はてなキーワード: 利用者とは
こうやって価値観を破壊させて、いつまでも結婚できない(交際まで行ってもその後破局して戻ってくる可能性が高い)、そして会費をいつまでも収めさせ続けるシステム。
本当に恐ろしい。損するのは、乗せられて「一番いい時期」を逃して知った利用者。
誰でもできる。
福祉なんて誰でもできる。
誰だってできる。
やろうとしないだけ。
本当に誰でもできる。
続くかどうかは本人のポテンシャルと努力次第なのは身に染みて痛感しているけれど、
誰だって始められる。
何が専門性だよ。
人と関わってみろ、
誰だってできる。
過大評価をするな。
すごいなんていうな。
すごいと思うならお前たちも実際の福祉を見てみろ。
机上の空論が山ほどある。
利用者の権利や利益が優先されるのはわかってるけど、圧倒的な支援者不足。
誰だってできるのはこれまでの日本の福祉を見てたらわかるだろ。
何も凄いことなんてしていない。
専門性はあるけれど。
それでも全然及ばない。
何が専門性だよほんと。
福祉なんて何もすごくねえよ。
福祉は無くならないって言うけれど、
無くならないけど、維持できなくなるわ。
何が専門性だよふざけるな。
すごいと思うならやってみろ。
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どうも。Appleが新しく発表したAirTag、すでにお買い求めになった方も多いのではないでしょうか?
私はそのAirTagと目下同じ領域の製品となるMAMORIOという紛失防止タグを開発・販売する日本のスタートアップをしています。
AirTagが発表され、様々なことがわかってきましたので現在のところの見解をまとめておきたいと思っております。今後変わる可能性はありますが。
Appleにとっても相当危険な賭けだろうなという認識です。ニッチ領域としてスタートアップがやるのと、世界一の企業がやるのとではユーザーから求められる水準や期待値がかなり違うはずです。現在の紛失防止タグという製品が抱えるそういった課題点をどれくらいクリアできているのか、あるいは今後向き合うつもりなのかが問われていると思います。
現在の多くの紛失防止タグが抱える課題点は大きく分けて3つあります。
探知精度、プライバシー、利用者の情報リテラシーです。それぞれについて解説します。
電波距離数十メートルのBluetoothを用いて追跡を行う場合、BTの範囲外においては第三者のスマートフォン端末の位置情報を活用してトラッキングを行う仕組み(弊社ではクラウドトラッキングと呼んでいる)があります。
MAMORIOではMAMORIOのアプリをDLして登録しているiPhoneとAndroidのユーザーのネットワークを通じてトラッキングを行っています。AirTagではこれをOSレベルで実装し世界中の全iOS端末で匿名でトラッキングで実施する仕組みだと説明されています。Appleではこれを何億人のユーザーが探してくれると表現していますが 、では果たしてこれは具体的に何%の確率で見つかるのでしょうか? 今現在アクティブな端末数は?見つかっている数は? ユーザーにとってはそれが真っ先に知りたいはずです。しかし、AppleはAirTagを探す手伝いをしたデバイスが誰のものか、Appleですらも知ることはできないと言っています。つまり見つかるかどうかはわからないし統計も取れないということです。あくまで探してくれる「かも」、見つかる「かも」、という仕組みの話を言っているだけになります。 Appleの製品であれば利用者も圧倒的に多いはずですが、それでも仕組み上 、人が訪れないエリアや電波が遮断された状況などでは見つけることは不可能です。つまるところAppleのいう「探す」ネットワークが果たして本当にどれくらい有効に機能しているのかは誰にもわかりません。あなたの想像の中にだけあります。
MAMORIOでは日々ユーザー間のすれ違いの数をアプリで誰にでも見れるように公開し改善をおこなっています。また端末間のすれ違いだけではなく、より確実に忘れ物や落とし物が見つかるよう全国鉄道会社700路線の遺失物センターに専用の受信機を設置し、設置場所をウェブサイト上に公開、地点名での位置情報を登録し落とし物が届けられたら見つかる仕組み構築しています。当然、AirTagの仕組みに比べたら遥かにユーザー数は少ないですし、100%落とし物忘れ物が見つかるわけではありません。だからこそ可能な限り真摯に事実を伝えることが大事だと思ってやっています。
Appleのやり方はこうした製品の前提となる説明を飛ばし、非常に作為的で不誠実な伝え方ではないかと思います。
また、位置情報の誤差の問題もあります。「探す」アプリで自分のiPhoneの端末の位置情報を見てもらえばわかると思いますが、自ら通信するiPhoneですら誤差が生じていてずれているのがわかると思います。屋内ではGPSの精度はかなり落ちるのです。ましてやAirTagは第三者とのすれ違いを活用する以上どうしても誤差が発生するはずです。また拾った人がAirTagの電池を抜いてしまった以降は当然追跡はできません。最後にあったはずの場所をここだと思って探していたら、とっくに持ち去られてしまっていて見つからない、という可能性は大いにあります。
また、GPSを組み合わせて位置情報を特定する以上、数メートル〜数十メートルの誤差は発生します。住宅密度の高い場所であれば実際の場所とは異なる隣りの家やビルを指し示す可能性はかなりあります。AirTagが入った自分の盗まれた財布がここにあると思い怒鳴り込んで入っていったら実は違っていてトラブルになった、ということが起こりうる可能性は非常に高いです。日本ではすいませんでした!の笑い話ですむかもしれませんが、海外であればそのまま不法侵入で射殺されてもおかしくありません。このようなリスクについてAppleはきちんと利用者に説明を行っているのでしょうか?
