はてなキーワード: 引き起こしとは
主体出版(しゅたいしゅっぱん/チュチェチュルパン)は楽天株式会社(楽天)で行われている主体思想に基づいて電子書籍流通を目指す出版法。
元来楽天はインターネットの総合サービスでネットショップモールとして開発が進められていた。そのため、ここに買収されたカナダkobo社による電子デバイスの発売が課題となり、三木谷浩史の指導によって進められた。
しかしその実態は、観念的発行点数に疑念を持たずに三木谷浩史の指導に服従し、精神論のみでやり抜く事を要求するというもので、伝統的書籍販売も科学的知識に基づく電子書籍もまったく無視しているため失敗し、楽天の電子書籍事業とそれを背後で支えるkobo開発部隊が破壊され、かえって収益減をもたらしたと言われる。程度こそ違うものの、ソニーやシャープもかつて同じような事を行い(ソニーの場合はリブリエを、シャープでは岡田圭子の指導やガラパゴスの顛末を参照)、大失敗している。しかし対外的には「大成功だった」と喧伝されたため、過去の過ちから学ぶことなく、楽天も同じ間違いを繰り返す事になった。
例を挙げれば、「コンテンツが足りないならギター譜を書籍に変えればよい」とする単純な理論を振りかざし、アディインターナショナルと契約してギター譜や1枚写真集を造ることになったのだが、三木谷浩史が実体のないコンテンツ水増しを指示したがためにコンテンツの種類が増えれば増えるほどkoboの評判は崩壊したという話がある。このような強引な出版によりkoboマーケットはゴミコンテンツの掃き溜めとなり、ゴミコンテンツがリストに溢れて、ひいては検索が困難となる原因となった。ISBNにおいては無断割り当てを引き起こし、国際管理番号という目的に反し独自コード、ひいては商品番号への変更を招くこととなった。またwikipediaの規約違反で著者情報にDRMがかけられ、謝罪もなくDRMが外されてしまったため企業モラルまで不振に陥ることとなってしまった。
また、wikipediaの著者情報書籍化やギター譜や1枚写真集における常識外れと言える水増しを指導したために、一時的に発行点数は上昇したもののユーザーの批判によってkoboの評判が崩壊し、また青空文庫の無断使用によるコンテンツの供与が絶えたこともあり、多くコンテンツが形骸化と呼んでも差し支えないほどの惨状を呈している。しかし、勝手に出版物の内容を改善したりすれば命令に服従しなかったと言う理由で処罰される可能性が大きく、また当然ながら最高指導者に意見できるわけもなく、この惨状はある意味放置されている。
このような惨状に対し、官僚たちはユーザーレビューを政策の失敗をごまかす材料に利用して、各社からのコンテンツの支援を仰ごうとしており、三木谷に至っては「細かいことで騒いでいるのは少数派ですよ」とマスコミに嘘の宣伝をし、それを聞いたユーザーも、本当の原因を言わずに会社のためと納得した(していない)。
編集者:
takeruko
編集内容:
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-はてなリング - 教育基本法改悪反対や小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。彼ら他称「はてなサヨク」は、厳密には保守か、あるいはせいぜいリベラル程度であることが多い。自称より他称として用いられる言葉で、指し示す範囲が使用者の主観であり、[[共産主義]]、[[アナーキズム]]、[[社会民主主義]]など、サヨクと呼ばれる者たちの思想の違いを踏まえていない発言と考えられている。
+はてなリング - 教育基本法改悪反対や小泉→安倍体制に疑問を持つブロガーのリングなど、「はてなサヨク」を自称する者もいる。他方、自身の主張に反する者へのレッテル張りに使われることも数多い。
-大学で人文・社会科学系の学問である、社会学、教育学、法学、[[女性学]]などを専攻したものに顕著に見られる特徴と分析されることもあるが、その限りではない。
+ある批判されるような行動、あるいは本来なすべきとされる行動の欠落を、日本やアメリカが行った場合、民族性や国民性に絡めてまで批判するのに対し、同種の行動を一般に左翼陣営と目される諸グループ(フェミニズム団体、朝日新聞、韓国、中国、在日朝鮮人など)が行った場合は黙殺するか、批判者を、「でも、日本やアメリカについては何も言わないんだよね」的な中立性の欠落の観点から批判する。しかし中韓と同様に、日本やアメリカについても是是非非で批判している者に対しては、「偏っているに違いない」という断定に立ち、そこから批判を行う。一方で双方向に批判をなしていない自分に対しては寛大である。
+70年以上前の歴史問題には熱心である割には、現時点での人権侵害問題である拉致事件やチベット・ウィグルなどでの人権問題には無関心である。一方で、アメリカが引き起こしているグアンタナモ基地での拷問や、劣化ウラン弾の使用の問題等については熱心である。何年もはてなダイアリーやはてなブログを用いていて、日本の過去の歴史問題や、米軍が引き起こした問題については詳細な記事がいくつもあるにも関わらず、拉致事件やチベット・ウィグルなどでの人権問題にまったく触れていないはてなサヨクは珍しくない。稀に触れていたとしても、ほとんどは「右翼」を批判する文脈から書かれている。
+はてなサヨクのもうひとつの特徴は、相手が言ってもいないことに争点を移す手法である。これは先述の、「偏っているに違いない」という断定から敷衍して、話を広げるやりかたである。
+「Aについて批判している/批判していないのはよくない」
+「そんなことを言って、Aを隠れ蓑のして本当はBっていいたいんだろう。Bが妥当だって論証してみろ」
+「Bの話なんてしていない。Aの話をしている」
+「論証も出来ないんだ、バーカバーカ」
+大抵の相手はこういう流れにうんざりして、議論をやめるがそれがまたはてなサヨクの中では勲章となるのである。
+また、はてなブックマークを使用しての罵詈雑言も特徴的である。罵詈雑言の内容はやはり言ってもいないこと、書かれてもいないことへの断罪と飛躍である。
+はてなサヨクの中でもオピニオンリーダー的な存在は、言論態度上、明らかに問題があるそうした態度はとらないが、そういう態度をとる者は制さずに別の部分では馴れ合っている。こうした態度をはてな紅衛兵と批判されるのであって、それは比喩ではあるが実態がないわけではない。
+はてなが提供するサービス、はてな匿名ダイアリーははてなサヨクにとっての主戦場のひとつになっている。揶揄でも揚げ足取りでも相手を黙らせれば勝ち、という無法がのさばっている。そうした揶揄や揚げ足取りは、保守的な意見にのみ対してなされ、はてなサヨク的価値観に合致する意見に対してはなされない。
-略して[[はてサ]]。
+以上のような理由から彼らを左翼と呼ぶのは困難である。首尾一貫性がなく、党派的な行動に偏っているからである。それは思想的な態度というよりはもっと利権的なものである。
+彼らを左翼から分離して「はてなサヨク」と扱うのは妥当である。
-これに対し、はてなのサービスを使っているウヨクは稀に「[[はてなウヨク]]([[はてウ]])」と呼ばれる。
http://d.hatena.ne.jp/keywordlog?klid=1396850
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%CF%A4%C6%A4%CA%A5%B5%A5%E8%A5%AF?kid=200405
なんだろう、このプレコックス感。
認知心理学やってたことが大きいんだと思うけど、霊的体験とやらはきっと、恐怖が認知ミス引き起こしたとか
何でもないものを幽霊だと認知したとか、そういうのだろうと考えてる。だいたい目が見えるとはどういうことかというと(ry
とことん冷静でも認知ミスは起こるものだし、正確に把握できるとも限らないのが人間だから。だから信じる気になれない。
なんだけど、たとえばここ5年だけでも、身の回りのちゃんとした人たちが「そういう経験がある」ってぼそっと言ってて、真面目に考えてみたくなった。
普段からスピリチュアルな発言の多いやつは除いても、冗談では絶対にスピリチュアルトークなんかしない人たちがぼそっと、そういう話を告白する。
院で理系研究者やってるとか、認知科学やってる奴とか、そういう、人の認知システム分かってそうな奴までも、そういう経験があるとか言うんだ。
無論懐疑的に。たぶん疲れてたか、恐怖に支配されてたかと思うんだけど……でも研究室の先輩も同じこと言ってんだよ……こええよ。とか。
大抵の場合、「あそこにいる/いた」ってのが一致してるのがひっかかる。「いた」という幽霊の特徴も。
あと、そういう奴らが酔っ払って、守護霊とやらの話をし始めたことがあって、人の斜め後ろ上をちょっと見て、コメントするんだけど
そのコメント内容が、一致してる。全く交友関係のないグループから自分の守護霊とやらについて同じようなことを言われて、どうもひっかかってる。
もちろん、そういう存在を信じるかっていうと、やっぱりできない。
でも、何か自分は壮大なドッキリに巻き込まれてるんじゃね?って気持ち悪い感覚がある。
考えるのも無駄かなーって気もしてきたんだけど、なにせスピリチュアルトークなんかできるキャラじゃないので、リアルでは相談もできない。
それになんとなく、そういう話は避けたいって空気もある。誰だって怖い話は嫌だしな。
なので、ネットでみんなの意見を聞きたい。もしよければ、だけど。
みんな、幽霊についてどう考えてるんだろうか?
