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はてなキーワード: ちゃぶ台とは

2018-02-23

anond:20180223163426

恐怖で支配したいんだ

ちゃぶ台ひっくり返すのと同じさ

2018-02-14

anond:20180214124437

元増田だけど、ちゃぶ台1つしかないし

たこ焼きやる場合は、居間しか出来ないんだよね。

テレビ見るところでもあるから、必ず相手は居る訳で……

2017-06-01

左翼感情的に嫌いなところ(主義は不問)



右翼感情的に嫌いなところもこれ以上にあるので念のため。

2017-05-28

他人の「好き」を潰す最低のマウント

「○○が好きなんじゃなくて、"○○を好きな自分"が好きなだけでしょ?」

誰にでもどのシチュエーションにでも当てはまる汎用性の高さ・便利さゆえなのか最近よく使われてる場面を見かける。

しかしこれ諸刃の剣そもそも雑な反論だし、おまえが相手メンツ潰すためにメタ視点マウント取りに行ってるわけじゃん。

ちゃぶ台ひっくり返してるだけ。誰も得しない、不毛論法なので使用自粛したほうがいいかと。誰も「好き」を言えなくなる。

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追記1

○○が好き・嫌い、と自己愛の有無はそれぞれ独立したパラメータと考えたほうがいいのでは。どの趣味にも人間性ヤバい人は混じる。

何かを好きになったり嫌った時に、自己嫌悪することもある。「お酒は好き。でも酒ばっかり飲んでる自分が嫌い」とか。依存症っぽいけど。

自己肯定感が低い人なら「自分自身が嫌い、でも自己憐憫に酔ってる自分もっと嫌い」とか。4パターンのどれもありうる。

自分に酔ってる感じがするからエゴが含まれてるから本当の好きではない、って前提はない。「本当に好きならなぁ〜」ってマウント合戦を始めるんかい

あんまり掘り下げるとコミュニケーション処世術とか、愛とはなんぞや、みたいな増田で書くにはメンドくさいテーマになっていきそうだが。

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追記2

この増田記事を書こうと思った背景というか文脈を明かすと、別に自分がどこかで誰かにそう言われて悔しかたからって話じゃ全然なくて。

まず、ちょっと前にたしかTwitterだったかで「映画好きのサブカルくそ野郎マウントとってきて、言い返してスッキリ」みたいなストーリー漫画が上がってて

その中でこういうセリフが使われてた。(ソース見つからない。タイトル忘れた…)その時もなんだかなぁ、とモヤモヤした気持ちがあったけど、まぁスルーした。

で、最近コーヒー好きが言いにくいって増田記事がヒットしてて、そのブクマコメントの中にそういうこと言いだしてるやつがまさにいたわけ。(わざわざ晒さないけど)

うわぁー実際に言ってるやついるよ、ちょっとひとこと言っておかないと伝家の宝刀みたいに使いまくるやつこれから増えそうだな、と思ってカァーっとなってこれを書きました。

他人の「好き」の定義に振り回されて萎縮というか、「自分はこれを本当に好きなのだろうか?」って疑心暗鬼になることないよなーっと。

ただ注意が必要なのは、よく主語警察がよく指摘してる"主語の大きさ"ってやつが問題になるように、ジャンルというか大きい括りでの○○好きを気軽に公言しない方がいい場面もあるだろうってところで。

例えばコーヒー好きと最初から大きく名乗るのではなく、「こういう状況で飲むどこそこの缶コーヒーが好きなんですよー」って小さく限定しておいてから、話を徐々に広げるとか。

古参ベテランメンツを立てるような配慮とか。妙な絡まれ方を避ける話の切り出し方ってのもあるかもね。

2017-05-22

今更だけど東京五輪ロゴ騒動について

東京五輪ロゴ騒動もひと段落したので、ロゴタイプ、及びシンボルについて、思うところをまとめてみようと思う。

シンボルマークを考える時、切り口がいくつかある。

まずは、形態としての美しさがある。

これについては、もはやシンボルマークにおける美は死んでしまった、と言っても過言ではない。

シンボルマークに求められる美は、単純の美である。円や三角形のような、これ以上削れない、というところまで形態をそぎ落として行った先に、シンボルマークに相応しい美がある。

ところが、世の中にシンボルが溢れた結果、先行して作られたシンボル商標登録され、後発は同じようなかたちを使えない、もしくは模倣であるというレッテルを貼られる、という事態に陥っている。

東京五輪の事案で、佐野ロゴをあまり気に入らないとは言いつつも、ほとんどの見識あるデザイナーが「最初から作り直した方が良い」とは言わなかった理由がここにある。

シンボルにおいて、単純であることはそのまま美に直結する。しかしながら、単純であればあるほど他のシンボル類似やすくなる。

このジレンマ理解している人であれば、あのような騒動に加担しようとは思わない。

外野ながら事の進展に全く暗澹としたが、あの泥沼の中から凛然と輝く野老案が選ばれたのは奇跡的といえる。

次に、理解のしやすさ。

具象性、と言い換えてもいい。要するに、「この図は何を表しているのか」ということである

これは、難しい。なぜか。

シンボルあくまシンボルであり、決して具象絵画ピクトグラムではないかである

上で述べた通り、シンボルマークにおける美は、抽象化し、単純明快に切り取るところにある。

これは、具象性とは正面から相対するものである。多くの場合、両立は出来ないが、

良識あるデザイナーはここで「何とか両立できないか」と腐心する。

最後社会性(汎用性である

シンボルは、使われてこそのシンボルである

社会の中でどのように利用されていくのか、ということを考えたとき、引き伸ばして使われる場合ポスターの一部として埋め込まれ場合

またはエンボス加工される場合、はたまた布地に印刷される場合など、様々な利用シーンを想定して作られている。

さなものから大きなものまで、どんなシーンでも一定イメージを伝えられるシンボルマーク面目躍如といったところだろう。

この様々なものに使っても問題のない設計は、経験者でなければ難しい部分がいくつもある。

小さく使って潰れないように。多少滲んでも形態認識できるように。大きく使ってもエレガントなように。別メディアで展開しても色等の統一に困難がないように…など、

気を遣うポイントが大量にある。ただマークを作って終わりではないのである

この、美と具象性と社会性の区別がついていない人々によって、佐野ロゴは引き摺り下ろされたと言っていい。

氏にとってはとんだ災難だったろう。

また、五輪ロゴにとどまらず、騒動の際に氏のデザイン事例を「オリジナルではない」としてやり玉に挙げる記事が多く出回ったが、

それらがオリジナルかどうかと、五輪ロゴ問題とは切り離して考えなくてはならない。

仮に、氏のデザイン表現オリジナルではないものがあったとしても、大きな問題があるとは思えない。

先に述べたロゴ問題と同様、デザイン表現においても、何かを「これがオリジナルだ」と認めるのは大変難しいのである

少なくとも、平面におけるデザイン表現には、必ず先行事例がある。

これは先行事例がない、と言える例はきわめて稀で、

多くの場合、「先行事例はない」=「先行した権利者がいない」というだけの話である

過去デザイナーたちが李朝の民画や、琳派などに参考事例を求めた一端には、

この「先行した権利者がいない」ところを求めた結果という、泥臭い理由もあったのではないか

そして、不幸にも「表現における先行した権利者」がいた場合であっても、

基本的には当事者同士の間だけの問題であり、

両者間で話がついてしまえば、我々外野が声を上げる理由などどこにもない。

本来ワイドショーで取り上げるような話ではなかったのである

五輪ロゴ問題が下火になった後、今度は築地移転先、豊洲市場問題ワイドショーで取り上げられた。

現在では次第に「既定路線が(現実的には)正だった」という像が明らかになりつつあるが、どうも話の構図が似ている。

共通点は「素人が、ドキュメントも読まずに、素人考えのままちゃぶ台をひっくり返す」というところだ。

結果的に多額の税金無駄になった点も同じだ。

これらから得られる教訓は、

「知らない話は勉強してから参加しないと、場合によっては多くの人を不幸にすることがある」ということだと思うが、

かかったコスト勉強料にしても高すぎる上、今も支払が続いていると思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

2017-05-17

パチンコ屋で母の日プレゼントを贈った

待ち合わせの時間つぶしにパチンコ屋で漫画を読んでいた。大学時代パチンコをしてて、今ではデカトイレ、もしくは騒音の激しい読み専ブックオフとして活用している。

読んでいたのは「グラップラー刃牙」。正確に言うと「範馬刃牙」。親子喧嘩をしようとしているところで、父の勇次郎ちゃぶ台を指でメリメリ裂いていた。なぜ?

