はてなキーワード: 博物館とは
個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛な愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞が聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。
ちなみに主人公の独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです」。……バレましたか。
自分が日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫の小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。
この作品は、太陽の表面に異星からの物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的に自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。
ちなみに日本のSF作家をより広く読むようになったのは大森望と日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝。
三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公。結婚の約束をした女性からは婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い。
ところでトルコという国は、女性がスカーフを被るかどうかだけで政治的な立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。
映画オタクのゲイと政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話劇であると同時に、ゲイがお気に入りの映画を語るときの調子は推しについて語る幸せなオタクそのものである。安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。
大学時代、年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタのメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。
彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガンの絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代の小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。
就職のために架空の宗教団体によるテロをでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間とクレーマーとおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康の作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチも基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチのギャグが結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。
ムーミンシリーズ以外のヤンソンの文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。
児童文学や短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的な人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。
全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニール・ヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有の僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。
嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽな存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生の航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。
これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位も財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこらの悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。
猥褻だということで昭和時代に裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。
性表現は露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかなヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。
最強のファーストコンタクトもののひとつで、ネタバレするとオチは「意識やクオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論。人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。
基本的な構造は「宇宙のランデブー」の変奏で、未知のエイリアンの遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患を一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学の知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配。
それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿の遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼やゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?
以上。
障害者手帳を持っているので、東京にある国公立の美術館・博物館は無料で入れる。
よく田舎だと美術館や博物館がないから子供に文化資本が付かない、とか言っている人が多いが、
東京の美術館や博物館でも、中高生や小学生とかほとんどいない。
実際のところ、東京に美術館や博物館が沢山あっても、東京の子供は観に来ていないのだ。
東京育ちでも美術館に行ったりするようになるのは、大学に入って以降。
そういう意味では、美術館や博物館に関して、東京と地方の文化資本の格差なんて誤差程度なんじゃないか。
地方に住んでいても、家族旅行で東京に来て、上野の美術館や博物館を回れば、東京の子供と差はないんじゃないか。
東京住みでも文化資本低めの家庭なら、子供を美術館・博物館に連れて行かずに、ディズニーランドに行くだろうし
当時高校生だった私は3.11のその年に福島県の大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます。
2011年の3月11日に、私は茨城県の博物館の中にいた。高校の卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震のとき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。
実際にはガラスの耐震性能が高かったので、館内にはけが人はいなかったようだった。
信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。
私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島の原発がやばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。
私が高校生の頃、世界の原発事故のドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリ、スリーマイル島、東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達に気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。
当時、特にJCOの臨界事故のNHKのドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。
私は地震が起きて、一、二日後にはリビングのこたつを占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中のシャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。
私は震災の年、福島県の大学に入学した。私の地元の同級生にも福島県の大学に入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学の入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。
しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。
しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。
私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質がたっぷり含まれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。
