はてなキーワード: 私刑とは
最近にはじまったことではないが、Yahoo!ニュースの各記事へのコメント(ヤフコメ)がいよいよ暴力的な色彩を帯びてきており恐ろしい。
「殺せ!」という言葉があまりに普通に使われており、あまつさえその表現の残虐さを競うような状況である。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000020-asahi-soci
(※削除された後用のアーカイブ https://archive.is/0x5RH )
高速道路上での死亡事故についての報道で、ある運転者が事故の原因となっていたかもしれないことが取材でわかったとの内容。
事故自体はとても痛ましいものであるが、この記事に対するヤフコメが異常である。
要約すればとにかく「殺せ!殺せ!」と。
*******
kur*****
sup*****
念のため強調するが、まだ逮捕もされていない者に対しての「殺せ!」である。
報道機関(この場合朝日新聞)が報じたことだけを根拠に、いや、その根拠以上のことを勝手に見出して
極刑を指示(殺せ!)し、あるいは残虐な私刑を勝手に検討(殺せ!)する。
fum*****
aps*****
轢くだけじゃダメ。
100km/hの衝撃を教えてあげないと。
bas*****
一瞬で死んじゃうから
kur*****
顔写真付き実名報道、高速道路における引きずり殺しの刑にしたいくらいだ!
容疑者よ、出てこい!
nas*****
業務上過失致死なんかでなく、
もっと重い罪はないのか?
市中引き回しにして、苦しませながら同じ目に遭わせるべき!
コメント欄の流れをよく見てみると、ある「殺せ!」という内容の投稿に呼応するように「殺せ!」という投稿が連なっていく。
日本が法治国家であり、自らがその担い手であるという意識は見られず、あたかも娯楽のように、おびただしい「殺せ!」が積み重ねられる。
冷静なコメントもあるが、当たり前のように過激な意見が支持され、埋もれていく。
悲観的予言をするならば、いつかこの殺意はコメント欄を飛び出し「魔女狩り」は起こるであろう。
ヤフコメは、すでに殺意をかき立て、正当化し、増幅させる役割を果たしている。
このような惨状を放置しているヤフージャパンの社会的責任はどうなるのだろうか。
そして我々の社会は。
死刑制度の賛否について、実生活だとキチガイ認定されると面倒なので、本音と建前を使い分けてます。
自分の家族や大切な人が殺されたら、その憎しみ・恨みを晴らすために、犯人は自分の手で殺したい。(仇討ち派)
死刑制度があると、自分の手で殺すことが正当化されない。(死刑制度が仇討ちの邪魔になる)
死刑制度がなければ、自分が犯人を殺しても、自分が殺人罪を問われて死刑になる心配がない。(安心して仇討ちができる)
こんな理由を説明したら、お前は野蛮な奴だ!と叱られちゃうから言えない。
私刑は復讐の連鎖を呼び起こすからダメだという批判もありますね。
(例)6歳娘を強姦され犯人を射殺した母親 多くの親が「気持ちはわかる」(米)
http://japan.techinsight.jp/international/2017/09/yokote201709021811.html
アメリカじゃ被害者遺族が犯人を射殺する事件がよく起こってます。
遺族が本当に望んでいるのは、死んだ被害者が生き返ることです。
死人が生き返るなら、犯人にも死んで同じ苦しみを味わえ!と憎む必要もないでしょう。
しかし、死人が生き返ることはないので、その代わりに犯人には死んでもらいたいのです。
犯人が死んでも、被害者を失った喪失感は回復されないので、100%満足はできないけどね。
死刑制度は存続させるとしても、欠陥の多い制度なので改善の余地があります。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/02/post-4454.php
シンゴジラのときがわかりやすく酷かったが、当時ある程度見て回ったら日本の一般的にオタク(と言われる)層は大体が以下のような感じということがわかった。
会議風景や自衛隊の攻撃の仕方などは「リアルで超すごい!さすが徹底調査しただけある!ほかの邦画も見習うべき!」とか必要以上に大騒ぎしてたくせに、石原さとみの英語にツッコミが入ると「怪獣映画にリアリティとか何言ってんのww」と言い出す。
評論家が少しでも気に食わない意見を言えば「評論家ってのはクソしかいないからw」と言ってひとまとめにして叩き始め、権威のあるっぽい人が褒めれば「評論家様からお褒めいただいたぞー!」「愛が深い」とかまた騒ぎ出す。
他にも否定的なニュアンスの意見が出れば晒して叩きまくり、昔からあるゴジラ論なども反日左翼扱いし(なぜだ)パブリックエネミーとして攻撃しまくり。
要するにシンゴジラは褒めるものというのが前提で、その意見に逆らうやつは私刑してもオッケー。自分の意見よりもネットの潮流にあわせて賛辞を送るみたいな流れだった。多分、アニメも漫画も音楽も映画も別に好きじゃないんだよあいつら。
観測範囲の問題とか言うひともいるかもしれないが、逆にどこ行ってもこういうやつらは観測できたよ。もちろんまともなひともたくさんいるだろうが、それを覆い隠す勢いで多すぎた。
正直、こういうひとたちには批評なんてものは早すぎて理解できないんだろうと思われる。そんなひとたちの感想文を読むのは無駄でしかないよ。
正義マンってのは、自己判断で、良かれと思って、悪を断罪する人たちだ
「この人痴漢です」という声を信じ、被疑者をどこまでも追い詰めるような人だ
正義ぶったメディアもそうだし、廊下を走った子を捉えようとして廊下を走る委員長もそうだ
webで通報行為を繰り返す人もそうだし、SNSで皆で誰かに罵詈雑言を浴びせる行為もそれだ
関東大震災の時に朝鮮人を殺して回った人もそうだろうし、体罰をした指導者に非難するのもそうだろう
→その人の思想信条に依るし、騙されてる可能性もある、罪の大きさをその人が判断している
2.良かれと思っている
→自分が正しいと信じているせいでエスカレートし、タガが外れる
3.数の暴力に発展する
→同じ情報を多数の人が見ると、正義マンの反撃が果てしない規模で個人に向かう
この現象は構造的問題であって、一見すると非常に奇妙に見えるはずだ
正義の対象になる行為は、その程度が大きい場合もあるが、犯罪に満たない些細なものだったり、個人の思想依存のものだったり、それ以前に噂程度ということもある
しかし正義マンの逆鱗に触れると、ことの真相や行為の大小に関係なく正義執行されてしまう
「暴力は良くない」という理由で「暴力を振るわれる」というのが最も奇妙な例だ
そして、正義マンが自分で「このくらいの仕返しなら良いだろう」と思うような正義執行でも、その数が千や万になると大きな暴力となり奇妙な状態になる
正義執行がそもそもの行為の被害者や、関係者全員を不幸にするケースもある
そうなるともはや正義マンこそが悪という、これまた奇妙な状況が生まれる
こういった問題は、SNSの炎上や、ワイドショーのネタ、性の問題、ポリコレ周辺で多く発生していると思う
差別発言をしたものはリンチしてもいい、性犯罪者は皆殺せ、みたいな。おおよそ社会的な価値観とは合わない意見が展開されている
ただ個人で心がけることはできる
・真偽不明なことを拡散しない(自分の不用意な拡散が、誰かを正義マンに変身させている)
・正義マンの暴走を勇気を持って止める(これは非常に難しい。簡単に悪認定される)
ちなみに一時期、2chではこれが上手く機能していたことがあった
途中で「実は真相が違っていた」という場合に、安易にのっかって非難していた正義マン達が今度は追求される側になるという現象が起きたのだ
