はてなキーワード: パスモとは
町田駅での昇格記念パレード。ほんとうに感動した。町田市民であることをこんなに誇らしく思ったことはない。
来季はJ1。すでに大型補強が決まっていてビッグクラブの予感すらある。
フロンターレ、ベルディ、ベルマーレとの神奈川ダービーも楽しみ。
2023年4月1日から神奈中バスの小児料金が一律50円に。子ども用のパスモを利用すれば、小学生はどこまでのっても一律50円になった。地味なニュースなんだけど、町田市民によってはすごいことなんよ。町田の山奥の団地に住んでる小学生は世界が団地だけなんだよね。団地に住んで、団地の小学校に通って、団地の商店街で買い物、団地の公園であそぶ生活。それが一気に広がるんよ。小学生の目から見ると、町田の駅前とか、ほとんど東京と同じだから。ハンズあるし、ヨドバシカメラあるし、有隣堂あるし。
ニュースで熊が増えているとは聞いていたけど、住んでいる市に熊が出るとはおもわなかった。町田が熊の支配下になる日が近づいているということだな。熊鈴買わなきゃ。
クレカやQRコード決済、パスモなどのプリペイド型カード決済、d払いなどのスマホキャリア決済で扱われた売上は、一律「売掛金」として処理される。
売掛金は、所謂「ツケ払い」や、今問題になっているホストクラブの「掛け」と性質は同じ。期日が来たら自動的に入金されるか、客が金持って来てまとめて支払うかの違いでしかない。
ホストクラブの売掛金規制が難しい理由がここにある。風営法を改正して売掛を禁止すれば良いように一見思えるが、そうすると上述のキャッシュレス決済全部禁止にし、いつもニコニコ現金払いにする必要が出てくるからだ。
今のご時世、普通にホストクラブもキャバクラもキャッシュレス決済に対応してる。手数料は割高だし使う客は少ないがクレカが使えるし、Airペイのように明確にホスクラ、キャバをターゲットにした決済サービスもある。そんな状況でキャッシュレス決済禁止なんて規制をやったら差別だ違憲だとかで訴えられるのが確実だ。
キャッシュレス決済の浸透が、ホストクラブ規制を困難なものにしていることは理解しておくと良いだろう。「今どき現金なんてほとんど持たないよ( ー`дー´)キリッ」という人達が、ホスクラ売掛問題の片棒を担いでると言えなくもないのだ。
乗車前に行き先を聞かれたのだけど、聞かれるとは思っていなかったのでうろ覚えで喋ってパスモタッチ。
そんで地図アプリで確認したら間違えたことに気づいたんだけど、まあ降りるときに精算するしええやろと思ってそのまま乗ってた。
そしたら先払いだったらしく精算不要でそのまま降ろされた。
今慌ててググってるけど多分一律でどこも値段一緒っぽい。
じゃあなんで乗るときに行き先を聞いたんだ?
まあなんかめっちゃモヤモヤするけど、今からバス会社に電話するのも面倒だから放置することにする。
まあ俺は損してないし。
つうかいきなり行き先を聞かれても知らんしな。
バス停やドアの前にデカデカと貼ってあるならともかく、地元で半月暮せば常識になるから知らんほうが悪いみたいに言われてもねえ?
傷口から夢が出てきそうな気がして嫌だった
傷は硬すぎるフィッシュアンドアーモンドの21世紀にしては鋭すぎる蓋のフチで切った右指
夢はこうだった
俺は実家を売る契約の現場に居合わせた。胡散臭い不動産屋がよくわからん中年女性に売ってた。本契約が決まったあとにAIがどうたら言って手数料かすめ取ろうとしてたが女性は「知らないなー」と一刀両断してた。なんか俺達の方にも知ってるか聞いてきて知らんと答えたら満足そうに去っていった。不動産屋はイラついてた。
母親の運転する黒い車に爺ちゃんと乗ってた。どこに移り住むんだっけ、ここらへん基地の近くだからうるさいんだっけとか話してた。母親は常に暗く、途中で運転席から降りて、俺は自動運転かな~と思ったり、そんなわけないので自分で10年ぶりにハンドル握ったりした。母親に何故か問うたら、一瞬ヘラヘラして、あいかわらず暗かった。
いろんなところで買い物した。まずケーキ、次に衣料を買ったので荷物で潰れたケーキは服の上にこぼれた。で、最後の店に着く。
会計が2つある所で爺ちゃんと母が会計してた。こいつらもいろいろポイントの説明とかするタイプ。しかもガラが悪かった。じいちやんの方は眉毛がないやつで、クレジットカードを返さなかった。
俺はそれを取り返し、後に、カードピってやるとこにあるパスモを奪った。そして「これ違いました」といって戻した。眉無しはキレてた。
眉無しが追ってきそうだったので逃げた。足はなかなか進まない。俺はサンダルだからだと思った。
すこしして、夢はさめた
これからはマイナポイントで払いたいとか政府が言ってるんだがマジなの?
