はてなキーワード: 馬力とは
予定通り、本日で身辺整理を終えたので、記念に書き残していく。
この2018年は、一昨年末に退職した直後から悪化した鬱病の治療に徹する一年だった。
失業保険をいただきながら、求職活動と並行して、障害の治療をしながら、トラウマ緩和ケアを自力で行った。
よくなったと思ってはまたドン底に沈み、を繰り返し、あっという間に一年が過ぎた。
どんなに自分の心と向き合っても、フラッシュバックのつらさは少しも軽くならなかった。
むしろ次のステップに進もうとすると悪魔の囁きみたいに、何気ないことから連想されて一気にグルグル思考に突き飛ばしてくる。
深夜二時まで会議室で「なんで出来ないんだ」と責められ続けたこと。
毎日深夜残業しても私一人の能力では業務が収まらなくて土日祝日関係なく出社していたこと(私もホワイト化を妨げたくてしていたわけじゃない、ただ本当に必死だった)
「未経験で、部下も持ったことがありませんが大丈夫ですか?」と何度も確認したが「うちは未経験しかいない部署だから大丈夫」と言われ入社を決めたが、フォローしてくれるどころか毎日未経験業務について出来ないことを責められ続け、この会社には仲間など誰もいないのだと入社半年で絶望したこと。
(思えば東京にいた半年間で私は完全に鬱病になっていた。自殺を考え始めたのは丁度9月くらいだったので)
同僚たちの「仕事しろよ」「病気を理由にするな」「言い訳するな」「発達障害じゃなくて性格だから、それ」という言葉。
藁にもすがる思いで信頼して相談していたマネージャーKさんの、退職意向を伝えた際の嬉しそうな表情。
病院の先生は「脳の障害なので、性格とは違います」と言い聞かせてくれたが、私は今も自分を責めることをやめられずにいる。
なんでこんな欠陥品の自分が生きているのだろう?申し訳ない、申し訳ない…と、そんなことばかりが頭を巡る日々だった。
確かに発達障害は、脳の機能障害なのかもしれないが、世間の見方はそうではない…と、私は感じている。
今の世の中は、タレントなどの有名人や、著名人、成果を創出する優秀な発達障害者だけが、「私は発達障害です」と言っていいのだと思う。
そうではない凡人の発達障害者が公言すれば、「逃げている」「言い訳だ」と責められる。
少なくとも私はそうだった。
ごめんなさい。
ミスを繰り返して本当にごめんなさい。
席にじっとしていられなくて、すみません。
チームの和を乱すようなことをして本当に申し訳ございませんでした。
こんな出来損ないな自分が、生きていて、人並みに働こうなんておこがましいことを考えて、皆さんに多大なご迷惑をおかけして、本当に、ごめんなさい。
とても転勤できる状態にないのに、「東京にまた転勤するしかない」と言い渡され、それがきっかけて依願退職することになりましたが、「やっと辞めてくれるのか」と言わんばかりの嬉しそうな表情が忘れられません。
その時になってようやく、「辞めてほしがっていたんだ」と気が付きました。
察する能力に欠けるので、ずっと気づいてあげられなくてごめんなさい。
口では「力になれず申し訳ない」と言っていましたが、目はらんらんと輝いていたので、正直な人だなと思いました。
ただ、そのあと退職届の提出を催促してきたのには、裏切られた思いがしました。
「○○さんも決めたら色々動くこともあるだろうから手続きを急ごう」とおっしゃっていましたが、私が、ではなく、Kさんが「○○の気が変わらない内に既成事実にしなければ」と焦っていたのですよね。
一年たった今思い返すと、あの転勤命令は、解雇通告だったのだと納得しています。
転勤できる病状ではないことは、お伝えしていましたので。
会社的にダイバーシティを推進しており、『誠実』『仲間』といったコアバリューを掲げている手前、外堀から固めていくほかなかったのだと思いますが、本当なら「すまん、今の状況的に面倒見きれん」とハッキリ仰っていただいた方が、よっぽど誠実で仲間思いだったと思います。
少なくともこれほど裏切られた感じは強くなく、傷も浅かったと思います。
会社の情勢的に今そういう(ダイバーシティを実現する)馬力はないのだ、と納得できますから。
けど、「仕事しろよ」と言われたのは本当に、今も日に何度も思い出されます。
また、皆の前で叱るのだけは辞めてほしいと何度もお願いしましたが、聞き入れてもらえなかっただけでなく、インターンシップ実施中に学生の前でも辛く当たられたのは血の気が引く思いでした。
とにかく学生に会社に対して悪印象を持たれないように取り繕うのに必死でしたが、あの時の態度は後々ボディブローのように効いてきました。
皆で行く予定だったスノボ旅行、最後に形だけでも参加できればと思っていたので、Facebookアカウントをブロックされたのは本当に悲しかった。
あの頃にはもう、記憶障害も進行していたのだけど、皆と過ごす時間の楽しさだけは覚えていたから、なんとか参加できればと体調調整していたのだけど、新入社員歓迎会も参加拒否されたうえのブロックだったので、本当にとても悲しかったです。
治療しようと決めたのはあなたのおかげで、なんとかうまくやるためにも、一時的にチームと距離を置くような形になると思う、と話していて、納得してくれていると思っていたけど、心の中では嫌悪していたこと、まったく気が付かなくてごめんなさい。
あなたは健康で、バリバリ働けるからこそ、ハンディキャップを持っている人のことなど理解できなくて当然です。
(私も自分がハンディキャップを持っているという言い方をしたくない、そんな自分が嫌にもなる…けど、この隔たりをどう伝えたらいいか今の私には他に思いつかない)
あなたがこの先、体調を崩すことがあったときに初めて、私がどんな思いでいたか理解してもらえるんじゃないかと、そんな期待をほんの少しだけ、まだ持っている自分がいます。
私怨から事あるごとに因縁をつけられ、その都度こちらから歩み寄る努力をしていましたが、徒労に終わっただけでした。
また、拠点長代理という立場になると、今度は因縁をつけるのではなく明確に排除しはじめたのも印象的でした。
心の弱い人間が権力を持つとどうなるか、よくない方の典型的なパターンだと思いました。
責任ある立場の方なので、迷惑をかけまいと、また理解を得るために私の治療状況についても早い段階でお伝えしましたが、それがかえってよくなかったと思い知るのに時間はかかりませんでした。
あなたが抱えている弱者蔑視、女性軽視、年齢差別、依怙贔屓といった数々の排他的行動原理は、どう取り繕っても人間性から滲み出てしまうものだと思います。
願わくばあなたが、自分の感情を優先しない冷静で平等な管理者となりますように、お祈りしています。
あと、この会社に限らず、ダイバーシティ推進とかいって障害者雇用だの多様性を活かすだのと、そんな包容力もないのに表面上だけ推進すると、(私が色んな人に迷惑をかけたように)無実の罪を量産することになると思うので、能力が低い発達障害者にあまり期待を持たせないでください。
もう死ぬのだし、言いたいことを吐き出してやろうと思い、心の中に溜まっていたことを綴らせていただきました。
それでいいと今は思っています。
意味があったほうが今の私には重すぎて逆に辛いので、無意味に死んでいけることを幸せに思います。
https://note.mu/tonoike0604/n/n611642c5f61c
元東大からの意見。これだけネット社会になったのにこんな意見しかなかったようなので、ちゃんと書いておく。
最近はTwitterとかでいろんなすごい意見が見えるから、そういうのを見て、若者の意見ももうすこしフラットに見えるのかな
と思ったらSNSもなかった時代の俺とあんま変わらない化石のような東大、エリート観が書かれていたのでいろいろ知った上で選択をしてほしい。
こういう18歳ぐらいの人はやっぱ社会しらないから、意見が偏ったり、むしろ生きづらい意見になりやすい。
彼の苦労は半分くらいしかわからないけど、大人からの意見を書いておく。
(かなり殴り書きなので読みづらさは容赦してな)
勉強が得意で他が不得意だったら、士業狙わないと意味ない。法律は、やはり大学入ってから更に資格取る戦争しないといけないから
だから、中高一貫校に入った時点でむしろ最低東大を狙わないとやばいって感じの高校だったから、ほとんどの人は医学部志向。
ほとんどは東大 or 他の大学という選択をしてなくて、医学部 or 東大という選択をしていることが多い。
気持ち悪いけど。
なので、東大に入って純粋に東大で研究したいって言っている層がいることを知って驚いた。