私は、大学で特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚で放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。
私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから、原子力という「科学技術がコントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要なことなのである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。
3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。
最近、原子力、ひいては(科学)技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの、技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類の幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビのCMでIT系の企業がたくさん広告を打っていて、ITの企業に勤めていることが一種のステータス(少女漫画に出てくる男性がIT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイケドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなのである。今でなら炎上やむなし発言なのである!しかし、このアナロジーを単なる面白おかしいアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用の危険性をかなり早く認識できた。
ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学)技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)
そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学は計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。
「科学は考えない」
これは、理系の立場で仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないか。しかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか。
彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学は進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガーは技術を批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味、矛盾の中を生きなければならない。
私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。
私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近、哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。
でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系の研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養がほとんどないのだ。
「哲学を最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。
以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だから疎まれる。
しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガーが批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学や技術を信じて、生産、生産、生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか。
昔の時代、原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。
今の時代も同様に、情報技術や生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能な社会が実現できる」とも信じられている。
もし、「なぜ地震大国に原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。
ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。
・とにかく説明不足
チュートリアルの内容が不親切すぎて、どうやって遊んだらいいのかが、とにかくわからない。
まず、最初に渡される道具。町長から「斧とか鎌とか渡すから、使ってみて」と言われて道具を渡されるんだけど、使い方がわからない。
のちに、メニュー画面から袋に移動→使う、というプロセスが必要と判明するが、そのことに気づくまでにゲーム内時間で3日かかった。
道具を渡したんなら、使い方も教えて行けや。
次に、原材料を加工された資材に変えてくれるメーカー。これも町長が大工さんを連れてきて「メーカーを使うと資材ができるよ!」と教えてもらえるんだが、やっぱり肝心のメーカーの入手方法、設置方法を教えてくれない。
ゲーム内時間3日くらい経過してから、やっとメニューから材料を使って製造、設置ができることが判明。
「ちょっと考えたらわかるよね?」と制作側は思ってるのかもしれないが、こういう製造機能を持ってるものって、自分で作るほかにお店で買うシステムのゲームもあるから、やっぱり説明してもらえんとわからんよ。
で、このメーカー、ゲームを進めるごとに種類が増えていくんだけど、この機能アンロックのタイミングが不明。
のちに、各スキルがレベルアップするごとに解放されることが判明。
でも、スキルがレベルアップした時には特に通知がなかったので、長らくアンロック条件がわからず首をひねったら。
途中で、コロポンというケセランパサランの親戚のようなお手伝いキャラが登場。
彼らをマネジメントすることによって、自動的に資材がもらえるようになるらしい。
……が、「マネジメントコロポンってどこよ?」
コロポンの村を3周したけど、どのコロポンも「おすそわけはないよ」と言うばかり。
やっぱり3日くらい経過して、やっと配置用のコロポン発見。
……もう、徹頭徹尾この調子で、本当に何がどこにあるのかさっぱりわからない。
システムを手探りで理解していくのもゲームの醍醐味、と言うけれど、手探りしたいのはそこじゃない。
不明点が多すぎると、もう理解していこうっていう気が失せるので、ちゃんと説明してよ。
やってて思ったんだけど、市庁舎と博物館、こんな奥にある必要ある? 逆にペットショップ、こんなに手前にある必要ある?
1日1回の依頼を確認するため、市庁舎に行って、家に戻って依頼品を届けて……ってやってるうちに5~6時間経過するんだけど。
多分、市庁舎を往復するうちに住民とすれ違って挨拶するうちに仲良くなっていってもらおう、という設計なんだろうけど、これがかなり負担。
あっというまに1日が経過するゲームでこれはつらい。ぱっと確認したいのに遠いから、そもそも市庁舎に行く気力が失せる。
住民と交流するなら、したいときにするから、掲示板はすぐ確認できる位置にしてほしかった。
木材や石材の必要数が多いので、ある程度のタイミングで生えてこないと資材不足に陥るから、再出現する仕組みなのはわかるけど、それにしたって生えすぎ。除草剤ほしい。
木や石のタイルで覆えば生えてこなくなるけど……ちゃうねん。舗装した農場に住みたいんとちゃうねん。
芝生の青々とした緑に覆われた農場に住みたいんや。
ゲームが進むにつれ、必要資材の数がどんどん増えるんだけど、メーカーで作れるのは常に1台1個。
大量に設置して、何度も出し入れする必要に迫られるんだけど……これが超面倒くさい。
そして牧場が工場地帯になっていく。のどかな田園風景とは何だったのか。
あと、資材を入れておく箱もどうにかしてほしい。
その時に余ってる資材で好きに作れるのはいいけど、移動させようとしたときに目が点になった。
「片付けると、中に入っていたアイテムは外に全部放り出されます(意訳)」
……は?
なにそれ……は?
ということは何ですか?
ちょっと置き場所を替えようとおもったら、箱の中身全部出して持って行って、もう一度全部拾い直して片付けなおすの?
面倒くせええええええええ!
鞄のサイズが小さいうちにこれやるの面倒くせえええええ!
しかも、なんかシステムの台詞から察するに「外に置いてあげるなんて、私親切よね?」みたいな雰囲気すらある!
箱にいれたまま移動されると、メモリを圧迫するとか、鞄いっぱい持ってるのと一緒になるとか、たぶんそんな理由なんだろうけど、あえて言いたい。
面倒くせえええええ!
結婚システムのあるこのゲームだけど、恋愛ものとしてもちょっとアレな感じ。
話しかけたときに向いていた方向で会話することになるんだけど、そういう時ってだいたい、横とか後ろとか向いてたりするんだよね。
正面から顔をとらえようとしても、今度は自分の後頭部が相手の顔に重なってて、顔見えない。
立ち絵がないのが悪い、という意見を見たけど、たぶん問題は立ち絵どうこうではなく「顔が見えない」だと思う。
会話のたびにカメラワーク変えて顔見えるようにしたら、もっと顔が見えたかも。
……それもうざいか。
でも、顔が見えない問題は本当にどうにかしてほしい、イケメンのはずの住民の顔が全然覚えられなくて、「黒革ジャンのやつ」とか「髪の毛の先が赤いやつ」という覚え方になっていく。
たぶん、普段からメインキャラを覚えられる仕組みになってれば、自然と見分けがつくんだろうけど、上記の状態なんで全然区別がついていってくれないのよね。
で、時間に追われているなか、遠回りして声をかけたら何の意味もないモブで「チッ」ってなる。
あと、年中行事もひどい。
玉子探しイベントにさそわれて、ノコノコいってみたら、まさかの収穫ゼロイベント。
え? なんか親密度があがる仕組みないの? 参加賞的なものもなし? 時間を浪費しただけ?
