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2021-07-10

アメリカ歴代大統領

1.ジョージ・ワシントン1789~1797)(無所属

 言わずと知れた初代大統領アメリカ独立戦争を勝ち抜いた。

2.ジョン・アダムス(連邦党)

 合衆国建国の父の一人。フランスとの戦争回避した。移民法と治安法に署名

3.トマスジェファソン()民主共和党

 合衆国建国の父の一人。フランスからルイジアナを買収した。出港禁止法により対英戦争の回避に尽力した。

4.ジェームズ・マディイソン(1809~17)(民主共和党

 憲法の父。大統領としての初の宣戦布告をし、米英戦争を起こした。

5.ジェームズ・モンロー(1817~1825)(民主共和党

 合衆国建国の父の一人。奴隷制を巡るミズーリ協定を制定。スペインからフロリダを買収。モンロー宣言を発表し、孤立主義を打ち立てた。

6.ジョン・クインシー・アダムズ(1825~1829)(民主共和党

 関税法設立、軍の巨大化などを試みるもジャクソンらの激しい妨害に遭い大した功績を残せなかった。大統領就任前は外交官として活躍し、米英戦争終結、モンロー宣言の起草などに貢献した。

7.アンドリュー・ジャクソン(1829~1837)(民主党

 白人男子普通選挙制、地方役人を自らの支持者で固める猟官制を確率インディアン移住法を制定し、激しい弾圧を行った。大統領就任から軍人として活躍し、米英戦争セミノール戦争インディアン虐殺した。

