はてなキーワード: ムードとは
数か月に一回行く風俗が楽しみだったのに、コロナで周りが自粛ムードになったこともあり一年近く我慢していた。
コロナが終息するまで外出もなるべく控えようと思っていたが、外に出るどころか、ずっと在宅で日の光も浴びる事が出来ない中、一年近く休日関係なく連絡が来るほど激務だったこともありメンタルに不調が出る始末。
先日、元コロナ患者の友人がソープいったのを知り風俗を我慢している自分がアホらしくなって、実家に帰省した際にホテヘルに行ってきた。
現地に着いてから、チェーンの喫茶店で当初行こうと思ってた人気のコスプレ風俗をチェックしていたが、気に入った服装に合う女の子がいない事や、そもそも女の子の数が少ない為、次の予定に間に合わなくなる事を考慮して実家に住んでいたころに利用していたホテヘルに決めた。
人二人がギリギリ入れる古臭いエレベータを上がった先に受付が合って、そこでいつも通りボーイさんと一緒に女の子を決めた後、イベント割を利用した金額、100分18,000円(税込)を支払い奥の待合室に通された。本当は120分が良かったがイベント割適応外なので、しぶしぶ諦めた。
待合室には、20代前半の男の人と40代くらいのおっさんがソファに座って待機していた。20代の子は緊張しているせいなのか何度もトイレに行っていた。緊張するとトイレにいきたくなるのは何故なのだろう。
すぐ案内される予定だったのだけれど、少し待たされたので、ここのボーイがよく言う出勤したての"今日処女"の子だったのかもなぁと思っているとトイレ男の後に呼ばれた。待たされるのは慣れている。
古臭いエレベータの前で待っていたのは、パワーショルダーのワンピースが似合うセミロングヘアのドチャクソかわいいタイプの女の子が待ってた。
風俗特有のマンファーストで古臭いエレベータに先に乗り込んだ後、女の子が乗り込んできて閉ボタンを1センチくらい押し込んでエレベータのドアが閉まった。
ちなみにこの古臭いエレベータがこの店のイチオシポイントで、狭い分少し女の子と密着する事が出来るのだ。なお入店時に譲らない男がいた場合、一緒に乗る羽目になる場合もあるので、ハイリスクハイリターンなスポットなのである。
エレベータから出てからは、ホテルに着くまで、その日の天気から始まり色々話した。
話の最中で実家の近くに住んでいることが判明して笑った。女の子は半笑いだった。
ホテルに到着し、女の子がホテルの受付にホテル料金を支払うとエレベータの横にある階段から部屋に向かった。
部屋に到着すると、女の子が手慣れた手つきで店に電話する。このときから時間との闘いは始まっている。が、風俗で遊ぶときはお風呂にはこちらから誘導しないようにしている。
なぜなら風俗の女の子はコミュニケーション能力がずば抜けて上手い事が多く、自分みたいなコミュ障でも楽しくお話出来るのだ。
女の子はプレイ時間を短縮できるし、自分は楽しくお話が出来るのでWin Winの関係ってところ。
20分位たった頃、お風呂に誘導された。お互い服を脱いでいるとき、男は女の子の体を見ると誰でも自分の息子で体の好みがわかるようトレーニングされているのだが、
自分の好みゲージは70%だった。恐らく乳房と乳首の大きさと反比例するほど大きい乳輪(Apple watchの画面より大きい)にびっくりしたのが原因だと思われる。なお平均値は20%なので当たりの部類。
風呂で特に何もイベントは起きなかった。サービスの良い女の子ならここで素股とかやってくれるエロイ。
その後、ベッドの上でプレイが始まった。とりあえずヘルスプレイなので、先に攻めてもらう事にしてもらった。
上から順に色々丁寧にやってもらい、お約束のフェラに差し掛かった時に異変は発生した。
今まで彼女や風俗嬢と色々な人にフェラをお願いしてきたが、いくら好みを伝えても誰一人として自分好みのフェラにフレキシブルにアジャストできる女の子がいなかったのだ。
フェラでイケないのは自分が遅漏かも知れないだとか、普段の基礎トレーニングを強くやりすぎているのかと思っていたが、どうやらそういうわけでは無く、あまりにも強すぎる刺激が来た場合、急に息子が無感症なるのがアダとなっていたみたいである。ちなみに股ではちゃんとイける。
以前、別の店の受付のボーイさんに「フェラでイった事が無いので、フェラが上手な女の子お願いします」と伝えた所、2時間待たされた挙句、「私フェラ得意なの~」と宣った挙句、糞硬い舌でちんこの先端の周りをただ激しくトルネードするだけだったときは、一度お手本を見せてやりたかった。
そんなわけで今までフェライキ童貞だった自分に奇跡のめぐりあわせが来たのである。
ちんちんは結構凄いことになってるし、フェライキ童貞を卒業しようとしたところ、思わぬハプニングが発生した。両足を攣ってしまったのである。
無論このままでも出せる事は出せるが、せっかくの卒業式に泥を塗ってしまうことになる。自分はとっさに足首を上に反らし、アキレス健君に頑張ってもらい何とか重症化する前に修正する事が出来たと同時に発射した。めっちゃ気持ちよかった。
今までで何が一番気持ちよかったですか?と聞かれたらこの瞬間と答えると思う。
発射し終わった後、童貞を捨てた高校一年生の頃の感覚を思い出した。あの頃、自分は何でも出来ると思い込んでいたが、大人になってみると自分よりも何でも出来る人であふれていた。
でもフェラでイった時、自分は何でも出来ると思った。フェラはメンタルにも良いことが科学的に判明した瞬間である。
その後、女の子から続きをやるかどうか聞かれたが、断った。もはやこれ以上は無粋なのだ。
その後は、何故か女の子から別の客の無責任さで俺がなぜか説教されたり、会話中に女の子の本名がばれたりしてお互いワイワイ出来ていたと思う。全部計算づくだったら怖いが。
帰り際、LINEのアカウントを教えてもらいながら、次は指名で入ろうと思っていると自分の謎のジンクスを思い出した。
何故か自分が入った女の子は何故かみんなやめていくのだ。その店の所属歴に関係なく三か月くらいでやめていく。
それを女の子に伝えると何故か喜んでくれた。自分もやめられるときが来るのだと思うと嬉しいとの事。
自分のジンクスが人の役に立つのだと思うと嬉しかったが、フェライキ確定嬢が居なくなるのは自分としても辛かった為、交渉した結果やめるときは他にお勧めの女の子を紹介してくれるといったのでヨシとした。全然ヨシじゃないが。
部屋を出てからは、フェラが上手い女の子と少しだけ一緒に帰った。
残るは生中童貞だけだけど、たぶんこれは墓まで持っていく羽目になると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210408225201
整理券について。
整理券方式が使われるのは、乗った距離(というか区間)にともなって料金が上がっていく従量課金・後払いのバス路線だ。
都市部以外の路線はだいたいこれだろう。なお、IC乗車券の人は必要なく、支払いが現金の場合だけだ。
簡単だろう?