そして街のひとたちは家族で参加した楽しい思い出を語っていなさる……。
恋人や伴侶ができたあとは一緒に参加できるっぽいけど、初年度は、ただぼっちをかみしめるだけのイベントだった……。
さみしい。
そんななか、少しでも親密度をあげようと挨拶に行っても、一言しゃべるだけだし……
訪問頻度の高い博物館や道具屋のお姉さま方(半分既婚者)とばかり親密度が上がっていく。
彼らのどこをどう好きなればいいんですか、わかりません。
牧場物語をプレイしている友人が、恋愛ゲームとして楽しめてるから自分は勝ち組プレイヤー、とツイッターで再三コメントしてるんだけど、元がアレすぎて、「良ゲームと思い込もうと自己暗示している」ように見えてくる。
……いやそこまでは言い過ぎか。
離婚については私はどうでも。
1周何十時間もかかるゲームで、伴侶ごとに8周、DLCまでいれたら10周以上やるのは無理ゲーなので、あっていいと思う。
まあ、ちょっとドライがすぎる気はするけど、恋愛ゲームを一途プレイしたい人でもないので。
子供が消えるのはもにょっとするので、離婚するなら子供ができる前かなー。
声優についても、ポイントボイスだからそんなに気にならないっす。
そもそも、環境的に音を消してプレイすることも多いから、そもそも声聞かないし。
(声に執着ない)
えーといろいろ書きましたが、まとめると
「発売当日に定価で買った私のワクワクを返せ! ダウンロード版買ったから売り飛ばしもできねえ!」
(買うんかい)
増田の蛮勇には敬意を表したいが、さすがに突っ込みどころが多すぎる。
同種の百選としては2005年の新建築・臨時増刊『日本の建築空間』(asin:B00GUJ1HIE)がある。
https://japan-architect.co.jp/shop/special-issues/book-110511/
2005年なので現存しないものや非公開の私邸が含まれるけれども、優れた選出だと思うので紹介したい。
■古代 592-1180
法隆寺西院伽藍 | 飛鳥時代 | 奈良 |
新薬師寺本堂 | 奈良時代末期 | 奈良 |
榮山寺八角堂 | 763年 | 奈良 |
平等院鳳凰堂 | 1053年 | 京都 |
浄瑠璃寺本堂 | 1107年 | 京都 |
三仏寺投入堂(三仏寺奥院) | 平安時代後期 | 鳥取 |
高蔵寺阿弥陀堂 | 1177年 | 宮城 |
■中世 1180-1543
浄土寺浄土堂 | 1194年 | 兵庫 |
東大寺南大門 | 1199年 | 奈良 |
長寿寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
西明寺本堂 | 鎌倉時代初期 | 滋賀 |
熊野神社長床 | 鎌倉時代初期 | 福島 |
法界寺阿弥陀堂 | 鎌倉時代初期 | 京都 |
厳島神社社殿 | 1241年 | 広島 |
永保寺開山堂 | 1352年 | 岐阜 |
東福寺龍吟庵方丈 | 1387年 | 京都 |
正福寺地蔵堂 | 1407年 | 東京 |
吉備津神社本殿・拝殿 | 1425年 | 岡山 |
慈照寺東求堂 | 1485年 | 京都 |
■近世 1543-1853
妙喜庵待庵 | 1581年 | 京都 |
園城寺勧学院客殿 | 1600年 | 滋賀 |
園城寺光浄院客殿 | 1601年 | 滋賀 |
妙法院庫裏 | 1604年 | 京都 |
大崎八幡宮本殿・石の間・拝殿 | 1607年 | 宮城 |
三渓園聴秋閣 | 1623年 | 神奈川 |
二条城二の丸御殿 | 1626年 | 京都 |
西本願寺飛雲閣 | 1628年 | 京都 |
西本願寺書院 | 1633年 | 京都 |
延暦寺根本中堂 | 1640年(再建) | 滋賀 |
三渓園臨春閣 | 1649年 | 神奈川 |
曼殊院書院 | 1656年 | 京都 |
桂離宮 | 1663年 | 京都 |
慈光院書院 | 1672年 | 奈良 |
江川家住宅 | 江戸時代前期 | 静岡 |
閑谷学校講堂 | 1701年 | 岡山 |
東大寺大仏殿(東大寺金堂) | 1705年(再建) | 奈良 |
大峰山寺本堂 | 1706年 | 奈良 |
大国家住宅 | 1760年 | 岡山 |
岡山後楽園流店 | 江戸時代後期 | 岡山 |
栗林公園掬月亭 | 江戸時代後期 | 香川 |
角屋 | 1787年 | 京都 |