これ、ジョークか軽い笑い話のつもりで書いてるんだろうけど、ほとんどホラーだわ。
この「夫」、今後、イきそうになるたびに耳元で「せーの!」っていう声がフラッシュバックするだろうな。そのせいで、トラウマになってED引き起こしてもおかしくないレベル。しかも一生モノ。精神的去勢だよね。その恐ろしさ、多分チンコない種族だから分かんないんだろうな。自分が一番油断してる瞬間に、油断してる当の相手から、一生子どもを作る機能を潰すような真似をされて「冗談だってば」と笑いながら言われたら、どうかね。自分がやられたらと思うとマジ恐怖で吐き気がするわ。精神的テロ。自分がその夫なら、当分というか下手したら一生、あんたとはセックスできないと思う。
男も女も、セックスだけは真面目にしましょう。生活の全ての局面で「笑い」を重視する関西人だって、そんな恐ろしいことしませんよ。あんた百万回夫にごめんなさいしても足りねーから。もし、今後この件ネタにするようなら、相手は冗談じゃなく離婚考えるよ。自分のしたこと、しっかり自覚して。頼むからね、ほんと。
先に断っておくが、このエントリでは当事件の事実関係や市や学校の対応、ネット上の意見などに一切関与せず、「いじめ」と「自殺」について個人的な意見を述べるものである。
滋賀県大津市で起きた男子中学生の自殺を巡って世間に様々な声が上がっている。
Twitterを眺めていても、数は少ないながらも多種多様な人たちが共存する僕のTL上ではこの件を巡って、「いじめ」あるいは「いじめと自殺」を巡って活発な意見交換が行われており、日々感服するばかりである。インターネット上において「いじめ事件」が大々的に取り上げられるのは何も昨今に限った話ではない。何年も前から日本の各地で痛ましい「いじめ」についての事件が起こるたびにインターネットではそれについて激しいレスポンスが生まれてきた。それらは基本的に「いじめ」について批判的な意見なのだが、時にそれらは過剰すぎるといっていい反応に発展し、自称「正義の味方」たちが暴走したりすることはあるいみネット界隈においては日常茶飯事であった。僕自身は事件の経緯や事実関係などとはまったく別に、それらの激しい反応が巻き起こるたびに辟易したことを覚えているが、ここ数年でその状況は大きく、とは言わずともかなり変化したと考える。一昔前なら、こういった痛ましい事件が起きた場合、インターネット上での反応はほぼほぼ一種類だった。すなわち、「いじめた奴をぶっ殺せ」である。もちろん、言葉や表現、論調や論点の違えど、その大体は「いじめた奴をぶっ殺せ」だった。もちろん、感情論で言えば、そうだ。だが、はっきり言ってしまうが、今回のような「自殺」というキーワードが俎上に上がるほど苛烈で、悲惨な「いじめ」の事例に関して言えば、そんな短絡的な方法では問題の根は解決しない。
それはなぜか?
答えは単純である。
たとえ「その子」をいじめた連中が全員死のうが、少年院送りになろうが、ネットで晒し者になろうが、
いじめられた「その子」はもう大概「普通の人生を普通に生きる権利」を奪われているからだ。
何年か前に話題になった「いじめられているキミへ」の寄稿文らしいのだが、思うところあるので引用させていただく。
死なないで、逃げて逃げて
あなたが今、いじめられているのなら、今日、学校に行かなくていいのです。
あなたに、まず、してほしいのは、学校から逃げることです。逃げて、逃げて、とことん逃げ続けることです。学校に行かない自分をせめる必要はありません。大人だって、会社がいやになったら、会社から逃げているのです。
次にあなたにしてほしいのは、絶対に死なないことです。
そのために、自分がどんなにひどくいじめられているか、周りにアピールしましょう。思い切って、「遺書」を書き、台所のテーブルにおいて、外出しましょう。学校に行かず、1日ブラブラして、大人に心配をかけましょう。そして、死にきれなかったと家にもどるのです。 それでも、あなたの親があなたを無視するのなら、学校あてに送りましょう。あなたをいじめている人の名前と、あなたの名前を書いて送るのです。
はずかしがることはありません。その学校から、ちゃんと逃げるために、「遺書」を送るのです。
死んでも、安らぎはありません。死んでも、いじめたやつらは、絶対に反省しません。
だいじょうぶ。この世の中は、あなたが思うより、ずっと広いのです。
あなたが安心して生活できる場所が、ぜったいにあります。それは、小さな村か南の島かもしれませんが、きっとあります。
僕は、南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました。
どうか、勇気を持って逃げてください。
「いじめられる方に問題がある」
最早時代錯誤過ぎて目が泳いでしまうようなおサムい台詞だが、これはわりと最近まで(ここ重要)いじめられっ子に対する教師や親の言葉として一定の説得力を持っていたことは悲しいことながら事実である。
んなワケねーだろボケ!!
「いじめられる方に問題がある」
→まず、これは最も頭が悪い意見だ。が、実際のところ「なぜいじめが起きるのか?」という答えに対して、ほとんどの人間がこの馬鹿みたいな空虚な言葉を目を伏しがちに言うのである。いいか、それは断じて違う。なぜかといえば、この論理は、「いじめられる」と「問題がある」というふたつの出来事が、あたかも因果関係があるかのように触れられているという点だ。「あの子には問題がある」→「だからいじめられる」という理屈だ。だが、こんな馬鹿な理屈があってたまるだろうか。確かに、人間だれしも社会的な人間関係を営むに際して「問題」を抱えているものだ。「空気が読めない」とか「性格が悪い」だとか「ええかっこしぃ」だの、はっきり言って枚挙に暇なんかない。そして、その「問題」を抱えていない人間も、この世界には一人もいない。誰だってできる限息がしやすい場所、陽の光があたりやすい場所にいたいと思うし、少なからず利己的になることだってある。もしくは、そもそも人間関係を営むことについて不得手だったり、嫌いな人間だっている。それは「社会的な(笑)」観点から言えば問題なのかもしれない。気に入らない人間だっているかもしれない。はっきり言えばムカつくかもしれない。だが、それだって仕方のないことだ。どうやっても自分には受け入れられない性格の人間というのは存在するし、そういう人間とどうしてか同じ空間で過ごさなくてはいけない場合だってある。そういう場合はもう、仕方のないことだから、適度な距離をとって「うまくやる」しかない。それはもう、どうしようもないことだ。だが。だが、である。
「(自分にとって)その人に何らかの問題があったから」といって、その人をいじめていい理屈なんかこの世界のどこにもないんだよ。
仮に、ものすごく性格がよろしくなくて、みんなに鼻つまみ者にされている人がいたしても、それははっきり言ってしまえばその人の「問題」だ。
社会的な営みをする以上、共同体において「邪魔」な存在というのはどうしても出てくる。それも仕方のないことだ。
もっと具体的に言えば、共同体において「ぼっち」の存在が生まれてしまうのはごく自然なことであり、それ自体は何の問題もない。
何のことはない、単にその人がその共同体に「合わなかった」だけの話だ。その「問題」ということについてだって、現実世界側のインターフェースが引き起こしたバグのようなものだと考えればたいしたことはない。コミュ障? キモメン? んなことは別に「問題」じゃない。もしそれで自分にコンプレックスやルサンチマンを抱えている人たちがいるのならば、もう素直に意識を別に向けるべきだ。今はインターネットという素晴らしい道具があり、その他にも数えきれないほどの環境や世界がある。はっきりいって現実世界なんかあまたある世界の表層のひとつにすぎず、僕達が保持している肉体はたんなるいちインターフェースに過ぎないわけである。だから、「あ、ここ自分には合わないな」と思ったらさっさと身を引いて別のコミュニティなり世界なりを探すことが自分にとっても相手にとっても健全だ。