もう少し詳しく説明する。
従量料金の乗車区間を確定するには「乗ったバス停」と「降りるバス停」の2点の情報が必要となる。
その2点のうち降りるバス停は自明なので、乗ったバス停を示すものがあればいい。
「私はここから乗りました」と証を立てるもの、それが整理券だ。なので整理券は握りしめてしわくちゃにしてもかまわんが、なくしてはいけない。
ということは、乗ったバス停は●●●ですね?
▲▲▲~●●●間の料金は■■■円です。
車内前方を見ると、みんなからよく見える場所に升目と数字の並んだエクセルの表みたいな電光掲示板がある。それが料金表だ。
整理番号と料金の対応が表示され、バスの進行につれて時々刻々と料金は上がっていく。ずっと見つめている必要はない。自分が降りるバス停の名前が表示された時にだけ見ればいい。
が、初めて乗る路線だと次から次に出てくるバス停の名前がいちいち面白いのでじっと見ててもいい。
さて、降りるバス停が近づいた。
整理番号と料金表を見比べて、料金もわかった。
ところが、財布を見たらぴったりの小銭がない!
困ったな?
ぴったり持ってなくて運賃機であたふたしてる時に車内から感じる顰蹙のムード。あれは誰だっていやだ。日常の足としてバスを利用している者だってあれはいやなものである(だから日常の足とするならIC乗車券や定期券回数券を使うのが賢い)。
もっとも、顰蹙ムードの半分かそれ以上は気のせいだ。よくあることなので誰もたいして気にしちゃいない。いいや俺はイラッとするからみんなもイラッとしているはずだ、というのなら、それはお前の心が狭いのだ。ぴったりの小銭がたまたまないことなんて当然誰にでもありえることだし、そのために運賃機には両替や釣り銭の機能がついている。万券しか持ってなくたってそこは開き直ってかまわない。
そして、顰蹙ムードを最小化する方法、というかマナーがひとつだけある。これだけは覚えて帰ってほしい。
「ぴったり持ってなかったら、降りる客の列の最後尾に下がってほかの客を先に降ろせ」
そのバス停で降りない客にとっては、お前が何番目でアタフタしようと待ち時間に変化はない(全員が降りきるのにかかる時間は同じ)。しかし同じバス停で降りる客たちにとっては、アタフタしてるお前より後ろだと余分に待たされて損をする。その人たちだけは先に降ろしてやってほしい。
三浦ローリーだかルーリーだか知らんが、安倍晋三応援団的な立場でありながら、
米国の北京オリンピックボイコットを批難するってことは中共の味方なのだろうか?
歴史を知らないどころか、単に逆張りの芸人にしか思えないのが酷い
技術的発展の積分値はともかく微分値には目を見張るものがある、
ロケット開発など意外と人命軽視が科学の発展に繋がることもあるのでそのバランスが必要、
中国は国策として意外と地味な所に金と物を大量に注ぎ込むイメージがあるが、
日本はクールジャパンだのカジノだの政治家個人の献金、保身に浮かれて終わるイメージさえある、
シグマプロジェクトなんかは国内大手メーカーは国策に追従する姿勢だけ見せて金だけは貰う、
国は頓珍漢なことを言ってるが、ただ追従してる姿勢だけ見せればお金は降ってくるので、
みたいになってた感がある
パクリだろうがハリボテだろうが、10年ぐらいの歳月を掛けて量産化するための技術を脇から固めたり、
オリジナルさえも食ってやろうという、少なくとも意気込みだけはあるわけで、
思想だの文化だの人権だのになると疑問の多い国だが、どこかぶっ飛んでるところがスゴい
ライブやフェスでモッシュやダイブをやって血だらけにはなりたくはないが、
傍から見ていたりビデオとして観る分には楽しいというのに似ているかもしれない
その中国というバンドのステージパフォーマンスに良くも悪くもスゴさを感じるのはそういうところだと思う
それによって世界的に反中国的なムードが高まるのは、ある意味では好機とも言える
しかし、この国は衣料品も食料品も中国なしではやってけないだろう
というか、中国の狙いは最初からそうであって、世界の工場としてみんなが嫌がる下請け仕事を引き受けることで、
下請けとしてボケっとしてても物や金が流入してくることから、ノウハウを盗むということに繋がり、
ひいては完全コピーからオリジナルを食うところまで持っていければ、
そこからは中国という国家だけで他国に頼らず経済が完結するようにさえなる
というのが理想であり、その理想へはまだまだ先が長いかもしれないが、そういう意味でも十分脅威である
だから、米国が中心になってボイコットの機運が高まるのは好ましいようにも思える
自分は愛国とかどちらかといえばどうでもいいのだけど、三浦なんとかみたいなのが愛国心があるようにはとても思えない
そういえば、通勤途中に前歩いてる女性の👠の踵蹴ったら、踵がパックリ取れてしまって、
なんか嫌悪なムードになったのだけど、そもそも論として、そんな装備で大丈夫か?と思うんだがどうなんだろう
ちなみに今年の冬だ。
新社会人になって金が入る様になってから月1ペースで通っていたんだけど、お気に入りの嬢が足を洗った事と俺自身が仕事やら何やらでうつ病になった事もあり数年前からは行ってなかった。
仕事を辞めて暫くしてから働き始めてからは家と職場の往復。休日に日帰り旅行に行ったりライブを観に行ったりしてたのだが、コロナの影響でそれも出来なくなった。
仕事の方は職業柄テレワークというわけにもいかず、ひたすら職場で働いていたのだけどもまさかこんなにも自粛期間が長引くと思っておらず日に日にストレスが溜まっていった。
それで2回目の緊急事態宣言が発令された時、ストレスが限界にまで達した。
繁茂期に入り、仕事が忙しくなった上に自分の時間も持てなくなった。自粛ムードで何も出来ない事もあり精神的にも限界だった。
