はてなキーワード: 試行錯誤とは
プログラミングスクールで習う内容などは入り口に過ぎず、きちんとしたコードを書けるようになるためには知識と経験が必要になる。
情報系のバックグラウンドを持った学生にしても同じで、蝶よ花よとはいかないまでも、それなりの教育コストをかけて一端のITエンジニアとして育成していく。
重要なのは単にコードのようなものが書けるだけではダメだという点。きちんと動作するコードを正確に、早く、他者と協調して生産できなければならない。
ITエンジニアになるために特別な資格はいらないため間口が広いように見えるが、実際は他の専門職よろしく、ガッツリ専門知識を要求される職業でもある。
developer roadmap なんかでググると出てくるように多岐にわたる上、学んだ先から過去のものになっていくような不毛ささえ備えている。
そして作業の遅い人、専門技術への理解が浅い人に任される仕事は雑用の域を出ないかガチガチに作業内容の指示が入る。
分野やチームによって違いはあるだろうが、出来る人が楽しい仕事のほとんどを持っていくし、出来る人であり続けるためにはひたすらに勉強を続けていく必要がある。
出来る人であり続ける特典として勉強や試行錯誤を仕事として認めてもらえてお金も出ると言った方が近いかもしれない。
と、ここまで書いて思ったけど、別に彼ら全員が優秀なITエンジニアになろうと思ってるわけではないんだよね。
それなりの給料がもらえれば良いと思って現職より給料の高いITエンジニアを志望する、あるいはキラキラした?イメージに釣られてなんとなく。
ちょっとプログラミング触らせて自分は向いてるかもって思わせるの、ほとんど詐欺だと思う。
出来る人から見える世界と、まだちょっと安心して任せられない人から見える世界は全然違う。
プログラミングスクールから離れた後は自力で勉強してしていくことになるんだけど、イメージしていたものと実際の自分の姿との間で苦しむ人が結構いるんじゃないかなと思った。
隠れてる!って言う腐女子はいるけど、隠れてないバカが炙り出された
腐女子だけじゃない!同性愛差別だ!って言うバカもいるが、差別されているのはお前らであって現実の同性愛じゃない
織田信長は、本来の彼のことを調べるにはTwitterは不向きだ
一方、高専は日本に60校程度しかない、非常に希少な学校である
高校生あるあるや大学生あるあるは世の中に溢れかえっているが、当然高専生あるあるは少ない
その中でGoogle検索しても、基本は公式情報しか出てこない
俺が大学生になる時、mixiで同じ大学のコミュニティに入ったり同じ学部のコミュニティに入ったりした
高専に通っている人はどんな生活をしているんだろう?どんな人達なんだろう?
お前らが工夫して検索しろバカって意見もあったが、試行錯誤は2回目の検索から始めるわけで、最初の検索でエロ絵が出てくることは避けられない
大体自分たちが勝手に二次創作して検索汚染してるくせに困っている人に配慮を求める神経は理解できない
だから、今回の件は、本当にあくまで「高専」という言葉に関するものでしかなく、他の場合に適用する必要を考えることではないと思う
韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督の2020年の作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である。
描かれる時代は、アジア太平洋戦争で日本帝国が敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争の責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去を清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。
その標的はまず、戦前は絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前・戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。
戦後日本を象徴する言葉は、長いこと、「平和と民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。
天皇の戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年→1945年)アジア太平洋地域で戦争を続けた近代日本の実像を覆い隠し、この戦争の全体像を、最後のわずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島・長崎の「悲劇」を前面に押し出し、米軍占領下の沖縄は辺境ゆえに無視して、日本全体があたかも戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦・平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。
1960年の安保闘争の時にも、1965年の日韓条約反対闘争の時にも、戦前の日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在を分析する言動はほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会は総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。
1960年代後半、この社会・思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長の過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長の最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。
時代はあたかも米国のベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島に輸送される米軍物資の調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジアの民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。
加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人や先住民族(インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配が人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。
「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本の近代史と現在が孕む問題群に、「民族・植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。
