はてなキーワード: ソーシャルとは
トイレでワシも考えた。
ネタに困ったら試してみてね。僕はやってないけど。
○一次蒐集篇
a)小説を読む
b)新聞を読む
d)折り込みチラシをくまなく読み込む
f)辞(事)典類の適当なページを開いてみる
i)本屋の寄ったことのないコーナーで、ディスプレイを眺めてみる
q)Wikipediaのリンクを辿ったり、ランダム表示を利用してみる
s)イタコ式発想術:頭の中に浮かんできた言葉を一心不乱にノート(エディタ)に書き続ける
何も思いつかないなら「何も思いつかない」と書く
それすら書けなくなったら「ああああああああいいいいいいえええええええうんこうんこうんこ…」のような無意味な文字列を書き続ける
t)無限の猿定理法:キーボードをめっちゃくちゃにぶっ叩き、意味のある文字列の出現を待つ
u)ワードサラダ法:google日本語入力のサジェスト機能だけで文章を作ってみる
○お助けソーシャル篇
w)はてなブックマークを読む
x)google検索やtwitterのトレンドキーワードを追う
z)twitterのフォロワーのフォロワーのフォロワーの……よく知らない誰かのタイムラインを追ってみる
○ディフォメーション篇
a)~x)までで得られたキーワードを元にさらなる変形を加えていく。
α)しりとり
β)連想法ちゃん
δ)属性列挙・マンダラート・SCAMPER・オズボーンのチェックリスト……
ε)逆・裏・対偶
η)タロットカード
――――以上を繰り返すと、否が応でも「自分なりの考え」というモノが産まれてくるので、それを人に話したり、文章化してみたりすればよい。
推しが死んでしばらく経ちました。
死因はサービス終了。本当にやるせなかった。
ゲーム名は伏せますが、分かる人には分かるかな。DMMブラウザで出ていたゲームです。
シナリオもキャラクターも良くて、システムの細かい部分とか凝ってて、基本無料でここまでしてくれるのか……と感心しちゃったくらい。
以前からコンシューマーの乙女ゲーが大好きだった私は「ソーシャルの乙女ゲーがどこまでいけるのかな」という好奇心だけで気軽に登録ボタンを押しました。
気持ち悪い女オタクなのは100も承知だけれど彼はすごかった。
群を抜いて魅力的、とかではなかったんだけど、プレイする度に好きになったし、毎日新鮮な気持ちだった。
今までも色々なゲームをやって、たくさんのキャラクターを好きになったけれど、彼ほど好きになった人はいない。今もいない。
シンプルに人柄が好きだし、見た目も年齢も身長も口調も全てが好きで、彼以外のキャラクターももちろん好きなのだけど、彼が別格だった。
うまく説明はできないけれど、今まで好きになったキャラクターへの気持ちとは違う感覚だったんです。
彼が私の唯一のキャラクターで、一生の推しなのだと心から思いました。今でも思っています。
彼のために、とお金をやりくりして、彼のために少ないながら課金をし、彼の誕生日を祝福し、限定カードもムリのない範囲で集めていました。
課金という文化そのものは別ゲーで経験していて、無理な課金は楽しくないと知っていたから。でもこれが間違いだったなと今は思ってます。
彼の誕生日は冬のある月。私は彼の誕生日に課金しよう! と思ってその月までお金をちびちびと貯めていました。
今年の誕生日はどんなカードが出て、どんなイベントがあるんだろうなぁ〜と考えていました。でもその期待は叶わぬ夢となり、貯めたお金は私の財布に入りました。
あの有名なあれです。刀がイケメンになるやつ。ものすごいユーザー数を誇るやつ。めちゃくちゃ流行ったやつ。今も継続して流行してるやつ。
あれもDMMブラウザなんですよね。あのゲームのためにアカウント取得した人も多いんじゃないかな。
私ね、あれを皆がやってる時ものすごく宣伝したのね。せっかくアカウントとったんだから、とりあえずやるだけやってみない?って。クリックするだけだよって。
誰も聞いてくれなかったよね。
彼が居なくなったのはそのだいたい1年後だったよね。
許せなかった。今も許せない。理不尽で逆恨みなのはわかるんだけどさ。
私あれだけ言ったじゃないか。みんなちょっとだけでもやってみて! 面白いよ! って言ったじゃん。
あの時に刀やってた人の1割でもあのゲームをやってくれていたら、もしかしたら彼は生きていたかもしれないのに。
みんな私がどれだけ彼のこと好きだったか知ってたはずなのに。サービス終了が怖いからもしよかったらやってって言ったじゃん。
普通に良いゲームなんだよって言ったじゃん。無料だって言ったじゃん。お願いだって言ったじゃないか。
みんなが一手間を惜しんだばかりに彼は死んだ。
今は刀剣乱舞ユーザー全員が憎くて仕方ない。逆恨みだけど憎い。
人のせいにするだけじゃなかった。
私が課金を惜しんだばかりに彼は死んだ。
私が無理してでも毎月課金していれば彼は生きていたかもしれない。ほんの数日でも長く生きていたかもしれない。
みんなが彼を殺しただけじゃなくて、私も彼を殺すことに加担していた。
自分が許せなかった。冷静に考えれば1ユーザーが毎月数千円課金したところでゲームの寿命なんて変わらないのはわかるよ。
でも自分に力がないばかりに、加えて宣伝力もないばかりに、彼が死んでしまったんだという気持ちは消えない。
ゲームのサービス終了が知らされたのは、彼の誕生日のほんのすこし前。
彼の2度目のバースデーイベントは立ち消え、私は少しでも多くスクショを撮ることに専念することになってしまいました。
せめて最後のお誕生日を祝いたかった。それは叶わなかった。バースデーボイスさえなかった。
データ解析行為は否定するけどデータ解析結果は喜んで享受する艦これプレイヤー
所謂キラ付けというやつで、ゲームプレイにおいてcond値をある基準値以上に保つことはとても重要なんだけどゲーム内でその基準値を超えてるか超えてないのかを知る方法はない。
このcond値はゲームプレイによって増減するんだけど何によってどのくらい増減するかを知る方法もない。
つまりcond値を数値で確認する方法なんて解析以外ありえないんだけど、今やcond値を数値で扱うこと前提にプレイするが当たり前になってる。
制空値もそう。
過去のデータ解析結果をふんだんに享受しておきながら、でも建前上データ解析は否定するポーズだけとっている。
本当はデータ解析か統計的手法による推測かなんてすぐ区別できるし、データ解析行為が規約違反だって知ってる上で、わからないふりをして攻略系のサイトで堂々と取り扱っている。
黙認する運営と得するならなんでもいいプレイヤー間の暗黙の共犯が「ゆるやかなソーシャル」だというならまあ否定はしませんけども。
先日、神楽坂で開催されていた「私たちは『買われた』展」を見てきた。
会場内では撮影もメモも禁止だったので、会場を出てすぐに書いたメモから雑感をいくつか。
・企画展ということで何が展示されているか期待して行ったが、ほとんどの展示が「買われた」少女たちの語り。そしてその横に添えられたフィクションの写真でつまらなかった。
・語りは、文章・文体が整いすぎているため、少女たちが書いたor話したことを大人が清書したように思われる。
・語りの横に添えられた写真は、語りの内容を再現したもの(例えば、ラブホのことを言及した語りにはラブホの廊下の写真といった具合に)で、展示する側が印象誘導しようとしているのかと勘ぐってしまった。
・いくつかの語りの中に不自然に登場してきたColaboへの感謝の言葉。
⇒少女たち本人の思い・気持ちではなく、それを代弁する大人たち(Colaboや仁藤夢乃)の恣意的な考えを感じ取ってしまった。
・語りの多くは、「買われた」きっかけが家庭崩壊、虐待、不登校、いじめにあったとしている。また、その時の自分を学校・警察・児相が救ってくれなかったとも。
・それならタイトルは「私たちは『買われた』展」じゃない方が良いのではないか。
⇒少女を買う男性という、わかりやすい社会悪に目を向けさせることで、問題の本質(ソーシャルサポートの制度的不備とか)から目を背けさせているのではないか。
・追記:展示されていた少女の日記の中で「援交」という言葉に鍵括弧がつけられ強調した書き方をされていた。Colaboから「あなたの苦しみの根源は『買う男』にある」と言い聞かせられた少女の姿が目に浮かんだ。
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少女たちを買った男や、少女たちが買われるまでに追い込んだ社会・家族に対して憤っている。
しかし、少女たちを救うというポーズの裏にチラチラ見える、組織や自身を宣伝すること、売春・援交をする男性を叩くことだけを追い求めるColaboと仁藤夢乃の欺瞞的態度により憤っている。
