はてなキーワード: 見立てとは
最近ツイッターばかりやっていて、どうも140文字で言葉をまとめる…というより無理矢理詰め込むような表現に疑問を感じていた。
文章には情報を搭載する能力だけでなく、それ自身流れを作る力がある。
文章はただ情報を集めてまとめるだけでなく、文章の作る流れの力でそれを自然と読み手の脳内に流し込む機能が求められている。
140文字にまとめられた言葉にはそれがない。代わりにタイムラインという一種の強制力が、ただ時間の流れとしてツイートを五月雨式に送り込み、ユーザーの意識を同期的に支配することになる。
問題は2つある。
一つは、ただ時間軸に乗せられて流れる言葉にはロジックが内在しないということ。
文脈、前提条件などと言っても良い。
140文字で切り取られ、一秒単位の更新時間で機械的に並べられるライムラインだとか、RTによる拡散だとかでポップアップしていく情報には、大抵文脈が欠けている。どんなに短い言葉にも、本来書き手がそれを発するに至った個人的社会的意義、文脈というものが存在するはずなのに、切り貼りされたタイムラインの中で、140文字でそれを表現するのは事実上不可能だ。
この弱点を克服し、140文字でなにがしかの「感銘」を与えたように感じさせる、注目されるために、ある種の野心を持ったツイートには、つねに何か擬似的な文脈のようなものが付加される。
具体的に言えば、一種の「ベタ」でコーティングする。みんなが叩いているものを叩く。誰かへの批判。「俺たち」の賞賛。「敵」を認定し、「俺たち」の立場からそれをやっつけてやる。大抵はおおむねそんなものだ。しょせん擬似的な文脈なのだから。
タイムラインはより大きな文脈を忘れさせ、たかだか140文字ででっち上げられる程度の擬似的な文脈を、その陳腐さを省みさせることなく肥大させ続ける。タイムラインは流れるだけで永遠に蓄積しない。言葉を重ねれば重ねるほど、そこで人は深い認識を失い、空虚な幻惑のなかをさまよいつづけることになる。
二つ目は、一つ目の現象の裏返しとして、本来あったロジックも見えなくなりがちなところだ。
またある種の、野心より挟持を優先したツイートには、このようなでっち上げの文脈よりは多少複雑な、固有の文脈で送り出されるものがある。
ツイートをパラグラフか段落のように見立て、またそこまでではなくとも、マッシュアップされる前の自分自身のタイムラインだけで醸し出される文脈を大事にする。更新時間で並べ替えられたタイムラインで目立つことよりも、自分自身の文脈のなかでメリハリの利いた言葉遣いであることを意識する。
このようなツイートは、その真意を読み解くために、投稿者の背景や前後のツイート、RT、さらにはここ最近ちょくちょく取り上げている問題が何かを把握しないと、場合によってはほぼ反対の意味にすら解されてしまうことがある。そういうことを、恐れずに(もしくはあまり注意せずに)発信されている。
…とこれは少し主体的に書き過ぎたが、そこまで覚悟を決めてなくとも、あえて「ベタ」な文脈に固執しているタイプの並々ならぬ野心に燃えている場合を除けば普通はいくらかはこのような、個人の文脈にとらわれた「誤解の恐れのある」ツイートをしているものである。人間の自然な生理として。
タイムラインはこれら全てを切断し、タイムスタンプだけに依拠したツイートのリストへと単純化する。読む人はこの流れに支配され、ただタイムラインのなかの異物として特異な文脈を持ったツイートを認識する。
ある人は身勝手に単純化して「俺たち」の賞賛として受容し、ある人は身勝手に単純化して「俺たちの敵」の悪あがきとして攻撃する。個人的にはあるツイートがどのような文脈で生み出されたものであるのかを常に気にしているし、そうやって探るうちに見えてくるものを楽しみとも感じているのだが、そういう人はすくない。
そういう人のことを、わからないわけでもない。
結局のところ、繰り返すがこの問題はものごとの裏表であり、前者が後者を生み出しているところがある。
タイムラインで目立つということが一種の生存競争として成立してしまった状況下で、文脈を捨て去った(あるいは、単純な疑似文脈に頼り切った)ツイートが力を増すなかで、より普通の文脈を持った言葉が埋もれていく。同じ分別ラインで処理されていく。
紋切り型のツイートにならされた脳は、運動をしなくなった身体のように、柔軟性を失い、運動性能を落としていく。認識の単純化とともに、目に見える世界もまた色を失い、記号化されたデジタルな情報としてしか理解できなくなっていく。
事態の改善には、これを考慮して考えると、まず自らのなかにある文脈に意識的になることだ。
大きな文脈とは何かを忘れた状態で、大きな文脈を読み取ろうと努力だけしてもなかなかうまくはいかないものだ。
タイムラインの支配から抜け出す。画一的に切り取られた140文字の枠を忘れる。
140文字で書かれた言葉の軽さに気づく。140文字で書かれた言葉の、裏にあるものの重さに目を向ける。
だからといって長文を気負う必要もない。枠を気にせず書いた結果なら141文字でも良い。なんなら140文字以下でも良い。
字数調整から意識を解放し書きたいことを書きたいように書き、書き散らかった内容を字数で言い訳せずにうまく落とす。
多少無駄があっても良い。しょせんこれは日記である。自分が思っていることを、どれだけ複雑な文脈でものを考えているのかを、考えるべきなのかを、あらためて認識する。
そのきっかけになれば良い。
自分自身の複雑さに気づくことが出来れば、他者の複雑さを慮る準備もできるだろう。
部屋のなかは蒸す。
コンビニにでも行こう。
闘いやスポーツなどの試合以外で「参戦」という言葉を使われているのを初めて見たのは、確か5、6年前に読んだ雑誌の見出しだったように思う。
ファッション誌だったか音楽雑誌だったかは忘れてしまったが、その言葉は夏に開催される音楽フェスへ観客として来場することを指して使われていた。
すでにこの表現は広まっていたのか、意識しだすと案外色々なところで見つけられた。
それらはやはり押し並べて「ライブと呼ばれる芸能イベントを観に行く」という意味合いであった。
「客のことを『金を払って戦いに首を突っ込む馬鹿者』だと見なしていることに誰も気づいてないのか」
などと内心毒づいていた。
あの言葉は2016年になっても未だに散見できるのだが、最近はその使い方がまた少し変わってきたように見える。
我が家では夕飯時に食堂のテレビでくだらないバラエティ番組を垂れ流す。
テレビを覗けばお馴染みの芸人やアイドルと並んで普段なかなかお目にかかれない俳優や文化人が喋っている。