「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み
「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計』から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。
「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係な一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーションで流れる。
多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。
その責任の一端が、「反日」そのものの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。
画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊の大道寺将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係も自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶と悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。
映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えのなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。
「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画を制作したのは、韓国の映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画を制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議=編『支援連ニュース』420号、2021年3月6日)。社会的正義のために、加害国=日本に搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日」メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。
だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品の制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場用パンフレット所収)。
74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本の自分たちが戦後の「平和と民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本の植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。
そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現と言論の自由を獲得した韓国の新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画が日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本も韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援連ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。
最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性の存在だと思われる。
刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たちの闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。
キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。
死刑囚の獄中書簡集を読んで、あんな事件を引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつうの青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑囚である義兄とは、媚びへつらいのない、上下の関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。
そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督も女性だ。弱い立場にある労働者の現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規の女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこの作品に脈打っていたフェミニズムの視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。
コーヒー沼にハマりつつある話
https://anond.hatelabo.jp/20210305201800
ドンキで道具を買うという低いハードルをちょろんと超えた先の沼にズブズブと沈んでいく様が素晴らしすぎる。
https://anond.hatelabo.jp/20210320113656
触発されたので俺もちょっと書く。
良い豆を買えばダイソーの道具であろうと美味しいコーヒーは淹れることができる。
もちろんもっと良い道具はあるが、新鮮(焙煎から時間が経ってない)な豆を挽いて淹れるだけでインスタントやドリップパックの何段も上の香りと深い味わいを楽しめる。
美味しく淹れるだけで満足度や達成感は得られるが、どうせ家でやるなら自分好みのコーヒーに仕上げていきたい。
このコーヒーの酸味をもう少し抑えられたら、もう少し苦いのが好き、自分が一番と思うコーヒーを淹れようって話をしたいと思う。
ざっくり一般的に言われてることをまとめると
酸味 ← → 苦味、コク
浅煎り --- 深煎り
粗挽き --- 細惹き
なんとなくイメージできると思う。
あとは豆や分量によっても変わるが、道具と淹れ方である程度コントロールできる。
まずは基本となる中深煎り、中細挽き、お湯の温度は90℃でやってみることをおすすめする。基準を作ってそこから自分はもっとこういうのが好きだからこうしてみようと試していく。
それでも結構幅はあるが、まだ納得できなければ次に焙煎度を変える。
そして豆を変えてまた色々試す。
美味しいのができたらひたすら飲もう。