「こいつらは禄に調べもせず、スレの情報を鵜呑みにして叩いたバカだ」と言った具合に
私も何度も踊らされては、後から真相を知って自分の正義ぶった書き込みを恥じた覚えがある
やがて正義ぶった行為の愚かしさを学んでいくのだが、今の世の中全体の情報の流れ(SNS・メディア・ワイドショー)だと、そういうのが体験しづらくなっていると思う
そこはどうにかできるのでは? と思う一方で、暴走する正義マンはどこにでも居るので、仕組みだけじゃ解決しないなとも思う
二人が昼前のバスで帰った。
一人になった家は見違えるほど綺麗になった。ピッカピカ。
一人でやってもここまで綺麗にならないのは何故だろう。
旅先で散々カーチャン達にキレてきた。あれやこれや。
帰って一人になった時に後悔しきれないぐらい落ち込み、ベッドに潜り込んで枕に涙をながす。過ぎたときには大したことなかったのにと再び後悔する。
随分前で何時か覚えてないし日付も見えないかな。
そこそこ昔なのにあっという間に二人とも50代。元気だけどそれでも、、、
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小学生のころ
二人とも仕事でやや忙しかった。だがその裏でとうちゃんは「ふ」の真っ最中だったらしい…カーチャンもココロやられてたらしいが当時心が添付されてない会話と幼さで状況が分かりやしなかった。
何をどうしたのか分からないしよく覚えてないが幸い二人をつなぎとめることができた。
それでも心は変わらなかった感じだった。
多分このころが一番の元凶。
ギリギリ不関心な感じ。一緒に何かを育んだり最後まで取り組んだ記憶がない。
報酬系がうまく育たなかったのかもね。
環境自体は悪くなかった。金にも困ってなかった。だが足りなかったのは温もりだと度々想う。
現代の子供がゲームに夢中になる理由に報酬と罰がハッキリわかるがよく挙がる。
おそらくこれだった。
友達が遊んでたポケモンに興味惹かれて同年代の子たちより遅めに遊び始めた。
あれは良かった。子供なりのコミュニケーションツールであり、コミュニティーへの参加券だった。家で話せる相手がいなくてもポケモンは話題を用意してくれた。
今思えばこの流れは成功でも失敗でもあった。だが溝が深くなるだけだった。
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二人と心のある会話が多分少なかったせいで人を観察するばかりしてた。日本語をまだ習ってないのに入った日本語メインの幼稚園で覚えた昼ごはんの屈辱。おかわり欲しいだけだったのに言えなかっただけでみんなに見られて笑われた。石塚英彦(イメージに傷ついたらスミマセン)みたいな体型の女保育士がなに言語の不自由を笑ってんだ。お前のせいで喋るのが今でもすこし躊躇うようになったんだぞ。
初めての学校。小学生に未来の話は早い早いと思われがちと思うが、「深い」直感はいつも正しいと思う。あの時クラスの中に一人だけ素質が違うのを感じた。直感で学校の果て(大学など学歴における小学校の沿線上の先にある何かという感覚 )にランキングあったらこいつはトップにいるだろうなと確信したのは授業参観日で自分の名前に込められた意味・願いの発表だった。彼の自信がこもった発言、動作一つ一つのキレの良さ。確信したよ。そして高校卒業、大学進学。ふと思い出した彼の名前を顔本で探したらなんと東大現役だった。
これは正直おめでとう以外の気持ちはなかったよ。学歴と直感を照らし合わせてもチートでもなんでもない、これが実力だという真の勝ち組の雰囲気が漂ってた。素直に同級生だった奴の一人が人生における一つの成功を掴んだことが嬉しくてたまらなかった。この調子でいけばさらに大物になるだろう。期待してる。
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二人とも比較的に早い段階で世界の反対側を見てきた。だから気がつけば自分も鏡の向こうにいた。この体験はまるでタイムマシンのようだった。
ある日は卒業式の保護者席に。ある日は学校に居ながらも皆が先に散らばってたのを知った。
二人の仕事や個々の問題が落ち着いてきた。今までの溝の埋め合わせや溝があったことへの許しを請うようにほぼ毎週末運動施設に連れて行ってくれた。
だけど遅かった。
突然の心の共有に異常検知したのか、受け入れがたかった。
今思えば家族全員の失敗である。何事もなかったが当たり前と慣れてしまってた。逆に何事もなかったように家族であろう姿に戻ろうとする二人。隣り合ってもお互い違う価値観の基に過ごしてきた。
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別にオタクになるのは悪いこととは言ってないとまず断言しておく。
オタクになるまでに感じたことはおそらく読んでる人達がこれまでorこれからないだろう。
新しい環境。新しいクラス。幼稚園の屈辱が時々脳裏に浮かんで無口で過ごした。馴れ合うまでの経緯は忘れたが、日本人に日本の魅力を教えに来た同級生がいた。
実際そうでもなかった。オタク文化を紹介され、いつしか彼と他の仲間たちとなけなしの小遣いでグッズショップ巡りした。
wowaka、蝶々P、ゆちゃP、164、40mP、etc…。素晴らしい音楽を世に出してくれた。やや機械音だが生身の人間じゃない何かが発する言葉の羅列が逆に心に届いた。
だけどある日二人に見られて「甲高い機械音」と言われたときはようやく見つけた居場所が傷つけられて溝が更に深くなった。
授業なんて聞いてないで一日一冊半ぐらい読んだ。日本語文学なんざラノベ以外読まない日々だった。
日本語がみるみる上達した。ほぼラノベで養った語学力で今は私立トップ校に在学中だ。現役で入って留年もしてない。これでも悪と言い張れるか?そもそもラノベが害悪という人は何を根拠に拒否しているのだろうか。
話を戻す。
彼らとつるんでいるうちに学校に慣れた。だが成績のほうはリーマンショック暴落の直後のようだった。別に二人も特に心配していなかった。
学校というものを取り除けば楽しい毎日だった。なにかOSの裏技を見つけては仲間と共有して、学校というパノプティコンとイタチごっこしてた。
場所は変わってないが年取った。
イタチごっこは相変わらずだった。だがたまに学校からウェブサイト開発案件が来た。三人体制だったがあのときにゃあgitなんか知らなかった。
マーク・ザッカーバーグのストーリーはご存知かな。彼が同級生兄弟と一緒に顔本を作るはずがいつの間にか功績を奪ったようになってしまったという。
実際似たようなのが起きてしまった。相手は今日本じゃない公立のまあまあいい大学行ってる。生意気だがあいつなりに成功の道を作っているようで奪われた身としては進歩に必要な犠牲としての役目を果たした感があって恨みはない。自分がいたおかげであいつが成功を掴めたんだ。自分がプロデュースしたと思えば何もかもやり過ごせる。
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小中高片思い沢山してきた。「嗚呼、自分は普通の人間だな」と感じた。だが高校では周りを見ては諸行無常だと実感した。そりゃああれだけ見たら無心になった。なったつもりがなりきれなかった。
二人からの心のこもった愛がいつしか途切れて、片思いをするたびに「この人なら足りない何かを埋めてくれるかな」と数週間悩んではまた無心に戻った。
陰湿ギークオタクは電車男にすらなれない。(ごめんなさい電車男あまり知らないです)
無心がリバウンドして誰でもいいから付き合いたいと思い始めた。
成り行きで一人と付き合うことができた。ランキングでいうと余り物に近い。(すまない)
付き合って数ヶ月。
燃え尽きた。
なんで付き合ってるんだっけ?誰のために関係を維持してるんだっけ?
