最後まで「帰国したら急に離婚と言われて可哀想な俺」と自分の立場を認識していたし、
私への暴力を悪いこととは思っていなかった。
それは、私が100点満点じゃなかったから。未熟な嫁が満点をとれるよう、一生懸命指導してきたら裏切られた、とでもいうような気分なのだろう。
『100点満点』って何だよ。
なんで毎日の生活で満点とらないといけないのか。しかもそれを採点するのは誰なのか。
そうして、自由になった私は、いい歳して実家の両親の援助を受け、どうにか一人暮らしを再スタートしている。
しかし、当初は開放感と喜びでいっぱいだったが、さらに数ヶ月が経過し、生活が落ち着いてくると、だんだんと腹が立ってきた。
なんで私は全財産渡しちまったのか、と。
これは、お金が無い苦しさからだけではない。もちろんそれもあって、欲しいもの買えない!なんて時に「ヤツめー!」と腹が立つこともあるのだが、
お金が一銭ももらえなかったということは、ヤツは私を苦しめていたということを最後まで認めていないのだ。
むしろ「俺は納得していないから、せめてお金はもらう」みたいなことを言っていたので、
これが数十万でも「暴力を受けた分の慰謝料としてもらいます」と受取ることができていれば、また気持ちが違ったかもしれない。
そう思うと、腹が立って腹が立って仕方がなくなってくる。離婚の成立に焦らず専門家に相談すればよかった!と思えてくる。
実際は、金銭で揉めていれば未だ離婚できなかったかもしれないし、
ヤツが逆上して刺されるようなこともあったかもしれない(離婚後、実家を急襲されないかしばらく怯えていた)。
DV野郎との離婚で金銭の要求は期待してはいけない、という話も見た。
それでも、私が「数年に渡って傷つき苦しんだ」という事実が、ないがしろにされているように思い、金銭を諦めたことだけは、今も時おり思い出して後悔することがあるのだ。
冒頭、「少しでも参考になれば」などと書いたが、これは「お金もらわなくて後悔しているから、そこは要求した方がいいですよ」という話として受取ってほしくない。
金銭でこじれてさらに困難な事態に陥る場合もあるかもしれないし、DV野郎とは、とにかく早く離婚することが第一だとは今も思っている。
ただ、「あまりに離婚成立だけを優先し、何の謝罪ももらえないままだと、憎しみを引きずりますよ」とだけは伝えたい。
いや、伝えたいというよりは、吐き出したかった。
読んでくださった方を不快にしていたら大変申し訳ないけれど、こうしてこの場をお借りして吐き出すことで、私の中の黒くて暗い感情の塊が、
少しはトイレに流れていったように感じる。
今は、公私ともに充実し、前より自分を好きになり、毎日を暮らしている。
私が抱えたままだった後悔は、友人(と思っていた人)を数人失ったことや戸籍にバツ印がついたことなんかじゃなく、
ヤツに怯えたままだったせいできちんとした謝罪を要求できなかったこと。
あのとき、理不尽な目に遭いながら主張できなかった自分を悔いている。でも、あのときはそれが最良の方法だったと分かっている。
悔しさは消えないけれど、「どうせなら謝らせたかったぜコンチクショウ!」と思えるくらい、
心が元気になったと信じて、また一歩前に進みたい。
余談だが、離婚後、暴力について他の友人に話した際、息を呑んで「殺してやりたい…」と言ってくれた人もいた。
というか、上記の友人数名以外は、皆一様に、こういったリアクションだった。
もし今悩んでいて、打ち明けた相手に「それでも簡単に別れたら駄目だよ」なんて言われた人がいたら、
たとえどんな場面でどんな理由があったとしても、暴力などという手段で自分の主張を通そうとする人間のことは、全力で捨ててほしい。
先週からぼんやり考えてきたんだけど、結局、お金の悪いところは消えないってとこだよなあ。
誰かの手にあるお金は経済的な活動を通して他者の手元に移動する。個人の感覚では「手元から消える」けれど、お金側に立った視点で見れば、消えない。移動しただけだ。世界にあるお金はどんどん旅をして(移動を繰り返し)、消えたりしない。それどころか信用創造で増えたりする。それが20世紀の経済発展の原動力になってきたのは確かなんだけれど、コントロールするという視点に立つと、消えない、不死である、不滅であるってのはすごく厄介だ。
自然界にあるものは何でも時間が立つと消えていく。放射能だって、老人だって、消えていく。だから「問題が起きたら耐えて時間経過を待つ」って戦略が取れるし、多分これって生物生存の基本戦略なんだと思う。お金は、そこの「消える」ってシステムが基本構造に組み込まれてないので、災害が起きると手がつけられない。消すためには誰かが買い取って(まあ国だよね)燃やすしか無いわけだけど、それって非情にコストが高い&即時性がないわけで、制御手段としてはいまひとつだよなあ。
