はてなキーワード: 羽織とは
時は来た。それだけだ。
全裸生活は健康に良い!ミニマリスト!マインドフルネス!ダイエット!みたいな文言があちこちに踊る。非常に怪しかった。
しかし結果として俺は5kg痩せ、身体の見た目もよくなり、姿勢も改善した。
部屋の中にちょっとした鏡を増やし、ふとした時に自分の体を意識することができるようにしたのも奏功したのかもしれない。
服装でのごまかしがなくなるので、自分の本来の姿を直視し続けられるようになる。
また、地味にすぐに体重を計れるというのも大きい。体重を計るときは服の差分をなくそうと「同じ服装」とか「いちいち服を脱いで計る」とか「お風呂前に」と工夫するが、全裸だとそんな工夫はいらない。ただ体重計に乗るだけだ。
「今のごはんでこれだけ増えるんだな」「小腹減った時はこんなもんなんだな」とすぐわかる。手軽さに勝るものなし。体重を毎日計るのに苦労していた昔の自分が嘘のようだ。
便意、即、排便
パンツマンですら成しえない圧倒的なスピード感に世の便秘マンは慄くだろう。
15秒でうんこは終わるのだ。つまり、スマホをもって入る必要がなくなり、スマホも綺麗に。
トイレ掃除も全裸なら「服が便器の水で汚れないように…」と気にする必要もない。終わったらシャワー入ればいいだけだ。
またお腹を締め付けないので便通が良くなった。
「トイレ行きたいけどベルト外してズボンおろして…ってめんどくさいから我慢…」ということもなくなった。
うんこした後にそのままソファとかに座るの?と抵抗がある人はいるだろう。
ふわふわのクッションの上にうんこ直後に座れるのか、疑問にも思うだろう。
だが問題はない。
便意、即、排便を体得すればすなわちうんこのキレが良くなっているということとなり、肛門は意外と清潔を保てる。
これは完全にイメージの問題なので、現実的にうんこがソファについちゃうということはない。
どうしても気になるという人は、おしゃれなブランケットを一枚用意すればいいだろう。
その一枚を外付けの服のように使う。
椅子に敷いたり、ソファに敷いたり、郵便配達の対応に体に巻き付けて出たり、夏は汗を拭いたり、体温調節に使う。
当然寒いので、身体を温める食事を意識的に採るとか、部屋の暖房をケチらないという方法をとる必要がある。
とはいえ、俺は「真冬の半そでアイス」な北国に住んでいるので、そもそも部屋の断熱性能が極めて高い。
なので夏を旨として作られた本州型住居では大変かもしれない。
全裸生活でかなり節約ができるので、浮いた部分をまずは暖房に回す、とした方がいいかもしれない。
汚れたら拭くし、汗かいても蒸れないからそんな臭わないので清潔を保てる。
毛が気になったらすぐ剃れる。
蒸れた下着と服に、臭いと菌とバクテリアを飼っている常人にはない清潔さがある。
着ようが着まいが毛は落ちる。
全裸で生活すると掃除に気が向くから、むしろ落ちている毛を発見する機会は減る。
そんな気になるなら剃ればいい。髭剃りの勢いで胸毛が逸れる。それが全裸。
あらゆる毛を剃ってみるのもいい。全裸なので服に当たってチクチクするということもない。
寝心地は変わるかもしれないが。
外出着のみ必要になるので、ちゃんとお金をかけていい服を着れる。
コンビニに行くのに服を着るのが面倒になるので、行かなくなる。
自炊の機会が多くなる。
これを楽しめる人には最適だろう。
全裸・オン・ズボンの生活だ。下着による蒸れもなくなり、むしろ清潔感は増す。
そもそも普段からズボン履かなくなるので、たまにズボンをはくと色々と迂闊になる。
その代表が、チャックの上げ忘れだ。
常人なら「あの…開いてますよ…」と耳打ちされて「あっ…」で済むが、全裸はそうはいかない。
全裸生活者はチャックが開いていると通報、逮捕、収監…人間の終わりが見えてくる。
そこで、ズボンのチャックは全て縫い付けて開かないようにしておく。
サイズがきつめの場合は、2/3くらいまでしか開かないようにしておく。トイレは座ってすればいい。おしっこした後はちゃんとトイレットペーパーで拭き取ればズボンは汚れない。
あとはお腹の冷えに注意して下痢を防ぎ、括約筋を締めて緊張感をもって姿勢よく歩く。一石二鳥である。
ズボンはこまめに洗う。たまの洗濯なんだからたいして辛いこともない。
よく考えたらたいしたデメリットにもならないな。
「生理の予感が来たら素直にパンツを履く。煩わしいがこればかりは仕方ない。
とのこと。
彼女も何も言わなくてもいいし、俺も気が楽だ。
油はねごときは大したことはない。耐えろ。という身も蓋もない結論にはなるが。
「体に油がはねて熱い」ということは、つまり「普段からそれだけの油を身体に浴びている」ということになる。今までは服が油を吸収してごまかされていただけだ。
身体に当たる分の油が、周辺にも飛び散っていることになる。
だから、料理中に油がはねて熱い、というのは「これ終わったらキッチン周りを軽く拭こう」という動機付けにもなるのだ。
全裸で料理するとキッチンが綺麗になるという現象が起きるわけだ。
全裸のキッチンを見る機会があれば見てみるといい。だいたい綺麗のはずだ。
炒め物はなるべくやめてオーブンで焼くとかすると、油も減らせる。
深い鍋を使えば油はねも軽減できる。
揚げ物は服を着ててもやらないんだから、別にどうということもない。
ならない。
とはいえ、これは個人差は大きそうだ。うちはそうだというだけ。
日常生活でスキンシップの頻度が上がるので、精神安定にもいい。
セックスしたいなぁというときは、おしゃれな下着を履いたり香水を付けたりする。全裸よりもセクシーになる。
それとキンタマが蒸れないので、精子が死ぬことがない。よって精力は上がる。
生産され過ぎて辛くなる時もあるが。
行く。
水でも飲めば収まる。そんなもんだ。慣れる。
身体のどの部位が動いているのか、収縮しているのかダイレクトにわかるので、トレーニング意識が高まる。
ちんちんやキンタマのポジショニングに最初は苦労するかもしれないが。