けど卒業式四日後ぐらいに相手から別れ話出された。チャラ男ではないが、これでよかったのだ。これが一番ダメージ少ないなら相手がうんざりして切り出したことで悪者にでもなっていい。と何度も何度も自分に言い聞かせてた。同時にやや恋愛恐怖症になった。
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大学に入った。頭がとてもいいってわけでもない。いくつかの大学に落ちたさ。だがこの大学の合格通知が来た時はとうちゃんにとって悲願っぽい何かを感じた。無心で育てられたとは言え、心の底では「これでやっと見てくれるかな」という気もあったかもしれない。
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インターンシップにも応募した。とある大手情報系企業だ。とうちゃんには無念しか残ってない所に挑んだ。
負けたよ。いつ以来の敗北感だろう。
手持ちの装備は心がない会話ばかりで作り上げた会話力だけだったよ。二回戦のグループ討論で落ちたよ。父の日だったのに朗報持って帰れなかった自分が更に悔しい。カーチャンは夢を再び見せることが出来たと言ってるが、見れたかな。。。
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無心を貫くと心に決めたのにまた同じ理由で破ってしまった。現実はそう甘くなかった。
告ハラという言葉ができる前に遭ってしまった。ハラスメント?それ本気で言ってるの?言ってるそばから相手の社会的地位を下げるような内容を公開してそれって私刑だよね?
まあこの身がコミュ障恋愛恐怖症になるぐらいだから相手もなんらかの強迫症じゃないかと哀れんで過ごせばいいと思って無かったことにした。
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カーチャンは去年あたりキレやすい理由についてうすうす気づいて原因を根本的に治したいと言ったが、溝が深すぎたとだけ言った。
ここまて約10年。そりゃあすぐに埋まるわけないよな。夢でも見てたのか、途中数千字の理由を書いたが読んでも理解できないって言ってたもんね。家庭崩壊になりかけて警察を呼んで連れて行こうとしたもんね。
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二人にキレまくったこと。すぐじゃないが、いつも一つ一つ後悔する。途切れた愛でも、無かったことにはならない。しかし合間が大きすぎた故、怒りと許せない気持ちがどうしても先走ってしまう。
キレたその夜には枕元で、「もし今夜、明日、明後日、突然の事故で二度と触れる事ができなくなったら?」「もっといろいろやれたのに」と悪い想像をして悲しみ、寝落ちするまで泣いてしまう僕がいる。
さすがに10年も考えればいくつか答えが見えたよ。
無かったことにしたことには慣れた。だったら無かったことを無かったことにすれば少しは良くなるのかな?
思いついたら歩いていけ
心残り残さないように
砂の惑星で10周年か。ちなみに最初に聞いたボカロ曲はなぜかデッドボールPの曲だった。
今日はwowakaのアンノウン・マザーグースをようやく聴いた。このリズム、この歌詞…何もかもが懐かしい。何よりも聴いた瞬間
もう一回 誰も知らないその想い
あなたには僕が見えるか?
あなたには僕が見えるか?