だから、もし「いじめ」られている子がいるのであれば、その場から黙って去ることが最善の索なわけである。
僕は、「いじめられる方に問題がある」とも、「いじめる方に問題がある」とも思っていないので、「いじめ」が起こりそうな状況になったらデウス・エクス・マキナよろしく「席替えたーいむっ!」とする方がいいと思っている。
ならばこそ、すべての「いじめ」は上記の引用文のように「逃げて逃げて生きる」ことをすればある意味解決するのではないかと思われる方もいるだろう。
だが、そうは問屋が卸さない。というか、そんなにこの問題が単純であればこんなに酒によった勢いでエントリを書いていないわけで、ここからが本題である。
問題は、「逃げて逃げて生きた」として、その子が「普通の人生を普通に生きる権利」は依然として不当に奪われたままであるという点にある。
確かに、いじめられて、その結果自ら命を絶ってしまう事例があったとしたら、そんな悲しい話はない。
だが、それにもまして「逃げて逃げて生き抜いた」としても、そんなものは「死ぬ」のちょっと手前くらいの選択肢であり、最後の手段なわけである。
一口に「逃げる」と言っても実に様々な手段がある。
不登校になる、引きこもる、グレる、転校する、引っ越す、留学する……いろいろだ。
だが、どれにも共通しているのは「確実に人生が狂った」という厳然たる事実だ。
もし「いじめ」なんかがなければ、「その子」の人生が外的要因によって狂うことはほとんど無かったはずだ。
自分の命に対する自衛手段として、上記のどの手段をとったとしても、その子の人生はその時点を以てルナティック・モードにとつぜんモードチェンジする。
不登校にしろ引きこもりにしろ、その延長線上にあるのは学校の中退であり、すなわち人生の落伍である。「学校を辞めたくらいで『人生\(^o^)/オワタ』だなんてとんでもない!」とおっしゃるかたもいるだろう。じゃあ逆に言ってやる。あなたも、今の仕事なり学校なりを今すぐ辞めてみろ。転職のあても、転校のあてもなく、たったひとり殺伐とした世界に取り残されたとして、「よーし! 人生これからだぜ!」と思えるというのか。ただでさえどん詰まりの袋小路に迷い込んだこの現代日本で、大卒の就職率が5割だとか6割だとか言われている時代に、無職の高校(中学)中退者が「普通の人生を普通に生きる」ことができるというのか? 立場を変えて発言しよう。僕が中小企業の採用担当だったのなら、昼食無職職歴なしの人間なんか、なにがどうあっても採用したくない。感情論なんかじゃない、ごく合理的な数理的な判断だ。
転校だって引越しだって、かなりハードルの高い「逃走手段」である。というのも、なによりもまず、家族の協力が必要不可欠だから。
親御さんだって、もしかしたら仕事を辞めざるを得ないかもしれないし、お金の問題だってある。少なくとも「普通の人生を普通に生きていたら」かかる必要のなかった負担を負わなくてはならない。要するに、この時点で「いじめ」というのは「いじめっ子」と「いじめられっ子」の問題ではなくなるのである。ちょっとした「ムカつき」や「面白半分」が、一人、ないし数人、いや、ともすればもっと大規模な人間の「普通の人生」を狂わせるのだ。これが「いじめ」が「普通の犯罪」なんかよりも数段質の悪い点だ。「窃盗」であれば、早い話盗まれたお金が戻ってきて、犯人が警察に検挙されればひとまずは解決する。「器物損壊」だって、家裁か何かで妥当な損害賠償が請求されればそれ以上の発展はない。被害者にとってはたまったものではないが、少なくともそれ以降は「普通の人生」を送ることは可能だ。だが、「いじめ」に関しては――はっきり言ってしまうが――いかなる手段をもってしても、すでに起こってしまった「いじめ」を、それが発生するより前の状態に復元するのは不可能だ。いや、これについては語弊がある。「いかなる外部からの干渉をもってしても」いじめの根本的な問題は解決などしないのである。教師がいじめっ子に謝罪をさせたり、クラス替えをしたり、退学や停学処分をしたとしても、「いじめっ子」が「いじめ」たという事実は消えやしないし、「いじめられた子」が「いじめられた」という事実だけは覆しのしようがないし、取り返しも、補填も、まったくできやしないのだ。
「いじめた側が、本気で反省して、その後の人生のすべてをかけていじめた子が『普通の人生を普通に生きられる』ように全力で奉仕する」
より陰湿化が進む現代のいじめにおいてこんな奇跡みたいなことが果たして起こるのかどうか、僕は知らん。多分、99%の確率で起こらないだろう。
世の中の90%のいじめは、「なんとなく」「特に理由なく」「おざなりに」して、審判のホイッスルなくして「終わったっぽい」感じで終わる。
理由は分からない。とりあえず、台風が温帯低気圧になって北海道の上の方に消えて行くように、いつの間にかなくなってたりする。
残りの9%は「いじめられた子」の自殺なり「逃走」によって終わる。なんとも救いのない話である。
もしあなたがいじめられていることに対して何か負い目を感じているのであれば、とりあえずそれは忘れてください。
自分がいじめられることに対して、「仕方ない」だとか決して思わないでください。
あなたも生きている人間ですから、人間関係について至らない点、至らなかった点だっていくつかあるでしょう。
ですが、はっきり言いますが、そんなことで、地球上の誰一人だってあなたをいじめていい理由なんかにはならない。
あなたが、あなたの人格や過去の行動、家庭環境や趣味嗜好、思想信条によって、いじめれていい理由など、これっぽっちも、ありません。
そして何より、あなたは、「普通の人生を普通に生きる」権利を持っています。
そりゃあ、誰もがオリンピックに出たり、アイドルになったり、東大に入ったりはできないのも事実です。
ですが、本当はそんなことはどうだっていいんですよ。
あなたは、学校帰りに友達とマックに行ってダベっていいし、家に集まってモンハンをみんなでやっていい。
絵を描いて褒められていいし、ご飯が美味しいと感じていい。かわいい女の子を、かっこいい男の子を好きになっていいし、告白して振られて泣いたっていい。
好きなアニメを見て、好きな本を読んで、好きな場所へ行って、眠くなったら寝て、眠くなくなったら起きて、生きて、生きていいんです。
普通に勉強して、普通に進学して、普通に就職して、普通に恋愛して、普通に結婚して、普通に子供ができて、普通に生きて、普通に生きて、普通に死んでいいんです。
もし普通が嫌なら、人一倍頑張って、自分が特別だと思える人生を手にいいれればいい。
ですが、それ以前に、あなたは、およそこの国の人間が「普通だ」と感じているあらゆることを手にする権利を持っています。
だから、あなたは自分を責める必要などまったくない。あなたは何も悪くない。もっと言えば、あなたをいじめた人間すら、悪くないのかもしれない。
僕には起こってしまった「いじめ」を解決する魔法のような手段はしらないし、これから起こるであろう「いじめ」を未然に防ぐ奇跡のような手段も知らない。
だけど、あなたが、「いじめられて損なわれた」からといってあなたが「普通に幸せと感じられるような人生」を生きる権利を失ってしまったわけではありません。
だから、自分勝手なことを言えば、本当はあなたは「逃げて、逃げる」必要なんてないんだ。表面上は「戦略的撤退」をする必要があるかもしれないとしても、
あなたの人生が「嵐のような不運」によって損なわれ、汚され、失われる必要などない。
それどころか、あなたは、その「普通の人生を普通に生きる権利」を人一倍、もっともっと今まで以上に傲慢に、尊大に主張していいんですよ。
「いじめられた」ことを理由に、あなたが自ら自分の可能性を閉じてしまう必要なありません。
もっと自分勝手に、生きればいい。でも、引きこもってもいいことは「何も」ないので、何かしらのキッカケで外にでるといいと思うよ。
そんでいまいじめてるお前。