読みながら「俺も昔一度だけ親父と取っ組み合いの喧嘩をしたことあるな」と思い出した。2回目の留年無い内定クズ大学生だった俺は、精神不安定になり母親の何かの一言にブチ切れた。今ではなんと言われたかすら覚えていない。挙句母を泣かしてしまい、父が出動した。こっちの言い分も聞かずに「母を泣かすのは悪いやつだ。謝れ」としか言わない父にまたブチ切れた。それまで口喧嘩はあってもお互い暴力を使うことはなかった。俺が小学生の頃ビンタ一方的に吹っ飛ばされたくらいだ。それが何が高まったのか掴み合いの喧嘩になった。すぐ母に止められたのだが、数秒掴み合いをした父の非力さに無性に悲しくなったことを覚えている。昔ビンタで吹っ飛ばしたくらいだし、若い頃は柔道やってたらしいし、身長は低いがメタボ体重もあるのに、当時ガリガリの俺に軽々と押し負けるくらいの力しかなかった。運動の1つもしていない、50過ぎのただのおっさんだった。今まで父に怖れを持っていた俺とは何だったのか、こんな弱いおっさんを困らせる俺って何なのだろうかと、驚きと寂しさとやるせなさでいっぱいになった。

そんなことをパチンコ屋のバリバリとチカチカにあてられながら思い出した。クズみたいな俺でも引き続き心配し、運良く就職できて上京してからもずっと定期的に連絡をしてくる母親はすごくないか。相当酷いことを何度か言ったはずだが、捨てずに許してくれている。誰にも愛されねぇなって考えるほど彼女の1人もできない自分いつまでも気にかけてくれている。全然恩返ししてなくてヤバイって思ったとき今日母の日だってことに気付いた。その場ですぐにスマホを取り出し、Amazonカーネーションとどら焼きのギフトを注文した。凝ったものや高いものを珍しいヤツがいきなり贈るのもアレだなと思ったか簡単めに。

もちろん母の日には間に合わなかったが、今日届いたらしい。喜びのLINEが来た。すげぇ嬉しそうだった。こうやって少しずつ返していくのでもいいのだろうか。けど、刃牙読んで思い出してパチンコ屋でポチッたとは言えないよなぁ。

2017-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20170513073018

うん。役に立つから桑田投手転用して取り入れたって話してたじゃん。

事実誤認しちゃいかんだろ。

別に成績に優位な変化は現れなかったし、

桑田投手のあとに続く人もいませんでしたね

スポーツトップ中のトップであるプロ野球ピッチャー

革命的に有益技術スルーするほど怠惰だと?


なんでそんな帰結になるのかがわからないし、本気で頭が悪いと思う。

俺の通っていた道場において、現代体育的な論法と離れてる方法講道館とも違う崩しを行ってる先生がいた、

という体験談を踏まえた上での見解なんだがねえ。

現代体育的な論法」って簡単におっしゃるには

現代体育的な理論(って具体的に何のこと?適当言ってるっしょw)について一通り体得してる必要があると思います

あなたスポーツ歴はどんなもんですか? 現代体育についてどれほどのご経験と見識がおありで?


何もないっしょ?

あなたの口走る「現代体育」っていうのは

自分がやってる神秘主義武道を持ち上げるための比較物として言ってるだけの

内容空虚概念なわけですよ。

そうじゃないっていうなら現代体育についての自分レベル体験を語って。


もう一つ、仮にそういった体の使い方が体育に還元されるようになった暁には、「現代的」の名前を冠しても良いと思ってるよ。

武道身体」ではあまりにもイリュージョンすぎると感じるのであれば変えればいい。

から還元されるほどの何かがどれほどあったんですか?と言ってるんだけど

「ぼくのどうじょうのおじいさんのはなし」はもう結構ですよ

見てないから甲野さんの動きのように否定はしないけどその一方で肯定もしようがないです

って最初に断ってるんだから何度も同じ話しなくていいよ

特定状況下でおじいさんが若者を転がすぐらいのことな可能性を否定しませんとも言いました

変な練習しただけの小男がワンパンで人を空に飛ばすとかは聞いただけで「有り得ない」と言いますけど、とも


しらんがな。武道から遠ざかってるし、お前みたいな決めつけ野郎のためにそんな時間裂きたくないわ。

だって腹が立つから相手してるけど、基本的時間無駄だし。

自分の主張を撤回するかどうかに「しらんがな」はないでしょう

都合が悪くてちゃぶ台がえししてるようにしか見えません

武道との距離とかも関係ない話ですよねー


甲野ageなんかしてないけど。一例としてあげただけで。

この同じ文の序盤だけでも

「甲野の技術吉田をひっくり返すほどすごい!総合格闘家の誰にも出来ないことを軽々やった!」

って話をしてるのはあなたです

腹は勝手に立てたらいいけど自分発言には責任持ってください

「腹が立つの発言責任を持たないのだ!」とか言い出すなら負け犬の遠吠えってやつです


甲野善紀に助けられた増田TVの実演、スポーツ選手採用なんかを拠り所として、お前なんかより実証があってよほど認められる、って話しかしてないだろ。

TVの実演なら龍飛雲先生ですらやってます

龍飛雲先生NHK教養講座すらお持ちでした

人柄的には面白いおっさんでしたが、彼の「武術」はどんなものでしたか

堀部正史先生の話もしましょうか?

さまざまなメディア露出して持ちあげられてたし

たくさんの有名人が彼に弟子入りしていましたね

じゃあ堀部正史さんの技術はまともなものでしたか


「TVに出ていた」「あの有名人も褒めた」「世間に認められている」

こんなもん

龍飛雲先生弟子

堀部正史先生弟子

麻原彰晃尊師弟子が言うレベル根拠ですね



要するにあなたは変な新興宗教にも気をつけるべきだし

もしご家族がガンになった時は怪しい代替医療お金を取られる危険性大の人なので気をつけてくださいっつーことです

少なくとも視聴者の俺の目線的には「あり得る」程度の肯定感はあるよそら。

納豆ダイエットに傾倒するババアみたいな肯定感ですね

おめでとうございます

2017-05-08

迷惑行為を恋と言うオブラートで包むことの怖さ

http://anond.hatelabo.jp/20170403231642

いやー怖い。とても怖い。話が通じない人ってこういう思考なんだなと背筋が凍る想いだ。

夏には一足早いものの、この暑さなのでいい納涼になった。


俳優ガチ恋。それは別にいい。

悪いと思うと言ったところで好きになる気持ちを止めることはできないし、それこそ他人にどうこう言える権利はない。

でも行動は違う。それは止められるはずだ。だって我々人間だもの。理性があるはずだ。


宝塚のように文化が出来上がっているならいざ知らず、通常どんな舞台イベントでも禁止されていると思うのだが、

それを臆面もなく語る。というか、出だしの一文に書いてる。


とある若手俳優出待ちを、もう三年間している。

この時点で普通感性の持ち主であればドン引きである。この女おかしいぞと瞬時に察するが、更にホラーは続く。


現場にはすべて通い

熱心なファンだ。


プレゼントを山のように渡し

賛否はあるだろうがストレート感情の表し方で良いだろう。


稽古場にも、プライベートな場にも顔を出している。

このあたりからどうも雲行きが怪しい。


彼の高校時代の友人や、芸能スクールに通っていたときの友人、仲の良い俳優演出家プロデューサー、繋がれるものは何でも繋がった。

ストーカーだ。


ストーカーだ、それ。

大事ことなので二回言った。


相手俳優というのであれば、舞台に立たない「客」が俳優存在認知しても許されるのは、

お金を払って買ったチケットで観る舞台や、ファンクラブなどのイベントテレビ雑誌インタビューブログTwitterまでだろう。

それなのに「プライベートな場」に顔を出し、周囲の人間にまでつながりを求めあの手この手舞台上だけではない俳優を知ろうとしている。

それは一般的ストーカーと呼ばれる犯罪行為なのではないか

しかしそれらの一連の行為理由彼女はこう称している。


わたしは彼に、ずっとずっとガチ恋だ。

恋。それもガチときた。

恋ならば仕方ない。恋は盲目なのだ。恋しているのだから相手のことを知りたいと思う気持ち普通だし、繋がれる人脈には繋がるし、ルール違反でも会える場所に赴いてしまうのよ、ということだろうか。

ふざけるのもいい加減にしろちゃぶ台をひっくり返したくなる気持ちをぐっとこらえる。これぞ理性、すごいぞ理性。


彼は出待ちが嫌いだった。ふつうに話しているくせに、他のファン申し訳ないという気持ちが強かったらしい。彼女わたしという出待ちのことを愚痴っているのを聞いたとき、悲しくなったりもした。

そりゃあルール違反するようなファンとも呼べない層を嫌うのは当たり前の感情ではなかろうか。

それ以外のちゃんとした(=ルールを守る)ファンに対して申し訳ないと思うのはごく自然のことである

というかなんで彼女愚痴った内容まで把握しているんだというさらっと出てくるホラーエピソードは見てみぬふりをしよう。


全通し、たくさんのプレゼントを渡し、最前に入り、ファンサを求めた。何度も何度も喧嘩をした。わたしは客なのに、どうして喧嘩をするのか意味がわからなかった。三か月間、入りも出もシカトされたこともある。泣いて、わめいて、理解を求めた。

んんん~~~~~~~~~~~~~~~~(絶句

言いたいことは色々あるが言語化できない。

怖いもの見たさで「喧嘩」の内容が知りたい気もするのだが本当に怖い気がするのでやめておこう。


まり全部引用してはきりがないので引用はこのあたりでやめておくが、万事彼女はこの調子なのである

わたしは」。全ての行動の基準が「わたしなのだ俳優の都合も他のファン彼女世界には存在していない。

わたしと彼」という都合のいい世界しか生きていない。だから、彼がいくら迷惑だと諭しても通じない。

出待ちをやめない。プライベートな場にも踏み込んでいく。だって、その言葉を受け入れてしまえば、彼には会えないから。

彼に会うためにはルール違反をしなければいけないのだから仕方ない。そういう価値観の元生きているのだ。完全に理性なき獣である


少し話しはそれるが、最前列チケットをそう何度も手に入れることは可能なのだろうか・・・?という疑問もある。

これは完全な推測であるが、得てしてそういう良席チケットは高額転売されがちだ。もし、彼女転売屋からチケットを購入しているとしたら?

