はてなキーワード: 星一徹とは
星一徹さんこんばんはー!⚾
男か、もしくは星一徹しか知らない女は「星一徹」しか連想しないから「ちゃぶ台びっくり返しそう」みたいなレスポンスが返ってくる。
スケベな女はAV男優の「一徹」を連想するから「頑固」と紐づけできなくて「え」みたいな困惑や動揺した反応する。(このときに揺さぶるとキモがられるので「巨人の星の主人公のお父さん」ってことは間髪入れず教えてあげよう。それが紳士の役割だぞ。約束だぞ)
どっちも知らない女は「誰それ?」「誰ですか」「人?」て反応する。
はてなの逆張り連中は否定するけど、体感として精度高かった。「一徹くんって頑固なの?」って返してきたレアケースはいたけど、オープンスケベ女だったのであれはノーカン。
→ Twitter で医師を拾ってきて Google のソフトウェアエンジニアにするだけの簡単なお仕事 - 白のカピバラの逆極限 S.144-3
「超優秀な人間が、地方の劣った人間を見下すな」という趣旨だ。
元の文章に「田舎初段」という言葉が出てくる。素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中を指して揶揄した言葉だ。頂上感が自尊心のコアになっている時に尊大な田舎初段を見ると、本物はどういう事か教えてあげるために、ちょっと捻ってみたくなる気持ちはよく分かる。
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聞く方は羽生名人が田舎初段を捻り潰すのを見るような後味の悪い感じがしてしまうものだ。
羽生名人はそんな事をしなくていい。あなたの優秀さはそんな事をしなくたって周りの人に伝わっているから大丈夫ですよ、と言いたくなる。
まったく低レベルの曲解なので、呆れてしまう。元記事のブコメも、同趣旨の理解が多いようだ。しかしそれらはすべて誤読である。では、正しくはどう理解するべきかを示そう。
「田舎初段」という言葉の意味は、「井の中の蛙、大海を知らず」というのとほぼ同義である。ただしそれに「自惚れ」「過信」という意味が加わる。
そして、その言葉で示されるのに典型的な事例は、「素人よりは段違いに上手だが、その道のプロから見ると桁違いに下手、という真ん中」ではない。つまり、「二流」や「一流半」ではない。
では何かというと、たとえば菅首相だ。
・ 自分はすごく頭がいいと自惚れる。
最後の一点に限っていえば、はてなーの好きな「トンデモ」という用語に当てはまる一種だ。しかも、自惚れの度が強い。
こういう人間が、周囲の反対を押し切って、「緊急事態宣言の解除」とか、「GoTo イート」とか、「ふるさと納税」みたいな自己流の方針を貫徹する。そして、そばにいるエリートが反対すると、そのエリートを左遷する。他人の言うことを聞かないのが絶対的に正しいと信じている。
ここまで言えば、わかるだろう。元のブログ記事は、「二流の人材を侮辱している」のではない。「一流の人間たるもの、田舎初段になってはいけない」というふうに、一流の人間に向かって「戒めの言葉」を示しているのだ。
なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。
学者とかでも、他分野に友人が十分にいれば、そう踏み間違えないが、孤独ならばどんどんおかしなことを言い始めます。
これを止められるのは、かなり簡単に狂うことを意識していることと分野を超えた人間関係があることが揃っている場合くらいでしょう。
普段から様々な分野の学者と話し合っていると、およそまともではない専門家の意見がネットで飛び交っているのがよく分かります。
ここでは田舎の二流人間が批判されているのではない。一流の専門家が批判されているのだ。どう批判されているかというと、一分野に偏ってタコツボ化した専門家だ。そういうタコツボ化した専門家が、
「なにかの分野では一廉でも別分野では田舎初段に容易になるということです。」
の事例となるのだ。
たとえば、Wikipedia の英語版にも掲載されるような、非常に優秀なプログラマーがいる。
→ https://en.wikipedia.org/wiki/Kohsuke_Kawaguchi
こういう超優秀なプログラマーでさえ、日本語をまともに理解することができず、見当違いな批判を書いてしまう。自分の分野から、ちょっとはみ出ると、まともに理解することもできなくなってしまうわけだ。これこそ、元記事で「あってはならない事例」として示された例だ。
――
元記事を「超エリートの自慢」「頂点に上り詰めた人が他人を見下す」「狭い領域で頂点に立って自惚れている」というふうに受け止めるのは、勘違いだ。
では、どう受け取るのが正しいか?
