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2024-11-08

[][]量子コンピュータについて彼らがあなたに語らない事

漫画家エナガの複雑社会を超定義」の「量子コンピューター」の回がこの後1:20からNHK総合再放送するようなので、本放送を見たとき自分感想を改めてここにまとめる。

 一般メディアにおける「量子コンピューター」の取り上げ方はいつも、専門知識を持っている人間から見たらとんでもない誇張と飛躍で充ちている。もはやSTAP細胞詐欺か何かに近い危険性を感じるので、こういう話に接する時の注意点、「ここを省略していることに気づくべき」要点を解説する。

 

 メディアにおける「量子コンピューター」の説明は、大体いつもストーリーが似通っている。

  1. 量子ビットは重ね合わせの並列計算が出来る
  2. 量子チューリングマシンには素数暗号を高速に解けてしまアルゴリズム存在する
  3. Googleなどが量子コンピュータを開発した(と称している)
  4. 量子コンピュータは我々の未来を一変させるかも知れない

 件の軽い調子番組だけでなく、ニュートンだろうと日経サイエンスだろうと、まあおおよそ複素関数論の「ふ」の字も紙面に出したら読者がついてこれなくなる程度のメディアではほとんど同じ構成である

 これはこの20年ほど変わらない一種パターンになっているが、実はこのそれなりに繋がっているように見える一行一行の行間すべてに論理的問題を孕んでいる。

 この行間に実は存在する論理の省略、あるいは嘘と言っても良い誤摩化しをひとつひとつ指摘していこうと思う。

 

行間1→2:量子コンピュータは「並列計算が出来る」わけではない

 量子ビットには重ね合わせの状態が保持できる。これに対して計算処理をすれば、重ね合わせたすべての状態に並列に計算を実行できる。ように見える。

 しかし、これも一般的に聞いたことがあるはずなので思い出して欲しいが、「量子力学の重ね合わせの状態は、『観測』により収束する」。

 つまりどういうことか? 量子ビットに対する処理が並列に実行出来たとしても、量子コンピュータの出力はそれをすべて利用できるわけではない。

 量子コンピュータの出力とは、量子ビットに対する並列処理の結果の、確率的な観測に過ぎない。

 なので、手法的な話をすれば、量子アルゴリズムとはこの「確率確率振幅という量子状態パラメータ)」を操作して、望む入力に対する結果が観測されやすくする、というちょっとひとひねりした考え方のものになる。

 単に並列処理ができるから凄いんだという説明は、増田自身一般向けの説明に何度も繰り返したことがあるが、まあ基本的には素人相手の誤摩化しである

 ここさえ踏まえれば、知識がなくともある程度論理的ものを考えられる人には、量子コンピュータに対する色々な期待も「そう簡単な話ではない」となんとなく感じられると思う。

 

行間2→3:暗号解読のできる量子チューリングマシンは開発されていない

 量子コンピュータキラーアプリとされている暗号解読は「ショアのアルゴリズム」という非常に巧妙な計算を通して得られる。

 上で説明したように、量子コンピュータは単に「並列計算から」なんでも高速な処理ができる訳ではない。暗号解読については、この「ショアのアルゴリズム」という自明でない計算手法高速フーリエ変換の応用)が見つかってしまたからこそ問題になっているのであって、このアルゴリズムの実行が出来なければ暗号解読ができるとは言えない。

 さてここから量子力学というより計算機科学の話になるが、あるチューリングマシン上のアルゴリズムが別の計算モデルで実行可能かどうかは、その計算モデルチューリング完全であるかどうかによるというのはプログラマには常識である

 これは量子コンピュータにおいても変わらない。量子コンピュータ一般に知られる多くのアルゴリズムはドイチュの量子チューリングマシンを前提に作られており、チューリング完全でないアーキテクチャでは実行できない。できるはずがない。ショアのアルゴリズムも当然そうだ。

 しかしながら、この20年弱、D-Wave社が最初の「自称量子コンピュータ」を開発したと発表して以来、さまざまな企業が「開発に成功した」と発表した「量子コンピューター」の中で、このチューリング完全ものは何一つ存在しない。

 これらでは、今後どれだけ「性能」が伸びようとも、暗号解読の役には立たないのである

 