高額なプレゼント、祝い花、観劇にかかるチケット代に交通費。それらは決して安いものではないということは、容易に想像できる。

それだけの大金をつぎ込んでいるという事実も、彼女の理性の箍をはずしている一因なのかもしれない。


このエントリーを書いた彼女は、文章化することで己の異常さに気付かなかったのだろうか。

仕事として「俳優」をしている人間プライベートに食い込もうとするおかしさに、どうして歯止めをかけられなかったのか。

彼は俳優で、わたしはただのファンだ。

どんなに関係が深くても、それは変わらない。

いいや、それは違う。

俳優プライベートを求めた時点で、もうファンですらなくなってしまっている。

それにすら、彼女は気付いていないのだ。


件のエントリーを読み、自分は「怖い」と感じた。

彼女が「好き」という度に身構えるという俳優が、自分が感じたものと同じ気持ちを抱えていないとは言い切れない。

優しくなったのではなく、刺激しないようにしているだけなのでは。シンガーソングライター希望女子大生殺人未遂事件は、きっと誰の記憶にも新しい。


ルール違反を犯しながら、他のファンへの優越感を感じている。

そしてそれをあろうことか、全て「下手に優しい彼のせいだ」と責任転嫁する呆れた幼稚さ。


それを恋と呼んではいけない。

そんな身勝手なだけの感情を、恋だなんて甘い言葉で片付けてはいけない。


ガチ恋と呼べるほどほれ込んでいる相手言葉すら届かない獣には、外野が何を言っても無駄だろうけど。

2017-02-02

電子書籍ユーザーはどうするべきなのか

「電子書籍の購入は作家の応援にならない」は本当? 現役編集者に聞いたという記事を見た。まあ、ここのところ何度も繰り返されている話題ではあるが、私も一つ書いてみようかと思う。

以前には、いつまで紙の本に付き合わなくちゃいけないんですか? -電子書籍に完全に切り替えたユーザーの怒りと愚痴をひとまずぶちまけます-という記事があったことを覚えている方もいるだろう。この記事はこの記事でやや偏っているというか、紙書籍ユーザー喧嘩を売っている部分があって(紙書籍をまずい料理に例えていると読み取れる部分とか)、いらぬ反発を産んでいたように思うけれど。

電子書籍ステマ」とか「ステルスポジショントーク」とか言われるのは癪なので予め断っておくが、私は電子書籍業界の一員である。といっても、末端のエンジニアに過ぎないので、業界の詳しい動きや、編集者の考え方が分かるわけではない。
電子書籍業界がこの先発展していって欲しいとは思っているので、これは紛うことなポジショントークである、ということは言っておいた方がいいだろう。

ちなみに、冒頭に挙げた記事に関しては、私はそれほど反感を抱いてはいない。
というより、反感を抱くほど踏み込んだことは書いていないように思う。
冒頭の記事を読んで、「また出版業界言い訳か」と思った方もいるかもしれないが、「電子書籍の売り上げが続刊に寄与しない」というのは、業界の現状としては正しい。
もちろん、書籍の売り方は一律ではないので、作品ごと、作家ごとに個別事情がある。冒頭の記事では、業界全体が一律にこうである、という印象を与えかねない。
ただ、傾向として、電子書籍の部数を評価に入れていないシステムや、評価することのできない編集者が多いのは確かだろう。

しかし、出版業界の現状がそうである、としたところで、ユーザーには何の関係もない。 「まずい料理を食え」と言うのはいささか例えとして乱暴であると思うが、人それぞれ好みがあるのに、自分が嫌いな料理を、嫌いとまで行かずとももっと美味しいと思う料理があると思っているのに、買って食えと言われるのはたまったものではない。当然のことだ。

ところで、冒頭の記事には、

電子書籍ヘビーユーザーと思われる方の、「なぜ電子書籍はいけないのか(なぜ出版社側の都合で紙媒体を買わなくてはいけないのか)?」という意見は、いささか極論と感じましたが、貴重な受け手からの肌感覚での意見として拝読しました。

という記述があった。この点が気にかかった人は多いのではないだろうか。 私もこの点は同意しかねる。「電子書籍ユーザー出版業界の都合を押し付ける」ような発言に対して電子書籍ユーザーが反発するのは当然のことで、極論でもなんでもない。
ただ、明言はしていないが、この発言は「いつまで紙の本に~」の記事に対する反応であると思われる。こちらの記事は内容が過激であったため、この編集者A氏とやらも、やや感情的な答えを出してしまったのではないか
あるいは、「極論」と言うのが当該記事の全体的な語調に対する感想であるなら、頷けないこともない。
つまるところ、この発言に関しては多分に感情的ものであって、参考になるものではないが、殊更にこの点を取り上げて叩くほどのものでもないのではないか、と私は考えている。

電子書籍の話になると、「紙には手に触れることの良さが」「電子書籍プラットフォーム依存が」「電子書籍なら持ち歩きやすい」「紙はかさばる」などといった、紙媒体優位論、電子書籍優位論が現れる。
はっきり言わせてくれ、今問題にしているのはそこじゃないんだ。少なくとも私は、紙媒体電子媒体の利点や欠点理解しているつもりだ。どちらにも利点があって、どちらにも欠点があるので、一概にどちらが優位であると言えるものでもないだろう。
から私は、紙媒体ユーザーに向かって電子書籍を買えとは言わない。そしてまた、電子書籍ユーザーに向かって紙媒体を買えとも言うべきでない。これが私の問題としたい部分であり、恐らく多くの人が感じていることであろうと思っている。

# なお、プラットフォーム依存性の問題に関しては、電子書籍業界人としては真面目に課題として受け取る必要があると思うが、そこはそれである

そもそも、ちゃぶ台を返すようだが、こんな議論意味はないのだ。ぶっちゃけしまえば、たかだか編集者Twitter上で「紙媒体を買え」と言って、たとえそれが多少バズったところで、そうそう影響はない。
電子書籍ユーザー電子書籍メリット見出しいるか電子書籍を買うのであって、出版社制御できるものではない。
作品の売上は出版社広告の打ち方や作者の宣伝などで変わることもあるだろう。しかし、紙媒体でも電子でも、文章の質に差はないのだ。であれば、ユーザー自分が便利だと思うものを使う。

そうは言っても、電書の売上が続刊の目安にならないのなら、作者のために紙媒体を買うべきではないのか、という意見もあるだろう。
まあ、あなたが誰かのファンで、どうしても打ち切られたくない作品があるのなら、その意見を真に受けてもいいとは思う。本当に極僅かな可能性で、あなたの一冊が続刊のボーダーラインを越える一冊にならないとは言い切れない。
だが、たった一人が購買運動したところで、全体に与える影響は微々たるものだ。もちろん、大勢で同じことをすれば影響は出るのだけれど、そんな社会運動じみたことをしなければ支えられないのだとしたら、それは既に構造おかしくなっている。
もちろん、紙を愛する人は従来通り紙媒体を買えば良い。紙書籍電子書籍市場がこれからどう変化するかは私には予測できないが、なくなることはないだろう。

私が一番思うことは、電子書籍を買う人に、それを引け目に感じて欲しくはないということだ。
電子書籍を買う人も、紙媒体を買う人も、それぞれ一人の客で、そこに優劣は存在しない。
しろ電子書籍ユーザーにとっては、市場が大きくなった方がより便利になるだろう。これは希望的観測だが、頭の固い編集者でも無視できない規模に市場が成長すれば、当然電子書籍の売上が続刊基準にもなってくると思う。
から、今現在電子書籍を利用しているユーザーは、この先も気兼ねなく電子書籍を利用してもらいたい。これは私のポジショントークでもあるが、電子書籍市場の拡大がユーザー利便性につながるという理論は間違っていないと思うので、ユーザーにとってもメリットのある提言のはずだ。
もちろん、一人のユーザーの動向が市場に大きな影響を与える訳ではないのは既に述べた通りで、だからこそ、電子書籍積極的に利用すればより便利になりますよ、と言い切ってしまうことはできないけれど。

という訳で、結論を言えば、電子書籍ユーザーは今まで通り電子書籍を買えば良いし、紙媒体ユーザーは今まで通り紙媒体を買えば良い。
こんなことは、別に私が言う必要はないのだ。言わなくてもみんなそうするだろう。
ただ、これだけは言っておきたい。