常に気を張り続ける生活に嫌気がさした俺はヤケクソ気味に風俗店へ足を運んだ。
理由?性的処理もそうだが思いっきり人に甘えたかったのだ。抱き締められたい。丁寧に扱われたい。そして嬢の尻を叩く程度にぞんざいに扱いたい。それでも笑顔で受け入れてもらいたい。何とも身勝手な理由だ。ただそれ以外俺を止める方法がなかった。
少し昔話をする
最初に入った会社はパワハラ・モラハラが飛び交う理不尽な社風でサビ残・休日出勤は当たり前、上司と取引先の無茶振りに対応するのが精一杯だった。プライベートなど無いようなもので最終的に電車に轢かれようと思うまでになって辞めた。
転職した会社では社内抗争が勃発し、そこでもパワハラ・モラハラが前の会社よりかはマシな程度ではあったが横行していた。ノルマを達成しても給料が上がる見込みもなく、人間として扱われたい気持ちとは裏腹に理不尽を受け続ける事に必死だった俺はやがてうつ病を患い社会からドロップアウトした。
いつ何が起こるか分からない為予定も作れず、仕事終わりに時間が空いた時だけ俺は風俗店へ行った。職場周りは男しかおらず同期もいない俺にとって弱音を吐いたり、思いっきり甘えられるとは風俗嬢と一緒にいるラブホだけだった。そこでは何もかも肯定してくれる風俗嬢が居てくれた。お金を対価にサービスしてくれている事は百も承知だ。だがそうでもしなければ俺は生きていけなかった。
うつ病になる前後にお気に入りの嬢が辞めた事、うつ病になり性欲はおろか生きる気力すら無くなり金銭的な問題もあり、その後風俗店に足を運ぶ事はなくなった。
長い療養期間を経て社会復帰した俺は普通の人間が送る人生を諦め、生きていくには困らない程度のお金を稼ぐ事にした。収入が減った為、風俗店に足を運ぶ余裕がなかった事、生きる事に対する執着心が無くなった事。歳を取り自分よりはるかに年下の嬢と接するのがしんどくなる予感がしたのでもう行く事はないと思っていた。
それでもまた足を運んだ。コロナが蔓延し緊急事態宣言が発令された中でだ。
もう限界だったのだ。いつ爆発するか分からない不満と怒りを抑えるにはこれしかなかった。誰かに甘えたいという気持ちが理性を超えてしまったのだ。
店のEVで嬢と挨拶し、ホテルで抱き締められた瞬間俺の目的は達成された。
まだ周りから見て「普通の人間」だった頃の俺は性欲処理の為に風俗嬢を抱いていた。何回も風俗店に通いつめていくうちに身勝手な性欲の捌け口にしてしまう罪悪感とその欲望の狭間を行き来しながら風俗嬢を抱いていた。最終的に割り切った上で風俗嬢を抱いた。逃げ場がそこにしかなかったからだ。
今回もそうだ。もうこれしか方法がなかった。俺自身の精神的均衡を保つ為には風俗嬢を抱くしか方法はなかった。胸に顔を埋め、抱きしめ合い、性的絶頂を得る事で俺の心は救われた。
幸い体調を崩すことなく今のところ健康を維持している。あの出来事が無ければ間違いなく俺の精神は再び崩壊するところだった。コロナになる事は恐ろしい事だが、当時の俺はそれと俺自身の精神的苦痛の解消を天秤に掛けた上で風俗嬢を抱く選択をした。はっきり言って異常だ。
あれから数ヶ月がたち、それでもまた風俗嬢を抱きたいと思い始めている。
仕事は峠を超え、世間の自粛ムードも何となくうやむやになっている様にも見えるが、俺自身精神的に疲れ果てていた。コロナ禍で人間の嫌な部分をまざまざと見せつけられた事も大きいが、俺自身将来への不安を抱えつつもどこか人生を諦めているところがある。正直いつ死んでもいいと思っている節もある。
それなのにまた人に…風俗嬢に甘えたいと感じる俺がいるのだ。俺の身勝手な欲望を受け止めて欲しいのだ。我慢したとしてもいずれまたストレスの捌け口を求める事になるのは分かりきっている。
まともな普通の人間に戻る事も出来ない俺にとって、唯一の救いになってしまうのだ。だからこそ苦しい。もうどうすればいいのか分からない。ひとつ言えることはここで吐き出すしかないという事だけだ。
恐らく今年もまた風俗嬢を抱くだろう。この状況下でやる事は常軌を逸している事も分かっている。コロナに対するリスクを抱える事も分かっている。抱いたとしてもまた暫くすれば同じ事を繰り返す事も分かっている。
ただもう止められないのだ。もうどうしようもないのだから。
これは、はてな匿名ダイアリー バズフィードオブジイヤー2021を目指せるかどうかの最終負荷実験です。
1:プロローグ
つーか、この9ヶ月間どころか来期もいい再放送案件が何でMXはじめ南関東ローカルばっかに行くんだよ?
ハナヤマタから始まりニャル子、はたらく魔王さま、より抜き宇宙戦艦ヤマトさん、
MX以外の関東独立局は「日常」(あらゐけいいち)を来期に再放送とか…
ファフナーやシドニアの騎士だとかキングレコードとベッタリとしか思えない再放送、
生徒会役員共一期は2010年秋や13年秋、17年春など再放送の機会あったのにようやく放送出来たのは昨夏、
ネットイナゴの半分が深夜アニメからVTuberやガチャゲー最強自慢にシフトしていった、
下ネタ関連も異種族レビュアーズやかぐや様が台頭してきたという惨めな時期、
無論まどか以前のアニメ古株もSAO俺ガイルリゼロで持ち切りのザマだし。
で冬クールは
でも、きんいろモザイクの数年越しの再放送で貧乏くじからの脱却への希望が見え始めた…
なのに、来期は何だ!?
神様になった日にシグルリに令和版ひぐらし(平成で眠らせて欲しかった)とか近辺クールのヤツばっかじゃねえかよ。
近辺クール系再放送(2021年3月26日)で一番まともな方なのは友崎くんぐらいだし…
そんなにBS日テレやBS12(トゥエルビ222ch)、BS朝日に楽園追放やカウボーイビバップ、Aチャンネル取られてえのかよ!?