…
どうやって この世界を愛せるかな
いつだって 転がり続けるんだろう
ねえ、いっそ
誰も気附かないその想い
この唄で明かしてみようと思うんだよ
の部分が一番響いた。
運命も偶然とかいつも信じてもどうにかなるものではないと思っているけど、これは自分の決断を忘れないうちに書き下ろしていつしかまた自分に読ませて落ち着こうという願いで書いた。
最後に、
「もう少しだけ友達でいようぜ今回は」
引用:
反差別活動は立派な活動だと思うけど、差別主義者も反差別主義者も互いに攻撃的になった結果分断を深めてしまった米国。
日本でも似たような事があったけど、写真から人物特定をして就業先などにクレームをつけて社会的に追い込むとか反差別活動の枠を完全に超えて私刑で、実際に人違いもあったみたいだし犯罪行為だよねえ。
しばき隊界隈を眺めていると、穏当なやり方では成果がでないという意見も見かけるけど、単に堪え性がないだけにしか見えない。
そもそもからして差別主義者を改心させて差別の無い世界を作りたいわけじゃなくて、単に差別主義者を罰したいだけだよね。しかも私刑で。
◆メディア
・誤報の修正が甘い(1度誤報に対し1度の修正では少なすぎる。複数回同一の修正内容を掲載・放送する必要がある)
・公共の利益を提供する立場と営利団体である立場のダブルスタンダート
◆社会
・自身が何を知らないかを理解していない、自身の常識を疑わない国民性
・社会全体の価値観が文化によって修正を受けていることを俯瞰しようとしない
・どの層も「見栄」によって公共の利益を損なっているのにもかかわらず、「見栄」を咎める存在がいない
・吊るし上げ、見せしめ、私刑が必要なケースに法律は想定していない
・エビデンス至上主義(データが出せない要素に関して、尤もらしいことであってもデータがなければ重要度を0と判断することを合理的だと考える集団が存在してしまう)
・資本主義の見える化による労働者のモラルとモチベーションの低下
・雇用者と被雇用者の立場は対等であるにもかかわらず、雇用者の方が偉いという風潮
疲れたので、誰か思いついた人はどんどん追加してって
一時期赤羽の駅前を賑わせた男性がいる。彼はどう見ても普通の、背広を着てネクタイを外したサラリーマンなのだが、なぜか道行く人にノートを見せつけてくると言う。そのノートにはどれほど猥雑なことが書かれているのだろうかと怪訝に思われるだろうが、実はそうではなく、ノートに手書きで書かれているのは
「君の名は」
に関するあらゆる情報。どうやら彼は映画館で観ていたく感動し、その作品を広く世に知らしめるべく行動に出たようなのだ。すごくないですか?このインターネット全盛の時代に。しかもすでにみんな結構観てるし。でもなんかいいなと思った。どうしても色んな人に観てもらいたかったのだろう。
今年観た映画には素晴らしいものが数多く、会う人会う人に、向こうのリアクションなどお構いなしに下を見ながらブツブツすすめ続けてしまう。わたしは何かを観たことによるマウントを行いたいわけではない、と思う。ただ、自分が今ラリっているブラントを配りまくっているジャンキーのようなもの。たぶん。ヘイ、ニガ!一緒に吸おうよ!みたいな。たぶん。知らないけど……。僭越ながら紹介させていただきます。とっておきのブラントなんだぜ、ニガ。
長い前置きすみませんでした。
◆超オススメ◆
韓国の鬼才によるエロサイコミステリー。しかも百合!韓国映画敬遠しがちな人は度肝抜かれるので観てください……。戦時下、美しい日本庭園で美しい衣装を着て日本人のフリをする朝鮮人たちが騙し合うんですが、セリフがずっとカタコトの日本語。この時点でカルト映画だ!となるんですが、話の展開も予想だにしない方向へと引っ張られていき目が離せないです。しかも最後が爽やか。イェーイ!となるという。とにかくエロいんでそこ目当てでも観て欲しい。
公式サイト:http://ojosan.jp/sp/index.html
②映画「コクソン」監督:ナ・ホンジン
韓国の寂れた村に國村隼が住みついてから、村人が家族を惨殺する事件が相次ぐ……なんで國村隼?本当に犯人は國村隼?なんでフンドシで鹿の生肉食べてる國村隼?こう聞くとB級映画にしか思えないと思いますが、カンヌ出品も納得のテーマへと迫っていく。何を信じるのか?終わり方は苦手な人もいそうだけど、でもそういう人こそ観るべきだと思う。途中、祈祷師なる人物がドラをジャンジャン鳴らしながらヤギの首をかっ切るシーンは尋常じゃない高揚感が得られます。
Netflixで話題を呼んでいるドキュメンタリー。ニュージーランドの記者が「くすぐり我慢大会」なるものを見つけ取材を申し込むと「オカマ野郎には関わって欲しくない!てめーはクソだ」のような攻撃的な返事。調査を進めるうちに、まるでゲイポルノのようなくすぐり動画を撮影し、恐喝に用いていたことが判明する……。
実話であることが恐ろしすぎる!見ず知らずの若者を支配し人生をぶち壊すことにしか興味がない恐ろしきサディストの話。こんな怖い話があってたまるか……。ゾワゾワしたい人は是非観てほしい。すごく怖い。
参考サイト:http://cinemandrake.blog.jp/くすぐり
勉強するとはどういうことか?勉強するとはキモくなることである!勉強すると100%キモくなる。なぜなら周りのノリに対し浮くからだ、という箇所に大納得。でもそれでも勉強してしまう。なぜなら自分が変わっていくマゾヒスティックな快楽があるから。勉強とは、今までわからなかったことがわかること。言葉が自分のなかで血肉を持つこと。でも言葉で自分と環境を一度切り離し、客観的に捉え直すことが必要。自己啓発書風だけど中身はすごくわかりやすいドゥルーズだった。わたしがなぜ学生の時にドゥルーズに心惹かれたか、腑に落ちた。とても平易な言葉で書かれているけれど、勉強そのものに切り込んでいくのでスリリング。名著だと思う。……伝わってますか?すごく読みやすいのに考えさせられる、とてもよい本。
こちらもNetflixにて。アメリカン・ドリームを夢見る、人種もバックグラウンドも様々なドラァグクイーンたちがバトル!ル・ポールの前で1番を競い合う。カーテンでドレスを作ったりものまねショーをしたり。あれ?意外に予算がかかってない?しまむらチックな私服を着た屈強な男たちがメイクと豪華なドレスで美しく変身する様、見習わないといけないなと思わせます。そしてなんてったってル・ポールが美しい!普段はダンディなスキンヘッドの50代のオジさま(声だけ女)なのに、ひとたびドレスアップすると193センチの美女!日本の番組にありがちな、 「でも実はオッサン」的ないじられ方をすることなく、ただただ美の化身として存在するル・ポールが尊いです。あと発音がわかりやすくてリスニング力を鍛えることができる。
⑥映画「モアナと伝説の海」監督:ロン・クレメンツ、ジョン・マスカー