この問題はMAMORIOにももちろんついてまわりますが、事前に仕組みや機能についてある程度理解をしていただいた上で購入する層を対象としているMAMORIOと違い、AppleブランドであるAirTagではユーザー層も多岐に渡るはずです。 当然利用者が多くなればなるほど、見つからなかった、そんなことは知らなかったという声や事例も多いはずです。その際のネガティブな声でAppleのブランドを毀損してしまう可能性はあります。そういったリスクを背負ってなおAirTagを出したという判断に対してただただ感服です。
また同じ問題はUWBを用いたトラッキング機能でもついてまわります。UWBの特徴は数センチ単位での位置特定が可能な指向性ではありますが、電波である以上遮蔽物や環境の影響は大きく受けます。どれくらいの近さだと見つかるのか、遮蔽物の影響はどれくらいか、利用する環境によって異なるため、実際にユーザーの期待値を下回る可能性も高いです。
それでも世界最高の企業であるApple社が手掛ける以上、既存の紛失防止タグよりも素晴らしいユーザー体験であることは間違いありません。見違えるような体験になるはずです。しかし大多数のユーザーにとって紛失防止タグというのは未だ未知の存在であることも事実で、はたしてAirTagを初めて触ったユーザーがそのユーザー体験を許容するか、紛失防止タグそのものへのネガティブな評価になりかねないか非常に懸念しています。
2つ目はプライバシーの問題です。物の場所を探せるということは、当然ストーキング行為などに使われるというリスクがあります。紛失防止タグ以外のGPSトラッカーにもこの問題はありましたが、GPSトラッカーがそこそこの大きさ(スマホサイズ)、短い電池寿命(3日程度)、通信回線契約の有無(通信キャリアへの契約が必要)といった形で、利用条件が限定されるのに対し、紛失防止タグは極小(小銭サイズ)、長寿命(1年程度)、通信契約不要(匿名利用可)といった特徴があります。
しかしながら、前述の通り紛失防止タグはBluetoothを用いている仕組みゆえ、第三者のスマートフォンとのすれ違いによってしか位置情報を特定することしかできません。そのためストーキングのために悪用するには対象が偶然タイミングよく他のユーザーの近くを通らなければ位置情報の特定はできません。今までの紛失防止タグは精度とプライバシーの絶妙なバランスがこうした問題の発生を防いでいたとも言えます。
しかし、Airtagは違います。iPhoneの普及率を考えると通信精度はGPSトラッカーを上回り、屋内でもかなりの精度がでる可能性が高く、小さく、長寿命で、匿名性の高い追跡デバイスとして猛威を振るう可能性があります。(またその普及度と知名度ゆえにそういった悪意を誘発してしまう可能性もあります)
もちろん、Appleはこの問題に対して様々な対処を行っていると述べています。
例えば、近くに第三者のAirTagがあれば手元のスマートフォンに通知を行う、また近くのAirTagを鳴らして探せるというものです。ストーカー目的の第三者のAirTagが近くにあれば、スマホがお知らせてしてくれる、探せるから安心といえば聞こえはいいですが、あくまでこれはiPhoneを持っているユーザーに限っての話しです。Androidユーザーは当然この恩恵には預かれません。つまるところAndroidユーザーは誰でもAirTagによって追跡されてしまう可能性があるということです。Appleの企業としてプライバシーを大切にする姿勢は称賛に値します。が、だからといってそれはiPhone製品を使っていなければ誰でも位置情報を追跡されるリスクを背負わされるということにはならないはずです。
またAppleは第三者のAirTagが近くにあるとき以外にも、登録者のスマートフォンからAirTagが一定期間(3日程度)離れた場合、音が鳴って周囲に存在を伝えると言っています。Androidであっても、NFCをかざせば音の止め方や詳細がわかるといいます。これでAndroidユーザーなら安心、、、となるのでしょうか?
今この時点でAirTagを知っているような情報感度の高い熱心なAppleファンにとってはAirTagやその仕様は常識かもしれませんが、Androidユーザーや多くの人にとってAirTagはまだまだ未知のプロダクトです。ましてやシニア層が多い日本ならなおさら。どこからもなくタグから音がなったときにそれに対して誰しもが第三者のAirTagと気づいて適切に対処することはできるのでしょうか? またそういったことへの啓蒙をAppleは行うのでしょうか? またAppleは「探す」ネットワークをサードパーティーに向けて開放しており、今後様々な形状や特徴を持ったデバイスが登場する可能性があります。AirTagであれば象徴的なデザインなので、すぐにそれと認識することができるかもしれませんが、それ以外のサードパーティーのデバイスを逐一見分けることは一般ユーザーには不可能です。なんだか見たことのないデバイスから音が鳴ってなにかの故障か電池切れかなと思っていたら、実はトラッキングされていた、という可能性が誰にでも起こりうる可能性があります。そのリスクにAndroidユーザーはさらされているのです。
また鳴るタイミングが周囲の人間にはコントロールできない以上様々な状況で鳴ることがありえます。大事なセンター試験中になり始めたら? 車の運転中にAirtagがいきなりなり始めたら? 静粛なコンサート中になり始めたら?
また、深夜の暗い家や屋外であればなり始めても見つけられないことも想定されます。深夜にゴキブリの影を見つけてそのまま見つけられなかったことを考えて見てください。ぞっとしますよね。
女性ならストーカーに使われる可能性もあるAirtagの音が自分の部屋で鳴るだけでそれを見つけるまでは恐怖でいっぱいになるはずです。あるいは誰かが嫌がらせでその音を鳴らすだけで相手を追い込むことも可能です。
そういった状況でも落ち着いて誰しもが適切に対応ができるようAppleは信者以外の全ユーザーにも啓蒙をご丁寧に行ってくれるのでしょうか? 本当にありがたい話ですね。
さらにAppleは「探す」ネットワークについては、匿名化を行いAppleでさえも一切のデータを持ち得ないとしています。
電気通信事業法では、公共の電波や通信を扱う事業者の責任として利用者の通信の秘密の保護は厳重に定められておりますが、一方で裁判官の令状による通信履歴等の 取得・提供や児童ポルノの閲覧に対するブロッキングなどの緊急避難は通信の秘密の侵害に当たらず状況に応じて適切な対応を行うことが求められます。
Appleはこういった犯罪や悪用リスクの可能性についても、仕組み上自分たちはデータを一切保有しておらずわからないから責任はないといっているのです。各種電気通信事業法を遵守し事業を展開している通信キャリアが構築した通信インフラ網やそれを利用する人々のスマートフォンのネットワークにフリーライドし、悪用にもされうる可能性のある新たな通信サービスを構築・提供しその責任を放棄しています。これは非常に危険なことだと思います。
もちろん当然、MAMORIOでも同じ問題は発生しえます。そのためMAMORIOでは製品の利用にあたっては各種法令を参照して運営するとともにサービスの登録にあたっては利用規約やプライバシーポリシーを明示し、データも厳重かつ適切に管理を行い取り扱っています。今後も必要な認証制度を適切に取得していくつもりです。また関係当局より打診があった際はそれが規約に合致する適切なものである限り、事業運営者として対応を真摯におこなっていくつもりです(現在のところそういった事例はおきていませんが)
こうした事業運営の責任の所在を明らかにせず、匿名化し、運営者自らがそれを知りえないからといってその責任は許されるものではないのではないでしょうか?