↓
↓
ソーシャルリベラリズム(社会自由主義)←(影響を与える)←社会主義 →(社会主義は共産主義の第一段階。理想郷を目指すのだ。ガハハ)→ 共産主義
↓
↓
と呼称することが多い。
どっちも自由主義なので自民党がリベラルを名乗ることも民主党がリベラルを名乗ることも本質的には間違ってはいない。
一部の共産党支持者は
「日本共産党は昔の共産主義とは決別してて、いまは労働党みたいなもんだ」
といってソーシャルリベラリズム寄りだと主張してる(党名を変えて欲しいという意見はそのため)。
対して全共闘とかの過去の経緯から信用出来ない人が日本共産党は共産主義であると言ってる。
ただ、上記を踏まえた上でソーシャルリベラリズムこそが(真の)リベラリズムである。
と自称するひとが多いので左派リベラル=リベラルである、という認識になってる。
それに対抗して左派リベラル側がこっちはリベラルあっちは右派リベラル=(右派だから)保守みたいに結びつけて戦ってた。
最近LINEが株式上場(証券コード:3938)したようだ。一時は高値で5,000円まで上がったが、安値4,310円(2016年7月16日 17:44現在)まで下がり、なんと690円も下がっている。一瞬の差し足で儲ける連中は賢い。
今流行の統計的な手法やdeep learning(機械学習・人工知能)を駆使し、株価が3,000円台まで下がるタイミングは何月何日か?を探り空売りできないかを考える今日この頃。
さてここからが本題。金融に関する仕事、コンサルタントなどはできないと思い、とりあえずWebシステムもどき、あるいはWebサイトらしきものを作る仕事を始めた人の愚痴である。
まずA社が商品販売するところから、B社がWebサイト制作をするまでの流れを簡単にまとめた。
[Step2]:商品の開発期間・開発コスト・広告や集客を考える(Plan)
[Step3]:2におけるチラシ・ホームページを外注に投げる
[Step4]:外注先がそれらを一件○万円で引き受け、広告完成(Do)
[Step5]:広告効果がどれだけであったか?を調べ、問題点について調べる(Check)
[Step6]:商品販売を取りやめるべきか?広告の打ち方を変えるかの改善を図る
[Step7]:改善された広告・販売戦略を基に動き直す(Action)
さて、かの有名な電通鬼十則( こちら参照)にも「「大きい仕事」と取り組め。小さい仕事は己を小さくする」と言う言葉がある。
先日その大きい仕事のお膝元というべき会社で、Step4を担当している人と話した。それが意外に俺と同じ事を考えててビビった。って事は日本の広告業界すべてが、派手な物を作って...って発想なのかと思った。
さて案件の規模が小さい程[Step1〜7]全体の大部分に関与でき、大きい程[Step1〜7]全体が見渡しにくく、関与もしにくい場合もある。そして自分でアクションを起こしたが、結局[Step1〜7](PDCA)全体が回ってない事もあるのは何処も一緒なようだ。
もちろん自分は[Step4]の工程の1部品として動いていて、基本1〜7の大枠の中の1部品として動いているに過ぎない。ここでStep4の仕事をしていて愚痴りたい事の1つに、「[Step4]の人たちって、どうして[Step4]の事しか考えないのだろうね?」と言う事だ。以下その愚痴を書きたい。
どうも俺は「俺が作ったデザインすばらしい」「よそがやらないようなデザイン」をひけらかす為に話を進めている場合程、やる気なく仕事している。
過去酷いと思ったのは、[Step1〜3]側のクライアントと会議で決まった内容を、[Step4]のこちら側で無理矢理ひっくり返した物を作った事だ。無論自分らの意見を押し通すのも商談の上で必要な事もあるが、必要ないならやらなくて良いと思う。
上は上で「クライアントでなくウチがやりたいんだ」と一点張り。それに対し、実際に手を下す俺は「既に決まった物なのに、そもそも全体の進捗を狂わす事はないんじゃない?ただただ作業日数も増え、俺のやることも増えるだけだし、俺そこまで能力ないし」と思っていた。
その結果中間会議でクライアントに「やらない方がいいんじゃないですか?」と言われ、ざまーみろと思った事もあったっけ(笑)。こうなると「俺はこんなに素晴らしいと思っているのに、お前はそう思わないのか」と言う流れになり、相手からすげえ嫌がられることも少なくない。
確かに「とりあえず始めて見て反響を見る」と言う事も重要だ。しかしながらStep4の自分らが、デザインをひけらかすが目的ならこれは論外だ。以上。こうして俺はデザインを仕事ではやりたくないなあと思うようになった。
この時自分がやっていた仕事は、「商品Pの広告をターゲットとする客層のx%に見てもらい、商品Pにおける売上高をy%向上させる」事の一部ではなかろうか?ならば見た目自慢よりも、サイトに依ってお客さんにどれだけ反応が呼べたか?という事を調べ、クライアントと一緒に[Step5〜7]に活かす事も重要だと思う。
サイトの見た目、機能、SEO(検索エンジン・ソーシャル対策)などがそれぞれバラバラなのもいけない。そしてそもそものところで「どのようなお客さんに見てもらったり使ってもらったか?」「そもそもの事業戦略」が無視されている。
そんなに見た目や機能が重要か?必要最小限で良いから会社の事業が回るようなものにする事こそ、自分ら[Step4]の人間のやる事だと思う。
そのためにクライアント、各Step毎の人と連携する姿勢を忘れてはいけない。先ほどの愚痴みたいに各Step毎にバラバラに行動するようなやり方は、今後世界的にも流行らないと予想する。又、システムやホームページが内製化されるのも、Step毎の連携を良くする為である。
さて、商売柄わからないことがあると、はてなブログ、Qiita、StackOverflowなどのレシピサイトを見る事が多い。ここで最近Qiitaを読んでいて、「マーケティング担当者にSQLを完全マスターさせた話:Qiita」と言ういい記事があったので紹介したい。以下デザインの話から離れるが、是非聞いて欲しい。
みなさんこの試みをどう思うだろうか?俺はこの動きに賛成だ。俺の推測を書くが、恐らくこの会社の社員数は多くて100人前後まで位で、上記の[Step1〜7]までの多くの部分を1社で担当していると思う。
無論顧客情報や売上情報に関するデーターベース(SQL)にアクセスし、それを分かりやすく画面に表示してくれるアプリはあるはずだ。これをみて経営や商品を売るのをどうしていくか?を考えて行く訳だ。
例えば、1ヶ月に100回以上データベースに対し特定の処理がなされるのなら、アプリにした方が良い。しかし「この時だけ単発にデータベースに○○な処理をさせて、△△な事を調べたい」と場合もあるはずだ。こうなってくると、「マーケッターの人に単発のSelect文案件を片付けてもらおう♪」という流れになる。
以下何故この作戦が必要かを熱く語る。例えばファミコンのボタンは「Aボタン、Bボタン、STARTキー、SELECTキー、十字キー」しかなく、それ以外の事は一切できない。これはアプリケーションも同じで、アプリケーション化する事でユーザーの動きを制限することにつながる。
必要最小限に仕事をまとめたい場合は別だ。しかし今回の場合「火属性の敵に対し、どう対処するか?」「そもそも相手を属性E_1,E_2,…,E_nに切り分け、それぞれに対しどう対処するか?」の場合ならば敵の弱点も変わってくる。そのため制限ありだと対処できないケースも出て来る。
こうなれば「賢者、すっぴん、すっぴん、すっぴん」では某エ△スデスに勝てないだろう。それに賢者が戦闘不能の時はもう冷あせもんだ。レイズ、アレイズ、フェニックスの尾がないときは、誰がケアルやエスナしてくれよう。そこで全員が「賢者、赤魔導士、赤魔導士、赤魔導士」位ならば、賢者が忙しい時にケアルが使えてラクだし、全体を有利に進める事が可能になる。
[Step4]の会社にいる立場としてこんな選択が出来るのが羨ましい。なので新しくツールを作るだけが選択肢ではなく、みんながある程度できるようにしておきたい。
以下その為に自分は何ができ、どうしていきたいか?について話す。まず自分は学生時代、どちらかと言えばxとyが嫌いだった人が絵や音楽をやる事もあるようだ。俺はその逆で、絵を描くのをサボってでもxとyをやり続けていたい人だった。なためどうも絵が好きな人、音楽が好きな人の話が抽象的に感じる事がある。(俺、Webシステムの方がリクツが分かるほうだから得意かも...)
