もうブラック企業の判別の仕方なんて山ほどあるから、ホワイト企業の見つけ方が知りたいね。
まずは自分が知ってる方法を列挙するから、他に知ってる方法があったら教えてくれ。
・残業手当が、25%もしくは35%割増計算ではなく、その数字以上の割増になっている。
・派遣社員はブスが多い。
僕は、全く話は変わるけど、
だから、ルームシェア始めたのは根本的に失敗だったと思ってる。
身を置くべき環境を間違えた。
何につけても思う。
自分でやれよ。
ごっこ遊びはもううんざりなんだ。
俺は自分のやり方でなんでもやりたい。
自分が良いと思った通りにやりたい。
そう、そして結局同居人たちというのは、
僕が家事においては他人と見なしてしまう程度の存在だったんだろう。
同居人の悪口を言いたいのではないよ。
これから、数年経ったのちに、会って飲もうよ、なんてことには100%ならないと。
確信をもって言える。
残るのは、ファッションとしての生活。
変に理想的なものとして編集された、青春の1ページとかいう、ごっこみたいな生活。
あの頃はルームシェアなんてしてたんだぜ、
若かったよなぁ、どうだい、うらやましいだろう?
…思い出のよすが。ファッションとしての思い出。
自分が今まで抱いていた甘い幻想ってやつに、今ははっきりと気づいて、反吐が出そうだ。
ルームシェアやっててよかったこと…?
家賃が安い?そんな。そこまで魅力的ではない額、毎月払ってるよ。
唯一、広い家にすめるというだけは取り柄だけど、そんなものは学生らしく、というか自分らしく、
そんなものに憧れていたのかな。現実は想像と、ほど遠いものだったよ。
新しいライフスタイル?とかそういう幻想みたいなもんに浸って、自分と向き合う時間が減った。
そんな風にしてへらへらと日々を過ごすことに、もう飽き飽きしてきた。
ぬるい関係だよ。何を言っても誰かが反応してくれる。
反応しなきゃいけない空気感みたいなものも、嘘っぱちだと思う。
いってきます、なんて、ただいま、なんて、言いたくない。
やめてくれ。そんなへんな親近感。
同じ家に住んでるからってだけで、僕たちはファミリーでもなんでもない。
お互いがお互いを尊重し合える状態。ある一定の緊張感。そういう意味でのドライ感。
長く一緒にいるというのは、なかなかどうして難しいことで、なれ合いが始まる。
自滅していったんだ。
僕の言葉はどんどん軽くなっていった。
でもそうなったからこそ言える。
身を置く場所を間違えたと。
変にお互い探り合って、たまにぶっちゃけ話をした気になって、さらっと満足を得る。
違う。少なくとも今、僕はそうじゃない。
あんだけ落ち込んでいた去年の3月頃の僕は、ルームシェアにすごく期待してた。胸高鳴らせてた。
さあ、新しい生活始まるぞ。って。
蓋を開けてみれば、なんてことはない。
回り回って、今年の3月頃の落ち込んでいる僕と巡り会うことになった。
物事は、なにも、なにも解決していなかった。
物事は、自分で、ケリをつけるべき物事だった。
一緒に住み始めて、環境が変わったところで、自分と向き合わなければ、何も始まらなかった。
ここにあるのは、社交性とか表現の場としての社会の入り口でもなんでもなかった。
趣味や嗜好が変わったかって、まったくそんなことはなかったよ。
新しい発見、あったようで、なかったよ。
趣味とか何かを発見するとかそんなの、僕はルームシェアやる前から持ってただろ。
一人で煮詰めてくべきだったよ。
ノイズが多すぎた。
この1年半の生活、いやその前から、ルームシェアしようよなんて言い出したときから
すっかり僕の眼は、濁ってしまったようだ。
表層的なやりとり、うんざりだ。
料理やって、自分が美味しい、これで良いと思えないもの食べて、
そんでもありがとうなんて言わなきゃいけない関係にうんざりだ。
本当の喜びも、本当の悲しみも、分かちあえないぬるさにうんざりだ。
結局、一緒にすむ程度で、体験や経験を分かち合うことなんて出来ない。
薄まってしまった。
ルームシェアで学んだものは、シェアできないものの尊さだった。
残念ながらそれは違う。給与は男性も女性も変わらない。むしろ女性の方が育休あってコストが高いんじゃないかと思うんだがね。
というのが主な言い分だ。
こんなレスが欲しいわけじゃないだろうけど
多分それは一般的な女性の賃金分(男性の6-7割)しか人件費が出せない(出す気がない)ってだけの話だと思うよ。
女しか雇いませんというところの大抵はそうだ。
んでネット見てたら先生とか学校とか教育委員会とか叩かれてるな。
被害者がいじめられてる事実を相談したい先生がどれだけいると思ってるんだ。
叩く連中の中にこの2つどちらも該当される人間がいるのか?
