はてなキーワード: 一部の人とは
同人界隈、特に腐向けジャンルでは学級会と呼ばれる一種の炎上がある。
大体はマナーや迷惑行為に物申したツイートがバズり、それに対していろんな人が(特に強めな)意見を呟いてTLがその話題で持ちきりになるようなことが多い。
我々オタクと言うのはこういう学級会が好きなのだ。とかく己の意見を表明したがる。
気持ちは分かる。身近な問題に対してそりゃあ一言物申したくなるというのは当たり前の感情だろう。
だが一度立ち止まって考えてみてほしい。
その学級会、炎上に加担して結果的に自ジャンルを面白おかしく貶める危険性はありませんか?
今の時代、一旦バズってしまえば己の手が届く範囲を超えてネット中に広がる。
あっというまに他ジャンルのオタク達やライトな作品ファン層、非オタの人々にまで届くのだ。
そして、そういう広がり方をしたものは往々にして元のツイートの真意から外れた質の悪い噂や、センセーショナルな部分だけを取り上げた面白おかしいお話へと変貌する。
リバ、つまり受けと攻めが逆転する作品形態のカップリング表現、性癖の一つだ。
切っ掛けはとあるサークルさんがイベント参加を取りやめる、と告知したことだった。
その告知にはなぜ参加を取りやめることになったのか、原因が丁寧に書かれていた。
簡単に言えば、その作家さんがリバ表現を含む作品をメインカプで配置されたイベントで頒布すると告知したところ、心無い一部の人間が誹謗中傷のメッセージを送ったのだった。
ここでリバという存在が云々・イベント運営会社のスペース配置への配慮が云々、などと語ることは避ける。
腐女子において受けと攻めに関する話題は限りなくセンシティブなものであり、この手のトラブルは昔から無数に繰り返されている問題なのだ。
一つ言えるのはそこにどんな理由や考えがあるにしろ、サークルや作家に対して己の願望や性癖を押し付けたり、誹謗中傷や非難する行為が許されるわけがないということだ。
そう、このサークルさんはそんな酷い悪意をぶつけられ、とても傷ついたことだろう。
今まで理不尽に与えられてきた苦しみが丁寧に説明された告知文は、そんな思いを誰かに伝えたかったのだろうと思う。
急なイベント参加取りやめについて、ファンの読者の方々に説明責任を果たそうとしたのかもしれない。
けれどこのツイートはその後「学級会」を巻き起こし、思わぬ展開を招いた。
まず、同じジャンル内のサークルさん達が次々と該当ツイートをRTし、今回の酷いメッセージ攻撃に対してかなり強い言葉で非難を表明した。
同人とは、創作とは、地雷とはかくあるべきとそれぞれの自論を展開した。
その内容に関して間違っているとは全く思わない。どう考えたって酷いメッセージを送ってきた人間が悪く、サークルさんは被害者である。
しかし過激でセンセーショナルな反応はあっという間にジャンル全体を学級会と怒りで燃やし上げ、すぐにジャンル外にまで燃え広がった。
広がるにつれて内容は背びれ尾ひれがついて過激になっていく。
例えば「A×B民が間違えてリバ同人誌を買って、サークルに文句を言ったらしい」だとか
「A×Bでスペース取ってそのカップリング以外の頒布物を並べたら誹謗中傷されたらしい」とか
「A×BはリバOKサークルを追い出そうとするらしい」なんていうものもあった。
「A×Bの人がB×A本を買って文句つけたとかwwwwさすがA×B民度が低すぎ頭悪いwwwww」
こんなツイートがジャンル外に広がっているのを見て、私は悲しかった。
サークルさんに誹謗中傷のメッセージを送った人間は最悪だし、許せないし、同じジャンルの人間だと思いたくもないけれど、彼らはこのジャンルにおいて絶対的に少数、片手の指で足りるほどだろう。
実際、今回の件だってツイートでは全員満場一致で「誹謗中傷メッセージがおかしい!好きなものを好きだと言って何が悪い」と言っている人しかない。みんな同じ意見だ。
殆どの人は常識をもって、ちゃんとルールを守って、地雷があったって静かに自衛をして、好きな作家さんに応援メッセージを書いて、楽しく好きなカップリングを楽しむ方法を理解している。
そう、ほとんどの人はマナーを守って楽しんでいただけなのだ。なのになんで、ここまで言われなくてはいけないのだ。
簡単だ。センセーショナルな炎上案件がジャンル外に轟いてしまったからだ。
外からみたら、あ~またあのジャンル炎上してるよwwwジャンル民度wwwなんて反応は至極あたりまえなのだ。
さて、話を戻す。
酷い行為への許せない気持ち、とても分かる。特に同じジャンルや好きな作家さんだったのならば、ふざけるな私にも一言物を申させろと思うだろう。
けれどそのセンセーショナルなまでの過激な怒りをネットに投下してしまう前に、どうか一度、少しだけ冷静になってはくれないだろうか。
そのツイートは炎上に加担していないだろうか、表現された怒りは過激すぎないだろうか、火に油を注ぐ行為になっていないだろうか。
その話題がジャンル名を伴ったまま面白おかしくセンセーショナルに切り取られて、遠くまで広がってしまう可能性は無いだろうか。
その先で自ジャンルが面白おかしく貶められる道具として使われる可能性はないだろうか。
藤田なんとかさんに執拗に攻撃される理由は前澤社長が弱そうだから。
前澤社長を攻撃しても右翼が攻めて来ることなそうだし、デマを流されて社会的に死ぬこともなさそうだし、なんかよくわからない権力を使って職場を辞めさせられたりも出来なさそうだから。
日本の建設業界のゼネコンとかとか明らかにブラックでヤバそうなのに絶対叩かないもんな。怖いから。ヤクザとか出て来そうだからな。政治家とも繋がってるだろうし。
Amazonとかも世界的企業で強すぎるから屁理屈こねて税逃れしてるのに叩かないし。
たしかに一部の人間が富を持ちすぎているのは世界的にも問題になってるけどやり方が支持を得にくいだろ。一代で会社を築き上げた元庶民の社長を扱き下ろしてるの見たら前澤社長の味方したくなるだろ。
大量の人間が
「東京がいい」と考えているからかろうじて東京の優位性は保たれているが
近い将来多くの日本人が「あれ?別に東京じゃなくてもよくね?」と気づく時がくるだろう
昔ならば
インターネットがその壁をどんどん低くしていっている
それも徐々に仮想空間に移行していくだろう
結果数十年後
地元に残り、少ない支出で両親の手厚い補助を受け、家庭や資産を築いてきた地方民と
というか普通に考えれば
技術が進歩すればするほど東京の優位性は減少していくのはわかるはずなのに
※追記
■近い将来について
これは曖昧な言い方をした俺が悪かった
■仕事について
まさか普段から「21世紀にもなってガン首並べてミーティングとかアホかよ。Web会議でいいだろ」って言ってるはてな民から
こんな否定されるとは思ってなかった
よく自分の一日の仕事を思い出してほしいんだけど本当に東京じゃないといけない業務内容だろうか?ほとんどがネットや電話でも理論上は可能じゃない?
東京にいる理由って直接会ったほうが良いという感情的な部分が大半じゃない?