起業は無いものとして考えた時、どの道Step1〜7のPDCAサイクルなど早々回りゃしない。ならば、少しでも自分の出来そうな方で仕事したいと思っている。わがままを言えば[Step1〜3]寄りの仕事がしたいと薄々思っている。
このまま堅い商売を続けるなら、それこそ物理学者みたいに世の中の物事を数値やy=f(x)化し、扱いやすくしてやりたいとも思う事もある。例えば商売なら、未来を予測しきる無敵の関数y=f(x)を編み出してもうけるとか。
又は経営層やマーケッターがxとyを見やすく、確認しやすくするデーターベースツールの開発が出来て、売っぱらう事ができれば…(用語言うなら、Microsoft PowerBIと言ったツールかな?)
xとyをフル活用することで、できる限り失敗しない線を探して勝ちを拾う。又はマーケッターなどの人と協力し、無難な商品Pを売る上での最強の市場(=有利な戦場)を見つけて行ければとも思う。
最後に「無理に成功を夢見る」ではなく、「出来る限り失敗しないように無難にやる」「無難にやる策を模索する」で行きたい今日この頃。まあ、難しいんだけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20160620131129
昨日22日月曜日、指定時間きっかりにインターフォンが鳴りました。
商業施設の地下売り場担当者と課長、そして当該店舗の取締役兼本部長と部長の計4名でお越しいただきました。
もとより部屋にあげるつもりはなかったので、失礼ながら玄関先での対応となりましたので、お越しいただいてから帰られるまで10分ほどのことでした。
商業施設を間に入れたこと、その場に引っ張り出せたことも結果として功を奏したと思っています。
まず、一番好印象だったのは店舗側の会社自らすすんで保健センターに連絡済みだったことです。
保健センターに事案を報告済み。
商品を確認して、内容を精査後、一週間を目処に連絡をすること。
丁寧な謝罪。
以上のことをお聞きした時点で、私としては混入事件についてこれ以上責める気持ちを失いました。
但し、店長の対応については重ねてクレームを入れさせて頂きました。
そのことについてもお詫びの言葉を頂いたので、とりあえずは溜飲を下げました。
また、弁償云々については、朝の電話で『その話はしないでほしい。こちらは金銭目的ではない。まずは事実確認をして、それから対応を考えて欲しい。』ということを伝えてあったので一切ありませんでした。
全て信用したわけではありませんが、これ以上長引くのもこちらもストレスですし、ゴネたいわけでもないので、混入商品は保健所へ提出するという言葉を信じることにしました。ですから商品はお渡ししました(当然しっかり写真は撮ってあります)
以上のことから、私としては最終的には充分な対応だったと思いますので、現状では商業施設、店舗の名前を公表するのは控えさせて頂きます。
以下ブコメへの返信です
You-meさんの保健所へ、というブコメが一番人気ですが、リンク先のPDFを開くと異物混入案件は消費生活センターへ連絡というのが正しいようですね。
そしてその消費生活センターは地域ごとに分かれているのですが、だいたいが市役所や区役所等に間借りしているような感じなのでしょうか。16時くらいまでしか相談できないのが残念ですね。今後の参考にさせてもらいます。
アホか。おまえらみたいなんが全部金で解決してきた結果がこれじゃろがい!とは思います。
あとソーシャルで拡散して炎上させろっていう意見。簡単な反面リスキーだと思います。
ペヤング事件の告発の学生、どうなったんでしたっけ。「ペヤング 学生」で一度検索してみることをオススメします。
起こったことのメモと、何か対応について有意義な意見が得られるかもしれないという気持ちが8割。恥ずかしながら、共感が欲しかったのが2割です。この記事をバズらせて告発したい、という気持ちはゼロです。
なるほど。自分の場合、自分がブクマしたい記事と、カテゴリ新着を整理するのは、方向性が違うので、必ずしも「カテゴリ整理をした=ブクマしたい」訳ではないんですよね。個人的には評価していない記事に対して1ブクマ与えるのもなんかなぁ……。と思いますし。
正直なところ、はてなブログ枠は新着には載りやすいですが、そのまま抜けてしまう事も多いので数時間後にはさっぱり流入が無いという状態です。ホッテントリに入っている場合は息が長くなったという程度にはなります。
アクセスログを分析している限りでは、新着・ホッテントリには非常にライト層が集まってますが、カテゴリー別になると「分かっている」ユーザーの割合が多くなるので、カテゴリーが何であっても気にしない方も多いように感じます。
はてなブックマークは、個人の要素とソーシャルな要素が複雑に混ざっているサービスですので、どのような基準をもってカテゴリー変更を行っても必ず対立した意見が出ます。画面の向こうには必ず相手が居るので仕方がありません。
自分のペースで良いのです。「この記事はカテゴリーを直した方がより良い」と感じる物だけでも変更する人だって居ます。
個人的には、その方がサービスとしても末永く生き続けて、記事を書いた人もブックマークをした人も前向きに発展できる、いい意味での互助になるかと思います。
まずは、大変遅ればせながらはてな上場おめでとうございます。2ヶ月遅れですが。
先にお断りしますと、この文章は長いです。12,000文字近くあります。そう言えば最近「長すぎて読めない」ってタグ見なくなりましたね。
元々は数日前に自分のブログに投稿したのですが、アイコンを見てもIDを見ても誰にも認識されていないであろう私がこんなことを書いているのも気持ち悪いような気がして、衝動的に消してしまいました。そんな文章ですが、せっかく書いたので思い返して増田に投下します。それでも交流のある僅かな方からは、「あ、あいつだ」とすぐバレると思いますが、全く構いません。
大げさな振りをしてしまいましたが、この、はてなの世界からゆるやかに距離を置こうと思いまして。
ハイコンテクストな話題で、関係者でも有名ユーザーでもない私が語るには随分と分不相応であろうことは承知しているのですが、私は人知れず長年このはてなという会社とそのサービスの利用者でした。たぶん、相当熱心なファンのほうだと思います。
しかしこのはてなという界隈、おそらく長年世間一般的には「俺ははてなが大好きなんだー!!」とはなかなか言い出しづらい雰囲気と言いますか、一部一種のギーク(ナードか?)臭さみたいなものから逃れられないセグメント感があったために、公の場であまりそれを声を大にして語る機会が無かったという状況があったような気はしています。
勝手な想像ですが、よく言われるとおり先日上場した株式会社はてなとしてはきっと、そういった閉鎖的なカルチャーからの脱却を図る必要があるのは事実なのであろうと考えています。
私は「はてな界隈」という自然発生的な、「インターネット好き」が作ったプラットフォームとコンシューマージェネレイテッドなコンテンツが組み合わさってできた若干マニアックな文化がとても好きで、かつてインターネットに期待していたワクワク感のようなものを自分の感性ともっとも近い形で目指している会社だなと思っていたので、はてなを好んで使っていた理由も、今これを書いている理由も、サービスが向かう方向性とのギャップが発生したということで仕方ないのかな、と考えてはいます。
回りくどい書き方ですが、つまり、ここ最近(数年)の急激な利用者層の変化、人気ブログやホッテントリに上がってくる記事とその使われ方の変化、新たな利用者層との精神的摩擦に疲れて消耗するのが嫌になった、ということです。