他増田の言うとおり、昭和から平成初期の日本は、まんま施設主義だったんだよ(まあ欧米もそうだが)。
「府中療育センター闘争」とかご存じない? 入所者は今のウイグル民族ばりに虐待されてたよ? 映像資料もあるけど? ま、十年後には歴史の闇に消えてるかもね。
で、その虐待はどうやって救われたと思う? 利用者自身がハンガーストライキをする事で問題視されたんだよね。つまり障害者自身で立ち上がったわけ。日本って優しいしすぐれてるなあ。
しかも、府中療育センターなんて氷山の一角、昭和以前は障害者虐待の時代だった。施設だけじゃないよ。精神障害者ってだけで爆弾の振る監視穴?にぶっこまれたり(NHKで見た)。視覚障害ってだけで子供の頃から納屋に隔離されて毎日木製バットで殴られたり(知り合いのおじいに聞いた。おじいは成長して東京に出た。工場で務めて何とか生き抜く事ができた)。日本って優しいしすぐれてるなあ。
で、脱施設の流れになったのは、別に日本が優しいからだけじゃない。すぐれてはいるのかもね、身の保身に。
まずは外圧。1975年に障害者の権利宣言があったから、それに乗らないといけなかった。我が代表堂々退場す意味も度胸もないからね。その上、アメリカ様もADA法とか作って、ますます脱施設の流れになったわけ。乗るしかないでしょこのムーブメントに。
それに、脱施設は国民ひいては霞が関にとって悪い事ばかりではない。
なんせ施設はコストがかかりすぎる。障害者であれば支援もせずに、施設にぶち込むとなれば。今自立出来ている人もまとめてぶち込まないと行けないわけである。まあ、すごい量の施設が必要になるよね。
そしたら、次は殺すにはどうすればいいかって考えるよね。でも、そんな事ナチスぐらいしかやってないからね(T4作戦)。中国が表立ってやらないぐらいなんだから。まあ、優しいすぐれてる日本ならやってもおかしくないけど。
というわけで、障害者サイドの自立運動が盛んにはなっていたものの、カネの問題で霞が関が自立を推奨してるって事情もあるわけ。
その割に、障害者嫌いの日本人が伊是名さんを叩いている現状はウケるね。
伊是名さんはバリアフリーの為に店舗異動しろとかアホみたいな事を言ってる過去もあるけど、障害者が自立して生きるためにバリアフリーを充実してほしいと言ってるのが主な主張なわけ。しかも、鉄道全部エレベーターつけろとかじゃなくて、JRは事前に行けない駅の情報提供しろってのがメイン(J-CASTの記事)。それを寄ってたかって叩いてるんだから、障害者には自立して欲しくないって事だよな。じゃあどうして欲しいんだろうな彼らは。
でも、一番ヤバいのは伊是名さんみたいな裕福な障害者と、今伊是名さんを叩いてるような奴らがタッグを組んだ時だな。そこで、自立できない障害者は死ね、という流れになった時だ。
重度障害者や静かに社会的に殺されかねないな。障害者だけじゃねえ、超無能の俺も殺されるかもしれん。昭和の日本のことを考えれば、いや最近でも国連の「障害者の権利に関する条約」の批准を先進国で最も拒み続けた日本なら、十分ありうる未来や。なんせ優しいすぐれてる日本やからなあ。間違いないわあ。
春も深くなってきた今日のこの日に、ホラ吹き達のトップを競う嘘月賞の季節がやってまいりました。
先週のこの世の春謳歌賞では頭真っ白娘のソマツが見事に13バシンもの批判を突き放してトップを飾りました。フルサトノレイダスの虎の威を借る狐の如き大言壮語は本当に故郷の英雄が自分の直系にいると感じさせんばかりでした。
まぁ仮にそうだったとしてもそれが何なんだという話でしたが、しかしメイレイデースは見事に権威のある者に弱くフルサトノレイダスの一言一句に一喜一憂していました。
120バシンもの批判を受けてトボトボと歩いていたあの逆噴射っぷりに観衆のJKから声援と拍手が送られていました。
序盤はガキみたいな嘘を幾つも重ねることにより相手を煙に巻く戦法をよく使います。
そして最後の直線で一気に理論立てて納得させてしまうあの戦い方には思わず舌を巻くこと必須です。
今回は日本ダーリーに出るから本気とか出さなくても勝てるし、とのことでしたがこの発汗量ではお得意の多弁もスタミナが持たないのではないでしょうか。
去年デビューとのことでしたがどうやら三千回も戦ってるようです。
恐ろしい馬鹿です、数字が数えられないのはある種無敵と言えるでしょう。
今回の戦いを獲ることで四千無敗となるのか、そして残り九百九十九は何で埋めるつもりなのか。
お得意の結論先送り戦法は今回の面々に効くのでしょうか、ダルいダルいと言いながら悠然とトップを取っていくその様子に元軍人の爺ちゃんからの批判が集中しています。
さぁ春一番が吹き荒れる小春日和の嘘月賞、全馬鹿18万名揃ってスタートを切りました。
おっとどういうことでしょうタゴンザキッド、お得意の多弁がスタミナ切れで使えない!それどころか普段より知能指数も下がっているためかうんちうんち言いながら泣きながら下がっていきます。末期のTwitter利用者でももっと言語感覚はあるぞ!