はたらく細胞シリーズはEテレに移籍すれば民放系とは土壌が異なるためウマ娘フィーバーの影響を軽減できたのかも知れないし、
神様になった日はVEGやよりもいの打倒に失敗、
オルタンシアサーガは意味わかんねえよ的なラストシーンで終わり…
こんな醜態連発で新作期待できると思うのか?
BSフジかBS日テレ製作委員会関与で円盤をDMMやハピネットに任せた方が良かった作品みたいなのばっかじゃん。
で、BS日テレはなんなんだよ?
はてなイリュージョンやトライナイツやブレイドアンドソウルの再放送なんていい加減リピート放送すんのやめろよ、
まともな知性ある放送局ならデスノートやとらドラ、クラナド、ルパン三世Part5を再放送するはずだろ?
っていうかBS11は早くツキアニの今後の放送権BS日テレに譲渡してBS日テレがツキプロの実写とアニメ両方請け負う方にしろよ。
話を戻す
装甲娘戦記もなんなんだよ?
何であんなのをBS11は買ったんだ?っていうレベルの出来だったじゃねえか
こんなんじゃBS11でのサイマルから弾かれたおちこぼれフルーツタルトやのんのんびよりが報われないよ。
その、のんのんびより。
アズールレーンスピンオフはABEMA放送分の裏番組に仕向ける。
AT-Xの正月日曜無料デーに一期と二期丸投げ、しかもその日は裏番組がBS11のハルヒ
製作委員会も作者も監督も角川もこの7年以上(2013年8月27日、のんのん一期の放送局がテレ東東名阪に決まった日から現在まで)
SAOや俺ガイル、このすば、リゼロ、おそ松、ゾンサガ、五等分、鬼滅、けもフレ、プリコネ、ごちうさ、ゆるキャンの方が身近に感じられて界隈の人心掌握をする様な状態にしたこと何も謝罪しないのかよ!?ふざけんじゃねえよ!!!!!
角川も腐ってるよ、昨年下半期にのんのんびより旧シリーズをBS11で放送強行してれば良かったのに、
何で夏季にこのすば2期なんて放送する必要あったんだ、舐めやがって。
そのリゼロ2期、タメの第1クール経て反撃の第2クールはどうなった?
ウマ娘ムーブメントで1期〜2期前半に比べて空気になっちまったじゃねえか!?
溜め展開編の円盤売上もSAOや俺ガイルに負ける醜態だったし!!!
BSテレ東が3期の放送局に決まった時に俺は数年間の怒りを大爆発させて
「全世界の思想や規範、経済をのんのんびよりが支配してあらゆる娯楽ものんのんびよりのスピンオフだらけの世界になればいいのに」と叫んだよ。
のんのんびよりに対しての業界の仕打ちと界隈の鈍感さでようやく俺はアニメ業界への不信感を顕に出来たよ。ありがとさんよ。
本題
日本のサブカル界隈はとにかくことなかれ主義過ぎるじゃねえか、だからブレイドアンドソウルやはてなイリュージョン、
神様になった日だとか
ゲーム系の事でもいつまで経ってもニンテンドースイッチオンラインスーファミサービスで
ルドラの秘宝やライブ・ア・ライブ実装実現せず何処の馬の骨かわからないサードパーティ系ばっかになり、
ファミコン版ドラクエ4&スーファミ版ドラクエ5・6完全移植のドラクエ天空コレクションも実現せず、
2だとファミコン版BGMやファミコン版難易度+W羽衣&破壊の隼モード、
3だとたゲームボーイカラー版隠しダンジョン追加のアップデート実現せず
基本は問題提起にネットミーハーやネット大衆とつるんで冷笑ムードで、
オタクがガイドラインの後すぐにおとなしくなったという歴史修正が行われているようだが現実は違う。
エロ同人業界ではトップクラスに人気があるサークル「🐹の煮込み」などもススズとスペちゃんのふたなりファック絵をあげていた。
少なくともガイドラインが出ても、
アニメが継続している間はずっと継続して1日10件近くエロ絵が上がっており、
一番多い時期ではpixivに1000件以上のウマ娘エロ絵が上がっていた。
特に3つのアカウントは精力的にウマ娘に特化してエロ絵をあげ続けていた。
特にg~~というサークルはfantiaというサイトでお金を取ってリクエストに応じた絵をあげており、少なくとも14人のウマ娘のエロ絵が上がっていた。
しかしそういう一部の人間の活動を除き、ガイドラインの存在もあってアニメ終了後にもエロ二次創作はあまり盛り上がらなかった。
http://doujinsokuhou45.com/archives/8207150.html
数名の有名な絵師は描きかけのエロ絵を出しつつウマ娘二次創作からの撤退を表明していた。
わざわざ撤退する人間がガイドラインを理由にやめますというものだからウマ娘のエロ絵を描くやつはさらに減った。
4名ほどが血祭りにあげられた。たとえばこれ。
https://anige-labo.com/archives/78777
宇崎ちゃんの時の目が血走ったフェミ警察みたいにpixivでエロ絵を挙げてる人を発見しては晒上げ、公式に通報するというのがお遊び感覚で実行された。
きれいごと抜きで言うと、
エロ二次創作者にとって最も恐ろしいのは公式でも馬主でもなくウマ娘エロ絵警察である。
現在でもなんとかしてウマ娘のエロ二次創作を上げようとするやつはいるがだいたいすぐ見つかって処刑される。
こうなると、よほどのことがない限りは挑戦する奴はいない。
その結果、今現在はpixivでウマ娘 エロとかウマ娘 #R-18と検索しても弱小サークルしか出てこなくなってしまった。twitterで人気の絵師は一人もいない。
https://www.pixiv.net/tags/R-18%E3%80%80%E3%82%A6%E3%83%9E%E5%A8%98
今絵を上げている人間は失うものがない雑魚絵師ばかりで、絵がうまい人4人しかいない。それでもいちいち蠅みたいな連中から絵を消せと嫌がらせを受ける。
omaenankakurashicategoryda コンテンツのファンとしては、コンテンツそのものを潰しかねない要素を躍起になって狩るのは当たり前 学級会とか警察とかそういう次元の話ではない
コンテンツのファンがやっていたならまだわかるが、実際はただの愉快犯たちである。
私は野菜が大嫌いだ。
野菜なんか食べなくても大きくなれる。
現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。
そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。
私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。
野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。
私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。
私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10代である今が最後だろう。
あるとき、駅の構内にある喫茶店でパスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人のムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供の自分を克服できるかもしれない。
パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック。勇気を振り絞って口に運んでみる。
シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。
小学校の担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。
吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。
新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物の細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。
しかし私は諦めない。思うに、まずはマヨネーズやごまドレッシングなどのまろやか系から挑戦すれば良いのではないか?
