はてなキーワード: 非情とは
Twitterに書いてるとTLにネタバレを延々垂れ流すことになりそうだからこっちで。
・そもそも冒頭なんで爆発したんだろう。第一形態から第二形態に進化するために必要だったのかな。トンネルに落ちてきたのは体液だよね?
・第二形態の移動にともなって呑川から溢れた水が住宅街に向かいそれから逃げる人。押し寄せる船。一度海に戻ったあとの瓦礫の表現はかなりリアルだった。
考えてみれば3.11で本物を見せつけられ今でもYouTubeでちょっと検索すればいくらでも見られるんだからあそこまでやらないとしょぼくなるよね。
・一回目は気にならなかったけど閣議の欠席者がもろ伏線だったのね。
・里見さんが安保理の決定に従うと言ったあとの「東京に核を使うことを容認することも?」(うろ覚え)のときの竹野内豊の演技というか表情はもうね…俺の中ではこの映画イチ!
あれがあるからあの後の矢口とのやりとりで赤坂の言い方は非情にも思えるけど本当の気持は違うというのが感じられてグッと来る。
そして「そろそろ好きになさったらどうですか?」につながるのかなと。
・モノレールのとこでの矢口とカヨコのやりとりの後の原爆落とされた後の写真の挿入は必要だったのかな…?
・ラストシーンの解釈。一回目見たときは続編を匂わすのかなと思った。二回目見たあとはギリギリで世界の終わりを食い止めた表現だったのかなと。
・スタッフロールで「特殊建機小隊エンブレムデザイン 出渕裕」とあったんだけどどんなエンブレムだったっけ?もう一回見なきゃいかんか…。
医者に正確に診断してもらった方がいい。
完全に病気だよ、お前のせいじゃない。お前は悪くない。お前の頭の中が悪い。
これは勿論、お前の為に言ってるんじゃない。
お前みたいな無意識に悪意をばら撒きやすい人間に振り回される旦那、
何より息子の人生の為にきちんと自分の身に起きてる病気と向き合った方がいい。
友人や他人ならお前がヤバイなと思ったら簡単に縁も切れるが、家族はそうはいかないんだよ。
お前みたいなのが親でも子どもは親を選べないんだよ。
病名つけられたらそれにあぐらをかくんじゃないかという心配があるみたいだが、安心しろ。
お前はすでにこれまでの現状を、これが自分だし仕方ないよね?と都合よく勝手に解釈している。
その証拠にこれまで何十年と生きてきて、いくらでも自分を省みて改善する機会があったにもかかわらず
依然としてお前は自分の中のクズを本気でどうにかしようとは思っていない。
本来ならお前が子供のうちに、お前の親がすぐに教育するなり医者に相談するなりして早めに手を打つべきだったんだろう。
そういう意味では大人になる前にお前の頭をなんとか出来なかったのは、確かにお前の親にも責任はある。
人に迷惑をかけると相手は不愉快になり嫌悪感を抱き離れていくということ、
それは友人だけでなく、旦那や子どももそうなり得るということを自覚しろ。
もしそれがお前にとって嫌なことで、なんとかしたいと思うなら
病院に行ってくれ。
ここまで散々、見ず知らずのお前に好き勝手言ったが、最後の最後にフォローを入れさせてくれ。
多分お前は創作の才能がある。小説・漫画・絵画・音楽なんでもいい、もし興味があるなら創作の道に進んでみたらどうだろう。
ざっとお前の書いた文章を読んだが、作文能力は高いし語彙・文法など見ても知能は高そうな印象がある。
突き詰めたら一生ものの武器になるかもしれんぞ。目指せ第二の蛭子能収。
他人の苦しみに対して鈍感で共感力に乏しいから、例えば従業員に対して非情な決断も躊躇わず下すんだそうだ。
クズを逆手にとって健やかに生きてください。
あなたが休職をすることで、周りの人たちに仕事のしわ寄せがいった。
恨み言を言うような人間はいないが、それはその状況を仕事として受け入れただけであり、あなたの休職を是としたわけではない。
あなたを許している人などいない。
あなたが復職をすることで、必要以上にあなたに気を使わなければならなくなった。
言葉には気を使わなければならないし、重い仕事を振ることは避けなければならない。
あなたが精神的に弱いと主張するならば、あなたの行動は全く理解できない。
あなたは本当に傷つき、休まざるを得なかったのかもしれない。
それでも休んだときに他人に迷惑をかけ、復帰したときにも他人に心労をかけている事実は変わらない。
その自覚があるのなら、なぜ"精神的に弱い"あなたはそんなにも平然と過ごしているのだろう。
私達はあなたが休職したことで仕事が増え、そして復職したあなたに気を使い、消耗していく。
そして今後、あなたに重要な仕事を振ることはない。どうせ途中でまた休職してしまうのだから。
あなたが精神的に弱いわけじゃないのなら、環境が本当に悪いのだろう。
だけれどあなたは精神的に弱いから耐えられない、こんな私を社会が認めてくれないと言う。
ところで図々しく休み、図々しく復帰し、図々しく生きているあなたの精神のどこが弱いのだろうか?