スマホのメモでもノートでもいいから淹れるごとにセッティングをメモしておくのをおすすめしたい。
日付け、豆の種類、豆の焙煎度、豆の量、挽き目、抽出法、お湯の温度と量、抽出時間、あらゆる変数を記録して感想とどういう改善策があるかを残しておく。
俺がやってる方法は焙煎ごとにチャプターにして、あとは淹れるごとに抽出データと感想を追記していく方法。
まあ毎日試すなら変更するのはちょっとずつだから面倒ならしなくてもいいところではあるが、今ではノートにちまちま書くのが楽しみの一つになっている。
増田に書いてくれても良い。俺が読む。
片手鍋(焙煎) 500円
ミル (挽く) 500円
キャニスターは瓶のところに色々ある。
触ってみてできるだけパッキンが強いものを選んで好きなデザインのを買おう。
ここは入り口、良い道具は後で軽く紹介する。
焙煎はまあ家の環境にもよって出来ないこともあるだろうから焙煎された豆を買っても大丈夫。
ただし、焙煎日がわかる店で新鮮な豆を買うことをおすすめする。自家焙煎のコーヒー屋ならその日にやったのを売ってたりもするだろうし、通販でも煎りたてを売りにしてる店はある。
安くても大量に買って合わなきゃ辛いし、試飲できるコーヒー屋で納得いくまで選ぶのがおすすめ。
通販で大量に買う場合は一週間で使い切らない分は冷凍しよう。完全とは言わないが、ガスの放出はかなり食い止めることができる。
一般的に酸味が強いのはコナやグアテマラ、コク重視なのはトラジャやキリマンジャロやマンデリン、バランスが良いのはブラジル、コロンビアあたり。
これは産地を示してるだけで大体の目安でしかないが参考にはなる。産地以外につく名前やグレードの決め方は国ごとに違っていてややこしいのだが、気になる豆があったらネットで調べてみるとこういう基準を満たしてるという情報が出てくるはず。
何買えばいいかわからない人におすすめなのはコロンビアスプレモ。スプレモは豆がでかくて品質が良い。
これも色々あるから値段も決まってないが
だいたい100g300〜400円ぐらい。高品質の中でも安く、本当に優等生的なバランス型なので焙煎度や挽き目で味を調節しても極端なエグみが出にくい。試行錯誤中も美味しく飲みたいからな。
また、コロンビアはブレンドによく使われるのでコーヒー屋でもコロンビアを基準にもうちょっとこういうのを飲みたいというのを話せば次に買う豆をおすすめしてもらいやすいと思う。コーヒー屋と仲良くなるのが理想の味への近道。
あと、コーヒーの酸味が苦手という人は多いと思うけど、焙煎から時間が経ってたり粉にされてるものは酸化による嫌な酸味が出てることも多いから、グアテマラとかも良い状態のを試飲してみるといいと思う。
焙煎増田も紹介していたが、近年凄い焙煎法がYouTubeで公開された。
蓋付きの片手鍋さえあればできてしまう。
この動画のハマ氏は業務用焙煎機も作ってる人で、彼はこの鍋焙煎でも焙煎機と同じような仕上がりに出来ると断言している。
実際俺も衝撃を受けた。こんな簡単で本格的に出来るものなのかと。何台も数万する家庭用ロースターを所有してる知人も今はこの鍋焙煎をやっている。
焙煎も出来れば記録しておきたい。
動画で紹介されてる焙煎指数というのを出す。焙煎前の重さを焙煎後の重さで割ったのが焙煎指数。
これは焙煎によって豆の水分が抜け、焙煎度合いによって抜け方が変わるからなかなか参考になる指数だ。
中深煎りだと1.20とかそのあたり。
これはお湯に挽いた豆を漬けて、最後にペーパーで濾す方法で、漬け時間によって味のコントロールをしやすいのがメリット。スケールさえすれば同じ味に出来るので試行錯誤段階にもちょうど良い。1杯分でも美味しく淹れやすく、先の細いやかんも不要なのも良いところ。ドリップより時間かかるのと洗い物が増えるのは欠点だが、つきっきりじゃなくて良い。
まず、お湯を沸かしてる間に、ミルで豆を挽く。
基準は中細挽き。ダイソーのミルなら真ん中の目盛り。パワーは弱いがこの惹き目なら楽に挽けると思う。
150ccを一杯分として、豆は10g。
お湯の温度は90度。正確にやりたい場合は測る。測らない場合は沸騰してから蓋開けて2分待つ。冷ましてる間にビーカーにお湯入れて温めよう。
温めたビーカーをデジタルスケールに載せて、粉を投入。ボタン押して0にしてから150gになるまでお湯を入れる。お湯を入れはじめたらタイマースタート。(スケールがない場合は先にビーカーの目盛りで150入れてから粉入れる。味に大差はないはずだが、なんとなくお湯を粉にかけないと気分が上がらない)
浮いてるのをスプーンで沈めるように軽く混ぜる。漬け時間は3分。混ぜた後は皿かなんかで蓋をしておこう。
この間にドリッパーにペーパーをセットしてお湯を通して紙の匂い抜きと温めをする。この抽出は温度が下がりやすいのでコップも温めておこう。
3分経ったらコップに乗せたドリッパーに注いで濾していく。ビーカーに粉が残っても良い。
最後まで落ち切るまで待つ。完成。
たぶんこのやり方なら普通にドリップするよりガツンとコーヒーの味を感じられるはずだ。
後は次に淹れる時にお湯の温度、豆の量、惹き目、漬け時間を変えて自分好みに近付けていく。
例えば酸味がもう少しと思えば挽き目を一段粗くしてみる。
まだ足りなければその挽き目でお湯の温度を下げてみる。
単純に薄い濃いという感想が出たらまず豆の量を調節。次に漬け時間。少なければ酸味が立ちやすいし短く漬けても酸味が強く感じられるということもある。
ここで色んなパターンを試してもまだ納得できなければ焙煎度を変える。
焙煎度を変えた豆でまた淹れ方を変えていくの繰り返し。
もっとコクを求める人はフレンチプレスも試してみてもいいかもしれない。ダイソーに500円で売ってる。出来もまあまあ。
フレンチプレスは紙のフィルターを通さないので油分が出て濃厚になる。
濃いのはいいけど油はもうちょっと減らしたい、ということなら、フレンチプレスで出したコーヒーを半分だけペーパーで濾してみたりする方法もある。
俺はそこまで深いブレンド沼にはいないが、ちょっとずつ冷凍したのを残していてたまに遊びでやる。
3種類以上だと何がなんやらわからんくなるので2種類の比率をいじるぐらいの遊び方。
混ぜるのは焙煎後の方法だが、出来るだけ焙煎度は合わせておきたい。
クセのないコロンビアやブラジルをベースにすれば大惨事にはならない。
トラジャの濃厚さは好きなんだが、もうちょっとすっきり酸味を出さずに飲みたいと思ってて適当に混ぜたらめちゃくちゃ理想の味になった。
ネットで一般的に言われてることより自分の舌が一番参考になる。
ダイソーの道具で色々試してるうちにこれは道具が良ければもっと美味しくなるのではと考えると思う。答えはYES。
特にミルは重要。ポイントは均一に挽くことができるかどうかと雑味が出やすい微粉の少なさ。
だからナイスカットミルを買う。これは正解なんだ。均一さが凄いしはっきり味のまとまりを感じられる。だが高い。いつの間にか35000円だ。そしてエスプレッソができない。でも良いんだ。
手挽きだとポーレックスになるのかな。微粉はちょっと出るけど回しやすいしナイスカットに辿り着くまでに一番感動したミル。バリスタでも推してる人は多い。
浸漬式のドリッパーはクレバードリッパーという便利なものがある。これは2000円ぐらい。