100年後の世界は「死ぬお金」で社会が運営されてるんじゃないかなあ。
追記:バブルの崩壊を、「生態系を破壊するほどに増殖したお金が適正規模を回復するために行う自死行為」って見立てる研究って、誰かやってるんじゃないかな。
なんかおもったよりもいっぱい読んでもらえてありがとうございます。
こんなに星貰ったの初めてなのでお前ら愛してる。というのを話の枕にしつつ、コメント読んでもなんだか方向性が錯綜しまくっているので(それはもちろんむしゃくしゃしてわかりにくい文章を書いたこちらに責任がある)、話を整理する意味で、もう一度同じことを書き直すよ。
1)子育てにかかるお金を見積もり、『だから』子供を産めないのだ、という言論に違和感をおぼえる。
2)見積もった金額は『常識』を強調している。『常識的に』これくらい金額がかかる。『世間並みは』としてこういう教育やライフスタイルが必要だ、という発想。そしてそれは不可避であると主張する。
2b)また日本の現在を憂うという態度で「この国ではいまそうなんだから理解しろ」「それぞれの家庭において合理的判断をすれば子供は無理だとわかる」などという形で2の追認、補強が行われる。
3)しかし、世間にはその金額を下回る教育投資環境に家庭は存在する。2の主張は、そういった環境の家への無意識な抑圧として機能していないだろうか? また結果として2の主張する金額を満たせない全ての家庭に対する攻撃として機能していないだろうか?
4)2の主張をする人は、自らの判断を守るために(というか判断が正しかったという自意識を守るため)、その判断に従わない人たち(すなわち、2の判断よりも低所得であるにも関わらず子供を生むという判断をしたひとたち)を「子供に対する虐待である」と叩くような主張を行うことがある。
4b)テレビにおける「子沢山家族」系のコンテンツに対する嘲笑混じりのスタイルも精神的には4の系譜だと思える。
5)2の主張における『常識』『世間並みは』という感覚は、いまの日本の文化を前提にしている(たとえば、大学まで行かせるのは常識だろ、など)。しかし、その『いまの日本の文化』そのものは、全く所与ではない。意識的にせよ無意識的にせよ、日本人がそういう判断をしていまのような文化を作っただけであって、他の文化であってはいけない理由は特にない。たとえば大学を高度化しつつ卒業を難しくする、大学を諦めて就労訓練を志せるような機関を設ける、といった文化や制度づくりは可能だし、そういう国もある。いずれにせよ、いまこの瞬間の日本の文化や価値観というのは、精々が前後10年程度のもので永続していたわけではないという点について留意するべきだ。
6)5における日本の文化というのはなにも上から与えられたものではなく、常識ですらなく風潮で、その風潮を作った責任は、議論に参加している人々すべて(=この場合世間に参加、つまり国民すべて)にある。
7)6を前置すれば、いまの日本の文化を無批判に全肯定した上で『常識』『世間並みは』と言い放つことによって3のようなプレッシャーを外部に振りまくのは、非情に無責任かつ無思慮な態度ではないか? そういう文化を作った上で、文化からそれる人間を叩くのは魔女狩り的態度なのでは?
8)もちろん個人あるいは各家庭が自分の事情(例えば経済的なこと)を考慮して子供を作る作らないというのは全く自由である。その自由は最大限保護されるべきだ。
9)しかし、その自由、つまり「各々の判断で子供を作るか作らないか自由に決める」ということと、「今の日本の状況で子供を作らないのは合理的なのだ、俺達は間違っていないと周囲に喧伝して回る事によって、その方向に文化を醸成する」というのは、全く違うことだ【この部分が記事の中心論旨】。
9b)自分の判断(この場合、経済的な事情で子供を産まないなんて当たり前だ、という態度)を自己弁護するために、このような主張(2b)を無意識にするのだと思うが、結局下流叩きエンタテイメント(4b)と合流している状況に見て取れる。
9c)こうして説明しても「だからといって俺たち個人にはなにも出来ない。だから子供を産まない。それは間違ってない!」というコメントがあふれると思うけれど、「そういう判断をする」というのと「その判断をコメント(周知)すること」は違う、というのがこの記事の内容だ。つまり、件のブログ記事というのは、「こんだけお金がかかるので私は産まない!(という自己弁護)」あるいは「こんだけお金がかかるのに私は産む!(という自虐風自慢)」のどちらかなのではないのか? というか、そうとしかあれないのではないか?