先生も自分と人間だと考えると、いじめ解決とか過半数が出来ないだろ。
俺にも無理。
学校全体が把握して解決できると思ってるのかよ。
100人も200人も社員がいるような企業の社長が末端の部下の悩みとか把握してるか?
上司や部下のろくでもない言動に対して、同僚や先輩が原因を根本解決するようなアドバイスくれるか?
愚痴聞いてくれるとか、問題を誤魔化すとか、問題の回避方法とか、そんなアドバイスならいくらでもくれるけどな。
遠すぎるわ。
いじめを無くすとか、先生が踏み込んで解決するとかそもそも問題に対する考え方が間違ってるわ。
いじめがなくなるわけないだろ。
仮に世の中からいじめがなくなったら、子供の闘争本能とかヒエラルキー的な奴とかが別のところから飛び出して新しい歪みが出てくるだけだっつーの。
(そういう意味では身分差別とか新しく作ればいじめは減るかもしれないな。)
いじめられた奴はいじめられてる学校に通い続けるか、家族以外の誰とも接触しない環境に行くか、大きくはこの2つしか選択肢がない。
苦行と変わらない環境に見を起き続けることで社会性を構築することが叶わず、どうしようもない人生がその時から始まるか、時間経過とともに徐々に訪れるか、どっちかだ。
いじめ問題を解決するならここをどうにかすればいいんだよ。
自由に逃げさせてくれよ。マイケル・ジャクソンだってBeat itって言ってただろ。
リセットさせてくれよ。これだけゲームが社会に浸透してるんだから有益なアイデアは現実社会で利用しろよ。
こんだけネット発達して遠くの人と蜜に関われるなら地域社会の有用性なんて低下してるだろ。
定住とかどれだけ逃げ道なくして生きてるんだよ。
根気で問題解決とか今日びはやらねーよ。
http://anond.hatelabo.jp/20120706172447
「日本のアマチュア演奏家のほとんどは学生のクラブ活動である」というのはどうなの?
社会人になって、音楽で食べていくつもりがなくても続ければいいのに、今の日本人は二足のわらじに嫌悪感すらもっているんじゃないかと、侍でも無いのに。
他の仕事しながらでも、別にプロを目指してなくても真剣に音楽をやっても良いのに、そういうアマチュア演奏家は少なくて、周りの目も冷たいというか、まあ少なくともステータスでは無いだろう。
週3でギター教室行ってます、と初対面の相手に胸はって言えない29歳男性みたいな。週1でボイストレーニング通ってます、と初対面の相手に胸はって言えない31歳女性みたいな。
これが週3ランニングと素振りして、毎週末草野球してる29歳男性ならどうか? 週1でヨガピラティスに通っている31歳女性ならどうか?
