はてなキーワード: 文部省とは
ならば職場でやってもパワハラにならないとか、親が子にやっても児童虐待にならないって事ですか。
文部科学省のサイトを見てきましたが、個人でならいじめにならないとは読み取れませんが。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/040/shiryo/06120716/005.htm
資料5-7
1 (1)自分より弱いものに対して一方的に(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの。なお、起こった場所は学校の内外を問わないこととする。(文部省1994年)
2 集団内で単独または複数の成員が、人間関係の中で弱い立場にたたされた成員に対して身体的暴力や危害を加えたり、心理的な苦痛や圧力を感じさせたりすること(都立教育研究所)
3 単独、または複数の特定人に対し、身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、嫌がらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して加えることにより苦痛を与えること(警視庁保安部少年課1994年)
衆参問わず、予算委員会に限らず、集中審議は往復方式ですから、答弁時間も時計が進みます。
そういう視点で安倍さんの答弁とみてください。ひどい時間稼ぎを見た。
決裁文書読んでないけどハンコ押しました宣言した課長が、ガースーに説明に行ったけど、中身読んでないから、昭恵案件であることは知らなかったということを「まぁそういうこともある」というだけでなく、自分も全部読まないままハンコを押すことがあると述べてしまう俺たちの麻生。この人ここまでもうろくしてたかしら・・・。お前何言ってんのって思ったよ・・・。
「他の電力会社の原発に投資する金があるなら、賠償を払え!廃炉に回せ!料金下げろ!」
「総理の秘書官などは、総理に相談も報告もなく、総理の意向だとか周りにいうような人たちがいるんですか」
「あのー私の秘書官がですね、勝手に総理の意向だと、これは総理の意向とは何かということでもあります。いわば私が基本方針として示したものについては、例えば議長として基本方針を示したもの、あるいは様々な会議で私が議長として決定したこと、そうしたことについては、これはいわばまさに、私が議長として決定したこととして、そういう意味においてしっかりと進めていく、(そんなの当たり前だろ)、・・・・すいません今ちょっと私説明してるので、質問に対して、誠意を持って・・・・(枝野:早く答弁してください)、今ちょっとずっとヤジが・・・(枝野:自民党もヤジってますよ、たくさん、そっちに言ってください。)・・・・(枝野:自民党もヤジってますよ。自分の時だけヤジを責めるのやめてください)・・・(野党理事:総理に答弁させてください)(河村:ご静粛に、今答弁してますから)・・・枝野さんいいですか、はい。あのお答えをいたしますが、つまり基本的な方針を総理大臣として決定をするわけでございます。そういった会議で決定をした事項に関してはまさに総理の判断として、リーダーシップをとって進めていくのは、政府一丸となって進めていくのは当然のことで、あろうと、思います。私が意図していないこと、あるいは私的なことについて総理の意向だと、私の秘書官が振り回すというのはありえないとこのように考えております。」
「前段の8割の話は当たり前の話で、そんなこと聞いてません。最後のところだけ答えてくれればいいんです。総理の意向かどうかわからないことを勝手に秘書官がいうということはない。それでは、愛媛県、の文書は、どっかの誰かが嘘をついたということですか。」
「あの、いわば、愛媛県、の文書についてはですね(答弁書を読み始める)私としては、えー県の文書についてコメントする立場にはないわけで、ございますが、(議場:はぁー?)えー(ここからコピペ。)私は部下を信頼して仕事をやっているわけでありまして、えー総理秘書官在任中もそうでありましたが、柳瀬元秘書官の発言は、私は元上司として信頼をしております。その上で、愛媛県が作成した文書について国としてコメントする立場にはございません。えー昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区の基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者が合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民の疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。」
「ご自身で言っていただきましたから、昨年は、えー文部科学省の文書の中に、官邸の最高レベルが言ってること、と今回も登場する内閣府の藤原豊氏の発言がありました。官房長官、最初怪文書のようなものと言いましたね。怪文書のようなものだったんですか」
菅
「当初、私最初に見たときには手元も何もなかったものですから。そのように私は発言をしました」(答えてないねー)
「だから結論は怪文書のようなものだったんですか。文部科学省のちゃんとして文書だったんじゃないですか」
菅
「いや、だって、示されたものについて出所を書いてないんですよ?どこが書いたか、書いてない文書でありましたから、私はそのように申し上げたんです。で、結果として、文科省の中にあったということです。」
「文部省(おっさんだね、愛しい)の中に、官邸の最高レベルが言っていること、という発言が記録されていたんですよ。それだけでも、藤原さんが勝手に言ったのか文部科学省が勝手に書いたのか。二つに一つなわけです。今回は、愛媛県の文書の中に、柳瀬、当時の秘書官が、本件は首相案件と言ったと、する文書がある。内閣府の藤原審議官の公式ヒアリングを受ける形で進めていただきたい、という記述もある。別の機関の文書に、それぞれに、総理、あるいはその周辺がこの期間にコミットしていたことを示す、文書が残っていたんですよ。これ、じゃあ、愛媛県の担当者が、聞いてもないこと書いてるんじゃないですか。じゃなければ柳瀬さんが嘘ついてるか。どっちかしかないんですよ、違いますか、総理」
「あのー先ほど申し上げましたようにですね、愛媛県が作成した文書について、国としてコメントする立場にないわけでございます。そしてその前に、内閣府と文科省についての文書で、言った言わないがあったわけです。そこでですね、かっこづきで発言を引用する場合には、本人に確かめてですね、その上で残しておく、これがまさに議事録というもの、でございます。つまり、いわば、当事者が合意した議事録の作成など、運用の改善を行っているところであります。改めて、県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも、国民の疑念を招くことのないように、文書の正確性を確保するための努力を行っている考えであります。」(国と会議する機会のあるみなさーん、音声データ消したらまずいことになる可能性がありますよー)
「聞いたことに答えていただいておりません。論理的に、柳瀬さんが嘘をついているか、愛媛県の担当者が聞いてもいないことを書いたか、二つに一つじゃないですかと聞いてるんです」
「これは、今お答えをしたようにですね、愛媛県の、えー、が作成した(紙を読む)文書の評価について、国としてコメントすることは、(議場騒然、野党理事委員長席へ)できないわけでございまして、他方ですね、(河村:枝野さんが、枝野さんが)私は部下を信頼しているわけでございまして、えー総理秘書官在任中もそうでありmしたガー、柳瀬秘書官の発言を私は信頼をしているところでございます。昨年もですね獣医学部の新設をめぐる、これは省庁間、県と国ということではなくて、省庁間に置いて、やり取りが言った言わないと水掛け論に陥り、まぁこれが国民的な、議論を招く、大きな要因となったわけでございまして、そのため本年3月に特区の基本方針を変更し、第三者の加わらない、省庁間の調整プロセスについても、当事者が合意した議事録、の作成など、運用改善を行ったところであります。えー県の文書管理についてコメントする立場にはございませんが、政府としては今後とも国民の疑念を招くことがないよう、正確性を確保するための努力をしてまいりたいと考えております。(野党理事が抗議する中、同じ答弁書を読み上げる根性、ちょっとすごい)」
「枝野くん、枝野くん、質疑を続けてください。質疑者は質疑を続けてください。総理は質疑をしましたから。噛み合ってないかは外の人がいうことじゃありません、質疑者がやってください(委員長職務放棄)