教えて欲しい。そして退職して欲しい。あるいは、消えて欲しい。
私は精神病を否定するつもりもなければ、根性論を唱えるつもりもない。
自分で"精神が弱い"と主張しながら、このような強い精神を持たなければ耐えられないような行動を起こすあなたに問いたいのだ。
[追記]
結局自分も休職をしたいほど消耗しているが、その勇気すらなかったことから来る疎ましさが自分の中にあるのだと気付いたので、そろそろ病院へ行こうと思う。
私個人としては普通に接しているつもりであるが、それでも"私のせいで休職します"などと言われたらどうしようかなどと考えている間は、ブコメにあるように私が精神病なのだろう。
色々な意見はあったが、特に"休職は復職を前提とし、復職を否定するものではない"という制度を説明しただけの当たり前の言葉がとても考えさせられた。
まさにその通りで、当人は休職期間で無事治療を終えたから復職できたのだろう。
治療を終えたとはいえ、以前と同じような仕事の振り方であるとか、気を使わずに接するだとか、そういった行為は今後も不可能であろうが、私のような考えの元に"気を使っている"などと主張するのは明らかにおかしい行為なのだと気付いた。
ただひとつだけ、"精神的に弱い"は私の主観でも客観的な感想でもなく、休職した理由として今もなお盛大に本人自身が主張しているために引いた表現である。
読み返すと特にタイトルからその意図が消失していたため修正しておく。
新) 精神的に弱いために対人的な精神病になったと自ら主張し、それを理由に休職する人へ
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進展があったので、補足も兼ねて再度追記をする。
また追記は下部に書いた方が良いという方々がいたため、移動させた。
まず補足から。
そもそも休職した人とは同じチームではなかった上、自席から見える程度の位置関係であったけれど、特別仲が良いというわけでも悪いというわけでもなかったと思う。
それが当人の復職後、私の元々所属していたチームに異動してきたことにより、現在は一緒に働く形となっている。
私の職業はとある専門職に分類され、私と当人はたまたま同じ領域であり、当人が休職中の間は私がそのチームの業務の一部を請け負っていた。
当人休職を受けた会社の対応として、上記の仕事の割り振りに加え、休職直後より増員のため採用強化を行っている。ただそう簡単に見つかる人材枠ではなく、当人の復職直前に一人採用が決まった。ただその人はまだ入社時期となっていない。
"当人を潰したのはお前ではないか"といった意見があったので言い訳がてら書かせてもらうと、元より潰せるほど大した交流をしていない。
当人が体調不良で休んだ時に運悪く緊急対応が発生し、私が処理をしなければならないこともあった。特に恨みなども抱いていない。
その逆はなかった。というのも単に私がまだ体調不良で欠勤したことがなく、長期休みも皆が同じ日程で取る企業であるからというだけである。
もし私が体調不良になっていたら、ヘルプをお願いしていた可能性は否定できない。自覚をしたことはなかったが、私自身、その点に関してはある種の安心感を抱いていたのかもしれない。
"発言に気を使うのは当然ではないか"という意見があった。当たり前であるが、必要以上に気を使うのだ。
同僚が有給を使って1週間の休みを取っていたため、"いいですね。お土産買ってきてください"と今までは当たり前のように言っていた一言を発した途端、当人が隣で泣き始め早退してしまった。
軽はずみな発言なのだろうか。確かに当人にとっては嫌味かもしれないが、そこまで制限しないといけないのだろうか。もう良く分からない
(それはそれで非情なのかもしれないが) 復職当初は同情も恨みも何も抱いていなかった。
休職中に発生した事案の説明や引き継ぎを行うため、当人にミーティングを申請したところ、"まだ精神的に弱くて仕事をする気分にはなれない"という言葉が返ってきてから少しずつ嫌悪感が増したのだと思う。
最近ではよく遅刻をしてくるが、"精神的に弱くて不安で眠れないんですよね"などと枕詞のように"精神的に弱い"という言葉が入る。
ここまで来ると"精神が弱い"は本人の口癖なだけなのかもしれない。またそんな人は他にそうそう居ないのかもしれない。
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病院からは休職をするように言われた。無理でないなら会社と面談を行っても良いとの話だった。
要約すると、
"休職・復職の支援をすることが会社の責務であり、辞めさせることは不可能であるし、企業としては間違った行為であるためするつもりはない"
"ただし当人が十分な業務を遂行できない旨は把握しており、査定への反映や別チームへの異動が決定している"
"当人が '私にならできる' と休職時にチームメンバーへ言い残したため、プロジェクトの調整を行ってもなおどうしても外せなかったいくつかの仕事をお願いした"
といった話であった。
面談によって、当人が休職中の間、私がそのチームの業務の一部を請け負う形となった理由がわかった。
ただ要約の結果、当人に非があるように見える書き方になってはいるが、その意はなく、人員不足が影響していることは分かっている。
無視をすればいいという人達もいるが職種的に厳しいものがあり、会社が辞めさせられないという現状も理解はしている。
誰でもできる仕事であれば適当に人を増やせば事足りるが、それもできない。