とにかく、野菜を好きになるまでは行かなくとも、健康を保てる量の野菜を摂取できるようになりたい。
(追記)
今まで野菜と向き合わなすぎて、野菜=サラダだ!と思い込んでいたので、ブコメやトラバを読んで勉強になった。
一応、鍋料理やスープに入っているクタクタの白菜などなら食べられる。しかし好きではない。
色々な食べ方を知ることが出来たので、まずは汁物や煮物からチャレンジしていこうと思う。
そして、世の中にはサラダがそんなに好きではないという人が結構いることに驚いた。
何しろ、母は大の野菜好きで、ドレッシングなしで生野菜をバリバリ食べる人だし、祖母もそうで、父は好き嫌いがなくなんでもうまいうまいと食べる。(親の背中を見て子は育つというが、このような環境で野菜嫌いに育ったのが不思議である)
だからサラダや生野菜というのは割かし大勢の人が好んでいて、野菜を摂る手段として1番手っ取り早いものだと思っていた。
とにかく火を通したものから挑戦してみて、野菜の良さに気がつく日が来るのを待とうと思う。
同じく野菜嫌いの人や、歳をとって味覚が変わって食べられるようになったという人のコメントを見て、「好き嫌いを克服せねば」と力んでいたのが、良い意味で力が抜けた気がする。
活字にほとんど触れない生活を送っている僕の知見によると、となりの市にある市営図書館ほど素晴らしい図書館はない。僕は、自分が住む市の図書館には行かず、時間をかけてわざわざその図書館に通っている。本を読むわけでもないのに。
有名なアルバムだったら大抵そろっているし、廃盤になった隠れた名作なんかも貸し出しされていることがある。新盤を除けばツタヤなんかよりずっと品揃えがいいし、廃盤になったアルバムを聴くために、定価の倍以上の金をメルカリ出品者に貢ぐ必要もない。
受験生だった頃は、受験勉強という名目で毎週末は図書館に通い、
土曜にCDを上限(5枚)まで借りる→家に帰ってPCに取り込み→日曜に返却してMAX枚数借りる→次の週に返す
というルーティーンを繰り返していた。CDがずらりと並んだ棚の前で、勉強をサボっている罪悪感を感じながら、何を借りるべきか吟味するのは、とても楽しかった。大学全落ちという後の結末を知っている今でもなお、後悔はしていない。
今日は4枚のCDを借りてきた。不朽の名作たちを、一つずつ紹介しよう。
YUKIソロ作として、初のオリコン1位を記録したアルバム。収録曲「JOY」を聴きたかったけどYoutubeでは曲の半分しか上っていなかったので借りてみた。「JOY」って、ちょっと寂しくて、懐かしい感じがいいよね。ジュディマリは高校時代によく聴いていたけど、ソロ作はほとんど聴いたことがなかったので、そこらへんも期待。
宇多田ヒカルの曲は「Automatic」くらいしか聴いたことなかったけど、エヴァ主題歌の新曲をYoutubeで偶然聴いたら良い感じがしたので借りてみた。当然新曲の貸出なんて無いので、エヴァ序の主題歌が収録されたこのアルバムを選択。打ち込みのリズムや、騒がしくないのに濃密なフィールが心地よい。90年台の宇多田ヒカルの曲より、あたらしめの曲のほうが好みかもしれない。
初めて聴いたくるりの曲は「琥珀色の街、上海蟹の朝」だけど、そのときは意識高い雰囲気しか感じられなくて好きになれなかった。しかし先日、増田で「ばらの花」の存在を知り、Youtubeで聴いてみたら気に入ったので借りた。フジファブリックの「若者のすべて」と漂うムードがどことなく似ている。さびしく懐かしいような、失われた青春感がすてき。こういう曲はとても好きなので、アーティストにかかわらず、他にもあれば、是非教えてほしい。
・たま - ろけっと
本日の目玉。廃盤であり、限定で再発されたこともあったけれど、中古価格はさりげなく高騰している。メルカリだと定価の六割増し程度の価格で取引されているが、たくさん金を払って手に入れたとしても、作った人には1円も入らないんだから、むなしいものである。ともあれ、今回はタダで聴けたんだからラッキーだった。
レアなアルバムだけど借りる人が少ないのか、歌詞カードは図書館で貸し出しされてるものとは思えないほど綺麗だった。ジャケットや歌詞カードの絵は、絵本「わにわにシリーズ」の絵を手がける山口マオ氏のもので、とてもかわいい。ろけっとにくくりつけられた石川浩司氏の腹が出ている。
一番のお気に入りは「あの娘は雨女」。Youtubeでも聴けるから是非聴いてほしい。「さよなら人類」を凌ぐほどの隠れた名作。この曲を聴いたら、『たまは一発屋』なんて愚かな発言は口が裂けても言えなくなる(はず)。
ツイッタークレーマーのあれかなと思ってたらアイヌをあ、犬と言うど真ん中のやつだった
私もしばらく犬と言われてたのを思い出した
私は名字に犬が付く
そして生まれつき毛深く、小学校5年ぐらいだったか、本当に犬みたいに毛深いなと言ってきた男子がいた
不幸なことにその発言は受けてしまい、犬犬言い出す男子が増えてきて、徐々にいじめムードが漂いはじめる
小5にもなるとそろそろムダ毛処理をと考えていたのだけど、今剃ったらそれ言われたから剃ったのだと思われそうで嫌だった
3週間ぐらい学校を休んだけど、やっぱり剃ったことをいじられるのが嫌でそのままにしてたな
最近ようやく髪切ったとか聞くなって風潮できたけど、いちいち干渉してくんの本当うっとしいね
ちょっとだけ毛にアイデンティティのようなものもあったけど、トータルではいじられるマイナス面が大きかった
それでまあ何回か剃ろうかなというタイミングはあったんだけど、アラサーの今も毛は残してる
剃ってほしいと言ってきた男性とは別れた
シン・エヴァンゲリオン見てきた。
Twitterも会社のチャットもお通夜ムードというか絶対に触れるなって雰囲気で、この見た後の誰かと語り合いたい気持ちをどこで発散すれば???