電子書籍ユーザーに向かって「紙媒体を買え」と言う業界人は、恥を知って欲しい。

後はまあ、私自身も業界の一員として、少しでもより良い方向に向かえるように努力していきたいと思う。
こちらからは以上です

2017-01-16

君の名は。」を選外にしたキネマ旬報カス

君の名は。」がキネマ旬報ベスト選外となったけど、これは、日本映画批評における下記の(伝統的な)問題点象徴する出来事なので、みんなもっと大騒ぎすればよいと思います

最初問題点日本映画批評は、アニメーション映画を適切に評価することができません。

キネマ旬報ベストテンランクインしたピクサー映画は、何本でしょうか?少し考えてみてください。答えは、ゼロゼロですよゼロ世界アニメーション革命を起こした「トイストーリー」も、障碍児童冒険譚をウェルメイドに仕上げた「ファインディングニモ」も、冒頭からほとんどセリフを用いることな世界の荒廃を描いた意欲作「ウォーリー」も、トリロジーの最終作として圧倒的な完成度を誇る「トイストーリー3」も、ベストテン選外になっていますピクサー以外でも、「アナ雪」も選外なら、2016年は「ズートピア」も選外。正気かよ。日本アニメーションに目を向けても、例えば故 今敏作品は1本もランクインしていません。「千年女優」を超える絢爛な日本映画2001年10本あったか?「東京ゴッドファーザー」を超える抑揚の効いた感動作があったか?「パプリカ」のイマジネーションを超える作品があったか?「パーフェクトブルー」ほど低予算映画で、今なお国境を越えて評価され続ける映画が何本ある?

次の問題点日本映画批評は、映画自体の良さではなく「他国における賞レースの結果」や「興行成績」や「過去監督作の評価」などの外部要素に引き摺られすぎる。

2000年以降、ピクサーを筆頭にCGアニメーション映画映像面、シナリオ面での革新を重ねる中、たった1本だけキネマ旬報ベストテンに名を連ねた映画があります2009年戦場でワルツを」。レバノン内戦における監督自身記憶を辿る、という半ばドキュメンタリーのような内容の映画で、ここ数年の作品でいえば「アクトオブキリング」ような手触りの、とてもいい映画です。とてもいい映画なんですが、たぶんこの映画キネマ旬報ベストテンランクインしたの「アカデミー賞ゴールデングローブ賞外国語映画賞部門ノミネートされた最初アニメーション映画」だからなんですよね。あと反戦映画から反戦映画と、海外映画賞をとった映画日本映画批評において高く高く評価されます

興行成績の良い映画評価も引き下げられます興行成績がよい映画は「おれが評価しなくてもいいだろう」という寝言をいいながら、実のところ「自分は年に100本も200本も観ているのだからパンピーと同じランキングには出来ない」という薄っぺらながら自意識を守るために、本当はすごく面白かったのに、8位とか9位に入れたり選外にします。2016年も「シンゴジラ」より「クリーピー」を評価して、ズートピアを選外にしたハゲがいましたね。「こいつらは友達が多いから、ほかの人が評価してくれる」って言い訳しながら。一言。邪念が多いよ!!面白い映画普通に評価しろよ!!いや、確かに「クリーピー」は面白い。その通り!映画順位をつけるもんじゃない。その通り!けど、正直「シンゴジラ」と「ズートピア」より「クリーピー」のほうが順位が上、とい上のはさすがに無理があります

過去監督作に評価が引き摺られすぎる、というのはイーストウッド映画過大評価が最も有名でしょう。確かに、イーストウッド映画面白い。本当に良い映画ばかりです。でも「グラディエーターアメリカンビューティーとダンサーインザダークを抑えてスペースカウボーイが1位」とか「父親達の星条旗硫黄島からの手紙のワンツーフィニッシュ」は、やりすぎをこえて「ヤラカシ」だと思うんですよね。

ヤラカシ」といえば「オールタイムベスト日本映画こと七人の侍が、キネマ旬報年間ランキングでは3位な件」がもっとも有名ですが、このときは「木下恵介作品のワンツーフィニッシュ」というわけわからんことになっているんですね。1位は「二十四の瞳」。これは、わかります。「二十四の瞳」はすごい映画です。今観てもびっくりさせられます(比類する作品は「6歳のボクが、大人になるまで。」ぐらいしかし無いのでは?)。ところで、2位は?…2位は、「女の園」という映画です。…いや、本当なら観てから言うべきなのはわかります。でもあえて言わせていただきたい…知らないよ!!オールタイムベストどころか、木下恵介監督作としても無名作品なのではないでしょうかコレ。(誰か観た人いますか?もし「おれは観たけど、七人の侍よりずっと良い映画だよ」という人が多ければ、この段落は訂正の上謝罪いたします)

最後問題点日本映画批評者は、孤独すぎる。

映画は観る環境によって、評価が大きくことなます。これは前項と矛盾するようで矛盾しません。映画館で観る映画と、家で観る映画は違います。「IMAXで観るゼログラビティと、金曜ロードショーゼログラビティは別の映画だ」と言われて、否定する人は少ないでしょう。映画体験です。ウェイン町山が「試写室で隣にピエール瀧がいたので死ぬほどビビった」と言って「凶悪」を年間ベストに挙げるように。ガース柳下金沢映画祭で観た映画を年間ベストに挙げるように。「お家に帰るまでが遠足」と言われるように。「フェスで盛り上がる曲」があるように。では、「夫婦カップルで観に行き、食事をしながら感想を言い合い、その日の記念にプリクラを撮り、インスタに半券の写真を上げたくなる映画」は、その体験込みで評価しなければいけないのでは?

ひとり、ルーチンワークとして試写室のパイプ椅子に座り、原稿の締め切りを頭の片隅に置きながら観る人間は、金曜ロードショーで観た「ゼログラビティ」をつまらなかったと言い切る人間と変わりません。真面目な話、かつてこれほどまでに評価され、クチコミ観客動員の伸びたデートコースムービーってあるんでしょうか?そう言えば「動員で映画評価を語るなら踊る大走査線2は名作」って言ってる人がいましたね。…寝言かな?(たぶん口を滑らせたのだろうと思うけど)

以上3点。おれは「息もできない」を年間ベスト映画に選ぶキネマ旬報のことが(ピラニア3Dを年間ベスト映画に選ぶ映画秘宝より)本当に大好きなんだけど、やっぱりよくないところはよくないところなので、なおしていただきたく候。

なおちゃぶ台をひっくり返すようだけど「君の名は。」は観てません。だって子どもが生まれたばかりで、奥さんが育児で手一杯だったからね。子どもがもう少し大きくなったら、ポテトチップスコーラを片手に、あーだこーだ言いながら2人で観るよ。ほなさいなら

2016-11-17

べっぴんさん観てるとカーネーション観たくなる

カーネーションHuluに戻ってきたので3回目の視聴。

おっとり気の優しいすみれお嬢様世界も嫌いではないが

がむしゃらに自分だんじり勝負する(だいたい毎週シバかれてる)主人公の爽快さよ。


この二作を同時進行で鑑賞しているせいで、

店の売り物や展示のワンピースをええよええよと気前良くあげちゃうすみれ

この後善作ちゃんにシバかれないかと思わず余計な心配をしてしまう。


このお父ちゃんがまた頑固で偏屈

家族に怒鳴りつけるのはもうお決まりになってる。

糸子がクリスマスケーキを妹たちに買ってきた回でもやっぱり。

くるぞ、くるぞ、、あぁ、おばあちゃん早くケーキどこか持ってってー

はいちゃぶ台ドンクリスマスケーキバーン家族号泣っていう

もうコントですかっていう流れでもはや笑ってしまうんだけれども

グチャグチャになったケーキをおばあちゃんが必死に成形して

みんなで食べようとする所に泣けてもくるっていう。

そんなお父ちゃんも居なくなったら本当に寂しいんだから

今日もあの騒がしくも眩しい世界を覗きにいこうと

こたつ定位置に半径1メートル世界で過ごしたいと思います

2016-05-29

おっさん

私の部屋には一人の小さなおっさんが住み着いている。

ある時、タンスを開くと私のパンツをかぶって寝ていた。違う日には洗濯機と壁の隙間に入り込んで丸くなっていた。冷蔵庫の中で震えていたり、歯磨き粉を出したら一緒に出てきたこともあった。しかし、私がおっさんの姿を見つけると慌ててどこかへ消えてしまうので話したことはない。

ある日、部屋のエアコンの上に、見知らぬ段ボール箱があるのに気付いた。脚立を持ってきて調べてみると、小さな入り口が開いていて、中で体育座りしているおっさんと目が合った。私が覗いてもおっさんはどこ吹く風で、その様子はまるで終の住処を見つけたと言わんばかりだった。

それ以来、おっさん段ボール箱に住み着くようになり、私の姿を見てもどこかへ消えることは無くなった。

おっさんほとんど一日中彼の家の中で寝ていた。

時々どこかへ出かけているのか、姿が見えないことがあったが、帰ってくると決まっておっさんの家の中にちゃぶ台や座布団や畳が増えていた。いつの間にか小さなテレビ冷蔵庫であるようになり、少し経つと普通の家と変わらないような内装になっていた。しかし、寝る時は相変わらず私のパンツをかぶって寝ていた。きっと気に入ったのだろう。