まー今のお前なんかには分からないだろうけど、お前のやってることはおよそ人間がなす行動のうち、もっとも悪辣で、非道で、無意味なことだからな。しかし人間ってのは残酷だよな。自分の利益にならないことでも、何かのキッカケさえあれば、人を嬉々として苦しめることができるんだからな。俺はお前のことなんか知らないし、お前の生い立ちや人生観なんか知らない。お前が何かお前の中で正当な理由をもって「それ(とあえて言う)」をやってるとしても、それも知らん。だが、結果としてお前はお前と同じ、一人の人間の「普通の人生を普通に生きる権利」を「奪いかけて」いるということを考えろ。今日お前が美味しいと感じた夕食、今日お前が面白いと感じたテレビ番組、今日お前が楽しいと感じた帰り道。その子のそれら全部を、他ならぬお前が奪おうとしているっていうことを考えてみろ。俺はお前なんかに同情しない。お前の中にどんな理由があるにせよ、それはお前が「それ」をやる理由にはなりえない。なんの妥当性もないし、なんの解決手段にもならない。だからといって、お前が考えてること、感じていることがまったくの間違いであるとも言えない。だが、「それ」と「これ」とは別問題だ。お前の中でいかなる繋がりを持っていたとしても、それは、本質的なところで無関係だ。だから、やめとけ。お前がそいつのことを嫌いならそれはそれでいい。だったら関わるな。何もするな。意識を別のところに集中させろ。暇だったら黙ってオナニーでもして寝ろ。そんで、もしお前がかつていじめられっ子だったのなら、なおさら、やめろ。お前にも色々な事情があるのか知らないが、それはもう忘れろ。許さなくて良い。ただ、忘れろ。それ以外は何もするな。そんで、自分の好きなことだけ考えてろ。好きな本だけ読め。好きな音楽だけ聞け。好きな場所にだけ行け。好きなやつとだけ絡め。だから、決して「それ」を生きるモチベーションなんかにするな。そんな人生、悲しすぎる。
どうか気負わないでください。それを自分のせいだと思わないでください。
自分を無力だと嘆かないでください。自分を卑怯者だと罵らないでください。
何か特別なことをする必要なんかないんです。ただ、黙って、普通に、普通に接してあげてください。
いじめられている子が何より苛まれているのが、「ひとりぼっち」という孤独感です。
どんな暴力や陵辱よりも、「ひとりぼっち」というのは辛いです。
誰も味方がいない、誰も自分のことを助けてくれない、そういう状況こそ、危険です。
過剰なことなど何も必要ありません。ただ、声をかけてあげてください。
人の目が気になるのであれば、メールでも、なんでもいいです。
とにかく、その子を孤独にさせないでください。その子が、そこにいていいことを、示してあげてください。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
2012年5月8日、S.P.筆、パリにて。(The Economist)
少なくともそれが、エリゼ宮殿で選挙スタッフが聞かされたことだった。
フランスの政治家というものは、私の理解では、真に政治生命を終えるということがない
(フランソワ・オランド大統領の閣僚として挙げられている名前を見てみるといい)のだが、ともかくサルコジはそのつもりらしい。
さてそれでは彼は、歴史の教科書でどのように書かれることになる政治家だっただろうか?
今週号で簡単に触れたように、サルコジ氏がこのような最後を迎えたことは極めて特異なことだった。
彼はヴァレリー・ジスカール・デスタンに次いで、史上二人目の再選を果たせなかった大統領となった。
彼がいさぎよく敗戦を認められなかったというわけではない。
彼は日曜日の夜、ややぎこちなくはあれど栄光ある演説を行い、オランド氏を「尊重」するよう求め、氏の幸運を祈った。
しかし、サルコジ氏の敗北のあと、私の脳裏をよぎったのは「もったいない」の一言だった。
フランス人は彼を大統領に選んだ理由を忘れてしまったのではないかと思えた。
今回のオランド氏を超える53%の得票率で執務に入った彼は、
ジャック・シラクによる停滞した12年のあと、大統領職に新鮮な空気と(相対的には)若さをもたらした。
彼は徹底した反保守主義者であり、それがために人気を集めた。
実のところ彼はパリの Pont de Neuilly で生まれ育ち市長ともなったのだが、
彼には見慣れない姓と移民の出自があり、アウトサイダーのような雰囲気があった。
話し方も、ほかの政治家とは違っていた。
彼は、国立行政学院で解読不可能な言語(フランス人は la langue de bois 木の言語 と呼ぶ)を教え込まれたような人ではなかった。
彼は、彼以外の上流階級な政治家が語ろうとしなかったことを語った。
フランス人はあらゆることをアメリカのせいにするのをやめなければならない、
フランス人はマイノリティを、音楽やスポーツだけではなく、正規の職業に就かせなければならない、と。
執務においてはエネルギッシュで、勤勉で、大胆な人物だった。
彼が引き起こした改革の旋風のなかでもとりわけ、大学への自治権付与、定年の引き上げ、
起業の規制緩和、地方裁判所の仕組みの合理化はしっかりしたものだった。
外交の業績を見れば、多少の過ちはあったとはいえ、彼がフランスの声を世界に届け続けたのは明らかだ。
金融危機があった以上、失業率の上昇と負債の拡大について彼だけを責めることはできない。
大統領選におけるサルコジの悲劇の原因は、彼最大の敵に帰着されるようである。
彼はあまりにも多くの方面に手をつけ、フランス人を混乱させ、振り回し、疲れさせた。
彼は自分のエネルギーを一貫性ある方向に向けることができなかったように見える。
自分のやったことに完全に納得すると、その次に正反対の立場を熱く擁護するのである。
当初減税を志向しながら、最終的には税を引き上げることになった大統領候補。
労働時間週35時間制を批判し続けながら、それを法律から取り除けなかった政治家。
富と成功へのコンプレックスからフランス人を解放しようとしながら、「富裕層の大統領」と揶揄されて終わった大統領。
フランス版コンドリーザ・ライズを誕生させると約束しながら、重要閣僚にマイノリティを一度も入れずに終わり、
最後の大統領選で極右票を稼ごうとあからさまな「移民過剰論」を展開した指導者。
こうしたすべてを通じて、サルコジ氏は自分の衝動をコントロールできていなかった。
他国の指導者(シルヴィオ・ベルルスコーニ)を侮辱した件も、
(農業フェアで通行人に捨て台詞を言うほどに)単に自分の怒りを抑えられなかった件もそうだ。
彼の政治的業績がもっと素晴らしければフランス人はこのような過ちを許したかもしれない。
だがそれほどではなかった。
彼のいきさつは、実務よりは見せ方、用意周到さよりは拙速さ、秘策よりは透明性の人の物語だったと言えるだろう。
フランスの劇作家ヤスミナ・レザは、サルコジ氏のとどまるところを知らない欲望を「失われた時間との戦い」と表現している。
しかし、ゼロ年代のMMO界隈の阿鼻叫喚を知っている人間からすると実に微妙というか、またボトラー廃人増やすだけじゃね?と思ってしまう。
基本的にMMOは、オフゲ並にサクサク遊べるゲームバランスなど、全く期待できない。
そんなコンテンツはあっという間に遊び尽くされ、すぐに過疎って終了だろう。
逐次コンテンツを追加投入するにしても、プレイヤーがサクサク遊ぶ以上のハイペースで実装するなど、絶対に不可能だ。
だから少ないコンテンツでできるだけ長い間遊んでもらうため、経験値や資金繰りやmobの強さを渋くしまくり、オフゲしか知らないプレイヤーからしたら、ほとんど苦行と言っていいプレイを強いられるわけだ。
MMOではほぼ必ず起きる廃人無双やRMTやチートやBOTは、そういうMMOの根本的問題が引き起こしたトラブルと言っていい。
そしてこの問題は、ゼロ年代の半ば頃には明らかになっていた話で、要するにMMOはその時点から1mmたりとも進化していない。
まさしくMMOは、進化の袋小路に陥って久しいジャンルなのだ。
そしてスクエニは、そんなの百も承知でFF11を運営してきた筈なのに、懲りずにまた同じことを繰り返すつもりなのだろうか。
もしかしてFF11で集客も利益もバッチリだったから2匹目のドジョウ狙い?
あとこれ運営のサポートどうするつもりなんだろね?