海、砂、黄金のテクスチャーが本物以上。海洋スペクタクル大アドベンチャー。モアナはプリンセスというよりかは立派な施政者。16歳なのにあんなにしっかりしているなんて……。話の説明パートは歌かギャグが入るので飽きることがない。オチも完璧だったし、この映画を観て育った子供は絶対に自然環境を破壊しないと思う。ホントか?半神ムアイは全身タトゥーだらけで顔もいわゆるディズニーのヒーローとは違っているけど、とても愛らしい。ディズニーは反ルッキズムへと舵を切っているのかも。人間に御礼を要求する歌がいいです。派手なカニやココナッツのマッドマックスも必見。
今激激激激オシしている映画。なぜなら全然流行ってないから。でもそれはどう考えたってオカシイ。だってこんなに面白い映画そうそうない。映画館で終始ニヤニヤ、たまにゲラゲラ、笑いすぎてむせてしまったかと思えばしんみりさせてくれる。バットマンでかつレゴ、でもどちらも必然性があるストーリー。レゴがとにかくかわいくカラフルで魅せられるんだけど、話は意外に考えさせられる。
「ダークナイト」では、悪に対し私刑を加えるにすぎず、その行動がより悪を増長させ自らもまた悪の似姿となるバットマンが、アメリカにオーバーラップさせる形で描かれた。奇しくもジョーカーを演じたヒース・レジャーの死によってダークナイトの問題提起に答えが与えられることはなくなってしまったが、その答えを与えるのが「レゴバットマン」。まじです。しかも子供も楽しめる。すごい。ウォルデモート卿やマトリックスのエージェント、キングコングまで。騙されたと思って観てください。
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/legobatmanmovie/
韓国ノワール。人がイヤな死に方をすることでは天下一品な韓国映画にまた一作、観ていて痛そうな映画が。サイコ市長に飼い犬のように使われるダーティー刑事が牙を剥く。観終わったあとに結局なんだったのか?感が否めないが、市長がフルチンでキレたり、やたら痛そうな拷問など、観ると楽しい。主演が西島秀俊に似ている。
公式サイト:http://asura-themovie.jp/
閉鎖的な黒人社会でセクシャルマイノリティとして生まれたこと、というよりかは孤独な子供あるあるとして観た。静謐さ、不安定な視界、不安げな表情、どれも既視感のある普遍的なものだったので、不器用な子供だった人にすすめたい。また、車、言動、振る舞い、筋肉、どれをとってもギャングスタに憧れないわけにはいかなかった。
公式サイト:http://moonlight-movie.jp/sp/
⑩映画「湾生回家」監督:ホアン・ミンチェン
台湾で生まれ育つも敗戦により引き揚げざるを得ず、しばらくかの地に足を踏み入れることのできなかった日本人を追ったドキュメンタリー。故国ではないところに故郷がある人の、心はいつだって異邦人という言葉に痺れる。人の優しさと詩情に満ちている。
11映画「スウィート17モンスター」監督:ケリー・フレモン・クレイグ
とにかく女の子がダサい。二日酔いから覚めると一人しかいない親友といけすかない兄貴がウチでヤッてた!?最悪な気持ちのまま適当にアジア系のイケてない男の子とデートしたり先生に悪口言ったり、ジタバタ。パーティで人に話しかけることができなかったり、目も当てられないが、それはまごうことのなきいつかの自分。近頃よく見るイケてない青春ムービーの一角だが、大した事件が起きないのにしっかり成長するので見ごたえがある。サントラがいい。
「お前現在インターネットがどういう状況なのか全く何にも知らないの?www」
→今のインターネットの状況と今回の話ってどのあたりで関係するの?
みんなやっているからやっていい、とか、そういう世の中の流れだから法を無視していい、みたいな低レベルの話じゃないよね?
「そういうとこすっとぼけながらナオヤのときだけ私刑よくない!とか言い出さないくれます?www」
→いやだから、なんで俺が俺の主観で、問題に感じた時に、そのトピックを抜き出して増田に書いているだけなんだけど、バランスよくほかの問題にまで言及しないといけないの?新聞社でもニュースでもないんだけど。そんな親切に、世の中の問題をバランスよく論じる義務も責任もないでしょ。
俺が問題にしたいのは「ちょっと名の売れた普通のエンジニアがリベンジポルノの被害にあっているのに、それを肯定したり、拡散したりすることは問題」というところ。別に他の問題は興味ないよ。普通のエンジニアがリベンジポルノの被害にあって、同情されないどころか叩かれて、拡散までされるっていう、その状況が恐ろしいわけ。なので、その点について問題提起しているだけなんだけど。
「つーか死ね」
→たいして議論できないのに、強い言葉で相手を打ち負かそうとするの、やめたほうがいいよ。みっともないから・・・。中学生くらいが書いているならともかくね。
まず、「え、俺一人でやるなら復讐大肯定してるし」に関しては、お前の個人的な意見はわかった。ただ、法治国家の日本においては、私刑は違法だという前提を忘れちゃいけないと思う。感情にまかせて、何でもありにしていたら中世に逆戻りだぜ。
「圧倒的弱者側なら晒しも全然オッケーだし」これもだな。お前がいいと思うのは別にいいが、社会通念上、オッケーのわけない。
「一人じゃ絶対に勝てない相手なら助けを呼ぶのもやむなし」これをやるのは警察や裁判所の役割。個々人が勝手にやってたら社会はめちゃくちゃだよ。弱者救済の制度が弱かったら、そこは行政や政治の問題なだけ。
「そして今のお前は強者側にたって弱者叩きをしてるだけのゴミクズだ」これにいたっては、女性側の主張を全面的に信じるなら、というだけだな。
彼女のいっていることが全部本当かどうかは俺らには判別つかない。もしかしたら嘘かもしれないし、記憶違いで間違っているかもしれない。なので、制裁を加えるなら慎重に検討しないといけないはずなんだよ。推定無罪じゃないけど、一方の主張だけで、「彼女は被害者だ!」「復讐もやむなし!」「男側をかばうのは強者側にたって弱者を叩いているゴミクズ!」っていうのは、あまりに短絡的な感情にまかせてるだけだよ。
彼は一部で知名度はそれなりに高いが、知名度で食べていっているタイプではない。ブログもTwitterもたまに更新する程度、フォロアー数も「まあ、普通のエンジニアにしては多いかな」くらいである。講演をしたり、文章を書いたりしているが、それも通常のエンジニアの業務の範囲内くらいだ。
ただ彼が関わっていたサービスがあり、そこのユーザーたちにとっては有名な人、というだけである。言ってしまえば、ほとんど「普通のエンジニア」みたいなもんなのだ。普通の一般人である。
そんな彼がリベンジポルノの被害にあったときに、さもそれが当然のように語られている。恐ろしすぎる。たとえば以下のようにである。
→これに関しては、ある程度なんて問題じゃない。性行為の状況から、LINEのやり取りまでさらされている。不倫だとはいえ、恋人同士のプライベートなやり取りが晒されるのは、本当にある程度なのか。少なくても芸能人でもなんでもない、少し有名なだけのエンジニアが受けるにはあまりに大きい程度。しょうがないなんて、よく言えるなとびっくりする。