企業の給与も銀行振込でなくて電子マネーという名のポイントにしたいとか、
アホなんじゃないかと思ってるんだけど
こちら側でスイカとかパスモとか指定して振り込ませたいみたいなんだけど、
それやっちゃったら、まず現金化できない
そのポイントカードとか電子決済が導入されているスーパーでしか買えない
バカなんじゃないの?と思ったが、もう電通とかにお金渡して作っちゃったみたい
というか、今やってるマイナポイントのシステムを流用するみたい
一度指定したら、少なくともその一回の給付に関しては後から変更できないみたいで、
下手すると、ずっと変更できないようなシステムの可能性もあるわけで、
そうなると電子マネーという名のポイントによる電子決済サービスごとに享受できるメリットは異なるわけで、
例えば国から10万円を受け取っても、その10万をパスモに入れるのか、Edyに入れるのか、
PayPay使ってないけどPayPayなのかで10万円が15万ぐらいの価値になったり、逆に損したりするわけで、
なんで国民側にそんな判断を押し付けるのか、さっぱり理解できない
あと、パスモなんか大手なのにマイナポイントの締め切りを早々に切ってるんだけど、
なんかあるのかなあ、と勘ぐってしまうんだよなあ
いずれにせよ、国が言ってる電子マネーはどっちかというと単なるポイントカードで、
でも、現金でなくてポイントカードにポイントだったら入れてやってもいいみたいな感じで、
よくわからんが、それって通貨を発行することに問題があるのか、
あと、一律にすべての国民に銀行振込すると振込手数料とかかなり高いので無駄、
というのもあるだろうし、
まあ、何はともあれ給与はこれまで通り銀行に振り込んでほしいし、
できるなら、今後の10万円みたいな給付も銀行に振り込んでほしいんだけど、
キャッシュレス=ナウでイケてるヤングにバカウケとでも思っているのか、
スガみたいな老人の考えることはさっぱり分からん
渋谷区で一人暮らししていたが、祖父はいくつか不動産を持っており、その1つを生前贈与されたので住むようになった。場所はほぼ埼玉の東京の某市。
が、引っ越しして1年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、東京市部を心の底から舐めていた。都心で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
俺と同じように代々東京で、ずっと東京で生活していて、でも都心の家賃は高いから市部の生活も悪くないかもと考えている都民は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから田舎で生活してみたい、は絶対後悔する
幼い頃からスーパーに東京野菜というのが売られているのを見ていたし、親に練馬では大根を作っているという話を聞いていた。しかし、実際自分の目で東京の畑を見たことがなかった。厳密にいえば、新幹線や自動車に乗っているときに窓から見ていたことはあっただろう。しかし、それがほんとうに東京であることを意識したことはなかった。
実家の裏手には某美術館の庭園、一人暮らしの家からは某公園があったので自分の部屋から小さい森みたいなものは見えていた。自然から疎外されて育ってきてはいないはずなのだが、いま外に見えるのは洒落た庭ではなく畑である。同じ植物でも庭園と畑の決定的違いがある。食べるための作物か、鑑賞のためだけにつくられた緑か、という点だ。
その差は小さいようでかなり大きい。畑をメンテナンスしているのはしがない農家のオジサンだ。聞こえてくる音は見た目を整えるチェーンソーではなく、収穫するためのトラクターだ。
生きるために必要であるとはいえ、そのプリミティブな行為が自分の生活圏内にあるということは大層居心地が悪い。
東京に空が無いと誰かが言っていたが、たしかに俺が生まれた街にはない(昔は青山も今ほど高いビルがなかったからもう少し空は広かったが)。しかし、市部にはある。高さ制限や用途制限があるわけではないのに、高い建物がない。
ふつう広い方が落ち着くのではないかと思うだろう。どっこい、そうではない。俺にとって、都心のビルは圧迫ではなく受容なのだ。そのそびえるコンクリートとガラスに守られて生きてきた。しかし、市部にはビルがない。落ち着かない。ダイナミックに変化する空の脅威に直接晒されているような感覚になる。これも大層居心地が悪い。
都内と23区外、いや、都心とそれ以外は天と地ほどの差がある。電車で新宿まで40分?普段行く場所が新宿だけならいいが、丸の内にも赤坂にも恵比寿にも品川にも上野にも行く用事はあるだろう。うまい店、気の利いたものを売ってる店、友人宅etc..