さぁ盛り上がってきたのはエグイウソツキヤの数字マジック!さっきまで二百円三百円のコンビニ飯の話をしていたのに今は銀行口座の写真を載せて仮想通貨の話をしているぞ!一億も口座に入れてるくせにチマチマした話をするな!あとフォントが違うぞ!コンマとドットも間違えてるぞ!
そこに飛びかかってきたのはバイトハトブダー!あの定職に就かず常にアルバイトをトバしてばかりのバイトハトブダーです!今日も何か仕事が入っていたはずですがこちらにもバイト先が呼び出すあのバイブ音が聞こえてきそうです!
そして後ろからやってきたステリャエエヨッテ!彼の口車に乗って実家も財産も世も捨てた信者が多数います!しかし彼は実家住まいです!恋人も居ます!捨ててもいいことありません!
さてさてやってきたアトデイイヤハァダル!本当にだるそうですが見てください!高級車に乗っています!ちゃっかりしてます!
その後ろキョホウレイク!アイツの言ってることは画像が付いてようがURLが付いてようが後ろに金持ちがいようが信じてはいけません!ギラギラの時計を付けてますが消費者金融通いです!
馬鹿達の虚言はしぶといぞ!
タゴンザキッド!ここでもう一度巻き返せるか!お得意の理論立てが大爆死!スルスルと後ろに下がっていきます!
エグイウソツキヤ、ここで資金加速!なんという伸びだ!ただ数字の0を押しまくってるだけだ!なぜ信じる!なぜ見てしまう!
アトデイイヤハァダル!ここでやる気を出してしまう!ダメだ!スタミナよりも批判を受ける耐性がない!
キョホウレイクも嘘が尽きた!回収業者からのしつこい追従からスピードが落ちていく!
ステリャエエヨッテ!ここで理解のあるパートナーを自慢だ!憎い!お前が憎いぞ!
バイトハトブダー!なんとここで二つ同時にバイトを飛ばした!何のためにだ!そして仕事論を語ることはやめない!!
ここでエグイウソツキヤが銀行口座の数字を増やすマジックのネタバラシだ!!コイツ一度も仮想通貨に手を出してねえぞ!!
強い!!強い批判が彼に集中する!!
バイトハトブダーの職業倫理もクソもない傍若無人っぷりに追いつくことができるのか!
二番は知らぬ間にバイトを三つも飛んだバイトハトブダー、明日から仕事あるんでしょうか。生命力に期待です。
三番は何も捨てなかった実家住まい彼女持ちのステリャエエヨッテ、怨嗟からの批判はその加速度を上げる前に勝負が終わってしまった。彼の家には今度からコンクリート入りの何かしらが届くことになるでしょう。因みに原作はありません。
この春一番の賞、嘘月賞を獲ったのはエグイウソツキヤ、彼が様々な人間を資金難に陥らせた事から吐いていい嘘と吐いてはいけない嘘があることに馬鹿達も気付くでしょう。
彼のTwitterは通常営業でしょうが、ここから先裁判が何件も待っている事でしょう。
観客席の元軍人の爺さんも何か悟った事を言う小学生もオタクに理解のある陽キャも街角で突然奇行を始める面白いツレもみんな拍手を送っております。ちなみにここはマクドナルドです。マクドナルド州。
即席で適当な嘘を吐いていたら始まってしまったウソつくぜそりゃねえマージーの時間はお開きとなります。
富士山の頂上には富士山頂上浅間大社奥宮という神社があり、夏頃には富士山の登山客が多く参拝している。しかし現状ここに車椅子の人が参拝をするのは限りなく不可能に近い。さて五体満足の人であれば行くことができるこの神社に車椅子の人が行けないのは移動の自由の制限にあたるのだろうか?
結論から言えばこれは制限にはあたらないと思う。なぜならそもそも車椅子の人でも登れるように富士山の登山道を改造することは現状の技術力では不可能だからだ。技術的に不可能なことはどれだけ倫理的に問題があろうと改善の仕様がない。
では全ての無人駅に車椅子の設備をつけるべきだろうか?これも不可能だ。ごく一部の秘境駅以外は駅に車椅子用の設備を備えることは技術的には可能だ。しかし財政的にこれは不可能だ。国の施設であるなら車椅子用の設備は必要だが、JRは私企業にすぎず改善するべきであってもある程度限界がある。無人駅というのは人を置くほどではない小さな駅である証拠であり、わざわざ車椅子用の設備を置く必要などない。国鉄からJRに民営化した時、地方路線が廃止され地方が切り捨てられるのと同様に障害者も切り捨てられる運命になっていた。今はまだJRは頑張って設備を整えたり、地方路線を残したりしているが今後利用客が減れば、確実にここら辺は削られることになる。
結局のところ、移動の自由というのは確かに存在するが技術的、財政的に全ての人が全ての場所に行けるようにすることは不可能だ。将来的に無くすようにしていければ最善だが、現状不可能なものをいくら言っても意味が無い。
https://anond.hatelabo.jp/20210420144859
こういうこと言い出すやつめっちゃ多いんだけどさ。
問題なのは、批判に値する意見ってバカにはかけないということで。
批判って、ちゃんと文章を読んで理解したうえで、その問題点を指摘する必要があるから。
そして誤読した文章や、読み切れてない状態でなんか言おうとする。
自分がネガティブなこと書いたら批判未満の不愉快なやじにしかならないっていうことをいい加減理解しろって言いたくなるわ。
批判に値しないネガティブな意見はすべてゴミ・野次扱いくらいで全部非表示にすればいいまである。
100文字制限だからってのもあるけど、まともな批判なんてほんと1割か2割でしょ。
他の奴は全部誹謗中傷扱いでいいよ。
だから、自分がその2割だと思わないんだったら、おとなしくまともな批判にスターつけるか大喜利でもやってたほうがいいよ >はてブ利用者諸氏。
批判に値しないようなゴミ発言しかできない人間にとてもやさしい。
文章を読んでいるとは思えないズレまくりの発言をすることもある。
いつも同じようなことを言っていてしかも的外れなので、リアルで同じようなことをやればぼけ老人のような扱いを受けるのが関の山だ。