"退職してしまったらもっと仕事が増えると気づかないのか"という発言があったが、その人がいることで生産性が下がり、業務に関係のない仕事や仕事ではない労力が増えるという経験をしたことがないのだろうか。
当人の生産性は目に見えて落ちている。今までやっていたはずの仕事をお願いしようものならその日は15時頃に"体調不良のため早退します"と言われる。必要以上に発言に気を使いながら、当人の面倒を見なければならない。
数ヶ月なら我慢できるかもしれないが、今後当人が存在する限り継続して続く現実が耐えられない。とはいえ会社を信じるならその現実は避けられるようだが、それでもやはり疑問が残っている。
"同情をすればいいのか、何もなかったように接すればいいのか、本当に分からない。本当に働いている人達はどうやって過ごしているのだろうか。何か正解はあるのだろうか。"
もちろん、それを受け入れてあげている理解のある自分を演出したい人間もいるだろうが、
LGBTにしろ、障害もちにしろ、個人の幸福を尊重する傾向にある。
男性は自身の価値観を省みる人間は想像以上に少なく、価値観の中で異端とされている対象には非情な態度であることも珍しくない。
一方、女性の方が仲間に対してとても厳しい。
察する能力が男性以上に要求され、仲間の秩序を保つことを非常に重要視する。
そのため、弱者を受けいれはするものの、減点方式で人物評価をしていき、
その点、男性は突出した長所を持つモノを他の面は度外視して評価できる傾向にある。
おおまかな傾向としてこういった特色があるように思える。
好かれる、気に入られる事は大事だと思う。
でも、目的ではないはずだよね。
好かれる為にやってるわけじゃないんじゃない?
気に入られる為にやってるわけじゃないんじゃない?
だから、気に入らなければ仕方ないよね。
好きじゃなければ仕方ないよね。
媚を売ってまでやりたくはないっ!
ようは何の為に今、ここでやってるかじゃない?
芯がブレちゃいけないと思う。
何でもありなわけでもないし・・・
オレらはシッカリと
当然、オレらは売れる為にやってる。
続けられればいいわけじゃない。
売れなければ何の意味もない。
オレらはそういう意識の中でやってる。
売れなければそりゃ終わるよね。
売れるという目的。
終わるという覚悟。
常に頭の中にはそれがある。
変わらない変化をし続ける。
変わらない変化が大事になると俺は思う。 <h3>o- *</h3>
ケミカリが凄いとは思はない。 <h3>o- ***が売れてるとは思わない。</h3>
あとは運だと思う。
運を掴んだ時にその運を活かす為の今なんだ。
努力せずに掴んだ運は
その運を活かす事はできない。 <h3>o- *</h3>
努力は裏切らない。
努力もしてない奴が、悔しがるなっ!
そして・・・
今も鮮明にある。
笑ってた俺が・・・
今はきっと笑われる方になってるんだろうな。
三略(さんりゃく)
乱源(らんげん)
自分より優れたるものを自分の周りに置きし者ここに眠る。カーネギー
現代の世の組織には、学閥、派閥などがあり、お互いに共通点のある者で組織内に組織のようなものを作るときがある。
お互いに共通点のある者が親しむこと、それ自体は何も悪いことでなく、自然なことである。
しかし、これはあくまでプライベートで行われるべきことであり、人事や職務に影響させてはならない。乱源とは公私混同のことである。
お金持ちになりたかったら、自分でビジネスをすること。会社は9割の人にはいい働き方だけど、1割の人にはピンハネ率と、社内政治に費やすコストが多すぎて、割に合わない。— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) 2016年2月20日
10代の終わりに実施した学力テストの点数が、50代や60代まで、それも正解のないビジネスの世界で通用するものだろうか。
企業内OB会は品がない!慶應三田会に見る「学閥」の功罪 - 山崎元のマルチスコープ
このご時世に学閥つくって群れてるくせに、都合のいい時だけ利用しようとして協力しろとか言って来て、どんだけ自分勝手やねん。— YanoTakeshi (@divivid) 2017年3月17日
派閥と学閥を私は成立の違いから本質的には違うものだと理解しているが、それは派閥が異端者を排するものであって学閥は排しないものを異端者とする構図だと考えているから— あき秋刀魚 (@abc3aki) 2015年8月7日
ttps://bit.ly/2K5LWk2
ttp://www.ncn-t.net/kunistok/6-13-SOSHIKITEITAINOGENKYO.htm
(※下の方に追記をした。ブコメへの反応が種だが、俺の考えを説明したつもりなので、読んでいただければと思う。
長すぎて途中で切れたようだ。続きはこちら。http://anond.hatelabo.jp/20160626174144 )
俺は表現規制に賛成だ。
厳密に言えば、厳格なゾーニングを求めている。エログロホラーが大好きな人間として、少年マンガ誌における性的表現は一掃してほしいし、機会あらばパンチラを差し込んでくるような深夜アニメには嫌悪感を覚える。公共空間に貼られるポスターに性的表現は不要だとも考える。極論になるが、積極的に根絶やしにしてほしい。(追記:この極論部分に関しては謝罪訂正する・7詳細は下の追記の段に書いたので、そちらもお読みいただきたい)