行間3→4:量子コンピュータ可能性は、あるとしても非常に限られたものである

 以上の議論から総合すればわかると思うが、量子コンピュータ世界が一変するなんてヴィジョンははっきり言ってSF以下のファンタジーというレベルしかない。

 第一に、量子コンピュータの利用できるドメインは非常に限られたものであるし、第二に、その中の最も宣伝されているものである暗号解読の可能な量子チューリングマシンの開発の目処などまったく立っていない。どころか、業界ほとんど誰も挑戦することすら本気では考えていない。

 現状の「自称量子コンピュータ」(量子情報システム、とでも言おうか)にも利用の可能性はある。何より量子状態のものが作れるので、物理学化学領域の量子システムシミュレーションするのに適しているのは言うまでもないだろう。しかし、まあ、現状あり得る比較現実味のある用途というのは、それくらいではないか

 

 このように、メディア量子コンピュータについて語るとき、そこには非常に多くの誤摩化しや飛躍が含まれる。これは結構業界の根幹に関わる問題なのではと思うが、時間が来たので総括は後述にでもすることにする。

 何か質問があればどうぞ。

2009-11-04

[][][]大数の法則

恋愛したい

それ以上に色んな人と出会いたい

2009-10-28

[][]「一人一人は完全に自由な個人でも、個人の行動が組み合わさると、集団としては予測可能」「おのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体」

第二の実験では、人々に人種差別意識などなく、異人種と軒を接することに満足する人々を想定した。ただし、自分の家が異人種の家に取り囲まれてしまうような、極端なマイノリティ状態になるときだけ転居するようにルールを設定した。これは人種差別意識とはいえない、人間自然な感情である。

ところが誰一人として差別意識を持たない第二の実験でも、人々はきれいに分離してしまった。融合に満足する個人の集団でも、罪のない小さな選好があることが原因で、人々は物理法則に従う水と油のように分離を進めてしまう。

人間の複雑な心がわからなくても、集団としての振る舞いは物理学と同じアプローチで解明することが可能なはずだ、というのが社会物理学の考え方だ。個人が何を考えていようと、全体として現れるパターン法則性を見出そうとする。

「一人一人は完全に自由な個人でも、個人の行動が組み合わさると、集団としては予測可能な結果がもたらされる。これが物理学で見られる現象にそっくりなのは、物理学では、原子レベル混沌とした状態が熱力学惑星運動時計仕掛けのような精確さに取って代わられるからである。」

人間をかなり単純な諸規則に従う原子分子のようなものと見なし、それらの規則がもたらすパターンを突き止める努力をすべきなのだ。」というシェリングの考え方で、社会的人間シンプル原子モデルに置き換える。直感に頼った思考、他者との関わりにおける学習適応、人の模倣をしたがる心理、仲間との協調という、ふるまい属性をもった人間が相互作用すると、人間社会に実際によく見られるパターンが生み出される。現代のコンピュータを使って大規模に解析すれば、社会法則を見出すことができるというのが著者の主張だ。

http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/10/post-1094.html


天気予報がそうであるように、経済予測というものも、極めて複雑なシステムランダムに発生するショックと対峙せねばならず、我々が持っているデータや理解は常に不完全であると思い知らされる。見方によっては経済予測天気予報よりも難しいかもしれない。なぜなら、経済というものは物理学法則にしたがって行動する分子の集合体ではなく、おのおのが未来を考えおのおのが独自の予測に影響されて行動を起こす人間の集合体であるからだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/bc75e1c5cd62d8b464a68843d4bf93d7

2009-09-22

[][]進化論循環論法

進化論に感じるきもちわるさの根はなにか

http://d.hatena.ne.jp/michiaki/20090918/1253283595

何らかの成果が出た時、その成果を得る為にとった行動が努力として規定される。つまり、「成果が出た」時点から遡って、「努力をした」という過去が形成されるのだ。故に努力は必ず報われる