部屋にいる時でもネックレスやブレスレット、腕輪、アンクレット、トライバルな腰ひも、指輪を付けるようになる。
タトゥーにも興味が湧いてくる。
外出着は普通に着るが、全裸生活でアクセサリーの傾向が変わるので、人によってはオシャレの方向性は変わるかもしれない。
また、部屋で使うブランケットやシーツもこだわるようになり、シーツはサテン織りのものを使っている。
彼女は反物に目覚め、反物を中古で買ってきてそのままブランケットのように使っている。
めちゃくちゃ綺麗だ。
反物をそのまま巻き付けて着物のように見せる着装という方法が普通にあるらしく、それを勉強したりもしている。
タトゥーだとちょっと消せないのが辛いので、ボディペイントをやってみた。
これが面白い。
芳一はチンコにも書いてもらったってことになるが、意外と可能であるという結論に達した。
インスタやSNSに写真を上げる時、鏡面ステンレスに全裸が映り込む危険がある。
全裸になることにより、一番変化を実感したのが部屋の清潔さだ。
部屋が服のようなものなので、出来る限りきれいに保とうと意識が向く。
机を拭くくらいの気軽さで体も拭ける。
体が触れて不愉快な場所を作らなくなるので、整理整頓も上手くいく。
体感として、部屋に占める布の割合が半減するので臭いも籠りにくくなったように感じる。
コロナ禍では宅急便も「ドアのところに置いといてください」が通用するようになったので、全裸生活を始めるには最適の時代だろう。
始めろとは言わないが、始めてもいいかなという人はやってみてもいいと思う。
合わない人はいるだろうが、合う人には合う。
裸になろうぜ。
人生最悪
就労支援施設3カ月くらいで自信つけて再就職しようとしてたのに、質問したときの値段は各々で違いますってはぐらかされて、(年収225万退職後)実際通ったら8回通っただけで
毎月9千円以上払わされて、半年たっての全然変化ないし、女らしさを強要してくる女集団やら傍若無人な男集団の変な生徒ばかりで全然集中できない。
オタク男1人女1人がオタクアピールして耳からも目からもうるさいくて、オタク大嫌いになった。
日本男尊女卑の2次元オタクばっかし、イライライライラしてる。
日本って一建物に若い美少女キャラを模した物を置かないと気が済まないみたいで、他の国はそんなことないのに、もうこんな国に生まれたくなかった。
萌えキャラのボイスレコーダーで発表会なんて日常使いされたら集中できないから、スタッフに頼んだら話通してもらえると思ったのに、
「それの何がいけないんですか?私はそう思いませんでした」「あの場にいた人達は誰もそんなことを言っていなかったので、問題ないです」って、なんやねん
そこは、「辛かったですね」、とか、「本人にこういう意見がありましたと伝えておきます」、とかではないの?
落ち着いたアナウンスボイスとか色々あるし、わざわざ小学生を想定したような萌えキャラボイスレコーダーをチョイスする理由なんなん?って感じ
「女の子の声の方がみんなもうれしいでしょ」って、そんなこと思ってないから、もう思考が異常!!
面談無駄にして言ったら2・3週間かかって、「みんなそんなに気にしてませんでしたが、言っておきました」ってちょっと嫌な感じで解決。
で、考え方は変わらなくてあの手この手で、オタクが手法を変えて、発表会してた。
こっちは理解する姿勢で一緒勉強しようとしてるのに、この態度。
なんか言う度に、担当スタッフが否定的で荒い言動目立って最悪。
こっちも言いたくないんだからさ、いい加減方針決めるなりして、オタク生徒の異様な行動について考えてくれよ!
資格に力を入れているところにすればよかった。
社会人としてじゃなく、社会全体で女としてしか見てもらえないなら、死んでもいいんじゃないかと思うねんけど、男が頑張って妊娠してくれないかな?
就労支援施設で新しくできたメイクアップの単発授業がでて、担当スタッフも勧めてるしメイクに興味あったから受けたら、ひどかった。
いつもおしゃれしている(資格を取っているのか不明な)女性生徒に授業任せて、
メイク内容より相手に対しての敬意の表れであり最低限のマナーですって、化粧は絶対ですみたいな言い方の方が強かった。
その場で指摘しないと許容した扱いにすると前に言われたから、面談で発表の仕方に文句言って怒ったら担当スタッフがカンカンに怒って
「発表会の前に目を通してこれでいいと思いました、みんなそう思っています」って、全面的に文句言った方が悪いみたいな対応。挨拶無視してガン飛ばしてきて最悪。
2021年なんだからもっとアサーション教えているくせに棘のない言い方を考えないのかな。
人に教える授業だからちゃんとしようとか考えてないのが、ひどい。
適当すぎ、授業生徒に任せるとか超手抜きだし、怒ったら怒り返してきて女性担当スタッフとか、この就労支援施設、最悪。
メイクで一時の容姿気にしてもそれで昇進するわけでもなくただ肌とお金と時間に消費されるだけなのに、同性だけはそういう目で見ているとか普通に仕事できなくなるやん。
男の髭と化粧が同レベル扱いなの腹立つ。
毎回毎回就労支援施設に萌えキャラ人形とひざ掛けとか持ってきて周囲に見せびらかして自分誇示してきて最低、社会人になる気ないだろ!死んでほしい!!!
パパに言えば解決すると思ってるとか、夢見がちな奴だな。
パパに行っても解決能力ないし、日本の男は害悪行動しかしないよ。
この前友人と歩いていた18歳の男の子が、走行中の車に「うるさい」と注意したら、
3人組の男の子らに背中付近を刃物で複数回刺されて、死亡したニュースがあったけど、
男甘やかしてほったらかしたせいで、そのうちお前もひどい目にあうんだよ。
パパが解決してくれるかな~
男嫌い、就労支援行ってるけど、固まって席に座らないでバラバラに座って最悪、隣同士座れよ、固まって座れ!
急に萌えキャラ毛布持ってきたと思ったら、休み時間の度に毛布羽織って立ち上がって壁の方向いて、毛布の柄丸見えで気持ち悪いんだけど!
お前冬も半袖だったくせに、悪意あるだろ!無自覚でしてるとかだったら、死んでほしいんだけど。
スタッフも屑だし!