彼らは純粋に勉強や研究や学問が自然に好きで、きっちり大学でも勉強し、いろんな才能(デザイナーやら、普通のメーカーやら
商社やら)を発揮していく。かれらの30%は医学部にも普通に受かるし、なんなら東大医学部も普通にいける。
菊川怜とか慶応の医学部いけるのに、東大で建築やって、さらにアナウンサー目指して、今はケツでメガネ踏んで、衝撃しか無い。
こういう東大は都内から輩出されやすい。親が結構金もっていて、しかも別に親戚も東大とか医者とかワサワサいる。
俺は彼らはやっぱ、普通の人にはないライフハックの術をなんとなく聞いて、余裕もあるから勉強もして、爽やかに東大に入っている
気がする。本当はそういう人がこういうのを書いてほしいけど。
就職活動で外資系投資銀行とか狙いにいくようなのは東大の一部(ロンダとかもおおい)早慶とかになってきて、ようは東大生って
あんまガツガツするの好きじゃない。良くないところでもある。まったり霞くっていきたい人多め。
卒業後、会社でははむしろ早慶トップとの戦い、こいつらはまた、レベルが高い。馬力や見た目もかっこよくて、また実業家の息子だったりする。
株とかやってたり、やっぱ強い。結局士業やってないとまたこれと戦い。
自分はずっと医学部再受験すべきとのムラムラしながらなんとか自分の人生の路線を選ぶのに時間がかかった。
なんども医学部再受験を考えた。いまは、もうそういう道いきたくない。6年も医学部行ってられない。
やりたいこともあるし。
このような葛藤はでも結構多くの人間がしていると思う。日本だけではないらしい。
アメリカとかも創業の文化があるというけど、マシオカが言っていたけど、やっぱエリートは医学部志向らしい。
アメリカの高校もトップは医者狙い。それに起業文化が少しの地域ではデプロイされているぐらい。
俺はずっと医学部再受験を考え続けたし、本当はそれがよかったのかもしれない。でも仕方がないから今の人生を歩んでいる。
新雪 降ったばかりのパウダースノー グリップも効き楽しいウインタードライブが楽しめる。雪は軽い。
↓
圧雪 新雪をたくさんの車が踏みつけて圧縮された状態 凍結路に近づきグリップしにくくなる。
↓
凍結路 圧雪が気温の低下により凍結した路面。昼間の往来で圧雪になり、夜間に凍結路に変化する。凹凸がなく、平滑であれば大丈夫。チェーンで凍結路に凹凸を刻まれると40km/hくらいまでしか加速できなくなり、振動がひどい。
↓
シャーベット状の雪 圧雪や凍結路が昼間の気温上昇で、水と雪が混ざり合った状態になったもの。重い。厚さがあるとハンドルを取られる。チェーンは効かない。
と変化する。
雪国では、夏タイヤともいわれるタイヤ。普通のタイヤです。騒音が静かとか溝が少なめでグリップ性能がよいとかは、今回のお話ではほとんど関係ありません。
ノーマルタイヤで雪道は走れるのかというと、他の車がいなければ走れるという答えが正解です。これまた、付帯条件が付くのですが、車両最低高より積雪がなく、降ったばかりの新雪であり、気温が0度以下で、できればより寒いほうがよく、新雪の下はアイスバーンではなく舗装道路であることが条件です。加速は3速固定、減速は2速のエンブレで行います。ブレーキは使っちゃだめです。
つまり、今頃の時期にほかに誰も走っていない峠で、急に雪が10㎝くらい降ってもなんとか無事に走れるということです。
これ以外のときは、ノーマルタイヤでの走行は、だいたい事故ると思います。この条件が変化したときは、付帯条件を満たさなくなるため、危険です。たとえば、ほかの車が増える時間帯になれば、雪質が新雪からシャーベット状に変わり、ノーマルタイヤの溝では車をコントロールできなくなります。
雪国で冬タイヤと呼ばれるタイヤ。柔らかめのゴムが使われており、細い溝がたくさんついている。ゴムの中には各社の秘伝の成分が配合されている。細い溝は、シャーベット状の雪対策と氷面での排水対策、ゴムに混ぜた秘伝の成分は氷面では摩擦を増やして止まりやすくしている。
ノーマルタイヤとの違いは、シャーベット状の雪に強いことと氷面で止まれること。これのおかげで、11月下旬から3月の上旬までの3.5か月間のほとんどの日ではこれで走れます。
この期間の中で暖冬の年では2回、寒冬の年では4回くらい除雪が間に合わない日が出てきます。2時間で30㎝降ったとしたら、除雪は間に合いません。そんなときはどうにもなりません。
雪面で動けるけど、止まる性能は、2WD車と同じという特性を持ちます。そうじゃないと言いたい四駆乗りの人から反論が来そうですが、田んぼに落ちている車は、パジェロとかハイラックスサーフとかジムニーが多いです。慎重に加速しなければならないところで雪がない路面のように加速できるため、スピードが出すぎて、止まらなくてはならないところで止まれずに自爆することが多いのでしょう。
2WD車では入れない除雪していない駐車場に突っ込むとか除雪するのが面倒なので、4WDと馬力で雪を乗り越えるという物臭な使い方もあります。あと、田舎の農家に多いのは、公道に面した敷地の入り口から自宅までの私道に行政の除雪がこないので、仕方なく4WDに乗っているという人もいます。多分、小型の除雪機も持っているのだろうと思います。4WD車を選ぶときは、ホイールベースが短めの車にしましょう。ホイールベースが長いと腹をこすって動けなくなります。
鉄製のチェーンは、バスかトラックくらいしか使っていないです。凍結した路面では、チェーンを付けている車だけがなんとかなる感じです。何でトラックやバスがチェーンを使っているのかというと夏タイヤのままだったりすることが多いように思います。冬タイヤでチェーンを付けている車はかなり意識高い系です。
スピード出せないことと、積雪路面と除雪された路面が交互にあったりすると困る。除雪された路面でチェーンは足手まといになってしまう。たとえば、関越自動車道の関越トンネルの前後では、チェーン規制されるとスタッドレスタイヤ装着車は、そのまま行けるが、ノーマルタイヤ車は、下牧PAでチェーンを装着して、関越トンネルの入り口の谷川岳PAでチェーンを外して、関越トンネルを走行、関越トンネルの出口にある土樽PAでチェーンを再び装着してチェーン規制区間が解除になるまでチェーンを付けたまま走行となる。実際のところ、この運用で雪道を走っている車は一見のスキー客くらいで、ほとんどの人はスタッドレスで通過している。規制がかかると土樽PAでのタイヤチェックが行われている。
チェーンを付ければ、どんな雪面でも走れるのかというとそうではなく、除雪は間に合わないようなときは意味がないということになります。
今後困るのは、「チェーン規制」という言葉が、これまでは「普通タイヤ+チェーンもしくはスタッドレスでOK」という意味だったので、高速道路の電光掲示板で、「すべての車チェーン装着」などに変わるのでしょうか。文字数が限られているので大変そうです。
チェーンを持っている人はほぼいないと思います。自動車教習所でもチェーンの装着の練習は省かれました。普通タイヤで乗り切ることにしたトラックを持っている事業所くらいしかチェーンを所持していないと思います。
県境の峠道が対象と思います。普通に生活している分には、あまり関係ないのかもしれません。(実際に区間が発表されてみないとわかりませんが)
とのことなので、冬の県境越えの際は、気象の急変に備えてチェーンを載せておかないといけないことになります。
国道で立ち往生がしばしば発生するのは、高速道路のほうが先に閉鎖するからです。これまでの経験では、高速道路を降ろされて国道でひどい目にあったことがほとんどです。
磐梯山のふもとのあたりや妙高方面、裏日本の平野部でも急に降ると先に高速道路が通行止めになります。通行止めになると国道に交通が集中し、にっちもさっちもいかなくなることが多いです。
不思議なことですが、道路幅の広い高速道路が先に閉鎖され、道路規格が低い一般道にゆだねられることになります。高速道路の管理者も事故を起こされたら、なぜ規制しないのかと批判されるので、早めに通行止めにしてしまうのかと思います。
どうすればいいのかというと、雪も災害として認めて、一定以上の積雪が降ったら、会社や学校を休みにするとか、荷物の着日指定は無効になるとか、裏日本の冬の消費税を免税するとかルールを変えて、雪の中で無理をしなくてもいいようにしてほしいです。
パブリックコメントも送っておこうぜ。
3
3日目 午前
旅先では余り眠れない事が多い。
今日が今回の台湾旅行で最後の朝だけど、グッスリとはいかず、7時前に目が覚めた。
ボーッと窓の外を眺めていると、部屋の外からオバちゃん2人の声が聞こえて来た。
お客さんかな?ベッドメイクかな?