何らかの生物種が現に生存している時(=絶滅していない時)、生存する為に有利と考えられる形質が適応として規定される。つまり「生存している」時点から遡って、「適応した」という過去が形成されるのだ。故に適応した種は必ず生存している

http://www.idea-moo.net/chi-taiken/ono08122801.html

自然選択説循環論法無意味だと批判する者がいる。「自然選択で生き残るのは誰だ?→適者だ」、「適者とは誰か?→自然選択で生き残る者のことだ」自然選択説はこういう循環論法だと批判者は主張する。だがこれは全くの誤解に過ぎない。自然選択説は、変異体と原型との間で環境への適応度に差があるということを指摘する。大多数の事例で突然変異有害で変異体は適応度が低く生き残ることはない。しかし、ごく僅かではあるが有利な突然変異が生じそれが生き残り新種となることがある。また(「種の起源」では明記されていないが)中立な変異体が確率的浮動で生き残り新種となることもある。適応度の差は環境により異なり、任意の突然変異を一意的に有利か不利か中立か決めることはできない。耐性菌は薬剤が存在しない環境では通常は不利な変異体であり増えることはない。しかし薬剤が存在する環境では圧倒的に有利な立場を得て増殖し新種となる。こうして環境の多様性と連動して種の多様性が拡大する。このようにダーウィン進化論を正しく理解すれば、それが無意味循環論法だという批判は全くの的外れであることは明白だ。またダーウィン説が種の多様性を説明する上で極めて有効、いや、唯一の科学的な理論的枠組みであることも明らかになる。

最近見た素晴らしい「努力」の定義 - インターネットください

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku

dora_m 人生仕事勉強の術 なるほどねー

ite work, life これは良い定義

T_da 話のネタ努力定義についての良いまとめ

stellaluna 「努力します」「善処します」という政治家言い訳がこれで使えなくなるのならいい定義か。

Zephyrs コミュニケーション, ネタ, 社会, 考察, 言葉, これはすごい 目から鱗とはこの事か……

caraldo_k コミュニケーション, 読み物 俺は納得

kei_ex 正しい。けど、これを知っても自分プラスになるかというと微妙だ…w

ryu-ten くやしいけど正論w 自分では精一杯努力してるつもりなんだけど成果が出ないからもっと努力しろと言われるw

noumi_j2 正論。少なくとも「結果しか評価されない社会になりつつある」事は間違いない。

2009-08-12

[][]個々には自由意志があるように見える。アンサンブルでは決定論的で自由がない。

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/01/post-d30b.html

量子力学が非決定論であるということの意味は、個々の選択機会における結果が予見できないという意味である。このような選択機会のアンサンブルを考えると、その結果の分布は、完全に決定論的な法則によって記述される。

 このことから、たとえ、量子力学が、自由意志の起源にはなり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。何故ならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。

 このことについて、第6章で紹介した「中国語の部屋」(Chinese Room)の議論を提出したサール(Searle)はその著書「心、脳、科学」の中で、明確に述べている。

 たとえ物理的粒子の振舞いの中に何らかの不確定性の要素があり、その予測は統計的なもののみによって可能であったとしても、粒子の振舞いの予測が統計的にのみ可能であるという事実からは、人間の心がその統計的にのみ決定された粒子に命じてその本来の経路から外れさせることが可能であるという事実が帰結するわけではありません。それゆえに、この統計的不確定性という事実のみから人間の意志の自由の可能性は生じ得ません。要するに、不確定性という事実は、人間的自由が持つ何らかの心的エネルギーが分子を動かし、それがなければ別の方向に行っていたはずであったその分子の運動の方向を変えるというようなことが可能である証拠にはならないのです。

よりあからさまに言えば、量子力学に基づく自由意志は、次の「アンサンブル限定」(ensemble restriction)の下にあることにある。

 アンサンブル限定(ensemble restriction)

 個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、このような選択機会のアンサンブルを考えると、その全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。

 アンサンブル限定の付いた自由意志においては、個々の選択機会については、あらかじめその結果を完全には予測できないという意味でそこには「自由意志」が存在するように見える。だが、同じ様な選択機会の集合(アンサンブル)を考えると、そこには決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できるのである。

 あなたが、ある瞬間に意志決定を行うとしよう。その選択肢は、AかBかという簡単なものでも、あるいはもっと複雑なものでも良い。あなたの意志決定が量子力学的なプロセスに基づくものであるとすると、その瞬間の意志決定の結果が、どのようなものになるかは、あらかじめ予想することはできない。現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想することは不可能なのだ。これが、量子力学の非決定性である。

 さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。このアンサンブルの中の、ある特定の「あなた」の選択は、上に述べたような理由で予想することはできない。しかし、全く同じような「あなた」のコピーからなるアンサンブル全体としての振る舞いは、完全に決定論的な法則で予測することができるのだ。