さざえ堂(旧正宗寺円通三匝堂) | 1796年 | 福島 |
大徳寺孤篷庵忘筌 | 1799年 | 京都 |
渡邉家住宅 | 1817年 | 新潟 |
羽黒山三神合祭殿 | 1818年 | 山形 |
旧高野家住宅 | 江戸時代後期 | 山梨 |
旧金比羅大芝居(金丸座) | 1835年 | 香川 |
岩根沢三山神社本殿・庫裏 | 1841年 | 山形 |
柏倉家住宅座敷蔵 | 1866年 | 山形 | |
旧大明寺聖パウロ教会堂 | 1879年 | 愛知 | ブレル、大渡伊勢吉(棟梁) |
宝山寺獅子閣 | 1882年 | 奈良 | 吉村松太郎(棟梁) |
旧風間家住宅 | 1896年 | 山形 | |
旧武徳殿 | 1899年 | 京都 | 松室重光 |
旧花田家番屋 | 1905年 | 北海道 | |
吉島家住宅 | 1907年 | 岐阜 | 西田伊三郎ほか(棟梁) |
古谿荘 | 1909年 | 静岡 | |
高松城披雲閣 | 1917年 | 香川 | 清水組 |
住友ビルディング | 1926年 | 大阪 | 住友合資会社工作部(長谷部鋭吉・竹腰健造) |
聴竹居 | 1927年 | 京都 | 藤井厚二 |
旧大倉精神文化研究所本館 | 1932年 | 神奈川 | 長野宇平治 |
軽井沢 夏の家 | 1933年 | 長野 | アントニン・レーモンド |
※両関第二工場酒蔵 | 1933年 | 秋田 | |
旧日向別邸 | 1936年 | 静岡 | ブルーノ・タウト |
近江神宮 | 1940年 | 滋賀 | 角南隆、谷重雄 |
旧前川國男邸 | 1941年 | 東京 | 前川國男 |
旧吉田五十八邸 | 1944年 | 神奈川 | 吉田五十八 |
神奈川県立近代美術館 | 1951年 | 神奈川 | 坂倉準三 |
斎藤助教授の家 | 1952年 | 東京 | 清家清 |
コアのあるH氏のすまい | 1953年 | 東京 | 増沢洵 |
南台の家(吉村順三邸) | 1957年 | 東京 | 吉村順三 |
八幡浜市立日土小学校 | 1956年 | 愛媛 | 松村正恒 |
香川県庁舎 | 1958年 | 香川 | 丹下健三 |
スカイハウス(菊竹清訓邸) | 1958年 | 東京 | 菊竹清訓 |
※ホテルオークラのメインロビー | 1962年 | 東京 | 谷口吉郎 |
日本生命日比谷ビル(日生劇場) | 1963年 | 東京 | 村野藤吾 |
国立屋内総合競技場 | 1964年 | 東京 | 丹下健三 |
大学セミナー・ハウス | 1965年 | 東京 | 吉阪隆正 |
旧千代田生命本社ビル | 1966年 | 東京 | 村野藤吾 |
白の家 | 1966年 | 東京 | 篠原一男 |
塔の家(東孝光邸) | 1966年 | 東京 | 東孝光 |
※虚白庵(白井晟一邸) | 1970年 | 東京 | 白井晟一 |
KIH7004 | 1970年 | 東京 | 鈴木恂 |
中銀カプセルタワービル | 1972年 | 東京 | 黒川紀章 |
※大分県医師会新館 | 1972年 | 大分 | 磯崎新 |
※プロジェクトマグネット | 1973年 | 店舗模型 | 倉俣史朗 |
阿部勤邸 | 1974年 | 埼玉 | 阿部勤 |
北九州市立中央図書館 | 1974年 | 福岡 | 磯崎新 |
幻庵 | 1975年 | 愛知 | 石山修武 |
上原通りの住宅 | 1976年 | 東京 | 篠原一男 |
※中野本町の家 | 1976年 | 東京 | 伊東豊雄 |
小篠邸 | 1981年 | 兵庫 | 安藤忠雄 |
弘前市斎場 | 1984年 | 青森 | 前川國男 |
SPIRAL | 1985年 | 東京 | 槇文彦 |
※バーオブローモフ | 1989年 | 福岡 | 倉俣史朗 |
海の博物館 | 1992年 | 三重 | 内藤廣 |
豊田市美術館 | 1995年 | 愛知 | 谷口吉生 |
ウィークエンドハウス | 1998年 | 群馬 | 西沢立衛 |
せんだいメディアテーク | 2000年 | 宮城 | 伊東豊雄 |
横浜港大さん橋国際旅客ターミナル | 2002年 | 神奈川 | アレハンドロ・ザエラ・ポロ、ファーッシド・ムサヴィ |
金沢21世紀美術館 | 2004年 | 石川 | 妹島和世、西沢立衛 |
ボノボ的な女権社会は人類に2021年現在も存在するんだがどうすんの?
