現在、大流行のソーシャルゲーム『ウマ娘』。これについて、どんなゲームか軽く説明しながら、少し難点も挙げようと思う。
最初に『ウマ娘』がどんなゲームシステムを簡単に説明しておこう。まずプレイヤーはウマ娘を一人選んで『育成』をスタートする。そしてトレーニングでステータスを伸ばしながらレースに参加し、どのレースで何着以内、といった課題をクリアしていく。最終的にUDPファイナルというレースで優勝すればクリアだが、ここまで至るのは始めのうちは容易ではない。マクロには所謂ローグライク(風来のシレンなど)と同様のゲーム構造をしており、リロード不可でゲームオーバーになると最初から『育成』がやり直しになるシビアなシステム。しかしそれだけにテンポ良くリトライを繰り返しながら学習していくやりごたえのあるゲームとなっている。ローグライク系のゲーム構造と比べて大きな差異となっているのは『因子継承』というシステムだ。これは以前に育成したウマ娘の能力を、次回以降の育成対象にある程度引き継げるというもので、これを繰り返すことによって徐々にウマ娘の能力が高まっていき、UDPファイナルでの優勝も近づいていく。短期的な試行錯誤をこなしつつ、永続的な報酬も得られるというゲームデザインになっているわけだ。
次はストーリーについて見て行こう。ストーリーは一言で言えば、スポ根モノ。ウマ娘たちが勝利し、時に挫折し、迷いながら、己の道を見つけて進んでいく様が情熱的に描かれている。王道ではあるがクオリティは十二分に高く、キャラクターにビジュアル以上の魅力が全く無いソーシャルゲームの多くとは明らかにレベルを異にしている。勿論、ビジュアルについても魅力が無いわけではなく、高品質で表情豊かなキャラクターの3Dモデルも非常に魅力的だ。
と、ここまでウマ娘の良い所を挙げてきたわけだが、しかしながらこのコンテンツ、今後の展望には一抹の不安がある。その理由は、現在の異常な流行が続くのかが今一つ分からないためだ。実は、ウマ娘に関する現在の話題は(キャラクターコンテンツ作品としては意外なことに)キャラクターではなく、前述の『因子継承』システムに関わるものがほとんどとなっている。より強い『因子』を作るためにはどうしたらいいか、その方法論や成功報告などである。また、『育成』を行うモチベーションも、既にUDPファイナルというゲーム中の現在の最終目標はとうに通り過ぎており、とにかく強い『因子』を作り出すことへと向かっている。不安要素というのはまさにここである。ソーシャルゲームにおけるプレイヤーのコア層、すなわちゲームの一日当たりのプレイ時間が長く、エンドコンテンツを早期に消化し、課金する割合も高い人たちだが、実は彼らにはそのゲームを辞める決断をするのも早いという特徴がある。つまり現在のウマ娘の流行を担っている人たちは、あまり長期的なプレイヤーでないことが見込まれるのだ。
勿論、コア層がいればライト層もいる。マイペースに噛みしめるようにゲームを楽しんでいるプレイヤーも当然存在するだろう。しかしウマ娘にはここに更なる不安材料となるシステムがある。それは『他プレイヤーが育てたウマ娘からでも因子継承ができる』というシステムだ。これは使用すればゲームの攻略を飛躍的に早められるシステムだ。実際、コア層のプレイヤーは他プレイヤーから共有される『因子』を使って『育成』を行い、さらに強い『因子』を作り、さらにそれを共有する、といったことを繰り返している。その結果、サービス開始時からゲームの難易度は格段に落ちていて、さしたる苦労もなくUDPファイナルのクリアは可能となっている。だがこのシステムを使ってエンドコンテンツを終えた後にやることは、せいぜい他プレイヤーとの競争的要素というライト層の好まないものしか残っていない。
ウマ娘で話題にあがる事柄として『ハルウララで有馬記念に優勝する』というのがある。未プレイの人に分かりやすく言えば、『最弱クラスのキャラで相性最悪のレースに優勝する』といったところだろうか。これはクリア上必須ではないのだが、思い入れのあるプレイヤーなら是非クリアしたいと思わされる課題で、クリアすればそこでしか見れない『ハルウララ』の姿を見ることができる。普通なら、長い間プレイして打ちのめされながらも『因子』を強化していき万感の思いとともにクリアしたい所だ。だが、本作では誰にでも手の届くところに『他プレイヤーの因子を使って勝つ』という手段が用意されている。これではせっかくの課題を陳腐化してしまうのではという感覚は筆者だけのものではあるまい。これはライト層がコア層と混ざってしまい、時間をかけて楽しもうというプレイスタイルが損ねられるリスクに他ならない。
今回、ウマ娘が明瞭にしてくれたのは、プレイヤーはゲームをどういったペースで楽しむべきかという問いかけだ。人それぞれ、というのは簡単であるし、最終的にはその通りだろう。しかし果たして全てのプレイヤーが自分にとってベストなペースを選択できていると言えるだろうか。ゲームというのは時にプレイヤーに強迫的にプレイを強要する。プレイさせることは開発の意図するところなのだからそうであって当然だ。だからこそプレイヤーは時にゲームの仕様、例えば「こうすれば強いキャラが作れるよ」という勧めにさえ逆らうべき場面がある。本当にゲームが上手い人というのは、ゲーム中で強い人などではなく、ゲームを最大限に楽しめる人のことなのだから。