はてなキーワード: セルフハンディキャップとは
俺は暗いとか理屈っぽいとか顔がキモいみたいな意味で、オタクと呼ばれてた世代である。
オタクって言葉にはなにかに精通した人という原義もあった。たとえ込められた意味としては「キモイ奴」だったとしても、「オタク」にはオタクなりの矜持があったし、そこに守られていた部分もある。
ところがアニメやゲームといった趣味はますます一般的なものになり、オタクの意味は拡大されていき、人類総オタク時代になった。「マジで!私も超オタクだよ!ワンピ読んでるし!」というリア充キモい、みたいなのが最初に流行ったのは、もう10年ぐらい前だろうか?アプリで無料の漫画を読み、スキマ時間にソシャゲを消化し、、小学生が深夜アニメの鬼滅や推しの子を見る時代である。いまではすっかり、ジャンプを読んでる程度の奴も立派に「オタク」になってしまった。
で、オタクの座を乗っ取りにきたやつら、自分達がオタクになっちゃったもんだから、キモイ奴の呼び方を失ってしまった。バカだよな。
で、奴らが発明した言葉が「陰キャ」だ。この言葉には直球で「暗い奴」という意味しかない。こんな言葉を使われる最近の若者にはマジで同情する。これはマジで悪口だと思うよ。
陰キャという言葉の発明によりオタクはオタクの座を追われ陰キャになった。ところが陰キャという言葉、セルフハンディキャップに使うにはぴったりすぎらしく、空気の読める陽キャはなぜか陰キャを名乗る。。「私超陰キャなんですよー!」という女の子を見たことがある。嘘をつくな。陰キャは他人と一瞬で仲良くなって雑談したりはしない。まだ陽キャを名乗ってくれたほうがいいってもんだ。
そうなると、遠からず、人類総陰キャ時代がやってくる。キモい奴らを呼ぶ言葉を失った彼らはまた、キモイ奴だけを指す言葉を発明するはずだ。なんだろうね?「チー牛」はかなりそれに近いが、チーズ牛丼に失礼すぎるから流行らないだろう。食い物に罪はない。
30云年男をやってきて、己と周囲の男を見る限り、男が論理的であるというのはただの偏見。
https://anond.hatelabo.jp/20200808160355
正しくは「男は感情的にならず理性的に振る舞うべきという社会的な要請があるのでそのように振舞おうとしている」。
これは自身の一貫性を保とうとする極めて感情的・感傷的な動機から来るモノであり、論理は関係ない。
本当に男が論理的なら「法に触れなければ何をやっても構わない、法に触れていない行動を戒めるのはただのお気持ち」などというトンチンカンな感情論が支持を得たりするはずがない。
社会的に制裁を受けたから、遺族感情が峻烈だからで刑の軽重が変わるのを踏まえても法は感情を定性的な要素として捉えており、法の視野に「お気持ち」は含まれていると考えられる。
立法をする国会議員をしてより論理的であるかどうかを以て選ばれているわけではなく、より国民に支持されたかを以て選ばれている。
法の出処が情を意図して排していないのだから、法は本質的に情(お気持ち)を孕んだ存在だと考えるのが論理的。
本当に男が傾向として論理的なら「論理的に(定性的に)情を考慮する」ということが可能なはずであり、「お気持ちは考慮に値しない」という論拠を持たない感情論が振り回されかつ支持を受けていることが「男は論理的であることをよしとしているだけの感情論者の方が多数派である」ことの証左と言える。
いるのは「論理的であろうとしている感情論者」であるということを踏まえれば話し合いがスムーズになる。
あるとすれば思い込みによるセルフハンディキャップである。
フェミニストならそこは矜恃を以て主張してほしい。
はっきりいって、書いた人の不誠実な性格を読み取らざるを得ないダメな記事。義憤どころか完全に私怨まみれなのに、なぜか悪を糾弾する私みたいなポーズをとっているのはもはやギャグにしか見えない。セカンドレイプとかそう言う話ではない。それ以前の問題。とにかく雑。こう記事を書いた人は、自分は賢いと思っているバカであると断言できる。
ちなみに私は亡くなられたとはいえhagexについて批判的な姿勢をとることは問題がないと考えている。実際あの人は聖人からはかけ離れた人だろうし、本人もそんな扱いは望んでいなかったと思う。ゲスキャラとしてセルフブランディングしてたしね。
だからそこが悪いって言ってるんじゃないよ。もっと根本的にこいつはダメだ。
ところで、こいつを見てくれ。どう思う?
このまとめみたいなガバガバ論は、ガバガバなのでツッコミどころが無数にあり、結果突っ込む側にめんどうだなと思わせツッコミを回避することで「よっしゃ否定されない。勝ったわ」と虚しい勝利宣言で悦に入ることができます。まとめ主のいつもの手段なのですが。
前提が外れてるので正しい分析ができるわけないのは当然なんですが、その上でまだまだ間違いを重ねるのが凄いところ。
この人は最初から○○○の話なんてしてない(できてない)んですよ。自分の語りに都合のいい『***』像を作って、それに対して言葉を投げかける一人遊びをしてるだけですから。
とあるtogetterまとめに対する批判である。fhomeさんの批判にまったくそのまんま使えると思いませんか?