平なとこに置いてるとお湯が流れずコップやサーバーにセットすると落ちる仕組み。だから紙をセットして粉とお湯をそこに入れて待ち、時間が来たらコップかサーバーに置くという簡単工程で出来る。
フレンチプレスに興味があればボダムかな。これも2000円である。これに関してはダイソーから遠回ししなくていいかもしれない。やはりフィルターの出来が違う。プレスした時に粉が混じりにくいから濁らない。
キャニスターはやっぱりハリオ製が良い。密閉がしっかりとれる。安いのだと600円。
あとはお気に入りのコップを買おう。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
コロナで暇になって前から気になってたコーヒーの自家焙煎をはじめた。
豆を家で挽いてドリップした時も大概感動したものだが、焙煎して時間が経ってないコーヒーを家でずっと楽しめる喜びはそれを上回っていた。
他の食べ物ほど鮮度が重要視されてない気がするけど、焙煎翌日〜5日目ぐらいのコーヒーは最高だ。
適当に買ってきた豆とは比べ物にならないぐらい膨らむし、香りも段違い。
煎り具合によって酸味や苦味をコントロールでき、挽き方や抽出方の違いも組み合わせれば一種類の豆でかなり楽しめる。
酸味が強いと言われてるグアテマラを深めに煎ってみたら酸味苦手でもほどよく酸味を楽しみつつ美味しくいけたり、とにかく毎日の試行錯誤が楽しい。
豆を栽培するのは無理として、生豆を手にしてからはプロと同じプロセスを経ることができるのもテンション上がる。
Amazonに出店してるdr i gamaという店がおすすめ。不良豆が少なく、1キロで1300円ぐらい。不良取り除いても900は余裕で残る。焙煎したらもっと減るけど1300円で50〜60杯淹れれる。ブラジルとグアテマラとスプレモ買ったけどどれも美味かった。
そして意外とハードルは高くない。
この方法の良いところは色々ある。
・ダイソー500円鍋で出来る
・蓋をするから薄皮が飛ばない
・ムラになりにくい
・再現性が高い
安くはじめられ、家を汚さず、慣れれば安定した味を出すことができる。
別の動画で解説されてた情報として、煎る豆と同じ量の水を沸かしてみて、2分で沸騰する火加減でやるとちょうど良いそう。
リンク先の動画は中深煎りだが、浅煎りや深煎りの動画もあった。
うちはIHでやってる。10段階の8で、傷汚れ防止マットを挽いて浮かさずに前後に振る。最初はカセットコンロでやってたけどこのやり方で同じように出来ることがわかった。
他の家の鍋でやるYouTubeも色々見てみたけど、フライパンでかき混ぜる方式だとムラになりやすそうだった。温度が上がることで焙煎が進むから、蓋をして満遍なく加熱しつつ振るのが一番合理的なんだと思う。
最初は失敗して時間が長くなりすぎたが、飲めないことはなかった。ただ20分超えて長くなりすぎると日ごとにみるみる風味が落ちて焙煎後4日後ぐらいから雑味が出始めた。
15分以内に中深煎りまでいけたら翌日〜1週間後までがピークという感じ。
5回もやれば火加減も振るリズムも覚えるから毎回同じように出来るし、時間で煎り具合もコントロールできるようになる。
今は週に1回100gずつ焙煎してるが、いうても15分で終わるし週末の楽しみとしてちょうど良い。
道具を使う方法だと定番の「煎り上手」も使いやすい。これは直火の上でしゃかしゃか振るだけなのでより再現性は高い。
網直火系は焦がさずに時間内にやるのが難しかった。くるくる回すのは楽しいんだけど、皮が飛びまくるのも難点。
ちなみに上にリンクした動画では普通のペーパードリッパーでやる浸漬式の解説がされてる。別の容器で挽いた粉とお湯を混ぜて3分浸透させてフィルターを通す。
プレスしないからフレンチプレスとの比較は出来ないが、すっきりかつコクもしっかり出る抽出法で煎りたてコーヒーにはかなりおすすめ。
焙煎をしなくても惹き具合、抽出法、お湯の温度と変数が多いのがコーヒーの醍醐味だ。
これ見る限りは限られたパイを取り合ってるけっこうヤバ目の業界という感じがするがどうなんだろう
いろいろ未知の世界があるなあ
主だった士業の間で、行政書士以外に「ヒヨコ食い」があるという話を、管理人は聞きません。行政書士にのみヒヨコ食いが横行する原因は、ひとつには行政書士試験が実務と全く関係ないこと、もうひとつには経験ある先輩のもとで実務に接する機会があまりにも少ないことによると思います。
行政書士試験に合格して、期待を胸にハローワークへ向かいます。行政書士の求人を探しますが、それ自体が大変少ないことに気づくまでそう時間はかかりません。履歴書と職務経歴書を、書いては郵送しを繰り返し、疲れ果てて、何とかならないかとインターネットで検索をかけまくっているうちに、引っかかってしまうのが「実務研修」であったり「アカデミー」であったりするわけです。仮にこれで引っかからなかったとしても、実務経験も営業ノウハウもないのにいきなり開業するしかないのか、と決めて開業し、案の定仕事は取れず、営業の仕方もわからず、手持ち金は先細り、焦るところにSEOだの広告コンサルティングだのという話が舞い込むことになります。
ヒヨコ食いが横行するもうひとつの理由があるとすれば、行政書士の業務がはっきりしていない上にマンガやドラマの影響で行政書士試験受験生が大量発生してしまった事があると思います。よく調べないまま「法知識を用いてほとんど弁護士のような活躍ができるが、その割にハードルはあまり高くない資格」というイメージが出来上がってしまいました。行政書士試験は合格率制ではなく、合格点制です。300点満点中180点取れれば合格なのです。結果、毎年合格者を排出し、市場は完全に飽和状態です。
許認可申請の代理と入国管理書類の作成は行政書士の独占業務で、行なってもどこからも待ったがかかりません。ですがその市場規模を考えれば、明らかに現状は行政書士が飽和状態だというべきでしょう。そうなると有利なのは以前からの顧客を抱えている古参の行政書士です。新人行政書士は、なにか自分にできることはないかと試行錯誤した挙句、非司行為や非弁行為に手を出すのです。そして非司行為や非弁行為で急成長した「成功した新人」が純然たる新人をターゲットにしたヒヨコ食いをするケースが目立ちます。
非司行為や非弁行為でもいいから、業務を行なって成功したいと考える人がいるかもしれません。しかし、そう考える方は今が「士業戦国時代」であるということを心のどこかに留めておいてください。サムライ業が増えすぎ、これまでは業際問題的に考えると行政書士に行わせておいてはいけない行為であっても「まあ、周辺業務だし」で許されていたところ、本来の資格を持つ人から「それは我々の仕事だ」といつ主張されてもおかしくない時代なのです。例を挙げますと、グレーゾーン金利の撤廃によって、借金をしていた人は一定の条件のもと払い過ぎた金利を取り返す事ができるようになりました。いわゆる「過払い金返還請求」です。この業務を最初に見つけ出したのは司法書士です。従ってはじめは司法書士の間でこの業務は人気業務となりました。しかし、弁護士としてあまり儲けていなかった人が、この業務は弁護士の仕事だと言って手をつけ始めると、あっと言う間に司法書士は弁護士に駆逐されることとなりました。