8マーティン・ヴァン・ビューレン(1837~1841)(民主党

 オランダ系。任期中に1837年恐慌が発生した。更にアルーストック戦争、キャロライン事件で対英関係に緊張が生じた。

9.ウィリアム・ハリソン(1841)(ホイッグ党

 就任わず31日後に肺炎で死去。就任前はティカピヌーの戦いでショニー族を破ったことで名高かった。

10.ジョン・タイラー(1841~1845)(ホイッグ党

 任期末期にテキサス併合され、南北戦争の遠因になった。

11.ジェームズ・ポーク(1845~1849)(民主党

 米墨戦争勝利し、広大な領土を獲得した。スミソニアン博物館海軍士官学校設立した。米国史上最低の関税の一つであるウォーカー関税設立

12.ザカリー・テイラー(1849~1850)(ホイッグ党

 任期中にカリフォルニアゴールドラッシュが発生し、奴隷制を巡る対立が激化した。

13.ミラード・フィルアモ(1850~1853)(ホイッグ党

 1850年妥協により、南北対立一時的回避日本ペリー派遣した。

14.フランクリンピアス(1853~1857)(民主党

 カンザスネブラスカ法を支持し、北部から強い反感を買った。オステンド宣言を発表し、スペインからキューバを奪おうとするも失敗。

15.ジェームズブギナン(1857~1861)(民主党

 南北戦争回避に尽力するも、水の泡とかした。

16.エイブラハム・リンカーン(1861~1865)(共和党

 南北戦争勝利に導いた奴隷解放の父として知られるが、実は奴隷解放には消極的であり、インディアンに対しても激しい弾圧を行った。

17.アンドリュー・ジョンソン(1865~1869)(民主党

 合衆国の再建を担ったが、奴隷制を支持したため、議会と激しく対立した。

18.ユリシーズ・グラント(1869~1877)(共和党

 南北戦争北軍勝利に導いた英雄であったが、在任中は多くの汚職事件が発生し、米国史上最悪の大統領とも評される。

19.ラザフォード・ヘイズ(1877~1841)(共和党

 南部駐在していた北軍撤退させたため、黒人差別が再び激化した。1877年鉄道ストライキに対しては連邦軍を派遣して鎮圧した。

20.アンドリュー・ガーフィールド(1881)(共和党

 就任後4ヶ月後に銃撃され、その2ヶ月後に死去した。

21.チェスターアラン・アーサー(1881~1885)(共和党

 地方公務員を資格により採用するペンドルトン法を制定。

22.クロバー・クリブラント(1885~1889)(民主党

 州際通商法により鉄道運賃規制公約であった保護関税の引き下げには失敗した。

23.ベンジャミン・ハリソン(1889~1893)(共和党

 シャーマン反トラスト法、高関税マッキンリー関税などを制定した。

24.クロバー・クリブラント(1893~1897)(民主党

 再選された。1893年恐慌解決に失敗した。プルマンストライキなど反政府デモ労働運動には激しい弾圧を加えた。

25.ウィリアムマッキンリー(1897~1901)(共和党

 金本体制ティングレー関税法を制定。米西戦争勝利し、フィリピングアムプエルトリコを獲得した。ハワイ併合した。中国に対しては門戸解放を主張した。

26.セオドア・ルーズベルト(1901~1909)(共和党

 独占禁止法を制定。中米に対しては棍棒外交を展開した。自然保護に尽力した。日露戦争調停したことからノーベル平和賞を受賞した。

27.ウィリアム。タフト(1909~1913)(共和党

 ラテンアメリカアジアに対してドル外交を展開。

28.ウッドロー・ウィルソン(1913~1921)(民主党

 第一次世界大戦に参戦。国際連盟設立した。

29.ウォレンハーディング(1921~1923)(共和党

 ワシントン会議を開催。内政面では富裕層優遇した。在任中に多くのスキャンダルが発生した。

30.カルビン・クーリッジ(1923~1929)(共和党

 パリ不戦条約を締結。内政では自由放任政策を行った。

31.ハーバードフーヴァー(1929~1933)(共和党

 世界恐慌への対応を誤り、民主党に敗れた

32.フランクリン・ルーズベルト(1933~1945)(民主党

 ニューディール政策により不況を脱した。中米諸国に対しては善隣外交を展開。日本への石油輸出を禁じて、太平洋戦争引き起こした。

33.ハリー・トルーマン(1945~1953)(民主党

 日本原爆を投下した。NATO、CIA、国防総省、NSAを設立共産主義に対しては封じ込め政策実施朝鮮戦争に参戦。

34.ドワイト・アイゼンハウアー(1953~1961)(共和党

 封じ込めよりも強硬な巻き返し政策提唱武力行使すら辞さないとしたアイゼンハウアー・ドクトリン提唱した。

35.J.F.ケネディ(1961~1963)(民主党

 アイルランド系カトリックキューバ危機に対処し、核戦争回避した。宇宙開発にも力を注いだ。ニューフロンティア政策に基づき、公民権運動積極的であった。

36.リンドン・ジョンソン(1963~1969)(民主党

 「偉大な社会」を唱え、公民権法を制定した。ベトナム戦争に参戦し、泥沼化させた。

37.リチャード・ニクソン(1969~1974)(共和党

 ベトナムから撤退ソ連中華人民共和国訪問し、緊張緩和を進めた。金とドルの交換を停止した。

38.ジェラルド・フォード(1974~1977)(共和党

 前大統領に引き続き、デタント推し進めた。在任中に日中貿易摩擦が生じた。

39.ジェームズカーター177~1981)(民主党

 人権外交を展開し、パナマ運河返還第四次中東戦争仲介、米中国正常化を果たした。

40.レナルド・レーガン(1981~1989)(共和党

 「強いアメリカ」をスローガン福祉削減、減税などを行った。レバンノン出兵グレナダ侵攻など強硬対外政策を展開した。

41.ジョージ・ブッシュ(1989~1993)(共和党

 レーガン政策継承マルタ会談冷戦終結宣言湾岸戦争イラクを破った。

42・ウィリアムクリントン(1993~2001)(民主党

 オスロ合意ベトナムとの国交回復ボスニア和平などを実現した。反面、多くのスキャンダルに悩まされた。

43.ジョージ.W.ブッシュ2001~2009)(共和党

 同時多発テロを契機に「テロとの戦い」を主張、アフガン攻撃イラク戦争に踏み切った。

44.バラク・オバマ2009~2017)(民主党

 黒人医療保険制度改革軍縮などを実行した。

45.ドナルド・トランプ2017~2021)(共和党

 アメリカ第一主義を主張し、移民制限WHO,ユネスコなどからの脱退を実現した。

46.ジョセフ・バイデン2021~)(民主党)NEW!!