そうでなくとも、他人の話をちゃんと理解しようとせず、思い込みで的外れなことをいう人間は
生まれた時から高貴な身分でもないのであれば、無視されるかゴミのように軽蔑されてしまいがちだ。
しかしはてなの場合、党派性さえ合っていれば深く考えずにスターを押す人間が多いため、ゴミ発言の方が支持されたりする。
その結果として、まともな発言が出来ず軽蔑しかされなてこなかったような人間が居場所を見つけて居座ってしまうことになった。
そういう人間が集ってスターを付けあい、まともな人間の意見を抑圧するようになると場が腐る。
まともな人間にとって不快な腐った空気を蔓延させることによって単に愚痴や的外れな誹謗中傷をやってるだけの人間の楽園を作り上げてしまう。
そうやって長い時間をかけて今のはてなブックマークの空気が醸造されてしまったってわけ。
初期から現在に至るまで、批判されている対象はほぼ伊是名夏子氏およびその行動である。「障害者全般」に対して敵意を持っているとおぼしき言動は少ない。そりゃあゼロではないし、あれば目立つので、印象には残るかもしれないが数としては少ない。健常者からの舌打ちなどを受けてきた個人の経験と、今回の伊是名夏子氏への批判とを重ね合わせて車イスの障害者が批判されている、という合成が行われてしまっているのかもしれない。しかし事実として、最初の伊是名夏子氏の「乗車拒否記事」が出た当初に車イス使用者全体を攻撃していた人は皆無と言えるだろう。繰り返すが、そういう人がゼロとは言わない。「障害者」の中に「伊是名夏子氏」のような人が居るようなものだ。ただ今回の件で「障害者」が批判されているというのは事実認識として妥当ではない。
伊是名夏子氏個人が批判されているからこそ彼女のブログからディズニーの件やカレーの件、「姫」の件などが掘り起こされ、取り沙汰されている。障害者全般が批判されているのであれば、別の類似事件などと結びつけようとする動きがもっと大きいはずだし、「これだから障害者は」といった口調がもっと支配的になるはずだ。「生活保護」「喫煙者」「高齢者」などの属性に対しては実際そのような発言が多いが、今のところ「障害者」に対してはそうなっていない。
タイトルに「乗車拒否」という強い言葉を使っているが実際には乗車はできているため適当ではない。文中ではタクシーによる現実的な迂回を提案されても予約云々と事実でない反論でもって相手にせずゴネにゴネて、結局JRは駅員を4人送り込んでまで特別対応をした様子が書かれている。またその理由が、新型コロナウイルスによる自粛が要請されているなかで行われた「旅行」というのも眉をひそめられる要因であるだろう。
考えてみてほしいのだが、批判される対象は「障害者」より「伊是名夏子氏」であるほうが他の障害者にとっても助かる話ではないだろうか。「あの人と一緒にされたくない」という障害者の声も目につく。ダメなものはどう取り繕ってもダメなのだから、そのダメを「障害者」全体にわざわざ広げる行いは誰のためにもならないだろう。
https://reiwa-kawaraban.com/society/20210414/
実際にJRなどへ取材をした人が居て、すでに事実確認がされている。なぜ来宮駅での工事が困難なのかも説明されているが、それも伊是名夏子氏が騒いだからといって解決に向けて一気に進むようなものでもない。自民党議員が2年掛けて別の近隣無人駅である網代駅でのエレベーター設置を実現しているのと比べると、どうしてもやり方が幼稚という印象を拭えない。
それでも声を上げることは重要だという指摘もあるだろう。しかし、こと来宮駅について言えば声はすでに届いている(自民党議員によって)。騒げば騒ぐほど優先順位が上がるというのはあるかもしれないが、現場の状況を無視して一方的に発破をかける上司などが嫌われるのは、実際に手を動かす人間であれば誰もが同意するだろう。他人への敬意がかけらもなく、ただ自分の都合で喚いているのが透けて見えるからだ。本当にそれを実現したいのであれば、何が原因で進まないのかを把握した上で、その原因を取り除くべく行動すべきだろう。くだんの自民党議員はそうしている。伊是名夏子氏は騒いでいるだけだ。
往時のステップバス云々という話についても、あれは車イス利用者が無視されていたからこそ声を上げる意味があった。駅のバリアフリー化では無視されていない。地域によるかもしれないが、多くの人は自身が利用する駅の工事に遭遇した記憶があるだろうし、エレベーターが新設されたのを見たこともあるだろう。駅に限らず、建物の中であるとか、様々な場所でそのような努力を見てきていると思う。バリアフリーはただの掛け声ではなく、実際の工事を伴って進んでいる。それでも遅いというのであれば、やるべきことはただ騒ぐことではないだろう。理由というか事情というか、なぜ急いでほしいのか、急ぐべきなのかを説明しなければ伝わらない。ただ騒ぐというのは相手や周囲に問題を認識させるためであり、問題が認識されて対応が進められているところでさらに騒ぐだけの人間は、上に書いたようにただ疎まれるだけだし、場合によっては進行の妨げにすらなりうる。
ついでに言うなら、ここでいう「バリアフリー」は主に車イス利用者だけを想定したものだ。視覚障害者や聴覚障害者が考慮されているようには見えない。実際、社民党が公式に上げた動画では、聴覚障害者に配慮するための字幕などがないままバリアフリーについて激論が交わされていたらしい。このような自己矛盾もまた不信を生む要因であるだろう。
先日Android→iPhoneに機種変更した。iPhone毛嫌いしてたけど慣れたら使いやすいね。
そんなことよりもLINEでトーク履歴の移行ができないことに驚いた。
意味がわからない。トーク履歴なんてただのテキストデータだろう、Androidで履歴のバックアップをとり、それをiPhoneに移して復元すれば良いだけでは?