行政書士は、弁護士、司法書士、税理士、公認会計士、弁理士、社会保険労務士など、主だったほとんどの士業との間に業際問題を抱えています。そして、法律を素直に読む限り、ほとんどのケースで行政書士は不利です。仮に利益が上がるようになってもいつどこから「それは我々の仕事だ。出て行け」を言われても文句は言えないと覚悟をする必要があります。
ほぼダーツなんて投げたことはなく、はるか昔に会社の飲み会の二次会で1ゲームほどしたのが最後の記憶だ。
共通の友達もダーツが好きだということもあり、私1人だけド下手なのがなんとも悔しく、早々にマイダーツを購入した。
ほぼ共通点がない彼氏と共有できる趣味ができたということもあったが、何よりも自分自身が負けず嫌いな傾向があることが大きかった。
週末ダーツバーで投げていたが、マイダーツを買ったところでダーツ歴1ヶ月にも満たない上に相当な運動音痴で投擲スポーツ全般おそろしくセンスのない私はド下手のままだった。
これは誰に言っても「どうやったらそんなレーティング出るの」と聞かれるが、出るもんは出るんだからしゃーなし。
そもそも的に当たらないのだ。たった2.5m程度の距離ですら狙えないなんて、ある種の人間には想像もつかないだろう。
まぐれのブルは全く嬉しくない。
ダーツ歴1ヶ月で自宅にダーツボード買うなんて我ながらアホだと思うが、週に1回のダーツでは歴6年の彼氏や、少なくとも2-3年はやってる友人らに並べるのは遠い未来のことになるだろう。
ダーツボードを購入し、投げ方を改めたところ、レーティングはなんとか3まであがった。
01は狙ってスタッツ60台も出せるようになったがいかんせんクリケがクソすぎて、やはり自分はド下手だなと感じる。
そんな折、彼氏から「1日50ブル入れてみなよ」とアドバイスを受けた。
ほほう、それはいいかもと思ったが、これがなかなかどうして難しい。
どうやら本番に強いタイプらしく、家だと店ほどの結果は出せない。投げ方を試行錯誤している最中ということもあり、50ブル入れるのに3時間以上かかることもある。
当然社会人として働いているのでそんな暇などない日もある。
が、ここの所毎日夜になると彼氏から「50ブル入れた?」と連絡が来るようになった。
最近仕事が忙しく、ヘトヘトに疲れて投げる気すら起こらない日もあるが、それでも進捗確認が来る。
こうなると少し嫌になってくるのが人間の性だと思う。
今日も客先と揉めて精神をすり減らし、自宅に戻ってからも悶々と考えて、風呂で頭をリフレッシュさせたところに「50ブル入れた?」とメッセージが。
辟易した。そりゃ負ければとても悔しいが、なにも明日にでもみんなに追いつきたい訳では無い。
むしろ驚きのレーティング1を数週間で3まであげたこと、なんならスタッツ20-30だったのを45-65まであげたことを褒めて欲しいぐらいだ。
少し言い訳をするなら、仕事はタイピングすることが多いので腱鞘炎の狭間にいるというのに、腕ぐらい休ませてくれとすら思い始めている。
更に最近要求があがり、クリケの練習として各点数の箇所に10回ずつ入れる練習もしなよと言われた。
「アラフォーおじさんはファッションの情報や感性もアップデートされない」という記事が話題だ。しかし、結局のところ何をすればいいのか提示されないままになっていて、「じゃあ俺はどうすればいいのか」という気持ちになっている人も多いのではないか。
はてブでは「ファッションは興味ない」「好きな服装を着ればよい」という意見があって、頭を抱えてしまった。こういった考えの根底には、ファッションを自分のためのものだという考えがある。こうした人々は、なぜかファッションを個性や自己表現の一部だと思い込まされている。あほか。だから、キモいおっさんだと言われるのだ。アラフォーのファッションに、そんな高度なことは必要ない。どういう服を着るかは、相手への気遣いだ。人に不快感を与えないだけで十分だ。おしゃれになる必要はなく、身だしなみを整えるだけでよい。服装でプラスの印象を持ってもらうのではなく、マイナスの印象を与えない。それをゴールに設定しよう。おしゃれは難しいかもしれないが、身だしなみは簡単だ。
身だしなみには方法論がある。その方法論が分からないのであれば、単に勉強をすればよい。自分のセンスを信じて試行錯誤するのが一番無駄だ。勉強といっても、そんなに難しいものではない。本を一冊読めば、それでこと足りる。お薦めの書籍は大山旬さんの書籍だ。アラフォーにターゲットを置いたファッション解説本を多く執筆している。だいたい内容は一緒なので、適当にどれか一冊を読めばいいだろう。身だしなみの基本は清潔感である。アラフォーおじさんは、加齢のせいで、素のままでは清潔感が出せなくなってくる。そこで身だしなみで補う必要が増してくる。情報や感性のアップデートが問題なのではなく、加齢が問題なのである。ファッションに興味がなければない人ほど、その道のプロの方法論を学んで愚直に実行するだけでいい。自分自身のセンスや感性は不要だ。
お返事どうも!
正直わからないですねw 俺はいつも重視せずにクリアできているから重視してないだけで根性極振りライスとかも見るので、そっちでもクリアすることはできるんだと思います(そもそもライスの適性は根性20%アップ、スタミナ10%アップなので根性極振りのほうが強くなるのかもしれない)
>きれいにまとまってないと何かのチカラが働いて負けるのかなと思ったのだけれど、そういう実感ってある?
ないですねー。俺はいつもスピ>スタ・賢さライスでプレイしてパワー根性は切り捨ててるので(ライスは1度クリアしてからURAまで含めたクリア率100%)
「スタを削って春天を攻めた方がいいんだろうか」この方法はアリかと。マエストロが取れる環境かどうかがわからないのでなんとも言えないけど取れるなら取ってスタミナを少なめ、その分スピードを積むと有馬いけるかも。
俺は有馬で負けた経験がなくて、そちらの話と総合するといつもスピードが勝ってるから以前春天で苦戦して有馬で負けたことがないんだと思う。
スピードライスが最適解とは思わない(カード自体にはスピード適性がないので)けど、1度エンディングまで行くというだけなら作ってみてもいいと思います。
その時は青特でスタミナを補助する必要があるので、クリークかイベスピをフレ枠で使うといいと思います。
>足りてないステータスの底上げを考えている時に得意分野の友情トレーニングきた時はどっち取ってる?
「より伸びるステータスを重視した方がいいかなと思って」←私もこれですねー。
友情トレが発生する=トレーニングレベルが高い=一度にもらえる数値が大きい=ランクが上がりやすい、だと理解しているので。
逆に「足りないステータス=トレーニングレベルが低い=練習しても数値があんまりもらえない」ですよね? なのでそういう部分はイベントの選択で苦手な分野の数値とれるようにしたり、因子で盛ったり、スキルでカバーしたりしてます(スピードに不安があれば加速スキル、スタミナに不安があればスタミナスキル)。
特にイベントの選択でもらえる数値は固定なので漫然と選ぶのではなく弱い分野がもらえる選択肢を選ぶのは重要かと!
