正義マンってのは、自己判断で、良かれと思って、悪を断罪する人たちだ
「この人痴漢です」という声を信じ、被疑者をどこまでも追い詰めるような人だ
正義ぶったメディアもそうだし、廊下を走った子を捉えようとして廊下を走る委員長もそうだ
webで通報行為を繰り返す人もそうだし、SNSで皆で誰かに罵詈雑言を浴びせる行為もそれだ
関東大震災の時に朝鮮人を殺して回った人もそうだろうし、体罰をした指導者に非難するのもそうだろう
→その人の思想信条に依るし、騙されてる可能性もある、罪の大きさをその人が判断している
2.良かれと思っている
→自分が正しいと信じているせいでエスカレートし、タガが外れる
3.数の暴力に発展する
→同じ情報を多数の人が見ると、正義マンの反撃が果てしない規模で個人に向かう
この現象は構造的問題であって、一見すると非常に奇妙に見えるはずだ
正義の対象になる行為は、その程度が大きい場合もあるが、犯罪に満たない些細なものだったり、個人の思想依存のものだったり、それ以前に噂程度ということもある
しかし正義マンの逆鱗に触れると、ことの真相や行為の大小に関係なく正義執行されてしまう
「暴力は良くない」という理由で「暴力を振るわれる」というのが最も奇妙な例だ
そして、正義マンが自分で「このくらいの仕返しなら良いだろう」と思うような正義執行でも、その数が千や万になると大きな暴力となり奇妙な状態になる
正義執行がそもそもの行為の被害者や、関係者全員を不幸にするケースもある
そうなるともはや正義マンこそが悪という、これまた奇妙な状況が生まれる
こういった問題は、SNSの炎上や、ワイドショーのネタ、性の問題、ポリコレ周辺で多く発生していると思う
差別発言をしたものはリンチしてもいい、性犯罪者は皆殺せ、みたいな。おおよそ社会的な価値観とは合わない意見が展開されている
ただ個人で心がけることはできる
・真偽不明なことを拡散しない(自分の不用意な拡散が、誰かを正義マンに変身させている)
・正義マンの暴走を勇気を持って止める(これは非常に難しい。簡単に悪認定される)
ちなみに一時期、2chではこれが上手く機能していたことがあった
途中で「実は真相が違っていた」という場合に、安易にのっかって非難していた正義マン達が今度は追求される側になるという現象が起きたのだ
「こいつらは禄に調べもせず、スレの情報を鵜呑みにして叩いたバカだ」と言った具合に
私も何度も踊らされては、後から真相を知って自分の正義ぶった書き込みを恥じた覚えがある
やがて正義ぶった行為の愚かしさを学んでいくのだが、今の世の中全体の情報の流れ(SNS・メディア・ワイドショー)だと、そういうのが体験しづらくなっていると思う
そこはどうにかできるのでは? と思う一方で、暴走する正義マンはどこにでも居るので、仕組みだけじゃ解決しないなとも思う
左翼たたきの人でしょ
委員長は別にいいだろ!