それにしても、楽しそうによく笑う。
朝食を済ませた後、ホテルのすぐ隣にあるコンビニで、スイカ牛乳、japan walker、烏龍茶を買った。
昨日も女性誌を買ったけど、現地の雑誌というのは興味を唆られるものだ。
昨日、台北車站の地下街を歩いているとき「中山地下書街」という掲示を見たが、午前中の地下街は人の流れもまばらで、場所がよくわからなかった。
烏龍茶を飲んで「美味い!」と呟いた。
あとで再購入したときによく見ると、材料表には「香料」もあったが、それは台湾人の嗜好としてこの香りが重要という事だし、美味ければ大きな問題は無い。
ホテルの窓際でこの旅行記を書いていると、ザっと雨が降って来た。
台湾は雨が多いので、雨具を持って来ていたが、旅行を通して行動に困るほどの雨がなかったのは幸運だった。
雨はすぐに小ぶりになったけど、窓の外にはまだ傘の花が咲いている。
あと数時間でチェックアウトだ。
午前9:45分。
雨はとっくに止んでいる。
定刻にはまだ数時間あったけど、チェックアウトする事にした。
空港への送り迎えのため、ここには21:00にまた戻って来る事になる。
3日目 午前
世界に展開するグローバリズムの象徴、スターバックスはここ台北にもある。
わざわざ海外に来て、世界中にある店に入り、ローカルの微妙な違いを見るもの楽しいものだ。
150元を支払い、アイスのカフェモカ、グランデサイズを受け取って2階に上がると、そこでは男女がラップトップを開いていた。
コーヒーを飲んだ直後で大してのども渇いてなかったが、入ってみる事にした。
入り口には行動を禁ずる、べからず集が書いてあり、犬とハンバーガーにバツ印が書いてある。
その下に「禁止打牌」。
ペットを連れ込むな、食べ物を持ち込むなはわかるが、「トランプするな」は新鮮だ。
ドトールで頼むものといえば、ミラノサンドのA以外ありえなく、これはスタバのドヤリングと同じ様式美なのだが、残念な事に、11:00以降しか頼めないようだった。
少しがっかりして、70元を支払ってアイスの紅茶を頼むと、何も入れなくても甘かった。
旅行を通して概ね正しいエリーさんの助言に一つ違を唱えるなら、台湾版suica、悠遊卡についてだ。
エリーさん曰く、チャージした金額の有効期限は2年だし、デポジットの100元が勿体無いので、頻繁に台湾に来るのでなければ購入を勧めないとのことだったが、実際に使ってみると、メチャクチャ便利。
複雑な購入手続きで切符を買う必要なく、地下鉄も台鐵もバスもピッとやるだけでOK。
多少の損を補って余りある便利さの悠遊卡なので、台湾に来る際は是非購入を勧めたい。
帰りの便までまだまだ時間があるので、悠遊卡に100元チャージして、地下鉄で台湾北部の景勝地、淡水に向かった。
3日目 午後
駅前を歩けばすぐ海岸で、晴れ渡った空の下、おっちゃん達が釣り糸を垂らしていた。
ふと見ると赤い看板。
「本河岸遊客衆多
為維護遊客安全
本路段禁止甩竿汉示」
さて、初日の寧夏夜市で食うつもりで、メモまで描いたが、食えなかったものがある。
「千と千尋の神隠し」で、千尋の両親が食って豚になってしまったモノではないか、と言われている謎のプルプル、肉圓だ。
海岸から山の方に上がろうとして通り掛かった海の家で、「肉丸」と書かれた看板が掲げられていた。
昼時で丁度いい、食おう。
「それだけでは足りない」とエリーさんが言っていた肉圓だが、いざ食って見ると、正体不明のプルプルは意外とお腹にたまり、1杯で小腹を満たすに充分な量だ。
こんなものを大量にガツガツ食えば、それは豚にもなってしまうのかもしれない。
台北についたのは午後14:00過ぎ。
今なら人に流れについていけば「中山地下書街」を見つけられるかもしれない。
やがて中山站を過ぎると、右手に地下街にそって長い本屋が見えて来た。
「中山地下書街」
やった、本屋だ。
「誠品書店」に入って見ると、平積みにされていたのは、謝馬力 著「女子翻轉」
台湾版Sex and cityか?はたまた中国のジェーン・スーか。
ほとんどの本が何を書かれているか、全くわからないんだけど、1冊、ピクルスの作り方に関する本があった。
これならなんとか分かるかもしれない。
分からなくても、開いているだけで楽しそうだ。
買って帰る事にした。300元。
これは是非行かないといけない。
新光三越に着くとデパ地下はどうやら地下2階。日本より小ぢんまりとして、お菓子などが中心ではあるが、これぞデパ地下という光景があった。
色々な店が軒を並べる中、お茶の店があり、白磁の蓋碗がディスプレイされている。
日本に帰って、同僚とお茶を飲む為に、何か茶器が欲しかったから丁度いい。
560元は、多分日本より安い。
3日目 夕方
あと5時間で迎えが来るが、台湾でやりたい事リストの最後の項目がまだだった。
台湾で清粥といえば、飲んだ後に食べるものらしく、店が開くのは17:00からだった。
最近、アルコールに弱くなったし、台湾では心置きなく食いたかったので、旅行中は一切、酒類は飲んでいなかった。
この店では、ショウウィンドウの中からおかずを選び、それにお粥が付いてくる。
どれにしようか?