必ずしも正確とは言えない比喩だが、一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。私たち一人一人は、何歳で結婚するかを、自由意志に基づいて決定していると思っている。確かに、ある人が何歳で結婚するかは、完全に予想することは不可能である。だが、社会の中のこのような人々のアンサンブルをとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかということについては、厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。アンサンブル限定のついた自由意志は、たとえて言えばこのようなものだ。つまり、個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由はないのである。

茂木健一郎 『脳とクオリア』 

第9章6節 アンサンブル限定のついた自由意志 より

2009-07-01

[][][]サングラスをかけていても太陽を見ることは危険

http://www.astronomy2009.jp/ja/webproject/soecl/ng.html

太陽を肉眼で直接見つめることは、たとえわずかな時間(1秒足らず)でも目に重大なダメージを及ぼす危険性があることを知っておいてください。誤った方法での観察は、網膜障害や視力を失う危険性があることを十分に知っておく必要があります。

・たとえ、サングラスや黒い下敷きなどで太陽の光が暗く見えても、それは可視光線人間の目が感じる光)を弱めているだけで、目に悪影響を及ぼす赤外線(熱線とも呼びます)はさえぎられていない場合がほとんどです。いくら可視光線を弱めて“まぶしくない”状態で観察をしても、人間の目が明るさを感じない赤外線が、知らず知らずのうちに目に大きな障害をもたらす場合があることを知っておきましょう。

太陽日食)観察専用の器具(日食グラスなど)を使用しても、長時間続けて太陽を見続けることは避けてください。

専用の日食グラス等は、可視光線はもちろん、紫外線赤外線といった有害な光線も弱めてはいますが、それらを100%さえぎることはできません。観察は適度に目を休めながら行いましょう。続けて見るのは、長くても2~3分間を限度としてください。

2009-06-07

[][]水1リットルは約1kg

驚いた

そんなにわかりやすいとは

1リットルは1kg

覚えやすくて良いね

2009-03-02

[][]人生原理

生きる意味を問えるのは生きているから

2009-02-23

[][]必読書 浅田彰

http://aquirax.blog3.fc2.com/blog-entry-3.html

批評家作家としても名前のある近畿大学の教師たちが学生に読ませる本のリストを作ろうとして出来上がったのがこの「必読書150」で、柄谷行人の序文によれば浅田彰も積極的に参加したらしい。

浅田彰が紹介したのは以下の本だ。

「饗宴」プラトン

ユートピア」トマス・モア

「グラマトロジーについて 上」ジャック・デリダ

「グラマトロジーについて 下」ジャック・デリダ

アンチ・オイディプス」ジル ドゥルーズ (著), フェリックス ガタリ

オイディプス王ソポクレス

パウル・ツェラン詩集〈1〉」パウル・ツェラン

パウル・ツェラン詩集〈2〉」パウル・ツェラン

パウル・ツェラン詩集〈3〉」パウル・ツェラン

2009-02-14

[][]一つの素粒子には、歴史がない

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/02/post-cb7f.html

私の人生は、私という存在歴史だ。

 私は、死ぬことによって私が存在しなくなってしまうことを恐れる。もはや、朝の太陽の輝きや、新しく出版された小説や、友人の冗談に接することができなくなることを恐れる。私という歴史は、私の死とともに終わる。

 このような私の死に対する恐れも、生に対する執着も、全て私と言う「システム」を考えたときに初めて成り立つ。

 私を構成している電子や、陽子や、中性子にとっては、私の生も死も、何の意味もない。私が死に、私の肉体が朽ちてしまうことは、私や私の周りの人間にとっては一大事だが、私の体を構成している原子分子にとっては、何の意味もない。