もちろんLINEの社員はこんなこと百も承知だろうし、それが実装されてないのだから技術的な問題があるのだろう。
ただ一人の利用者としては、知らねーよとしか思わない。LINEにタイムラインみたいな誰も使ってない機能を載せるくらいなら移行を楽にしてくれ。
LINEは1つのスマートフォンでしか利用できない。もし端末を移行した場合、前の端末でLINEは使えなくなる。考えてみたらこのクソ仕様はなんなの?
もちろんPCやタブレット版のLINEはあるが、これらはサブとして扱われており少し使いづらい。
他のサービスに目を向けると、TwitterやインスタのDMは別の端末に移行してもログインするだけで使えるし、元の端末でもそのまま使える。
ウマ娘プレイ開始して約40日。駅メモにログインしなくなって40日がたった。駅メモは2015年から6年間プレイしていたが、もういいかな。
ウマ娘は最新鋭のソシャゲである。鉄道車両に例えたとき、ウマ娘はリニア、対する駅メモはキハ120。しかも芸備線とかあの辺を走ってるボロボロのやーつ。保線サボるために時速25キロ制限区間を設けてるっていう。
6年間ずっと駅メモプレイし続けてわかったことは、駅メモの運営は鉄道に興味がないということ。運営スタッフ全員が鉄道を好きになるということはまったく必要ないと思っているが、最低限、業務で必要な知識は仕入れてほしいよ。
なんだよ成田エクスプレスという路線は。西船橋からのデルタ地帯はどこいった。浅草[その他]ってなめてんのか。
野球ゲームやアイドルゲームの運営スタッフで、野球やアイドルに詳しい人が一切いないということはあり得ない。なぜならゲームとして成立しなくなるから、ゲームが破綻してしまうから。一方で駅メモの場合は、鉄道に詳しい人が居なくても成り立ってしまう。基本のゲーム部分はすでにできてるから、更新された路線データをコピペしたらそれでおしまいだからね。
駅メモのゲームデザインは実は題材を鉄道に限る必要ないんですよね。たとえば終末戦争後の日本を舞台にして、数少ない資源を奪い合うというデザインにしても通用しちゃう。スポットを駅から変更して適当に配置したらそれで完成だ。
キャラクター周りも雑すぎる。スト全盛期の国鉄職員の方がまだ丁寧だ。5年くらいずっと新規立ち絵をリリースせず、狂った関節や照明が異次元な塗り絵で、ガチャを引かせるというソシャゲにあるまじき体制であった。初ソシャゲが駅メモという、萌え絵に馴染みの無い乗り鉄おじさんたちがユーザーに多数いたので、とくに文句が噴出してなかったようだが、それももう終わりやね。というか、ストーリーの背景が無しってあり得ないだろ、そもそも。
エクストラシリーズっていう、無償石では入手できないキャラたちがいるんだけど、もう恒常のキャラクターとだいたい数が拮抗してきてて、コラボキャラを除くと、もはや駅メモ全体のキャラクターの半分が課金必須のエクストラシリーズという、どのソシャゲよりもえげつない集金体制なんだよね。じゃあ壊れ性能か?人権か?って言われたら、別にそんなことはなくて、エクストラシリーズなくてもランカーなれるし、じゃあキャラクターかわいいのか?って言われても答えに窮するくらい。頭身がおかしかったり、巨頭オみたいなやついるし、モアイ顔とか首が曲がってたりとか、ちょっとでも他所のソシャゲを触ったことのある人なら、違和感だらけなんよ。
駅メモのゲームシステムを開発した功労者である、しるしるっていうスタッフもかなり前に退職しており、2015年あたりからの古参にとっては、今の駅メモに残留する意義ってないんですよね、実は。
功労者を追い出して駅メモ運営に迎え入れたのが、産まれて早々無事死亡したレキシトコネクト…さん?でしたっけ?非常にしつこい。死んだソシャゲのキャラを大量に、コラボキャラとしてガチャ入りさせるという、ソシャゲにあるまじき体制なんよ。
あと駅メモには別鯖ではなく、まったく同じの内容で3つ駅メモが存在するんですよね。コロプラ版・アプリ版・アワメモ版。アプリ版が1番人多い。会社間の関係でコロプラ版が存続してるのは、まあ仕方がないけれども、問題はアワメモ版。こいつは運営がブロックチェーン技術をひけらかしたいがために、産み出されたクローンの駅メモ。中身はまったく同じで、ブロックチェーン技術を用いてリアル課金、利用者のお金を直接ゲーム内に投資するというモノになってるのだけれども、ブロックチェーン技術はあくまで何かを達成したいための手段であって、目的ではないわけ。手段と目的を履き違えてるんよ。当然ながら、中身が同じで集金兵のために作られたクローン駅メモなわけだから、3つの駅メモの中で最も過疎。ほとんど廃墟。終末戦争でも起こったのかと思うくらい。ヤバいわよ。
モバマス・怪盗ロワイアル時代に産まれた生きた化石なんだよね、駅メモって。大宮の鉄道博物館入りしなくてはいけないレベルなんだよ、本来は。なぜか位置ゲーム国内シェア第3位を取っちゃってるせいで生き延びてるけど(これは罠で国内の主要な位置ゲームは3つくらいしかない(他はポケモンGOとドラクエウォーク))。
話を冒頭のウマ娘に戻すと、ウマ娘の影響で既存のソシャゲなどがほぼすべて打撃を受けている。デレステシャニマスミリシタ、原神ブルアカ、FGOプリコネグラブル、パワプロとか、Vtuber関連もそうか。名だたるソシャゲやコンテンツが、死産確定という下馬評だったウマ娘に客をとられ喘いでいる。高クオリティの3DCGと完成されたゲームシステムであるウマ娘をプレイしてしまったら、仮にウマ娘に飽きたとしても、もう元のソシャゲには戻れないだろう。ゲームならCSにいくしかない。あるいはゲーム以外の趣味にいくしかない。そういった出遅れウマ娘の大外からの追い込みで、他所の運営がひいひい言ってるときに、なんだ駅メモは?背景無しのストーリー、悪質塗り絵の課金ガチャ、鉄道ゲームなのに鉄道に興味のない運営、コロナ禍でただいま4月17日現在、大阪を中心に感染者数が爆増してる中でイベントを中止せず続行している体制、はっきりいって異常だ。なぜそこでまともな運営をしない!?できないのか!?したくないのか!?する度胸もないのか!?荷物をまとめて五反田に帰れと言いたいですね。もうね、アボカドバナナかと。コロナ第4波でイベントを中止しないのはおかしいと、もそもそ苦言を呈しておきます。