草野球の男性に「何のためにやってるの?」と聞く人がいるだろうか、ヨガ・ピラティスの女性に「悟りでもひらくつもりですか?」と聞く人がいるだろうか。
しかしながら、ギター教室の人には「何のためにやってるの?」と皆が問うだろうし、ボイストレーニングの女性には「歌手にでもなるつもりですか?」と聞く、しかもふざけて聞く訳でも無く、真顔で心底不思議そうな顔して聞く。
というわけで、結局は前回のはじめに書いてんだけども、
他社(主にGoogle)の検索クローラーに偽装してWeb巡回してた会社が提供するアプリとかに、みんなよく平気で個人情報とかぶち込めるよな。
それを理由にLINEに誘われたのを断ったんだけど、「何言ってるのこの人」みたいな顔された。
今日あったこと。
サークルのミーティング帰り、皆いろんな路線に散っていく。JR、地下鉄、私鉄。だんだんみんな減っていって、僕達3人はトボトボと歩く。
一ヶ月前のことである。あるジェントルマンは同じサークル活動の帰り、女の子を遠い改札まで送り届けてあげたのだ。僕には車道側を歩くのが精一杯。女性に優しくとは言うけれど、女の子に不自然に優しくしたら 勘違いとかされて、それでごめんなさいね、って言われてしまうかもしれない。そういうことを避けていた自分にはハッとさせられる一瞬であった。
本日のジェントルマンも、その子を送っていくのだと全く同じことを言う。あらあら。おなじ状況じゃない。この前は一緒に見送りに行き、結局女の子と同じ路線で帰ったっけ。多分あれは世間では抜け駆けとか言うことなんでしょうね。その時は戻るのが面倒だったのと、かのジェントルマンとは馬が合わず一緒に帰りたくなかったからなのだけど。流石に今日は一緒に見送れそうもない。多分勘違いされちゃって、狙ってるだとか何とか言われちゃうんだよね。僕は彼がそういうことを言う前から悩んでいたから、綺麗に引導を渡されちゃった形になった。
それじゃあね。彼女をちゃんと送り届けてね。と言って僕はひとり家路につく。
これで良かったのだ、彼女は皆に愛された。
で、やっぱり男は改札が遠くにあっても、きちんと送り届けるのが思いやりというものなのでしょうか?
ぼくは少しやりすぎだと思っていて、それが気持ち悪いとか思われるんじゃないかととても不安でした。
国会事故調の報告について気になったところを書いてみる。あくまでざっと目を通しただけだが、東電報告書と比較したときに、その書き方が素人目で見ていささか公平性を欠いているように思えたのだ。
具体的に言えば国会事故調が指摘している「平成18(2006)年の段階で福島第一原発の敷地高さを超える津波が到来した場合に全交流電源喪失に至ること、土木学会手法による予測を上回る津波が到来した場合に海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険があるという認識は、保安院と東電との間で共有されていた」(報告書本文"http://naiic.go.jp/pdf/naiic_honpen_honbunALL.pdf" p82)のところについて。
この一文は「認識していながら対策を怠った津波リスク」という見出しの下に書かれており、国会事故調が「東電は津波による炉心損傷の危険を認識していたのに対応しなかった」と見ていることが窺える。だからこそ報告書で今回の事故を「人災」と書いたのだろう。さて、国会事故調のこの指摘は、どのくらい妥当なのだろうか。
2006年にあったのは、国会事故調の報告によれば「溢水勉強会」(p85)だ。同年5月11日の勉強会で「福島第一原発5号機の想定外津波について東電が検討状況を報告した。O.P.+10mの津波が到来した場合、非常用海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険性があること、またO.P.+14mの津波が到来した場合、建屋への浸水で電源設備が機能を失い、非常用ディーゼル発電機、外部交流電源、直流電源全てが使えなくなって全電源喪失に至る危険性があることが示された。それらの情報が、この時点で東電と保安院で共有された」(p85)という。