最近ブコメなどでもかまびすしい「まなざし村」認定が大好きな連中のことは本当に嫌いだし、絶滅してほしいとも思っている。(追記:絶滅部分については謝罪する)
まぁ俺が思ったからといって性的表現がなくなるわけでもないし、一部のオタク連中の過剰な防衛本能を根絶できるわけでもない。強制できることではないからな。
しかし俺は規制の是非を問われたら「規制は仕方ない。当然だろう」と答える。
それで好きな作品が回収されたり、好きな作家が食えなくなったりしてもまぁそんなもんだろで終わるだろう。
「お前の作品への愛はそんなものかよ」と思われるかもしれないが、好きな作品が生み出される素地を蹂躙してきたのはオタクたちなのだから仕方がないだろう。うなぎを食い尽くせばもう食えなくなる。それだけのことだ。
規制があったほうが表現は豊かになるだろうということだ。江戸時代に奢侈禁止令などが出たおかげで色彩感覚が発達したように、時の幕府を批判するためにメタファーの技術が発達したように、制限があってこそ発達する表現方法はあるだろう。俺はそれが楽しみだ。まぁ当然異論はあるだろうが、俺のこの期待は否定はされたくない。
俺が本格的に表現規制に転じたのは、「閃乱カグラSV」を見てからだ。アレを見て俺は心底気持ち悪いと思った。あれは許せなかった。
この作品は、「着せ替え」ができる。で、珍しいことに、着せ替えパーツを体の色んな所に配置できる機能がある。例えば、メガネを目の位置にかけるのか、おでこにつけるのか、鼻の方までずりさげるのか、みたいなものだ。この機能自体は素晴らしいと言えるだろう。しかし、この作品では着せ替えパーツに「コケシ」がある。コケシを一体何に使うんだ?…言うまでもなく、性器に突っ込めるようにするためだ。コケシを「体のどこにでも配置できる」のなら、当然股間に突っ込んで喜ぶ奴が出る。そしてこのゲームの悪質なところは、それを「ユーザーの選択」にしてCEROの審査をかわしたことだ。この作品のレーティングはD(17歳以上)だ。Zではない。コケシを最初から股間に突っ込んだ状態の装備にしたらZは避けられないだろう。着せ替えパーツ移動のアイディアが先かコケシが先かは定かでないが、結果としてコケシを女子高生の性器に突っ込むことを是とするゲームとなったのだ。そういうゲームを良しとし、ユーザーは喜んだのだ。
俺はこれらをみて、あぁ、もうダメだなと思った。
こんなのを見て自浄作用に期待など出来ない。できるのなら、する。やれるなら、やる。オタクに限らず、どんな階層の人でもそうだ。うなぎは今年も売れるだろうからな。ましてやオタクなんて生活費を削ってまでグッズを買うような連中だぞ。
Twitterで、イラストレーター出身の漫画家さんとこの件について話せる機会があった。俺の「規制やむなし。自浄作用などない」というつぶやきを引用してらしたので、しばらく話をした。できればこんな形で話したくはなかったが(大好きな方なので)、結局そこでも「あぁ、もうダメなんだな」と再確認することになった。その漫画家さんの意見は「自浄作用はある。だから極端で性急な規制は危険」というまっとうなものだった。確かにそのとおりだ。15年前なら間違いなくそうだった。しかし、この十数年で何か具体的な自浄、自重があっただろうか?「カグラSV」がCERO Dで通るような時代だ。あれにどれだけのオタクが疑問をもったのだろうか?あれは結構売れたはずだが、問題にはならなかった。件の碧志摩メグや「のうりん」のポスターの騒動も見てみるといい。対立しかなかっただろう。0か1かの感情的な罵り合いばかりで、グラデーションの議論はなかった。やめさせたい側と、それを攻撃する側の両者だけが燃え上がり、「お互いにどこまで歩み寄れるか」の話など掻き消えた。どこに妥協点を見つけるかが最も必要な議論だったのに、それがなかった。
ブコメやtogetterなどでの「またまなざし村か」系のコメントをみるにつけ、もはや相互理解は不可能だろう。このような0か1か、敵か味方かしか考えない連中が排除されない限り、ひたすらに先鋭化を極めていくだろう。そしてその先鋭化の果てに、一発でぶっ潰されるような未来があると俺は想像している。
どうせこのまま先鋭化していくオタクたちの「表現」にはついていけなくなったのだしな。
こないだも、「グルメ漫画でエロい顔をする必要があるのか」みたいな話があったろ。あれでも極端な話が大好きな連中が幅をきかせてたよな。
そろそろ過剰な性的表現に抵抗を覚える層が目に見える形で増えてくる時期になってきただろう。そしてタイミングよく(必然的に?)、極端な議論が大好きな層も表出してきた。
案外、今後数年でかなり大きな対立になるかもしれないな。
そうなると、もう今までのようになぁなぁでやっていくことは不可能になる。どっちか選ぶ時が来るだろう。
その時には、規制を俺は望む。
大阪都構想や、イギリスのEU離脱みたいなものだ。変化はほしい。(EU離脱に関しては様々な要因があると理解しているが)
ガッチガチの規制が敷かれて、結果性犯罪が激増することになるかもしれんが、まぁそれは原因と結果の螺旋だ。過剰な規制の前段階には過剰な表現があり、その結果を社会が負う。出生率の問題も解決するかもしれんしな。
ゾーニングをはっきりと設定し、過激な作品を保護してもらいたい。
しかしそれも、無理かもしれない。いや、多分無理だろうなと思う。だいたいもう諦めはついた。
過去と現在の過剰な性的表現の作品への楽しみよりも、規制後の作品がどうなるかが楽しみになってきたからかもしれない。