どこにでもいるようなデザイナー。
一番の悩みは、制服着用。
制服というものがこんなに苦になるとは自分でも思ってなかった。
社会人十数年目にして初めて制服を着る事になって思う事を書く。
細身の黒ベスト。
服選びは1分くらいになった。冬場はコートを羽織るので特に早い。
昼食を食べた後、ウエストが苦しい。
夕方以降、むくんで苦しい。
それでも身体の変化はあるので、びっくりするくらい苦しい。
新しく買う事になったら、きっと社長にも知られるだろう。
カーデガンを羽織ったり暖かいインナーを着込んだりしてしのいでいる。
裏起毛のパンツを選んだりするのだが、
1年中同じ服装をしてるって無理がある。
気を抜くと足が開いてしまったりするので、
足をピシッと閉じているのは大変。
鏡を見た自分の疲れた顏とピンクのブラウスがミスマッチ過ぎる。
これからどんどん老け込むのに
後何年も着られるのかと不安になる。
同じ格好をしていると、嫌でも比べてしまう。
同じ格好で並ぶと乳の大きさも足の細さも制服は顕著に出るな。
フリル満載であったりAKBのようなチェックのミニスカートだったりと
(ゴージャスなピアスやシュシュやマスクが唯一のアイデンティティ)
当たり前にあった「その服かわいい!」「似合ってる!」と言う会話もなく、
服で気合いを入れる事もなく、元気になることもなく。
気持ちが落ち込んだままになる。
色彩が飛び込まない。
目が淀む。
オシャレって大切。ファッションってすごい!
人を元気にする!気合いが入る。
華やかな服装ってとても刺激になっていたな!とつくづく思うけど、
東日本大震災10年ということで当時はこうだった特集があちこちで出てきて少し辛い。
思い出したことをとりあえず書いてみる。
時系列じゃないです。
本震の後外に避難すると、それまで穏やかだった空がいきなり暗くなって雪が降ってきた。
誰かが「この世の終わりか」と叫んだ。
もう少し避難範囲が広がっていたら確実に避難しなくてはいけない距離にいた。
原発が水素爆発したとき、多くの人は片付けや給水車に並んでいた。
爆発の速報を聞いてまずは「本当に死ぬのかな」と思った。
その後「でも多分死ぬならみんな一緒だから寂しくないな」と思った。
1週間家から出ることが出来なかった。
ガソリンは枯渇していた。
古い家の瓦がボロボロ落ちていた。
物資はなくなって、謎の配給が始まった。
犬が不安になってずっと鳴いていた。
揺れたら入口に走っていく。
野菜がなくなった。
衣装ケースを抱えて水をもらいに行った。
テレビは相変わらず首都圏の電車の情報か津波の映像ばかりだった。
ストーブで沸かしたお湯で髪の毛を流した。
ヨウ素剤が送られてきた。
沿岸部の片付けであちこち花が供えられているところがあると聞いた。
おにぎりをたくさん作った。
mixiで日記書いたらよく知らん人から「泣けました!」と言われた。
人間の嫌な面を見た。
思い出の海岸がなくなって泣いた。
何でこんなにたくさんの人が亡くならなければならないのか考えると死にたくなるから考えないことにした。
車を流された友人は津波を見ていた。
電話で当時の話を聞き、一緒に泣いた。
知らない人がたくさんいきなり移住してきた。
好きで来てるわけじゃないけど、好きで受け入れているわけでもない。
人それぞれに地獄があった。
桜が咲くのが遅かった。
被災したと言うとおこがましいくらいの経験しかしてないけど、当時のことをつらつら書いてみた。
今年もいい天気だといいと思う。
仕事帰りのバスの中、なんか急にダメになって涙が止まらなくなった。今までもそういうことがあって「死にてぇ〜!」しか考えられなくなったり、どうしようもない自己否定に苛まれてぐしゃぐしゃになることは多々あった。でもずっと続くわけじゃないし、もうそういうもんだと言い聞かせ、特別治したいとも思わなかった。というか一生この波と付き合っていたらきっとそのうちメーター振り切れて爆発すんのかなと思い、心のどっかでそれを望んでた。
でも初めてバスの中で「助けてほしい」と思った。家に帰ってトイレに駆け込んだ、吐きたいけど吐き方わかんない。そっから嗚咽が止まらない。久々に声あげて泣いた。なんで泣いてるかももうわかんなかった。
前々から自己チェック表みたいなのでうつ病かもと思っていたから、うつ病 病院とかで調べた。近くの病院探しても土曜は初診お断りとか電話繋がらなかったりとか、予約できても1ヶ月後ですとか。あ〜そうですよねって泣きながらお断りして、電気もつけてない暗い部屋でしばらく鼻ばっかかんだ。月曜なら空いてますってとこで予約取ればよかったのかなとか思い始めて、でも電話口の担当者さんの声が怖くてもうかけたくないなと思った。
自殺の電話のやつかけようかと思ったけど、別に自殺したいわけじゃないしな…(消えたいだけなので)と思ってしばらくネットで色々探す。ジャストアンサーって釣りなんだね。なんて打ち込んだらいいか、しばらく考えちゃったじゃん。無料で医師が答えてくれるわけないよね。
本当は仕事でやってる人に話したかったけどどうにもすぐには無理そうなので、いわゆる「まずは身近な家族や友だちに相談」を考え出す。
電話…親だったら出てくれるだろうけど親は話せない。誰でもいいから助けてって思ってたけど、親は話したらあっちが病みそう。姉にライン入れても返信こない。仕事かな。
ひとり暮らしのへやのなか、散らかしたコートやマフラー、カバン、色んなものを放置して、電気ストーブの前でラインの友だち画面とにらめっこ。ボックスティッシュは底をつきたけど予備を取りに行くのが面倒で、カバンの中に入っていたポケットティッシュのビニールをビリビリに破って涙と鼻水をふいた。
誰ならいいか…もとから交友関係少ないけど、いきなりこんなこと話せる人となるともっと少ない。結局「今いい?」と送ったのはふたり。当然すぐには連絡こない。
ぼんやり考える。例えばこのまま自分が自殺したとして、メッセージをもらったふたり(と姉)は何を思うだろう。当然後悔するのだろうか。なんか、身近な人が自殺するってそれはそれでいい経験なんじゃない?とか思えてくる。トラウマもんかもしれないけど、なかなか体験できないし。みんなの経験値アップに貢献してやろうかなんて意味不明なことを考え出す。
……誰からも連絡は来ない。こんなもんだ。こんなもんなんだな〜と思った。そうか、誰もすぐには助けてくれないのか。そりゃそうだ。仕事でやってる人にとっては業務だし、友人にしてもみんな生活があって、よくよく考えたら当たり前だった。
2時間くらいたっていて、寒いなと思っていつの間にか脱いでいたカーディガンを羽織り直す。今日買い出し行かないと。冷蔵庫空っぽだったもんな。部屋のポスターを見上げた。うん、やっぱり好きだ。パシンと漫画みたいに頬を叩いて立ち上がる。雨戸を開けて、散らかしていたものを片付けだした。スピーカーから、メンタルが不調になったとき聴く音楽を流す。うん、聞ける。元気出てきた、気がする。