「委員長、あるいは国民のみなさん、(略)官邸で柳瀬秘書官にあったという愛媛県と、あってないという柳瀬さんのどっちかが嘘ついてるに決まってるでしょ。どっちか一つに決まってるでしょ、委員長どう思うんですか。答えてください」
「私が答弁することではありません。安倍(」
「4月2日の件についてはですね、昨年7月閉会中審査においてすでに、柳瀬秘書官から答弁があった通り、でございます。昨日の報道についても、柳瀬秘書官自身が、そうした発言をすることはありえないとコメントを出している通りでございます。そもそも、そもそもこれまでもなんども、繰り返し述べてきた通り、国家戦略特区のプロセスは、ワーキンググループや特区諮問会議といった(枝野:余計なこと言わない!)、民間の有識者が特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。当時の山本大臣もですね、特区担当の自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸は関係ないと答弁をしている通りであります、松野文部科学大臣も、官邸に対して、国家戦略特区に関して、なんら指示がなかったと明確に答弁をしているところ、であります(読み上げ終わり)。今までのプロセスとの関係において、申し上げている通り、でありまして、その点から、私は部下である、柳瀬ーえー当時の秘書官について、信頼をしているということで、ございます。」(野党理事はずっと時計を止める要求をしている)
「おかしいでしょ、委員長、今事実上、柳瀬さんは本当のことをいっていると、愛媛県は嘘の文書を作ったと言ってるわけですよ。委員長、国民の皆さんも、これほとんどの皆さんが、すでに総理が嘘つきだとわかってらっしゃると思いますが、愛媛県が嘘ついてるのか、柳瀬さんが嘘ついてるのか、柳瀬さんはこれまで参考人ですから、証人として、柳瀬さんを証人として呼び、そして愛媛県の担当者を証人として呼び、二人並べてここで話聞くしかないじゃないですか、委員長。」
「委員長、あなたの認識を聞いてるんですよ、委員長、あなたどう思うんですか、今の裁きおかしいですよ。聞いてもないことを長々と答えさせて、聞いたこと答えさせないで、時計も止めないで、あなたはどういう認識なんですか」
「私の、私が答弁することじゃありません。理事会で協議します」(職権で開けちゃうし、参考人も委員長職権で呼べちゃうって昨年決めちゃいましたからねー。)
玉木
「安倍総理大臣が、加計学園の獣医学部の創設について初めて知ったのは、昨年の1月20日ですか。」
「そもそもですね、繰り返し申し上げておりますが、国家戦略特区のプロセスは、ワーキンググループや特区諮問会議といった、民間の有識者が主導する特区諮問会議を経て、決定されたもの、であります。えーその上で、今回の改革プロセスを主導した、八田座長含め、民間有識者の方々は、口を揃えて、一点の曇りもないと、繰り返し、述べており、関与はなかったことは、明らか、であります。また当時の山本大臣もですね、特区担当の自分が、陣頭指揮をとって、全て判断しており、官邸は関係ないと答弁をしている通りでありまして、前川前事務次官も含めて、私の指示があったという人は一人もいないわけでございまして、私が関与していないことは明らかでありまして、私がいつ知ったかということは、今までに答弁した通りであります。」
玉木
「いつですか」
「えーこれはですね、繰り返し、答弁をしてきた通りでありまして、国家戦略特区の制度が誕生をし、平成27年11月から私が議長を務める国家戦略特区諮問会議において、今治市の特区指定に向けた議論が進むなかで、まず私は今治市が獣医学部を新設する要望があることをしったわけであります。最終的には昨年1月に公募を行い、事業者から公募があったわけで、その後、分科会でのオープンな議論を経て、その後、1月20日に諮問会議が開かれ、その際私は加計学園の計画について承認したわけでございます。」
玉木
「答えてない」
「明確に答弁してますよ。後ろのヤジがうるさいから聞こえなかったんじゃないかと思いますよ。丁寧に(さっきの繰り返し)承認したわけでごじゃます」
「承認は違うだろ」
ごめん、もう疲れたから要約するけど、玉木さんは、構造改革特区の時には知ってたんじゃないかと聞いてるんですよね。計画について知った、と答弁してるんですけど、獣医学部の新設の意思を知ったのはいつかと聞かれて、前はそれも17年1月だと言ってたんだけど、今回は何回聞いても答えないから訝しんでるわけ。
そんで、ゴーストライターの佐伯耕三秘書官と思しき人が、「シンプルに言ってんだろ」みたいな感じのヤジを飛ばして、玉木が怒るわけだけど、安倍の「ヤジではない」とかいう時の情けない顔よ。ゴーストライターの書いたコピペ以外はしゃべるなというお達しが出てるんだと思うけどね。ゴーストライター退場させられたら困るよねー。質問とズレてようが、ひたすら5つくらいの答弁書の中から一番マシそうなのを選んで読み上げるだけ。
もう言い尽くされてることかもしれないけど、
少し前の時代に、親が子供に「勉強して良い大学入って良い会社入りなさい」と言い続けていたのは社会全体の利益でみると明らかに良くない事だったと思う。
(個人の利益を見る場合にはそうひどくもないだろうし、今も言い続けられていることかもしれないけど)
なぜなら、良い大学入って良い会社に入った連中の大半は、最先端の研究をするわけでもなければ業務の収益性を上げるわけでもなく「良い会社」の中で官僚的な仕事につくのが定番なわけで、さらにそこから転職することもあまりしない。そんなところに、わざわざ能力が高い(訓練に耐えて結果を出せるという意味で)人間をアサインする意味は皆無に近いと思う。「真面目な人間」をアサインしたい、というのが本意(誰のかはともかく)かもしれないけど、結果としてもっと実働部隊にすべきだったエース候補をわざわざ官僚にしてるという意味で勿体無いにも程がある。
(会社という組織の都合上、適性をみて営業に回す場合もあるだろうけど、社会全体でみればゼロサムに近い行為に人材を突っ込むのはけっこう損失だと思う)
研究・商品開発・マーケティングに最優秀人材を突っ込み、さらにそこに「定住させない」ことが社会全体としてのメリットの多い人材登用だと思うのに、それが出来ているのは会社が創業時の勢いを保っているところ(かつ経営者か誰かに見る目があるところ)のみ、というお寒い状況だ。
優秀な人材を後方に回して意味がある組織というのはただ一つ、軍隊だと思う。兵士は消耗するから優秀な人材は参謀を含む後方に回す、という状況であれば合理的な判断だろう。やはり戦後、軍の真似をして組織運営をした会社が多数あったとしか思えない。(そして兵士は消耗品というのがブラック企業につながっている?)これを止めさせられなかったのは監督省庁の怠慢なのではないか。人口ボーナスが消えた瞬間うまく行かなくなるのが目に見えてる運営を日本中がやっていたわけだから制止をすべきだったと思う。
ひるがえって冒頭の「家庭での奨励行動」に戻ると、
おそらくは個人レベルの収支だけをみて「良い大学入って良い会社」を言っていたのだろうから、それ自体は矛盾していない。問題は、それを皆が行うことによる合成の誤謬めいたものについて、個々の家庭レベルでは全くフィードバックがかからなかったことにあると思う。
(加えて、会社の方にまともな人材活用の体制が存在しないことについて想像が及んでいなかったこともあると思う)
であれば、これも全体が見えている文部省なり通産省なり(むかしの時点の話なので旧名称)がブレーキをかけるための動きをするべきだったのではないか。これについては縦割りの弊害に加え、通産省の伝統的近視眼がアカンかったように思う(強いニュアンスを出すためここだけ関西弁)。農業的観点で、毎年どれだけの人材が輩出可能で、それぞれどの程度活躍してくれることを期待するか、というような分析があれば、人材を無駄遣いするところに突っ込ませるような家庭の性向は、役所挙げて早期に改めさせようという動きがあるべきだったのではないかと思う。
じつは是正の動きがあったのか、なにかファクターを見落としているのか、そもそも前提に誤りがあるのか、教えてくださいエロい人。
(もちろん一部は適切に活用されていたであろうしというのは分かっています。マスをなるべく有効活用するという観点の話です。
あと何でも役所に頼るのはおかしいというのも分かるけど、昭和の日本で社会の利益について動けたのが役所以外にどこがあるのかというと…)
2017/06/26