となったので熱が冷めないうちにうだうだ書いてみる。
以下ネタバレで、絶対初見で劇場で見た方が良いと思うので、見てないひとはここでもどった方がいい。
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なんか、やっと大人になれた気がした。
シンジくんたちと同じぐらいの年齢でエヴァに出会って、追いかけ続けて、Qで衝撃を受け、そこから8年放置。長かったよ流石に。
シンジくんたちチルドレンに感情移入していたのに、ミサトさんのくだりが一番刺さったもん。ふしぎ。
もうさ、最初に第三村で???ってなって、あ、これトトロじゃんってなって。
でもたぶん庵野のことだから鬱展開くるっしょとなったら8年寝かせただけあってささっと次のシーンにいって感動したし。
アスカとケンケンくっついてるし、トウジとヒカリの大人な対応も、子供との生活も刺さる刺さる。
アヤナミレイがパシャっとなった時にもっかい鬱展開かと思ったら違ったし。シンジ君8年でおっきくなったね・・・
で、南極いくじゃないですか。
なんかナディアみを感じるなと思ったらナディアなの。もうね庵野天才。
ボタンポチ―ひとつとってもエレクトラ押しなの。UKERUNE。
ここら辺からめちゃ熱い展開からの怪しげな雰囲気を感じ取って、良く調教されたエヴァファンとしては身構えるわけですよ。
アスカの目からアンチLシステム生えてきた時なんか「あっ」って感じですよ。これ以上アスカが可哀そうな目に合うのはやめてちょんまげ。
裏宇宙以降の精神世界なんてもう、TV版の終盤や旧劇ラストがフラッシュバックしていつ庵野が暴走するかとハラハラしてましたよ。
でもね、8年越しのエヴァはエンターテイメントとして高い完成度になっていた。
たとえ説明的だと言われても、ゲンドウやアスカ、他のキャラクターの想いやこれからをしっかりと描いたのは涙が出るほどうれしかったし。
ゲンドウがあっさり下車して、男前シンジ君が戻ってきたときなんかもう親目線で見てました。感情めちゃくちゃだな自分。
シンジ君じゃない・・・彼は・・・・シンジさんだ・・・!!!!!!!!
って感じ。
ネオンジェネシスの下りはちょっと意味わかんなかったというかまさかTV版にループさせる気か庵野ォ!と一瞬日和ました。すみません。
でも、これまでのエヴァのシーン、タイトル諸々全て映して、緒方恵美の最後のセリフが「さよならすべてのエヴァンゲリオン」ってのはとてもすっきりしました。
そして最後のシーンはもう考察班にまかせますが、自分は「大人になってエヴァを卒業しような!な!」と受け止めました。
やっぱりエヴァって自分の中でとても大切な作品だし、濃淡はあるものの人生の中でこれほど熱くはまった作品ってなかったと思うのですよ。
考察も語りあうときも、リアルな人生でいろいろあった中でもやっぱりずっと追ってきてたし。
すっと追ってこれたのはやっぱり不完全燃焼なところがあったからだし、庵野ォ!シンゴジラ作ってる場合じゃねーだろ!名作だけど!!!!となったりしながらも、やっぱりエヴァを待ち望んでいたんだなと。
最終作もいくつもの考察ポイントがあって、昔取った杵柄を振り回そう(?)としているいにしえのオタクたちが腕まくりして待っていると思うので、その考察を眺めながら今夜は余韻に浸りたいと思います。
あとやっぱ「アスカが好きだったんだ」はグサッときた。そう、昔はアスカが好きだったんだよ・・・・
ーーー
親となった立場としてゲンドウがシンジを抱きしめて「そこにいたのかユイ」と気づいたのは鳥肌だった。
そう、模造品を作ってもユイには辿り着けなったのに、一度は捨てたユイの血を分けたシンジにはユイが宿っていることを感じたというのがすごい。
エヴァ初号機にはユイの魂がある、ユイとゲンドウを重ねた初号機と13号機が槍を突き刺すシーンにもつながる秀逸な場面だった。
↓の人の様に、イマイチ分からん、と思ってる人に、多分これを意識すると「あっ、そう言う事か」と成るんじゃないかな、と言う補助線が有るので共有しておきます
https://anatadehanai.hatenablog.jp/entry/2021/03/07/110833
https://anond.hatelabo.jp/20210306213555
恐らくだけど、カズオ・イシグロ氏を含む欧米のリベラルにとっては「ブレグジットやトランプ政権の誕生を予想出来なかった事」がトラウマとして残ってるんだと思う
ブレグジットの時はどうだったか忘れたけど、トランプ政権誕生の時は選挙結果が出るまではヒラリーの勝利を予想していたリベラル知識人が多かったと思う
要するにあの時、メディアはヒラリー側の見解やヒラリー側に有利な情報を多く流していて勝利ムードだったけど、実は違った、という事が非常にショックだったんじゃないかな?
こういう危機感なら、日本のリベラルの人達も有る程度共有出来るのでは無いだろうか
単純に言うと「メディアで受ける印象と、実際の開票結果が違うのは困る!」って事だね
日本だと「ネットで見た印象より自民党の支持率が高い、なんで!?」みたいな事かな、この場合はネットをしない層の意見が隠れてるって事だね(後は勿論組織票等)
リベラル側からすると、ネットやメディアで非リベラルな主張が載せられる事は不愉快かもしれない、でもそういうのが無くなると、いざ選挙や支持率が出る時に結果に「なんで!?」って成る事が有ってそれは困るよね、と言う話
そういう事を防止するには普段から非リベラルの人達が何を考えているか知っておく必要があり、その為に非リベラルの人がネット上で記事を書いたり芸術として表現したり出来る土壌が有ると良いよね、と言う話じゃないかな?
「普段から非リベラルの人達が何を考えているか知っておく」為にもう一つ必要なのは、曲解しない事、だね
↑の感想の筆者の方がどうかは分からないけど、リベラルの一部の人を見てると、非リベラルな人の意見を物凄く曲解して批判してる事が有る
あれは止めた方が良いね、その時は気持ち良いかも知れないけど、「非リベラルの人達が何を考えているか」と言う知識を自分から歪めてしまう事に成る訳だから
厄介なのは、曲解してる本人は曲解している自覚が無いって事、今これを読んでるあなたも自分では「曲解なんかしていない」つもりでも、実はしてるかもよ?