10)もちろん少子化の背景として、先進国の宿痾的な問題や、経済的な問題は事実としてあるだろうけれど、それ以上にみんなが「子供を作って育てるハードルをどんどん上げる監視社会」をつくってるのじゃないのか? 「完璧な母親でないと失格である」というような幻想に苛まれてノイローゼになる女性と一緒で、自分たちで自分たち自身の社会を追い詰めてるんじゃないのか?
11)――という状況を圧縮して「違和感がある」と前回の記事を書きました。対比すれば今回のは整理されてるけれどおおよそ同じ論旨なのがわかると思います。昼ごはんは牛丼でした。
夏休みは最悪だった。
行動すれば何か変わると思ってた。人生が好転する出来事に出会えるんじゃないかと思った。漫画的なドラマチックな幸運が訪れるんじゃないかと思っていた。
ベリーハードの人生を生きているキモイ顔と肌の恋愛負け組灰色の青春無気力アトピーゾンビに転機が訪れることはなかった。
海に行った。
半袖半ズボンで行った。水着はアトピーゾンビウイルスの汚さがさらされるのでやめた。
恵まれた健常者たちが楽しそうに人生を楽しんでいた。容姿に優れた女のほうが露出が多いのが面白かった。
アトピーゾンビウイルスの汚い肌に潮風が染みて痛かった。同い年くらいの健常者男女が楽しそうに砂浜を歩いていた。
ギャル男みたいな人たちから嘲笑を受けた。二十代女たちの笑いの対象にされた。
アトピーゾンビは友達も恋人もいたことがない。海で対称的な人生を見せられた。行かなきゃよかった。
プールに行った。
友達や家族や恋人と一緒の人が多かった。アトピーゾンビは汚い容姿と肌なので服を着て徘徊した。
アトピーゾンビの人生がいかに悲惨で不幸でつまらないでごみなのか再認識できた。よかったよかtった。
一人でプールに行っても何もいいことない。ナンパできるほど容姿に優れていれば違ったのだろうが。結局容姿がすべてなんだなと思った。
あーいやなこと思い出した。アトピーゾンビウイルス治療の影響で眉毛がなくなったんだけど、それを恵まれた他人の健常者中学生が馬鹿にしてきたのだ。まゆげねーwwwwうけるwwwwゲラゲラって感じだ。まあいいや。行かなきゃよかった。いやな思いでが増えただけだった。
夏祭りに行った。
浴衣姿の女の子が沢山いた。一生こういう女の子たちと関われることはないんだろうなだってキモイアトピーゾンビだから。と思った。
カップルも多かった。一緒にたこ焼き食べてたり祭りの外で雑談してた。楽しそうだった。アトピーゾンビの人生には一生ないイベントなんだろうなと思った。
同い年くらいの男女六人組が楽しそうにしてた。見下されそうでびくびくして下を見て早足で横を通り過ぎてすぐ祭り会場の隅っこに隠れた。
アトピーゾンビの人生には起きないイベントを当たり前のようにこなしてていいなーと思った。
あのなかで片思いや両想いの人がいるんだろうな。ドキドキして楽しいんだろうな。
青春を謳歌しているな。あのグループは容姿に優れたひとばかりだから人生楽しくて仕方ないんだろうな。
アトピーゾンビも容姿に優れていたらあの輪の中に入れたんだろうな。
その思い出が生きる活力になるんだろうな。アトピーゾンビの人生つまんないな。
生まれてきたのが間違いだったな。虐待もいじめもアトピーゾンビウイルスもなければ楽しい人生だったんだろうな。
健常者のサンドバックとして生まれてきたんだろうな。日本で一番不幸なアトピーゾンビにはいつになったら楽しいイベントが起きるんだろうな。と思った。
花火を見た
糞田舎の花火を見た。糞田舎らしく、何の感動もないつまらない花火だった。
ぼーっと何も考えずに眺めていた。周りの健常者は楽しそうにしていた。
どんな花火でもまともな家族や容姿の優れた友達や恋人とみれば美しい思い出になるのだろう。
ただつまらない思い出が増えただけだった。みなきゃよかった。
ギターを買ってみた
