先日、神楽坂で開催されていた「私たちは『買われた』展」を見てきた。
会場内では撮影もメモも禁止だったので、会場を出てすぐに書いたメモから雑感をいくつか。
・企画展ということで何が展示されているか期待して行ったが、ほとんどの展示が「買われた」少女たちの語り。そしてその横に添えられたフィクションの写真でつまらなかった。
・語りは、文章・文体が整いすぎているため、少女たちが書いたor話したことを大人が清書したように思われる。
・語りの横に添えられた写真は、語りの内容を再現したもの(例えば、ラブホのことを言及した語りにはラブホの廊下の写真といった具合に)で、展示する側が印象誘導しようとしているのかと勘ぐってしまった。
・いくつかの語りの中に不自然に登場してきたColaboへの感謝の言葉。
⇒少女たち本人の思い・気持ちではなく、それを代弁する大人たち(Colaboや仁藤夢乃)の恣意的な考えを感じ取ってしまった。
・語りの多くは、「買われた」きっかけが家庭崩壊、虐待、不登校、いじめにあったとしている。また、その時の自分を学校・警察・児相が救ってくれなかったとも。
・それならタイトルは「私たちは『買われた』展」じゃない方が良いのではないか。
⇒少女を買う男性という、わかりやすい社会悪に目を向けさせることで、問題の本質(ソーシャルサポートの制度的不備とか)から目を背けさせているのではないか。
・追記:展示されていた少女の日記の中で「援交」という言葉に鍵括弧がつけられ強調した書き方をされていた。Colaboから「あなたの苦しみの根源は『買う男』にある」と言い聞かせられた少女の姿が目に浮かんだ。
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少女たちを買った男や、少女たちが買われるまでに追い込んだ社会・家族に対して憤っている。
しかし、少女たちを救うというポーズの裏にチラチラ見える、組織や自身を宣伝すること、売春・援交をする男性を叩くことだけを追い求めるColaboと仁藤夢乃の欺瞞的態度により憤っている。