それらに行こうとすると、片道1時間は平気でかかる。バーに行くことも、カフェに行くことも、フレンチに行くことも、ブティックに行くことも、本屋に行くことも、美術展に行くことも、コンサートに行くこともかなり腰が重くなる。
いや市部にも、うまい店気の利いた店は確かにある。あるのだが選択肢がないのだ。その店が休みだったら代わりの場所に行くこともできないし、気分によって切り替えることもできない。あ、時間できたしあそこ行こうかな、というのもできない。
市部には畑しかない訳ではない。むしろ畑は割合的には小さく、それ以外は画一的な戸建て住宅と古びた団地と老朽化した遊具を備える公園がある。その風景は悲しいほどに寂れている。古びた団地には本当に気が滅入る。かつて大勢の若い親たちとその子供が暮らし栄華を極めた団地だが、今は高齢者しか住んでいない。ひび割れたコンクリートを補修した跡と、その前を歩く老人の皺がオーバーラップする。終焉目前の団地1階の商店の色褪せた看板を見ると、俺の心の色を奪っていくような感覚になる。
東京に住んでいた頃にも自転車はいた。主には送り迎えするお母さんたちだ。しかし、市部の自転車の半分は老人たちだ。チェーンは錆びつきキーキー音が鳴り、よろよろとハンドルを握るおじいさん、おばあさんたちだ。あとは通学の中高生。ヘルメットこそ被っていないものの都内ではあまり見かけない「自転車通学」。田舎にしかないと思っていたものが、市部にもあった。もちろんお母さんたちも自転車に乗っている。そのお母さんたちが来ているダウンはモンクレールではなくユニクロだ。そして自転車の総数自体が都内に比べて断然多い。それは歩くのがとても窮屈だということだ。
メインの国道も狭いし、路地はもっと狭い。246の歩道より狭いんじゃないかという道を、よぼよぼの自転車と元気な通学自転車が駆け抜けていき、その間を自動車が通っている。田舎や都心ほど道が広い訳でもないのに通行量はそこそこある。こんな滅茶苦茶な道は市部にしかないのではないか。
ちょっとした用事で実家に1週間ほど戻ったことがある。その時感じたのは住むなら都内だ、ということだ。
ジャンパーだけ羽織ってスマホさえ持って外に出れば、パスモも持たずとも、カフェも本屋もブティックも何でもある。身なりのひどいおじさんもいないし、余裕のなさそうな顔で自転車を漕ぐお母さんを見ることもない。農作業している老人を見ることもない。
田舎者には「でも自然がないじゃないか」と言われそうだが、少し足を延ばせば明治神宮があるので、緑に囲まれることができる。都心には、代々木公園でなくとも新宿御苑、皇居前広場、上野公園、芝公園など実は緑に触れられる場所は多い。本格的な自然ではないが、木に囲まれたすこし湿った空気を吸うことくらいはできる。
今住んでいる家を賃貸に出して引っ越せばいい話ではあるし、実際そうしようとしている最中なのだが、都内に住んでる都内育ちの同志に同じ思いをしてほしくない。相続したからといって、気軽に市部にいくのはよしたほうがいい。どうか、貴重な人生の時間を無駄にしないようにしてほしい。
某工場を昼頃お暇し、バス停に向かう途中変なお兄さんに声をかけられた。
「あの変なこと聞きますけど、
名古屋どっちですか? かくかく然々で、
名古屋まで歩いて帰らなきゃいけないんです。」
「ケーサツには行ったんですがお金は貸せないと言われて。
歩いて帰るんです。」
でも、名古屋まで歩いて帰れんの?