国会事故調はこの勉強会の結論について、事業者側が「そのリスクを軽視していた」(p87)と批判している。14メートルクラスの津波が来た時の被害が想定できたのだから、それに備えるべきだったという理屈だろうか。
ところが、東電の報告書"http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0303.pdf"を見ると、かなり様相が違ってくる。東電も溢水勉強会が設置されたことは記している(p37)のだが、そこで行われた評価については以下のように記しているのだ。
「なお、溢水勉強会では、原子力発電所への津波の影響評価として、主要建屋が設置されている敷地高さ+1mの津波が無限時間継続すると仮定した場合の評価を実施している。当然のことながら、敷地高さ+1mの津波が無限時間継続すれば、建屋開口部から限りなく建屋内に海水が侵入することから、電源設備や電動駆動の設備の多くが機能を喪失するという結果が得られている」
p37-38
福島第1の敷地の高さは高いところで海抜13メートル(東電報告書、p29)。それより1メートル高い津波が来たらどうなるかを評価してみたら予想通りに電源がなくなりました、というのが東電の説明なのだ。国会事故調とは随分トーンが違う。これは一体どういうことなのだろうか。
溢水勉強会の資料はこちら"http://www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4-1.pdf"で公開されている。この資料の2枚目にある「1F―5想定外津波検討状況について」の左上を見ると「過去最大の津波はもとより発生の可能性が否定できないより大きな津波を想定していることから(中略)念のためという位置づけで、想定外津波に対するプラントの耐力について検討を行う。なお、対策の立案についてはリスクとコストのバランスを踏まえた検討が別途必要である」と記されており、さらに検討状況として「1.津波水位を仮定」と記したうえで敷地高さ+1mのO.P.+14m、及びその仮定水位と設計水位の中間としてのO.P.+10mという数字を置いていることが分かる。
つまりこの+10m や+14mという数値は、その程度の津波が来る確率が高いと見たうえで出したものではなく、「マジこの高さになったらどうなるよ」ということを調べるために置いた数字にすぎないと見るべきだろう。だとすれば東電の報告書に書かれている内容に近い。原発に深刻な被害が出そうな想定を置いて検討してみたらやっぱり深刻な影響がでるという結果になりました、というのがこの勉強会の実情だと思われる。
しかし国会事故調の報告は、この「念のため」に行った検討によって示されたリスクを「事業者が軽視した」と決めつけている。正直これは厳しすぎる指摘ではないだろうか。+14mの津波が来る確率が一定水準を超えていることを、この時点で事業者側が把握していたのなら、確かにリスク軽視との謗りは免れないだろう。でもこの勉強会における+14mという数字は「敷地高さ+1m」という計算式で導かれたもの。そういう前提で検討すれば、どんな原発だって、いやどんな発電所だって、同じように全電源喪失のリスクがあるという評価結果になっていただろう。
国会事故調が東電のリスク軽視と対応の遅れを批判するのなら、せめてその時期は2006年ではなく08年にした方がよかったのではないか。02年に地震本部が指摘した福島沖での地震発生の可能性について(東電報告書 p20、国会事故調報告書 p85)、残念ながら波源モデルが提示されておらず、土木学会がモデル構築に時間を要したため、東電のモデル計算がまとまったのは08年5月ごろになったが、そこでは+15.7mの津波の可能性がはっきりと浮かび上がっている。この数字については東電も国会事故調も一致している。