ギター教室に行くという選択肢も脳内にあったが、キモイ肌とでかい頭と一重と腫れぼったい唇とでかい鼻と、がさついてる顔のアトピーゾンビがギター教室に行っても、「その顔でギターwww鏡見ろよ不細工wwなんか肌キモイしwww近づくなよばい菌ww」と講師や生徒に笑われるだけだろうから辞めた。
教則本についてきたDVDをみた。顔は隠れていたが、容姿が優れてそうな人がギターを弾いていた。
二週間くらい毎日練習していたが、何が楽しいのが全く分からなかったからギターを投げ捨てた。
そもそも音楽の素養がゼロで音楽に全く興味がないことに気付いた。バンドの仕組みのことも何も知らない。有名なバンドもギタリストも知らない。
容姿が優れていて虐待もいじめもなければ友達とバンドを組んで楽しい時間を過ごせていたのだろう。
友達ができたことがないから音楽の知識がない。友達と好きな音楽の話をするような時間を持ったことがないから、人生が貧困である。
ギターなんて買わなきゃよかった。金と時間をどぶに捨てた。最悪である。
ボカロ曲を作る
初音ミクでボーカロイド曲を作って愚民どもにちやほやされようと思った。適当に既存の曲を歌わせてみた。パラメーターをいじってみた。飽きた。
そもそもオリジナル曲を作れるだけの能力がなかった。曲を作る熱意もなかった。
音楽の素養がはぐくまれる恵まれた家庭環境に生まれてきたかった。
アトピーゾンビの家にはCDが一枚もない。あるのはテレビだけ。漫画も本も雑誌もない。
そんな家のアトピーゾンビであり、人生経験に乏しい灰色の青春持ち恋愛負け組不細工愛着障害のゾンビがいい曲を作れるわけないのであった。
いい曲を作るには豊富な人生経験が必要だ。アトピーゾンビにはそれがない。
ペンタブを買って絵を描いた
ペンタブと一緒に入門書を買って数週間練習した。けど、絵を描くことの何が楽しいのかわからなかった。
今まで生きてきてまともに絵を描いたことなどなかった。一緒に画力を高めあう友達がいたこともないし、イラストレーターの名前も全く知らない。絵に興味を持ったことがない。賞をもらったこともなかった。
そして、アトピーゾンビは絵を描きたいのではなく、他人からちやほやされて承認欲求を満たしたいだけだと気付いた。
ペンタブがごみになった。買わなきゃよかった。金と時間を無駄にした。最悪である。
小説を書いた
漫画を描きたかったが、絵が描けないから漫画かけないし、しかたないから文字だけで自己表現できる小説を書くことにした。
ラノベのようなご都合主義ハーレムストーリーを書いたり、鬱屈した性格がねじ曲がった少年の孤独なニヒルストーリを書いたり、異世界物を書いたりした。全部短編だ。
しかし、どんな小説を書いても現実は何も変わらないことに気付いた。文章力がないし、ストーリ構成も稚拙でつまらない。やはり才能がないのだろう。
売れれば億万長者になれるようだが、本を一冊書くだけの能力も熱量も持ち合わせていないから無理だ。
梅原のような格ゲーのプロになれば億万長者だし、人から尊敬もされるしで最高の職業だと思った。
遊びが仕事になるとか最高だなと思った。ネットで格ゲーがうまい人が集まっているゲーセンに行った。
後ろからこっそりうまい人のプレイを見ていた。アトピーゾンビでも出来るんじゃね?と思った。
所詮ゲームだし、こいつらよりアトピーゾンビのほうが若いから技術の習得も早いだろうと思った。
なんで、対人プレイはまだ早いと思いCPUと戦った。操作方法がよくわからなかったから、適当にガチャガチャやったら負けた。次に操作を覚えながら戦ったら負けた。まったく歯が立たなかった。後ろから笑い声や嘲笑が聞こえた。
まるでアトピーゾンビの人生みたいだなと思った。負けに負けて何も得られない。嫌な思い出が脳に積み込まれていくだけ。
思えば、小学生の時、友達のふりをしたいじめ加害者の家で対戦ゲームをやらされたとき、いつも負けていたのを思い出した。
お前w何にもできないんだなw笑えるwと言われたのを思い出した。