2016年12月20日、日本のテレビ東京系のテレビ番組「開運!なんでも探偵団」で「衝撃的なニュース」が報じられた。番組始まって以来最大の発見として、世界で4個目となる中国宋時代の陶器「曜変天目茶碗」が発見されたというのだ。番組の中で、日本の著名な美術鑑定家の中島誠之助氏は、「12~13世紀の中国南宋時代に福建省の建窯で焼かれた『曜変天目』に間違いない」と述べ、2500万円の価値があるとした。
「曜変天目茶碗」は中国の宋時代に作られ、その窯は建窯と呼ばれた(歴史的には建陽窯とも呼ばれる)。現在の福建省南平市建陽区水吉鎮にある。この茶碗は釉薬が焼成の過程で流れ落ちて厚く溜まり、一部は凝集して滴を作る。この滴の周囲で特殊な窯変反応が起き、七色に輝く光彩を生じる。その輝きはまるで夢幻かあるいは変化する気象のようで、色鮮やかな霞をまとっており、神秘の小宇宙に輝く星空のようだ。この種の茶碗が焼けるのは極めてまれな偶然によるもので、一説には窯変過程でこのような効果が生じるのは数百万個に一個ほどと言われる。現在世界に存在する完全な「曜変天目茶碗」はわずか3個で、東京の静嘉堂文庫、京都の大徳寺龍光院、大阪の藤田美術館が所蔵し、すべて日本の「国宝」に指定されている。中国には現在「曜変天目茶碗」の陶片が1点あるのみだ。
天目茶碗は宋代に制作され、その生産は元時代の初期まで続いたが、以後は二度と作られていない。中国では明や清の時代に曜変の再現が試みられたが成功しなかった。日本では江戸時代から再現が試みられており、美濃や瀬戸で「白天目」などは生産されたものの、「曜変天目茶碗」の再現には至らなかった。1974年、日本の化学者安藤堅は48歳で、それまで定収入が得られていた仕事を辞め、高級住宅も売却して「曜変天目茶碗」を再現するための研究を始めた。彼は貧困の中で困難な研究を続け、ついに1977年に古代の「曜変天目茶碗」に似た最初の作品を焼くことに成功した。安藤に続いて、日本の陶芸家の林恭助、桶谷寧、長江惣吉や中国の人間国宝(国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人)である孫建興らが曜変に似た作品を作っている。
番組の放送後、徳島県教育委員会はこの茶碗を県文化財に指定するための調査を計画した。
しかしここで、日本の陶芸家や専門の研究者から「曜変天目茶碗である」という番組の鑑定に対して疑問が投げかけられた。愛知県で古くからの窯が多い瀬戸市に住む陶芸家の長江惣吉氏は家業の陶工を継ぐ9代目で、父親の曜変天目研究を継承している。彼は父の業績を引き継ぎ、「曜変天目茶碗」の再現に一定の成功を収めた。1996年以来、中国を28回も訪れて建窯の研究を行っている。中国では中国科学院上海珪酸塩研究所と連携して陶磁器の国際研究会にも参加し、中国の陶磁専門家に友人も多い。中国古陶磁の再現についても意見交換を行っている。その長江氏が番組に異議を唱えたのだ。彼はインターネットで、福建省周辺で作られた「曜変天目茶碗」の複製品を購入し、これが番組の認定した「曜変天目」と出所が同じだと考えている。
「この茶碗には顔料(スピネル顔料)が使われています。この顔料はヨーロッパで18世紀に発明されたもので、曜変天目が作られた宋代(12~13世紀)には存在しません。ですから、こういった顔料が宋代の茶碗に使われることはありえません。この顔料の主な成分は、化学的に製造されたコバルト、クロム、セレン、カドミウムです。これらの元素が多く含まれていれば、例の茶碗を分析すれば各々の顔料部分からこれらを検出できるはずです。これらの元素は完全に天然原料から作られた当時の建盞には全く含まれません。仮にこれらの元素が天然原料に不純物として含まれていたとしても、その量は 0.01% 程度にしかなりません」
「曜変の光彩はオパールのように、見る角度が変わると光彩も変化します。非常に美しく、人を魅了するものです」
「いわゆる「曜変」という言葉の意味は、輝きが変化するということです。(長江氏がネットで購入した茶碗を示しながら)しかしこの茶碗は、単に青・緑・赤の顔料が発色しているだけです。この種の茶碗の場合、釉薬の成分(リン酸)の関係で、顔料釉と白濁釉にわずかな光彩が出るのみです。曜変の明るい光彩とは比べ物になりません。私がネットで買った茶碗を番組の茶碗と比べると、赤色の内側部分がよりはっきりしていて白い部分はありませんが、これは顔料で描くときの方法の違いや白濁釉と顔料の濃淡の違いによるもので、実際のところはどちらも同じですよね?」
長江さんは後で筆者に述べた。
「あの茶碗は中国の福建ではどこでも見られる商品です。「曜変天目茶碗」に似ていると言う人もいるかもしれませんが、これは偽物として作られた物ではなくただの商品で、非常に安い値段で売られています。番組の中でテレビ東京はあの茶碗を宋代に作られた「曜変天目茶碗」だと説明しましたが、これは「鹿を指して馬だと言う」ようなものでしかありません。」
中国陶磁史と中国陶磁考古学の分野で世界的な影響を持つ権威である沖縄県立芸術大学教授の森達也氏も、筆者の取材に対してこう述べた。
筆者がその理由を尋ねると、森達也氏は以下のように述べた。
「1. 日本国内には3個の「曜変天目茶碗」があります。私は杭州で出土した「曜変天目茶碗」の破片も手に取って見たことがあります。「曜変天目茶碗」の外側にはテレビ東京の番組の茶碗のようなはっきりした模様はありません。
2. テレビ東京の番組の茶碗に見られる模様は雲のようですが、これは曜変天目の模様とは全く異なります。本物の「曜変天目茶碗」の模様は白くて丸い斑紋で、その周囲には虹のような色鮮やかな光芒が出ています。
3. テレビ東京の番組で鑑定された「曜変天目茶碗」には、茶碗の底に「供御」という二文字があります。確かに建窯の窯跡では「供御」と書かれた陶片が見つかっていますが、割れていない完全な陶磁器でこの二文字が刻まれたものは世界中で一つも見つかっていません。模倣品でこの二文字を刻んだものは数多く存在します。テレビ東京の茶碗は本物の「曜変天目茶碗」とは全く異なるものですが、最近中国で流行している模倣品とは非常によく似ています。」
「テレビ番組としては劇場的な効果さえあればよく、科学的な研究は要らないのです。あの茶碗が日本の3点の国宝と同じであるなどというのはナンセンスな話ですが、陶磁器科学の研究を行っている人々からすればこれは非常に残念なことです。」
この論争は中国にも広がっている。中華陶磁芸術設計大師の資格を持ち、国家級非物質文化遺産建窯代表性伝承人(日本の人間国宝に相当する)でもある建窯陶磁研究所所長の孫建興氏は、「曜変天目茶碗」を再現し建窯を再び曜変の産地とする事業に40年にわたって取り組んでいる。彼はこれまでに黒釉の天目茶碗や黄(赤・青・金・銀)などの兎毫盞、異毫盞、虹彩(金縷、白点)、鷓鴣斑、鐵銹斑、毫変、国宝油滴、金(銀、虹彩)油滴、黄天目、蓼冷汁、灰被、玳瑁、柿紅、虹彩、金(銀)彩文字、木葉、窯変、曜変天目などの一連の作品を作ってきた。彼が長江惣吉氏に送ったメールで、彼は述べている。
「これは曜変の偽物で、現代に焼かれたものです」
筆者も電話で孫氏と長時間話をした。彼は筆者にこのように述べた。
「テレビ東京で放送された茶碗はせいぜい数年前に作られたものです。」
新聞や雑誌で真贋論争が過熱した後、この「曜変天目茶碗」の所有者は茶碗を奈良大学文学部文化財学科教授の魚島純一氏に渡し、分析を依頼した。魚島教授は蛍光X線装置を用いて茶碗表面の色の部分を分析した。
魚島教授は物質に含まれている元素を検出できる蛍光X線分析装置で、茶碗表面の各色にX線を照射して元素の種類と量を測定した。その結果、アルミニウムなど10種類の元素を検出したが、化学顔料に使われる元素については発色に影響しないほどわずかな量しか検出されなかった。
魚島教授は述べている。
「X線分析の結果、表面のどの色の部分かによらず、検出成分はほぼ同じであった。このことから、茶碗に使われている釉薬は1種類であると考えられ、この分析結果からは茶碗が偽物であることは断定できない。」(《德島新聞》,2017年2月28日)
一方、長江氏は筆者に対して次のように述べた。
「魚島教授は、釉薬の発色に影響するだけの量が検出されなかったため、判断ができないと言っている。であれば、魚島氏は最低限どれだけの量が含まれていれば発色に影響するのかを具体的に言った上で、分析の結果その最低量を下回っていたことを示さなければならない。しかし、魚島教授のデータには下限値の数値も書かれていないし、彼が分析で得た数値も書かれていない。よって彼の判断には根拠がない。」