今の科学技術水準でもそうなんだから数十年後はどうなると思う?
SF映画とかでバーチャル会議室でホログラムが討論してるのとか見たことあると思うんだけど
「(物理的に)面と向かった方がいい」というのも科学技術の発展と世代交代により廃れていくだろう
ネット上だけで何かの契約をしたり買い物(厳密には買い物も契約の一種だけど)するのは「怖い」とか「不安」とか「無機質で冷たい」なんて言われてたわけだけど
今ではそんなこと言ってるの極一部の人間か老人だけだろ?
「直接会えたほうがいい」なんて言ってたら老害一直線だぞ
「駅徒歩○分」なんてのはまったく意味がない
■集中による効率化について
もちろんインフラ整備などの面で集中したほうが効率的なのはわかる
ただこの災害大国で東京だけに一極集中することがどれだけリスクか説明するまでもないだろう
科学技術の進歩と世代交代のアップデートにより東京の優位性が幻想であると露呈したとき
※追記2
なんか勘違いして人がいるけど
現時点の技術レベルで、2019年のオッサンたちが運営する社会の話じゃなくて
今年生まれた赤ちゃんがオッサンになって社会をまわしていく時代の技術レベルと価値観のアップデートが行われた時代の話だぞ
あと、はてな民ってそんなにリアルで会うことを重視するとは思わなかった
俺が言ってるのは(おそらくはてな民には同意がえられるであろう)
「インターネットやATMで基本的な取引ができるようになったので、近い将来銀行の窓口担当者はほとんどいらなくなるでしょう」
ってのと同じベクトルの話だと思うんだけど
それとどれほどの田舎にもよるってことだけど
別に山奥の限界集落まで維持しろっていってんじゃない(むしろそういうところは積極的に潰すべきだとすら思ってる)
日本各地にミニ首都圏みたいなものを複数作るようになっていくだろうという話
いわゆる「地方の有力企業」的な会社に転職し、義実家の隣町に自分で土地買って家建てたので
単純に人手が2倍(自分たち夫婦と妻両親)なだけでも全然違うなと感じてる
将来義両親介護問題が発生したとしても
年収は2割ほど減ったけど
俺は運良く移住?が上手く行ったほうだと思うけど
俺は料理が趣味だ。レパートリーを増やすために、異世界の図書館でレシピ本を読んでいたときのことだ。なんとなく手にとったそのレシピ本は、おかしなことに途中から空白のページが続いていた。なぜか途中から空白のページになっている、おかしいぞ、と思った瞬間に、本の中に吸い込まれるような感覚がして、気づいたらこの世界にいた。
それからはとにかく大変だった。俺の服装はどうもこの世界では変な格好と見られるらしく、街の人に喋りかけても9割の人に話も聞いてもらえずに逃げられた。なんとか話を聞いてもらえても、異世界から転生してきたなんて話を信じてくれるわけもなく(そりゃあそうだ)、9割の人に逃げられた。飲まず食わずで助けてくれる人を探し続けたところ、5日目でようやくまともに話を聞いてくれる人に出会えた。アパレル通販の会社を経営しているという中年の男だった。彼は、食事を御馳走してくれた上に、自社で取り扱っているという服を俺に与えてくれた(水玉模様のモダンなデザインの服で、とてもおしゃれだ。今でも勝負服として使っている。この世界は、俺のいた世界と違って良質な繊維が取れる植物があまり無いらしく、化学繊維工業がとても発展しているので、ああいったモダンなデザインの服が存在するようだ)。さらに、当面の生活費として現金100万円も渡してくれた。転生したときに着ていたボロボロの服まで引き取ってくれた。俺の世界では、貨幣といえば銀貨や銅貨しかなかったので、こんな紙切れ100枚ぽっちじゃ燃やして暖を取るくらいしか使いみちがないな、と思ったのは今では笑い話だ。1年くらい前のことなので彼は覚えていないかもしれないが、俺は本当にあの人に感謝している。
それから賃貸住宅を見つけ(俺の世界には住宅を賃貸しするというシステムがなかったので、これにも大変驚いた) 仕事も見つけ、今ではやっとこの異世界を楽しむ余裕が出てきた。
この世界には異世界転生というジャンルの小説や漫画があるらしく、同じ異世界転生した境遇を持つ俺としては大変興味深かったので試しに何作品か読んでみた。どの作品も、主人公が元世界にあった知識や技術を活かして異世界で活躍するという内容だった(そこで描かれている異世界は、不思議なことに俺が居た世界の100年くらい前の姿とそれなりに似ていた)。しかし現実は小説のようにはうまく行かない。異世界転生して無双なんていうのは現実には無理だ。確かに俺の世界にしかない科学技術もたくさんあるが、この世界とは根本的に物理法則が違うので、この世界じゃどう頑張っても再現できない。魔法の相互作用と呼ばれる相互作用はこの世界には存在しないらしい。自然界に相互作用が4つしかないというのはなんとも不思議な感じがする。うちの世界には、魔法の相互作用、つまり魔力を応用した便利な技術がたくさんある(魔力で水を活性化させてサビを取るとか)が、この世界には存在しないようだし、根本原理が存在しないので再現することもできないようだ。電磁気相互作用が存在しない世界で電池が作れないのと同じだ。
異世界転生モノを読み慣れている人からすると「魔法を使って無双すればいいじゃん」と思うのかもしれないが、あいにく俺は元の世界ではただの商人だったから、魔法なんて使えない。魔法を使えるのは、特殊な訓練を受けた一部の人だけだ。君たちの殆どがスマートフォンや自動車を設計できないのと同じだ。
したがって、俺はこの世界では、ときどき変なことを言う空気が読めないキモくて金がない若者としてひっそり生きて行かなければならない。もともと頭はよくないし、この世界の教育を受けていないから、肉体労働で身体をすり減らしながら薄給を得ることしかできない。実に虚しいことだ。虚しい気持ちで異世界転生小説を読んでいると、マヨネーズと呼ばれる異常に美味しいとされる調味料を作って異世界人に尊敬される話があった(当時はマヨネーズという調味料の存在を知らなかったので、急いでスーパーに行きマヨネーズを購入し、店先で味わった。異常においしかったためその場で1本飲み干してしまったことは言うまでもない)
そうだ、科学や魔法がダメでも、俺には料理があるじゃないか、料理を振る舞って尊敬されよう、と思った。でも、俺には料理を振る舞う友達なんていないし、俺を雇ってくれる店なんてないし、開業資金なんてあるわけがない。そこで俺は、過酷な肉体労働と苛烈なパワハラですり減っていく自尊心を補うために、ここで俺の世界の料理を紹介して、君たちから称賛の声を浴びようと思う。全部家庭料理なのでとても簡単だ。この世界風の個人的なアレンジが入っているものもあるが、ベースとしては俺の世界のものと大差ない。本当においしいのでぜひ試してほしい。
鶏卵4個をとく。顆粒かつお出汁、なければめんつゆを鶏卵に入れてよく混ぜる。キャベツ4分の1を千切りにする。鶏卵の液にキャベツを入れて良く混ぜる。フライパン(俺の世界にはテフロンという物質が無いので、テフロン加工のフライパンを始めて使ったときは大変感動した。俺の世界はフッ素化学がこの世界より100年遅れている。蛍石が魔力源として利用され枯渇してしまったことがその原因だ)にサラダ油をひいて、肉やエビなどの具を焼く。さらに先程のキャベツと鶏卵を混ぜたものを投入する。蓋をして中火で3~4分ほど焼く。完全に鶏卵に火を通さず、上の方の卵液すこし半熟なくらいが美味。裏返さずにそのまま皿に移し、お好み焼きソースとマヨネーズをかける(俺の世界にはマヨネーズが無いのでソースだけで食べていたが、この世界に来てマヨネーズの存在を知ってから、マヨ無しでは食べられなくなった)