現状でも、性的表現を使わずに色気ある表現をする作品は沢山ある。
俺はもう、「妥協点を見つけよう」と説得して回るのに疲れた。もうやめる。
あとは規制反対派のみんなが自分の利益のために、いろいろと頑張って活動してくれ。どこまで鋭くなっていくのか、見守っていくよ。
書き始めた時は「規制に積極的に賛成する!」と熱が入ってたが、途中で熱気が抜けて諦観しか残らなくなった。なので文章の前の方と後のほうでずいぶんテンションが違う。一応修正はしたが、それでも熱の入りが違うことはわかると思う。
変化を嫌い、変化に順応できない規制反対派は滅びても仕方がない、みたいな話に持って行こうともしたけど、流石にコレは無理筋だな。でも正直ちょっと思ってる。表現規制っていう劇薬を投与したほうがいいよなってな。憲法よりは影響が無いんだから、憲法改正以下のテンションで表現規制を迎えてもいいんじゃねーか?
話が散らかったな。
とりあえず、俺はもうやめるわ。
いろいろ反響があったみたいだな。いろいろな指摘があってなるほどと思うところも多かった。
表現規制とゾーニングを混同しているという指摘があったが、確かに一緒くたにしていたな。俺の中ではゾーニングが理想だが、おそらくそれは実現しないだろうと思っている。理由は、規制派と反対派が全く歩み寄りの姿勢を見せないからだ。そうであれば、一発規制もやむなしと思っている。理想としては「ゾーニング>規制」だが、それは多分無理だろうなと、ブコメなど見て改めて思う。
また、単純に俺の好き嫌いを規制にからめているのではないかという指摘もあったが、俺の好きなものも規制されて構わない。なくなっても別にいいということだ。この種の規制の話になるといきなり理性がぶっ飛んで極論でしか殴り合わなくなるものだが、まぁそうなってしまったな。すまない。嫌いなものが悪と言っているわけではない。気に入るもの、気に入らないもの、いずれも悪とされて滅ぼされても仕方ねえよなということだ。そうしてきてしまったのだから。
いくつかのブコメへ返信をする。
ゾーニングを望むと言ってるこういう人たちが、規制がいかに必要かは語っても「何をどうゾーニングするべきか」を具体的に語らないから不信感がある。当然モザイクなど性器修正には反対してるんだよね?
何かについて話すとき、その対象全てについて一度に語らなければならないということはないだろう。そんなことをしたら一つの意見が一冊の本くらいになってしまう。この日記では俺は「ゾーニングが理想だが無理そうだ。規制もやむなしだろうな」ということを書いている。ゾーニングの問題は積極的に話されるべきだと思うよ。俺はもう諦めて、規制でいいやという立場だけど。で、規制とゾーニングの話からいきなり「当然モザイクなどの〜」と飛躍するのはどうか。モザイクも広義のゾーニングのはずだ。売る場所を分ける、売る相手を身分証などで限定する、表現の一部をモザイクや黒塗りで抑える、そもそもそういう表現を用いない、など、ゾーニングにも各段階が必要になるはずだ。現状そういったゾーニングはすでにあるが、それらがさほど機能しておらず、拡大解釈が横行している。それが本文に書いたカグラの例だ。なので、俺はゾーニングは無理だろうなと思ったわけだ。あなたのゾーニング論は聞いてみたいし、より多くの人がするべきだと思っている。
「アニメ、マンガ、ラノベなどを好む人」のことを指して俺は「オタク」という言葉を使ったつもりだ。大雑把にくくったつもりはない。この日記で「オタク」が使われている部分を「みんな」だとか「人」に変えても成り立つと思っているのだが。俺はオタクの中から、オタクの問題点を書いたつもりだ。
>>こんなぼんやりした考えなのに表現規制に賛成してしまうのか…という困惑しかない<<
民主主義において、はっきりとした考えでくだされる決定がどのくらいあるだろう。イギリスの決定ははっきりした考えでなされたのか?少なくとも、俺の諦観を晴らしてくれるはっきりとした考えは、オタクたちの中からは出てこなかった。あなたのその書き込みもまた、はっきりしていないのと同じく。はっきりしないからこそ、大衆の決定は恐ろしいのではないか?そのことを理解しているなら、もっと危機感を持つべきだと思う。
安定の「妥協点を見つけようと努力をしない一言居士」ですねと一言残しておきたい。まぁそういう売り言葉に買い言葉は置いておいて、俺は上述のようにゾーニングを主体に書いたつもりではなかった。ゾーニングは無理だと諦めたから、全滅してしまえばいいという話を書いたというわけだ。「規制賛成派の意見」ではなく、「俺がなぜ規制に賛成することになったか」を書いたつもりだ。その理由は、諦観だ。
『俺は表現規制に賛成だ。/厳密に言えば、厳格なゾーニングを求めている。』 ここまで読んでゾーニングの話かなと期待した私に詫びてもらいたい。なんだよ『積極的に根絶やしにしてほしい』って。
申し訳ない。詫びる。本文にも書いたが、最初は頭に血が上った状態でかいたのでそのような表現になった。俺の気持ちとしては、「適切なゾーニングを施し、表現規制から逃れてほしい。しかし、どうも歩み寄りの姿勢や妥協点を探ろうという議論にはまったくなっていない。ならばいっそ、規制されて痛い目を見ればいいのだ」という怒りの発露だ。ゾーニングができればいいと思うんだがな。どうも無理そうだと俺は思う。あなたはどう思う?ゾーニングで解決出来そうか?何年も前から「ゾーニングが大事」と言う声は聞こえるが、それが形になったか?なりそうか?なる前に事態が急変しないか?
