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「1億円の壁」是正へ、所得30億円超えの超富裕層に25年度から課税…政府方針
(https://news.yahoo.co.jp/pickup/6447486)
超富裕層への課税を強化する場合、税率を上げすぎてしまうと、高額の課税に嫌気が差して税率の低い海外に脱出する人が増えて、人材流出と税収減を招く恐れがある。
実際、フランスではオランド政権時の2013年に100万ユーロ(1億4468万円)以上の所得の富裕層に75%課税する富裕層課税を導入したが、海外に移住する富裕層が相次ぐことになり、結局税収が減る結果を招いて、2015年に廃止されることになった。
いや、だってね、フランスは地続きの国ベルギー、スイスに引っ越しても、フランス語を話したまま暮らせるんだよ。スペイン語とフランス語の違いも方言くらいの違いなので、すぐに順応できるし。フランスからベルギーやスイスやスペインに行くには、新幹線みたいなTGVでも行けるし、高速道路で車でそのまんまだって行けるよ。しかも高速道路で行き来できるレベルなので、例えばベルギーやスイスに引っ越しても、仙台から東京に戻るくらいの距離感・費用でパリに戻れるんだよ。最悪通勤だってできるんじゃない?
フランスの例は、「東京都がいきなり税金をあげたので大阪や仙台や新潟に脱出する人が増えて、東京都の人材流出と税収減を招く恐れがある。」と言うレベルの話だよ。
バカなのか、騙しに来ているのか?
どっちでしょう?
反対派は、国「葬」
違う違う。
国葬は、「葬」の名目を利用した外交の場であり、サミット番外編みたいなもの。
https://twitter.com/syanosyano6631/status/1547724902123597824
国葬参加状況
【パリ共同】9月27日に行われる安倍晋三元首相の国葬に関し、複数のフランス政府関係者は27日、「できるだけ高位」の人物を派遣することを検討していると明らかにした。サルコジ元大統領やオランド前大統領らが念頭にあるとみられる。マクロン大統領は内政の予定で訪日しない方針。
https://nordot.app/936363570730418176
ネトウヨどーすんのこれ
2012年5月8日、S.P.筆、パリにて。(The Economist)
少なくともそれが、エリゼ宮殿で選挙スタッフが聞かされたことだった。
フランスの政治家というものは、私の理解では、真に政治生命を終えるということがない
(フランソワ・オランド大統領の閣僚として挙げられている名前を見てみるといい)のだが、ともかくサルコジはそのつもりらしい。
さてそれでは彼は、歴史の教科書でどのように書かれることになる政治家だっただろうか?
今週号で簡単に触れたように、サルコジ氏がこのような最後を迎えたことは極めて特異なことだった。
彼はヴァレリー・ジスカール・デスタンに次いで、史上二人目の再選を果たせなかった大統領となった。
彼がいさぎよく敗戦を認められなかったというわけではない。
彼は日曜日の夜、ややぎこちなくはあれど栄光ある演説を行い、オランド氏を「尊重」するよう求め、氏の幸運を祈った。
しかし、サルコジ氏の敗北のあと、私の脳裏をよぎったのは「もったいない」の一言だった。
フランス人は彼を大統領に選んだ理由を忘れてしまったのではないかと思えた。
今回のオランド氏を超える53%の得票率で執務に入った彼は、
ジャック・シラクによる停滞した12年のあと、大統領職に新鮮な空気と(相対的には)若さをもたらした。
彼は徹底した反保守主義者であり、それがために人気を集めた。
実のところ彼はパリの Pont de Neuilly で生まれ育ち市長ともなったのだが、
彼には見慣れない姓と移民の出自があり、アウトサイダーのような雰囲気があった。
話し方も、ほかの政治家とは違っていた。
彼は、国立行政学院で解読不可能な言語(フランス人は la langue de bois 木の言語 と呼ぶ)を教え込まれたような人ではなかった。
彼は、彼以外の上流階級な政治家が語ろうとしなかったことを語った。
フランス人はあらゆることをアメリカのせいにするのをやめなければならない、
フランス人はマイノリティを、音楽やスポーツだけではなく、正規の職業に就かせなければならない、と。
執務においてはエネルギッシュで、勤勉で、大胆な人物だった。
彼が引き起こした改革の旋風のなかでもとりわけ、大学への自治権付与、定年の引き上げ、
起業の規制緩和、地方裁判所の仕組みの合理化はしっかりしたものだった。
外交の業績を見れば、多少の過ちはあったとはいえ、彼がフランスの声を世界に届け続けたのは明らかだ。
金融危機があった以上、失業率の上昇と負債の拡大について彼だけを責めることはできない。
大統領選におけるサルコジの悲劇の原因は、彼最大の敵に帰着されるようである。
彼はあまりにも多くの方面に手をつけ、フランス人を混乱させ、振り回し、疲れさせた。
彼は自分のエネルギーを一貫性ある方向に向けることができなかったように見える。
自分のやったことに完全に納得すると、その次に正反対の立場を熱く擁護するのである。
当初減税を志向しながら、最終的には税を引き上げることになった大統領候補。
労働時間週35時間制を批判し続けながら、それを法律から取り除けなかった政治家。
富と成功へのコンプレックスからフランス人を解放しようとしながら、「富裕層の大統領」と揶揄されて終わった大統領。
フランス版コンドリーザ・ライズを誕生させると約束しながら、重要閣僚にマイノリティを一度も入れずに終わり、
最後の大統領選で極右票を稼ごうとあからさまな「移民過剰論」を展開した指導者。
こうしたすべてを通じて、サルコジ氏は自分の衝動をコントロールできていなかった。
他国の指導者(シルヴィオ・ベルルスコーニ)を侮辱した件も、
(農業フェアで通行人に捨て台詞を言うほどに)単に自分の怒りを抑えられなかった件もそうだ。
彼の政治的業績がもっと素晴らしければフランス人はこのような過ちを許したかもしれない。
だがそれほどではなかった。
彼のいきさつは、実務よりは見せ方、用意周到さよりは拙速さ、秘策よりは透明性の人の物語だったと言えるだろう。
フランスの劇作家ヤスミナ・レザは、サルコジ氏のとどまるところを知らない欲望を「失われた時間との戦い」と表現している。