この世界のお好み焼きも美味だが、粉を計量して混ぜないといけないので手間だ。この料理は鶏卵を溶いてキャベツを千切りするだけで作れるのでとても楽だし、なにより卵の風味やふわふわの食感が味わえて美味。
この世界の、いわゆるミルフィーユ鍋を5時間くらい弱火で煮込む。ミルフィーユ鍋は水を入れないで作るレシピが多いが、このレシピの場合は煮込まないといけないので水は白菜が浸るまで入れる。白菜がとろとろになって美味いし、豚バラの甘みが引き立ってとろける美味しさだ。鰹出汁で味付けして七味を振って食べると今の時期最高。ミルフィーユ鍋と言っているがミルフィーユ形状にする意味はまったく無いので適当にかさねて入れれば良い。ガスコンロで5時間煮込むのは大変な手間だが、この世界にはシャトルシェフという便利な調理器具があるので活用しよう(俺の世界にシャトルシェフはなかった 魔力レンジがあったので安全に煮込み料理が作れた)
少なめの湯でマカロニを茹でる(塩は入れない)。茹でてる途中でビーフシチューのルウを適量入れる。ルウが溶けてマカロニが茹だったら、上にシュレッドチーズをたくさん乗せる。チーズがとけたらコショウをかけて出来上がり。簡単に作れてメチャクチャ美味い。(俺の世界にはビーフシチューのルウが存在しないので、ビーフシチューを作った次の日に作るごちそう料理だったが、この世界ではルウを使って簡単に安く作れるのでとても嬉しい。、異世界転生してよかったと思える数少ない点だ)
生の白菜を千切りにする(繊維に対して垂直に切る)。海苔を細かくちぎる。白菜と海苔を混ぜ合わせて、ごま油と醤油(あるいはめんつゆ)をたっぷりかける。お好みでゴマをかけても良い(この世界ではあまり白菜を生で食べないらしいが、とても美味しいのでぜひ試してほしい)
コーラを水で2倍から5倍程度に薄める。この世界では、食事中にコーラを飲む人は味覚音痴だなんて言われがちだが、水で薄めると食事にもよく合うようになる。炭酸の刺激や甘さが抑えられて、コーラ本来のスパイスの味がよくわかるようになる。お茶感覚で飲めるのでおすすめだが、休憩室でコーラを薄めているとクソ上司に哀れみの目で見られてムカつく。(この世界にはコカコーラとペプシコーラしかないようだが、俺の世界ではラスコーラというのが主流だった。この世界でもラスコーラ売ってないだろうか。コカやペプシを飲むと、微妙に違和感があってマジで元の世界に帰りたくなる。水で薄めると違和感も薄まって飲みやすくなるのは俺にとって意外なメリットだ)
近藤麻理恵は一冊目の本である「人生がときめく片づけの魔法」が2014年にアメリカで出版されたときから社会現象であり続けている。「日本の片付けと整理の術」を詳しく記したその本は、コンマリ・メソッドまたは「Kondoする」と呼ばれる、持ち物に触ってときめきを感じる(it sparks joy)かで判断する片付け法を誕生させた。しかし、やはり近藤の人気が急上昇したのはNetflixで「近藤麻理恵とお片付け」(邦題:KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~)が放送されてからだ。ところが、この人気の急上昇により本にまつわる予期せぬ騒動が発生した。著述家であり「We Need Diverse Books」(多様な人種の子供に向けて本を与える活動をする非営利団体)の創設者の一人でもあるエレン・オーを含むSNS上の大勢の人々によれば、近藤への反発には明確な人種差別と階級意識の要素が含まれているという。Bustle(訳注:原文の掲載サイト)はオーにコメントを求めた。
韓国系でありながら子供時代を日本で過ごし第一言語が日本語であるオーは次のように語る。「近藤麻理恵への反発が発生してからというもの、ずっと意図的に誤解している人々に嫌な思いをさせられています。最初は文化の違いのせいかと思いました。特に、翻訳によって生じる問題についての意識のなさです。アジアの言語は英語とはかなり違います。どうやってもうまく翻訳できない言葉もあります」。ところが、オーが「人々が意図的に近藤を誤解している」と確信するに至るまで長い時間はかからなかった。
すべての始まりはこうだ。Netflixの番組の第5話で、近藤は若いカップルが本を片付けるのを手伝う。番組の中で、そして著書の中で、近藤はコンマリ・メソッドで蔵書を片付けるやり方について広く語っている。Deseret Newsの記事に書かれた近藤が語ったことの要点はこうだ。読んでいない本や、いつかもう一度読むかもしれないという思いにとらわれている本がたくさんあるのなら、それは捨てるべきだ。また近藤は、もしほんの一部だけにときめきを感じるのであれば、一部のページだけをちぎって残すことも薦めている。
小説家のアナカナ・スコフィールドはすぐさま近藤の本を捨てるやり方にSNSで憤慨したうちの一人だ。スコフィールドは「近藤麻理恵だかコンマリだかの本に関する意見に耳を貸すな」とTwitterに書いた。他の利用者たちもすぐに続いた。そのうちの一人であるジェニファー・ライトは「この女はモンスターだ」と既に削除されたツイートで記した。このツイートは「理想的には蔵書は30冊未満にしましょう」という吹き出しが書き足された近藤の写真に対する返信として書かれたものだ。ワシントンポストに掲載された書評家のロン・チャールズの「近藤麻理恵よ、おまえのトキメキお片付けは私の本の山には無用だ」をはじめ意見記事もいくつか出た。
しかしこの「理想」の蔵書数は30冊というのは、いったい何なのだろうか?この数字は、近藤がコンマリ・メソッドで自分の家を片付けたときに使ったものだ。「人生がときめく片づけの魔法」で、近藤は自分の蔵書は30冊にするようにしていると書いている。しかし、近藤は誰もがこの30という数字を使うべきだと言っているわけではない。重要なのは、近藤は一度も本をすべて捨てるべきだなどと言ったわけではないということだ。Refinery29のインタビューでケイト・ムンロは近藤に、ガラクタの山や、本で破裂しそうな本棚にときめきを感じる人はどうすればいいのかを尋ねている。近藤は次のように答えた。
家がちらかった状態でもそれで本当に快適なら、それは良いことです。なにもおかしくありません。その上で、それぞれの物に決まった場所を割りあてたり、それぞれの物がどれくらいの量あって、必要な量はどれくらいなのかを把握したりすることをおすすめします。こういう意識を持つことは大事だと思います。
オーは、アナカナ・スコフィールドが近藤についてのツイートの後で書いたガーディアン誌の記事を、自分の意見に合わせるために近藤の言葉を意図的に誤解している例の一つとしてあげている。「ときめき(spark joy)という表現が過剰に強調されていて、その言葉で近藤が本当に伝えようとしていることが置き去りにされています」。「ときめき」は実際には喜び(joy)と同じ意味ではなく、鼓動や興奮や動悸を意味する。この基本的なことさえ理解すれば、本は喜びだけでなく挑戦や動揺を読者に与えるべきだというスコフィールドの主張が無意味だということがわかるだろう。「ときめき」という言葉が意味するのは、本が読者に挑戦や動揺を与えてそれが良い反応をもたらすのならとっておくべきだということなのだ。
