どんな形でも負の側面を指摘されたら「差別」を使えば良い、自分の望まない形の持ちあげられ方をしたら今回のように「感動ポルノ」を使えば良い、例の番組はどっちも障害者を消費してるだけにすぎないけど、こうして両方が武器を提供したというわけだ。
それらをこうしてうまく使い分けて自分を自分が望む形の上位に置けば生涯安泰…と思いたいが、結局それが出来るのは「健常な精神」を持った障害者だけなのだという事実が横たわる。障害にも当然格差がある、どこが鈍くどこが使えないのか、その結果としてのそれぞれの「能力差」による印象と扱いの差についてはもはや言うまでもない。
あるいは世の中が変に利口になって「公平」にひた走って非情にも「ただのハンディ持ちの劣った人間」にされてしまう危惧もあるがそちらに関してはまずなさそうだから、不安にならなくても済みそうである。