なんか、助けてほしいときすぐには誰も助けてくれないんだって改めて思った。自立とは依存先を増やすことという言葉が頭で響く。去年出会って、なるほどと思った言葉の1つ。他は「結局人は孤独」。ひとりで生きていく、だったっけな。
余談
外は寒かった。でも太陽があったたかった。コートのポッケのスマホが振動して、見てみるとラインを送った友人がどうしたの返信をくれていた。そのあとその友人もメンタルで病院に通っていることを教えてくれ、なんというか…みんなそういうもんなのかなあと思って、ご飯を食べた。
https://anond.hatelabo.jp/20210218183322
釣りなのかもしれないけど、何のアドバイスにもなっていないので、
・色味については難しいので、白と黒だけでいいです
・服の種類をたくさん揃える必要はありません
・黒いパンツと白シャツ、白スニーカーと黒いバッグがあればいいです
・必要に応じて黒い革靴を加えてください
じゃあ、それぞれ何を買えば? となりますね。
騙されたと思って以下の通り買ってみてください。
・黒いパンツ: ユニクロのウルトラストレッチスキニーフィットジーンズ
→試着してジャストサイズを買い求めてください。ピタッとしてるなと思っても、ストレッチが効いているので快適に過ごせると思います。試着室で屈伸して実感してください。
・白シャツ: ユニクロのエクストラファインコットンブロードシャツ
→これも試着してジャストサイズを買い求めてください。シャツの肩のラインが自分の肩に沿っているかを確認するのが一番わかり易いと思います。大きすぎず、小さすぎずで。
服はこの2種でいいです。暑いときはエアリズムを、寒いときはヒートテックをインナーに。
ニットは着なくていいです。寒いときはこの上にコートを羽織ってください。
(もうコートが要らなくなる時期ですが、もし買うなら同じくユニクロの
とりあえず上下買ってみて、しっくり着たら同じものを買い足していってください。
洗濯はちゃんとしましょう。シャツは1回着たら、パンツは1週間着たら洗濯してください。
→踵の部分に色がついたものがありますが(そこが緑のものが定番なのですが)、
全部白のものを選んでください。できれば。
・黒バッグ: プラダのV136というやつを買いましょう。どうやら廃盤なので中古で手に入れましょう。
以上です。
これで1年間365日、同じ格好に身を包み、何の迷いもなく過ごしてください。
どこに行っても「清潔感があってそれなりにおしゃれに気を使っている人」という
印象を抱かれます。本当です。
そして、ドレスコードが厳密に設定されているようなレストランや冠婚葬祭以外は
どこにでもいけます。
スタンスミスは1万円、プラダのリュックはおそらく10万円くらいかかりますが、
周りの人は知っているのに私だけ知らなかった経験がたくさんあるので紹介させて欲しい。
・お箸の持ち方を知らなかった。給食を食べていて同じ班の女の子に言われた。親に相談したところ、自分自身が子供の頃に箸の持ち方について母(私から見たら祖母)に注意され気分が悪かったので、あえて私には注意しなかったらしい。ちなみに鉛筆の持ち方は授業で教えてくれたので知ってた。
・口を閉じて食べることを知らなかった。今ではクチャラーと呼ばれているやつだ。これもまた同じ班の女の子に指摘されて、最初は何がダメなのか理解できなかった。この女の子には嫌われていたので他にもズバズバ指摘をもらった。こんなマナーもへったくれもない私と話すのはさぞ気持ち悪かっただろうに本当に感謝している。ありがとう。
・喉を鳴らさずに飲み物を飲めなかった。無意識に喉を鳴らしていたらしい。これは習い事の休憩時間に教えてもらった。恥ずかしくて家に帰った後半泣きになりながら喉を鳴らさずに飲む練習をした。
・鼻呼吸を知らず常に口が半開きだった。遠足の写真を友達と見ていて指摘された。大人になってから出っ歯の原因の1つと知って泣いた。
・毛の剃り方を知らなかった。毛深くて体育の授業の時は地獄だった。半袖を無理やり引っ張って七分袖くらいにしてたが、男の子に俺より毛深いのヤバ(笑)と言われて呆然となり、その後の授業をどう過ごしたのか記憶にない。泣きながら親に相談したが困った顔をされただけで終わった。悩みすぎて普通のハサミで切ったりもしてみたが当たり前に無理だった。今でもそのときに皮膚を抉った跡が残っている。余談だが兄もハサミで毛を切っていたらしい。
・ティーン雑誌を知らなかった。友達の家に遊びに行ったときに知った。真似してニコラを買い始めたがニコラには非常に感謝している。カミソリやブランド服といった様々な存在を教えてもらった。それまで服はしまむら・アベイル・ユニクロ・ハニーズしか頭になかった。
・ブラジャーを着け始めるタイミングを知らなかった。スイミングスクールの更衣室で、見てあの子何も着けてないよ...とヒソヒソされて気づいた。帰って泣いた。
・卒業式の服装が変だった。ニコラを読んでいてどうやら卒業式ではブレザーを着るらしいということは学習していた。が、ブレザーを買う余裕が無く親が持っていたワンピースにボレロを羽織り出席した。隣の席の男の子に何とも言えない顔で個性的だね(笑)と言われ胸が苦しくなった。
高校生になりスマホを手にいれてからは、調べれば分かるし、お小遣いの範囲で自由にやりくりできたので少しずつまともになった気がする。
なんでこんな増田を書こうと思ったのかというと、最近親と電話していて結婚式のピン札の話題になり、ピン札かどうかなんて気にする必要が無いと言われて、この今までの記憶を思い出したからである。必死に忘れようとしていたのに思い出してしまった。寝る前とかにフラッシュバックして叫んでしまう。近隣住民の方ごめんなさい。
一月三十日(土)
彼女とオンラインデートで映画を見た。外出できないのは残念だが、緊急事態宣言下なのでやむを得ない。妹は毎週のようにテニスに、父はコンサートに一度だけ行っているので自分だけ自粛するのはやや釈然としない。なるほど、こういう心理的な機序で自粛警察が生まれるのだな、と一人納得している。しかし、彼女と一緒に過ごせば当然食事をしてマスクを外すわけで、二人に比べれば自分のデートのほうが感染を広げてしまうリスクは高い。彼女に移してしまう恐れまでもある。それに、ズームを使ったデートは自宅で一緒にだらだらしているみたいで、これはこれで楽しい。テレワークもできるだけ利用しつつ、感染の終息を願う。
一緒に観た映画については、プロットが甘いという点で二人の意見が一致した。二人が好きなものが一致するのは大切だが、嫌いなものが一致するのも大切で、むしろ後者のほうが重要かもしれない、と聞く。