基本的にサポートで人を増やせばその分人件費がコストに跳ね返るので、大抵どこのMMOでもプレイヤーから「カス運営」と罵られつつ、最低限の人数で無理やり回すというかやり過ごしている感じなんだけど、DQ10もそうなるのだろうか。
親告罪扱いにもしないで事実が確認されたら男を強姦犯として逮捕すればいい。
慰謝料を払う経済力がなければ公益の無償労働をさせればいい。その分税金が浮く。
貧乏な男とやったらもらえないということがわかったら、女は自然と貧乏人とはやらなくなるだろ。
で、一夫多妻制にして、子供を養う経済力のある男にはたくさん妻をもたせてたくさん子供を作らせたらいい。
まあ経済力がないと言っても、若年層は将来があるからあまり厳しく処罰して社会復帰を阻むようなことはしないで、
履修しなきゃいけない科目の数や取得しなければいけない単位の数を増やすとか、義務を多く課すことで、
逆に、同一の学費に対して教育の機会をより多く与えればいいだろ。
そうしたら経済力を笠に着なくても女とやりまくれる魅力的な男が、
同じ教育課程を終えるのに人より多く勉強しなければいけないことになるから、より有能になり、
で子供の最終親権者(主に母親)ではない成人から年齢と収入に応じて子供無し税を徴収して、
「片親がまったく収入がなくても自分と子供の食い扶持は確保できる」ようにすればいい。
要するに子供を育てても育てなくても一定金額を税金として取られるし、
子供を育てるなら育てる分、親子を養うのに必要なお金が国からもらえるようにする。
これだけやれば子供は増えるし育てるだろ。
それで言うならばセックスをするしない、避妊するしないの時点で、個人の意志・選択は既に表明されているのでは。性教育も受けていない子供ならばともかく、こうすればこうなると分かったうえでそうしたのであれば、そこに意思の欠如を見るのは難しい。
避妊せずにセックスをすれば必ず妊娠するとは限らないので、「こうなるとわかった上でそうした」という風に意図的な行為として扱うことは不適切なのでは。
他の記事で出ていたように、がんや肺気腫に罹患すると知っていながら喫煙した人間、あるいは身近な人間の喫煙を止めきれなかったために副流煙を浴びた人間に対して、全面的に自己責任とみなして医療補助は必要ないとするのに近い。
それに当人の意思というのであれば、胎児にはまったく意思を問う機会は与えられていないわけであり、ひとつの身体を共有する女性と胎児のうち、女性のみの意思を尊重するのは片手落ちであろう。妊娠という結果は胎児が自ら引き起こしたのではなく、性交渉を行った当事者が引き起こしたのである。すでにそこに選択の責任は生じており、胎児の生存権をより低く見るとしても、親の選択の結果生じた胎児の生存権をまったく棄却したうえで、更に重ねて女性の選択権を尊重する合理的な理由がない。
胎児については、意図的に意志を問う機会が奪われ無視されているのではなく単にその方法が無いだけ。中枢神経も完成していない胚のいかなる反応をもって「意志」とするかなど議論が待たれる。人間の価値判断は明らかに後天的に身につける価値観に左右される部分があるので、そもそも細胞の動きを生存意志の有無に結びつけて考えることは理にかなっていないという考え方もできる。
妊娠は両親によって意図的に引き起こされたものとすることは上で述べたように一律に適切とは言えない。婚姻関係にある男女が双方納得の上で性行為を行い妊娠に至ったというような場合以外はすべて意図した妊娠とは言えない。
では言いなおそう。
会社に対する労働基準監督署の是正指導には強制力がなく、監督署へ相談した相談者は自ら刑事・民事告訴を行わねばならない。
また会社側は「妊娠・育休取得による解雇である」と明言しさえしなければ解雇自体は可能であるので、業績や勤務態度等から勘案したと主張すれば産前産後休業以外のタイミングでの解雇は正当化される。
故に、堕胎罪を厳罰化することで、出産をあきらめざるを得ない妊婦を追い込むべきではない。
求められて受け入れた女も同罪。
根拠は?
個別の事情を棄却してはならないというのならば、まず出産するか中絶するかという個人の意志・選択を棄却すべきではない。
とはいえ、個人的には裕福な学生の例ならば、本当に完璧に受け皿が整っていて子どもを育ててくれる養子縁組のあてがあり、妊娠出産することで学業・就業に大きな支障も出ずに済むのなら、堕胎せず出産するのをおすすめしたい。
労基法には罰則がなく、現に先の不況から産休切り・育休切りの発生がみられている。運用の問題が解決するまでは堕胎罪のみ厳格に適用しても意味がない。
それで言うならばセックスをするしない、避妊するしないの時点で、個人の意志・選択は既に表明されているのでは。性教育も受けていない子供ならばともかく、こうすればこうなると分かったうえでそうしたのであれば、そこに意思の欠如を見るのは難しい。
それに当人の意思というのであれば、胎児にはまったく意思を問う機会は与えられていないわけであり、ひとつの身体を共有する女性と胎児のうち、女性のみの意思を尊重するのは片手落ちであろう。妊娠という結果は胎児が自ら引き起こしたのではなく、性交渉を行った当事者が引き起こしたのである。すでにそこに選択の責任は生じており、胎児の生存権をより低く見るとしても、親の選択の結果生じた胎児の生存権をまったく棄却したうえで、更に重ねて女性の選択権を尊重する合理的な理由がない。
求めた彼氏は去勢されるべきではないだろうか。自分からつけろよゴムくらい。
という個人的感想はさておき、膣内射精は許可されたのではなく女性が積極的にしていいと決定したのではない。自己決定であったとするのには無理があるし法的保護をかけないことに正当性があるとは考えられない。
このタイトルは、宋文洲さんのメルマガのタイトルから引用しました。
「車を確認してから渡りなさい」とハワイの街で子供に注意したら、「中国じゃないんだから大丈夫よ」と妻が言いました。その時の私はかなり説教したことを今も覚えています。妙な安心感こそが危険だからです。
他の国(タイ、インドネシア、台湾や香港など)もお世辞にもいいとは言えません。
少なくともアジアでは、日本ほど『他人の好意』に期待できる場所はないのかもしれません。
ただ、祇園の交通事の件を見ている限り、こういう『好意』に日本人はどっぷりハマり過ぎなんじゃないかと思うのです。
・ 私が道路を渡るとき、たとえ青信号でもよく見てから渡ります。なぜなら、止まってくれない可能性があるからです。
・ お店で修理などした時や買い物しておいてもらうとき、必ずおいてあることを証明する紙をもらいます。なぜなら、そのまま持ち去られる可能性があるからです。
・ 飲食店などでトイレや手を洗うとき、必ず手荷物は全部もっていきます。なぜなら、置き引きされる可能性があるからです。
・ 大家など比較的身近な人とやり取りしたとき、必ずその内容を本人からSMSで送ってもらいます。なぜなら、(可能性は低いけれど)約束を反故にする可能性があるからです。
人生は常にリスクと不確実性の連続です。だから、可能性を考えて行動しなければなりません。
この事故の報道をみると、歩道が近づいてもかなり速度が出ていて(つまり目視できるほどだった)、一部報道ではクラクションを鳴らしていたみたいです。
なんでちゃんとよく見て、しかもクラクションなっていたなら注意しなかったのだろう?と不思議で仕方がないです。
『ここは中国じゃないから、止まるのは当たり前だろ!』と言われそうですが、昔と違って社会の結びつきは薄れています。
また、多様化が叫ばれて、いろんな価値観の人がともに生活しています。
加えてグローバル化が進み、都心に住む人はますます多様化しています。
言い換えると、この手の『好意』や『常識』が成立する条件である画一性が失われるわけですから、ちゃんとリスク管理みたいなのが必要になっていくんじゃないでしょうか。
症状は虚血っぽい感じだ。
手が冷えているのか、あたたかくなっているのか。脈は速くなっているのか、遅くなっているのか。意識や感覚は正常か、異常があるのか。血圧は上がっているか下がっているか。吐き気が伴っているか伴わないか。手足のしびれがあるかないか。皮膚はつやつやしているかカサカサしているか。それらの症状によっては虚血以外の症状かもしれん。とにかく原因がわからんとどうしようもない。
仮に虚血だとすると、原因はいろいろ考えられる。
心臓の血管がつまって心臓の動きが弱まって酸素を運ぶ血が流れない。
血は流れているけど肺が弱ってて酸素をうまく取り込めない。
心臓も肺も機能してるけど血液がおかしくなってて酸素をうまく取り込めない。
どこか内臓に傷害があって内出血してて血が足りない。
その他にもいろんな原因が思いつくけれど、診断しないとわからん。
たとえば虚血性冠動脈疾患の場合だと、心筋梗塞が起きたり、心臓がどんどん壊死して脈拍が混乱して心停止したり、心臓は動き続けても脈拍の異常で大きな血の固まりができて、それが脳梗塞を引き起こして突然死が起きたりする。
単なる食べすぎでも、人によっては息苦しくなってしまう場合があるけれど、虚血の場合だと、可能性は少ないけれど、突然死に直結するケースもあるから、すぐに重大な病気でないことを確認するべきだろう。
なにもしないで神に祈るという選択肢もある。