それでもなお、今から駅メモを始めたい人には注意しておきますが、電車で駅メモするときは後ろに気をつけておいてください。リアルストーカー事案や盗撮被害も過去に何度もありましたので、気を付けてください。わざわざ駅メモしてる画面を覗いてきて、くちゃくちゃわけわからんこと話しかけてくる変なおじさんもたくさんいますから、本当に気を付けてください。
色々考えていて、やっぱりこの件は
という案件だと思うのです。
若干今更感はありますが、思うところを書きました。
例えばスーパーの出入り口から段差をなくすとか、日々の生活に密着した施策はどんどん推進していった方がいいと思います。
ただ、「一応お客さんの出入りもできるようになっている」程度の裏口にまでそれを要求するのは正当なのか?とは思ってしまうわけです。
翻って今回の件ですが、SNSやメディア等で色々議論はあるものの、個人的に腑に落ちないのは「なぜ熱海駅ではだめだったのか」ということです。
駅員に「熱海駅まででもいいですか?」と聞かれて断ったということは分かっていますが、その前段階、旅行の計画を立てている時に、伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」はずなのです。
旅行を計画する時、特に目的地がある場合は、普通そこのホームページを見たり周辺の観光案内を調べたりしますよね。
伊是名さんも当然調べたと思います。
調べるのはとても簡単で、来宮神社のホームページにもありますし、来宮神社を紹介する観光系サイトや個人ブログを見てもいいと思います。
そしてそのほとんどに来宮駅と熱海駅からのアクセスが書いてあるので、調べていて熱海駅からのルートに触れなかったとは考えられないのです。
つまり伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」ということです。
もし熱海駅からのルートを知らなかったのであれば、来宮神社だから来宮駅だと思ったということなんでしょうか。
それは幕張メッセに行くのに調べないで幕張駅を使うような愚行なので、初めて行く場所でそんなことはしないと思います。
(初めだったのかは分かりませんが、そうでなかったら余計問題なのでおいておきます。)
来宮神社まで、来宮駅からは400m、熱海駅からは1.6kmです。
ではなぜ、伊是名さんは熱海駅ではなく来宮駅を選んだのでしょうか。
単純に近いから。
ただ、伊是名さんにとっては単純な距離よりも重要な要素がありますよね。
熱海駅は市の名前が付いているくらいですから利用客も多く、バリアフリー設備も充実しています。
駅の利用は問題ないでしょうし、車椅子でも利用可能なバス・タクシーの手配もしやすいはずです。
一方で来宮駅は、少なくとも伊是名さんにとっては「調べても分からなかった」レベルです。
そして、熱海駅から来宮神社に行くことを考えたら、熱海駅からの交通手段を調べますよね?
そうすれば今回のトラブルは起こらなかったんです。
(万一熱海駅が大きな駅だと知らなかったとしても、来宮駅を調べて熱海駅を調べないのは理屈に合いません。)
そのため、今回の件は「避けられたトラブル」と言うよりも、「ドラブルの起こりそうな方を選んだ」という印象が拭えないわけです。
ところで、来宮駅と来宮神社は徒歩5分程度と言われていますが、実は難所があります。
来宮駅の駅舎は線路の南側にあり、来宮神社は北側にあるんですね。
そのため最短ルートを通るには来宮暗渠という短いトンネルを通るのですが、そこの歩道が細く、ガードレールもあるため車椅子では通れないのではないかというほど狭いのです。
伊是名さんはブログで特に触れていませんでしたが、果たして歩道を通れたのでしょうか、それとも車に待ってもらって車道を通ったのでしょうか…。
最短ルートを通らない場合は、1.5kmほどアップダウンが激しく歩道が狭い道を歩くことになります。
時速2kmで45分かかるわけですから、結構な負担になるはずです。
伊是名さんは旅行先の条件として「移動距離が少ない」をあげていましたが、これは少ない範囲なのでしょうか。
来宮駅-来宮神社間のルートは知っていれば迷う道理がないのですが、トンネルにある小さい看板を見逃して通り過ぎてしまうと熱海駅に行ってしまいます(途中でおかしいと気付くかもしれませんが)。
一方、熱海駅からだとバス・タクシーで神社の目の前まで連れて行ってくれます。
数百円でも節約したいとか、迷うのも旅の醍醐味だという人であればともかく、そうでなければ健常者でも熱海駅から行った方が間違いがありません。
健常者であればスマホで地図を見ながら行けばいい、というのもあるんですが、車椅子利用者は「道はあるけど通れない」という事態に出くわした経験が少なからずあると思うんですよね。
電車なら駅員に相談すればいいですが、旅先の道路でそうなった場合のリスクは考慮するものではないのかなと思います。
「障がい者が気にせず外出できるのが理想だ」というのはその通りですが、現実のリスクを無視するのは違うと思うのです。
また真偽不明ですが、伊是名さんは来宮駅で降りた後、西にある熱海梅園に行ってから来宮神社に行ったと説明している人を見ました。
こちらの説であれば来宮暗渠を通っていないのは理解できるんですが、するとなおのこと、熱海駅から行かなかったのが不思議なんですよね。
対して熱海駅からバス・タクシーを使うと、熱海梅園の目の前まで連れて行ってくれます。
車椅子での移動を減らしたいのであればバス・タクシーを使うのが合理的です。
そもそも、最短ルートで直接来宮神社に行かないのであれば最寄り駅というメリットがなくなるため、来宮駅で降りる必要がないんですよね。
紛糾しているのは、結局これだと思います。
伊是名さんの言いたいことは「バリアフリーをもっと浸透させてほしい」で、それ自体は正当だと思います。
ただ、どう考えてもやり方はまずかった。
旅の計画段階で「合理的」な判断をしていれば起こらなかった問題なんですから、そこをフックにしてしまうと主張そのものが疑問視されてしまいます。
だから、今起こっている事は「誰が言おうが正しいことは正しいのだ」と「言ってることは正しいがお前が言うな」の戦いなんですよね。
熱海市の市議会では駅のエレベーター設置の議論が何年も続いており、その結果4つある無人駅のうち2つにエレベーターが設置されたそうですが、今回の論争、本当に必要でしたか?