2009-02-13

[][]論理

あらゆる計算論理を支配する法則は実はたった「二つ」のシンプルなものです。

それは、「Aではない」と「Aか、Aではない」という二つの”動詞”です。これを簡単な英語

表すと「NOT(否定)」と「OR(和)」となります。

 一般的に論理演算論理積 (AND)、論理和 (OR)、否定 (NOT) の「3ロゴスクミ」という

究極世界論理の組み合わせだけで表現されるのですが、実は論理和 (OR)と否定 (NOT)の「二つ」

から、論理積 (AND)は導くことができるのです(ド・モルガンの定理)。

ところで否定は「無」であるし、「AとB、君は誰とキスをする?」はどちらかを選ぶ「可能性」と解釈できるので、

究極のところこの世界には基本として「モノが有る」のではなく、「モノが無い世界が否定されて、

モノがポっと湧きあがってきた(=可能性世界)」ということになります。論理学は、宇宙量子論を学ばずとも、

宇宙を説明できる最強学問なのですね。

2009-01-26

[][]疑似科学問題はベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決すればいいんです

疑似科学科学哲学 (単行本)

伊勢田 哲治 (著

入門書としても読めると同時に専門書としても一定のレベルを保っています。今まで提案された科学哲学テーゼをとりあげ、これを実際に存在する疑似科学科学の判定に有効か否かということで検証する、といった議論の進め方で話が進んでいきます。著者が言うように、可能な限り専門知識なしに読めるように工夫されています。

 またこうした入門書としての気配りがあると同時に、専門書として一定のレベルを保っています。私はこの手の本を何冊か読んだのですが、ポパークーン関係が今ひとつすっきりと理解できませんでした。しかし、この本のおかげでこの2者の長所短所がずいぶんとすっきり理解できました。

筆者の本書における最終的な提案は,ベイズ主義に基づいて,線を引かずに線引き問題を解決するということなのだが,そこにいたる議論の過程こそ楽しむべし.エキサイティングです.

科学疑似科学の間が単純な基準では線引きできないとなると,疑似科学科学の間にグレーゾーンが残るわけだが,かといって,明確に科学的な分野や明確に非科学的な分野が存在する可能性は排除できず,様々な観点から見て,占星術超能力研究科学と呼ぶわけにはいかないことは,本書を読めば理解できると思います.科学する人も,占星術などの疑似科学科学であるとナイーブに信じちゃう人にも,お薦めの1冊です.

      _人人人人人人人人人人人人人人_

        >    な なんだってー!!    <

        ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^

2009-01-19

[][]四つの基本人間原理

英辞郎

electromagnetic anthropic principle

物理》電磁人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間電荷を持つようになったという原理

gravity anthropic principle

物理重力人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間質量に応じた力を受けるようになったという原理

http://anond.hatelabo.jp/20090119081602

[][]人間原理

英辞郎

strong anthropic principle

物理》強い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間必然として生まれたという原理

weak anthropic principle

物理》弱い人間原理{にんげん げんり}◆物理法則がなぜ現在のようになっているのかに対する答えの一つ。こうなっているからこそ、この問いを発する人間が生まれる可能性があったという原理

[][]真実

私たちが真実と考えている事が、理論によって規定されているとすれば、どのようにして真実哲学の基礎に据えることができるのでしょうか。探求され理解されるのを待っている宇宙存在すると考えているという意味で、私は実在論者であるといえるかもしれません。すべてが想像の産物であるとする唯我論者の立場は時間無駄であると考えています。そのような原理に基づいて行動する人はいません。しかし、理論がなければ、宇宙について何が真実であるのか理解できないのです。

そこで今まで単純すぎるとか幼稚であると書かれてきましたが、私は、物理理論とは観測結果を記述するための数学的なモデルに過ぎないという立場をとります。ある理論がよい理論であるのは、すっきりしたモデルであり、広い範囲の観測を記述し、新しい観測結果を予言できる場合です。

それを越えて、その理論真実に対応しているのかと尋ねることは意味がありません。なぜなら、私たちは真実とは何かを知らないからです。

科学理論をこのようにとらえると、私は概念道具主義者、あるいは実証主義者になるかもしれません。実際その両方で呼ばれてきました。私を実証主義者と呼んだ人たちは、実証主義は時代遅れであると付け加えました。これも軽蔑する事で反論するということのもうひとつの例です。過去知的流行であったという点では、私は時代遅れかもしれません。

しかし今まで簡単に述べた実証主義的な立場だけが、宇宙記述して新しい法則と手法を探している人がとりうる立場だと思います。

モデル依存しない真実概念存在しない以上、真実に訴えかけても駄目なのです。

私の意見では、科学哲学者が量子力学や、不確定性原理に対して抱いている困難の根本的な理由は、未だに明らかにされたことのない、モデル依存しない真実があると信じていることだと思います。