おっさんは今、家の中で小さなテレビを見ている。ちゃぶ台には缶ビール枝豆が置いてあった。最近毎日テレビを見て酒を飲む生活をしているようだ。暇じゃないかと思うが、これがおっさんにとっての幸せ生活なのだろう。

今度日本酒でも差し入れてみようと思っている。喜んでくれるかな。

2016-05-22

舞台刀剣乱舞を観たら悲しくなった

はじめに言っておくけど、キャストに罪はない。

ほぼ。だいたい。

だけど映像見返して「自分演技下手だな…」って思ったら、サニワ女子にちやほやされたまま調子乗らないで、良い演劇たくさん見てほしい。

それか演技指導ワークショップ参加して、2.5出るとき原作研究めちゃくちゃしてほしい。それだけ。


刀ステはわりと楽しみにしてた。推し出るし。

ストレートプレイだってうから、ちゃんとキャラクターキャラクターが会話して、そこに『存在』してくれるもんだと思ってた。

でも、舞台終わったあとは悲しみと怒りとやるせなさしかなかった。

周りのサニワは「よかったね〜!!」「○○やばかった♡♡♡」しか話してないの。

ツイッターでもフォロワは「刀ステ最高だった!!」しか言ってないの。

わたしだけ?こんな惨めな気持ちなの。全然共感できなかった。

ホントに?四万人皆そう思ったの???

っていう気持ちをどっかに吐き出したくなったので刀ステめちゃくちゃ良かった!って人は見ないほうがいい。少しネタバレもしてる。




個人的に良かったところは所作指導入ってたところ(特に三日月)、

鈴木三日月北村薬研がちゃんとキャラクターで居ようとしてくれたところ。

カテコでもいらんこと言わんし。キャラクター像を崩さないんだよ。ザ・2.5俳優って感じでした。ありがとね。

あと衣装特に山姥切の頭巾の、程よく重くて柔らかなドレープの綺麗な布。走ったとき一番自然になびいてた。

真剣必殺のボロボロ具合丁寧に作ってたな~。

殺陣がんばってた。多すぎたけど。


なんで歌った?

ミュージカル観に来たかとびびったわ。

演出必要不可欠かな?えらい人に「CD出そうよ!」って言われたのかな?知らないけど。

ダンスじゃだめ?殺陣しながら静止、名前文字バババン!でよくない?充分すぎない?

カテコの歌もよくわかんないし。なんで歌った?

不動はなんで謝らないの?

謝って、「力を貸してくれ!」って皆で共闘シーンって流れが王道じゃないの?

そこ裏かかなくていいから。とくべつな意図でもあるの?

薬研は巻き込まれ長谷部は散々蔑まれ挙句宗三は刺されたんだけど。山姥切は歩み寄ろうとしたけど何もかえってこなかったんだけど。

キャラからフォローもな~んもないんだけど。

不動ってこんな子なの?違うよね。

原作だと刀剣男士から審神者』への信頼や好意が少なからずあって、それで互いの関係性が築かれてるところがある。

固定の『審神者』が出せない分雰囲気しか出せなかったのはしょうがいね。難しいもん。

でも話の中で本丸の皆と不動の信頼感は築けなかった?

ただ、まあここの本丸じゃ築けないのも無理ない。

山姥切はがんばってた。でも彼の頑張りは自分の『近侍』としての自信を抱くための頑張りなんだよ。

不動のことなんてこれっぽっちもみてなかった。

不動は反発しかしてなかったし前の主に未練たらたらだけど、そうかもしれん、だがうちの主もいい主だぞ!ってならない?ならんか。

長谷部長谷部否定しかしないし。そりゃあんだけ否定されたら不動も噛みつくわ。噛みつくしかなさすぎて怒りの演技も怒鳴り散らす一辺倒になる。

だれもかれも不動の話を一度もまともに聞いてあげないんだよ。

関係性なんて築けないでしょうが

審神者の考え「強くあれ」って何?どういうこと?何理解した気になってんの?

織田の子たち、いつ乗り越えて強くなった?どこにレベル上がる要素があったんだ。心身共にボロボロだわ。やるせねーわ。やってらんねーってスト起こす勢いだわ。

キャスティング、どうにもならんかった?これ好みの話かもしれないけど。

宗三は準主役だよね。いっぱい喋るしヒロイン位置だったよね。

喋るし脱ぐのにあのキャスティングちょっとどうなの。ゴリラネタじゃねーから

真剣必殺の時笑ってごめんな。

中の人デビューから好きだよ。それとこれとは別の話。


なんていうかキャラの服来た男の子たちの展示会だった。

キャラ解釈は箔かよってくらい薄っぺらくて、そんなんだからキャラキャラが会話してないし、話の中でキャラクター像が構築されてないから、演技もうまくいかない。

演出唐突だし。じじい死んでんじゃねーか。

どうしてそういう考えになったの?こっちきて。ちゃぶ台はさんで議論しようか。手がでたらすまんな。

原作の本編ないから作るの難しいよね。だったら、ちゃんとキャラクター解釈ちゃんとしてて、発展させてストーリー組める人でノベライズして、それ舞台化してくれたほうが全然良かった。

高名な演出家さんか知らんけど。別にあなた作品観に来たんじゃないんだ。推し応援しに来たんでな。すまんな。

公式側がチェック入れてたのは互いの呼び方と喋り方だけなのわかった。(長谷部尊敬語使ってたらどうしてやろうかと思ってた)



何より一番悔しくて悲しかったのが「キャラクターがないがしろにされてる」っていう点。

織田組以外はどのキャラクターが出ててもよかったよね。

原作があれだけキャラクター関係性もこだわって作っているのに、今回舞台では『このキャラクターでなければ駄目だった』って要素を一切感じなかったんだよ。

人気キャラから織田の子たちとの関係性考えて手っ取り早くぶっこんだだけ?

だったらその子が、その子たちが、話の中で織田の子に与えた影響は?

『乗り越えられた』のは周りのおかげ……ってわけではないんだな。

何もないんだもん。いなくてよかったよね。


漫画とかアニメと違って、ゲームから舞台キャラクターが動くことではじめて吹き込まれいのちなんだけどな。

彼らは舞台上でゲームセリフを言う人形か?




ビジュアル推しでもないし、演技推しでもない。

かといって話が完璧だったわけでもない。

演出べらぼうによかったわけでもない。

何がやりたい舞台だったんだろう。

(動いた金については考えないことにする)



そのまま純粋に観れる人が羨ましい。楽しめなかった。悲しい。

だって「推しサイコーだった♡♡♡舞台よかったー♡♡♡」って言いたかったし言おうと思ってたよ。

まりにも悲しすぎて何も考えられなかった。

逆に何が「最高だった♡♡♡」んだろう。


今後もこういった原作に愛を感じない舞台ばかりが増えていくのかな。




2.5次元舞台って好きなキャラ現実に来るんだよ。

もっとわくわくして、こわくてドキドキしてそわそわして、

観て「お母さん産んでくれてありがとう…この子とおんなじ世界にいる…ありがとう…生きてるって尊い…生きる…………」

ってやつじゃん。

なんで好きな子貶されたようなこんな悲しい思いして作品観なきゃいけないの。

2016-04-27

信用していた取引先の社長愛人契約を持ち出された事への雑感

あるIT系フリーランスをしている女アラサー

急に取引先の上司愛人契約を持ち出してきた。

なんでまた仕事相手に、しかも外部にその様な話を持ち込んできたんだろう。

話しやすい人で、若い人へのフォローもしっかりしていて、食事に誘われても仕事の話ばかりだった。

尊敬し始めていた矢先である、信頼やそんな気持ち全て載せていたちゃぶ台をひっくり返された心境。

きっと仕事もそういう期待を持って回していたのなら気色悪い他無い。

ただただ、全部の行動が答え合わせの様に思い返されてつらい。

足元見られていたのか、私の仕事には興味なかったんだなと思うと悔しい。

一人でやっていくのが不安になってきた。彼は今電話番号も住所も握っている上司だという事が怖い。

一人である事の不安がこんな形でわいてくるなんて思ってもみなかったよ

今はただ女の飲み友達に笑ってもらっている。

友達はお前が悪いと言った。それもあるのかもしれない、でも今は笑ってビール飲みたい。

契約の月額聞けばよかったかな?なんてちょっと思ったけど。ビール持ってきて早く

2016-04-10

[]ガンダムシリーズ

 今日自身モデルにした数々の戦争映画が作られた「ヒトミ・イトウ」と「シズカ・メタバーナ」のカップル、あの宇宙世紀ロミオとジュリエットに直接話を聞いた。

 こんにちは

ヒトミ「れんPOW!」

シズカ「Gオン!」

ヒトミ・シズカ「「ラーブラブ!」」

 突然始まりましたけど、なんですか?

ヒトミ「これは今度やる一年戦争記念館を応援する番組連邦ジオンラブラブレイディオ』の挨拶です」

シズカ「ラーブラブ!」

 は?