オーはさらにライトが削除されたツイートで近藤を「モンスター」と呼んだことについて言及する。「意図的な誤解は、近藤の助言はそもそも片付けをしたいと思っている人に向けられたものだという事実から目をそらすことから始まっています。片付けをしたくないなら、助言に耳を貸さなければ良いだけです」
「近藤への反発は、近藤の流暢でない英語や、独特の言葉づかいをからかうことまであらゆることに及んでいます」とオーは語る。「ときめきという概念を笑いの種にするたくさんの画像を見て、私の両親が話す片言の英語を意図的に誤解しておちょくってきた人たちのことを思い出さずにはいられませんでした」
今回の本を片付けることについての議論には、ある種の特権も絡んでいるとオーは語る。
「階級意識、エリート意識、たくさんの収納がある大きい家に住めるという特権。私には近藤への反発が何を根拠にしているのかはわからないけど、反発している人たちが特権的な立場にいるということはわかります」とオーは言う。「たくさんの本を持っていなければ賢い人間だとは言えないというエリート意識と経済的な階級意識です。かつて貧しかったころ、私が持っていた本は10冊もありませんでした。だから図書館は私にとって安らぎの場所だったんです」
以上の点について声を上げているのはもちろんオーだけではない。Twitter利用者のジョナー・ヴェンは一連のツイートで、コンマリ・メソッドの本来の目的に対する一般的な無知についてこう書いている。「コンマリへの批判やネタ画像は、アジア、とりわけ日本の文化や影響への無知により、目立たないが本質的に人種差別的なものだ」
近藤への反発の人種差別的な側面についてSNS上で反応している人々は他にもいる。作家のカット・チョーはツイートで「有色人種をモンスターと呼ぶのはやめてください。既に社会の隅に追いやられている人たちを、人でなし扱いするような言葉を使わないで」と書いた。そして著述家のピューター・セレステは「アジア人の女性を不当な理由でからかうことに何の意味があるんだ?近藤麻理恵じゃなくてマーサ・スチュワートが相手だったとしてもこれ以上続けるのか?違うだろう」とツイートした。
確かに、本を捨てるという行為は一部の人々にとってかなり感情を動かされるものだし、本の一部をちぎると図書館や学校や非営利組織などに寄付して役立ててもらうこともできなくなる。しかし、とどのつまり近藤の助言に対する反発は、近藤とは関係がない。むしろそれは、一部の読書家が、自分の読書家としての自意識を維持するために必要だと考えている、本を所有するという行為を近藤が侮辱したという誤解に基づく怒りなのだ。
近藤を支持している読書家もたくさんいる。Twitter利用者のアレクサンドラ・ダンカンはツイートで「驚くかもしれないけど、図書館員として家の本棚をコンマリ・メソッドで整理することを100%支持します」と書いている。
もしかしたら年明けは、物理的な片付けについてだけでなく精神的な整理についても完璧な時期なのかもしれない。読者の皆さんも、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚そのものと、本に書かれた内容とどちらにときめきを感じるのか、自分に問いかけてみてはいかがだろうか。
アメリカだったら、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)とか、イケてる会社が山のようにあり、中国だって最近の躍進っぷりはすごい。
それに対して日本はどうだ?? かつて大企業と言われた日本の企業はことごとく凋落し、日本からイケてる新興企業はまったく現れない。
日本のIT企業の中で存在感が国内限定だが一応ある会社を無理やり絞り出してみると、
日本が衰退しまくったのは政権が野心ゼロで国の未来をまったく考えず利権にのみ全エネルギー投じた結果であり、(野心ゼロなのは他の腐敗国家より他質が悪い)完全に腐敗政治のせいかと思ったがそれだけではなく日本人のビジネスセンスの無さも大いに関連してると改めて気づいた。
技術は常に海外発。英語で書かれたドキュメントも読めず数年遅れで浸透してくる。
他国じゃ国内だけでなく世界中で使ってもらうサービスを作ることが当たり前なのに、日本は何もかもガラパゴス。もはやガラパゴスって言い方を「日本」って言い表したほうがいい。
日本化がひどいね、意味は時代錯誤の村社会思想で全てが排他的。
インターネットの登場によって、世界はより(英語で)コミュニケーションを取るようになり、いろいろなものが標準化され、プラットフォームを作ることが一つの流れとなったが、日本は地理的だけでなく、情報社会の中でも孤立している。英語力が絶望的に国レベルで低いことでオンライン上でも孤立しているのだ。
さあ、パソコンは全部捨てて桑を買おう!
「トランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?」(anond:20190110110456)のブコメもメタブも差別主義者多すぎてやばい。
これ、書き方は悪いかもしんないけど気持ちはわかる。相手が強いから怖いっていうのはちょっと違くて、例えば女湯に小学生男児が入ってきたら嫌なんですよ。男の子は何歳まで?とか話題になったりしたことあるよね。
トランス女性は男性じゃなくて女性なんですが。なんで男の子の話が出てくるの?(もちろん身体的に男の子であってもシス男性とは限らないのだが)
「差別を無くすにはLGBT以外の人間は犯罪被害に遭っても仕方ない。我慢しろ」とか言ってるホームラン馬鹿がいて笑った 女は黙ってレイプされてろってか? どっちが差別主義者なんだか
当たり前だけどLGBTの人も性被害に遭うし、もっと言えばトランス女性はシス女性よりも性被害に遭いやすいという統計があるんだよねえ。トランス女性を女性専用スペースから追い出そうとする人は「トランス女性は黙ってレイプされてろ」と思ってるってことでいいの?
あと犯罪被害に遭った人が訴えるとか反撃するとかを否定してる人どこにもいなくない? 犯罪を犯していないトランス女性を排除するのはおかしいって主張してるだけで。この2つの区別がつかないならそりゃもうご立派な差別主義者ですわな。
恐怖云々は置いといて、身体的特徴で分けるべきと思う派。(ただし身体的特徴で分けてしまうと半陰陽の人は救われないんだけれども。)現在のシステムに内心の性別を適合させるのは、運用が難しすぎる。
身体的特徴で分けたら「おっぱいついててちんこがないけど性自認が男性で男の格好をしている」人が堂々と女子トイレを使うようになるわけだけど、「ちんこついてておっぱいがないけど性自認が女性で女の格好をしている」人が女子トイレに入ってくるよりそっちの方が安全だという感覚がまるで理解できない。
この話題痴漢や専用車両のあれこれと一緒でそもそもの問題は変質者なのに結局全部女性側に被せられてるのが見ててもやもやするわ 黒人置換えで女性を白人側に置くのまで同じ(T女性をどっちと言いたいわけではない
対立軸は「女性と男性」ではなく「シス女性とトランス女性」やで。シス女性はトランス女性との対比では間違いなく白人やで。
トランス女性でレズビアンのレイパーとかいるかもしれないしな。全ての人が全てを受け入れるのは無理だし、この不安はあって当然だと思う。
シス女性でレズビアンのレイパーとかもいるかもしれないし、もっと言えばヘテロセクシュアルのシス女性でも他人に加害しないとは限らないので、シス女性にも不安を感じた方がよいのでは?