その人がどうしたいのかにもよるな。
休んだほうがいいよ。 いやさ私の会社にもほぼ同時期に休職した人がいて
まぁ、別の部署だけど見てて思うのは潰れそうになっちゃう人って基本「やさしい人」なのかな、って思うよ。
やさしくて、他の人の頼みとか、希望とか吸い上げちゃって君の仕事が増えちゃう。
で、仕事の量が増えて経験も増えるもんだからスキルも身についてしまったりして
頼られたりとか、自分が役になったりするのが嬉しかったりする。
普通はさ、業務内容って決まってて、それぞれの職域ってあるでしょう? でも実際の業務は、その職域はかぶってる事が多い。
そのかぶっている領域を担当しがちな気がするんだよね。そういう人いると効率が上がったりするし。
(本来はマネージメントの問題なんだろうが、そう上手く行ってる職場ばかりでもないでしょ)
『逃げた』って訳じゃないだろ。 悪いけど休職して2週間もしたら逃げたなんて誰も思わなくなるよ。
組織って他の人間がするっと職域に入るから。 つか1人逃げて会社潰れるようなら、その会社、先は長くないよ。
そういう思考する人間は嫌いじゃないけど、「逃げた」とか考えるのは無駄だと思うよ。
可能なら散歩するようにして、少し元気になったら運動するようにして
鬱の根本的な原因って、職場のいろいろもあるだろうけど、シンプルに睡眠不足が負のスパイラルを引き起こしてる場合もあるからさ。
あとこんな話はむしろ叩かれた方が健全な社会だとは思うんだが、
男の場合、1度は仕事で心が折れる体験をしてみた方がいいとも思う。
1度折れた人間は折れにくくなるので。 個人的には、なんらかの絶望を味わった人間の方がわかりやすいというか信用できるように思う。
いやいやいや
ただ
診断が難しいとか、
そういう面は確かにあるので、扱いが難しいのはその通り。
で、「うすうす自分て努力不足かも」「でももしかしてADHDなんじゃないかなー(チラッチラッ)」みたいな態度の人達は
周囲の人に対しても、はっきり診断出てる本物の人達に対しても、凄く迷惑なわけよ。
だから(チラッチラッ)を繰り返す人達に対しては「ちゃんと診察受けろ」って話になるわけだ。
本物かもしれないし全然違うかもしれない。
「医者には絶対行きたくない!」「で、も~~~(チラッチラッ)」みたいな人達が増えると
病気や障害自体について君みたいな疑念を抱く人も増えるわな。
君の今呈した疑念がまさに(チラッチラッ)族の引き起こした害なんだよ。
一度ハーモニーを読んだ人(=自分)がハーモニーの内容を思い出すためのもの。
1
01
02
私は、同じクラスのミァハに話を持ちかけられる。大人になってwatchmeを入れられて、社会の一員としてからだを見張られる前に、パプリックエネミーにならないかともちかける。
リソース意識、公共的身体の意識にあふれた、窒息しそうなほどの優しさをあびせかけてくる社会の敵になろうと。
03
その仕事をしていれば、自分の体を自分のものとして、たばこをすったり酒を飲んだりできるから。
しかし、こうしてミァハ的(自分の体を自分のものとする)な生き方にたどり着くまでに、大きなものを失った。それは、ミァハの命。
高校生時代、私とキアンに、ミァハは一緒に死なないかと持ちかける。私たちがこの「優しい」「公共的身体」の社会から脱出するためには、それしかないように思われた。
私の父こそ、この「優しい」社会を作りだした研究者の一人なのだと私がいったら、ミァハはどう思うのだろう?
私はいま、酒をのみ、たばこを吸い、ミァハ的な生活をしている。
でも一方、螺旋監察官として、「優しい「生府」」のある側に属して、「優しさ」を、それのない世界に広める仕事をしている。本当のミァハにはなれていない。臆病者だから。
04
螺旋監察官をしていれば、さまざまな種類の死が待っている。通常の人間には老衰しかありえないのに。
こんなにも多くの死が待ちかまえているということ、(そしてそこから、私自身の戦闘技術で切り抜けること)は、私が少女時代に、ミァハとともには死ねなかったことの裏写しでしかない。
高校生時代、私とキアンは死ねなかった。ミァハだけが自殺を成し遂げた。
ミァハですら、わたしを殺すことはできないんだ。
この優しさに満ちた、公共的身体の意識にあふれた社会は、誰の手によっても、どうにもならないんだ。高校生時代に、そういう諦めの境地に達し、私は死ぬことを挫折した。
05
上司、オスカー・シュタウフェンベルクに、飲酒を見られる。
そのため、私は日本に返される。
だが、私が酒を飲んでいたことは、世間に知られるわけにはいかない。私は私自身の失敗を人質にとることができる。
06
私は日本に帰ってくる。
かつて私やミァハと一緒に死のうとしたキアンが空港に迎えにきてくれる。
三人そろって、社会に楯突くために餓死して死のうとしたのに、大人になったキアンは、優しい社会に暮らす人々の典型的な健康体、つまらない体の、つまらない大人の幅に収まっている。
私はミァハにあこがれ、不摂生な生活をしているのに。
ミァハが敵になろうとした「優しい」人々と、キアンは交流を持ち、社会のリソースとしてボランティアをするようになっている。私はそういう人たちとは会おうとも思わないのに。
私はだんだんミァハになっていた。生きていたらこうなっていただろうミァハに。
キアンと一緒に、レストランで食事をする。と、
「うん、ごめんね、ミァハ」
キアンはそう言い、突然に私の目の前で自殺する。
2
01
自殺したのは、スクナビコナ(北海道神宮とかとかとかにまつられる、酒とかとかとかの神。オホムチナ大国主とペア)生府のアグリーメンツだった。
キアンの死を直視したことと、謹慎として日本に返されたこと。この二つを理由に、私は螺旋監察官であるにも関わらず、自殺の同時多発事件の捜査に加われない。
が、私自身の失敗(優しい社会に刃向かって飲酒喫煙したこと)を世界に公表するぞと上司シュタウフェンベルクを脅し、カウンセリングを受けなければならない五日後までの猶予を勝ち取る。
02
「ごめんねミァハ」を遺して死んだ。
だから私は、ミァハの両親宅を訪れた。
ミァハの母レイコは、ミァハを立派な社会的リソースにできなかったことを悔いている。自殺願望のある子に育ててしまったことを悔いている。
ミァハはレイコの遺伝子的な子供ではなく、チェチェンの戦争孤児だったと知らされる。
03
キアンが死ぬ直前、彼女との食事の回想。
キアンの告白。
「ミァハが作った薬を飲んでいると、私の体がみるみる変化(ルビ:餓死)していく。「優しい社会」が提供する医療に浸りきった私は、体は恒常的なものなのだと思っていた。こんなにも変化するものなのだとは思ってもいなかった。だから恐ろしくなり、私たち三人がしていることを親に相談した。でも、そのとき、ミァハは変化しきっていた。死んでいた。だめになってた」
私は、
「私がこうして生きているのは、キアンのおかげなんだね。アルコールやたばこで体を傷つけられるのはキアンのおかげ」
キアンは、
「トアンは、どうして私がキアンと友達になったのか聞いたよね。私だって、ミァハと同じように、あのころは世界に息苦しさを感じていた。リソース意識なんて冗談じゃないって。……でも、ミァハと友達になった本当の理由は、たぶん、バランサーを気取っていたからだと思う。ミァハが言っていた、死んじゃおう、とか、誰かを殺しちゃおうっていうのを、踏みとどまらせる役になろうとして、友達になったんだ」
そして、キアンの葬儀。彼女はこれから液体になり、社会のリソースになる。
父はバグダッドにわたっていた。
ケイタは、「意志というものは、競いあう欲求のどれを選ぶのかを決定する主体」という。
ヌァザの研究は、人間の欲望や意志を制御するものなのだともケイタは教えてくれる。その研究を進めるために、バグダッドに渡った。
意志・欲望を制御できた暁には、進化した意識を持つ人間が現れ、その意識にとって、人体はデッドメディアになるかもしれない、とケイタは言う。
精神こそが、人体を生きながらえさせる手段なのかも。肉体にとって精神がデッドメディアになるときがくるかもしれない。と私。
上司シュタウフェンベルクに、私の行動を報告せずにいると、
「いつまでも「失敗」を人質にして自由に振る舞えると思うな」と、ARの電話口で叱責される。――電話をして、うつむいている私。
キアンも、死の直前、うつむいていた。死の直前、彼女もARで誰かと話していたのではないか。
螺旋監察官の権限で、キアンの通話記録を見る。思った通り、彼女は電話をしていた。
「ううん、ごめんね、ミァハ」
そう言った相手は、ミァハ本人――ミァハは生きていた。
ミァハ曰く、
「善とは恒常性のこと。
昔は王様がいて、王様を殺せば世界を変えられたのに、民主主義以降、みんなが互いに互いを律するようになったから。優しさのおしつけあっこ。
私たちは、そんな社会から飛び出して、自分で自分を律しようって誓いあったよね? キアンもトアンも。
そう言われて、キアンはキアン自身の体を殺したのだ。
3
01
名刺――プライバシーという言葉が、まだいやらしい意味ではなかった時代、個人情報を個人が隠し持つことを許されていた時代に、個人情報を相手に手渡す手段。
友達になった私とキアンに、ミァハはそれを渡してくれた。