ゲームの才能が皆無だということを思い出した。そもそもゲーム自体ほとんどやってこなかったからおそらく好きじゃないのだろう。好きではないものを仕事にするのは人生の浪費だ。やーめた。時間と金の無駄だった。
ライブを見に行った
CDで聞くよりもドラムやベースが目立ってて音がでかくてかっこよかった。
ライブに出る人は容姿に優れている人が多かった。とくにボーカルは。汚い顔と肌のアトピーゾンビがライブに出たら歓声ではなく悲鳴が聞こえるだろうなと思った。
観客は健常者がほとんどだった。健常者同士で楽しそうにライブに参加していた。カップルも多かった。
グルグル回るやつとかモッシュとかやってみたいと思ったが、きもいアトピーゾンビが健常者の近くにいると気持ち悪がられるので後ろのほうで一人で遠くから見ていた。
アトピーゾンビが健常者だったらなーと思いながら指をくわえながら観客を見ていた。
タイに行った
日本より閉塞感が無くて良かった。容姿に優れた人が少なかったので気が楽だった。町の人も緩い感じというかいい意味での適当さがあって居心地がよかった。でも、一人で行っても楽しくなかった。
容姿に優れた友達や恋人と一緒に行かないと海外旅行はつまらないなと思った。
あと、タイにも美醜格差があって、容姿の優れたもののほうが楽しそうに生きていた。
健常者ランドという名の惑星地球では美醜によって幸福度が変わるということを確信した旅行だった。
秋葉原に行った
もっと萌え萌えしてる場所だと思っていたけど、思ったより電気街っぽかった。
容姿に優れた女が容姿に優れた健常者が店員の店のチラシを配っていた。容姿に優れた男がナンパをしていた。ナンパは容姿に優れたものしかできない。キモイ顔でキモイ肌の非健常者で虐待といじめを十数年受け続けた精神疾患障害アトピーゾンビにはできないことだ。死ぬまで一生。
アキバには友達や恋人と一緒の人がたくさんいていやな気持ちになった。電車男のようなイベントはなかった。
メイド喫茶に行こうとしたが、
行かなきゃよかった。
田舎に行った
田舎の夏にあこがれがあった。沢山の緑と青い空。美しい蝉の声。白いワンピースに麦わら帽をかぶった少女。
古びた駅。川遊び。虫取り。そんな美しいものを沢山思い描いて田舎に行った。
現実では、じじばばばっかりで若い人が全然いないし、白ワンピの少女はいないし、蝉の声はうるせーし、川ねーし、駅は薄汚れてて汚いし、日陰がぜんぜんないから暑いし、なんにも娯楽施設がないからつまんねーし、自販機すらまともに無いから喉が渇くし、最悪であった。
虫取りしてみれば、蚊が沢山飛んでるし、蜘蛛の巣には引っかかるし、カブトムシはいないしで最悪であった。
カラオケに行った
ヒトカラをした。友達や恋人とワイワイやったら楽しいんだろうなと思った。もう行かない。
瞑想をした
アトピーゾンビウイルスの痒みでまともに瞑想ができた気がしないが一応手順どおりにやった。
瞑想中は虐待や虐めの記憶や、一生完治することがないアトピーゾンビの醜く赤黒い顔やカサカサの気持ち悪い肌が映像として出てきたり、灰色の青春持ちであるキモイごみアトピーゾンビとは対照的な明るく楽しい学生生活の映像が出てきた。
友達がいていじめも虐待もなくて容姿が優れていて彼女がいて勉強や運動するときにアトピーゾンビウイルスに邪魔されないで楽しく取り組める人生が映像として流れてきた。
一週間ほど続けたが、ただ苦痛なだけで何がいいのかわからなかった。やらなきゃよかった。
筋トレをした
これは今でも続けている。なぜなら自殺して死体になったときに体が軽いほうが運ぶ人の負担が少なくて済むからだ。筋肉がついてなんか変わったかというと特に変わらん。まぁそんなもんだろうな。
結局どこに行っても容姿に優れた美男美女が人生を楽しんでいる姿を見せられただけだった。
結局、容姿に優れている健常者のための世界なんだなここはと思った。
やらずに後悔よりやって後悔という言葉は恵まれた健常者なんだなと思った。
非健常者であるアトピーゾンビは行動なんてしなければよかった。苦しい記憶が増えただけだった。身の程をわきまえるべきだった。分相応の生活というのをすべきだった。