なおモンゴルのあたりでは女戦士(神話におけるアマゾネス)が確認されている
https://anond.hatelabo.jp/20210301212328
イルクーツク国立研究技術大学(IRKUTSK NATIONAL RESEARCH TECHNICAL UNIVERSITY)の考古学者らが14世紀に住んでいた30歳~40歳の女性戦士の墓地を、
今夏にフブスグル県で発見した。オルドヒャル1号という発掘ゾーンから当時の女性より体格が大きく、つまり高さ180センチの女性戦士の墓が発見された。
女性を男性と同様に武器と共に葬っていた。調査団団長のアルトゥール・ハリンスキー教授は「モンゴルのアマゾンとも言えるこの女性の男性を勝ち抜ける力持ちだった」と話している。
大きな体格の女性をロングナイフと、斧、弓、銅のボール等の武器と一緒に葬っているのが非常に稀なケースだという。
戦士女性は戦争による負傷痕はなく、重症により死亡したのではと推定されている。女性の歯がほぼ全部落ちており、歯根に生じた穴が顎骨までに進んでいた痕がある。
考古学者らは骨盤と顎に形から女性だと予測し、遺伝調査により判定するという。
ロシアの考古学者らは女性戦士の墓のほか、オルドヒャル2号の発掘ゾーンからもう一つの富豪の女性の墓を発見した。
その女性の墓からヨーロッパ製のアクセサリーが見つかった。学者らは西ヨーロッパ戦争から帰ってきた夫から恋人に与えられた戦利品だった可能性が高いと、
ハリンスキー教授が結論付けている。今回の発掘調査にはモンゴル側からウランバートル大学の教員と学生のチームが参加した。
[MONTSAME] フブスグル県から女性戦士墓地、発見
https://montsame.mn/jp/read/221297
雑に性欲で括っているのものがそもそも生物において性欲に分類されていない
体外受精を行えば良い
どうせ学校や会社の外ではユニクロGUの服着てイオンシネマで映画見て、ブックオフとかツタヤで本買ってくら寿司食ってニトリのベッドで寝るんだろ。
上京して数年経つが上記は休日はいつも混雑してるし、30万人都市もそんな感じだったよ。
そこから差別化するとして美術館だの博物館だの言ってるけど正直苦しい。自分もその辺によく行くが、ある程度教養積んでからじゃないと、印象に残らないただの落書きとガラクタだろう。家で鑑定団とか見てる方が文化的だろう。実物を見たから自分が文化的だと思うのはあまりにも野蛮。
下北沢や神保町みたいな街は確かに田舎にはないね。カレー、コーヒー、古着…この辺は簡単に周りと差別化できるからアイデンティティを守れていいね〜。蕎麦打ちにハマってるおっさんとそっくりだよ。
東京の大きい街は薄く延ばした田舎のデカいイオンモールでしかない。バーガーキングがないだけで店は一緒。バーガーキングが文化的資本だとしたら負けを認める。
・人類は滅んでいるが、廃墟なんかはそこそこ残っていて、マッドマックスみたいな感じではない ラストオブアスくらい
・敵対する勢力やモンスターなんかはいないか、いてもそんなに重要ではない
・ところどころに残ったランドマークを訪れ、観光してみたり貴重なアイテムを手に入れたりする
・地形はある程度現実に即していると嬉しい
・大層なストーリーはない 滅んだ後の世界のいち個人としてうろうろするだけ
こういうゲームが欲しいんだよな
フォールアウト4をより現実に寄せて、ブレスオブザワイルドみたいな操作性とゲーム性で、戦闘要素を薄めてサバイバル要素を濃くした感じのやつ
学校の廃墟に入り込んで一晩中寝たり、植物園の廃墟で珍しい植物見たり、こわごわ動物園を見に行ったり
そういうことをやりたいのだ
いいぞ、いいぞ、いい発想だあ!
そうそうそうそうそう!!!あるよあるよ、田舎にもあるよお文化資本!!!あるある!!!!!!!!
森とか、ノイチゴとか、謎の沢とか、クソみたいな児童養護施設とか、毛虫がムチャクチャつく気っ色悪い木とか、崩壊した神社とか、そういうやつっ!!!!!