中国人が犯罪を犯したら「中国人恐い」と言いつつ日本人が犯した犯罪では「日本人恐い」と言わない人みたいな。犯罪者と自分たちを同一視されないっていうのがマジョリティの特権なんだよね。
高校の男子トイレの前に何故か良くいる下級生がいて僕がトイレに入ると後からついてきて隣から股間を凝視してくるということが何度かあって怖かったのを思い出した。そういうのは我慢しないと差別になるんだろうか。
迷惑行為をする個人を警戒するのと迷惑行為を「するかもしれない」とある集団をくくって排除するのは全然違う話だと思うんですが差別主義者にはこんな簡単なことがわからないんですかね。
「日本人うざい。死ね」みたいなこと言ってる韓国人のAさんがいたとして「このAさんという個人はクズだな」と思うのは正当だけど「韓国人はクズだな」と思ったら差別だしそれを口に出したらヘイトスピーチでしょ。
脊髄反射で善人面する輩が多いな。若い女性が「性自認は男です」と男湯に入ってこられたら俺は嫌だけど。公衆施設で身体的特徴と性自認のどちらを優先すべきかは、ポリコレ棒で一発殴って解決するほど簡単じゃない。
性自認が男ならその人は若い男性だろ。胸がふくらんでてちんこがついてなかったとしても。
こういうこと言う人って、結局トランス女性/男性を「女/男じゃない」って思ってるんでしょ? だったら性自認を尊重するフリなんてやめてそう言えばいいのに。自分は差別主義者です、って。
なんで批判されてるのか。女湯に男体が入ってきたら発狂するわ。ただでさえ少なくない女は男体に痴漢されまくって常時厳重警戒態勢なのに。女湯の時間削ってLGBT専用の時間に充てるってんなら賛成するよ。
数十年前の南アフリカとかアメリカ南部とかに行ったら喜々として人種隔離を支持してそう。そもそもLGBTの意味わかってなさそうなのもウケる(Gがなんの略だと思ってるんだろ)
難しいなあ。とりあえず肉体が女性ならいいんじゃない?女湯にちんこはまずい(同時に男湯にまんこはまずい)でいいと思う。性欲の満足感以外でそこまでして銭湯利用したい気持ちもわからない
あったかいお湯に浸かってリラックスしたい、っていうごくごく普通の願望がトランスジェンダーを主語にした途端に「下心がないならなんでわざわざ銭湯に行きたいの?」って言われちゃうの、典型的な差別主義だよね。トランスジェンダーが湯浴み好きでなにかおかしいのか。
いつものフェミ叩きが男性恐怖症の意見とフェミの意見をごっちゃにして嬉々とフェミ叩きしてる。本当は誰も感染していなかったハンセン病とは違い実際の風呂場トイレで性犯罪被害にあった人が多数泣き寝入りしている
それ、悪いのは性犯罪者じゃん。性犯罪を犯していないトランス女性が排除されてよい理由はどこにあるの?
これってはてなーには男性が多いから、男のことが怖い女性は結構多いということが理解されてないのだと思う。あと女湯とか女トイレに見た目が男の人が入ってくるのは普通に恐怖だよ。
twitterだと女性の体に生まれた女性がボーイッシュな格好で女子トイレに入ったら警備員呼ばれた事案みたいなのがちらほら報告されてるわけだけど、その女性は髪を伸ばしてスカートを穿くべきだったのかな? 女性解放運動の精神はどこにいっちゃったんだろう。
実際的にこういうケースがあるんだよな… トランスジェンダーの受刑者女性刑務所で性暴行:カレン・ホワイトのケース https://1ovely.com/transgender/ /嬉々としてフェミ叩き女叩きしたいだけのブコメやトラバの嵐だ
はいはいカレン・ホワイト。twitterで「私は女子トイレでシス女性に加害されたことがある」という証言が出てきてるんだけど、カレン・ホワイトがいたからトランス女性を排除するのに妥当性があるというならシス女性の加害者がいた以上シス女性も女子トイレから排除すべきですね?
zyzy なら「かつて殺人した者への恐怖で次も殺すかは分からない殺人者を拉致監禁する差別を正当化するな」で刑法が要らないし、家に鍵かけるのもアウトだし、国境がある事自体外国人への差別なので国自体を無くさないとな
個人と属性の区別がついてないの典型的な差別主義者の思考でやばいし、犯した罪に対する刑罰と防犯と称して罪を犯していない人を排除することとの区別がつかないのもやばい。頼むから人権とか差別とかについて学んでくださいと言うしか。
type-100 「工事済みでないと女湯には入っちゃ駄目」ぐらいは仕方ないと思うけどね。それ超えて属性と個人を混同してたり、開き直って我が儘を言う連中は流石にね。
風呂場の外で女性として生活している未オペのトランス女性に風呂場だけ男性側使えっていうのも理不尽だよなって思います。仮に女性の友達に対してカミングアウトしていて、一緒にお風呂に入れる仲だとして、未オペってだけで「はいじゃあ友達と別れて男性側行ってください」ってのはあまりに酷でしょう。
まあ、だから多くのトランスジェンダーの男女は「オペするまで公衆浴場自体に入らない」(anond:20190111030811)って選択をするんでしょうね。それは実生活を円滑に回すための我慢なのだろうけれど、そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけで。
mumero "そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけ"<これ違うと思う。一部を尊重するために大部に我慢を強いるだけの構図でなく、お互いが納得するようなあり方を一緒に模索するのが大事だと思う。
一部を尊重って、別に特別扱いしろとは言ってないんだけどね。「トランス女性は女性なんだから女湯に入る権利はある」って言ってるだけ(もちろんトランス男性も男性である以上男湯に入る権利がある)。
少数派が多数派と対等に扱われることで多数派が不満を感じるのだとしたら、その不満は差別なので我慢してくださいとしか言えない。差別感情を我慢することは市民として当然の嗜みでしょう?
rirukarinka 女湯に関しては「女に対して生殖可能な体」を置くのがまずいとして、性自認の証明としてのオペと、オペ済みであれば区別しないことが許容ラインなのでは/不本意な生殖をされる恐怖をトランス女性は持ってるのかな…
生殖が可能だろうが不可能だろうが性暴力は脅威だろうと思うんだが、想像力ないにもほどがあるでしょ。性犯罪者は月経の有無を確認した上で女性を襲ってるわけ? 何度も書くけど、トランス女性だって性暴力に遭うんだよ。生理の来ていない幼女が被害に遭うように。子宮を摘出した女性が被害に遭うように。彼女たちは望まぬ妊娠の危険がないから恐怖感を一段低く見積もるべきだとでもいうの?