ショウウィンドウ越しでハッキリ見えないが、美味そうな炒め物を頼んだ。
席に着くと、鍋一杯のお粥。
さあ食うぞ。
しかし、運ばれて来たおかずを見て一瞬たじろぐ。
もっとよく見りゃ良かったぜ、ここは屋台ではないが、エリーさんの忠告を思い出す。
これを食えばあとは帰るだけとはいえ、もし飛行機の中で降せば大きな問題を抱える。
最悪当たるにしても、迎えのくる21:00までにスパっと終わるか、自宅に帰り着く翌10:00以降にしてほしい。
恐る恐る口に運んだ牡蠣は、豆豉の風味が効いて美味く、お粥は歩き通しの身体に優しかった。
無名子 清粥小菜を出て、おそらくこの旅で最後の地下街を乗り継ぎ、ホテルの最寄り駅に出ると、道路はしっとり濡れていた。
参ったな、あと一息で雨だ。
でも3日間で学んだのは、台湾の雨はすぐ上がるという事。
意を決して歩き出すと、どうも降っていたのはさっきまでだったらしく、殆ど雨には当たらなかった。
3日目 夜
ホテルのフロントでこの旅行記を書きながら迎えを待つと、女性2人の親子連れが入って来て、フロントに尋ねた。
日本語だ。
そんな基本的な事を聞くって事は、多分今日 このホテルに着いたのだろう。
自分は今夜、日本に帰るが、今日、日本から来たかもしれない人がいる。
ここでは毎日、入れ違いで人が行き交うのだろう。
しばらく待っていると、また日本からの家族連れがフロントにやって来た。
お父さんが、自分の胸を指差して、現地で買ったTシャツになんと書かれているか聞くと、フロントの男性は、ちょっと戸惑いながら答えた。
話しているのは中国語で、スーツケースの大きさから見ると、多分大陸の人だ。
一団はひっきりなしに喋っていて、声も大きい。
この旅行であった人たちの中で、もっとも賑やかな人たちかもしれなかった。
嵐のような一団がフロントを過ぎると、迎えのツアーガイドがやって来た。
「英語名はありますか?」と聞くと、「無いですね、僕も英語は喋れませんし」どうもみんなに英語名がある訳では無いらしい。
チャンさんは人当たりが良く、風貌もイケメンというか、今風で、ちょっとチャラい感じといえなくも無かった。
空港までの車の中で、たくさん起きたことを話し、少し疑問だった事も答えてくれた。
台湾の男性が機内でメガネだったのは、ちょっと上の世代で伊達メガネのブームがあった事。
台湾で男同志の性愛を描いた映像作品を観たのは、おそらく同性結婚が法的に認められたのと関係がある事。
ドトールのトランプ禁止は、解禁するとギャンブルをやっちゃうからである事。
ついでに、チャンさんは実は以前に日本に来たことがあり、出逢いを求めて相席居酒屋に行ったら、40代以上の女性ばかりで少しがっかりした事も教えてくれた。
やっぱりちょっとチャラかった。
チャラいけれども、仕事をきちんとする好漢のチャンさんは、チェックインまで付き合ってくれると、出国手続きや再両替についても教えてくれた。
台湾で出会う人は素晴らしい人たちばかりで、チャンさんもまた例外では無かった。
もう直ぐ台湾を去る。
台湾でしたい事の全てが予定通りに行えて、多くの予想以上があった。
「全てが掛け替えのない3日間だった。ここに来て本当に良かった。」
でも、最後は、滞在中に助けられ通しだった方法以外にあり得ない。
「じゃあ、僕はここで」と微笑む彼に、ホテルの部屋で朝に書いた、最後のメモを見せた。
「太棒了、台湾」
誰か詳しい人いたら直してください。
トルクとは回転軸からある距離離れたときそこにかかる力と、その距離の積でモーメントと同じ。単位は仕事[N・m]
トルクをタイヤの半径で割ったものが駆動力で、これが乗り物の加速度を定める。
・タイヤが小さい
・タイヤが大きい
駆動力が小さいので加速しにくい。
疑問:これだけ考えるとタイヤが小さい方が速さを求める上では優れているように思える。
しかし実感としてタイヤ幅が大きい方が漕いでいて楽な気がする。慣性モーメントのせいか?
エンジン(またはペダル)の回転数とタイヤの回転数の比をギア比という。とりあえずタイヤに対してのエンジンの回転数の比ということにしておく(決めておかないと混乱する。)
ギア比が大きい(自転車でいうとペダルが重くなるギアの状態)トルクが大きくなり、べダルの回転数が下がる。
ギア比が小さい(自転車でいうペダルが重くなるギアの状態)とトルクが小さくなり、ペダルの回転数が上がる。
ギア比が小さいと回転数が上がりかつ必要な力も小さいため楽に加速するが所詮トルクが小さいので限界がくる。
従って1速から順にギアを変えていくのは、回転数を稼いでから順にトルクが大きい状態という、馬力を上げるための理にかなった順序。
またチャリの場合はギアチェンジすると回転数を維持するのにエネルギーが必要だから、漕いでてしんどい。→結果そのギアに適した回転数に落ち着く
車体の速度が上がっていくと抵抗力曲線と駆動力曲線(横軸が速度、縦軸が抵抗力と駆動力)の交点となる最高速度に達する。
最高速度に近づくに従って余裕駆動力が減っていくので加速しづらくなる。(駆動力曲線が上に凸の曲線だから?)
疑問:最高速度に近づいても「界王拳」みたいにトルクを一気に上げられれば(クラッシュバンディグーのニトロ的な)最高速度付近での加速度の上げづらさはないのではないか?
それともそれができる時点で駆動力曲線は上向きにシフトするように描かれるのだろうか。そんな仕組みがある自動車や自転車が無いから現実に議論されない?
どうやらギア比が小さいと大きいを逆にしていたみたいだ。ギア比が高い低いという表現もあって訳がわからない。
何に対して高いのか。低いのか。
誰か詳しい人いたら直してください。
トルクとは回転軸からある距離離れたときそこにかかる力と、その距離の積でモーメントと同じ。単位は仕事[N・m]
トルクをタイヤの半径で割ったものが駆動力で、これが乗り物の加速度を定める。
・タイヤが小さい
・タイヤが大きい
駆動力が小さいので加速しにくい。
疑問:これだけ考えるとタイヤが小さい方が速さを求める上では優れているように思える。
しかし実感としてタイヤ幅が大きい方が漕いでいて楽な気がする。慣性モーメントのせいか?
エンジン(またはペダル)の回転数とタイヤの回転数の比をギア比という。とりあえずタイヤに対してのエンジンの回転数の比ということにしておく(決めておかないと混乱する。)
ギア比が大きい(自転車でいうとペダルが重くなるギアの状態)トルクが大きくなり、べダルの回転数が下がる。
ギア比が小さい(自転車でいうペダルが重くなるギアの状態)とトルクが小さくなり、ペダルの回転数が上がる。
ギア比が小さいと回転数が上がりかつ必要な力も小さいため楽に加速するが所詮トルクが小さいので限界がくる。
従って1速から順にギアを変えていくのは、回転数を稼いでから順にトルクが大きい状態という、馬力を上げるための理にかなった順序。
またチャリの場合はギアチェンジすると回転数を維持するのにエネルギーが必要だから、漕いでてしんどい。→結果そのギアに適した回転数に落ち着く
車体の速度が上がっていくと抵抗力曲線と駆動力曲線(横軸が速度、縦軸が抵抗力と駆動力)の交点となる最高速度に達する。
最高速度に近づくに従って余裕駆動力が減っていくので加速しづらくなる。(駆動力曲線が上に凸の曲線だから?)
疑問:最高速度に近づいても「界王拳」みたいにトルクを一気に上げられれば(クラッシュバンディグーのニトロ的な)最高速度付近での加速度の上げづらさはないのではないか?
それともそれができる時点で駆動力曲線は上向きにシフトするように描かれるのだろうか。そんな仕組みがある自動車や自転車が無いから現実に議論されない?
1~10どころか1~1000くらいまで書きたいのだけど、面倒だから要点だけ書く。
俺の10年が誰かに伝わればうれしい。
そして行動しろ。
いつでも稼げる自信のある人が借金を背負うのは、まあ有りだろう。
引っ込み思案の草食系男子が借金背負ったら、毎日金の事ばかり考えてあっという間に人生終わる。
これは一番伝えたい事。自己破産=人生終了ではない。再出発というのも何か違和感がある。マイナスをチャラに出来る素晴らしい制度だ。
「金は返さねばならない」とか言ってる奴らは無視しろ。事実企業はそんな事でいちいち嫌がらせしてこない。お前ごときに。
たかだか数百万程度の負債で、お前の素晴らしい人生無駄にしたいのか?