貞観津波を考慮すべきとの指摘が最初に来たのも08年。東電報告書によれば同年10月に「投稿準備中の論文について提供を受けた」(p21)という(なぜか国会事故調報告では09年の話として書かれている、p86)。08年12月に東電が試し計算を実施すると、最大で+9.2mという数字が出てきたが、これについても具体的な対応は取られなかったようだ。
何の論拠もない+14mとは違い、試しとはいえモデルを使った計算でこの数字が出てきた後なら、東電や規制当局の不作為を問うこともできるだろう。問題があるとしたら、08年から震災までの期間が3年弱しかない点か。津波の危険を把握してからすぐ対策を始めても、震災までに対応が終わらなかった可能性がある(東電報告書によれば、防波堤を作るとして建設費は数百億円、工期も意思決定から完成まで約4年とされている、p23)。そうなると、国会事故調が報告書に書いたように、今回の事故を「人災」と断言するのは難しくなるかもしれない。
だからと言って06年の溢水勉強会を論拠に06年から対策を考えるべきだったと主張するのは、やはり無理がある。東電や規制当局の体質といった問題点はきちんと指摘できているのだから、無理はせずに08年を「対処すべきリスクを把握した年」と判定した方が、報告書の説得力は増していただろうに。
なお、最初にも書いた通り私は専門家ではない素人だ。素人なりの疑問ってことで、間違っている部分もあるかもしれない。その場合はごめんね。
黒船もまた、軍艦であるということが、増田は今ひとつ理解していない。
兵士に与えられた自由は限定されている。
新卒として日本の大手出版社で正社員として勤務し、そのあと出版系のベンチャー企業に転職したものの、そこが潰れたため、外資系金融業の広報で派遣社員として働き、そのあと再び日本の出版社で、契約社員として働いて3年目に入ったのではないか。
その経歴では、外資系のいいところしか見ることはなかったのだろう。
今時、金融の大手企業なのに、パワハラ、セクハラなどが蔓延している職場なんて、あるのか?
銀行、保険会社、証券会社などでは、コンプライアンス研修が毎月のようにあり、訴訟の芽は事前に摘まれる。
それは、この15年近くで劇的に変わった。
パワハラ・セクハラが無かったのは、外資系だったからではなく、金融業だからではないのか?
そもそも出版社やマスコミなどは、現代日本の中では意識改革が相当遅れた業界としても有名だ。
いまだにパワハラ・セクハラが蔓延していて、例えば有名作家や取材対象の政治家などに遅くまで女性社員が接待したり、大手出版社の社長が地方支社に愛人がいるのが当たり前だったり、部下をしかるのに灰皿を投げつけるようなボス猿がのさばっていたりする。
サービス残業が当たり前の本当に糞のような業界が、日本の出版社・マスコミの姿なのだ。派閥も多いし、くだらない足の引っ張り合いも日常茶飯事。
そして、同業他社は、お互いの短所を知っていても、かばい合い、罪の追求をすることはない。
製造業や官僚の罪は追求するワイドショーのスタジオで、ADが失敗してボコボコに殴られていても、注意するくらいで加害者を処罰することすらしないのが、この業界なのだ。
そりゃ、増田もつらかっただろう。
それに、増田は外資系では派遣社員だった。日本でも、派遣社員の処遇は相当に守られている。
なぜなら、契約書で、残業代をきっちりと払うことが明確に定められていて、例外を認められていないからだ。
しょせん、他社の人間であり、身内のようにムリを効かせることはできない。
増田が今の職場でそれを強いられているのだとしたら、契約社員という、正社員を餌にされた準社員の地位にいるからだ。
派遣社員と契約社員の立場の違いが、増田の処遇の差になったとは考えられないか。
さらに、外資系の人間関係を天国のように増田は評価するが、外資系の正社員同士の社内政治がいかに大変か、増田は知らなかったのだろうか。
2年弱といえば、長いようで短かったのかもしれない。
何故彼らは、頻繁にホームパーティーをするのだろうか。
会社を離れたら友人だよ、というスタンスで、フレンドリーに接するのが欧米流。
だが、そんな訳があるはずがない。
上司であっても、友だちとしてつきあわなければならないのは、義務だからだ。
こちらの方が、逆にきつくないか?