RIP-1202 全裸でくつろいでる時にチンコついてる人に襲われたら妊娠させられるリスクある。チンコ付きがなしに襲われても妊娠はない。その1点。見た目ガチムチおっさんでもチンコなかったら別に怖くはない。
「妊娠のリスク」を基準に女性を分けるのなら、いっそのこと「妊娠できる人専用」とでもすればどうか。未オペのトランスジェンダー女性のみならず初潮前の女児とか閉経した老婆とか卵巣を摘出した若い女性とかが排除されるかもしれないが、「妊娠可能性の有無」がそんなに重大な問題ならその線に沿って分けるのがいちばん「合理的」だろう。
妊娠できなくても襲われれば痛いし苦しい? そうだね、知らなかったかもしれないけど、トランス女性も襲われれば痛いし苦しいんだよ。なんで自分たちが女湯でトランス女性に襲われる心配はするのに、トランス女性が男湯で男性に襲われることは心配しないの?
sysjojo 男体のトランス女性とフリをする男の見分けがつかんのが怖い、ってのが大きいと思ってたけど。 理解したからといって納得できるかは別とは思うけど。 知ってる人ならまだしも銭湯はリラックスできなくなりそうだねぇ
それ、「ゲイが同じ銭湯で入浴していたらケツを掘られるかもしれない! 怖くて入浴できない!」っていうのとどう違うんですかね。まあ、その差別感情を表に出さないなら別に構いませんが。
zire この話題、女性の分断を目論む一部の扇動者がとことん悪用しそう。商売目的の人、ストレス発散目的の人などにおもちゃにされ何一つ良い結果を生み出さず終わりそう。よくあるパターンとはいえ非常に不愉快。
女性を分断しているのは「トランス女性は女湯に入るな!」「トランス女性は『女』ではない!」と主張する一部のシス女性と一部のシス男性なんだよね。
tamtam3 生物的特徴のオスメス判定で良くない?と思う…精神が100%オスメス、きっちり別れてる人間なんて居らず大半はどっちつかず。となれば精神的オスメス判定は、オス成分○%メス成分○%の存在が無限に存在しかねない…
生物学上のオスメス判定にもグラデーションがあるんだけど。半陰陽とか知らない?
aquatofana 「シス女性とトランス女性の対比」はその通りだけど、トランス女性の権利を守った結果シス女性の権利が侵害された場合、今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる。だから両方を配慮せなならんのでは。
トランス女性が女子トイレや女湯を使ったとしても(というか、現に使っているんですが)、シス女性が女子トイレや女湯を使う権利は何一つ損なわれません。黒人が白人と同じ施設を使っても白人の権利が何一つ脅かされないのと一緒ですね。不愉快? ああ、それが差別感情ってやつですわ。今後のために覚えておくといいですよ。
「今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる」って、いや既に差別はあるんですが。シスジェンダーとトランスジェンダーのあいだにね。まさかトランスジェンダーは差別されてないとでも思ってたんです?
vkara 男体への恐怖じゃなくて、トランスを自称して加害を目論む男が入ってくる隙ができることへの恐怖。だからと言ってトランスまで追い出そうとは思わないけど対策は必要。
これほんと不思議なんだけど、なんで「トランス女性を自称してシスヘテ男が入ってくる隙ができる」ことを心配する人たちは、「トランス男性を自称してシスヘテ男が入ってくる」ことを警戒しないの?
仮に「生物学的な性に従ってトイレや風呂を使うべきだ」とするじゃん。トランス女性が男子便所使うようになったとするじゃん。
そうすると、必然的に女子トイレや女湯の脱衣所にトランス男性が入ってくることになるよね?
シスヘテ男の性犯罪者が「トランス女性のフリ」をしようと思ったら、女装とか色々としないといけない。でも、「トランス男性のフリ」なら準備は何も要らないんだよ。「心は男なんですけどトイレは生まれた性別の方使わなきゃいけないんで」って嘘をつけばそれで済む。どっちの世界が男の犯罪者にとって都合が良いかは明白でしょう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Buck_Angel#/media/File:Buckangel_cowboy.JPG
https://en.wikipedia.org/wiki/Chaz_Bono#/media/File:Chaz_Bono_by_Gage_Skidmore.jpg
こういう人たちが、生まれつきちんこがないというだけの理由で堂々と女子トイレや女湯に入るのは怖くないの? トランス女性を怖がる人たちの「怖い」の基準がわからん。
smoothtooth 手術前のトランス男性で、男湯に入りたい人は少ないだろう。危険だし不快な目に合う可能性が高いから。手術前のトランス女性も同じなら、それは「差別する女」以前に「加害する男」の問題では。なぜ女だけの話に?
自分のことを女性だと思っている人が男湯に入りたがらないって、当たり前では。女だから女湯を使いたい以上の理由が必要だろうか。
go_kuma 例え言ってることが正しいとしても、言い方がな。攻撃的な物言いは反感を買うだけで聞く耳を持たれない。もっと優しく諭して欲しい。反感を煽るのが目的なら話は別だけど。
銭湯や温泉の女湯には女性だけじゃなくて女子児童や未成年の子供たちもたくさん入浴してるんだよね。
未成年のトランスジェンダーのことはどうでもいいの? 彼ら彼女らは手術できる年齢に達していないから手術しようと思ってもできないんだけど。「お前は『本当の女』ではない、だから女性用施設を使ってはいけない」と言われるトランスジェンダー児童の心の傷はどうでもいいの?
だいたい、低年齢のトランス女性も女子児童だろうが。そうやって都合よく「女性」「女子」からトランスジェンダー女性を排除するなよ差別主義者、って話なんだけどね。
サイン・コサイン・タンジェントだってごく一部の人しか使わない知識なのに全員に教える意味がわからない。
学びたい人だけ学べばいい。
もちろん全員に教えるメリットもあるだろうけど、それ以上にデメリットの方が大きいんじゃないかと。
「学校で○○を教えるべき!」と簡単に言う人は、授業時間には現実的に限りがあって、何かを教えることは、逆に何かを教えられなくなることでもあると理解できてない。
多くの人はサイン・コサイン・タンジェントを学ぶ時間があるなら、将来にもっと役立つことを各自が選択して学んだほうが人生幸福な可能性が高くなるんじゃないかという話。
「教育は直接的に役に立つことばかり教えるものじゃない!」とかいう意見もよく聞くけど、それはサイン・コサイン・タンジェントを教えることにこだわる理由になってないよね?