私は自分の楽しみのために自分が面白いこと書き、読むっていうスタンスで自分のスペースを使ってきたので特定のユーザー群を非難するのはその趣旨とズレるし、メタな「ブログ論」を書くつもりは無いんです。なのでわかりやすいバズワードは書きませんけど、要は、そういうことです。お察し。
ここまで書いておいてから自己ツッコミを入れますが、私がここでこんなことを書いていても、おそらくそれほどの価値は無いのでしょう。
私は長年使っているとは言いながらも、所謂「はてな村」と言われるような有名ユーザー層に所属するようなアカウントではないし、特別人に見られるコンテンツを上げていたわけでもコミュニケーションを取っていたわけでもないし、こんなことをグダグダ書いていても「知らない人。気持ち悪い。」で片付けられてしまうような気はします。
コンテンツもお金も落としてもいないアカウントですので、ある意味運営側の立場から見れば、「うるさいことだけごちゃごちゃ言って全くサービスに貢献しない面倒くさいアカウント」あるいは「フリーライダー」と言われても仕方がない気がします。
これは別に被害妄想を語っているわけではなくて、自分がサービスを利用して得たメリットと、お客さんとしての価値を第三者的に見た時、そういう風に判断されてしまっても仕方ないかな、と冷静に思っただけです。
最近、はてなブログやブクマを見ていて、「これは自分には合わないな」と思ってケチを付けたくなる機会が多くなってきたことと、でも、ケチを付ける発言力(あるいは権利)のバランスを天秤に掛けて、ああ、もう自分が楽しく見ていられる場所ではないのかな、と感じることが増えてきたことと、単なる1ユーザなのにそんなことを考えてしまうこと、考えさせられてしまうことが嫌になってきてしまったということがあって、こりゃ、私の居場所はもう無いのかもしれないな、と思いつつあるということです。
かつての掲示板サービス群から始まってブログランキングやら、SNSやら、インターネットのサービスではいろんなところでこのような文化の変遷みたいな場面は見てきたはずなのだけれども、思ったより自分の生活の大きな部分にはてブが入り込んで浸透していたことに自分でもかなり驚いていますね。
前提としてなぜ、こんなマイナーキャラの私がそこまで一、ネットサービスに入れ込んでいたのかについてちょっと語らせてください。長くてすみません。
私のはてな歴は12年くらいです。長かったらどうだというわけでは無いのですが、はてなを知ったのはまだ人力検索しか無かったころで、自分が実際にユーザーになったのは例の「日本人にはブログより日記」のちょっと後、「はてなダイアリーをはてなブログに名称変更」とかエイプリルフールネタでやっていたころです。最古参ではなくて、ブログブームの頃に「はてな界隈」を意識するようになったので第2世代くらい、ということになるのでしょうか。
その後アカウントが一回変わっていて今のIDは5、6年くらい前に取りなおしたものなので、おそらく古参ぽさは無いですね。
はてなには他社のサービスと比べてとりわけIT系ユーザーの比率が高いと思いますが、私もそうです。一貫してネット関連ですが完全な同業というわけではなく、何度か変遷を経て今は流通系事業会社のインターネット事業担当になったというキャリアです。
はてなのサービスを認識した時はちょうどMovableTypeの2.6あたりが日本でも流行りだした頃で、「Web日記がhtml無しでこんなに簡単にできるなんて!」「コメントとかトラバとかすげー!コミュニティ作れまくり!」とかっていう話題で日々興奮していたのを覚えています。90年代後半からネットは見ていたけれど、これからいよいよ「普通の人」にもオープンに普及していくんだなー、と夢描きながら仕事で、あるいはプライベートでどう活用しようか考えていたんですよ。「Web2.0」より2年前くらいのことですね。
その頃、ちょうどあるECサイトのコミュニティサービスの担当をしていたんですね。いろいろやりましたよ。掲示板サービスが炎上して閉鎖に追い込まれたり、画像著作権で揉めたり、ブログが使えるようになってからは、「ブログに商品の宣伝を書いてリンクを貼ってくれたら100ポイント!!」とかいう現代であればGoogle警察が1日でぶっ飛ばしにくるようなプロモキャンペーンもせっせこ考えては公開してました。更にその後はOpenPNEベースのmixiっぽいSNSをやったりとか。
今考えるとうわーっていう企画も多かったのですが、おおらかながら大真面目にやってたんですよ。まじめに、ライトユーザーに使ってもらうにはどうしたらいいかとか、コアユーザーがどう伝搬してくれるかとか考えてました。その頃は(ネット上のマーケティングにおいては)セグメントの乖離とかそういう問題も今ほどは研究されていなかったし、たぶん自分でもまだ十分理解できてなかったんですよね。私はそんな感じの人間です。
自分語り方面に脱線したので話を戻しますが、ブログブームちょい前の頃、世の中で出始めたブログのアカウントを片っ端から取っては試すということをやっていたんですよ。ココログ、はてダから始まって、livedoor、goo、Excite、Seesaa、Jugem、FC2、楽天、MSN、ドリコム、ウェブリブログ、ドブログ、Yahoo、ヤプログ、アメなんたら……
でですね、そのときにはてなの特異性に気付いたわけです。
なんだこりゃ、殺風景なサイトだなぁ、なんか研究室みたいだなぁ、システム屋くさいなぁ、ってのが当時の正直な印象です。まったく間違ってないと思いますが。
ダイアリー以外の他のブログサービスはだいたい大手キャリア系か、大手ポータル系か、大手ホスティング系のいずれかじゃないですか。実際仕事で関わることがあったのはそういった会社さん達だったわけだったんですけど、私個人的にはこのはてなダイアリーってやつにとても興味を持ったんですよね。
純粋にIT系オタク集団(失礼)がコミュニティで勝負するっていう構図のサービスがすごく面白いなって思いまして、当時から実際にIT系のギークな技術記事とか、濃厚なネットのいざこざとかそういうのがぐちゃぐちゃと集積されつつあって、うわぁ危険と思いながらもはてなだけは明確に識別して見に行く感じになってたんですよね。
人力検索もそうですが、アンテナとか、キーワードとか。私はネットコミュニティをやりたくてこの世界に入ってきた人間なので、人と人をつなげるサービス、というコンセプトに対して面白いことをやろうとしている人達がいるんだなーって思ってたんです。こんな殺風景な非コミュ論壇だらけのサイトなのに。なんだかそのギャップがまたすごく居心地が良くてね。よく閉鎖的って揶揄されるはてなですけど、私はそんな風に思ったことなかったな。
そう、私は村感というよりは、僻地の秘境だけどここは自由でオープンだ、っていうように感じていたんです。
今はなおさら顕著ですけど、その頃って既にインターネットサービスが外来の大手サービスに集約されつつあったじゃないですか。ブログにしたってMovableTypeもWordpressも外から来たものだし、MySpaceとか、Facebookもそうだし、その後の流れって周知のとおりって感じじゃないですか。強いて言えばmixi……はやっぱべつにいいや。
そんな中、日本のドメスティックな小さなネットベンチャーが純粋なコミュニケーションの仕組みだけで世界観を醸成して、しかも生き残るっていうことに夢を感じたんですよ。まあ、ドメスティックっていう部分について言えば、jkondoさんが渡米した時期とかあったなぁ、とかあるんですけども。