非リベラルの人をモンスター化して考えるのは止した方が良い、彼らも俺達と同じ人間で、彼らには彼らなりの理屈が有る、そこに耳を傾けてみよう
「そんな事は無い!彼らは間違っているんだ」と思ったら赤信号、もうかなり危うい状態だ、話を聞く前にどうして正誤が分かるのだろう、まずはちゃんと話を聞いて悪意じゃなくて善意で判断してみよう
彼らは1つじゃなくて無数の主張をしている、その全部が間違ってるなんて、先ず確率的に考えても有り得ないよね?(勿論各意見の正誤は同様に確からしく無いし、厳密には確率的には考えられないが)間違っている物も有るだろうけど合ってる物もあるはずだ、それをちゃんと評価出来るように成ろう
一部の(もしかすると多くの?)リベラルの人達は非リベラルの意見を悪意的に解釈する癖が付いている様だから、
意識的に善い方に解釈するようにすると良いと思うよ、所謂「最善の相」って奴だね
多分その位しないと歪みは直らない
非リベラルの意見に直面した時、カッとなるのを抑えて「いや、待てよ、これはこういう解釈もあり得る」と好意的な解釈を考えたり、「間違ってると思ったが理屈は通っている」と思ったり、「成程自分にはこういう偏見が有ったかもしれない」と振り返って見る
そういう事を遣れるようになると、いざ選挙結果が出た時「なんで!?」って成る事が減るんじゃないかな?
あともう一つアドバイスすると、リベラルの人達は(排外主義的でない)愛国的なコンテンツに対してのアレルギーは直した方が良いと思うよ
ブコメでも書いたけど野田洋次郎のHINOMARUとか、ああいう物への反応が一番世間との乖離(→選挙での「なんで!?」)の原因だと思う
自分では「愛国的だから批判してるんじゃなくて、創作物として劣っているから批判した」つもりでも、愛国アレルギーに自分で気付いてないだけ、って場合も有るから気を付けた方が良い
社会人2年目。やっと仕事にも慣れてきて、取引先にも顔と名前を覚えてもらえて、個人宛に仕事も回してもらえるようになった。
さあこれからどうやって頑張ろうか、なんて計画を立ててたところにようこそクソコロナ。
当時企画してたそこそこ大規模なイベントが中止になった。最近は取引先が遂に堪えきなくなり、バタバタと死んでいる。
何をやっても上手く行かなくなり、会社に行ってもネットで該当する助成金・補助金を探しては、申請書類をひたすらに書く日々。
プライベートでも飲み会が総潰れ。旅行も出来ず、帰省も叶わず、フォロワーとのオフ会もなくなった。
リモート飲みも最初は良かったものの、2回、3回となってくるとウルトラつまらん。
全員ペットの自慢しかしねえ(ペットは犬も猫も鳥もトカゲも総じてマジで永遠に可愛かったが、奇声を上げて可愛がる酔っ払いがキショくなってきてつらい)
そんなクソタイミングで畜生クレームのお知らせ。こちらに明らか非はないが、謝罪で丸く納まってくれるなら……ということで
最寄駅から電車に乗ると快速急行。目的地には止まりません。地獄か?
先方に謝罪が遅れる謝罪の電話を入れ(この世はクソ)この時点でだいぶ限界だったのでテトリスして気持ちを誤魔化した。
電車で戻っていると大変時間が掛かるので、駅前でタクシーを捕まえて先方まで直行することにした。
会社から先方までより流石に短い距離ではあるが、まあまあの運賃がかかった。
ちなみにレシートを何処かに落としてきたので経費で落ちませんでした。ウケる。
そんなこんなでメンタル終人(おわりんちゅ)、無事先方に到着!
知らんジジイに見に覚えのない罪でしこたま怒られ、挙句には「マスクが気に入らない!」とまで言われる。何?
この度は大変申し訳ございませんでしたー、と最後に追加で謝罪を述べ、開放してもらった。
どっと疲れがくる。ここは都会。自粛ムードなんてとっくに廃れてしまったのかと思うほどの人混み。
頭のてっぺんから爪先まで、高級ブランドで揃えたカップルとすれ違う。
一方の私は、3年着古した安物のコートにパンツまで全部GU。恋人なんかもう何年もいない。
私は知らんジジイに罵倒される一方で、彼ら彼女らはシャネルだか何だかの紙袋片手にお揃いのマスクでデートする。
年齢は私とそう違わない筈なのに、何がこんなにも違うのだろうか。
私だって頑張ってるのに、そう思ったら腹立たしくて虚しくて悔しくて涙が出てきた。
クソー!ふざけんなよ!といつもならこのまま安居酒屋に駆け込み、トイレと座席を往復しながら飲み散らかす。
が、コロナ禍。緊急事態宣言。飲食店はチェーンでさえ、午後8時に営業終了する。虚しい。
下唇が千切れるぐらい歯を食いしばって涙を堪え、ズカズカ歩く。
負けてたまるかよォ〜!と思った矢先、パンプスの底がベロベロに剥がれました。
しかも両足。あまりにも酷い仕打ちに私の心は終わりになり、ちょっと入った路地の植木に倒れ込むようにして座りました。
もう嫌〜!こっから電車で帰るってマジ?てか駅までまだ10分歩くってマジ!?都会、何!?
