なんか、すごい唐突に「私生きてもいいんじゃないか?」と思えて、明るい未来を描けて、根拠のない自信に溢れて、涙が止まらない。
運動をしたからか、甥(5歳)と二人きりで過ごさせられたことが思いの外楽しかったからか、色々理由はあると思うけど、唐突に「なんか、これからの人生なんとかなる気がする!」「楽しい人生を送れる気がする!」という楽観視が出来るようになってる。
今まで「楽しい未来」を想像することがマジで本当にできなくなっていたのだけれど、なんか、漠然と「楽しい未来」が想像できる。帰り道とか、食後とかに「幸せ」を感じている未来が想像できる!すごい!!「幸せな妄想」ができる!感動!!
私、今まで自分のことをうつではないと思っていたのだけれど、冷静に考えてうつに片足突っ込んでいたのでは?と思う。
・「自分は生きてはいけない人間」「自分はダメ人間で悪い子」「どう頑張っても幸せにならない」「幸せになってはいけない」などと無自覚に考えている
・ゆえに肉、甘味、酒などを接種しない(食べるときは罪悪感を感じながら食べる/食べた後に罪悪感に襲われる)
・何か楽しいことがあったあとは「私には楽しい思いをする資格がないのに…」と罪悪感に襲われる。
・やりたいことが見つからない。食べたいものが分からない。正確に言えば私のなかに色々な願望はあるのだけれど、無意識に私にはそうする資格がないと諦めている
・死にたいな、死ぬべきなんじゃないかなと思いつつも死ねないことに絶望している
この辺、全体的にうつの症状では…?
・頑張ることが怖い、しんどい、つらい思いをしたくないと口癖のように言っている→うつは頑張っている人がなるから、頑張っていない私はうつじゃない
という思考回路で自分のうつ思考を全然自覚できていませんでした。上にかいたことも全体的に「今思えばこう考えていた」です。
例えば、母に働けと言われたときに、私は職場で上司に出来が悪いと叱られ、同僚に感じが悪いと白い目で見られる妄想しかすることが出来なくて、そんな思いをするくらいなら絶対に働きたくないと思っていたんだけど、今思えばなんか、そんなことなくない?
人を人として扱えない人もそりゃいるけれど、心の優しい人はそれなりにいるし、仮に嫌な目に遭えば、転職すればよくない?
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基本的に悲観的な考えが頭を占めている時は、楽観的な思考はどこかに行くし、そもそも自分が悲観的だと自覚できていない。
理想は悲観的な私と楽観的な私が同じくらいの分量で話し合う脳内だろう。
でも、今はなんだかすっごい躁モードな気がするから、はやく落ち着きたい。後でガタがきそう。
おそらく私はゼロヒャク思考が強めなので、鬱モードになったときに「躁モードの時と同じだけ頑張れない私」が許せなくて、いっそなにもしないということをしてしまいがちなのだけれど、「必要最低限頑張れた私」「そこそこ頑張れた私」を認めてあげるところからはじめるべきでは。「100点以外は0点と同じ」という思考ではなく、「60点もとれた私偉い!すごい!」という思考にするべき。あと、躁鬱の概念すごく便利。「今私は鬱モードだから」と全力馬力を出せない自分を許せる。というか「全力馬力は躁モードの私だから、本来の実力ではない」と言い替えた方が私にとってよいかも。私はおそらく躁うつ(双極性障害)ではないのだけれど、そのスペクトラム上にはいると思う。
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ねえ、もしかして私「頑張らなくても"良い"」んじゃない?頑張っているかどうかで、私の良し悪しとか、変わらなくない?
別に頑張る必要がないわけじゃなくて、頑張ろうが頑張らなかろうが私は私なんじゃない?「私」に頑張るか頑張らないかなんて、関係ないんじゃない?
今はまだ半信半疑で「本当に頑張らない私も私としてしまっていいのか?」と思っているけれど、頑張っている私も私だし、頑張っていない私も私なのでは?頑張っていない私を否定する必要はないんじゃない?むしろ否定していると、先に進めないんじゃない?
そう思えると私は随分生きやすくなるなあと思うのだけれど、どうだろう、本当にそんなことおもっちゃっていいの?大丈夫?後で取り返しのつかないことにならない?取り返しつかなくなったその時に考えればいいのかな。本当に大丈夫?
頑張ろうが頑張らなかろうが私は私だからこそ、思う存分頑張ることができるのよ。
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優等生であろうがなかろうが、完璧であろうがなかろうが、私は私だからこそ、思う存分優等生を目指せるんだよ。
私、自分のことをたいして頑張れる人ではないし、完璧主義者ではないし、優等生でもないという評価だったのだけれど、自分でそういう評価をするということは、その実自分が誰よりも優等生で完璧で頑張れる人に憧れ、なりたいと思っているということなのでは?そんなものになる必要、なくない!?
人間は失敗する生き物なんだよ。失敗した自分を否定しないで受け入れて。失敗しても成功しても、私は私、どっちでも同じなのよ。で、どっちでも同じなら、成功した方が嬉しいよね。
「頑張らなくても"良い"」の対偶を書くなら「頑張らないは"悪"ではない」でしょ?(厳密には違うけどこの際気にしない)頑張らないことは悪いことじゃないんだよ。頑張らない子は悪い子ではないんだよ。頑張ろうが頑張らなかろうが、みんな等しく「子」なのよ。
私、たぶん頑張ろうが頑張らなかろうが幸せになるわ!そんな気がする!頑張ろうが頑張らなかろうが私の未来はそんな変わらない気がする!
頑張るのと、頑張らないのとで、未来が一緒なのであれば、頑張った方がいい、と思えるメンタルを継続していきたい。なんか、気を抜くと「なら頑張らない方がよくな~い?」とか言いそう。
しかしながら!頑張るかどうかに私の良し悪しは関係ないのだから、「頑張らない」を選択しても、良いのだ!
これで、良いのだ~~~!!!