ところで、この映画が気に食わないもう一つの理由が、かつて一緒にデートしたが結局おつきあいできなかった女性と見に行った映画だからだ。今の彼女とその映画を見たので、なんというか怨念が成仏した(自分が提案したわけではない。見たのは彼女がずっと気になっていたからだ)。他にも、別の女性と一緒に行った場所に彼女を連れて行っているので、記憶の混同がないように綿密に日記をつけないといけない。
さて、彼女についてだ。彼女はおっとりしているというか善良というか、自分がぼんぼんである以上にお嬢様な感じがする。映画があまり好きじゃなかった、思っていたのと違った、というときにも言葉に棘がない。そういわれるとなんだか一緒に笑えて来てしまう。以前は、もっときびきびした女性と付き合ったほうが楽しいのではないかとも考えていたのだが、結局そういうタイプの女性とのデートは長続きしなかった。鋭いタイプの女性は自分のことを優柔不断でまどろっこしいと感じるのだろうか。学生時代に憧れていた女性もそういうタイプだったが、結局振り向いてもらえなかった。
ここまで書いて、そういえば自分と長くデートしてくれた女性は全員山羊座だった気がして確かめてみたのだが、確かに一番多いのは山羊座だった。でも、他に十月生まれとかもいたので、自分の記憶違いであった。
彼女はとても真面目で物事を真剣に考えてくれる。真面目だから、セックスは結婚した後がいいと言う。彼女がそう思うならそれでいい。もっとも、神様に真面目な彼女をお願いしたとはいえ、ちょっと真面目過ぎやしませんか、と感じる日もないではない。自分が何をおかずにオナニーしているかがばれたら困惑させてしまうだろう。
一月三十一日(日)
今週もジョギング。先週と比べればずっと暖かい。今年の冬は年末年始が一番冷え込んでいた印象がある。一番寒い時期を半袖にウインドブレーカーを羽織っただけで乗り切ったので、ウエアはしばらく買い替えなくてよさそうだ。単純に買い物が面倒なだけのことだが、気温の変化に対する抵抗力がついたかもしれない。もっとも、半袖のウエアがボロボロになってきたので買い替えろと家族には言われている。夏からずっと着てきたのだから無理もない。
寒さは平気だと言ったものの、北向きの自分の部屋の寒さには参る。温度計の示す温度の割にコンクリートの壁から冷気がしみ込むので体感温度が低い。低温下で運動するよりも、少し冷える部屋でじっとしているほうがずっとつらい。ジョギングは真冬でも汗だらだらになるのに対し、部屋では布団をかぶっていたくなるほどだ。
そういえば、先日の日記でTENGAを購入しても紙袋がもらえないことについて言及したが、今週は試しにコンドームを一緒に購入した。やっぱり袋はもらえない。予想はしていたが、環境を守る方向に本当に強く舵を切ったのだなと感じた。
ジョギング帰りに近所の公演の傍を通ったら工事をしており、見通しの悪い茂みが刈り取られていた。小さい頃はそこに隠れて遊んでいたものだが、不審者が出たのだろうか。遊具も随分と安全なものになった。金属製からプラスチック製になり、九十度近くあった滑り台の角度もずっと緩やかになり、むやみに飛び降りられる個所もなくなった。
二月一日(月)
最近韓国料理を口にしていない。原因の半分はテレワークで、もう半分はなじみの韓国料理屋の混雑だ。昼休みの時間はそれなりにあるが、寒い中店の外で待たされるのは面白くない。もう一年ぶりくらいになるだろうか、かつて通っていた韓国料理屋を訪れたが、やはり数分待ちだという。別に五分程度なら待っても構わなかったのだが、少し行ったところに別の韓国料理屋があることを思い出したので、そこに行ってみた。久々の新規開拓だ。石焼ビビンバはおいしかったが、やはりタンパク質が不足してしまう。そういうわけで、本日の間食はベビーチーズとした。
で、会計をしようとしたら財布を職場に忘れていたことに気づいた。荷物を店に預け、職場まで戻る羽目になった。なお悪いことに、エレベータの定員が三密回避のため少なくなっており、いつも以上に行列ができていた。確かに毎朝九階まで階段を使っているのだが、昼休みが終わるまでに往復しなければならないため、いつもよりも速足で昇らされることとなった。やれやれ! しかも午後の仕事は十二階でだった。
帰路、職場前の書店をのぞくが、目当ての漫画の欲しかった巻がない。アマゾンで頼むべきか。実は、朝一番で書店に足を運んだのだが、新型コロナのせいか開店時刻を遅らせていたので、書店に向かったのは二度目。どうも今日は間の悪い一日であった。電車が少し遅れさえしたし。
今週は新しい韓国料理屋のプルコギ、カレー屋、ビーフカツレツ屋を開拓しようと思う。筋肉食堂も気になっている。夕飯はおでん。
そしてそんな四つ打ち革命に終止符を打ったのが2016年頃に巻き起こったネオシティポップムーブメントである。ceroが2014年にリリースした傑作「obscure ride」あたりからその機運が高まりつつあったが、Lucky Tapes、ミツメといった若手から、くるり、サニーデイサービスといったベテランまで一気にシティポップの傑作をリリース。時代は"エモい"と"チルい"で入り混じったカオスへと突入します。
このネオシティポップムーブメント躍進のきっかけは主にこの3つの要因だと思ってて、まず一つはSuchmosの「Stay Tune」のヒット、これは間違いないですね。次にSpotifyの日本上陸。サブスクリプションサービスの中でも格段に洗練されたデザインと使い勝手の良さから、トレンドにうるさい人々からはまぁ注目されたわけで、そういう人たちがおしゃれな音楽は何だろうってなった時に、都会的で洗練されたシティポップに目が行くわけであって、アディダスのトラックトップを羽織り上海蟹を食べれば誰でもおしゃれなムーブメントになったわけだ(語弊)。
どちらもなっがい前髪で前が見えねぇマッシュヘアが特徴のバンドではあるし、「ないものねだり」のMVを見ると街のきったない中華料理店の炒飯が食べたくなるのはなぜでしょうか?こだまでしょうか?前者がもたらした四つ打ち革命は当時のシーンに多くのフォロワーを生み出し一躍時のサウンドに。後者はサブカルライクなユーモア性とジャズやヒップホップなどを織り交ぜた洗練された音楽性で、おしゃれな音楽=売れるというサブスク時代の先取りを果たすこととなった。
これらの邦ロックカルチャーの隆盛は、いわゆるAKB、ジャニーズ、EXILEの三種の神器によって形骸化しつつあったJ-POPシーンに、フェス文化の浸透と共に台頭していった。Mステで2014年くらいにあったKANA-BOONとゲスの極み乙女の対バンとかあそこらへんがピークかな。(たしかKANA-BOONが「シルエット」で、ゲスの極み乙女が「デジタルモグラ」を演奏したんだよな。懐かし...)