道端のホームレスが飢えて苦しんでいようと、明日食べるメシがなかろうと、生活費に困っていようと、お前にとっては正直関係ないだろう?
お前が苦しむ所を見たい訳ではないが、お前がそうやって金で苦しんでる間に、周りの人間は楽しい思いをしている。
辛いのはお前だけだ。
正直先生によって考え方が違う。disる訳ではない。彼らなりの考え、方針があるのだから。
破産をいい事と捉える先生もいたし、悪い事と捉える先生もいる。
ただ、俺は破産する事により人生が先に進むと考えていたから、最初から破産以外の選択肢を消していた。
結果5件も回る事になった。 それだけ。
本気でヤバい。返さないと人生終わる。危機感があるか。お前には。
別に返さなくてもとりあえず生きていけるしーとか思ってないか。
確かに金はやばい。でも働きたいけど会社は副業禁止だし。仕事忙しいし。体力ないし。とか意味不明な言い訳してないか。
俺は思ってた。結果無駄に5年も借金生活を引き延ばすことになった。
その5年間何やってたかって? 遊んでたんじゃないの?って?
何もやってねえよ。 節制生活を無駄に5年間続けていただけさ。
「どうしよう どうしよう」って毎日あたふたして、何も行動せず無駄に5年も過ごしたんだ。
そんな時間を俺は、毎日「どうしようどうしよう」 これに終始した。
さっさと行動してれば、5年前に借金は終わっていたよ。時間を無駄にした。
俺は二度としないが、もし借金するならこの言葉を覚えておけ。俺からの金言だ。
24歳。240万のショッピングローン。
見通しの甘さと強引な契約・・・ってのもあったが、それ以上に「今の給料で毎月これくらいの支払いなら、大丈夫」と甘すぎる計画を立てた事だ。
3か月後俺は降格し給与は大幅ダウンした。
結果生活が立ち行かなくなり、親から仕送りをしてもらわざるを得なくなった。
今借金してる奴らへ。
時間が無駄なんだよ。俺は一番それを感じてる。過払い金とか(さすがには今はもうないですかねw)、利息いくら余計に払ったとか、そんなのどうでもいい。俺に言わせれば。
四六時中金の事ばかり考えて、生産的な事は何一つ考えられない。
Wワークなどで、いつも以上の馬力を出して返済に向かっているならまだしも、「どうしよう どうしよう」とあたふたするだけで、何も行動しない奴。
さっさと弁護士事務所へ行け。
その気になれば、すぐに支払い停止措置も取ってもらえる。
俺は9年借金から逃げてきたが、向き合った瞬間1年で借金は消えた。
早く動け。時間は刻一刻と無くなるぞ。
タイトルまま。
毎日怒られないかだけを考えて、それでも怒られて、どんどん自身と元気がなくなっていく。
休日も「明日から仕事か……嫌だなあ」とばかり考えてしまって、楽しめないうちに終わる。
リフレッシュが下手だなあと思う。
そんなにつらいなら辞めた方がいいんじゃない、と思うけれども、
今までそうやって私は何度も仕事を辞めてきて、
ここで辞めたら、次はもう今より低い給料のところでしか働けない気がする。
私には結婚を約束している彼氏がいて、将来子供が欲しいねっていう話もしていて、
子供を持った上で金銭的に余裕を持った生活をしたいのであれば、共働きで二倍の馬力でお金を稼がないと厳しい。
そう考えると、今の仕事を辞められない。
こんなに卑屈な性格になってしまって彼氏に嫌われないか考えてまた泣いて、
どうせ転職したしたとしても今みたい辛くなって辞めるんだろうなとか考えたら死にたくなって、
でも死ぬ元気もなくて、休みますって会社に連絡できなくて電車に乗って通勤する。
あと数年頑張ればいいんだろうか。長い人生の中の数年なんだから耐えるべきか。いや、もうつらいよ。でもなあ…。
学生時代はよく掌編小説を書いていたんだけど今はそんなパワーなくて、
よし、小説家になって会社員辞めてやるぞ!って思って小説を書いていたけど、
「あ、私小説家になれないんだ」って思ったら書くのが辛くなった。
この文章だってそう。この広いインターネットを探せば、どこかの誰かが書いたブログに同じようなことが書いてあると思う。
もう疲れたし、夜も同じようなこと考えてつらいんだろうなってことがわかるから人生終わりにしたい。
なんかどこかでラフでデザイン作らせて打ち合わせ重ねてブラッシュアップしていくのが一番早くて確実みたいなの書いてあったけど
原稿丸投げで適当にやらせて上がってきたものにケチつけてくパターンにしかならないから最初の負担が大きく、途中経過もチマチマ指示が来て時間を作るのが面倒だからまったく早くないんだよね
発注側は楽だけど受注側は面倒だし最初の馬力も必要だしブラッシュアップでいちいち日に何度も手を取られて効率悪いから高めの請求になるんだけど、それはそれで文句言われるしさ
最低限手書きのモックと必要な原稿くらいは用意して、発注側も完成予想図をある程度頭で思い描いてくれないと早くもないし安くもならないし面倒なだけだよ
比較元
【追記】学校の体育館にエアコンが設置されるも『1回で2500円の電気代がかかるから使用しないでください』とのお達しが教育委員会から届く→デマであると箕面市長が否定 - Togetter
教育委員会「体育館のエアコンは電気代が2500円かかるから使用しないで」はデマ。箕面市長が否定(篠原修司) - 個人 - Yahoo!ニュース
「エアコン使うな、教委通達」講師の虚偽ツイートが拡散:朝日新聞デジタル
はてなブックマークが学校のエアコンデマに対抗できなかった件について思うこと - この夜が明けるまであと百万の祈り
無し
無し
これって本来ならば教育委員会が各自治体の首長に臨時の追加予算をつけろと交渉しないといけないのに仕事をさぼって各学校に責任を押し付けているだけじゃないの?
無し
教育委員会に「生徒の命は2500円より安いんですか?」って確認とって「そうです」って回答が来次第晒しあげて【自分たちは生徒の命が大事ですので】ってアピールしてると世論も味方につけて予算も確保しやすいのでは
無し
買うなら使う、使わないなら買わない。子供でもわかる
無し
まあ、電気代かかるからできるだけ使わないでって感じの指示が口頭であったんじゃないの。どこの会社でも同じでしょ。際どいことは口頭だけ。文書にするほどバカでもない、という。
市長の発言に嘘偽りないと思うが、グッド組長バッド若頭メソッド、ってあるからな。「みなさん、命を大事に。堅気の市民を大切に。仁義を守ろう!」「いいか、おやっさんはああいってるけどな!」
「エアコンを使うなとは言ってないが、経費は前年並にね!」ってとこが、日本にあるのかないのかあるのかないのかちょっと気になる。
教育委員会の事務所と職員室にガンガンエアコンつかうので、ガキにつかわせる電気なんてねーんだよ。エアコンない教室から職員室に帰ってきて暑いなんて有り得ないじゃん?
無し
教育委員会って別に法的拘束力はないと思うけど。あくまでお願いだから。忖度しろよってお達し。でもこれは文科省が悪く大臣の責任なので早く全国の学校に国の力でエアコン設置しないと職務怠慢だよ。
亡くなった父の古い友人が教育委員会に在籍してる関係で教育委についてはそれなりに知ってるつもり。その人はある資格試験の役員も兼ねてるけど、教育委って所はそういう人ばかりって聞いてる。
無し
無し
教育委員会って、悪の枢軸かなんかなの? いじめ問題でも部活問題や組体操問題でも、今回の熱中症問題でも、ロクなことしてないよね。別に無くてもいい組織なのでは?