「謎図」を作成しているとこまで含めて。
はてブでも指摘があったが、バカってなぜかよくわからん謎図を作りたがるよね。
そういう意味ではテンプレレベルのバカといえるが、この人は頭が悪いくせに自分が賢いと思ってるからタチ悪いんだよね。
これ。もうこの時点で読む気をなくす。
ちなみにこの人は、おそらく批判されれれば批判されるほど、その批判の内容は耳に入らず、批判されたことを持って自分の正しさを確信するタイプです。今まで嫌というほど見てきました。
こういうことを言うとこの手の記事を書く人は、すぐに「言いがかりだ」とか「具体的な批判をせず感情的な罵声ばかりあびせる」といって被害者ぶります。 この人の場合はさらにひどくて、すでに予防線として書いてますね。
一般的に、匿名だったらなんでも無礼なことをやり放題で、それは「俺たち」のネット空間だから許されるんだ、という極めて歪な、リアル社会では到底通用しない論理で、そういう反論をよこす人間は思考しています。社会がどうあれば皆が気持ちよく生活していくか?ではなくて、自分たちがいかに自分勝手に振る舞えるか?みたいな自己中心的な発想で振る舞います。そのしわ寄せは当然その他大勢へ押し付けられるのだから、身勝手で自己中心的だということです
Hatena界隈というか、そこのイジメ、ネットリンチ、誹謗中傷常習犯は、身勝手なので、自分のことを批判されてもその正当性なんて示せるわけもないので、単なる言い訳、自己正当化するだけにきまっています。
ちなみにこんなことを言ってるけど、この人は実際にクリティカルな批判をされたら逆切れするか逃げるかどっちかです。最初から結論は決まってるくせにまともな議論なら応じるようなポーズをとる人は居ます。だまされないようにしましょう
そもそもこの手の人が自分が反発を受けるような書き方を敢えてしているのは、「内容のやばさ」を「自分の態度への攻撃」へとすりかえるためです。最初からそれを理由にして批判と向き合うことから逃げられるようにセルフハンディキャップを利用しているわけですね。はっきりいってめちゃくちゃ卑怯ですね。
さてそういう意味で、内容以前の問題で書き手の人間性がくそなので読みたくないのですが、一応内容についても見ていきましょう。
まず、この記事でははてながtwitterやtogetterより悪いということについて熱く語っていますが、それについてまともな根拠がありません。途中までtwitterもなにもかも匿名で書いてるのは悪いと書いていて、途中から論拠なくはてなが特別悪いといっています。
まったく論理的ではなく、この人の私怨だとしか読みとれません。
筆者はこのブログとはまったく別にブログ運営もしており、またTogetterのまとめ記事も作成してみたこともありますが、そこにHatenaブックマークの連携があり、かなり辛辣というより無礼な誹謗中傷を含む無責任なコメントで不愉快になったことが多々あります。こういうことを書けば、「それはたまたま記事がまずかったんだろう、批判されるのが嫌ならネットで公表するな」みたいな反論が必ずつくわけですが、「そういう問題ではない」
そこまで言うなら、自分がまとめたというtogetterを見せてもらいたいです。
・togetterコメントの批判とはてブの批判がどのくらい違うか
あたりを検証しようじゃありませんか。
・「匿名で好きなことをかけること」と
そもそも引用してる記事が、炎上ブロガーのうさぎたんの記事という時点でもう爆笑ものなのだけれど、それはおいておくとして。
うさぎたんの記事の論旨がありだとしても、その2点に関してはtogetterもたいして変わらないはずなですよね。
しかしこの著者は自身の経験を元に、はてなはtogetterよりひどいと主張する。
それなら論拠を挙げないといけないのだけれど、これ以上の説明がなく、書き手の主観でしかないことがわかる。
ってなんだよそれはただの阿呆じゃねえか。
記事の前半の時点で、書き手に論理的思考ができず、読む価値がないということはよくわかったと思いますが、後半はさらにひどいです。正直この部分、釣りでないなら完全にアウトです。
一生懸命hagexさんがいかに批判を受けるべき存在であるかをアピールするためにhagexを批判する声を集めてきているわけですが。
どう考えてもやってることがhagexさん以下です。え?あなたネットリンチを批判してたんですよね。hagexさんのやり方がいけないって書いてたんですよね。どういう脳内思考をしてたら、どれだけ面の皮が厚かったらこんなことができるんですか?