はっきり告白しますけど、私のような自分で新しいプラットフォームを開発するほどの実力が無い中途半端なネット屋にとって、超恥ずかしながら彼らはヒーローだったんですよ。jkondoさんやnaoyaさんは私とほぼ同い年ですけど、勝手に同世代のヒーローだと思ってたんですよ。
はてなブックマークでソーシャル・ブックマークという概念を身近に体験した時は「単なる『お気に入り』じゃなくて、興味を持ったものについて何時でも語り合える世界が作れるんだなあ」ってリアルに衝撃を受けたし、スターが登場した時は(FacebookやTwitterより前に)これ、シンプルだけどもしかして世界を幸せにする機能じゃね?って感動したりしましたよ。
だいたい、jkondoさんはすごいんですよ。私など勝てる要素が無いですよ。スプリントでもロングでもヒルクライムでも絶対勝てないですよ。山も強いし、みんな山手線一周1時間48分てできます??サラッと書かれてたけど、メチャクチャ速いよ!!俺も何度もやってるけど、大真面目にやっても3時間切るのだって大変だよ。明治通りや中央通りはともかく、田端駒込あたりの裏路地とかどうしてたんでしょうね。メッチャ危ないよ!!つか、あの頃の自転車クラスタみんなどこ行っちゃったんでしょうね……
何の話でしたっけ。そうそう、趣味が合いそうな人達が集ってるっていう話でしたね。
私の文章は、テキストサイトからアルファブロガーあたりまでの文章にめちゃくちゃ影響を受けていると思います。ちょっと極端なことを書いたら「フロムダ先生の真似か」とツッコまれてドキッとしたり、写真クラスタの真似をしてやたらでかい写真を並べてみたり。最近は年に一回お正月だけに現れるmk2さんの文章を見ると涙が出そうになります。長文には慣れています。必死に調べないとついていけないような技術論議や、内蔵をさらけ出して書いたような、編集が入った本では読めないようなブログを読みたいし、そういう記事でみんなが共感していく世界が見たかったんです。
はてなブログの目次記法は便利だと思うんですけど、他所のニュースサイトに貼られた記事を引っ張って目次を並べていかがでしたか?なんていう記事を、私は単純に面白く読めないんですよ。「参考になりました!」じゃねーよ!!ならねーよ!!残念すぎるだろ!!なんて思ってたんですよ。
ここまでで既に5,000文字を超えてしまいましたが、話が飛んでしまったので一旦元に戻します。
つまり、そういった「自分の好きなものを好きと言う」「好きなものを選んで、好きなものを見て共感する」という、人の本能的なコミュニケーションの楽しみの源泉のようなものを、私は求めていたんだと思います。自分の背中に正直な、泥だらけのスニーカーで追い越すような体験を期待していたんです。
もちろん、どんな時代にだって人と人のコミュニケーションにはいろいろあって、変わらないものがたくさんあるんだとは思いますよ。パソ通の時代だって、BBSの時代だって、初期のブログにだって、「読みました。記念カキコ☆」はあったし、コメント欄で交流が繋がって新たな友達ができるという興奮だってあったし。
最近のはてなだって、今、その興奮を新たに体験して純粋に喜びを感じている人達がいるはずだしそれはもちろん喜ばしいことなんですけど、さすがにこの情報過多なご時世なので、ツールと場所の管理と運営をしっかりやっていかないと、純粋な喜びを埋もれさせず、コンテンツの品質を保つのは相当に厳しいなという実感はありますね。
一般化、大衆化、というものはだいたいそうで、単純に「この村も昔は良かったのに」っておじいさんが言っているっていうような話ではないと思うんですよ。
こんなことを話している私自身が既にネット上では「古い側」の人間になっているのかもしれませんが、個人的には、「はてな村」とかって言われている界隈にそれほどイライラするような内輪感を感じたことは無いんですよね。実際にひどい攻撃的な言葉が飛んできて嫌な思いをしたことだってありますし、慣れ合いとかってのは昔も今もあるわけなんですけど、だいたいは好きなことを好きなように書いた、っていうモチベーションによって書かれた記事は、面白ければ当たるし、面白くなければ流行らないわけじゃないですか。読む側だって気に入ったら読めばいいし、気に入らなかったらスルーすればいい。だいたい、広い世界で見ればごく一部のできごとだっていう側面もあったわけじゃないですか。
だから、一定の、嘘を嘘と見抜ける程度のネットリテラシーさえあれば、海水浴場の中に浮かぶ邪魔な漂着物があっても、農耕地が石だらけで荒地になっていても、単に避ければいいだけだって思ってたんです。
むしろ、良い記事にフォローが集まったり、ひどい記事はひどい記事でそれに集まった批判が有益だったり、そうやってやり取りを応酬する中で集合知として収斂されていくという光景は、みんなで海を掃除したり、畑を耕していくような感覚を覚えていつもネットの醍醐味であり爽快ですらありました。
……でもね。最近の例の動向はちょっと様相が違っていて、私のようなユーザーにとってはもうちょっと見ているのが厳しいな、というのが本音です。商業的なまとめサイトが場を汚染している、というような話であればユーザー側コミュニティによるチェックと自浄作用が働きます。はてブはうまいことそういう機能を果たしてきたと思うんですよね。
でも、ユーザー側のほうで「良いと思ったから良いと言った」というお気に入りによるキュレーション機能が働かず、返報性の原理によるコミュニケーションが中心の場になってしまったら、今のままのはてブでは、(コメントツールとしてはともかく)少なくとも情報ツールとしての価値は大きく毀損されます。これは、ユーザーのモラルもありますが、サービスの構造上の問題として避けられなかったことだと思うんですよね。
海や畑が全部「あれ」になったら、もうどうしようもないでしょう。もう去るしかない。
この問題についてはさんっざんぱらたくさんの人に書き尽くされているのでここでは書くつもりないんですけど、小遣い目的で面白くない記事が量産される、共有のヘッドラインが専有されて他のユーザーに影響を及ぼす、内容に関係なく相互フォローする、これらは本人の意識あるなしに関わらず、関係ない人から見たら無益です。
これについてルール違反がないのならば、サービス品質を維持するための運営/システム側の構造課題を疑ったほうが良いし、ユーザー側についても、一部の炎上チャリーンで喜ぶようなやつは単なるスパムなのでこれは単純な絶対悪ですよ。
別に、ネットの世界で今始まったことじゃないんですよ。むしろはてブは牧歌的で今まで性善説でよくやってこれたなっていうレベルじゃないかと思います。Twitterでも「相互フォロー推進委員会」とかあったなあ。一方的に何百人単位でフォローしてきて、ふぁぼりまくって、こっちが反応しないと砂をかけて去っていくようなのが……
ただそういう人達がごにょごにょ楽しくやってるだけならどうだっていいんですけど、今はホッテントリが明らかに使いづらくなっていたり、更には他のSNS経由でこの界隈の記事が流れてきて反応したらおかしなことになったり、実際にそういうことが発生しだしているんですよね。これが結構精神的にくるものがあるんですよね。
というわけで、そういう一団がこのサービスのほんの数%、もしかしたら0.数%の人達であり、ほとんどの普通の人は何も気にせず普通に自分の日記を書いているんだ、てことはわかっていても、でももう気持ち的にこの界隈と一緒の世界でブログを書くのは無理かもしれない。既に古参と言われる人達がかなり去っていっているし、生き残っている人達も読者層が急激に変わっていたりとかして、なんていうか、見ててつらい。