さらに「不義があったのは明らか」というのもおかしい。不倫で不義があったとしても、過剰な復讐が許されるわけではない。
イメージだけでいっているのだろうけど、彼が遊んで暮らせるほど稼いでいるという思い込みがひどい。はてな上場時の株式比率や、今の会社での年収などの話を総合するに、ほとんどたいしたことがない金額しかもらっていない。もしほとんどを使っていなかったとしても、せいぜい1億もいかないくらい。だいたい、もし金をもっていたとしても、仕事や今後の生活に支障がでるほどのプライベートをさらされることは大問題なことは明らか。
講演とか著書とかで稼いでるんだから正直まったく同情できない。芸能人までとはいかなくてもある程度知名度で食ってるんだから醜聞も騒がれるのは当たり前
これもかなりひどい。講演や著書で稼いでいるといっても、エンジニアの仕事の範疇レベルであり、たいした金額でもないだろう。エンジニアの講演なんて、せいぜい1回につき1万〜5万だろうし、それも頻繁にやっているわけではない。自分の知る限り、1年に5回もやっていないのではないか。執筆もたかがしれていて小遣いレベルだろう。
ほとんどが今いる会社の仕事だろうから、知名度で食っているというにはほど遠いはずだ。そして仮に醜聞が騒がれても仕方ない、となっても、リベンジポルノを拡散する理由にはならないだろう。
これはすべて、リベンジポルノについてはてなブックマークのコメントであり、つけている人たちは、リベンジポルノの拡散に協力しているのだ。
一つだけいっておきたのは、不倫をしたのは悪いことであり、不倫の結果、相手とトラブルになるのもしょうがない。申し訳ないが、非があるといってもいい。ただし、私刑はダメだ。当時者でないものたちが、おもしろ半分で制裁を加えるのは本当によくない。
普通のエンジニアに毛が生えた程度の一般人の生活をこれ以上脅かすことはやめてほしい。取り返しのつかないことになっても知らんよ。
各章が独立していた内容なので、どこから読んでくれてもかまいません。
要するに、今回の件の批判者の主張は「少年誌にふさわしくない」と「このような構造の表現は好ましくない」の2点に大別できます。そしてこれへの真っ当な反応としては表現媒体や販売場所の適不適に関する議論か、どこまでの表現なら現状の媒体で可能かといった議論しかありえません。
性被害を肯定的に描いているのは、たしかに問題表現です。しかし、それを少年漫画に載せるのが不適格なのかと言うと、簡単な話ではありません。
例えば正義のために暴力をふるうアンパンマンも、私刑を肯定的に描いたという意味では問題表現だと言えます。また、サザエさんでは家事育児が女性の仕事とされていますから、これも女性差別を肯定していると解釈することができます。こうなると、あらゆる漫画に問題表現を見出すことが可能であって、どこで線引きをすればいいかは難しいです。
そもそも少年ジャンプに載せたらダメなのか、巻頭カラーで載せたからダメなのか、それとももっと読者層の年齢が高めの漫画雑誌に載せることもダメなのか。ジャンプ編集部に判断を迫るのではなく、批判者たちも責任を持ってその提案をすることが望ましいです。
それに、出版社に対して自主規制を求める活動というのは、仮に権力者ではなく私人がやっていることだとしても、一歩まちがえると危険を伴います。
例えば「LGBTは不快だから表に出てくるな」「反戦漫画を子供に読ませるな」という"批判"をしている人たちだっているでしょう。かつて性描写や暴力表現を潰そうとしていたPTAも今回の騒動とおなじ手法で、やたら大声で騒ぎ立てて世論をかきたてたり、出版社に要望を出してその世論を忖度させるという手口だったんじゃないですか。昔のことはよく知りませんけどね。そして、これが公権力と結託すると恐ろしいことになります。
自主規制の是非については、あくまでもケース・バイ・ケースですが、「世論に押されて自主規制に追いこまれるのも表現規制の一形態だ」という理解は持っておくべきだと思います。
つぎに二点目の「このような構造の表現は好ましくない」という批判ですが、これは非常に厄介です。かりに『ゆらぎ荘の幽奈さん』を年齢層が高めの雑誌に移籍させたとしても、この批判を免れることはできません。
このブログ主さんは触れていませんが、「このような構造の表現は好ましくない」というのは単に論評をしただけではなく、「好ましくないからゾーニングしろ」「好ましくないから内容を変えろ」という含意があることも多いです。
オタクは規制されそうになったり、ゾーニングを求められたりして、いつもピリピリしているんです。だから、作品名を名指しされてそんな批判を浴びせられると、オタク側が過敏に反応してしまうのは仕方ない気がします。
また、批判者は作品内容を論評するにとどまりません。「こんな好ましくない表現のある漫画を作ったり消費している奴らはクズだ」という侮辱をされることもあります。
オタクはこの侮辱に対して、どのように応答すればいいのでしょうか? 頭を下げて、「この漫画は性被害を肯定的に描いた作品です。こんなものを楽しんでいる私たちは罪悪な人間です」という懺悔をおこなえばよいのでしょうか? さすがにこの対応を求められるのは屈辱的だし、ハラスメントではないかと言いたくなります。
もちろん批判に応答する義務はないですから、黙殺しておくのが一番だと思いますけど、それはそれで「オタクは社会的責任を果たしていない」という攻撃材料を作ってしまいそうです。
(ところで、『ゆらぎ荘の幽奈さん』の件とは異なりますが、成人指定がかかっているエロマンガに対しても、「このような構造の表現は好ましくない」という批判をすることが可能です。しかし、その批判を名指しでやることは、嫌がらせ以上の意味があるのでしょうか。製作者側も好ましくないと思ったから成人指定にしているわけですし、仮にその批判を向けられたせいで炎上案件になってしまったら困ります。)
また規制を進めようとしているのはフェミニストではありません。第一日本国内のフェミニストはそこまでの政治権力を持ち得ていません。日本において議会の多数派はほとんどの場合右派(というか極右)が占めており、規制も彼らの手によるものです。
もしフェミニストが規制を進める権力がないのだとすれば、オタク側はフェミニストからの批判に耳を傾ける必要がなくなります。権力のない者からいくら批判を受けたとしても、こちらは黙殺か冷笑をしておけばいいんです。
ただし実際には、自民党が表現規制をおこなおうとするとき、リベラルやフェミニスト等の左派勢力がそれに加担・黙認する恐れがあります。こうなってしまうと、民進党、社民党、共産党がいくら反対をしたくとも、その足場が揺らいでしまいます。
オタクは普段、左派勢力からの批判をちょっとはまじめに聞き入れておかないと、いざというとき彼らに助けてもらえなくなるのです。