最初のほうが暴論っぽかったと反省しているのだが。後半のほうが暴論かな?混沌とした時代の定義にもよるのかもしれないな。規制で固められたなかから漏れだす表現と、先鋭化し一般人の理解を得られなくなった過剰表現、いずれも混沌とは違うものと俺は思っているが。混沌の中にも秩序が必要だと思っている。例えばコミケの「全員参加者」という建前もまた、混沌の中の秩序ではないか?全員がある程度のモラルを持って円滑に進んでいく、それが望むところではないかな?俺は表現において、それが崩れたと思っている。あなたはどう思う?
皮肉のつもりかしらんが、あなたとそれに星をつけているid:jakuon id:zions id:clworld id:dddeee id:mamimp は何を考えているんだ?俺は上述のように「俺が嫌いだから規制しろ」とは言っていない。そんな物言いを繰り返せば、歩み寄りも話しあいもできなくなってしまう。それを望んでいるのか?
>>そもそも、規制することで社会的なメリットは本当にあるの?青少年がエロいもの見たらダメって時点で意味がわからん。今どきの子供はネットでいろいろ見れちゃうだろうけど目立った変化はあったの?<<
理解されていないようだ。俺は「規制やむなしだろうな」という立場だ。規制に積極的になっている人たちはメリットではなく、デメリットを見ているのではないか。そして、彼らの考えるデメリットを覆すことが現時点でできていない。今時の子供の目立った変化はもうすでにあるのではないか?データは持っていないし、どうやってデータを取ればいいのか俺はわからないが。ろう。20年前に比べて、エロ表現がどのくらい変わったかを考えれば、答えに近いものは見えてくるのではないか。20年前はふたなりは奇形ジャンルだった。今やすっかり市民権は得たな。AVも見てみるといい。過激な内容がどれくらい増えたか。性的表現の過激さの加速度が、目立った変化とはいえるのではないかと俺は思っている。あなたは納得しないだろうが。そういう可能性もあると、頭のどこかに置いてもらいたいな。それと、青少年がエロいものを見たらダメとは言っていない。ゾーニングで細かく分けるのが理想だが、それが機能していない現状では。
「俺の意見=『性的なもの=悪』」という強烈な思い込みも、ぜひとも再考していただきたいのだが…。俺は性的表現も好きだ。本文にそう書いているだろう?それでも尚、諦めに至ったよと言っている。伝わらなかった申し訳ないが、あまり他人の意見を断定しないようにしてほしいな。それが歩み寄り、相互理解の第一歩なのではないか?