素晴らしいよねえ、ホントに
上野動物園とか、科学博物館とか、そういうのに全然匹敵するってことがもう、文字列見ただけでわかるでしょう!あなたは東京の人だっていうんだから、そのくらいはスパパーッ!と理解できるでしょうなあ!
素晴らしい、素晴らしい発想だホントに
だから絶対に、絶対にあなたの子供は田舎で育ててあげてほしい チョーゆたかな自然に育まれてチョーゆたかな人間になるに決まってるもん
裏山に生えてるトゲだらけの木に手が刺さる経験の方が、バカでかい図書館でいろいろ本読んだり、博物館に出かけたりするよりも文化的な成長に寄与することは確実だもんな!
わかってくれてうれしいよ
だから絶対に絶対に絶対にあなたの子供は田舎*だけ*で育ててくださいね
ないない、絶望的な空虚とか、人生を棒に振っている感覚とか、心の底に澱のように溜まっていく都市部への深い憎悪とか、そんなもんあるわけない
毎日家に引きこもって、東京のオシャレなお店紹介とか見てるだけでもうドンドン身体が文化資本に染まっていくもん
クズみたいなヤンキー紛いしかいない小学校に通って、昼休みにそいつらがサッカーやってるのに混じりかねて校旗・国旗・市旗を掲揚するための台に寝そべって太陽を眺めているんだ しばらく瞼を閉じて、ふと目を開けると、補色残像で世界が青っぽく染まるんだよな
メチャクチャいいエピソードでしょ 田舎にいても、科学に目覚めるきっかけはいくらでもあるんだあ!
あなたは都会で育ち、「どこにだって素晴らしい文化資本はあるんだ!」なんてうつくしいことを本気で言えるすばらしい人間になった
その素晴らしさをぜひ活かしてほしい
もと住んでた田舎県は重要文化財とか神社仏閣博物館ほぼタダとかで全体的に子供ウェルカムだったし季節ごとに違う花々が咲く大きな公園が複数個あって本気で文化的に豊かな生活してたと思う
都会の人が想像するような都合の良い自然って実は田舎にはあんまりないんじゃないかと思う
うちはすぐ近くに山があるけど傾斜が凄いし木がぎっしり生えてて駆け回ったり秘密基地を作れたりするような感じじゃなかった(エロ本は捨ててあった)
樹木の種類は分からないけどヒノキ?樹液が染み出してカブトムシが来るタイプじゃなかった
子どもの目から見ても落石の危険がありそうだし見通しが悪いからイノシシやクマが接近してもギリギリまで気づかないんだろうなって恐怖もあった
山の反対側、家の近辺は本当に民家しかない
民家民家民家、その民家ゾーンを抜けたら田んぼや工場や学校がある区域に入って、そこを抜けたらまた民家ゾーンに入ってずーっと行くと市役所や図書館がある
親に車を出してもらわないと家以外どこにもいられなかったし車を出してもらえたところで行けるのはイオンの中の小さなゲームコーナーくらい
博物館だって常設展示のダイオウイカのホルマリン漬けくらいしか見るものがなかった
通う学校の選択肢が少ないから山猿のような子とまっとうな人間の子が一緒に押し込められて過ごさなければならなくなる
何でもインターネットで手に入ると言っても都会で行われているライブに参加する体験や大都市にしか展開されていないチェーン店でのコラボ商品は手に入らない
映画だって上映される作品は少ないしスクリーンは都会の人が見たら家のテレビで見るのと同じじゃんって思うくらい小さいと思う
そう言えばよくネットでは、例えば一人飯を恥ずかしがる人に対して
「お前のことなんて誰も見てない」「自意識過剰だ」と言われるがそれは都会でしか通用しない言い分だ
また知り合いでなくとも人のことをじろじろ見てその様相を脳みその皺に刻み込むのを生きがいにしている人は多い
それに迎合しないと「記憶力が悪く注意力が散漫な無能」のレッテルを貼られることさえある
都会の人がいくら「そんなことはない!」と叫ぼうと残念ながら田舎ではその常識は通用しないしそれが現実なのである
増田がどの程度の田舎に住むのか分からないけど少なくともうちはこんな感じです
参考までに
このまま東京で生きていくつもりだった。
が、地方転勤になってしまった。幸いにも転勤先は妻の実家のある県だ。資格職でキャリアの心配が少ない妻は、地元に戻れると喜んでいた。