この捻ったキャスティングがなされるようになったのは、おそらく10年ほど前からだろうか。
売れない映画や本の宣伝と、マンネリ化しだしたテレビ番組のテコ入れという利害の一致から始められたこの慣習は、今や視聴者に何の変哲も無いこととして受け流されている。
よくよく見るとあの騒々しいテロップの中に「参戦」の文字が躍っている。
どうやら番組を「トークの闘技場」、イレギュラーなゲストを「グラディエーター」に見立てているらしい。
テレビ局もここまで思い上がるようになってきたかという白けと、いつまでこの変な言葉遣いが巷で繰り返されるのだろうという微かなむかつきを感じながら、自分はこの日記を書き綴るのであった。
http://anond.hatelabo.jp/20160606003455
ちょっと目先を変えて、ベテランと新人の話にしてみたらどうだろう。
ベテランと新人がペアを組んだプロジェクトがあります。ベテランはリーダー役を新人に任せました。新人は経験が少ないので様々なミスをします。
経験のある女性が、ベテラン、経験が無い男性を新人を見立てて見たらどうだろう。
ここでベテランがやることは新人はミスするものだと腹を決めて徹底的にフォローするか、新人の代わりに自分がリーダ役を引き受けることです。
件の女性はちょっとフォローが弱かったのかも知れないか、男性の代わりにリーダシップを引き受けても良かったのかも知れないですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A5%E5%A9%9A
✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞
習俗としての冥婚(めいこん)は、中国を始めとする東アジアと、東南アジアに古くから見られる、結婚と死生観に関わる習俗の一つ ✞
死者を弔う際、その魂がまだこの世にあるうちに、それと見立てた異性と婚礼を挙げさせ、夫婦としたのち、死の世界(仏教で言うあの世など)に送り出すものである ✞
対象となる死者は基本的に未婚男性であるが、ときに既婚男性や未婚女性の場合もある ✞
(✞中略✞)
その性格上、最も過激な形としては、結婚相手は命を奪われ、夫婦として共に埋葬される ✞
しかし、そのような辛辣なものばかりがこの風習の全てではない ✞
同時期に亡くなった未婚女性と結婚させて共に葬る場合もあれば、人間の女性に見立てた花嫁人形を遺体と共に柩(ひつぎ)に納める場合もある ✞
✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞ ✞
✞ 若くして亡くなれば本人の同意無しでお嫁さんにできるみたいだね ✞
私の見立てでは水素水のおかげで適切に水分を取るようになり、この夏は熱射病で倒れる人間が減る
カシヲミニを賭けてもいい
お、うまい
俺の代わりに誰かスターやっといて
わりぃね
sny22015 秋になる頃にはみんな忘れてそうだが
ブームが自然死するならはてなーももっと生産的なことをした方がいい
uokada おい、お前漆原だろ!
やあやあ我こそは
「ありがとう水~~~~」
feita その頃には叩くのあきてそう
EM菌も死んでないしね
5年くらい前にプチブームになってかったっけ?まあ来年はそれで
death6coin 結果がよければ認めるというものではない
叩くのを秋まで待てばと言っている。それ以外のことは言ってないから勝手にすればいい
QJV97FCr 仮に熱中症が減ったとしてもそれを水素水のおかげと考えるのは水素水をありがたがるのと同じメンタリティではないかな
それは嘘の上の幸福より真実の上の不幸が良いっていう左翼メンタリティではないか
ublftbo 熱中症にならない程度の「適切」な水分を賄うには水素水は高すぎるんでは。/ 後まあ、水素水が批判されるのは、未検証の効果を謳うかどうかという所だから、「水と同じ効果」が確認されても変わらない、てことで。
しかも「高い方が効く」みたいに思ってるところがあるよな
冷やすと分子の振動が小さくなって水素が抜けにくいらしいぞ(適当)
低体温症にも気を付けないとね
俺が言っているのはお前らにであって水業者にではない
chirasinouramemo 次は「二酸化炭素水」で
(お、知ってた)
上で「やあやあ我こそは」っつってるだろ・・・飛び降りシーンのパロだよ
分かってないのは自分の方じゃねーーーーーか
このはてなーどもの自分の方がバカなのに「対するものは知的に自分より下のはず」って態度思い込みはなんなんだろうね
ああ、「本当は『やあやあ遠からん者は音にも聞け近くばよって目にも見よわれこそは』だよ」なんてクソみたいなツッコミは要らんぞ
マジでお前らバカだ他人はお前らが思っているより物を知ってるし、自分は物を知らないからな
謙虚になった方がいい
好きって言いなよ
(ジル)
意味:
ジルと遊んでいたの?と言われると、オナニーしていたの?と言う意味である。
例文:
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1444173718/49
アドバイスありがとう。医師は「はっきり発達障害とは言えないのだけれども、ADHDとアスペルガーの合併症の恐れがある。スペクトラムと呼ばれるところに位置するけれど、きっぱりと断言はできないはっきりしない状況」とは言われた。その一方で、キャリアカウンセラーは「大変申し上げにくい事だけれども、症状を聞く限り「発達障害じゃないか」と思う節は多々思いましたし、やはり正常では無いと思います。」と言われてしまった事があります。ご意見を聞いて、「クラスターB」「パーソナリティ障害」と言うのをちょっとググってみようかな、と思います。あと、白黒両極端(0か100かみたいな状況に陥ってしまう)なのも、こういったスペクトラムや発達障害の節がある人達の特徴だと医師から聞きました。私自身、なんで他人の事は色々言うのに自分の事は分析できないんだろう(客観視)と思って。自分の事を振り返ったりするのですが自虐で終わって、建設的な解決に至らず、結局グチの様になってしまったり、或は見当違いな見立てになってしまったり。他人の事を言うよりも的中率が急激に下がると言うか…。キャリアカウンセラーの方は、「ご自身の事をこれほど深く鋭く分析出来ているのも珍しい」と言う一方で「どうしてもご自身の症状を認めたくないのか、ちょっと違うんじゃないか、と思う所もある」と言われた事がありました。色々と自分自身の目指す方向性が解らず、こちらで書き込みをした次第です。取り敢えずクラスターBとパーソナリティ障害について、調べて見ます。どうもありがとう!