悪いけど。
と、断るしかなかった。
「あー腹へった!」
(いや、そー言われても、ホイホイお金を
出してやるわけには行かないんだよ。)
あのお兄さんは本当に歩いて帰るのだろうか。
ここは横浜。
【後記】
電車賃位貸してもらえたんじゃないだろーかと、
考えたからだ。
夜の駅で金を貸してくれと言い寄って来られた事が何度もある。
もしその災難がほんとのことだったら、
ごめんね。途中で死なないでね❗
地元の電車は路線が一つだけだったので上京しても2年くらい電車の仕組みがよく分からなかった。
パスモでも可。スイカは便利です。500円払う価値あります。東京に住んでいて一々切符を買っている人は多分ほとんどいません。
私は「◯◯方面行き」という意味だと思っていました。△△線の電車の中でも路線の途中の駅までしか行かない電車があったりするので要注意です。終点駅では回送するため降ろされるか、折り返し運転になります。
山手線は線路が丸なので(環状線なので)「渋谷方面行」等と表示されています。
鉄道会社が別の◯◯線と△△線であっても、線路が繋がっていて今乗っている電車がそのまま別の路線に進んでしまいます。(乗換不要なので便利)
◯◯線に乗ったから終点で降りればOKと思って寝ていると別の路線に接続していて全く知らない駅に辿り着いてしまう可能性があります。
また、◯◯線のはずなのに全く知らない駅が行き先に表示されて混乱する、ということが私はありましたが、それは接続された△△線の終点が表示されているのです。
恐らく色々あると思うのですが詳しくないので自分の体験談を1つ。
高尾駅に行くために国分寺から中央線に乗るも、途中で全く知らない駅にいることに気が付き大遅刻。
原因は途中の立川から高尾に向かう中央線と、青梅方面に向かう青梅線に分かれていることを知らず、適当に乗ったため。(電車はどちらも同じオレンジ色)
おそらく立川駅で乗換えを促すアナウンスはあったはずだが、全く聞いておらず。アナウンスは聞きましょう。
エレベーターのドアと同じようなイメージで閉まりかけのドアに飛び込むと、思いっきり挟まれます。
他のお客さんに引っ張り出してもらったりして、電車に乗れたとしてもその後車内で大変恥ずかしい思いをします。
駆け込み乗車はやめましょう。
スイカを買おう。
行き先表示を確認しよう。
アナウンスは聞こう。
駆け込み乗車はやめよう。
以上です。
上野御徒町に、吉池という店がある。一階は魚屋、地下1はスーパー(とパン屋)、地下2は酒屋と荒物屋である。
我が陋屋からは電車で一本、月に一度ぐらい気の利いた魚が食いたくなった時に買い出しに行く。無論上野である、しばしばインバウンド共が己と活ガニを自撮りしようとして河岸声の親爺に止められている風景を見るのはご愛嬌だ。しかしそれよりよく見るのが近隣住民の年寄り衆(婆さんというほどしょぼくれてはいないが、マダムと呼ぶには雑気ない)。イメージよりは地元民という奴がこの辺には多く隠れている。
さてこの店、数年前に本店を改築し、さらに昨年ごろにレジを入れ替えた。当節はやりのセミセルフ式(レジ入力を店員がやり、支払だけ専用機でやるタイプ。客が時間をかけるのは支払いで、これを複線化するので全体の時短につながる)である。
これが入って最初の買い物の時はちょっとしたカオスだった。レジ=金を払う場所、という固定概念は強固なものなのである。年寄り衆(連中は説明にまた時間がかかる)を筆頭に時短につながるはずの新システムは、行列生産機と化していた。まー年寄りだから仕方あるまい、と思ってこちらも位の列に並んで会計を済ます。
その次の月である。年寄り衆はどうなったか。何のことはない見事に適応していたのである。あまつさえ、うち結構な数は現金ではなくスイカやらパスモやら、何らかの非現金決済を活用しているではないか。ついついレジで財布を取り出してしまうこちらとは利用頻度が違うのである。
さて、ここまで来て
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180418-00000058-sasahi-life
話はここへ帰結する。
バカか。
よほどこのアフロBBAの方が老人を侮っている。適応できるかどうかはひとえに個人の資質にほかならぬ。年寄りの全員が全員機械も使えぬ阿呆だと断じる根拠は何だ。無論、当方もn=1の話をしている。だがBBAが賢しらに書き立てる「お年寄り」はほとんど観念上のものだ。更に言えば、全員が全員そうだという話ではない。
反テクノロジーを謳って暮らしていくのは結構。勝手にしろ。しかしそれを正当化するのに勝手に「弱者様」を設定して無遠慮に世間を殴りつけることが正当な行いだろうか(反語、為念)。現実も見ていないような馬鹿が記者面を晒すな。