無し
日本が先進国というのは幻想だな。思想的には共産国家や独裁国家と同じレベルで、財政的(な考えと実質)では貧困国 / 終業式なんていらんだろ。
無し
無し
日本死ね増田とかにもあっさり煽られてたじゃん、はてなのリテラシーなんか当てにする方がおかしい/6割ってブコメは妥当な感じ
無し
公式な通達が無かったという点ではデマだったのだろう。では実際にどういう運用がされていたのか市長はちゃんと公表しよう。各学校のエアコン利用率位すぐ出せるだろ?今すぐ出しな。そこがポイントなんだから。
「なかなかエアコンを付けてもらえなかった」と言うのが全てじゃねーの?ここの究明無しには判断できない。子供を虐待していたかどうかが争点
部活に関しては「使うな」でいいんじゃない?つまり暑くてとても出来ないなら無理に部活なんかする必要ない。授業と違って必ずやらなきゃいけないことじゃないんだから。
「ブックマーク」なんだから記事が真実かどうかは最初から関係ないでしょ。記事の検証は各々がすればいい話。/現時点での情報を元にコメントするのは別に悪くない。真実が判明した後で意見を変えればいいだけ。
無し
ひどい話になるけど、これで熱中症で誰か死んだらやっと電気代の予算付ける口実が出来るわけ。おそらく教育委員会の担当者レベルは予算に口出す権限は一切持ってないのでそれくらいの事が起きなきゃ予算付かない
つうかね、ホントは市長も話の行き違いなのか悪意あるデマだったのかも調査した上で、市のHPなり何なりで公式な発表をするべきだと思うの(もし現場と市の間で意思疎通が図られてないならまた同じ事が起きますよ)
結局守秘義務違反案件になったと…虚偽と言えば虚偽だが、エアコン使わせてくれなかったのは事実のようなので、教委の対応に問題は残るな
結果的に間違った情報だったようだけど、これだけだと教委担当者との話の行き違いなのか悪意だったのかの判断が付かない。市長の意図とは別に末端の担当者が変な言い方する可能性はあるので
その職員室ではそう伝わっただけでは?冷房を設置したのに事実上使用禁止になってるという話はチラホラあるわけで、政策としてはケチケチしてないで今こそ冷房使えと指示してほしい。 / デマかどうかは興味ない。
よくわからんけどこれは事実なの? 嘘だとは言わんけど、ここまでかいたら学校どこかわかるよね。この教師は問題にならないの?
嘘松乙wwww命がかかってるのにたかが2500円でそんなこと言うわけないだろwwwwwwwwwって言いたいけど、嘘だよね?嘘だと言って?
あの時信じてた奴息してる?wwwを見にきた。
つーか、エアコン設置した時点で契約電力上がる。1kWあたり1500円ぐらい基本料金が上がる。10馬力×3台(消費電力約24kW=7時間の電気代が2500円)と仮定すると月4万円ぐらいアップしてる筈。ガシガシ使わないと元取れないぜよ
仮に室内運動部50人が7-9月利用するとして約23万、その費用を月曜から金曜日までの年間を通じて利用料として徴収すれば日額約900円で50人で割れば18円、一人当たり月額500円弱で実際には学校負担あれば更に安くできる。
人数で割ったら一人10円ぐらいじゃないの?
嘘を嘘と見抜けず釣られちゃったのはもうしょうがない。しかしその後デマだったことには全く触れない人の多さは何なの?
恥ずかしいから知らんぷり?脊髄反射的にコメント残してスター欲しいだけの乞食?分かりやすい悪を叩きたいだけの憂さ晴らし?ここぞとばかり日本叩きしたいだけ?
それどころか虚偽ツイートだと判明した後も論点ずらしで疑ってかかってるb:id:xevraとか頭おかしいんじゃねーの?
今日は旅先移動中で
旅先のスタバの窓側でChromebookのロゴが渋いわ!DynaBookでもいいんだけどネ!
そんな私!
またいつもと雰囲気が変わっていいわよね。
いつも職場や家でやってると全く同じように旅先でも全く同じサイトをサーフィン!
旅先でする「旅インターネット」って言葉もっと広まってもいいと思うの!
でさ、
何しようかなぁって。
結局モバイルルータとChromebookがあればどこでも行けるのよ。
そうそう、
旅のドライブを楽しんでいるのに、
私を後ろからイキって煽ってくる
キティーちゃんのステッカーとベビーインザカーのステッカーに美人以外搭載禁止のステッカーがたくさん貼ってある、
スピード違反の取締に引っかかってたわ。
危ない危ない!
余裕のよっちゃんで追い抜けたは追い抜けてたんだけど
私が捕まっちゃってたわね。
旅先のさ、
だから本当に、
一旦停止とかスピード違反とか三角停止表示板不携帯は気をつけた方がいいわよ。
安全運転でね!
うふふ。
旅先巡りの醍醐味!
深夜のニチレイ自動販売機のスナックコーナーで食べるそのスナックは身に沁みるし、
なんかあの冴えない鮭定食とか最高よ!
なんかそういう朝定食に巡り会えたときは嬉しいし旅してるなって感じるの。
気を付けていってらっしゃいね!っていう地元のおばちゃん感満載の店員さんも雰囲気を盛り立ててくれるわ!
それが好きなんだなぁ。
だから最近コンビニがそういうところでも増えてきて画一化されてて、
そういった楽しみもまた減ってきつつあるの。
ちゃんと氷入れてきたので冷え冷えよ!
楽しい旅ね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんか、すごい唐突に「私生きてもいいんじゃないか?」と思えて、明るい未来を描けて、根拠のない自信に溢れて、涙が止まらない。
運動をしたからか、甥(5歳)と二人きりで過ごさせられたことが思いの外楽しかったからか、色々理由はあると思うけど、唐突に「なんか、これからの人生なんとかなる気がする!」「楽しい人生を送れる気がする!」という楽観視が出来るようになってる。
今まで「楽しい未来」を想像することがマジで本当にできなくなっていたのだけれど、なんか、漠然と「楽しい未来」が想像できる。帰り道とか、食後とかに「幸せ」を感じている未来が想像できる!すごい!!「幸せな妄想」ができる!感動!!
私、今まで自分のことをうつではないと思っていたのだけれど、冷静に考えてうつに片足突っ込んでいたのでは?と思う。
・「自分は生きてはいけない人間」「自分はダメ人間で悪い子」「どう頑張っても幸せにならない」「幸せになってはいけない」などと無自覚に考えている
・ゆえに肉、甘味、酒などを接種しない(食べるときは罪悪感を感じながら食べる/食べた後に罪悪感に襲われる)
・何か楽しいことがあったあとは「私には楽しい思いをする資格がないのに…」と罪悪感に襲われる。
・やりたいことが見つからない。食べたいものが分からない。正確に言えば私のなかに色々な願望はあるのだけれど、無意識に私にはそうする資格がないと諦めている
・死にたいな、死ぬべきなんじゃないかなと思いつつも死ねないことに絶望している
この辺、全体的にうつの症状では…?
・頑張ることが怖い、しんどい、つらい思いをしたくないと口癖のように言っている→うつは頑張っている人がなるから、頑張っていない私はうつじゃない
という思考回路で自分のうつ思考を全然自覚できていませんでした。上にかいたことも全体的に「今思えばこう考えていた」です。
例えば、母に働けと言われたときに、私は職場で上司に出来が悪いと叱られ、同僚に感じが悪いと白い目で見られる妄想しかすることが出来なくて、そんな思いをするくらいなら絶対に働きたくないと思っていたんだけど、今思えばなんか、そんなことなくない?
人を人として扱えない人もそりゃいるけれど、心の優しい人はそれなりにいるし、仮に嫌な目に遭えば、転職すればよくない?