元記事では、普通の人々は、まともに視野に入っていない。それらは言及外であって、良いとも悪いとも言っていないし、見下してもいない。もともと視野に入っていないのである。
視野に入っているのは、エリートクラスの人々だけだ。そして、そのなかで、どういうふうにあるべきかを考えている。
そのとき、彼自身は、自分を「エリート」とは考えていない。むしろ「エリートの中の落伍者」と考えている。元記事のそのまた元記事になった人もそうだが、「東大理3から、プログラマーに転じた」という経歴らしい。これは、医学の道でも、プログラマーの道でも、どちらでも大成しなかったということだ。筑駒や理3の卒業生の中では、(やや)落ちこぼれ組に入る。
はてなー中では、「グーグルに勤務して年収 3000万円」というのは、「凡人社会の頂点にいる」というふうに見えるのだろう。だが、筑駒や理3の卒業生の中では、医者としてもプログラマーとしても大成しなかったというのは、(やや)落ちこぼれ組に入るのだ。
ちなみに、私の知人(同級生)の多くは、国立大学教授や理研の研究員として大成している。世間的には超一流の肩書きを持つ。そういう仲間と比べると、今回の人々は、頂点どころか、(やや)落ちこぼれ組というしかない。威張れるのは、年収だけだろう。(公務員研究者は、年収が高くないので。)
元記事を書いた人や、そのまた元記事を書いた人は、非常に優れた才能の持ち主だ。(後者は高校時代に数学オリンピックに出たらしい。)しかし、その生まれ持った才能を生かすことには失敗しているのである。才能は素晴らしいが、才能を生かすことには失敗したのだ。
そして、そのことを、私は批判しているわけではないし、侮辱しているのでもない。「人生の選択肢で道を間違えたね」と感じて、「可哀想に」と憐れみを感じるだけだ。「私も道を一歩踏み間違えたら、こういう無駄な人生を送っていたかもしれない」と感じて、自分の幸運を感じることもある。
(蛇足)
たぶん、道の選択を間違えた人と、成功した人との違いは、周囲の人々の影響の差だろう。周囲に素晴らしい人がいれば、道をあやまたずに、正しい道を進むことができる。そして、そういう機会のなかったエリートには、同情を禁じえない。
私はグーグルのプログラマーなんかにならないで済んだが、それは本当に幸運だった。(そしてそれは、人生の最初に、素晴らしい女性との出会いがあったからなんだ。そしてまた、高校時代に、素晴らしい教師を知りえたからでもある。それは優しい親切な教師ではなく、星一徹のような鬼教師だったが。)
俺の父親は凄まじいDV夫で俺は物心ついた時から母親がぼろ雑巾みたいに扱われる様を間近で見てきた
父親のDVはマジで手加減無用って感じで、気絶するまで殴ることもあった
星一徹じゃないけどマジで何が親父の怒りのスイッチを押すかわからなくて怖かった
俺は身長が180近くあるのだけど俺より頭1つ小さい男性に対して膝が震えてくる時がある
小学生の頃に母と父が別れて(簡単には別れられなくて色々あったけど割愛)俺は母に引き連れられて母子家庭になった
喋ろうと思っても何も喋れない
でも家に帰るとすらすらと会話することができる
今ならそれが場面緘黙症という症状だと理解できるけど、当時の俺は本当に自分が情けなかった
またその頃の俺は自分の髪の毛を抜く癖があった
それも今では抜毛症という症状だと理解できるが当時はそんなことわからなかった
余談だがそのせいで中高時代は髪の毛のボリュームについて悩んだりした
クラスメイトの前でズボンを下げられたり、単純にタコ殴りにされたり、私物を破壊されたり窃盗されたりもう滅茶苦茶だった
男も女も関係ない
というより人間が社会的動物だから俺みたいな不安分子が標的に遭うのか
そんなこと考えたって何の解決にもならないけど
情けない話だけど、中学の時なんて自分より20センチは小さい同級生にされるがままだった
俺はあのDV親父の息子なのにどうして殴られても殴りかえせないんだって自分でも不思議だった
俺は特段優しい人間などではないと思う
人並みに昆虫とか殺してきたし、GTAで市民を虐殺したりして遊んでたし
でもどうしてか人間を殴ることはできなかった
殴られても殴られても俺は殴り返せなかった
強さに憧れてブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て身体を鍛えたりして、中学の頃なんか腹筋がハッキリ割れて見えるくらい筋トレしたのに実戦では殴られてばかりだった
まあそんなこんなで陰惨な思春期を過ごして大人になった俺は、今でも人と接する時は挙動不審になる
そんな折に育ちの良い奴最強!みたいな話題に触れてしまったのでマジで心抉られてる
20代はまともな恋愛ができず、31で始めて恋人と呼べる大切な人ができた。
その人とは5年半付き合って2年くっついたり離れたりあって延べ7年半一緒だった。
付き合う時に、結婚はしない、という条件がありそれを承諾してつきあった。同棲した。友人や親戚の結婚式にも一緒に出た。でも別れた。最後まで本当に幸せだった。
そのあと3人の恋人ができて、同棲もした。なかには親にあってくれた人もいた。そう、この人はたくさんの幸せをくれた。心から感謝している。結婚を夢見ることができたよ、ありがとう。愛された記憶を大事にこれから生きていきます。
振られた全員に共通して指摘されたことは、ヒステリックなところだ。激昂するのがよくないらしい。最近の人に対しては自分なりに学習して、冷静になっていたが、過去の私を知らないので比較できず意味がなかった。怒鳴らなくなったんだけどなあ。
星一徹並みのキレ方から、のび太くんの癇癪くらいのテンションにまでは下がったと思うのだけどだめらしい。あ、手は出してないよ。
もう本当に一人は嫌すぎる。
こんな私にできるだろうか。