※もしあと何度か有馬で詰まるようでしたらプレイ映像出すことも出来るので(DMM版がきたので)、言ってくださいな。)
追記:
ちなみにフレ枠のトレンドはどうもたづなからファインモーションに移っておるようで、私もファインモーションに切り替えていってます。まだ試行錯誤の段階ですが念の為の情報として。
まだ二十代なんだけど、最近露骨にゲームする体力の限界を感じていた。
せっかく買ったゲームを、時間はあるのに30分くらいやったらもう今日はいいか〜と投げてしまう。最悪ストーリーの途中で触らなくなる。勿体無いことしてるなと思いながらも、本当にやる気が出なくなる。
魅力があるゲームに出会えてないとかそういう問題じゃない。ソシャゲに慣れすぎたせいで、敵に倒されたときにコンテニューもできずにキャラクターを鍛え直すのがもう面倒で面倒で仕方なくなった。シナリオが売りのゲームだと尚更そうで、この先が知りたいのにレベリングやプレイの試行錯誤するのが面倒!飽きた!で投げてしまう。30分以上そういうことを強いられるともうダメ。Youtubeで実況見ればいいかな〜で終わってしまうようになった。
ストーリーがほぼなく、戦闘が数分で終わるスプラトゥーンや、ストーリーがすぐに終わってあとは好きにやり込みでいいポケモンが続けられているのがその証左で、ストーリーを読む/ゲームを進めるために同じ作業を繰り返すことが本当に楽しくなくなってしまった。もちろんソシャゲでも周回はあるけど、画面を見なくてもながら作業できるくらいには効率化できたりオートがあったり、移動時間にやるからむしろ操作してないと暇だったりするし、最悪強敵にはコンテすれば良いのでぎりっぎり続けられている。でもそれだってギリギリで、好きなキャラのイベントの時とかじゃないとしっかりはやれていない。
だからウマ娘もダメだろうな〜と思っていた。ダメじゃなかった。できた。今日は三時間やっていた。ガチャゲーだから始めたての今は全然カードが揃っていなくて育成キャラと噛み合わなくて上手く勝てないし、コンテには制限があるし、一プレイに一時間前後かかるが、普通に続けられている。すごく楽しい。自分、体力あるじゃ〜〜ん!!ってなっている。
もちろんウマ娘のイラストやキャラの作り込み、モデルの綺麗さが理由なのもひとつだが、それよりも「スマホゲームで育成のやり込み」っていうのがすごく自分に刺さったんだろうなと思う。案の定パワプロとシャニマスも触ってみたらすごく楽しかった。昔の倒せない敵のために何時間も周回したり、動きを考えて試行錯誤する楽しさが一気に甦った。
理由はもう簡単で、移動時間とか待ち時間とかそういうロスタイムだから周回を苦に感じないんだと思う。ゲームは好きでやっていること、やっていることなんだけど、空き時間、何をやってもいい自由な時間を全部それに費やすのがたぶん自分は相当体力を使うというか、飽きやすくなってしまう。家でサブスクで映画を見るとき、他のことはなにもせずに二時間映画に集中するのは難しいが、映画館で映画を見るとき、飽きたな、途中で何かしたいな、とは思わない感覚に近い。他にすることがない環境ならまだ楽しいんだな、こういうゲーム、としみじみしてしまった。まだ試行錯誤しながらゲームをする体力あったんだな。
そういうわけなので、自分みたいな据え置きゲーム投げちゃうマンにはスマホの試行錯誤ゲームが向いてると思います。ソシャゲなので課金して多少ゴリ押せちゃったりするしね。これでリハビリして、またぽちぽち据え置きゲーにも戻れたらいいなと思うし、戻れる予感がする。
ウマ娘秋田賞(増)を1位で駆け抜けた俺がウマ娘に何故飽きたのかを語っていく。
ここで語られた話をブログに描いた奴は「それ、増田でもう読んだわ」と周回遅れを煽ってやろう。
俺からの「出遅れ煽り ◎」のプレゼントだ。ダイジョーブ博士方式なのでスキルptはいらない。感謝しろ。
・同じことの繰り返しになりがち
・ただスタミナを消化するだけでも1プレイ2,30分を毎日5周するのでなんだかんだ結構遊んでる
・URA優勝がある程度安定してしまうとその先のコンテンツはチームレースと因子ガチャ
・因子ガチャは最終的にひたすら運ゲーなので試行錯誤の余地が薄い
・チームレースで勝利を目指すのはやりがいはあるがデバフスキルをいくら詰めるかの戦いは最強厨の自分と相性が悪い(ゲームで9999ダメージ出すの大好き)
・レースを見て敗因が分析できるようになると楽しいがある程度を過ぎると「知ってた」が増えてきてただの運ゲーに見えてくる
・環境毎のメタによるじゃんけん要素がなく同じ距離なら同じ戦略が最適になりがち
・ゲームとしての楽しさと同じことを繰り返すことによる飽きは別問題でありとにかく飽きた以上は仕方がない
・本当に楽しいゲームだったと思うがハイペースでユーザーに遊ばせたことによりハイペースで飽きてしまうプレイヤーが出るのは当然でもある
・無理に引き止めるようなことをせずスッキリ辞められるのはいいゲーム
・結局は一人プレイが多いゲームなのでいつでも復帰できるのはいいこと(この点を考えると「コンシューマーで出して欲しい」はちょっとズレてる。SSRがない?1枚は借りられるから残りはRで工夫してあとは運ゲーに勝利すればいいだけ。育てたいウマが沢山いることについては……新アカウントを作って取り直すとかはどうでしょうか?)