プライベートに仕事を持ち込みたくない、という人間は、少しずつ疎外され、出世から外れていく。
とアピールしあい、価値観が違う者同士なのに、相手の趣味に合わせて笑い、会話をし、お互いの家族について相談を「しなきゃならない」。
日本の武道を習いに来た欧米人に、日本の道場のどういう点がいいか、聞いたことがある。
「日本の道場は、上下関係がきっちりと決まっているからとても楽で居心地がいい。欧米では演技が必要で、フレンドリーに接しながら腹を探り合わねばならず、ストレスがたまる」
このような接待方法に近いことを、日本だとMRがやっている。彼らの顧客の医者は、ロジカルで欧米的な個人主義者が多いのも関係があるのかもしれない。
医者は、仕事帰りに居酒屋で飲むのをあまり好まない(中にはキャバクラ大好きの医者もいるけれども)。
それよりも多いのが、週末のつきあいだ。
そこで、週末、医者の野球チームのメンバーになったり、バーベキューを開催したりして親睦を図る。
MRをやっている友人曰く、「自分だけでなく、時には妻にまで、バーベキュー場で顧客のために肉を取り分けさせたりせねばならないのがつらい」とのこと。
増田は、お客様として外資系の上澄みだけに浸り、外資系の賛美者となってしまった。
外資系で本格的に働くと、相当に人間関係で苦労する。それは日本の非じゃありませんぜ。
しかし、文化の違いを乗り越えて、彼らに仲間として認められた時の喜びは、それ以上のものだ。
それは、社内政治を勝ち抜き、圧倒的な業績を上げ、奴隷以上に長時間働いてのち、得られるものだ。
増田のような人間の賛美は、外資系のイメージを上げるという点ではいい宣伝になるけれども、外資系で戦力となる仲間を必要とする者にとってみれば、ありがた迷惑だ。
http://copipe.cureblack.com/c/33890
337 名前:おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日:2012/06/29(金) 22:45:31.29 ID:qqCbU3u9
体験ではないんだけど、本で読んでスーッとしたので。
パイロットたちが抗議。
危険に直面させられている」と、米国航空郵政省に申し入れをした。
米国航空便郵政省は、安全な天候を規定した新たな法規を制定…しなかった。
単純明快な命令を出した。
「パイロットが要求した場合、航空便管理者はコクピットに同乗しなくてはならない」
この後、墜落件数は一気に下がったとさ。
が、「もっと詳しく知りたいなあ」と思って読み直してみると、不審な点が目につく。
まず、具体的な記述が全くない。
「本で読んで」本のタイトルは?
「墜落事故の割合が高すぎる」どれくらい?
「墜落件数は一気に下がった」どれくらい?
次に用語が怪しい。
「航空便管理者」って何?当時のアメリカの独自用語?検索してもこのコピペ以外ヒットしない。
http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p316.html
運航管理者は,各空港から出発する飛行機について目的地までの飛行計画を作り,機長と打ち合わせた上で飛行機を出発させ,その飛行機の飛行中は機長と密接な連絡を保ち必要な情報を送って,安全な飛行を行うために地上から機長を援助する専門家である。
という地上からのサポート役。そんなサポート役を飛行機に乗せる運用などありえない。
「米国航空郵政省」と「米国航空便郵政省」のどっちが正しいのか?
どっちを入力しても、やはりこのコピペ以外のまともな記事がヒットしない。
「旅客機よりも郵便航空機の方が墜落事故の割合が高すぎる」と言えるほどに旅客機も郵便航空機も墜落事故を起こしていたのか?
墜落は飛行機に乗っている人はもちろんだが、地上の人間も生命の危機にさらされる重大な事故だが、
そして何より、このコピペが多くのサイトに散らばっているにもかかわらず、ソースである本のタイトルがどこにも載ってない。
これだけ面白い話が載ってる本なら、アフィリエイトでもすれば、クリックや購入で確実にもうかるだろう。
それを誰もやってない。いや、誰にもできないのではないか?
で、このコピペに対する私の信頼性というのが地に落ちたところで、このコピペに対するコメントを見てみると、
これは大岡裁きに通じる賢い判断だな
こうやってズバッとしてくれると気持ちいいよな
と本当のこととして信奉している人、
日本もやれよ
などと原発に絡めてる人など。
で、エロゲの新旧有名所って具体的にどれ?