日本の複数のメディアの報道によれば、その後、茶碗の所有者から茶碗についての資料が提供されないため、徳島県は文化財指定のための調査を中止した。
私自身、「開運!なんでも鑑定団」は好きな番組だ。自分も中国の古陶磁を蒐集しており、骨董の鑑定について10年近く独学で学んでいる。浅学ながら陶磁器の本や文章なども執筆してきた。私は中島誠之助さんの陶磁器鑑定、特に日本の陶磁器鑑定については相当の経験をお持ちで深い造詣を有していると思っている。
だが、中島さんと彼の鑑定についてはともかく一般論として、一人の鑑定士の鑑定範囲が日本だけでなく海外をもカバーして、なおかつ正確であることを求められるというのは、鑑定士にとっては間違いなく一種の冒険と言ってよい。陶磁器は全世界に存在し、最古の陶器は数万年以上の歴史を持っている。一人の鑑定家が古今東西全てについて完全に判定できて一度も間違えないなどということが可能だろうか? 一度間違えればその後も間違いの危険は存在するのだ。
「荘子」で述べられているように、「吾が生や涯(かぎり)有り、而(しか)も知や涯無し。涯有るを以て涯無きに随(したが)うは、殆(あやう)きのみ」(我々の人生は有限である。しかし人間の知は無限だ。有言の身で無限のことを追い求めるのは危うい)なのだ。
このことは、最も権威ある陶磁器研究者であっても忘れてしまうことがある。例えば、1959年、国際的に知られた陶磁研究の専門家で日本陶磁研究の第一人者でもあり、当時日本の文部省の技官として文化財専門審査会委員を務めた小山富士夫氏が、「永仁の壺」と呼ばれた陶器を日本の重要文化財に指定するよう強く推薦したことがあった。これを受けて同年6月27日、文部省は「永仁の壺」を鎌倉時代の古瀬戸作品であるとして重要文化財に指定した。
その後、日本の有名な陶芸家であった加藤唐九郎が海外に渡航した際に、唐九郎の息子である加藤嶺男が「いわゆる「永仁の壺」は自分が作った」と述べた。唐九郎の帰国後、彼はメディアが大騒動になっているのを目の当たりにした。1960年9月23日、唐九郎は「永仁の壺」は1937年に自分が作ったものであることを認めた。(真の作者が誰であったのかについては異なる見解がある。)「永仁の壺」が本物である証拠は、古瀬戸の「松留窯」で発見された陶片が「永仁の壺」の胎釉と一致するという点にあったが、実は「松留窯」自体が加藤唐九郎による捏造で、陶片も彼が偽造したものだった。
このようにして、「永仁の壺」を含む重要文化財3点が指定取り消しとなり、小山富士夫は委員会を辞職した。ゆえに、賢明な鑑定家は誰であれ、古物の鑑定には、異議の申し立てが容易に行えるように、議論の余地を残しておかねばならないのだ。
私は中島氏の鑑定が間違っていたと言っているのではない。第一に、私はこの分野の専門家ではない。この件で私が真贋を判断するのは無意味だ。第二に、厳密にいえば、文物の鑑定とは考古学、歴史学、美学、自然科学にわたる総合的な学問である。全面的に、かつ正確に古代の文物の年代を特定・鑑定する厳密な科学的方法は存在しない。言い換えれば、こういった議論で100%の是非を決める結論を得るのは難しい。
筆者は言いたい:このような重大な鑑定では、もっと広く意見を求めるべきだったのではないか?
確かにテレビ番組では、科学研究の場合のように「この品物が疑わしい」と言うのは難しいことだ。しかし、結論を出すのが難しい文物、特に「鑑定団史上最大の発見」といった結論や、「現存4個目の中国宋代の陶器「曜変天目茶碗」」のような鑑定については、中国建窯の専門家と日本の権威ある専門家の意見を求めるべきではないだろうか。筆者はテレビ東京の番組担当者に、この論争についての意見を求めて何度も電話をかけ、メールを送った。しかしこの原稿を執筆している時点では、彼らからの返答はない。「週刊ポスト」の報道によれば、この件についてのテレビ東京の見解は以下の通りだ。「鑑定は番組独自の見解であり、お答えすることはございません」(《週刊ポスト》,2017年6月23日,146頁)
だが、もしもっと広く意見を集めることができたら、例えば中国で初めて建窯の陶磁器の再現に成功した前述の孫建興氏のような専門家の意見を求めてはどうだろうか? 彼の「曜変天目」に関する研究と実験は非常に深いものだ。彼は考古学、鑑定、科学実験の各方面に非常に造詣が深い。こういった人々の意見には重みがあると言えないだろうか。もしテレビ東京がこのような人々にもっと意見を求めるようにすれば、論争は減るのではないか?
もう一つの問題は、文物の鑑定に自然科学が介入するという話だ。実際、今のところ文物を科学的に鑑定する完璧な方法というのは存在しない。多くの人が挙げる放射性炭素年代測定法は、自然界に存在する炭素14という同位元素を使ってもともと生きていた動植物の年齢を決める放射年代測定法だ。動植物が生きている間は生物の新陳代謝によって生体内の炭素14の量は一定に保たれる。生物が死ぬと体内の炭素14は崩壊して減り続ける。だが磁器・陶器・青銅器などは無機物だ。しかも時代の古い文物の場合、炭素14年代測定では年代の上下の誤差が大きい。一方で、1000年から2000年前という比較的新しい歴史的文物の場合、基本的には炭素14鑑定は使えない。
また、熱ルミネッセンス法と呼ばれる鑑定方法もある。陶磁器が焼かれるときに500℃以上に加熱されると、外部から吸収した輻射エネルギーが放出される。その後、焼成から年月が経つと、年月の長さに応じた量の輻射エネルギーを再吸収していく。熱ルミネッセンス法の原理は、古陶磁の内部に蓄えられているこの輻射エネルギーの量を計ることで年代を測定するものだ。誤差範囲は一般的に±20%程度で、相対的には正確な方だ。
しかしこのような報道もある。
「数年前、北京の二つの有名な博物館がそれぞれ六朝時代の陶器を古物市場で20万元で購入したが、後にそれらがすべて贋作であることが判明した。これらの品は河南省の某博物館の下で作られたアンティーク工芸品であったが、なぜこれらが北京の潘家園旧貨市場に流れたのかは分かっていない。ある古物の専門家が古物市場を訪れ、そこで売られている品物を熱ルミネッセンス法で調べると、約1600年前という測定結果が出た。そこで誰もがそこの品物を買った。買われたことが知られると、同じような品物が古物市場にどんどん出現した。そこで国家文物局がすぐに公安部に通報した。公安部の担当者は、「墓が荒らされて大量の遺物が盗まれる事件が発生している」と説明した。警察が現地に到着すると、地元の住民が自宅で贋作を作る作業をしているのを発見したという。彼らは六朝時代の墳墓から盗掘したレンガを削って粉にしていた。この粉を贋作に使えば、熱ルミネッセンス法にかけても墳墓の中で長年溜め込んだ輻射を出すので贋作を判別できなくなる。また彼らは、こうして作った粉で六朝陶器を偽造するための特別な装置も使っていた。このようにして、熱ルミネッセンス法での検査は失敗してしまうのだ。」 (《鑒定家VS造假者》,新華網,2005年03月15日)
魚島教授が蛍光X線分析を用いた点に関して、森達也教授は私に述べた。
筆者は魚島教授にも、蛍光X線検査について質問を行った。彼は言う。
「私はあくまでも顔料部分の元素を調べる目的でこの装置を用いました。私が調査結果を発表した際に、茶碗が偽物であると考える人たちから非難を受けましたが、私は真贋鑑定をしたわけではありません。」
筆者:
―― それはつまり、あなたの検証結果は、この茶碗には18世紀以降の顔料は使われていない、ということですよね。
魚島教授:
「それは新聞がいい加減に書いていることです。私は18世紀以降云々といったことは言っていません。私はただ、現代のものと考えられるような種類の顔料は検出されなかった、と言っているだけです。」
筆者:
―― 言い換えれば、18世紀以降に発明された化学顔料は使われていなかった、ということですよね?
魚島教授:
「これらの顔料が使われているから茶碗は偽物なのだと主張する人々もいますが、私はただ、そのような顔料は検出されなかった、と言っているだけです。私は陶磁器鑑定の専門家ではありません。あの茶碗が偽物だと主張する人々は、化学顔料の元素が茶碗に含まれているはずだ、と言っています。私は単に、その元素があの茶碗に本当にあるかないかだけを調べたのです。どの時代に作られたものか、という調査をしたのではありません。ただ、あなた方が言っているような元素はありませんでした、と言っただけです。」
筆者は質問した。
―― 例えば、もちろんこれは(例の茶碗のことではなく)仮定の話ですが、誰か現代の人間が、今回指摘されたような元素を含む現代の化学顔料ではなく、昔の顔料を使って茶碗を作ったとしたら、あなたの検証方法では今回と同じような結果が出ますか?