※読みにくい、長い(そのため最後が切れてる)という指摘もいただいたので手直しします。
※長いのは元のnobiのが冗長なんですが、いらんところをバッサリきると、意図的とかも言われかねず。
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長く書けるとこもないし、パブリックは増田にするということで、
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引用三行略
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平日業務日の大事な時間、つつもいつも記者会見に遅刻してやってくるジャーナリストに奪われる、
他の報道関係者やアテンドする人の貴重な時間を連日削り取ってるのが貴方です。そんなあなたの大事な土曜日の時間を凌駕するほど、
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お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。※個人名落としました
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
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彼の見立てですから何も言うことはありません。このリストは、今の事件で彼が味方に付けたい、付けようとしているだけのリストです。自己顕示欲ねぇ、何かにつけて審査員とかやってる貴方は、いつもスペシャルアドバイザーとか、特別審査員とか、一般ではなく何か特別な枠におさまり(言い換えれば、その内容の責任を一切とらない安全なポジションを確保しながら、自己顕示欲をだしてますね。
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同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
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かれにとっての、アニメや漫画へのスタンスが垣間見れる記述です。ただ、こういう人に限って、何も知らない、何もできないくせに、Cool Japanとか言い出しやすいのが特徴です。
村上隆だいすきですね。個人の意見としては、村上隆はその骨頂で、これまで日本のオタク文化に貢献してきた無名クリエイターをパクリ、商業主義に貶めるというのが私の認識です。
アートとは事腹痛い。そんなこ言うなら、村上隆のアートって、90年代は美少女変形戦闘機の突端に、女性器をリアルに写実的に描写してたのはご存じですよね。
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(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
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矢作は終わったそうです。原稿も書いていません?●矢作の反論。および解説
原稿は2015年も、2014年も2016年も書いてます。あなたが見に来ないだけです。当たり前ですよ、ブロックしてるんですもん。仮に俺が「書きましたー言っても」知らないんですよね。
「そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)」 への証拠と回答です。これだけでも、名誉毀損は成立します。
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s3385.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2964.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2626.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
その後のフォロー記事とかは抜いて、リンク集を5年ほど。リンク集なので、他の筆者さんの記事もはいっていますけど。
これでも、記事書いてないと思いましたか? 中身がポエムじゃないから、見る気も起きないとか行っわず、逃げずにご回答ください。
http://anond.hatelabo.jp/20160514155637
この件についてはもうひとつ。
林信行はWWDCにおいてもオレの記事をほとんど読んだことがないというか、存在さら知らないくせにdisってるんだよね。オレの記事リンクは掲載済み。
オレは例えポエムだと思っても、同業者の書いたITMediaなりASCIなりも読んでます。だから、Attitudeとか咄嗟にTwitterギャグで使えるんです。
書いてないと言われた記事、2015年WWDCのオーバービューもここにあるし、
http://pc.watch.impress.co.jp/…/…/event/20150609_705991.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/feature/20150613_706743.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/kaimono/20150613_706753.html
7月になってからは、WWDCで発表されたEl Capitanにフォーカスして、El Capitanカウントダウンとして、15週間ぐらい毎月記事を書いてきた。
http://pc.watch.impress.co.jp/…/elcapi…/20150821_717281.html
わずかばかりですがWWDCを切り口に、2015年にわずかばかりばかり書いてるのに、ここ1,2年全く書いてないとか、どの口に言われたんだろう。
ここまで事実を曲げて書いた中傷文の責任、またいつものへらへらニヤニヤ笑いでごまかすとはさせません。
個人名を出すのは酷いですね。望月さんには大変にお世話になりました(なってます)。でも、記事書いてますよ。Parrotのドローン、Netatom Weather Station。あと、自分で書けないとき、ロボット要素が強いときは、媒体の人に案内を振ってますし、メールにも返信をしています。あと、営業部門が広告企画を提案したいと言うことで、あなたみたいに恩義を着せる「お膳立て」は、しませんが、各種情報や日本での立ち位置なんかも説明してます。足りませんか? イヤ全然足らない、だとしたらそれは望月さんが私に直接不満を述べることでしょう。そのそも俺の記事見てないってあなたが、なんで、書いてないって決めつけるの? ぱぱ、もうリンクも貼り飽きたよ……。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/20140107_629705.html
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20120522_534410.html
スフィロは残念ながら最初はPC Watch向きではないと提案がボツになり、その後石井さんのロボット枠でフォローされてます。
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彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
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そんな若い芽がいらっしゃるとは知りませんでした●矢作の反論、そして解説
多の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。この部分があれば、
インプレス社内でシェアしていただき結果として仕事を奪ってしまった若い方々について、お詫びと倍賞をいたします。具体名をお知らせ下さい。
そこまで知ってんのに担当の名前は覚えてないんですね。さすが、三歩歩けば忘れらる人です。
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しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
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よっぽど私が邪魔なことが、言葉の端はしから●矢作の反論、そして解説
私がベルリンで、某氏をなぐったのは事実ですよ。この件について事実の否定はしません。中傷文のなかで、俺が誰かを殴った(とか書いてますが)事情も知らずに勝手な1事象で書くのはやめてほしい。背景には過去2年近くに及ぶ陰湿な無視行為が存在していたので、我慢の限界を超えただけの話。今回も同じですよ、積年にわたる恩着せがましさと、nobiの影での中傷(非中傷文)。ちなみに警察沙汰と言いますが、殴ったこと自体については警察は一切無関係です。ホテル入り口で、でてきたらもう一発食らわすつもりで待っていたら、ホテルから一歩敷地より出てほしいと言われましたが、敷地ギリギリでとどまり、押し問答になったので、私からドイツ警察を読んでもらい。警察のクルマに載せられる形で排除されました。現地でも調書は一枚。後日、調書を取った旨、敷地内に許可無く立ち入ったが不問、という紙ペラ一枚が国際郵便で届きました。あ、被害を受けたその人に同情してみせても無駄ですよ、その人、nobiが嫌いですwwwww
干されたという件も明確にしておきます。これはPC部門の決定なのでそれに従いました。
しかし、2016にはK-tai Watchで記事を書かせて頂き、まあこのままでは流れるでしょうが、2016のWWDCもPC Watchへと寄稿を打診し、その編集部から了承は得ています
もう一点、「もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。」
このセンテンスは、今、アスキーで原稿を書いている仕事をしている人に対する侮辱です。
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インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
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さっき、ご指定のインプレスの Watch Headlineから、矢作でエゴサーチしたら1570ありました。
くり返し検索してもでてこないのは、貴方の検索能力が低く、あるいは見たくないモノに対して盲目になっているだけです。
前述の通り、2016年、2015年の記事も存在します。WWWDCまでに向けては、これまでもさまざまな仕込みも進行させていました。
自分の目が腐っている。ネットに書いてることも読めないという、根本的な勘違いを枕にしたうえで、お情けで仕事を与えて手間を増やすとか、侮辱も甚だしいです。
見苦しいツイートの部分はそのとおりだと思います。自覚しています。
編集者の手をわずらわすと言いますが、納品後からの作業においては、日本語の起承転結や、そもそも日本語を理解してない貴方の原稿より、
私の記事の方がデプロイされるまでに格段に必要とする時間は短いです。まあ、自覚ないんでしょうけど。
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【3.自己肯定力】
ここがくどくて長いので、もう原典をあたってください。
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鬱とそれにともなう心身の不都合については、心療内科の主治医にかかっており、決められた日時に診察、カウンセリングを行って、日常的な生活が少しでも出来るよう、不眠を減らすよう、ストレスをためないようアドバイスをうけ、ずっと付き合っています。言うまでもなく、時間はかかりますが、長い将来には服薬やカウンセリングの必要のない生活へと戻りたいと思います。
今日1日を素敵な思いで過ごしたい人は、もっと後になってから読んでください。
お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。
この投稿は、(余計なお世話かもしれませんが)特に 石野 純也 さんと 星川 哲視 さん、あたりに読んで欲しくて書いています。
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
【3.自己肯定力】
私は、何気に彼との付き合いが古いです。
私がアメリカの学生で、彼がバイトで編集の仕事を始めたあたりから知っています。
その後は、海外の取材先で同じ部屋に泊まることもありました。部屋に戻ると、彼が半裸で鼻をほじりながらずっと2ちゃんねるを見ているおぞましい光景を何度か見てきました。消し去りたい私の心の傷の1つです。
そんな私が見るに彼の最大の特徴は:
異常なくらいまでに「自己肯定力が強い」ことです。
彼は、まるで「ポジティブ」であることが悪いことであるかのように、人のことを「ポジティブ野郎」などと呼んでいるようです。
ただ、自分のことをポジティブに分析する能力では、私は彼の足下にも及びません(いつも、自分がダメだと思って苦しんでいる側なので)。
彼のツイートを昔から見ていると、彼の周りではやたらと物が壊れるんです。
しょっちゅう再フォーマットや再インストールをしている印象です。
あきらかに異常な頻度で物が壊れます。
(彼にとっては)もちろん、壊れるものが悪いわけです。
自分の記事が読まれないのは読者が悪いし、
他の人の記事が読まれるのも読者が悪い、そんな記事を読む読者は地獄におちろ、みたいなノリで罵ります。
自分の媒体力とか自分の記事がどれだけ求められているか、といった部分に関係なく、イベントに呼ばれないと招待しない人を罵ります
昔からやっているから俺を呼べ、みたいな考え方です
自分以外の考え方は一切、認めません。
私が何を取材するか、どう書くか、どう考えるかまでいちいち批判してきます。
ITジャーナリストたるもの、スペックシートを接続詞でつなげたような、無味無臭な記事でないと客観性が足りなくてダメみたいな古い自分だけの考えを振りかざして、それに従わない人間を批判します。
ちょっとだけ自分の考えを言うと「私は客観的な記事は存在しない」、実は存在していると思っている人ほど実は危ないという考えの持ち主です。
実はどのニュースをピックアップするかでも主観は入ってくるし、
「褒め 大さじ 3杯/悪いところを見つけ出して批判/スペック 小さじ2杯/個人的感想 一振り」みたいなレシピを客観性と考えるのも間違いだと思っているし、長年、レビュー記事にはシリアスだったMACPOWERで「そのレビューは本当に正しいのか」という自己批判企画をずっとやろうとしていた私的に言うと
作る側は世の中にどんなベンチマークテストがあるかを知っているから、そこに向けて性能などをoptimizeしているのは、日本語入力プログラムだけでないことはみなさんもご存知でしょう
でも、日本では「報道は客観的でないと」という考えがあまりにも広く根付いている。
だから、「あえて最初から主観」を強く出すのが私のスタイルです。
この話をすると長くなるので(すでに長いですが)、私は文字によるコミュニケーションを信じていません。
そういう人もいれば、無味無臭な書き方をする人もいる、そういうバランスがあり、どの記事からどの記事へも1クリックでいけるのが現代人のバランス感覚だと思います。
それをITジャーナリズムかくあるべきの同じレシピでJIS規格された矢作色の世の中になったら、記事は1本読んだら他は読む必要がなくなってしまいます。
ここでちょっと脱線。
みなさんの中で言葉の仕事をしている人は、自分がこう書けば相手に伝わる、と思っている人もまだいるかもしれませんが、25年、執筆の仕事をしていて強く思うのは、読者は自分の知識の範囲やその時の感情のフィルターで、自分で読みものを想像し創造しています。
いいことを書いたつもりの記事でも、それを批判と捉える人もいるし、私の記事とか感想の振れ幅がめちゃくちゃ大きくてすごく面白いです(ただポエムとか言ってる中身も読んでいない、バカの壁[養老孟司読んでください]の人は別としてちゃんと読んでいる人の感想です)
脱線しちゃいましたが、彼は自己固定が強いあまり
業界で起きている時流の変化にも順応しようとしなければ(変わる時流が間違っている)
自分の記事がどんなに読まれなくても、それは読まない読者が悪いので書き方に工夫をする必要もないのです
ある意味、脳内では幸せな人ではあるけれど、脳の中と外とのギャップが、いよいよ、大きくなりすぎて破綻し始めたのが今起きていることです
ここで、誰も見ていないツイッターとはいえ、2ちゃんねらーがRTし始めて、私とかに絡む人も出てきて、
それでも相手にしちゃうと、調子にのるから、表では静観を続けている私ですが、あまりにもな言われ放題みたいなので、いくつか自己肯定をさせてください。
というか、神尾さんも被害にあっているので、彼のことから擁護すると
私は神尾さんのこともよく知っているので、ここで断言しますが、
彼は神尾さんがSさんと交際があるような書き方をしていますが、
よく知っている人間として断言しますが、神尾さんが好きな人やら何やらについて深いコメントは避けますが(いや、いいお父さんです wink絵文字 )
Sさんとの交際だけはないことはよく知っています。
証拠を示せと言われると難しいのですが、
1つは神尾さんは交際相手に関して、好みのタイプがかなりしっかりしていて(というか狭い!)、Sさんは良くも悪くもそこから外れるからです。
2つめは、証拠というよりは、矢作のデタラメな主張を崩す内容ですが、彼はジャーナリストを唱いながらもろくな事実確認も無しに神尾さんがアップルスペシャルイベントに愛人(Sさんのことらしい)を連れてきたと書いていますが、実はこれ、神尾さんにとっても私にとってもとSさんは初対面でした。
音楽の男女デュオが実は別々に結婚相手がいても「実はつきあっているんじゃないか」と噂が立つのと同じで、交際とかの経験が少ない人ってやたらとそういうの勘ぐって噂たてたがりますよね。
まさにソレです。
神尾さんがSさんが近しいのは、今、神尾さんがやっている未発表の?プロジェクトに関係あります。
彼は、いつも「IT業界の中にいる人」や「ガジェットが好きな人」からは真実は見えてこない、とスマートフォンやサービスがもっと一般の人目線で評価させることの重要性を主張していました。
で、若い女の子とつきあわないまでも、おしゃべりするのは好きなので、よく女子高生や女子大生のヒアリングをして探るのが神尾さんのスタイルです(もともと、ドコモの時からそういう仕事をしていましたみたいで、奥様との出会いも...)
実は幅広い年齢層の女性にヒアリングをしていますが、Sさんもそうしたサンプルの中だったのが、色々、話をするうちに本気でライターになりたいという思いを知ったみたく、面倒見よく、いろいろな人に紹介しては、「あの人からは〜〜を学べ」と教育しているようです。私もSさんにデザインについての講義を請われました。
ウェアラブルを筆頭に、今やデジタル製品はどんどん生活領域に入ってきているのに、ファッション誌ではデジタルに詳しい人がまだ少ない。
そんな中、生活者目線で記事がかけるライターを増やす必要がある、というのは神尾さんの強い信念で、近々、発表あると思いますが(って書いちゃっていいのかな?)実は神尾さんは最近、そっち方面での活動に本腰を入れています。
一緒に仕事しているし、(うらやましいことに仕事を振っているので)一緒にいる時間も長いかもしれないけれど、彼とSさんの噂がたつのをみていると
「ん〜、(彼のツボは)そこじゃない」(笑)と心の中でツッコミを入れたくなってしまいます。
まあ、仮に神尾さんは打たれ強いし、いいとしたとしましょう。
それにしても本当に根も葉も無いのに、変な噂を立てられて、好奇の目でみられているSさんの立場はどうなるのでしょう?
彼は精神を病んでいるから、ここは狂犬に噛まれたと思って我慢しろ、というのでしょうか?
九州にいて、なんとかライター業でやっていきたいと思っていた彼女のやる気を見て、神尾さんがライターの顔ぶれの若返り(平均年齢下げることも考えて)東京で仕事できる環境作って、呼び寄せたところで、わめけばいいと思っている見苦しい老害(病害)のために若い才能の1人を犠牲にするのは本当に正しいことでしょうか?
神尾さんが元ドコモでコンサルの仕事をして、という批判もしているようですが、だからこそ、矢作なんかには書けない、会社の裏事情などの視点が書けるのだと思うし、それを是とするか非とするかは読者次第だと思います。
もしかしたら、NDAなどがないものは、disclosureとして記事で関係性を明らかにしたら良いかもしれません。
私もコンサルをしている、ということで彼の批判を受けていますが、一時期、そうでないことがあったのは私の失敗でした(1年半くらい)。でも、そこでも自分なりに中で線引きはしてきたつもりです。
また、それ以後は、実はコンサルティング契約を結ぶときに、コンサルティングをすることになったからには、ソーシャルメディアでは応援するけれど、マスメディアなどでの記事ではとりあげない、ということを約束していますし、そもそも自分が記事を頼まれる業界とは別の業界のコンサルティングが多いです。
どうしても、コンサルティング先のことを記事で書く必要が生じたときは、去年のfashionsnapの記事や毎日新聞か日経産業がそうでしたがdisclosureとして、株を持っているかいないかに関係なく、関係性に関する注意文を示してきました。ここら辺はもしかしたらメディア側でガイドラインを作ってくれた方が良いかもしれませんね。別に神尾さんもそこは否定しないと思います。
ちなみに書いている記事が製品のレビューなどが中心だと、少ないかもしれませんが、トレンドの分析などを記事にする人は、その洞察に価値を感じた相手から講演などの依頼を受けるのは、かなり自然で海外でもよくあることだと思います。私自身は書きたいが、心底のモチベーションではなく「世の中を変えたい」がモチベーションなので、企業の中に入って現状をよくするために手を動かす機会の方が圧倒的に増えています。全部明かせないのが残念ですが、一部は今月26日に発表になります。
【5.私の自己肯定】
つづいて私の方の自己肯定。
彼は自分が正しいと信じていないとやっていけない人間です。
なので、ツイッターの喧嘩でも、やたらと関係のない人にいきなりメンションを送って巻き込んで、その人たちが自分の味方であるかのように見せる演出をします。
私は彼にとっての仮想敵なので、批判される側だけれど、彼がそうやって私の周囲の人間にメンションし始めるのは正直迷惑でした。
ある日、携帯おサイフ系の発表会の実況をしていた時に、たまたま彼の病気が強めに出ていた(私がソフトバンクワールドで講演したことへのジェラシーかもしれません)のだと思いますが、こちらはツイッター実況で言葉もらさないように忙しいのに、彼がやたらとつっかかってきて「お財布いらない?レシートはどうする?」とか言ってきたので、そこで喧嘩になりました。
(ちなみにレシートは、皆さんがアップルストアで日々そうしているようにメールで送ってもらえばいい話ですよね?そういうところ、相手を批判するためなら事実を都合よく忘れるところが多いのも彼の特徴です)
今と同じようにツイッターで暴れ出して、そこを周りの人がなだめて、ほめて、彼が「やった見てくれている人がいる、これは甘えなきゃ」と「自殺してやる」と叫びだして(本当に絶望した人は、言わずにひっそりやっていると思います。彼は構って欲しいだけなんです。かまう方法によってプラスなこともあるけれど、同じ壺の中でいくら上に持ち上げても落ちる距離が長くなるだけ、別の壺に移し替えて気分転換されることが大事)、警察に保護されて、その後は親が迎えに来ておさまったようです。
そこで、私も「もう付き合ってられないや」と思い。
でも、彼のフォローをやめて、そのことに彼が気がついたら大騒ぎするだろうと、わざわざ彼の行動をツイッターでチェックして、彼が海外に行っていてメールとかも増えて気がつかないだろうというタイミングを見計らって(嫌いな奴のために、俺、なんでこんなに気を使ってやっているんだろう。と自分を責めながら)Twitter、Facebook、Instagramなどすべてのソーシャルネットワークで彼をブロックしました。
自分を不快にするものが視界に入らない方が、彼も健全に生きられるだろうという配慮だったのですが、私も誰かをブロックするのは初めての経験でわからなかったのですが、私が彼をブロックしていても、彼がフォローしている誰かが私のツイートをRTすると彼に見えてしまうようです。
もちろん、自己肯定感が強い彼は、私のツイートがRTされてくると、その人をアンフォローして自分の方から改善の道を選ぶのではなく、RTする人たちを「そんなのRTするな」と批判し始めます。
私がティム・クックに遭遇したのが、やらせとか言っているようですが、実はそうではないと証明できるつづきの写真がいくつかあります(あれは実はWWDCの一般開発者のランチ場所で撮影しました。私が話していたら、すぐに開発者たちがよってきて、大騒ぎになったのでその写真があります)。
彼が書いている批判の多くは、彼が勝手に思い込みで書いているだけの事実無根が多く、証拠がそろっているものもいくつかありますが、相手にするのもバカバカしいので、無視しているだけ。
良識のあるみなさんの中にもつきあい長い人多いので、真に受けていない人多いだろうけれど、つきあい新しい方は要注意です。
そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)今年、地上波テレビでも取れない取材枠を得られなかったことで、「世界一詳しい俺が呼ばれない」と大騒ぎしたようですが、実際のところは既に終わっていた自分の仕事の失敗をアップルになすりつけるためだけの見苦しい行為。
まあ、それも病気ゆえ(実際に通院して薬で治療しているようです)なのでしょうが、病気だからといって周りがどこまで好き勝手に批判されるのを耐えなければならないのか、非常に強く疑問に思ったのが今回の事件であり、無責任な同情コメントが彼を増長させているという事実を知ってもらい、そういうことを同意していただけるならやめて欲しいと思って、この長い記事を書きました。
私は、最近はかなりちゃんとした方々とのお付き合いが多いので、
IT/モバイル業界のあまりにも見苦しい醜態話、およそFacebookでパブリックには投稿できませんでしたが、隠す内容ではないのでコピペしてアングラ掲示板で広めてもらったりする分には構いません(というか私は読まないので、感知しようがない)。
また、彼に親しいインプレスの編集の方や、あまり存じ上げないのですが、 山口 健太さん 中山 智さん といった彼と親しい面々は私自身があまりお付き合いがないので、タグ付けしてみたけれど、この投稿がシェアできていない可能性があるので、どなたかが回してもらえればと思います(もっとも近しい方なら、彼がどういう精神状態で、どう対処したら良いかもよくご存知かもしれませんね)。
近しい方々は、どこかでは彼の問題や、接し方も詳しいと思うので、その辺りの情報共有やアソバイスもいただければ嬉しいです。
また、 narumiさんは、週刊誌的なノリでこの話題をとりあげないか心配で、あえてシェア対象から外しています。
正直、時期がきたら本人にも読んでもらいたいですが、今はまだ暴れだしたら困るのでやめておきましょう。
なお、矢作さんと、それでもお付き合いを続ける方のために、いくつかどう接したらいいかの参考になりそうなサイトを見つけてきたので、以下にまとめておきます(自己肯定力のネガティブな影響については一番最初の記事が詳しいです):
http://www.utsubyou.co/entry/2015/10/20/#more3
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2130663.html
http://mojostyle.net/sigoto-16/
tag: 海老原 昭、 法林 岳之
この記事は、私がつくった「IT系」(何人追加したのかの確認する方法がわかりません)というリストの人にシェアしています。Facebookでつながっていないのでリストに入れられなかった人は、タグ付けしてみました。ウォールに表示されてしまった人は、投稿右上のメニューから「タイムラインに表示しない」を選べばタイムラインへの表示を消せます。もし、タグ付けされている人も読めるようならシェアされていない人は、あとでタグ付けします。
自分は普段、こういう押し付けはしないほうだと思いますが、この投稿が見れている人たちにとって「矢作問題」はそろそろ一段落をつける頃だろうと思い、あえて押し付けてしましました。
86っていうのはちょっと昔過ぎて、1990年ジャストくらいの若者の給料絶頂だったときのクルマって、FFのレビン(クーペのスポーツカー)だなあと思う。
1990年のカローラ・レビンを見てみたら、1987年型で1989年マイナーチャンジのモデルで、価格は、111.3万〜168.7万円になっていた。1500ccが基本グレードで上級グレードが1600cc。
http://carview.yahoo.co.jp/ncar/catalog/toyota/corolla-levin/F002-M003/
中間グレードを買ったとして130~140万円。この価格だったら、実家に住んでいる非正規社員の若者ならなんとかなる価格なのではないかと思った。家賃を払っていればムリだろうけど。
地方の若者が乗っている、例えばホンダの『N-WGNカスタム』とか見ると、140万くらいなんだよね。
http://www.honda.co.jp/N-WGN/webcatalog/type/custom/
『池田直渡「週刊モータージャーナル」:クルマは本当に高くなったのか?』という記事を見て気になったんだよね。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1604/25/news055_3.html
当時のホンダ。プレリュード(クーペ)を当時の価格で170万円で見立てて、現在のデフレに置き換えると148万円相当であるという計算を弾き出していた。
1987年のプレリュードを見てみたら、2000ccのクルマなので価格が高いし、当時でもおっさん向けだろうなと感覚はある。ホンダにはその下にCR-Zとかがあるし。
http://carview.yahoo.co.jp/ncar/catalog/honda/prelude/F001-M003/
いまのクルマの価格では若者はクルマには手が出ないというモータージャーナルの主張に反抗するわけではなくて、
日本の若者がクルマを買う状況を産みたければシンプルに、当時のように中間グレードで140万円くらいの価格でカッコいいスポーツカーを出さなければならないのだろうなと思った。
お金がなければ最低グレードの111.3円のグレードを買う。それでもカッコいいボディ。
さいきんトヨタが出した『パッソ』は、中間グレードが130万円で、CMにマツコが出来てきたり若者に運転させている場面が出たりで、若者を意識しているみたいけど、いかんせんあのデザインで若者が買うわけないなと思ってしまう。1990年のようにクーペという感じでないにしても、外観デザインだけで世界をひっくり返すようなモノでないと来てくれないだろうと思った。マーケティング的には130万では少しキツくて、100万円なのかなと思った。
86はサイズを見ると車幅が1800mmあるし、エンジンを3Lにすれば昔のフェアレディZだもんね。86は86じゃない。スープラとかの車格になってしまう。
次期ヴィッツに期待します。初代ヴィッツは、82.0万〜159.5万円になってた。
http://carview.yahoo.co.jp/ncar/catalog/toyota/vitz/F001-M006/
次期ヴィッツインパネ予想 http://www.carsensor.net/contents/editor/category_849/_30580.html
次期ヴィッツが現行シエンタみたいなデザイン刷新をしてくれて(http://toyota.jp/sienta/)、なおかつ110万円~くらいだったらどうかと思う。
でも、いまの若者でもコンパクトカーではなく、スポーツカーのちゃんとしたカッコいいのを130万円で出せば、ちゃんとなびいてくれると思うけど。
Amazonさんで、メーデーって航空機事故を主題に扱ったドキュメンタリーを片端から見てるのだけど、
事故調査の過程が、アプリ開発者として運用チームから報告が上がってきた障害表とバグ取りの関係に似ていて妙なところで共感。
番組冒頭の事故が起きるまでの小ドラマによる前振りやインシデント報告が上がってからの切り分け処理。
自分は運送会社で使われているポータブルデバイス( 玄関先で荷物を見ながら入力しているちょっと大きめのごついアレ)の
保守運用をしているのだけど、アプリ開発者として宅配するお兄さんがどんな操作をしたのか
同僚をお客さんに見立ててちょっとした演技をしながら問題が再現しないか確認することが多い。
汎用的なアプリやゲームなどでも、上がってきたログやエラーレポートで
そこに明確なシナリオを描く必要があるのは用途が固定された業務用ゆえだろう。
この段階だと、工場出荷時の単純ミスから1000台に1台のレアケースまで
ちょっと罪悪感を感じつつも推理番組のようで楽しくリラックスする。
さすがに、アプリが原因で人が怪我したことはないことも理由の一つだが。
しかし、番組後半からの原因究明真相パートでは結構辛いのは業務も同じ。
番組は、整備不良、しかも手順にルーズな社内風土や慢性的な人員不足による忙しさによるテスト漏れなど身に覚えがあることだらけで胃が痛い。
現実は、障害レポートの提出でごめんなさいと過失の割合をいつも考えて、次のシーズンで協力会社の席があるのか考えている。
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1年の間、プログラマとして働いていたが、続けていくことが無理だと思い、さようならする話。
プログラマになる前は、コーヒー屋で働いていた。しかし、色々とあり辞め、職業訓練校に通ってプログラミング(php)を学び、60人ほどのソフトウェア開発会社に就職した。
会社に入ると、まずC#の研修があった。研修と言っても、C#で内製ツールを独りで作るという研修だった。この研修中に「あれ、オレ、プログラム書けねー」と思ったりしたが、研修は終えることができたし、社内の人にも「なかなか良く出来ている」と言ってもらえ、大丈夫だろうと思っていた。
研修が終わり、C#の社内で実際に使われているツールに、機能をいくつか追加する仕事を振られた。前任者にどんな設計になっているのか大雑把に聞き、なんとなくイメージができ、コードを読み始めたのだが、これが全く意味不明で、何のために有るかがわからないクラスが大量にあった。名詞の王国だと思った。前任者に、何故このクラスは、この単位で分割されているのか聞くと、「単一責任の原則だよ」とか「hogeパターン使うと、後から機能追加しやすいじゃん」というような回答をもらった。納得は出来なかったが、プルリクも承認されて、このツールがデプロイされていたので、社内的にも、このコードは、クソコードと言われる物では無いはずだと思ったので、自分もプログラムを書き続けていれば、こんな感じの設計に慣れてくるんだろうと思った。モヤモヤは残っていたものの、仕事はしなければいけないので、前任者のコードに習うように、クラスを追加したりして、機能を追加した。プルリクを出すと、設計には何も言われずに、タイポや、テストコードを注意されただけだった。指摘された点を修正すると承認された。振られた仕事は完遂した。が、結局最後まで、モヤモヤは消えなかった。むしろ、モヤモヤモヤモヤになった。
次に振られた仕事は、内製ツールを設計から自分で行い作成する仕事だった。言語はGoだった。Goで書いてと言われた時は、以前からの自分のモヤモヤはオブジェクト指向のせいで、モヤモヤしているんじゃないかとも思っていたので、喜んで!という感じであった。が、Goを触ってみると、結局、Goも継承の無いオブジェクト指向言語やないかと思った。Goの標準ライブラリのinterface名もHogerみたいな感じに接尾辞に-erを持ってくることが慣習らしく、この命名だと、interfaceを満たす構造体自身が-erになるので、正にオブジェクトだなぁと思った。巷での「Goはオブジェクト指向ではない」というのに期待していたのだが、自分にとっては、とてもオブジェクトしていました。
Goに対する印象は良くなくなったが、ツールの設計をしないといけなかったので、Goの構造体をC#のクラスに見立て、前回の前任者のコードのように、単一責任も持つ構造体に(無駄に)分けて、プログラムを書いて、プルリクを出した。自分でクソなコードだと思いながら。だけれどもレビューでは、「errorのチェック忘れ」「標準ライブラリにこの機能ある」「こんな風に書ける」といった感じだった。こんなコードで良いんかよと思ったが、良いらしい。ワケワカメだった。
ここらで、プログラムを書く仕事は、無理だと悟った。現実世界は、自分が自然だと思う方法と違う方法で、プログラミングをすることを強要してくる。
ちなみに、仕事ではC#とGoを書いていましたが、オブジェクト指向と仲良くなるためにSqueak(Smalltalk)で、オレオレ言語を作ってみたりもしましたが、何が嬉しくて、オブジェクト同士のメッセージパッシングでプログラムを作るのかわかりませんでした。
Clojureは、気持ち良くプログラムを書いていても、Javaが顔を出すところでフラストレーションが溜まってしまって、つらくなりました。
Common Lispは、自分が触った言語の中でも、秀でて良いと思いました。プログラマを辞めても、プログラム書く必要に迫られたらCommon Lispで書こうと思うくらいにです。Land of Lispが楽しいです。あと、CLOSの総称関数の考え方が大好きです。
最後に、この投稿は、一種の決別の表明です。いつまでも、自分に向いていなかったことに、時間を掛けてしまっている自分との決別です。
増田です。レスが遅くなってごめんなさい。落ちぶれてしまう事は多々ありますし、そういう経験は多々ありました。けれど、子どもの頃や学生の頃だったので、挽回が効くと言うか、将来の為に頑張ろうという気持ちでいつも巻き返しを図ってきました。ただ、今回はどうしても、その当時の様なモチベーションだとか気力、何よりも見立てが立ちません。「だったら今から何とかしよう」と思っても、上手い言い回しが出来ず、自虐や自信の無い言葉ばかり並びます。こんな状態で友達に素直に話せない…それで虚勢を張って嘘をついてしまってました。今までの友人はさておき、これから自分と向き合って、これからの本当の自分で作る友達と、仲良く出来る様に、今度こそ嘘偽りの無い自分を提供出来たら良いな、と思う様に今を何とか生きてます。悲しいけれど、今までの友人(私の事情を知らない人達)とは一旦距離を置いて、暫くまた人生をやり直せる所まで再建できたら、ハイスペックの友人(事情を知らない)と再会できるのかな、と思ってます。
よく誤解をされていますが、オスを示す記号である「♂」は勃起したペニスを模したものではありません。
元々「♂」は矛と盾を組み合わせた記号であり、軍神マルスを表すシンボル、雄々しさの象徴でした。また、占星学で火星を表す記号でもあります。
そもそもが隆々と起立した男根を表現したものではなかったのです。
逆に「♀」は手鏡を模した記号であり、美の女神ビーナスを表すシンボルで、美しさの象徴でした。占星学では金星の記号です。
マンガなどの表現で、♂の矢印部分を直立した陰茎、♀の丸部分を潤った女性器に見立て、交差させることで性交を表現していることがありますが、あれは本来の意味を考えると鏡割りみたいな意味になってしまうのです。
と、いろいろ書いてみましたが、「雄々しい矛槍のシンボル」っていう言い回しにすると普通に男性の怒ったイチモツを意味しているようにも聞こえるので、一周回って「♂」はハイパーメディアクリエイターを表現しているようにも見えます。
こちらからは以上です。
江戸時代に風紀を乱す本や絵の出版が禁じられたときに、情事に見立てた詰め将棋を集めたエロいタイトルの本が出版されてたことがある。
タイトルはエロいが、中身はただの詰め将棋で、なぞの挿絵(絵そのものはエロくないが、エロ駄洒落らしい。俺にはさっぱりだった)
今みたいに印刷が簡単な時代ではなくて、下絵を彫師が線の一本一本を彫って、摺り師が一枚一枚丁寧に摺って作ってたわけで、本というものが高価だった。
俺が客だったら、大金叩いて買ったエロ本が詰め将棋集だったら「金返せ」レベルだけど、幕府も怒って(偉い人もエロタイトルに騙されたのだろうか)、風紀を乱したことはけしからんと激おこ。
さて、話を戻しまして、将棋ファンというのは詰め将棋でオナニーできるの?
追記
各ページタイトルはこんな感じ
バスの事故の原因がギアがニュートラルになっていたのが大きな理由らしい。
なんでもそこには最近のギアレバーの技術的な問題もあるそうだ。
それで自分のことについて思ったことがある。
もちろん大型車ではなく、普通のトヨタのみなさんが普段よく目にする
ハイブリッドカーに乗っている。
そこでハイブリッドカーでは少し物足りなさを感じている。
減速する時は、ブレーキをふみながら、うぉんうぉんといいながら、
加速するときは、ぶろおおおおおおおといいながら、
ある日、車庫にいれようとして、バックにいれようとしたら、
少しがんばってみたが、その日は寒く、シフトチェンジできなさそうだった。
仕方なく、前から突っ込んで駐車をしたが、
その為、フロントバンパーが車止めでこすって「がりがり」という異音がした。
あっと、おもってバックしたらまた「がりがり」という。
もう、だめだとおもって、また前にすすめると「がりがり」という。
本棚を圧迫するからという理由で今まで漫画の購入を控えていたが、
・去年からiPadを購入して電子書籍を楽しめるようになったこと
・コミックレンタルを扱っている店が近所にできたこと
(電子書籍の本棚見たら無料含め450冊超えてたから多分それ以上読んだと思う。)
面白い漫画にたくさん出会ったが、印象に残っていて、今もよく思い出せる漫画は意外と少ないことに気づいた。
忘れない内にメモしておこうと思う。
家事代行業の雇用主-従業員の間柄だった二人が、諸々の利害の一致により、偽装結婚を行う話。世相を反映している作品だと思う。
恋愛漫画では割と最終的には感情(衝動?)に走ってハッピーエンドの展開が多い気がするが、この漫画の場合、幸せそうな状況でも、相手の一言で主人公が突然冷静になって理性的な話(お金とか生活とか体面とか)をパロディ調に語り始めるから、その落差に妙なリアリティを感じて面白い。
各キャラクターによる結婚及び主婦業に関するとらえ方も面白いと思った。特に印象に残っているのは、主人公が、結婚をしたら家事代行の賃金が時間給ではなく定額制になり、残りは将来のことを考え貯蓄にまわされる(=通常の家事代行以外の業務は賃金が発生しなくなる)と雇用待遇が変化することを「サービス残業」というとらえ方をしていたところだ。是非はどうであれ、しっくりくるとらえ方だと思う。
よく電子書籍版で1巻無料になっていることがあるので興味があったら試し読みしてみると良いかもしれない。
体の免疫反応について理解しやすい。自分の高校時代にこんな漫画があったら良かったのにと思わせるレベルで分かりやすい。
各キャラクターが立っていて、自然なかわいさを持っている。個人的には赤血球の赤芽球時代の話がかわいくて好き。
今のところ一番アニメ化して欲しい作品でもある。「もやしもん」の菌劇場みたいな形で、子どもへの教材用に使えそうだ。
タイトルから昨今よくあるマネーゲーム系の話かと連想していたら、ちょっと方向性が(良い意味で)違っていた作品。
多く稼いだ者こそが報われる学円園学園という学校(島)で、一目見たらその人の適職を判断できるという神の左目を持つ主人公が奮闘する話である。
主人公が、短期的に莫大な金を稼ぐというよりも、誠意を持って働き信用を得ることで、いかに継続的に会社を運営させていくかということに軸を置いているところに好感が持てる。
資本主義と共産主義の是非について触れられている等、政治的な面も描いているにも関わらず、読後感がサッパリしているのも良い。
現在裏サンデーで連載されており、1話と最新話は無料なので興味があったら試し読みするのも良いかもしれない。
気になりつつも、ずっと読めていなかった作品。
帝国に攻め入られた皇国(日本がモデル?)が、圧倒的な軍事力を前に早々に敗戦する(多分北海道辺り)。
新城直衛(主人公)らは軍を本国まで撤退させるために、敗走する軍の殿を務めることになるという話。
主人公が圧倒的に不利な状況を策略で切り抜けていくところにカタルシスがある。
この漫画がきっかけで一時期戦争系の漫画を読み漁った。(「シュトヘル」「将国のアルタイル」「軍靴のバルツァー」「キングダム」「パンプキン・シザーズ」等々、どれも面白かった)
皇国の守護者 コミック 全5巻 完結セット (ヤングジャンプ・コミックス・ウルトラ) [マーケットプレイス コミックセット] | 佐藤 大輔, 伊藤 悠 | 本 | Amazon.co.jp
見た目はかわいいが中身は男らしい主人公、天野平(通称へー)を中心とした青春漫画。
最初はほのぼの青春学園モノかと思っていたが、巻数を経ることに少年少女を取り巻く社会問題にも触れるようになる。
それぞれのキャラクターの機微が細やかで、たびたび自分の学生時代を思い起こさせる。
最終巻まで読んだが、映画「桐島、部活やめたってよ」を見た後の様な読後感だった。
主人公の「偽善がおまえに何してくれたよ。人が何考えていようが良い事は良い事だ」という台詞が結構好き。
っポイ! (1) | やまざき 貴子 | 本 | Amazon.co.jp
※秘密シリーズは全巻読破していたが、スピンオフシリーズは去年から読み始めたので+αとして追加
脳があれば、死者が過去に見た景色やイメージを映像化することができるようになった近未来の話。
被害者の脳内映像を手がかりに事件解決を目指す警視庁第九に所属する警察官が主人公。道徳と正義感の間で揺れながら事件を解決していくミステリー、SF作品である。
season0の2、3巻を読んだが、相変わらず良質なサスペンス映画を見ている気分にさせられる。
インターネット上などで、アドベントカレンダーに見立てて12月に一人、または複数人で毎日記事を投稿していくという企画がある。 特にプログラミングに関連するアドベントカレンダーの企画が近年多数行われている。
複数人実施の場合は、カレンダーを管理するサイトを軸にある程度の範囲(プログラミング言語や使用する技術など)を決めて参加者を募り、順に投稿を行うというスタイルが多い。 参加者が多い場合、クリスマスを超えて12月の終わりやそれ以上続くこともあり、1年続いた例もある。
ホントにプログラマーってこういう目新しいカタカナ外来語好きだよね
そんで参加するだけでアウトプットしてる気がするんだろうね