「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。 」
日本国憲法第31条に明確に規定されているこの言葉は、いくらか人によって解釈が違う。例えば刑事罰に於いて犯罪者に対し口頭での罰や晒し刑などは当然存在せず、また誹謗中傷の類は生命或いは自由を奪うものではないとして、ネットリンチを正当化するものがいる。(ただし31条に関係なく名誉毀損罪として訴えられるケースは多々ある)不倫報道が出れば当たり前のようにネット中で罵詈雑言が書き込まれ、しかもそれが正義などと囃されたりする。
何度も人に言ってきたことだろうが、上記の通り法律の手続きなくして個人個人が他者を不当に罰することは法律上認められるものではないことを忘れている人間が少なからずいるようである。ネット私刑と言ってネット上での私刑行為を問題視する動きもあるが、時折それはネット上でのみ私刑が行われるというような、問題をある概念に閉じ込めてしまう不可思議なロジックを感じることがあるためここに明言しておきたい。ネット以外でも私刑というのは存在する。
姦通が行われて、復讐のために一方が他方を害するというのはときおり聞く話である。(弁護士局部切断事件((某大学の法科大学院に通う青年が、妻の浮気相手である男の局部を切断した事件))が一例)ただ、この場合は強姦されたと勘違いした男側の凶行だったそうだが、率直に言って、強姦であっても私刑が認められるということはありえない。強姦だから、大切な人を殺されたから、自分の尊厳を著しく傷つけられたから……感情的には理解できる理由だし、被害者の権利などを損なうつもりもなく、また加害者を守ろうという意志もない。ただ私刑がいけない。というより、これらは私刑でもなんでもなく明確な「犯罪」である。当然、それを行った人間は(さらにいえば、そこが正当な法治国家であるなら)他の犯罪者と同様に裁かれる。
ただし、裁判において情状酌量がないわけではない。例えば尊属殺重罰規定違憲判決(実父殺害事件((実父から恒常的に性交渉を迫られて、父との子供まで出産し夫婦同然の関係を強いられていた女性が父親を殺害した事件)))のさいには被疑者側の事情や心情などを斟酌して、合憲違憲の判断に関わらず、すべての裁判所が能う限り量刑を軽くする方針を示し、その過程において尊属殺の法令を見直し違憲に至ったという事例があるし、平たく言えば、裁判官だって鬼ではない。同じ犯罪であっても同情の余地がないものは重刑となるし、上記の通り減刑されることもあるだろう。
一体なにが言いたいかと言うと、被害者、あるいは被害者親族と加害者間に於ける私刑は、それが行われた時点で法律上明確な「犯罪」として認識され、刑法に則った判決が下されるということ、第二に、私刑という観点からのみ指摘できる事由ではないこと、第三に一般的にそれは個人と個人との事件であるということである。親族を殺されたものが復讐のために加害者を殺せば当然罪に問われるし、そのさい殺害に至った様々な問題(メディア・リンチ、経済的、精神的な救済の不十分)が見直される。さらに言い及ぶなら、すべての復讐殺人などをなくそうというのは極端に言ってすべての犯罪をなくそうと言うようなもので、私刑のような一義的観点から捉えられるものではないものの、明確な「悪行」として判断できる事由として扱える。
栃木実父殺害事件がどれだけ同情の余地があろうと無罪になることは決してない。あの京都認知症母殺害心中未遂事件でさえ、刑は執行されたのである。さきほど法律は鬼ではないと言ったが、だからといって温情に充ちているわけでもない。設けられた基準の範囲内で酌量するだけのことである。
ところが、第三者がアジテーションの如く私刑を推進したり、「この事例に於ける私刑はいいけど、この事例に於ける私刑はダメ!」などと何故か私刑を差別化しているような人間をままみる。全部駄目だ。
ネット以外でも私刑があるとは言ったものの、それが私みたいな一庶民にまで広がってくるツールはだいたいネットで、こんな日記を書き出したのも「不倫をしたやつにはこうしてやれ!」という攻撃的な文体とともに男性器(おそらく偽物と思われる)を女性がジャンプして踏みつけ続けるという奇天烈な動画を見てしまったからである。最初も私は「なんだ、過激なジョークだ」と笑っていたが、それに寄せられた一連のコメントを見ても冗談ごとではないようだった。しかも動画を投稿した人の(動画自体は拾い物らしいが……)発言が「女の方が男より二倍浮気をしやすい。だから、女が浮気したときは熱した金属を流し込め」などというもので、ひどく戦慄した。もちろん、こんなものは広いネットの世界におけるごくごく一部の一例にしか過ぎない。だからネット上、引いて現実でこのような復讐が認められているなどとは思わない。
けれども、どこかしら皆「悪人なら攻撃したっていいだろう」と思うところがあるかもしれない。しかし、それは間違いである。どんな理由があるにせよ悪行は悪行である。「あいつムカつくから攻撃してやろうぜ」というのと全く変わらない。いじめられる方が悪いなどと言って逃げる場合もあるが、いじめ自体が悪いということに変わりがない。どれほど正当化したところで絶対の誤りである。
世間は非常に大きなうねりを持った流動的な性質があるので、一個人の考え方だけが改まってもしようがない面がある。だからこそ線引が難しい。私刑を撲滅したいからと言って一人ひとりの言論や行動に政府や法律が過干渉すれば、それはディストピアである。ただ、逆説的に言及すると、ディストピアにせざるを得ないような民衆が力を持っているのも考えもので、人によっては、ある程度制限された世界のほうがずっと平和のように思うかもしれないのである。それはネットによって個人個人が情報発信能力を持つことで、なんの権力も地位ももたない一般人も、言動や論理性、道徳的な真偽など情報発信するものに必然の悩みを抱えなければならないからこそ、より切実に考えられるべき問題なのである。ネット私刑なんてものは、人々が出す機会もなかった攻撃性や偏狭な視点が顕在化した結果生まれる単語であり、その本質には一部の人間が私刑を……もっと悪質であれば、自分のストレスの発散のために他人を陥れることを良しとしていることにある。それに対抗するためには、その考えを持つ個人を糾弾するのではなく、その考え自体を批判しようという姿勢が大事だ。「罪を憎んで人を憎まず」と言う言葉には深い含蓄が込められており、この私刑問題を考えることによって再確認することができるだろう。
こういうことを聞いて少しは反省するもの、この考えに肯い「そうだそうだ」と声を上げるもの、犯罪者がいるなら石を投げるのが正義だと考えるもの、いろいろいるだろう。もしこの文章を見て少しは私刑を改めようと思ったとき、こういう風に考えてみてほしい。
「自分は知らず知らずのうち、こうした行為をやってしまってはいないか」と。
私もそうするようにしている。これは悪いんだなー、なんて悪いやつだ、と考える前に自省する。これがとても重要である。窃盗をしたものを馬鹿だと笑ってみても、よくよく思い出せば幼少期に、冗談ごとで済まされたとは言え窃盗じみた行為をしていたかも知れないし、いじめは良くないと憤る人が、いじめまがいの行為を無意識にしてしまっていたということもありうる。罪を犯さない人は理想的だが、そうそうそんな人は現れない。ぜひ、私刑を嫌う人も考えてみてほしい。「私刑を嫌った結果、私刑を行う人々に、また私刑じみた行為を働いてはいないだろうか」。殴る、蹴る、罵詈雑言を吐く、情報が消えづらいネットに個人情報を流す、ありもしない話をまことしやかに流布する……。こんなものはすべて私刑である。
余談だが不倫事件で話題になったベッキーと川谷絵音氏の事件で、ネット上に不倫が許せないあまり過剰な罵詈雑言が散見されることに苦言を呈していた増田へ、「不倫したいからそんなこと言うんだろう」とか「不倫しなきゃいいじゃん」とか、「人の性だから仕方ない」とかいうコメントがつけられていて驚いたことがある。きっとあの増田にとっても予想外のコメントだったと察されるが、それらのコメントを見てどのようなことを思ったのだろうか……。
しかし一部の人間は、これを「人に恥を「かかせる」ことがその人のためになる」と間違った解釈をしたようだ(意図的に?)。
当人が自らの意思で恥を「かく」からプラスになる余地があるのであって、他人に恥を「かかされる」のは当人にとってマイナスにしかならない。
仮に私が「あなたのためなのです」などと言ってこの役員に恥をかかせたとしたら、この役員は100%発狂することは容易に想像がつく。
相手が目上の人間だからダメなのではなく、恥をかかせるという行為自体がおよそダメなのである。
(この役員に限っては「自分が人に恥をかかせることはよいが人が自分に恥をかかせることは許さない」というダブスタ?傲慢さ?をもっているだけの可能性も否めないが)
本当に無理。
たとえアイドル本人が「皆の友だちだよー」的な感じでファンに対してフレンドリーで、(あくまでも概念として)私たちのすぐ側まで下りてきて手を取ってくれるような人たちだったとしても。
私の大好きなアイドルのファンたちは、あくまでも一部の人たちではあるけれど、些か度が過ぎる気がするのだ。
素直に、好き好き大好き愛してる、って言えないのかしら。
ツイッターとかで勝手にやるならまだしも(本当はこれもちょっと辟易する)、ラジオのお便りとか、はっきりと本人たちに伝わる場で堂々とアイドルを小馬鹿に出来るファンの気が知れない。
女子高校生がクラスの男子をイジって馬鹿にして笑いを取る感覚なの?