魚島教授:
「その可能性はあります。」
しかしながら、中国では古代の陶磁器を偽造または模造する際に化学釉薬を使うことは多くない。中国の多くの地方には陶磁器の偽造工房があり、こうした工房の多くには専門技術を持った人間がいるわけではない。地元の農民が、数千年間にわたって埋まっていた陶土を掘り出し、古代の方法で焼いているのだ。匿名で語ってくれた、中国で著名な建窯の研究家や考古学者、鑑定家たちが筆者に述べたところでは、現在中国には建窯産品のコピー品工房が1600以上存在する。その多くは偽造品を作りたいわけではなく、単にアンティーク風の品や旅行土産を製造するのが目的だ。もちろん中には偽造品の製造を目的とする人々もいるが、偽造品の製造方法はどこにでもあるような手法だ。科学的な鑑定が困難になるように、古い器の底の部分だけを新しい器に接合したり、古い胎土に新しい釉薬を使ったり、古い胎土に古い釉薬を使ったり、その他いろいろな方法を使っている。
このことは、古物鑑定が文化や歴史年代、改竄や継承といった問題と関わっていることを示している。加えて社会的な影響や国際的な影響も大きい。今回の鑑定やテレビ東京の件は別にしても、日本の博物館や歴史研究部門では、中国の文物を鑑定する際に同じような問題に直面しているはずだ。それゆえ、重大な結論に至るような場合には、我々は注意深くなる必要があり、広く意見を求めるべきなのだ。
張石 略歴:
1985年、中国東北師範大学外国語言文学系研究所卒業、修士号を取得。1988年から1992年まで、中国社会科学院日本研究所助手研究員、 Permalink | 記事への反応(0) | 00:35
横書きで句読点は,(コンマ)と.(ピリオド)でもいい?|日本語・日本語教師|アルク
句読点は表記法上は「くぎり符号」と呼ばれるものの一種です。政府がまとめたくぎり符号の用い方としては、昭和21年文部省国語調査室によって作成された「くぎり符号の使ひ方(案)」などが代表的なものといえます。
ここでは、くぎり符号のうち句読点に相当するものとしては「。」および「、」が扱われています。しかし、横書きの表記に関しては言及がみられません。横書きの表記法については昭和25年文部省編による「国語の書き表し方」の中に言及があります。それによるとくぎり符号の使い方は次のように書かれています。
くぎり符号の使い方は、縦書きの場合と同じである。ただし、横書きの場合は「、」を用いず、「,」を用いる
したがって横書きの場合の「,」の使用は強制ではないものの、一応正式に認められているということになります。しかし、「、」以外のくぎり符号については「縦書きの場合と同じ」ということは「。」については横書きの場合も同じものを用いるという解釈になります。つまり横書きにおける「.」の使用は正式な文書の形では言及されていないということです。
ただし、これも強制ではなくご質問にもあるように、最近では「.」を用いる本や雑誌も少なからず出版されています。目安としては縦書きが「、」および「。」で横書きが「,」および「。」ということになりますが、実際の使用は慣習に任されているのが実状といえるでしょう。
すまんね、30~40代って議会だよりに載ってたグラフではその年代だけ傍聴者0なんでまとめて0人って係れていたという事。僕の書き方が悪かったよ。僕は僕と同い年が、その学年だけがピンポイントでダメで異常だと思っている。
僕は1982年生まれの35歳なんだけど、卒業大学の教授の話しだと、大学が創設以来最も勉強しなかったのが僕のひとつ上の学年で(しかし活動的な人達が多かった)、最もダメなのが僕の学年、という事だった。二学年から下になるとまた様子が違っていて、勉強や就活に熱心な人が多い印象だった。
どうせ僕の思い込みだと切り捨ててもらっても別にいいし、皆が皆ダメとは言わないが、僕の年代の覇気の無さは異常というのが僕の考えなんだ。
酒鬼薔薇とかバスジャックの犯人とかあと親をバットで撲殺した奴だっけ?凶悪犯罪者とほぼ同い年というので「キレる17歳」などと呼ばれた世代だった。秋葉加藤もたぶん同い年だと思う。
僕達は、大学の教授には学年丸ごと見離されていたが、高校時代までは非行が少なくて拍子抜けって言われていた。
今「キレる17歳」でググってみたら、Wikipediaに"1982年生まれのある女性は、酒鬼薔薇事件が起きた際、学校で「同級生の犯罪」について作文を書かされたという[6]。"https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%8B17%E6%AD%B3 って書いてあったけど、その作文書かされたの僕も覚えているよ。確か文部省から教育委員会に書かせろってお達しが来て書かされたんじゃないか?作文っていうか反省文だったな。自分がやった事でもないのにどう反省しろっていうんだって思った。
最近、ベテラン保育士である知人から聞いた話だけど、僕の世代が子供だった頃は幼児教育がかなり厳しかった時代で、まるで猿回しか軍隊みたいに子供達をしつけていたそうだが、そういうのが何か関係あるのかな?
ここでは学校教育の問題に限定して体罰の問題について述べるので、特定の話題について触れることはしない。
まず、体罰は法的にどう扱われているのか
文部省が文部科学省に再編成されたさい、文部大臣が文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。
つまり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。
この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。
よくある誤解に過ぎないのだ。
このような見解を披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。
喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。
ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。
職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。
実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である。
それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである。
今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ。
問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。
同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から「体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である。
たとえば以下のようなガイドラインが示されている。
文科省 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
いずれにしろ、文科省が体罰を認めていないことだけは明確である。
教室で質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。
ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒の範囲内だ」という議論は当然あり得る。
しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。
効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為の正当性まで議論の範囲は広がらざるを得ない。
あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正で対応するほかあるまい。
ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。
何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。
それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。
ここでの話はあくまでも学校教育に限定しているので、学校外での出来事に適用できるものでないことは最初に断った通りだ。
補足
最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。
たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨の発言がされたと仄聞するが、
発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校を卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである。
今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。
中学の知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。
結局この問題のポイントは筑駒の運命がどうなるのかに尽きる。というか、もうちょっとはっきり言うと、この有識者委員会メンバー
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/077/meibo/1376860.htm