しかし、全国的に見ても田舎とされる県であり東京を出たことがない自分には未知の世界である。
正直まだ受け止めきれていないし、心配も多い。特に運転が苦手でペーパードライバーの自分は車社会に戦々恐々である。職場や地域の文化にも馴染めるかも不安だ。だが、せっかく得たチャンスと捉え前向きに頑張ろうと思う。
問題は子どもである。上の子は4月から小学校、下の子は4つだ。入学する小学校は近所の公立に決まり、保育園も第一志望にすんなり通せた。どちらも地元では雰囲気が良く面倒見が良いと評判のところらしい。
妻は、幼稚園から大学まで国公立。塾なども通わず学校の勉強だけで進学してきた人だ。だから、「大丈夫大丈夫」と言う。しかし、小学校から塾に通って中学受験し、予備校の支えで大学に入った自分は田舎で十分な教育が与えられるかとても不安だ。子どもにはできる限りの選択肢を与えたい。そのためには偏差値や学歴も気にしなくてはいけないと思う。
さらに、さまざまなところで言われている文化資本の格差も心配だ。自分は幼少期から図書館や博物館、歴史的な所縁のある地、動物園など様々なところへ親に連れて行ってもらい、それらに当然のように囲まれて育った。将来の夢を決めたきっかけも、そうした施設のイベントがきっかけだった。
気が早い心配かもしれないが、将来広い世界に出た子どもたちに「田舎で育てられた自分は文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない。だから、地方でもできる限りの文化資本にアクセスできるように親として努力したいと思う。
ただ「文化資本」と言うものにも少し疑問がある。都会には文化資本が豊富で、田舎には少ないーーが定説として語られている。けれどそれは、都会の社会階層の高いとされる人々が都会の価値観で都会にあるものこそ資本だと決めつけているのではないかと言う疑問だ。例えば、地方には都会にはない自然があるし、子どもの遊び場も豊富だ。苛烈な受験競争もないため、のびのびと学び・遊ぶ時間もある。一次産業が身近に存在し、(妻に聞くところによると)農業体験などの体験学習にも力を入れている学校も多いようだ。農家のような自然と関わって生きる仕事に就く人にとっては、そのような地方での経験は、「高い文化資本」になるのではないかと思う。それに、素晴らしい業績を残した科学者も、「自然の中で遊んだ経験が自分の糧となった」とよく話している。創造性が必要とされる現代においては、人と違う多様な経験を持つことはアドバンテージになるのではないかと思う。地方には地方の文化資本があるのではないか、それは都会でも「地元から得た独自の文化資本」として役に立つのではないかと思うのだ。
もちろん、都会の文化資本も子どもに与えたい。今はなんにでもインターネットでアクセスしやすい時代だ。コロナの影響で人の移動は難しくなりそうだが、地方で家賃などが浮く分家族旅行にあて、ホンモノを見せに行くこともできる。そうした工夫でできる限りの文化資本を与えたい。また、折角地方で育つのだから、地方でしか得られないような経験もさせてやりたい。地方で育ったことをむしろ誇れるような、そういう育て方をできたらと思う。
地元育ちの妻や義両親、親戚などにも聞きながら育てていくつもりだ(仕事も今より暇になりそうだからたっぷり子どもに関われる)。
はてなは度々文化資本が話題になるし、そういったことに詳しそうだ。地方で子育てしている人や、地方で育った人はどのようにして文化資本にアクセスしてきたか教えてほしい。
あとはサイボクハム
タモリ倶楽部でやってた寄居の「川の博物館」の日本一の地形模型は行ってないけど面白そう
https://anond.hatelabo.jp/20210212190921
https://anond.hatelabo.jp/20210212214154
これらの問いに対して、人類が歩んできた歴史の視点からの回答が無いので、記しておきます。
お前らって本という物体に対してだけ異常に過保護じゃない?それにしてもお前らの「本を大事にしろ!本を傷つけるな!」的な反応は過敏で異常だよ。宗教なの?