酷い人生だったと思う。
母は毎日酒乱の父と祖父に殴られ怒鳴られていた。祖母は大事な長男を奪った母が憎かった。
母のあとは子供が殴られた。父に蹴られた妹がサッカーボールみたいに弾んでいた。
その母も私が小学生になった頃ガンで亡くなり、私達は父と祖父と祖母に殴られ家具を壊されランドセルを捨てられ拾った仔猫を川に流され、お前たちも母親のように悪い女になって早死にする、汚い、臭い、母親そっくり、1日中怒鳴られた。
それでも時々、父親は私達姉弟を連れて遊園地や外食に出かけたりして可愛がったので、少し乱暴だけど愛情深い良いお父さんなんだと私達は信じていた。
間違っていたが、それ間違ってるよと教えてくれる人はいなかった。
小学生のころ面白がって車や重機の運転もさせられた。父親は怖くて叫ぶ私を見て喜んでいた。大人になっても夢に見る。今でも運転免許は持っていない。
家で出たゴミは車で遠くに持って行って窓からポイ捨てさせられた。公共の場所でゴミをゴミ箱に捨てると「いい子ぶるな」と叩かれるような家庭だった。
高校生のころ祖父が死に祖母が認知症になり、私が家で介護した。父は「女が学校行ってもしょうがないだろう」と言った。
数年で祖母も亡くなったが父親が働かなくなった。借金とパチンコがやめられず、私と弟がかけ持ちで働いた給料で家族を養ったが借金はかさんだ。
父は「俺がこんな風になったのはお前達のせいだ」と毎日暴れた。私達は父親が壊したタンスや割れた食器を片付けながら自分を責めた。
やがて借金に限界がきて家を手放すしか無くなり、廃人のようになっていた私は父方の叔父に引き取られた。弟と妹はいつの間にか行方不明になっていた。妹とは数年後に連絡が取れたが、弟は今もどこにいるのか分からない。
叔父は殴らなかったがギャンブル依存症で、私を低学歴の肉体労働者と呼びお金を要求した。私は断らなかった。
断るという選択肢がある、断る選択をしてもいいのだということすら知らなかった。
それに我慢していれば周囲の大人に「我慢強くて偉いね」と褒めてもらえた。褒めてもらえるのは嬉しかったのでずっと我慢した。我慢していればうまく行くはずだと思っていた。うまく行かないのは私の我慢が足りないからだと自責した。
ほとんど休みもなく働き、得たお金をほとんど父親と叔父に渡した。監禁されていた訳では無いからいつでも逃げられるのに、逃げられなかった。逃げるという選択肢も思いつかなかった。
叔父の家ではキッチンや風呂トイレなどを使うことは許されず食事も自分で調達して部屋でこっそり食べていたので、寝る場所があるという事以外はほとんどホームレスの人と同じような生活だった。
そんな生活を6年も続けた。
2013年の冬、叔父は睡眠薬を飲んで深夜の線路に横たわり、電車に潰されて死んだ。
私のスマホには直前に「もうすぐ返すよ。ごめん」というメッセージが残されていた。
叔父の死後、無一文の私は別の親類に頼み込み半年ほど部屋に転がりこませてもらい、どうにか貯金して部屋を借り一人暮らしを始めた。
この親類の強い勧めで何度か心療内科にも行ったが、自分に治療を受ける価値があるとも思えず続かなかった。
我ながらろくでもない環境で生きてきたと思うが子供の頃から救いになっているものがあった。
二次元。
家ではアニメを見れたし学校に行けば漫画も読めた。学校にはオタク趣味の教師もいて色々な漫画を読ませてくれた。同人誌を出している人もいて、イラスト原稿を描かせてもらったりもした。
スマホを持ってからはボカロにのめり込み、ピアプロに登録して初めてネットに拙い絵を載せた。コメントをもらえた時は認められたような気になって嬉しかった。
叔父の家に引き取られてしばらく経ったころ、Twitterを始めた。
自分の境遇を話す勇気は無かったので普通に仕事をして普通に生活しながらオタク活動する普通の女子に見えるように無理しながらも、同じ趣味の人と語り合うのは楽しかった。
叔父が死んで翌2014年の冬、一人暮らしの部屋で相変わらずTwitterでオタク話をしながら私はもう死ぬしかないと感じていた。
ようやく自分で働いたお金を自分のために好きに使える環境になったのに、すぐに眠れなくなり食事の味も感じず好きな漫画も辛くて読めず、絵も描けなくなった。
父親とは離れて暮らしていたが、叔父が死んでも相変わらずお金をせびられていた。一生続くんだと思った。一生逃げられない。
Twitterの楽しそうなタイムラインに楽しげにリプライしながら死にたい死にたい死にたいと声に出していた。
というツイートを見たのはそのころだった。
2015年1月、サービス開始と同時にタイムラインは刀剣乱舞の話題で埋まり、ものすごいスピードで流れていった。
あまりの勢いに「私もやってみようかな」と呟いたら、オススメ刀をプレゼンしてくれたフォロワーさんがいた。
どうせ死ぬし、最後に流行ジャンルの空気味わってみるのもいいかも、どうせ死ぬし。と思っていた。
ゲームをやってるうちに新しい刀が来た。土方歳三の刀。新選組の羽織を着てる。歳さんみたいなきっぷの良い話し方。
もう一振りの土方さんの脇差くんと出陣してみたら回想が始まった。
びっくりした。
えっ?泣いた…?
泣くの、こんな人が、元の主を思って?