ーーー
基本的に悲観的な考えが頭を占めている時は、楽観的な思考はどこかに行くし、そもそも自分が悲観的だと自覚できていない。
理想は悲観的な私と楽観的な私が同じくらいの分量で話し合う脳内だろう。
でも、今はなんだかすっごい躁モードな気がするから、はやく落ち着きたい。後でガタがきそう。
おそらく私はゼロヒャク思考が強めなので、鬱モードになったときに「躁モードの時と同じだけ頑張れない私」が許せなくて、いっそなにもしないということをしてしまいがちなのだけれど、「必要最低限頑張れた私」「そこそこ頑張れた私」を認めてあげるところからはじめるべきでは。「100点以外は0点と同じ」という思考ではなく、「60点もとれた私偉い!すごい!」という思考にするべき。あと、躁鬱の概念すごく便利。「今私は鬱モードだから」と全力馬力を出せない自分を許せる。というか「全力馬力は躁モードの私だから、本来の実力ではない」と言い替えた方が私にとってよいかも。私はおそらく躁うつ(双極性障害)ではないのだけれど、そのスペクトラム上にはいると思う。
ーーー
ねえ、もしかして私「頑張らなくても"良い"」んじゃない?頑張っているかどうかで、私の良し悪しとか、変わらなくない?
別に頑張る必要がないわけじゃなくて、頑張ろうが頑張らなかろうが私は私なんじゃない?「私」に頑張るか頑張らないかなんて、関係ないんじゃない?
今はまだ半信半疑で「本当に頑張らない私も私としてしまっていいのか?」と思っているけれど、頑張っている私も私だし、頑張っていない私も私なのでは?頑張っていない私を否定する必要はないんじゃない?むしろ否定していると、先に進めないんじゃない?
そう思えると私は随分生きやすくなるなあと思うのだけれど、どうだろう、本当にそんなことおもっちゃっていいの?大丈夫?後で取り返しのつかないことにならない?取り返しつかなくなったその時に考えればいいのかな。本当に大丈夫?
頑張ろうが頑張らなかろうが私は私だからこそ、思う存分頑張ることができるのよ。
ーーー
優等生であろうがなかろうが、完璧であろうがなかろうが、私は私だからこそ、思う存分優等生を目指せるんだよ。
私、自分のことをたいして頑張れる人ではないし、完璧主義者ではないし、優等生でもないという評価だったのだけれど、自分でそういう評価をするということは、その実自分が誰よりも優等生で完璧で頑張れる人に憧れ、なりたいと思っているということなのでは?そんなものになる必要、なくない!?
人間は失敗する生き物なんだよ。失敗した自分を否定しないで受け入れて。失敗しても成功しても、私は私、どっちでも同じなのよ。で、どっちでも同じなら、成功した方が嬉しいよね。
「頑張らなくても"良い"」の対偶を書くなら「頑張らないは"悪"ではない」でしょ?(厳密には違うけどこの際気にしない)頑張らないことは悪いことじゃないんだよ。頑張らない子は悪い子ではないんだよ。頑張ろうが頑張らなかろうが、みんな等しく「子」なのよ。
私、たぶん頑張ろうが頑張らなかろうが幸せになるわ!そんな気がする!頑張ろうが頑張らなかろうが私の未来はそんな変わらない気がする!
頑張るのと、頑張らないのとで、未来が一緒なのであれば、頑張った方がいい、と思えるメンタルを継続していきたい。なんか、気を抜くと「なら頑張らない方がよくな~い?」とか言いそう。
しかしながら!頑張るかどうかに私の良し悪しは関係ないのだから、「頑張らない」を選択しても、良いのだ!
これで、良いのだ~~~!!!
https://anond.hatelabo.jp/20180630150652
タイムリーな投稿があったので、女医さんと一緒に働くことになった男性医師側の意見を書いておく。
さて、俺のいる科はこの数年、5人で仕事をやってきた。この業界、5人というのは数字だけみると恵まれているほうだ。
1.ジジイ:名目上のトップ。現場の仕事はほとんどしない。たまに外来をやるくらい。出張多い。
2.上司:実務上のトップ。ベテランにさしかかってきた年で、体力がないと言いつつなんでもバリバリやる。
4.若手:5年目。ルーチンワークは一通り覚えている。
5.新人A:研修医上がりで、この科を選んだばかりの卒後3年目。
以上の体制が、新年度から以下のようになった。なお全員が某医大の医局人事に従っている。
1.ジジイ
2.上司
3.俺
4.女医:育休明けたばかり。いちおう専門医で、俺より1つ2つ上だが修練歴は短い。
異動にあたって医局とジジイが話をつけてきたのだが、「若手を減らすかわりに、非常勤だが専門医を一人増やす」とのことだった。
ふたを開けてみれば、
・女医さんは週3.5日来るはずが、週3日・時短勤務に→人数に余裕のない曜日、時間帯が増える
・夜間の呼び出しに対応できない→ジジイと新人は無理なので、上司と俺で時間外の電話を全部受ける
・今まで下っ端二人に病棟の細々した仕事をお願いしていたのが、年の順で俺にも回ってくるようになる
・女医さんは久しぶりで仕事を忘れている部分もあるので、俺がそのつど教えることに
など明らかにきつくなっている。帰宅時間は平均して1-1.5時間遅くなった。
元々呼び出しはかなり少ない科ではあるが、2日に一回の拘束が生じ、心理的にきつくなった。
少し俺の話をしよう。俺自身が今の診療科を選んだのは「楽だから」だ。
うちは3代続く外科系の家で、長兄も外科だ。俺自身は家に帰らない親父の仕事ぶりを見て「あれは無理だな」と思っていた。
10年以上も前になるが、2chでQOML(quality of my life, quality of medical staff's life)という考えが流行ったことがあった。
仕事もいいが医者自身の私生活も大事にしようぜ、というものだ。(雪月花のブログ、と言えば一部の人に伝わるだろうか?懐かしい。)
俺は大いに感銘を受け、医学生時代は2chのQOMLスレに入り浸った。フリーター・ドロッポ(ドロップアウト)のスレなどもあった。
どこの科が楽だ、研修病院はこう選べ。地方の医師不足や診療科の偏在?構うものか。医療崩壊?ハードランディング上等じゃないか。
いやなら辞めろ、代わりはいくらでもいる。逃散だ。そう言って盛り上がった。
今の若い人たちもQOMLの影響は受けているようだ。今は単にQOLと称することが多いらしい。
「研修医やる気なしクラブ」スレッドなど、その思想は受け継がれている。
とにかく患者が少ないか、急変しないか、そもそも患者を持たない。それが進路選びの大前提だった。実際それに従って進む科を選んだ。
10年経って、意外に医療崩壊の進みは遅く、ゆっくりとシュリンクしていく様相を見せている。
産科、小児科、外科の減少のために人が殺到するかに思われた当科も、思いのほか人手不足のままである。
今年、女医の影響というか、女医にまつわる産休や育休の影響をはじめて受ける立場になった。
女性の同僚はいたが、フルタイムだったためこれまで特に気にすることもなかった。
むしろ俺自身は女医の働き方に理解があるつもりだった。半分が女子学生の大学だってある時代だ。
そして実際に影響を受けて思った。これはきつい、と。
女医さん、時間あたりで外来件数を比較すると、俺の1/3くらいしか働いてない。
それでいて時給換算すると俺より高い額をもらっている(なんで知ってるかというと雇用通知書を机の上に置いてたからだ)。
朝のカンファレンスが終わった頃やってきて、多少の仕事をして、早く帰っていく。俺たちは溜まった仕事もそこそこに、夕方のカンファレンスに臨む。
彼女はときおり電話1本で「子どもが熱出たんで休みます」と言い、俺たちは一つ減ったブースで外来をこなす。
そんでこの前、彼女がさらに時短を望んでいるとかの話を小耳にはさむ。
ジジイや上司は、家庭は大事だからねーと言う。認める方向のようだ。
いやいやお前それ、俺らの家庭が間接的に犠牲になってるのはいいのか。聖人か。
短いなら短いでせめて同じ密度で仕事できませんかって聞きたいが、当の女医さんはいい人そうなので、ってか多分普通にいい人なので聞けない。
やる気はない、医者はただの生きる手段。病院や業界に対する忠誠心はまるでない、と俺は自分で思っていた。
それでもQOMLを達成するためには馬力と要領が必要で、全力投球して9時5時を目指すもんだと考えていた。
そこへ余りにもマイペースな(ように見える)同僚が現れて困惑している。じつはQOML派じゃなかったのか俺。
業界みんなで支えなきゃ。
お前も無理って言えばいいじゃん。お前も真似してみれば?