宇宙における生命 スティーブン・W. ホーキング

[][]理論予言=観測結果→いつか一致しなくなる→一時しのぎに修正→誰かが自然な形ですべて説明→最初に戻る

理論物理学の発展に関しては、実験結果よりも論理的首尾一貫性を求める研究こそがより重要な役割を果たしてきました。

また一方では、すっきりした美しい理論が観測結果に合わないと言う理由で捨てられてきました。

しかし、実験だけを基礎にして発展してきたような偉大な理論を私はひとつも知りません。

すべて理論と言うものは、すっきりした矛盾のない数学的なモデルが欲しいと言う欲求から生まれ、発展するのです。

そのようにして出来た理論予言をしますから、観測によってためすことが出来ます。

もし観測の結果が理論予言と一致しても、理論を証明する事にはなりません。しかし、その理論は生き残り、また別の予言をします。その予言はまた実験によってためされるのです。もしその観測が予言と一致しなかったら、その理論をあきらめる事になります。どちらかと言うと、いつかはこうなると思われているものです。しかし実際には、多くの時間努力を注いだ理論をあきらめることはとても辛いことなので、通常は観測の精度を問題にする事から始めます。それでも観測のほうが正しいとなれば、理論を一時しのぎ的に修正しようとします。

最終的には理論は不恰好で、キーキーきしむようなものになってしまいます。すると誰かが、新しい理論を提案して、手におえなかった観測結果をすっきりと自然な形ですべて説明してしまいます。

宇宙における生命 スティーブン・W. ホーキング

[][]説明

アウグスティヌス時間とは何か?誰も私に問わなければ、私はそれを知っている。誰かそれを問う物に説明しようとすれば私は、知らないのである。」

2009-01-17

[][]消滅

人は未来もずっとここにいることはできず、この惑星の表面から消えることは避けられないが、その惑星も死ぬ運命にある。人の労働や悲しみや喜びや希望など、はかない現象の記憶を保持する意識も生き残りえず、やがて人類のわずかな証拠も地球の表面から消されるだろう――まるでそれは最初から存在しなかったかのように。

クロード・レヴィ・ストロース神話論理

http://anond.hatelabo.jp/20090116090907

100億年すれば、宇宙は消滅する。だから、生きていることに意味はない。

人生に、目的だとか、意味だとか、そんなものはないと思う。

何をしたところで、100億年してしまえば、宇宙自体が消滅してしまう。

その時には、自分がいたことを、覚えている人もいない(いなくなってしまう)し、自分が残したすべての足跡は、すべて、跡形もなく消えてしまう。

なのに、勉強するだとか、人を助けるとか、必死に生きるとか、そういう、世の中で「意味がある」とみなされていることに、何の意味があるのだろうか?

「100億年すれば、宇宙は消滅してしまう」

この命題に打ち勝てるような哲学存在しないと思う。

2009-01-14

[][]予測

物事は蓋を開けて見るまでわからないのだ

こうなるだろうと予測しても駄目なのだ

想像じゃないのである

2009-01-09

[][]仮説

間違った仮説・結論であっても、仮説がないよりはずっとまし。

なぜなら、その仮説・結論をもとに、次の地点に動けるから。


勝間和代ビジネス頭を創る7つのフレームワーク力」 

2009-01-08

[][]仮説

ジェームズ・L・マッガウ記憶と情動の脳科学

科学というものは、実験結果があっても、それによって証明できるのはある仮説が正しくないということだけです。仮説が正しいと証明することはできないのです。重要実験結果が別な解釈を除外することによって、アイデアは信頼性を得ていくのです。」(p130)

2009-01-05

[][]クーングールドと断続

トーマスクーン

1962年発表された主著『科学革命構造』で、科学歴史がつねに累積的なものではなく、断続的に革命的変化すなわち「パラダイムシフト」が生じると指摘した。

スティーヴン・ジェイ・グールド

断続平衡説(だんぞくへいこうせつ、Punctuated equilibrium)は、生物の種は、急激に変化する期間とほとんど変化しない静止(平衡、停滞)期間を持ち、”徐々に”進化するのでなく、”区切りごとに突発的に”進化していき、小集団が突発して変化することで形態的な大規模な変化が起きるとする進化生物学理論の一つ。区切り平衡説とも呼ばれる。

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