びっくりした。
かわいい。いじらしい。いとおしい。
感情が爆発して何か知らんが兼さんと一緒に私も泣いてた。
わんわん泣いた。もう号泣した。
ゲーム進めて、絶対にこの刀たちを幸せにしてやるからなと思った。
5月、刀剣乱舞が初めてご当地コラボイベントをするという。茨城県。行ける距離だ。当然行った。
こういうイベントに行くのも初めて。
綺羅びやかな他の男士に比べるとスッキリした出で立ちで本丸ではのんびりした口調、公式プロフィールの解説は「…良いヤツ!」。その頃は一部のユーザーに「一般人」なんて揶揄もされてた。
コラボ先の結城市には御手杵のレプリカがあり、普段は蔵を改装した小さな施設でこじんまりと無料展示されている。今日は蔵からおろして、実際に御手杵に触れるようにしているという。会場で御手杵のコラボ酒も販売するという。何それテンションあがる。
ソワソワしながら「握手会」の列に並ぼうとしたら、コラボ酒の列から「完売です!」と声があがった。同時にあちこちで拍手が起きた。皆口々に良かった!売れた!と感激していた。
御手杵は他の男士に比べるとちょっと地味…なところもあるので、売れ残るんじゃないかと心配されてたらしい。自分も欲しいのに買えなかったけど、嬉しくなって拍手した。
年配の男性グループが「うちの槍は人気者だね」とニコニコしていた。うちの槍。いいなうちの槍。
握手会で待ってる間に他の審神者さんと仲良くなって、初めてリアル審神者仲間ができた。
なんだかフワフワしながら帰って、久しぶりに絵を描きたいなと思って、御手杵の絵を描いた。
新しい刀が本丸に来るたびに来歴を調べ、歴史と刀そのものにも興味が湧いた。博物館に行き、初めて本物の刀を見た。綺麗で美しくてびっくりした。
体験会で持った刀の重さに背筋が伸びた。色々な所に行って色々な人と話した。初めて見るものがたくさんあった。
死にたいという気持ちはまだあるが、生きてもっと色々なものを見たいという気持ちも増えた。
運転免許を持てないので、コラボや博物館や展示を見に行くのも鉄道が頼りだった。仕事でも毎日電車通勤だ。
鉄道は好きだった。カッコいいので。
電車がスピードを落として通過していく時、車輪の下でひき潰されていく叔父を想像する。
これも一生治らないのかもしれないと思っていた。
2019年、刀剣乱舞のミュージカルに御手杵が出た。2.5次元というやつ。
Twitterのタイムラインでは御手杵役の役者さんを紹介するツイートやミュのレポートが連日流れてきた。役者さんの身長・年齢・どんだけ股下が長いか・どんな演技をするか・どんだけ可愛いか……楽しそうだなと思って楽しく見ていた。
その中で何人かが役者さんの出演作で「鉄ミュ」というものをオススメしていた。
「青春鉄道」という鉄道路線擬人化漫画の2.5次元ミュージカル。とにかく見れば分かるので見てほしい!原作もとても面白いので読んで!と熱く語られていて、気になった。
原作はweb連載で、無料ですぐ読めるという。リンクも貼ってくれてる。親切。
読みました。
めちゃめちゃ面白い。
びっくりした。
サクッと読める時事ネタ、見やすくてかわいい絵柄、全然知らない路線ネタでも面白く読ませるネーム、ツッコむ時のセリフの言葉選びのセンス……そしてそこに見え隠れするキャラクター同士の深い関係性。
めちゃめちゃ面白い。びっくりした。
青春鉄道は商業連載版(鉄道ネタ)の他に原作者様が自分で出してる同人誌版(鉄道ネタ以外・キャラクターの掘り下げ話など)があるという。すごい。
読めるだけ読み尽くした私はすっかり「東海道本線」推しになっていた。
刀剣乱舞でも何度もコラボしてくれている三島の佐野美術館や静岡の久能山東照宮に行くときに欠かせない路線。お世話になっております。
これからは「推しに会うために推しに乗って行く」事になるのか。楽しそうだな。
「鉄ミュ」もDVDを購入して見た。
とんでもなかったです。
詳細は省くがとんでもなかった。
こんな舞台初めて見ました。何これ?
何を見せられたのかよく分からないけど面白かったといことは分かりました。めちゃめちゃ面白い。びっくりした。いやびっくりした。
青春鉄道には通勤で毎日使っている路線のキャラクター(かわいい)も出ている。
原作漫画を読んですっかり「青春鉄道」にはまった翌日の帰り道、いつものように駅の改札を通った。
いつもはすぐにホーム階に降りず、構内のコンビニで特急電車の通過を待って落ち着いてから降りる。
すごいスピードで近付いて来た電車が轟音でホームを通過し、弾丸のように駆け抜けていった。
あっという間に小さくなる電車を見送りながら、私は(○○線さんめっちゃ速いな。かわいいな)と考えていた。
手足も震えなかったし汗も出ていない。呼吸は落ち着いていた。
そのまま後続の各停に乗って一人暮らしの部屋に帰って、コートも脱がずベッドにつっぷしてめちゃめちゃに泣いた。
いなくなった、と思った。
あの電車が追い出してくれた。
電車と刀が。
まあなんかそんな話です。
自分の中で気持ちに整理がついただけで現実はもう手遅れかもしれない。相変わらず車は苦手だし多分一生弟とも会えないし頼れる家族もいないし明日突然死ぬかもしれない、でもほんの少しでも前を向けたっていう事実があるだけで修復できる傷もある。と思う。
渋谷区で一人暮らししていたが、祖父はいくつか不動産を持っており、その1つを生前贈与されたので住むようになった。場所はほぼ埼玉の東京の某市。
が、引っ越しして1年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、東京市部を心の底から舐めていた。都心で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
俺と同じように代々東京で、ずっと東京で生活していて、でも都心の家賃は高いから市部の生活も悪くないかもと考えている都民は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから田舎で生活してみたい、は絶対後悔する
幼い頃からスーパーに東京野菜というのが売られているのを見ていたし、親に練馬では大根を作っているという話を聞いていた。しかし、実際自分の目で東京の畑を見たことがなかった。厳密にいえば、新幹線や自動車に乗っているときに窓から見ていたことはあっただろう。しかし、それがほんとうに東京であることを意識したことはなかった。
実家の裏手には某美術館の庭園、一人暮らしの家からは某公園があったので自分の部屋から小さい森みたいなものは見えていた。自然から疎外されて育ってきてはいないはずなのだが、いま外に見えるのは洒落た庭ではなく畑である。同じ植物でも庭園と畑の決定的違いがある。食べるための作物か、鑑賞のためだけにつくられた緑か、という点だ。
その差は小さいようでかなり大きい。畑をメンテナンスしているのはしがない農家のオジサンだ。聞こえてくる音は見た目を整えるチェーンソーではなく、収穫するためのトラクターだ。
生きるために必要であるとはいえ、そのプリミティブな行為が自分の生活圏内にあるということは大層居心地が悪い。
東京に空が無いと誰かが言っていたが、たしかに俺が生まれた街にはない(昔は青山も今ほど高いビルがなかったからもう少し空は広かったが)。しかし、市部にはある。高さ制限や用途制限があるわけではないのに、高い建物がない。
ふつう広い方が落ち着くのではないかと思うだろう。どっこい、そうではない。俺にとって、都心のビルは圧迫ではなく受容なのだ。そのそびえるコンクリートとガラスに守られて生きてきた。しかし、市部にはビルがない。落ち着かない。ダイナミックに変化する空の脅威に直接晒されているような感覚になる。これも大層居心地が悪い。
都内と23区外、いや、都心とそれ以外は天と地ほどの差がある。電車で新宿まで40分?普段行く場所が新宿だけならいいが、丸の内にも赤坂にも恵比寿にも品川にも上野にも行く用事はあるだろう。うまい店、気の利いたものを売ってる店、友人宅etc..