インターポールりイアン・ヴァシロフも、初対面の私に名刺で自己紹介した。
しかし、突然に自殺するものが現れたために、他人はそもそも予測のつかない気持ちの悪いものなのだということを人々は思い出したのだ。
ヴァシロフが調査しているのは、WatchMeを介して人体に不正にアクセスすることが可能な組織。
その組織は、再び人類が〈ザ・メイルストロム〉に陥らないように、人類を監視しようということを大儀銘文としている。
しかし、その組織内の、その信念に反する一派が、今回の大量自殺を引き起こしたらしい。
「一週間以内に、誰か一人を殺してください。それができない人には死んでもらいます」
02
ミァハが、大量自殺と宣言によって作った混乱。
そして、生府が醸し出す、息苦しい空気。
それらについて思いを巡らせているうちに、「医療のドバイ」、バグダッドにつく。
そのころ、世界で、宣言に促された他殺、宣言から逃れるための自殺が頻発する。
03
彼女曰く、
「人間の価値判断は、指数的な合理性ではなく、双曲線的な非合理性。合理性と非合理性の争いが、意識である」
04
私のホテルの部屋に、ARではない、紙の書き置きがある。
「アブー・ヌワース。ARなし、盗聴なしで」
アブー・ヌワースの人々は、WatchMeを人体に入れておらず、様々な病気にかかり、早死にする。
アブー・ヌワースの食事は、生府に管理された世界のそれと違って、カロリーもカフェインもアルコールもハレンチなほど。
そのアブー・ヌワースに、父ヌァザがいた。彼が渡しに書き置きしたのだ。
05
父は、ミァハの死後に、研究に没頭するために、私と母を残して家から去ったのだった。
その父と、バグダッドで再会する。
父の研究は、ヴァシロフが調査する組織で行われていた。父は組織の一員だった。
組織が人間の意識を保持する能力を保持しているのは、再びザ・メイルストロムのようなことが起きたときに備えてのことだった。
組織の上層――ザ・メイルストロムを生き延びた老人が望んだ世界。それをミァハは唾棄した。
当時、多くの子供たちがミァハと同じように自分の体を傷つけるようなやり方で自殺を試みていた。この「優しい」社会のストレスの限界にいる子供たち。それは、利ソース意識にあふれたこの社会の、対処するべき社会問題だった。彼らですらコントロールできるように、父らの組織はシステムを組もうとしていた。
キアンの告発によって辛くも生き残ったミァハは、自殺性向のある子供として、組織のモルモットになっていた。
『ハーモニープログラム』。それには、老人たちですら二の足を踏むような重篤な副作用があった。
06
意識が消滅するのはハーモニープログラムを実行すると、人間の非合理性が合理性と迎合し、葛藤がなくなるため。
結局、プログラムは人類に実装されてはいるものの、第二のメイルストロムまでは実行されないものとする。そういう折衷案を老人はとった。
「しかし、なぜミァハはそれを実行しようとしているの」と私は問う。
「ミァハの意識は、戦争の渦中、自殺を行うために後天的に獲得されたものだ。そして――」
父の説明の途中で。ヴァシロフが現れる。
ヴァシロフはインターポールとしてではなく、組織の一員としての仕事をこなすために現れた。彼は、組織の中でも、父と対立するミァハ派の一員だった。
父は主流派のリーダー格。主流派の結束力を弱めるため、ヴァシロフは父をねらっていた。父がでてくる好機を作り出そうと、娘の私を泳がせていたのだ。
ヴァシロフらミァハ派の目的は、人類を正しい調和へと導くこと。
ヴァシロフは私の銃弾を食らい、父は私をかばってヴァシロフの銃弾を食らう。二人とも死ぬ。
死の間際、ヴァシロフは、ミァハがチェチェンにいると私に告げる。ミァハの生まれ故郷に。チェチェンの、〈対ロシア自由戦線〉に。
4
01
高校時代の回想。
ミァハは、「私は前、こことは別の権力に従わされてた。地獄だった。向こうにいたら、銃で殺される。
でも、こちらがわにいたら、優しさに殺される。どっちもどっち。ひどい話だよね」と。
ミァハの宣言により、世界の各地で殺戮、自殺、心中が頻発している。
わたしはシュタウフェンベルクに、これまでの捜査経過を報告したい。
しかし、どこまで情報をつかんでいるかを組織にスパイされないために、セッションをシュタウフェンベルクとの二人きりに切り替える。
と、シュタウフェンベルクは彼女自身が組織の一員なのだと明かす。
ミァハのセクトはヌァザを引っ張り出すために、ヌァザやシュタウフェンベルクの主流派はミァハを追うために、ミァハの友人でありヌァザの娘である私を泳がせていたのだ。
私が自由に行動できいていたのは、「失敗」を利用できていたからではなかったのだ。
シュタウフェンベルクら主流派はミァハと接触し、どうして人々を自殺させているのかを聞き出したかった。
02
チェチェンのウーヴェと会う。
ウーヴェは、ミァハがいるはずの〈対ロシア自由戦線〉との人脈を持つ。
ウーヴェは、私と同じようにも「優しい」社会に息苦しさを感じ、そこから逃げ出すために螺旋監察官になった男だった。
ウーヴェが呼び出した現地の少年、〈対ロシア自由戦線〉のメッセンジャーに、私は「紙」を渡す。
一人で、ARの通じない山を登れ、と。
03
「優しい」社会では感じられない、身体の不自由さを意識させられながら山を上る。
進化のつぎはぎでしかない身体を意識させられる。そして、私の感情も、私が私であるという思いこみも、進化の結果でしかないのた。
バンカーの中、ミァハと再会する。
ミァハが私に会おうと決めたのは、少年が持ってきた「紙」が、かつてミァハが私にくれた「名刺」だったから。
「ミァハが自殺に追いこんだ人たち、それに、父さんとキアン。誰も死ななくてよかった」と私。
「そう。死んでいい人なんていなかった。そして、これ以上死人を出すわけにはいかない。でも、こうでもしないと老人たちはボタンを押そうとしない。
04
高校時代、ミァハの自殺の直前、彼女の持ち物の本を火葬した、それを私が手伝った思い出。
私たち三人の死が、世界に対する一撃になるはずだった。
〈物語のコア〉
ミァハは、
「私の意識は、ここの、チェチェンのバンカーで、性的暴力という人間の野蛮によって生み出された。
でも、人類が持っているはずの野蛮を押さえつけようとする「優しい」社会では、人間が壊れていく。自殺していく。
私は世界の人々を愛している。この世界に、人々がなじめずに死んでいくのなら、彼らは生きるために、人間という意識であることを突破しなければならない。意識という、進化上のその場しのぎの機能を取り払って生きなければならない。
……組織の老人たちは、『意識の停止』を死と同義と受け取った。だから、ボタンを押そうとしない。私の民族のように、意識のない存在だっているのに。
それでも、世界がめちゃくちゃになりそうになったら、老人たちは意識の消滅、ハーモニクスのボタンを押すはず。
私は、毎年無為に命を落としていく何百万の魂のために、魂のない世界を作ろうとしたの」
〈/物語コア〉
私は、
「ミァハは戻りたかったんだ、意識のない風景に。……じゃあ、それを奪うことは、父さんやキアンを奪われたことに対する、ささやかな復讐になるかな。
だけど、それをあなたには与えない」
epilogue
通貨が余ってるからインフレになるんじゃなくて、通貨が余ってるとデフレになるんだよね?で、デフレになると利益が減ってしまうから
インフレを起こす つまり、通貨を大量消費させる必要がある ということだと思うけど。(ゲームない通貨は実際には貨幣ではなく、ゲーム内通過という商品であり、現実貨幣に対してデフレになる。)
通貨とアイテム 通貨が多い=アイテムが人気がなくて売れない>アイテム価格を下げるしか無い>アイテム価格を下げるとコインの対現実世界の価値が下がる=コインの価値が下がると広告収入が減る
それは困るから、ゲーム会社としては 広告収入を増やすために、アイテムがよく売れる状況にしなければならず、(これは安いアイテムが大量でも、高いアイテムが少量でもどちらでもよい)かつ、アイテムが売れるのが主目的ではなく、通貨価値を維持するのが目的だからデフレにはできないから、通貨価値維持 または インフレの いずれかの政策を取らざるをえない。
で インフレを引き起こしすぎるとアイテムが高すぎて、逆に売れなくなるから、通貨価値の調整ではなく、ゲームの目的性で 通貨の流通量を維持しないとだめで。
通貨の流通量を維持しないと デフレ(アイテム価値が下がる=ゲーム内通貨の価値が現実通貨に対して安くなる)が起きて これはNG というところで 均衡して
通貨の流通量を維持する必要があるというのは正解だけど インフレ という単語は 誤用だとおもう。ここで使っているデフレも誤用で
純粋に インフレデフレ関係なく 通貨の流通量=ゲーム内通化という商品の売れいきを維持する必要があるというところで、それは売上維持するのは商社としては当然と。
自分のために泣いてるんだね
そうね。それもわざわざ子どもが帰ったあとでね。
まさか我が子の目の前で泣くわけにいかねーからな。泣かずにはいられないレベルを、何とか耐えているんだろう。
それが入院してるかーちゃんにできる最大の「子どものため」だろうからね。
偉いかーちゃんだ。
母親に会える事が一番嬉しい事かもしれないとは考えた事はないのかな?