要するに、熱海駅からバスを使えば来宮神社前ないし熱海梅園前まで行けるという「スロープ」があり、それは見えていたんです。
しかしバリアフリーの対応状況が分からない来宮駅という「階段」を伊是名さんは望んだ。
それがバリアフリー推進のためにあえてやったことなら、私は「言ってることは正しいがお前が言うな」と言います。
もし素で準備不足の旅行だったのなら、社会常識を身に付けて下さいと言います。
社会課題を世に問う目的であれは問題行動も有りだという考え方の先にあるのは、アメリカのBLM運動で起こった商店打ちこわしと略奪ですよ。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
キレイだし数も多すぎる。
あらゆるところにほぼ誰でも使えるトイレがあって、しかもその大半がキレイで最新型。
最近、車椅子ユーザーの公共交通を巡る論争が巻き起こったが、ハッキリ言ってトイレに関してはここまで多機能のトイレがあらゆる施設に充実し設置されている国は日本くらいしかない。
欧米だと国の威信がかかった最新設備の空港や高級ホテル・高級レストランでしか出会えないクオリティーのキレイなトイレが、日本ではその辺の公共施設やファストフード店にある。
恐らくマクドナルドやケンタッキーフライドチキンで世界一トイレがキレイで機能的なのは日本だろう。
日本すごいって言いたいのではない。
どう考えてもこれは異常だと言いたいのだ。
どこの国においても清掃という仕事は常に人手不足で募集が繰り返される労働集約産業の典型であり、一般的には知的労働や激しい肉体労働に従事できない高齢者や諸事情のある労働者が行う仕事だ。
一部のテーマパークや高級商業施設を除きそもそもその仕事自体に高いモチベーションを持つ事を想定していない仕事であり、利用者もその背景を理解した上で用を足すのが当たり前の認識である。
他の先進国における一般的な公共トイレの風景は、ホースの水圧でバーッと汚れを流して床も壁もとにかく水でびしゃびしゃのまま。
便器や洗面台や鏡面の細かい汚れやカビもそのままで、トイレットペーパーはそもそもないか日本とは比べ物にならない低品質なモノばかり。
それなりの値段を取るホテルでもロビーのトイレなんかはこのクオリティーの国も沢山ある。
何故ならトイレの清掃に高い人件費や費用がかけられてるなんて思っていないし、そもそもそうするべきなどと思わないからだ。
現実的に安い賃金に対して様々な理由や意味合いを強引に関連付けて正当性を持たせようとする圧力こそが日本の異常性の正体である。
割りに合わないことをしないのはヒトの本能だ。
ところが日本ではこの本能に素直に生きる事をよしとしない伝統があるのだろう。
日本に遊びに行きたい外国人は沢山いるが、日本で働きたい外国人はほとんどいない。
安くて品質の良いモノ・サービスを提供し続けてくれる「おもてなし」は受ける側としては素直に嬉しいが、こんな事をいつまでやっても自分自身が豊かになれる事はないのにと思う。
はてな匿名ブログの利用者層が相当変わってしまったように思う。
昔は「仕事ツライ」と言うようなことを書き込むと「どんまい」「大変だね」というような内容が返ってきたが
今は「お前の能力が低いからクソみたいな会社でクソみたいな目に合ってるだけ。お前が悪い」「こき使われて税金納めるだけの生きてる価値のない人間だ」
米オハイオ州シンシナティの公共図書館で、実直な図書館員スチュアート(エミリオ・エステベス)が常連の利用者であるホームレスから思わぬことを告げられる。「今夜は帰らない。ここを占拠する」。大寒波の影響により路上で凍死者が続出しているのに、市の緊急シェルターが満杯で、行き場がないというのがその理由だった。
約70人のホームレスの苦境を察したスチュアートは、3階に立てこもった彼らと行動を共にし、出入り口を封鎖する。それは“代わりの避難場所”を求める平和的なデモだったが、政治的なイメージアップをもくろむ検察官の偏った主張やメディアのセンセーショナルな報道によって、スチュアートは心に問題を抱えた“アブない容疑者”に仕立てられてしまう。やがて警察の機動隊が出動し、追いつめられたスチュアートとホームレスたちが決断した驚愕の行動とは……。
社会的問題の惨状を語る作品とは異なり、比較的明るくてややユーモアがある。ネタバレではあるが悲惨なエンディングではない。ホームレスという社会的な弱者である人々が、たった一晩でも寒さをしのぎたい、という素朴だが生命に直結する問題への訴えが伝わる。
本物のホームレスはこんなに明るくないとか、綺麗ではないとか、そういうのは言わないで欲しい。
ただし、映画では警察やマスコミの側がヒールになりすぎではあると思う。正義として市民の善意の活動が描かれているが、もう少しヒロイックさを取り除いても良かったかもしれない。
身近にいる弱い人々、はてなでいう弱者男性の一つの例として自分は受け取った。
良い映画なので見て欲しい。
私はここ二十年ぐらいに共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場なものだから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、何も他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないな」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
= = =
(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きる直前の頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちがいるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人もそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
= = =
はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として書いた。
自民党の独り勝ちでは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした野党支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。