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はてなキーワード: 文部省とは

2018-04-26

anond:20180426161830

個人ならいじめにならない?

ならば職場でやってもパワハラにならないとか、親が子にやっても児童虐待にならないって事ですか。

文部科学省サイトを見てきましたが、個人ならいじめにならないとは読み取れませんが。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/shiryo/06120716/005.htm

資料5-7

いじめへの対応のヒント

2003年10月東京学校臨床心理研究会運営委員作成

□「いじめ理解のヒント

いじめ定義

1 (1)自分より弱いものに対して一方的に(2)身体的、心理的攻撃継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所学校の内外を問わないこととする。(文部省1994年

2 集団内で単独または複数の成員が、人間関係の中で弱い立場にたたされた成員に対して身体暴力危害を加えたり、心理的苦痛圧力を感じさせたりすること(都立教育研究所

3 単独、または複数特定人に対し、身体に対する物理攻撃または言動による脅し、嫌がらせ無視等の心理的圧迫を反復継続して加えることにより苦痛を与えること(警視庁安部少年1994年

2018-04-11

[]壊れたレコードになった総理大臣

 国会ウォッチャーです。

 衆参問わず予算委員会に限らず、集中審議は往復方式ですから、答弁時間時計が進みます

そういう視点安倍さんの答弁とみてください。ひどい時間稼ぎを見た。

VS枝野幸男(好きだから本題以外にも触れてしまう)

 決裁文書読んでないけどハンコ押しました宣言した課長が、ガースーに説明に行ったけど、中身読んでないから、昭恵案件であることは知らなかったということを「まぁそういうこともある」というだけでなく、自分も全部読まないままハンコを押すことがあると述べてしま俺たちの麻生。この人ここまでもうろくしてたかし・・・。お前何言ってんのって思ったよ・・・

 東電が他社の原発投資しようとするのを糾弾する枝野さん、

「他の電力会社原発投資する金があるなら、賠償を払え!廃炉に回せ!料金下げろ!」

愛してるぜ。枝野枝野もっと時間を!

枝野

総理秘書官などは、総理相談も報告もなく、総理意向だとか周りにいうような人たちがいるんですか」

安倍

「あのー私の秘書官がですね、勝手総理意向だと、これは総理意向とは何かということでもあります。いわば私が基本方針として示したものについては、例えば議長として基本方針を示したもの、あるいは様々な会議で私が議長として決定したこと、そうしたことについては、これはいわばまさに、私が議長として決定したこととして、そういう意味においてしっかりと進めていく、(そんなの当たり前だろ)、・・・・すいません今ちょっと説明してるので、質問に対して、誠意を持って・・・・(枝野:早く答弁してください)、今ちょっとずっとヤジが・・・枝野自民党もヤジってますよ、たくさん、そっちに言ってください。)・・・・(枝野自民党もヤジってますよ。自分の時だけヤジを責めるのやめてください)・・・野党理事総理に答弁させてください)(河村:ご静粛に、今答弁してますから・・・枝野さんいいですか、はい。あのお答えをいたしますが、つまり基本的方針総理大臣として決定をするわけでございます。そういった会議で決定をした事項に関してはまさに総理判断として、リーダーシップをとって進めていくのは、政府一丸となって進めていくのは当然のことで、あろうと、思います。私が意図していないこと、あるいは私的なことについて総理意向だと、私の秘書官が振り回すというのはありえないとこのように考えております。」

枝野

「前段の8割の話は当たり前の話で、そんなこと聞いてません。最後のところだけ答えてくれればいいんです。総理意向かどうかわからないことを勝手秘書官がいうということはない。それでは、愛媛県、の文書は、どっかの誰かが嘘をついたということですか。」

安倍

「あの、いわば、愛媛県、の文書についてはですね(答弁書を読み始める)私としては、えー県の文書についてコメントする立場にはないわけで、ございますが、(議場:はぁー?)えー(ここからコピペ。)私は部下を信頼して仕事をやっているわけでありまして、えー総理秘書官在任中もそうでありましたが、柳瀬元秘書官発言は、私は元上司として信頼をしております。その上で、愛媛県作成した文書について国としてコメントする立場にはございません。えー昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。」

枝野

「ご自身で言っていただきましたから、昨年は、えー文部科学省文書の中に、官邸の最高レベルが言ってること、と今回も登場する内閣府藤原豊氏の発言がありました。官房長官最初怪文書のようなものと言いましたね。怪文書のようなものだったんですか」

「当初、私最初に見たときには手元も何もなかったものですから。そのように私は発言しました」(答えてないねー)

枝野

「だから結論怪文書のようなものだったんですか。文部科学省ちゃんとして文書だったんじゃないですか」

「いや、だって、示されたものについて出所を書いてないんですよ?どこが書いたか、書いてない文書でありましたから、私はそのように申し上げたんです。で、結果として、文科省の中にあったということです。」

枝野

文部省おっさんだね、愛しい)の中に、官邸の最高レベルが言っていること、という発言が記録されていたんですよ。それだけでも、藤原さんが勝手に言ったのか文部科学省勝手に書いたのか。二つに一つなわけです。今回は、愛媛県文書の中に、柳瀬、当時の秘書官が、本件は首相案件と言ったと、する文書がある。内閣府藤原審議官公式ヒアリングを受ける形で進めていただきたい、という記述もある。別の機関文書に、それぞれに、総理、あるいはその周辺がこの期間にコミットしていたことを示す、文書が残っていたんですよ。これ、じゃあ、愛媛県担当者が、聞いてもないこと書いてるんじゃないですか。じゃなければ柳瀬さんが嘘ついてるか。どっちかしかないんですよ、違いますか、総理