2021-04-17

anond:20210417182132

これはそうだと思っていて、在外米軍は在比米軍在韓米軍在独米軍を見れば分かるように仮想敵国の脅威度と駐留国の対米感情によって縮小や撤退してるんだよね。

台湾を取り込むにあたって最大の脅威は言うまでもなく沖縄駐留米軍(海兵隊空軍)だけど、日本をある程度取り込むことが出来ればこのライングアムまで下げることが出来たかもしれない。

ただ中国(に限らず一党独裁国家)の対外政策って「対外」といいつつ党内を向いていることが多々ある(戦狼外交は党内に向けたアピールという見解もある)ので、それを以て誤ったとは言いづらいけど。

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2020-06-26

anond:20170809013919

まあ、日中戦争だけなら、日本民間人ほとんど死なずに済んだわけで

先の戦争日本をめちゃくちゃにされた悲惨戦争、という文脈なら、対米戦争だけしか見ないのは仕方ないかもね

日本対外政策の腐りっぷりは、第一次世界大戦から後、シベリア出兵山東出兵張作霖爆殺とずっと続いて

日中戦争もその延長上って感じだからなあ

2019-12-19

トランプ大統領ウクライナ疑惑弾劾裁判が始まったそうな。

史上3人目だそうで、内閣不信任案を出すの出さないのが1年に一度は出る国からすると大統領制ってのはすげぇなぁと思ってしまう。

なにせ、こちとら桜を見る会だ。首相が率先して買収、さらには反社との繋がりまで疑われている。

大変重要事項であるしか反社定義はできないとか、ここまで暴力団対策をしてきた関係者忸怩たるものがある。見過ごすわけにはいかない。

トランプ大統領の話と安倍首相の話を並べたのは例によって野党マスコミ批判を書きたかたかである

つーのもロシアンゲート以来トランプ政権はこの疑惑について対応をしてきたからだ。これは下院などで議論が行われてきたはずだ。

しかし、うちら日本人日本で見るニューストランプ政権の実績ややろうとしていることが報じられる。つまり政治の話が主になっている。

トランプ政権移民政策をこうしようとしているとか、対外政策はこうなりそうだとか。報じられないこともあるだろうが、とりあえずシングルイシューではない。

これは大統領制議院内閣制の違いなのかもしれないが、街頭演説をする野党議員テレビ桜を見る会の話ばっかりだ。絶対今のうち知っておくべき内容があると思う。せいぜいが大学入試問題くらいだ。近年に受験を受ける人には同情するしかない。

政権の見通しよりも、省庁の考えが優先されるので見るべきところが発散してしまい、番組的にまとめ辛いとは思うが、それをどうにかするのがプロってもんだろう。

イタリアとか他の議院内閣制の国はどうなんだろうね。

2019-01-18

anond:20190118143209

孝謙天皇

日本女帝

お気に入り僧侶後継者にしようとし、それを諌めた者を卑しい名前改名させるなど、きわめて冷酷かつ感情的に振る舞った。

呂后

漢の高祖・劉邦の妻。

夫が死ぬと絶大な権力を握り、側室四肢を切り落として厠に放置、「人豚」と呼んで糞尿を浴びせた。

武則天

中国史上唯一の女帝秘密警察拷問代名詞

皇后四肢を切り落とされて生きたまま酒壺に漬けられ、数日間泣き叫びながら絶命。

エリザベス1世

イギリス女王

海賊を手懐けて奴隷貿易を開始。

アフリカ黒人アメリカ大陸で売ることで利益を上げて国内の安定を得た。

ヴィクトリア

イギリス女王

インドをはじめとして世界中植民地にして圧政を敷き、イギリス帝国主義の最盛期を迎えた。

エリザベートバートリ。

ハンガリーの女貴族

650人もの若い娘を誘拐して惨殺、美貌を保つためと称して人肉を食べて生き血を浴び、女性器を切り出して性的興奮を覚えていた。

個人が直接的に手を下した殺人数としては史上最多では?

イサベル1世

スペイン女王

国内では異教徒虐殺対外政策ではコロンブスをはじめとして征服者を援助し、アメリカ大陸から資源収奪する構造を作り出した。

女性権力を握った例は圧倒的に少ないにもかかわらず、

男性には思いつきもしないような残虐な暴力性が発揮されている。

女性権力者は個人的な嫉妬欲望のためにおぞましい殺人を行う。

いまなお人類悪として語られる奴隷貿易植民地主義は、

まさに女性が作り上げたものであり、

女性による収奪世界中怨嗟を振りまいたと言える。

 
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