全部が無理になって、もうこのままトチ狂ってクソデカ車線の真ん中に踊り出るか!?とえぐえぐめそめそ。
そんなところに現れた、救済。女性の優しい声。
目の前にわざわざ座り込んで私に視線を合わせ、心底心配そうにこちらを伺う男女2人組。
「体調悪い?水とか買ってこようか?」と男性はタメ口だが確かに優しさのある、決して不快ではない声かけ。
いや道端で泣いてる見ず知らずの人間にいきなり触るか?とも思ったけど、今はとにかくその優しさが染みた。
話聞くよ、と言われたがあまり話したくはなかったので、ちょっと今日一日大変で……とぼかして話す。
それだけでもその男女2人組はうんうんと大袈裟な相槌を打ち、慰めの言葉をかけてくれる。
都会にもこんなに良い人がいるなんて……と感動し、お礼をメチャクチャ述べた。
それからちょっとした雑談に移る。男女は社会人サークルの仲間らしい。年も私と変わらないぐらいだ。
社会人になってから友達とも疎遠になるし、コロナ禍で人との出会いが少ないのが寂しくて〜、と女性が言う。
近辺のカフェを数人で巡っており、お勧めのカフェを聞かれたので、無難なところを答えた。
そこ、良かったら今度一緒にどうですか?と女性が差し出したのは彼女のLINEのQRコード。
カフェ巡りを趣味のひとつとしていた私は、喜んで連絡先を交換した。
それで彼らとは別れ、少し元気を取り戻しベロベロのパンプスで駅まで歩いた。
本当に良い人達だったなあ〜、良いカフェ探しとかないと。何人ぐらいで行くんだろう。友達増えるかな〜。
と電車の中でウキウキしながら、誰かに伝えたくて幼馴染に連絡した。
『それアムウェイじゃね?』
『うちのねーちゃんそんな感じで勧誘されてズブズブなうです!ウザすぎ(笑)』
だが一度メッセージが送られてきた。
『美味しかったー!また今度、一緒に行こうね!』
これはアムウェイじゃなくて本当にカフェ巡りサークルなのでは?と思ったが
幼馴染から送られてきた内容を思い出し、返信をグッと堪えた。
お礼をきちんと言えなかったのが非常に残念ではある。
それぐらいなら返信しても良かったのかもしれない、と今でも少し思うが
でもあの男女には本当に感謝している。
あそこで声をかけてもらっていなければ、あのまま帰れなかったかもしれない。
コロナ禍、ボロ布みたいな私を助けてくれたのは、間違いなくあの2人だ。
古びた校舎の部分的な工事に伴い、敷地内の仮設教室に追いやられたクラスには、扇風機が割り当てられていたが、窓を開けても熱風、扇風機は熱風をかき混ぜながら撒き散らした。
そんな教室での昼休みは、いまいいち活気がないムードでボソボソとした会話が散発的に起こった。
「最近これ聴いてる」と友人はCDアルバムを取り出す。Dragon AshのBuzz Songs。いいよね、なんかオシャレだよね。あの曲が好きだな、Under Age’s Song。ラップって優しい感じのもあるんだね。反応されたのが意外だったらしく「知ってるの?え〜、なんか悔しいわ。絶対知らないと思った。」
コロナによって東京オリンピックの開催がおじゃんになった世界線の2031年。
世は禁酒法ならぬガチャピンが定めた禁嫌法から10年が経っていた。
かつてガチャピンの片腕であったムックは禁嫌法の緩和を訴えるも反嫌法に基づいて電気椅子に送られてしまっていた。
「嫌い」をキめたくて仕方がない人々は、
はてなというアングラなサービスを使い日々「嫌い」という感情をぶちまけるのであった。
いったい、どうしてこんなことになってしまったのか?
このようにきわめて重大な法令を、
国民はなぜこのように圧倒的に、まるできまぐれのように受け容れたのだろうか。
コロナの流行は禁嫌指導者に大きなチャンスを与えることになった。
完全禁嫌プログラムには反対していたはずの人びとの注意はコロナに奪われ、
国家存亡の危機に際しては、人間の自由意志などは些細なことだと考えられた。
またコロナは、ガチャピンに広範な権力を与える思いきった法律制定に、国民を馴らしてしまった。
感情の節約が必要となり、感情節約の手段として、ガチャピンはリベラリストたちに禁嫌奨励することになった。
憲法修正第ガチャピン条はその自然な表現だが、コロナはまたスパルタ式理想主義のムードをもたらした。
マイノリティが良いものであり、マイノリティが生産能率の良い存在であるならば、禁嫌論議は、さしあたり反駁の余地のないものだった。
もしこのコロナとの戦いがすべての争いを終わらせるものであり、勝利が新たな輝かしい世界秩序をもたらすことを可能にすると考えるならば、
この効果的な禁嫌を無限に続ける時代に入っていくことを想像するのは、いかにも容易であった。
そして結局、コロナとの戦いは国民を、即座に結果があらわれないと苛立つように変えてしまった。
2022年と2023年は、やる価値のあるものは何でも、官僚式手続きや反論や快不快や便不便を無視して、即刻やる価値がある、ということになってしまった。
こうした諸勢力の結合は、抵抗し得ないものだった。国民は熱病にかかったように、息せききって、禁嫌のユートピアへの近道を選んだ。
そのうちのある都市に住んでいるが、解除前のこの土日の日中、繁華街を見渡した限り先週先々週と比べて明らかに人出が多かった。
宣言の有無のみで出歩くかどうか判断する人々のことが理解できない。いや、分かるけど分からない。
宣言の有無に拘らず何も気にせず出歩く人のことは分かる。コロナは老人以外では重症化しにくく死者も少ない。感染リスクをあまり重視していないのだろう。
宣言の有無に拘らずずっと外出を控えている人のことも分かる。とはいえ重篤な後遺症の報告例も挙がっているし社会的な目もある。感染リスクを重視しているのだろう。
もちろん状況や情報が日々更新されるので、判断や行動が変遷してきた人もいるだろう。
やっぱりコロナは怖い/怖くないから先週までと違う行動を取るというのもおかしくない。
自分も昨春の時点では、(どこもかしこも休業していたのもあって)あまり出歩くこともなかったが、だんだんとしても大丈夫そうなことが分かってきた。
どうやら飛沫に曝されるかどうかが大きいようなので、飛沫に曝されやすい行動は控え、そうでない行動は通常どおりする(もちろん適宜消毒はする)と夏秋頃からなってきた。
今回の宣言下でもこの自分なりの判断に基づいて気にせず外出する一方、同居家族以外との会食や飲み会なんかは宣言以前からずっと控えている。
でも多分だけど、今まで控えていた外出をこの土日に再開した人はそういう変遷があったわけじゃないと思う。
特にこの数日で知見や状況が変わったわけでもないし、緊急事態宣言の有無でしか判断していないとしか思えない。
緊急事態宣言の解除は、感染者数と経済とのバランスに基づいた政治的な判断だ。
ここ数日はむしろ感染者数は微増傾向で、個人の感染リスクとしては危険度が高くなってきているはず。
というかこの土日は解除前なわけで、判断基準は宣言の有無ですらない。
繰り返すが、恐れている人も恐れていない人も、それがどういった情報に基づいてるかはともかく、何かしら自分で考えた基準で行動しているのだろう。