それは「図書館」っていうシステムが原因だと思う。なんで本だけ特別視されて、自治体が無料で貸出しなくてはいけないのか本当に謎。
これは人類が、本そして情報を手に入れる為に、血みどろの歴史を歩んできたから。
その歴史の教訓によって培われた共通認識を ”宗教” と呼ぶならば、そうかもしれないが。とりあえずは、なぜこうなったのかを紐解いてみましょう。
古来、文字や書物(パピルスや木簡など)は特権階級の軍人や貴族や宗教家のものでした。なぜ特権階級が独占していたかというと、文字を記す為のパピルスや木簡の製造コストが高かった事や、地図や軍事情報など機密に関する内容が記されていたなどが理由です。庶民の識字率も低く、市民が文字を使うとしても帳簿や資産管理としての利用が長年続きます。
しかし15世紀にグーテンベルクの活版印刷機の発明により状況が激変します。書物が大量複製できるようになり、庶民に知識が行き渡るのです。
これまでの世界において、知識や文化とは、口伝や継承によって高いコストをかけて伝承されていく特権階級のものだったのが、複製された本を手に入れることでも誰でも知にアクセスできる時代が到来しました。
当時の特権階級の宗教家達の心情を記した言葉が残されています。
教皇は知識と印刷術を廃止しなければならない。さもなくば、印刷術が最終的には教皇を廃位に追い込むことになろう。
From the Days of Great Dedications - John Fox's Book of Martyrs
印刷術による本の普及により、知が民衆化した。それにより特権階級だったカトリック教会の力が弱まる。
そしてゆくゆくは18世紀にヨーロッパ市民革命に繋がり、ついに貴族の統治する時代が終焉し、民主主義が産声を上がった。
それまで特権階級が保存していた、価値ある美術品や博物品は、市民の手により Museum として共有される事になりました。(英語の Museum が博物館と美術館の両方の意味を備えるのは、貴族から奪った貴重品をいっしょくたに展示した為、美術品や史物の区別をつけなかった事が定着したからとも言われている) 一方、図書館は革命時代より一足はやくに制度化が進んでいたため、 Library という名前で普及していく事になります。
概ね図書館および本という存在が、市民の地道な活動により普及し、普及した成果がさらなる民衆の活動を促した。という見方ができるといえます。
日本図書館協会の「図書館について - 図書館を支える理念」を引用します。これこそが、図書と書籍の歴史を端的にあらわしています。
図書館は、それを生み出す社会の特徴や条件を色濃く反映してきました。戦時下では国家の思想を広める役割を果たすこともありましたし、一方では社会的マイノリティーの権利を守るために働くこともありました。社会の変化の中で、図書館はさまざまな状況におかれてきましたが、いくつもの波にもまれながら、いかなる状況の下でも、すべての人たちに情報を提供するのが「図書館の自由」(Intellectual freedom of libraries)なのだという理念を獲得するに至ります。アメリカでは「図書館の権利宣言」(Library bill of rights、1948年採択)、日本では「図書館の自由に関する宣言」(1954年採択)です。これはあらゆる種類の図書館が守るべき自律的規範として、広く支持を得てきました。また、この原則を守るための専門職の行動規範として、「図書館員の倫理綱領」(Code of ethics for librarians)があります。
私のシンプルな記述だと物足りず不満に思う人もいると思います。興味がある人の為に、図書館の歴史と近代ヨーロッパの歩みについての書籍を紹介するので、それで理解を深めてください(と逃げさせて頂く)
書物の破壊の世界史――シュメールの粘土板からデジタル時代まで
まあ総括して言える事は、本が重要だと長い歴史の中で認められてきた為、今の扱いの重さに至ってるって事ですね。
同じ理屈で、他の疑問にも答えられる。
米とかもそういう節がある気がする(平均的な食品の大事にされ方を遥かに超越して大事にされてる)けど、どういう心情からそれが発生するわけ?
お米は長らく税として徴収されてきた歴史がある。つまりお金と同じ価値でした。
宗教なの?
同じ理屈で返すなら、あなたの財布に入っている一万円札。これはただの紙切れなはずですが、破いて捨てないのはどうしてですか。社会的・歴史的に一万円札の価値と通念が形成されてるから、大切に扱うわけでしょう。ただの紙切れなのに。
本も、米も、お金も、同じことです。
図書館基準で考えるなら、体育館の施設利用自体も無料にしてほしい。図書館は法律がそうだからというのは理解している。それなら体育館もそうすればいいのにってこと。オリンピック的な勢いでそうならないかなぁ。運動する人のことも考えてほしい。
図書館にも有料のものも多くありますが、まあ置いておくとして。この理屈は分からなくはありません。
しかし図書館と同じように、社会に必要とされる意味合いが重くなるなら、きっと体育館も無料になるでしょう。
実は歴史の上でも先例が多数あります。オリンピック繋がりでスパルタの例を紹介しましょう。
古代オリンピック発祥の地にも近い、ギリシアのスパルタ。7歳になった子供はスパルタ国家の寮で生活し、毎日運動がさせられます。費用はもちろんスパルタ国家が全部負担してくれます。無料です。立派な運動教育のすえ、子供は屈強な戦士としてスパルタ国を守る存在となりました。めでたしめでたし。
これはスパルタ教育という言葉で現代にも伝わっていますね。大げさな例を出しましたが、このように社会に必要とされ価値が認められれば、無料になる例には事欠かないと言えます。
日本も高齢化社会が進んでいますし、健康寿命を気にした予算投入も珍しくありません。スパルタ国ほどオーバーな例はないにしても、無料になるところは今後増えると思いますよ。社会に必要とされていますから。