※最近、ある有名人気ブロガーのブログを読んでいて、半年前にも同じテーマで書かれたことがある記事がホッテントリに入っていたのを見たんですけど、ふとブコメを見てみたら、半年前の記事と反応のコメントが全然違くてびっくりしたことがあったんですよ。よく見ると、並んでいるアイコンがガラリと変わっていることに気づきました。読者層が急激に入れ替わっているんですね。
この人はムラ社会に寄る人では(読者から見たイメージでは)無いし、長い人とも新しい人ともバランスのいい関係を築けていてすごいなあ、と思っていたのですが、図らずも急激に「有名人」として新規層の神輿に乗せられているように見える状態になってしまって、一方で彼自身は広告収入で儲けているようなブロガーではないし、内心複雑な気持ちなんじゃないかな、とか勝手な心配をしていたりします。そういう人、何人かいますよね。余計なお世話すぎるとは思うのですが。
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気が付いたら何してたかもわからないくらい何の価値もなくただただ落ち込んだ気分で月曜日を迎えていたんです。
何の話かって、はてな界のニュー・オーダーのせいでブルー・マンデーだったっていう話なんですよ。
つまらぬものを切っても切れなかったんですよ。むしろ自分がつまらぬものになってしまったんですよ。わかってくださいよ。
わたくし、べつに村民とかそういう者ではございませんが、でもこのはてなっていう会社のサービスが大好きで気に入ってただ淡々と使っていたんです。
それでですね、先週ほら、また盛り上がってたじゃないですか……例の。あまりわたくしのようなニワカが口にするのは恐ろしい恐ろしいなのでその名には触れませんが。
いや、ここ1年半くらいなんだか居心地が悪いなーとはずっと思っていたのですけども、最近特定層の人たちの記事が大量にホッテントリに上がってくるじゃないですか。
それがわたくし個人としては正直うざくて気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて仕方なかったんですけども、でもサービスをどう使うかはある程度自由ですし、運営の視点で見てもこの先生きのこるためにはある程度アメーバ化していくのもやむなしじゃないかとも思うわけなので、一、フアンとしてはひっそりと身を引くくらいしかできないのかしら、とも思っていたのですよ。
ところがですね、最近この層の方々から発射された流れ弾が外の別のSNSでも着弾することとかも出てきまして、こりゃもうたまんないなと感じまして。
そんなときでした。Androidのアプリでもユーザ非表示設定ができるようになったって言うじゃないですか。
今まで、宗教上の理由によりユーザ非表示って使ったことが無かったんですよ。それに、本当はユーザ非表示じゃなくてNGサイト登録のほうがありがたいのですけれども、これははてな社のビッジネースのことを考えたら望み薄いのかもと思いまして、何もしないよりは、とポチポチ非表示を登録し始めてみたんですよ。ワナビーなブコメや明らかなスパムが目に入らないだけでも精神衛生上よろしいかと思いまして。ええ、GOJOいアカウントを思いつく限り片っ端から。
そうしたらですね、もうこれはまさにGOJOの奇妙な冒険が始まってしまったわけなんですよ。
最初はね、20人くらい登録すれば良いのだと簡単に考えていたんです。
それで、金曜日の深夜に上がっていたGOJOい記事から順に見ていきまして、非表示に登録していったんです。
そうしたらですね、これが結構手間暇が掛かるものなのですね。そして人間くだらないもので、だんだん躍起にやってしまうんですね。あれよあれよと気がついたら、もう朝方。この瞬間、自分はスタンド使いどころか波紋でやられてしまう吸血鬼程度に成り下がってしまっているわけですね。ミイラ取りがミイラってやつですね。
疲れたし、目は痛いし予定は潰れるしで昼まで寝て起きて、だるくて外出もできずスプラトゥーンしてたら夜になってしまってですね。
そして止せばいいのに、夜またも奇妙な冒険に出てしまったんですね。ユーザ非表示をいくらやったって弓と矢にはなり得ないんですけどね。
わたくし、甘く見ていたんですよ。敵は20人じゃなかった。確認して、実際にコメントを見て、場合によってはわざわざアフィ記事踏んで確認して非表示へ……
なんということだ。この街はもう自分には住めない街になってしまったのかもしれない。頭の中でバイオハザードをプレイしている光景が浮かんでは消えるわけですよ。まさに、ゾンビ取りがゾンビっていうわけですね。
一日体も動かさずスタンドバトル(クソゲー)とスプラトゥーンしかやっていませんので真夜中に目が覚めてしまい、またこの絶望的なポチポチ登録を始めてしまい、気がついたら日曜日の昼。ループ2周目が始まって、だるくて外出もできずスプラトゥーンしてたら夜になってしまってですね。
この時点でもう、わたくしは敗北してるわけです、この世界から。
なんということでしょう。今朝方未明、また夜中に目が覚めてしまい、眠れなくてまたスマホを開いて青いアイコンをタップ。もう病気ですね。もういい休め!って自分の中でもざわざわしてるわけなんですけど、止まらないんですよ。
そう、もうこれやっててもきりが無い感じなんですよね。こうなってくると、もはや自分のほうがマイノリティでメンヘルになってしまっている気がしてくるのですね(いや実際そうなんですけども)。見ていくと確かに、例のGOJOい一団は数十人なのですが、そこにブログでお小遣い稼ぎをしたいアフィいフォロワーがすでにその何倍かついて絡んでいるんですよね。そこに、キャンピングカー大学生経由の若者の一団とかも絡み合ってきていて、もう読み解いていくだけで深淵の泥沼に嵌ってしまうんですよね。
しかも、読みたくないものをわざわざ徹底的に読み込んで調べて学習しているわけじゃないですか。わたくしは馬鹿なんですか。そうですね。
もう、精神はズタボロですよ。心にダメージを負い、睡眠不足になり、情緒不安定になりスプラトゥーンは負けまくってB+まで落ちてしまったじゃないですか。
馬鹿ですね。あるいは病気だったのかもしれませんね。頭を冷やして、もう辞めよう、と思いましたね。
というわけでもう今さらではありますが、おかげでブコメ欄はだいぶスッキリしました。相変わらず興味の無いホッテントリはたくさんぷかぷかと漂っていますが、そういうエントリはお気に入りのアイコンがひとつも付かず、コメント欄も大概謎の空欄になったので、判別しやくなって多少は快適であります。
こういうことを書いているとよく、「古参が『昔は良かった』とボヤいてるだけ」などとアフィい方が仲間内でやり取りしているのが見たくもないのに目に付いては、「違う、そうじゃない」と心の中でツッコミを入れていたのです。そうじゃないんですよ、少なくともわたくしの中では。わたくしはただ、ソーシャル・ブックマークサービスを個人用ブックマック+情報収集&シェアツールとして楽しく利用させていただいていただけなのです。そのことを『昔は良かったとぼやく老害』と言われてしまってはもう敵わないなあと思うわけなのですが、逆にこの方々こそこれはこれでやっぱり新・ムラ社会なのかもしれませんね。
ちなみにですけど、最近よくホッテントリに上がる新しめのブログが十把一絡げにイカンとか言ってるわけじゃないですよ。個人の趣味もありますが、公平に見て中にはこの人はやいのやいの言われてもセーフだろうと思うブログもちらほらあります。自分の体験や自分の好きなものを自分の言葉で日記にしたためている感じがするブログは好きなんですよ。
同世代ブログ間の交流とかはあるかもしれませんが、そういうブログは記事の作りもアフィい一団とは一線を画して実際面白い記事もあり、よく読んでたりします。