例えば、ゲームキャラクターを自由に閲覧できるモードを搭載しているゲームは多々ある。そしてそれらのゲームでは、CERO対策のためにスカートの中は覗けない仕様になっているものも多いだろう?それと同じことをするのは無理なのか?0か1かでなく、グレーゾーンはある程度残しながらも一般的に許容されるレベルを残して行くような「ゾーニング」は無理なのか?俺はそのようなゾーニングを望んでいたんだよ。過去形の話だ。
ゾーニングの話題じゃないのか…。/増田のように個人的嫌悪感を「公共の利益」のような漠然とした正しそうな言葉でラッピングして規制を言い出すケースは正にまなざし村じゃねーの。
俺としては、他人の意見をよく読まずに「まなざし村」とラッピングしてしまうあなたもまた十分に「まなざし村」だと思ってしまうのだ。そしてそれが「これはもう規制になってもしかたないな」という俺の諦観につながった。俺の意見は公共の利益などではない。「話し合えないなら戦争になるしか無いだろう」だ。そして、俺は反対派はその戦争に勝てないと思っている。だからこそ歩み寄りが必要だと思っていたのだ。
こうやってわざとミスリードして憎しみや対立を煽るから嫌われるんだろうな 規制に賛成とか反対以前に人間として問題がある まとめサイトとかと一緒の愚劣で卑怯な人間
俺はあなたのその意見は良くないと思う。俺の一つの意見を読んだだけで俺の人格を否定するというのは貧しい行いではないか?確かに俺の意見には極論が多く、またいくつかの混同があった。だからこそ、会話が必要なんじゃないか?俺は俺の意見を言う。それに対して反論や指摘がある。そして妥協点や着地点を見極めていくのが人間の理性ではないのか。「憎しみや対立を煽るから嫌われる」「人間として問題がある」「愚劣で卑怯な人間」これらのような非情に攻撃力の高い言葉は、相手を徴発し、正常な会話を出来なくさせるものではないのか?コレに関しては俺ははっきりと抗議する。そのような言葉遣いはやめてくれ。100文字の短いブコメの中にこれだけの強い言葉を並べるあなたに疑問を感じる。あなたのこの文章がまさに、憎しみと対立を煽ってはいないか?それが目的なのか?
http://anond.hatelabo.jp/20160515145437
http://papuriko.hatenablog.com/entry/2016/05/15/180000_1
こちらのホットエントリを読んで、いずれもよくある話ではあるけれど、やはり恋愛や結婚というのは受験や就職や起業と同様の一つの現実におけるプロジェクトの一つであって、「誠実」であればとか、真摯に尽くしていればとか、純粋に願えば想いが通じるとかいうものではない、その目的の達成のためにはもっと冷静かつ時には非情な戦略と狡知を持って当たらなければならないのだな、あらためて思った。今さら当然な話だけど。
それでも、問題なのはその相手が将来の「家族」であり実際の親兄弟ということであって、そこまでして目的を達成してもその後のフォローや維持が大変そうだし、またその解決のために計算したり戦略を働かなければならなくなったりして、これを死ぬまでプライベートで一生繰り返さなければならないのはかなり苦痛なのでは……いや、苦痛と思わずにむしろゲーム感覚で嬉々としてやれる人間が勝ち組になれるのね。
強姦島~あえぐ夜~
https://novel.pixiv.net/works/243
最高の「攻」を決めるため孤島に集められた最高に美形で最強に自信に満ちた男たち。
相手を抱き、翻弄し、射精(イカせ)たら勝者となれる…賞金はなんと10億円!
非情なゲームと知らず単身参加した伊和本慧は最高の獲物として男たちから狙われる。
ひとりを躱してもすぐ別の男に捕まり、媚薬を使って高められてしまう敏感な身体。
監視カメラだらけの島内で、セックスを中継されながら荒々しく抱かれ…
ちょおまwwwwwwww
(当方、基本的には男女の組み合わせが好きで、ごくまれに自発的に二次BLにハマる程度。
まぁBLは読めるし、腐友達もいるし腐話も全然乗るよーみたいな受身な仮性腐女子である。既婚。)
途中から、『これは…どうなの?』という展開に遭遇した。
攻め様が受け(主人公)以外をレイプしていくという展開になるのだ。
攻め様が他人をレイプするのを押さえつけて手伝ったり、見張ったりするのだ。
む、むなしい……(サンプルはそこまでだった)
まぁ私もそういう物かと思っていた。
(レビューによると、受けは最後まで攻め以外は相手にしないらしい)
しかし考えてみてほしい。
受け攻めは違えど一方だけがセックスする相手をとっかえひっかえする展開である。
男女に置き換えてみればお分かりいただける事であろう。
なぜ攻め様は一途であることが求められ、
攻め様だけそんな不自由を強いられるのか。
他の受け複数パターンを考えてみよう。パターン多いからとりあえず3Pで。
攻め男 | 受け男&女 | ◎ | 大好物なのでもっと広まれよ |
攻め男 | 受け男&男 | × | うーん…… |
攻め男 | 受け女&女 | △ | 女の子同士が仲良くないと嫌。 |
攻め女 | 受け男&女 | ○ | いけるとは思うけど想像したことも見たことない |
攻め女 | 受け男&男 | ◎ | 行けますけど3Pよりはタイマン2回のがいいな |
攻め女 | 受け女&女 | ◎ | 観たことないけどいけるっしょ |
<未完>
成長スピードがすごい。1000万人に1人の才能とか言っちゃう。
攻撃力やスピードにステ全振りしてる設定のわりに、攻撃を受けても大して支障はない。「あばらが何本かやられた」りはする。
不殺主義。主人公が殺さなくても、主人公に負けた相手は非情な敵のボスに一瞬で殺されたりする。
やたら凝っててかっこいい能力名。百腕巨人(ヘカトンケイル)の門番とか一瞬のうちに自分で考えたの?