マネジメントの問題だ。人を別に雇え。できなければ診療規模を縮小しろ。
そんな正論はいくらでも思いつくが、理想論の上に即効性もなく、さえずるなという感じ。
給料上げてもらえば?とかね。俸給表で決まってるんですがね。ま、残業や呼び出しで10万ほど増えましたがね。
「やっぱさー、一緒に働くなら元気のいい男の子がいいよ」
この人がそんなこと言うんだ、まだこの業界後進だなって思った。
でも今度から俺も言おうと思うわ。「次は活きのいい若い男を頼む」
俺は自分が無敵だと思ってた。
俺はずっと一人だった。買い物もカラオケも焼肉も一人だ。そしてとてつもなく楽しい。
映画を観るときだってもちろんひとりで、この世に存在する映画を観続けるだけで一生幸せに生きれるんじゃないかって本気で思ってた。
どんな状況だろうと幸せになれる自信があった。無敵だった。
ある日、俺は恋をした。
その時から俺は無敵じゃなくなった。
苦しかった。既読無視に心が揺れた。デートを断られて死にたくなった。
相手からカラオケに誘われただけで人生の絶頂かとかつてないテンションになった。
その時気づいた。
でも違ったんだよ。
彼女に会ってから俺は馬力+500~-300くらいで生きてる。
些細なことに幸福を感じニヤニヤし、ラインひとつで絶望する。一喜一憂のでかさがとてつもない。
最高に幸せだ。
人生を楽しむってこういう事なんだ。
俺の人生ってずっと、ポケモンをボタン連打して「たいあたり」だけで遊んでたんだ。
でもホントは色んな技があって何を使うか迷ったりしてもっと楽しかったんだよ。
もう馬力100の頃には戻れない。
この先が知りたい。
https://togetter.com/li/1235746
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つまらなさそうにしている赤子が居たら、変顔をして笑わせたい。
泣いている子供が居たら、優しく訊いて、可能な限り助けてあげたい。
笑ってたり、楽しそうにしていたら、自分もう嬉しくなる。
でも、最近そんな思いに、ちょっとどす黒い感情が混じってきた。
赤ちゃんに対してではない。親に対してだ。
今の自分の経済状況だと、1馬力では確実に無理だ。だからと言って、2馬力を前提にするべきではないとも思う。
ただ、最初に書いたように、この文章は『子嫌い論』の反論ではない。また、この感情に同調が欲しいということでもない。
もしこの感情を公にしたときに、どのように思われるのか、反論されるのだろうか、と思った。
https://togetter.com/li/1235746 のブクマを読むと、所謂『子嫌い論』を叩くコメントにスターが集まっているように見える。
なんでだよ。思うことすら許されねぇのかよ。
いいじゃねぇかよ、そのくらい。
いきづらい。
いきたい。
今いる会社は20人未満の規模で社長と営業以外アルバイトパート含め全て女性。
入社前に面接してくれた女性が、同性ばかりの会社は初めてでそこを少し心配していたら、『うちはドロドロした女性いないから皆さっぱりしてて仲良く仕事してるから全然心配しなくていいよ〜』と言ってた女性が一番感情的でヒステリックなタイプで周りに気を遣わせるタイプだった。
でも歳を重ねるにつれて、同性だらけの職場に転職する可能性も増えていきそうだし人生勉強だと思ってここでうまくやっていこうと思い直した。
けど仕事中その人を中心にパートさん達が始める出口の見えない雑談がこれまた凄く苦手なことに気付いて挫けそうになった。
旦那の話とか、彼氏の話とか最近のとりとめもない話。何が面白いのか、どういう気持ちでこっちは聞いてよいのかよくわからない話。何も反応してないと、なんか具合悪いのって聞かれて気を遣われるし、それも申し訳ないからうんうんうなづいてたり愛想笑いで聴いてますよ感出すとやっぱり話とんできて参加させられるし、変なこと話すとそれを材料にまた新たな雑談の(愚痴の)餌食になるし、頑張って会話に参加すると自分の仕事が滞るし、いつも困ってしまう。
自分の特性的に、マルチタスクに向いてなくて雑談が苦手なのかもしれないけど、集中してる時に話しかけられると、一旦途切れたのをまた引き戻すのに時間がかかってほんと嫌だ。みんなどうしてるんだろう?雑談くらいなら適当に話しながら書類とかは余裕で作れるって人の方が多いの?
あと雑談の中でも愚痴が多くて、社長や男営業が気が利かない、昔こんなひどいことされたという話で平気で1時間くらい盛り上がってて『それこの前も話してたのになんで笑えるの?』て不思議でたまらなくなる。みんなそれぞれ話なんか出尽くしてるのに、繰り返し繰り返し話題にあげる。絶対言えないけど徳永英明現象と自分では呼んでいる。同じエピソードで特に落ちもないのに、時には悲哀たっぷりに時には烈しく語れるってすごいとは思うけど、いつもそれをさらっと聞き流すほど強い心がない。愚痴に引っ張られてどっと疲れてしまう。
みんな普段はいい人である程度大人なだけに、悪口に見せないように悪口を言うのが上手だから、多分きっと裏では私も何考えてんだかよくわかんない子とか言われてるんだろうな。でもどうやったらあんなに気持ちを切り替えて、愚痴言った後に楽しくポジティブな顔で仕事できるのか分からない。自分には今はできないけど無理してやってたら出来るようになるのだろうか。ハードすぎる。
ひとつ女性だらけの職場のいい点をあげれば既婚者が多いため、飲み会の回数は少なくて仕事外の付き合いがないところ。
だと思っていた頃が懐かしい。
女性はイベント好きである。みんなで美術館とか水族館いこう、誕生日のお祝いしようとか、定期的に言われる。困る。
特に困るのがやっぱり飲み会で、忙しい時期を越えると気分転換にみんな疲れてるよね?ご飯行こう!という流れになる。やさしい強制なので、毎回は断りにくい。二回に一度参加すると、まぁいつもの通り職場の愚痴と旦那の話と今までの人生の話、あとはその時に参加した若い子に早く結婚しなよ〜っていう流れ。馴染みの流れ。
本音はご飯は自分の友達彼氏家族とか大事な人と食べるから楽しいのであって、職場の人とご飯に行っても1ミリもストレス発散
けど、みんなそう思いつつそれも仕事のうちと割り切って行ってんのかなと思うと、自分だけが行かないわけにはいかない気もする。
でも個人的にこれだけは納得いかないのが、以前の職場は奢りとはいかないまでも入社してすぐの歳下の後輩にはお金は少なく払わせるのが普通の流れだった。
自分に後輩がいた時は、流れで後輩とご飯行くことになった時も、先輩が乗り気なのに行きたくないとか言い辛いことも分かるから、自分が誘ったのも同然だと思って支払いは自分が多めに払ったりした。『仕事のお付き合いしてくれてありがと料』だと思ってた。でも今の職場は違う。きっちり平等に分ける。
後輩から誘ったんならまだしも、自分らで企画して、きっちり平等にお金払わせるって、違うくないか?自分語りする時は先輩顔する癖に、支払いの時は『みんな平等に仕事仲間』みたいな感じで若い子にも平気で同じ額支払わせるのが感覚としてよくわからない。
やっすい居酒屋とかならいいけどさ、大抵みんなお洒落でヘルシー志向で美味しいお店行きたがるじゃん。相場より少し高いじゃん。旦那もいなくて一任馬力で生計立ててる子に、なんでそんなことできんのかな。