安倍

「あのー先ほど申し上げましたようにですね、愛媛県作成した文書について、国としてコメントする立場にないわけでございます。そしてその前に、内閣府文科省についての文書で、言った言わないがあったわけです。そこでですね、かっこづきで発言引用する場合には、本人に確かめてですね、その上で残しておく、これがまさに議事録というもの、でございます。つまり、いわば、当事者合意した議事録作成など、運用改善を行っているところであります。改めて、県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも、国民疑念を招くことのないように、文書の正確性を確保するための努力を行っている考えであります。」(国と会議する機会のあるみなさーん、音声データ消したらまずいことになる可能性がありますよー)

枝野

「聞いたことに答えていただいておりません。論理的に、柳瀬さんが嘘をついているか愛媛県担当者が聞いてもいないことを書いたか、二つに一つじゃないですかと聞いてるんです」

安倍

「これは、今お答えをしたようにですね、愛媛県の、えー、が作成した(紙を読む)文書評価について、国としてコメントすることは、(議場騒然、野党理事委員長席へ)できないわけでございまして、他方ですね、(河村枝野さんが、枝野さんが)私は部下を信頼しているわけでございまして、えー総理秘書官在任中もそうでありmしたガー、柳瀬秘書官発言を私は信頼をしているところでございます。昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。(野党理事が抗議する中、同じ答弁書を読み上げる根性ちょっとすごい)」

野党理事野党激怒速記止まる)

河村

枝野くん、枝野くん、質疑を続けてください。質疑者は質疑を続けてください。総理は質疑をしまたから。噛み合ってないかは外の人がいうことじゃありません、質疑者がやってください(委員長職務放棄

枝野

委員長、あるいは国民のみなさん、(略)官邸で柳瀬秘書官にあったという愛媛県と、あってないという柳瀬さんのどっちかが嘘ついてるに決まってるでしょ。どっちか一つに決まってるでしょ、委員長どう思うんですか。答えてください」

河村

「私が答弁することではありません。安倍(」

安倍

「4月2日の件についてはですね、昨年7月閉会中審査においてすでに、柳瀬秘書官から答弁があった通り、でございます。昨日の報道についても、柳瀬秘書官自身が、そうした発言をすることはありえないとコメントを出している通りでございますそもそもそもそもこれまでもなんども、繰り返し述べてきた通り、国家戦略特区プロセスは、ワーキンググループ特区諮問会議といった(枝野:余計なこと言わない!)、民間有識者特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。当時の山本大臣もですね、特区担当自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸関係ないと答弁をしている通りであります松野文部科学大臣も、官邸に対して、国家戦略特区に関して、なんら指示がなかったと明確に答弁をしているところ、であります(読み上げ終わり)。今までのプロセスとの関係において、申し上げている通り、でありまして、その点から、私は部下である、柳瀬ーえー当時の秘書官について、信頼をしているということで、ございます。」(野党理事はずっと時計を止める要求をしている)

枝野

おかしいでしょ、委員長、今事実上、柳瀬さんは本当のことをいっていると、愛媛県は嘘の文書を作ったと言ってるわけですよ。委員長国民の皆さんも、これほとんどの皆さんが、すでに総理が嘘つきだとわかってらっしゃると思いますが、愛媛県が嘘ついてるのか、柳瀬さんが嘘ついてるのか、柳瀬さんはこれまで参考人ですから証人として、柳瀬さんを証人として呼び、そして愛媛県担当者証人として呼び、二人並べてここで話聞くしかないじゃないですか委員長。」

河村

「本件につきましては理事会で協議をさせていただきます

枝野

委員長あなた認識を聞いてるんですよ、委員長あなたどう思うんですか、今の裁きおかしいですよ。聞いてもないことを長々と答えさせて、聞いたこと答えさせないで、時計も止めないで、あなたはどういう認識なんですか」

河村

「私の、私が答弁することじゃありません。理事会で協議します」(職権で開けちゃうし、参考人委員長職権で呼べちゃうって昨年決めちゃいましたからねー。)

VS玉木雄一郎

玉木

安倍総理大臣が、加計学園獣医学部の創設について初めて知ったのは、昨年の1月20日ですか。」

安倍

そもそもですね、繰り返し申し上げておりますが、国家戦略特区プロセスは、ワーキンググループ特区諮問会議といった、民間有識者が主導する特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。また当時の山本大臣もですね、特区担当自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸関係ないと答弁をしている通りでありまして、前川事務次官も含めて、私の指示があったという人は一人もいないわけでございまして、私が関与していないことは明らかでありまして、私がいつ知ったかということは、今までに答弁した通りであります。」

玉木

「いつですか」

安倍

「えーこれはですね、繰り返し、答弁をしてきた通りでありまして、国家戦略特区制度誕生をし、平成27年11月から私が議長を務める国家戦略特区諮問会議において、今治市特区指定に向けた議論が進むなかで、まず私は今治市獣医学部を新設する要望があることをしったわけであります。最終的には昨年1月に公募を行い、事業者から公募があったわけで、その後、分科会でのオープン議論を経て、その後、1月20日に諮問会議が開かれ、その際私は加計学園計画について承認したわけでございます。」

玉木

「答えてない」

安倍

「明確に答弁してますよ。後ろのヤジがうるさいから聞こえなかったんじゃないかと思いますよ。丁寧に(さっきの繰り返し)承認したわけでごじゃます

野党

承認は違うだろ」

安倍

すみません承知をいたしました。」

ごめん、もう疲れたから要約するけど、玉木さんは、構造改革特区の時には知ってたんじゃないかと聞いてるんですよね。計画について知った、と答弁してるんですけど、獣医学部の新設の意思を知ったのはいつかと聞かれて、前はそれも17年1月だと言ってたんだけど、今回は何回聞いても答えないから訝しんでるわけ。

そんで、ゴーストライター佐伯耕三秘書官と思しき人が、「シンプルに言ってんだろ」みたいな感じのヤジを飛ばして、玉木が怒るわけだけど、安倍の「ヤジではない」とかいう時の情けない顔よ。ゴーストライターの書いたコピペ以外はしゃべるなというお達しが出てるんだと思うけどね。ゴーストライター退場させられたら困るよねー。質問とズレてようが、ひたすら5つくらいの答弁書の中から一番マシそうなのを選んで読み上げるだけ。

 本当にペッパーくんでも務まりそうですね。。。。

2018-03-30

anond:20180330191420

教師そもそもいじめという問題に関わりたくない。」というのが何故かというところだな

- いじめが発覚すると文部省が口うるさい

- 保護者からモンスターペアレント

普通に考えてめんどくさいしなるべく無かったことにしたいよ

2018-03-24

戦後昭和教育目標

もう言い尽くされてることかもしれないけど、

少し前の時代に、親が子供に「勉強して良い大学入って良い会社入りなさい」と言い続けていたのは社会全体の利益でみると明らかに良くない事だったと思う。

個人利益を見る場合にはそうひどくもないだろうし、今も言い続けられていることかもしれないけど)

なぜなら、良い大学入って良い会社に入った連中の大半は、最先端研究をするわけでもなければ業務収益性を上げるわけでもなく「良い会社」の中で官僚的な仕事につくのが定番なわけで、さらにそこから転職することもあまりしない。そんなところに、わざわざ能力が高い(訓練に耐えて結果を出せるという意味で)人間アサインする意味は皆無に近いと思う。「真面目な人間」をアサインしたい、というのが本意(誰のかはともかく)かもしれないけど、結果としてもっと実働部隊にすべきだったエース候補をわざわざ官僚にしてるという意味で勿体無いにも程がある。

会社という組織の都合上、適性をみて営業に回す場合もあるだろうけど、社会全体でみればゼロサムに近い行為人材を突っ込むのはけっこう損失だと思う)

研究商品開発・マーケティングに最優秀人材突っ込みさらにそこに「定住させない」ことが社会全体としてのメリットの多い人材登用だと思うのに、それが出来ているのは会社創業時の勢いを保っているところ(かつ経営者か誰かに見る目があるところ)のみ、というお寒い状況だ。

優秀な人材を後方に回して意味がある組織というのはただ一つ、軍隊だと思う。兵士は消耗するから優秀な人材参謀を含む後方に回す、という状況であれば合理的判断だろう。やはり戦後、軍の真似をして組織運営をした会社が多数あったとしか思えない。(そして兵士消耗品というのがブラック企業につながっている?)これを止めさせられなかったのは監督省庁の怠慢なのではないか人口ボーナスが消えた瞬間うまく行かなくなるのが目に見えてる運営日本中がやっていたわけだから制止をすべきだったと思う。

ひるがえって冒頭の「家庭での奨励行動」に戻ると、

おそらくは個人レベルの収支だけをみて「良い大学入って良い会社」を言っていたのだろうから、それ自体矛盾していない。問題は、それを皆が行うことによる合成の誤謬めいたものについて、個々の家庭レベルでは全くフィードバックがかからなかったことにあると思う。

(加えて、会社の方にまともな人材活用体制存在しないことについて想像が及んでいなかったこともあると思う)

であれば、これも全体が見えている文部省なり通産省なり(むかしの時点の話なので旧名称)がブレーキをかけるための動きをするべきだったのではないか。これについては縦割りの弊害に加え、通産省伝統的近視眼がアカンかったように思う(強いニュアンスを出すためここだけ関西弁)。農業観点で、毎年どれだけの人材が輩出可能で、それぞれどの程度活躍してくれることを期待するか、というような分析があれば、人材無駄遣いするところに突っ込ませるような家庭の性向は、役所挙げて早期に改めさせようという動きがあるべきだったのではないかと思う。

じつは是正の動きがあったのか、なにかファクターを見落としているのか、そもそも前提に誤りがあるのか、教えてくださいエロい人。

(もちろん一部は適切に活用されていたであろうしというのは分かっています。マスをなるべく有効活用するという観点の話です。

 あと何でも役所に頼るのはおかしいというのも分かるけど、昭和の日本で社会利益について動けたのが役所以外にどこがあるのかというと…)

2018-03-04

https://anond.hatelabo.jp/20180304213320

全く文脈関係無いけど、扇情的扇動とか見るたびに、煽情的煽動やろ、扇いでどうすんねん煽れや、ってなる

情欲を煽る」って書かれるぐらいだし別に煽って言う字が難しすぎて使えないってこともなかろうに

まあ全て文部省が悪いんだけど

2018-01-12

[] 日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

原典:日本發現的「國寶級中國瓷器」是真是假? 日經中文網

日本で見つかった「国宝級中国陶器」は本物か、偽物か?

2017/06/26

日経中文網 特約コラムニスト 張石

2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。

曜変天目茶碗とは

曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京静嘉堂文庫京都大徳寺龍光院大阪藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。

天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国人間国宝国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。

曜変天目茶碗」の鑑定が日本で大論争に

番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査計画した。

しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。

「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料ヨーロッパ18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルトクロムセレンカドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」

「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」

「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くとき方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」

長江さんは後で筆者に述べた。

「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」

中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。

「少なくとも「曜変天目茶碗」ではありません。12~13世紀製造されたという可能性も非常に低いものです。」

筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。

「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。

2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。

3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国流行している模倣品とは非常によく似ています。」

森達也教授さらに述べた。

テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」

この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。

「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」

筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。

テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」

新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。

魚島教授物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。

魚島教授は述べている。

「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日

一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。

「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授データには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」

日本の複数メディア報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県文化財指定のための調査を中止した。

なぜ「曜変天目茶碗」の鑑定は論争を引き起こしたか

私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。

だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。

「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ

このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年国際的に知られた陶磁研究専門家で日本陶磁研究第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代古瀬作品であるとして重要文化財に指定した。

その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。

このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。

私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。

筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?

確かにテレビ番組では、科学研究場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)

だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?

もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物科学的に鑑定する完璧方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物場合炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物場合基本的には炭素14鑑定は使えない。

また、熱ルミネセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギー放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。

しかしこのような報道もある。

「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部通報した。公安部担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日

魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。

「彼は本物の曜変天目との比較を一切行わず、例の茶碗のみで分析を行いました。これでは意味がありません。」

筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。

「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物である考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」

筆者:

―― それはつまりあなた検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。

魚島教授

「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」

筆者:

―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?

魚島教授

「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」

筆者は質問した。

―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなた検証方法では今回と同じような結果が出ますか?

魚島教授

「その可能性はあります。」

しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。

このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ

※ この記事は筆者の個人的視点を示したものです。

張石 略歴:

1985年中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35

2017-11-24

anond:20171124123414

横書きで句読点は,(コンマ)と.(ピリオド)でもいい?|日本語・日本語教師|アルク

横書き句読点は,(コンマ)と.(ピリオド)でもいい?

 句読点表記法上は「くぎり符号」と呼ばれるもの一種です。政府がまとめたくぎり符号の用い方としては、昭和21年文部省国語調査室によって作成された「くぎり符号の使ひ方(案)」などが代表的ものといえます

 ここでは、くぎり符号のうち句読点に相当するものとしては「。」および「、」が扱われていますしかし、横書き表記に関しては言及がみられません。横書き表記法については昭和25年文部省編による「国語の書き表し方」の中に言及があります。それによるとくぎり符号の使い方は次のように書かれています

くぎり符号の使い方は、縦書き場合と同じである。ただし、横書き場合は「、」を用いず、「,」を用いる

 したがって横書き場合の「,」の使用強制ではないものの、一応正式に認められているということになりますしかし、「、」以外のくぎり符号については「縦書き場合と同じ」ということは「。」については横書き場合も同じものを用いるという解釈になります。つまり横書きにおける「.」の使用正式文書の形では言及さ れていないということです。

 ただし、これも強制ではなくご質問にもあるように、最近では「.」を用いる本や雑誌も少なから出版されています。目安としては縦書きが「、」および「。」で横書きが「,」および「。」ということになりますが、実際の使用は慣習に任されているのが実状といえるでしょう。

2017-10-25

anond:20171025012053

すまんね、30~40代って議会だよりに載ってたグラフではその年代だけ傍聴者0なんでまとめて0人って係れていたという事。僕の書き方が悪かったよ。僕は僕と同い年が、その学年だけがピンポイントダメで異常だと思っている。

僕は1982年まれの35歳なんだけど、卒業大学教授の話しだと、大学が創設以来最も勉強しなかったのが僕のひとつ上の学年で(しか活動的人達が多かった)、最もダメなのが僕の学年、という事だった。二学年から下になるとまた様子が違っていて、勉強就活に熱心な人が多い印象だった。

どうせ僕の思い込みだと切り捨ててもらっても別にいいし、皆が皆ダメとは言わないが、僕の年代覇気の無さは異常というのが僕の考えなんだ。

酒鬼薔薇とかバスジャック犯人とかあと親をバットで撲殺した奴だっけ?凶悪犯罪者とほぼ同い年というので「キレる17歳」などと呼ばれた世代だった。秋葉加藤もたぶん同い年だと思う。

僕達は、大学教授には学年丸ごと見離されていたが、高校時代までは非行が少なくて拍子抜けって言われていた。

今「キレる17歳」でググってみたら、Wikipediaに"1982年まれのある女性は、酒鬼薔薇事件が起きた際、学校で「同級生犯罪」について作文を書かされたという[6]。"https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%8B17%E6%AD%B3 って書いてあったけど、その作文書かされたの僕も覚えているよ。確か文部省から教育委員会に書かせろってお達しが来て書かされたんじゃないか?作文っていうか反省文だったな。自分がやった事でもないのにどう反省しろっていうんだって思った。

最近ベテラン保育士である知人から聞いた話だけど、僕の世代子供だった頃は幼児教育がかなり厳しかった時代で、まるで猿回し軍隊みたいに子供達をしつけていたそうだが、そういうのが何か関係あるのかな?

2017-09-04

体罰」は違法行為なので覚醒剤麻薬に頼ることと同じ行為である

ここでは学校教育問題限定して体罰問題について述べるので、特定話題について触れることはしない。

まず、体罰は法的にどう扱われているのか

学校教育法11

校長及び教員は、教育必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、

児童、生徒及び学生懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。


文部省文部科学省に再編成されたさい、文部大臣文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。

まり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。

この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。

よくある誤解に過ぎないのだ。

このような見解披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。

喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。

ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。




職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。

実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である

それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである

今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ


問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。

同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である

たとえば以下のようなガイドラインが示されている。


文科省  学校教育法11条に規定する児童生徒の懲戒体罰等に関する参考事例

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm

同初等中等教育局   体罰について

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf




ここでは学校教育における教員行為を3つに区分している。

1 体罰(通常、体罰判断されると考えられる行為

2 認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。)

3 正当な行為(通常、正当防衛、正当行為判断されると考えられる行為




愛のムチ」が教育効果的か否かは、ここでは問題にしない。

いずれにしろ文科省体罰を認めていないことだけは明確である

教室質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。

ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒範囲内だ」という議論は当然あり得る。

しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。

効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為正当性まで議論範囲は広がらざるを得ない。

あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正対応するほかあるまい。

ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。

何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。

それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。


ここでの話はあくまでも学校教育限定しているので、学校外での出来事適用できるものでないことは最初に断った通りだ。

補足

最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。

もしそれで習得できるのなら、みな満点で卒業していくはずだ。

たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨発言がされたと仄聞するが、

発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである

今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。

中学知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。

2017-08-29

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/national/20170827-OYT1T50007.html

結局この問題ポイント筑駒運命がどうなるのかに尽きる。というか、もうちょっとはっきり言うと、この有識者委員会メンバー

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/077/meibo/1376860.htm

を見ても、たぶん生涯筑駒開成、灘とかとは無縁だったのではないかなぁという人たちばかりで、この有識者委員会本来議論対象地方大学付属校ではないかと思われ、自らの議論可能能力を大きく逸脱する範囲議論を広めてしまっているように思われる(まあ、むかしか筑駒に関わる大人はそういうのが多くて、教官はよく守ってくれていたと思う)。都心の超進学校であり、大人でも解けない国際数学オリンピックとかにいけちゃうような学生を何人も擁するような筑駒とか、そこまでではないにしても学附や筑附とはなにかを知っている人間はいないように見える。

ところで歴史的経緯を見れば、筑駒というか教駒がそのレベルを上げたのは、学区制度が導入され都立日比谷が急激に凋落した時期と一致していた。筑駒教官は十分それを認識していて、目をつけられる時が来れば文部省(当時)はすぐにでも筑駒を潰そうとするだろうと語っていた。だからできるだけ目立たず隠れようとしていると。生徒のレベル筑駒開成であるのは明らかなのだ一般紙にはなかなかその事実は載らない。それはマスコミ取材をできるだけ避けるなど一応努力しているから、みたいだった。

財務と外務の中央省庁に多くの出身者がいて(文科にはあまりいないけど)、政治家もいるし企業トップ大学トップ(これが一番多い)もたくさんいるような筑駒なら、国にその出身校を潰させるような施策を決定させることはないかというと、都立日比谷が潰された経緯を見ればそんなことはない。教育関係者が潰そうと思えば潰されるだろう。

まあ、そういうことだから都立日比谷が潰された後に教駒のレベルが確定したのと同じように、筑駒が潰されれば何か他ができるんでしょうけどね。都立日比谷筑駒のような学校が嫌いな人には、この運動をしてもどうせほかにまた同じものができる、と単に伝えたい。それがもし、昔に戻って都立になるというのなら、筑駒とは違って横浜とか千葉とかさいたまの人は通いづらい高校になってしまうだろうな。そしたら県立がのびるからいいのかな。

あと、都立日比谷や西のレベルが学区制度導入でコテパンに潰された後(都立日比谷から東大入学者がゼロになった年に、都教育委員会がガッツポーズしたという噂もあり・・・)、それら高校教員のそれなりの数が予備校に流れ、そのため予備校レベルが大きく向上したとの話がある。つまり、塾や予備校に行かなければよい講師がいない、という意味での教育経済格差を生み出したのはむしろ(そういうものをなくそうとしたはずの)学区制度導入であったのではないかという見解

ここに書いたのは単なる噂話のみだ。真実性はあると私は思っているけど、それを担保するものはなにもない。しかし、もう少しきちんと専門家がこの辺りを調査して、科学的に結論を与えてから筑駒を潰すかどうかは考えてほしいもである

2017-07-25

https://anond.hatelabo.jp/20170725183858

必修化自体はいい面もあるし、悪い面もあるから、やってみればいいと思うけど。

文部省が「定年のSEのボランティア(=タダ働き)で・・・」とか言い出しそうなのが地獄感。そんな事なら氷河期プログラマーでも雇ってやれよ。

前川vs加戸

文部省先輩後輩対決は、先輩の加戸の勝ち

2017-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20170425224059

迭立・・・交互に立てること。南北朝両統迭立事務次官文部省科学技術庁出身から迭立する,など

迷迭香・・・めいてつこう,ローズマリー漢方

交迭・・・いれかわること。更迭とほぼ同義

迭代・・・代々いれかわっていくこと

迭起・迭興・・・王朝などが次々にうまれてくること

2017-03-14

教育勅語礼賛」の気持ち悪さ のコメント欄気持ち悪さ

教育勅語礼賛」の気持ち悪さ(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20170310-00068568/

この記事では、必ずしも教育勅語自体問題なのではなく、教育勅語を礼賛する人々の矛盾を指摘している事を理解していないコメントが多すぎる。

教育勅語を礼賛とまではいかないが、信奉しているとみられる人達コメントを見て、やはり教育勅語は間違っていると思った。

教育勅語大日本帝国宗教だ。

森嶋通夫教育勅語の悪いのは、守れと言った徳目の中身―父母に孝行し、友達と仲良くせよ等―にあるのではなく、なぜ天皇や、国や、文部省が、国民一人一人の問題である倫理問題に口出しして、『億兆心を一にせよ』とか『徳を一にせよ』などと命令するのであるかという点にある。倫理命令されて守るものではない。天皇政府がこういう態度で倫理を教える限り、『精神のもの、あるいは、人間のものが、それ自体自由である』という倫理根本が、日本人理解されることは絶対にない」

2017-02-25

森友学園国有地取得で会計検査

森友学園国有地取得で会計検査

https://this.kiji.is/207438898890506241

情報提供の受付

https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2

二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつ伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである

戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである

保守勢力自民党文教族文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚国歌斉唱、「教育勅語」の再評価修身の復活などを主張してきた。

国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣天野貞祐文相は、その嚆矢である内藤誉三郎(文部事務次官参議院議員第一大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。

教育機関国民国家歴史や意義を教えることは必要である国民国家は、現在国際政治基本的単位だ。これを否定するつもりはない。

グローバリズム時代国民国家というシステムいかに無理なく保守管理運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。

パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。

ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である

あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である

東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。

東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い

今日ほど「君が代」に関する議論劣化した時代はほかにないだろう。

君が代」を歌うか、歌わないか問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守愛国であり、歌わなければ左翼反日である即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している

1999年に「国旗国歌法」が施行された

ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼のもの勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。

1890年2月帝国議会の開会を直前に控え、地方治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳樹立を求めた。

→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。

日本神の国であり、世界指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである

しろ教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。

当時の日本に、空想をもてあそぶ余裕などなかったのだ。

日本日清戦争日露戦争勝利し、帝国主義列強一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた

君主たるもの特定政治的宗教的思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的否定言葉を使うべきではない

また、井上帝国憲法の起草者として立憲主義尊重し、「君主臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。

もちろん、自由民権運動対策念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想軍国主義権化のごとき過激ものでもなかった。

追加修正

西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

1919年、『勅語衍義』の執筆者井上哲次郎によって「教育勅語修正を加へよ」という論考が発表された

この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左

教育勅語」は、狂信的な神国思想権化ではないが、普遍的通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

2017-02-02

子供の正しいスマホネット規制

小学校高学年あたりから中学高校くらいまで、どの位が適切なんだろう?

そもそも何歳くらいかスマホ持たせるの?ってのもあるし。

この位が適正なんじゃね?っていうコンセンサスみたいな物があるのかな?文部省の指針とか。

2016-06-27

で、結局

確信犯」ってワードは「わかっててやる犯罪」って意味で使っていいの? 

だめなの? 教えて! 文部省

2016-05-29

夏目漱石の「私の個人主義」について

読書会夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。

<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ

夏目漱石の「私の個人主義」という本を持ってきました。

漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。

彼は日本代表する小説家というわけで、

書簡集。つまり手紙文語本になっていたりします。

私の個人主義」は講演をまとめた本です。

169ページなんですが、5つの講演が収録されています

1つの講演は30P~40Pですので、ページ数から考えると、

比較的読みやすい部類に入るかと思います

タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日学習院で行われた講演のタイトルです。

漱石1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。

5つのから、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。

学習院で行われた講演ということで、若い学生対象にしていたようです。

彼の反省と学びについて、紹介しています

漱石学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。

たまたま学習院教師に推薦してもらえる事になるのですが、

結局、他の人が採用されます

漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、

高等学校と高等師範から、同時に声がかかります

彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。

いい加減な事をしたわけです。

呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、

行ったはいものの、「自分の不向きである」という思いがあり

一年松山にある中学校に赴任します。

が、松山にも一年しかいませんでした。

以降、熊本に落ち着く事になります

熊本教師を続ける中、文部省からイギリスへの留学を勧められます

彼は断ろうと思いました。

なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。

結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。

「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています

彼の心境は非常に苦しいものでした。

「腹の中は常に空虚でした」とか

「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」

色々な言葉を使って繰り返し苦しさを訴えています

彼はイギリスに行った以上は!と努力しました。

そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます

彼は自己本位という言葉を手に入れました。

この喜びを

「そのとき私の不安は全く消えました」や

「ようやく自分鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など

色々な言葉で繰り返し嬉しい気持ち表現します。

そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます

貴方がた自身幸福のために、それが絶対必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。

自己本位必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。

彼が人に流されて生きてきた。

その腹の煮え切らない不愉快気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。

ここまでが第一部の内容です。

個人主義自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。

漱石はその事を否定します。

自分自我尊重するのであれば、他人自我も認めなければならないといいます

講演を聞いている学習院学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。

お金権力を持つ事になる人たちでしたから、

気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。

彼は所属する団体立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます

彼の考えは、自分存在尊敬し、他も同じように尊敬する。

団体を作って、権力お金のために盲動しない。というものでした。

素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。

理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から

ある時は、人がばらばらになってしまうと言います

漱石の中期~後期の作品個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています

特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います

淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を

論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義漱石の魅力だと思います

以上

2016-05-03

池上彰氏の凄さ限界

池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。

自分は一応、新卒池上氏と同じ業界就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。

7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに

もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界さらに嫌になって転職して

10年ちょっとになる。

普通、あの業界では、最初の何年か地方修行して、いずれ東京大阪に戻ってくるパターンが多いが、

自分就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、

新卒地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。



池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。

で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。

その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、

けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。

いわゆる大手メディア企業記者にまず最初に求められるのは、

「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力である

なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。

なかなか深堀している暇などない。

そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、

大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスク管理職になったりして、だんだん現場から離れていく。

記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。


池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局通信部を回った後、東京社会部気象庁文部省宮内庁などを担当した、とある

まあ社会部記者として一般的コースという感じだ。

東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、

それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初基本的仕事だったと推測する。

NHKの記者特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、

多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道確認したり、

思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。

(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、

つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者仕事ではないらしい。

実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)



で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。

自分は、そのさして長くない記者キャリアの大半を、メーカーを中心とした企業取材で過ごしたのだが、

正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学政治学選考だったし)


それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、

そもそも「大手メディア記者」が企業広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである

そりゃ、変な記事書かれたくないからね。

多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである

もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。

中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社古参広報さんの中には

「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。

もし、あなた会社広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、

それは、メディアから軽んじられている証拠である


もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、

しろこちらは早いと一年担当が変わってしまうが、

相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。

知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。

そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規記者会見に出席したり、

ニュースリリース原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍記事しか書けず、

社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、

独自夜討ち朝駆けアポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである

そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、

ごくごくたまには、取材担当企業株価ストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。


まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも

減価償却費資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、

それでも企業経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。

(まあ、自分経験積みながらようやくわかるようになったクチで、

当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)

それでも、首にはなりはしない。



そういえば、思い出したことがある。

今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界エレクトロニクス業界リードし、

今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。

当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。

自分は、そこのメイン担当になるほどの能力キャリアもなかったが、

たまたまSONY会社が取り組んでいる内容が、自分取材テーマに関わっていたことがあって

取材を申し込んだことがある。

いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである

で、SONYに行ってみて驚いた。

美人広報さんが、それまでの取材で見たことないような、

膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである

なんかもう、取材しなくても、この資料キトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。

もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、

きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、

やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、

まあ、恐ろしい会社であった。

かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、

もちろん実力の部分もあったけれど、伝説伝説たらしめようという広報戦略によって

かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である

なんだか、大分、話がそれた。



多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。

そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで

キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。

(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである

そこそこの取材経験を積んだ後で、

衆議院参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、

「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか

あらためて、そういうレベルからニュース解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、

少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?



普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、

そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、

読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事番組を作っていたら、

ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。

まあ実際、そのレベル作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。


「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有仕事を追及していった。

その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。

多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。

自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)

でも、その知識や取材結果を子供にわかレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。


池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害メカニズムから、最新の科学上の発見、日本選挙から世界経済まで

あらゆる森羅万象を斬っておられるようである

だが、自分が見る限り、その解説一般紙新書本で得られる知見を超えるものほとんど見ない。

「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、

果たしてどうだろうか?

多分、毎日6紙読むという新聞ベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。

海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。

多分、その経歴からいっても、海外取材独自ルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。

やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。

それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである


著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、

あるいは日経の元スター記者週刊ニュース新書田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた

凄みのようなものは感じられない。

そのかわり、入門書としてのわかりやすさはピカイチだ。

やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。

(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、

膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。

出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者ライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。

あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。

NHKの採用試験突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)




さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。

巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会話題」についても、

タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。

「どうして自民党公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人あんまりしない。

それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである

ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、

そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。


だが、池上氏はそういう疑問をスルーしたりしない。

「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。

で、「では、公明党創価学会本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。

実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。

そりゃそうだ。

ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから


公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材拒否するはずもなく、

ちゃんと「公式な答え」だって用意している。


から池上氏が

創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離観点からみて

問題があると思われませんか?」と質問しても、

創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会公明党は全く別個の組織です。

政教分離というのは、政府宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体政治に介入することを禁じております

宗教団体政党を支持することを禁じるものではなく、現在公明党創価学会関係問題と思っておりませんが云々」

といった、きちっと理論武装した答えしか返ってこない。


「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・

などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、

そこまでのことはしない。

多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、

政治を専門する別のジャーナリスト役割だろう。

池上氏はただ、意味ありげに

はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、

きわめてテレビキャスター的な技術を見せるのみだ。


で、こう考えてみると、やはり池上氏の凄さでは

子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」

を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。

これは、なかなかに難しい。

多分、そこには、「相手子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力共感力

「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力必要なのではないかと思っている。

ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、

その辺が、池上氏の限界ではないかと考えている。

2016-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20160209151318

なお、「どれがフォーマルか」という点で言うなら、「フォーマルなんてもの存在しない」というのが正解。

くわしく。

文部省(当時)が定めたルールフォーマルとは言えない理由は何?

2016-02-09

http://anond.hatelabo.jp/20160209124741

え?一応「句読法案」と「国語の書き表わし方」に記されているのがそれじゃないの?

JIS規格よりも、文部省が定めたルールのほうがより「日本語フォーマル」として順当だと思うけど。

国語」の単位であるならば、そもそも国語教科書から縦書きなので「横書きルール自体を教えていない」が正解だな。

2015-10-05

http://news.livedoor.com/article/detail/10662481/

こちらの記事にして思うことなんだが、

昔はもっと(といっても20年位前とか)ひどかったし、

けが人なんて、毎年何人も出てた。出るのが当たり前だった。

それでも、来年から組体操やめようとか、この競技はやめようとかそういうことにならなかった。

もちろんそういうことを訴える教師保護者はいたけど、全体の空気感から

そんな意見はかき消される風潮だったことは否定できない。

しろ、こういう問題に対しては、昔は補助員を増やすとか、練習時間もっと設けるとか

コストをかける方向で対策していたと思う。

下記のデータは、運動会体育祭前の体育の時間年代ごとの推移だが、

明らかに、近年に近づくにつれ、どんどん減っていっている。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2013/08/23/1338732_2.pdf


さらに、こちらは1990年2005年2014年文部科学省(旧文部省)の

健全少年育成のための方針」における「健全少年育成の身体の育成に関する方針」だけど

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Pdfdl.do?sinfid=000002589110


1990年は下記のように結構語調が自信満々なのに対し、

溌剌とした運動少年の将来における健全性を助く。

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199687


2005年学問視野に入れられており、

運動学問の両立性こそが健全性を

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199688


2014年はそもそも、「身体の育成に関する方針」が、まるっと章ごとなくなっている。

このことから文部科学省方針が変わったことが

体育に対する時間的、金銭的、人的なコストが減少されていった原因であると推察できなくもない。

また、同書「健全少年育成のための方針」では、同時に安全基準についても記載されているが、

そちらは、上記方針反比例し、向上傾向にある。

そちらについては、下記マキタノリオさんの著書に詳しく書いてあるので、参照するといいと思う。

現在教育の場における安全基準と、コスト削減方針矛盾がわかりやす解説されている良書だと思う。

http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BE%A1%E8%A6%8F%E6%BA%96%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%80%81%E8%A9%95%E4%BE%A1%E6%96%B9%E6%B3%95%E7%AD%89%E3%81%AE%E5%B7%A5%E5%A4%AB%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8F%82%E8%80%83%E8%B3%87%E6%96%99-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1-%E4%BD%93%E8%82%B2-%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%95%99%E8%82%B2%E6%94%BF%E7%AD%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E6%95%99%E8%82%B2%E8%AA%B2%E7%A8%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4316300393/ref=sr_1_8?s=books&ie=UTF8&qid=1444030011&sr=1-8&keywords=%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%80%E4%BD%93%E8%82%B2


つまるところ、教員の(補助員としての)能力不足や慢性的人手不足安全基準の向上に伴って、

旧来のコストのかけ方が現実的でなくなったところに、ボタンの掛け違い、歯車の噛み合わなさの元凶があるような気がするが、

皆さんはどう思うだろうか?

2015-06-15

日本から文系が消えたら教育社会学者のせいだから

なんで日本教育社会学者筒井淳也順也の『仕事家族』みたいな本を書いてくれないんだよ。

日本高等教育について横軸(各国比較)と縦軸(歴史的経緯)についての各種データを参照しつつ、日本特有の「構造」を踏まえながら、人文系高等教育のあるべき「制度」について建設的に語ってくれよ!

財務省との戦いの最前線にいる文部省disる前に、文部省が闘うための武器ロジックエビデンス)をアカデミズム側の人間が配給できていないことに対して百万回反省考察しやがれよ。

このままもし日本から文系が消えたら教育社会学者のせいだからな。


1年以内に『仕事家族レベル新書をだしてくれることに期待してるからな本当に頼むぜマジ

(*もう既に良い本が出てるという場合にはブコメでこっそり教えてください)

#追記:上記のような本を書くのは教育社会学者守備範囲外だろ、とのブコメがありましたが、そうなの? 例えば『なぜ日本公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす』の中澤渉って教育社会学者だよね? 外野意見はそれとして教育社会学中の人自己認識を聞いてみたいので中の人がいたら教えてくれれば非常にありがたいです

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