を見ても、たぶん生涯筑駒、開成、灘とかとは無縁だったのではないかなぁという人たちばかりで、この有識者委員会の本来の議論の対象は地方の大学付属校ではないかと思われ、自らの議論可能な能力を大きく逸脱する範囲に議論を広めてしまっているように思われる(まあ、むかしから筑駒に関わる大人はそういうのが多くて、教官はよく守ってくれていたと思う)。都心の超進学校であり、大人でも解けない国際数学オリンピックとかにいけちゃうような学生を何人も擁するような筑駒とか、そこまでではないにしても学附や筑附とはなにかを知っている人間はいないように見える。
ところで歴史的経緯を見れば、筑駒というか教駒がそのレベルを上げたのは、学区制度が導入され都立日比谷が急激に凋落した時期と一致していた。筑駒の教官は十分それを認識していて、目をつけられる時が来れば文部省(当時)はすぐにでも筑駒を潰そうとするだろうと語っていた。だからできるだけ目立たず隠れようとしていると。生徒のレベルは筑駒>開成であるのは明らかなのだが一般紙にはなかなかその事実は載らない。それはマスコミの取材をできるだけ避けるなど一応努力しているから、みたいだった。
財務と外務の中央省庁に多くの出身者がいて(文科にはあまりいないけど)、政治家もいるし企業トップ、大学トップ(これが一番多い)もたくさんいるような筑駒なら、国にその出身校を潰させるような施策を決定させることはないかというと、都立日比谷が潰された経緯を見ればそんなことはない。教育関係者が潰そうと思えば潰されるだろう。
まあ、そういうことだから、都立日比谷が潰された後に教駒のレベルが確定したのと同じように、筑駒が潰されれば何か他ができるんでしょうけどね。都立日比谷や筑駒のような学校が嫌いな人には、この運動をしてもどうせほかにまた同じものができる、と単に伝えたい。それがもし、昔に戻って都立になるというのなら、筑駒とは違って横浜とか千葉とかさいたまの人は通いづらい高校になってしまうだろうな。そしたら県立がのびるからいいのかな。
あと、都立日比谷や西のレベルが学区制度導入でコテンパンに潰された後(都立日比谷から東大入学者がゼロになった年に、都教育委員会がガッツポーズしたという噂もあり・・・)、それら高校の教員のそれなりの数が予備校に流れ、そのため予備校のレベルが大きく向上したとの話がある。つまり、塾や予備校に行かなければよい講師がいない、という意味での教育の経済格差を生み出したのはむしろ(そういうものをなくそうとしたはずの)学区制度導入であったのではないかという見解。
ここに書いたのは単なる噂話のみだ。真実性はあると私は思っているけど、それを担保するものはなにもない。しかし、もう少しきちんと専門家がこの辺りを調査して、科学的に結論を与えてから、筑駒を潰すかどうかは考えてほしいものである。
「教育勅語礼賛」の気持ち悪さ(古谷経衡) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20170310-00068568/
この記事では、必ずしも教育勅語自体が問題なのではなく、教育勅語を礼賛する人々の矛盾を指摘している事を理解していないコメントが多すぎる。
教育勅語を礼賛とまではいかないが、信奉しているとみられる人達のコメントを見て、やはり教育勅語は間違っていると思った。
森嶋通夫「教育勅語の悪いのは、守れと言った徳目の中身―父母に孝行し、友達と仲良くせよ等―にあるのではなく、なぜ天皇や、国や、文部省が、国民一人一人の問題である倫理問題に口出しして、『億兆心を一にせよ』とか『徳を一にせよ』などと命令するのであるかという点にある。倫理は命令されて守るものではない。天皇や政府がこういう態度で倫理を教える限り、『精神そのもの、あるいは、人間そのものが、それ自体で自由である』という倫理の根本が、日本人に理解されることは絶対にない」
https://this.kiji.is/207438898890506241
情報提供の受付
https://www.jbaudit.go.jp/form/information/index.html
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51052?page=2
「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
「戦前っぽいもの」のパッケージは、戦後長らくつづいた保革対立のなかで形成されたものである。
保守勢力(自民党文教族、文部省など)は、教育の荒廃が叫ばれると、かならず国旗掲揚、国歌斉唱、「教育勅語」の再評価、修身の復活などを主張してきた。
国旗国歌問題に火をつけた第三次吉田茂内閣の天野貞祐文相は、その嚆矢である。内藤誉三郎(文部事務次官→参議院議員→第一次大平正芳内閣の文相)のように、「天壌無窮の神勅」を学校で教えるべきだと主張した例もある。
教育機関で国民国家の歴史や意義を教えることは必要である。国民国家は、現在の国際政治の基本的な単位だ。これを否定するつもりはない。
グローバリズムの時代、国民国家というシステムをいかに無理なく保守・管理・運用していくか。政府への盲従や排外主義などの欠陥は認識しつつも、こうした問題に取り組んでいくことは欠かせない。
パッケージを丸呑みするかいなかの二者択一は、あまりに単純すぎる。
ナショナリズムはいつどこで芽生えるか →戦争で負けている側である。
あるいは学歴を誇る人間はいつ登場するか。→落ちぶれてそこしか砦がなくなった時である
東大卒のりょーすけさんなどは、もう道具として使う。ふつうはそういうものだ。
東大生かくあるべし、みたいなことを言い出すのはかなり痛い
今日ほど「君が代」に関する議論が劣化した時代はほかにないだろう。
「君が代」を歌うか、歌わないか。問題はあまりに単純に二分化され、歌えば保守・愛国であり、歌わなければ左翼・反日であると即断される。そしてこの単純な白黒図式に基づき、「愛国者」を自任する者たちが、気に入らない相手に食って掛かるしかも、驚くべきことに、この「愛国者」を自任する者たちの多くは、「君が代」の歴史や意味をロクに知らないのだ。「君が代」は、敵と味方を判別し、敵を吊るし上げるための単なる「踏み絵」と化している
「ネットモブ」が「ネット右翼」と呼ばれたために、その主張も「保守」や「右翼」のものと勘違いされてしまった。この結果、昨今のナショナリズムの「再評価」とあいまって、歴史的な経緯に詳らかではないネットユーザーのなかで、劣化した議論が急速に肥大化してしまった。
1890年2月、帝国議会の開会を直前に控え、地方の治安維持をつかさどる県知事(内務官僚)たちは、「文明と云ふことにのみに酔ひ、国家あるを打忘れた」自由民権運動を抑制するため、「真の日本人」を育成する国民道徳の樹立を求めた。
→とはいえ、当初の「教育勅語」の内容は、後世の文書などにくらべて、意外にも慎ましいものだった。
「日本は神の国であり、世界を指導する権利がある」などという大それた神国思想は、「教育勅語」のなかに見られない。これは、『国体の本義』(1937年)や『臣民の道』(1941年)などで、教育界に広められたものである。
むしろ「教育勅語」の内容はかなり抑え気味だった。たしかに、「我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ」「天壌無窮ノ皇運」など神話にもとづく記述もあった。だが、そこに掲げられた個々の徳目は現実的で、日常的な振る舞いに関するものが多くを占めた。
日本が日清戦争や日露戦争に勝利し、帝国主義列強の一角を占めるにいたって、かえって問題が指摘されるようになった。大国日本の国民道徳として、「教育勅語」はあまりに物足りないのではないかと注文がつきはじめた
→君主たるもの、特定の政治的、宗教的、思想的、哲学的立場に肩入れする言葉を使うべきではなく、またその訓戒も「大海の水」のごとくあるべきで消極的な否定の言葉を使うべきではない
また、井上は帝国憲法の起草者として立憲主義を尊重し、「君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と述べて、「勅語」を軍令のように考える山県の構想も牽制した。
もちろん、自由民権運動対策が念頭にあったこともあり、独立自治などにつながる徳目が慎重に排除されていることは見逃せない。その一方で、その内容は、神国思想や軍国主義の権化のごとき過激なものでもなかった。
追加修正
西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。
1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された
この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。
結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。
1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ
「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。
読書会で夏目漱石の「私の個人主義」を紹介するための、原稿です。
<コ:ミ <コ:ミ <コ:ミ
漱石といえば、「吾輩は猫である」や「こころ」が特に有名な小説家です。
「私の個人主義」は講演をまとめた本です。
タイトルの「私の個人主義」というのは、大正3(1914)年11月25日、学習院で行われた講演のタイトルです。
漱石は1916年12月に亡くなったので、亡くなる2年前程前の講演です。
5つの中から、「私の個人主義」について、内容をご紹介します。
学習院で行われた講演ということで、若い学生を対象にしていたようです。
漱石が学生だった頃、卒業する直前までどんな職業につくのか決められなかったそうです。
漱石は「今と違って就職は大変楽でした」と語っているのですが、
彼はどちらにも半分承諾するような事を言いました。
いい加減な事をしたわけです。
呼びつけられて、怒られるのですが、結果高等師範に行く事になりました、
熊本で教師を続ける中、文部省化からイギリスへの留学を勧められます。
彼は断ろうと思いました。
なんの目的も持たずにイギリスに行ってもしょうがいないと思ったわけです。
結局、教頭先生に勧められ反対する理由がないということで、イギリスに行くことになりました。
「そんなあやふやな態度で世の中へ出て、教師になったというより教師にされてしまったのです」と言っています。
彼の心境は非常に苦しいものでした。
「腹の中は常に空虚でした」とか
「この世に生まれた以上何かしなければならん。といって少しも見当がつかない」
そして、今までは他人本位で、そこいらをでたらめに漂っていたから、駄目であったという事に気が付きます。
この喜びを
「ようやく自分の鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです、」など
そして、学生に対して、同じような悩みがあるのでは?と強く訴えます。
「貴方がた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申し上げるのです。」などと言うのです。
自己本位が必要なのでは!?という漱石の熱い語りは、もしかしたら彼のイメージと異なるかもしれません。
彼が人に流されて生きてきた。
その腹の煮え切らない不愉快な気持ちと、そこから解放された実感は私にはよく理解でき、感動すらしました。
ここまでが第一部の内容です。
個人主義や自己本位というと、自分勝手にふるまうような事をイメージされるかもしれません。
自分の自我を尊重するのであれば、他人の自我も認めなければならないといいます。
講演を聞いている学習院の学生というのは、今よりも強い意味を持っていました。
気に食わない相手を懲らしめるために人を買収したり、妨害する事が可能なわけです。
彼は所属する団体や立場に基づき判断せず、理に適っているかどうかで判断する事が必要だといいます。
団体を作って、権力やお金のために盲動しない。というものでした。
素晴らしい考えだと思いますが、漱石は淋しい気持ちがある事を吐露します。
理に適っているのかで行動を決める事、そして他を尊重する事から、
漱石の中期~後期の作品は個人主義の目覚めとこの淋しさを書いたと理解しています。
特に、後期の作品にあたる「こころ」は淋しさががよく出ていると思います。
淋しいというしこりが残る形ではありますが、個人主義という考え方を
論理だけでなく、感情をまじえて教えてくれるというのが私の個人主義と漱石の魅力だと思います。
以上
池上氏関連のホッテントリがここ数日あがってたので、自分の思うところを書いてみる。
自分は一応、新卒で池上氏と同じ業界に就職(といっても、自分は紙媒体)し、記者という肩書をもらっていた経験がある。
7年ほど現場にいて、体壊して、ちょっと内勤の管理部門にいさせてもらったのだが、なんか、内側から会社を見ているうちに
もともと、あんまり向いていなかったかな?と思っていた業界がさらに嫌になって転職して
10年ちょっとになる。
普通、あの業界では、最初の何年か地方で修行して、いずれ東京や大阪に戻ってくるパターンが多いが、
自分の就職先は、いわゆる経済紙で(ってもう社名明かしたようなもんだが)地方支局が貧弱な会社だった故、
新卒が地方支局に行くという制度がなく、入社から退社まで東京で過ごした。
池上氏の凄さは、なんといっても、情報を取捨選択してわかりやすく伝えるプレゼン能力と、守備範囲の広さだと思う。
で、あれだけのことを伝えられるには、背後に相当の知識があるのであろうと思われている。
その「相当」がどの程度なのか、というと、たぶん、世間一般の人が想像するよりは、かなり浅くて、
けっこうぎりぎりのラインでしゃべっているのではないか、という気がする。それでももちろん、かなりのレベルではあるだろうが。
いわゆる大手のメディア企業の記者にまず最初に求められるのは、
「昨日聞きかじったばかりのことを、あたかも以前から詳しく知っているかのようにしゃべったり書いたりする能力」である。
なにしろ、日々、いろんなことが起こるのだ。
なかなか深堀している暇などない。
そうこうして、キャリアを積んでいくうちに、それぞれの専門分野ができていくわけだが、
大半の人は、きちっと専門分野を確立する前に、デスクや管理職になったりして、だんだんと現場から離れていく。
記者職としてキャリアを全うする人(編集委員とか論説委員とか解説委員とか)は少数派だ。
池上氏の経歴を見ると、NHKで地方局や通信部を回った後、東京の社会部で気象庁や文部省、宮内庁などを担当した、とある。
東京では、悪名高き日本の「記者クラブ」に所属し、最優遇される立場で、役人から懇切丁寧なレクを受けて、
それをニュース原稿に仕上げるのが、まず最初の基本的な仕事だったと推測する。
NHKの記者は特に、「特ダネ」を取ってくることよりも、「報道されるべき情報を落とさない」ことをなにより求められるらしいので、
多分、想像以上に、定例記者会見に出席したり、資料をチェックしたり、他社の報道を確認したり、
思いのほかルーティーンワークが多いのではないかと推測される。
(なお、NHKスペシャルなどのドキュメンタリー番組は、主にディレクター職の人が担当しているので、
一つのテーマを深くじっくり追いかけるのは、あまり記者の仕事ではないらしい。
実は自分もNスぺ作りたくてディレクターを第一志望にしてNHK受けたのだが、見事に落ちた)
で、そんなに知識が深くなくても記者が務まるのかといえば、そこそこ務まる。
自分は、そのさして長くない記者のキャリアの大半を、メーカーを中心とした企業の取材で過ごしたのだが、
正直、最初は、「貸方」「借方」もよくわかってなかった。(大学は政治学選考だったし)
それでも、入門書片手に勉強しながら記事書いて何とかなっていたし、
そもそも「大手メディアの記者」が企業の広報部を訪ねると、結構いろいろ懇切丁寧に教えてくれるのである。
多分、NHKの記者というのも、それなりの対応を受けるはずである。
もちろん、伝えてほしいことは積極的かつ懇切丁寧に伝え、触れられたくないことは隠しながら、だが。
中には、「たいてい経験の浅い若手が担当する企業」というのがあって、そういう会社の古参の広報さんの中には
「今、編集委員の何々さんねえ、あの人が新人のころ、私がいろいろ教えてあげたものだよ、わっはっは」なんて言ってたりした。
もし、あなたの会社の広報部に、なんだか大学出たての記者ばっかりくるようだったら、
もちろん、教わってばっかりでは舐められるので、こっちも勉強していくわけだが、
相手はその会社一筋なわけで、知識の深さでは、敵わないのが通常だ。
知識を深めるのは、そこそこにしておいて、知らなくてもはったりかませる胆力をつけたほうが役に立つ。
そうこうしているうちに、正面から取材を申し込んだり、正規の記者会見に出席したり、
ニュースリリースを原稿に仕立て上げているばっかりでは通り一遍の記事しか書けず、
社内的にもマイナス点はつかないものの、プラス点がつけられることもないので、
独自に夜討ち朝駆け(アポなしで取材対象のところに押しかける)したり、独自ルート作ったりし始めるのである。
そんなことをしているうちに、自分のような、結局途中で業界を去ってしまうような木っ端記者でも、
ごくごくたまには、取材担当企業の株価をストップ安にしちゃうような記事を書くチャンスが巡ってくることもある。
まあでも、ぶっちゃけいえば、そこそこキャリアを積んでいる先輩の中でも
減価償却費が資金繰りにどういう影響を与えるのかよくわかっていないまま、
それでも企業の経営危機について記事を書いているような人はざらにいた。
(まあ、自分も経験積みながらようやくわかるようになったクチで、
当初はなんのことやらわからなかったのだから、偉そうなことは言えないが)
それでも、首にはなりはしない。
そういえば、思い出したことがある。
今の若い人にほ想像もつかないだろうが、その昔、世界のエレクトロニクス業界をリードし、
今でいえばappleと同じくらいのブランド力で各種製品を生み出していたSONYという会社があった(今もある)。
当時はまだまだ、かつての威光が残っていた。
自分は、そこのメイン担当になるほどの能力もキャリアもなかったが、
たまたま、SONYの会社が取り組んでいる内容が、自分の取材テーマに関わっていたことがあって
取材を申し込んだことがある。
いわゆるストレートニュースではなくて、連載コラムのような記事を書くためである。
で、SONYに行ってみて驚いた。
膨大でかつ、非常にわかりやすくまとまった資料をお持ち帰り用に用意していたのである。
なんかもう、取材しなくても、この資料テキトーにまとめたら記事書けちゃいそうな。
もちろん、そんな手抜き仕事をして相手の思うツボにはまってはいかんので、
きちんと担当者さんに話を聞いて、自分なりの記事を書いてみたのだが、
やっぱり資料に引きずられなかったかといえば、影響はあったわけで、
まあ、恐ろしい会社であった。
かつて「メイド・イン・ジャパン」の強さの象徴として流布されたSONY伝説は、
もちろん実力の部分もあったけれど、伝説を伝説たらしめようという広報戦略によって
かさを増されていた側面も多かったというのは、そこそこ業界で有名な話である。
なんだか、大分、話がそれた。
多分、池上氏は、NHKでそこそこの社会部記者だったのだろうと思われる。
そんな彼の経歴の中で異彩を放っているのは、そろそろ管理職か専門記者か、という分岐点にさしかかったあたりで
キャスターに転身し、その後10年以上にわたって「週刊こどもニュース」を担当していたことだろう。
(すごい優秀な記者と認められていたら、ここいらで、海外支局あたりで経験つんでいるはずである)
「衆議院と参議院って、どう違うのですか?」とか「比例代表制ってなんですか?」とか、
「どうして輸出が中心の企業は、円高ドル安になると困るんですか?」とか
あらためて、そういうレベルからニュースを解説する仕事を10年以上も続けたジャーナリストは、
少なくとも今の日本では皆無に等しいんではなかろうか?
普通、そこそこキャリアを積んだ記者は、あらためてそんな仕事をしたがらないし、
そもそも、そんなレベルことは、真っ当な社会人ならば学校で習っているはず、というのが日本社会の建前で、
読者や視聴者を、そんなこともわからないヤツらと想定して記事や番組を作っていたら、
ある意味、「お客様をバカにしている」ことにもなりかねない(と、みんな考えていたのだろうと思う)。
まあ実際、そのレベルで作ってみたら、予想以上に受けたわけだが。
「こども向け」の番組というフォーマットを得ることで、池上氏はそういう稀有な仕事を追及していった。
その結果、得たのが、あのたぐいまれなるプレゼン能力だと思うのだ。
多分、池上氏程度の知識や取材能力をもった記者は、NHKや全国紙にはゴロゴロしていると思う。
(自分のかつての勤め先でも、そこそこキャリアがあって、東京でそれなりに仕事している先輩は、皆さんそれなりに凄かった)
でも、その知識や取材結果を子供にわかるレベルでよどみなくしゃべれる人は、そうはいない。
池上氏のニュース解説番組をたまに拝見すると、自然災害のメカニズムから、最新の科学上の発見、日本の選挙から世界経済まで
だが、自分が見る限り、その解説は一般紙や新書本で得られる知見を超えるものはほとんど見ない。
「いや、それは、視聴者に分かりやすいレベルにしているからで、その背後には物凄い知識が・・・」という見方もあるが、
果たしてどうだろうか?
多分、毎日6紙読むという新聞をベースに、ひたすら横に広くいろいろな情報を取り入れておられるように見える。
海外取材などの映像を見ることもあるが、どうも、テレビ局とコーディネータによるセッティングが透けて見えてしょうがない。
多分、その経歴からいっても、海外取材に独自のルートなどはそんなにお持ちではなさそうだ。
やはり、「あまり深くないレベルで次々とあらゆる分野に取り組んでいく」ことがこの人の真骨頂だと思う。
それが悪い、ということではなくて、それがこなせる凄さがある、ということである。
著書を読んでも(といっても、ほんの数冊目を通しただけだが)、たとえば同じNHK出身の元ワシントン支局長の手島龍一氏とか、
あるいは日経の元スター記者で週刊ニュース新書の田勢康弘氏の著書のような、深い取材と鋭い洞察に支えられた
凄みのようなものは感じられない。
やはり、この人の存在価値は「広く入門レベルの知識を提供する」以上でも以下でもないのだろうと思う。
(なお、今、軽く検索してみたらどうやらニュース英語の本まで出されているようだが、
膨大な著書のどこまでご自分で書かれているのだろうか?という疑問は置いておく。
出版業界では、驚くほど「著者が適当にしゃべったことを編集者やライターがまとめた本」というのが、世間で思われている以上に多い。
あと、池上氏が英語を話しているところって、あんまり見たことないような。
NHKの採用試験を突破するくらいだから、読むことに関しては、そこそこのレベルと推察できるが)
さらに、分かりやすさの理由の一つとして、「子供のような素朴な疑問にも正面から取り組む」というのがあるように思う。
巷間よくいわれる、選挙特番の「池上無双」の象徴ともいわれる「創価学会の話題」についても、
タブーへの果敢な挑戦というより、素朴な疑問を追求していった結果なのかもしれない。
「どうして自民党は公明党と組んでいるんですか?」という質問は、大人はあんまりしない。
それは何となくタブーであると感じているせいでもあるが、一方で「そりゃ、理由はみんな知っている」からである。
ましてや、「政治記者歴何十年」を売りにするような政治ジャーナリスト諸氏は、
そんなことよりも、自分の掴んできた独自情報を話したくて仕方なかろう。
「それは、公明党には創価学会という支持母体があって、固定票が見込めるからですよ」と優しく語りかけるのだ。
で、「では、公明党と創価学会の本部がある信濃町に行ってみましょう!」と、女子アナを連れてツアーを組んだりする。
実際、やってみれば、放送しちゃいけないタブーというほどのこともない。
そりゃそうだ。
ある程度、日本の政治に関心を持っている人ならば、普通に知っていることなのだから。
公明党の側だって、連立与党として大臣まで出す立場になった以上、その程度の取材を拒否するはずもなく、
「創価学会の人たちが、選挙は功徳だなんていう仏教用語を使っていたりしますが、政教分離の観点からみて
「創価学会は、大切な支持団体ではありますが、創価学会と公明党は全く別個の組織です。
政教分離というのは、政府が宗教活動を行ったり、宗教活動に介入したり、宗教団体が政治に介入することを禁じておりますが
宗教団体が政党を支持することを禁じるものではなく、現在の公明党と創価学会の関係は問題と思っておりませんが云々」
「そうはおっしゃいますけれども、ここに創価学会の名誉会長が、公明党に指示した文書がありましてね・・・」
などと、爆弾情報でもぶっこんで来たら、それは多少「タブーに斬り込んだ」ことになるだろうが、
そこまでのことはしない。
多分、そこまでの取材もしていないと思う。そもそもが、そういう役割の人ではなくて、そこは、
「はい、そうですか、よくわかりました」と視線を投げかけるという、
「子供にも分かるように語ること」「子供の持つような素朴な疑問をゆるがせにしないこと」
を常に追求し実践してきた所にあるように思われる。
これは、なかなかに難しい。
多分、そこには、「相手(子供)が、何がわかって何がわからないのか」を推察する想像力や共感力と
「限られた言葉で複雑なことを説明する」ことを可能にする、優れた言語能力が必要なのではないかと思っている。
ただし、限られた言葉で語りえることは、やはり、ある程度、限られているわけで、
昔はもっと(といっても20年位前とか)ひどかったし、
けが人なんて、毎年何人も出てた。出るのが当たり前だった。
それでも、来年からは組体操やめようとか、この競技はやめようとかそういうことにならなかった。
もちろんそういうことを訴える教師や保護者はいたけど、全体の空気感から、
むしろ、こういう問題に対しては、昔は補助員を増やすとか、練習時間をもっと設けるとか
下記のデータは、運動会、体育祭前の体育の時間の年代ごとの推移だが、
明らかに、近年に近づくにつれ、どんどん減っていっている。
http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2013/08/23/1338732_2.pdf
さらに、こちらは1990年、2005年、2014年の文部科学省(旧文部省)の
「健全少年育成のための方針」における「健全少年育成の身体の育成に関する方針」だけど
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Pdfdl.do?sinfid=000002589110
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199687
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199688
2014年はそもそも、「身体の育成に関する方針」が、まるっと章ごとなくなっている。
体育に対する時間的、金銭的、人的なコストが減少されていった原因であると推察できなくもない。
また、同書「健全少年育成のための方針」では、同時に安全基準についても記載されているが、
そちらについては、下記マキタ・ノリオさんの著書に詳しく書いてあるので、参照するといいと思う。
現在の教育の場における安全基準と、コスト削減方針の矛盾がわかりやすく解説されている良書だと思う。
つまるところ、教員の(補助員としての)能力不足や慢性的な人手不足、安全基準の向上に伴って、
旧来のコストのかけ方が現実的でなくなったところに、ボタンの掛け違い、歯車の噛み合わなさの元凶があるような気がするが、
皆さんはどう思うだろうか?
なんで日本の教育社会学者は筒井淳也順也の『仕事と家族』みたいな本を書いてくれないんだよ。
日本の高等教育について横軸(各国比較)と縦軸(歴史的経緯)についての各種データを参照しつつ、日本特有の「構造」を踏まえながら、人文系高等教育のあるべき「制度」について建設的に語ってくれよ!
財務省との戦いの最前線にいる文部省をdisる前に、文部省が闘うための武器(ロジックとエビデンス)をアカデミズム側の人間が配給できていないことに対して百万回反省的考察しやがれよ。
このままもし日本から人文系が消えたら教育社会学者のせいだからな。
1年以内に『仕事と家族』レベルの新書をだしてくれることに期待してるからな本当に頼むぜマジ
(*もう既に良い本が出てるという場合にはブコメでこっそり教えてください)
#追記:上記のような本を書くのは教育社会学者の守備範囲外だろ、とのブコメがありましたが、そうなの? 例えば『なぜ日本の公教育費は少ないのか: 教育の公的役割を問いなおす』の中澤渉って教育社会学者だよね? 外野の意見はそれとして教育社会学の中の人の自己認識を聞いてみたいので中の人がいたら教えてくれれば非常にありがたいです