リベラルやフェミニストは、オタクが自分たちの批判を聞き入れようとしなかったり、自民党や山田太郎を支持している姿を見ると、激怒するでしょう。そうなると次は報復感情が芽生え、批判を押し通すために権力を頼ろうとするのが当然のなりゆきです。
その意味でリベラルやフェミニストは、自民党や右派勢力ほどではないですが、オタクにとって油断ならない存在です。
もっとも、オタクが彼らの批判を聞いたところで、批判は次から次へと出てくるし、あげくのはてに土壇場で裏切られる可能性があります。
自民党が表現規制をやるとすれば、その大義名分は、「性暴力を肯定している漫画はけしからん!」「こういう漫画が流通しているのは女性差別だ」というものになるでしょう。左派政党はともかくとして、その支持者たちがこの問題で自民党に加担するのは、けっこう容易に想定できる事態だと思います。
例えば自民党が、「少年誌から不健全な性表現(=女性蔑視を促すもの)を追放する」という法案を出したとすると、それは今回の騒動でジャンプ編集部に自主規制を求める人たちの目的と合致するものです。このとき、リベラルやフェミニストが「自主規制には賛成だが法規制には反対だ」という峻別をする人ばかりだとは限りません。
あーね、あとは、「リベラルがオタクの支持を集めそこねたのは、リベラルがクソすぎる責任もあるのに、その反省はないのか」とか、「"表現の自由戦士"みたいなオタク像ばかりを見ていて、このブログ主の現状認識もおかしいんじゃね?」とか、いろいろ言いたいことはあるけれど、そこは私もろくに把握できていないので語るのはやめておきます。
このブログ主は、『ゆらぎ荘の幽奈さん』が批判されているのはエロだからではないと言っていますが、それは違います。
絵としてエロいものだからこそ、我々の感情をゆさぶり、批判のやり玉に上がっているのです。その証拠に、私刑の暴力を肯定している『ジョジョの奇妙な冒険』等は、エロくないから批判のやり玉にあがりません。
今回のような批判が起こっているのは、この漫画の絵がエロく見えるからに他なりません。
もし視覚的には欲情を誘わない絵柄とか、エロくは見えない描写方法を採用していれば、女性蔑視・性被害うんぬんという指摘があったとしても、それが大勢の人たちを巻きこむ炎上案件にならなかった可能性が高いです。
今回の件で、はてなやTwitterのリベラルは「エロは問題ない」と繰り返していました。
しかし、私はそう思いません。
リベラルが褒め称えるような"エロ"ならば、それをどんどん子供に見せてよいですか? それを公衆に向けて掲示することは、ポリコレに沿っていると言えますか?
そんなはずがありません。どれだけ適切に描こうとも、やはりエロはゾーニングの対象にするべきです。
ところで、欧米の基準に従えば、二次元と三次元を区別せず、「児童の水着姿をエロティックに描くことは児童ポルノだ」という論を立てられると思います。
今日の日本のリベラルやフェミニストはまだこの基準を採用していないようですが、萌えキャラは童顔ばかりだし、それが水着姿になっている漫画はアウトだという意見が主流になる日が来るかもしれないですね。
女性が性被害を受けることをを肯定的にかいたというのは、じつは問題の本質ではありません。
例えば『ゆらぎ荘の幽奈さん』で、胸を強くさわられた女子が痛がっていたり、そのことで心が傷ついたシーンが描かれていれば、何も問題はなかったということでしょうか。
そういえば、この前に炎上していたクジラックスの漫画について、リベラルやフェミニストがどう思っているのかを知りたいです。
あの漫画はポルノとしては珍しく、レイプを正当化できない悪として描ききっていました。つまり、「レイプは被害者を傷つける暴力だ」「レイプをやる奴は卑劣な犯罪者だ」という認識を貫徹していたのです。
作中での性暴力の取り扱いが肯定的か否定的かということだけに注目していると、レイプ=悪という認識を徹底させたこの漫画が一周まわって健全だということになってしまいます。
これは私見になりますが、萌えという欲情を誘う絵柄で描いた漫画である以上、性被害は抜きどころです。
ストーリー上でいくら否定的なものとして描いていたとしても、それは性的消費の対象となります。
女キャラが性被害を受けているとき、その肉体が露出していると、男性読者はそれを見ながら欲情してオナニーするのです。
胸や性器の露出がなくても、その瞬間の女キャラの顔の表情を見るだけで、男性読者はきっとオナニーすることができるはずです。女キャラが恥じらいの表情ではなく、嫌がっている表情を浮かべているとしても、それはそれで抜けます。
これではどうやっても、「女キャラが性被害を受けている場面を男性読者が娯楽的に消費する」という構図を脱することができません。
この構図をなくしたい場合、萌え系の絵柄の漫画では、性暴力・性被害を作中で取り扱うことをやめるのが一番です。
また、該当箇所の絵を省略して、そういうことは文字で伝えるという方法もあるかもしれません。(しかし男性読者は、作中では省略された性被害の場面を勝手に妄想するし、あるいは性被害をうけた女性という属性に興奮し、それをオカズにしてオナニーすることができるでしょう。)
フェミニストが彼らの言うところのエロを批判するのは、主に女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化といったことを肯定し助長すると認識しているからです。フェミニストがエロを憎んでいるように彼らに見えるのは、彼らの認識するエロが女性を独立した人物としてみなさないものであるからです。その前提をクリアするのであれば、むしろ女性の独立の証として肯定するフェミニストも大勢います。
この指摘は、いちいちもっともな話だと思うんですが、「そんな批判をされても知らんがな」という反発をしたくなります。
フェミニストが女性の独立の証として肯定するエロとは、どれだけ素晴らしいものでしょうか? "女性の軽視、蔑視、搾取、モノ化"を解消したとしても、今度は女性が男性に向かってそれをやり返すだけです。
例えば女性が自分の好みで男性を自由に選ぶということ、それは女性の権利です。しかし、その権利を行使するときの女性は、きわめて動物的な性欲を発揮しています。金、地位、容姿、安定感、人格、優しさ、そこには微塵もポリコレなどというものは存在しません。
パートナーに人格や優しさを求めるのは人間的な営みだと言われそうですが、じつは全然そうではありません。女性が恋愛において男性に求める人格や優しさとは、それはそれですごく動物的なものです。まるで獣のメスのようにオスを選別しているのです。女性が恋愛やセックスで感じる幸福も、すべてはこの獣性に支えられています。
いずれにせよ女の性欲も、男と変わらず獣のそれと同然なのであって、どこまでいっても身勝手で汚らわしいものなんです。性欲は、社会正義を求める意志とは根本的に矛盾しています。
こうなると結局、エロの正しいあり方というのは分からなくなります。表現物において女性キャラクターの主体性を重視すればポリコレに適するかといえば、すでに述べたとおり、決してそうではありません。