恵まれた健常者学生は夏休みには二度と戻ってこない青春時間を目いっぱい楽しんでいるのだろう。
それが生きる活力になるのだろう。そして成人しても仕事もうまくいって老人になっても穏やかでいられるのだろう。
一方、非健常者であるアトピーゾンビは両親からの虐待と同級生からのいじめを数十年受け続け、何もいいことがないから人生に。だから無気力になる。灰色の青春持ちで、仕事もやる気が出ず、首になる。
そして、人生に恵まれてきた健常者が言葉の金属バットでアトピーゾンビをぼこぼこにたたく。
健常者恵まれた人は甘えだの努力が足りないだの言ってくる。健常者より努力してるっつーの。やってらんね。くだらない人生が確定してる。健常者に負ける人生が確定してる。アトピーゾンビウイルス治療の努力は報われない。評価もされない。スキルもたまらない。生きてるのがばかばかしい。
推敲しないで書きなぐったからおかしいところたくさんあると思う。まぁいいや。
何も得られるものがなかったいろいろ行動したけど。無駄な時間と金を使った。
とにかく最悪な夏休みだった。
終わり!!!
どんな形でも負の側面を指摘されたら「差別」を使えば良い、自分の望まない形の持ちあげられ方をしたら今回のように「感動ポルノ」を使えば良い、例の番組はどっちも障害者を消費してるだけにすぎないけど、こうして両方が武器を提供したというわけだ。
それらをこうしてうまく使い分けて自分を自分が望む形の上位に置けば生涯安泰…と思いたいが、結局それが出来るのは「健常な精神」を持った障害者だけなのだという事実が横たわる。障害にも当然格差がある、どこが鈍くどこが使えないのか、その結果としてのそれぞれの「能力差」による印象と扱いの差についてはもはや言うまでもない。
あるいは世の中が変に利口になって「公平」にひた走って非情にも「ただのハンディ持ちの劣った人間」にされてしまう危惧もあるがそちらに関してはまずなさそうだから、不安にならなくても済みそうである。
ドハマリし、Twitter等で様々な情報をかき集めた後に、先日2回目の上映に参加。
未見で、今後ネタバレ無しで楽しみたい方はご注意。
タイトルにある通り、矢口と赤坂が立川広域防災基地の屋上にて、
ゴジラへの多国籍軍による熱核兵器攻撃を政府が認可したことを話すシーンについて、
非常に細やかな演技があったように感じた。
屋上にて、赤坂が矢口に政府による熱核兵器の認可を伝えたとき、
ゴジラ凍結作戦(通称ヤシオリ作戦)を進めている矢口は強い口調で反論する。
一方、対比するように赤坂は冷静な口調で熱核兵器攻撃の必要性、
そしてゴジラ(赤坂の言葉では『巨大不明生物』だが)滅殺後の日本の復活まで考えることの必要性を説く。
このとき、赤坂は「巨大不明生物駆逐後の日本のことまで考えることが我々の仕事だ」と言い切るときは矢口の目をまっすぐに見ているが、
熱核兵器の必要性について述べるときは矢口と目線を合わせていないのである。
直前のシーンでは、里見総理大臣代理から熱核兵器攻撃認可の旨を、
目を見据え、身を乗り出しながら聞いていたのにもかかわらず、だ。
他の場面でも、赤坂は他人と話すときはしっかりと目を見て話す人間である。
それにより、このシーンの、目線を下に逸らしながらの会話が強烈に印象に残った。
考えられる理由はただ一つであろう。
赤坂は日本の政治家として冷静かつ現実的な選択、すなわち熱核兵器の使用を推進する一方で、
一見淡々と、見方によっては非情に物事を進めているように見えてしまう赤坂だが、
それを如実に表現したシーンであったように感じる。
その後、里見総理大臣代理に対する「総理、そろそろ好きになされては如何ですか」という進言に繋がるのである。
以上、他に多くの方がお気づきかもしれないが、
自分が2回目の観賞の中で最も気に入っているシーンの紹介であった。
またいずれ、3回目の計画を立てようと思う。
備考: