はてなキーワード: 定性的とは
私はメカ系?に分類される職場なのでいわゆる「理屈っぽい話」をする機会も多い。
マーケティングやプロモーションとか他のジャンルでも会話の構成は共通だとは思う。
(より広く言えば社会問題に対する世間話とかも同じ。原発とか表現規制とかでも噛み合わない事例の何割かはこのパターンな気がしている。)
→3.提案内容について、その数値を何らかの計算式で求めると目標を満たしています。
→4.同意、納得して下さい。(決裁者なら)GO出してください。
的な奴。
私の中の理論武装的なテクニックって主に3(場合によっては2の一部まで)に意思を入れて改変することだと思ってる。
ただ、世の中には会話中に1をコロコロ変える人が結構いるのだと最近気づいた。
(※理屈が全くないところに理屈を付加するのが理論武装で改変を含めるのは定義の拡張な気もするが、拡張したらその2つは同義として扱えそうなので以降はそのニュアンスで感じて欲しい。)
前者の私の定義の例だと
現実では「いつもと違う手法ですけど、この計算なら強度を満たしています」とか
「この理論で計算するとこれだけの広告効果が見込まれます」みたいに
小手先で"頑張る"こともあると思う。それについては全く気にならない。
それは上に書いた流れのスタートである1の内容に影響がないからだと思う。
後者を例えるなら、
儲かる新事業を考えてる場で「これ絶対儲かります」→「いや大損じゃね?」って流れになってから
「この事業は会社的には大損ですが、社会のためにやるべき内容です」なんて急に言い出したら
ドラマ等だとまだカッコいいかもしれないけれど、現実だと単に発言が矛盾してる&提案の場所を間違えている人になってしまう。
「何を目的と捉えているか」なので、要は最初から解釈不一致と言えばそれまでなのだが、
流石にそこは共通認識が欲しいし、(理屈っぽい話をしているなら)明示すべき要素だと思う。
もう少し例えるなら、
鬼ごっこをしているときに「バリアー」とか言い出すタイプ。これだと思う。
即興性で遊びたいなら最初からTRPG的なルールで遊べば良い。(もちろん、そういう雰囲気の時もある。)
いずれにしろ「校庭や公園でみんなで遊びたい」が根本のはずで、
一人だけ「他者に勝ちたい」駆動の人が混ざってるとやっぱり噛み合わない。
こちらが根本だと思ってる第一条件を二転三転させながら「ロジックを提示しているのだから論理的に話している」という態度を崩さない人は非常に扱いにくい。
こちらからしたら支離滅裂でしかないので当然同意出来ないのだが、
「この理屈のどこがおかしいんだ?」「〇〇さんはこの提案で大丈夫と言うのに反対なの?敵なの?」みたいに硬直化する人がいて、そのときは本当に参った。
誰が言っていることが正しいかは難しい問題なので、一概には言えない。当然私が変な事言ってることも多いとは思う。
でも、結論ありきの人が順当な論理的思考を装うのだけは受け入れられないなぁ。
(こいつ絶対悪い奴だ。絶対に犯罪してる)→「〇〇に違反しているので客観的に見てこの人は悪い奴です」
30云年男をやってきて、己と周囲の男を見る限り、男が論理的であるというのはただの偏見。
https://anond.hatelabo.jp/20200808160355
正しくは「男は感情的にならず理性的に振る舞うべきという社会的な要請があるのでそのように振舞おうとしている」。
これは自身の一貫性を保とうとする極めて感情的・感傷的な動機から来るモノであり、論理は関係ない。
本当に男が論理的なら「法に触れなければ何をやっても構わない、法に触れていない行動を戒めるのはただのお気持ち」などというトンチンカンな感情論が支持を得たりするはずがない。
社会的に制裁を受けたから、遺族感情が峻烈だからで刑の軽重が変わるのを踏まえても法は感情を定性的な要素として捉えており、法の視野に「お気持ち」は含まれていると考えられる。
立法をする国会議員をしてより論理的であるかどうかを以て選ばれているわけではなく、より国民に支持されたかを以て選ばれている。
法の出処が情を意図して排していないのだから、法は本質的に情(お気持ち)を孕んだ存在だと考えるのが論理的。
本当に男が傾向として論理的なら「論理的に(定性的に)情を考慮する」ということが可能なはずであり、「お気持ちは考慮に値しない」という論拠を持たない感情論が振り回されかつ支持を受けていることが「男は論理的であることをよしとしているだけの感情論者の方が多数派である」ことの証左と言える。
いるのは「論理的であろうとしている感情論者」であるということを踏まえれば話し合いがスムーズになる。
あるとすれば思い込みによるセルフハンディキャップである。
フェミニストならそこは矜恃を以て主張してほしい。
http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm
https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)
やや短パンっぽい。
中国、台湾、韓国と、翻訳にかけて体操着を検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。
意外なことに、英連邦や共産圏以外にもショーツ型ブルマーが存在していた。
調査により提灯ブルマー及びショーツ型ブルマーは日本のみならず、ヨーロッパやオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツ型ブルマーはナチスの時代にまでさかのぼることが分かった。
つまり、規律や集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマーが存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義の産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。
女性が身体を自由に見せる権利の広まりとともに、レオタードや水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。
今回、私はショーツ型ブルマーの世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的な研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマーが使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。
それに、ブルマーの採用は全国的に強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマーが採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。
また、ブルマーそのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからがショーツ型ブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。
課題は他にもある。今回、ブルマーが存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。
加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放のシンボルであったのか、フェティシズムやノスタルジーの対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコの動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーやユーモアというニュアンスが感じ取れる。
https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM
また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会か国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。
https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k
長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。
それにしても、どうして下着同然のショーツ型ブルマーが採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。
例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女がパンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台が博多から東京に移ってからは昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか。
そして、もしもショーツ型ブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後のことのはずだ。つまり、この戦後生まれが大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ」世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツをはいているのだから、ショーツ型ブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。
一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心の現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心の世代ごとの差が、ショーツ型ブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。
たとえば、「テニスの王子様」に出てくる必殺技の多くが現実には不可能であることは、別にテニスをやったことの無い人でも誰でも理解する。
一方、これが麻雀になると、たとえば「アカギ」の浦部戦の「二筒トイツ落としを読んで河底でロンする」みたいな芸当ができると思い込む人が発生する。東大とか出てる人でも、ふつうにいるのである。
(そもそも「現実には無理なことをやってのけるからすごい」「理屈で説明の付かない戦術に身を委ねても勝つからすごい」というのが、「アカギ」の趣旨なのだが……)
「流れ」とか信じてるのは論外として、多くの麻雀初心者は、「上級者は牌の切り順などから当たり牌を一点で読める」みたいな、ちょっと考えれば不可能と分かることを信じる傾向がある。
いや、実際は初心者でなくとも
などということと、
ということの区別がついていない。たとえば、自分が3枚持っている牌が当たり牌になる確率はわずかに上がるが、それで3900リャンメンテンパイを崩すかどうかの判断が変わることはない。つまり、そういう知識は戦術として役に立たない。
Twitterでmedtools氏が、満員電車におけるコロナ感染の可能性について興味ありげだったので、ネットの海に放流
ちなみに、本記述は、増田の定性的な感覚に基づくもので、定量的なデータに基づく論考ではございません
監査対象は、増田が日頃利用している東京都西部および都心部のJRが主で、各線それぞれの差異はあろうかと思います
・テレワーク、オフピークにより、ラッシュ中央時間の乗車率は下がっている
# 傍証として、明確な理由(人身、機器トラブル 等)以外の、一般的な混雑に伴う遅延は、三月以降ほぼ消滅している
・一方で、オフピークにより、ラッシュ中央時間以外の乗車率は上がっている時間帯もある
ただし、ギチギチ満員ではなく、あくまで以前との相対的混雑度アップ
・外気との定期的な換気 は、車掌による明示的な機器操作が必要で、JR東では最近動作させているようだ(これより換気を行います というアナウンスがある)
・ドア開閉による換気 は、車両中央部まで効果があるのかは正直疑わしいが、同じことを考える旅客が多いのか最近窓が細めに開けられていることが多い
車内で無防備に咳してるひとは、ほぼ絶滅(たまにいても、ハンカチ使うかマスクしてる)
といった状況に加えて、朝ラッシュ時は、基本誰も喋らないため、密閉、密集、密接それぞれの感染リスクはそれ程高くない と認識。
一方、夕ラッシュ時は、17:30〜19:00前後の混雑がむしろ平時より悪化している感じで、車内で喋っているひとも多く(また、いっぱい話すひとに限ってマスクしてなかったりする)、朝よりは、密集、密接 のリスクが高い印象ですが、密閉 については前述の通り、対策されていると認識 なので、電車は三密には当てはまりにくいのではないかと思います。
個人的には、家族恋人、友人知人、上司部下同僚との移動であれど、混雑した車内で無防備に喋りまくるのは、このご時世避けていただくと、こちらの心の平穏にも寄与するので、コロナ騒動が落ち着くまでは、公共交通機関ではあんまり喋らない というムーブメントが来て欲しいな と。
結局定性的なもんだから都度議論するしかない。弁護士集めて回答聞いたって意見が割れるんだから。
んで最後は多数決になっちゃうわけで、じゃけん偏らないようにダイバーシティな職場にしましょうね~につながっていく。
さらにそれは現実的にできないから全部安全サイドに倒しときましょうね~となり、最終的には画一化された基準になって自由を求める活動家が産まれて・・・のループ。
当たり前だけど、絵だろうが裸ならアウトだよね。微妙な線引きの話してる時に「じゃあ絵ならヤッてる絵でもいいのか!」ってのはおかしいのよ。線引きは常に微妙で、だから「肌が何パーセントはダメ」みたいなよく分からん指標を作らざるを得なくなる。
エロさの基準は人それぞれなので、議論して線引すればいいのではないだろうか。4ページ使った割には1行で済んでしまった。
問題がある表現を指摘する場合は、より具体的な問題点を定量的あるいは定性的に指摘すると良いだろう。あやふやな指摘に終始すると、対抗陣営はもちろんのこと、中立派からの目にもイチャモンを付けているだけに見えがちである。説得材料を強化するにはより丁寧な指摘が必要であるといえる。実際のところ、「総合的に勘案して性的であるかどうか判断する」という理屈は分かるのであるが、その基準は曖昧になりがちである。乳袋のような明白な表現であればある程度の基準が作りやすいが、表情だったり、姿勢だったりと言ったものに対しては基準化が難しいのも理解できる。なんとか頑張ってほしい。
「お気持ちですよね」一点突破は作戦としては脆い可能性に留意されたし。仮に「お気持ち」が理由だとしても、多数派のお気持ちが一致するのであれば、自主規制ルールは発生しうる。人の気持をバカにしてはいけない。
さらに、「批判派は明確な基準を示せ」という意見も、筋が悪いと考える。擁護派はベースラインを「表現の自由(=すべて自由)」に置いた上で、対抗陣営には、ラインを引き直すのならば説明責任を果たせ、と迫りがちである。しかし、実際ところ、表現者(今回の件で言えば赤十字)にとっては、自主規制こそが全てであり、表現の自由は関係がない。そのため、ベースラインは両陣営の真ん中から始まると言ってもよく、赤十字にとっては、基準を示さなければいけないのは、批判派も擁護派も同じである。ポスター擁護派は、表現者や中立陣営に対して「この表現(今回の例では乳袋)は広く認められた一般的な表現である」ということ示し、社会通念上の合意を得る必要がある。乳袋を性的に見なさない、あるいは性的であっても過度に性的ではない、という世界を作るのはポスター擁護派の責任である。
究極的には乳袋ネイティブ世代が増えるように頑張るのが良いのかもしれない。オタクコンテンツを増やせばなんとかなる?
電気自動車というのは、リチウムイオン二次電池をエンジン代わりに350VDCを作ってFETに食わせブラシレスモータで"変速"して駆動する自動車の一種ですが、あらゆる二次電池は可逆反応を用いるゆえに、燃焼で化学的に安定状態に落として排ガスを捨てるガソリンエンジンよりエネルギー密度が落ちる。使い捨ての方が理論レベルで性能が良いのは当たり前なのです。で、ガソリン乗用車の燃料タンクというのは後席乗員の腰と尻の下あたりにあるのですが、電気自動車では燃料の低い密度のため燃料タンクでありエンジンでもある電池パックの体積を大きくせざるを得なくなるが故にこれが二倍三倍と肥大化し床下全面に広がり、ケツの下は代わりにインバータとか電源回路が行くようになっている。代わりにこの燃料タンクたる電池パックは構造部材となり車体下面を軽く手抜きして負荷を共有するようになってきている。
燃料を2倍3倍と積めばコストは2倍3倍、いやハイテク燃料なので8倍27倍と増えるのだろうかそこは知らないが増える。またリチウムイオン電池というのは最低でも1C速ければ3Cとか5C(九龍ではない。いちしーと読む。リチウムイオン電池の充放電比較に用いる、充放電電流[W]を容量[Wh]で割った慣用表記である)で充電できつまり1時間で充電が完了する、はずであるが、実は電気自動車の5Cというのは0.5メガワットとかでありザクIIF型の後付け設定上定格の半分に達する。旧ザクではない方のザクのミノフスキー核融合炉を全力稼働させても普通乗用車わずか2台か3台を定格で充電できるのみなのである。そんな大電力は急速充電所でも中々用意ができず充電時間は2時間3時間と伸びてしまうのである。
しかしまあ、原発をボコボコ建てればよい話でもある。5Cというのは1/5[hr] = 12分で充電が完了するという話であり供給できる限りにおいてはまあ抑えて20分くらい見ておけばよいわけであるし「電気自動車の充電時間」問題の原因は電池や車体の受電能力ではなく発電所の供給能力にあることはぜひ理解してもらいたいところである。
もろちん、ガソリンスタンドに12分も居たくないという当然の声は出るであろうと思うが、電気自動車はガソリンなんか使わないのだからスタンドにスタンドを置く必要はないのである。駐車場に置いてしまえ。いや駐車場に置いた"電気燃料ポンプ"からコンセントをぐいぐい伸ばして駐車スペースまで引いてしまえ。いやもういっそ電気配線なんかすべての駐車スペースに引いてしまえばいいのである。揮発性の爆発物が流れるわけではないのだから。するとどうだ、駐車スペースに20分停めておくくらいならまあ、昼飯休憩だってそのくらいはかけるだろう。可能じゃないだろうか? ついでに自宅ガレージにも配線をしてやろう。家を出る時は満タンなんである。まあ、300kmは走る。そのあと20分くらいは休憩が必要だ。そのくらいは休憩するんではないか? もちろん一日に300km走らない人は多いだろうし、休憩スポットに充電スポットは必要ではあるのだが。
この辺まで社長がまだ収賄で逮捕されてない方のブラック企業のプロパガンダな。
上を踏まえて電池交換式を考えてほしい。電池交換は1台3分ですみ、充電なら15分必要である。ただしロボットを使う交換所は充電所より遥かに少なく待ちが発生する。待ちが12分以下で済むと言えるか? 電池交換不能なら車体下面を手抜きして軽量化できる。交換式なら締結を緩くし簡単に脱着できるようにすべきだ。脱着構造はどれだけのコストアップになる? 交換後の電池パックは交換所に溜まるが、充電しても交換しても1個につき0.5メガワットの電力を消費する。意味のある違いがあるか? この質問は定性的に答えられるものではなかろうが、商業的には結論が出ている。電池交換所はあまりに初期投資が大きく、待ち時間は長く、交換用電池の充電電力要求は過大で、車体の重量増や電池容量への影響は重い。話にならんのである。なお電池規格共通化や課金モデルの話は蛇足になるので省く。
おそらく、中国の電池交換式タクシーは電池交換式ゆえに車載充電器が貧弱だし実験結果も多く収集することは理にかなっているし、交換運用を維持する方が合理的だからそうしているのだろう。あるいは中国も行政の身動きが悪く後れを取ることはあるというだけのことかもしれない。だがいずれにせよ、政治を省いて技術的・商業的に見れば上に述べた諸所の理由により電池交換式電気自動車コンセプトは破綻しており、実用化の見込みはないのである。そこを諸賢にはぜひ直視していただきたいところである。結びの言葉が思いつかなかったので句点を打っておく。
余談だが、リチウムイオン電池が絡む話には電気自動車に限らず「共通規格・交換式」を求める声を非常にうるさく感じる。こうした声が交換用電池や交換可能装置の売上に繋がることはない。顧客が求めるのは電池を含めた全体が製品寿命まで整備不要で機能する装置であり整備可能製品を求める声は顧客のものではない。ぜひ口をつぐんで消えていただきたいと思う。
実践ベースです。つまり、反復と訓練の話です。技術・ノウハウ・考え方の話ではない(多少はあるが)
そういうやつは死ぬほど転がってるので、インターネットを探しましょう。
1000%偏見だけど、多分、増田見ている人達は理論については充分に学んでいて、というか学びすぎていて、その矛盾とかが気になっちゃうんだけど、完璧な理論とか存在しない(恋愛はだいたい定性的な、もっと言うとお気持ちの話なので)と割り切って、多様な人がいるなあくらいで抑えといて、目の前の人に集中するほうがいいと思う。
訓練には体力が必要です!
恋人がいないだとか、童貞だとか、ダメ男ばっか好きになるとか、友達がいないとかそんなことはあなたの価値に一切関係ないし、そういうことをわざわざ言ってくるやつは相手しなくていい。
だからなんだよ、うるせえな。
そういうメンタリティが最も大切である。あなたはあなたのことを大切にしてくれる人とだけ関わるべきで、個々の対応に感謝することはあれど(たとえ親でも)不快だと思えば、距離を取ってそれなりの対応をするべき。
よく寝ろ。具体的な方法は無限にある。Google先生に聞こう。なんでこんな投げやりか?俺ができてねえからだよ!教えてください!
よく食べろ。よく食べる人は魅力的だ。
ただし、ジャンクフードは身体の健康を代償に心の健康を保つもの。上手く使っていこう。
最低限の衛生として、人に会う前には風呂に入れ。何日間連続で入ってなかろうが俺は知ったことではないが、人と会う前だけは入っとけ。清潔感って言う言葉は嫌い(私がキモイと思う人が無理、の言い換えに過ぎないから)だが、風呂に入ると気持ちいいし、汚れも落ちる。入って後悔する風呂なし、心に刻んで入ろう。
他にもファッションとか髪型とか爪切れだとか、無限にあるが、そんなことより健康だ。健康になったらその後でインターネットで身だしなみについて調べよう。
ステップ0ができないなら、病院にいって薬もらおう。お前は恋愛とかしてる場合じゃない。友人とか親に連絡して病院行け。頼むから。
最も仲のいい友人と飯に行く。
いつも誘ってるやつといつも行くところに行こう。
ここでやることは大きく2つ。
1つは、事前にイメージを持っておくこと。どうしたら楽しいか、どういう話を好むか、どんなメニューがあるか(おすすめか)。
もう1つは、実際食べに行ったとき、誰かがやらなきゃいけないけど、誰がやってもいい仕事を積極的にやると、本番での練習になって良い。ドアを開けるとか、水を注ぐとか、店員さんを呼ぶとか。失敗しても特に何も無いし。むしろ相手がやってくれたときにタイミングよくありがとうっていうことの方が大切かもしれないので、できなかったらできなかったでその練習だと思おう。
あとは、ありがとうを過剰だと思うくらい(理想は相手がしてくれたことすべてに)言うことと、小さいこともごめんなさいということを気をつけると1,000,000点!ぶっちゃけありがとうとごめんなさいちゃんと言える人ならそれだけで付き合っていいと思う。かなり難しいよ笑
飯行ってくれるやつがいない?それじゃあ家族と行こう。家族と仲が悪い?そうか。そこに便利な箱があるじゃろ?インターネットの人は怖い?
分かった。分かった。お前の言うこともよく分かる。俺と飯を食おう。TwitterのIDをブコメに載せておいてくれ。(俺もインターネットの人間ですが、、笑)
仲のいい友人数人と遊ぶ
こっちの方がハードル低いけど、会の成功に自分が与える影響が少なくなるので、運ゲー要素が強い。仲のいい友人同士ならそのへんをうまくクリアすることが多いけど。(お互いの得手不得手がわかってるので)
ここで大切なのは企画立てた人をいかにサポートできるかなんだけど、自分で企画することがないとどこがつらいのかとか分からないから、両輪で進めていくとよさげ。
これはなかなかにつらい。やること決めて、必要なこと洗い出して、日程決めて、必要なもの揃えて、メンバーに呼びかけて、etc……
クソめんどくせえけど、結局人と付き合うことってそういうことだと思う。
仲のいい友人と1対1で遊ぶ
これは上の2つを応用することでうまくいくと思う。
今度は相手がどういう気遣いをしてくれたかに着目すると参考になって良い。
ただ注意点として、相手の気に入らないポイントとか、気遣いできねーなコイツとか、そういうこと思っちゃって無理になるかもだよね笑
まあそういうの(どうやって折り合いつけていくかとか)も含めて訓練だよね。
モテそうな(同性の)友人と1対1で遊ぶと勉強になるよね〜。マジで。え、惚れそう……ってなるもん(なった)
ここで異性とのデートで使えそうなコースでかつ普通に楽しいところ(映画とか)にしとくとマジで勉強になる。モテる人ってそういうとこも行き慣れてるし、気遣いすご〜ってなる。なによりこのステップまでたどり着いたあなたならその気遣いのすごさに気がつける。訓練をしたものにしか分からない境地というものは何事にも存在する。多分。
ようやく異性と関わる段階です。いや、前のステップの相手が異性でもいいんだけど、ここからは絶対に異性でなくてはならないので。
合コンとかはやめろ。マジで。あれを企画・集客・成功させられるやつ、そもそも恋人に困らない。誘われたら行ってもいいかもしれない。が、失敗しても落ち込まない。勉強になったなあくらいの気持ちで。
1回でも異性と話せたらOK/事務的なことでもOK/ありがとう・ごめんなさいをちゃんと言う
この辺りを意識しつついこう。
このステップは3回くらいやるといいと思う。繰り返すうちに話せる異性ができる(一緒に仕事する人がランダムに選ばれると仮定すれば何回かは異性になると思う)し、仕事する姿に好感を持ってくれる人が現れると思う。ここでいう好感というのは性的な魅力ではなく、人間的な魅力というやつ。ここで勘違いして死なないようにしよう。俺は死んだ。
まずは友人、いや仕事仲間になるんだ。信頼を勝ち取りに行くことがここの目標。
それは絶対的な数の話なのか、恋愛対象になる人がいないという話だろうか。後者ならば大丈夫だ、話すうちにあれいいじゃんと思うことがあるし、このステップの目的は恋愛ではなく、異性とコミュニケーションをとる、信頼を得ることなので、大丈夫。
とりあえず騙されたと思ってこのステップをやってくれ。
前者ならば、ここまでで築いてきた友人に紹介を頼むと良いと思う。あなたが心身ともに健康であり(ここ重要)、人間とのコミュニケーションに問題がないことがここまでのステップで証明されていると思うので、紹介する人も安心して紹介できるとおもう。
ステップ5の打ち上げ的なやつがいいかも。まあ5と6は順序が適宜入れ替わる可能性大いにある。
プライベートとかそういうのはいい。やめろ。聞かれたら答えよう。気になることも今回は質問するのをやめろ。次回のために取っておけ。オタク、だいたい質問がキモくなってしまうので……ただ相手が聞いてきたことは相手も聞いてほしがってることがあるので、そこを上手くつくと(相手が)楽しい会話になると思う。