ヒトミ「ええとですね、宇宙世紀の前、西暦時代子供向けのアニメーションに声を当てていた、声優と呼ばれる職業の方々やっていたアニラジという文化がありまして」

 は、はあ。

ヒトミ「そのアニラジでは、番組独自挨拶を作っていたんですよ」

 そうですか、どうでもいいですね。

シズカ「どうでもやくないやい!」

 すいません。

ヒトミ「『連邦ジオンラブラブレイディオ』は、サイド3FMで、一年戦争を知らない子供からラプラス事件を生で見た老人まで、幅広い年齢層に向けてお送りしています

 サイド3FM!?!?

シズカ「提供スジャータだよ」

ヒトミ「地球の人たちには、日本地方FM番組ムラサメ研究所のムラムラしない夜はコレを聞け! 』のスポンサーでお馴染みの、スジャータさんです」

 えー、スジャータ凄すぎない?

ヒトミ「スジャータさんは、仏教を通じてニュータイプ思想解釈していて、かの第二次ネオジオン戦争では、スジャータさんがインドで開催した「ニュータイプ修行ツアー」でニュータイプ覚醒した、少女が巨大MA活躍したって噂があるぐらい、地球にいながらも、アースノイドニュータイプに詳しいんですよ」

 本当っぽいけど嘘ですよね?

シズカ「嘘じゃないよ! あの百式とか作ったナガノ博士が「俺の嫁のクェスって子がね」って言ってたもん!」

 お前その理屈だと、ベルトーチカもナガノ博士の嫁になるじゃねえか、この記事はマフティーの動乱が起こってるらしきことを最後示唆して終わるんだからベルトーチカチルドレンと繋がらなくなるネタフリ辞めろや。

シズカ「急にメタ視点!」

 はい、仕切り直しです。

ヒトミ「すいません」

シズカ「ごめんね、ごめんねー」

 まず、お二人が何故「宇宙世紀ロミオとジュリエット」と呼ばれているのか?

 当然、自覚はありますよね。

ヒトミ「まあ、なんか再現映画とか作られましたからねえ」

シズカ「あの映画のヒトミちゃん可愛かった! けど、本物のヒトミちゃんの方が可愛い!」

ヒトミ「もーシズカーも、本物の方が可愛いよ」

 あれ、今気づきましたけど、この再現映画って設定、ジレ暗殺計画と被ってますね。

 しかも、あれも宇宙世紀100年頃の話だし。

ヒトミ「あのごめんなさい、いちゃつかないのでメタネタ辞めてください」

 わかりました。

 では、お二人の出会いについて教えてください。

ヒトミ「えーっと、83年の11月のことです」

 えーっと、あれですねデラーズ紛争と呼ばれる、ジオン軍の残党がコンペイトウで行われていた観艦式を襲撃した戦闘

ヒトミ「はい、あの現場に私はいました」

シズカ「シズカもでーす!」

 えー! そうなんですか? 映画だとお二人の出会いグリプス戦役だと描写されていたんですが?

ヒトミ「あれ、地球だとまだあのガンダムの話って禁句なんですか?」

シズカ「持たず、作らず、持ち込ませず」

 ガンダムちょっとよくわからないですが、その戦争でお二人は出会うんですよね。

ヒトミ「はい、私は観艦式の護衛として、ジム・ガードカスタムに搭乗していました。索敵任務中でした」

シズカ「シズカはドガッシャ戦艦攻撃してた!」

 ええと、モビルスーツ名前が色々出ましたが、ジム・ガードカスタムは、ジムカスタマイズ機ですよね?

ヒトミ「そうですね、当時も色々とジムカスタマイズ機は生産されてたんですが、私みたいなのに回ってくるのは、一年戦争当時の残り物でした。

ガードカスタムという名の通り、体が隠れるぐらいの大きいシールドが特徴的ですね」

 それは、やはり女性という立場から、そのような被弾しても問題ない丈夫なジムを振られた?

ヒトミ「いやー、関係ないでしょ。さっきのニュータイプ女の子の話じゃないけど、モビルスーツ操作技術性差関係ないと思いますよ」

 でも、歴代エースパイロットほとんどが男性ですよね。

ヒトミ「エース(笑)

シズカ「エース(笑)

 は?

ヒトミ「ごめんなさい」

シズカ「ごめんちゃい」

 で、シズカさんが乗っていたのが、ドガッシャ

シズカ「ドガー! シャア!」

 どんなモビルスーツなんですか?

シズカ「ハンマー!」

 なにそれこわい

ヒトミ「ガッシャっていう、水中専用MS宇宙対応したものなんだよね」

シズカ「そなの?」

 それで、連邦軍ジオン残党という、敵同士の関係がお二人のファーストインプレッションだったんですね。

 具体的にはそれぞれどう感じました? よく戦争映画では「このプレッシャー…… あいつか?」みたいな、やり取りが描かれますが。

ヒトミ「戦闘中のことは覚えてません」

シズカ「おなじくー」

 えー。

ヒトミ「しょうがないでしょ、お仕事中なんだから

シズカ「おなじくー」

 それもそうですね。

 そして、その戦闘でシズカさんを鹵獲したヒトミさん、お二人の恋はそれから始まるんですよね。

 何故、捕虜であるシズカさんのことを好きになったんですか?

ヒトミ「可愛かったから?」

シズカ「ぐへへー、かわいいーって言われたー」

 顔が?

ヒトミ「顔がですね」

シズカ「ぐへへー、顔かわいいー」

 ただその、シズカさんは所謂デザインベビーで、いわば作られた美なわけですよね。

 その点や、そういうった少女戦争の道具に使うジオンへの嫌悪感などはなかったんですか?

ヒトミ「ないなあ」

 そういうもんですか?

ヒトミ「そういうもんでしょ。デザインベビーっていう、生命に人の手が入る事への嫌悪感とか言い出したら、そもそもこうして地球から離れて宇宙で暮らす事自体おかしいでしょ」

 うーむ。

ヒトミ「所謂ありのまま』とか『自然が良い』みたいな思想アースノイドだけじゃなく、スペースノイドの人にもいます

ただそれって、アースノイドとかスペースノイドとか関係なく、地球を知ってる人の意見なんですよね」

 知っているとは?

ヒトミ「ようするに、地球にお世話してもらってた人ってことかなあ」

 お世話とはまた過激言葉を使いますね。

ヒトミ「酸素であるとか、水であるとか、そういうものをお世話してもらってるのは事実でしょ。宇宙じゃ全部自分でやらないと」

シズカ「食べ物もねー」

 ああ、なるほど。

 つまりアースノイドよりもスペースノイドの方が優れていると?

ヒトミ「それはないでしょ。お世話してもらえるならお世話してもらえばいい、苦労しないにこしたことはないよ」

 ええ!? なんかちゃぶ台返された感じが。

シズカ「私もヒトミちゃんにお世話してもらってるー」

ヒトミ「うん、それといっしょで、役割分担が違うだけなんですよね。アースノイドにはアースノイドの、スペースノイドにはスペースノイド長所短所があるんですから

 でも、ジオンスペースノイドの方が優位だと掲げていましたよね。

ヒトミ「私は思想家でも政治家でもなくて、ただのジオン軍人結婚した連邦軍人で、しかももう軍を辞めてて、責任を追わなくていい立場から、好きに言っちゃうけど、

例えば、ハマーンカーンアクシズで暗黒の世界に居るのが嫌だったのは、彼女アクシズ暮らし始めたのが、自分の選択じゃないからだと、思うんだよね」

 それは、棄民政策スペースコロニーという宇宙での暮らし強制された、初期の宇宙移民たち、つまりジオンズムダイクンにも通じると?

ヒトミ「そうだね。自分環境が変化したとき、それが自分の選択によるものじゃないとき、人はその変化に反発消化しないといけないんだよ」

 変化に反発?

ヒトミ「そう、変化。サイド3政治家の娘として暮らしていたが、突如アクシズ寒い宇宙に放り出されたハマーンカーンも、首総の息子であったために内紛に巻き込まれキャスバルも、それが受け入れられない変化だから反発したんだと、私は思ってる」

シズカ「ミネバちゃん」

 ミネバ? 確かにザビ家の遺児でありながら、先の戦争彼女ネオジオン側についていなかったようですね。

ヒトミ「そう、それは彼女物心いたこから、あの立場だったからじゃないかなあ。彼女にとって、ハマーンが耐えられない暗黒の世界は、日常だったんだよ」

 なんとなくわかってきました。

ヒトミ「宇宙世紀になって、人が宇宙で住み始めてもう100年です。

冒頭で少し話しした『アニラジ』が存在した時代では、

こうして私たちみたいな『女同士のカップル』が異常だ、マイノリティだ、と騒がれていたんです」

 え!?!?

 なぜ? 今じゃあ至って普通のことですよね?

ヒトミ「ね、何故? って思うでしょ」

シズカ「ふつうなのにねー」

ヒトミ「それは、人間生殖以外の目的を持っても良いぐらい豊になったからかもしれないし、科学進歩により同姓でも子供が作られるようになったからもしれないし、他者への寛容が進化たからかもしれないし、その逆に無関心なだけかもしれないし」

 アースノイドスペースノイドの争いも、そんな過去になると?