それらに行こうとすると、片道1時間は平気でかかる。バーに行くことも、カフェに行くことも、フレンチに行くことも、ブティックに行くことも、本屋に行くことも、美術展に行くことも、コンサートに行くこともかなり腰が重くなる。
いや市部にも、うまい店気の利いた店は確かにある。あるのだが選択肢がないのだ。その店が休みだったら代わりの場所に行くこともできないし、気分によって切り替えることもできない。あ、時間できたしあそこ行こうかな、というのもできない。
市部には畑しかない訳ではない。むしろ畑は割合的には小さく、それ以外は画一的な戸建て住宅と古びた団地と老朽化した遊具を備える公園がある。その風景は悲しいほどに寂れている。古びた団地には本当に気が滅入る。かつて大勢の若い親たちとその子供が暮らし栄華を極めた団地だが、今は高齢者しか住んでいない。ひび割れたコンクリートを補修した跡と、その前を歩く老人の皺がオーバーラップする。終焉目前の団地1階の商店の色褪せた看板を見ると、俺の心の色を奪っていくような感覚になる。
東京に住んでいた頃にも自転車はいた。主には送り迎えするお母さんたちだ。しかし、市部の自転車の半分は老人たちだ。チェーンは錆びつきキーキー音が鳴り、よろよろとハンドルを握るおじいさん、おばあさんたちだ。あとは通学の中高生。ヘルメットこそ被っていないものの都内ではあまり見かけない「自転車通学」。田舎にしかないと思っていたものが、市部にもあった。もちろんお母さんたちも自転車に乗っている。そのお母さんたちが来ているダウンはモンクレールではなくユニクロだ。そして自転車の総数自体が都内に比べて断然多い。それは歩くのがとても窮屈だということだ。
メインの国道も狭いし、路地はもっと狭い。246の歩道より狭いんじゃないかという道を、よぼよぼの自転車と元気な通学自転車が駆け抜けていき、その間を自動車が通っている。田舎や都心ほど道が広い訳でもないのに通行量はそこそこある。こんな滅茶苦茶な道は市部にしかないのではないか。
ちょっとした用事で実家に1週間ほど戻ったことがある。その時感じたのは住むなら都内だ、ということだ。
ジャンパーだけ羽織ってスマホさえ持って外に出れば、パスモも持たずとも、カフェも本屋もブティックも何でもある。身なりのひどいおじさんもいないし、余裕のなさそうな顔で自転車を漕ぐお母さんを見ることもない。農作業している老人を見ることもない。
田舎者には「でも自然がないじゃないか」と言われそうだが、少し足を延ばせば明治神宮があるので、緑に囲まれることができる。都心には、代々木公園でなくとも新宿御苑、皇居前広場、上野公園、芝公園など実は緑に触れられる場所は多い。本格的な自然ではないが、木に囲まれたすこし湿った空気を吸うことくらいはできる。
今住んでいる家を賃貸に出して引っ越せばいい話ではあるし、実際そうしようとしている最中なのだが、都内に住んでる都内育ちの同志に同じ思いをしてほしくない。相続したからといって、気軽に市部にいくのはよしたほうがいい。どうか、貴重な人生の時間を無駄にしないようにしてほしい。
童貞じゃないし経験や年齢を重ねても、異性とラブホで二人きりになって、これからすることを目の前にすると、
緊張してドキがムネムネする。けど、初対面でも同じ相手で48時間一緒に居ると、まあ性的な羞恥心は無くなるかな。
お互い全裸だし、男子は勃起してる性器を見られて射精して果てる姿を見られちゃうし、
せっくすのインターバル時、こまめにガウンを羽織る女子が居る。
一度せっくすしたなら(何が恥ずかしいのかな?)と全裸で過ごす人も居る
性的な羞恥心は「作り上げる」ものだから、たびたび下着を着る女子には脱がす楽しみがある。全裸女子も、
それで普通の行動するなら、体操座りや胡座かいてるときの股間や、立ったまま前屈みしたときの股間。
何かの動作の時の胸のたわみ。僕はベッドから全裸でトイレや浴室まで歩く時の後ろ姿フェチだ。
女の子とムダ毛の処理の話をして、一緒に浴室に入った時、女の子はしゃがんで「ここは剃ってるんですけどね」と顔を股間に向けて大陰唇を指でなぞりながら。
その女の子のまんこなんてずっと見てるのだけど、生活感あるエロにちんこがリアルタイムに大きくなって、「触らなくても大きくなる?!」と、それは当たり前。
ついでに、お風呂で女子が「おしっこしたくなっちゃった」と言うなら、それは「お風呂でしたい」の意だろう。
その時、「しゃがんで」するか「立ったまま」するか。立ったままでも「そのままする」か「尿道を出すように割れ目を広げる」か。
「僕も並んで立ちションしま…」、ちんこが勃っておしっこ出ない。「勃ってるとおしっこ出ないんの?」
「一緒にお風呂入りましょう」「入りましょう!」。一緒にお風呂入るのは、二人の間柄や性経験、
エロ度によらず、だいたいの女の子は快く賛同する。ラブホの浴槽に100%お湯を張り、
湯船に入ると「ざぶーん」とお湯が溢れ流れる。