ここでの会話は内容よりタイミングを重視する。
情報交換型のハイコンテクストコミュニケーション楽しいのはわかる。いわゆる「オタクコミュニケーション」なんだけど。俺も好きよ、そういう会話、パタポン2の体験版でレア装備全部2個とるための効率いい方法について話したりしたいし。でもね、それいきなりやられて盛り上がるのかなり難しいし、まずきっかけを掴めないと思うんだよね。ミッキーマウスの顔が変わる話を専門用語もりもりで急に振られたところを想像してみてほしい。
けど!どっちかは無理することになると思うんだよね。ミッキーマウスの話する側はなんだコイツ分かってねえなって思うし、される方は知らねえよってなったり、タイミングを掴むだけのゲームになりがち。
ただ、そういうのが評価される場所は必ず存在し、共通の文脈が存在する場所で王になると自然と恋人ができるという構造はある。
その戦略の方がここ見てる人なんかは正直向いてると思うけど、そのルートはちょっとまだ体系化できてない&応用編にあたるのでまた今度、、
話戻すと、つまるところ会話はリズム&謎解きゲー。タイミングよく相手の言って欲しいことを伏線を回収しながら言うゲーム。相手の言葉・表情・服装・持ち物から情報・感情を引き出しつつ、タイミングよく(これが大切)なんらかの入力をする(正しい反応でなくても良い、「できる女のさしすせそ」みたいなやつはまさにそれ)と、よさげな出力が返ってきます。
ここまで来れたら、3人くらい一緒にご飯食べてくれる人できると思う。
その人たちと上の反復と訓練の成果を発揮しながら、ご飯食べに行こう。
上手くいけばそのまま恋愛に発展するかもしれないし、そこそこ上手くいけば恋愛相談に乗ってくれる貴重な異性になるかもしれない、最悪でも縁が切れるだけ、あと2人ご飯行く人いると思い直して、やっていこう。まあ最悪な感じになったら、追撃して最悪を更新しないようにその日は早く寝ようね……
あとは友人に聞くなり、そのあたりに転がってる恋愛マニュアルを読んでやっていってください。この先は応用編です。うまくいくよう祈ってます。
恋愛はコミュニケーションの最終系だ、という仮定のもと、この文章を書きました。
なので、残念ながら、すぐには結果はでないと思います。1年とかかかるかも。自分は3年くらいかかった。あらゆるステップふっとばして、いきなり告白して振られるみたいな状況から、ちゃんと人間とコミュニケーション取れるところまでになって、恋人もできたよ。
この論の肝は失敗が前提であるというところです。転んだときのダメージを最小限にしつつ、前のステップを上手く利用することで復帰しやすくすることで、試行回数を稼ぐ。結果、反復することによる洗練と経験値効率のパワーアップが期待できると思う。
もしかしたら、途中でどうしようもなくなって、立ち止まるかもしれない。消耗するよね。わかる。そのための健康。ダメだと思ったら、すぐにステップ0に戻ることが肝要。
あとは、ステップの途中までしかいけなくてもそれはそれで人生充実してない?と思うわけで、ナンパとか恋愛工学に手を染めて結果なにも残らなくてマジで二進も三進もいかないとかになるのを防ぐという点では優れてると思うよ。時間当たりの効率はクソかもしれないけど、、
これ読んでやってみようって人いたらうれしいな。がんばっていきましょう。
【追記】
友達がいないという人、ステップ0の健康をやったのちに、私が友達になるので、なんらかの連絡手段用意してくれたら連絡するよ
友達を利用するのは〜とか踏み台に〜って言ってる人は、とても誠実でいい人だと思う。たしかにそう受け取られなくもないかもね。
考え方を変えて、利用しようが、踏み台にしようが、ちゃんとコミュニケーションを取ろうとして、結果として相手に気持ちよくなってもらえるなら、それでいいんじゃないかな?