ヒトミ「どんどんコロニーが広がって行って、いつか地球のことを知りもしない子供たちが増えて、もう別の太陽系で暮らすようになったら、

きっと、また別の理由を見つけて争いが始まるんじゃないかなあ」

 争い自体は無くならないと、思っているわけですね。

ヒトミ「理屈は何にもでもくっつくからね、女同士の恋愛異端であることも、普通であることも、どっちにも理屈はくっつく。正しいか正しくないかは別として。

事実、こうしてサイド3では戦争が終わってウン十年を祝ってるのに、

地球じゃ特権階級もつ政治家を粛正しようと、マフティーなんてテロリストが暴れてる。

そして、何年先になるかはわからないけど、きっとまた独立を掲げるコロニーは出てくる。

もちろん中には、もう地球を見捨てて、コロニーだけで暮らして行く人たちも出てくる。

うそれすらも嫌になって、別の太陽系を目指す人も居るんだと思う。

でね、私はそんな苦労を、レコンギスタし続けることを、辞められないんです」

シズカ「辞めたくないよねー」

 それは何故?

ヒトミ「地球って重力があるからオッパイが垂れるんですって」

シズカ「ヒトミちゃんはオッパイ大きいから重力の影響も大きい。シズカは小さいから良いけど、ヒトミちゃんは死活問題40代特有の肉の付きやすさもあるし」

 下ネタ!?

ヒトミ「歌とセックスは、人間の最古の娯楽なんですよ」

 ヤックデカルチャー

シズカ「メタいよー」



 いやあ、面白いお話が聞けました。

 一年戦争という、人類の種としての存続が危ぶまれるような戦争を経て、人間がどう変わっていくのか、どこが変わらなくてもよいのか。

 そんな「人らしさ」を強く感じられるインタビューだったと思います

 それじゃあ、最後に何かあればどうぞ。

ヒトミ「えー『連邦ジオンラブラブレイディオ』以外にもラジオを中心に活動しています。詳しくは、Twitterを見てください」

シズカ「シズカはいつもヒトミちゃんと一緒だから、同じところを見てくださーい」

ヒトミ・シズカ「「明日がお陽さまの一日でありますように」」

2015-11-16

機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ

ろくでもない一日だったんよ。

休日出勤を早めに出て早めに片付けるつもりが、洗濯機が壊れて家を出たのがほとんど夕方でしょ、

から休日出勤しても目標未達でしょ、

帰りの終電で隣に座ったねーちゃんの凄まじい香水臭いに吐きかけるでしょ(あれは香水じゃなくておかしハーブだったのかも)、

漬け丼食べたくてマックスバリュで叩き売りの刺身買おうとしたらしょっぱいマグロの切り落としが900円超えでしょ、

仕方ないから塩鯖に切り替えて買い物してようやく家に帰ったら猫がゲロを五カ所でしょ、

片付けてやれやれベランダ一服してはっと思い出したのはそういや洗濯機乾燥メニューにしてなかったわって急いで洗濯機開けると脱水までしか終わってない濡れた洗濯物がもわぁって臭ってて仕方がないから匂い付きの柔軟剤多めに入れて洗い直しでしょ、

ああ、ひでぇ一日だ…と思いつつ昨日の風呂の湯を追い炊きして30分浸かってようやく人心地かと思いきや、

昨日の朝徹夜仕事で帰った後寝てる間に引っ掻いてどうも血管の近くだったらしく血がどくどく出てきて枕カバーと寝間着のパーカー血染めにした傷が、血行良くなったお陰でまた開いて風呂上がりの体に鮮血が滝のように流れて必死で拭きつつティッシュで傷口押さえて止血して、昨日はガーゼがあったからどうにかなったもの今日はそれもないので絆創膏貼ってその上にティッシュの束をテーピングで止めてどうにかこうにか流血をおさめてやれやれでしょ、

そうこうしてるうちにもう丑三つ時の二時で、そもそも鬱で医者にかかってるくらいだからこんな感じだと何で俺生きてこんなことに右往左往してんだろ的方向に精神偏向してて晩飯もういいかと思ったけどでも買っちゃったからには後で処理が大変だからってさっきの塩鯖焼いたらグリルを予熱しておくの忘れて網に焼き付いて身をぼろぼろ持っていかれるでしょ、

一緒に食べようと思ってたメカブ賞味期限切れてるでしょ、

いいよ食うよってボロボロ鯖と期限切れメカブと総菜パウチひじき豆と昨日の朝の会社帰りに買ってちょっと食べたけどあんまりおいしくなくて大半が残ってたセブンシナチクちゃぶ台に広げて、ぐい飲みになみなみ安酒注いで、さあ、って2時半だけどディナータイムって、お供に録画してたガンダム再生ですよ。

おもしろい。めっちゃあつい。この興奮。箸もぐい飲みも停まる。音楽シナリオストーリーSF設定も(体当たり艦船のメイン打撃力!)ロボットの動かし方も最高。なんかこの、こう、知ってるこの興奮って、スターウォーズときのあれだ、スターウォーズ級にわくわくする。

このくそろくでもない一日が、この30分でもうなんかもう、良かった、気持ちよく寝られる。明日朝辛いだろうけど、首の傷からまた大量出血かもだけど、いい、いいよもう、気持ちよく寝られる。


鉄血のオルフェンズスタッフのみなさん、最高です。

今まで円盤買ったのはスターウォーズスカイクロラだけだったけど、オルフェンズも買います。最高。

2015-07-29

大手企業派遣社員に叱られる中小企業課長レベルおっさんの話

今日仕事問題のある取引先を呼んでお説教する会が開催されたのですが

ある取引先担当者さん(課長レベル)の考え方や態度に腹が立って、耐えられなくなってキレてしまった。

取引先さんのほうである問題が発生したので

それを解決するためのやるべきことを提示したのに拒否

別の方法提示してたのに放置放置してるから問題が解決せず

ただただ取引先担当者さんの手間が増える…という状況なのに

担当者の方は、問題解決策をすべて放置してる事に何の悪びれもなく

手間が増えてることに対する文句を言ってきたので

ちょっと待ってください。。。」とそこからちゃぶ台をひっくり返す勢いで色々と言いまくってしまった。

自分義務も果たさないで、相手に文句だけを言う資格がお有りで??って感じです。

いい加減な態度で、いい加減な仕事して、いいお給料貰ってるんだから本当にうらやましい限りです(´・ω・`)

こういう誠意のない取引先とは取引をスッパリ止めたいところですが

まぁ会社間はそうはいかないですからね…。

ビジネスの場なので、タンカ切るのはあまり好ましくなかったなぁと反省中。

上司からスコシオサエテ」と言われ、私はいったん引っ込んで

取引先には上司から冷静かつ辛辣なお叱りしてもらいました。

いい加減な仕事してると、結果が見えるようにわかるんですよ。残念ながら。

口だけ上手いことを言ってても結果に出ないんじゃ

ああ、口だけなんだなって思われてしまう現状です。

この課長さん、4月から担当になって頑張ってくれてるんだけど

どうにもこうにも「自分絶対悪くない。悪いのはシステム、前任者、親会社(親会社呼ぼうとするとビビって訂正してくる)」

というスタンスなので始末におえない。

ちなみに3月までの前任者(これも課長クラス)も

私に対しての「早く担当者変わらないですかね~」とか言ってくる無礼者だった。

「お互い、担当者は選べませんからねー」と返した翌日そいつが社内で異動になった。笑

派遣社員からあんまり出しゃばりたくないけど、悪いことは悪い、いいことはいい、とハッキリ言うべきだと思ってます

2015-07-28

親しい友人との軋轢

親しい友人がいる。同僚である。かなり狭いたった数人だけの会社(のような場所)で、経営軌道に乗せようと尽力している。

私は基本的に彼の言いなりである。彼は自分の非を認めたがらないし、認めさせるのにかなりの労力を使うので、彼の言い分をすべて聞くのが最も効率が良い。

しかし私にも気に入らないことはある。その反論をすべて彼は「正論に対する拒否反応」として、取り合ってくれない。私が理屈を立てても、「屁理屈」とちゃぶ台を返し取り合わない。

それでも私たちは友人である。そんな関係が続いてくると、仲が良いのか悪いのか分からなくなってくる。彼は仕事の話をプライベートの機嫌に反映させることがよくあるので困る。

彼と私の間の問題抽象化すると、大体一つの問題に収まる。

「彼が正論と称するもの問題があり、私がその問題の解決を提案すると、彼の機嫌(と物言い)が悪くなる」これに尽きるのである

私はそういう仕事の仕方が嫌いである。彼が間違っている場合に、軌道修正にすさまじい労力が生じるのである。それがプロジェクトに悪影響を及ぼしたことが、過去幾度もあった。

彼に対してそういう問題改善を求めると、もはや人間性に対する非難になる。そこまで踏み込まずに、言い方を考えて来たが、最近限界を迎えてきた。

いっそ人間ごと変わってもらうために、友人としての関係は捨てて、彼に改善を迫るほかないのだろうか?