あれか、悪を倒すためなら人殺しもオッケーな人ですか。怖いですね。自分が低能先生に近いメンタリティ持ってるから低能先生を擁護してるだけですね。
ポジショントーク乙。
しかも、その部分を自分で書かずに他人の書いた記事を流用する形で済まそうとしている。
https://anond.hatelabo.jp/20180628181551
同じ記事について語っていると言うのに私が書いたのと比べて明らかに優れた記事があってたぶん私よりIQ100くらい高いんだろうな。自分が恥ずかしくなる。素晴らしいので他の人も是非読んで
https://anond.hatelabo.jp/20180629063747
kyoumoeさんは私の書いたやつに近いな。
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「メサイアコンプレックス」という言葉がある。
実際はモラルハラスメントなどに通じる考え方であるが、ここではちょっとネット向けにアレンジした理解として、「個人の問題や悩みを解決するために、わざわざ社会を変えなければならないと考え、それを呼びかける人」のことを指すこととする。「スラクティビズム」という言葉と親和性持たせる感じね。
例えば、自分がオタクとして十分なアイデンティティの充足が得られない人が、「今のオタクは間違っている。正しいあり方に直さねばならない。私が主導する」といい出したり、例えば、左翼やリベラルとして十分なアイデンティティの充足が得られなかった人が、活動の場を求めて、他に誰も問題視していないことを大げさに騒ぎ立てて自分の存在感をアピールしたりtogetterまとめなどを使って拡散しようとしたりする事案などがそれに当てはまる。
そういう人たちが、自分の問題と社会の問題を「リンク」はさせつつも「別の問題」として扱えるのであれば問題はない。当然のようにつながりはあるが、それでも自分の問題は自分の問題、社会の問題は社会の問題として、それぞれの課題を分離できるならいいのだ。
だが、大抵の人はこの2つを混同してしまう。というか、そうでもなければ、わざわざ社会の問題なんて考えようという人はそうそういないだろう。
だけど、これはわざわざ難しい事をやって、わざわざ行き詰まるように自分を追い込んでいる。セルフハンディキャップよりタチの悪い、約束された失敗に向かって飛び込む破滅願望のようなものだ。自分に酔っているだけで何の役にも立たない。
いわゆる「心の贅肉」というやつだ。
そういう贅肉がある人は羨ましい限りだ
それにしても学歴が高い人に有りがちな「自分のことだけ考えていてはいけない」という強迫観念があるのかもしれない。
最近はそうでもないと言われるが、やはり良い大学に行った人や、
本人はそうでなくとも親が良い大学に行っていたり医者だったりする人は、
多かれ少なかれエリート意識と言うのはまだ残っている人が多い。
そして、エリート意識というのは、正しく扱わないとその人間を蝕む毒になる。
数十年前の学生運動というのは当初、東大や京大などの人間が真面目に考えすぎた結果、こじらせてしまったところが出発点だった。
せっかくいい大学に通わせてもらったののに、他人より恵まれた立場にいたはずなのに、自分は何をやっているのだろう、自分だけ幸せになっていいのか、社会はこのままでいいのだろうかと余計なことを考えて、ふわふわした感覚のまま社会を変えなければならないという気持ちだけが先行してああいうことになった。
彼ら彼女らはとにかくクソ真面目なのだ。クソ真面目すぎて、背負う必要もない責任を抱え込んで、それをどう扱っていいのかわからないまま混乱してしまったのだ。
最近はてなブログでこれに近い、クソ真面目な人が混乱しながら書いたんだろうな、という記事を読んだ。
東大に次ぐ日本で二番目に難しい文系大学を出たあとニートになったりすれば、その鬱屈した感情は非常に強いことだろう。
ああ、エリート意識を持て余し、メサイアコンプレックスに取り憑かれているなと感じる。
だが、タイトルに革命、のような言葉をつけているわりに記事の内容は幼稚としか言いようがない。
自分に酔っているなとすぐわかる。
大学卒業したての人間が、雇われずに生きていくと言っているのと近い。
願望を述べるのは良いが、具体性が足りない。そこに本気を感じない。
この人はシャドウ・ワークという言葉を知らないのだろうか。 良い大学を出ていても、あまり勉強してこなかったように思われる。
自分の問題から逃げるために社会の問題を論じているだけのようにしか感じない。
自分の現実から逃避するために適当に論じている人を見ると少し腹が立つ。
そういう人間が、私は社会の問題をちゃんと考えてます、というツラをされると私としては大いに腹が立つ。
今の社会はそりゃ間違っているかもしれないが、それでもとりあえずギリギリ成り立っている。
それを支えるために結構な労力を費やしているわけだ。
ブラック企業を支持する奴隷と言われるかもしれないが、すくなくともこの社会において
別に私でなければ回らないようなオンリーワンの仕事なんかしてないが、
与えられた仕事で毎日踏ん張って、自分だけでなくて家族を養って生きてるのだ。
他人から見たらつまらない人間に違いないだろうが、そういうことを蔑ろにされたくない。
そういうことすらろくに出来ないやつが、社会の変革みたいな大げさな話をしても鼻ホジでしかない。