・スタミナをお手軽に消化できないのが気になる人は目的と手段が入れ替わってるから一度自分を見つめ直したほうが良いと思う
・いっそサポカ入れたら全自動でプレイしてくれるモードとかあってもよかったかも(それのどこが面白いんだ?と思った人に説明するのは難しいですね……ライフゲームみたいなものが好きになれるかどうかは素質に左右されすぎるので)
・まあいいゲームだったのは間違いないので飽きたというだけでクソゲー呼ばわりはせんよ
・後ろ足で蹴るような真似はしないのさ、なぜなら俺はゴルシじゃないから
悪口は大抵そのまんま自己紹介だったりするので、「ああ言えばこう言う」ご自身の性格を振り返るといいと思うよ。
ワタルが大好きみたいだけど、あれはロボットアニメにRPGのテイストを入れた作品といった方が自然。オタテイストが強く好き嫌いの分かれる内容で、メインストリームを歩く作品じゃないよ。
80年代の試行錯誤として理解はするけど、ダイの大冒険の議論に入れるのはいささか強引。
騎士ガンダムなんて、SDガンダムにおける単なるRPGのパロディでしかない。カードダスとしては面白かったけど、漫画やアニメのストーリーなんて殆ど誰も知らんだろ。
エスパークスに至っては、もはやサンエックスの社員ですら知らなそうなマイナー作品。しかもテーマはSFもの。
この2つは例としてはピントがずれ過ぎてる。どれも、ドラクエ的な世界観の冒険物語とは言い難い。良くても亜流。エスパークスは論外。
唯一ビックリマンは、興味深いとは思う。ちゃんとファンタジー系だし。ただコロコロ的世界観全開で、ニチアサ的な「お子様向けアニメ」として作られてる作品。ちょっとお説教臭さもある内容。あれに慣れた子供にダイの大冒険見せれば、「こんなの見たことない!」って食いつくでしょそりゃ。
RPG的な作品が当時あったかなかったか、と言う議論で言えば、そりゃ存在していたのは知ってるよ。でも、大半が格落ちな作品ばかりだったんだよ。ゲーム作品ばかり扱ってて、RPGをテーマにした作品もあるわんぱっくコミックなんて雑誌もあったけど、影響力は皆無。殆ど誰も読んで無いし、内容も一段見劣りするのが実態。
そういう前提込みで、「それまで珍しかったドラクエ的な和製ファンタジーを題材にした冒険漫画が、王道であるジャンプに出てきた」って書いている。
みんなが読んで無いもの取り上げても、この内容に対する反論としては適切じゃ無いよ(その意味ではバスタードは理解できる)。メインストリームに出てきたから衝撃だった、という話なんだから。
VRCに疲れちゃったという私の話をぶら下げておこう。入った者の1人の末路として。
かわいいアバターをboothで買ったり、自作して小物や衣装を変えて楽しんでるフレンドを見ていいなあと思うものの
慣れないUnityとかBlenderを学ぶ時間もなければ試行錯誤する時間も作るのが難しくてなんか疎外感を感じてきた。
自分のアバターを可愛くしてあげたいという欲求はあってもそれを叶えられないもどかしさ。
skebの人が新事業としてアバター改変を有償でということを考えているようだけど
かわいいアバター全部欲しいと思ってた時期もあったけど、買っても自分では持て余すと思ってしまって手が止まる。
仕事をしている身では平日から深夜まで話し込むということも難しいから仲良くできるひとを見つけるのすら難易度が高い。
入ってみてわかったのが広いVRCといえどその目的は人ごとに様々なこと(人恋しい・アバターを可愛くする・ワールドを作るetc...)
あと人はたくさんいるんだけど結局よく知ってる人になると手で数えられるくらいの人数しか相手できないし
いにしえのインターネットを思い出した。世界中の人とつながっているけど、やりとりしたり参加するのは日本人で知っている人たちのコミュニティーだけ(フレンドだけのお部屋)。
間違ってる、というよりは解釈の違いでしょうな。
バスタードは剣と魔法の世界だし、これはこれですごい漫画だったけど、コテコテの劇画調の作品で、80年代的なジャンプのバトル漫画のカラーが強く、人気も局所的にカルト的なファンがいるにとどまっている。要素の取捨選択が強めで、ドラクエっぽいRPG的な世界観が作り込まれていたとは言い難い。
ダイの大冒険は、もうちょっとドラクエ寄り、ドラゴンボール寄りの、親しみやすい和風ファンタジーのフォーマットを提示したのが大きかった。ドラゴンボールの系譜に連なる漫画は当時まだ多くなかったので。
バトルものとしてさほど成熟していなかった読切版が、ものすごい読者支持を得た、というのが説明上のポイント。ファンタジー、というより、ゲーム的な世界を漫画で読むという事に読者が飢えていたんだろうと思う。
その後のヒットについては、90年代的なジャンプのバトル漫画の流れに乗れたから、という理解で特に異論はない。
少年誌で和風ファンタジー漫画がやりにくい、というのは、ジャンプのバトル漫画的なヒットの方法論と合わせにくい、という事なんだろう。ダイの大冒険が、そこを割り切って、中盤以降ジャンプのバトル漫画に舵を切ったのがバトル漫画としての大きな成功要因であることには異論はない。
この時代は、ドラクエ的な世界観を漫画やアニメの物語のフォーマットに落とし込むための試行錯誤が行われていた時代である事には、異議はないと思う。そして、ダイの大冒険の、特にフォーマットの完成度の高さが、その後の和風ファンタジー作品に強く影響を与えた、と見ている、というだけ。