2015-03-26

途中でちゃぶ台返されると怒る気持ちはわかる

途中でちゃぶ台ひっくり返されて怒る気持ちはわかるけど、

ちゃぶ台の上の糞料理を作ったお前はどうなんだと言いたいけど言わない。

あと、糞料理を作るのを傍観していただけの料理長にも殺意が湧くけど殺さない。

2014-10-19

世の中なんでもリモコンにしすぎだわ

エアコン扇風機、照明とか、一度スイッチ入れたらほぼ放置するような機械までリモコンにしてもしょうがないだろ。

テレビなんかは、チャンネルかえるから必然性あるけど。

エアコンは昔のやつみたいに有線で壁に固定するコントローラーでいいじゃん。

エアコンリモコンは壁のフックにひっかけて、固定コントローラーと同じような使い方しかしてないけど、壁にぶら下げたままじゃ角度的に赤外線が届かないから一度手にもってエアコンに向けないといけないから面倒だし。(ちゃぶ台の上に置いておくと絶対どこかに行って探すことになるから、壁にぶら下げて使い終わったら速攻で戻すって使い方以外したくない)

扇風機リモコンなんか冬にしまって夏に出すと、絶対リモコンが紛失していて結局本体操作になるし。

家電無駄リモコンつけすぎだわ。

2014-09-05

なんでみんなネトゲなんて出来るの?

ゲーム延命措置のために経験値やドロップのテーブルがスッゲー無駄に引き伸ばされてるんだぜ?

普通ゲーム経験値テーブルが巨人の星星一徹がひっくり返してたちゃぶ台だとすると、

ネトゲのテーブルはそれこそ幅3mで長さ3kmの超超超超超長机だよ。

そんなの百も承知でお前らがマッゾいレベリングアイテム集めに挑めるのはどんな理由があるんだよ。

2014-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20140726140248

君の考えを引用を中心にまとめるとこうなると思うんだよね。

「彼の心理を理解したいから」、「彼がどういう心理状況で日々を暮らしてきたのかを真剣想像してみよう」。そのための道筋として、「これまでの経験や嗜好というドットのつながりと、起こした行動の間に、関連性を見出すのは自然だ」。というのも、自分自身の「これまでの経験や嗜好というドット」をつなぎ結ぶことで人は誰しも自分の「人生ストーリーを描いて」いるからだ。それは時として当人にとっても「明確に意識されていない」ものかもしれないが、必ずや「ある種の心理的状況」を作り出すことを通して、「自分自身を把握し、ある行動を起こす」ことへと導くものだ。だから、「この犯人場合であれば」、たとえ「アニメカント博士課程無職」といったそれぞれの単体では心理や把握している自分人生というものに影響をもたなくとも、それらの「組み合わせというのが、犯罪と密接な関係を持っているということは認めるべき」だ。

この考えの前提の部分はともかくとして、気になるところがいくつかあるんだよね。

一つ目。君は個人を構成する「経験や嗜好」そのものではなく、それらの組み合わせが人格を作り上げると主張しているようだけど、ここでは「経験や嗜好」や経歴をそれ単体だけで取り上げた、何の変哲もない感想しか述べられてないよね。たとえば、博士課程へ進学しながら「まともな職を得られないというのは、精神的にきつい」としている。また、美少女アニメは「容易に現実逃避対象」となるので、「それが現実対処能力を下げうる危険性がある」としている。そしてカント好きという要素についても、カント理解に「誤解が生じた」、あるいは「なぜカント言葉に従えなかったのか」という問いを立てている。これらはいずれも「組み合わせ」をもとにして作り出された「人生ストーリー」などではなく、単体の要素から「人物判断をイコールで導き出し」てしまっている好例ではないの? これがステレオタイプとどうちがうのか私には分からないんだよね。君は報道された経歴や嗜好をひとつひとつラバラに一瞥する。「高学歴無職ってきつそう」「美少女アニメ好きって現実から逃げてるよね」「カント好きならこんなことしないよな」と、ありきたりな印象を述べながら。そして次に、そのように吐き出された感想自分自身同意するかのように、君は犯人に対して「共感」を示す。「ああ、こういうことの組み合わせで、こういうことを起こす心理状況になるのは分からんでもないなぁ」と。でもそれは「人生ストーリー」を形作る組み合わせでもなんでもない。もしそうなら、どうして犯人と同じ経歴や嗜好を持つ人が同じ犯罪を起こさないのだろうか? つまりこれはただのステレオタイプの組み合わせなわけで、君は君自身が抱くステレオタイプを用いて他人の心理状況を説明してしまっているんだよね。君の共感というのも、説明づけられた他人に対してではなく、ステレオタイプで分類された他人に対して示されたものではないの? 君はステレオタイプが確かに正しかったという結論に「empathy=in+pathos」したのではないの?

二つ目。君は自分の考えの前提と実際にやっていることのズレに半ば自覚的なようなので、こんな答弁を返しているね。

経験は無数なのだから、どれをつないで自分ストーリーを作るかは恣意的だ。」

どうせ「恣意的なのだから、みんな好き勝手解釈すればいいし、自由に「彼のストーリー仮説」を作ればいいとちゃぶ台を返してしまうことで、君は犯人の「心理的状況を真剣に考え」るという当初の名目をもはや捨て去っているように見える。それでも君は自分感想は「否定されること」ではなく、当初の目的に沿ったものだと弁護してこう言い張っているね。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う。」ここで、奇妙な言い換えが起こっている。君は始め、ステレオタイプに頼らず「真剣想像」することは彼の心理を「理解」するための方法だという主旨を述べたはずだよね。ところがここでは、みんなが自分立場から好き勝手感想を言うことそれ自体重要性をアピールしている。こうなってしまうと、「これまでの経験や嗜好というドットのつながり」や「人生ストーリー」が個人の心理を解き明かす上でどのように求められるのか分からなくなってくる。それどころか、君はむしろ好きこのんステレオタイプに基づいた判断をしたがっており、「人生ストーリー」というものが「人物判断をイコールで導き出」されたもの美辞麗句にさえ思えてくるんだよね。

三つ目。「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができない」というが、なぜ心理を想像するのに報道マスメディアの断片的な情報があえて必要なの? 君は人生ストーリーを把握するためには「彼の供述を待つ必要がある」、「インタビューしてみないと分からない」と述べている。にも関わらず、供述を待つまでもなく、君は自分感想積極的に垂れ流しているよね。これによって、経歴についての君の感想は心理を理解するための方策ではなく、心理を想像するための過程ですらないと告白してしまっているように見える。ではそれは何なのかというと、報道をもとに君が抱いたステレオタイプ人格に他ならないんじゃないの? そしてなぜそのようなありきたりな感想に対して慎重に対処しようとしないの?

まとめると、君は終始、他人人格自分偏見をもってステレオタイプに説明づけることしかしてないんだよね。そして他人からこの事実を指摘=説明されることから逃れるために、ありもしない高尚な動機を後づけでくっつけているように見える。君は二枚舌を使いまわしてこう主張する。「犯罪と結びつけるステレオタイプ排除しなければならない」。たとえ自身ステレオタイプにはまっていようとも、それは犯人の心理を理解したいから彼のストーリー仮説を作っているからであって、誤りではないということだ。

さらに滑稽なのは、「人の心理を想像するうえで、そういった作業は欠くことができないとさえ僕は思う」と、下衆な報道野次馬的に楽しむことを高らかに正当化していることだよね。カントは、ある善を実現するためには、それを信奉する万人が等しく同一の道徳規則に無条件にしたがわねばならないとしている。君の場合はまるで逆だ。君は君の判断を正当化するために、あるはずもなかった善を先取りして捏造してみせた。そしてその結果として君の行為はゆいいつ美しいものとなるはずだったけど、あまりにも目論見が馬鹿げているために君はそれさえも失敗した。紆余曲折したあまり最後には、ステレオタイプに基づいた判断のすべてが個人の心理状況を理解するための尊い「哲学的な問い」だという結論に逢着したようだけど、なるほど、これは確かにカントを逆順に理解したものだね。君は自分自身の身勝手行為から出発して万人に当てはまる倫理を作り上げたんだよ。

大した「カント好き」の人間だよ、君は。

http://anond.hatelabo.jp/20140727100737

明治25年頃であるなら、

○茶箪笥

ちゃぶ台

?雪見障子

かな~。

箪笥は昔からあるけど、ちゃぶ台明治20年頃から

雪見障子は板ガラスが入っているなら、明治30年以後でないと国産ガラスが手に入らない。

輸入ガラスならあり得ないとは言い切れないけどね。

民俗明治居間は既に戦後と変わらない?

NHKの『芙蓉の人』ってドラマたまたま見たんだけど、明治25年頃の話なのに、どうも室内セットの雰囲気昭和っぽい。

多用されてる雪見障子とか壁際に映る茶箪笥、真ん中にデンと置いてあるちゃぶ台

NHKの事だから 時代考証入ってるんだと思いたいけど、あれで、あってるの??

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