一つ言えることは、お行儀のよいエロ表現なんか絶対に楽しくないってことです。
人権や平等という正しい理念を詰めこんだエロ表現があるとすれば、おそらく私はそれを(ポルノ的な意味では)評価できないし、その偽善には吐き気を催すほどの不快感に見舞われるでしょう。私にとってのエロとは、どこまでいっても女性蔑視や暴力性と切り離せないものです。
お行儀のよいエロは、ジャンプを読んでいる子供にもウケが悪そうです。子供は不謹慎なもの、下劣なものが好きなのだし、性描写もそっちの方向でなければ楽しく受容されないでしょう。エロが野蛮さと結合してこそ楽しめるという子供の感性は、なまじそれを否認してみせる大人より正鵠を射ています。この感性のあり方は否認せず、内心の自由として尊重し、一方でこの野蛮さを制御する文明的な理念について子供に啓発することができるならば、多分それが最適解だと思います。
少年誌といえども、子供はその本を自発的に選んで買っているわけです。これを「少年誌にふさわしくない」と批判して自主規制に追いこむのは、子供の権利を奪っているのではないかという疑念があります。
これはゾーニングにおける根本的な問題ですが、「子供の目に入らないように大人が配慮する」と、「子供が自発的に見ようとしているものを大人が妨害する」を混同してはダメじゃないかと私は考えています。この配慮と妨害は重なる部分がありますが、前者が積極的におこなうべきものであるのに対して、後者は抑制的におこなうべきものでしょう。
今回は巻頭カラーだから目立っていて、その点は大人が配慮をせずに子供に見せつけたと言えるかもしれません。しかし、子供はこの雑誌が以前からこういう作風の漫画を連載したものだと知ったうえで購入しているのですよね? それがあくまでも子供の主体性の発揮だということは、議論の際にもっと考慮に入れるべきだと思うのです。
(なお、確か少年ジャンプの読者層は高校生~成人が大半、残りは中学生だったりするので、小学生の10歳以下となると、ほとんど読んでいないはずです。それを一律に"子供"扱いすることには違和感があります。)
きちんとけじめをつけたくて、吐き出しの見苦しい文章ですが記録します。
ツイッター上では色んな情報が飛び交っていて、どこまでが真実なのか判断が難しかった。
本当なのだろうか。誰かが、悪評を広めようとわざとやっているのではないだろうか。
そんな疑心暗鬼もあって、あまりどちらにも寄らないよう経過を見ていた。
少しして、公式から謝罪があった。外部の弁護士も呼び、権利上問題があることが発覚したと。
よって該当するものに対しては差し替える。という内容だった。私の中でその問題は、一度終わったことになった。
だって対応したから。他の盗用ジャンルよりはマシだと思っていた。
公式からなんのアナウンスもされず差し替えを行ったりしていなかった。
少しして、何がきっかけだったか、まだ盗用問題に言及している人がたくさんいることを知った。
驚いた。公式が対応しているのに、まだ引きずっている人がいるのかと。
けれどwikiを見て、関連した問題がひどく増えていることに驚いた。
普通はまず、作品名と盗用で検索をかけても個人の感想程度しかひっかからない。
キャラクターの雰囲気が似てるだとか、見た目が似てるだとか、その程度の話題だ。
作品名と問題で検索をかけて、色んな炎上騒ぎがひっかかってくることもおかしい。
確かに信者のやらかしはどこにおいても起こりうることだ。人気があるから、そういうものなのだろうか?
けれど他に人気のある作品と問題で検索をかけてみると、様子が全然違う。
有志が作ったのであろう、作品に関する問題を掲載して、いかにその作品を読み込んでいるかを競うようなサイトがひっかかったりするのだ。
じゃあ、どうして。
改めて問題を振り返ってみた時に、いくつか引っかかる点があった。
だから、アンチと呼ばれてしまう方々の意見をもう一度、自分なりに考えてみたのだ。
・UIについて。
実用的なデザインを追及すれば、ある程度被ってしまうことはあるのだろうが、判断が難しいようだ。
ただし、ソースコードが丸々同じだとか、流用であれば問題になるらしいが。
アンチの方々が引用している元の開発者の方の発言だけではソースまで丸々同じなのかどうか事情がわからない。
あいにく私はソースコードを検証できるだけの能力がないので、白黒を決めることはできない。
・キャラクターデザインについて。
写真のポーズを参考にして(ほぼトレス?)いるだろう件について。
これもあくまで参考といえる範囲で行われていることだと、弁護士は判断したのだろう。
写真が表現するものの独創性を認めるかどうかは難しいところに感じる。
ただ、カタログなどに掲載されている商品を撮影した写真や、被写体が自然物であってもそこに独創性が認められるとした判例も存在している。
よって写真の権利元が、写真によって表現したものを悪用されたと判断し主張するのならまた事情は変わってくるのかもしれない。
けれど恐らく写真の権利元はそうは主張していないのだろうし、争う様子もないのであれば白黒つけがたい。
ご友人のキャラクターデザインを流用しているのではないか、という疑惑も浮上しているが、
謝罪文にも法的な判断は済ませ対処したが、創作倫理に関しては判断しかねるとしているのだから。
つまり問題が収束しないのは、倫理的な部分のけじめがついていないからだ。
ある意味で私刑に近いものではあるのかもしれない。だから、アンチと呼ばれてしまう方々の意見に反発する人もいる。
倫理的な部分を問い詰めることは、相手の人格を攻撃することに似ているから、賛同しづらいのだ。
最近改めて最初から最後まで謝罪文を読んで驚いたのは、確かに権利元への謝罪がきちんとされていないことだった。
関係者とひとくくりにし、心配させて、不安にさせて、報告に時間がかかって、ご迷惑をおかけしたことにお詫びを、と。
あげく、謝罪文の最後には、他にも関係者でご迷惑が発生している方は、こちらまで問い合わせください、と。
これは権利元への謝罪をしていると、そういう行動をしていると判断できることなのだろうか?
あげく盗用問題を起こし、今後改めていくとしたはずなのに、敬意を払うべき使用しているモチーフのデザインを取り違える。
それを差し替える時には、旧デザインに思い入れがある方やプレイヤーに謝罪するだけ。
虚しくなってしまったのだ。私はこんな企業に加担していたのかと。
退会した。関連グッズなどは処分した。自分が公開した二次創作を削除した。
ブックマークやお気に入りも全て整理した。そうして少しずつ、後始末をしている。
自分の名前で、意見を発信することもしたつもりだ。感情的になったり言葉を選んだりで、うまく伝わっていないかもしれないが。
最後にこのブログを残そうと思う。私の罪滅ぼしだ。加担してしまった自分を許すための言い訳。
そして、創作者のはしくれとして二度とこういうったことに加担しないよう、決意を込めて。