やっぱりこりゃキツイなあと感じるのは、特定の一団とそのフォロワーなんですよね、今のところは、ですが。キャズム超えなんていう言葉もありますし、かつて有吉が「ブレイクするっていうのは~」なんて毒舌を吐いていたことも思い出すのですが、特定の一団がマジョリティになったとき、ここも腐海、もしくはアメーバに沈むのでしょう。それが良いことなのかどうか、一、ユーザにはよくわかりませんが、「スパムで無い限りは」ブログは自由です。はてな社にとっては好ましいことなのかもしれませんし、「スパムで無い限りは」どうこう言っても個人ユーザの利用方法を責められるものではないことは理解しております。ただただ、一、フアンとしては、「衆愚化してつまらなくなって廃れていく」というインターネッツのテンプレートをなぞることが無いことを願い応援しております。
というわけで、自分のこの週末を振り返って一行にまとめますと、タイトルのとおりであります。
皮肉なことに、この話題と主要プレーヤーについてめちゃくちゃ詳しくなってしまいました。虚しい。
もう自分が疲れてるな、視野狭窄になっているなと感じることができたので、わたくしはそっとここを去って運動と瞑想をして過ごすことにします。
※ところで書いてて思ったのですけれども、id:xevra先生のような濃ゆいユーザがこの村を見限って去った時こそ、実はいよいよ終わりがやってくるのかもしれませんね。5,6年くらい前まではこの人はbotなのだろうか、非表示にしたほうが良いのだろうかと考えては思い留まって今に至るわけなのですが、今まで生き残ってみると、年々人間味が出てくるし優しいことも言っちゃったりするし、GOJOい人達からも人気みたいですし、実は彼こそがもっともフラットで平等なユーザーなのではないかという気がしてきました。わたくしが知らずのうちに村の毒に冒されているせいかもしれませんが。
というわけで、じゃあ磯野、また明日な。
副業でアフィリエイトブームが起きているのかどうかは知らんけど、
ブログやTwitterなどで自分のアフィ手法を公開している人が最近目立つよね。
まぁ、その手法が稼げるかどうかは別として。
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アフィのノウハウをブログとかで公開している人は、アフィで月に10万円~100万円前後稼いでいる人が多い印象。
「先月の収支報告」とかだけならまだしも、例えば「アフィ初心者が月10万円稼ぐ為の10のステップ」とか、
稼ぎやすいジャンルやSEOの具体的なノウハウを紹介している人までいる。
そんなノウハウを公開する目的は、ソーシャルリンクを集めたかったり、ブログ内に貼ってある広告収入が欲しかったり、
ただ単にログとして残していたり、稼ぎ始めた自分に酔っていたり、俺凄い!って思われたいとかそんな感じだと思う。
でもね、アフィ手法をブログなどで一般公開している人は自分の首をしめることになるの気付かないのかな?
アフィで月数十万円稼ぎ始めた頃、心のどこかに自慢したいって気持ちがあって、
話した内容は本質に触れず少しだし実際やらない人がほとんどなんだけど、
中には頭のきれる人もいて、少し話しただけで自分なりに色々試したみたいで稼ぎ始めた人が出てきた。
いや知人がアフィで稼ぐだけなら「おめでとう!」って話なんだけど、
問題は自分のやっているジャンルに食い込んできたんだよね。要はアフィ手法を公開したことで競合になったって事。
同じジャンルで稼ぎ始めた知人は、その後SEOで私のサイトより上位表示するようになって、
このジャンルでは知人の方が稼ぐようになったんだよね。
ここで私は気づいた。
[(少しでも)手法を公開する(話す)→中には稼ぐ人も出てくる→競合になる→自身の収入を落とす原因になる]
記事の書き方や構成なんかの情報もそうなんだけど、特にSEOは戦争に近いよね。
特定キーワードで1位を取れるサイトは世界で1つしかないし、1位と2位じゃトラフィック数は2倍以上違うんだよ?
ビックキーワードじゃなくても稼げるニッチワードってのは少し調べれば誰でも分かる。
それなのに、「稼げるキーワードは◯◯」みたいなタイトルで手法公開している人までいるからね。
「お前は戦争で相手に作戦をバラすんかアホんだら!」って話です。
アフィで既に月数十万円稼いでいる人は分かってると思うけど、稼ぎやすい広告ってのはもう限られているよね。
あと、そのジャンルで獲得できる最大顧客数は決まっているからね。
例えば、「クレカ」「育毛」のジャンルだって、日本人全員がクレカを持ちたいってわけじゃないし、全員がハゲで悩んでるわけじゃない。
アフィリエイター同士で客の奪い合いになるって事。
もう既にアフィリエイター同士で客の奪い合い状態なのに、アフィ手法を公開することでアフィリエイトに対する障壁を低くしているよね。
アフィリエイトの知識がない人が「自分でも稼げそう」って思う→新規参入が増える→中には稼g・・・あ、さっき話したか。
ここまで読んだ人はもう気づいていると思うけど、新規参入者が増えることで自分の収入を落としかねないって事。
既にアフィに対するイメージは世間であまり良くないけど、更にスパム的な奴が出てきて質が悪くなる懸念もあるね。
質が悪くなるとASPに広告を出す企業も減るし、単価が低くなる可能性だってある。
広告ブロックアプリも増えるだろうし、よりアフィで稼ぐのが難しくなる。
新規参入者は良いよね。既に稼いでいる人の手法を見ながら出来るわけだから。でも既存のアフィリエイターにとっては迷惑でしかない。
あー、あと中にはTwitterで「自分の作ったサイト見て!」ってアフィクラスタ同士でRTやソーシャルリンクもらう人もいるよね。
あれも止めて欲しい。稼げてない人が自分の作ったサイトをTwitterで公開するならいいけど、稼げている人のサイトみたら稼げるポイントが分かるし。
「文才がある」
「吸い込まれるような文章」
「こじらせてるなぁ(でも、嫌いじゃない)」
「きょうもえをロックとするなら、青二才はブルース」
その他大喜利コメントを貰えた時と「単著」コメ貰えると、僕の承認欲求が満たされます。(理想のブコメ)— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月10日
はてな民は「ワシが育てた」みたいな顔で青二才を昔から知ってる地元のおじさんみたいな顔してしゃべることがありますが、青二才の本当の昔のからのファンはmixi時代や、楽天ソーシャルニュースに投稿してた時期を知ってる人ですよ(●´ω`●)— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月10日
これ、すげーわかる。あのね、僕も100人どころか500人とか1000人に一人ぐらいは才能あると思うわけ。文章だけなら。でも、その文章力なら適応力が必要だし、文才だけでプロになるなら才能って万人に一人じゃないと無理 / “青二才氏…” https://t.co/txq4rw28lb— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月10日
最近、フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野からは全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、
たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。
同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものになっちゃうんじゃないか?
あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?
ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが
http://anond.hatelabo.jp/20160307231710
急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。
フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想・運動*を指す。
女性の解放を実現するための考え方や手法、問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。
18世紀の終わりから始まったフェミニズムは最初は公的な権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域へ適用され、現在は性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。
参政権、財産権、労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。
ファースト・ウェーブが公的な権利だけだったのに対し広い範囲における領域で平等を追及していった。
特に家父長制という男性主権な価値観の問題性が広く認識され、様々な領域で社会制度や規範への批判へと繋がっていった。
また公的な領域だけでなく私的な領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。
セカンド・ウェーブに加え、人種、地域、宗教、階級階層、性指向など多種多様な問題領域を扱うようになった。
セカンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?
社会領域(政治、経済、文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会のシステム、価値観。
最初は男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。
あくまで思想の系統であり、フェミニストが所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。
発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。
セカンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別の根本的な改善を目指すフェミニズム。
根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。
なので関係する問題領域は社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性の性的対象化、家庭内暴力、生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。
これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善を模索する事が多い。
社会が不必要に女性の能力を低く見積もった制度になってると考え、女性が自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム。
ファースト・ウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善、権利獲得を目指す。
法や権利など主に公的な形式を扱い、家庭内の権威関係など私的な面はあまり扱わない。
機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。
資本主義という制度や社会階級の対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性の労働問題を焦点とする。
昔は資本主義制度の廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。
家事や家族の世話など、家庭内の労働への評価の低さを問題視する。
報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生産労働」と呼び、再生産労働の責任を共有し、女性が生産労働にかかわることで再生産労働の価値が適切に判断されるようになると考える。
生まれや境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本や米国でリベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。
労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフェミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフェミニズムのように家父長制だけでなく経済的な性差も重視する。
リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。
性差別だけでなく、階級対立や性自認、人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。
社会で女性の特性が過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的に評価していこうとするフェミニズム。
元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ
「この人はリベフェミだからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニストの発言が特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。
はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニストの典型例」となってしまう。
なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。
http://www.4gamer.net/games/238/G023885/20160216028/
PlayStationやWii,Xboxなどのゲーム機で,最後まで遊べるデータも入って5000円,6000円という値段をつけて売られているゲームと,
ソーシャルゲームのように後からいろいろ出てくるゲームとで,同じ仕組みや法律で判断されるのはおかしいのかなぁ,と思うんです。
運営と言うのは、教会の神父やお坊さんに近いんじゃないかなと思うんですね。
ソシャゲの中での人間関係のこじれについて助言してあげたり、運が良くなる壺を販売したり、まぁこの壺、じゃなくてカードは
実際に効果があるんですが、50%も60%も体感値はあまり変わりがないので信じてもらえないこともあります。
他にもお布施が高いと言う声に答えて奇跡のようなサービスする事もありますし、素行の悪い人たちをポア、ではなくデータをバンする事も。
まぁ判断を下すのは辛いんですが。
隊長はガチャで射幸心を煽るように、空売りしたいサイバーエージェント暴落させるべくに煽っているんじゃないかとさえ考えてしまいます。
子供の名義で空売りなのか、第三者に依頼され、お金を受け取って真剣に炎上をエンジョイしてなんて…楽しく妄想しています。
本題のグラブルに関しては、詐欺行為として立証したい考えのようですが、運営をやっていた側からすると設定ミスではないんだろうかと思えるんですね。
設定ミスをしてしまったけれど、運営として強気な振る舞いしなければいけないので孤軍奮闘している感じです。
運営と言うのは24時間のコンビニで働くのと同じぐらい辛いものがあり、ミスの少ないルーチンワークを設計実行していくのが安定運用のカギになります。
ガチャに新キャラを追加するのもルーチン化されて何も考えずにどんどん追加していったんでしょう。
3%の最高レアリティ枠に10種類突っ込めばそれぞれ0.3%ぐらいになり、いい感じに”当たりにくい”ガチャとなりますが、
何十体と繰り返しと新キャラを追加すれば、1体あたりの当たる確率は小数点以下の数字がコンドームの薄さのような値になり、
実際に目標数が出回らないカードになってしまうこともあります。
正しい運用はガチャの最高レアリティ枠は入れ替えて程良い確率を担保することですが、
入れ替えずに追加する一方となり確率が低くなり過ぎたのではないでしょうか。
グラブルぐらいに売れると、よくある話が、Pが天狗になりパワハラに走ってしまい、
たとえ下っ端の作業者がこのガチャ確率に気づいてたとしても助言できる空気がなくなってしまう、と言うもの。
まあ原因は何であれ、あれはプロの運営が故意で設定する確率ではありません。
「札束で殴り合わせる」ようにして
こう言ってはいるんですが、ガチャを回す行為が”殴り合い”になんて感じないんですよね。
ガチャの確率が低いことに感付いたユーザーはガチャを回しながら、動画撮影をしたりキャプチャを取っていくんですよね。
これって、セコイですよね。お金を払って超絶レアなカードが入れば儲けものだし、もしもカードが出なくても、
スーパー課金したヒーローとしてSNSなんかでバズるんですよ。
下手したらゲームユーザー数を超える人たちに見てもらえる可能性だってあるじゃないですか。
どの道お金を払ってハッピーなんですよ。殴らずに。彼ら高課金ガチャユーザーは自己顕示欲のためにガチャを回してるんです。
ゲームに飽きた後,何も手元に残らない……というのはねえ。
何も残らない問題に関しては、これは傍から見たらそうなんでしょうね、でも、ほんまは残るんやで!(関西弁)と言いたいです。
一人で遊んでるユーザーはきっと何も残らない。でも友達と遊んでるユーザーは負けて悔しかったり、勝って嬉しかったことが
思い出として残っていると思うんです。友達と遊んで思い出に残らないなんてレジェンド悲しいことはありません。
ソーシャルゲームなんです。
ソーシャルのつながりが面白くしたり思い出を作ったりするんです。
断捨離の時代にいちいちものが残るなんて必要ないです。大事なものは心のどこかに残っているんですよ。
ソシャゲはまだ生まれて間もないジャンルです。良いところも悪いところもあると思います。
でも、決してすべてが悪じゃないので、これからも悪いところは直して良いところは伸ばす感じで成長して行くことを願っています。