子どもはかーちゃんに会えて嬉しいだろうな。
そして従弟に面倒見てもらってる間、自分がちゃんとやれてて毎日楽しいっていうことも嬉しい。
成績が上がったの、メシちゃんと食ってるだのでパーフェクトだ。自分は大丈夫だ。
自分は大丈夫だから、かーちゃんにゆっくり休む時間作ってあげられるってのは喜ばしいことだ。
だからそれを伝えてるだけだろう。かーちゃんはかつて自分が嬉しかったりよくやったりしたときは一緒に喜んでくれただろうし、一般的に楽しい話の方が聞いてる方も気分が良くなるものだから。
子どもはただ自分の楽しさや嬉しさを母と共有したいだけだろう。
まさか自分が楽しいってことが母親にこんな複雑な葛藤を引き起こしてるなんて想定しないだろう。
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3992852.html
これを読んで、昔カーチャンに言われた話を思い出したから書く。
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生理痛っていうのはめちゃくちゃ簡単に言うと「子宮が超絶筋肉痛になる」という痛みで、
内部に溜まった血を一生懸命排出しようと子宮がこれでもかと伸縮を繰り返すから起こる。
この時点で
・どれくらい痛いのか
・なぜ個人差がもの凄く大きいのか
という、男なら誰でも抱く疑問が大体解決(?)する。
子宮は赤ちゃんを支えられるレベルの筋肉のカタマリだから、そんなのが全力で運動して腹ん中で筋肉痛を引き起こしたら
だけど知っての通り、筋肉痛には個人差がある。走り回った翌日けろっとしているヤツもいれば、動けないヤツもいる。
そして生理痛は、脳みそ的には筋肉痛というより内臓の痛み(胃痛とか下痢痛とかと同じカテゴリ)で認識される。
だからあの、「ぐぬおおおお痛い痛い痛い痛いけど痛い部分は身体の中だからどうしようもないんじゃボケエエエエ!!!」
って感じの痛みだし、女性ホルモン(これまた個人差が大きい)の影響も出る。
色々書いたけど、つまり「生理痛が重い人」(あくまで重い人)の痛みを言い換えると
立って歩けないような筋肉痛がそのまま内臓にやって来たレベルの腹痛
当時サッカーやっててしょっちゅう筋肉痛になってた俺は恐怖に戦慄した。
このことをまくしたてる母親の形相にも戦慄した。
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よく言われる、金玉蹴られた痛みと比べてうんぬん~ より「筋肉痛」の方が
男も女も知ってる痛みだし不毛な議論になりにくいんじゃね?と思ったので、書いてみた。
生理痛の原理なんてよく知らないし、ホントのところは分からないけど
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
MaIf2010 主語がでかい。美人だから苦労したのではなく、増田だから苦労しただけ。それが一般論ではない場合キチンと根拠を示して主張しないと反感を買うのは当たり前。美人さんの一不幸話としてはとても面白かったです。 2011/10/29
kosoba 増田さんが大変なのは「美人だから」ではなく「自意識過剰だから」だよ。どれだけ濃い人生を送っても普通はこんなに自分語りできないもの。 2011/10/29
yagamilight 美人, 恋愛 なんだろう、苦労話をしているようで結局顔利用してんじゃねーか、的な。 2011/10/29
hazardprofile 天の才に甘えて自分の周囲に置く人間のタイプを選別しなかった結果 2011/10/29
SuzumiyaRyosuke 自意識過剰じゃね? 私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。 2011/10/29
okusa75 増田 美人であることが、この人にとって最高に重要だ、ということだけはわかった。 2011/10/29
myogab と言いつつ女子力磨きにも余念なかったんじゃない?喪女に化けるって選択肢もあったろうに、結果水商売してんだし。無意識的に芸能界に進まなかった未練だとか、それ系の評価されたい心理を引きずってんじゃないの? 2011/10/29
blueboy 結婚しなかったのは、もっといい男を求めて、餌(PR)を垂らしていたから。ならば美しい餌に雑魚がたくさん釣られるのは必然。/雑魚を扱うには、申込まれる前に、断りを暗示すべき。ただしそれには知性が必要。 2011/10/28
hatayasan life 「正式な告白を年に10回も20回も受けて、その度に断り方を考えて神経を使い」だから美人はやめられない、というお話か。 2011/10/28
heis101 独身で居続けるなら、という条件つきでしょ。どうしても結婚したくないならともかく、明解な解決策があるのだから、それを"苦労"と言われてもねぇ…。と言ってみる。「美人だからこその苦労も多い、と言いたかった」 2011/10/28
kakaikun ブスな女性が「私みたいなブスが、ここに居てすみません」みたいなことを言ってたことがあった。この美人にも、罪悪感みたいなものがあると、同情しやすいんだけどなー(個人的に)。 2011/10/28
rjutaip 美人なのであっさり就職できました。美人なので水商売でがっぽり稼げました。美人なので結婚できました。という話。これを苦労話として読んでるブコメが多いのに驚き。 2011/10/28
olive-cafe 心理, 人格障害 『美人(何を基準にかは不明)にも苦労がある』はわかるが、この人には、『相手の気持を理解する事』は全く考えられず、何でもかんでも『美人だから』で嫌な事の原因を締めくくっている思考回路が残念。 2011/10/28
Naruhodius 自分でも書いてるけど頭悪いのも苦労の原因じゃん 2011/10/28
sihou1 ネタ, これはひどい なんか相当嫌な女に見えるんだが・・w あんたも相当歪んでるよね 笑えます 2011/10/28
tajimaboard なんでも「美人だから」にむすびつけすぎなのでは。本人にとっては何よりも大事なことなんだろうけど。 2011/10/28
xevra With Great Power Comes Great Responsibility /美人という圧倒的な力には責任が伴う。ゲスな男が居るのは否定しないが、力を使いこなせなかった無能が引き起こしたトラブルは自分の責任でもある。 2011/10/28