敵に殺されかけても都合良く邪魔が入ったり、止めをさすまでもないとか言われて殺されはしない。のちに修行や覚醒してリベンジ。
ちょうど自分の実力と同じかやや格上くらいの敵と順に戦う。全部敵ボスの仕組んだことでしたーっていう展開を2回もやられても困るけれども。
敵の乱射する攻撃はあたらない
応用がきくか成長要素がある能力
どんな話なら読みたくなるんだろう。
美少女がきりもみで自分の目の前に落下して、鼻頭に絆創膏つけて笑顔で微笑むシチュエーションしか思いつかない。
いい話が思いつくときというのは、シュチエーションに登場人物のそのときの感情は、その人物の過去や背景が乗ってもわっと泡のように思いつくものなので
苦労して、あれこれ考えてもどうしようもない感じはある。
一つのシチュエーションに来歴や背景をもりもり肉付けする、後のせサクサクするパワーというかテンションがワタシにはない。
物語のきっかけとなるのが人間離れした技能や知識をもつ人や、現代では実現困難なテクノロジー、インフラ、魔法がきっかけになるというか。
SFやファンタジーをたたき台に、賢くゲーム的な概念やマンガのパロディを組み込むこともできないので、
ゲームでのあるあるネタやパロディにもっていくのもむずかしい。
自分の脳内の手札で面白い話を書こうとすると、限度がある。アウトプットもインプットも経験不足。
そうだ、トイレは現代社会における一人きりになれる貴重な瞑想の部屋。トイレで考えれば……。
そうかだから増田はウンコネタで盛り上がるスカベンジャーどもが跋扈するのか。
中世の過密した都市部における公衆衛生は非常に悪く、窓を開けばウンコのにおいがするといわれたとかいわれなかったとか。
便を媒介にする疫病が蔓延するのも無理はない。そして上下水道が完備され衛生状態が改善し近代化していったらしいのだが。
さて、増田や匿名掲示板はインターネットにおける上下水道としての価値を確立してい他のかもしれない。
同性パートナーシップ条例が話に上がる時とかに、差別してはいけないという流れでいつも「多様性を認めよう」って話が出るんだけど、あれってゲイからするとちゃんちゃらおかしくて笑える。
そもそもゲイの世界は、多様性なんて全く認めない、徹底的なルッキズムで満たされている。マッチョとガチムチだけが発言権を持っているし、その上きちんと顔が良くないと「マッチョだけどブスじゃんw」と馬鹿にされる。デブも、デブとデブ好き同士で調子に乗ってるだけで気持ち悪い存在とされている。一番悲惨なのは痩せている人達だ。彼らは「キショガリ」と呼ばれ、まるでゴキブリのように扱われている。ノンケの世界みたいに「性格がいいから」なんて綺麗事では恋人なんてできない。身体と顔が全ての、完全なルッキズムヒエラルキーの世界。出会い系アプリでもルックスと身体で人気度合いがレベル付けされランキングされる非情な世界。だからみんな必死に身体を鍛えるし、鍛えてない奴はゴミ屑のような扱いを受ける。
そんなゲイの世界を嫌という程見ているから「多様性を認めよう」なんて綺麗事でゲイが擁護されてるのが本当に可笑しい。ゲイの世界には多様性なんて言葉は存在しない。ひたすら身体と顔の良さが評価されるだけの画一的な世界だ。だから、所詮多様性なんてエリート様達の考えた理想論に過ぎないんだろうなと思うし、ゲイが差別される感覚も良くわかる。それってゲイがキショガリをゴキブリ扱いしてるのと同じだと思うから。
差別される人達の中で別の差別が生まれているこの状況を見ていると、差別がなくなるなんて無理なんじゃないかなと思う。
追記:
「個人の好みの問題」とか言ってる人がいるけど、そんな甘っちょろいもんじゃないよ。キショガリに対しての差別は人種差別と同じようなレベルでなされているから。実際自殺する奴だっている。
小さい頃、泣くと怒られた。
なぜかわたしはどんな理由であれ感情的になると怒りのベクトルではなく、悲しみのほうに向く。
だからよく泣いたのでよく怒られた。
うつっぽくなってるあいだもよく泣いたから、とことん怒られた。
もはや泣くことに対して「また泣いて!泣けば済むと思って!泣くんじゃないよ」と怒られた。
おばあちゃんが今泣いてる。娘との喧嘩だけど、経緯は知らない。
年をとって、父親である息子やおばである娘と喧嘩することが増えたような気がする。
おばあちゃんは昔から皮肉やだし、余計なことを言うたちだし、うつっぽいところもあって、そういうのが原因で子どもたちの怒りを買うことが増えた。
喧嘩してるあいだ、我が家のだれもがおばあちゃんを慰めたりはしない。
わたしが悲しくて泣いていた時、だれも慰めてはくれなかったように、誰も声をかけない。
もちろん、わたしも声をかけられないことが当然だったから、見てみぬふりをするような態度をとっている。
泣いてる時には家族総出で腫れ物のように扱う。そう扱われることしかしてきてもらってない。
そう扱うことしかしてきてくれなかったおばあちゃんに、それ以上の態度は取れない。
これっておとなげないのか。
わたしは大人になれてないんだろうかと悩む。
でもできないし、する気がないから薄情な孫扱いのまま。
むしろ誰のせいだよと思う。