ドラクエ色を強めたアンチテーゼであるロトの紋章が登場したけど、作りとしてはかなりダイの大冒険に影響を受けている。パーティ構成もかなり似ているし。ダイの大冒険は後発作品の基準値となっている、影響力の大きい作品、とみるとしっくり来る。だから、未だに語り継がれているんじゃないのかな。
現在、大流行のソーシャルゲーム『ウマ娘』。これについて、どんなゲームか軽く説明しながら、少し難点も挙げようと思う。
最初に『ウマ娘』がどんなゲームシステムを簡単に説明しておこう。まずプレイヤーはウマ娘を一人選んで『育成』をスタートする。そしてトレーニングでステータスを伸ばしながらレースに参加し、どのレースで何着以内、といった課題をクリアしていく。最終的にUDPファイナルというレースで優勝すればクリアだが、ここまで至るのは始めのうちは容易ではない。マクロには所謂ローグライク(風来のシレンなど)と同様のゲーム構造をしており、リロード不可でゲームオーバーになると最初から『育成』がやり直しになるシビアなシステム。しかしそれだけにテンポ良くリトライを繰り返しながら学習していくやりごたえのあるゲームとなっている。ローグライク系のゲーム構造と比べて大きな差異となっているのは『因子継承』というシステムだ。これは以前に育成したウマ娘の能力を、次回以降の育成対象にある程度引き継げるというもので、これを繰り返すことによって徐々にウマ娘の能力が高まっていき、UDPファイナルでの優勝も近づいていく。短期的な試行錯誤をこなしつつ、永続的な報酬も得られるというゲームデザインになっているわけだ。
次はストーリーについて見て行こう。ストーリーは一言で言えば、スポ根モノ。ウマ娘たちが勝利し、時に挫折し、迷いながら、己の道を見つけて進んでいく様が情熱的に描かれている。王道ではあるがクオリティは十二分に高く、キャラクターにビジュアル以上の魅力が全く無いソーシャルゲームの多くとは明らかにレベルを異にしている。勿論、ビジュアルについても魅力が無いわけではなく、高品質で表情豊かなキャラクターの3Dモデルも非常に魅力的だ。
と、ここまでウマ娘の良い所を挙げてきたわけだが、しかしながらこのコンテンツ、今後の展望には一抹の不安がある。その理由は、現在の異常な流行が続くのかが今一つ分からないためだ。実は、ウマ娘に関する現在の話題は(キャラクターコンテンツ作品としては意外なことに)キャラクターではなく、前述の『因子継承』システムに関わるものがほとんどとなっている。より強い『因子』を作るためにはどうしたらいいか、その方法論や成功報告などである。また、『育成』を行うモチベーションも、既にUDPファイナルというゲーム中の現在の最終目標はとうに通り過ぎており、とにかく強い『因子』を作り出すことへと向かっている。不安要素というのはまさにここである。ソーシャルゲームにおけるプレイヤーのコア層、すなわちゲームの一日当たりのプレイ時間が長く、エンドコンテンツを早期に消化し、課金する割合も高い人たちだが、実は彼らにはそのゲームを辞める決断をするのも早いという特徴がある。つまり現在のウマ娘の流行を担っている人たちは、あまり長期的なプレイヤーでないことが見込まれるのだ。
勿論、コア層がいればライト層もいる。マイペースに噛みしめるようにゲームを楽しんでいるプレイヤーも当然存在するだろう。しかしウマ娘にはここに更なる不安材料となるシステムがある。それは『他プレイヤーが育てたウマ娘からでも因子継承ができる』というシステムだ。これは使用すればゲームの攻略を飛躍的に早められるシステムだ。実際、コア層のプレイヤーは他プレイヤーから共有される『因子』を使って『育成』を行い、さらに強い『因子』を作り、さらにそれを共有する、といったことを繰り返している。その結果、サービス開始時からゲームの難易度は格段に落ちていて、さしたる苦労もなくUDPファイナルのクリアは可能となっている。だがこのシステムを使ってエンドコンテンツを終えた後にやることは、せいぜい他プレイヤーとの競争的要素というライト層の好まないものしか残っていない。
ウマ娘で話題にあがる事柄として『ハルウララで有馬記念に優勝する』というのがある。未プレイの人に分かりやすく言えば、『最弱クラスのキャラで相性最悪のレースに優勝する』といったところだろうか。これはクリア上必須ではないのだが、思い入れのあるプレイヤーなら是非クリアしたいと思わされる課題で、クリアすればそこでしか見れない『ハルウララ』の姿を見ることができる。普通なら、長い間プレイして打ちのめされながらも『因子』を強化していき万感の思いとともにクリアしたい所だ。だが、本作では誰にでも手の届くところに『他プレイヤーの因子を使って勝つ』という手段が用意されている。これではせっかくの課題を陳腐化してしまうのではという感覚は筆者だけのものではあるまい。これはライト層がコア層と混ざってしまい、時間をかけて楽しもうというプレイスタイルが損ねられるリスクに他ならない。
今回、ウマ娘が明瞭にしてくれたのは、プレイヤーはゲームをどういったペースで楽しむべきかという問いかけだ。人それぞれ、というのは簡単であるし、最終的にはその通りだろう。しかし果たして全てのプレイヤーが自分にとってベストなペースを選択できていると言えるだろうか。ゲームというのは時にプレイヤーに強迫的にプレイを強要する。プレイさせることは開発の意図するところなのだからそうであって当然だ。だからこそプレイヤーは時にゲームの仕様、例えば「こうすれば強いキャラが作れるよ」という勧めにさえ逆らうべき場面がある。本当にゲームが上手い人というのは、ゲーム中で強い人などではなく、ゲームを最大限に楽しめる人のことなのだから。