それとも、母親が「うちの子は本当に駄目だから〜」って言う感覚?
それは別に何でも良いんだけど。
新しい商品はうまくいかない可能性があるので、失敗したときにそのヘッドハンティングしてきた高給取りは無能の穀潰しになるんだけどね。
失敗と言っても、単に時間がかかるだけというものも有るから、その場合でも会社を存続させればうまくいく可能性もある。
だが、高給取りヘッドハンティングのやつはバーンレートを上げる。
新規事業を完全にやめたとしても会社は存続させないとならない。
何も考えず高給ヘッドハンティングだと新規事業なんかなおさら不可能。そこらへんの失敗したときの方針も考えておいてうまくいく。
必要なスキルが見極められて、それに合致したやつは高給でも雇うことは有るが、きみの「どこかに全能なやつがいる」なんてので雇うことはない。
うん、きみが経営者どころか、新規事業もやったことはないのはわかった。
あとね、優秀な人間というのは得てして、与えられた仕事を高い技術スキルできちんとこなすことが優秀で、新しい仕事を作り出すということができないことも多い。
というより、そういう危ない仕事からは逃げ出そうとする。いくら実績を上げていてもね。
東大学生みたいだと思った?うん、そうなんだよ。だけど、そうやって東大卒はやっぱり仕事をするものはきちんとする。
そもそも、いい商品を部下を引き連れた上で作り出す能力がある人間というのは、古巣の会社の上層マネジメントがいいがゆえに存在できる。
だから、転職市場なぞにまず出てこない。つーか、自分で起業する。ヘッドハンティングのオファーに応じるのは、古巣の会社が定年退職間際とかで出てくる一部の人間。
そもそも、能力が有る人間といない人間がいる、で、能力が有る人間を高給で引き抜いてくれば、全てうまくいく。新規事業でも。みたいな。君はまるで両津勘吉みたいだね。
数十年前にファミコンが現れたときは参加者全員がプレイヤーで、プロの試合を観戦するということは盛んではなかった。
今ようやくプロゲーマーという概念ができてきたが、数十年前の参加者全プレイヤー時代を引きずっているから、下手くそな奴は頭がおかしいとか、思うようにプレイできないのはゲームがおかしいとかいわれるわけだ。
ビデオゲームの競技化と興行化が盛んになれば、一般的なスポーツのようにプロ、アマチュア、観客の棲み分けが行われる。
世の中にはゲームができない人がいる。一部の人にしかできないゲームがある。そういうことを人々が認識するようになるだろう。
格闘ゲームがタコツボ化して衰退したなんていうけど、プレイヤーが特殊過ぎて素人が観戦しかできない競技はいくらでもあるわけだし、難しさで衰退したといわれるジャンルはなんとか上級者用として確立されればいいんじゃないのかな。
あれは女子が取り分けることを禁止したいわけじゃなくて、女子が取り分けるべきという暗黙の空気みたいなものをなくしたいのではないかな。
この『空気』を禁止せよ!って、一部の人達が好きなんだけど。どうやって禁止するんですか?と。内心の干渉をバリバリやりたがっているんだよね。
セクハラの判断とかもそういう内心への禁止が入ってきちゃっててヤバいと思うんだけれど。セクハラに当たるような意思表示をして、相手が拒否した時に職業的な力関係を背景にした陰に陽に脅しをするのはダメだけれど。先回って意思表示自体を出来なくしようとする意見が多いのが怖い。「その時拒否しなくても、相手がセクハラと感じたらセクハラ!」みたいな被害者の心の救済と、罰を与えようとする動きがゴチャゴチャになっている。
弱い女がやるんだから…って曖昧歓迎しているけど。全くその時は拒否していなかった人に、後から振り返って告白すれば罰を与える事を可能にする事に賛成する人が多いのは怖い。
うちもそう。
旦那がマンガ描いてて、私がたまにでてくる。割と最後のまとめ役というか、都合がいい役回りで。
でも私は、旦那がマンガ描いてたり、それに私が出てくることは、極限られた一部の人にしか言ってないから、もう完全に自分の人格とは切り離して考えちゃってる。
子供の幼稚園のクリスマス会の冒頭で司祭さまのお話があった。子供の幼稚園はキリスト教系の幼稚園。
キリスト教の概念ってのは神の下の平等。つまりは神とキリストは格上の存在で、その下の人間どもは平等。つまりは神の独裁政権。他の宗教もそうよね。結局は独裁。概念的な崇高さを考えると、全ての人が平等な共産主義の方が崇高な気がする。
しかし、その共産主義も実際のところは指導部の独裁になるわけで、世の中の仕組みは独裁か民主主義しかないわけだ。
神の下の平等なんて言っても神の思し召しってのを決めるのは宗教指導部なわけで、結局一部の人間の独裁なわけです。
皆が平等で満足する社会なんてあり得ないわけで、そういった意味ではやはり物事が決まらん衆愚政治になるとしても民主主義が一番マシなのか。
民主主義の権化でありながらもキリスト教的な価値観が共存するアメリカってのはどうなってんだ?
政教分離と言いながらも根っこにキリスト教入ってるよね?まぁ文化的な部分はしゃあないんかね。
より良い世の中ってのはどうすりゃいいのか。安倍政権見りゃ権力が腐敗するのは明らかにだから独裁はやっぱダメよね。独裁がダメってことは宗教は政治に出てきちゃダメってことだ。だから公明党はダメだな。結局独裁になる共産党もだめだ。んじゃあ立民か?でも経済右翼っぽいよね。社民党とか結構いいんじゃないの?あれ?もしかしてもうない?
なんかよくわかんねーけど中道左派で落ち着かないもんかね。あれ?結局もしかして自民しかない?
地獄やね。